武田勝頼 part47
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武田勝頼、武田信玄など、武田関係について語って下さい。
なお、このスレにはアンカーレスを多用する荒らしがよく現れますが、無視して下さい。この荒らしはリアル世界に友達がいないため、皆様に相手にしてほしいから全てのレスにコピペ返レスしているのです。少し前の放火事件のように現実世界に迷惑をかける可能性もあるため、皆様寛大な心で受け入れてあげて下さい。
ワッチョイ導入議論スレ
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1644501787/
武田勝頼 part46
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1645973954/ ID:ym0Ahq/9
スレ立てしてからうめろカス >>1
スレ立て乙。前スレから思うけど、全てのレスに返しをしてる人なんていないんじゃない?どこかにそんな人いた?
僕もそんな事してないし、不思議な話だと思うかな。 >>5
あれあれ?また君は変な認定してるの?
前スレの勝頼スレ46とか読む限り、菅沼認定厨さんに菅沼認定されてる人々は特徴も主張も違うように思えるし、それらの人々に対し、菅沼認定厨さんが違う対応をしているように思われる所とかあるから、菅沼認定厨さんにとって、菅沼認定してる人々の区別ってついてるんじゃないかと思うんだけど、どうなの。 >>1
乙。
前スレでも相変わらず長篠の議論が盛んだったが、これが巷間謂われるほど武田にとって画期的事件・致命的打撃だったのか?という漠然とした疑念を抱いている。
敗戦後も武田は急激に崩壊したわけでもなくて東海・関東両方面の戦線を維持している。
例えば第四次川中島合戦を経た上杉はその晩秋から関東戦線に於ける敗北萎縮を余儀なくされている。
結果から遡って、川中島の損耗が深刻なものであった、少なくともそれが退潮の一因ではあったと想定し得る。
これに比べると長篠後の武田に臨界点を超えたような縮退は認められない。
武田の滅亡はこの一戦に関わり無しにもっと構造的かつ緩慢に進行したものではなかったか。
長篠を特別視しがちな我々は軍記講談の類に毒されてしまっているのではないか。 長篠が滅亡に直結しなかったのは
一つには勝頼が軍の再編に取り組んだから
戦死した将兵の弟や子を取り立てて数を稼いだこと
次に、足利義昭が武田、北条、上杉に働きかけて対織田で纏まらせようとした事も寄与している、と読んだ
それでも遠江や美濃で幾つも城を失陥している
特に対徳川で見れば攻勢から守勢に切り替わる潮目だったと思う 確かに長篠は痛手ではあったけど致命傷ではなかったからな。
問題はその後、放棄すべき遠州の高天神城や二俣城に未練がましく何度も出兵し
軍事的にも財政的にも消耗していった事と御館の乱での対応の失敗が滅亡を招いてしまった。 ただ高天神手放せっていうのも難しい話だぞ。状況にもよるけど高天神捨てると遠江から完全撤退することになるし勢いに乗る徳川が駿河攻撃をしてくるのも目に見えてる。
だから徳川との和平交渉でのタネにするしかないけど徳川が交渉に乗ってくれるかは不透明だし。 >>10
長篠前までは徳川は攻勢に出ることさえできずに、武田に蹂躙されてた
家康は城に籠って織田に援軍要請しかできない状態だったのが
長篠後は徳川単体で逆に攻勢に出られるようになったことが最大の原因だろう
高天神城の件や遠江駿河戦線なんて徳川が攻勢に出なければ発生しないことだ 長篠の大敗はゲームチェンジには十分すぎた
織田の東部戦線に余裕が出来てしまった
その後上杉が織田と敵対するけど謙信が死んで上杉が没落して武田家も終了
謙信が長生きすればとは思うが武田家がどうこうできることじゃないから そもそも武田には徳川と戦争するのがキツすぎる。距離が長いし道が険しいしで長期戦ができない。更に敵拠点で引っ掛かると逃げられなくなる危険性まである。
体力ある内はいいけど一回出血するともう瀕死の重態よ。 >>10
高天神のような飛び地は駿河防衛にも役に立たず、徒に金と時間を浪費する金食い虫だからねえ。
早めに損切りしておけば領内への負担も軽減出来た。また高天神の軍監自身が気を遣って
後詰め不要とせっかく言ってきてるのにそれを無駄にしてしまった 軍監が後詰不用って言った時って家康に包囲されてる時じゃなかったか…?あの見殺しにして武田の権威が失墜したっていう。 >>16
その高天神城放棄も信長が降伏を許すなって指示している時点で潰されてる
水野文書から、以前には滝坂城を加え、今では小山城を加えて高天神城と合わせて3城を渡したいから助命してくれと書いてある
最初は高天神城のみの降伏願いか分からないが、1つ前の降伏願いでは滝坂城と合わせて2城
最新の降伏願いは小山城と合わせて3城の内容だから降伏願いが何回もされてたって事だろう
放棄したくても相手が助命降伏を許さなかったらそれこそ無駄 そのせいで最悪のタイミングで高天神を見捨てることになったんだけどな。
長篠直後だったらまだ見捨てることに言い訳が成り立ったわけだけど。 >>8
いやいや長篠の戦は武田にとって大きな痛手なのは間違いない
致命傷ではなくてもそれに近い
鉄砲の織田軍を甘く見て罠に引っ掛かり鉄砲によりバタバタと倒れてなすすべなく倒れて
撤退していった勝頼軍
それまで武田を支えた名将を数多く失った
軍紀講談の類に書かれているようなダメージを負ったのはほぼ間違いない
ここで弓矢と火縄銃の威力を同一視するような勘違い現代人よりも軍紀講談の筆者の方がよほど現実の軍事を知っている >>20
長篠直後なんて岡部が奮戦して撃退してるだろ
勝頼からも放棄指示でてないだろ
後に全滅するという未来予知してんのか 織田家は撰銭令で滅びかけだった
信長は粗悪な貨幣と良質な貨幣の交換基準を定め一気に貨幣流通が増やした
これで大きな経済的効果があったのですが
その後かえって領外から悪銭が集中して入ってきてしまい領外の商売では悪銭を受け取ってくれなりました
かえって織田領の流通が滞るようになります
京や奈良の銭中心の地域でも銭の価値が変動しすぎるようになると、価値が変動しにくい米が大量取引の決済に使われる様になりました
こうなると織田家は失速し、金たる米つまり兵糧調達にも気を配るようになるほど落ち目になっていきます
晩年の信長は兵糧調達をしきりに気にする書状が数多く残っています 敢えて言うなら牧野城を取られた時に破却するべきだったのかもしれない。とはいえ高天神にも実は利用価値があってここを徳川が取ろうとしてくれるお陰で駿河戦線は攻撃されてないって面もある。つまり下手に高天神を破却するとその代わりに他の拠点が攻撃される。だからタイミングが非常に重要だったはず。最もそんなタイミングは永遠に来なかったわけだが… 装備が充実してピカピカの明智軍に対して信忠軍はそれは酷い有様だった
甲州征伐の終盤、信忠軍の中間層の兵士ですら春雨の低体温症でバタバタと死者を出すほどだった(末端兵ならわかるが) みんな高天神城の話題してる最中にいきなりこれじゃアスペと言われても仕方ない(笑)
あぼーんすることだな
>>24
牧之原城、二俣城は長篠合戦と同年に落とされてるのに、高天神城の防衛ラインは長篠合戦から六年耐えてるわけだからな
どこかで敵の侵略を止めねばならんから侵略を止められてる前線放棄なんて早々にはできない
二俣城はちゃんと助命降伏は許されてたわけだから 信長は多くの悪銭を畿内で流通させインフレ経済崩壊を招いた愚か者。
ミクロレベルでの政策なら一定の成果が上がるが、マクロレベルでやった信長はアホ。
悪貨が良貨を駆逐するの例えどおりに重度に悪銭が畿内に集中し、 他地域では良銭が流通したため畿内→外地域での決済において拒否が続出。
織田領内は米が貨幣と同じ扱いとなったり物々交換と言う古代時代に戻ってしまったw >>21
> 鉄砲によりバタバタと倒れて
実証されたのか、それは。
云っとくが、史料に「書いて」あるからってだけじゃ実証にはならない。 天正8年の時期は信長の命令は無視され決済拒否される悪銭は使用さなくなり、秀吉や毛利の銀の流通が堺を中心に活発化した。
秀吉は莫大な富を築く
豊臣政権になると撰銭令を撤廃し米主体の石高制を採用し河川流通を整備し信用不安を一気に解消する
さらに信玄の政策を真似て天正大判を発行するなど金本位体制を確立する
信玄が凄いのか秀吉が凄いのかわからないが、豊臣政権は既に西欧重商主義と金融資本の概念を先取りしていて驚愕的である 権力を持つ悪党たる織田家臣は悪銭と精銭を同価値として、悪銭での支払いを強要するようになる。
百姓などは、せっかく作ったものが悪銭と同価値とされ、悪銭で支払われるのは大損害となる。
しかし、商人や百姓が支払いに悪銭を使おうとすると領外の相手は拒否する始末だ。
そこで大名・領主層に対して、仕事を放置して解決のために一揆として押し寄せる。
このように信玄の上洛とは畿内経済の破綻前兆による生活苦による一揆の隆盛だったのである。 うまく経済政策と貨幣管理ができた武田・上杉・北条など東国大名は貫高知行制を存続できたが、信長のように失政失敗すると物々交換の原始時代に戻ってしまい、米建てになって 貫高知行制度の崩壊を引き起こしてしまう。
その結果、信長がテキトーに家臣に対して一円の支配権を与えるから、お前の才覚で経営しろって言う丸投げが生まれる。 才覚のある明智に関しては、貨幣鋳造都市を召し上げだから酷いものである。 >>29
それは穿った見方をすると武田兵が弱兵と言われた織田兵に白兵戦で大負けしたということになるな
特に軍の中核を支える中堅武士の大量死傷が白兵戦でとなると織田家がどんな戦術を使ったのか武田兵が弱かったの
武田弱兵説の方が面白そうではある 秀吉は後世にまで伝わる絶大な人気の背景は織田がもたらした経済不安を武田信玄の貨幣政策で立て直し、絢爛豪華な桃山文化をもたらしたことである。まさに秀吉と信玄は民衆に望まれた英雄なのである。 戦績見ても尾張織田兵って他地域に比べて弱い印象ないけどなんでそうなってるの? 土地と繋がりのない人を悪銭ばら撒いて集めただけだからじゃね? 織田弱兵論は一般論
経験値からいけば織田はじめ畿内兵はベテラン揃いのはず >>35
徳川史観じゃない?
家康が強力な三河兵で弱兵の織田軍を助けたって >>33
残念だが強兵とか弱兵とか、正に講談的/小説的な言説に興味は無い。
物理的結果とそれを規定した/それによって規定された構造にだけ興味がある。 >>39
それであれば武田家が長篠後に弱体化したということにしか意味がない
内容について知りたくて史料以上の材料がほしいなら探すしかない
頑張りたまえ 強兵も使いどころ。弱兵も使いよう
織田の近代的戦術に蹂躪されただけですかな 織田は急襲に弱いし不利になると一気に崩壊する
徳川は違う
姉川の時から粘り強いし、よく織田を救ってる
特に武田を取り込んだ後の徳川本隊は強い
崩壊したというのは真田幸村の赤備えの騎馬隊に突撃された時ぐらいか
武田絡み以外は敵なしだよね ID:zivpHAgu
一人でブツブツ呟きながら長文連投する姿は菅沼そのものでワロタ 菅沼とは固有名詞じゃないんだ
考え方、生き方なんだよ
君の隣にもいるだろう、菅沼が
このスレにも何人も… >>45
怒りの長文コピペ荒らしされても困るからNGしなさい。
ウクライナ戦争を見るとウクライナ側が善戦できてるのはジャベリンなどの誘導携行兵器のおかげである。
ジャベリンは自動追尾で訓練されてない義勇兵でも使える。
これは戦国当時なら農民でも使える火縄銃にあたるのでは?
弓は恵まれた身体能力と日々の訓練の賜物であり、複数戦死した場合の補充が困難。
その弓隊に比べ、鉄砲隊は補充が容易である。
兵の強さと云うのは訓練されてなくても破壊力のある部隊を揃えられるか。
またその兵の補充が容易であるかも重要な要素だと思う。 富の独占をやってたのは信長。
自由気ままに課銭課税課役をかけまくっていた。
しかし秀吉は上限を定めたルールを布告し、上限を越えた場合は罰する。
いまで言えばサービス残業や過労使役を根絶させた。
農民の営みを保護して、農作に集中出来るようにした。
それまでは兵役など課役に苦しみロクに農作が出来ず田畑が荒れてしまうのに税を取られ、 しかも納税輸送にも通行税まで取られたし、 納税量の確認に使われる升の大きさも恣意的だった。
そして中間搾取層は隠田による不当収益も丸々懐に入れていた。 円の呼称が使われる以前の金銀貨の呼称は「両」「分」「朱」であり、 またその計算単位は「四進法」で、これらの始まりは甲斐武田氏が造った甲州金であった。
戦国大名によって造られた各種の金銀貨が秤量貨幣であったのに対して、甲州金は7段階に及ぶ 量目体系に基づいて造られた先進的な計数貨幣であった。
甲州人の知恵が近世の貨幣制度のルーツとなった。
信長には不可能だったことだ。
何が残った??うーん 一般的に豊かな地域の兵は弱いとされてるからな。濃尾兵然り北条兵然り >>29
まず織田(信長公記)、徳川(三河物語)、武田(甲陽軍鑑)の全てで武田は鉄砲に散々に撃ちかけられて負けたと明記されてる。
次に被害を比較すると織田・徳川が非常に軽微なのに対して武田軍は甚大な被害を受けている。死者一万人、指揮官クラス多数討死にという異常な損害を受けてる。これは戦闘が肉弾戦では無かったという事を意味する。肉弾戦だとすると織田・徳川兵(尾張人や三河人)が武田兵より生命体として優れていたことになるが…
最後に考古学発掘でも設楽原からは大量の鉛玉が発見されてる。そこら辺の小学生でも見つけられるとの事で大量の鉄砲玉が放たれた事は疑いようも無いんだとか。 >>53
なるほど。
文献はともかく発掘成果なら蓋然性は高いと納得できる。
但し「一万人討死」は合理性を欠く。
前スレで論拠は提示した。 戦果報告はいつの時代も適当。
現代でもね。
プロパガンダ含んでいるから。 武田軍の損害は正確に把握する術は無いけど確かに一万人死亡ってのは少な過ぎるかもしれない。というのも武田軍は設楽原決戦に敗北した後、鳳来寺街道を使って撤退した訳だがこの鳳来寺街道、まず設楽原から長篠に向かって戻り長篠城前で北に行かねばならない。
もし長篠の道が険しいなら大軍では大渋滞は避けられずつまりかなりの兵が絶望的な玉砕戦を強いられたことになる。
しかもこの時長篠城には鳶ヶ巣山砦攻撃隊が入っているので辿り着けても真ん前は敵、そうなるとここにも玉砕戦ということになる。三千人程度しか残ってなくても不思議じゃない。 >>48
濃尾兵は石高の割りに部隊として集まりが悪いから弱小ということ?
確かに信玄と謙信が万を超える軍勢で争っていた頃50万石以上の
織田は数千人しか動員できてないからな 金融政策こそ国家運営の要。
金本位体制こそ理想そのもの。
信長は銀山の上納金で満足し生野銀山すら有効利用出来なかった。
信長ではなく先見の明がある秀吉が巨万の富を我がものにした。 武田には徳役という税制があった。
これは有徳銭とも呼ばれ、富裕層にだけ税を追加で取るもの。
これを悪政と言うバカがいるが、これは今でいう目的税でこれらが河川改修などの災害防止にあてられていた。
担税力があるものに税を課す
現在に通ずる課税方式をとるのが武田である
織田はテキトーテキトー
織田は一体何を残した??うーん 天正6年諏訪大社の遷宮で信濃一国に造営費をかけた時の話だ
織田厨が基地外なのは、当時出来る限り諏訪大社の負担したくない者がいい加減な言い訳を書いてる文書の一部を切り抜いて、武田の悪政とか重税で民が苦しんでたとか歪曲してたところだよ
織田の方がテキトーテキトー
河尻の圧政でやっと武田の統治の素晴らしさを知ることになる 武田が重税とかデマだから。
信玄の大小切法の遺徳が明治まで甲斐を救ってるほどだから。 >>66
「坂の上の雲」でも読んだか。
今どき戦国板や日本史板で司馬なんぞを引くと、此奴は馬鹿に相違ないと断定されても文句は云えない。
止めた方が良い。 >>66
坂の上の雲にあったっけ?よもやま話にそう書いてあった
っていうかあの弱いっていう根拠ってなんなの? 武田の重税はひどすぎるだろ信玄の時代から
棟別役を春と秋に100文ずつ、年に200文を課税
他国の棟別銭が1年間で50文から100文だから、武田領は特に重い 甲州征伐の最大の功労者が北条と史料捏造と脳内妄想してるだけの阿呆だから ピカピカ明智軍に対してボロボロ織田軍
兵糧たっぷり北条軍に対して調達に至難の織田軍
武田兵を吸収した家康に対して虐殺しまくる織田軍
兵の防寒対策もまともに出来ず死人でまくる織田軍
大軍が維持できる状況ではなくなっているのは明らか
今なら織田をやれると思うのも無理はないw >>70
それ以前に織田領内の経済はボロボロだからw
末期は家臣に統治丸投げ
華やかなのは毛利と羽柴の銀が流入している堺よ
明智の鋳造で潤う近江
そのイメージが織田のイメージになってるだけ 昨日の脳内妄想
ID:zivpHAgu
↓
ID:6uxZUtxq (今日) 脳内ソースで決め付けて都合の悪い史料は捏造だの一部の意見だので無視するんだからそもそも会話が成り立つはずがない
援軍到着前に長篠城落とせてたとして維持できるんかね
防御固めようとしたら補修に金かかるし結局あの辺りが攻勢限界だったのでは >>75
捨てるしかない
城にいた奴らは奥平一族と主だった奴らは皆殺し
それで、織田と徳川はまた援軍も派遣せずに前線の城を見捨てたと
諸国に広く伝える
そんな工作が武田に出来たら、の話だけど ここまで史料も無しに脳内妄想できるのは凄いw
537 人間七七四年 [sage] 2022/03/19(土) 13:32:09.31 ID:yVZ593x6
甲州征伐の最大の功労者は調略と補給を支援した徳川と北条である
しかし武田を直接討ちたかった信長の怒りはそれは凄まじいものがあっただろう
信長の怒りを買った信忠河尻滝川徳川北条は完全に終わった
789 人間七七四年 [sage] 2022/03/23(水) 12:57:03.42 ID:JfP9H3oW
長篠は織田のワンサイドゲームのように妄想されているが、武田宿将が高い士気を維持したまま長時間にわたる戦いを考えると一進一退の攻防であったのだろう
織田側にも戦いの詳細を記した史料がないことから、むしろ織田は総崩れのところの一歩手前だったのではないかと仮説をたてることも出来る >>75
できなかったから史実の結果になったんだろ
長篠惨敗の未来予知してのその対策なんて誰にもできない
考えるだけ無駄 >>78
自己レスだが
案外中身は1人じゃなくて2人のバカかもしれないけどな >>79
そもそも勝頼は惨敗どころか勝つつもりだったからな
決戦前日のあの書状を見る限りは、どう見ても慢心してるとしか思えない
「信長と家康は手立てを失ってる」
???
勝頼は戦場経験が豊富な割に脳筋すぎる
数えで30歳にもなってまるで10代半ばか20代初期くらいの人間みたいだ >>81
信玄の上田原や砥石崩れも30歳前後じゃなかったか?
親が親なら子も、だな >>82
あ、そういえばそうだ
遺伝なのかな脳筋は?
違うのは、信玄は建て直しできたけど、勝頼は最後までできなかった点か 脳筋というより状況が分からん中での虚勢ってやつだと思うけどね。釣閑斎に宛てた書状でも「心配してくれてありがとう」って言ってるからつまり釣閑斎は戦況を危惧していた。そんなときに「いや実は俺たちヤバいんだ逃げられないわ」って言う奴がいるか?十人居たら十人が「こっちは大丈夫だ」って言うだろう。そもそも武田軍には織田・徳川軍の情報が観測情報含めて全く入ってないから本当に勘違いしてた可能性も高いけど。その場合は武田軍全体が誤認してるから勝頼云々の話じゃなくなるが。 釣閑斎じゃなくて長閑斎な
あと、その今福長閑斎は駿河にいたと言われてるが、戦況を危惧していたと読むなら今福が織田徳川軍の到着を早々に知っていたということになる
というか戦況を危惧していたとまでは読まないだろう
そちらの様子は如何ですか程度の意味 遠くにいるやつが戦況なんて詳しいわけないわな(笑)
手紙届くにも日数かかって事後なことが多い時代だし 守りを固めているのが手立てを失っていると勝頼が判断したなら、相手の陣形をある程度は把握していたことになる
そんな場所に突っ込むとかやはり勝頼は頭がおかしい 判断していただけで相手の陣形をすべて理解できるなら伏兵なんて戦法は存在しないことになる >>84
勝頼は「こっちは大丈夫だ」なんて書いてないよ。
「長篠城を取り囲んだところ、信長家康が後詰に来てと特に何事もなく対陣している」つまり、川を挟んで対陣するのが当初の基本方針だった。後方の武将は信長家康と対陣してることすらおそらく知らない。
「敵は手立を失い一段と逼迫してるから敵陣に乗り掛かるつもりである」つまり敵が長篠城を救おうとせず、設楽が原から動かないのを見て、対陣するのを止めて自分から攻撃することにしたと書いてある。 >>79
いや長篠を落とすつもりはあったんだから落としたあと徳川が取り返しに来たときの対策は立てるだろ
というか長篠取って奥三河から岡崎狙ってくつもりだったのか? 長篠城落とすの止めて設楽原に進軍したのに何言ってるだ?こいつ… 長篠を攻め落とすために出兵してるわけで
じゃ落としたあとどうすんのかって考えてるはずでしょ
防御施設徹底的に破壊して落としたあとどう維持するつもりだったんだろ 長篠城を落とすために進軍して攻撃した
落とせなかった
織田徳川の援軍が来た
長篠城を諦めて設楽原に向かった
あっさり落とせてたらどうしたんだろうってことでしょ 長篠城をあっさり簡単に落とせなかったから史実になったわけで
あっさり簡単に落とせてたらという史実と違うパラレルワールド脳内IFやりたいんだろ
まあチラシの裏に書いてくださいって内容 >>93
長篠攻めは奥平懲罰のためもあるから、城主以下主だった連中は
殺してしまうんじゃないか? 人質だってあっさり殺す勝頼だし >>95
いや勝頼は実際にどうすんのか事前に考えて何らかの手を打ってたはずだろ
何も考えてなかったが結論ならそれはそれでいいとは思うけど
勝頼の考えはどうだったんだろうかってのはパラレルの話になるのかね >>97
長篠城は史実でもすぐに廃城されるから価値があるのは奥平一族だけだね
戦略目標が達成させられれば織田徳川が来ても武田は引き上げそうだ >>96
IFスレでも立てたら?
因果関係無視、史料無視、史実無視で、ゲームみたいにON/OFFで当然長篠城が落ちる設定なんだろ?
パラレルワールド脳内IFと呼ぶ >>100
ほうほう
お前の仕切りをよそに会話が進んでるようだが >>98
勝頼の直接の手紙だと織田徳川軍を過小評価して、設楽原に進軍して決戦する気満々しか勝頼の意志は分からんけどな
その勝頼の考えと言ってるのは勝頼じゃなくてお前の考えじゃん 出兵時点での勝頼の戦略はどうだったんだろうねって話でなぜパラレルガーになるのか
一体何を言いたいのかわからん >>97
だから奥平は絶対に降伏しないし、簡単に長篠城が落ちるわけないよね
史実も落ちてない
>>103
史実の都合が悪いことを全部無かったことにするのが戦略? >>104
なかったことにはしてないぞ
じゃ勝頼は何を考えて落とせない城に出兵したんだ? 勝頼が長篠城落とした後、どうするつもりだったかという話だろ
勝手に仕切るのも不快だし、さっさとどっか行けよ >>105
>>92
勝頼の選択は長篠城を徹底的に潰してもないし落とせてもいない
話が段々変わってますな 発達障害の特徴
・たとえ話や仮定の話をすることが苦手
・相手の言ってることの理解が苦手
・会話がうまくできない
・こだわりが強い
・想像力が乏しい
そのまんまだなw 最初から織田徳川との決戦目的の出兵で長篠を落とすつもりはなかったと言いたいんだろうか
その場合でも設楽原で勝った後落として帰るのではなかろうか 「勝頼の出兵時点での想定は何なのか?」
に
「長篠城は落ちなかった」
だからそもそも会話が成り立ってないんよ
「織田徳川との決戦目的での出兵だった」
なら「どこまでの戦果を想定していたのか?」「勝った後どう戦果を拡大していくつもりだったんだろうか?」
とかになるんだけど 勝頼の考えと言っておいて
勝頼の選択しなかったこと前提の脳内IFで笑える
因果関係無視、史料無視、史実無視で脳内パラレルワールドだから突っ込まれてるのも解らない
脳内妄想やりたいのは「長篠城が簡単に落ちる」パラレルワールドね >>108
付いていけないから教えて、とでも言って来れば可愛げもあるのにな
『俺のわからない話するな、出て行けー』だもんなあ そもそも境目の国衆が裏切ったり帰参したりするのは普通のことのはず
毛利元就だって尼子、大内の間を行ったりきたりしてるし、奥平も織田・徳川・今川・武田と
ついては離れるを繰り返している
その間っていつも人質はどうされてたんだろ
殺されてたのか?
境目の国衆相手にいちいち人質殺してたらきりがないと思うし、修復不可の恨みを買うから普通やらないんじゃないのか? >>110
>>93-94で「あっさり長篠城を落とせたらどうしたんだろう」
「そうそれ」
話が変わってますな 勝頼は何故、長篠城を攻めたか
勝頼は長篠城落とした後、どうするつもりだったか
仮定の話じゃなくて上記の話だろう
ここまで説明してもまだ仮定の話は止めろ、出て行けーって叫ぶのだろうか? 長篠を落とすつもりで出兵してるんだから勝頼の想定通り普通に落とせてたらどうするつもりだったんだろうか?って話で一貫してるぞ >>114
「長篠城落としたらどうするつもりで勝頼は長篠城攻めたのか?」
だからIFの話じゃない
話ついていけてないのお前だけ >>113
木曽の人質も処刑してるから反省はしてないんじゃない? >>115
「長篠城をあっさり落とせてたら」「そうそれ」
は都合が悪くて無かったことにしたんですかな? 長篠城は武田軍の攻撃でボロボロになって廃城になったやん >>119
長篠城を落とすつもりで攻めてるんだから落とした後、勝頼どうするつもりで攻め始めたんですか?
始めからその話だしIFの話ではない
君、発達障害か国語苦手だったか或いはその両方か知らんけど、自覚して黙ってたほうがいいぞ?
恥かいてるだけだ そもそも武田軍が長篠を攻めたのは三河攻撃が失敗した帰り道だったから最初から長篠城攻めを主眼に入れていたとは限らない。もっというとそこに奥平信昌が入っていたと知っていたかも怪しい(奥平は武田に人質を殺されているので後が無い、故に降伏は有り得ないから攻めるなら数日以内に攻め落とさないといけない)。だから長篠城征服が主目標ではなく単に伊奈街道を使うついでだったのかもしれない。
伊奈街道を通って帰るつもりなら長篠城を押さえないといけない。具体的には「大軍で囲んで落とす(城兵降伏も含む)」「少数で囲んでその内に本隊が通り過ぎる」かの二者択一で武田軍は前者を選んだんじゃないか。 >>119
「俺の考えは理解できないだろ?だから勝頼が何を想定してたのかなんて考えてもわかるわけないだろ?」
という主張なのではなかろうかと思えてきた >>120
ボロボロになった程度なら資材を注ぎ込んで直せばいい。
家康が廃城にしたのは長篠城の代わりの城があった事と、
長篠城には防衛拠点としての強味が薄過ぎた(味方の援軍が前提な上戦術を取り難い)点が大きかったんだろう。 >>122
>>93-94の
「長篠城を【あっさり】落とせてたら」
は完全なIFですよ?
それに対して95で俺が突っ込んだ
都合が悪かったのか無かったことにして話変えたよね 【あっさり】が気に食わない!と話を変えてきたな
こだわりが強すぎてますますアスペっぽい
ぜひ長文くんと戦ってくれ >>126
まだ言ってんの?早く消えろよ
「勝頼はあっさり長篠城を落としていたらどうするつもりだったか?」
勝頼視点ではあっさり落とせるかもしれないし、苦戦するかもしれない
勝頼はどう想定して攻め始めたか?
あっさり落としていたらどうするつもりだったか
IFの話じゃなく、勝頼がどう想定していたかの話 勝頼もこんな感じで長篠を攻め始めたけど落とせず意地もあり素直に引くに引けず流れで決戦に行っちゃったのかもしれない >>125
まあ細川宛の手紙に信長が援軍しにくいと把握してたからなぁ
>>127
お前の1レス目は
長篠城の防御施設徹底的に破壊して落とした ← 徹底的に壊されてもないし長篠城を落とされてもいない(これはIFだね)
2レス目はあっさり落とされたに「そうそれ」と同意
今のお前の主張より前のレスだよ >>128
>あっさり落としていたら
完全にIFです
>勝頼がどう想定していたかの話
勝頼の考えじゃなく、お前の考えな
史料の勝頼の考えは長篠惨敗で頓挫して誰も分からない >>118
Enpediaの情報だから真実かわからんが
跡部久次とかいう家臣が木曽の人質殺害に反対した
とあるから、やはり家臣の中にも即座処刑は
反対意見が存在はしたんだなあと思う >>131
酷いなww
「勝頼は何考えてたんだ?」って話だと君以外は読み取れてるよ
パラレルワールドでもIFの話でもない
勝頼の考えは誰も分からない?それを想像しようとしてるんだろ
想像力もない、会話がうまくできないなら引っ込んでろ >>129
長篠城は信玄に囲まれて開城、家康に囲まれて開城だからね。なんでこんなに抵抗するんだと思ったら奥平信昌かよ!?ってのが真実かもしれない。
長篠城を開城させたとしてどうやって維持するつもりだったのか?って話題だけど勝頼が長篠城を攻撃した五月一日は信長が三好康長の降伏を受諾して岐阜城に帰還した三日後。だからまだ信長の全軍がフリーだと知らないはず。そうなると徳川軍八千だけが敵な訳で対処可能、いざとなれば開城して逃げよとでも考えていたのかもしれない。 勝頼は物事を深く考える知能はあったのかな
人質を感情に任せて殺すとか政治家としては大失格
あの短気な信長すらやらない暴挙だよな >>133
長篠城の防御施設が徹底的に破壊されて落ちた ← 勝頼は囲っただけで防御施設徹底破壊しながらの強攻を選択してません
長篠城があっさり落ちた ← 落ちていません
勝頼の考えですらないパラレルワールド
脳内Ifする前に史料読め >>136
誰もそんな話してない
勝頼は何故長篠城攻めたんですか?
あっさり落ちてたらどうするつもりだったんですか?
答えてください >>136
>勝頼は囲っただけで防御施設徹底破壊しながらの強攻を選択してません
これは間違い
長篠城が廃棄されたのは武田に攻められて防御施設ボロボロになってたのもある
それでも落ちなかったのが長篠城
前提条件を勘違いしてる
その上で勝頼は長篠城が落ちた場合はどうしたんでしょうねという話 >>136
囲っただけで塀穴だらけにする武田軍鬼つええ! 武田軍は金山衆連れてるからそいつらが攻城戦で使われたって話じゃないか?名和弓雄の本でも金山衆が工兵として使われたって話を載せてたな。
ただそこまでやって本丸までにしたけどそこで行き止まりだった。長篠城には大量の鉄砲が配備されていたから狭くなったことで面当たりの投射量が増えて逆に攻めにくくなってしまった。 >>137
話の発端が>>92-95なんだけど?
話の発端を理解しなくて突っかかってきてるわけ?
ああ話の本筋を変えたいわけね()
>>138-139
そんなボロボロなのに長篠城を落とせなかったの?(棒
勝頼は最初から長篠城落とす気がなく、勝頼が織田と決戦は避けられなかったと言いたいわけか?()
ちなみに細川宛の手紙には長篠城は堅固に守られてると書かれてますけどね 【勝頼は囲っただけ】だよな
最強武田軍は囲っただけで防御施設破壊できるし城兵も倒せるし勝手に本丸まで捨ててくれるからな 本筋は「勝頼の想定はどうだったか」で一貫してるぞ
理解できてないのお前さんだけ >>141
論点は「長篠城を落とせていたら」じゃないんだよ
「勝頼はどう考えてたか」かが論点
勝頼がどう考えていたか想像するのはIFでもパラレルワールドでもない
国語能力の劣る人に理解させようとするのはなかなか困難だなw >>141
>そんなボロボロなのに長篠城を落とせなかったの?(棒
その通りとしか言いようがない
時間があれば落とせたかもしれないが織田徳川が来て時間切れ
>勝頼は最初から長篠城落とす気がなく、
誰が言ったんだ? >>144
いや>>92-95は長篠城の防御施設を【徹底的に破壊】して落とした
長篠城を【あっさり】落としたというIFに突っ込んでるわけで
史実の勝頼は長篠を落とさず設楽原で決戦する選択をした
それが勝頼の考え
その先は無いよ?史実通りだから >>148
>>93の「あっさり」は「時間をかけずに」ってことだから
他の人は承知してくれてるようだが 塀が穴だらけになるほど鉄砲撃ち込んで本丸まで追い込んで戦後廃城にするぐらいなんだから徹底的に破壊してね >>145
>その通りとしか言いようがない
>時間があれば落とせたかもしれないが織田徳川が来て時間切れ
じゃあ落とすの無理だね
>誰が言ったんだ?
長篠城が【徹底的に破壊】されてるなら落ちてるよね
実際は長篠城最大の防御である二つの川が埋め立てられるとか無理なので落ちてないと解る もし長篠城が簡単に落ちていたとして、長篠城をどうするつもりだったのか?ってのは確かに謎で仮に兵を置いても徳川に攻撃される可能性はかなり高い。
結局長篠城は徹底抗戦、攻め掛かるも落ちなかった。猛攻撃を加えた結果長篠城は損害を被った。そうなるともう長篠城を落としたとしても何の役にも立たない。
って考えるとやっぱり徳川軍が長篠城に居るって状況が武田軍の撤退を妨げていたんじゃないか。つまり長篠城を有効活用しようとかは二の次だったんじゃ… 自分も【勝頼は囲っただけ】とかいう脳内IFパラレルワールドのお話してるじゃん >>148
>いや>>92-95は長篠城の防御施設を【徹底的に破壊】して落とした
>長篠城を【あっさり】落としたというIFに突っ込んでるわけで
勝頼は長篠城を攻めました
どういう考えで攻め始めたのでしょう?
仮にあっさり落ちてたら勝頼はどうするつもりだったのでしょう?
又は、徹底的に破壊して落としていたら勝頼はどうするつもりだったのでしょう?
どれもIFの話じゃなくて、勝頼の考えについて議論するもの
史実は落ちなかったからでは答えになっておらず、発達障害扱いされても仕方がない >>149
でも勝頼は時間かける選択をしたわけだから
「勝頼の考え」を推し量るなら【あっさり】も【徹底的に破壊】を選択しなかった理由から考えないと
勝頼が選択しなかったことならパラレルワールドしかあり得ないんだから >>151
いやこちらが聞いたのは
>勝頼は最初から長篠城落とす気がなく
ということだ
長篠城が落ちる落ちないではない
勝頼に長篠城を落とす気がなかったと言ったのは誰? >>154
>勝頼の考えについて議論するもの
>>155をよく読んでね >>155
それは長篠城を囲んだあとの話
今回は囲む前の勝頼の想定の話 織田軍の指揮が低く大将自ら突っ込むしかないほど信忠は焦っていた
信忠軍は付け入る隙がありすぎる
たとえば最後の足掻きを覚悟して高遠城で篭城してれば織田軍を甲府から引かせるチャンスはいくらでもあったな >>155
あっさり落とすも、徹底的に破壊して落とすも勝頼の意思だけで決まるものではない
勝頼から見たら長篠城がどれだけ抵抗してくるか、どれだけ堅いかは戦前で不確定事項
だから、勝頼はそれらの不確定事項に対しどう考えて長篠城攻め始めたかというのが論点
誰もIFやパラレルワールドの話なんかしてないし
頭悪いのは君だけだよ >>156
長篠城を【あっさり】どうやって落とすの?
>>138-139だとボロボロって書いてるけど?
防御施設を徹底的に破壊しながらの強攻するんでしょ?
勝頼は選択しなかったけど
「勝頼の考え」を推し量るんでしょ?
なぜ徹底的に破壊しながら強攻するという選択をしなかった理由は考えないの? >>160
>勝頼の考えについて議論するもの
自分から言い出したここからもまた話変わってますよね 真田と篭城すれば信長との和解も狙えた(信忠はバカだから和解は無理)
そして間もなく織田は高転び >>163
君1人出てけば終わる話だろ
君以外、IFの話やパラレルワールドの話だと思ってないんだから何の問題もない >>158
勝頼が吉田城の強攻もせず、長篠城でも強攻しなかった理由も考えないとね
勝頼の考えなら() >>165
え?勝頼の考えと言っておきながら
なぜ強攻しなかったのかの理由聞いたら出ていけ()
だから最初から言ってるじゃん
因果関係無視、史料無視、史実無視、ゲームみたいにスイッチON/OFFしてるレベルの話してるって() 長篠城が「あっさり」落ちたとして勝頼がどう運用するつもりだったのか?
そして長篠城があっさり「落ちない」と分かった時にどうするつもりだったのか?
っていう二つの観点がある訳だけど、長篠城はどのみち捨てていく羽目になりそうだからむしろ長篠城の徳川兵を脅威に感じてたんだろう。 >>167
君は歴史以前に人と対論する次元にないですなあ >>167
長篠城をあっさり落とすのも、徹底的に破壊して落とすのも勝頼の意思だけで決まるものじゃない
勝頼は何を考えて長篠城攻めたんですか?が論点
「あっさり落とす」も「徹底的に破壊して落とす」もIFの話じゃなく、可能性の一つの話
まだ分かんないの? >>167
まず長篠城に対して武田軍は強攻を行ってる
実際に長篠城はボロボロになってて勝頼は長篠城を落とす気は満々だったのがわかる
その上で勝頼の思惑が外れて織田徳川が来るまでに落ちなかったのが長篠城
つまり「勝頼の戦前の想定」が外れてしまったということ
そして今回の話は長篠城を「実際に囲む前」の「勝頼の戦前の想定」がどういうものだったかという話 >>170
勝頼の考えと言いながら
長篠城を【徹底的に破壊】【あっさり】落とさない選択をした理由は答えられない?
可能性?史実で長篠城は落ちてないし、勝頼は長篠城落とすの中止して設楽原に進軍してますよ?
勝頼の考えは?
大野田城や仁連木城まで落としたが最初の目的である吉田城は諦め
後に吉田城攻略のために仁連木城を改修して守備兵入れたのかも史料無いから不明
そこらへんの勝頼の考えも聞かせて貰おうか? >>172
>>>170
>勝頼の考えと言いながら
>長篠城を【徹底的に破壊】【あっさり】落とさない選択をした理由は答えられない?
勝頼は戦前にそれらを選択することはできませんw
戦前の勝頼の視点だと攻めたら城兵が弱くてあっさり落ちる可能性もあるし、抵抗されて破壊して攻めなくてはいけないかもしれない
これらは勝頼視点でみた「可能性」
それらの可能性についてその後勝頼はどうするつもりだったのかが論点 >>169
君が高いレベルの次元の話ができるなら>>172の長篠城を【あっさり】落とさなかった理由や、吉田城・仁連木城あたりの勝頼の考えを答えられるよね()
>>171
>実際に長篠城はボロボロになってて勝頼は長篠城を落とす気は満々だったのがわかる
じゃあ【あっさり落とす】も【徹底的に破壊して落とす】も無理じゃん()
可能性の話ですらないパラレルワールドと認めたわけだね >>174
無理となったのは「長篠を囲んだ後」
今回の話は「長篠を囲む前」
「長篠を囲む前の勝頼の想定」が今回の話
「長篠を囲んだ後のパラレルワールド」の話ではない 基本的な読み書き能力ないからここまで書いてあげても分からないかな?
@戦前の勝頼視点だと長篠城攻める前、あっさり城が落ちるということも想定されます。あっさり落ちたらその後勝頼はどうするつもりだったのでしょう?
A戦前の勝頼視点だと長篠城攻める前、敵に抵抗されて破壊しながら城攻めすることも想定されます。それで落ちたらその後勝頼はどうするつもりだったのでしょう?
皆この前提で話してるのに、史実は落ちてない!IFの話するな!あっさり落ちない!とかw
病気ですなw >>173
勝頼の考えと言いながら吉田城や仁連木城のあたりの考えはガン無視ですかー?
長篠囲う前の話ですよ?
勝頼の考えは?
>その後勝頼のはどうするつもりだったのか
吉田城強攻せず、長篠城落とすのに犠牲出そうとしなかった理由も考えないと()
長篠を落とす選択をしなかった勝頼の考えも含めてね
可能性?史実で落とす選択肢もせずに設楽原に向かった理由は
もちろん勝頼がその後を考えての行動だよね >>177
何言いたいのか全然分かんねーよw
国語の勉強ちゃんとしろw >>175-176
勝頼の考えなら長篠城の吉田城や仁連木城も含むでしょ?
長篠城の戦いの前後含めた勝頼の考え(戦略)なんでしょ?
なぜスルーするのかな?
まずそこから考えないと勝頼が長篠城を【あっさり】【防御施設を徹底的に破壊】しなかった意図も考えないと()
偉そうなこと言いながら薄っぺらい脳内IFしてるだけ >>178
長篠城の前に吉田城攻めたこと知らない?
そりゃ薄っぺらい話しかできないわけだ() 別に【あっさり】【徹底的に破壊】しなかった意図を考えるならそれはそれで良いんじゃね?
出兵時点でそうするつもりはなかったってのもそれはそれで勝頼の想定を考えてはいるんだから 【防御施設の徹底破壊】
まずこれがあったのかなかったのか確定しようよ
塀が穴だらけになるほど鉄砲撃ち込んで本丸まで攻め込んでる、戦後損傷の大きさもあり放棄してる
この2点からあったと言えると思うが >>179
もっと分かりやすく書いてあげるよ
質問@(長篠城攻める前)
跡部「お館様、長篠城は小城ゆえあっさり落ちるかもしれません。もしあっさり落ちたら如何しますか?」
勝頼「答え」
質問A(長篠城攻める前)
跡部「お館様、長篠城は堅城で奥平が城主なので、相当破壊しないと落ちないかもしれません。それで何とか落とした後如何しますか?」
勝頼「答え」
それぞれ勝頼はどう答えたか想像するのが論点ね
さあ答えて 長篠攻めで勝頼が特別損害を避けたり強攻を避けてたか、って言うとそうではない
普通に城攻めして普通に落とそうとしてるのが史実 防御施設じゃない施設って何?
本丸だって防御施設じゃん >>184
>>92は
>【防御施設徹底的に破壊して落とした】
天然の川が水堀となる長篠城本丸が最大の防御機能だけどね
長篠城が落ちてないことからも防御機能はあったよね
落としてもないし 大野田城と二連木城は吉田城攻めには役立つけど長篠城攻めにに関してはどこにも記述なし
大野田城なんて進軍してきた織田徳川には邪魔な存在なのに記述がどこにもないから長篠城攻めの前に放棄されたと考えていい
吉田城攻めを完全に諦めて帰国前に長篠城に攻め込んだと考えるほうがいい
元々は岡崎城攻めだったらしいから岡崎吉田と空振りに終わって面子が立たないから長篠に攻め込んだとも言われてるし >>189
吉田城ならともかく長篠城落としても大局が変わるもんでもないし
そこまで犠牲だして無理して取るかって話だね 常勝貞勝を戻すのがまぁ筋だよね
想定通りに落とせたとしてあの位置から岡崎に圧力をかけられたんだろうか? 長篠城は歴史を観るとそこまで堅い城じゃ無い。敵軍に囲まれたら開城を余儀無くされてる。そんな長篠城が武田軍の侵攻に耐えたのは奥平信昌が徹底した大改修を行ったから(当代記)
信昌は武田の築城技術を応用して長篠城を改修したらしくこれによって長篠城は武田方の予想を超えて堅くなっていた可能性がある。勝頼ら武田軍も必死に攻めたけど防衛火器としての鉄砲が効果的に作動して武田軍は落とせなかった。 >>190
長篠には鉛鉱山があるからここを押さえておくことは武田の戦略として重要。そして伊奈街道を押さえないと三河や遠江の武田拠点が危ない。
とはいえ大出血してまで取りたい城では無いからやはり簡単に落ちるも予想してたんだろう。 ザ・アスペって感じ
会話をする気はあるんだろうに成り立たない 勝頼の視点から見たらってのを全く考えられないのがすごくアスペって感じ >>185をガン無視してる辺り自分の負けをわかっててもう意地で引けなくなってるんだろうな
だから言葉一つに拘っての揚げ足取りに切り替えてる >>193
だから重要なのは「武田は長篠城についてどれだけ情報を仕込んでいたのか?」だと思う。最低でも奥平信昌が長篠に入っていると知っていたのだろうか。
長篠城は改修と装備増強、そして後が無い城主とかなりの被害は覚悟しないと攻められない城だったはず。それが分かって攻めたか分かってなかったか。
今まで簡単に開城してたから今回もそうだろう、で攻めてとんでもないことになったとしたらそれは武田の情報部は何してたのって話になるし… >>197
勝頼の考え、なら長篠城の前の仁連木や吉田城含めての戦略になるだろうに
答えださずに逃げたからまた話の変えたのか思った()
あっさり落とすのも不可能だね >>194
結局のところ勝頼は長篠城よりも、織田徳川に打撃を与えるほうを選んだから
史実のような戦い方になった、かな? >>199
跡部「あっさり長篠城落ちたらどうしますか?」
アスペ勝頼「史実は落ちてない」
跡部「史実じゃなくてこれから攻めるんですが…抵抗されたら破壊して落としますか?落として如何しますか?」
アスペ勝頼「IFやパラレルワールドの話はやめろ、簡単に城は落ちないし、奥平は降伏しない」
跡部「まあ降伏しないのはそうなのかもしれませんが、これから城落とすつもりで攻撃するんですよね?」
アスペ勝頼「吉田城も二連木城も強攻していない」
跡部「じゃあどういう作戦で長篠城攻めるのですか?」
アスペ勝頼「史料、史実を無視するな」 >>199
元々は岡崎城を内応で落とすための出陣で空振ったからしょうがなく吉田城攻め
それも駄目だから諦めて帰国途中で長篠に攻め込んだ
長篠を攻めたら落ちなくて織田徳川の援軍が来たので何故か決戦
戦略はその場しのぎ的にコロコロ変わってる 信玄があのまま西上作戦続けてたら希望はあったかな?
勝頼時代だと絶望しかない >>201
読んでて笑った
これぞ知障だよね
お手本みたいだわ >>201
>>92-95の流れ
長篠城の防御施設を【徹底的に破壊】して落とした ← 徹底的に破壊して落としてません【勝頼はそうしなかった】
長篠城を【あっさり】落とした ← あっさり落としてもない【勝頼はそうしなかった】
次の言い訳
【勝頼の考え】を推し量るんだよ
勝頼の考えなら吉田城や仁連木まで含んで考えた戦略考えて
なぜ勝頼は長篠城を【あっさり】または【防御施設徹底的に破壊して】落とさなかったの?
次の言い訳
長篠城を落とすのを想定してたが落とせなかったんだよ!
じゃあ長篠城は【あっさり】で落とせないじゃん(笑) >>202
つまりは勝頼の考えは、長篠城は絶対的な目標でもなかった
目標が転々として、信長と家康が見えたら長篠城を攻めるのも中止して飛び付いた
誰が見たって長篠を落とした前提の戦略ではないよね
実際も落とせてないのに >>207
かなり可哀想な人生を送っておられると推察します >>207
吉田城攻めは駄目でした
じゃあ戦略を変えて長篠城に攻めかかります
落とせたら勝頼様はどうなさいますか?
という話なんだが
伝わらないよなw
さすがにギブアップw
いくら暇でもこれ以上は無理w >>203
信玄時代に長篠城を取ってるけど、それで吉田浜松のラインを潰せたわけじゃないからね >>207
アスペ勝頼「余の絶対的な目標は長篠城ではない!信長家康の首だ!」
跡部「そうだったのですが、さすが殿です。初めて会話が成立して嬉しいです。長篠城は囲んだままにして待ちますか?」
アスペ勝頼「長篠城攻めろ。史実は攻めている」
跡部「…」 >>209
勝頼は吉田城など目標を転々としながら奥平の処刑が目的なのか、長篠城へ向かい
長篠城はおとせず(勝頼は犠牲を出して落とすこともせず)
勝頼は長篠城を落とすより、また目標を変え、信長家康を叩き潰すべく、設楽原に進軍しました
長篠城を【あっさり】落とした?
長篠城は勝頼の絶対目標でもなく、実際も落とせてないのに【あっさり】落とした?
パラレルワールドですかな? 意図もなく城を攻めるんですか?
人命も戦費も消耗するのに?
攻めたらどうなるか考えずに攻める軍隊なんているのかね
と言う話がわかってないようだ
国語の文章題もまともに解け無さそうだが、さて日常会話で疎通性が確保できるのやら 勝頼からすると一万五千も動員してカラ手で帰れないってのもあつたかもしれないし、岡崎と浜松で挟まれて必然的に長篠に押し込まれる形になったのかもしれん
どのみち長篠城が落ちないまま後詰が到着したことで深刻な事態を抱えてしまったが(信玄は砥石城と後詰に挟まれる事を嫌って逃げ出したけど間に合わなかったし) >>212
アスペ勝頼「絶対的目標は信長家康だが、奥平も許せん。長篠城を攻めろ」
跡部「かしこまりました。万が一長篠城があっさり落ちたらその後如何しますか?信長家康は来ないかもしれません」
アスペ勝頼「長篠城は絶対的目標ではなく、実際史実は落とせてないんだからパラレルワールドは止めろ」 アスペはわかりやすいことが大好き
だから織田信長を持ち上げる >>211,213
長篠を【あっさり】落としたという発端の話が都合悪くて消してるから話が通じないんだよ
俺はそれに突っ込んだわけだから
【勝頼の考え】でも
長篠前の吉田城の目標転々としたことから長篠城は絶対目標でもなかったのも無視
史実でも奥平が徹底抗戦して落とせなかったのに
長篠城を【あっさり】落とす方法も書かず、都合の悪いことから現実逃避した先のパラレルワールドが
【長篠城をあっさり落とした】 じゃそこそこ苦労して落としたらどうするつもりだったんだろうか? >>215
アスペはそういう おままごとの脳内会話文が好きなんだってな(笑)
勝頼の考えといいつつ、そうやって脳内会話して【勝頼の考え】と自称してるんだろ
史料には勝頼の戦略なんて書いてないから全部お前の脳内会話() 絶対目標でもないのに遠征の帰りに攻めかかるんだから大して苦労せず落とせると想定してたんじゃねえの
徹底抗戦されて落ちなかったのは攻めてからの話なのに混同してるの話が通じなさすぎる 勝頼が何故長篠を攻めたのかは史料に残ってなかったはず。つまりこれは遠征の目標は長篠城攻撃つまり奥平信昌抹殺では無かった事を意味する。信昌を殺しに行ったならそうブチ上げてるはず。そして実際、最初は岡崎を目指していた。
その後本国帰還の前に長篠を攻める訳だけどこれが長篠城攻撃を企図していたのか伊奈街道を使う上で障害を取り除きたかったのかは不明。
どのみち最初は簡単に落ちると思っていたのは確かで、ここから計画が狂っていった感はある。 「想像力の弱さが自閉症やアスペの特徴の一つ」
だから他人の妄想やifには強い嫌悪を持つ 長篠城が落ちる前に信長軍が来た
これがわかりきっている答え
そして信長軍を甘く見た勝頼軍は銃の前にボロボロにされた
鳥居の死を犠牲にした信長軍が近くまで来ているとの伝令を受けた奥平は長篠城を死守
そして戦上手の信長の前に抗う術も持たずに敗走した勝頼
数多くの武田の名将を失う
家康はこの戦で銃の重要性を再認識して徳川軍を強靭なものにした そもそも長篠城をあっさり落とすのに
強攻して損害出るのも全くあっさりじゃない
強攻しても砥石城みたいに落とせず損害だけで、信長の援軍到着のリスクもある
そこらへんのリスクを一切考えたくないから長篠城をあっさり落とした後からスタートの脳内IFにしようとしてた
戦略とか言いつつ、リスクや都合の悪い所は一切考えない薄っぺらいIFしかできない脳内IF
長篠攻める前と後がナンタラとクソみたいな言い訳してたけど()
損害の有無がその後の行動・戦略に一番影響するのも解らないみたいだからなぁ ただ武田軍は長篠に突っ込んだ時にこれほどの激戦になるとは考えてなかったと思う。そもそも考えていたら城攻めにしくじった流れで長篠攻めとかせんだろ。 >>225
おまえまだ言ってるの?
ほぼ全員からフルボコされてんのにまだ分からない?
重症だな >>92-93見ると
長篠城の【防御施設徹底的に破壊して落とした】あと
長篠城を【あっさり落とせてた】ら
どう見ても長篠城攻めた後スタートのIFだよね
本来ならこの後の戦略は長篠城での戦果・損害に左右される話
長篠城が砥石崩れみたいにならず本当に落とせるかもIFなら範囲内
自分に都合の良い薄っぺらいIFしたいがために、損害などの話は都合悪いから飛ばして、いきなりあっさり落ちた脳内IF
>>226
家康信長が来たらまた目標変えて飛び付いちゃったのが史実だからね
長篠にいる時に信長が到着して勝頼はそっちに食いついちゃうわけだから
長篠は【あっさり】落ちることはない ?
勝頼はあっさり落とすつもりだったろうよ
だから遠征の帰りがけに攻めてるのに どう見てもってお前以外そう思ってないんだからお前の読解力が壊滅してるだけだぞ IFも何も
じゃ勝頼は何を考えて攻めてたんだ?
実際に遠征帰りに長篠攻めやってるんだからそこまで消耗せずに落とせると考えてたんだろうに
実際にあっさり落ちるかどうかなんて話誰もしてないことをまだ理解できてないのちょっとアスペ過ぎるだろ >>229
>>92-93は長篠城攻めた後スタートのIFだから前のは関係ないよ
その後の行動は長篠での戦果・損害で決まるんだから
勝頼が一目散に北上して逃げた行動は長篠前に決められてた行動かい? >>228
勝頼はサクッと落とすつもりで長篠城を攻め始めたのは普通の推測
それで落とせたらどうするつもりだったか
どう維持するつもりだったか
これらは当然戦前に勝頼が考えているはずのことだからIFの話ではなく、推測の問題です
これで分からないなら君個人の問題じゃなくて、病気の問題なんだから自覚して言動に注意した方がいい >>233
そう思ってるのお前だけだぞ
お前だけが理解できてない >>234
>>233読みなさい
長篠攻めた後のIFなら長篠での戦果・損害しか影響しない >>233
>その後の行動は長篠での戦果・損害で決まるんだから
そう言うならIFガーではなく、「長篠城落とした後は、損害次第でその場、その時で決めるつもりだったんじゃない?事前に勝頼は何も考えてなかったでしょ」とでも書くべき
君の会話能力、国語能力不足です >>235
で、どうやって長篠城を【あっさり】落とすの?
これもIFの話の内容だよ? いや攻めた後のIFだって思い込んでるのお前だけ
みんな攻める前勝頼はどう考えてたのか?って話題だと理解してる
それたぶん障害だぞ >>238
どうやって?いやあっさり落とせるわけないだろ
攻める前の勝頼視点ならまた違うだろうが >>237
>>92-93が長篠攻めた後のIFだからね
どうやって【あっさり】落とすのか不思議だけど >>236
君以外の人は勝頼は長篠城落とせたらその後どうするつもりだったかくらい事前に想定してから城攻めを始めたと思ってます
いや何も考えてない、出たとこ勝負で城攻め始めて、落とした後のことなんか何も考えてないというならそう書けばいい 長篠攻めた後のIFって解釈してるのお前だけだぞ
お前だけ >>241
>長篠攻めた後のIFだからね
違います
君だけだよ、そんな国語能力が低いのは >>239
あっさり落としたと主張しているからね
その内容もIFの内容だから答えに応じないと
俺はそれを聞いてるんだから
都合悪いことは答えられない?
>>240
>どうやって?いやあっさり落とせるわけないだろ
うん、答え出たね >>243-246
あっさり落とす方法もIFの範囲内じゃないですか(笑)
都合悪いから答えられない?() >>248
君の頭が絶望的に悪いから
話のボタンをかけ間違ったまま修正して出来ないんだね
良かったねここが匿名掲示板でさ 画面の向こうとは言え
こんな不幸な素質を持って生まれて人が現実に生きていて
どんな処遇を受けてるのかと思うと震えるわ
アルバイトですら初日でクビだろう >>248
IFの話じゃない
勝頼がどういうつもりで攻めたか、が論点だから
「あっさり」「落とせたら」のワードに引きずられて頭が機能してないんだろうが、「勝頼はどういうつもりで長篠攻めたか」が論点だから
皆がIFの話でないと同意していて、お前1人だけIFの話するなーと喚いてんだからおまえが消えれば平和に済む話なんだよ
早く消えて >>249
93-94で長篠城をあっさり落とせてたらって主張しているから
その方法を聞いてるだけですよ?
都合悪いから答えられないって素直に言おうね 主張してると思ってるのがお前だけな
お前だけなんだよ 設楽原に転進した際長篠城包囲続けてるから落とすつもりだったんだろう、
長篠城兵が出撃してくること警戒しただと、後方の兵力多すぎだし、
鳶の巣側まで包囲の兵置いておく必要ないし。 >>251
>>252読んでね
こっちは疑問に思ったことを聞いてるだけなんで
君の大好きなIFの話じゃないですか(笑) >>253
疑問に思ったことを聞く
掲示板ってそういうもんじゃん(笑) 70番代から読み直してみたが、1人だけズレてるだけだなあ >>256
疑問?
知らねえよIFの話は別スレでやれば
で終わってるぞ >>255
あっさり落とせるかどうかは勝頼が決められることじゃない
だから戦前に勝頼はどう考えていたかという話を皆してるんだが、まだ分からない? こっちは疑問に思ったことを聞いてるだけなのに(笑)
都合の悪いIFはしたくないから、いきなり長篠城が【あっさり】落ちたIFスタートにしてた俺の推測が図星だった模様(笑) >>259
あっさり落ちた後の話のIFだよね?
【あっさり】落とせてたらと>>93にはっきり書いてあるじゃん
可能かどうか話すのもIFでしょ? であっさり落としたあとどうするつもりだったんだろ
落として奥平血祭りに挙げることだけが目的だったんだろうか >>263
そうだね
勝頼はどう考えてたんだろうね
小城だからあっさり行けると思ってたんだろうか
改修と防備強化の情報掴んでなかったのだろうかね >>261
勝頼は長篠城攻める以上、あっさり落とせると思ってたとしてもおかしくないし、苦戦してでも落とすつもりだったかもしれない
で、落とした後どうするつもりだったか?が論点
読み取れないなら君の国語能力不足か障害の問題
IFの話なんか君しかしていないし、君だけIFのスレに行けば良い >>264
勝頼がどう思ってたという点なら
長篠城落とすのを中止して家康信長を優先して食いついてしまったかも考えないと
勝頼の考えの中で長篠城の優先度が低いなら長篠城なんてあっさり落ちないわけだし 優先して食いつくったって大軍で後詰め来てるのを放置して城攻め続けるわけにもいかないわけで
城攻め始める時点で援軍を誘引して決戦を指向してたと考えるには力の入れ方が強すぎる
やはりそれなりには優先順位高かったんじゃないの >>265
>落とした後どうするつもり
奥平への懲罰が目的なのか不明だよね
その後の戦略は長篠での戦果・損害によるから不明
その後のことを勝頼の書状にも書いてあるわけじゃない(長篠城より信長家康に食いついたことだけは解る)
どうするつもりも史料も何も不明だから考えても勝頼の考えじゃなく、君の考えの脳内IFになる
ただ、長篠城をあっさり落とせなかったわけだから考えても無駄ではあるよね
長篠城を【あっさり】落とせたらというIFは()
不明だから(笑) 仮に長篠城があっさり落ちないと分かっていたならそもそも長篠に行ったかどうか。尤も地理的条件で長篠を通るしか無かったのかもしれんけど。 >>268
色々不明だから想像しようと皆があれこれ書いてるんだろ?
それを無駄だとか、脳内IFだとか言うなら掲示板の存在意義自体がない 疑問に思ったんだけど
何を考えてたのかなんて史料にないんだから考えてもわかるわけないだろって主張で戦国板いて面白いの? >>201
まあホントこれ
1人だけ話が噛み合ってないし、絶望的にズレてる >>270
だけど>>92で【あっさり】落とせたらって書いてるから
あっさり落とせるのか聞いてるわけ
不可能か可能かもIFだぜ? >>92
>長篠を攻め落とすために出兵してるわけで
>じゃ落としたあとどうすんのかって考えてるはずでしょ
>防御施設徹底的に破壊して落としたあとどう維持するつもりだったんだろ
どこに(あっさり)って? あっさり
[副](スル)
1 人の性質や事物の状態などがしつこくないさま。複雑でないさま。さっぱり。「―(と)した味つけ」「―(と)している人」
2 時間や手間をかけずに物事が行われるさま。簡単に。「―(と)犯行を認めた」
あっさりあっさりしつこいやつだな
あっさりしろ 「どうしたんだろう」
だから理解できなかったんだね
「どうするつもりだったんだろう」
なら理解できるのかな >>277
長篠の件については用法は2だね
>2 時間や手間をかけずに物事が行われるさま。簡単に。「―(と)犯行を認めた」
長篠城は時間も手間もかかりそうだね! 皆話の流れから自分で補間して理解してる
理解できてないの君だけだよ あっさり『落とせていたら』
『あっさり』落とせていたら
文脈のうちどちらが重要かの判断がズレたまま
ずっと聞き入れないのがキチガイ 【あっさり】落とせたら
という言葉は正しいのか考えようね
それに俺は突っ込んだわけだから
吉田城などの目標から転々とした先に長篠に来た
奥平への懲罰が目的かも解らない
その後の戦略は長篠の戦果・損害によるから不明
ほぼ織田徳川に勝てないからその先を考えるだけ無駄
勝頼の計画も史料にないから考えても、それは勝頼の考えじゃなく、【君の考え(妄想)】である >>267
最初から後詰決戦考えていたのなら、
織田の援軍到着18日で武田動いたのが20日なので
動くのが少し遅いし、
そもそも最初から川渡って有利な所で待ち構えていてもおかしくないしな。 正しいのかって
君以外には伝わってるんだから正しいぞ まぁでも戦国板じゃ生きづらそうだからさ
ここ行ったらいいよ
https://mao.5ch.net/handicap/ じゃあ【あっさり】という用法が正しいのか長篠城を【あっさり】落とせるのか聞かせてね(笑)
人質処刑した奥平が抵抗しないと勝頼が推測しなかったってことかな? なにかののしりあっているようだが、双方ともに幼稚だと理解できるかな? そもそも>>92の時点で長篠城の防御施設徹底的に破壊して落としたあとに、どう維持するのかって言ってる時点で
激戦があったと想定した話なのに
>>94では長篠城を【あっさり】落としたに同意していて【想定】とやらがガバガバ
こっちは納得できるかっつーの ほら、もうちょっと頑張れよ
菅沼は全員同一人物視していてレスバなんて無いと思ってんだから 【あっさり】長篠城を落とせたというIF聞かせてね!
あと勝頼が長篠城を取った後に計画していたとされる史料もね
無ければ勝頼の考えじゃなく、全部君の考え(妄想)になるからね!
俺が吉田城、仁連木城、大野田城からも含めて話を拡大させてやったのに
君からそんな話でてないからね
IFが薄っぺらすぎて突っ込んじゃった(笑) >>296
皆
>>185の勝頼の答えをあれこれ想像するというのが論点なんだから君も>>185の答えを埋めればいいだけなんだよ
考えるだけ無駄とか、ついてけないと思うなら黙ってれば良いんだよ
なんでそんな簡単なことができないのかな? >>92-94であっさり落とせるか考えるのもIFだよね?(笑)
想定とかIF好きなのにあっさり落とせるかの【想定】はできないんですか?(笑)
防御施設徹底的に破壊という激戦も想定してた>>290の突っ込みもキツかったかな?(笑) >>298
勝頼の考えとやらなら、まず吉田城の目標から転々としたことから考えないとね
長篠城が【あっさり】落とせたらという意味不明な所からじゃダメよ(笑)
君みたいに薄っぺらくなっちゃう(笑) もはや何言いたいのかも分からない
読解力がないのだから、書いて伝える能力もないのは当然なんだろうが 勝頼の考えなら吉田城から転々とした理由を含めて全体的に考えたほうが良いという
至極真っ当なアドバイスも聞けないんだからなぁ
それこそアスペだよね(笑) 散々屁理屈こねて暴れた挙句、皆が議論している内容に対する彼の主張は>>284である
考えるだけ無駄
書いたことは妄想 >>303
なんで君だけズレてるのは明らかなのに君がアドバイスする立場なの? こっちはちゃんと勝頼の考え(戦略)とやらの話に付き合って、それまで出てこなかった仁連木城や吉田城から転々とした
話とか考察したほうが良い話を広げてあげたのに( ; _ ; ) 信長はアスペ
荒木村重に背かれて絶体絶命の危機に陥った時、彼はどうしたと思う?
宣教師のオルガンチーノの元に駆けつけ、泣きながら助力を求めた
信長のイメージを変えてしまうエピソードだから、なかったことにしたいよねぇ アスペルガー症候群の人は記憶力がよいが、執念深い性格
しつこいぞ >>305
>>290でガバガバなのこっちも指摘したよ! >>309
指摘してる内容自体、意味不明だし
1人まともに会話できてないよ
リアルでもそうなんだろうなあ >>310
勝頼の考えとやらで吉田城などから目標を転々としていたという話題に理解してくれた人もいたから満足ですよ( ^ ^ ) >>310
一人?
おまえも含めてここのやつ全員やばいだろ
いや訂正する
ゲームでもやってろ幼稚なんだから アスペはアスペのことが大好き
信長もアスペなのは有名 アスペは妄想や想像が苦手
特にIFは脳の構造上無理なのよ
リアルでは仮定の話が全く理解出来ないし、思ったことをそのまま口にして嫌われる
でもここは安心安全
アスペの安らぎの場所 アスペは他人の妄想が苦手で嫌悪を持つ
妄想wwwと言えるここは天国なんだよね 他人の行為を蒸し返してキレるのもアスペの特徴
なんで今wwwと笑えること多々あり だって
アスペルガー症候群の障害の3大症状のひとつが
B想像力の障害
ですから
想像することが難しい
だから他人の想像を否定できるこのスレがとても居心地がいい
それを乱す奴は荒らしにする なるほど
何かに対して怒り連レスするわけだ
308 人間七七四年 [sage] 2022/03/28(月) 21:42:37.87 ID:6uxZUtxq
アスペルガー症候群の人は記憶力がよいが、執念深い性格
しつこいぞ アスペルガーのことをちょっと調べてみたけど、
アスペルガーは自閉症の一種。
自閉症は犬猫と同じカテゴリー内に位置する知能で
犬猫に想像力が無いのと同様に自閉症患者にも想像力は無い。
犬猫は本能(危険・恐怖を含む本能)とパターン認識のみで動いているが自閉症者も同じ。
犬猫に自覚力は無いが自閉症患者は低い。(あるにはあるが健常者よりも明らかに低い)
犬猫にも自閉症者にも感情はあると言われている。
結論、アスペルガー障害者は自閉症だが言語能力はあるので、
ペットや野良の犬猫が話せるとすればこんな感じかと想像すればいいだろう。 確かにID:zivpHAguやID:6uxZUtxqはその時の話題に入らず
信長ガーと一人ブツブツ呟いてたな
コミュニケーション取れないってか 長篠合戦後に勝頼は、田中城や遠江駿河にいたとされる武田信友、小原宮内丞・三浦員久、清野刑部左衛門尉宛に穴山に毎時相談しろ。
遠江犬居にいたとされる天野藤秀に用所相談しろ。
との手紙をバラ蒔いてるが、穴山に丸投げとも云える権力集中させてるの勝頼自身じゃ? 細かいこと覚えてないけど穴山って本能寺がなかったらどういうポジションで収まってる予定だったんだっけ 軍鑑に書かれてる穴山を切腹させろとの落ち度がある処置とは思えないよな
むしろ勝頼から絶大な信頼を得ている >>324
本領を安堵されて甲斐と駿河の一部を領して徳川家康の与力になった >>320
アスペは執念深く個人攻撃がやめられない アスペは、文脈や間接的な表現の理解が苦手であるため相手の発言の裏が読めない、ユーモアやお世辞、皮肉や比喩を理解することが難しい
だから過去に一度でも侮辱してきた個人に執着しレッテル張りを執念深く繰り返す
こわいねぇ 空気が読めないから今の話題にも付いていけず他人をアスペ連呼している真のアスペの姿がそこにあった
>>323
穴山に富士金山の支配権も継続させてたからね >>323
そうだね
敗戦そのものでなく戦後処理の失敗が甲州崩れの原因
織田侵攻はあくまできっかけで棚ぼたに過ぎない
アスペ信長のように武田家中が落ち着いたころに大昔のことを蒸し返して粛正すつもりだったかもしれんが(これが皮肉だよw) 甲州崩れは徳川の調略による穴山の裏切りが全てだな
それでも織田の侵攻が原因というなら織田の重い尻を叩き続けた北条が最大の功労者になる
『織田さーん、武田に滅ぼされそうでーす(嘘)助けてぇ(棒)』と書状を送っていた北条の煽りが効いたよね
北条がいなきゃ織田は動くことすら出来なかったろう
もはや織田は抱えた大軍を維持するのに精一杯
羽柴と明智は除いてね 信長に功績をないとされ城を没収された北条が最大の功労者とする捏造は今日も絶好調である
そういや穴山の江尻領形成については学者の意見別れていたな 北条上杉徳川からすれば、織田武田が強く結託するほうが脅威だった
信長が根に持つ執着アスペでなければ天正8年通貨危機が来る前に日本統一していたな
羽柴と明智が莫大な富を得る前にね
天下を自ら逃したのは信長自身よ >>333
信長の信賞必罰が的確ならねー(これ皮肉だよw)
甲州征伐に全く関係のない蘭丸ちゃんに美濃の河尻の城を与えたりしてよくわからない論功行賞だったけども
あれは愚息信忠が謀叛しないかの監視のためかもしれんが 清洲会議後に『銀山は信長様から武士の誉れと褒められた時に頂いたもの』と主張するほど
上納金をしっかり大量に納めているのに没収される理由はないよね
同様に勝頼も金山直轄は難しかったね
これは仕方ないか
まあ上納金免除は甘いな
もっと織田ほど課してもよかった 天下の儀を譲ることを『まだ若輩者なので…』と公然と断らされた
信長が本気で譲る話をするなら信忠が焼いて無残な状況になった諏訪大社の側でやらない
アスペは空気を読めないからそれがわからない 関東方面軍の大将から外されただけでなく、よりによって配下だった徳川と穴山の接待を命じられるなど屈辱でしかない
事実上の謹慎処分じゃないか
接待されるのは最大の功労者である天下人の俺の方だ!
とブチ切れていたかもしれないな
接待の命令を無視して、信長のいる京へ向かうのも無理はないよね
接待任されるのに松姫を招いてるしw 明智は明智で、なんで没収が決まってる私銭鋳造都市サカモトの鮒寿司を信長の前に出すかね
あからさまに過ぎてアスペ信長でもわかる
我が所領の名産である…なんて言葉を添えられたら
そりゃ不味くて食えんわ 長年にわたり織田と武田の潰し合いをさせた北条が一番の利を得ていた >>323
何しろ江尻城代山県昌景討死にという最悪の事態なので駿河戦線を即座に立て直さないといけない。信君は今川・徳川を相手にした取次役もしてたから適任であった。
つまり丸投げしたというよりも山県昌景の後任人事の結果、信君に駿河戦線の全てが集約されたって感じ。 山県昌景が追撃戦で死んだ、ってのはあんま考えられないと思うのよね。山県は対徳川戦線の司令官だから責任の重さが違う。特に長篠で撤退=敗北が決定した時点で徳川の三河・遠江反攻や下手すりゃ駿河攻撃まで決まったようなもの。そんな未来に司令官が討死にまで加えたら駿河戦線は組織的攻撃が出来なくなる。昌景が既に後任人事済ませてたなら兎も角そんな痕跡も無い。つまり武田の今後を考えれば恥を忍んででも一番に脱出しないといけない立場だったはず。
それが討死にしかも鉄砲に撃ち殺されたってなると頭に血が上って戦略的思考が抜けていたのか若しくは撤退前の攻撃戦で迂闊な動きをしてしまったのか。 撤退戦の成果にフォーカスするなら
一族衆にほぼ被害がなく無事撤退出来たというのは凄いことだ
織田なら味方の裏切りとも敵前逃亡ともとれる撤退があれば陣形が乱れに乱れ、そこから雪崩れのように崩壊するところだ
穴山の撤退があっても山県の士気の高く命を賭した働きでカバー出来た
流石は武田の赤備えと正しく評価すべきところだな
アスペには無理だが 武田を滅亡させて戦が終わって後にたった1000俵持っていくのが最大の功労者なら
みんな戦せずに戦が終わった後に1000俵持っていけばいいなw
そんな物で功績として認められないからみんな槍働きするわけなんだけど
>>343
いつも長文コピペ連レスで荒らす人と同じ症状だから中身も同じ
病気で日頃からやってるから誰ともコミュニケーション取れない連レスも平気なんだろう 鉄砲による武装が軍の強さと言われるようになっても、現代のなっても、山県真田の赤備えの畏怖と武勇と尊敬は消えないよね
一方で信長は昭和になるまで忘れ去られてた存在よ
秀吉光秀がいなければ信長は畿内覇者の三好程度の扱いだしこれからはその程度の評価が妥当
まあゲームと物語の中で活躍すればよろしい
アスペに支えられながら 勝頼の場合、戦線が南北に長いのに更に輸送費が高い地形にある。信長と家康が同時攻撃してきたらなす術が無い。 >>350
おまけに北の上杉にも気を配らないとならない 1000俵持ってったのが功労って
そのあと家康に8000俵あげてんじゃん
何が功労だよ 森「武田征伐直後の軍事行動たのしー!」
信長「8000俵も用意したけどいらなくなったなぁ、家康にやるよ」
???「織田軍は困窮してたから征伐後に1000俵献上した北条が功労者!」
うーんこの 織田徳川だけでは武田を潰すのは無理
徳川の隙をつく北条が味方につくと宣言しないとそもそも織田徳川は動けない
特に織田軍なんて終始兵糧切れを気にするほどギリギリなんだぜ
久しくなかった米の配給にありがてぇありがてぇと涙するほど
やはり最大の功労者は北条よ
ホクホクピカピカ明智軍の補給で信忠軍は生き返る
心配しかしなかった信長は明智への嫉妬で不機嫌 危険をおかして敵の主力と戦った奴より、戦が終わった後に1000俵持っていった奴のが評価されるなら誰も戦わないw >>350
それは織田軍にも言えることだけどな。美濃と信濃間は西低東高なこともあり
美濃から信濃に攻めいるのは手引きがないとかなり困難。 ありがてぇありがてぇ
米の配給ありがてぇww
そんなこと記録するほどありがてぇらしいぞ
信忠軍は春の雨で中間管理職が多数死ぬ
鉄砲や矢の雨ではなくただの雨でw 馬の餌でよければ献上品にして信忠に届けてやるよ
ありがてぇありがてぇ 功労が無いから信長に城没収されたのに相変わらず馬鹿な奴だ >>357
だからこそ、信長は家康を頼ったんじゃないか。信長は家康に兵糧・資金援助を惜しまずまた街道整備も積極的に行ってる。つまりそれだけの投資をやる戦略的価値があった。
織田が信濃を小規模でも攻撃すれば国人衆の手前勝頼は反応しないとならないし、しかし駿河も守らないといけない。穴山信君の内通時期から見て信長の当初の作戦は信濃を小規模の兵で荒らして勝頼が動いた所を本命の織田・徳川主力軍を信君に道案内させる気だったんだろう。それが木曾義昌がビビって降りて話が簡単になっただけで。 久しくなかった米の配給って
3月24日に「各々在陣致し、兵粮等 迷惑仕るべき」の旨、仰せ出だされ、菅屋九右衛門、御奉行として御着到付けさせられ、諸卒の人数に随って、御扶持米、信州深志にて渡し下され、かたじけなき次第なり。
って信長からの配給があるじゃん
また捏造か そんなに米なかったんなら家康に与えた8000俵はどっから持ってきたんだ? 彼がこんなになってしまったのは
「新府築城時点で武田と織田の和睦は成立寸前だった」
という妄想を論破されてしまったからです >>363
「土を詰めた偽装だった!」と言い出すに手持ちのルーブルを全部賭ける >>362
ここの多くは史料読めないんだから仕方ない いつまで戦うか分からないから兵糧が心配だっていう初戦時ならともかく、戦が終わって後は帰るだけになった時に持ってきた兵糧に価値がないのは普通に考えれば分かるのにな。
戦が終わってもう要らないから信長は八千俵を徳川にくれてやった。 武田からすると脅威度は織田>徳川>北条だった訳で少なくとも北条相手には押していたからね。上杉も居るから北条相手なら負けないとは思っていたろう。そして実際、負けなかったわけだけど。それで信長からも一段評価低いんだよなぁ北条… ピカピカお金持ち明智さんが兵糧持ってきたんですよ
行間読めないのがアスペ
信長は書状で兵糧切れの心配するだけ
それなら兵糧大量に送ればいい
ほんとバカw 言うて織田家で濃尾勢近江の日本で一番米取れる地域抑えてるじゃん 「信長を叩く」という結論があってそれに合わせて行間を読む、つまり妄想してるわけで
あくまで信長叩きに拘ってそのためにだらだら長文を連投してるの本当にアスペ 馬の餌も北条の皮肉ってわからないんだろうな
アスペは
家康に米余ったからやるって話もそのまんまの意味だけしか頭に入らないんだろうな
なんで甲州や関東に残る信忠や河尻や滝川じゃないんだろう
明智や北条じゃないんだろう
そんなことを想像して仮説をたて前後の記載から答えをみつけようという回路が存在しないんだよ
アスペは >>371
悪銭が領内に溢れて物々交換に戻る
米はもはや金と同じ
兵糧調達が難しくなってる
生産できればいいってもんじゃない
調達出来なきゃw
まあ良銭持ち明智なら容易いことだがね そうそう
時間が解決するってことを実感したことある?
実感したことなければ大抵はアスペ
昔の憎しみをずるずる忘れられないらしい
普通の人は時間がたてば忘れる
それが信じられないらしいよ
前スレの話題ふっかけるのもアスペの特徴
マナーを知らないアスペをスルーしてやったのに
執念深さといったら
もうね
お笑いだよw ID:YxsOBjB6
朝に菅沼みたいに一人連レスってアスペ菅沼本人じゃん 前にアドラースレにもいたことがあるけど、
アスペは最重要課題の「共同体間隔」も
理解できないらしい。
「勇気」云々以前に理解できないと話題になった。 >>378
よそでやろうな、頭悪くて分からないかもしれないけど 普通の人はコミュニケーション取るために相手がレスするまで待つとか
自分ばかりの話をしないように連レスはなるべく避けるんだけど
そこらへんの能力が欠落するアスペだと一人で連レスしまくるんだよな
その例が菅沼、そして同じ症状のID:YxsOBjB6 3月5日
数週間前に明智光秀に出陣の準備を命じていた織田信長
光秀は「大事ノ陣」と認識し根回しも含め抜かりなく急ぎ大軍勢の準備を整えると、信長はこの日に出陣した
その軍勢は近江国安土に至るまで続くほど多い
特に帯武具を帯びて隙がない明智の軍勢は多く「奇麗」であった
(逸話かも知れんが)諏訪で信長に打ちのめされる光秀
一切の褒美もお褒めの言葉もなく準備した貴重な兵糧は身内の織田軍に配るのではなく徳川へ(北条は米は馬の餌になるほど余って織田の献上品にまわしたくらいだからお断りだろw)
これは酷いwww
アスペはソレもわからない
額面通りに信長が準備して余ったから配ったと思う
お笑いだよw この時点で、織田の主力は明智兵よ
武装も兵站能力も光秀はもはや信長を超えている
それも貴族から民衆まで誰の目から明らかになるほど
いくらアスペ信長でも新品の帯武具を帯びた明智兵が護衛のため路地に長々と整然と並ぶ様子をみれば気がつく
これは信長にとって脅威よ 出陣前は
「ついでに念願の関東見物いっちゃおいっちゃお」
と周りに話すほど上機嫌だったのに
諏訪についてからの信長の不機嫌たるや半端ない
信忠を置き去りにして甲州から速攻で帰ってウケるw 北条『織田領では馬の餌が金になるってな。そんなにありがてぇなら追加で献上してやるよwwwホラよwww』 武田と和睦し信忠の下に信勝を置き、武田をまとめさせておけば、関東東北支配は容易かったろうに
真田は滝川兵をみて早々に『ダメだコリャ』と見切りをつけたが、別に北条との勇ましい戦いぶりをみてのことではない
戦いに至るまでの準備や戦後処理などが武田のソレと比較して未熟だったからであろう
勝ったのはたまたまで、いずれ北条に押されて負けると
本能寺がなくても滝川は二度と信長の前に出ることはなかっただろうね 武田軍は織田相手に打つ手が無かった訳だけど、美濃を更に侵食とか無理ゲーだったんかな。まぁ徳川とも戦争してるから尚の事不可能なんだろうけど… 主敵は家康なんだけど信玄は信長にも喧嘩を売って美濃にも進出したから信長も敵、こう複数面を敵に回すのは戦略上よろしくないってのは古今東西問わず常識ではあるんだが。 信長外交は個別に友好関係を結ぶけど結んだ者同士の関係を全然気にしないんだよね
武田と徳川だけじゃなくて浦上とかの西国方面とか、同盟じゃないけど松永と筒井とか、人間関係無視し過ぎ
そりゃ信玄も信長を頼り続けていいのかって不安になる。そして丁度信長の時代にはまだ足利義昭という信長から離反して駆け込むのに打ってつけの御旗があったからね そんなもん信玄もやっとろう
三国同盟中に今川氏真の親の仇である織田と同盟とかな まぁ信玄のは確信犯だし…それに信玄の場合信長を頼ってる場合じゃない。そもそも徳川との間でトラブってる訳で織田を頼ったところで信長が純朴誠実な人間でも家康に一言お手紙書くのが精々、信長が腹黒だったら徳川と話つけるって名目で金品を要求して家康と折半しかねん。
徳川と話し合いするべきで信長を頼ればなんとかなるっていう甘い見通しが武田を潰してしまったわい。勝頼の代ではもうどうしようもないし。 じゃ上杉と講和同盟して東の北条相手に進出できたのかって言うとそうでもないし 信玄時代→上杉とは和睦まで行ったけど徳川とは全く交渉が進まなかったので北条攻めとかも不可能
勝頼時代→織田・上杉と和睦交渉を重ね上杉とは同盟までこぎつくも徳川とは全く交渉が進まず織田には搾られるだけ搾られてボコボコにされる
信玄時代なら早めに徳川に良い条件だして和睦するか、もしくは織田なんか頼らずに力攻めしとけば良かった。それなら仮に徳川との同盟関係によって織田が参戦してきても交渉の余地はある。織田に交渉頼んだ時点で徳川にも織田にも攻められないし攻めたら信長のメンツを潰して絶対敵対関係になる。そうなったら織田が死ぬか武田が死ぬかのデスマッチよ 徳川に良い条件提示とは駿河の一部譲ることくらいしか考えられないから無理よ
織田徳川に頼らない駿河攻めは、大義名分が欠けることになるからこれも微妙(史実は織田徳川に頼ったというより将軍家のお墨付きで駿河攻め始めたという建前だから) 明智の誤算は、羽柴秀吉が毛利との連戦で借金漬けで信長の支援が途切れると知れば、但馬・播磨の諸将らが逃亡し瓦解すると読んだこと
わざと毛利より先に信長の死を秀吉陣営に知られるように仕向けたのだろう
しかし、秀吉は信長光秀をこえる富を築いていた
今すぐ巨大な城を築けるほどに >>392
信玄は徳川は信長の子分だと思ってたから信長に頼めば抑えてくれると思ってた
でもこの頃はまだ徳川はそこまで織田に従属してないんだよね。信長も義昭を介して徳川に諸々のことを要請するような関係だったらしい
徳川が従属するのは信玄死後に信長が公家になって信忠に戦国大名織田の家督を譲った頃 人柄や血筋で天下は取れない
銀を制したものが覇権を握る
世界史の基本的な教訓
アスペにはわからない 信長は家康に金をやってたのにな
晩年は馬の餌だったかwww >>398
信玄がなんで家康を信長の家来だと思ったのかもよくわからんのよね。少なくとも西上作戦時までに別に従属って程でもないし。
何より信長が三河守・左京大夫を家来にしてると思ってるなら信長には喧嘩売ったらアカン。そこら辺の国人衆を家来にしてるのとはワケが違うのに。 >>401
信長は足利義昭の右腕で将軍の権力を意のままに操っていると信玄が思ってたからでしょ >>401
信長が足利幕府の事実上の管領職だったから
足利将軍の命令を執行する責任者という認識だね
だから信玄は上杉の和解の時などに信長を頼ったし信長のことをよく尊重していた なら尚更ヤバいんだよなぁ…信長というか織田のスペックについて調べ尽くさないといけないし徳川と喧嘩するのも控えないといかんのに。 >>401
家康の行動にに対して信長に責任押し付けるためか
信長をもち上げることで自分に好印象持ってもらうためかと。 >>404
戦国大名なんて拡大し続けないと息が出来ない鮪みたいなもんだから。
当の信長は畿内と北近江で対応が忙しく信玄としては中濃の東側半分と
徳川領の要所へ食い込んでおければOK。くらいの認識だろ 現代人は織田豊臣徳川の強力な中央集権政府が樹立したことを知ってるが、信玄は脆弱な室町幕府の将軍家や管領達の体制しか知らない
時代を読む力が足りなかったと言えるのかもしれないが、当の信長も信玄の生きていた頃にはそうなると思ってなかった 将軍を補佐してた有力大名が将軍とケンカ別れして将軍が京都から離れる
↓
離れた先で大名の力を集めて京都を奪回する
室町将軍はこれの繰り返しだからな。当時の人からしたら今度は義昭が大名の力を糾合して織田を追い落とす番だろうと考えるのは不思議なことじゃないよね 当時の人間は室町幕府が滅亡するなんて夢にも思ってなかっただろうな。 んなことはないやろ
教育を受けていれば鎌倉幕府滅亡とかも習っているわけやし ボケっとしてると武田信義みたいになってしまうとか? 天正10年(1582年)5月から始まった備中国(現在の岡山県)高松城攻めで、秀吉は半月足らずで600億円ほど費やす
さらに大返しで臨時ボーナスを悪銭ではなく金と銀で支払う。その額58億円
当時の兵の年収の半分を2万人の兵に配った
それだけでなく米の配給も臨時ボーナスで14000俵を大放出した。その額38億円
信長と信忠には無理なことよ
武田攻めでは配給もままならない満身創痍だったからな 織田と徳川が血盟関係にあるから徳川を攻撃すれば織田からも攻撃される。だからと言って織田にも喧嘩売る事は無かったろうに…
勝頼の時代にはもう織田を倒す手段が無いし逃げ場も無い。一か八かの長篠も信長の策謀で粉砕されたし和睦交渉は時間稼ぎだった。どうすりゃ良かったのか。降伏しても岩村城みたく全滅させられかねんし。 北条に最大限気を遣って手切れがないようにする
新府築城をしない >>412
秀吉も光秀も信長が領地を与えた家臣に過ぎないぞ
長篠の戦いでは信長軍は勝頼軍を敗走させ
甲州征伐では信忠軍だけで戦いを終わらせたけどな >>415
汚物菅沼に触れちゃダメ
ウンコ触ったら自分の手にもウンコ着いちゃうでしょ? >>414
御館の乱をかわせないから無理無理無理のかたつむり
この時の武田には大規模遠征をする体力が無い。だから北条に気を使うのは不可能。また戦略的にも北条は何の役にも立たんからね。 >>418
御館の和睦の時に北条にも話伝えて共同で仲介人やりゃまだマシじゃね
北条の状況的にも時間稼ぎは望ましい
役に立たないって東に戦線増えて負担が増えるんだから敵に回らないだけで違う >>421
上杉は武田・織田・北条と国境を接してるからここが反武田か反織田かは武田にとって無茶苦茶大事。
対して北条は武田・上杉と国境を接しているだけなので実は武田の主敵である織田・徳川相手には何の役にも立たんという戦略的問題がある。つまり上杉が味方になれば武田は織田・北条に対して連携出来るが北条は武田の敵が一個減る以外意味が無い。しかもこの時点で武田は織田と和睦交渉始めてるので織田・上杉と同盟出来れば敵は北条のみという状況を作ることができた。 御館の乱で北条に和睦について問うのはその理由が欠けてるからかなり難しい。景勝からの提案は武田上杉同盟と景虎との和睦仲介なので北条が嘴挟む理由が無い(仮にこの話を他人に聞かれたら「武田は北条の旗本なのか」と思われかねない)
更に問題なのは仮にお伺いを出して拒絶された場合、前提として武田は上杉攻めをする体力が無いのだからとんでもない袋小路に追い込まれてしまう。つまり景勝とも和睦出来ず御館の乱は収められず北条との友誼は破壊される。
そうなれば武田は上杉・織田・徳川・北条を敵に回してしまう。史実でも北条は武田にはかなり押されてるのでこいつらが織田・徳川相手に何が出来たかと問われると… 御館の乱での勝頼の選択は当時の武田家でも問題視されてなかった可能性が高い。と、いうのもこの上杉との同盟は受けた春日虎綱から武田信豊、跡部や長坂、更に小山田信茂までが動いた一大プロジェクトなんだがここから異議があったという話を聞かない。何かあるのかな?
特に注目は小山田信茂でこいつは北条との取次をしてる。つまり最も北条に近しい訳で景勝との同盟が北条の利益に反するなら何を置いても異議を唱えるべき立場にある。信茂は景勝・景虎間の和睦が破壊された事を嘆いている(歴代古案)のでこの同盟にはかなり期待していたようだが。 甲陽軍鑑だと批判者が居なかった気がするけど(名無しの大衆が何か言った程度)、甲乱記だと誰が批判することになってたっけ?
景勝との同盟では勝頼側近衆だけでなく重臣衆や一門衆まで動いていてしかも北条取次の小山田信茂も一枚噛んでる。武田家全体として上杉との同盟に前向きだったようだが(信茂はこの後上杉との取次役になる) >>431
>(名無しの大衆が何か言った程度)、甲乱記だと誰が批判することになってたっけ?
軍鑑は家中から町人地下人に至るまで批判されてる
甲乱記だと土屋惣蔵
ちゃんと勉強しましょう >>432
ありがとう。でも悪いけど甲乱記に御館の乱は書いてないんじゃないの?甲乱記は正に武田が滅びる木曾義昌裏切りから始まって織田信長の甲斐支配までを書いた書物だろう?
そんな甲乱記に御館の乱について詳しく載ってるとは思えないんだが…まさかに土屋が「今だから言いますけどボク実は上杉との同盟には反対でした!」っていうどうでもいい話じゃないよね?
後からは何とでも言える。今求められてるのは景勝から同盟を持ちかけられた時の生の反応なんだが…甲乱記には何で書いてあるんだい? >>434
土屋惣蔵が跡部に金で釣られて北条を敵に回したせいで滅亡の危機に陥ったと批判している 甲乱記読み始めたけどいろいろおもしろいね
取り上げてる書状の内容見る限り、まったく信用はできない代物だがw
立派なまでの軍記物 >>436
物語なんだけど田野の戦いの生き残りが記述に関与していて部分的には妙に信憑性が高いらしい >>437
そこのところ見つけたよ
最初に言っておくけど、見てきたように嘘を言いの典型的な史料
跡部尾張守が天目山の地下人を「計策」し、山に登って様子を見ようと進言する
そこに土屋右衛門尉が「出角」ながらとでしゃばって、武士なんだから死ぬべきところで死ぬべきだという主張を繰り返し大演説
その流れで御館の乱に言及し、「一両輩の面々。欲心に耽(ふけり)黄金にめで」不義を働いたと
その結果、北条と不和になり「角有世の中に成果て候」
土屋がときに怒り、ときに涙して訴えたら跡部はなにも言い返せず赤面したんだとさ
そのあとは筆者の跡部批判が続き、跡部の陣屋の前に誰かが立てた高札の一つを紹介「無常かな 国を寂滅する事は 越後の金の 所行なりけり」 >>438
跡部尾張守
土屋右衛門尉
この二つ、あまり知られてない官途名変更だったのにパーフェクトらしい
仁科盛信じゃなくて信盛なのも合ってるとか
あと、武田信豊は小諸に逃走したんじゃなくて勝頼の命で援軍集めに行ったというのも軍鑑にはない話
田野の戦いの武田の生き残りが小田原に逃れて作成に関与してできたのが甲乱記という説がある
見てきたかのようにではなく、本当にギリギリまで勝頼と共にいた武士がいて、生き残った人物が関与して書かれた可能性がある(名前も分かってる) >>438
最後まで読んだ
織田勝長のことも信房と書いてあった
本能寺については光秀と信澄の共謀、討伐は信孝、秀吉、
勝家が相談したことになっている
天正10年に小田原かどこかで書いたのならそういう認識かも
しかし通して読むとどこでも見てきたように生き生きと場面が描写されてる
高遠城攻めでは両軍の書状が引用されているが、ちっとも戦国の書状とは思えない文体
どういう研究がこの史料にされているかは知らんが、かなり膨らませている印象を持った あと面白かったのは信玄が近隣国を荒らした報いだとか書いてるところかな
勝頼についても人の評価ができなかったとか記しているけど
裏切り者や戦わなかった人間には当然厳しい >>439
レス先間違えてた
跡部と土屋の件は知らなかったが、信房には驚いた
ある一定の事実があると思う
しかしイベントの起こる先々で妙に詳しくドラマチックなの読まされると、某大河ドラマを見ている感覚にされる >>445
勝頼、土屋昌恒の家臣の藤田、脇、土屋(平蔵)、北条夫人の家臣3人が小田原に逃れたという
藤田、脇、土屋平蔵の3人は勝頼最後の地の小屋まで同行し、土壇場で切り開いて脱出した
ここまでは史実らしい
こんな6人が小田原に来たら格好の取材相手になっただろうから甲乱記はその取材を基に作成されたのは想像に難くない
話は軍記物語で特定の思想が盛り込まれているけど、甲陽軍鑑と違う記述が多いのは興味深い >>446
北の方の3人は甲乱記にも出てくる
早野と清兄弟
わたしゃ早雲の血筋だから下手な自害はしないよ、そうちゃんと相州に報告しなって脱出させてる
そのあとも生々しい会話込みの描写が続いているのは謎だがw
しかしねえ、田野の出来事だけならまだしも、信州での信豊の働きや恵林寺の惨劇なんかも克明に記してるんだよね
元ネタとなる史料があって、そこに想像で盛りに盛った感じ >>446
甲乱記を誰が書いたか知らんけども、武士は死ぬべきところで死ねって思想よ
北の方の3人はさんざ言い含められてという描写があるにせよ
それが落ち延びた人に取材ってのも
なんつーかね
真実の一端はもしかしたらあるのかもしれないが、それがどこなのか盛ってるからもはや分からない
残念な史料だね、初めて読んだけども >>431
なってたっけ?
とかすっとぼける前に読めよw
誰でもさくっと手軽に読める史料じゃねーか だからID毎にキャラを決めてやれよ
そういうところで手抜きするなって 北条氏政を中立以上の条件で武田側に留まらせ続ける方法なんてあるんか?
御館の乱以降なら対越同盟の意味も無いし >>451
武田の家督を氏政の子に譲って甲斐國も丸ごと差し出す。
氏政は勝頼の首級を手土産にして織田に服属する。
武田の家名は残るし近畿から関東まで平和になる。
良い事づくめだな。 京大のとこで甲乱記なんて簡単にネットで読めるぞ
しかも崩し字でなく楷書体ときたもんだ
常々思っていたが、ここで幼稚な話を繰り返している連中は簡単な史料すら読めないんだろ
というより、史料を自分で読んだことある人いる?
いないだろ、誰かが解釈してくれたものを偉そうに語るだけで
そこ、恥ずかしいと思わないのかね >>452
こういうシャレも面白くないしな
シャレじゃなきゃ頭おかしいし >>435
結局御館の乱が批判されるのはそれが結果的に失敗だったからだという結果論からなんだね。しかもそれは武田が滅んだのは織田・徳川を敵に回したからという根本から目を背けてる。
重要なのは御館の乱当時、武田家は誰も上杉との同盟に反対してないこと。何しろ北条との取次をしていた小山田信茂ですら反対していない。また武田家はこれが北条との敵対を招くとも考えてなかった。勝頼は真田に対して「北条が怒ってるから」と上野方面の軍事作戦を止めてるけど北条と敵対する気ならこんな事は言うはずもないからね。 武田北条上杉の三国同盟が勝頼の構想だ
武田信玄の娘で美人で気立の良い菊姫を上杉に嫁がせてな
景虎が謙信の軍資金をおさえれなかったのが悪い
負けることが確実となった相手に妹を嫁がせることは不可能 景虎が軍資金をおさえて菊姫と婚姻し
信康が岡崎衆とともに家康を討っていれば
長篠ではまだまだ勝頼は詰んでない
そう考えると北条夫人を嫁がせておきながら勝頼と敵対することを選んだ北条が武田滅亡の最大の功労者
織田ではなく北条が武田滅亡の原因よ 大名だけでなく家臣達も目先の金に飛び付いただけの浅ましい話。
飛び地の高天神城に無駄な出兵を繰返し財政もボロボロだったんだろう 金目当てなら織田にようにやる
上杉滅ぼして金銀強奪して統治を家臣に丸投げする 名代に過ぎなかったって説があるぐらい勝頼の立場は微妙だったみたいだし、武家が自分を子分に認めさせるには外征で成果を出すしかないっていうのはお約束だし分からんでもない たしかに
魔王の一族の血を引く息子にさっさと家督を譲るべきだった >>456
同盟国の要請で援軍に出陣したのに、その出先の敵に買収されて同盟しておいて予想してなかったとか結果論とか無理な言い訳だよ
勝頼は開き直ってその決断したんだろ >>463
そもそも、春日山をあの時点ですぐに落とせなかったのか
景勝軍はあの当時は各地に分散してて、春日山にいたのは5000もいたかどうかのはず
景虎方も分散してたけど、武田軍は2万はいたらしいし、景虎と連合して攻めたら
落とせてたんじゃないのか? だから魔王の親戚らしく上杉滅ぼせって
そのタイミングで
金目当てなら >>464
まず春日山が鉄壁だし。景虎は五千の兵で何度か春日山を攻撃してるけど全部失敗してる。どころか攻撃隊隊長が死んでたりもするし。
次に武田軍は遠征出来ん。勝頼は何度も「美濃に出陣する」「遠江・三河に出陣する」って言いながら結局これらの約束を果たせてない。このザマなのに上杉攻めとか出来る訳がない。上杉領を攻めたところで徳川に駿河を攻撃されたら即座に退却せんといかんのに。 結局、武田って最後の一押しがいつもできない軍団だな >>466
天正6年ならまだ岡部が頑張ってたし、気になるなら
朝比奈信置あたりを当てれば十分対応できるはずなのに、勝頼って
現地の軍団に任せることができないのかな
いつも自分が出張らないとダメならいずれ破綻するやん >>469
対応出来ないから高天神まで落とされることになるんだぜ。
御館の乱当時、武田は連戦連敗状態で無茶苦茶風向きが悪かった。三河おろか遠江すら奪還されつつある。その上家康は遠江を押さえる攻撃拠点牧野城に今川氏真を据えた。氏真はここから武田・北条の元今川家臣に「今川家再興の時が来た」と呼び掛けてる。武田家には応える者は居なかった(北条からは来たらしい)けどそれでも何が起こるかわからんという状況。美濃では岩村城を見殺しにしてしまい士気は最低、信濃戦線は恐々としてる有様。だから武田本隊は非常に重要な戦力なのよ。ここに二万の兵があるから武田は戦えてる。
こんな状況下で堅城で知られた春日山攻めは困難。ていうかまず「春日山に着けるか」から考えんといかんし。 史実だと景勝と同盟してたから戦闘にならず、故に兵站等も守られていたからね。だから二ヶ月間保った。戦争するとなると織田・徳川に知られない訳にはいかんし何より景勝が生き残りを賭けて伝えに行くまである。
そうなれば武田軍は即座に引き返すか、さもなくば引き返せない程ドロ沼にハマっているかのどちらかになる。 結局、一番信長と家康を倒せる可能性があったのって、西上作戦の継続くらいじゃないか?
いくら浅井朝倉が死にかけの役立たずでも、いるといないではやはり違う
西上作戦を継続して浜松城を何が何でも落とす
家康の首をとる
家康を討てれば織田も動揺はするだろうし 甲乱記、おしい記録だわ
本当に軍鑑より成立早いのかもしれない
織田勝長をしっかり信房と記しているあたり
しかしいかんせん誰がどこで見てきたのよという描写が多すぎて
一つ言えるのは、遺臣かその話を聞いたかメモを参考にした筆者かしらないが、当時の人は跡部みたいなもんどもが出世して賄賂までもらってたから滅亡したと認識してるのね
甲乱記にも長篠はちょろっと出てくるけど「勝頼楚忽(そこつ)なる一戦をして」とだけあって、そのせいで歴々3000余騎が死に、信玄が裏切りを警戒していた穴山を駿河に再び置かざるを得なくなったと
長篠にまで出頭人の責任をなすりつけてないのは注目だな
軍鑑と違って >>476
甲乱記は早ければ1582年の成立といわれている >>476
勝頼は穴山や木曽を疑っていたみたいだけど
穴山は姉婿、木曽は妹婿なのになぜ信用してやれんのだ
勝頼が疑ってたら、疑われる方もそりゃ裏切るだろうよ 勝頼を責める空気が家中に強かったのは否定しようがない
評価を後世に委ねる以前に家中から評判悪いんじゃ政治家失格よ >>478
甲乱記では木曽も穴山も疑ってないぞ
木曽については正月27日に内通があって「不実には被思けれども」、「大凶」だから一応兵を出した
穴山の裏切りは一同が聞いて「呆れた」だったかな
木曽には信玄が死んだあと、「勝頼代聊(いささか)遺恨ありけるにや」というくらいで、筆者はなぜ裏切ったか理解はしていない それと、甲乱記で発見が一つ
武田黒印状に「揺」という文字が出てくる
内容的に長篠直後で極度に織田後詰めに緊張した武田書状だから「揺さぶり」だと思っていたが、甲乱記では「揺」に「ハタラキ」とルビを振っている
働きは軍事行動で、それを「揺」と記しているのは他に知らない
かといってすべてのエピソードを信じろってのもなあ
本当におしい史料だ 甲陽軍鑑だと穴山信君は「一年前より裏切っていた」という(ついでに駿河の岡部二右衛門も裏切っていたとか)
三河後風土記でも「昨年より内通」とされてる。
これは一次史料上でも示唆されていて天正八年に勝頼が出した書状で「あなた(信君)に家康から再三使者が来てると聞きました。噂だと思うけど本当なら家康が何言ってるのか教えてください」とある。この書状では北条軍の焼討ちを防げなかった事を詫びてるのでこれ以上攻勢が続くと信君は折れるかもしれないという危機感はあったはず。 >>482
「揺(はたらき)」は武田家中の書状でよく出てくるな
信玄、勝頼、武田信繁なんかの書状で見たことある
仰る通り他家の書状では自分も見たことない
(永禄元年)4月20日付山本菅助宛武田晴信自筆書状
「仍揺已下之義、審ニ調談可然候」
(天正3年)7月5日付山県昌満宛武田勝頼書状
「仍敵光明へ揺候處、在番衆相退候歟」 >>476
> 歴々3000余騎が死に
前スレで長篠に於ける武田の討死数は「最大値に見積もっても4500未満」と粗算しておいたが、
総勢から各部署に残した人数を差っ引いたり中世の軍制の脆弱性を加味したりするとそれに近い数字にもなる。
何れにせよ『公記』の一万人云々は誇張の疑いが濃いと云わざるを得ない。 >>482
うろ憶え且つ時代も地域も違う事例だが、
第一次国府台合戦前夜の小弓義明の軍事行動について「御揺…」と表現した古河方の書状があった筈。
或る研究書(千野原靖方氏の著書だったと思う)では「おんゆるぎ」と読んでいた。 >>485
あんた史料読みすぎ
私は山梨県立美術館の翻刻した保科宛黒印状しか読んでない
それも長篠後に武田方がめっちゃ細かい指示を出してて、そこまでするかって細部まで面白い史料
ぜひPDFで読めるから読んでみて
>>487
京大がアップしてる甲乱記はほぼほぼフリガナ振っているからおもしろいよ
名前の呼び方もちょくちょく異なる
エピソードの信憑性があれだから(その場にいても最後まで見てないでしょ的な)残念だな
現場に居合わせた証言があるはずなんだが、脚色によってなにが真実か分からなくなってる >>489
おまい、新府城スレ立てた荒らしだろ
誰一人書き込みに行かなかった
なんか有益な内容でも書いてくれんかね
書けないんだろうとは思うけど、一応ね >>487補足。
事例は山内憲政(当時は古河方の立場から古河小弓の和睦周旋に尽力)の書状。
「南殿(=小弓義明)向関宿可有御揺之聞…」
石動と書いてイスルギと読ませる姓や地名がある。
イシ・ユルギの音便だろう。
元々「揺」と「動(働)」は意味や読みを共有していたかとも思われる。 >>490
そこ、常々思っていたが、ここで幼稚な話を繰り返し
史料を自分で読んだことある?
ないだろ、誰かが解釈してくれたものを偉そうに語るだけで
恥ずかしいと思わないのかね?? >>492
はあ、自分で読んでるんですが
甲乱記が話題になってたから読んでみて、自分なりの解釈を書いてる
>>491
なるほど
動くが揺るぐか
働くには近い >>493
こういうシャレも面白くないしな
シャレじゃなきゃ頭おかしいし >>494
諧謔のつもりなんだろうが、寒いよ
またこのレスものちのち引用してくれな! >>486
歴々3000余騎
歴々と騎だから純戦闘員の中でも精兵やエリートの侍格が3000人死んだってヤバイ話だぞ
織田の1万は雑兵含む
その違いも分からないレベルが計算とかw >>496
物理的な合理性と戦争研究の常識から詰めた話。
文献盲信の文系脳にとっちゃ受け入れ難いことは解るが、物理には誰も逆らえない。 >>497
兵が1万人いたら全員歴々の純戦闘員だと思ってんのか
頭悪ッw >>497
こいつアレじゃねーか?
最近色んな板に文系云々のコピペしまくってる荒らしじゃね? >>498
案の定、変数の意味も理解できないか。
そのレスが自らそれを宣言していることにも気付かないんだろうなあ。 理系云々のは史料について考察するスレでも同じような理系云々の話して
中身のない長文と馬鹿にされてたら菅沼が突然現れて長文コピペで荒らしたことからも疑惑が持たれてたな
ワッチョイ嫌がるのも色んなスレをコピペで荒らしてるからか? 【読めるか】甲乱記について語ろう【おしい史料】
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1648821696/
スレ立て乙
せっかく立ったんだからそこで語ってやれよ
IDコロコロじゃなきゃたくさんいるはずだろw
一人の自演か複数人いるか
さあどっちかな? 戦国時代の兵で「騎」が着くと上級兵を意味するからその数倍は考えんといかんって聞いたけどそこら辺の研究はどうなってるのかな。
騎兵は基本的に数名の歩兵を連れ歩くので200騎とかなら約千人規模。逆に死者として挙げられると… 仮に勝頼が真面目に影虎を支援していたら上杉はどんな感じになってたんだろうな。 金で織田の支援を受けてもらい、景勝が
当主になるが、腹立てた武田北条の連合軍の攻撃には、織田は見捨てて越後は
草刈り場となる物語を想像した 武田は信玄の頃も目先の利益に食い付いて同盟国を裏切って
その息子の勝頼どころか跡部とかの重臣たちも金に目が眩んで食い付いてるからな
親が親なら子もって奴だな
金の誘惑に勝てる奴がいるのか ぼくが かんがえた さいきょうの きれいな かつより なら かてるんだ! 景虎支援って言っても本気で戦争するってなると下手すると五千も出せんぞ(そんな兵力あるなら駿河戦線に寄越せって穴山信君は言うだろうし)
しかも武田は北条や景虎からは一切報酬提示をされてないから成功してもありがとうの言葉だけって未来もある。景勝が提示した資金一万両も入らないし信濃国境も安定しない。景虎の人間性に賭けることになるが誠実な人間なら最初から報酬提示するわけで… ID:hUsujOXK
www
妄想するなら史料を読めよ >>510
報酬提示されてないって記録がないだけのことを確定事項のように書かない方がいい
仮に提示がなくても勝頼から交渉していた可能性もある
北条からどういう要請があり、勝頼がそれに何と答えて出兵したのかも不明なんだからね ぼくが かんがえた ほうじょうを うらぎらない さいきょうの かつよりは もうそうじゃないんだよ! 信玄は義元が死んでいけるやろって軽い気持ちで駿河に攻め込んだけど北条と今川の関係とか全然考えてなかったのかね
氏康が怒るの当たり前なのにめっちゃビビって信長しか頼れる人がいませんて泣きついてるし。そうなる前に分かるだろって感じ >>514
>信玄は義元が死んでいけるやろって軽い気持ちで駿河に攻め込んだけど北条と今川の関係とか全然考えてなかったのかね
軽い気持ちって義元死んでから7年も経ってるんですが >>512
史料に全く残ってない事を言い出したら妄想の類だからね仕方ないね。せめて江戸時代とかの書物でも良いから引っ張って来れたら漸く面白い話なんだけど。
甲陽軍鑑にすら残ってないので北条からは報酬提示無しの援軍要請だったんだろうそう見るしか無い。また景虎も一切の提示をしなかった。
何処かから史料を見つけてきて初めてこれらは否定出来る。現状だとちょっと厳しくない? >>504
地盤のある景勝でさえ勝利後、越後を纏められなかったわけだから尚更、影虎は纏められない。
恐らく越中、上越は武田。中越、東上野は北条が影虎の後見として軍を入れて
上杉領は武田と北条の分割統治となったのかもせれない。 >>516
>>>512
>史料に全く残ってない事を言い出したら妄想の類だからね仕方ないね。
そう、妄想だらけの君のことね 景勝は武田に対して信濃国境を確定させた上で信濃の上杉城を勝頼に割譲してる。じゃあ景虎はどうなのよ?って話になるわけだけど景虎って信濃方面の影響力はどんなもんがあったんだろ。飯山辺りの連中に勝頼にやるから去れと言えるだけの力量はあったのか。 ぼくが かんがえた さいきょうの かつよりは うらぎらないんだ! 同盟国との要請で出陣したのに、報酬の差で立場を変えて良いと開き直る
お前は呂布かよ >>512
目の前の餌に食らいついて同盟国をホイホイ裏切るのは信玄の代含めた武田の国技ですw いやまぁ裏切りはいいんよ
それで北条と手切れになって関東戦線増やすという当然の結果はどうなんだって 北条との同盟が武田の役に立った事ってあったか?本来御館の乱で一番動かないといけないのにぼーっとしていて冬が来て進軍出来ないとかで見捨てるような奴等なのに。
国境接してる上杉相手でこれなんだから接してない徳川・織田相手なんてヤル気ゼロなのは目に見えてるわ。下手すりゃ武田が兵站維持しないといけなくなるのに。 >>526
とはいえ四方皆的の状態はまずいし、その中で味方にできそうなのが北条しかいない
上杉謙信が死ぬ前に北条と縁を切って同盟するのがいいとは思うが、そんな先読みなんかできるわけもないしね
それと謙信が死んだら御館の乱がおきるのは避けられないだろう 謙信存命中にはっきりと同盟結んでた場合御館発生前に介入できるかもしれんけど
別に御館をどうこうできてもなっていう >>525
北條氏政「よし解つた。俺は君の為に佐竹里見を防がう。君は俺の為に織田徳川の矢面に立つてくれたまへ。」
何か、こう…、
何かが途轍もなく不条理だと感じるのは気のせいだな、きっと。 >>526
北条って後年の徳川との同盟でもクソの役にも立ってなかったなw そもそも御館の乱って景虎が圧倒的不利ってのが当時の見方だったのがね。
甲陽軍鑑には「三郎(景虎)殿、既に景勝に負け給うにより小田原北条氏政より早々三郎殿を助け景勝を倒し…」とあるから景虎が負けて景勝が勝っているというのが武田介入時の御館の乱。
景虎は6000の兵で春日山城を攻撃、この時景勝軍は僅か(一説には500人)だったが結果は景勝の勝利。景虎軍は指揮官桃井義孝が戦死という大損害を受けたという。恐らくこれが「三郎殿、既に景勝に負け給う」ということなんだろう。こうなると武田が景勝と景虎の和睦で手を打ちたくなるのも分かる。勝って気勢の上がる景勝を攻めるとか無駄な犠牲が出るに決まっとるわな。 只でさえ織田徳川との戦線で民衆は疲弊してるのに追加で北条とも戦端を開くなんて愚行過ぎる。
対北条の為に新府城も建造する必要が出たしそりゃ木曾も負担に耐えかねて織田に寝返り
穴山だって本国からの監視の目が緩くなれば容易に徳川と詳細な寝返りの算段がつけやすい 森長可、団忠直、小笠原信嶺らが先陣を命じられたがその行く先々から百姓達が皆自分の家に火をつけて馳せ参じてきた
なぜならば近年武田勝頼が従来にない不当な課役を命じ新たな関所を設置して通行税を取っていたために、民百姓の苦しみは尽きることがなかったからである
また重罪の犯人なのに賄賂を進上したおかげで罪を免れ、大した罪でもない者らが処罰するということで磔にされたり死罪にされたりしたため、、、
北斗の拳の世紀末みたいだな。自領の生産力に見合わない無理な外征や戦線の拡大で破綻してたんだろうな >>532
なら上杉との戦線を開くのも愚かって話になるんじゃないの?そうなると武田は北条の要請を拒否するしかなくなるけどそうなると北条は確実に敵対するし、景勝が勝とうが景虎が勝とうが上杉は武田と敵対する。周囲全部が敵に回るぞ? >>534
上杉にそんな余力ないだろ。国力、動員兵ともに武田以下な中で織田軍とも戦線を抱えてるのだから。 >>531
景虎は外部勢力の力無いと劣勢なのは明白。
鉄砲等の武田への物流も直江津や上杉の港経由だろう。
いつまでも内戦で物流が滞るのも武田にとって鉄砲の軍備なども滞るから早期解決を願ったかも。
武田が協力して兵力が勝っていてもウクライナみたいに成りかねない。 >>527
上杉謙信の過大評価だな。
関東でも北信でも敗北した後の謙信は軍事的にも政治的にも、そして国内に対しても国外に対しても影響力を失っている。
その段階で甲越同盟が成ったとしても最早越山は不可能だったろうし西へ向かっても織田の物量には抗すべくもない。
結果は史実と変わるまい。 >>534
拒否って形じゃなく和睦に北条も巻き込めばいいんじゃねえの
そもそもなんで武田景勝景虎なんだ
せめて氏邦氏照のどっちかを仲裁人として呼ばなかったのは何でなんだ そもそもとして武田にとっての甲相と北条にとっての甲相の価値は全く違うんだから維持し続けたいなら武田の方がどうしても気を遣わないといけない
それが嫌なら切っても良いように外交的状況を改善してからでないとならない どこかの馬鹿が言ってたように武田は援軍に行かずに1000俵送れば良かったんでない?
どこかの無知な馬鹿曰く、それが最大の功労者になるんだから同盟者の面目も保てるだろ(鼻ホジ >>538
そりゃこの件北条は関係無いもの。そもそも御館の乱は景勝と景虎の紛争で劣勢の景虎が北条に助けを求め、それに応えられない北条が武田に助けを求めてきたって流れ。だから景勝と景虎が和睦すれば自然北条の要請に叶う。
武田は景勝と同盟する事が北条と敵対関係になるとは考えてない(勝頼は真田に「北条が迷惑してる」といって上野方面での軍事行動を控えさせてる。また、北条取次の小山田信茂筆頭に誰も同盟に反対していない)。つまり「景勝と景虎を和睦させれば北条も満足、上杉とも同盟になる」と本気で信じてたっぽい。見込みが甘過ぎるが当時の武田には越後攻めなんかにしてる体力は無いし。 武田と北条で上杉領を分割統治するとか対織田に関して
北条を引き込むやりようはいくらでもあったけどな。 >>543
景虎は反景勝派の上杉一門に担がれた傀儡だろう。
勝手に分割統治なんて決めたら上杉で実権握りたい上杉一門や国衆が手の平返すだろう。 そもそも反北条連合と信長が繋がってるのに北条の動きは鈍いからね。それどころか景虎が死んだら織田と同盟を願い出て徳川と連携する始末。まぁ関東からだと織田や徳川と直接領土を接しないから危機感が無いのは当たり前でむしろ虎視眈々と武田領を狙ってた可能性の方が遥かに高いわな。 >>541
関係ないわけないだろ北条の要請で出兵してるんだから >>540
www
そういえばw
あいつ、菅沼とバレてから消えたなw ここにいるよバーカ
やっぱりキャラ変したIDコロコロだとわからない
お笑いだよ >>546
北条は別に上杉に襲われてるとかじゃない。景虎からの救援要請を受けただけ。だから景虎の問題つまり景勝との戦争が終結すればその時点で戦争する理由も無くなる。景虎は和睦に同意して成立したので後はそれを北条に伝えればそれで終わりだった。
どのみち当時の武田家には景勝との同盟を問題視する動きが無い事からこの和睦媒介で御館の乱は綺麗に収まると思ってたフシがある。まぁどのみち武田にパワーが無いから和睦媒介が出来る最大限なんだけど。 NGID:/pzVjYDM
NGID:q39xDn/G
連鎖設定推奨。 >>544
自分で影虎は傀儡って書いてるじゃないか。
武田と北条の後ろ楯がなければ影虎は上杉の当主にはなれないし、
影虎政権を持続させるには武田軍と北条軍の力が必要不可欠。
実質的には武田と北条の分割統治にならざるを得ない >>551
いや成立させてすぐに景虎攻めてんじゃん
で越後にいるのにそれを放置
北条としては勝頼が仲介人として和睦させたのに景勝の味方になって状況は悪くなってるんだからそりゃ怒るだろ
単独で和睦を維持させる力がないならやはり北条を招くべきだしその気がなかったなら北条はそりゃ怒る >>551
>どのみち当時の武田家には景勝との同盟を問題視する動きが無い事からこの和睦媒介で御館の乱は綺麗に収まると思ってたフシがある。
思ってたとしたら勝頼とその側近だけ
勝頼の代になって出頭人による政治が強まり、勝頼は重臣達の意見を聞かなくなり、更に長篠で重臣達をほとんど失って更に出頭人による政治が強まった
あんた軍鑑やたら引用するくせに何を読んでんだ? >>543
そんな高度な外交をできる政治家が武田家にいるのか?
武田信豊とかにそんな手管があるとでも?
そもそも勝頼の時代の腹心が信豊という時点で、もう詰んでるよ >>554
御館の乱で武田は北条を敵視した動きをしてない(それどころか北条の為に軍事行動を止めさせてる)。この事から武田家は本気で北条の為にも景勝・景虎を和睦させた事がわかる。更に言うと「和睦の席に北条を呼べば」と言ってるのは現代人くらいしか居ないので当時では呼ばなくて当たり前だったんだろう。
それもこれも、前提として武田家には越後に介入する力が無いから。信長・家康と強敵と戦争してる武田には上杉まで敵に回す余力は無いのよ。しかも景勝は僅か数百の兵で六千の景虎を返り討ちにしたっていう猛者だし。 >>555
御館の乱では勝頼や側近衆だけでなく重臣衆も働いてる。重要なのは北条取次もしてた小山田信茂で、彼は御館の乱では景勝派だったと解されてる。というのも彼は越後への使者となりまた菊姫の輿入れにも一枚噛んでいたとされている。そしてその後は上杉取次となっている。小山田領は北条領に近い。だから北条を敵に回すといのいちに襲われる。つまり一番北条の機嫌には敏感で無いとならない。そんな彼が景勝との同盟に積極的だったというのが武田家の思考回路を現してるじゃろ? 傀儡だからこそ景虎の一存での勝頼に対する領土割譲の決定権もないだろう。
傀儡だからこそ景虎は用済みになったらポイされ実権を握った上杉他家が織田に靡く可能性すらある。
結局のところ史実通り金と領土割譲に誘惑された勝頼の行動は変えられやしないだろう。 >>558
小山田信茂が取次やってるからといって賛成だったとは限らない
出頭人政治により勝頼とその側近が書いた内容の書状にサインをしただけということもあり得る
後年の上杉から勝頼への甲江和与についての抗議も宛名は跡部勝資
甲乱記でも小山田信茂は跡部と甲越同盟を批判している >>557
>>>554
>御館の乱で武田は北条を敵視した動きをしてない(それどころか北条の為に軍事行動を止めさせてる)。
1.勝頼は北条の要請により出兵したにも関わらず、越後に着く前に景勝に買収され早々と景勝と和睦し、景虎支援の行動は見せていない。これ、時期的に北条が到着遅れたこととは関係がない。景勝は和睦が成立すると各地に宣伝したから北条の耳にもすぐ入った可能性が高い。
2.その後にアリバイ作りのように景勝景虎の和睦仲介を行うと宣言したが、結果的に和睦仲介は失敗した。その失敗が問題なのではなく、問題は和睦が破綻した後も勝頼は中立を維持すると景勝と誓約していたことにある。それどころか婚姻同盟までして景虎を実質見殺しにした。景虎が不利なのは和睦前から分かりきったことなのだから中立を宣言するとはイコール景虎は死ねということである。北条が景虎支援を要請したことに対してゼロ回答に終わるのだから関係は悪化して当然。 そもそも跡部って1世紀前は武田家を専断した奸臣だろうに
そんな奴の子孫を用いるとか武田は何考えてるんだ NGID:/pzVjYDM
NGID:q39xDn/G
自演ウケるw
お笑いだよ >>560
小山田信茂は越後に送られて甲越同盟の使者として関係調整してるからなぁ。反対だったら少なくとも勝頼に異議を唱えなくちゃいかんし北条に弁明書を送る等もやって当たり前。
そうした動きを一切してないしそのまま上杉取次まで拝命してるし賛成してたのは明らかじゃろう。沈黙は同意よ。北条の取次で外交担当してるんだし。
甲乱記に何と書いてあるか知らんが勝頼批判したとしたら流石裏切者は身勝手なことよ、としか… >>567
取次やってるからって反対してなかったって短絡的すぎ >>553
影虎単身じゃ上杉は纏めあげられないし本拠地の上越は近場の
武田から武将を招き入れないと軍事力が足りず国人を支配できないしな。 >>564
顔真っ赤にして引き摺り出されたの誤魔化すために自演云々言い出してワロタ
戦国時代だったら俺に討ち取られてるよ菅沼w >>568
小山田信茂は北条との取次なんだからもし景勝との同盟は北条と敵対するからと反対だったら勝頼にはっきり言うべきだしそもそも小山田領は北条領に接してるから北条と敵対=自国領が危険なので大反対しないとイカン。更に最悪の事態に備えて北条に弁明状を送るとか勝頼に対して北条攻撃の用意を進言する事も必要。
そうした行動をした形跡が全く無い。少しでもやっていたら重臣衆正義で側近衆悪の構図に拘る甲陽軍鑑が見逃すはずも無いし。 >>571
小山田信茂は跡部勝資が賄賂を受け取って甲越同盟を選択したことが武田家を滅亡することになってしまったと嘆き、自分自身は砂金も受け取っていないのに非難されてしまうのかと嘆いている 武田家文書における「指南」が示す語意、さらに「奏者」「取次」の用例を検討していく必要があるかも
意外と、用語が持つ機能が重なる部分が多いと思われるが… そういえば長文コピペ菅沼の論調も北条を裏切るな、だったな
北条が最大の功労者くんと同じだね 甲乱記と聞くと先ず思い浮かべるのは「信憑性はどうなのか?」という点であるが…冷静に他史料とともに分析を重ねる事によって信憑性は十分にある
もっと積極的に活用して検討すれば、新たな戦国史の一面を解明することにつながっていくと思うが… 「恵林焼ク佛ヲ火坑獄(甲乱記」恵林寺では仏が焼かれる火坑獄、「天目殺ス将ヲ洛ク阿鼻(家忠日記」武将たちが殺される阿鼻地獄
重ねて分析することでみえる世界があると思うが… 甲乱記では因果論を採用していた筈。
武田滅亡を駿府侵攻の際の神社仏閣を破壊した事による「因果」が巡り巡った結果で、その武田を滅ぼした信長も「因果」によって破滅したという筋道で興味深い。 甲乱記は御館の乱の遥か後に作られた書物だから何の意味も無いんだよなぁ。御館の乱発生時点での史料じゃないと単なる「悪いのは負けたから」って結果論の言い訳だし。
てかそれじゃ信茂とんでもない悪党じゃん。御館の乱では勝頼に異議も唱えず北条に弁明書を送る事もせず、それどころか景勝との同盟を推し進めたにも関わらず「武田が滅ぶのは跡部のせい」と責任転嫁、挙げ句の果てに土壇場で勝頼を裏切って武田を完全に滅亡させる。甲乱記の作者も苦笑いなんじゃないかこれ。凄まじい無能だったのかもしれないけどなぁ(織田と国境を接していた木曾義昌や徳川と接していた穴山信君は生き残ってる) 木曽と穴山は事前に内通してて織田徳川の先導も務めてる
小山田は事後の裏切りだから事情が違う
小山田個人の振る舞いとしては勝頼と滅ぶのが一番なんだろうが一族がからむと複雑 >>583
君が甲陽軍鑑が見逃すはずがないとか言ってるから甲乱記は見逃してないよと指摘したんだが
取次=交渉を推し進める立場と断定するのも君の勉強不足
決定は勝頼と側近達だけで決め、体面上は譜代家老のサインが必要だから小山田がサインしたということもあり得る
君の好きな甲陽軍鑑はまさにその側近政治を批判してるんだが 甲乱記は御館の乱以後、信長の甲州征伐から始まるからそもそも御館の乱については触れてないからね。「事業が失敗した後それを批判する」ことは馬鹿でも出来る。重要なのは「事業計画が持ち上がった時にその失敗を予期してたのか?」ってこと。
小山田領は北条領と接してるから北条との外交関係は小山田領の安定と直結してる。つまり信茂は一番北条の感情に敏感でないとならない。取次もしてるのだから。ところが信茂は上杉との同盟に反対せずそれどころか推し進めてる(まぁこのとき武田家には景勝との同盟に反対する声は皆無だったけど)
この事から、当時の武田家は景勝との同盟が北条と敵対すると考えてなかった事が窺える。それは勝頼というより武田家全体の問題になる。 甲陽軍鑑も甲乱記も跡部達側近が賄賂を受け取って勝手に進めてしまったという流れで書いてるのに何が武田軍全体の問題なのか?
勝頼の代になって重臣、一門衆は疎外され、側近政治が強くなった
長篠後は特に顕著
その側近政治、北条との同盟破棄に対して家中は非難轟々だった 甲乱記は甲州征伐から話が始まるのでそもそも御館の乱について触れてない。出てくるのは結果論からくる責任転嫁ばかりなので史料として不適切。甲陽軍鑑も成立は御館の乱以後だがここで判るのは名のある人間は誰も景勝との同盟に反対して無かったということ。というより重臣の小山田信茂が賛成してた影響なんだろうけど名前の無い大衆が不安がってるという話になってる。結局のところ結果論でしかない。
重要なのは「どうして景勝から連絡があった時点で誰も反対しなかったのか」という点で少なくとも一次史料上では勝頼に異議があった形跡も北条に何らかの弁明状が送られた形跡も無い。 景虎が圧倒的不利なのに景勝と景虎の和睦が破綻したら勝頼は中立でどちらにも加勢しません、北条軍も信濃を通しませんでは北条が怒らないわけがない
そんな神経してたらアスペだろ
普通は北条が怒らないと思っての決断ではなく、北条軍が来ないから又は北条の勢力が強まるのを嫌ったからみたいな解説がなされてるのが一般的
つまり北条と敵対は覚悟の上での決断
批判的な立場からは当然「買収されただけだろ」という批判になる 小山田領は北条領と近いけど、実はその収入源を北条からの通行に大きく頼ってるという面がある。だから小山田にとって北条との関係悪化は単純な領土問題に留まらず収入減であり小山田一党の死活問題にまで波及する。
もし景勝との同盟で北条と敵対するとなると信茂は絶対に反対して勝頼に強く異議を唱え、または北条攻めの準備を進言する等の活動をするし北条取次の立場なのだから北条に対して景勝・景虎間の和睦について知らせるはず。その痕跡が無いとなると武田家は景勝との同盟が北条との敵対を招くとは考えてなかったんだろう。 >>592
戦国時代だったら俺に討ち取られてるよwwww >>593
景勝と景虎の和睦が破綻したら勝頼は中立になります
北条軍の信濃通過は認めません
これで北条怒らないと勝頼は思い込んでたと?
貴方と同じで思い込みが激しいようで何より >>593
小山田信茂は甲越同盟に反対したが、側近政治により元々発言力は抑えられており、跡部等側近達により既に決定事項となっていた後だった。勝頼に依頼され渋々上杉家の取次になったものの、関所の収入が減少したことにより勝頼に対する不満が高まり、最後の裏切りへと繋がった。
君の書いてることはなんとでも自由に書けてしまう仮説だよ >>596
小山田信茂は反対していた〜というところから史料の裏付けが欲しいが、無いのでは話にならない。信茂は北条との取次でもあるので自分の意思で行動する事が出来る。にも関わらず、信茂は北条に対して一才の音信を行ってない。なぜだろうか?ちなみに穴山信君は独立した交渉を行なっているのだが…
信茂は景勝派だったと見做されてる。それは越後に使者として何度も訪れており菊姫の輿入れにも一枚噛んでいるから。反対なら何故拒否しないのか。ちなみに木曾義昌は勝頼からの援軍要請を拒否したというが…
「強く言われて何も言えなかった」というのは信茂には領主たる資質が無かったという結論しか導かれない。小山田領を預かる身として言うべきことは言わねばならない。現実、信茂は自分の一存で動いているのだが。 >>595
勝頼が思い込んでいたんじゃなくて、武田家全員がそう思っていた。武田家は誰一人「景勝と同盟すると北条と敵対するのでは?」とは思ってなかった。何しろ反対の声が無かったんだ。おそらく唯一、真実に気づいていたのが真田一族。彼等はこれを機会と上野沼田城を攻撃しようとしてる。ところがこれは北条から武田に抗議があって勝頼が停止命令を出して北条がこの城を取った。武田が北条と事を構えようとしてない事からやはり北条と敵対になるとは考えてなかったんだろうさ。 >>598
軍鑑だと北条は信用できないから上杉選ぶとか書いてあるよ
普通に北条との同盟破棄は想定して決めている >>597
>>>596
>小山田信茂は反対していた〜というところから史料の裏付けが欲しいが、無いのでは話にならない。
史料が無いのは君の方
軍鑑も甲乱記も跡部主導で決めてしまったと書いてある
甲乱記には小山田は跡部のせいで滅んだ、自分まで非難されて心外だと嘆いている >>600
申し訳ないけど御館の乱の後に書かれた書物だと信頼性が低い。と、いうのも「失敗したから悪い」という結果論で書いてるから。甲乱記なんて酷いギャグで甲越同盟に反対せず上杉との取次までやった男が「武田が滅ぶのは跡部のせい」と言いながら勝頼を裏切って挙句信忠に不忠と断罪される。作者も笑いながら書いたのかもしれんが…
反対なら何故話が出た時点で反対しなかったのか。小山田領は北条との関係が非常に重要でもし北条と敵対するなら即座に北条領を切り取りにいかないとならない。小山田家は武田宗家・穴山家と甲斐を三分する超有力者で独自の支配を許されてるんだが… >>601
跡部主導で決まってしまい小山田が反対する余地がなかったから「何で自分まで非難されないといけないのか」という記述に繋がるんだよ
本当か嘘かはともかく、軍鑑と甲乱記の物語としては御館の乱の決断は跡部達側近主導で武田家の総意には程遠い
そもそも武田家総意なんてものはなく、勝頼時代は勝頼と側近達中心で物事が決まるというのが軍鑑等の批判である >>601
結果論?
結果論というなら結果責任
リーダーなら結果責任が全てだし、それが仕事でしょ
それ以外は所詮は同情論 >>603
戦国時代だったら俺に討ち取られてるよwwww >>602
信茂がその言い訳が出来るのは御館の乱時点で勝頼に異議を唱え、また北条との連絡を行って影響を最小限にしようとした時のみよ。何一つ反対してないのになんでワシまでとかとんでもねぇ恥晒しよ…って思ったらこいつ土壇場で勝頼を裏切ったとんでもない不忠者だったな。跡部を批判する資格は無い。 >>606
穴山信君「勝頼は佞臣を登用し、親類衆の忠告を聞かなかった」
一門衆ですらそうなんだから小山田なんて尚更だろ まあ独力で上野を切り取りなおかつ他国人である昌幸よりも、同国人で無難に領国を治めていた小山田信茂の方を信頼するのも無理はないか。
そもそも、小山田家は武田家とは表向き武田家家臣でも実質は武田家と同等。
妙法寺記や勝山記には今川との単独和平の話もあるし… 盛り上がってる所で話の腰を揉んで、と。
ここは武田勝頼スレとは云いながら信玄や信虎のこともよく書かれてるようだから、信縄に関する質問をしても良いだろうか。 >>608
天正九年に勝頼は岩殿城に兵を送ってる。これは信長との和睦交渉が決着するので対北条戦を主眼に置いた戦略の一つという説と、北条の攻撃に晒された小山田信茂の救援要請に応えた説と見解はいくつかあるみたいだけど取り敢えず岩殿城には武田の兵が入ってる。勝頼は死を覚悟してたけどそれでも無様な逃避行をしてるのは腹心の武田信豊を上杉に逃すため。その最期の時間稼ぎの為には絶好の城砦とは思ってたんじゃないか。 >>610
>>>608
>天正九年に勝頼は岩殿城に兵を送ってる。これは信長との和睦交渉が決着するので対北条戦を主眼に置いた戦略の一つという説と、
そんな説はない
いつもの君の妄想w この人別のスレでもそうだけど決して出典明記もせずに想像だけでかくよな >>610
勝頼が真田ではなく小山田を選んだのは信用ではなく信濃が既に危険領域だったという可能性もあるが… >>609
聞くだけ聞いてみれば
ここ以外にも質問スレもあるのでそちらでもいいし >>614
ありがとう。
武田信縄は長享の乱の経過の中で足利茶々丸を保護・推戴するという路線を取った。
前後の事情からして実に不可解・非合理な行動、所謂「自ら地雷を踏みに行く」という奴にしか見えないんだが、
その理由について述べた史料や研究書があれば御教示願う。
また持論のある人がいれば拝聴したい。 >>613
勿論その可能性もある。織田軍の侵攻で信濃戦線は完全崩壊してるし(完全に想定してなかったんだろうけど)
とは言え問題は岩殿城の性質でここは従来小山田氏の本城だと言われてきた。ところが史料上岩殿が本拠地ってのは怪しいらしい。天正九年三月二十日武田家印判状で岩殿城に在番と普請番が送り込まれている事からもここは武田宗家の城だったと見られてる(だとすると役割は小山田一族の監視塔的なものか)つまり勝頼は武田宗家の城か国人衆の城かの選択をしたわけでそりゃ岩殿を選びたくもなるさっていう… >>615
持論になってしまいますが、信縄は後に山内上杉と信昌は今川家・扇谷上杉などと手を組むので
その関係性からではないかと
研究書としてなら芝辻氏・平山氏・丸島氏あたりの信虎関連の本なら
前段として触れられている気もしますが確証はないです
あやふやですみませんが >>617
ありがとうございます。
脈絡としてはその通りだと思います。
ただあまりにも「深入りし過ぎ」の感があるのと後代に対する影響の大きさから、
それが信縄の主体的意志だったか、山内からの強要だったか、という辺りに興味を引かれます。
前者であれば茶々丸の評価の見直しまでも視野に入る所ですが。
引き続きアンテナを張っていますので、
他の方々も持論や知見があれば、是非。 >>618
おもしろい質問だと思う。おれは逆に主体性、つまり野心の様に感じる。
関東勢はもう堀越公方を完全に捨ててなかったけか?だから他と組む以上ただの害でしかないけど
後に使えると思っての事じゃないか? >>619
これは完全に想像なんだけど、
足利茶々丸の実像は軍記類の語るそれとは違っていたんじゃないか、と。
伊豆を逐われた茶々丸を先ず山内顕定が、次いで武田信縄が保護したばかりか、
伊豆在地の旧臣たちが六年にもわたって戦い続けたという史実がある。
これだけの支持があったと考えると信縄の選択も(使えるという実利や野心はもちろんだが)同時代的には道義的正当性があったのかもしれない。
結果としてはこの路線が信縄を困窮させるわけだが…。
その辺りを武田の立場から記した史料がないかなと思った次第。 >>620
弟は義澄将軍だから他にもある可能性は高い
それでも茶々丸の素行不良は間違いないと思う
聡明な弟は茶々丸の後は管領細川政元さんに振り回された生涯だったと思うけど >>609
勝頼スレでは>>570にあるように菅沼認定厨さんと思しき人が、菅沼認定しまくるが気にしないで欲しい。
普通の人は書き込みずらくなるかもだが正常な議論をしよう。 570に何回もレスするあたりクリティカルヒットしちゃったんだろうな 戦国好きは何故か皆大好き足利茶々丸。
北条が茶々丸を攻め滅ぼした時から実質的に戦国時代が始まったわけだが… 伊豆に侵攻して足利茶々丸を没落させた後、伊勢盛時の出家と今川氏親の遅い元服、さらに奉公衆なのに帰京せず在国して氏親後見をする決断など…
史料に出てこないが姉の影を感じずにはいられないな。
想像でしかないが、元服の際に氏親が将軍の偏諱をもらわなかったのは、側近の伊勢盛時を使って(守護代行みたいな形で)今川家を遠隔操作したかった幕府との関係がぎくしゃくしたからなのか。
もし幕府より姉の意向をくんだとしたら… 戦国時代が北条で始まり北条で終わる
因果論の甲乱記と重ねて考察すると面白いと思う >>626
そもそも氏親って息子ができるのも遅いよな
最初の長男が40歳越えてだし
それから義元まで一気に50歳近くに頑張ってる
若いころの氏親は何してたんだ? >>613
高遠を落とされた時点でどうやって甲斐から上野に行くのよ
不可能だろ >>623
顔真っ赤にして引き摺り出されたの誤魔化すために自演云々言い出してワロタ
戦国時代だったら俺に討ち取られてるよ菅沼w >>630
高遠まで行かないで国道141号から行くんだよ
大河真田丸で真田一族が逃げたのもおそらくこの道という設定 >>633
あの道を通るくらいできるんなら、むしろゲリラ戦やれよと言いたい
勝頼は何もせずに逃げるだけだったんだしな
甲信の地形を利用してゲリラ戦やるしかもう手がないだろ1582年だと >>634
いうて躑躅ヶ崎を立った3/3時点で勝頼の兵は600人(甲陽軍鑑)しかいない訳で数万を超える織田軍相手にゲリラ戦とか殺してくださいっていうようなもんだし。
せめてどこかの山城が無いと飢えと渇きで死ぬだけだから城を目指す事は正しい。もっともその数日後には数十人にまで減る訳だけど。 織田軍数万どころか甲斐の民衆まで敵みたいな状況でゲリラ戦は不可能 >>626
伊勢盛時の動向は姉云々ではない。
何人たりとも抗し得ない物理的な理由が主因で、伊豆戦争の変質が従因。
そこには武田信縄も関わっている。 違う民族間戦争なら敗北=住民虐殺のおそれあるから住民も協力てきで協力求められるだろうけど日本国内同士の戦いでゲリラ戦なんかできるわけねーだろ
日本の民なんてつねに勝者に媚び売って落ち武者狩りに全力つくす
外国の城が城の中に街があり日本ではほとんど無いのは異民族は住民殺すからだよ >>641
時代も地域も武田とは隔絶するが、
「神武東征」の後半戦、熊野に漂着してから橿原で建国するまでの戦争はキューバ革命さながらのゲリラ戦だ。
そのまんま史実でもあるまいが全くの捏造でもない。
何がしかそんな闘争の伝承なり記憶なりがあったんじゃないかと思う。 >>632
マッチポンプ言われてたけどガチやったんだな 武田勝頼の最期だけでも「信長公記」「三河物語」「甲陽軍鑑」「甲乱記」「理慶尼記」「三河後風土記」「当代記」などの記録がある。
「信長公記」に拠れば、勝頼と同時に成敗された人々の中に小山田信茂の名もみえており「理慶尼記」の記事と一致しない…
「甲陽軍鑑」や「甲乱記」には小山田信茂の裏切りの状況が詳しく書れていたが、一級史料の「信長公記」は簡潔に記していた筈。
「甲乱記」に拠れば、3月24日、小山田信茂が葛山十郎信貞とともに甲斐善光寺で嫡男、老母、妻、女子とともに処刑されたとされるが、もし「甲乱記」が盛っていて小山田信茂が勝頼と同時に成敗されていたとしたら… 特徴あるから新参ぐらいしか相手してくれないだろうな NGID:hMIo0X2K
自演ウケるw
お笑いだよ 菅沼wikiにも自演は書かれてるな
あと自演バレて都合悪くなったら別IDで別人のフリするのも >>646
顔真っ赤にして引き摺り出されたの誤魔化すために自演云々言い出してワロタ
戦国時代だったら俺に討ち取られてるよ菅沼w 武田と北条の同盟って勝頼の時代どれだけ機能してたんだろう? >>649
御館の乱までは十分機能していただろう。
北條は西顧の、武田は東顧の憂い無く各々の敵に向かえたんだから。
これは大きな利得だ。
この他、あまり言及されないが海運の相互乗入簡易化によって特に北條は上方との流通に利を得ていたとみられる。
武田の方は知らない。 アスペ菅沼曰く、援軍も送らずに1000俵だけ送れば同盟国として最大の功労者になるらしいッスよ
プッwww 腹痛ぇwww 勝頼・景勝の同盟は対織田でお互い兵を送ったり感謝状出したりしてるけど
北条って勝頼に兵送ったりしてたっけ… 天正10年2月の武蔵鉢形城主の北条氏邦宛の氏政書状によれは、「信州の平地へ大軍が押出候はば、何とも防戦の模様、甲州なるまじく侯」とあるが…
すでにこの時点で北条も武田の滅亡を見通していたのは想像に難くない
北条は二枚舌で織田を信州に侵攻させ、この機に乗じて武田領へ進出する構えをみせているのは興味深い 第5次川中島以降、北信濃で上杉対武田って行われていなかったんかな? 大っぴらな戦はやってないけど、上杉謙信からは調略を受けていたらしい。長篠の前に謙信が「信濃に調略を仕掛けたが上手くいかなかった」と言ってきてるし勝頼が天正四年に木曾重臣衆から取り立てた起請文には「織田信長、徳川家康、上杉謙信、今川氏真から調略が来ても決して同意しない」とあるから。 勝頼の妹が上杉景勝殿に嫁ぐとき、勝頼は黄梅院(勝頼の異母姉、北条氏直の母)が小田原に嫁いだ時を参考に12丁の輿を用意したようだが >>656
臼井以後の上杉謙信は誰からも相手にされなかった。 上杉文書の上條宛景勝文書がおもしろい
勝頼救援軍を組織したのに斎藤朝信が出陣しないといらだち、「無曲次第候、自其元きふきふ御さいそく候て、明日中に被打立候様に尤も候」と上條に要請している
つづいて、「斎藤は誠に煩に候はは」、つまり仮病を疑っている
日付不要だが勝頼の劣勢は紛れもなく、景勝は真剣に救援しようとしたが家臣はやりたくねえとどうやらサボタージュしたお話 「武田勝頼を義兄、上杉景勝を義弟の関係」を誓書で確認し長年の遺恨を水に流しと同盟締結という新時代を迎えたようにみえたが…
義弟景勝は上杉軍の越中出陣に際して、武田軍へ陽動のため織田方の諸城を攻撃するように求めるようになり武田は破滅の道を歩むことになる
それはさて置き、天正7年5月小山田信茂を越後に派遣して菊姫入輿の準備を行う
小山田信茂は勝頼のもとでよく働いたことを考慮するなら…
想像で盛りに盛ってる甲乱記より勝頼らと一緒に成敗となった信長公記が正しいのかも 武田が景勝殿を選んだことで北条との同盟が解消され、武田滅亡の原因になったと言われるが…
だがそれは結果論であり、仮に武田が景虎に味方して景虎が上杉家督となった場合、北条は相模から越後まで影響力を及ぼし武田領国は北条氏に囲まれることは想像に難くない
そこまでくれば、勝頼は北条氏直の配下になって生き残る道を選んだ可能性が高い 織田・徳川「やれ!」
北条「……はい」
ってなる可能ででかいからどの道選んでも終わりだよ とはいえ結果論では、武田家の血は徳川家康と上杉景勝の庇護で生き残る
徳川将軍の旗本や米沢藩高家衆筆頭の武田家として残るわけだが… >>655
1572年初に利根川で対陣したのが最後じゃなかったか? >>661
北条が影響を及ぼせるのは精々、上野と中越くらいだろ。
越中と上越は背後に武田の軍事力が無ければ影虎はなにも出来ない 上野と駿河で行われた北条との無意味な戦い。疲弊した領民に強いた新府城築城。
無駄な兵役と労役をしなければまだ持ちこたえられたしな。 北条とかいう敵にすると厄介だけど味方にしてもクソの役にも立たないネラーみたいな大名 北条との同盟が対織田・対徳川で全く役に立たん以上もっと役に立つ同盟を求めるのは自然だしなぁ 654続き
天正8年3月末、北条氏政が伊豆に軍勢を動かす
勝頼は下野国衆那須資晴に書状を送り氏政の背後を突くよう要請するが…同日、北条氏政は書状の中で「信長を利用して武田氏を滅ぼす」という考えを述べている
既に北条氏政は織田に先行して「甲州崩れ」の構想を練っていたことは興味深い >>666
武田が北条に従属する可能性はあった
「甲陽軍鑑」などに拠れば、重臣春日虎綱殿が「駿河・遠江を北条氏政に差し出して北条氏に従属し、氏政の妹婿になるのがよい」と提案している
前半は盛りに盛ってる可能性があるが、「北条五代記」にも「武田から従属する代わり妹が欲しいとたっての願い出たので」とある
婚姻同盟ではなく従属化を前提にすれば、氏政は景虎に対する勝頼の一連の動きを謀叛とみなした可能性が高い 実弟が他国の当主になったからって従属するとは限らんだろ
大友義鑑も菊池義武を肥後の国主にしようとして大失敗したし
大友宗麟も大内義長を周防の当主にしたがやはり失敗している
ましてや北条氏政にそんな手管があるとは思えんが >>670
その割には織田軍快進撃の報告入っても信じず何度も情報待ちもう勝敗決した頃にようやく出陣して
信長からしてみたら火事場泥棒に等しく戦後北条が奪った武田領返せ言われて
ビビって全部返して贈り物しまくりなんとか信長の機嫌直そうと必死だった
毛利輝元クラスの無能だけどなw 信長を利用して武田を滅ぼすか
幸せな頭ですね氏政さん
信長の方が武田と戦うためだけに北条利用してたのに
北条とよしみ結ぶはるか前から佐竹とは懇意にしており関東の反北条勢力とも懇意で北条討伐要請されて応じてる
武田が滅んだら間違いなく北条攻めてた
だいたい信長からしてみたら外様が5万も動員できるような巨大勢力は邪魔で目障り
利用するだけ利用して難癖つけられて攻められたのがオチ >>673
さすがに輝元と比較したら氏政はまだマシだろ
輝元じゃあな…… >>670
信長は長篠から関東の反北条連合に長篠の戦果と武田を滅ぼすから協力しろと手紙送りまくってるのに笑える >>673
おそらく、遅れて甲州に訪れた信長本軍(主に明智勢)の重装備と豊富な兵站をみて氏政はビビった
対織田の毛利は羽柴の攻勢で虫の息となったし 上杉の婚姻に協力的であった小山田信茂らが北条への従属化に反対していた可能性が高い >>676
何言ってんだコイツ
手紙を送りまくるのは武田も足利もみんな同じだろ
当時の歴史を知らんのか >>680
そのアンカー先の>>670のレス
>北条氏政は書状の中で「信長を利用して武田氏を滅ぼす」という考えを述べている
>既に北条氏政は織田に先行して「甲州崩れ」の構想を練っていたことは興味深い
こっちも手紙レベルの話なのにw 北条が最大の功労者にしたいがために自分の都合の良い妄想が達者なのも共通
長文コピペの菅沼自体も同じ論調で一致してるのも面白い >>681
危機感が無いということでは
平山とか黒田とか北条は資料がよく残っていて
検地や軍役はしっかりしていたとか言ってる
でもそれは逆に体制が整備されて緊張感をすっかり失ってしまった
ってことにもならないか? 北条は信長軍(明智勢)にビビってペコペコ外交を継続w まあそれも上杉関連で武田と敵対したせいなんよね
北条としては武田に遺恨はあっても織田にはないから織田が天下人になったら姻戚関係を結んでその下で関東を治めさせてもらえればそれでいいという考えだったみたいだ
従属を申し出た後に氏直が織田家の娘と婚姻関係を結べますようにと願掛けしたりしてる >>686
信長や信忠にそんな娘いたか?
それに信長は自分の娘は信康を例外として極力手許に置く方針だぞ
だから家臣に嫁がせてる例が異常に多いし
大名に嫁がせるのは大抵養女 >>687
だから願掛けしたんじゃないの?北条が信長のそういう血縁がどれぐらいいるかとか知ってたかは知らん 654にも書いたが…
天正10年2月の武蔵鉢形城主の北条氏邦宛の氏政書状でも北条も武田の滅亡を見通していたのは想像に難くない
北条は二枚舌で織田を信州侵攻で消耗させ、この機に乗じて隣接する武田領に限り進出する構えをみせているのは興味深い >>684
内弁慶だった、みたいな?
信長の甲州征伐でも乗り遅れてるし秀吉とのゴタゴタでもそうだし確かに情報収集が疎かになってたのかも。小田原の厚さに慢心していたか。 信長が本願寺や堺に矢銭の支払いを課した話は有名なエピソード
しかし支払われた矢銭が悪銭ばかりだった事に信長は気にしない
義昭将軍就任の為の費用として公家衆に悪銭をばらまいた結果、悪銭ばかりで困ると失笑されている >>691
悪銭を弾丸に転用していた武田家にはさすがに負けるで >>692
織田とわざわざ戦わなくてもねー
勝手に織田は自滅するって何度も言ってますが
織田の武運が尽きたタイミングで明智か羽柴に【あっさり】天下を乗っ取られる運命よ そもそも羽柴にあっさり乗っ取られたと言ってる時点で、全然歴史を知らないのがよくわかって草すぎるわ
ゲームのやりすぎだろあっさり乗っ取られたとか 天正8〜10年で明智と羽柴の両雄は織田の経済力を超えた
兵站がままならず凍え死ぬ信忠軍に比べて明智勢の武装の高さよ 信長は信忠軍の兵糧をしきりに気にしてたのに、明智勢は配れるほどの兵糧を持ってきたからなw
北条は慌てて「献上品 馬の餌」と目録をかえたのだろうよ >>697
お前はまず基礎から勉強しなおせ
菅沼以下のクズ 信忠の軍が兵糧不足っていうソースがわからんけどそこまでおかしい話でも無い気がする。
そもそも信長は家康と力を合わせて駿河から攻撃するつもりだった。穴山信君の内通も取り付けていたし(信君は天正九年には内通していたという)それで三河に兵糧を運び込んでいた。
ところが遠山氏に脅されて木曾義昌が完堕ち、武田勝頼が木曾討伐軍を起こした事で情勢が一変した。木曾福島城を落とされる訳にはいかないから信忠軍団が緊急出撃する。てことは信忠軍団は充分な準備は無かった中の出撃な訳で多少の兵糧不足は起こってもおかしくない(その「充分な準備が無い」で数万の軍隊を動かせる辺りが織田の凄まじさなんだが) 織田が小国の大名に比べてて凄まじいと言いたいのはわかるが、明智がその数万の兵糧をありあまるほど準備出来たってのが遥かに凄まじい >>700
当代記をまとめたサイトからコピペな
>深志之城に武田軍の残した兵糧が有り陣中の衆に下された。 北条氏政より白米二千石が進上された。また徳川家康よりも兵糧の進上が有った。
>これらは織田軍の陣中にて諸士に充てがわれた。諸士は(兵糧不足で)難儀に及んでいた『当代記』 当代記の織豊時代の記述は筆者とされる奴がまだ生まれてなく、甫庵信長記や色んなとこからパクってるから信憑性がなく
史料の信憑性の違いが分からないのもまんま菅沼だな
しかもサイトのコピペとかでドヤ顔 当代記の信憑性以前に織田が兵糧に困ってたのは信長公記や家臣の書状にはっきり書いてあることよ 兵糧の配給って明智じゃなく菅谷だから信長からの配給じゃねえの
何をもって「明智からの配給」だと解釈してんの?行間とかいいから純粋にソースを教えてくれ 山口の書状に雪が深いと書いてるから飛騨口から行った金森部隊のことじゃないかと言われてたのだな
論功行賞にも大将だったはずの金森の名前が無いことから 当時の3月4月の甲斐だろ
んなもん凍死者出るだろとしか
明智軍は防寒しっかりしてて寒さに震えてなかったとかのソースはあるわけ? 武田勝頼が縁組と従属を北条氏政に申し出ていたなら…御館の乱の勝頼の動きは裏切りとなる
俗な言い方は好まないが強いて言うならば、信長ではなく氏政を怒らせたことが武田滅亡の原因だと思う >>707
京都周辺の旧幕臣が金森の与力とは無理がある >>708
なんにも知らない奴がイキってるな
いつもアスペだろうがな
信長は明智に甲州出陣の準備を命じている
準備が整い次第、信長出陣とした
明智は大事ノ陣として京公家へ挨拶まわりをしている
本能寺前における織田軍団で最強と目されていたのは明智勢。
明智は丹波攻略による口丹波衆を傘下にしており、彼らは山岳戦に長けた精強な兵団だ
脆弱な信忠軍のように飢えと寒さで死者が出ることはまずないな >>710
信長と明智光秀は後発軍で一回も戦っていない
信忠軍は連戦して勝頼の首まで取ってる
普通に考えれば分かることなのに意味不明に強調して何回も連呼してたな
常識的な考えがないというアスペだな 秀吉は大返しの時に兵の年収の半分をばら撒いた(主に銀)
莫大な費用をかけて土木工事をしてのこの余力
凄まじい財力とはこのこと >>72のと同一人物か
織田軍はボロボロ、明智軍はピカピカ(キリッ ← 明智軍は一戦もしてないなら当たり前だな
信長の軍も何故かボロボロになってる設定? アスペはコテなくてもわかるな
主張がズレてるから
3月5日 織田信長がこの朝に「御出馬治定」のこと、出陣する軍勢は近江国安土に至るまで続くほど多いこと、特に「帯武具」を帯びた明智光秀の軍勢は多く「奇麗」であった『兼見卿記』
アスペじゃなく池沼かもしれんな
知能が足りんから アスペ菅沼だから武田を滅ぼした信忠より一戦もしていなくピカピカな明智軍のが功労があると思ってるんだろう
なんせ、戦わずに1000俵持っていけば最大の功労者になると云っちゃう頭の悪さだしw 主張がズレてるよアスペ
アスペじゃなかったな池沼
まあせいぜい頑張って生きな 武田を滅ぼした戦功と、一戦もしてなくてピカピカを比較するアスペの主張自体が意味不明だからなw
さすがアスペ菅沼
まあ1000俵持っていけば最大の功労者という、これまた常識外れの主張もアスペすぎて意味不明だったしw 北條の織田への内属を語るのに、
齋藤慎一氏の著書を読んだと思われる書込が一つか二つしか無いってのもな…。 木曽の裏切りや信忠軍の甲州侵攻は天正10年1月
甲州崩れは信忠の功績とされているが、しかし実は前年の天正9年から氏政信長家康は甲州崩れに向けて動いていた
まず信濃・駿河方面の防備を脆弱とするため北条が武田の軍勢を関東に傾注させると、徳川には「信長が来春武田攻めを行うので兵糧備蓄するように」と指示する通達(家臣松平家忠宛)が届いている
甲州崩れは実際には前々から三家の綿密な連携のもとで画策していたことがわかる
また、信長が兵糧確保に腐心していることも垣間見える 織田領から武田領に兵糧を運び込むのが難儀なことくらい誰でも分かるけど。
織田の海軍は秀吉の時代には遠く及ばないし、そんな当たり前の事をドヤられてもねえ いずれにせよ
信長本軍がくれば武田は終わる
特に明智勢は丹波攻略による口丹波衆を傘下にしており彼らは山岳戦に長けた精強な兵団だ
脆弱な信忠軍のように飢えと寒さで死者が出ることはまずない ほんと口だけの池沼だよ全く
恨みだけはいつまでも忘れられないんだろうな
しつこさだけは超一流よ このしつこいアホはなんで信忠スレを捨ててこっちに住み着くようになったの? やはり池沼w
しつこければ信忠スレに居座るだろうが
いつまでも恨みを忘れらない池沼ストーカーがこっちについてきたからNGめんどくせぇ
はよワッチョイつけてくれよ 勝頼にとって北条が味方でもあんま役に立たないし
上杉を敵にしたらそれこそ死に直結するしで状況は最悪だよなぁ。どうしようもない。 ID:H18Am/Je
長文コピペ連レス荒らしの人と同じで
みんな同一人物に見える糖質を発症してる人がいる・・
あ、中身が同じだから当然か・・ 岩村城が信長の猛攻を受けて出した救援要請に勝頼は「今、北条氏政の援軍を読んでるから耐えてくれ」と送ってる。
ところが北条軍が武田領に動いたこともそもそも北条氏に手紙を送った形跡も無いからこれは勝頼の嘘だったらしい。
岩村城はどう思ったのか。 ワッチョイ実装でスッキリw
NGはひとつふたつで済むから楽々 信長は正親町天皇に「東国」の件は島々に至るまで「下知」に属したと報告した
詳細は、逆賊勝頼(四郎)を討ったことで「御信濃国・甲斐国・駿河国・上野国」を平定しただけでなく、さらに北条氏政を初めとした「関東諸侍」が残らず「出頭」してきたので「東国」をすべて平定したとなっている…
もし明智光秀に討たれさえしなければ、織田はこの時点で東日本を平定したと歴史的に認識されていたかもしれない
これは興味深い 北条は織田への属化を既に申し出ていたので甲州崩れの時には北条は織田の配下にいると多くの人に認識されている
それは前々から北条は織田と密に書状をやり取りし北条が織田を常に立てながら連携していたからである
その北条が論功行賞から外された理由が実に面白い
織田の前に出頭し頭を下げたのは勝頼を討った後だからというのだ
信長はまずは出向いて頭を下げることを第一とした
秀吉は臣下の礼をするまでは配下と認めないとしていたが、まさに信長が始めていたこの先例を踏襲したのである
北条は追加追加のさらに追加で献上品を信長に贈り続けていたが…もし北条がこの理屈を最後まで理解出来てなかったとしたら… 史料の多くが、信長は甲斐源氏武田を討ったことで甲斐国・信濃国・駿河国・上野国を取っただけでなく「関東八州」を掌握したとしている
多くの御祝儀が「東国属平均」(東国平定)となっている 東国御一統ってやつだな
全国から信長に祝いの声が届いている
全国の大名は信長を天下人として奉るのはよかったけど秀吉は嫌だったらしい >>738
そうだね
確かにその根拠となる書状がある
天正10年夏、小野寺輝道は越前国の千福遠江守に本能寺の変の後の諸将の動きを詳細に教えて欲しいと書状を送っている
そこには、
「関東八州」も悉く織田信長(既に上様と呼んでいる)「御掌握」に属したこと、さらには中国・西国地方も織田信長「御本意」となり、毛利輝元の安芸国も間も無く制圧される予定であることに触れ、
上様の「御礼」の使者を早速派遣したいのだが上様は今どうなっているのかと記されている
当時の諸将は、上様は東国御統一の後間を置かずに西国御統一も成すという認識だね 北条は論功行賞から外されたことに随分と驚いたのだろう…
その後も立て続けに献上品を信長に贈り続けたが、遂には信長から献上品を返されている
このことから「出頭」がもたらす理屈(意味)を北条は最後の最後まで理解出来てなかった可能性が高い >>741
秀吉の時代でも理解してたのかな?
氏政か氏直が上洛しろと言ってるのに、どちらも上洛しないし >>742
目上扱いした同盟程度にしか思ってなかったのかもね やはり世襲はどんなに限界でも3代までだな
4代目になると馬鹿が生まれる
北条はむしろ3代目までよく傑物が生まれたもんだ よく最大領土だったんだから有能って言うけど、先代が有能でそれを継いだアホが先代の遺産を使って領土を拡大したってパターンの方が多いように思うんだよね
実際それで「最大」になってしまって遺産を使い切った後は衰退していくパターンが多い。武田も北条も勝頼氏政で最大領土を得ているけどそれって終わりの始まりでしかないよね そもそも武田がでかくなった→東美濃に深入りして維持が難しくなった石ころの土地
北条がでかくなった→信長が死んで天正壬午で得しただけで、北条軍は多勢で無様を晒した >>746
上杉を関東から駆逐したのも里見を降伏させたのも関宿を獲ったのも氏政なんだが…。 「最大領土を獲得したから有能」
「家を没落(又は滅亡)させたから無能」
これはどちらも結果論という意味では同じ。
そもそも武田勝頼にせよ北條氏政にせよ、或いは今川氏真にせよ上杉景勝にせよ、
大名権力体という組織の消長を論ずるのに個人の賢愚ごときを語る行為が床屋政談レベルの思考停止。
大名家当主といえども所詮は機械の中の一部品に過ぎない。
その機械の運動は状況と構造によって強要されるものである以上、個人の資質や意志など全く意味も効力も無い。
戦国時代板にわざわざ書こうと云うほどの者なら素人といえども一定水準の知識はある筈なんだから、
もっと構造的考察をしたらどうかといつも感じる。 例えばだが、織田信長政権の権力構造の最近研究では、信長を主体とした政治権力は近世の幕藩体制に先行する「統一政権」としての「織田政権」と位置付けるのではなく、確たる政治体制を確立し得ていないとして中世の戦国大名的な「織田権力」と認識されるべきであるとしている。
そもそも『織田信長が独裁者で革命児だった』というイメージを勝手に創り出したのは戦後の日本史研究者達であって、『信長公記』では織田信長を絶対的な支配者だとか独裁者だとか革命児だとか書かれていない。
自分達で創り出した大嘘を、最近の研究者達は否定に転じ、遂には上述したように織田信長完全否定にまで発展しているのである。
これが令和の日本史界隈の現状である。 氏政は上洛しても官位がないから昇殿できないのが致命的
聚楽第に呼び出されたら、秀吉政権の建前上下手したら庭先で土下座させられるレベル、良くて廊下の隅っこで小大名以下の待遇 >>749
当時の記録に独裁者とか革命児とか書いてる記録なんてあるのか? >>749
武田スレであんまり深入りし過ぎるのも何だが、行き掛かりで。
甲州陣の前と後では織田権力の統治思想に明らかな変質が認められる。
関東への対応には−−既に北條佐竹の両者が自発的に内属していたという特殊事情があるとはいえ−−後の羽柴「惣無事」に通じる論理があって、それは戦国大名のものではない。
即ち甲州陣から本能寺までの極短期間、織田権力は戦国大名とは違うナニカであったと考えられる。 >>752
俺より頭の悪いお前に言われるようじゃそうなのかねえ
悪口しか言えないカスが >>753
後先が逆じゃないですか、構造さん?
武田、東夷の排除という課題が達成されたからこそ信忠への天下の権委譲なわけであって
だいたい、上洛後の信長の戦いはすでに私戦じゃないです 武田は公家との繋がりは持ってなかったのか島津みたいに
それから織田と和睦したらよかったのに
三条さんを仲立ちにして 勝頼は佐竹だっけ?どっかの大名に仲介を依頼して織田と和睦しようとしたけど相手してもらえなかった
信長もそうだけどそもそも直接の敵である家康の方が武田ぶっ殺すマンになってたからもうどうしようもない
一緒に今川を攻めた後に調子こいて家康の縄張りまでウロチョロした秋山が全部悪いな 秋山の暴走が徳川の対立の原因なわけない
あの徳川家康だぞ? 勝頼が景勝に送った書状で「佐竹に言われて源三郎を信長に返したけど黙ってたのは悪気があったわけじゃなくて〜」的なこと書いてるからね。で、実際佐竹に「オタクのせいで酷い目にあったわ」って書状送ってるからホントに佐竹の考えだったらしい。
尤も佐竹が一方的に考えた事とは思えんから完全に信長にハメられたんだろう。「源三郎を返したらなーチラッ」とかされて佐竹がそれを真に受けたら信長にバカにされたっていう 北条氏政との対立を抱えていた勝頼は、常陸国の佐竹義重を介して信長との和睦を試みているが…(景勝と勝頼は信長と和睦するなら一緒にと決めていた)
この勝頼と信長との和睦交渉は「甲江和与」と呼ばれている
天正9年、勝頼は和睦の証に信忠の弟信房を織田家に返還し、これで和睦交渉成立と錯誤した勝頼は予定どおり北条戦対策に力を注ぐようになる
上述したがこの頃に信長は、従属を申し入れてきた北条氏からの提案で連携して武田領を挟撃する話をまとめており、徳川には翌春出陣の準備を命じることになる 武田ばっかり言われてるけど上杉も謙信が信玄と同じようなことしてるからメッチャ信長から恨まれてるからな
毛利もそうだけど信長は裏切った人間は許さない >>765
事実だろ?信長の友好関係の作り方って凄く自分本位で一方的なところがある。俺がこれだけ丁寧に接している、相手の能力に応じた地位や知行を与えているんだから不満が有るわけがないっていう一方的な姿勢
だから部下が裏切ったという情報が来てもすぐには信じず(自分の感覚では裏切る理由がないから)相手に真意を問い質したりということをする
そういう性格だけに1度裏切りが確定するとその怒り方は凄まじいものになる 裏切ってない人間も許さないことが多いんだけどね
一方で下の身分の人間には優しい
ワンマン社長あるあるだよ >>767
佐久間とかのことかな?
信長は自分の価値観が全てで、人間に道理だけでは図れない感情があることが分かっていないのかなって感じることが多い
自分が畿内最大の軍団の司令官に抜擢したのに自分が思ったような仕事をしないのは信長の中では裏切りなんだろう >>769
勝頼の代でどうこうしようとしてもどうしようもないってこと
信玄がアホすぎてかわいそうだったね 岩村城を保持してるだけじゃ織田の畿内制圧への影響は軽微だったし
徳川を一撃でやらないといけないという無理ゲー てか岩村城自体が信長がその気になったら何時でも落とせるとかいう割とキツい地理条件にあるからなぁ。武田領から即座に助けに行ける範囲がどちらかというと駿河方面だったというのが >>771
コスパの悪い明智城や吉田城、長篠城を狙わずに二俣城、諏訪原城、高天神城の三方を拠点に
東から順に徳川領国を削っていけば戦だけが取り柄の勝頼なら遠江を数年で制圧出来そうだけどな
徳川は下克上で成り上がった初期の大名だから動員兵もそこまで多くないし。 >>779
iie,hennaojisandesu 武田と違って毛利への対応はかなり温い
吉川経家への対応だけでも天と地
鞍替えと裏切りは似て違うから >>776
まず徳川を見ると、実は徳川の心臓は西三河にある。だから遠江をどれほど攻めても徒労(そもそも浜松城を落とせるかわからんし)それに徳川は織田から支援を受けてるのでそれを破壊しないといけない。こうし戦略図では遠江よりも奥三河に注力して徳川領を真っ二つにしたいって思ってもおかしくない。勿論、ここでは奥三河が攻防以前に移動が大変って問題があるんだけど。
そして実は織田領も攻めないといけなくて織田軍が信濃を攻めてきたりすると大変まずい。だから信濃国人衆の為にも美濃も攻撃しないといけなかった。 >>755
> 上洛後の信長の戦いはすでに私戦じゃない
幕府や朝廷による「公儀」性の獲得のことであれば、形式的には全く仰有る通り。
しかし実行動の上では、当該段階の織田権力はそれ以前と比べて戦争にせよ行政にせよ定性的変化を見せていない。
関東への対応ではそこが著しく変化した。
即ち、「暴力による殲滅・制圧」から「暴力による暴力の凍結」へと。
後者は近世から近代を定義する「統治権力による暴力の独占」に連なるものと見ることが可能だろう。
もっとも織田権力がそれについて自覚的であったか否かは分からない。
そして史実がそこで断絶してしまった以上、これを肯定するのも否定するのも想像の域を出ないが。 アメリカが武田信玄
ロシアは徳川家康で信玄と小さい揉めごとを繰り返す
今の中国を見ると「信長包囲網」のようだ
包囲している方は意外に弱くて連携も取れていない
日本はさしずめ朝倉義景あたり
台湾は浅井長政
浅井を助けようとするが肝心なとこで撤退したり
で、先に信長にやられる
繁栄が幻だったかのように蹂躙され滅ぶ ロシアは上杉だろ。強兵とされてきながら実は弱かったというオチも同じ。
最終的には北条氏政に関東から追い払われてるし 信玄も謙信も自分が死んだ後どうなるかぐらい考えてなかったのかね 信玄と信長は金銀山などの開発は他人任せで多額の上納金さえ支払っていれば文句は言わなかった
本能寺の変直前の秀吉は直轄領は小さかったが信長から与えられた銀山開発で数百万石高に匹敵する収入を得ていた
明智は安土城の蔵を解放した時には、正親町天皇と誠仁親王に銀子500枚を献上していたが、秀吉は勝頼から信長の息子が返還された時には、信長へ御祝として銀子3000枚小袖200を進呈していた >>776
武田は勢力地が大きいけど同時に敵も多い。上杉・織田に備えると徳川攻撃に使える兵は一万から二万。
対して徳川は浜松周辺に一万以上を動員出来る。「防御は攻撃の三倍」の法則を単純に適用すると実質三万の軍が居るのに等しいので鎧袖一触とはいかない。
それに徳川は東海道経由で織田からの支援を受けられるから一撃で拠点を落とさないと輸送力の差でジリ貧になる。
だから信玄と勝頼は織田と徳川を両方攻撃できる奥三河攻撃を行ったんじゃないか。ここに楔を打たないと遠江が危ないと見たのか。
ウチの姓は小山田じゃないけど、かなりゲンが悪いから改姓したい…
___
障がい者いじめで炎上した小山田※※って今何してるの??????
https://mi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1640689836/
高天神城を25000で勝頼は攻めてるし遠州攻めなら2万以上の兵力で攻められる。
また家康が万を超える兵数を動員できるようになるのは天正壬午の乱の後から。
単純に領土を拡大するだけなら遠州攻めを行う方が効率はいいけど
信長との決戦を望んでいたこともあり奥三河や東濃に遠征してたわけだろ >>789 >>771
徳川の石高で考慮すれば、軍鑑とか読むと武田西上以降は北遠江、東遠江、北三河、が武田の領土になってるように思うから、遠江と三河で徳川の領土はおよそ40数万石って所じゃないかと思う。
それで遠江と三河で軍勢を分けて配置して守備すれば、それぞれの守備兵は一万もいないでしょ。
実際に史実で考慮すれば、長篠の戦いまではほぼ一方的に武田が徳川相手に勝利してるように思うから、君がそんな事を書いてもしょうがないと思うけど。
ついでに、長篠までは織田は東美濃18諸城を武田に制圧され、高天神の救援にも失敗してるようなのに、君がそんな事を書くのは不可解に思うけど、どうなの。
>>787
少なくとも、信玄は考えてるんじゃないの。だからこそ、勝頼に家督も継承させたし、徳川の反武田運動を織田に抗議しても、織田がそれを放置している事から、包囲網勢力と同盟をして、織田徳川と戦う事にしたんだと思う。
実際に、長篠までは東においての優勢を武田が確保してるように思うし、
勝頼が長篠でわざわざ設楽に行かなければ、武田の東においての優勢はそのままだったように思うから、君がそんな事を書いても、と思うけど。
>>783
当時の徳川の主力は浜松を中心とした遠江に集結してるように思うから、
そんな事もないんじゃないかと思うけど。
>>775
そんな事ないでしょ。実際に、長篠の後で、武田勢主力が救援を送ることが厳しくなっても、岩村城は5か月近く守備に成功してたように思うから、武田勢主力が援軍を送れる状況なら、織田が岩村城を攻略するなんて思いもよらない事に思うけど。 >>792
ゲームでも史実でも、いくらでもやりようあると思うけど。
史実では、長篠の戦いとか、勝頼がわざわざ設楽の方に行かないで、長篠城周辺の地形を利用して守ってれば、
それだけで織田徳川は長篠城の救援が出来なくて、武田の戦略的勝利だったように思うけど。
>>770
そんな事ないんじゃない?>>793にも似た事書いたように、長篠までは信玄が整えた戦略的状況を基にして、
武田が織田徳川相手に複数の戦略的勝利を重ねていて、優勢なように思うし、上記に書いたように、
長篠で勝頼がわざわざ設楽の方に行かないで、長篠城周辺の地形を利用して守っていれば、
織田徳川は長篠城の救援ができなくて、長篠城が降伏でもするしかなくて、武田が勝利してたと思うけど。
それで武田の戦力が温存されたままなら、織田はずっと東の脅威に対処していかないといけないし、
史実のように北や西に勢力を向上させていく事が厳しかったと思う。
さらに、御館で勝頼が景勝に味方して北条を敵にしなければ、長篠の後でも織田徳川への防衛は史実よりも楽だったように思うから、
これで勝頼のせいじゃないとか言ってもしょうがないと思う。
>>764 >>766
そもそも、武田の側から言えば、上記793にも似た事書いたように、徳川が反武田運動をしてるのを、
織田に武田が抗議をしても、織田が放置してるように思えたから、そのままだと織田徳川上杉に包囲される、と思って、
包囲網勢力と同盟して戦う事にしただけに思うけど。
そもそも、信長って浅井の時も武田の時も、上杉の時も、基本的に自身の都合優先で、
相手側の都合とか考慮しないで動いてるように思うし、
信長自身が謀略とか粛清をしてる事例も数多い様に思うのに、
それでそんな事を書くのはどうかと思う。 >>759
織田の方が恨み買いまくりだと思う。
信玄が西上するまでに、既に包囲網しかれてるのが織田に思うのに、そんな事を書くのはどうかと思う。
>>758
確か、武田と徳川が一緒に今川を攻めるのは約束されてた事に思うから、
秋山としては、今川側だと誤認して戦っただけに思うけど。
それですぐに武田が秋山を撤収させて、謝罪して、事態も落ち着いてたと思うけど、
それを徳川がしばらくして上杉と同盟して武田を包囲しようとしてきたり、
反武田運動とかをしてきたら、武田も普通に対処していくしかないように思うけど。
>>755
足利将軍を擁していた時はまがりなりにも公戦と言えたかもしれないけど、
足利将軍と敵対した後は、どこまで公戦と言えるのか、と思うけど。
一応朝廷を擁していたとは言えるのかな。
>>753 >>784
勢力が下の、従属している他の戦国武将に対して、領域とかの確定や命令を行うのに、勢力的に上位の戦国武将が決めて通達する、
というのは、他の戦国武将でも行ってるような。 現実的な問題として美濃攻撃しながら遠江まで攻撃とかそんな大量ある訳ないし… >>792みたいな思考で書き込むコドモがスレッドの水準を下げる。
己の恥ずかしさに気付かないんだろうか。 >>748
軍鑑とか読むと、長篠で重臣達の反対を拒否して、わざわざ設楽に移動して決戦する事を決めたのも勝頼に思うし、
同じく軍鑑とか読むと、御館で景勝に買収されて、景虎を助けずに北条を敵にしたのも、勝頼の意思が関与しているように思うから、
さすがにある程度は勝頼の事を考慮した方がいいように思うけど、どうなのかな。
>>730
また変な事書いているように思うけど、ワッチョイスレとか読むと、菅沼認定厨さんと思しき人が、
IDコロコロを頻繁にやっている事、他人を装っている事、の可能性が高い事は普通に指摘がされているように思うけど、
それで君がそんな事を書くのはどうかと思うんだけど。
>>732
上記のように、ワッチョイスレを読む限り、菅沼認定厨さんと思しき人が、
IDコロコロを頻繁にやっている事、他人を装っている事、の可能性が高い事は普通に指摘がされているように思うし、
それで菅沼認定厨さんと思しき人が熱心にワッチョイ導入を推奨してるように思われる事から、
菅沼認定厨さんはワッチョイが導入されても他人を装えると思ってるように思われるんだけど、どうなのかな。
>>719 >>720
あれ?今度はその人が菅沼なの?実際には、上記にあるように、ワッチョイスレを読む限り、
菅沼認定厨さんと思しき人が、IDコロコロをしてる可能性が高い事、他人装いをしてる可能性が高い事、を
指摘されてるように思うのに、君がそんな事を書いてもしょうがなくないかな。 >>800
の
>>719
は
>>718
の間違いなので。一応訂正をしておくね。
しかし、菅沼認定厨さんは、>>5で僕の事も認定してるように思うけど、
それでもまったく特徴の違う人を菅沼認定してるように思うけど、
そこら辺の整合性はどうなってるのかな、と思うかな。 >>784
自覚していなかったんじゃという部分は同意する 単体で勝てなくとも連合すれば勝てるのが戦略ってもんだしな。それで徳川と織田は手を結んでた。
実際この同盟が堅過ぎた。武田には突破出来ん。 >>803
そんな事もないと思う。武田も織田徳川相手に包囲網勢力と同盟して戦っていて、
その戦略的優位を基にして、>>793とかにも似た事書いたように、
勝頼は長篠までは織田徳川相手に複数の戦略的勝利を重ねていて、
徳川相手には当代記を読めば浜松近辺まで武田に蹂躙される事になってるようだから、
徳川は結構厳しい状況に思うけど。
さらに、大賀事件とかも徳川に起きていて、長篠で武田が勝利していた場合、
そのまま武田に徳川が蹂躙されていった場合、徳川側の求心力がどれだけ持つのか極めて疑問に思うけど。
>>799
菅沼認定厨さんの書き込みは色々と不可解に思うかな。
>>797
史実的には、勝頼は東美濃18諸城を攻略して、美濃の方を牽制しつつ、
その後で徳川領土の攻撃にかかってるように思うから、それなりに理のありそうな戦略には思えるかな。
>>709
シンプルに考えても、御館で北条を敵にした事で、ただでさえ長篠の損害があった状況で、
織田徳川だけでなく、北条まで敵にして数年間も戦争すれば、国力が疲弊するのは普通に思えるかな。 >>683
あれあれ?その菅沼って誰の事?僕は>>5とかにあるように、君に菅沼認定を受けた一人だと思うけど、
君が言うような主張を僕はした事がないし、そんな事を書くなら、ちゃんと論旨で反論をして欲しいと思うんだけど、
君のような菅沼認定厨さんと思しき人って、なぜだか他の菅沼認定されてる人とかには嬉々として、その人の事についてレスをしようとするけど、
僕については>>6に書かれてるような事を完全スルーしようとしてるように、
他の人となんか対応が違うように思えるんだけど。
これって上記6にもあるように、菅沼認定厨さんにとって、菅沼認定されてる人々それぞれの判別がついてるんじゃないかと思うけど、
どうなのかな。 >>704
おやおや、>>800にも似た事書いたと思うけど、今度はその人が菅沼なのかな?
上記800にも似た事書いたと思うけど、ワッチョイスレとかを読む限りじゃ、
菅沼認定厨さんがIDコロコロとか他人装いとかをしている可能性が高い事を
普通に指摘されていたように思うし、君がそんな事を書いてもしょうがないと思うけど。
それから、当代記は他の編纂資料や同時代の資料と符号する所とかもいくつもあるように思うから、
そんなに否定するような物でもないと思うし、君がいう菅沼っていうのが、君は>>5で
僕を菅沼認定してるように思うけど、君が仮に僕の事をそのように書いているなら、僕の論旨がどこがどうそうなのか、というのを
ちゃんと反論して欲しいと思うかな。
>>699
君が言う菅沼、っていうのが、上記のように仮に僕の事を指しているというなら、
上記のように、僕の論旨のどこがどのようにそう思うのか、ちゃんと反論して欲しいと思うかな。
>>702
横からだけど、僕には上記にあるように、ワッチョイスレを読むと、
菅沼認定厨さんがIDコロコロとか他人装いとかをしている可能性が高い事を
指摘されていたように思える状況で、同じような語彙や論調で単発IDがコロコロと書きこまれている状況が
いろいろと不可解に思えるんだけど、どうなのかな。 >>679
どうなんだろ?なんで上杉景虎を勝たせることが、北条に従う事になるのかと思うけど。
>>671
それ以前の話として、同盟国の一族を救援する為に出陣したのに、
その敵対勢力となぜか婚姻同盟の約束して、本来の救援対象を助けるのをやめて、
その救援対象がその敵対勢力に攻められて滅ぼされるのを放置、っていう時点で、
その同盟国にしたら、色々と外交関係上やばすぎると思うけど。
>>661
景虎が家督になったからと言って、北条の影響力が丸々通るとは考えにくいでしょ。
景虎勢力には、北条と長年戦ってきた勢力とかも与してるんだし、
上杉家としてそんな簡単に全て北条の意のままになるとも考えにくいと思う。
>>669
>>795でも似た事書いたように、北条が敵にならないだけでも武田にとっては十分すぎる程でしょ。
史実で織田徳川に加えて、北条まで敵にして戦ったよりは、はるかにマシな状況に思うけど。
実際に上杉景勝との同盟って、史実じゃろくに武田の役に立ってないように思うけど。 >>662
そんな事ないと思う。北条にしてみれば、武田が存在し続けていれば、
織田徳川が関東に介入してくる事を防げるように思うから、
可能なら武田と同盟して織田徳川を防ぎ、自身達は独立独歩で行こうとするんじゃ。
>>651
僕は>>5で君に菅沼認定を受けてるように思うけど、君が言うような主張をした事はないと思うんだけど。
君の言う菅沼認定って、このスレでさえ、>>805とかにあるように、特徴の違う複数の人に菅沼認定をして、
しかもそれらへの対応が違ったりしてるように思うから、まずは君にはそれらの矛盾に思える事について、
ちゃんと答える事から始めて欲しいと思うんだけど、どうなのかな。
>>647
実際には、上記のように菅沼認定されている人々の特徴がバラバラで、このスレでもそれらへの対応が違うように思えたりするから、
菅沼認定厨さん自身が複数の違う人に菅沼認定をしている事を、菅沼認定厨さん自身でもわかっているように思うんだけど、
どうなのかな。 戦略的な優位があるからなんだろうけど武田と織田・徳川だとコストパフォーマンスが違う気がする。
武田が二万の兵を率いて野田や長篠、岩村を落としてるのに織田や徳川は一万くらいの兵で逆襲して取り返してる訳で。 陣立書や着到状が残っているならともかく、何万で攻めた守ったという数字にそこまで意味があると思えんのだが
ゲームの話かなにか? 勝頼時代って2万率いたことあったっけ
信玄時代みたいに気軽にホイホイ2万動かしてたかな >>810
そんな信玄は城の攻め方をしらんかったみたいな言い方… >>813
コスパの話だろ
勝手にゴールポスト変えるな >>814
城の弱点を知らないから無駄な兵を動かさざるを得なかった、って言うんだろう?てことはやっぱり信玄や勝頼、というか武田軍全体が城攻めの戦術を知らなかったという話になるやんけ…お前さんが決めたゴールだぞ。
実際、織田・徳川と武田は一方的に武田がやられてるんじゃなくて一応城を取ったり取られたりを繰り返してるから織田・徳川の城攻めの戦術が高度だった可能性は確かにあるし。 信玄時代は判らないが勝頼の時代だと鉄砲弾薬の差かもしれない
兵数差を埋めるのは物資しかない
それが極端に出たのが長篠の戦い >>815
弱点を知らないか城攻めの戦術を知らないへ飛躍してワロタ >>812
1574年の遠州攻めは2万数千だったはず 徳川の城攻めが高度って。一般的に徳川は城攻めが苦手と言われてるのに >>817
そらそう言われても仕方ないだろ。織田・徳川は成功させてるんだから。戦術面で織田・徳川に上を行かれてたっていう君の意見は確かに正しいとは思う。
同時にそれは武田軍全体の致命的問題をも明らかにするが。 城再建もう諦めちゃうくらいボコボコにしてたのになぜ長篠城が落とせなかったのかと
城攻めの話になると毎回思っちゃう >>821
被害恐れず力攻めしてれば落ちていたという認識は史料で共通してるでしょ 史料?現場にいなかった高坂の伝聞の伝聞である甲陽軍鑑のホラ話か? 人的被害無視すればキーウ落とせたよ(●︎´▽︎`●︎) >>821
武田の悪いところなんだろうけど長篠城を攻めたのは主目標である岡崎城攻めが失敗した帰り道でつまりそもそも長篠城を攻める事を考えてなかった。だから長篠城に対する戦術が構築されてなくて「囲めば降伏する」程度の甘い考えだった。そしたら長篠城は奥平信昌が改良した堅城と化していて攻めあぐね、しかも徳川軍が居るから攻撃が難しくなった。挙句信長が後詰にきて完全に詰まされてしまった。
武田の失敗はつまり準備もせず迂闊な行動をした事に尽きる。対する家康は長篠の地形を完全に把握していて信長にも伝えていたから完全な戦術で武田軍を粉砕できた。戦いは始まった時には、の典型例なんだろうなぁ。 武田首脳陣は無理な力攻めに見合う戦果を上げられると考えてなかったのは確か
結果的には包囲したけど中途半端に時間を費やしただけ
大野田城が放棄されてたようだから長篠城を維持しようとも織田徳川を誘い出すことも考えてなかったようだし
奥平信昌が城主をしてたのを知ってたかのかも不明だ >>822
被害考えずに力攻めとかゲームの話かな?
城攻めできるのなんて士気の高い精兵しかできない
そいつらが死亡または負傷者多数になったら大損害で次の戦もできない
遠征中なら負傷者抱えて帰還中に追撃受けたら見捨てないといけない
最初の目的である岡崎や吉田城などの要所を無理して落とすならともかく長篠城を強攻するメリットがそもそもない
軍鑑はそこら辺を隠すために最初から長篠が目的であるように直行したように書かれてるね 三河物語だと長篠城は落城寸前だったそうだし、長篠城を囮に野戦に持ち込みたかったという説はある
落城まで程遠い状態なのに2週間も囲んでいたのなら当初からかなりの戦略ミス >>827
行間も読めないバカは黙ってなさい
どうせ史料も読めないんだろうし >>820
詭弁ワロタw
徳川が城の弱点を知ってるだけ
戦術を知っているわけではない
キミはディベートの経験がないだけかな
別にキミの人生経験が未熟とは言ってないからな
言ってないからな >>831
だとすると諜報力の差で武田は劣っていたと? 城が堅いかどうかは1、2回でも強攻すれば分かること
それでも囲い続けていたのは兵糧攻めか、援軍を待っていたか他の何か勝算があったのだろう >>828
信長から細川宛の一次史料には長篠城は堅固に守られ、後詰によって、より守りの覚悟がついたと書かれてるけどね。
落城寸前とは書かれてない。
むしろすぐ落ちないことを知っていたから、陣城作って敵が来るまで待った。
陣城作ってる最中に落ちたら意味ないからね。 鳥居強右衛門の話も三河物語にはあっても信長公記には無い
強右衛門のような勇士は信長は大好きなはずなんだけど >>833
勝頼の高天神城攻め、明智城攻めは正攻法の力攻めだったからな。
なのに長篠城は鉄砲、弓矢、投石等の自軍への被害が少ない戦術で時間を掛けて
三の丸、二の丸と落としていき、残すは本丸という所でも力攻めに切り替えなかった。 甫庵信長記は信長公記をベースに甫庵が創作を入れた物 >>834
後方の味方に
「堅固に守られている」と書いたあったところでそれは落城寸前ではなかったことの証拠には遠い
落城寸前でもそう書くだろうという内容 武田家の諜報機関というか、伝達とかはどうなってたんだろうな
公記を信じるなら、長篠の武田軍は明らかに自殺しているようにしか書かれてない
馬場を除いて
いくら池沼でも1時間も突撃したらこりゃまずいと突撃辞めて様子見くらいするはずなのに、公記はひたすら突撃して死にましたみたいに書いてる
あれは牛一の創作なんだろうか 一次史料は自分の感想で否定して、徳川家臣持上げと徳川史観に脚色された三河物語は絶対に信じるスタンスw >>842
一次史料を文字通り解釈して良いのなら
「全て自分の思いどおりに動いている。敵は手立を失い逼迫しているから突撃して信長家康を討ち取り本意を果たす」の勝頼の書状抜きには語れない。 >>843
勝頼はその書状通り突撃したんだけどね
都合の悪い一次史料は「景気付け」と勝手に脳内解釈してるのは菅沼だっけか? >>844
景気付けなんて私は書いてないよ。
勝頼の書状に従い、勝頼の思い通りに長篠城は敢えて落とさず、信長家康と決戦したということで良いのか? >>843
手紙は書いた時点での当人たちの主観と外交宣伝だしな
あとは結果との答え合わせ >>845
私は一次史料を文字通り読んだらいけないという立場 >>846
あえて落とさずとまで踏み込んで書いてあったか? >>849
そこまでは書いてないが、信長家康の首を取ることが勝頼の本意と書いてあるよね >>846
勝頼の書状のどこに長篠城を敢えて落とさなかったと書いてあるんだ? >>850
それが文字通りに読まないということか
害悪だな >>848
誰が鵜呑みにしろと言ってるんだよ
なんか勘違いしてそうだな、一次史料の意味と取り扱い方を
逆に二次史料を否定すれば歴史通みたいな痛々しいやつも多くて笑えるが >>852
勝頼の書状からは長篠城で苦戦した様子は窺えない
全て思い通りに動いていて、長篠城を囲んでいたら織田徳川が援軍に来て特に何もなく対陣していたところ、敵が手立を失い逼迫してるからこちらから決戦に挑み、本意を果たすつもりであるいう内容
これ読んで長篠城攻めで苦戦していると思う人はいないだろう 一次史料のどこにも書かれてない「長篠城を敢えて落とさなかった」と自分勝手に改竄している時点で史料について語る資格無しw >>854
あの文面から決戦するために敢えて長篠城を落とさなかったとは全く読めないけどな まず長篠城は奥平信昌の改修を受けていて武田軍の予想よりも堅かった。また、防衛火器も多数配備していたので本丸に後退された事で逆に武田軍は不利になってしまった。面あたりの投射量が増えるんだからね。
更に徳川軍襲撃に備えて強撃が出来なかった。実質的に後詰がいる様なもんだから。そうこうしている内に最悪の事態、信長が後詰に来てしまった。敵軍との距離6キロではもう長篠城は攻められない。それを選ぶと長篠城と有海原で二面を攻撃しないとならずその結末は火を見るよりも明らか。
こうなると決戦しかなくなるのは自明でつまりそもそもの間違いは長篠城を攻めてしまったこと。もっというと帰還路を伊奈街道にとったのが過ちだった。 >>854
書状は織田徳川と対峙した時点での対外宣伝文
岡崎吉田攻めに失敗してる時点ですべて思い通りに動いてるというのがおかしい 長篠城攻城戦で武田が苦戦したという様子は当代記、三河物語、甫庵信長記にあるけど
これらを引用するということは武田の重臣達が反対していたとか長篠城は落城寸前で鳥居強右衛門の貢献大だったことがセットになってしまう >>859
鳥居が実在したのはまず間違いない、落合左平次道次背旗の研究なんかからしても
馬鹿の一つ覚えで一次史料にない、三河物語は二次だーとか発症しちゃってる人間には分からんのだろうが
通ぶるこん棒になってるからな、ろくに一次史料の学術的意味も知らんだろうに 三河物語だと勝頼は鳥居強右衛門に城兵に向かって織田の援軍は来てないと言わせようとしている
即ち、勝頼の目的は長篠城を降伏させることにあり、織田徳川との決戦は望んでいなかったことになる
城を落としてしまえば織田軍も撤退するだろうという算段だったか 何か急に改竄した奴の擁護する奴が現れたと思ったら>>830に書かれてた
納得 当代記は奥平信昌の子が関与しているせいか1番長篠城攻城戦の様子が詳しい
5月1日に包囲開始して13日以降は攻撃を停止している
長篠の戦い本戦は21日だからそれまで約1週間織田の援軍に備えつつ長篠城降伏を待っていたか >>832
どうしてそういう結論になるのか理解できないw
もっかい思考の流れ書いてみ >>863
当代記ちゃんと自分で読んだか?
13日で攻勢停止とは書かれておらんよ
その日に大きな戦があったのは確かだが
当代記の面白いところは信長はともかく、家康の批判までしてるんだよ
追撃戦後に、このまま信濃甲斐に攻めこめばなんの手間もなかったのに帰陣して、甲斐を強敵と思っていたからだろうか、って まぁそれは所詮下士官の考えってやつだろうな。
家康からすると武田軍が大通撃を被ったこの好機に三河を解放し遠江を確保、駿河を攻撃するのが当然の戦略になる。
仮に甲斐を攻撃しても武田の守備隊もいるから無駄な敗北を被るだけ。 後詰が到着した時点で武田が取れる選択肢は
1逃げる2決戦、のどちらか二者択一。ただし信長が来ているから間違いなく逃げたら追われて追いつかれたら絶望的な戦いになる。つまり逃走は「信長が見逃してくれる」事に賭ける訳で敵を頼る。戦術では下策。
大軍展開出来ない設楽原で決戦というのは無敵の武田軍を信じるなら一番の上策。しかも敵は「尾張の弱兵」なんだし。で、問題は「武田は強い、織田は弱い」というこの観点を誰が一番持っていたか。
というと間違いなく重臣衆。だからおそらく、決戦を主張したのが馬場ら重臣衆で撤退を進言したのが長坂ら側近衆だったんだろう。甲陽軍鑑は重臣派が書いてるから事実をあべこべに書いたんだろう。武田総敗軍の原因が重臣衆だと書きたくなかった。
馬場信春は最期撤退を捨てて、長篠橋で実質的な自殺に及んでる。敗北の責任を取ったんじゃないか。 >>867
そんな風に通説を180度捻り曲げられるような史料も一切無いからなあ… 信玄からいつも考えが浅いと書かれてますから勝頼は
御館の乱と新府城築城も考えが浅かった
甲陽軍鑑の人物像と何も違いはしない 信長公記をベースに創作脚色された物が甫庵信長記
その甫庵信長記を引用したり他の軍記物語をくっ付けたのが当代記
当代記の筆者とされるのが生まれたのが本能寺の変後であることもあり、信長期の独自の記述は特に信憑性が薄いのが当代記
生まれてないから筆者が長篠の状況が分かるわけがない
信長は、長篠の後に甲信攻めるのに兵糧の準備が必要だから、一旦馬を納め、甲信攻めは秋の予定になると謙信宛に書いた書状の存在も知らずに
引用した軍記物語だけ見て兵糧無視してそのまま攻められると思ったんだろうね 越前では一向一揆3-4万が南進開始
畿内では三好・一向一揆が攻勢を開始
なんて状態で信長が援軍に来た!って分かればこれはイケるって思うでしょ
この前提ならどんなに多くても信長の援軍は一万弱もないから連合は1.6万-1.8万程度だから勝てるかもしれん
まぁ実際は本願寺の攻勢は翌年だし、三好は完全に信長に降ったし、越前は完全に内部崩壊してるしで前提が狂ってるいるけど
そもそも信玄も畿内勢力に騙されてるから仕方ないかぁ 信長公記に長篠ひと月前に10万集結して感動したという記述あるけど
武田の間者この情報伝えなかったのか 勝頼『いくら10万集まってても大阪から長距離移動して来るんだから
疲弊して士気はガタ落ちのハズ。打って出るぞ!』
高坂『・・・・士気・・・高いですな・・・』
勝頼『ぐぬぬ・・・』 >>872
またミスリードか
別に長篠の戦いのために集まっていない
本願寺や三好が織田信長を引き付けていたからだ 本願寺包囲してる状態で京都に10万集ったんだから本願寺の兵力とは別物だろう
当時の三好なんて少大名でそんな大軍必要ない
浅井に抑えた秀吉軍程度でOK 織田は長篠がピークだな
その後は家臣が躍進し織田家は相対的に力が弱まる そりゃそうだな
信長が家督を譲って織田軍の総大将は信忠になったからな 今川氏真によると新しい道が出来たので移動が楽になっていたらしい。つまり信長はいずれやってくる武田攻めに備えて街道整備を進めていた。しかも移動速度が速いから相当念を入れて作ってたんだろう。
それで武田軍の予測以上の速度で長篠までやってこれた。 >>872
甲陽軍鑑には「織田・徳川軍が十万」と書いてあるから伝わってた可能性がかなり高い。多分信長か家康がばら撒いたウワサを拾ってしまったんだろうけど…
ストーリーとしては信長は三好を降伏させて本願寺の押さえを残して全軍でやってきたとなる訳で理屈は通ってる。武田には真偽を確かめる時間が無いし、タチが悪い事に信長は現実十万の兵を操れるんだから話半分の五万とかで来てる可能性とあったし。 勝頼の2大失策と言えば、長篠と御館
3大失策と言えば、長篠と御館と高天神城
4大失策と言えば、長篠と御館と高天神と新府城築城
5大失策と言えば、長篠と御館と高天神と新府城と木曾・穴山の裏切り
第一の理由は信玄の様々な負債だが勝頼の失策ではない。 >>883
挙げた事案全てが軍事、政治など表層のものばかりだな。
浅い。
武田勝頼最大の失策は「領国内の産業強化を果たせなかったこと」だ。 信玄はどうしてああも近視眼的なんだろうな
同盟破るのはいいよまだ
でも、大した利益も無いのに破ってることが多い
なぜなんだ……大きな利益はいらないのか じゃ勝頼はどうすれば良かったんだろうか?
最善手は家督相続後に方針転換を行い織田と和睦の道を探ることだが
家臣達がそれを認めるとは考えにくい。 甲州崩れで最後従った家臣が50人程度って少なすぎだろ…
仁科信盛も城から討ってでてるし時間稼ぎして欲しい勝頼の戦術を無視していた可能性高い
どうせ後詰めしないしねw
悪政で家臣、民の支持失ってる中、小宮山友晴が目立つわけだよ >>888
信長ですら本能寺で裏切った家臣誰もいないのにな
それどころか京都市中にいて信長や信忠に合流できずにむざむざ生き延びたやつらの中に
信長の後を追って死ぬやつまで出てる
それに対し、勝頼は…… というか、山岳戦の経験が非常に乏しい織田軍相手に、むしろ領内に引き込んで戦うというやり方が
勝頼にはとれないものかねえ……信玄が死んで浅井朝倉長島が滅んだ時点で正面からやっても
詰んでるんだから、山岳戦にゲリラ戦を組み合わせたやり方で戦うしかないはずなんだが >>887
遠州を舞台に織田徳川相手に川中島のように数次に渡る戦い方をするとかかな。
信長にしてみれば何度も東海にいくのは大変だから織田側から和睦の話が出るかもしれない。 >>891
いやいや、どう考えても先に武田のほうが詰むでしょそれは
織田徳川と武田の経済力に差がありすぎる
かつての武田と上杉なんか話にならないほど >>889
ですらって
勝頼と信長じゃ人望に差がありすぎますよ
信長は父から家督を譲られたけど、父が死んだ後は林とか譜代の家老が弟について両立状態になってたからね
その時に信長は前田利家や佐々成政みたいな嫡流じゃない若者を引き立てて側近にして信長個人との忠誠関係を作り上げた
それがそのまま信長信忠の親衛隊の土台になってるんだから当たり前の話 >>890
そこが武田宗家領なら問題無いんだろうけどね。
武田って信玄がまとめ上げたように見せかけて実は有力国人衆の連合体って感じだもの。それで武田宗家の力が落ちたと見るや彼等は少しずつ、少しずつ宗家に刃向かいだしてる。
信濃に敵を引き込む、なんてのは信濃国人衆からすれば受け入れ難い戦法だしもし万が一負けたら彼等は即座に敵に寝返りかねない。勝頼としても取りにくい戦術かなぁ。 でたでた武田=有力国人衆の集合体説
そんなのどこの大名も同じなのにね >>892
武田は隣国から運ぶだけだし問題ないかと。
むしろ濃尾から遠州に兵糧を届けないとならない織田の方が先に音を上げるよ。 >>896
岐阜から岡崎でも一日だ
長篠の戦いの時の岡崎から設楽原までの緩々行軍でも三日
基本的に平坦の東海道と山越えの甲斐信濃遠江間だと難易度が違う
山道なめんな >>896
そもそも遠州のどこを想定してるわけ?
信長も家康も史実では勝頼が遠江や三河で暴れてるのを
しばらくは放置していたんだよ
信長や家康がそんな挑発に何度も乗らないと思うけど >>895
武田の場合、まず甲斐が宗家・穴山・小山田の三分支配になってる。しかも武田の血脈が多くて正統を決め難い(例えば穴山信君は対外的には「武田信君」を名乗っていた)
そんな宗家が国人衆をまとめてるわけで並の大名家より遥かに統治難易度が高かったろうさ。国人衆は基本強い方につく蝙蝠戦略を採るけど敵につく以前に武田一門衆につく危険性まであったわけで。実際、信君が勝頼の死後に出した願文には「誰もが信君に武田を継いで欲しいと…」とあるからこの危険性は現実化していた。 織田も似たようなもんだったじゃん
信長は他の織田一族を叩き潰して尾張を統一したけど
まあ勝頼が信玄の後を継いだ時にはそんなことしたくてももう無理だったけど。時代が悪かったとしか言いようがない
信長に従属するか抗って滅びるかの二択で、従属させてもらえなかったんだから >>899
穴山も小山田も貫高も動員数も大したことないから三分支配には程遠い
他家から見たら一門衆、家老で武田に限って特別に国人衆の集合体というのは不適切 >>901
穴山は自領の鉱山任されてるし、経済力低いとは思えんのだが
武田滅亡の際も織田にかなりの献金してるし >>902
あくまで動員数は200騎だからね
三分支配とかどこかだよってこと >>889
織田軍最強部隊の重臣明智光秀ほか約2万人以上が裏切ってますがww
織田は逃亡兵続出
信長の弟は甥の信忠を切腹させて自分は逃げたしなw >>901
信君は西上作戦で勝頼と同じだけの兵力を操ってる。しかも鉄砲隊まで持ってるから穴山一党はかなりの勢力を有してるといって良い。
更に穴山氏も小山田氏も武田宗家から独立して内政・外交してる。例えば穴山信君は河内や駿河に関しては勝頼の指示無く内政を行い、また今川取次だった経緯から徳川家康とも勝頼に無断で交渉してる(しかも信濃国志によればこれらは全く勝頼に報告されてない)
小山田氏は支配地域の郡内は確かに貧しいが郡内領通行税で収益をあげてる。その関係から北条取次として北条やその他勢力に対して外交を行っている。
その為、実は武田宗家の支配力はかなり小さい。つまり宗家当主の格が全てを決めるわけだが… >>905
お前本当に勉強してるのか?
明智に2万ってどこの話だよ
与力の細川と筒井が無視決め込んで阿閉と武田と京極という
役にも立たない奴らだけが味方になって1万5000ギリギリってところだったのに
そもそも明智が織田軍最強だと?
二条御所にいる準備ほとんどできてない500人を数千人で襲いながら、重臣1匹が再起不能の重傷を負い、侍大将数匹が戦死してるんだがな
しかも最後はお隣の近衛屋敷から狙撃してようやく抵抗を黙らせるくらいの弱さ
どこが最強なんだ? >>906
もっと数字で論じなよ
穴山の騎数は200
小山田も200
武田領内全体で9300
甲斐だけでも4000
これでどこが三分支配?
外交の取次なんて重臣がやるのは当たり前
指示もなく内政やるのは他の戦国大名傘下の国衆もそうだし、江戸時代ですらそう
何を武田だけ特別かのように語ってるんだ? >>903
戦国時代において「騎」ときたら騎兵一人に五、六人の歩兵の「騎兵隊」のことだから200騎ってのはかなりの大隊だぞ。
甲陽軍鑑品十七だと武田勝頼・武田信繁も「二百騎」を率いている。これは穴山信君と同じなので信君がひいては穴山氏がどれほど巨大勢力かが判ると思う。 >>908
まず「騎」とあったら基本五倍して考えれば良い。
甲陽軍鑑品十七には武田勝頼・武田信繁・穴山信君がそれぞれ「二百騎」を率いているけどこれがそれぞれ二百人だと幾らなんでも少な過ぎるとは君だって思うだろう。この時点で穴山信君は一門衆としてかなりの勢力を有していた事がわかる。もしくは武田家が異常に兵が少なかったのか? また、「外交の取次なんて重臣がやるのが当たり前」というのは語弊を招くから気を付けた方が良い。取次の役目はかなり重大なものだから。武田分国法(甲州法度)を見れば分かるが基本的に武将は他勢力とコンタクトしてはならないと命じており仮にそれが露見すれば「謀反」となる。
例外が二つ。一つは当主に報告・相談した上の調略。二つ目が取次役になる。取次は唯一、他国とコンタクト出来る立場になる。
つまり取次役の意味はかなり重い。それは当主からの十全の信頼を意味する(実質的な当主の代理だから)また相手国からもかなりの敬意を払われている。要職中の要職なのだ。
穴山氏も小山田氏もそれぞれ取次役に任命されてる時点でかなりの実力者な訳だけど、更にその内容を当主に報告していないというのはこれまたかなり面白い。 >>911
そんなこと分かりきってる
4000分の200でどこが三分支配なの?と聞いている >>912
>穴山氏も小山田氏もそれぞれ取次役に任命されてる時点でかなりの実力者な訳だけど、更にその内容を当主に報告していないというのはこれまたかなり面白い。
具体的にどの事例か説明しな >>911
また三点リーダーは妄想かよ
武田は軍役関係は史料がそれなりに残っているんだから調べてみろよ >>907
はい、論点すり替えの術いただきました。 >>907
キチガイに触ってどうしたんだ?
そいつは織田家にご先祖が虐待されたと思い込んでるキチガイだぞ? >>914
もう出てるけど穴山信君は徳川家康と無断で交渉をしてる(信濃国志)この書状は武田勝頼から穴山信君へ宛てたもので内容は北条の焼き討ちを防げなかった事を謝した上で
「徳川家康からの使者が貴方に再三来ているという噂を聞きました。本当なら(家康が)何を言ってきてるのか教えてください」というもの。
甲州法度により他国とコンタクトを取る事は謀反を意味するが勝頼は信君の叛意を疑ってない。これは信君が取次なので自由に交渉する事が許されてるから。だがそれは兎も角問題なのは勝頼は「噂」でこれを知った。つまり信君は家康との交渉を全く勝頼に報告していない。取次としてはそこまで不思議じゃないが主君に命じられていない交渉を独断でやっている。 ちなみにこの交渉の真実を勝頼は知らされなかったと思われている。と、いうのもこの書状は天正八年のものとされているがこの天正八年から穴山信君は徳川家康に内通していたとされている。つまりこの交渉とは内通の条件交渉だったので勝頼に伝える事は有り得ない。
勝頼が信君に家康との和睦交渉を行うよう命令した話が無いからこの独断交渉のウワサは勝頼にとってかなり深刻な事態だったはずだが、信君には強く言えなかったんだろう。 >>919
それ、穴山と勝頼の間に隙間風が吹いていたという逸話でしかないじゃないか
穴山がやっていたのは「交渉」でも「取次」でもない
徳川が武田に交渉することなど当時全くないのだから穴山が勝頼に堂々報告できるようなことはないし、穴山がやってることは外交ではない
むしろ徳川と密談していることが勝頼にバレてるのだから武田家特有の相互監視システムが機能しているように見えるね 上杉方視点の論文では武田の取次態勢について、「権威」を一族重臣が引き受け、跡部ら側近衆が「実務」を担当したと指摘されている
取次って肩書だけ考えても意味がないんだわ
基礎知識のなさと思考の浅さが露呈している
軍役についても永禄年間と天正4年前後の2度の画期くらいはさすがに認識してるんだよね?
あと「騎」は5倍としてみてよいという根拠は?
明確な間違い、デマだから
1通たりとも武田の軍役状読んでないばかりか、武田法性院信玄公御代惣人数之事すら目を通してないのがよく分かる >>921
それは次の疑問が出来てしまう。つまり信君が「取次」で無かったのなら何故勝頼は信君を処罰しなかったのか?
勿論、次の回答が導かれるだろう。「それは穴山氏が河内だけでなく駿河まで支配した結果、武田宗家を超えた存在となってしまったから」まぁそうした面もあるかもしれないが。
当たり前だけど取次でも無い者が、しかも当主に無断で他国の者と会談する事は謀反を示唆してる。甲州法度にも違反する行いなので勝頼はただちに信君を確保しないとならない。
それが許された、どころか問題とすらされてないのは信君に外交権があるからだ、というのが一番正しいじゃろう。
つまり信君は今川・徳川取次役をやっていたので引き続き独断で外交をしても問題無かったのだ、と。 所詮勝頼は諏訪から来た中継ぎ程度に見られてたってことかね
穴山は俺が武田氏を守って思ってたみたいだし >>923
>当たり前だけど取次でも無い者が、しかも当主に無断で他国の者と会談する事は謀反を示唆してる。
>それが許された、どころか問題とすらされてないのは信君に外交権があるからだ、というのが一番正しいじゃろう。
いつもの妄想拗らせすぎ
論理が飛躍しすぎ
穴山はまず会談したかも不明
穴山が何て勝頼に答えたかも不明
武田と徳川は断交して久しい時期になんの外交権?
自分に都合いいように妄想しすぎ >>896
隣国って駿河?
遠江の隣国の三河のが石高上でしょ
尾張からは東海道と海運があるんだし >>891
ちなみに川中島の上杉側は冬〜春は雪で閉ざされるという地理的不利を抱えていた
尾張から東海道は雪がほとんど降らないから地理的不利は全くない
逆に信濃と遠江間の水窪あたりは現在でも豪雪地帯だから当時の冬場は小荷駄押しは厳しいだろうね >>925
本来なら「使者が来てた」って噂だけでアウト。何故なら甲州法度で禁止されてるから。それが勝頼書状では問題視すらされてないので前提として信君は外交権を有してる(そうでないなら既に穴山氏は武田宗家を超えた存在だったことになる)
何故信君が徳川との外交権を有してるかっていうのは穴山信君の経歴を見りゃ一目で分かるので置いておく。
ちなみにこの書状は穴山信君が徳川に内通した時期のものなのでまず間違い無く徳川からの誘いの使者なのは間違いない。故に信君は交渉云々の前にこの外交事実を勝頼に伝えてない。 >>928
>本来なら「使者が来てた」って噂だけでアウト。
何妄想拗らせてんだよw
そんな噂だけでアウトにできるなら他国が噂流せば武田家臣は簡単に粛清されるのか?
噂だけでアウトなんて甲州法度も書いてない
>何故信君が徳川との外交権を有してるかっていうのは穴山信君の経歴を見りゃ一目で分かるので置いておく。
置いてかないで
取次=外交権ではありません
取次はあくまで取次
側近と大名が決めたことについて、名前を加えられただけの箔付けのための取次の場合すらある(勝頼の代はそれが多い)
取次については丸島先生の本でも読んで勉強しなさい
勉強不足にも程がある
>ちなみにこの書状は穴山信君が徳川に内通した時期のものなのでまず間違い無く徳川からの誘いの使者なのは間違いない。故に信君は交渉云々の前にこの外交事実を勝頼に伝えてない。
勝頼を見限って裏切ろうとする時期に、徳川からの内通の使者を勝頼に何で穴山自ら正直に伝えるんだよw 多少の妄想を披露するのは構わんが、三点リーダーは毎日大量にだから煙たがられるんだ
その上、明白な間違いや矛盾点を突かれても無視するか同じ妄想をひたすら繰り返すだけで議論どころか会話にもならない ID:O9lDYsuZ
ID間違えてレスして焦ったのか?ウケるw 歴史群像の武田信玄&勝頼の部分の兵法を学ぶどうこうの部分を読んでて思ったんだけど
戦国時代っていうか中世の将って、部隊の種類、編成、行動、装備、補給、運用みたいな、
近代軍隊でいえば士官学校や軍隊内で学ぶような事ってどういう風に覚えてたのかね >>929
勝頼の書状には家康からの使者が「再三」来てるとあるから信君が家康の使者と会ってるのは勝頼にはかなりの確信があったのは確か。
そしてお前さん、丸島センセイを出すのはマズイぞ。
信君が取次だから家康との交渉が不問にされたってのは丸島センセイが言ってる説だからな? >>929
他国が噂流せばって流しようが無くね?
どの大名家も他国人との交流を禁止していてこれは武田も同じ。だから噂を流すって破茶滅茶に難しいぞ。 >>933
武田の話で言うと例えば
越中方面 馬場信春
関東 内藤昌秀
今川徳川 穴山信君
織田 秋山虎繁
が取次を担当する。取次は当主側近を通じて当主に報告する。必ずしも全てのことを武田家当主に報告する義務はない。例外的に後年の内藤昌月は若年だったからか何でもすぐ報告するよう命令されている。
話は戻って穴山が徳川から使者を受けても勝頼に報告しないといけない義務はない。報告しないのはおかしい?おかしくない。重臣達はある程度当主の考えに従って動いてると他国は思って取次を頼んでいるから。当主に上げるまでもない報告は取次で話は止まる。
もちろん、その取捨選択を与えられている取次の権限を巡って揉めることはある。武田に限らず、戦国時代だけじゃなく、江戸時代でもある話だよ。現代でも取引先の社長ではなく、担当部署の課長や部長とかとまず話つけるのが先だろ。それと同じ。 秀吉「宇喜多直家が当方に鞍替えしました!」
信長「俺に報告なしになにやっとんねんお前!宇喜多なんか絶対許さんからな!!」(実際は超厚遇) 穴山信君が取次としての権能を有していてしかも武田を三分する超有力者だった訳だけど、問題は河内からの収益がどうなっていたのか。
河内は穴山領でここは宗家の支配が及ばず穴山氏が支配してる。穴山氏特に信友・信君は河内の山に注目して金山開発や木材業に注力してる。それで信君はかなりの資力を有した訳だけど、そのゼニは勝頼らにどう報告されてたのか。 「武田を三分する超有力者」
はい、妄想始まりました >>927
当時の東海地方は今以上に台風や長雨が多く、今の時期は雪解け水で河川は増水してるんだけどな。
小荷駄隊での輸送が大変なのは岐阜、安土から運ぶ織田方。だからこそ信長は
武田を後回しにしたし、攻めいる際にも兵糧を気にかけてる >>940
災害飢饉年表を見ている。
確かに1560年代から1580年代にかけて東海道筋の駿・遠・参・尾・勢に「大雨」「大風雨」「洪水」の記事が目立つ。
織田徳川にも武田にも影響はあったろう。
軍事行動のみならず生産・流通という国家の根幹にも。 >>940
台風や雨の影響で東山道を進んでた秀忠軍は家康からの伝令が来るのが遅れ、秀忠自身も増水で行軍が 難航しているが、昼夜問わず行軍しても完全に遅参した
一方、東海道を行った家康は雨の影響も受けず、かなりのスピードで清須まで到着して、秀忠遅参の報にガッカリしたという >>938
>武田を三分する超有力者
君の言っているこれが、武田宗家、穴山、小山田の3勢力の事を言っているのだと仮定して話をするけど、
軍鑑とか読むと、穴山と小山田の軍勢動員数は200騎程に思え、
同じく軍鑑とか読むと、武田一族はまず武田信繁と勝頼がそれぞれ200騎を率いていて、
これだけで穴山、小山田に並べてしまうように思う。
他にも、軍鑑には信繁、勝頼程ではなくても、相応の軍勢動員数を持っている幾人もの武田一族の武将が書かれているように思うので、
これらを総合すれば、穴山、小山田は仮に二つが束になったところで、武田宗家が入ってさえない、
武田家親類衆の総合的な軍勢数にも遠く及ばないように思うので、これに武田宗家の軍勢数が合わされば、軍勢比だけで考慮しても、
とても武田宗家と対等とは言えないと思う。
これに武田宗家に従う武田家譜代家臣や重臣の、軍鑑に書かれているように思われる軍勢動員数を合わせれば、
その差は圧倒的で、穴山、小山田が武田宗家と並び立つ存在とは、とても思えないと思う。
少なくとも、軍鑑にある軍勢動員数で考慮すれば、穴山、小山田は有力であっても、
それと同じだけの軍勢動員数を誇る、武田一族の武将(勝頼、信繁)や重臣の武将(真田、木曽)がいて、
それ以上の軍勢動員数を誇る武田家重臣の武将(内藤、山県、香坂、跡部、)がいて、という感じで、
武田の有力家臣に過ぎない様に思われるんだけど、どうなのかな。 NGID:WPKxL2ge
自演も予想されるから連鎖設定推奨。 >>934
横からだけど、どんなもんかな。流言飛語なんて戦国時代じゃありふれてそうに思うけど。
だから、疑心暗鬼から粛清を行う武将がいるんだと思うけど。
交易に来る商人とか旅人から、普通に他国の情報は入ると思うので、噂なんかいくらもあったと思う。
>>944
あいにく、僕は君が言うような事は特にしてないと思うし、>>806にあるような感じで、
ワッチョイスレでは、菅沼認定厨さんがIDコロコロや他人装いをしている可能性が高い事が指摘されてるように思うけど、
それで君がそんな事を書いてもしょうがないと思う。
そもそも、>>805にあるような感じで、菅沼認定されている人々について、
菅沼認定厨さんは明らかに反応や対応が違うと思われる所があるように思うから、
菅沼認定厨さん自身が複数の人々を同じ人認定して菅沼認定をしてる事を、
普通に自覚してるように思われるのに、君がそんな事を書くのはどうかと思う、という事について、
答えて欲しいと思うかな。 >>904 >>899 >>900
>>943にあるような感じで、軍鑑を読むと、穴山、小山田の軍勢数を200騎としても、
それと同じか、それ以上の軍勢動員数を誇る武将達が武田一族や重臣達には幾人もいるように思うので、
穴山、小山田は少なくとも軍事力において、武田一族や重臣達から抜きんでている存在ではないように思われるけど。
>>906
>勝頼と同じだけの兵力
軍鑑で言うなら、三方ケ原での勝頼の軍勢数は千人もいなくて、山県の軍勢は三方ケ原の時には5千人はいたように思われるので、
それって逆に穴山の軍勢数が少ないって話になってしまいそうに思うけど、どうなのかな。
穴山の軍勢数は上記943にも書いたように、軍鑑にある軍勢動員数では勝頼と同じくらいのように思われるので、
妥当な話のようにも思うけど。 >>897
逆に武田は山道移動に慣れている、とも言えそうに思うけど。
織田も武田と戦うのに、濃尾の軍勢だけで戦うとも思いにくいから
それなりの距離のある所から軍勢を招集すれば、その兵糧補給は長期的に厳しい様に思うけど。
>>894
>>943にあるような感じで、むしろ武田宗家に従う武田一族や重臣の軍事力がかなり高いように思われるので、
武田宗家の支配力はかなり高い様に思うけど。
信長公記の佐久間折檻状とか考慮すると、信長は1580年くらいでも家臣達に具体的な軍役の命令が出来てないように思われるので、
軍鑑とか読むと武田は家臣達に軍勢の動員や軍役について、ちゃんと命令をしてるように思われるので、
武田の権力体制と比して、織田の権力体制がそこまで優越してるのか疑問に思うけど。
>>892
織田だって長篠までは複数の包囲網勢力の相手をしながら、武田と優位を持って戦えそうな軍勢の招集が厳しかったように思われるから、
高天神救援や東美濃攻防で武田に戦略的に敗北をしてるんだと思うけど。
織田も複数の方向に敵がいるんだから、いつまでも武田に構っていたいとは思わないと思う。
というか、戦国時代では敵と味方の勢力が軍勢を動員して、しばらく対峙をして、ろくに戦わないでお互い帰る、
なんていう戦いが普通にあるように思うし、武田も普通に上杉との川中島をはじめとして、
幾度もそれをやってるように思うから、それで武田が滅亡するとも思いにくいと思うけど。
むしろ、それを繰り返しているうちに、信長の日本制覇の可能性が薄くなるような気がするんだけど。 >>887 >>890
>>804や>>795にあるような感じで、長篠まではむしろ武田が東において優勢だったんだから、
織田の側からしてみると、まだ北陸一向宗や石山本願寺やらがいる状況で、東において温存した戦力を有する武田がいて、
徳川を蹂躙してるという状況は、かなり厳しい様に思うけど。
徳川が倒された場合、織田はそれ以上の北や西への領土向上は置いといてでも、武田への防ぎを優先せざるを得ないように思うから、
史実とはかなり違う状況になると思う。
長篠においては、上記795にあるような感じで、ただ勝頼が設楽の方に行かないで、
長篠城近辺で地形を活用して守っていれば、それだけで戦略的勝利が可能なように思うので、
やりようはあるように思われるけど、どうなの。 >>870
普通に長篠当時の生き残りとかに話を聞くなり、口伝をもとにするなりして、書きようはあったと思うけど。
当時の時代状況的に。
>>871
軍鑑読むと、武田は織田徳川の軍勢数をむしろ多く見積もってるように思うけど。
信玄は別に畿内の反信長勢力とそんな事になってないように思うけど。
>>885 >>886
>>795にあるような感じで、もともと徳川が反武田運動をしていたのを、武田が織田に抗議したけど、
織田が動いてくれないように思われたから、織田の都合がよくなった時に織田徳川上杉に包囲される可能性を考慮して、
織田の包囲網勢力と同盟して戦う事にしただけに思うけど。
十分に将来の事を考えての事だったように思うし、実際に史実では勝頼は長篠までは信玄の整えた戦略的状況を使い、
東で優勢に戦っているように思うし、長篠だって設楽にわざわざ行かないで守っていれば戦略的勝利は可能だったように思うけど。
普通に勝頼がした事を考慮した方がいい様に思うけど。 輸送コスト云々を言い出したら山道の多い武田が圧倒的に不利だろ。 >>952
そんなことないぞ
うんこまみれによると、信濃から美濃に輸送することなんて
楽勝らしいからな >>952
何度も何度も舟橋を掛けなきゃならない織田の方がコストは高くつくだろ。
戦国時代の東海地方の河川をなめてはいけない >>956
東美濃を長篠まで放置している信長が遠江に行くなんてやるかねえ
1574年のも勝頼から手を出してきたものだし
そもそも武田が独力で掛川を落とせるかどうかが問題じゃないか?
掛川を落とす際に信長も家康も出てこなかったら、1581年の勝頼の立場がそのまま信長と家康になるわけだが そもそも一次資料を見る限りは、信長と勝頼の差は歴然としている
1575年5月20日勝頼書状長坂宛
「信長、家康後詰として出張候といえども、指せる儀無く、対陣に及び候。敵てだての術を失い、一段逼迫のていに候の条、無二に彼の陣に乗りかけ、信長家康両敵ども、このたび、本意を逐ぐべき儀、案の内に候」
同日信長書状細川宛
「去る十七日牛久保という地より人数押し出し候。長篠との間三里余に候。敵の備えは節所たりといえども、十八日、鉄砲放(鉄砲隊)を押し詰め候。通路も合期すべからず候。かえっていけどり候。此の節、根切り眼前に候」
罠に嵌ってる奴と罠に嵌めた奴の差がもろに書状に出てる
勝頼が信長家康を誘き出すような作戦なんか立てられるわけない >>956
>何度も何度も舟橋を掛けなきゃならない
何これ?
高天神城が落ちたのは東海道の河川のためだな 自分が不思議なのは勝頼が書いてる
「信長、家康後詰として出張候といえども、指せる儀無く、対陣に及び候。敵てだての術を失い、一段逼迫のていに候の条」
何これ?
どこをどう見たらこんなこと判断できるのよ
陣城を作っていたのを見てこんな判断したのかな?
勝頼って猪じゃないやっぱり
普通「守りを固めてる=手だてを失ってる」
こんなバカな判断する奴っている?
ましてや勝頼は当時数えで30歳
若いというには少し年だよね?
30歳とは思えない判断してる >>961
それだけ偉そうなこと言うなら一次資料出せよ
一次史料も出さない口だけ野郎は黙ってろ >>962
誰もが知っている史料を貼り付けてどや顔するの草
だいたい、織田方の戦略目標は長篠解放だと勝頼が考えるのは当然のこと
なのに野戦築城して引きこもっていれば「てだての術を失い」と認識しても不思議ではない
きみはバカな判断というが、結果を知っているから言えるだけの短絡的な考え >>962
それと、一次史料と一次資料の違いをお勉強しようね
また、二次史料も取り扱い方次第だと学習しようか
というより、一次史料の意味を理解してますか?
覚えた単語を使いたくなっちゃうやつ? 史料だの何だの読んだ挙句が個人の性格分析(嗤)
猫に小判 豚に真珠 もっと丁寧に書いてあげなよ
勝頼の書状は川を挟んで対陣している時の状況判断
織田徳川軍は援軍に来たのに要害の地にいる武田軍に攻撃する手立てがなく、対陣したまま動かない
武田軍からは織田徳川の陣地や陣城は丘に隠れてよく見えない
それであの内容の書状になっている てだての術を失っていると決めつけた相手に情報不足のまま決戦を挑む勝頼はバカだとは思う
何かしらの有意な情報があったのかもしれんが結果は信長の思うツボだった >>967
だとしたら勝頼は基地外だろうな
よく見えない場所に進出してあんなことしたってことだぞ? >>967
> もっと丁寧に書いてあげなよ
スレ住人はID:kPCNsFwRのパパじゃない
馬鹿は馬鹿と指差して笑うだけ >>970
勝頼のしたことは小学生が考えつくレベルだしな >>966
それだけ偉そうなこというなら、あなたのご教授をお願いしたいねえ
あ、でもこういう偉そうな奴ほど口だけで逃げるんだよな
史料なんかそもそも知らないだろうし >>971
で、お前が出す資料はないの?
口だけ立派さん >>972
いや、今さらな誰でも思う御感想御卓見をしたり顔で書き込む行為に草が生えただけ >>975
必死になりすぎて慌てて誤変換か?
馬鹿に読まれる史料も資料もかわいそう >>976
そういう掲示板じゃん
何回もこの手の話題でループしてるだろうが
次スレでも絶対出てくるから ID:1V0Lrz5c
口だけのゴミは黙ってろよ
口だけ立派 >>979
思考も低劣 人を罵倒する語彙も貧困
おまえみたいなのを 名人の鉋屑 という >>958
それと、どこから引っ張ってきたか知らんが勝頼書状の読み下し、間違ってるぞ
なんか違和感あったから調べたらやっぱりそうだった
読み下し、ね 前提として武田軍は設楽原の現状を確認出来ない。これは地理的な問題と長篠民が敵に回った事が理由。
それでも勝頼は二つ手立てを打ってる。一つは敢えて設楽原に出る事で敵戦力を分断させるというもの。
二つ目が牛窪城への攻撃。一般には知られてないが武田軍はこの時設楽原後方の牛久保に兵を送って攻撃させてる。
つまり武田軍の戦略は鳶ヶ巣山砦を攻撃する為に戦力の減った織田・徳川軍が更に後方を脅かされて混乱する事に乗じようとした。
ところが武田の想定外だった事が幾つかある。まず織田・徳川軍が観測より多かったこと。鳶ヶ巣山砦が「奇襲」され鎧袖一触に落ちたこと。そして牛窪城攻撃隊が長篠民に発見・通報されて途中で迎撃されてしまったこと。つまり打った戦術の全てが裏目を引いた。 >>969
基地外かどうかはともかくとして、充分勝頼は駄目な大将だと評されてるんだから君が改めて烙印を押す必要ないと思う >>982
あーあ、いつもの妄想三点リーダー召還しちゃった
いつもより妄想酷いし 所謂、宝川合戦。三河国軍物語に拾われている話だね。
この時の武田攻撃隊は僅か数百人だったらしいが、武田軍は高天神城を攻撃したときにも岐阜城に数百人を特攻させて時間稼ぎしたっていうから武田軍が二匹目の泥鰌を狙ったとしてもまぁおかしくはないか。 >>950
何の事をいってるのかと思うけど、人のレスに言いたい事があるなら、抽象的に書くのではなくて、
論拠や史実とかを基にして、ちゃんと書いた方がいい様に思うけど。
>>953
誰の事を言ってるのかよくわからないけど、軍鑑や信長公記とかを読めば、
武田の軍勢が勝頼時代に大軍で東美濃を攻めて18諸城を攻略してるのも、
織田側が美濃から信濃を攻めてそのまま武田と戦ってるのも、
ただの史実のように思われるから、できない事は別にないと思うけど。 >>953
>>986にも似た事書いたけど、君は相手をくさそうとしてるように思うけど、
そんな事を書くなら、そうやって抽象的に書くんじゃなくて、
相手の意見にどういう論拠でどう思うのかをちゃんと書いた方がいいと思う。
>>954
どこが?>>949に書いてある事は、基本的に資料や史実を基にしてるように思うけど。
当代記関係については、信長公記や軍鑑だって、原著者がその場にいない事聞いて書いたりしてると思しき所が
いくつもあるように思うから、そんな不可解な話でもないように思うけど。 >>982
武田側の軍鑑とか読むと、武田側は織田徳川勢が大軍である事を把握していて、
重臣達は設楽に移動して決戦する事を反対してるように思うけど。
武田側だって物見を派遣くらいはすると思うし、物見が帰ってこないなら、
相当な防御陣地だと思うと思うけど。
>長篠民が敵に回った
織田側の信長公記にも、武田側の軍鑑にも、徳川側の三河物語にも、
そんな事書いてないように思うけど、それでそんな事を書くのはどうかと思う。
もともと長篠近辺は武田についたり徳川についたりをしてきたんだから、
住民が徳川にそこまでの義理立てをする理由がないと思う。
勝頼が設楽に行かないで、要害の地形を利用して守ってた方が、
よっぽど織田徳川勢は長篠城の救援ができなくて厳しいと思う。
そのまま織田徳川勢が長篠城を救援できないなら、長篠城が降伏でもして、
武田が戦略的勝利をしていただけの話だと思う。
>牛窪城攻撃
これまた武田側の軍鑑、織田側の信長公記、徳川側の三河物語、の全てに記録されてないように思うけど。
個人的には、上記3書に書いてないように思われるので、そもそもあったのか疑問に思うし、
仮にあったとしても、上記3書がいずれも書いてないのだとしたら、それほどの戦いじゃなかった、っていう事に思う。
>>985
>岐阜城に数百人を特攻させて
これ、武田側の軍鑑にも、織田側の信長公記にも、そんな事書いてないように思うけど。
常識的に考えて、そんな事で織田の大軍の足が遅くなるのかという疑問もあるし、
桶狭間では、信長公記を読むと、千秋とかの軍勢が少数で今川勢に攻撃を仕掛けて、
普通に敗北して撃退されてるように思うから、普通に考えたら、武田がそんな事したって、
そんなに織田勢の足は遅くならないように思うけど。 NGID:su/SlMIM
自演も予想されるから連鎖設定推奨。 >>989
また変な事書いているように思えてしまうけど、>>945にも似た事書いたように、
僕は君が言うような事はしてないし、
上記945にもあるように、ワッチョイスレでIDコロコロや他人装いをしている可能性が高いと指摘されているのが、菅沼認定厨さんのように思うのに、
君がそんな事を書いてもしょうがないと思う。 四戦紀聞の参州長篠戦記を読んだが、当代記はじめいろんな史料の佃煮だった
長篠日記読みたい >>994
文献なんぞいくら読んでも何の足しにもなるまい。 甲陽軍鑑ですら文句言うのにそれよりずっと劣るもの取り出して何がしたいのだろうか >>996
たとえば甲乱記だと「揺」や「役所」という武田文書独特の用語が使われていたので、それなりの信憑性があるかなと収穫があった
さすがに元禄成立の参州長篠戦記は古記録のつぎはぎで残念ではあったが、自分の目で読まないと分からないからな
あなたがどういう根拠で「ずっと劣るもの」と評価したのか教えてもらいたいところだ >>998
甲陽軍鑑と甲乱記はまだ武田家臣が関わってる時代に書かれたものだからいいけど江戸時代中期以降のは何の参考にもならんよ >>999
すごいね
読まずにその史料の評価くだせるなんて
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