武田勝頼 part48
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
武田信玄、武田義信、武田勝頼(諏訪)、武田信勝(織田)、黄梅院(北条)、真竜員(木曽)、見性院(穴山)、菊姫(上杉)、松姫(織田)など、武田関係について語って下さい。
なお、このスレにはアンカーレスを多用する荒らしがよく現れますが、無視して下さい。この荒らしはリアル世界に友達がいないため、皆様に相手にしてほしいから全てのレスにコピペ返レスしているのです。少し前の放火事件のように現実世界に迷惑をかける可能性もあるため、皆様寛大な心で受け入れてあげて下さい。
ワッチョイ導入議論スレ
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1644501787/
武田勝頼 part47
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1648298634/ ID:su/SlMIM
スレ立てしてからうめろカス >>1
乙。
前スレ>>998
「揺」は武田独特でも何でもないという事例が散々上がってたろうがよ。
思い込み、否、思い入れで語っても始まんねえよ。
同時代文献でさえ主観や立場による誤謬、偏向、誇張、歪曲、粉飾、隠蔽、嘘偽、捏造から 絶 対 に 遁れられないから留保付きの参考にしかならない。
ましてや後世の編纂物なんぞよっぽど読み方に注意しなきゃ害毒にしかならない。 >>3
さんざん上がってたか?草
「役所」については説明してなかったな
武田黒印状に出てくる表現なんだが、意味は城の番衆の「持ち場」
甲乱記にも同じ意味で出てくるが、あんまり見かけない表現なんだよなあ
官途名が正確という指摘があったし、織田勝長が信房と記されていることは書いた(最近の研究じゃ信房が正確とされてる)
上記などから当時、武田家にいた人間が成立に関わったのは事実だろうと述べたまでで、じゃあ何から何まで信じろ真実だなんて言ってませんよ
どうせあなたは甲乱記を読んでないでしょ?はなから無価値と決めつけてるんでしょ?
捨てたもんじゃないよと
一次史料一次史料と呪文唱えていればよろし >>4
一次だろうが何次だろうが文献史料は信用ならない、と明確に書いたのをこれだけ誤読できるとは、
かなり特殊な国語能力を持っているようだな。 >>5
あ、文献史学を否定する人なのか
なら話が合うはずもないし、史学をかじったこともないということだね
史料の取り扱いの難しさには同意してたんだが、それ飛び越してんな
「歴史」の否定ですらある >>4
細かいことだが保科正俊宛の文書なら黒印状ではなく朱印状だな >>6
文献に記されたものが歴史だと思い込む化石っぷりを嗤う。
そんな歴史観は前世紀末も待たずに終焉している。
歴史とは動物ヒトの実生活の累積のことだ。
それはモノとデータでしか検証できない。
中世史を扱う者たちは玄人も素人もその意識を欠く者が多過ぎる。
同じ歴史の範疇でも、
例えば古代史学者たちは考古学成果やシミュレーションを「主」として、文献については「補」と位置付けて徹底して批判的に読み込む。
文献は信用ならない、まして後世のものは、ということを彼等は知っている。
中世史学者にはその姿勢も試みも乏しい。
文献を物神化して崇め奉る。
だから時折、考古学、気象学、地震学、工学等の分野から「定説」をひっくり返されて見苦しい醜態を晒すことになる。
ヒトは常に間違うし嘘もつくという限界に対する謙虚さが足りないんだよ。 >>7
これは面目ない
その朱印状にちょうど揺も役所も出てくるんだよね
長篠の大敗でびびってめちゃくちゃ細かい指示をだしている好史料 >>9
人質の取扱、地下人の取扱、どの口にどの番衆を配置するか等
信長の侵攻に備えて28ヶ条に渡って細々と指示してる面白い文書だな >>10
武田の動揺がひしひしと伝わるよね
「山小屋」については村の城論なんかもあるが、むしろ武田が率先して避難させてるし「或は通路をさいきるへき時節召出」と使役させる気なのも面白い
あとは敵が来ても迂闊に城から出ずに役所を堅め、「以浮衆可討後事」というのも興味深い
甲陽軍鑑に記されており、さまざまな働きを期待された遊軍「浮勢」が一次史料に記載されている
私は武田の研究に疎いからすでに指摘されてることなんだろうが 一次史料と軍記物語違いが分からないいつもの長文馬鹿 >>11
確かに書状類だと浮勢に関する記述ってあんまり見ないな
記憶にあるのだと時代は下がるが、黒田家文書にある朝鮮出兵の際文禄年間の秀吉書状で見たくらいかな
秀吉書状だと「うき人数」、「うき勢」って表記だったな >>13
すごい史料読みだね、あなた
浮き衆、勢ってのはわりと一般的な表現だったのかな >>14
浮勢の前後の部分だけ抜粋してみたが「うき人数」のすぐ後に「うき勢」と表記を変えて使用してるな
同義だし恐らく深い意味はないんだろうが
・文禄2年2月16日付黒田長政・大友義統宛秀吉書状
「何時も動於有之者、隆景と増田右衛門尉可為留守居候、うき人数無之候てハ不相叶候条、
其外ハ備前宰相を為大将、各うき勢ニ成可有之候、示合何方へ成共可相動事、」
その他に幕末に真田家が編纂した家譜だが参考まで
・一徳斎殿御事蹟稿「浮武者」
・左衛門佐君伝記稿「浮勢」
多少の違いはあれど浮○○って言い方は当時一般的な表現だったんだろうね
面白い話題だったがスレチだしこの辺で >>15
史料的な側面でいえば秀吉も機動的な予備戦力を重視していたわけか
あなたは七将スレでもすぱっと史料だしてくれていた人だと思うので、博識多才ぶりをじゃんじゃん投入してほしい
スレ違いなどといわず
「人数」の意味すら分からないだろうやつしかここにはいないんだけど >>17
こういうやつが出てくると思ってたよ
私は下品だから批判してくれていいが、先方は極めて抑制的な人(と同一人物だろう)
甲陽に出てくる武田軍制に関係する用語の話なのにスレチとまで言って自制している
だから批判はやめてくれ
私が甲陽における浮勢という不確かなものに一次史料の裏付けがあるんじゃないかと書いてもこれだからな
本当に一次史料を君らは読んでるのか?
誰かの受け売りだけだろ
もっといえば二次史料の重要性もなんだけどな >>18
一次史料も二次史料も物証を伴わなければただの紙屑。 前スレでも甲乱記で絶賛しあう臭いのがいたからまあワンパターンよな 四戦紀聞、長篠日記の名を久しぶりに見たわ
史料としての価値が低いのが解らない菅沼しか口にしない物の名を >>21
四戦紀聞に価値がないのは読んで理解した
長篠日記は読めていないので保留
あなたはどちらも通しで読んでいるんだろうから、長篠日記のどこが史料価値を毀損しているのか教えて
説得力のある解説をよろしく〜 「美濃国属勝頼掌握為静謐者」木曽義昌に千貫の土地をやるから戦功に励め
どこまで本気かはともかくこんな威勢のいい約束をしたのが天正二年十二月
一年後には「木曽か伊那に織田の後詰めくるかも怖いよー」と偏執狂的な細かい指示を出す
それが保科宛朱印状
同じ頃の書状には「来年は濃尾と決戦だー」と息巻きながら、内容は追放したやつとかも許してなるべく兵力を集めろー
必死です それだけ長篠のダメージはでかかったんですね
法政大の論文によると、武田の軍役改革は永禄年間と天正四年以降の二回あった
前者は信玄、後者は勝頼
天正四年からのは検地して増えた分を新恩として与えるかわりに軍役を強化した
これも明確に長篠の影響だ
当然負担が増えるわけで逃散や軍役懈怠が頻発
知行の低いものは軍役が軽い一種の累進課税のような形態で不満の解消に努めたが、筆者は滅亡の引き金になったと指摘している
実際に木曽攻めの最中に一揆が起こったりしてる
長々と何がいいたいかというと、長篠後も版図を広げたからダメージ少なかった論者がいるが、そんなことはないと
長篠で負けて滅亡へのカウントダウンはすでに始まっていたんだね 天正五年の武田軍役定書だと「領内の貴賤十五以上六十以下の輩」全員に軍役が課せられてる(以前は知行訳以上の侍衆のみ)
実質的な国家総動員状態な訳でここから更に領土を増やせないとなるともう絶望の真っ只中って感じよな。 永禄12年の武田軍役定書だと
「軍役の補いとして百姓・職人・禰宜、幼若の者を参陣させることは謀逆の基これに過ぎるものはない」とまで言ってるのにな
緊急事態でそんなこと言ってられんてことだろうが厳しいわな ものの見事に未来予知かよ→謀逆の基
甲陽軍鑑でも長篠の損失を埋めるべく侍を辞めて商人や坊主になってた連中を徴用して再編成したっていうからなぁ。
ただ徳川家康からは割と好評価で「流石武田、まさか建て直してくるとは思わなかった」と言ったとか(三河物語だったか)
ただかなり形は悪かったらしく家忠日記によると「農民まで連れてきてなんだかみすぼらしい」感じがしたらしい。それでも五年は耐えた訳だけど耐えただけじゃあな。 >>28
その「謀逆之基」の元書状である朱印状、すでに「烏帽子・笠を除て、惣而乗馬・歩兵共に甲(兜)之事 付、見苦候共、早々支度之事」とか「知行役之鉄砲不足に候、向後用意之事」とか
なんとも貧乏くさい
まあ歩兵装備自体は北条より重装備なんだけど
一方で勝頼は長篠で大敗したあと、「弓うつぼ」が見苦しいから直せとか書状書いてる
うるせーと家臣も思っただろうよ >>26
そうやって、君にとって都合がよくないと思しき論旨を書く人を、
同じ人認定しようとするのはやめた方がいいと思う。
一体誰と誰を同じ人認定しようとしてるのかな、君は。
>>2
前スレの金曜夜から土曜深夜にかけてのレスの事?
僕はその時間帯で5レスもしてないように思うし、僕が書き込みした後も、
10レスくらい残ってたと思うのに、それで君がそんな事を書くのはどうかと思う。
>>12
誰の事言ってるの?なんか変な認定とかしようとしてるように思うけど。
>>17 >>20
少なくとも、僕にはそこで議論しあってる人達は良識的な普通の人々に思えるんだけどなあ。
君にとって都合のよくないと思しき議論とか流れとかを、そうやって同じ人認定使用とするのって、よくないと思うんだけど、どうなの。 >>21
んん?また誰かを菅沼認定してるの?君。
僕は前スレとか読むと、菅沼認定厨さんと思しき人に、菅沼認定を受けたと思われる人間の一人だけど、
その二つについて、前スレも前々スレでも僕は特に言及してないように思うんだけど。
つまり、君の理屈によって、僕は菅沼じゃない、っていう事でいいのかな。
というか、前スレでも前々スレでも、その2書について言及してない人が何人も菅沼認定を受けているように思うけど、
そこら辺は君はどう思ってるのかな、と思うんだけど、どうなの。
ワッチョイスレでは、菅沼認定厨さんと思しき人が、IDコロコロや他人装いをしている可能性が高い事や、
菅沼認定厨さんに特徴の違う複数の人々が菅沼認定をされていると思しき事が指摘されているように思うけど、
それで君は一体誰を菅沼認定しようというのか、答えて欲しいと思うかな。 >>1
誰の事を言ってるのか確定的にはわからないけど、少なくとも僕はコピペなんかまずそんなにしてないと思うし、
僕は書き込みをしてる日数やスレに貼りついている時間が、前スレや前々スレとかを考慮しても、
少なくとも菅沼認定厨さんと思しき人よりは基本的に少ないと思うけど、
それでそんな事を書くのはどうなのかな、と思うし、君が誰の事を言ってるかは確定的にはわからないけど、
上記のようにスレに貼りついている時間や日数が僕よりずっと多いと思しき菅沼認定厨さんに対して、
君のその書いているような理屈だと、色々当てはまってしまう所があるようにも思えてしまうので、
そういう言い方はどうかと思ってしまうんだけど、どうなのかな。 >>30
の
>使用と
は
しようと、の間違いね。おそらく訂正しなくても、大体わかるとは思うけど、わかりやすくする為にも一応訂正しておくかな。 >>29
まぁ、見てくれは大事…大事なんかなぁ。
長篠後に勝頼が玉薬の配備を具体数挙げて命令しているし、もしかしたら兵隊の装備・配給が以前から滞っていたのにも関わらず更に長篠で担当者らが死んだ事で勝頼が厳命する必要があったのかもしれない。
どのみち反撃に転ずる機会が無かった訳だけど… 長篠敗戦後に甲斐武田権力体は物資徴発システムや伝馬他流通システムの直轄化といった類の綜合行政改革に取り組んでいる。
これは遅ればせながら北條今川の国制を模倣して「戦国大名」化を目指したものと位置付けられる(盛本昌広氏等の研究による)。
軍備軍装の直命化、規格化もこの文脈で捉えるべきものだろう。
そう考えると長篠合戦そのものがシステム戦争であって、
「準備や条件整備から含めた綜合事業」(正に「政治の継続」)として推進した織田と旧来の「いくさ」として臨んだ武田との差が必然の結果を生んだ事案と見ることができる。
その結果が戦後の行政改革を促した。
権力構造の進化という観点からは、
譜代の重臣連の消滅=旧来の権益関係の破壊であって武田権力体にとって好機でさえあったろう。
ただ、時間は残っていなかった。 >>35
永禄12年の時点で既に武田はさまざまに軍装とか軍役についての命令をしてると思うんだけど。
軍鑑を読んでも、武田家臣の軍勢動員数が基本的には定められていたように思われる。
むしろ、武田は戦国武将達の中で、法度などの制定をはじめとしての領国統治や、軍役の命令については、意欲的な方だと思う。
織田とか信長公記とか読むと、1580年の佐久間折檻状を考慮するに、
佐久間追放の時点でも、家臣の武将達に信長が具体的な軍役の命令をできていたのか疑問に思うけど。
長篠についても、そんなに織田と武田の圧倒的な差とやらは伺えないように思えるかな。
織田側の信長公記を考慮しても、勝頼がわざわざ設楽にやってこないで、
長篠城周辺の地形を利用して守っていたら、織田徳川勢が長篠城を救援するのは厳しかったように思われるし、武田側の軍鑑を読んでも、幾人もの重臣達が設楽に移動して織田徳川勢と決戦する事に反対していたように思われるので、
勝頼が設楽に移動しなかったら勝敗が違っていたように思われる事から、
長篠の戦いの勝敗を織田と武田の決定的な差を伺わせる材料にするのは厳しい様に思うかな。 >>36
の
>差とやら
は
差、にしておくかな。
なんのかんのと長篠の敗北までは、武田が織田徳川に対して複数の勝利を得ているように思われるので、そこまでの差はないように思うんだよね。
長篠の敗北によって優秀な武将や軍勢を多く倒された事で、質的な差が生じてるように思う。 長篠で織田と武田に決定的な差が無いとか笑えるわ
長篠合戦の主要クラスの死亡者
織田→無し
徳川→松平伊忠
武田→山県昌景・馬場信春・内藤昌豊・武田信実・三枝守友・真田信綱・真田昌輝・横田康景・原盛胤・原昌胤・土屋昌続ほか数大杉 決戦に反対してたはずの武田重臣衆が何故か被害甚大にも関わらず勝頼に撤退の進言をしてない不思議。余りにも不思議過ぎて「信玄恋しさの自殺的特攻」説が長々語られてるほど。
重臣衆が強硬な決戦賛成派だった可能性もあるけどそれよりも織田・徳川の陣地が凄まじく巧妙だった可能性が遥かに高い。何しろ銃眼まで用意してたわけだし。 >>40
いや戦端開いた時点で撤退進言するのは無理では?
追撃されてそれこそ殲滅される 勝ち目は低いと思うけど、まだ何とか勝算があるとするなら、やはり西上作戦の際に撤退せずに
あのまま三河と尾張を攻め続けていたら……織田徳川を倒せていたのだろうか…… >>40
決戦自体に反対で臆病者扱いされて無視されたのに、決戦始まってまた反対なんかできるわけないだろ >>43
反対するのが臆病ととらえるとか
勝頼はやはり脳筋なんだろうなあ……
織田徳川が陣を構築していたのも
手立てを失っていると見ていたわけだし…… でも、10代や20代ならともかく、30にもなってそんな判断下すんだろうか?
30にもなったら血気なんて普通なくならない?
人生を経験してむしろ知的になるような年齢のはずなんだけど なお、親の信玄の30歳前後は上田原と砥石崩れ
40歳前後で第四次川中島 >>41
長篠の合戦は戦国時代でも異常な、武田軍が大量の死者を出しているのに織田・徳川軍は無傷というワンサイドゲームになってる。信長公記でも鉄砲射撃によって武田軍は「無人の如く」成り果ててる。
武田軍が決戦をしたのも「野戦に持ち込めばお互いに死者が出る」からだろう。例えば川中島の様に。ところが全く違う異常な流れになった。つまり前提が崩れた訳でそれが分かった時点で指揮官は撤退の進言する。臆病者と呼ばれたくないとかいう見栄があったならそれが武田を滅ぼしたと言っても過言ではない。 勝頼本陣からでも自軍の苦戦は充分見ることはできる
決戦が始まった後も意固地になって撤退しなかったのは容易に想像できる
まあ撤退自体、後方の砦は落とされてるから困難で死中に活を求めたのかもしれない 武田勝頼は猛将だからマリウポリもすぐ陥落して上洛しちゃうよ♪ 長篠の合戦を再現したところ、武田軍拠点からは織田・徳川陣が全く見えない。なんと柵しか見えんかったらしい。
勝頼が本陣を置いた赤ハゲからも観測はできない。徳川陣は見えたようだが…
それでどうも武田軍は戦況を把握出来なかった可能性が高いんだと。故に重臣衆も誰も被害を把握できず寧ろ戦況を把握しようとして織田・徳川陣に突っ込んで死ぬハメになったと。 信長は戦況を確実に把握しようと本陣を移したのに勝頼は見えないところで放置してたのか
ますます馬鹿だな というか信長は最初から長篠の地形を熟知してる。多分家康が教えたんだろうけど。その証拠に信長は極楽寺に最初陣を置いていたけどここからは連吾川西つまり織田・徳川陣が一望できる最高のスポット。何も知らず偶然って筈が無いから明らかに狙い通り。そこで陣地形成の指揮をしてた。
本番になると家康のいるところに来た訳だけどこれが前線指揮の為なのか、憎き武田を根切りにする場面を最高の席で観たかったのかは謎。 信長はいつも地形を入念に下調べしてたらしいから
その薫陶を受けた信忠も武田攻めの指揮をする前から高遠城攻めを意識した軍事演習を行っている 連合と武田とでは地の国力が違い過ぎて一戦一戦の重みが違いすぎるんだわ もし信長があんな作戦を立てずに、野戦でまともに織田徳川連合と武田軍がぶつかっていたら、
連合軍は大敗していたんだろうか
1万3000に3万3000が大敗するとしたら、連合軍の兵士の質は相当低いって話になるけど 2500の兵に7000連れて負けたりする人もいるから戦術次第だろう。でも一つ言えるのは事実ほどのワンサイドゲームには絶対ならなかったはず。 偽書説もある理慶尼の記を読んだが、「御内の人の変らずば、仮令(たとえ)、天下勢来るとも、五年・十年の其内は、斯かる程にはましまさじ」と指摘しているね
冒頭で木曽の裏切りに触れ、途中からは小山田の策謀メイン
跡部とか側近は言及されていない
逃避行中の柏尾で理慶尼自身が一泊同泊したからだろうが
武田滅亡の原因というか感想は当事者でも人それぞれ >>58
と、菅沼氏が意味不明のことを口走っており…… >>58
と、菅沼氏が意味不明のことを口走っており…… >>60
くだらな
すぐ透視して
そういうとこだよ
年齢によって知的さが増すなら君は3歳くらいか?
なら仕方ない
おままごとを続けなさい 妙法寺年録(勝山記)も読んでみた
弘治年間から引用
弘治二年、物の売値は安いが銭不足で困る
三年、十二月に日照りで芋がことごとく焼けて枯れた 冬は暖かくてみな餓えること限りなし
永禄元年、一月に雪解け水があふれて田地家村を流した 四月に大氷が降って夕顔、ナス、麻、稗、とくに鶯菜の苗がことごとく折れた 大麦は収量半分、
二年、十二月に大雨が降って雪が溶け、法ケ堂が流れた 在家も中村がことごとく流れた
三年、二月に大雪が降って鹿や鳥が死んだ 六月から十月まで雨が降り続いた そのため耕作がなにもできなかった 前年から疫病が流行って多く死んだ 疫病は翌年まで続いて村落がすかすかになった
四年、一月二月と大雪が降って薪が不足すること限りがなかった 大麦小麦の収量は半分だったが値段は安かった
それ以前も飢饉の報告ばかり
信玄時代からこうなんだから、勝頼期に負担を増やせばどうなるかは分かるもの
甲乱記だと、よそから分取りして甲州は冨貴になったが、周辺諸国に迷惑をかけたバチで滅んだか、なんて記載もある 信玄が拡張路線をとらざるを得なかった事情もあるわけだ
バカはすぐ「信玄も勝頼もバカ」とか史料も読まずにわめくがね
誰それは強い弱い、この戦術はバカ、あそこは何万の兵に何万石だ
そんなゲーム感覚でしたり顔してるのばっかりだな、ここは
それでも長篠での勝頼の判断はありえないのが草ではある >>53
そしてこういう怪しいやつも現れる
根拠示そうね >>38
誰の事?
>>39
だからさ、それって勝頼がわざわざ設楽に移動して、無理に陣地を大軍で守ってる織田徳川に攻撃を仕掛けて敗北したから、に思うけど。
>>36にも似た事書いたように、信長公記とかを読んでも、武田勢が設楽に移動しないで、長篠城周辺の地形を利用して守っていたなら、織田徳川勢が勝利するのは厳しかったと織田側も思ってたように思えるので、地形を利用して守る武田勢に無理に攻撃を仕掛けていれば、織田徳川勢が被害を出して敗北していただけに思うんだけど。
つまり、織田徳川勢が陣地を大軍で守っている所に攻撃を仕掛ければ、武田勢が敗北し、武田勢が地形を利用して守っている所に織田徳川勢が攻撃を仕掛ければ、織田徳川勢が敗北していただけの話で、総帥の判断次第で勝敗は普通に変わっていたように思うので、そこから本質的に圧倒的な差があったという事にするのは厳しい様に思うけど、どうなの。
>>42
上記のような感じで、長篠は総帥の判断次第でいくらでも勝敗は変わったように思うけど。
>>40
軍鑑読むと、反対派の重臣達は設楽に行く前に反対してるように思うけど、
既に設楽に移動してしまって決戦も始まってる状況で、撤退を進言したって、
追撃を受けるだけなんじゃ。
途中から鳶ケ巣砦が攻略された事もおそらく伝わってたと思うし、
なおさら退けなかっただけじゃ。 >>63
「このスレは初めてか?力抜けよ。」
無駄だよ。
例の長文コピペ荒らしは論外として、
それ以外の住人も過半数は史料云々以前に知ってなきゃいけない基礎知識が無い−−
どころか、それを知ってなきゃいけないということさえ知らない。
そういうスレッドだ、此処は。 >>62
甲州攻めで春なのに織田軍に凍死者がでるとか今では考えられないよなあ >>66
また変な事書いているように思うけど、僕は別にコピペなんかしてない事が多いと思うし、
そんな事を書くなら、一体僕が何をどうわかってないと思うのか、
ちゃんと書いてもらえないかな。
そうしないと、議論のしようがないと思うんだけど。 >>61
と、菅沼氏が意味不明なことを口走っており…… >>46
上田原は軍鑑読むと板垣の行動が原因のように思うし、
砥石は普通に城攻めして攻略できずに撤退する所を追撃受けて損害、という
多くの戦国武将が当たり前に経験してる敗北パターンに思うので、
これを特別なように言うのはどうかと思う。
信長だって信長公記読むと同じような感じで1571年の伊勢長島、1573年の第二次伊勢長島で敗北してるように思うので、
どっちも敗北年齢は30代後半に思うけど。
第4次川中島については、当時の状況からすれば、どっちも戦わないと行けなかっただけに思うし、
信長とか敗北数や損害を受けた戦いは信玄時代の武田よりずっと多いように思うし、
1575年の第三次伊勢長島とか勝利はしたけど、数多くの一門衆が倒されてるように思うのに
そんな事を書くのはどうかと思う。
>>47
>>65に書いたような感じだと思う。
>>50 >>52
軍鑑読んでも、信長公記読んでも、武田勢が織田徳川勢の陣地に何度も攻撃を仕掛けて、
撃退されているように思うので、普通はそれだけ攻めて撃退されて、を繰り返してれば、
織田徳川の陣地の様子は大体わかってくるだろうから、わかってないという方が不可解な話に思うけど、どうなの。
軍鑑では、山県勢は柵の位置とかを把握して、迂回して戦おうとしてるように思うけど、
これだと普通に陣地の様子とかわかってるんじゃないかと思うけど、どうなの。 >>66
長文荒らしは文体が独特ですぐあぼーんしてたが、今回の件では見てたらわりと普通の論を語ってるぞ
全レスするから気持ち悪いけどな
あれは論よりやり方で遠ざけられるパターン
そいつをここはバカにするが、はっきり言ってここは幼稚なのしかいない
史料読めとしか思えないね
こういうこと書くと、どうせ私も長文菅沼認定されるだろ
お好きにどうぞ、史料読めない人たちは >>70
こういう、どうしようもないのが出てくるんだよ
こいつが三点リーダーと同じやつかは分からないが、中身がなにもない
史料のひとつも示さない
価値がない >>69 >>59 >>60
君にとってはその人が菅沼なの?僕も>>31にあるような感じで、
前スレとかで菅沼認定厨さんと思しき人に菅沼認定をされた事がある一人に思うんだけど、
君にとってはその人が菅沼なのかな。
>>70
君の部屋の換気をしたらいいんじゃないかな、と思う。 だから史料以前の話。
甲斐武田は地域の統治権力体。
そして戦争と飢饉の恒常的循環連鎖を前提に形成された権力=「戦国大名」という特異性を持つ。
で、此処はそれを語るスレッドだ。
だったら最低限、
権力、統治、戦争(暴力)とは何か、
それは如何なる構造であり運動であるのか、
という基礎知識が無きゃ本来は話にならない。
もっと重要なのはそれを絶対的に規定する地理水文、気候風土、生物、地質、地殻変動等々、
更にはそれを理解する為の理学、工学の知見も付焼刃ぐらいは備えてなきゃならない筈。
それ無しに文献史料なんぞ読んだ所で無駄どころか有害なだけだ。
しかし住人の多数はその意識さえない。
と、そういう話をしている。 >>54 >>55
>>65にあるような感じで、ただ単に、長篠では大軍で設楽の陣地を守ってる織田徳川勢を、
武田勢が設楽に移動して攻撃すれば武田勢が敗北し、逆に長篠城周辺の地形を利用して武田勢が守っているのを、
織田徳川勢が無理に攻めれば織田徳川勢が敗北してただけに思うので、どっちかが相手の有利な防御態勢に攻撃を仕掛ければ敗北していただけの話だと思うけど。
>>56
長篠については、上記のような感じかと。>>71にも似た事書いたように、
信長の方が信玄よりも敗北や損害を出した戦いの数は多い様に思うし、信長公記や軍鑑とか読んでも、
信長の方が信玄よりも寡兵や格下の相手に苦戦や敗北をした回数も多い様に思うんだけど、どうなの。 >>75
そうだけども、君は読んだの?
自分の目で読まないと
ここの幼稚なのと同じでしょう
史料なんか出そうね >>67
当時は小氷期だからな。
また濃尾兵は山間部に慣れてないってのもあるし過酷な山越えで
低血糖症(昔で言う餓鬼憑き)も凍死の要因となったのだろう >>76
全レスは、思うけど、じゃなく史料を示せ
くそみたいな感想はいりません >>75
君のご高説については、>>36 >>37にも書いたような感じで、
資料などを基にして考慮しても、史実的に少々違うんじゃないかと思う所があるように思うので、
そこら辺を考慮した方がいい様に思うけど。
君は数々の知識を前提としたい様に思うけど、君がそのように書きたいなら、
資料とかを基にして、史実的な事を考慮した方がいい様に思うのだけど、どうなのかな。 >>79
んー?>>76に書いてある事の、長篠についての資料的な論拠なら、
上記76に>>65のレスについて触れられているように思うけど、
その上記65において、信長公記が提示されていて、
その上記65において、>>36のレスについて触れられているように思うけど、
その上記36において、軍鑑とか信長公記を基にして語っている事がわかるように思うけど、
それでそんな風に書かれても、困惑してしまうかな、と思うかな。 >>77
ああ、お前さんも文献史料崇拝者だったか。
俺の立場は前に書いた。
「物証またはデータの伴わない文献記事は信ずるに足りない。従ってそれを論拠に何事をも語ることはできない。」
それが全て。 >>82
横からだけど、君の>>35のレスって
君が今そのレスで書いているような事を前提にしてるの?
僕の>>36 >>37 >>80にあるような感じでちと個人的には疑問に思うんだけど。 >>77
俺からも質問させてくれ。
お前さんは文献史料に関して博覧を誇るが、
その豊富な知識を綜合すると武田権力体の構造に最も顕著な特異性は何だ?
そしてそれは何によって規定された?
その原因と結果を結ぶ論理は?
宜しく頼む。 >>82
私はあくまで文献史学の徒である
君の述べるところも理解しないではないが、あくまで史料ありきだ
まず史料ありき
当たり前だろ >>84
君がみたいに史料の根拠もなしに勝った方は新しい優れた構造を持ち、負けた方がそうでなかったという論に飛びつきたがるのは悪いけど頭悪いようにしか見えないな >>85
これも前に書いた。
木材から仏像を彫るのに、鼻の形や衣紋から彫り始める馬鹿はいない。
先ず包絡線、
それから大まかな外形、
…、
と手順を進めて、ディテールに取り掛かるのは最後に近い工程だ。
普遍的な概論に拠って全体像を描くことを抜きにして文献史料の逐語解釈に拘るのは鼻から彫るような行為だろう。
またディテールについて「このカタチが美しい」という思いがあったとしてもそれが物理法則に反するものなら否定されざるを得ない。
いくら一次史料に詳しく書いてあっても「それが 物 理 的 に 可能か?」という批判的検証は為されなければならないし、
その要件や判定基準は文献と無関係な所から行われなければならない。 その普遍的な概論やら全体像を妄想からスタートするから叩かれるんだぞ
君の史料に基づかない独りよがりな概論と全体像なんか読むに値しません >>75
>だから史料以前の話。
>
>甲斐武田は地域の統治権力体。
意味不明。漠然とした定義の単語を並べてるだけ。書いてる中身ゼロ。
>そして戦争と飢饉の恒常的循環連鎖を前提に形成された権力=「戦国大名」という特異性を持つ。
持たない。持つなら何故持つと考えてるのかまずそこから書くべき。
>で、此処はそれを語るスレッドだ。
勝手に仕切るな。 >>89->>90
話にならない。
この連投レスから解ることは、
お前さんが体系的/解析的な思考能力を有していない、それだけだな。 長篠の後の勝頼の細かい命令だの賦役だのは改革でも何でもないんだわ。基本的に信玄の時代にもやっていたことをより細かく、厳しくした内容のものでしかない。これはこれで権力が強まったと言えないこともないが、口悪くいってしまえばただの増税。
あくまで信虎の時代から進んでいる中央集権化の流れの一環として見るべきもの。重商主義や鉄砲重視も同様。
武田は信虎の時代に戦国大名化して郡内含む甲斐全体に棟別銭を課した。国家権力とは徴税権が重要だからこれだけでも相当な権力。信玄の時代も国人を血生臭く粛清して中央集権化を図っている。重臣の家の顔触れ、信玄家督相続時と勝頼家督相続時でガラッと変わってるのもそういうこと。君の書いてる旧来の行政改革だの旧来の権益関係って具体的に何?としか思わない。何が体系的、解析的だよ。偉そうなこと書いてるわりに具体的な説明無しに勝手な前提ありきじゃないか。武田は何が遅れていたのか?主張があるなら史料の根拠とともに具体的に書けばいいじゃないか。 長篠以後に武田を建て直すってどう考えても不可能じゃないか?
年寄衆だけじゃなく、これからの若者までみんな失ってるし
負けたのを理由に織田に降伏とかできなかったのか
家を遺すことを優先して >>95
和睦は相手してもらえなかった
降伏はどうだろうね? 長篠で一万人死んだと言ってもまだ本国に上杉への備えで置いていた兵隊もいるし完全に終わっては無かったのと、
ここで降伏すると織田の盟友である徳川にも完全降伏を余儀なくされてその徳川には旧駿河国主の今川氏真がいるから「駿河を明け渡せ」って要求が来ることは目に見えてる。
ところがこれは一門衆・穴山信君の権益を大きく害するので受け入れられない。つまり降伏は不可能で負ける時は全滅するしか無かった。 >>97
兵の問題だけじゃない
幹部を失いすぎてる
孫子も「三軍は得やすく、一将は得難し」と言ってる
長篠で100人以上の大小幹部が死んで、その代わりなんかいるの? ノモンハンの戦いで士官大量に死んで興ざめてるからな日本陸軍
士官の育成には士官学校卒業して実際に経験で5年はかかる
太平洋戦争終わるわ
兵の補充は簡単にできるけど部隊指揮官が実戦経験無いばかりはどう考えてもやばい
ただの足軽なら自分だけ考えてればいいけど部隊指揮したことない人間が突然明日からお前100人部隊ななんて言われて務まるとは思えん
武田氏滅亡にも兵は短期間で15000揃ったが鎧さえ来てない兵が多く子供のような年頃が戦死した人間のあと継いでる
よし明日あの城攻めるぞと言われて
実戦経験ない人間が攻城戦できると思う?
いきなり敵と遭遇。落ち着いて指揮できるとも思えん 家を残すならどんな条件でもいいからやはり臣従するしかなかったんじゃないのか
長篠以後なら
もっとも、そんな外交を担える人材が武田家にいたならの話だけどさ 長篠後、北条相手に優位に立っていたしある程度は立ち直っていたのも事実。
高天神城の完全放棄、御館の乱では影虎支持、新府城は建造しない等
やりようによっては天正地震まで持ち堪えられ和睦出来たかもしれない。 こういうことがあったかもしれない→だから算段に入れたかもしれない→だから勝頼は評価されるべきだ→よってそれよりすごい信玄は最強 >>101
北条相手に優勢といっても、あれは上野戦線の話で
相模伊豆戦線は一進一退あるいは互角じゃないか?
そもそも北条が弱すぎる
徳川は武田を押していたし 岩村城、二俣城は長篠敗戦の年に落城しているのに
高天神城は長篠敗戦から6年耐えてるのに簡単に放棄できるかっての
勝頼が高天神城放棄指示だした時は完全に包囲されてる時だからな まぁそもそも信玄の見込みが甘過ぎた事が武田の滅亡を招いてるからね、信玄が悪く言われるのも道理よ。織田・徳川同盟がどれほど堅い、難易度の高い敵かわかってなかった。
これを解決しようとしたら長篠の合戦だったのもまたね…勝頼にゃどうしようもできん。
上級将官の損失も確かに痛いんだけど具体的にどう痛かったのか説明できん。新規に取り立てた連中が内通したなら兎も角裏切ったのは木曾義昌に穴山信君(と小山田信茂)っていう昔からある地雷だったし。 裏切って生き残るか武田に殉じて滅亡するかの二択だし
名家が生き残りをかけるなら一択になっちゃう 真田が生き残ったのは運がよかったのか軽視されてたのか昌幸の立ち回りなのか 史料を知らないんだけど昌幸さん北条と交渉してたって聞いたけどマジなんかな。
どのみち新府から山踏み分けて…ってのは難しかったろうけど >>109
無理なのか?
新暦で4月だし、山の中まで織田徳川が追えるとは思えんが >>83
うっせーんだよ長文野郎
てめえは信濃から美濃に侵攻するとか
岐阜城の近くに一向一揆が迫ってて落城寸前だったとか
妄想をブログに書いてたらいいんだよ、タコ >>110
後一ヶ月後ならまだそれなりに問題無かったかもしれないけど四月だと山は雪が残ってる危険性があるからね。前さんざん「織田に凍死者がー」って入ってる人が居たけどそれが事実なら女子供連れてる勝頼に北上は選べなかったろう。どちらかと言えば南に逃げたいのは心情として理解出来る。
それに勝頼は3/3の時点で腹心の武田信豊を小諸に逃げるよう指示して信豊は北に向かっていた(上杉領まで逃げるつもりだったのかもしれない)こうしておけば織田・徳川の追跡がどっちか片方に向けば片方が逃げられると読んだんだろう。と、なると尚のこと北には逃げられんかったはず。 >>112
そういえば信豊は最後は小諸城で殺されていたね
没日は確か3月16日
3月3日に勝頼と別れてから2週間も何やってたんだ信豊
逃げるなりなんなり行動できないのか >>92
私は文献史学を尊重する立場だが、武田を体系的に学んだものではない
ただ、新たに史料や論文を読むに、この人の一連の考えに全面的に同意する
貫高制自体に信玄、勝頼期の変更はなく、より搾り取ろうとしただけ
軍制も軍役状読むかぎり、「鉄砲の玉薬は300持ってこい」くらいの変更しかない
ただ一つ言えるのは、勝頼は勝頼なりに脱皮はしようとしていたということ
信虎信玄の育てた甲府を捨て、韮崎に新府を開こうとした
ここは純軍事的な視点より、勝頼による新たな権力創出、大袈裟にいえば国産みの意図があっただろう
結果だけをみれば失敗だけんども
新府って名称に表れてるものを考えるのは無駄な行いではなかろう
ここだと堀がどうのしか出ない愚劣さだが
武田城郭の集大成としての新府城を語るならともかく >>113
小諸城にいることにしたんだろ
なに言ってんだコイツ 信豊は逃げたんじゃなくて、姻戚関係のある上野小幡を頼って援軍を集めに小諸城に向かったんだよ
これ、甲乱記にしかない記述なんだが妥当だろう
史実は小幡も内藤も真田も寝返ってたから、おそらく信豊は小諸城から動けなくなった >>112
織田に凍死者が出たのは大本営の公記に記載があるから事実とみてよい
武田攻略の終わった三月二十四日、兵糧困ってるだろと扶持米を着到つけて(織田は着到とかは普段つけないゆるゆる)人数によって配る
んで二十八日、諏訪で「今日以の外時雨、風ありて、寒じたること事大形ならず。人余多(あまた)寒死候き」
これ読めば織田の兵站がどうのより、記録的な寒さだっただけだと分かるし、織田主力は食料にこまってなかったわけだ
信長は再三、信忠に深追いするな俺を待てと言っていたことを忘れるな
しかも武田攻略終わった後だからな
付記するが、その公記では「近年武田四郎新儀の課役等申付け、新関を居(すえ)、民百姓の悩尽期なく、重罪をば賄(賄賂)を取りて用捨せしめ」以下略
想像をたくましくするのも結構だが、少しは史料を読んだらどうですかね >>109
3月12日付真田宛北条氏邦書状がある
昌幸はこれ以前に2度北条方の長尾憲景に書状を送ってることが書中から分かりそれに対する氏邦の返信
氏邦は昌幸の2通の書状の内容に対して尤だと同意し、箕輪の内藤や和田もこちらについたから昌幸も氏直に忠信を示すのは今この時だと述べてる 信長公記や甲乱記だと信豊が着くやいなやすぐ殺された、みたいな感じも受けるから考えてなかったけど確かに2週間も信豊は何してたんだろう?とは思った。
現代だと新府から小諸は16時間で着くけど戦国時代の逃走劇だから3-4日掛かったかもしれない。それで10日。
信長公記にしろ甲乱記にしろ二の丸までには入ってる。上で言われてる通り、小諸城主下曾根は裏切りを決意してたから上手いこと言いくるめられて二の丸に押し込められ、下曾根の本意を知った時には今すぐ死ぬか後から死ぬかの窮地だったんだろう。とすると無茶苦茶切ない終わり方だな… >>112
ま、これは史料の取り扱いの問題になるが
甲乱記だと信豊は勝頼に何度も説得されて、北信と西上野の衆を束ねて後詰めしてくれとある
史料は無駄とかいう前後取り違えたアホでないなら、まず史料を読もう
理慶尼記だと、新府捨てたのは夫人のためとなっとる >>119
甲乱記読んでないだろ
読んでたらそんな認識にならん
もちろん、甲乱記が史実と言っているわけではないぞ
読めよバーカ >>110
日本三大峠の雁坂峠行くのか?
当時より暖かい現代の4月でも残雪あるぞ
馬やまともな準備もできなくて徒歩裸足で足を紅くして逃げ出したと書いてあるように、そんな状態の親族の女子供たくさん引き連れて日本三大峠行くのか? 佐久甲州街道でしょ
信豊もおそらくこの道で新府から小諸に逃れた 勝頼の選択肢は小諸城(か岩櫃城)か岩殿城。それで勝頼は最後家中を二つに分けてせめて武田宗家存続を図った。で問題はどっちの方が生き残れそうか、なんだが。
岩殿城は確かに普請番も送り込んでいたとはいえここは一門衆小山田氏の勢力下だし後ろが北条領で後がない。対して小諸城は城主が信豊と縁者で近くには真田もいるし地図上とはいえ北の上杉は武田と同盟関係にある。それで勝頼としては生き残れそうな方を信豊に残したんだろうが…これ逆だったとしても駄目だった気がする >>84
昨日は眠くて適当に書いたけど
武田は基本的に貧しいんだな、金こそあれど
信濃も貧しいから手を出した
この二国から手を出して分取りで儲けた
それが当事者の認識なんだね
史料読む限りはそう >>125
なぜその二択なのか
新府は万全ではなくとも
というより、なぜ新府を開いたかというところに話題が広がらないのが謎よな
まあ、幼稚 一応聞いておこう
勝頼が新府を開いた意味
なぜだと思う? 対徳川と対北条のため。
甲斐だと徳川軍も北条領を通過して直ぐに本拠地に来られるからな >>94
そうやって抽象的に書くんじゃなくて、君がどこをどうそう思って、
何を主張したいのか、をちゃんと書いた方がいいと思う。
>>111
何を言ってるのかと思うけど、軍鑑や信長公記を読むと、
信濃から美濃への軍勢の侵攻は、勝頼が1574年に行って、
東美濃の城を攻略してるように思うし、
1582年には美濃から信濃への侵攻を織田が行ってるように思うから、
出来ない理由がないように思うんだけど、
なんで君はそんな事書いてるのかな。
>落城寸前
こんな事誰も言ってないんじゃないのかな。信長公記を読むと、伊勢長島が北伊勢の豪族達を従えて、
美濃近くまで領域にしてたように思うから、織田にとって脅威だったのは事実なんじゃないかと思うけど、どうなの。
だからこそ、信長も第二次伊勢長島を行って、伊勢長島に従う北伊勢豪族達を倒してるんだと思うけど。
まだ第二次伊勢長島が行われておらず、伊勢長島が北伊勢豪族達を従えて、美濃近くまで領域を持っている状況で、
武田が朝倉浅井や本願寺、足利、三好勢力、伊勢長島、と連携をして美濃に攻めてきたら、
織田は相当厳しい状況に思えるし、美濃を確保するか、畿内を確保するか、の選択を迫られるように思うかな。
おそらくは美濃の確保を織田は優先するんじゃないかと思うけど、そうすれば信長の畿内においての政権は終了し、
その後で信長が畿内勢力や武田との和睦に仮に成功したとしても、その後は天下の統一にはおそらく至らず、
大内の畿内遠征みたいな扱いになってたんじゃないかな。 >>97
>徳川にも完全降伏
別に仮に織田に武田が降伏したとしても(当時の状況的にまずありえないと思うけど、)
徳川にそうするかはまったく異なる問題だと思う。
力関係から言っても、徳川が武田にそこまで強硬な要求をできるかは疑問だと思うし、
織田だって徳川がそんな要求をするのを認めるとは思えないんだけど。
豊臣政権だって、豊臣政権の意向を無視して、参加武将が降伏した勢力に勝手に要求を突きつけたり、領土を要求したりする事を、
認めたりしてなかったように思うんだけど、どうなの。
>>100
長篠で敗北したばかりの状況だと、まだ本願寺もいるし、北陸一向宗も存在していたし、
その後で上杉や毛利の参戦もあるし、荒木の離反もあるし、という感じで、
織田が勢力的に盤石そうな状況になるには、まだいくつもの事を越えていかないといけない状況で、
武田が織田に臣従する理由がないように思うけど。
それらすべてを打破して織田が圧倒的勢力になるのを、長篠で敗北した直後に全て予想して、
織田に臣従を申し出る、なんていう事を勝頼がしようとしたら、それこそ家臣達から長篠の敗北の影響で乱心したと思われて
離反が続出するだけに思うんだけど、どうなの。
>>104
北条が敵にならずに、徳川単独が相手なら、軍鑑を読むと、黄瀬川の戦いで迫ってくる勝頼相手に
徳川が撤退してるように思うので、いい勝負が可能なんじゃないかと思うけど。 どのみち岩殿も小諸も武田を裏切る訳で仮に逆でも死が確定っていう詰みっぷりがなぁ。一緒に居ても信豊は二十騎とかだから死者が百人くらい増えるだけ…か。
もしかしたら信茂の脱走を阻めたかも、って可能性はあるけど… 織田に臣従すればいい?
ウクライナにも同じこと言える? >>106
そんな事ないと思うけど。信玄にしてみれば、徳川の反武田運動を、織田に抗議をしても、
織田がそれを放置してたように思われたから、反織田勢力と同盟をして、織田徳川と戦う事にしただけだと思う。
実際に史実でその戦略は長篠まではうまくいってたように思われ、信玄西上から長篠までの数年間において、
武田は織田徳川相手に複数の勝利を得て、領土も得ているように思われる。
勝頼自身だってその信玄が整えた戦略的状況の恩恵を受けて、長篠までは東美濃攻防や高天神の戦いとかで勝利を得てるように思われるのに、
それでそんな事を書くのはどうかと思う。
長篠については、>>36 >>37にあるような感じで、信長公記を読めば、
勝頼が設楽に移動しないで、長篠城周辺の地形を利用して、守っていれば、
織田徳川相手に戦略的勝利を得るのは十分可能だったように思われるし、
武田側の軍鑑でも、何人もの重臣達が設楽に移動して決戦する事を反対してたように思われるのに、
そんな事を書くのはどうかと思う。
長篠の敗北の影響については、それまでの戦いでは、徳川相手に優勢に戦えていたように思われるのに、
長篠で敗北した後は軍鑑とかを読んでも、徳川側が攻勢に出てるように思われ、
勝頼はそれに対し、なんとかかき集めた質の低い軍勢で対応してるように思われる事、
等を考慮すれば、普通に影響があったように思うけど。 >>133
甲斐源氏の総領が信濃に逃げる選択なんてないでしょうよ
理慶尼記を読むと奥さんのことを思って(小山田の策謀で)新府から落ちている
尼記は理慶尼に仮託した史料とされてはいるが、一部の史実はあると思うぞ
小山田については、人質の小山田の母親がいつの間にかいなくなっていたのが甲乱記、小山田が嘘こいて先に引き取ったのが理慶尼記
どっちが真実かは知らんが、新府にとどまるか岩殿方面に逃げるかの選択肢しかない
長坂、跡部が織田に金子もらって裏切りし、なにもない新府に勝頼を移したなんて記録もあるが、時系列めちゃくちゃでまったく信じられないw 誰が強い弱いとかの幼稚な話はもうたくさんですよ
勝頼は信虎晴信の路線を継承というか、諸事情により、もっと搾り取ろうとしていた
ここまでは共通認識でいいかい?
でだ、勝頼は旧府を捨てて新府を建てようとした
この意味こそ語られる、それこそ妄想でもいいんだが、話題になるべきじゃないかね 個人的には勝頼の焦りなんだろうといまのところは思っているが
所見を待つ 個人の妄想もいいけど、基本的には史料ベースで頼むね >>137
新府城を築いた理由は、勿論一つじゃないだろうが軍事目的がほとんど
信玄時代からの脱却なんてカッコいいもんじゃなくて小田原城、春日山城、浜松城が羨ましくて防衛戦の準備という動機が大 >>140
はあ、根拠は?
こういうのいらない
新府を開いたところは史料に薄いところだから、そういうの語りたいとこなのに >>137
新府築城の意味については、資料を基にして考慮するなら、
軍鑑を読むと、穴山が勝頼に意見をして、織田徳川北条が連合して武田と戦っていて、
戦況も厳しくて、上杉と同盟しても、景勝じゃ当てにならないので、甲斐に優れた城を作った方がいい、
みたいな事を言って、勝頼がそれを承諾しただけに思うけど、どうなの。 武田家としては躑躅ヶ崎館は防衛拠点として心許なかったらしく防衛力の高い拠点の構築には信豊らも賛成していたらしい。
ただ勝頼が純粋に防衛拠点として新府城を作ったとは思えない。というのも勝頼は新府城が未完成の状態で入城してる。城が建前だけで入城すること自体は珍しくはないけど防衛拠点を求めていたならこの動きは矛盾してる。防衛拠点として完成されてたならまだ分かるけど新府城は明らかに防衛拠点としては機能出来ない状態だった。しかもこの時、躑躅ヶ崎館を破却してる。そんな事をする余裕があったとも思えんのだが…(ぶっ壊すのだってカネが必要かだろうに)
だから複合的理由で遷都したとしてもその優先度は軍事的動機<その他の要因、だった可能性がかなり高いんじゃないか? うまくいってたと思うとそんなこと書くのどうかと思うけどの繰り返しのスレ >>145
そうかなあ?そんな風には思えないけど。
少なくとも僕は、自身のレスについては、基本的に歴史的な事や、
資料を基にして書き込みをしてるように思うんだけど、
君はなぜそんな風に書くのかな。 >>144
単に勝頼にしてみれば、未完成であったとしても、
まだ織田徳川北条に新府まで攻め込まれてない状況なら、そこの近くに家臣達と共に居住して、
城の建物が出来上がったら、移住していけばいい、っていう感じだったんじゃ。
少なくとも、軍鑑を読むと、>>143のような感じで、軍事的な理由で新府城は立てられたように思うけど。 軍鑑とかを考慮しないで、地理的に考慮するなら、
単に当時の武田領国の立地から、
躑躅ケ崎館よりも信濃や上野にアクセスしやすそうで、
北条や織田への対応がしやすそう、とか考えられなくもないけど、
>>139の人の言う条件だと、資料に基づいてないからNGとか、
そういう話になってしまうようにも思うので、
順当に資料に基づくなら、軍鑑を基にして、>>143みたいな理由、っていう事になるのかな? 春真っ只中だから元気出てきたのよ
雪解けで活動しだす信玄みたい 笑 春になれば、BBQでDQNの川流れ
手取川で流される信長軍みたい 笑 武田も上杉も信長の子分を倒して勘違いしちゃったのかねえ
織田で真に恐ろしいのは信長信忠が直に率いていた親衛隊だろうに >>152
そうだね
信忠軍の精鋭には河尻と滝川がいる
信長軍の精鋭には明智と羽柴がいる
真に恐ろしい部隊だよ 史料読めないのはまあ仕方ない
しかし、城郭研究は進んで千田さんの一般書くらいは誰でも手に取れるでしょう
拠点を移す意味、考えたことあるかね?
長文全レスはアホだから純軍事的な意味合いしか考えてないようだが
それなら要害山ですむ話だ
まあ一応、史料に基づいているからまだましなんだけども
負担を強いても勝頼は「新府」を開こうとした、この意味を考えたい
信虎信玄を越えたいと思った、ないしは越えないと氏族存続が難しいと思った
こういう高いレベルの話を、史料ベース(足りないとこは想像)でしたいもんだ
想像といっても、あくまで文献史学の土台あってだぞ? >>152
雑誌かなにかで得た知識か?
詳報頼むね、史料つきで >>158
信長の「子分」とはだれか、信長信忠の「親衛隊」とは誰か
明示してもらおうか
それなくて、論は立たないでしょ?
どうせ崩し字も読めないくせに 新府移転については一次史料があちこち豊富に残っているのは、ここにいる人なら知ってるだろうし、目も通してるだろう
そういう前提w
ってことでいいですか?
その上で新府開府という議論をしたいのですが
いやね、誰が強い何万だという幼稚な話をしたいなら去りますけども >>125
http://i.imgur.com/3Vj7MHM.jpg
これ見ると小山田はかなり見逃してやってるよね
勝頼の子供も見逃してる
下曾根は信豊と嫡男、夫人全員逃がさなかったよね?
小山田のがまだ忠誠心残ってたでしょ 歴史しらないのー?
明智は信長と信忠の親衛隊を同時に瞬殺したし、その明智を羽柴が瞬殺したやん
真に恐ろしいのは太閤秀吉だよ >>161
そんな話つまらんからお前がスレ立てしてそっちいけ
それともなに?俺は史料読んでるの自慢したいの?
ここ最近二次史料でドヤ顔してるアホいるけど糞つまんねーから他でやってくれる 長野県内ならどこに潜んでもいい隠れんぼをしたら、逃げきれるよな >>149
>>131にも似た事書いたように、君はそんな事を書くなら、君の主張は何で、
どういう論拠でそう思っていて、その観点から相手の論旨に何を言いたいのか、を
しっかりと書いた方がいい様に思うけど。
>>150
菅沼認定厨さんと思しき人とかは、前スレとか読むと、僕が書き込みしてない期間も、
非常に多くの日数を書き込みしてたように思われるけど、それって何?
一年間数多くの日数や時間に貼りついている、っていう事のようにも思えてしまうけど、どうなの。
>>152
>>76にも似た事書いたように、信長公記とか読むと、その信長自身の軍勢がそれより数が少ないと思われる軍勢や、格が下だと思われる武将の軍勢に敗北したり、
苦戦したりしてる事が結構あるように思うけど、どうなの。
そもそも、信長自身が、信長公記を読んでも、勝頼時代の武田相手に東美濃の城の救援に失敗してるように思うんだけど、どうなの。 >>155
おや、心外だなあ。>>148にも似た事書いたように、
もともと、君が>>139で書いているように思われる、条件に基づいて、
軍鑑という資料を基にして、>>143のような事を書いたと思うんだけど。
軍鑑という資料を基にせず、他の要素を考慮するなら、他の推測も成り立ちうる事は、
上記148にも書いてあるように思うけど。
軍鑑という資料を基にするなら、上記143にあるような感じで、
新府城築城は穴山の進言を受けた勝頼が、織田徳川北条を相手にして厳しい戦況において、
防衛の為に作ったように思えるんだけど。
それを否定するなら、それこそ他の論拠や資料が必要になると思うけど、
なんで君は君の上記139で書いているように思われる条件に、こっちはわざわざ合わせて書いたのに、
そんな僕に対してのレッテル貼りのように、僕には思える事を書いてるのか、という事に答えて欲しいと思うかな。 >>166
飯も水も無けりゃ野獣の餌なんですがそれは >>161
史料以前に考えることがあるだろう。
当時の自然科学条件に規定された甲斐国の状況、それに対応して統治権力がしなければならないこと。
普遍的な原理原則を知らず/考えずに文献などという不確かなものに取っ付くから、
そういう近視眼的蟲瞰図しか描けなくなる。 >>173
>当時の自然科学条件に規定された甲斐国の状況、それに対応して統治権力がしなければならないこと。
>普遍的な原理原則を知らず/考えずに文献などという不確かなものに取っ付くから、
君が考える史料に基づかない自然科学条件、普遍的な原理原則こそが1番不確かなものだから
試しに書いてみろよ
ダメ出ししてやるから >>174
気候変動と地殻変動による恒常的飢饉。
軍政状況による外征略奪の困難化。
統治権力の義務−−というよりも統治権力が統治権力である為の要件。
俺は親切だからここまで書いてやる。
これで解らなきゃお前さんは白痴に近い。 >>174
ついでに教えてやる。
> 史料に基づかない自然科学条件、普遍的な原理原則こそが1番不確かなものだから
自然科学条件はブツから得られたデータであり、
普遍的な原理原則とは物理学及び生物学のそれだ。
それは普遍=不変のもので、それに逆らうことは反合理主義ということになる。
お前さんは敢えて反科学主義の思想を掲げる、と。 >>175
は?
恒常的飢饉と外征掠奪の困難化が新府城と関係あんの?
関係あると考えてるならそれを分かるように書くべきだろ
こういう掲示板では漠然とした単語使ったり、誰にでも分かりやすく書けないのを馬鹿というんだよ >>177
物事を解析的に考察できない脳味噌鏡面仕上げか。
逐語解釈中毒になると普遍から個別を導く論理展開力を喪失するようだ。 >>177
もう少しだけ丁寧に指摘してやると、
三項目に言及できない辺りが、お前さんが権力体を語るフリをしながら権力論に何の知識も無いことを暴露してるんだよ。 >>179
話題は新府城は何故築かれたか、なんだからお前さんはそれについてだけ書けばいい
それ書かないくせに自然科学条件だの普遍的な原理原則だのズレたこと書かれても邪魔なだけ
だからお前さんはいつも誰とも議論ができない、会話ができない
俺は親切だからここまで書いてやる 「統治権力の義務−−というよりも統治権力が統治権力である為の要件。」
だからその要件書いて新府城と繋げて書いてみろって
書かないなら邪魔だから消えて 権力とは何か。
それは何に依拠して成立し、何を以てその正当性を担保されるのか。
裏返して云えば、何が喪われた時に権力はその存立基盤を失うのか。
それを維持する為には何が必要か。
ガキでも解る。
ガキ以下のお前さんに解るかどうかまでは知らないが。 勝頼ってコミュ障じゃなかったのか?
穴山の息子と自分の娘の婚約が決まってたのに、それを破談にして信豊の娘と結婚させるとか、穴山に喧嘩売ってるとしか思えん >>181
統治権力と新府城を繋げるのって無理じゃないの?
残された資料を見る限りは、勝頼が築城を強行
新府に移ったのは勝頼衆といわれる勝頼に近い連中だけ
他の一門や家臣は反発
領民すら反発
これって権力がむしろ孤立してないか? >>183
その逸話が甲陽軍鑑にしか無いから何とも言えんが、天正八年には穴山信君は徳川家康と内通してる。だから正直信君にとって裏切る「理由」があればそれでよかったんじゃないかって疑惑が。 自然科学条件なら菅沼遼太くんの
浅間山噴火で武田滅亡説を思い出したわ
笑 >>186
どういうこと?
噴火で士気が低下して軍が崩壊して滅亡したとでも言ってたの? 士気がさがる??
富士山噴火したらワクワクするよな
むしろ仕事が増えて経済活性化! >>189
それは平時ならともかく、敵国から侵攻されててその最中に
噴火起きて士気が上がるわけないだろ 天変地異は滅びの前兆だからね
とは言え仮に噴火して無かったら武田が存続したかというとそんなことは伺えないわけで そんな大噴火あったのにすぐあとの天正壬午の乱で北条軍4万と徳川軍9000は半年の遠征できたのか 浅間山が噴火したから武田領が壊滅したって話は聞かないから単純に武田人がパニック起こした要因の一つってだけ。
まぁ武田領はそもそも貧しいから火山噴火で終わったのかもしれんが… 天変地異は馬鹿には出来ん。現代ですら「天罰」なんて言う奴がいる訳で昔は天災は天子への罰で革命すら意味してた。
まぁ武田にとっては泣きっ面に蜂ってだけで噴火したから死んだ訳じゃないんだけどね。
武田は貧しかったから過大な軍役でなんとか兵を維持してた。それがついに限界を迎えた、と。 >>186
ええ?僕は>>31にあるような感じで、前スレにおいて、菅沼認定厨さんと思しき人が、
菅沼認定をしていたと思われる人の一人なんだけど、
そんな事を言った事は、少なくとも僕は無い様に思われるんだけど、
君の言う菅沼認定って、いろんな人の事を認定しまくっていて、
その特徴がバラバラなように思えてしょうがないんだけど、どうなの。 >>195
武田は勝頼時代に長篠で多くの損害を受けて、その補填が厳しくて、
さらに御館で北条を敵にした事で、織田徳川北条を敵にして数年間戦争した事で、
国力が疲弊しただけに思うんだけど、どうなの。
>>185
状況次第で天秤にかけてた、って事もあるんじゃないの。
穴山だって武田が存続していて、その武田政権内で自身が枢要の位置をを得られるなら、
普通に武田に味方してたと思うけど。 穴山信君は天正八年には徳川に内通していた。また、彼は「武田信君」を名乗ってる。中枢なんかで満足する男じゃなくあくまで狙いは武田宗家を継承する事で、徳川ともそれを前提とした交渉をやってるからね。 信忠の精鋭部隊に河尻と滝川
信長の精鋭部隊に明智と羽柴がいる
この精鋭を相手に武田勝頼が勝てる訳がない 信忠旗下の最精鋭って斎藤利治では
実質こいつが軍団長まである 天正壬午の乱で徳川軍が本気出すと恐ろしいことがわかったよね
4万相手に圧倒だもんな
徳川がその気になれば信長の寝首をかけたかもな
明智でなくても >>202
そうだよ
信長信忠が率いていたのは尾張美濃の譜代と言うべき出身の連中だから
三河武士団(笑)なんかと違ってこっちはガチの鉄の忠誠心と死をも恐れない勇猛さを備えた軍団 たしかにな
斎藤の前では、柴田丹羽明智羽柴滝川は雑魚
死を恐れる弱小軍団 安倍晋三元首相は21日夜、東京都内で開かれた夕刊フジ主催のシンポジウムで、ウクライナを侵攻したロシアのプーチン大統領について「非常に合理主義者で、基本的には力の信奉者だ」と指摘。「言ってみれば戦国時代の武将みたいなもの。たとえば織田信長に人権を守れと言っても全然通用しない」と語った。
https://mainichi.jp/articles/20220422/k00/00m/010/088000c >>207
そりゃそうだろ。
「人権」なる概念そのものが近代欧洲の産物で、織田信長在世時の日本はおろか欧洲にもそんなもんはねえんだから。
アベって野郎は前からアタマが悪い奴だと思ってたが、こんな基礎知識も無ぇとはやっぱりホンモノの魯鈍だな。 むしろ信長は人権を重んじたほうじゃないのか?
謀反起こしたら普通問答無用なのに、荒木の家族は少なくとも逃げるまでは生かしてる
謀反起こした奴らも事情を考えて生かしてる
障害者に施しとか、当時としては考えられんこともしてる
むしろこういう甘いところがあるから、謀反よく起こされるんだよな ちなみに武田さんは人質を問答無用で即処刑してる
人権も何もあったものじゃない
木曽の人質ぶっ殺すときでも、家臣が反対していたのに勝頼は即処刑するし >>208
要はそれだけ隔絶してるって事だからそこまで変な事じゃ無いんじゃないの?尤も解決は出来んとぶん投げてる訳だけど 武田信玄が釜無川流域における堤防工事を開始した頃に、兵庫県の生野銀山にも灰吹法が導入された。
ご存知のとおり、灰吹法は、金・銀の鉱石に、鉛に溶け込ませ、そこから金や銀を抽出する方法だ。
これで、砂金ではなく、金銀鉱石から、金銀を取りだすことが、出来るようになった。
甲斐の金山など全国で灰吹法が導入されるのは秀吉時代になってからだ。
秀吉の慶長大判を生み出し、江戸時代初期には日本は再び、世界有数の産金国となった。
灰吹法が信玄の時に伝わっていたら織田は滅んでたと思うけど。 武田の場合なまじ灰吹法を使ったが為に鉛を弾丸に使えなくなり、それがやがて鉛鉱山を有する織田徳川との戦闘力格差に繋がっていったのがなぁ >>216
知らないのか。
近年の研究により、信玄勝頼治世時の甲斐では「灰吹き」は行われていないことが分かっている。
理由は、甲斐の金は比較的自然金の状態でも純度の高く精錬をそこまで必要とせず、その作業は「かわらけ」の上で金を熔かすというシンプルなものでよかった。
灰吹法が秀吉時代に甲斐に伝わると金の生産高は急激に伸びている。 その新説は捨てた方が良さそう。そうなると「何故信玄は鉄や銅で銃弾を作っていたのか?」という問題が生まれてしまう。
信玄は書状で寺院から鐚銭を金で買っていた事が判明してる。そしてそれを銃弾にしてたようだ。これは信玄以後も全く改善されておらず、長篠の合戦でも武田軍は鉄弾を使用してる。対して織田・徳川軍は鉛玉なので性能がまるで違った。この後、勝頼は漸く鉄砲配備に奔走するわけだが…
お前さんの説だと信玄、てか武田軍はどうして鐚銭を購入してまで鉛玉を使わなかったことになってるんだい? >>218
新説?
そこまで強気なら、灰吹法が信玄勝頼の時に甲斐に伝来し盛んに行われていたソースあるよね?
灰吹法が石見・生野銀山で始まり、銀の大量生産が可能になったことで鉛の需要が急激に高まった。
そして、弾用鉛の供給が減って地方に回らなくなったそれだけの話だと思うけど。 >>218
自分の妄想に合わない事実をなかったことにしようとするの?
正気なの? >>219
だってお前さんの新説に従うと信玄の評価が180度変わってしまう。
今まで武田が弾丸に銅や鉄を使っていたのは金の精製に鉛が必要で故に弾丸にまで回せなかったからだと説明されてきた。つまり信玄や勝頼には他に手段が無かったのだと。
それが鉛を使わずに済むんだったらそれは信玄が無能だった事を直接に証明する。何しろ簡単でかつ最も効果的な素材を何故か使わず、金と鐚銭を交換すると言う大赤字をしてまで銅弾にこだわった。こうなると信玄は相当な無能、少なくとも凡将の誹りは免れない。 夫人「鉛が足りないの?金ならいっぱい取れるんでしょ?鉛が無ければ金で弾を作ればいいじゃない」
勝頼「ん?何処かで聞いたようなセリフだな。しかし名案だ。…で、何のタマだって?」
夫人「だから金のたm…あっ…」
勝頼「何の玉なんださあ大きな声で言うんだ言うんだゲヘヘ」
というやりとりがあって、夫人の名案は闇から闇へ葬られたという。 >>221
信玄?
銀の大量生産が始まったせいで弾用鉛の供給が減って、地方に回らなくなったそれだけの話だと思うけど。
で、ソースは?? 武田が鉄や銅を弾丸にしてたのは主に城攻めに鉄砲を用いてたからでしょ。
弾丸にはそれぞれ用途があり対人に関しては柔らかい鉛の方が殺傷力が高いけど
城門の破壊といった用途には柔らかい鉛は不向き。そういった固さが求められる用途には鉄や銅が有効 >>224
銀の大量生産がーって方がソース難しいと思うぞ。
従来、甲州金を支えていたのは灰吹法といった生産技術だとされていた。その為に鉛が必要でそれで弾に回せなかった、これは仕方ないと。ところが灰吹法を使ってなかったとすると大問題が起きる。つまり、武田の金は純粋に鉱脈に頼ってた事になる。しかも精製術が無いと言う事は鉱脈が尽きた時の備えが無かった事になる。するとどうなったか。黒川鉱山は長篠合戦前後に産出が無くなってる。こうした事態に武田は備えが無かった。鉱脈と共に命脈も尽きました、ってのは洒落にもならなかったわけだが。 >>225
説としては面白いし、武田軍の戦術考察にはなるけど結構厳しそう。というのもまず武田軍は慢性的に弾薬不足に陥っていた。長篠後の武田軍役書で勝頼は「鉄砲一挺あたり二、三百発の玉薬を用意」しろと命じてる。数量まで指定したのは武田史上これが初めて。逆言するとそれまでの武田軍は」一挺あたり三百発」も備蓄が無かったことになる。
弾丸を用途に応じて分けるのは効果的に見えて実はそれが有効なのは備蓄が豊富な組織のみ。備蓄が乏しいなら最も効果的な用途に絞らないといけない。鉛は生産コストからも威力からも最大でこれを量産するのが常識(徳川はこれをやってる)
その中で銅や鉄を使った訳で攻城用云々とか考えていたなら明らかに戦略ミスだった。割と致命的な。 >>228
武田期には灰吹じゃなかったってのはもう明白なのになぜ目を背けるのか
西日本の鉱山では灰吹に国産鉛を使っていたようだが、鉄砲玉としての鉛需要も急伸したわけで、結果としてタイ、中国、半島からの輸入にかなり頼っていた
九州と堺が一大供給地になるわけで、甲斐という国のポジションから鉛に苦労するのは当然
ただ、だからといって武田が鉄、銅の弾丸だけ使っていたわけではない
長篠の連合軍側陣地で鉛の弾丸が出土しているし 鉄砲の所有率は織田や徳川ともそこまで大きな割合で違いないのに
西国から鉛玉だけ入手が難しいと言うのは説得力がない >>227
悪いけど「武田家が銀を生産し過ぎて鉛が無くなった」ソースを求めてんのに全く見当違いのホームページをドヤ顔で出してくるアスペルガーっぽい回答をされると…困るな 青銅製の弾丸が出土した長峰砦の遺跡報告書によると、青銅製弾丸の発掘事例は八王子城や群馬複数、茨城、静岡
山梨ではまだ一例のみ
関東諸将が鉛確保に苦労していたことが伺え、むしろ武田の発掘事例が少ないくらい
そんななか長篠近くの睦平に鉛鉱山が見つかると
それは奪い合いになるわ
軍役定めには一挺につき200〜300発用意せよとあるが、同時に「口伝あり」という史料がある
書状では伝えられない重要事項と言うわけだが、推測するなら弾丸の素材のことなんじゃなかろうか >>231
ヨコからで済まないが、
その人は「武田家が」なんて言ってないぞ。
西国で灰吹が普及したから鉛の流通が偏って甲斐に回って来なくなったと、そう言ってるんだろ。
アスペルガーっぽいのはどっちかというと、な。 >>231
援護横槍用のID へ変えるの忘れたのか?
それともそれが負け犬の遠吠えかwww
負け犬は負け犬らしく自分の主張が正しいと証明出来ないようだな
そうかあ、やっぱソース見つけれないのか
ん〜おまえの主張が正しいソースなんかないなあ
もう諦めてひっそりと次のIDに変えたらいいよ >>230
鉄砲ってのは極端な話、鉄があればできる
鉛については輸入せざるを得ないほど灰吹と鉄砲で需要が増加した
硝石も同じだね
んで、主な輸出品は銀であり、そっちで入り用の鉛には石見も佐渡も地元産の鉛を使用していた分析結果が出ている
円錐形のインゴッドで輸入された鉛が一部の弾丸になった >>230
品質が良い鉛と硝石は輸入に頼るしかなかった >>225
鉄や銅が有効とかギャグか?
城門の破壊なんてそもそも鉄砲じゃできない
竹束や井楼などの破壊なら大鉄砲な
普通のサイズの鉄砲に鉄や銅に変えたって効果はないw
むしろ銅や鉄の弾丸なんて使ったら隙間が生じて圧力漏れになるだけで威力が落ちる
鉛が無かったから銅や鉄を使ってただけ >>234
あんたも調子に乗るなよ。
当方>>233だが、
珍しく物証根拠の議論だし偶々あんたの意見が正しいと判断したから援護射撃したまでで、
あんたが8回の書き込みの中で三箇所ぐらい正体を自白したのも見えてる。
それは措くとしても、あんたの論証も半分しか済んでない。
勝ち誇るのはまだ早いよ。 各大名とも硝石国産化の試みは上手く行かなかったようだが、
硝石と切っても切れない縁のモノ、そして鉄砲なんぞより遥かに深く大きく社会を変えたモノ=金肥はこの時代あたりから普及した。
それについて調べてるんだがモノがモノだけに研究論文もなかなか無いな。
武田領では普及してたんだろうか。 古土法だと品質が悪い上に雨が多い地域には適さない
古土法だと建物の床下でバクテリアに分解させたとしても10年掛かる
表層だけは使えるが取ったらまた10年掛かる
実に生産効率が悪いからな >>240
そうやって採算に乗らなかった施設が金肥生産へと展開していったのか、
それとも硝石とは全く別個に発達したのか、
そういう最重要な案件に歴史家の皆さんは沈黙を守るばかりなのだよ。 >>241
古土法みたいに床下の場合でも戦国期の木材略奪や焼き討ち食らって雨晒しになったら終わりだし
バクテリアの分解で10年近くかかるなんて誰も分からないから
やった奴がいても全員失敗したろう
江戸時代の泰平の世から幕末になるまでに200年以上経って床下に溜まっていたから幕末では取れたみたいだけど >>238
自分になにをしてもらったっけ?
急に自分に怒りのレスされても意味がわからないけど
なんかしてくれたのに感謝言わなくて悪かったな
とりあえずありがとな 武田領は鉱山地帯、にも関わらず何故か鉛が欠乏してる。
寺院に鐚銭を購入すると言ってるのもそうだが武田が専ら使っていたのは鉄弾と銅弾だった。
対して織田・徳川はどうか。織田は当然、海外から輸入した鉛玉を使ってる。徳川は長篠と共に手に入れた睦平鉛山を稼働させてその鉛を弾丸に使っている事が設楽原での考古学研究で明らかになってる。織田と徳川はツーカーの盟友なので下手すると軍事品も共有してたかもしれない。弾丸では鉛が全ての面で有利。武田軍が虐殺されたのも道理。
で問題は。これがブツが無いからなら信玄のせいじゃないがブツがあるのに使わなかったのなら信玄のオツムに問題がある。少なくとも武田滅亡の理由に新しい一因が加わった事になる。 >>244
で?
あんたの方は「甲斐で灰吹が行われていた」ことの物証を提示する番だろうが。
巧妙に論点をズラそうとしても無駄だぞ。 >>244
さも当然の前提として根拠のないことを語り、その過程で都合のいい論説をつまみ食いし、最後はそういう土台に仮説ともいえない(裏付け材料のない)妄想を開陳する
いつもの人と同じだろ、流れも同じだから
一番の問題は、その際にところどころソースつきの反論を示されてもことごとく無視するところだ
これじゃ会話にならない
少なくとも灰吹じゃないのは現状の研究では定説
それを最初に指摘したやつも「灰吹が甲斐に伝わっていたら織田は滅んでいた」とか嘯くやばいやつなのは置いておいて >>247
皮肉をマジに受け止めてる君もヤバい奴リストの上位だよ
自覚したほうがいいな >>237
城門破壊が鉛で出来ると思ってんの?
まさか砲弾の材料が鉛だと馬鹿な事を言わないよな? さあ始まりました。
意図的な誤読による論点ずらし。 よくまあ、2時間も3時間も一人会話続けることができるな。友達いないんか 抱え大筒なら鉛の弾丸使われたぞ
それ以上大きくなると武田の時代じゃ使われないだし 信長の大鉄砲は城門城壁を破壊できずに城楼作ってそこから城中に攻撃
家康のカルバリン砲でも城門城壁は破壊できず、砲撃で居所を狙う有り様
幕末でさえライフリングと榴弾の四斤山砲で集中砲火しても城郭は崩れず
それで武田が鉄砲で銅・鉄を使ってた理由が城門破壊とか無知の極みだな >>227
これソースとして大丈夫か?
甲斐黄金村のサイトには「湯之奥金山では灰吹法は行われていなかった」としか書いてない。甲斐の金山って湯之奥だけなのか?湯之奥金山は穴山氏の持ち物で武田宗家は口出し出来んかったらしいが。
帝京大学のレポには灰吹法が行われてなかった根拠として江戸時代の書物を挙げてる。お前さんは「秀吉が灰吹法をー」って言ってるけどその秀吉って大黒屋秀吉とか恵比寿屋秀吉さんとか?帝京大学のレポにも「甲斐では灰吹法は行われてない」とは書いてなくね?正確に書くと「甲斐の金山では」行われてない。そしてレポでは蛭藻金の純度から工房で精製が行われていたと考察してる。
そんでもって銀の生産で鉛が無くなった事については触れられてもいなくね?武田領銀山の稼働とかから推察したんじゃないんか? >>257
思い込み激しい上に提示してきた論点もめちゃくちゃ
それも負け犬の遠吠えなら納得だがw
ま、女々しくごちゃごちゃ言ってないでさ
おまえは信玄統治時に灰吹法が盛んに行なっている証明をすればいいんだよ
出来ないなら、ひっそりと退場するかID変えて何事もないように別の話題を始めればいいさ 平山優が書いてたけど武田は慢性的に鉛と火薬に困窮してる。それでも問題にならなかったのは敵が上杉・北条といった謂わば物量弱者だったから。北条も同じく鐘を溶かして銃弾にしようとしてたっていうからね。
ところが物量強者たる織田・徳川を相手にすると大問題になった。それが露見したのが長篠合戦で武田軍は数千挺の鉄砲が数時間も射撃し続けるという悪夢的戦場を体験した。それで戦後直ちに軍備を整えようとしたけどもう間に合わなかった。 >>259
議論、会話になってないよ
ちゃんと議論しなよ 上からで偉そうに言ってる奴はこんな場末の匿名掲示板でイキってないで然るべき所に出て行ってそこでやれ 数千挺の鉄砲とか妄想を書いている人も出て行ってくれ 論点は武田に鉛が不足していたかどうかじゃなくて、何故不足していたか?だろ
そんなの全国的に需要が大きくて輸入の窓口から遠い地域が不利だからとしか思わん
灰吹法のせいだなんて無理矢理すぎ 黒川金山の発掘でも当時の遺物には金鉱石由来の鉛成分ぐらいしか見つけられずで
灰吹きは行われなかっただったぞ 灰吹き方の論争が終息したあとに
菅沼遼太くんのカーテンコールで締めます 鉄砲用鉛の需要増ぐらいで鉛不足になるわけがない
銀精製用鉛の歴史的変遷をググればわかること
当時は灰吹による大量生産が西国で始まったばかりで、信長もまだ新技術による大量生産を知らないようだ
事実、銭が大好きな信長があっさりと生育銀山の管理を秀吉に任せたことでもわかる
その秀吉が信長から賜った生育銀山は”銀の出ること土砂のごとし”と記されているほどであった
秀吉は笑いが止まらなかったであろう
本能寺の変の後は、信孝から銀山返還を求められたが上様から褒美としてもらったものは返せないと拒否している >>263
地理だけで言えば鉄砲と火薬は武田も調達してたのに鉛だけが調達しづらかったのも不自然ということだろう。
武田は西回り航路の寄港地を有する越中とも繋がりがあったわけだから。 >>268
武田は鉄も硝石も入手に躍起になっている(海賊行為で遠州灘で徳川から奪ったり等)
もっとも、鉛も鉄も硝石も貴重なものだからそれだけで困窮していたと断じるのもおかしな話だが
鉄砲弾に関していえば、銅と鉛のコストパフォーマンスはそれぞれどうだったのかも本来論じるべきこと
鉛の方が効果的だからといって銅よりずっと高価だとしたら話は複雑になる 鉛は経済や軍事面でも有用であり、あればあるほど良い
信長が堺を支配下において、御用商人に統制させて鉛や硝石を独占して、東国に規制してる様は今の経済制裁と同じだからな
ちょっと前に楽市楽座が信長じゃなく六角氏云々と誰がオリジナルかとか、楽市楽座が先進的で素晴らしい物だと吹聴する時代遅れの馬鹿がいたなぁ(笑)
北条が甲州征伐の最大の功労者とかも吹聴してる馬鹿も(笑) 煽るならもっと上手くやれよw無脳
灰吹銀が機内に大量に供給され始め悪銭デフォルトが起きた
通貨は信長のコントロール不能になり経済封鎖はできなくなった(実際に経済封鎖があったかは知らんが)
良貨をもつ織田領外の取引が活発化しだしたからね
もっとも鉛は信長の精鋭部隊である秀吉が買い漁って市場にはほとんど回らないがね おっと北条が最大の武田滅亡の功労者だな
上杉武田織田の同盟をぶち壊すために織田の臣下になると提案したのは北条だからね
それがなければ、甲州崩れはないな
もっとも信長は目の前で頭を下げるまでは北条が下ったとは認めないことにしたが(だから報償なし)
駆け引きが理解出来ないアスペはそれがわからない >>269
つまり武田にとっては鉛玉より鉄、銅で製作した玉の方が重要ということか。
弾丸は基本的に戦が終わったあとに回収するもので鉛にしろ銅にしろ
あればあるほど困らない 兵糧1000俵持ってきたから最大の功労者(キリッ
は恥ずかしくなって取り下げた模様www >>274
そんなこと一言も書いてない
雑なまとめ方しないでくれ 鉛は築城に必要だからなぁ
築城始めた勝頼には鉛の供給不足は困っただろうよ >>273
織田の臣下になるとか甲州征伐時の功績に関係ない所まで遡っていいなら
長篠で武田に大損害を与え、高天神城で武田の威信をズタズタにするように命じた織田が最大の功労者ですねw
プッw
頭悪すぎw >>275
信忠軍が飢えと寒さで死人が続出で北条は直に諏訪まで運んでやったのにw
織田側はありがてぇありがてぇって言ってたのに、その評価は酷いなぁ
馬の餌ってことにして面子も保ってやったのにな
アスペは額面通りにしか世界を理解出来ないからなぁ
まあ病気だから仕方ないけどね 反論になってなくてワロタw
アスペは無理すんな
自分の妄想以外は理解出来ないんだからw >>279
主戦力と戦って敵大将の首を取った功績より
戦が終わったあとに1000俵持ってくるのが最大の功労者という当時の武働きの常識が分からないってアホな主張まだいっててワロタ
健常者と違い常識が分からないのはアスペの特徴なわけねw >>280
敵の主力と戦い、敵大将の首を取る功績より
戦が終わった後に1000俵持ってくるほうが最大の功労者と主張する馬鹿はお前だけだよ
アスペって他人が異常に見えるらしいねw 献上品 馬の餌
に違和感を感じなくて額面通りにしか理解できないからすぐわかる
アスペじゃなかった、いつもの池沼だと
よし、今日からそいつを馬餌と名づけよう 大将首という誰にでも分かる明らかな武功より
戦が終わった後に1000俵持ってくるのが最大の功労者という
一般常識さえない知恵遅れはお前だけだよ
永久保存物の珍発言
さすがアスペ菅沼(菅沼という明らかな池沼と分かるこれ以上の呼称ないw)
菅沼はもう否定しない模様w >>256
誰も近世の城や信長の城攻めの話なんかしてないんだがな。あくまで武田の城攻めだよ馬鹿。
長篠城攻めで勝頼は鉄や銅を材料とした弾丸を用いた鉄砲で三の丸、二の丸を落とし
合戦後に家康に長篠城廃城を決断させるほどの損害を与えてるよ。ここまで説明しないとならないなんて
無能相手はこれだから疲れる 織田(2月初めから進軍して敵主力と戦う)
木曽の調略
鳥居峠などの武功
高遠城の武功
勝頼の大将首や仁科などの武田一門の首やその他歴々の侍の首
北条(穴山が裏切った2月下旬から火事場泥棒)
戦の初めの頃ならまだしも戦が終わった後に1000俵持ってくる
アスペ菅沼「北条が最大の功労者(キリッ」
↑マジでアスペというか知恵遅れだろw これw 目糞鼻糞。アスペ、アスペ連呼するやつも同じ穴のムジナ 織田の勝ち確定してから出陣して
おい北条てめー何ふざけたことしてんだ
お前が火事場泥棒した武田領返せよと言われてビビって返還して信長のご機嫌取るために米送っただけの話だろ
それ秀吉の時にもやってれば生き残れたのに わかりきった出来事を額面通りに並べてドヤ顔
小学生の歴史の史料集でも見てきたのかな??
馬餌なりに頑張ったな
褒めてやるぞ
褒美は馬餌でどうだ?
ありがてぇだろw 少しはマシな議論をしてるかと思ったら結局こうなるんだなこのスレは。 >>291
自分がやってるの草w
543 人間七七四年 [sage] 2022/03/19(土) 14:03:22.85 ID:yVZ593x6
はいはい
IDコロコロお疲れ様
あぼーんな 長篠の合戦で織田・徳川軍に虐殺されて勝頼は武田軍改革を志して鉄砲一挺あたり三百発の備蓄を命じた。
ただこれで充分に備蓄出来たかというと結局出来なかった可能性が高いんだよな。勝頼は重要拠点の高遠城に玉薬を大量に運び込んでいたけど織田信忠に一日で落とされてる。長篠城より保ってない事を考えると 北条は甲州崩れの最大の功労者
武田が滅ぶか否かは北条の選択次第だった
アスペと馬糞にわかりやすくいえば
北条を怒らせたから武田が滅んだ
つまり、北条への対応次第では武田が生き延びる道はあった
織田がどんなに強者であるか語っても無駄無駄
明智か羽柴に乗っ取られるのは時間の問題だった
日の本一になっても武運が尽きたときには滅びる運命
これも信長本人が言ってたことだ 鉛も火薬もないんだからやっぱり織田に喧嘩売った信玄が一番の戦犯なのでは 第一世界大戦すら初期は機関銃相手に戦列歩兵で突撃してなぎ倒されてるからしゃーない 金と鉛は非常に近しいらしく金山があったなら鉛山もあったはず。実際、甲斐には鉛鉱山があった。
なのに鉛玉を作れず銅で玉作ってた。一体何してたんだか。 メリットデメリットを比較し総合的な決断は普通の人はできる
アスペは柔軟な思考は無理なのでそれが出来ない >>301
元はといえば戦国時代を到来させた室町幕府のせい 勝頼も軍役改定して頑張ったけど高遠が一日で落ちてること考えるとまだ全然足りなかったんだろうな 三点リーダーも北条は功労者君も額面通り受け取らないと言って妄想してる共通点
あ、察し 勝頼が鉄砲玉の備蓄を命じたのは長篠後でつまり長篠でそれだけの射撃を受け続けたからなわけだけど、そうなる前に鉄砲の重要性に気付けたか?…無理だったろうなぁ。 気付いていようがいまいが同じこと。
どっちみちブツの確保は出来ない。 >>308
勘違いしてる奴も多いけど織田の軍役はそこまで鉄砲の割合は高くないからな。
長篠の戦いでも持ち込んだ鉄砲は30000人の兵に対して鉄砲1000丁だったわけであって。 鉄砲千は信長直率から抽出して設楽原の前線に配置した数じゃ たった一千人の鉄砲隊で武田軍を虐殺したとするなら信長は機関銃でも持ってた事になる。鳶ヶ巣山攻撃隊に五百挺渡してるから千梃ってのは少な過ぎる。信長公記にある通り「信長の指示通りに動く」鉄砲隊が一千人。それに防御側に鉄砲が山程配備されてたんだろうね。信長はあちこちから鉄砲隊を召集してるからかなりの鉄砲があったのは確か。 実数は信長も把握してないだろう
多ければ忠節、少なければ不忠
遠方の国衆は鉄砲衆だけ派遣しろ
その辺は武田と変わらんが、武田は軍役で知行あたりの鉄砲数が決められているという違いはある 知らんかったら戦争出来んだろ。当然信長は知ってたさ。 >>313
こういう書き込みって3万来たら全員戦闘員だと思ってるゲーム脳だろ?
実際に戦うのは最前線に面してる数千の兵だってのは考えりゃ解るだろうに
一番の勘違いは自分だという >>318
んなもん常識で考えりゃ分かるだろ。自分の軍勢が何人でどれだけの物資を持ってるかを把握しないで戦争するアホがいるか?…プーチンみたいなアホがいるじゃん!って言うかも知らんがプーチンの場合誤った情報を真と信じただけよ。
特に鉄砲は筒だけ有っても火薬だけ有っても玉だけ有っても意味を成さない。しかも長篠合戦は鉄砲射撃のみで武田軍を破壊したんだから信長はかなり計算して戦闘配備したことが分かる。もし丼勘定で成し遂げたなら織田の資力はとんでも無いぞ。武田は降伏するしかなかったろう。 >>320
偽書説がある上に1581年だし信長じゃなくて明智光秀だし >>321
史料と根拠聞いてるのに常識で考えれば分かるだろってそんなんだから妄想三点リーダーとバカにされるんだぞ >>321
『自分の軍勢が何人でどれだけの物資を持ってるかを把握しない丼勘定する奴はアホ。但し、丼勘定したなら資力はとんでも無い。』
相変わらずめちゃくちゃな主張でワロタw
これがアスペの典型的な思考パターン
自分の妄想が全て >>315
6時間近くも武田は闇雲に突っ込んで来てるんだから1000丁もあれば6000の屍は築けるだろ
>>319
戦闘員が数千って何の冗談w
織田は小荷駄をはじめとした後方支援にどれだけ人数を割いてるんだよw 信長が鉄砲数把握していた根拠が「長篠合戦は鉄砲射撃のみで武田軍を破壊したんだから信長はかなり計算して戦闘配備したことが分かる。」
頭おかしいのか?勝ったから把握していたと言ってるだけじゃないか >>325
火縄銃の知識が無くて現代のライフル銃とかのイメージだとそんな感想になるんだろうなぁ。
火縄銃は弾丸をそのまま火薬で撃ち出すだけだから有効射程はプロがやって100メートル。下手すると50メートルというもの。それに装填に手間が掛かり1分から3分必要。対して人間は100メートルを12秒で走る。つまり有効最大射程から射撃しても再装填する暇が無い。しかも火縄銃は精度もそこまで良くないから命中しない可能性も高い。それに武田軍は火縄銃に対する防御法も編み出してるから尚の事。 いくら命中率低くても千梃の鉄砲が200発撃って5%10発でも当たれば1万損害与えられるんだが >>325
そして決戦場になった設楽原は幅が3000メートル程度になる。千梃だとすると単純に割って1人で3メートルを防がないといけない。これは火縄銃の性能からすると不可能。それこそ機関銃でも持ってこないと無理。 >>329
なんで鉄砲隊だけで陣を防衛する前提になってんの?やっぱ君頭おかしいよ >>331
信長公記には「鉄砲射撃のみで」武田軍を撃ち破ったと明記されてる。また三河物語でも武田の名のある大将を鉄砲で討ち取ったとし甲陽軍鑑でも「まるで城攻めのようで皆んな鉄砲に当たって死んだ」としてる。勝者も敗者も鉄砲を要因としてるので鉄砲が前提の防御陣なのは明らかだろう?そして何より白兵戦になったなら織田・徳川軍も相応の損害があって然るべきなのにその痕跡が無い。唯一白兵戦になったのは徳川の陣だがここも結局は鉄砲で撃退、しかも左翼総大将山県昌景を射殺という大戦果になってるしな。 >>325
数千が戦闘員?
どこにそんなこと書いてあるんだ?
3万全員が戦闘員だと勘違いしてる君の書き込みに対してだぞ?
戦闘員の中でも敵と面してる戦闘員同士の戦いになるから数千規模しか戦えない
しかも後方に兵を隠して陣城で戦ってるとも公記に書いてあるだろう >>332
鉄砲で敵を倒したからって陣の前線を隙間なく鉄砲を並べていた証拠にはならん
論理思考がおかしいよ君 1.織田徳川軍は鉄砲を活用し、武田軍に大損害を与えた
2.信長は自軍の鉄砲数を把握していた
信長は3キロの陣の前線を隙間なく鉄砲隊で防衛した(ゆえに鉄砲数は千梃ではない)
2の根拠を聞いたら1が返ってくる
1と2にはたいした因果関係はない(2でなくても1が成立することは充分あり得るから)
妄想三点リーダーは論理的思考ができないのか? >>334
おそらく武田重臣衆もそう思ったんだろう。まさかそんな鉄砲を配備してる筈がないと。ところがおかしかったのは彼らの方だった。重ねて言うと設楽原は3キロの幅がある。そして武田軍はその何処からでも攻撃出来るし実際に攻撃している。それは織田・徳川軍が設楽原を三重の馬防柵で守っていることからもわかるだろう。
お前さんの考えているくらいに武田人が皆んなバカだったとしても突破が出来なさそうなところは捨てて突破出来そうなところを攻撃する位の知恵はあったろう。織田・徳川軍はそれに備えていた。つまり武田軍がどの柵を攻撃しても必ずそこには攻撃隊に比する鉄砲が待ち構えていた事になる。 で、問題はここから。この戦術の為には自軍の鉄砲と玉薬の量を正確に把握していないとならない。というのも何処かの陣が弾薬が無くなって突破されるとそこから武田軍が突撃してきて総崩れになる危険性があるから。だからどの陣がどれだけの投射量を持っているかを信長は完全に把握しないとならない。そして危険そうな処には直ちに補給若しくは応援が行くようにしていた。これでどの陣も高い投射能力を保持し続けた。信長が把握して無かったとするとそれは信長は何十万、下手すると百万発規模の鉄砲・玉薬を持ってきていたことになる。これなら残弾とか考える必要が全く無いので撃ちまくるだけで良い。どっちが現実的か?と言えばそりゃ信長が情報をキッチリ把握してたに決まってる。そうでないと戦が出来ん。 >>327
単純に考えて1000丁を同時に撃ち次の装填までに5分掛かり致命傷を10%とすると5分で100人。
1時間で1200人。6時間で7200人。資料の損害とも大差ないし1000丁あれば6000人は十分仕留められる >>340
火縄銃の有効射程は100メートル、殺害可能距離は50メートルらしいけど織田の鉄砲隊が精鋭ぞろいだから100メートルとしよう。武田人が現代高校生と同じ肉体だとすると100メートル走るのに12秒掛かる。つまり有効射程でぶっ放した場合、武田兵がぴったり1000人なら君の計算通り致命立が10%なら100人は殺せる。
ただし、12秒後には柵に武田兵900人が取り付くことになる。武田軍には馬防柵の破壊術がある。5分で再装填・再配置が可能になるとすると武田兵は4分も時間があることになる。
つまり二発目以降は撃てない。君の計算は殆ど役に立たんと言う事になる。 そしてその計算には大きな穴がある。武田軍が織田軍が鉄砲を配備してるところに真っ直ぐ来てくれる筈もない。
武田軍は12000。一回の攻撃で1000人以上投入すれば必然的に鉄砲の被害は減じてしまう。実際、甲陽軍鑑では左翼・中央・右翼で連携してる。一度の攻撃で3000人が動けば全弾命中の神技をもっても2000人が突っ込んでくる。
そんなことじゃ「城攻めの如く、みな鉄砲に当たり死ぬ」という状況にはならん。勿論、信長・家康の構築した陣地が完璧だったからだがそこに大量の鉄砲と弾薬があった事も前提になる。 その設定は織田徳川連合軍が鉄砲兵しかいないアホみたいな設定だな
鉄砲1丁に対して4人体制でも4000人
総兵数38000として34000人を遊ばせておくわけがない 結局火縄銃への誤解もしくは無知が原因なのよね。武田軍が横一列で万歳突撃してくれるなら一撃で殺す事も出来るけど普通に考えてそんなことする筈もないし。先頭は竹盾でも持って二列三列で突っ込むに決まってる。鉛玉は破壊力こそ高いけど貫通力は小さいから犠牲は最小限で済む。千丁程度で武田軍一万を止められたら信長が凄過ぎるじゃん。 >>327
平場での取り合いみたいな想定してるけど設楽原の戦いはそうじゃないよ
今よそで書き込んじゃったけど、これって足元もすごく悪い狭い平地挟んで織田徳川は
丘に柵を二重三重に築いてその向こうから大量の鉄砲で狙ってる
方や武田はその足元悪い中狭い場所を密集しながらすすんで策を壊す作業
そこへ大量の鉄砲撃ちかける
そもそも巷間言われる騎馬と鉄砲の戦いなんて形にすらなってない単に土木作業してる人たちを
虐殺する作業
あんたの言ってることは織田側の鉄砲もさぞ効果発揮したろうという事でしかない >>344
織田も一定数の僧に加えて戦い素人の信者の集まりの本願寺と戦って連中が城や砦に
こもっての鉄砲の集団使用ですごい打撃食らってるからね
そこで鉄砲てのは兵の武力なんか関係無く使い方で絶大な効果あると身に沁みたんでしょ
戦いってのは敗戦から学ぶこと多いよ、自分がそれでやられたわけだから 妄想三点リーダーは会話もできないなら書き込み止めてくれないかな?
妄想垂れ流しして恥ずかしくないのだろうか 梅雨シーズンで設楽原は田んぼの真ん中だから足場かなり悪くなっていただろうと言われてるからな
信長公記だと山県が一番最初に攻撃しだして、そのあと別の部隊が順に攻撃したような記述で、しかも「入れ替り入れ替り相戦い」とも書いてあるし
実際に長篠の戦場見てない奴が書いたのが甲陽軍鑑で
なぜそれが正しいと思うのか >>336
>重ねて言うと設楽原は3キロの幅がある。そして武田軍はその何処からでも攻撃出来るし実際に攻撃している。
間違い
設楽が原は水田が多く、織田徳川軍は丘陵に沿って陣城を築いたから3キロも柵や防衛線があったわけではない
畦道と丘が多く開けてないから実際攻撃できる場所はそんなになかったはず
徳川陣地が一番激戦地だったのはそこが一番開けていたから
武田は実際に攻撃してるって何ソース? >>342
>そんなことじゃ「城攻めの如く、みな鉄砲に当たり死ぬ」という状況にはならん。勿論、信長・家康の構築した陣地が完璧だったからだがそこに大量の鉄砲と弾薬があった事も前提になる。
織田徳川軍に長槍弓矢隊はいないかのような前提でワロタ >>349
長篠日記には「連吾から浜田にかけて」柵を設けたとある。
設楽原は別に山岳が横たわってる訳じゃ無いので武田軍はその距離全てが攻撃範囲だった。仮に柵に空きどころがありそこを敵軍に突破されたら窮地に陥るのは陣地構築した織田・徳川軍なのだから封鎖出来るところは全部封鎖したんだろう。
ちなみに、「連吾」が連吾橋(ちょうど徳川陣地の前)なのは議論が無いが「浜田」がどこだかは確かに議論があるがその場所は設楽原の北、織田軍の陣地までとされている。約3キロある。 >>350
まず前提として織田・徳川・武田全員が「鉄砲が凄かった」と記録してる。その為他の兵種は完全に語られていないからね。設楽原決戦で弓や長槍が活躍した話ってなんだっけ? >>351
Googleで調べたら3キロもないんだけど >>352
鉄砲が凄かった=長槍弓矢は活躍してない
こんな妄想するからバカにされる
長槍弓矢鉄砲連携して柵を守るのは常識でしょ
長槍(足軽)であしらうと信長公記にも書いてあるし、柵を守るのに長槍は有効
長槍で守って鉄砲で攻撃する
だから柵全体隙間なく鉄砲隊で守る必要なんかないんだよ 一かゼロかでしか考えられないのはヤバい
当時の常識的なことは特に記載がないのは当たり前
鉄砲のことが特記されてるのはそれだけ効果的だったということを強調するため
報告書とか書いたことないんじゃないか >>348
面白い説だけど幾つか問題がある。まずその説は信長・家康の茶臼山と武田陣が連吾川を挟んで200-300メートルの位置にあるという事を忘れてる。織田・徳川軍は連吾川沿いに馬防柵を建ててるから武田軍が進んだ田園ってのはかなり短い。その上茶臼山からは武田軍は完全に射程外になる。次に武田軍はこの第一柵は突破してる(甲陽軍鑑等。また高所から射撃できたなら第一柵は絶対突破されてる)。そうなると織田・徳川軍は田圃の上に布陣してたことになって一体どうやったんだ?って話になるじゃろ? そして一番マズいのは高所から射撃されたら武田重臣衆がどれほど眼が悪くても流石に気付く訳でなんで何も進言しないのかという問題よ。しかも部下が戻って来ないのに。実はこの回答があって武田重臣衆が決戦を強く主張していたので撤退は進言出来なかったというのがそれでその可能性は確かにある。 >>354
弓が使われたって逸話は無いの?ちなみに歩兵が使われてない可能性は無茶苦茶高い。何故なら当時の火縄銃は精度が悪過ぎて味方を避けて射撃なんて技が出来ない。つまり長槍兵が前進したら鉄砲隊は何も出来なくなる。そこでもし野戦最強を気取ってる武田軍が反撃してきたらどうなるよ?ってこと。信長が設楽原陣を構築したのも鉄砲を主戦力に選んだのも「味方は一人も失わず、敵だけ殺す」為なのに。 >>356
>>>348
>織田・徳川軍は連吾川沿いに馬防柵を建ててるから武田軍が進んだ田園ってのはかなり短い。
現地見たことある?
馬防柵は川沿いというより丘陵沿いに建てられている
柵と連吾川の間は畦道が多くて水田に入ったら足場が悪い
当然織田徳川はそれ狙いだろう
>その上茶臼山からは武田軍は完全に射程外になる。次に武田軍はこの第一柵は突破してる(甲陽軍鑑等。また高所から射撃できたなら第一柵は絶対突破されてる)。
茶臼山?信長の本陣だろ?ずっと後方にあるから陣城突破しない限りそもそも射程外
徳川なら君の好きな甲陽軍鑑によると柵から出て戦ってる >>358
君が引用してる長篠軍記とかに書いてあるだろ
内藤昌秀が矢で針鼠になってたとかね
信長公記には足軽が食い下がってあしらったと書いてある
甲陽軍鑑とか長篠日記のふざけた引用をする前に信長公記ちゃんと暗記しとけよ >>357
あんな狭い戦場なんだからどうしようと自軍が鉄砲で撃たれて苦戦してるのは武田側からも丸見えだよ
現地見てみろって
連吾川沿いなら尚更
丘陵沿いでも丸見え
丘を超えたら見えないのかもしれないが、武田軍は丘は超えてない(すぐ目前の丘に徳川本陣があるんだから超えたわけがない) そもそも3倍の兵力差があるのに9時間も戦えるか?
さらに織田側は柵付き伏兵&鉄砲もありだぞ
長篠の前の戦では、赤備に対して織田は3倍以上の兵力差で正面からぶつかったら織田が崩壊している
どんだけ… 寡兵で信長軍を撃破した明智城での戦いが勝頼にとってあまりに強烈な成功体験だったんだろう。 それは織田にとってはあまりに強烈な失敗体験だろう
戒めにしかみ象でも絵師に書かせたらよかったのに
そうすれば甲州崩れというあまりに強烈な成功体験で浮ついて家臣に天下を根こそぎ奪われることもなかったな >>362
これは設楽原保存会が実際に馬防柵を組んで再現した結果分かる事なんだが、なんと連吾川東の武田陣からみると織田・徳川陣は柵しか見えない。それも第一柵のみでその向こうに何があるかはわからない。名和弓雄はこの再現から武田軍が突撃を繰り返したのは指揮官が戦況を観測出来なかったからだろうとしている(「設楽原合戦の真実」) 現代人は火縄銃を見たこともないから何となくウィンチェスター銃やガーランドライフルみたいなのを想像しがちだけど当時の火縄銃は50メートル先までしか威力が無く装填に1分は掛かるという代物でしかも有煙火薬というオチまである。再装填には筒の掃除が必要でこれを怠ると弾が込められないなら良い方で最悪不発や暴発を招く。連射すると銃身が熱を持つから冷却もしないとならんという厄介な代物。これを使って12000の軍勢を壊滅させたという事自体が奇跡的で信長の戦術の巧みさがある。少なくとも何も考えず鉄砲隊を並べましたって話じゃ無い。 >>367
火縄銃の性能くらいここにいる人なら誰でも知ってるよ
鉄砲が仮になかったとしても3倍以上の兵力+陣城だけでも充分だろと言われれば否定するのは困難だからな
奇跡的とか書いてるけど、それただの妄想なんだわ >>367
褒め殺しって知ってる?
奇跡的とか逆にばかにしてるように聞こえる >>368
理由は至って単純じゃろ。信長は連吾川を境に柵を設置して封鎖した。だから武田陣、特に武田指揮官から観ると第一柵しか見えないのは当たり前。武田軍から第一陣まで100-200メートルある事を忘れてはならない。しかも第一陣にも当然兵はいた訳でまた信長は矢を防ぐという名目で長篠住民から戸板床板を買い取ってる。そうしたもので柵は強化されていてこれも目隠しになる。第二陣はその向こう側だから更に観測が難しい。 >>371
現地だと連吾川沿いに柵ないよね?
丘の前にあるんだけど? 勝った方には現代人が勝因を妄想して後から幾つも付け加えることができる
負けた方はその逆
三点リーダーの妄想褒め殺しはその典型 逃げたからまあ当然
のちに高坂弾正があいつら腹切らせなきゃ示しつかん、と勝頼に進言したという逸話もあるようなクズ >>372
そりゃ君、設楽原合戦があったのは1575年だよ?どうして当時の柵が残っているかね?今の設楽原にあるのは設楽原保存会が観光用に作ったレプリカで当時の布陣を完璧に再現したものじゃない。長篠日記には「川路連吾ノ橋より浜田と云う所まで。樋橋より大宮と云う所まで」柵があったという。 一族どころか重臣衆にも無事なのいるぞ。小山田信茂とかな。 >>376
つまり今ある柵は当時の柵と違う場所にあるということだね?
違う場所にあるのに柵の後ろが見えないって何の参考だよ
アンタが書いたことだぞ >>378
誤解を招いたようで申し訳ない。設楽原保存会が番組の為に再現した時の話なのよ。それについては名和弓雄の本に載ってる。 野戦で数千丁の鉄砲で射撃されるのは日本史上前例がないので、鉄砲の成果が過大に評価されるのは仕方ない 長篠日記って江戸時代中期以降に書かれたものでしょ? 最初の先陣って普通何人いるものなんだ?
1000人もいて半壊したら、普通わかるだろ、おかしいって
それなのに勝頼は攻撃を続行させた
織田がどんなに弱兵でもちょっと舐めすぎだろ 長篠日記は長篠の合戦に参加していた阿部四郎兵衛という男が記録したもの。江戸時代ってのは改訂版かな?長篠に伝わる話を纏めたとされる。 〉設楽原の決戦の前日、討死を覚悟した馬場信房、内藤昌豊、山県昌景らの老将は、大通寺の泉(杯井)で盃を交わし、決死を誓い合ったという”歴史”も、それは信憑性の低い軍記物『参州長篠戦記』『長篠日記』『改正三河後風土記』に記されているばかりで、伝説から生まれた”虚像”であろうと断言される。
ググったら出てきた >>382
それで「武田軍は戦況把握が出来てない」って結論になる。決戦に反対していた重臣衆の誰もが勝頼に不利を報告してない。報告したのは穴山信君でそれも大損害が判明した後。
でもそれも道理で武田軍陣地からは織田・徳川陣が視えない。そして突撃をしてしまうと織田・徳川軍と武田軍の発砲煙や突撃の土埃で一層難しくなる。結局指揮官が状況把握に動くがそれが鉄砲に当たって死ぬ。指揮系統が混乱して結局彼等は突っ込む。鉄砲に当たる。こうなると勝頼に何が出来るかよ?ってことになる。 〉この『長篠日記』について、著者は「記述の内容にも誇張もみられ、江戸中期以降の作と思われるが、長篠合戦を記した軍記として貴重なものである。」とされる。ちょっと意味の分からない文書だ。
〉一方、太向義明氏は、『長篠日記』を、「内容には『甲陽軍鑑』や小瀬甫庵『信長記』『総見記』等の流布書との類似が著しく、近世中期以降の成立であることは明白である。」とされている。このような、末書の類を基本史料とすることには疑問を感じざるを得ない。
ググったら出てきた >>385
勝頼に何ができる?って突撃して死中に活を求めるしかないじゃないか
鳶ノ巣山は落ちた、設楽が原は対陣にむいていない退路は狭く撤退したら追撃される
つまり突撃しか道がない
そういやアンタ寒狭川渡る前ですら撤退できないって妄想してたくせに渡った後は撤退すべきだったとでもいうのか? 重臣衆がそれほど突撃し続けた理由として一番可能性があるのは実は重臣衆が決戦を主張したのであって故に撤退は出来なかったってもんだけどおそらく地形的な問題もある。
武田軍は設楽原で壊滅すると逃走を開始するけど目指したのが北の鳳来寺街道になる。その北を任されてる武田軍右翼は退却が出来ない。ここが壊滅して織田軍(佐久間隊)が前進すると信玄台地にいる勝頼本隊すら危ない。それで左翼が徳川と戦争してる間は攻め続ける必要があった。武田軍の戦術ミスではあるけどこの時勝頼山県昌景の真前500メート先には信長と家康の馬印が掲げられていた訳でこの目の色変わっても仕方ない。ここで敵陣を抜けば織田も徳川も斃せる訳なんだもの。 >>382
逆にどうしたら良かったか後知恵でもいいからどうぞ >>385
いうや、出ていった連中壊滅して戦況報告が返ってこなきゃおかしいと思うだろ
指揮とってる奴が無能って話だわ
お前が物を理解できないだけの話 >>388
へーじゃあ重臣達が反対してなかったら撤退できたんだ?
おかしいなオマエさんの妄想だと寒狭川渡る前ですら撤退できないという妄想だったはずだが 妄想3点リーダーの長篠合戦妄想記
勝頼「山縣突撃しろ」→討ち取られたのか状況報告がない
勝頼「どうなってるかわからんけど逍遥軒突撃しろ」→討ち取られたのか状況報告がない
以下、同じこと繰り返す
3点リーダー「戦況把握できてない。勝頼にどうしろと?」
勝頼がどんどんバカに見えてくるw >>390
重要なのは誰も武田軍の被害が判ってない。現場指揮官の馬場や内藤すら。でもその理由は簡単だったりする。だって武田軍は「勝って」いたから。ハァ?と思うが甲陽軍鑑に書いてある。「…この一戦は武田の勝ちと言った。それは馬場が七百の兵で佐久間の率いる六千の兵を柵の中に…」
これで理由が判ると思う。例えば第一柵前、連吾川で武田兵がバタバタ死んでいたら誰もが「ヤバい」と思ったろう。ところが「勝って」つまり第一柵を破ってしまったが故に彼らは戦況を誤認してしまった。先陣が帰ってこないなんて気がつく暇も無かったろうさ。そして気が付いたら兵は消えていた。なまじ序戦に勝利した様に見えたが故に積極策を取って自滅、なんてのは良くある話よ。 >>392
天照大神が同じことをやってたな。
あっちは三回目で成功したが。 >>391
その問題は難しい。だって設楽原を取られた時点で武田は詰んでる。詰んでいるが一つ言えるのは早い時点で信長・家康の作戦に気付けて撤退戦を覚悟していたらあそこまでの被害は出なかっただろう。具体的には山県や内藤あたり。信長は設楽原に武田を根切りに来てる。たった数千の死骸で満足してくれるかは確かに不明ではある(それでも大戦果なんだが)
とは言えどその問題と重臣衆が誰も撤退を進言していないのとは別問題なんだけどね。 一番まともな史料である信長公記は武田軍は第一陣から順番に入れ替わりで攻撃してるからな
甲陽軍鑑使うなら徳川軍はそもそも柵に引きこもらないで山県隊と一進一退の攻防の末打ち破ったように書いてある >>395
>>395
勝頼が設楽が原に進出したのは突撃するため、それ以外に理由はない
撤退するなら川を渡る前だからね
だから危険だと重臣達は反対した
反対を押し切って突撃すると決めてリスク負って設楽が原に進出したのに今更勝頼が撤退するわけなかろう
甲陽軍鑑に書いてあるでしょ、勝頼みたいな強すぎる大将はダメだと
勝頼が敵を侮ったから負けた、と
甲陽軍鑑使うならちゃんと読みなさいよ >>390
武田軍は織田・徳川軍を柵の中に追い詰めて更に柵を破壊して陣地に侵入してる。これは山県・内藤・馬場、武田全軍が成し遂げてる。で、この連中が「帰って」くるってどんな時よ?当たり前だけどこいつらピクニックに来たんじゃ無い。
敵を追い詰めてる以上やるべきは強撃しかない。敵陣に突入した味方が帰ってくる時は壊滅した時でつまり帰ってくるのを待つというのは突入隊を見殺しにすることを意味してる。だから武田軍には突入隊がどうなっているか判らない。取り敢えず増援を放り込むしか無いがこいつらも帰ってこれない。分かろうとした指揮官は鉄砲射撃を浴びてミンチになったし。やっと分かった時には大損害が出た後。遅過ぎたがこれは馬場や内藤が悪い訳でも無いしまして勝頼の問題でもないよ。 >>398
信長公記ガン無視して甲陽軍鑑をベースに妄想を披露?
いつもより切れ味悪い妄想だな まあ信長公記を否定して甲陽軍鑑崇拝
そして長篠日記なんて使うのは奴しかいない
成り済まして織田を持ち上げてるみたいだけど、菅沼wikiに成り済ましてマッチポンプするやり口は書かれてる 大正に編まれた長篠戦記を読んだが目新しい記述はあんまりないし、出典も記していないしで
宝川合戦に触れているのと、馬防柵に幕を張らせたことくらいか
なんにせよ出典がないからなあ しっかし、まあ…、
武田側にせよ織田側にせよ、
当時現場で得ていた「主観的」情報が何だったかということを実証的に決定出来ないのによくもこれだけ妄想を膨らませられるもんだな。
ランチェスターモデルなり二項確率過程なり、
頻用される戦闘数理モデルに分かっている限りのパラメータを入力して定量的検討を試行すれば少なくとも「真っ当な議論」は出来るだろうに。
そういうことを誰もやろうとしない辺り、
結論の出ない不毛な議論ごっこを永久に続けたいという共犯的狎れ合いを感じる。 こんな過疎スレに書き込む時点で目くそ鼻くそだからw >>403
ランチェスターモデル、二項確率過程で頻用される戦闘数理モデルに入力すべきパラメータを教えて下さい。
定量的検討をしたいので、主観を除いたものでお願いします。 >>400
伝令役がいるという程度の知識すらないらしいところが憐れを誘うよな
部隊長自ら戦闘中に報告に来ると思ってるらしい
なんか泣かせるw >>400
信長公記でわかるのは「武田軍が波状攻撃を仕掛けてきてそれを鉄砲のみで撃退した」ということだぞ。信長公記の記述は三河物語とも甲陽軍鑑とも合わない。もしかしたら武田軍はたった5回しか攻撃してないと勘違いしてないかい?
これは信長公記が間違ってるとかじゃなくて信長は鉄砲でやってくる敵を片っ端から射殺するという革新的な戦術をとった。だから「誰が」来たかはどうでも良くて「武田軍」を殺していればそれで良かった。それで信長公記の記述はかなりあっさりしたものに仕上がってるのだな。 まあ不思議な話だよね
武田軍がもうちょい押せば何とかなると思える状況じゃなきゃそんなことにはならないと思うんだが >>407
信長公記だと波状攻撃=入れ替わりだから
君の妄想と矛盾するよ >>406
そりゃお前さん長篠の戦場見りゃわかるやん。武田軍の本陣は信玄台地の赤ハゲにあって武田軍左翼の近く家康本陣茶臼山まで400mに位置してる。武田軍右翼はそこからかなり離れてる。中央と右翼の戦況は各軍団長が把握するのが自然で勝頼と軍団長が連絡する事になる。右翼で戦ってる奴が右翼軍団長を飛び越えて勝頼に直に報告行くなんて徒労過ぎる。軍団長が勝頼に撤退を進言せず大損害を受けるまで戦術を変えてないからそもそも軍団長が戦況を把握出来てない。軍団長が把握出来てないから勝頼も把握出来ない。把握出来た頃には絶望的な損失を受けて再起不能だったと。 >>409
波状攻撃というより戦力の逐次投入ね。武田軍は序戦の勝利(織田・徳川軍を柵内に追い込んだ)で勝利を確信、突撃隊を次々投入した。これは戦術としては当然である。ところが織田軍(もしかしたら徳川軍も)敵軍を陣地に引き込んで鉄砲射撃で皆殺しにする戦術を採用してた。だから織田からすると「誰が」「どこから」来たかは重要じゃない。重要なのは武田軍が何人死んでるかだった。それで信長公記だと武田軍の攻撃順が三河物語とも甲陽軍鑑とも一致しない。
勘違いしないで欲しいのはこれは信長公記がウソを書いた訳じゃ無い。織田軍にとって長篠の合戦は「あの線を越えた奴は射殺しろ」って戦だったというだけ。だから戦況報告があっさりしてるのよ。戦果報告は凄まじいのだが… >>411
信長公記だと山縣隊攻撃→鉄砲で撃退→信廉攻撃→鉄砲で撃退の流れだから指揮官は射殺されないで一旦後退してるんだよ
山縣の討死の時刻は午後2時頃だし
信長公記記載の信廉、信豊、小幡、馬場もいずれも柵付近で討死していない
その矛盾を指摘されてされてるんだろ 一次史料や信長公記のような一級史料のほうが信憑性が高いのに
信康切腹の改変や三河武士持ち上げの三河物語や長篠にいなかった奴の口伝の口伝である甲陽軍鑑のが正しいと主張する奴なんて菅沼しかおらんやんw
しかも長文で特徴がそのままw 史料がどうとか、わくわく妄想をぶつけ合ってるところ申し訳けない
どんな戦いだったか検討しても無意味じゃないかな
とかく、武田一族がほぼ無傷で死なかった
織田で言えば、柴田丹羽滝川ぐらいが死んだだけで、信長信忠信雄信孝は無傷で撤退したのと同じこと
たいした戦ではないよ 有能な現場指揮官が死んで無能な血族が残った致命的な敗戦というのが俗説的な長篠の評価
本職の軍人が死んでお飾りの貴族が残ったようなもの
穴山も小山田もかなり有能だったようだが裏切りのせいで評価は不当に低いけど >>405
これがユトリか…。
検討する本人がパラメータを決定しなくてどうすんだよ。
モデルは定式化されてんだからパラメータ決定の論拠と過程こそが肝だろうがよ。 >>416
はっきり言わないとわからないの??
正しい議論の仕方を提案したのはあなたからでしょ
ならば、まずはあなたの考えているパラメータを提示すべきでしょって意味も含んでることぐらい察して欲しいな
まさか行間読めないのかな?
アスペじゃないよね >>417
お前は行間どころかハッキリ書いてあることさえ読めねえようだな。
>>403の論旨が理解できるまで百回でも千回でも朗読しろ。 ランチェスターモデルなり二項確率過程なり、
頻用される戦闘数理モデルに
分かっている限りのパラメータを入力して、
定量的検討を試行すれば、
少なくとも「真っ当な議論」は出来るだろうに。
ID:6p9oGrz5を筆頭に
そういうことを誰もやろうとしない。
ID:6p9oGrz5には、
特に結論の出ない不毛な議論ごっこを
永久に続けたいという共犯的狎れ合いを感じる。 そもそも普通の野戦でも、3万5000と1万3000がぶつかって、後者が勝つ可能性ってあるの?
織田の兵がいくら弱小で、武田の兵が精鋭揃いだといっても、武田側は1人が3人を倒さないといけない勘定なんだけど 明智城の戦いの武田軍や天正壬午の乱で北条相手に優位に立った家康等多くはないが例はある。
その同年代の戦いで共通してるのは山間部であり、下手な大軍は運用が難しく地の利を得た小回りがきく少数精鋭の方が有利ということ。
あとは第一次天正伊賀の乱も少数精鋭が大軍を負かした実例だな。 >>421
単純な野戦なら普通に勝利はある。例えば村上義清は2500の兵で武田信玄率いる7000の兵を粉砕。1000人を討ち取りもう少しで信玄も討ち取れていたという大勝利を上げてる。指揮官の能力と戦術次第で戦力差は覆せるのが戦争よ。 >>412
矛盾も何も最初から信長公記は武田軍の攻撃には無頓着だって言われとるやん。織田軍は次から次へと押し寄せる武田軍を射殺し続けたから誰がいつ何処で死んだとかは把握してないしするつもりもない。武田軍の指揮官、軍団長だと真田衆を指揮する真田兄弟とか土屋昌次とかがいるけどこいつらは右翼突撃時に射殺されてるのにその様子は信長公記には記されてない(死体は確認されてる)。 >>424
>>424
山縣、信廉、信豊、小幡は少なくとも攻撃して撃退されて生きて一旦後退してるのに、指揮官が射殺されて状況報告できなかったとか妄想しているのは矛盾だろ? 自分がわからないのは、山縣が撃退された時点で勝頼やべーとか思わなかったわけ? と言いたい。公記だとその後も攻撃を繰り返してるよね、まるで特攻みたいに
山縣が撃退された時点で少なくとも攻撃中止して様子見ましょ、はなかったわけ?
後ろに火がついてるのはわかるけど、だからって山縣が撃退されている時点でやばすぎると思うし 様子見てたら後ろから攻められて危険
信長公記も武田が本格的な攻撃開始したのは鳶ノ巣山落ちてからと書いてある
じゃあ撤退すればいいかというと重臣達の進言を無視して背水の陣を自ら選んだのに、敵の守りが堅いから即撤退は心理的にも状況的にも難しい
敵の目前で撤退って言うまでもなく危険
川も渡らなきゃいかんし >>425
信長公記は武田軍の攻撃を正確に記載していない。例えば山県昌景だって信長公記ではいつ死んだのかすら不明という有様。それで信長公記通りの戦況だったかというと否。何故なら攻撃して半数も失っていたのなら武田軍団長から指揮官は何を見てたの?って話になるじゃろ。馬場にしろ内藤にしろ。彼等は勝頼に戦況報告や撤退の進言を行わずに突撃を繰り返した訳でおかしいのは勝頼じゃなくてこいつらって事になる。自軍が大損害を受けてるのに「勝頼様が攻撃しろと仰ってる!」と万歳突撃させた事になる。まぁ武田ならやりかねん頭の悪さだが。 >>428
>>>425
>何故なら攻撃して半数も失っていたのなら武田軍団長から指揮官は何を見てたの?って話になるじゃろ。
全然ならないよ
後ろから敵が攻めてくる
敵前で今更撤退できないし勝頼は強すぎる大将で言うこと聞かないし、臆病者認定される
となると選択肢は限られている やはり背後に敵を残して前に出るというのがおかしいとしか言えないよね
長篠を制圧していたなら、連呉川を境にして睨みあうこともできたかもしれないのに それを言うなら遠州を中途半端に放って長篠城なんかを攻めてることがおかしい 鳶ヶ巣山砦を失って進むしか無くなったってのは正しいんだが問題はその時間。酒井らが鳶ヶ巣山を攻撃したのは未明だろうとされていておそらく4時くらい。この音と煙は武田軍も分かったろうが果たして「鳶ヶ巣山が落ちた」とまで分かったかどうか。声東撃西は戦法の常識しかも信長は武田軍に鉄砲を射掛けてる(信長公記には載ってないが黒印状に書いてある)。勝頼もバカじゃないから陽動の可能性も考えつつ行動したろう。つまり彼等が「鳶ヶ巣山が落ちた」と知ったのは戦闘開始後で最悪の場合かなり後(12時くらい)ってのもあり得る。 >>433
酒井隊の攻撃は辰刻(8時頃)
武田軍の総攻撃開始は「前後より攻められ、御敵も人数を出だし候」
いずれも信長公記ね 8時ごろってのは色々な点から疑問視されてる。っていうのも旧暦五月っていうと5-6時には日が昇る。当日の天候は晴れなので8時頃には視界良好だった。なのに鳶ヶ巣山砦は4000人もの兵隊に奇襲攻撃されて即座に陥落してる。そうなると武田軍の見張りは何してたの?って話。だからまだ日が昇りきっていない未明か正に昇らんとする刻が攻撃時刻とされる。これは信長公記にも根拠がある。信長公記では戦いを「五月二十一日、日の出の刻より…未の刻まで続いた」としてる。上記した通り旧暦五月の日の出は5-6時なので正にこの時ということになる。 日の出と辰刻では2時間も差がある。なんで牛一がこんな書き方をしたのかはわからんが可能性としてはまず日の出と共に戦闘が起こりその後辰刻に鳶ヶ巣山砦を攻撃したというもの。二つ目は鳶ヶ巣山砦を奇襲したのは日の出だが長篠城付近の敵を撃ち破ったのが辰刻で牛一がそれを誤解したというもの。何しろ設楽原からは長篠城が視えない訳で煙と銃声だけが標だった。それに鳶ヶ巣山砦攻撃隊の役割は非常に重要で故に攻撃が何刻かなんてのは気にする余裕も無かったんだろう。牛一としても信長の武田抹殺の英雄譚の方が重要だったろうし。 ロシアがウクライナを舐めて侵攻したけど、あれと勝頼も同じなのかな
「織田の兵はくそ弱い。強勢な武田兵の敵ではない」とか思って >>436
信長公記は太田牛一が見たことを記録したものではなく、多くの武将に直接多く取材して記録したものだというのが抜けてるね
当然太田本人が直接見た記録なんかほとんどない
長篠合戦以後の記録には正確性に定評があり、長篠合戦は信長にとって重要な合戦だから間違えるとは思えないし、他の記録とは格が全く異なる
結論としては日の出から勝頼本隊が攻撃を始める(ただし小競り合い)
午前8時頃鳶ノ巣山攻撃開始のち陥落
午前11時頃武田軍の総攻撃が始まる
午後に織田徳川が柵から出て総攻撃開始
午後2時頃山縣昌景討死、武田軍撤退開始
武田は長時間柵に向かって突撃し続けたわけではない 織田兵は実際どれくらい弱かったのかな?
織田というより尾張の兵が弱かったのかな? >>438
ただしそうなると武田軍は朝8時に奇襲される大マヌケ、って話になってこれは武田にとって大変不名誉であるのと。信長公記にも載ってない小競り合いをどう説明するのかがかなり面倒って二つの問題があるのがね… 武田としては川を渡った以上、撤退と長期対陣の選択肢は無くなっており、突撃することが決まっている(他に何の選択肢があるのか?)
敵が鳶ノ巣山に兵を分けたのは好都合と考えたんだろうね
鳶ノ巣山の武田の武将の面子みるとショボいし というかそれを狙っての決戦だろう。織田・徳川軍は十万と聞いてるけど設楽原には絶対そんなに入らないしその上信長は兵を巧みに隠してるから尚のこと少数に見えたはず。そこで鳶ヶ巣山を攻撃させれば敵本陣は更に減る。白兵戦に自信のある武田らしい戦術ではある。野戦ならお互いに犠牲者が出る訳でどんなに悪くても川中島より悪くは無いと踏んだんだろう。ところが信長・家康は謙信の上をいった。 勝頼はどういう勝算があってあそこまで進出したのかな
織田弱い、俺たち強い
それだけ? >>440
不名誉というか、勝頼の油断と怠慢だろ
鳶ノ巣山に残る守備兵に本隊は設楽が原に進出するけど南から敵が来るかもしれないから用心しろよと伝えるのは勝頼の仕事 >>438
この武田軍総攻撃を午前11時ってのは何を根拠にしてるのかな?信長公記だと武田軍が突撃したのは織田徳川軍の動きに反応したからだというが >>444
流石にそれは武田人をバカにし過ぎ。長篠は徳川領で別所街道も徳川のお庭みたいなもんだから敵から攻撃されるなんてのは子供だって分かること。遊びに来てるんじゃないんだぜ?勝頼に言われなかったから明るい時にやってくる4000人がわかりませんでした、なんてのは武田人は出来の悪いロボットか何かかよ… NHKで2、3年前だったかこの合戦場で模擬戦やってた番組見た人と見てない人じゃ理解が全然違うと思うわ
ここ知ってりゃ理解できるけど、こんな所で柵作って銃構えてる相手に向かっていくとかナンセンスだよ
信長は率いていく連中以外の配下にも鉄砲と鉄砲撃ちよこせと督促してそういうの集めて臨んでる
一説に3千丁とか言われる数
そうして家康の残した配下にあてた督促の手紙から分かるのも、柵作りに念入れてる姿
単にちょっと馬防ごうとかじゃなく、それこそ砦作るようなもん
つまり砦に三千丁の鉄砲、こんなの後の攻城戦だってないだろう設定
武田が柵壊すのに必死になってる所に鉄砲撃ちかける作業でこれはもう戦いの体もなしてない
合戦終わっても柵壊されたところがなんか数か所あったという程度だったというし
なんでこの合戦が鉄砲鉄砲言われるかと言えば、逆にこれ以外こんなのがないから
ある程度以上集まった鉄砲に突っ込むのは無理だから俵道断っての干殺しが常道になる
信長も本願寺相手の初期は攻守逆にしたこのライトスタイルで大きな被害受けてたけど
多方面作戦の一部でしかなかったからそこ指揮させてるビッグネーム1人2人とかの
損害で済んでだ
信長が長島落としたのも結局は力押し諦めて干殺しだったし
片や武田が鉄砲の怖さ学んだ場は主力集まっての合戦
運も悪かった >>439
あんなもんただの徳川史観だよ
まだ真に受ける奴がいたんだな >>440
夏の川岸の山間部で川の合流点のすぐ近く
早朝は霧が出ていたんじゃないか? >>439
濃尾兵、北条兵といった豊かな地域の兵が弱小なのは一般的 >>439
三方ヶ原の合戦で織田の援軍が武田に対して、ほとんど戦わず腰が引けていて徳川より逃げ足はやかった。
百姓が兵員の主力である石山本願寺に対して長年、苦戦した。
おなじく百姓が兵員の主力である伊勢、長島一揆に尾張へ侵攻されて信長の弟が討たれたり、その報復に侵攻した織田は2回、撃退されて3度目で、やっと長島一揆を全滅させた。 一向宗が弱いなら全国の大名はあんな苦労してないよね 上杉とかめっちゃ一向一揆に苦しめられてたよね
織田と戦えたのは本願寺が引いてくれたおかげじゃん 人数的にはベテランの畿内兵が中心だったんじゃないんけ?織田軍って 織田家の兵は寄せ集めが多く勝ち戦では恩賞がもらえるのでまじめに働くが、負け戦や劣勢になると戦わずに逃亡する
7〜8割が戦う前に逃げることもある >>449
武田兵が見渡せない程の濃霧なら徳川兵の視界も同じくらい見えない訳だからその可能性はかなり少ない。朝5時とかなら霧もあり得るけど8時となるともう晴れてたろうしなぁ。 >>444
たけだようちえんの夏のえんそくとはたまげたなぁ >>449
鳶ノ巣山攻撃が8時ごろでも奇襲として成り立ったのはその可能性がありそうだな。
>>452
甲陽軍鑑だと、三方ヶ原では織田ではなく徳川が崩れたのが敗因みたいに書かれてるが。 織田の軍役は明確、厳密でなかったから食い詰めた落人が飯を目当てに
金のある村村から軍役を請け負い傭兵として代行してたらしいな。 侍は戦死しても息子や親類が引き継ぐ保証があるから殿軍を引き受けるし、生き残れば恩賞も貰える
基本主戦力と呼ばれるもの
足軽は一代限りのことが多く、恩賞が貰えるかは大名による
藤堂高虎は足軽身分で恩賞貰えなかったから転々とした
雑兵に至っては保証も恩賞も何にも貰えない、略奪だけが戦利品なので負けが込むと蜘蛛の子を散らすように去っていく
だから損害の数は侍格の戦死者で推察する
プロパガンダで大戦果を謳おうが侍格の戦死がほとんど無ければ誇張の勝利である >>461
詭弁?論点すり替え?
織田が弱いか雑魚かの議論をしているのに 鳶ヶ巣山に霧が出てたって可能性は殆ど無い。ていうかそうすると攻撃時間が辰刻ってのが更に怪しくなるんじゃないか?辰刻つまり十二時辰は太陽の動きと連動してる。武田兵が様子を伺えない濃霧が出てたとすると徳川兵は太陽の高さがわからん。彼等は「なんとなく明るい」というところで攻撃を開始した事になる。そうなると日の出が5時だから5〜8時の何処かという話になる。牛一がいた設楽原からは長篠城が視えないから攻撃した時間を正確には把握できない。となると辰刻というのは牛一が取り敢えず書いたもので正確には「日の出と共に」攻撃したことになる。まぁそうなると時間は5時ってのが正しい事になるが。 長篠と言えば鳶ヶ巣山砦にいた武田軍には面白い点があって、勝頼は長篠城への押さえと鳶ヶ巣山防衛に3000人を置いて司令官には武田信実を置いた。その後酒井ら攻撃隊が奇襲攻撃すると司令官信実は討死。攻撃隊は鳶ヶ巣山砦の物資を長篠城に運びこみ長篠城兵と共に武田の包囲軍を攻撃して撃ち破った。で、信長公記だと包囲軍は「鳳来寺街道の方へ逃げて」行ったとする。つまり設楽原の武田本隊へ合流しようとはしてない。そして甲陽軍鑑では包囲軍は「信実を含め一兵残らず討死」としてる。これがつまり何を意味するかというと…
包囲軍、どうも武田を見捨てて逃亡したんじゃないか?包囲軍は雑兵や牢人衆で構築されてたらしく武田に対する忠孝よりも命を取って逃走、その後武田には戻らなかった。それで甲陽軍鑑では全滅と書いたんじゃなかろうか。 ただし果たして全員が全員逃走したかと言うとそうでも無く、鳶ヶ巣山砦の連中は別所街道を西に進んでる。別所街道は徳川のものだけど東に逃げれば武田の城もある。だからこれは設楽原の武田本隊に合流しようとしたんだろう。忠義の侍もいたのだ。ただし、そこには長篠がお庭の設楽貞通が待っていた。哀れ80人の武田兵は貞通に追い詰められて全員玉砕してしまった。彼等は武田本隊に帰れなかった。 >>456
信長がしょっちゅう負けてるけどまあ頑張ってるって評価を下してた柴田勝家軍だろ? >>468
じゃあ長篠で武田一族がほぼ無傷だったことも高く評価しないとな >>462
>金のある村村から軍役を請け負い傭兵として代行してたらしいな
それは武田北条も一緒。だから禁止しようとする命令が残っている。
>>465
辰刻って朝8時ぐらいだぞ
そのころには霧は晴れていたってだけじゃ?
>>466
長篠城兵と共に武田の包囲軍を攻撃して撃ち破っただから、
長篠城兵と共に打ち破れるような包囲軍は長篠城北の部隊を指すと考えられる、
長篠城北の武田包囲軍が武田本隊に合流しようと思えば寒狭川を渡河する必要あるけど、
敵前での渡河は困難なので、それこそ猿橋辺りまで行かないと無理、
長篠城周辺の地形的に合流諦めて逃げ散ったのは仕方ないんじゃないかと。 >>468
柴田の数的主力は越前兵だろうけど、
越前兵は強兵で有名だったのに弱いのは、
元亀の戦乱で歴戦の兵が粗方死んで新兵ばかりになったか柴田が弱いのか、
加賀一向一揆が強いのか。
まあ加賀一向一揆は朝倉上杉ともに苦戦していたから一揆が強いんだろう、
実際織田も御館後も北陸で進めなかったのは加賀で苦戦していたからで、
加賀片付いたらすぐ能登越中と制圧していってるしな。 霧が晴れてたら奇襲攻撃が成り立たん。霧で奇襲が成功したとなると辰刻を過ぎるまで鳶ヶ巣山は濃霧に覆われていないとならない。しかも「霧が出てるから敵が来てもわからない、警戒は厳重にしよう」とするのが普通の軍人だから武田兵の警戒網はかなり厳重になる。尚の事晴れてたらバレてしまう。4000人ってのはちょっとしたマラソン大会並の人数なんだし。更に言うと濃霧の中登山して攻撃に成功した酒井たちが人間離れした超人になっちまう… 仮に霧が出ていたとしたら、
霧が晴れて攻撃した時間が8時ぐらいだったってだけでは?
霧での移動もそもそも夜中の山中の道なき道を進んで来てるしな。 ただ地形考えると砦の西側北側の方が霧が濃そう。
まあ実際の霧の発生具合は現地で長年観察しないとわからないだろうけど。 霧が出てる中山登りなんて不可能に近い。それに武田軍が監視出来ない程の濃霧なのに砦に向かうってのも奇跡的過ぎる。まぁ有り得ない話ですな。 >>470
甲陽軍鑑が「長篠城包囲軍は全滅した」と書いてる事を考えると彼等の逃走は仕方ないことでは無く裏切り、敵前逃亡と見ていた事がわかる。下手すると勝頼たちは鳶ヶ巣山砦が落ちた事すら知り得なかったまであるからね。 >>476
甲陽軍鑑では『全滅』と書いてある
⇒いや逃走
→いや裏切り
→いや敵前逃亡
→勝頼は砦が落ちたことすら知り得ないもある
よくここまで妄想を並べてこれるね
アスペの典型的な思考回路だろうけど
逆に感心するよ >>475
早朝に出るタイプの霧ってだけじゃ、
そして早朝には移動はほとんど終了していたと思うが。
>>476
>下手すると勝頼たちは鳶ヶ巣山砦が落ちた事すら知り得なかったまであるからね。
鳶ヶ巣山方面から長走り渡って有海の部隊と合流した兵がいるから、
流石にその辺は伝わっているだろう。
有海の方では松平伊忠が戦死してるから一方的に追い散らされたわけではないのだろうし。 高坂弾正の息子は有海村にいたけど、武田本隊に合流して討死したという伝承がある >>478
武田軍は酒井隊の攻撃に対して一切抵抗出来ず最重要拠点を奪われてる。何故こんなことになったのか?まず朝8時には日が昇ってるので通常必ず見つけられる。だから朝8時では有り得ない。次に霧が出ていたなら攻撃隊は時間がわからない。つまり辰刻では無い可能性が高い。
攻撃の前に霧が晴れた可能性はゼロ。武田兵は砦の重要性を理解してる。人間は基本的にリズムで起きるから朝8時には全員起床して一二時間と言った時間帯。攻撃前に霧が晴れてしまえば見つけられたろう。特に朝靄に近い霧なら徳川兵の蠢きがわかる。よって攻撃前に晴れた可能性は無い。
有り得るとしたら濃霧のまま特殊技能に長けた徳川兵に攻撃されたという可能性。これなら可能性はあるが問題は霧が出てるのは変わらないので時間は不明。むしろ攻撃が終わった時が辰刻だったことになろう。 >>477
信長公記が真実であることを前提とするが逃げ延びた兵が居るのに「長篠城にいた連中は全滅した」と甲陽軍鑑が書いてるのは武田にとってその逃走が裏切りであり死と同義だったんだろう。まぁ逃走したって事は武田に顔は出せないから死んだのと変わらんかったんだろうけど。 武田の史料が甲陽軍鑑しか無いからな。甲陽軍鑑を除いたら何も残らんよ。例えば「勝頼は重臣衆の反対を押し切って」ってのも甲陽軍鑑にしか無かったろ。手放しに信じる事は出来んが甲陽軍鑑無しには武田は語れんわな。 新田次郎の武田信玄は血肉通った小説と思うけど、あれで先陣の山県隊が強くて頑張っちゃったから本陣から見たら柵は突破出来ると思っちゃったというような描写あるけどさもありなんて気はするわ
初手で普通にあっさり全滅されらてりゃこんな戦いとても無理と分かったろうに可能性見ちゃたもんで柵破れず撃ち殺されてるのに次から次へ押し出させたというのは普通にあり得る流れ 敵が柵を立てて守っていたら歩兵突撃させるのは戦国時代普通にやってたと指摘されてる。つまり武田の戦法は常識的だったことになる。柵を突破したら増援を送らないと味方を見殺しにするから次々歩兵を突入させたり場合によっては騎兵を突っ込ませるのも当然やらんといかん。戦国時代に数時間に渡って銃撃を与え続けるなんて本拠地攻めでも無いと有り得ん事だから「鉄砲に撃たれ続けるかも」って考えなかったのも仕方ない。織田と徳川が既に常識外の存在になりつつあっただけ。 一向衆も鉄砲を活用してるし、陣城築くのも常識的
つまり織田徳川の戦術は革新的だったわけではない >>484
「それしかないから…」と真偽定かならぬ胡乱なモノを根拠として語ることと、
ヴィトゲンシュタインが最後に辿り着いた「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」というスタンスを維持することと、
どっちが真摯な態度かという問題。 >>488
で、お前はどっちなのよ
それと、はよ定量的検討に必要なパラメータだせよ
いい出した奴からしないと示しにならないだろ >>489
相変わらず文意も読めない白痴っぷりを晒しているな。 有効射程50m、再装填時間60秒の武器を数時間ぶっ放し続けて数千の兵隊を射殺って事が革新的というか驚愕の事態。勝頼が戦後に弾薬の数量指定までして備蓄に走ってるのもこの経験に驚愕したからだろう。
その割には武田の城って防御力弱いんだよなぁ… >>490
女々しい御託はいいからという意味を含んでることも理解出来ないんだね
で、パラメータはよ言えって
定量的検討してやるから >>488
はっきり言わないとわからない奴だったな
おまえの場合は、真偽定からならぬものすらも出せないから沈黙してるようにみせかけてるだけ >>491
竹田征伐の時点で被害度外視の人海戦術が可能だから弱いもくそもない 柵を三重ふり、切所を三ツかまへ、待うけての所へ、
勝頼公壱万二千の人数にて、
かゝりて防戦を御遂候に、
一戦は皆武田方勝申候
子細は
馬場美濃守、七百の手にて佐久間右衛門六千斗を柵の内へ追こめ、をひうちに二三騎討死申候。
滝川三千許を、内藤修理衆千許にて柵の内へ追こみ申候。 家康衆六千許を山県三郎兵衛、千五百にて柵の内へ追込。
されども家康強敵の故、又くひつき出る 武田は初戦の勝利に判断ミスやらかしたっていう最悪のパターンよな 長篠は強敵家康が要だったな
家康が山縣穴山の猛攻に耐えきれず崩れはじめたら信長は家康を早々に見捨て家康を盾にして撤退を始めただろう
しかし穴山の方が一戦も交えず敵前逃亡の如く撤退
これが敗因 勝頼はどういう勝算があって長篠城と設楽ヶ原に部隊を分けたんだろうか 普通は城攻め中に敵の後詰めが向かってる一報が入ったら撤退がセオリーだからなあ。
信長も朝倉攻めの最中に浅井が裏切った事を確信したら一目散に離脱してる。 信長でいうなら小谷城の戦いだろ
小谷城には力攻めせず、朝倉の後詰めが来たら先にそれを潰した
勝頼にその希望を持たせるために兵を隠して逼迫しているように見せた >>498
武田軍が知り得た情報を整理すると織田軍は九万ほどの兵で救援にきた。ところが設楽原は幅3キロ程度なのでとても十万人近くは入らない。それどころか信長は軍勢を隠してるから二万人もいない様に見えていた。これを前提にすると勝頼の戦術は常識的なものとなる。武田本隊を設楽原に移して野戦能力の差で撃破する。この時敵は別所街道を使って攻撃にくる可能性が高い。だが「防御側は攻撃側の三倍に比する」という法則がある。長篠に置いた3000人は実質9000と同じ。まず簡単には撃破されない。そして敵もそれは分かってるから攻撃隊はかなりの大軍が予想できる。そうなれば設楽原の本陣は薄くなる。尚のこと勝算が高まる。 >>498
家康の本陣が崩れたらこの戦は終了
信長は所詮は後詰めの援軍だから
家康が崩れれば信長は馬防柵と家康を盾にして悠々と畿内へ帰るだろう 要は川中島で啄木鳥戦法を破った上杉謙信と同じ発想よな。敵がこちらを包囲しようと軍を分けたところを強襲して本陣を攻撃して崩す。問題は信長と家康は信玄や謙信を上回っていたことよ。 信長はどうかな?
兵と兵が直接ぶつかり合った近距離戦になると家康はなかなか強い
これは武田も北条も豊臣も認めている 武田の諜報部隊はどうなってるんだろうな。
織田が御大信長自ら安土から軍を率いてやって来る情報は敵地で掴んでるのに
三河入りあるいは設楽ヶ原入りした軍勢の数は把握出来てないのは。 負け方がアホみたいに見えるからな
なので従来信長が画期的な新戦術で武田軍をボコったに違いないと言われて、最近の信長大したことないの流れで別に特別なことはしてないと言われて、じゃあなんで武田軍はあんなアホみたいな負け方したの?という謎だけ残った感じか >>508
単純に距離と地形に問題があったんじゃないか。長篠は設楽原を押さえられたら陸の孤島になる。頼みの綱は鳳来寺街道と伊奈街道だけどどっちとも山道。それでも武田領なら勝手もわかるだろうけど奥三河で徳川領だから一筋縄にはいかん。長篠住民も徳川派なので徳川の防諜網の方が強い。
信長も信長で出陣する時に資材を持ってきてる。それで仮に観測出来たとしても実数把握は不可能だったろう。 まあ三方ヶ原なんて展開してる徳川軍の戦力検討してこれなら勝てると開戦したわけじゃなくて、,あくまで来るなら来いよと相手任せで待ち構えての一戦で鎧袖一触にしてたから武田から見りゃ別に怖がる相手ではなかったてのは明白 「武田家は巨大な騎馬軍団で戦国時代を席巻した」
という通説に基づくこの場面は、黒澤明監督作品「影武者」でも大迫力で再現され、そのイメージが定着した。
そもそも、戦国時代の騎馬というのは、単独で運用されることがほとんどであり、集団で運用されることは皆無だ。
武田も実は、戦場では機動力を活かした追撃か撹乱あるいは逃走に使われていたが、一軍を騎馬武者で固めていきなり突撃することはほとんどなかったらしい。 まず山縣らが徳川軍に圧をかけ、そこに武田一族衆の騎馬で撹乱し、徳川軍が耐えきれず瓦解したら義理できた織田は早々に撤収をはじめてこの戦はあっさりと手仕舞いになる
そんな感じだと読んだのだろう
勝頼の誤算は穴山など一族衆が敵前逃亡という命令違反をしたことだな 単純に徳川を潰したいだけなら浜松城を囲んで攻め落とせばいいだけの話。
わざわざ東美濃や奥三河まで遠征したのは信長と決戦をしたかったからでしょ >>510
史料上は全く把握出来てない。甲陽軍鑑によると織田徳川軍は十万としてる。これは当時の織田が実際に動員していた数だから辻褄はあってしまう。対して設楽原は狭い。しかも信長公記によると軍勢を隠してるから尚のこと少数に見えてた。つまり武田軍は織田徳川軍の最小値と最大値の情報しか受け取ってない。しかも問題なのは設楽原に十万居ない事は信長が大軍を連れて来なかった事を意味しない。別働隊がいるのか?更なる後詰?信濃を攻撃?可能性があり過ぎて絞れないし時間もない。そんなこんなで何もわからんまま賭ける羽目になると。 >>515
そうとも言えん。この時の武田軍は15000しか動かせない。この程度で落とせるほど浜松はヌルい拠点じゃない。カネの無駄だからやりたくない。同様の理由で掛川とかも無理。
徳川がなんで頑強かっていうと実は徳川の心臓部は三河にある。そこが徳川の収入源だしここから織田の支援物資が輸送されてる。だから遠江を攻めるよりも奥三河を攻める方が遥かに効果的ってのは戦略的には正しい。一番の問題、奥三河から信濃が遠いってのを考えなければ、だけど… >>517
遠江までなら武田は2万以上の軍勢で攻め入れる。高天神城の実績もあるし。
また二俣城と社山城を押さえてるから浜松城も掛川城もどちらも狙えるので
徳川は1万以下の兵力を三河から遠江まで広く配分しなくてはならないのも不利。 織田は徳川に資金援助や兵糧援助を行なってる。それが証拠なのが高天神が落ちた時のエピソード。信長が家康に皮袋二つ、荷駄一つの金塊を与えたって話。(通常馬には袋二つを付けるから意味は同じ)。荷駄には最大40貫=150キロ付ける。そっくり当て嵌めると金8400両にもなる。この資金は家康の外交を助けて例えば休賀斎に神影流(奥山流とも)の奥義を教えてもらうべく土地代を与えたりしてる。長篠の二ヶ月前には信長は米2000俵を家康に送って家康は300俵を長篠に送ったというからこうした物資支援も日常的だったんだろう。 >>515
大名の居城なんて数年包囲してやっと落ちる代物だ
ゲームじゃないんだからそんな簡単に落ちないよ
内応者いるわけでもない
徳川は高天神城見捨てて城主、国衆に見放された勝頼とは違って織田が来る希望があるから士気も高い
武田に3年規模の攻城戦できるのか無理だな >>521
浜松城に兵を集めるとなるとそれ以外が落ちまくるな。
あの時点での徳川の最大兵力は8000くらいだし、5000を浜松城に置くとなると
残りの兵数3000を掛川城、吉田城、岡崎城に割くわけだがそれじゃ高天神城と同じ道を辿ることになる 徳川からすると遠江を攻撃されてもそんなに痛くない。浜松は簡単に落ちないし他の要衝を攻撃されたら後詰に行けばいい。だから僅か8000の兵で武田軍を押し返す事が出来てる。織田からの物的人的支援があるから体力も高い。
だから勝頼は遠江を攻めつつ隙を見て三河を攻撃して楔を撃つ戦略を取った。一見成功するかに見えたけどこれはかなりの動員力が無いと不可能。それで長篠の敗戦で完全に破綻してしまった。 押し返すが出来てる?
織田に助けられて設楽原で壊滅的な打撃与えるまでは、武田が甲斐か城取に出張ってきてんのに自国入られても怖くて何もできずにどんどん削られて行って帰って行ってから何とか取り返そうと頑張ってたのが徳川じゃん
笑わせなくていいよ >>522
だから徳川の場合は待ってれば織田の援軍来るって言ってるだろこのゲーム脳が >>524
結局維持出来ねえならいなくなってから取り返せば効率いいじゃん 高天神城や明知城の例もあるからケースバイケースとしか 武田は浜松や掛川といった重要拠点を攻められて無いからな
徳川にそれだけの力があるから武田も簡単には攻められなかった。武田も徳川の力を削ごうと戦争してたけどそれが武田の国力の限界を超えてた。 徳川領攻めてるって言っても結局徳川とはシーソーゲームに興じてるに過ぎないからね。その上武田は上杉・織田とも戦線を抱えているから体力の消耗が激し過ぎた。長篠云々よりもいつこの三家にブン殴られるかが武田の寿命だっただけ。
一対一で勝てない敵には連合をもって相対せよ、は兵法さね。信玄だってそれで信長包囲網に乗っかったんだし。まぁこの三家を敵に回したのは勝頼じゃないしどうしようもないが。 長篠での惨敗がなければ勝頼は生き残れた可能性が高いな。
信長も遠江までは来そうもないし。 多分無理。信長は家康に資金や兵糧援助してるしこれは甲州征伐の時にも行われてる。信長は長篠時点で十万の兵を動員出来るから織田・徳川軍が大軍で押し寄せる未来は近い。しかも武田には上杉か北条と戦争する運命まで待ってやがるから戦略が難し過ぎる。 武田に勝つ為には徳川より織田を攻撃しないといかん。でも信濃-美濃の間は山道で防御が容易く攻撃が難しい。徳川が戦線を進めたら勝頼は本隊をそっちに向けないといけないから簡単に落とされることになるし実際なった。だから無茶苦茶難しい。信玄の時代まで戻って織田と敵対しないルートを進むしかない気がする。 駿河侵攻から織田敵対まで割と不可避な一本道なので生き残りのためには駿河侵攻しないで越後攻め落とすしか道はないと思う
甲斐信濃の地理的不利が大きすぎ
かといって織田に臣従するのはウクライナに降伏しろというようなもの 織田と上杉武田の和睦交渉中に
北条が『織田に臣従する』と申し出る妙手搦手を打った
これで和睦交渉は頓挫し武田は詰んだ
御館の乱で北条を怒らせたから武田は滅んだ >>534
織田の跡取りの嫁を武田から迎えると約束してる
これほどの好待遇はないだろ
これでウクライナと同じとか正気か? >>537
家康の妨害?
信玄が破ったんだろ
信長は武田をできるだけ立ててただろうに >>538
徳川が上杉との同盟でその縁談を破談にさせると誓約してるからその影響かと
ウクライナの二の舞って多分織田に降った大名達の末路が悲惨なの多いからだろう 話がズレるけど長篠の戦いあたりの状況はロシア武田、ウクライナ徳川、アメリカ織田っぽい
攻める武田に耐える徳川、物資支援の織田で徳川はレンドリース(織田の畿内制圧)待ちの状況
武田の鉄砲などの武装が劣ってるのも似てる それは仕方がない。戦国大名は求心力を保つ為に戦い続けないとならないから。
それに西上作戦そのものは高天神城を従属させ、二俣城、社山城、その他北遠江、奥三河と戦果はまあまあ。
そのまま信玄の死を隠匿したまま美濃入りしていれば中濃くらいは行けたが
其れを反対した重臣達に非があった。勝頼は進行を続けようとしたらしいが。 勝頼が北条に臣従すると言って北条夫人と婚姻したのに、武田一族(小山田ら)の説得で上杉に近づいたからな
勝頼が北条に喧嘩売ったのがなぁ運の尽き 北条を敵に回したっていうが御館時点で北条は既に半ば敵なんだよなぁ。徳川と戦争していて余裕ゼロの武田に上杉攻めてくれとか無茶振りかましてる訳で。御館はもう景勝の勝ちは目に見えていた訳で武田が武力介入しても敵が増えるばかりだし。 >>544
御館時点で北条は半ば敵?
無茶振りしたら敵になるの?
さすが妄想三点リーダーだな まともな同盟国なら自分達が先に戦闘していて苦戦してるから来てくれって言うぞ。織田徳川のようにな。
てか御館の北条みたく「俺たちは軍団送らないけどお前たち行け」って言った例ほかにあるんかな。 >>546
越後に直接行けるのは武田だし、北条は対陣中
援軍依頼したら半ば敵扱いかよ
おまえはいつも論理の飛躍かますよな だから武田も徳川と戦争しとるやん。北条軍が先行して戦争してるなら援軍要請だけど北条軍が行かないのに武田は行け、なんてのは正直敵対的だと思うぞ。そんな要請した例って他にあったっけ? そもそも「援軍」要請ですら無いんだよな御館の乱って。 >>550
君はいつも中身のない妄想書いて荒れるだけだから書込みやめとけよ 北条軍が景勝軍と戦闘してるから助けてくれ、なら援軍要請だけど主力が戦ってもいないのに戦闘しろってこれ援軍要請じゃないよな。てか兵法にそんなのがあったような。「敵の強力な部分を他人に押し付ける事で相対的に有利を得る」ってやつ。 ・北条が来るか来ないか不明な時期に景勝に買収されてます
・北条軍は信濃通しません
・家臣から不満の嵐。道義や利益がどうのこうのよりこれが一番大きい。勝頼の一番の責務は家臣の心を一つにをまとめることだから。 >>552
兵法三十六計、偸梁換柱。敵の柱を他者に押し付ける事で相対的に有利になる。武田は孫子の旗掲げてやがるぐらいだからすぐに思ったろうな。北条に謀られてるって。 >>553
信濃通さない、ってのが何なのかわからんけど上野に関しては真田に攻撃を中止させてるぞ。それに他国領ならまだしも自国領となると事前の相談無しには同盟国でも軍隊通せんじゃろ。北条は武田に領土を通る申請してたのかな? >>552 554
影虎は上越で戦ってるだろ。
あと言っておくが景勝の拠点は上越じゃない。 景虎は北条の人間だけど北条軍とは全く違うんじゃないか。少なくとも上杉景虎名乗って上杉家を引き継いでるというのが景虎の立場だから北条軍とは言えない(そう言ったら北条による上杉家乗っ取りを意味するから)。戦ってるのは景虎だから景虎からの救援要請って話にはなるけど北条は蚊帳の外になる。武田からすりゃいやお前が行けよこっちは大変なんだと言いたいところを何とか御館の乱を収拾しにいったわけ。 >>539
織田家の方は72年一月に公家に婚姻の吉日調べさせたりと縁談させる気でいたから、
徳川上杉の反対工作は失敗していたと考えるべきかと。
だから信玄が勝手に破ったでいいんじゃないか。 >>557
北条の要請で出陣してるくせに何言ってんの?
幼稚な屁理屈だこと 影虎は北条の人間だから乗っ取りとまではいかなくても自身の後ろ楯である
実家の北条家の意向を尊重する立場だから北条家とは無関係はあり得ない。 ずっと関東官僚の謙信に叩きに来られてたわけだしな北条
どう考えても絶好機の到来でここで全力で景虎応援がありそうなもんだが
その辺に氏政の無能さが見て取れる >>558
横からだけど、さすがに、それは厳しいんじゃないのかな。
その72年1月に信玄が織田に徳川の反武田行動について、抗議をしてたと思うけど、
武田からしてみると、徳川の反武田行動はまったくやむ気配がない様に思われたろうし、実際に徳川と上杉による対武田同盟もそのままのように思えるから、やんでないように思えるけど。
信玄は直接的に徳川の反武田行動をやめさせるように、織田に抗議をしたと思うのに、それがまったくやんでないどころか、織田がそれを止める気配もないんじゃ、そのままだと織田徳川上杉に包囲されると思っても不思議じゃないと思うけど。 >>559
きっかけが北条の要請だったかは史料上わからんけど取り敢えず武田としては北条の為に身を削る義理は無い。北条軍が直接に景勝軍とやり合ってる訳でも無いから。 >>563
横からだけど、あるんじゃないの。
同盟国である北条の要請なんだから、ある程度は応えていいんじゃないの。
戦国時代の合戦では、朝倉浅井、織田徳川、武田北条、という感じで、
同盟国の為に参戦して戦ってる事例がいくつもあるように思うけど。
武田だって信玄時代には、北条と一緒に武蔵松山城を攻略してるように思うし、
北条だって信玄の西上には援軍を派遣してるように思うけど。
そもそも、軍鑑読むと、北条は後になって景虎の為に援軍を派遣してるように思うけど。 >>563
北条としては武田がそこまで身を切ることにはならないのに裏切られて驚きしかないだろ。
身を切るのは景勝の本拠地である坂戸城一帯、上田長尾を攻め入ることになる北条軍。
氏政としては勝頼に景勝とその近習を春日山城から出させずに、
北条軍で坂戸城を落とし景勝の拠点と後ろ楯を潰す気だったかもしれない >>563
ついでに、軍鑑を読むと、普通に北条からの要請で勝頼が景虎救援の為に出陣してるように思うけど。
>>552 >>554
>>564にあるような感じで、軍鑑読むと北条は後になって援軍を派遣してたように思うし、
北条が後になって援軍を派遣する前の参加というなら、
そんなによくない話でもないと思うけど。
攻略した景勝派の領土は、普通に勝頼の領土にしていいだろうし、
そんなによくない話でもないと思うけど。
史実のように北条を敵にして、織田徳川北条を同時に敵にするよりは、
ずっとマシなように思うけど。 >>550 >>548
>>566にも似た事書いたように、軍鑑では、普通に北条が要請した事を受けて、勝頼が景虎支援の為に出陣してるように思うけど。
景虎は北条の一族で、景虎が勝利すれば自動的に武田の同盟国にもなるだろうし、
血縁関係から言っても、武田と北条は縁戚なんだし、要請としては特におかしな話でもないと思うけど。
これまた上記566に似た事書いたように、軍鑑読むと、北条は元々援軍を派遣する事を武田に伝えてもいたように思われるし、
実際に北条の援軍が景虎支援の為に派遣されてるように思われるので、
北条が到着する前に戦っておくのも、上記のような武田と北条の血縁関係や、
武田と北条の同盟関係からしても、そんなにおかしな話でもないと思うけど。
徳川が来たら来たで、景虎支援の為にある程度の軍勢を残しておいて、
援護をさせつつ、主力は徳川の方に向かえば、北条もそんなに文句言わないように思うけど。
北条にしてみれば、軍鑑読むと、上記のように北条の要請で勝頼は景勝支援に出陣してるようなのに、
それがなぜだかいきなり景勝から金と領土をもらって、婚姻同盟の約束とかして、景勝と戦わないで、
景勝と景虎の和睦とか言い出して、その後で景虎が景勝に倒されるのを放置とか、
北条からすると、勝頼が景勝に買収されて寝返ったとしか思えないと思うけど。 >>560
ところが武田からするとさにあらず。というのも勝頼は景虎を上杉の人間として見てるから。それは天正四年四月三日の木曾義昌家臣団からの起請文(戦武二六二九号)に上杉謙信・景虎・景勝から所領宛行等の勧誘が来ても乗らず、使者は捕らえて甲府に送ると書いてある事からもわかる。つまり武田は「景虎は上杉にあるとはいえ元は北条の人間なんだしその同盟相手である俺たちには調略なんかしないよね」なんて甘い事は考えてない。少なくとも景虎軍=北条軍とは見る事はなかろう。 >>568
横からだけど、さすがに北条の救援を受け、北条の縁戚として武田に助けてもらったなら、景虎もわざわざ武田と敵対しようとは思わないと思うけど。
勝頼としても、北条の要請を受けて景虎を支援する以上、>>567にも似た事書いたように、景虎を普通に血縁関係や、未来の同盟相手だと思ってると思うけど。 >>565
武田軍にはもうそんな余裕が無い。武田軍は長篠敗戦後本格化した織田・徳川の攻勢に打つ手が無く負け続けてる。勝頼は必死に「美濃に、三河に、遠江に出撃する」とぶち上げてるけど武田が出来た反攻といえば犬居谷に攻め入ったぐらいで後は特に無し。天正四年には「占いで悪い結果が出たから」と苦しい言い訳で三河攻撃計画を延期してる(一月六日付春日虎綱宛書状)。天正六年には勝頼本隊は専ら徳川軍の迎撃にキリキリ舞をさせられてる始末。もうイケイケだったあの頃とは違う。 だから武田としては北条軍が戦ってないというだけで戦争にはいけない。徳川軍が来る事を考えれば主力部隊で戦争には出来ないが数千では春日山どころか坂戸も落ちん。それに景勝は僅か数百の軍で景虎軍五千を粉砕してる戦上手なので楽観出来る相手でも無いしね。仮に北条が来なかった場合折角和睦に漕ぎ着けた上杉家を敵に回すだけで終わってしまう。そんな賭けをする余裕は無い。 >>570
君の部屋の換気したらどうかな。もしくは、部屋の掃除するとか。
そんなに君の部屋の匂いが気になるって相当だと思うから、少し君の部屋を掃除した方がいいんじゃないかな。 >>572 >>571
横からだけど、徳川が来たら来たで、数千の軍勢を残しておいて、主力は徳川の相手をしてればいいんじゃないの。
その残した数千には、もっぱら景勝派勢力が景虎派勢力を攻めるのを妨害させたり、景虎派の城を守らせるとかして、
その行動を遅滞させ、北条が援軍に来るまで景虎派を生き残らせれば十分じゃないの、と思う。
仮にそれがうまくいかなくて、景虎派が倒されても、景虎派の味方として戦い続けてたなら、
北条だって敵対まではしないと思うけど。
史実のように、北条を敵に回す方がよっぽど厳しい様に思うけど、どうなの。 >>571
同盟国を裏切るという選択が失敗に終わった場合には勝頼が汚名を被るということである。
勝頼が家臣から見放されたのは北条を裏切ったことが一因であることは明らか。
「何で北条の娘と婚姻同盟結んだばかりなのに、要請を断って上杉景勝と同盟してるの?しかも織田徳川に加えて北条とも戦線拡大してるじゃないか。軍役負担するのは俺達家臣だぞ」
この家臣達の疑問に正当な理由を説明するのが戦国大名たる勝頼の責任であり、重要な仕事である。幼稚な言い訳では通用しない。 >>570
それは謙信が存命中の話だろ。
謙信没後の影虎は実家に頼ってるから北条と影虎は無関係は通じない >>575
そう言った史料は何一つ無いから想像するしかないけど、北条取次だった小山田が土壇場まで従ってる事から家中の反対は殆ど無かった事が伺える(潤色逞しい甲陽軍鑑すら反対者の意見を載せてない)
その理由は武田軍の苦境にある。武田は信濃・駿河両戦線で苦戦を強いられていて勝頼は満足に援軍も出せてない。こんな中北条の為に戦争したら「俺たちがこんなに援軍要請して出さないのに北条の為なら出せるんか」という話になる。それは国人衆の離脱にも繋がりかねない。例えば今川氏真と松平元康の様にね。だから武田は戦争は出来ない。可能なのは調停くらいでそれも即座に引き返せる事が絶対条件だった? >>577
地下人町人に至るまで勝頼の裏切りを批判し、滅亡の原因だと君の大好きな甲陽軍鑑に書いてあることだよ
甲乱記にも書いてあるし
御館の乱のその言い訳は結局北条を敵に回してますます駿河遠江に手が回らなくなってるわけだから家臣達に申し訳が立たない
家臣から見て1.勝頼には戦略の一貫性がない2.金で買収されて義理を欠いている3.北条を追加で敵に回し軍役負担増
勝頼は何一つ説明できなかっただろうね >>578
具体的に「誰が」批判したのかわからんのだから意味無い話だろ。例えば信玄が今川を裏切った時も批判文で溢れて誰もが恥ずかしいと思ったって話があるがそれで当時勝頼や馬場が信玄の裏切りを恥じたって話になるかというとそうはならん。長篠の反対は一応反対者を名指ししてるのに御館では反対者が居ない。甲乱記は御館の乱以後から話が始まるから対象外だし。当時の武田についてはまるでわからんのよ。 それに負担が負担がって話になるとどのみち上杉を敵に回せば負担は増えるぞ。しかも信濃は織田・上杉・飛騨衆と攻められていて漸く上杉と和睦してなんとか負担を減らしたばかりなのに。武田の外交の形跡を辿ると武田は織田と和睦交渉をしてるから彼等の戦略は上杉と同盟、織田と和睦する。そうすれば信濃戦線はひと段落して駿河に全力を向けられる。
これが一番損失が少なくて済む。御館で上杉を攻撃すると信濃の負担が再び増す、のみならず織田と上杉が同盟する未来も有り得た。一概に御館の乱が失敗とは言えん。 >>582
>武田の外交の形跡を辿ると武田は織田と和睦交渉をしてるから彼等の戦略は上杉と同盟、織田と和睦する。
織田と和睦交渉するのは北条と手切してから
しかも交渉は失敗
行き当たりばったりである >>564
北条が戦ってないのに北条と同盟してるから武田が戦うのは当然とか平気で言えるこういう知恵遅れが一人前の気で物言ってるのって何だろな
これがGWか 勿論武田に出兵する義理は無い訳だけど上杉が織田に回るとマズい。だから和睦斡旋が最善だった。 上杉が織田に回るなんて勝頼は考えてないよ
上杉が北条に飲み込まれると囲まれて面白くないと考えたと甲陽軍鑑には書いてある 勝頼が御館で影虎を真面目に支援して影虎が上杉を継いでいたらどうなってるんだろうな。
通説のように三国同盟が成立し武田の延命に繋がったのかな。 >>588
三国同盟ではなく武田と北条がそれぞれ敵対した影勝派の武将から城と領地を接収し
勝頼と氏政が影虎の後見人として武将と兵を上杉領地に配置するんじゃないかと。 >>587
正直甲陽軍鑑だからなぁそのソース。別に甲陽軍鑑って勝頼の自叙伝じゃないから信憑性も無いし。 >>590
史実で御館の乱のさなかに
影虎派の武将からも領地奪ってる北条がその程度で済ますとは思えないんだが。 得々と御高説を語る御仁が人名もちゃんと書けないようじゃ御里が知れる。
文献信者ってのは煎じ詰めりゃ「字」を盲信してるんだろ?
だったらそれぐらい正確に写しなさいよ、と。 >>592
まあ勝頼と氏政が影虎を傀儡にし上杉領地をそれぞれ接収する未来になるだろうってこと。 >>584
なんか変な事書いているように思うけど、北条は>>564にあるような感じで、
軍鑑読んでも、普通に後で景虎支援の為に軍勢を派遣してるように思うし、
軍鑑読むと、勝頼に要請をした時点で、北条側も景虎支援の為に軍勢を派遣する事を伝えているように思われるので、
北条が事情があって援軍が遅れるなら、その間、同盟国が先に援軍を派遣してたって、
別におかしな話でもないと思うけど、どうなの。
というか、似たような事は、>>566にも書いてあるように思うけど、どうなの。 >>588
流れにもよるけど信濃の旧上杉領は全部景虎にあげる事は最低線になる >>581
>信玄が今川を裏切った時も批判文で溢れて
軍鑑にそんな話あったっけ?どこに?軍鑑の話で言うなら、
今川は武田からの三河共同侵攻の提案を敵対的に断って、
それから武田と今川の仲がよくないようになったように思われるけど、
それで信玄が今川と敵対した時に、そんな話になってたっけ?
御館の事例で言うなら、それこそ、軍鑑読むと、
勝頼が景勝に買収されて、景勝が景虎を倒すのを見過ごした事を、
1,武田領国の身分の高い武士から低い武士
2,一般大衆、
3,僧侶、
までが批判してたように思われるし、それに加えて、
北条家の武士達も批判してたように思われるけど。
普通に考えたら、武田領国の武士や大衆は、これで北条が敵に回れば、
ただでさえ織田徳川の相手で厳しいのに、北条まで敵にする事になるんだから、
批判するのも普通に思うし、北条家の武士達も普通に勝頼が不義理したんだったら非難するんじゃないかと思うけど、どうなの。 >>579
常識的に当時の武田領国の人々の感想を想定しても、>>597にも似た事書いたけど、
自身の国の政府が、ただでさえその当時の自身の国よりも強力な2国を敵に防戦一方なのに、
さらに有力な同盟国を敵に回して、3勢力を敵にした、なんていう事を知ったら、
何をしてるんだと思うのは普通なように思うけど、どうなの。
>>582
ただでさえ、景虎と上杉領土で争ってる景勝が、武田領土のそこまで多くの負担になる程の影響があるとは思えないけど。
史実でさえ、景勝は、御館の影響で武田の援護もろくに出来なかったように思われるのに、
景虎派が残っていて、武田や北条の援護を受けながら景勝派と戦っている状況で、武田が北条を敵にした史実と同じくらいの負担があるとはとても思えないんだけど、どうなの。
>>586
>>567にあるような感じで、それなりにあるように思われるけど、どうなの。 景虎に与した信濃国人衆が春日山攻撃戦で死亡してる(桃井義孝)。景虎からするとそれに報いる為にも信濃の旧上杉領は全部上杉に寄越せと言って来るは必定。しかも武田には徳川との戦争で上杉に強く言えない弱みと北条を敵に回すと上杉まで敵になる状況とあって全領土で割譲を余儀なくされる。
そうなりゃ木曾義昌や穴山信君は織田徳川に内通して甲州征伐が早まって終わる。織田と徳川に命脈握られてんのに更に北条や上杉にも握られるだけさな。 >>596
横からだけど、さすがにそんな事にならないと思うけど。
軍鑑にもそんな話なかったような。
なんで景虎が勝頼に助けてもらってるような状況で、
景虎が勝頼に領土を要求するの、と思うし、景虎だって要求しないと思うけど。
むしろ、当時は、その領土が攻略した武将の土地になる、というのが基本だと思うから、
勝頼が景勝派と戦って得た領土は武田の領土になる、というのがありそうだと思うけど、どうなの。 >>600
>>601にも似た事書いたけど、そんな事に到底ならないと思うけど。
援軍をもらってる側が、援軍してくれた側に領土を要求するなんて、
しかも元々相手が持ってる領土を要求するなんて、まずありえないと思うし、
なんで景虎派の一武将が倒されただけで、武田にそこまで要求すると思うのか、
僕には疑問なんだけど。
上記601にも似た事書いたように、むしろ、景勝派と戦って勝頼が得た領土を、
そのまま武田の領土として認める話になると思うけど。 >>585
あれ?まだ君その認定をしようとしてるの?と思うけど、君こと菅沼認定厨さんと思しき人って、
>>31にあるような、菅沼認定の矛盾とかにろくに答えられてないように思われるのに、
そんな事をされても、と思うし、
むしろ、上記31にあるような感じで、菅沼認定厨さんと思われる人の方が、ワッチョイスレで
IDコロコロや他人装いをしている可能性が高い事を指摘されていたように思われるし、
菅沼認定厨さんと思しき人に、何人もの人々が、菅沼認定をされているように思われる事が、
指摘されていたように思われるのに、
それで君は一体どうやってどのような理屈で菅沼認定しようとしているのか、答えて欲しいと思うかな。 >>591
君、甲陽軍鑑多用するくせによく言うよな
ご都合主義満載の妄想人間w そもそも武田は北条からも景虎からも報酬を提示されてないんじゃないか。甲陽軍鑑だと「北条から景虎が負けてしまったから景勝を倒してくれ」と言われたとある。てことは景虎からすると北条に援護要請はしたが武田にはしてないから報酬を出す必要は無いし北条からすると景虎を助けてくれと言ったから北条が報酬を用意する必要は無い。しかも景勝を倒すのは不可能ときてるから尚のこと期待薄だし。 >>605
それは>>601にあるような感じで、普通に景勝派の領土で勝頼が攻略した所が、
そのまま武田の領土になるだけの話に思う。
そもそも、同盟国への援軍で領土もらわずに帰る、なんて戦国時代じゃザラに思うけど。
徳川の織田への救援(姉川とか。)、織田から徳川への救援(長篠とか)、
朝倉から浅井への救援(姉川、1572年の対峙)
信玄時代の武田から北条への援軍(武蔵松山とか)
同じく北条から武田への援軍(西上とか)
同盟国への援軍は、それ自体が同盟国との関係を維持し、そうする事によって自領土の安全を確保する事にもなると思うから、それ自体が報酬って感じもあると思う。
>景勝を倒すのは不可能
そんな事ないと思う。本当にそうなら、景勝もあんなに大金払ったり、領土を渡してまで、勝頼を味方につけようなんて思わないと思う。
北条や武田に景虎を支援された状態で勝つのは厳しいと思ったから、そのままだと景勝派が倒されると思ったから、としないと、景勝があれだけの買収を勝頼に行った理由がない様に思う。 >>607
そうやって、議論的に反論とかしないで、そのように書くのはどうかと思う。 少しの労力をケチったばかりに同盟してた北条まで敵に回し無駄な新府城を造って家臣に離反され
最終的には織田徳川に滅ぼされたなんて正に悪銭身につかずの典型例だな 武田は上杉を敵には回せない。上杉を敵に回すと信濃戦線が長篠以前に戻る若しくは更に悪化するから。しかも大軍は送れない。徳川軍の猛攻に曝されてる駿河方面軍を見捨てる事は出来ない。厄介な事に織田・徳川と上杉は伝馬を整えていたから上杉領を攻めると景勝がこれを吹聴して廻る事は自明となると武田には打つ手が無い。更に武田には増援が無い。景虎軍は春日山攻撃戦で壊滅しており北条軍はいつ来るかもわからん。そんな中景勝攻めなんてしたらそれこそ景虎の死を意味する。 >>612
またいつもの妄想か
謙信の後継者を名乗る以上、景勝が真逆の外交に転向するのは困難
織田信長も上杉を許す気はない
上杉より北条を敵に回さない方が優先順位が先
勝頼が恐れていたのは北条が上杉領を飲み込むこと
他に戦線抱えてるからといって、同盟国の要請にゼロ回答、かつその相手に買収されてるのでは前代未聞で批判は免れない 景勝は信長と和睦交渉してるし勝頼に対して「信長と和睦する時にはお互い一枚噛む」事を約束させてる(「菅屋長頼宛上杉景勝書状」「跡部勝資書状」)
つまり景勝(と勝頼も)信長と土壇場に至っても和睦出来ると信じてる。天正六年でもそうだろう。というより景勝からすると御館のときが一番信長に接近しやすかった。謙信の悪の面は全部景虎に押し付ける事が出来るから。それは景虎には武田・北条という信長の仇敵がついてる事からも証明できる。勝頼がこの事を理解してなかった筈がない。同盟に至らずとも景勝が「勝頼が北上してる」事を徳川に密告するだけで武田は御館に介入する力を喪う。 >>614
はいはい、いつもの長文妄想ご苦労様
迷惑だから控えてね >>614
>つまり景勝(と勝頼も)信長と土壇場に至っても和睦出来ると信じてる。
交渉てのは相手あってのことで勝頼も景勝も交渉始めようとしたものの、門前払いされている
2人とも不利になりつつある時期に藁にもすがる気持ちで交渉始めたのであり「和睦できると信じていた」とまでいう根拠はない
>天正六年でもそうだろう。
そうじゃないだろう
御館の乱の前と後で状況は全然違う
>謙信の悪の面は全部景虎に押し付ける事が出来るから。それは景虎には武田・北条という信長の仇敵がついてる事からも証明できる。
意味不明
妄想についていけません
>勝頼がこの事を理解してなかった筈がない。同盟に至らずとも景勝が「勝頼が北上してる」事を徳川に密告するだけで武田は御館に介入する力を喪う。
武田が越後に向かってることくらい織田徳川は知ってたよ 北条は武田と同盟して織田・徳川と敵対してたのに武田と関係が悪化したら織田・徳川に和睦打診して武田を攻めた。
景勝も同じ事をするだけだろ。武田が裏切ったので織田・徳川に和睦打診するだけ。しかも同盟関係にあった時の連絡路があるからまず手始めに勝頼隊の場所をチクって徳川に駿河攻撃を依頼する。北条にできて景勝に出来ないって話は無いわな。 >>616
和睦出来ると思ってるから交渉始めてるんだろ…和睦出来ないと思ってたら交渉なんかせんわな。
しかもなんで菅沼くんって毎回史料を見ないのだ?織田と武田の和睦交渉は続いていてしかもそれは成功したという風聞まで立ってる(跡部書状)決して門前払いでは無い。武田は粘り強い交渉を重ねていた。ところが信長にとってこれは武田を滅ぼすための策謀の一つだった、というだけよ。 妄想君の妄想は同情論証による詭弁の一種でしかない
誰に対しても弁護できるクソみたいな屁理屈だからな
御館の乱に関していえば家臣達にどう説明できるかが第一
上杉が敵になるからとか駿河に戦線があるからなんてゴチャゴチャいっても通用しない
・同盟国を裏切ったのはなぜか
・戦線新たに拡大したのはなぜか
・前年に嫁をもらったばかりなのになぜ戦略を転換したのか
それらを説明ができなかったから、金で買収されただろというのが武田家臣のコンセンサス
軍役負担は増えて駿河遠江を益々放置し始めた
その不満が甲州崩れに繋がる >>618
>>>616
>和睦出来ると思ってるから交渉始めてるんだろ…和睦出来ないと思ってたら交渉なんかせんわな。
×和睦できると思ってるから交渉始めた
○和睦したいから交渉を始めた
アスペにはわかんないかなあ
>しかもなんで菅沼くんって毎回史料を見ないのだ?織田と武田の和睦交渉は続いていてしかもそれは成功したという風聞まで立ってる(跡部書状)決して門前払いでは無い。
甲江和与は全く交渉は進展せず失敗に終わっている(跡部が上杉に弁明してる書状から明らか)
その後の僧を仲介人とした甲江和親は佐竹に誇大広告したものがあるだけで交渉が進展した跡はない。
上杉は門前払いされていたのは明らかだし、武田も同様だったろう 具体的に跡部書状(戦武三二八八)を簡単に書き下すと、
貴方の書状を拝見しました。「仍甲江和与令成就」勝頼と信長が和睦して織田源三郎を返したとお聞きになり、「此処貴国へ不被申届条」このことを貴方に言わなかった事をお怒りなのはわかります。ですが当方には表裏無くこれには理由があるのです。
東方が源三郎を帰したのは「佐竹義重御媒介候」佐竹による事で決して上杉を出し抜くつもりがあった訳ではなく、それに「実儀無之候」まだ何の結果も得られてないのです。ですので出し抜いて和睦した事実はありません。
勿論、「勝頼被及大誓詞、剰執御榊深重申合、属甲江和睦者、貴国一統之儀、随分可被及才覚之旨」勝頼は神前に誓った織田と和睦する時は上杉も共に和睦するという大誓紙を忘れてはいないのであるから絶対に武田は上杉を軽んじません。
そういえば「貴国阿土ニ御使者被付置候趣雖申廻候」上杉の使者が織田に会おうとしてると聞きましたが、「凡下之惑説一向不被致信用候」下賤な連中の噂話なんて信用なりませんよね。畢竟「相互被守数通之御誓詞之旨、一途両国御入魂之外、不可有他事候」お互いに誓紙を取り交わしてる我々以外信じるものはないですものね。
こんな感じか。 重要なのは
武田はまだ織田と和睦するつもりがある(実際天正九年まで和睦交渉が行われてる)
上杉と武田はお互いに織田と和睦する時は両国同時に和睦することを誓い合ってる
にも関わらず武田も上杉も独自の交渉を行なってる
確かにこの跡部書状は武田の弁解書なので真実交渉が失敗したかまではわからないし下手すると武田は「成功した」という感触を掴んでた可能性もある。 >>622
>確かにこの跡部書状は武田の弁解書なので真実交渉が失敗したかまではわからないし下手すると武田は「成功した」という感触を掴んでた可能性もある。
無いよ
上杉に誠実に釈明するために書いた書状だし、成功しそうなら上杉にそう書く
織田の姿勢は上杉と菅屋長頼の史料があるから明らかだよ
騙すつもりというより完全無視
そこを何とか縋ろうとする武田と上杉という図式
和睦できると信じていたって何の宗教だ?
天正7年10月の和睦交渉と天正9年の和睦交渉は完全に別物だから混同しないようにね
前者は完全に失敗して以後佐竹は手を引いている
前回失敗してるにも関わらず、天正9年の交渉でまた騙されて北側の防備が弱い新府城を築城したというのがアンタの妄想だったっけ? 北条を敵に回したーっ!!!
って主張は分かるけど、北条を中立以上の条件で武田側に引き留める手段はない
つみです。お疲れ様でした! >>624
> 北条を中立以上の条件で武田側に引き留める手段はない
あるぞ。
武田が甲斐國を手土産に北條に臣従する。
これで北條は完全に味方。
で、
北條は甲斐國と武田一族を手土産に織田に臣従する。
織田は武田一族を誅戮する。
やっぱり詰んでますね。 ありふれたことだと思い込んでいる事項が、
改めて愚直かつ定量的に見直してみるとちっともありふれていない、という場合が少なからずある。
そんな些細な瑕疵によって隠した筈のことが露顕するのもありがちな話だ。 久しぶりに来たがゴールデンウィークも汚物臭くなってたみたいだな >>623
武田が真実を書く程ピュアな状況とも思えないからね。実際武田は「そう言うけどお前らも勝手に交渉してるよね?」と釘を刺してるのはそういうこと。弁明書であるが故に真実とは限らないという厄介な書類ではある。一つ確かな事は武田も上杉も「織田と和睦出来る」という事だけは疑って無い。疑っていたなら和睦する時は云々とか言ってる場合じゃないから。確かに神の視点を有する現在から見ると妙な話ではあるんだがその「妙」ってのは信長の策謀で説明はつく。つまり勝頼も景勝も信長の掌の上で踊らされてたってだけ。有りもしない希望に縋って蓑踊りは滑稽ではないか。信長も爆笑してたに違いない。 >>636
一つ確かな事は武田も上杉も「織田と和睦出来る」という事だけは疑って無い。
根拠は? >>637
戦武三二八八の跡部書状。この中では「武田と上杉は合同して織田と和睦する」事を重ねて確認してる。つまり両家とも織田と和睦出来ると信じてることになる。 史料上武田と織田の和睦交渉が前進してるという風聞は確認されている。ところが実際には信長は武田と和睦しようとかは全く考えてない。これは上杉に対しても同じ。そして武田も上杉もこの事実を認識していないか過小評価してる。両家とも「織田に和睦するつもりが無いのではないか」「少なくとも自分とは和睦するつもりが無い」と言った報告相談をした形跡が無い。あっても良い筈なんだが…
平山優はこうした外交は信長の時間稼ぎだったとしてるけどまぁ事実そうなんだろう。何しろ北条が呆気なく織田と和睦してる(少なくとも北条はそう思ってた)のに自分達が出来ん筈が無いとでも思ってたんだろうさ。 織田と武田が和睦中と知った北条は『織田に臣従する(鼻ほじ』とか『武田に滅ぼされる(棒』と使いを送り和睦交渉をぶち壊してやったから >>638
全然論が通らない
もし和睦できた場合は共同で和睦しようといいだけのこと
現時点では武田側としては交渉はうまくいっていないと通知しています
これのどこが和睦できると信じてるになる?
いつもの君の妄想だろ >>639
「やりたいこと」と「出来ること」は別物
武田の考えと織田の考えは別物
交渉はまともに行われていない
ロシアは48時間でキーウを制圧出来ると信じて進軍した
結果はご承知の通り >>609
何、君?その書き方だと、まるで君はスレのにおいを感じ取れるように、僕には思えるけど、
仮に本気でそんな事を書いているのだとしたら、少し休んだ方がいいと思う。
>>612
>>599にも似た事書いたように、ただでさえ、景勝は景虎派が存在する限り、
景虎派との戦いで手一杯で、とても武田領土を脅かすなんて無理だと思う。
しかも、景虎派が存在するのに加えて、北条の援護と、
武田の(それが数千規模の軍勢であったとしても、当時の景勝派の勢力からすれば結構な脅威に思う。)援護があるなら、
景勝派は武田を脅かす以前に、景虎派、北条の援軍、武田の援軍、によって倒されるかどうか、
という話になると思う。 >>618
横からだけど、今度はその人が菅沼なの?>>603では僕が菅沼認定されてるように思うけど、
僕は菅沼なんて言う名前じゃないし、僕と今君が菅沼認定してる人とは特徴が違いまくるように思うけど、
そこら辺の説明って君に可能なのかな、って思うんだけど、どうなの。
君のその論旨については、軍鑑読むと、>>143にあるような感じで、穴山が新府築城を勧めた時の進言からすると、
とても和睦成立が可能だと武田が思っていたようには思えないんだけど、どうなの。
できたらそりゃうれしかったろうけど。 >>617
>武田が裏切ったので
勝頼が景勝派に買収されてない状況なら、そもそも勝頼は景勝の味方でも何でもない、ただの敵に思うので、
そんな風に言うような関係じゃないと思う。
>>574にも似た事書いたように、徳川が武田領土に攻めてきたんなら、勝頼は主力の軍勢を率いて
徳川の対処に向かい、数千くらいの軍勢に景虎派の支援と景勝派の妨害をさせていけば、
同盟国としての義理は十分に立つと思うし、北条だって非難しないと思うけど。 >>646
何々?>>644にある菅沼認定の事?
それって君こと菅沼認定厨さんと思しき人が言ってるだけで、
君こと菅沼認定厨さんと思しき人は、>>603や>>31にあるような菅沼認定の矛盾にろくに答えられてないように思われるので、上記644で聞かれてる事と合わせて、
答えて欲しいと思うかな。
上記31や上記603にも似た事書いたように、むしろ、ワッチョイスレで菅沼認定厨さんと思しき人が、IDコロコロや他人装いをしている可能性が高い事や、
菅沼認定厨さんと思しき人に菅沼認定を受けた、特徴の違う何人もの人々がいるように思われる事が指摘されてたように思われるのに、そんな事を書かれても、と思う。 >>646
それから、ふと疑問に思うんだけど、君のその書き方からすると、
君は僕と、僕とまったく特徴の違うように思われる>>616の人を同じ人認定して、
菅沼認定してるように思うけど、
その割には、僕と上記616の人についての扱いが随分違くないかな?
>>618の人の対応を見ても、僕については、議論的な事にろくに答えてないように思われるのに、
上記616の人については、菅沼認定をしつつ、違う対応をしているように思われて、
これで同じ人を扱ってるとはとても思えないと思うんだけど、どうなの。
この対応の違いを見るに、菅沼認定をしている菅沼認定厨さんと思しき人にとっても、
菅沼認定をされている人々の判別はついているように思われるんだけど、どうなの。 北条が甲州征伐を企てた最大の功労者
信長をうまく利用して武田を滅ぼすと記した書状が残っている 543 人間七七四年 [sage] 2022/03/19(土) 14:03:22.85 ID:yVZ593x6
はいはい
IDコロコロお疲れ様
あぼーんな
780: 人間七七四年 [sage] 2022/03/23(水) 11:30:59 ID:7mtgt574
恒例のIDコロコロ対談w
お笑いだよ
↓
549 人間七七四年 [sage] 2022/04/03(日) 17:44:46.26 ID:/pzVjYDM
ここにいるよバーカ
やっぱりキャラ変したIDコロコロだとわからない
お笑いだよ
他人にID変えるなと言っておきながら自分はIDと人格変えてレスしてる知的障害だし 北条は甲州崩れの最大の功労者
武田が滅ぶか否かは北条の選択次第だった
アスペと馬糞にわかりやすくいえば
北条を怒らせたから武田が滅んだ
つまり、北条への対応次第では武田が生き延びる道はあった 御館の乱で北条が敵に回った、っていう人は北条と同じ様に景勝も織田と通ずる事が出来るって事を無視してる。少なくとも北条と同じく徳川と同盟して徳川に駿河を攻撃して貰う事は避けられんぞ。 景勝の同盟提案と和睦媒介を蹴って上杉領を攻撃すると景勝は信長と家康に頼み込むだろう。対信玄同盟の時にこの三家は連絡路を確認していて遅くとも一週間までには情報が伝達される。家康は勝頼本隊が上杉領に引っかかるとして駿河攻撃を行うしこうなると勝頼は逃げ帰るしかない。信長からするとここで景虎が勝つと上杉武田北条が一枚岩になるかもで面白くない。それで援軍が来る。一万から二万で。そうなると壊滅してる景虎軍(春日山攻め失敗とかで五千いた兵は二千程度に減っていたとも)は一瞬で皆殺しにされて終わる。 >>654
勝頼の居場所なら信長は飯山にいるとか把握して徳川と連絡し合ってるから今更どうってことない
上杉が御館の乱の前に何で織田と敵対していたかというと足利義昭の要請と北陸国衆の保護のため
景勝がそれらを捨てて織田と和睦すると北陸国衆の離反を招くし、織田は当然領土の割譲を要求するから簡単な話ではない
そもそもそんなこと勝頼は思慮に入れてないだろ
君の妄想の産物 >>655
景勝からすれば生きるか死ぬかの瀬戸際なんだぞ。景虎と和睦するかせめて武田と同盟できなければ北陸の権益云々なんて吹き飛ぶ。最悪死ぬんだから。だから武田と北条が景虎について己を殺そうとするなら未来より今を取るのは当たり前。「信長に北陸渡すなら死んだ方がマシだ」なんて景勝が思うか?勝頼がそこまで楽観論のバカだったとは思えん。
勿論「武田や北条には景勝は倒せないから織田と繋がる理由は無い」という見方もある(勝頼がかなりの悲観主義者になるが)だが織田と繋がる可能性が否定出来ないならそれを前提に動くのが戦略。 多生の犠牲は出るが氏政と一緒に影勝派の城と砦、領地を切り取り
影虎を傀儡した政権にすべきだったな。そうすれば北条も敵に回さず
無駄な戦線を増やすことなく家臣と領民にも負担を掛けなかったのに。 >>658
そもそも御館の乱勃発時、北陸は景勝の物ではない
北陸をあげようなんて権力もない
景勝が織田と結ぶと言ったら北陸に領土がある者は反発して景虎につくとなるな ぼくが かんがえた せんりゃくなら すべて うまくいくんだ! 神保みたいな状況になれば
景勝も織田と組むだろうし織田も景勝受け入れる()と思うぞ ていうか景勝が徳川に一報打てば家康は駿河を攻撃して武田は引き返す事になるから武田からすると景勝と争う訳にはいかんだろ。北条が徳川と連携したのと同じ事が起きる。 この時期の徳川は駿河攻めるどころか
講談の謙信が関東攻めてる間に海津城作ったかのごとく
横須賀城作って高天神封じ込め&攻撃のための準備してるからな。 徳川の動きが怖いならそもそも大軍で越後に入るべきではない >>660
>>662
爆笑
はよ ぼくのかんがえた さいきょうの せんりゃくをいえよ 景勝領を切り取れるだけ切り取って徳川が動いたら数千の兵を接収した領地に
影虎支援と残して戻るだけで北条の要請には十分応じたことになるからな。
同盟を結んでいたのに影虎を見殺しにしたことが北条との手切れに繋がったわけで。 影虎ってかたくなに書くのは荒らしか?
影勝も登場していたな >588
>590
>592
>594
影虎www
780: 人間七七四年 [sage] 2022/03/23(水) 11:30:59 ID:7mtgt574
恒例のIDコロコロ対談w
お笑いだよ >>664 >>666 >>653
だから、>>645にも似た事書いたけど、徳川が来た時には、
武田勢主力を率いて勝頼は徳川と対峙して、数千くらいの軍勢に景虎派の為に援護活動をさせれば、同盟国として十分働いたと言えると思う。
>>643にも似た事書いたけど、当時の勢力的にも、数千の軍勢に景虎派を援護させれば、景勝派にとっては十分な脅威になると思うので、景勝派が武田を脅かすどころの話じゃないと思う。 >>663
どうなんだろうね?織田はメリット無い、として、そのまま攻め込むだけにも思うけど。 >>650
君がそのレスで菅沼認定しようとしてると思しき人は、>>618や>>646で菅沼認定を受けていると思しき、
僕とも、>>616の人とも、特徴が違うように思うけど、
これでどうやって菅沼認定しようとするのかとも思うので、答えて欲しいと思うかな。 >>650
そもそも、菅沼認定厨さんと思しき君の菅沼認定は、
それをしようとするなら、>>647や>>648にあるような、菅沼認定の矛盾に思われる事とかに
答えて欲しいと思うかな。 504 人間七七四年[sage] 2022/04/02(土) 15:10:33.90 ID:gDBtZbmP
仮に勝頼が真面目に影虎を支援していたら上杉はどんな感じになってたんだろうな。
517 人間七七四年[sage] 2022/04/02(土) 18:51:25.27 ID:zA60OfD0
>>504
地盤のある景勝でさえ勝利後、越後を纏められなかったわけだから尚更、影虎は纏められない。
恐らく越中、上越は武田。中越、東上野は北条が影虎の後見として軍を入れて
上杉領は武田と北条の分割統治となったのかもせれない。 553 人間七七四年[sage] 2022/04/03(日) 17:58:29.74 ID:j5sO7yKv
>>544
自分で影虎は傀儡って書いてるじゃないか。
武田と北条の後ろ楯がなければ影虎は上杉の当主にはなれないし、
影虎政権を持続させるには武田軍と北条軍の力が必要不可欠。
実質的には武田と北条の分割統治にならざるを得ない
569 人間七七四年[sage] 2022/04/03(日) 21:07:28.07 ID:5/4mvbeO
>>553
影虎単身じゃ上杉は纏めあげられないし本拠地の上越は近場の
武田から武将を招き入れないと軍事力が足りず国人を支配できないしな。 588 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 20:23:33.70 ID:++sIFldr
勝頼が御館で影虎を真面目に支援して影虎が上杉を継いでいたらどうなってるんだろうな。
通説のように三国同盟が成立し武田の延命に繋がったのかな。
590 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:25:35.11 ID:X86I/4vS
>>588
三国同盟ではなく武田と北条がそれぞれ敵対した影勝派の武将から城と領地を接収し
勝頼と氏政が影虎の後見人として武将と兵を上杉領地に配置するんじゃないかと。
592 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:34:34.75 ID:7nuvwIVD
>>590
史実で御館の乱のさなかに
影虎派の武将からも領地奪ってる北条がその程度で済ますとは思えないんだが。
594 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:55:04.53 ID:X86I/4vS
>>592
まあ勝頼と氏政が影虎を傀儡にし上杉領地をそれぞれ接収する未来になるだろうってこと。 IDコロコロ使う奴って菅沼だっけ?
あ、荒らし連レスコピペの癖がそのままだな 菅沼はバカだが影虎とは言わないな
思い込みのハゲしいアスペだろうね 景勝からすりゃ武田が同盟に応じないなら織田に謝罪して同盟模索、徳川に通報して同盟と駿河攻めを頼むってだけだろう。北条がしたように。上杉から徳川までは3〜7日で到着だから武田が攻めてきても10日程頑張れば良いって話になる。
しかも織田がこの同盟に応じる可能性はかなり高い。信長からすれば武田・北条が支援する景虎が勝ってしまうと上杉武田北条が一枚岩になるかもで厄介な話になるから。なら景勝を応援してやって武田を滅ぼそうってなるのが普通。これは勝頼だって気付くし気付いたところでどうしようもないのも事実。 >>684
>徳川に通報して同盟と駿河攻めを頼むってだけだろう。
史実で信長は勝頼が飯山にいることを徳川に通知してるくらいだから景勝が通報したところで何も変わらない
>しかも織田がこの同盟に応じる可能性はかなり高い
可能性はかなり低い
上杉の北陸の国衆は織田と犬猿の仲の者が多く、御館の乱で中立で景勝がどうこうできるものではない
織田は当然領土の割譲を求めるが、景勝には権限も余力もない、勝手に没収できない
>これは勝頼だって気付くし気付いたところでどうしようもないのも事実。
景勝に目の前に餌を与えられて釣られただけ
当初は景虎支援のために出陣し、単に買収されて心変わりしたのは明らか >上杉の北陸の国衆は織田と犬猿の仲の者が多く
立場違うけどこれが史実での上野だからなー。
北条は景虎の援軍として兵だしてるのに、景虎も攻撃するという本末転倒の展開に。 >>686
信長も家康も「どうして勝頼が北上しているのか」からまず調べないといけないから景勝からの通報があるか否かは凄い重要。特に「景勝の城を攻撃している」という情報は値千金。城攻めから帰ってくるのには時間が掛かるし城兵が追い討ちをかけるかもしれないからね。だから景勝が織田・徳川に通報するかもというのは武田にはかなりのプレッシャーになってた。特に駿河を狙われてる天正六年だもの。 >>688
だから家康は御館の乱で勝頼が越後に向かったの知っていると書いたんだが理解できない?
信長は勝頼が飯山にいて徳川にチャンスなのに慎重すぎると通知している
妄想ばっかしてんじゃないよ 妄想は菅沼遼太くんの得意技だが、
彼に影響受けた? こいつも妄想凄いが北条が最大の功労者君も妄想全開してるから中身同じだろう 北陸が北陸が、って言ってるけど大事な事を忘れてるぞ。景虎に負けたら北陸含めた全領土ともしかしたら景勝の生命も失うってこと。だから景勝は信長に領土割譲を要求されたら仕方ないという覚悟をしたうえでそれでも援軍を求めるだろう。景虎に負けるより遥かにマシだから。 >>689
そりゃ史実の状況じゃ動かんだろ。勝頼は上杉を攻めに行ってるんじゃ無いから。家康も信長も「何故勝頼が北上しているか」を知らない。武田軍の正確な軍数も所在も把握出来ない。下手に城を攻撃したらそれが武田の罠でした、なんて事になったら洒落にもならん。
対して勝頼が景勝を攻撃して景勝がこれを通報した場合は全く状況が異なる。武田軍の正確な所在と大まかな兵数を把握出来る。しかも景勝の城を攻撃してるから簡単には戻って来れない。 >>692
柴田に追い詰められてから佐竹に送った書状からみるとナルシストっぽいから城を枕に討ち死にするんじゃね
関ヶ原の時は会津征伐での全面戦争からの肩透かしだったから降伏したけど >>692
河田長親達北陸の国衆達は景勝の家臣ではない
家督相続して第一手が北陸の領地没収なんてないわ >>693
6月25日織田信長書状
勝頼は飯山にいるのに家康は慎重すぎると書いている
飯山は上杉領だし、勝頼が御館の乱に介入して越後に出陣していたことを信長は把握しているし徳川も連絡を受けていた
徳川はその間に高天神城に付城を築いており、何もしていなかったわけではないね 戦争してるのと単なる移動を同レベルにとらえる方がおかしいだろ…この二つは全く違うわな >>694
城を枕に討死、なんてのは江戸時代に作られた武士観に過ぎんからね。当時の大名ってのは兎角生き残れる事を考える。景勝もそうした考えだった事は関ヶ原でも明らかなわけさ。
武田が景勝と景虎の和睦を媒介しないなら景勝の味方はゼロってことになる。景勝だけで景虎・武田・北条を倒せるなら織田なんか頼らんが危機となれば織田と徳川を頼る。何しろ北条が全く同じムーヴかましてるんだから想像しやすかろ。 しかも織田とは「交渉」に持ち込める。このまま景虎が勝てば上杉・武田・北条が一枚岩になるけど良いのか?という話。信長はこうした外交は聡い。土地なんかすぐには要求しないだろう。ここで景勝を支援して勝たせればその時点で上杉は織田の旗本に等しい。北陸だなんだ小さい事は武田を滅ぼした後にゆっくり潰せば良いからね。重要なのは上杉を反武田として信濃戦線に置くこと。これで盟邦徳川もぐっと楽になる。上杉なんか見捨てても惜しくは無いし。当然景勝からしたら面白くはない。でも仕方がない。生き残るにはそれしかないから。 >>689
まあ景勝も御館の乱、新発田の反乱、天正壬午の乱で色々と寝技は使ってるからな
秀吉に頭を下げるぐらいだし >>696
あの時点で家康の動員兵力は8000くらいなので慎重になるのは当然かと。
長篠で痛手を被ったとはいえ腐っても武田。20000の兵を動員してるからねえ。 交渉も何も勝頼が裏切らなければ氏政と景虎と勝頼に景勝の領地は奪われてたろうし
何もかも奪われた敗軍の将なんて信長も家康も相手にせんよ。 ぼくが かんがえた さいきょうの うらぎらない かつより 領土や恩賞問題で反乱や荒れまくる上杉領で
勝頼や氏政が接収、分割統治できると言ってるのはゲーム脳かな?
景勝に代わって越後を掌握したい反景勝派の上杉一門も許すわけない >>705
景勝と景虎で分割統治できると思ってたのが勝頼なんだよなあ… 分割統治?むしろ和睦斡旋断念して景虎見捨ててるやん 対越同盟、相互不可侵がメインであろう甲相同盟が御館の乱でどっちが勝ったとしても対越同盟の意味は皆無になる
残る相互不可侵だが、これは北条にもメリットはあるがこれを長く維持出来るとは到底思えない >>707
最終的には断念してるが、勝頼が目論んだのはあくまで両者の和睦
つまり勝頼の思考としては北条を捨てて上杉景勝を選んだつもりはない 勝頼「ぼくの かんがえた さいきょうの わぼくで ぼくの いえは つぶれました」 景勝が正式に跡を継いだ説が正しいなら景虎は反乱しただから 武田としては最悪のパターンは景勝が織田・徳川と同盟して反武田連合に加わる事でこうなると武田はもう駿河で戦えなくなる。これは北条もやる動きだけど北条が織田と通じたところで武田としては駿河に注力出来れば良いだけだからね。
とはいえ北条と戦争はあまりしたく無いから景勝と景虎を和睦させるってのは中々のセンではあった。しかも景虎は既に軍事的に壊滅してる訳で「景虎を救う」要請にも叶う。 >>711
和睦を現実させる為には軍事力が必要だしその為には兵隊を収容する施設が必須。景勝は勝頼にその場所を提供したに過ぎん。まさか野宿せいという訳にもいかんだろ。景虎サイドの城に入るなんて尚のことヤバい。普通に考えて占拠しにきたとしか思わんだろう。 景勝景虎の和睦なんか無理
勝頼としては誤算があったということ 景虎に肩入れし景虎側が勝ったら北条の勢力が拡大するからそれが面白くなく
北条を裏切っただけだろ。甲陽軍艦にも書かれていること。そもそも織田は越中を
まだ平定してないから景勝がやって来ようと戦場になってる越後には行けん。 >>676
ええ?君は一体誰と誰の事をそんな風に言ってるの?
IDコロコロや他人を装う事をしてる可能性が高い事がワッチョイスレで指摘されていたのは、
菅沼認定厨さんだと思うけど。
現状で、ここまでの流れで、僕がレスしてる人は、菅沼認定厨さんと思しき人をはじめとして、
普通に僕と別人だと思うけど、君は何を言いたいのか、答えて欲しいと思うかな。 ああ、>>676の人って>>678 >>679のレスで挙げられてる書き込みを、
そう書きたいのかな?だとしたら、 >>718のレスはごめん。 >>680
そんな事ないでしょ。
>>718にもあるような感じで、ワッチョイスレで菅沼認定厨さんと思しき人がIDコロコロや他人装いをしている可能性が高い事を指摘されていたように思われるのに、
そうやって菅沼認定厨さんと思しき人の君が、そんな風に書くって事は、
上記のように自身がワッチョイスレで指摘されていたように思われる所業を、
君が菅沼認定した相手側に押し付けようとしているように思えるんだけど、どうなの。
それから、君こと菅沼認定厨さんの言う菅沼とか言う人の特徴って
>>31や>>648にあるような感じで、菅沼認定をされていると思しき人々の特徴も、
菅沼認定をしていると思しき人の、
菅沼認定をされていると思しき人々への対応も違ってるように思われるのに、
これでどうやって、どのような特徴や理由を基に菅沼認定をしようというのか、答えて欲しいと思うかな。 >>682 >>683
>>720にあるような感じで、ワッチョイスレでIDコロコロや他人を装う事をしている可能性が高い事を
指摘されていると思しいのも、菅沼認定厨さんと思しき人に思うし、
菅沼認定厨さんと思しき人とかに、菅沼認定を受けていると思しき人々は、
その特徴が違うだけでなく、その菅沼認定をしていると思しき人の対応さえも違うように思うから、
とても一人の人の事を言ってるようには思えないし、>>648にも似た事書いてあるように、
菅沼認定をしている人自身が、複数の人々を菅沼認定していることを
わかっているように思われるんだけど、どうなの。
このような状況で、何をどうやって、誰を菅沼認定してるのか、答えて欲しいと思うかな。
特に上記683の人は、
上記にあるような感じで、僕の書いている事は相応の論拠や理由があるように思うけど、
君は一体誰の事を菅沼認定して、どういう理由でそんな事を書いているのか、答えて欲しいと思うかな。 >>714
だからさ、>>672 >>643にも似た事書いたように、当時の景勝派なんて、景虎派がいて、
勝頼も数千くらいの軍勢でそれを援護してるなら、とても武田の脅威になり得ないと思う。
史実では、北条を敵にした結果、軍鑑とか読むと、黄瀬川の戦いでは、
数万規模の軍勢を動かしているように思われる北条との戦いをしつつ、徳川が逆方向から駿河に攻めてきて、それに対応する事になっているように思うし、
軍鑑とか読むと、勝頼は北条との戦いを上野でも行ってるように思われるので、ただでさえ織田徳川を相手に守勢で戦っている事も考慮すれば、
北条を味方にしたまま、景虎派とも連携しつつ、景勝派と戦う時の比じゃないくらいに、
戦略的に厳しい状況になってるように思うけど。
北条からしてみると、>>567にも似た事書いたように、なんで北条が要請して、
景虎派の支援の為に出陣した勝頼が、景勝から金と領土をもらい、婚姻同盟の約束もして、
景虎と景勝を和解させるとか言い出してるのか、っていう話になると思うし、
さらに勝頼は景勝派と戦おうとしないばかりか、景虎派が景勝派に攻撃されても、倒されても放置、
っていう状況じゃ、普通に考えたら、勝頼が裏切ったと思うのは普通だと思う。 菅沼の別人格の北条が最大の功労者云々と一緒で連レス長文する癖のアスペって隠せないんだよな アスペの特徴
単語の中に誤った文字が混じる、単純な文章しか書けない、文法的な誤りの多い、極端に短い文章になりがち。
抽象的な言い方が理解できず、言葉や会話の含みを汲み取ることが苦手。
会話で、冗談や比喩、皮肉が分からない。
長文を読むのが苦手。 >>725
>長文を読むのが苦手。
妄想と長文擁護の菅沼で笑うw 御館の乱で武田が出来ることと言ったら景勝の景虎を和睦させてこれからは仲良くしてねとお願いすることぐらい。
若しくは景勝に力添えするフリをして隙を見てぶっ殺すとかだろうけどこれやったら信玄が今川氏真を攻めたのと同じくらいの悪評を買う。 あの長文連レスが重度のアスペに有りがちな異常な行動に見えないって・・
まあ本人ならそう言うしかないわな 過去のアスペルガーだが、と蔑称された
荒らしを他人事と捨て置けない
長文全レスさんが? アスペの異常行動
単語の中に誤った文字が混じる、単純な文章しか書けない、文法的な誤りの多い、極端に短い文章になりがち。
抽象的な言い方が理解できず、言葉や会話の含みを汲み取ることが苦手。
会話で、冗談や比喩、皮肉が分からない。
長文を読むのが苦手。
ひとり遊び(自作自演)に抵抗がない >>726
北条が最大の功労者君(菅沼別人格)が妄想と長文擁護&管沼擁護してるなら
確かに一人遊びが大好きなアスペだわw 勝頼にゃもうどうしようも無いわけだけど生き残る為には織田と和睦するしかない。その為に早めに徳川と和睦って訳にはいかんかったのか。 >>738
織田と和睦できるとしたら天正地震まで生き残るしかない。
長篠はやらずに基本は専守防衛、あるいは遠江までの遠征に留める。
御館は景虎について背後に余計な敵は作らなければワンチャンスあるかも。 武田は外交の流れが悪過ぎる。織田は武田を許す気が無い。
徳川も当然反武田で行動。その反武田連合に上杉謙信が乗っていて武田は三方向から攻められる。やっと謙信と和睦して少しは楽になったかと思えば謙信が死ぬ。ここで上杉を攻撃して敵対したら元の木阿弥だから戦えない。徳川は攻撃してくる…織田・徳川と和睦するヒマが無い。 信長が武田を許す気がないとか想像できるわけがないもの
本能寺を起こされるのも納得やな >>742
信玄勝頼に限った話じゃない。
信縄や信虎の世代からの宿痾だ。
但し先行世代のそういう行動は大飢饉や大地震等の自然条件に根本原因を有する社会構造上のイベントであって、
少なくとも当時に於いては不可避/不可抗の行動だったことが推察される。
信玄勝頼についてもそういう観点で解析していけば違った見方ができるかもしれない。 信玄が生きてればな
信長追い詰めて優勢だったからな 信玄って結局口だけやん
信長どころか家康にすら勝てないチキンだし 残念だけど研究で言われてるのは信玄は信長を追い詰めてたってことだからね 543 人間七七四年 [sage] 2022/03/19(土) 14:03:22.85 ID:yVZ593x6
はいはい
IDコロコロお疲れ様
あぼーんな
780: 人間七七四年 [sage] 2022/03/23(水) 11:30:59 ID:7mtgt574
恒例のIDコロコロ対談w
お笑いだよ
↓
549 人間七七四年 [sage] 2022/04/03(日) 17:44:46.26 ID:/pzVjYDM
ここにいるよバーカ
やっぱりキャラ変したIDコロコロだとわからない
お笑いだよ
またキャラ変したんか?爆笑www >>750
はいはい追い詰めた追い詰めた
ご苦労さん
あれで追い詰めたとか今の学者のレベルは低すぎだわ
それなら小笠原と諏訪が信虎追放後に甲斐に攻め込んだり
砥石崩れで信玄が大敗した後に反攻して中信まで侵略したのも
追い詰めたってことなんだな >>754
お前に言われちゃおしまいだ
学者の言ってることを疑いなく信じてるんだし
少しは自分で考える頭持てよ
従うだけならまあ楽だけどな
ところで、学者は何をもって追い詰めたといってるのか言ってみろよ
まさか包囲網布いたから追い詰めたとかそんなレベルの低いこといってないよなあ? ツイフェミ並みのレベルの低さだなお前さんw
自分の感情でしか物が言えないんだからねw >>756
はいはい誤魔化しご苦労さん
お前みたいなやつは「学者はこう言ってるんだよ」
って全く言えないよな、人をけなしてごまかすだけ
どうせネットで出てる発言を拾って言ってるだけだろ?
わかったわかった
あと菅沼
せめてsageくらいしろよ
バレバレだぞ >>758
で、学者先生のご高説は聞かせてもらえないの?
そりゃ言えないよな
ネットで書いてるのみてただけなんだから
ツイフェミ以下のレベルの低さだなお前さんw 追い詰めたとかその辺の用語はどうでもいいけど信長が信玄にビビッてひたすら下風の体作ってぶつからないように頑張ってたのは歴史的事実 東美濃で衝突した後に同盟結びに使者送ってきたもんなw 徳川・上杉の反武田同盟に入っておいてぶつかってないもクソもないんじゃ リアル三國志、再び。
K.J Twitchアーカイブ
Steam(PC),PS4,XBOXone
架空戦争略奪サバイバルゲーム
「RUST(ラスト)」シーズン8/第2話
『RUSTその2』
1日全国ライブツアー編
(21:51~0:27放送)
hs://www.
twitch.tv/videos/1480080002
i.imgur.com/EOrYwRS.png >>759
信長研究の最前線 (歴史新書y 49) 新書 – 2014/10/7 日本史史料研究会編 ・著 >>770
戦国最弱、常敗無勝を誇りながら家中が崩壊することもなかった小田氏治様は臣下から篤く慕われてたんじゃないか? >>770
織田は家臣に討たれて乗っ取られて終わったよね 家臣に討たれて、弱体化したところで別の家臣に屈服して終わったね どのみち甲斐っていう山国なのが…その割には甲州征伐だと一撃で粉砕されてるっていうのが謎だが 灰吹法が甲斐にくれば江戸初期までウハウハ
金の棺で埋葬出来るほどに >>773
それは歴史の繰り返しだろ
豊臣もそうだし、徳川も家臣の島津や毛利に同じことやられた
まずは歴史のお勉強したら? >>771
Wikiの小田氏治はあれ何を参考にした?
氏治が慕われていたというのか、神輿として利用されたというのか
尼子だってそれいうなら再興軍として再起してるんだがな
あれも家臣に慕われたというのか? >>768
嫌われていたなら本能寺で全員殉死したりせず、信長差し出すだろ
京都市中に待機していて本能寺にも二条御所にも駆け付けられなかった
奴らは逃げられたのに逃げずにほとんど殉死している
むしろ近臣からは恐ろしく慕われている
勝頼は近臣にすら裏切られたじゃねーか >>778
勝頼も単独で死んでないね
しかも外敵に追い詰められてな
そもそも信長は近臣に討たれてるがw >>778
信長は家臣団の成り立ちからしてね
信秀は家督を信長に譲ったけど父の世代からの重臣は弟の支持者が多かった。林は弟につくし平手は自害したし
そこで信長は嫡流にない若者を積極的に引き立てて織田家ではなくて信長個人と濃密な主従関係を築き上げることにした
それが信長信忠の近習の成り立ちなんだからそりゃ鉄の結束力も生まれるわな >>779
外敵に追いつめられる前に家臣に裏切られたんだろ
お前歴史知らんのか? そもそも勝頼は最後になって小山田、穴山、秋山、甘利、大熊、木曾と何人裏切られてるんだ
ましてや甘利なんか累代の重臣だろ
信長が抜擢した明智みたいな1代の成り上がりと違うのに裏切ってる
秋山にしても、勝頼の母親の侍女を嫁にしてる近臣なのに裏切ってるし
明智が信長裏切ったのとはまた違う意味で酷すぎる 長坂にしても最後は勝頼と別行動してる
何でだ
勝頼にあれだけ重用されたんだから最後くらい従えよといいたい >>781
信長は家臣に裏切られたんだろ
お前歴史知らんのか? 穴山は俺が武田の家名を守ると自負してた。勝頼のやり方が気に入らない、あるいは勝頼を武田の当主と認めていない家臣もけっこういたんじゃないの >>784
は?
だから勝頼も家臣に裏切られたんだろ?
お前こそ何言ってる?
というか明智明智と言ってるが、それ以外とか知らんのか
京極高次とか阿閉貞征らも裏切ってるな
で、それがどうかしたか?
明智しか知らない低能くん 家臣に裏切られた例なんて腐るほどあるだろ
豊臣は恩顧の大名に裏切られた、数が多すぎるが
徳川は島津、毛利はじめ多くの大名に最後は裏切られたな
みんな明治政府についた
北条にしても最後は累代の家臣であるはずの松田と笠原の親子に裏切られた
裏切りは歴史だろある意味 ID:ktNR9HhO
うわ…触れたらいけない奴だった 武田は名家の割に組織運営は国人衆の連合体という結構厄介な構造になってた。それで武田に近い連中は「俺こそ武田の血統」と裏切ったし武田から離れてる連中は国人衆なので生き残りを賭けて裏切る。 >>788
知識ゼロのお前に言われたくないわ
明智以外全然話でないし、歴史知らないんだろお前
勝頼はいくら庶子でも最後は裏切られすぎだ
穴山は自分から喧嘩を売ったからしゃーないにしても
甘利信頼とか秋山万可、昌成とか譜代の重臣にまで裏切られてるし >>788
お前みたいな知識ないやつって
絶対に「触れたらいけない奴」とか言ってごまかしたり逃げるよな >>790
織田豊臣の場合は成り上がりのせいか
武田ほど国衆依存してない本拠とかは
本能寺の変で尾張ではほとんど変事が起きてないのがそれを示してるといえる
美濃は本能寺で信忠と一緒に斎藤利治ら有力者が死んだから起きたけど 信玄みたいなカリスマと剛腕で押さえられる奴が上だとなんとかなるけどそいつが死んだら一門衆との相続争いが待ってる。国境沿いの国人衆も基本的には力がある奴に従うので宗家に力が無くなったらオシマイだった。具体的には穴山信君(武田信君)の裏切りや木曾義昌の裏切りがこのパターン。 というより、仁科盛信を後継者にすることって不可能だったのかな
勝頼の母親は諏訪だからどう考えても問題ある
盛信の母親は武田の親族油川の娘だから家柄も経歴も問題ない
まあ年齢がちょっと盛信はあれだけど、盛信にしたほうがまとまったんじゃないのか >>793
本拠は関係ない
信虎の代に家臣を住まわせてる
国衆依存って具体的にどういうことか? >>795
秋山万可に昌成に内記と3代も武田家に仕えていて
譜代ではないは無理がある
ましてや秋山という譜代の姓を与えたのは信玄だし 尾張統一後はむしろ譜代以上から裏切られてないでしょ
朝敵以外の大義名分を握られてよくここまで裏切られなかったなと思うけど >>799
貴方がなんと言おうと譜代ではない
秋山万可斎は尾張の浪人出身で信虎の代にはいない
勝頼母の次女繋がりで勝頼の側近になっただけ 多分無駄に高い家格が相続の順位といったところに及んでたんだろうねぇ 甘利に裏切られてる時点でまあ武田も織田と変わらんよな
甘利は両職まで勤めている重鎮中の重鎮だし >>787
彦根藩が薩長についたよなたしか
三英傑で徳川が1番酷えかも >>797
織田の場合は内輪揉めを避けるために信忠が跡継ぎ、後は有象無象なって一門の中で信忠だけを明確に格上にして扱ってきたのが一緒に死んだことで完全に裏目になった
信雄も信孝を織田を出た身で、信雄は尾張美濃由来の家臣を軽視して伊勢の北畠系の家臣を重用してたし、信孝は大名として独立する前に本能寺になってしまった
織田の一門や譜代が信雄や信孝を中心に団結しなかったのは当然なんだよ >>806
>>806
本質は大して変わらないな
本質は当主が弱くなると家臣達はついてこなくなる
織田も豊臣も勝頼も同様 ID:ktNR9HhO
そう云えば↑此奴みたいにいちいち全レスする奴っていたよな。
あっ そういう意味じゃ余所から関東にやって来た早雲が開祖の北条氏とか凄いよな
初代から100年くらい内訌もなく纏まっていた組織なんてそうそうない。
大抵は三代目、四代目にもなると臣下の中にも自立や離反を選ぶ家や一族も出てくるのに。 >>809
三代続いて戦国大名有能ランキングトップ10に入りそうなのが続いたからな >>810
4代目から異常なくらいレベル落ちたよなあ…… >>812
統合失調症だと思うから病院行った方がいい 勝頼がもし長篠無く本能寺を迎えたなら、武田の天下もあったのかねえ…… 武田滅亡が本能寺のトリガーなので割と勝頼には未来が無いような… 本能寺のトリガーというなら本願寺の方だろ
アレで完全に大勢決したんだから 織田は武運の神である諏訪神社を焼いたからな……
歴史上最速で転落した >>818
またそれか……
当時は神社焼くなんてみんな当たり前にやってるよ そもそもそれ以上に信長って大寺社大神社にバカスカ金ばらまいてるからな >>819
諏訪大社は武運の神だし焼いたら武運は尽きるでしょ
たとえ日の本の覇者と呼ばれても武運が尽きたらおしまいって信長も言ってたしねw 焼いたのは織田家の家督を継いでいた信忠だからなぁ
隠居者の奉納の効果は限定的だったんだねぇ >>816
信長は武田を滅ぼしたいという内心を隠して武田と和睦交渉を進めてる。これは武田攻撃の為の時間稼ぎと見られてる。
つまり時間が経てば経つほど信長に有利になってしまう。だから勝頼の道はただ一つ速攻決着しかない。まぁそれ狙った長篠で大敗してるから戦略を立て難い面があるんだが… >>823
武田家末代が織田家の血をひいてたからな… >>816
あとは濃尾伊勢、近江、越前、西三河に壊滅的な影響を与えた天正地震を待つしかないな。 >>827
論点変えちゃう感じ??
ちな、信玄は諏訪大社を焼いていないがw
信忠の蛮行に巻き込まれて、武神にBANされちゃう織田信長と武田信勝www >>828
勝頼の嫁を織田家の女にするのを決めたのは信玄だよ
織田家の血を武田に引き込む決定をしたのは信玄 甲陽軍鑑では信玄の遺言として織田家の血を引く信勝を後継に指名して勝頼は陣代にしてる
実際は勝頼が後継としての活動をしてるが >>830
なになに?やっぱ論点変えちゃう感じ?
そうなると信長も悪いね >>832
織田の血が悪いんでしょ
論点変えるって何? >>834
だって信長がそうだもの
そもそも織田が神官出身の成り上がり者ですから
神をおろそかにする愚息のせいで織田家は滅んだ やっぱり叡山焼き討ちみたいな事をやらかすから
仏罰が下ったのよ つまり悪いのは信忠であって信長は関係無いと
織田信雄の家系は大名から維新で華族
武田竜芳の家系は高家旗本から維新で没落 武田竜芳の家系も武田が滅んだ後に家康に拾われてる
武田本家は家康が拾って使ったが捨てられた 爆サイ、したらば、5chはパチンコ店の資金で運営されてるステマ掲示板
パチンコ店スレの工作員
1,
爆サイ、したらば経営者、高岡賢太郎。
女優、高岡早紀の兄。
脱税で逮捕。
脱税した金をキャバクラ嬢に貢ぐモテないブサイク男ハゲ(短髪坊主)。
脱税した金で女を釣るブサイク男ハゲ(短髪坊主)。
身長は170センチぐらい。
パチンコ店を批判するか書き込みをした者にハッキング、名前特定のために自宅、ネカフェまでやってきてネカフェの個室のドアのカギを何らかの方法で開けて違法に部屋に侵入して、動画サイト(Hulu)のカードを2枚盗む嫌がらせをした泥棒。
ネカフェの隣の部屋から壁を蹴る嫌がらせをしてきたブサイクハゲ(短髪坊主)。
2,パチンコ店長(ブサイク、低偏差値)
3,パチンコ店に雇われたネット工作会社ピットクルー(時給1000円ぐらいのバイト)
パチンコ店スレは工作員1、2,3が連携しながら書き込んでる。
パチンコ、パチスロの大当たりは全て遠隔大当たり(違法行為)
パチンコ店を批判しすぎると爆サイ管理人のチンカス高岡からハッキングされ、名前を特定しようと自宅やネカフェまでやってくる。 ★したらば、爆サイの管理人を逮捕★
高岡早紀の兄 逮捕までの悪行放蕩づくし
週刊新潮2020年3月5日号
どうもこの人の周りではよく逮捕者がでるらしい。
女優の高岡早紀(47)の実兄、高岡賢太郎(48)が法人税など5900万円を脱税したとして、2月20日東京地検特捜部に逮捕された。
元内縁の夫が詐欺の疑いで逮捕されてから2年たらずだ。
「高岡兄は実質的に経営している会社を舞台に、架空発注を繰り返す手口で2億4000万円の所得を隠していた。本人は容疑を否定しているが、国税局査察部、いわゆるマル査が約2年も調べを進めてきた肝煎り案件。悪質性が高ければ、実刑判決の可能性もありますね」(全国誌社会部記者)
高岡兄は、ホストクラブや飲食店の経営アドバイザーをしていたが、ここ数年はインターネット掲示板『爆サイ』の運営が主な収入源になっていた。
「『爆サイ』は全国の地域コミュニティの掲示板で、月に7億PVを超えるほどの人気サイトです。国税は、広告収入だけで月に約4000万円は稼いでいたと見ている。高岡兄はプロデューサーのような肩書きで、関連会社を通じて、少なくとも月額200万円の報酬を手に入れていた」(同)
昨年5月にマル査が自宅や事務所にガサ入れした際には、約2億円の現金が見つかっているとの情報も。
「彼はとにかく会社を私物化していましたよ」とは高岡兄の知人。
「家賃50万円ほどの新宿区の自宅のほかに、沖縄に別荘を借りていましたが、それもすべて会社の経費にしていました。昨年の正月には仲の良いキャバ嬢とファーストクラスでアメリカに行っていた。その旅行の時には、現地で早紀さんとも会ったみたいですよ」
兄の逮捕について高岡本人からの言及はないが、「高岡は一時期、兄の会社にブログの運営を任せていましたし、会社に子供を連れてきたこともありました。何も触れないのは不自然ですよね」(同)
魔性の女の身辺にはやはり魔が棲むようだ。 勝頼の代になると宗家直轄領の生産量が下がってるみたいだしなぁ
逆に調子良いのが穴山領っていう そもそも信虎の時代に屈服させた際に小山田と穴山は潰しておくべきだった
多少時間と労力かけてでも 滅亡が見えれば誰でも裏切るよ
穴山や木曾のせいで滅んだわけじゃないよ 甲斐三分の一族である小山田と穴山に強くは言えんでしょ。特に穴山氏には。信玄ですら穴山氏の排他的支配を認めてるわけで勝頼には異見すら難しかったんじゃないか。 まあ高天神城と二俣城に無駄な遠征しまくって浪費したのは
他でもない勝頼自身だし穴山をどうこうは言えんだろ。 対徳川の戦略が難し過ぎた。徳川は西三河が経済的要地でしかも織田の道路工事の恩恵を受けて無限とも思える資力を得てる。だから武田が本気で徳川に勝ちたかったら三河への攻撃拠点は放棄出来ない。高天神は捨てても良かった気がするけどそれは牧野城を取られる前までの話で牧野を取られた上高天神も捨てると遠江奪還は不可能になり駿河が攻撃される。だから捨てられない。捨てると駿河方面軍ってか穴山信君の不信を買ってしまう。 ポロシェンコ大統領
「西部の子どもたちは学校へ行け、東部の子どもたちは地下へ行け」
://youtu.be/PLgY0r2vChI?t=151
ジョージ・ソロス
「我々はロシアとの戦争の、魚雷として、ウクライナが必要だ。
ウクライナ国民の運命など、知ったことではない」
://youtu.be/5NEifu9thTI?t=621
ローマ法王
「兵器を送ったら人が死ぬだけ、兵器を送ったら戦争は終わらない」
://youtu.be/PLgY0r2vChI?t=1362
名物IDコロコロ対談www(影虎でバレちゃった編)
588 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 20:23:33.70 ID:++sIFldr
勝頼が御館で影虎を真面目に支援して影虎が上杉を継いでいたらどうなってるんだろうな。
通説のように三国同盟が成立し武田の延命に繋がったのかな。
590 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:25:35.11 ID:X86I/4vS
>>588
三国同盟ではなく武田と北条がそれぞれ敵対した影勝派の武将から城と領地を接収し
勝頼と氏政が影虎の後見人として武将と兵を上杉領地に配置するんじゃないかと。
592 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:34:34.75 ID:7nuvwIVD
>>590
史実で御館の乱のさなかに
影虎派の武将からも領地奪ってる北条がその程度で済ますとは思えないんだが。
594 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:55:04.53 ID:X86I/4vS
>>592
まあ勝頼と氏政が影虎を傀儡にし上杉領地をそれぞれ接収する未来になるだろうってこと。 やったぁぁ!
自演本人からのマジ怒りのレスをゲット!! 勝頼が頼った北条との同盟だけど、なんか北条って役に立ってるイメージが全く無いんだよなぁ。 543 人間七七四年 [sage] 2022/03/19(土) 14:03:22.85 ID:yVZ593x6
はいはい
IDコロコロお疲れ様
あぼーんな
780: 人間七七四年 [sage] 2022/03/23(水) 11:30:59 ID:7mtgt574
恒例のIDコロコロ対談w
お笑いだよ
↓
549 人間七七四年 [sage] 2022/04/03(日) 17:44:46.26 ID:/pzVjYDM
ここにいるよバーカ
やっぱりキャラ変したIDコロコロだとわからない
お笑いだよ
日頃からキャラ変と手のひら返しと自演しまくってるアスペ菅沼だからな
スルーが一番 >>830
その時点では、勝頼は諏訪だろ。
武田の名乗りすらできないという。
織田の側も養女だから、互いに警戒しあってる。 >>856
長篠で大損害を被った後でも攻めてこないだけマシじゃね
信玄や勝頼が氏政の立場なら喜んで長篠直後の武田に攻め入るだろ 糖質はこんなスレにいないでメンタルヘルスのスレに逝きなさい 新府城自体は狙いは悪くないというか、信玄の時代にやっておけば良かった
信長は特別だけど家康も浜松に移って一門衆のしがらみを弱めることが出来たんだから >>863
領国の自然条件、飢饉状況、それに規定される農業及び工業生産能力、或いは四隣との外交関係も踏まえた資材調達能力、労役徴発の為の賦役システム、
これらの要素が信玄期武田に於いて本拠移転新築を許すものだったか否か。
そこを検討しないことには当否は判定出来ない。
徳川にせよ北條にせよ本拠移転の成功例は「それを許す状況」に規定された事案であって一般化するのは危険だろう。 >>863
信長や家康がそれをできたのは、当主の権限を限りなく強めていたから
信玄みたいに縁戚関係を結んでほぼ自治権を認めているようでは無理
実際、勝頼の移転の際に従ったのは勝頼の近臣衆だけというていたらくだった 新府城の狙いって何だと思う?
一門衆のしがらみとは何のこと? >>866
当主の権限の強さを測る事象って何だと思う? 新府城のあった韮崎市ですが、甲斐源氏の武田太郎信義の拠点のあった場所です。戦国時代、武田信虎や信玄に使えた重臣たちも甲斐源氏として古くから地方豪族として栄えていたため、豪族連合という集まりで武田信玄は豪族たちに神輿にされ当主になっています。
信虎(信玄の父)の時代に甲府を政治の中心(甲府)にして豪族たちの家族を甲府に住ませて甲府周辺を大きくしていったみたいです。勝頼の時代、新府にお城(山城)を作りますが、韮崎市は南アルプス(甲斐駒ヶ岳)の入り口で現在でも人口3万人未満の地域のため、そこを当時、甲斐の政治拠点とするのはさらに困難だったと思います。新府周辺は現在でも数百人しかひとが住めない地域なので、暮らしたり街を作る事は現在でも出来ません。
甲斐源氏の流れをくむ、新羅三郎義光のひ孫・龍光丸は13歳の保延6年(1140年)武田八幡宮の神前で元服し、武田太郎信義と名乗りました。これが名門甲斐武田氏の発祥です。信義公は広大な館を構えるとともに、武田八幡宮の本社・末社など御建造され武田家の氏神として尊崇しました。
https://takedahachimanguu.com/hist/ >>866
権力体の行動を権力体プロパーの事象としか見られない辺りが軍記脳。
権力体といえども構造や因果律に強要された行動しか取れないのが現実。 新府城は北条と敵対関係に入ったから築いた城だろ。信玄が存命中は東海地方への
進行を進めているわけで新府城を築く必要性は皆無。 >>872
そもそも北条を押してたのに何で作る必要あったんだ?
それより要害城を改修して織田に備えるべきだと思うんだが 武田120万石にふさわしい城と城下町を作っただけ
滅亡からの結果論で考えてはいけない >>873
そりゃ武蔵と相模から本拠地の甲斐に進行される事を考えればそうなる。
また同盟を結んでいる家康が北条領国を通過し共に甲斐に攻め込まれたら終了する。 細長い地形に築城なんて室町から戦国時代初期の発想だろ。
そんな無駄なことに金を注ぎ込んだせいで木曽は離反したわけだし。 木曽を離反させたのは勝頼にも原因がなくね?
木曽に謀反の動きがあったら知らせろなんて木曽の家臣から起請文とるなんて、自分の妹婿すら信じられないのかよ
そんなことしたら木曾だって面白くないだろうし
穴山とは結婚話をぶち壊して面目つぶすし、勝頼ってコミュ障じゃないの? 木曾の場合起請文取ったことよりそれが機能してない事の方が問題だろ 名物IDコロコロ対談www(影虎でバレちゃった編)
588 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 20:23:33.70 ID:++sIFldr
勝頼が御館で影虎を真面目に支援して影虎が上杉を継いでいたらどうなってるんだろうな。
通説のように三国同盟が成立し武田の延命に繋がったのかな。
590 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:25:35.11 ID:X86I/4vS
>>588
三国同盟ではなく武田と北条がそれぞれ敵対した影勝派の武将から城と領地を接収し
勝頼と氏政が影虎の後見人として武将と兵を上杉領地に配置するんじゃないかと。
592 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:34:34.75 ID:7nuvwIVD
>>590
史実で御館の乱のさなかに
影虎派の武将からも領地奪ってる北条がその程度で済ますとは思えないんだが。
594 人間七七四年[sage] 2022/05/04(水) 21:55:04.53 ID:X86I/4vS
>>592
まあ勝頼と氏政が影虎を傀儡にし上杉領地をそれぞれ接収する未来になるだろうってこと。 543 人間七七四年 [sage] 2022/03/19(土) 14:03:22.85 ID:yVZ593x6
はいはい
IDコロコロお疲れ様
あぼーんな
780: 人間七七四年 [sage] 2022/03/23(水) 11:30:59 ID:7mtgt574
恒例のIDコロコロ対談w
お笑いだよ
↓
549 人間七七四年 [sage] 2022/04/03(日) 17:44:46.26 ID:/pzVjYDM
ここにいるよバーカ
やっぱりキャラ変したIDコロコロだとわからない
お笑いだよ
あんなに連レスしまくってたのに自演とマッチポンプがバレて過疎ったの本当に笑えるw
信長過大評価スレで史料捏造がバレて逃亡したのと同じw 504 人間七七四年[sage] 2022/04/02(土) 15:10:33.90 ID:gDBtZbmP
仮に勝頼が真面目に影虎を支援していたら上杉はどんな感じになってたんだろうな。
517 人間七七四年[sage] 2022/04/02(土) 18:51:25.27 ID:zA60OfD0
>>504
地盤のある景勝でさえ勝利後、越後を纏められなかったわけだから尚更、影虎は纏められない。
恐らく越中、上越は武田。中越、東上野は北条が影虎の後見として軍を入れて
上杉領は武田と北条の分割統治となったのかもせれない。 これもだね!!
553 人間七七四年[sage] 2022/04/03(日) 17:58:29.74
ID:j5sO7yKv
>>544
自分で影虎は傀儡って書いてるじゃないか。
武田と北条の後ろ楯がなければ影虎は上杉の当主にはなれないし、
影虎政権を持続させるには武田軍と北条軍の力が必要不可欠。
実質的には武田と北条の分割統治にならざるを得ない
569 人間七七四年[sage] 2022/04/03(日) 21:07:28.07 ID:5/4mvbeO
>>553
影虎単身じゃ上杉は纏めあげられないし本拠地の上越は近場の
武田から武将を招き入れないと軍事力が足りず国人を支配できないしな。 菅沼wikiにこう書いてあった
絶対必勝法
2つのIDを使ってレスバトルを展開しどちらかが必ず勝つようにする 方法。
例えば「A」では「武田信玄は最強、名君」という自分の言いたい内容の書き込みを行い、
「B」では「織田信長は最強、天下人」等と自分が毛嫌いする内容の書き込みを行わせる。
後は「A」で「B」を追及させ、「B」は発狂したかのように基地外書き込みを展開することで
一見すると自分=「A」が、第三者の「B」を言い負かしているように見える。
今、実践中なんだろ >>887
そいつ信忠スレにいた織田厨だから話は通じないぞ
織田厨は あた おか だから餌をやると喜ぶ 甲斐に灰吹法が伝わった後は江戸初期頃までウッハウハだよ >>894
鉱山以外の土地があれなのにウハウハはない というか甲斐が伸びたのって新しい鉱脈が見つかったからだし… >>898
勝頼時代に一度金が絶えたのは、技術の問題なのかな?
それとも労働環境?
長篠の敗戦でただでさえグダグダなのに、金まで同時期にとれなくなるとか
どんだけ…… >>900
お前もういいから
いつもいつも「一人でしゃべってる」って
わざわざ確認、監視しに来てるのか?
何も発言しないのなら来なくていいから ID:KOuuvegq
↑議論するだけの能力も知識も無いのにスレに粘着して構ってもらいたがる、
という意味では例の長文荒らしと全く同類の廃人。 >>905
長文のなりすましかな
ID:KOuuvegq 一次史料には影虎って書いてあるよ?
そんなことも知らないんだな >>909
織田厨だあ。朝一番に書き込みしてるし流石は織田厨 >>899
長篠のちょっと前くらいに宗家が支配してる黒川鉱山から「金山からの産出が無くなりました」って報告が出てる。多分鉱脈が一時的に細くなってたんだろう。
とは言え勝頼は黒川鉱山衆に鉱山からの産出が「無い間」軍役を免除するって書状を送ってる。これは産出が無い事にインセンティブを与えてることになる。詳しい研究は全く無いけどこの後も甲斐の鉱山は稼働してるから怪しい事は間違いない。 >>914
まあ変換や辞書登録が面倒ってのはわかる
せっかく影虎で辞書登録してあるのにな >>919
北條と組まなきゃ信州で戦争してる間に背中を刺されるだけだな。 一応聞くが
信玄が初期に北条と結んだことが失敗なのか
信玄が三国同盟破棄後北条と同盟したのが失敗のどっちだ? 北条と組まないと勢力拡大は出来ないし、その後の駿河進行で徳川ともガチガチに
やりあうわけになったからな。その最中に背後の憂いを抱えるわけにはいかないし
どう考えても北条との再同盟は必須事項 駿河を取るとしてその後の外交をどうするか?まず今川と蜜月だった北条とは確実に手切になる。ここで武田が恐れないといけないのは複数面から攻められる事なのは当たり前。
として織田と血盟関係にある徳川と戦うのはマズい。仮に徳川と交戦状態になると必然的に織田が敵に回る。そして徳川は特段上杉・北条と遺恨が無いからこの何方かと同盟される危険性が大。
対して北条は上杉と犬猿の仲でこいつらが同盟出来るとは考え難い。自分達のメンツが懸かってる所で喧嘩してるんだし。じゃあ徳川と同盟して北条を攻めれば良かったんじゃないか?徳川に喧嘩売ったから織田・徳川連合に上杉か北条が加わって死んだんだし。まぁ勝頼にはどうしようもないけど… >>925
織田厨だあ。
朝一番に書き込みする必死な織田厨 >>923
信玄「北条には駿河の一部を割譲したら大丈夫だろう」
信玄「徳川は織田の部下だからいざとなれば信長に何とかさせよう」
信玄っていつも場当たり的に自分に都合よく考えるんだもんな
氏真はいつでも何とかなるから、むしろ積極的に助けてその大義名分(義元の敵討ち)
を利用して信長・家康に対する連携とか考えなかったのか
あ、義元が死んだ、よっしゃ攻めよとか短絡的すぎる >>930
> あ、義元が死んだ、よっしゃ攻めよとか短絡的すぎる
7年も経ってるんだが
キミの方が短絡的すぎるw >>931
7年経ったのは信玄がどんくさいからだろ
義信や飯富は殺すし
それとも義元が生きていて駿河侵攻したとでもいうのか? 63年の信玄書状で今川攻めること考えているからなー >>932
短絡的と書いてたくせに今度は鈍臭い?
短絡的で鈍臭いのはキミだろ 北条と今川の間柄を考えるとな
それでもやるなら織田徳川との関係は大事になるがいきなり徳川にケンカ売ってるし 駿河得る代わりに義信と飯富と他の家臣を失う
損得勘定があってない 一次史料には影虎って書いてあるよ?
そんなことも知らないんだな >>930
実際何でか知らんが信玄って判断が遅くてしかも楽観的という悪癖があるんだよなぁ。この後勝頼も同じ事やらかすから信玄ってか武田家全体の問題だったんだろうけど。 長篠スレでの妄想お笑いレスがなくなったと思ったら
こっちが復活www >>939
まあそれでも川中島よりは遥かにコスパはいい。
川中島は五万石の為に一門、重臣、数千の兵と損失は駿河の比じゃない >>945
川中島に限ったこっちゃない。
戦国は勿論、古今東西古代から現代まで後から考えて損得勘定の引き合う戦争なんざ殆どねえぞ。 >>945
関ヶ原の戦いを関ヶ原の地をめぐって戦ったと言うようなもの 約30年かけて約4倍まで領土増やしているんだ、
ほとんどの大名よりはコスパいい戦争してるはず。 >>930 >>942
実際には、単に氏真が上杉と同盟して武田を包囲しようとしたから、
織田徳川と同盟して先手を打たざるを得なくなっただけに思うけど。
武田は桶狭間の後、今川と戦うまで、8年以上同盟してて、
しかも、そのうちの7年近くを西上野で北条と連携して上杉と戦ってるように思うのに、
君がそんな事を書くのはどうかと思う。
>>923
徳川とは、もともと遠江で対今川で共同して戦う気だったように思われるし、
それでいざこざあった後は、軍勢を退いて遠江から手を引いてると思うのに、
徳川が上杉と組んで、それに織田を引き込んで武田包囲網を作ろうとしたから、
織田包囲網と同盟して、織田徳川と戦う事にしただけに思うけど。
この戦略で長篠までは、武田は織田徳川に有利に戦えていたように思うのに、
>>36とかにもあるような感じで、長篠でわざわざ設楽に移動して敗北して、
それで東の優位をなくしたのも勝頼なら、
>>198にも似た事書いたように、御館で北条を敵にしたのも勝頼に思うのに、
勝頼のせいでない、というのは厳しい様に思うけど、どうかな。 第二次川中島で今川義元が間に入って和議を結んだのにそれを反故にして今川の顔に泥を塗ってるしな。 >>951
どうなんだろうね。
その後で、今川が特に武田に抗議した形跡もなく、そのままずっと同盟関係を続けてるように思うから、そこまで今川は思ってたのかな。 >>950
実際には、単に氏真が上杉と同盟して武田を包囲しようとしたから、
織田徳川と同盟して先手を打たざるを得なくなっただけに思うけど。
武田・織田間の同盟は1565年
今川・上杉間の同盟は1567年
どう考えても先に今川を包囲しようとしたのは武田だよねえ
まあこういう自己中心的な考え方をしている奴に慕われている信玄
まさに自分勝手さは信玄譲りだわ 武田は織田と同盟して今川を包囲しても問題なし
今川が上杉と同盟して武田を包囲するのは問題あり
なんて自分勝手なんだ……
自己中の塊だなまさに
しかも、今川と上杉はあくまで同盟で婚姻はしてないのに、武田は織田と婚姻までしてるしねえ…… >>957
そもそも今川は速攻離反した徳川が隣にいるんだから三国同盟にヒビを入れて武田を刺激する理由がないからな 同盟なんてそんなもん
そもそも今川が衰退したのが三国同盟に反しているのだからね 氏真が義信に嫁いだ妹を返してくれと言っても、返そうとしないしな
どこまで厚顔無恥なんだ武田は
信長の時も景任の嫁を略奪婚みたいなマネしてるし そもそも北条は今川の分家みたいなもんじゃん
そこにケンカを売っておいて徳川とも揉めるとか信玄てアホなのかな?としか >>963
信玄は同盟結んでもOK
氏真は同盟結んだらダメ
勝頼も全く同じことしてるな
自分が景勝と手を結ぶのはOK
氏政が信長家康と結ぶのはダメ
こんな身勝手ばかりしてたら、そりゃ滅ぶわな >>964
武田厨のご意見は「家康から喧嘩を売ってきたんだー」ですから
なんでも人のせいにして自分らはひたすら正当化するロシアクオリティー 武田と徳川の確執は喧嘩売ったとか買ったとかそんな単純なもんじゃない
子供の喧嘩じゃないんだから 調子乗って家康の取り分の方まで秋山がウロついたのが原因なんじゃないの?
信玄は慌ててそんな気はないことをアピールしたみたいだけど 秋山のは謝れば済む程度の話
でも最初から武田と戦う気だった家康にはいい大義名分になった 歩いてるだけならまだしも戦闘に及んでるからね。もし武田が徳川との同盟を大事に思ってるなら秋山は切腹しててもおかしくない。それをなぁなぁで済ませようって時点でお察しよ。現代日本人が平和ボケしてるから気付かないだけで。 信玄没後に勝頼がすべきは信長の軍門に下ることしかなかったわね
甲斐一国でも安堵されたほうがマシだったのではないか 秋山って城兵の助命を条件に降伏したのに城兵皆殺しにされた挙げ句信長に処刑されたんだよね。どんだけ恨まれてんだよ 天正三年6月13日謙信宛信長書状
岩村城の城中から懇望が申し入れられたので許すことにした。岩村城は間も無く落居するだろう
↓
秋山が約束を破り籠城し続けたが、援軍も来ず結局11月に降伏
↓
約束を破り返されて秋山処刑
まあ自業自得やね 勝頼「岩村城救援の為に北条から援軍が来るから耐えて!」
この一報が悲劇を生んだのかもな… >>974
その信長書状の訳間違ってね?
懇望してきてるけど赦さないって言ってるけど
「次信濃堺目岩村と申要害、従甲州相抱候条取巻候、種々雖令懇望、可攻殺覚悟ニ候、不赦候」 >>972
軍門に下らなくても先代の隠居や死去は外交方針を大きく転換する
チャンスではあるからな。時流を読めずそれをしなかった勝頼はそれまでの大名 信玄が「俺の死を三年間隠せ」なんていう無茶苦茶な遺言残したのが悪い。政策転換なんかできん。 その遺言史実が怪しいし、その遺言にも逆らっとるやん かなり難しい問題だぞ。家康も信長も武田軍が撤退したら取られた領土を直ちに取り返してる。ここで勝頼はどうすりゃ良いのか?ってこと。
遺言を「一切戦争するな」と受け取って遵守すると今後三年間武田家は徳川・織田に領土を取られ続ける。そんなことは絶対に許されない。なら国境を守り続けるのか?そんな器用な戦争が出来るのか?
政策転換は不可能に近くて「お館様の方針に刃向かうのか」って話になる。どのみち三年隠した事が間違いだった事になる。 勝頼関連の本でもなんでも読んでみろ。
3年間不戦を貫いていたかどうか確かめろ。 前提として家康・信長は既に反攻を始めていて信玄が取った領土は取り返されてる。反撃しないで良いのか?って問題が起こる。
織田・徳川と和睦しようとすると信玄の死を隠せない。しかも織田・徳川が和睦してくれるかはわからない。信玄の死を隠してる以上信玄が始めた戦争は続けるしかない。これが一番簡単な答えにならないかい? 隠したせいで奥平に離反されてるんだよなぁ。かと言って公表してマシになったとも言えんが。 は?奥平が寝返ったのは山家三方衆同士の領土問題で揉めたからだろ
裁定したのは長坂釣閑だから勝頼が当主なの知ってたろ 織田と徳川の清須同盟とか北条氏政の甲相同盟の再締結とか毛利元就の様なやり方。
外交転換は多くの大名が情勢を見極め普通にやってること。勝頼はその情勢を見極める力がなかった 徳川は武田しか攻める場所がないのだからどうしようもない あっ…(察し)史料知らないのに嘘で言っちゃったパターンやんけ
確か武田サイドは信玄の死を確信して徳川に内通したって判断してたよな。甲陽軍鑑だと。 奥平家古文書2131、2139
平山氏の本とかにも書いてあるだろ
なんだよ軍鑑って笑 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 49日 8時間 13分 0秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。