項羽と劉邦 その19
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超高居なくても秦は同じ結果だろうな
漢の文帝とか明の洪熙帝のような人民を休ませる名君じゃないと
中央集権への反発と戦国時代の気風が残ってるし >>622
仮に当時の人々の中での楚=縮小後の楚とすれば常識通りということになるので何もおかしくないが…どうなんでしょうね?
だとすればかつての楚の中心地(南郡、南陽郡)を政治的にも認識的にも葬り去ったBC280前後の楚征服と征服地保持は更に注目されてもいいかもしれない
なにしろ秦は南陽を失陥したことで反乱軍の関中侵攻を許し滅亡したので
>>628
・年少の公子を立てる
・競合する公子とその与党を排除する
・自分と競合する政敵を陥れる
・弁舌で君主を操って権勢を保つ
・謀反を起こして保身を図る
趙○「秦の偉大なる先輩方に学びましたが勝ち切れませんでした」 >>634
常識通り? 西楚の由来が不明って話だよ
西楚は項の位置からでは、というのは俺(618〜622)の推測
相変わらず西楚の由来は不明のままですw
縮小後の楚を基準にした場合、前228年の勢力図からだと
彭城の位置は東でも西でもなく北楚寄り
西楚の領土全体を見た感じでも、北楚か東楚がふさわしそう >>635
あ~スマン、私の話は貴方の「楚が一番デカくて栄えてた時を基準にしない?その時落とされた都も400年くらい続いてるらしいし」に対するもの
当時の人々の頭に浮かぶ楚は縮小後の楚で、縮小前の楚を基準する発想にはなりにくかったんじゃね?ということです
西楚覇王の由来、是非については楚漢戦争当時の人々の認識次第かな
戦国末楚を東西に分けると彭城は中間的な位置(他には沛や寿春など)にあると思われるので西楚にカテゴライズされててもおかしくない
もちろん中間的ゆえに逆もまた然り、西楚の覇王なんて名乗ってなかったという考え方も全然あり 史記の貨殖列伝みると
夫自淮北沛、陳、汝南、南郡,此西楚也。
彭城以東,東海、吳、廣陵,此東楚也。
となってる。
「彭城以東」は彭城含まなくて、ぎり西楚扱いってことだったんだろうか 補足
「越、楚則有三俗。」あって、東西南に分類されていたもよう
衡山、九江、江南、豫章、長沙,是南楚也,其俗大類西楚。 >>631>>636
秦の法に照らしスレチ自演は三族皆殺しとする >>638
俺の国語力(大したことないw)、だと含む
その文で西楚扱いでは変でしょ
彭城一帯がどこの国に属していたか見たら
春秋戦国ほとんどの期間宋に属してた
詳しい歴史知らないので合ってないかも... 一時期呉に奪われるが、ほぼ宋の領土
斉に滅ぼされた時(前286年)、斉領に
楽毅が斉を滅ぼしかけた時(前284年)、魏領に
楚領になった時期が不明 信陵君が魏にいない期間かと
近くの魯が前249年に楚に併合され、滅亡 この年かな?
前249年だとすると彭城一帯は楚が30年も統治してない
彭城を本拠にしたから西楚を名乗るとは考えづらい
やはり封地の項の位置から名乗ってるっぽい >>633宮城谷昌光だったかな?
趙高は趙の王族の生き残りだから滅ぼされた趙のために復讐してるみたいな事書いてたの 明らかに教養ありまくりだもんな趙高
法家の李斯を陥れるぐらいに頭回るし 韓信はどこで兵法学んだのだろうな
教育も受けてるし 趙高といえば最近、宦官じゃない説があると知って驚いたわ マ?
もしそうなら、3大悪女とかも実は男だったとかありそうなレベルでびっくりだけど >>646
元々かなりの上級民だっただけかもね
庶民なら兵法は無理だしニートできないし 韓信なんてショウカと張良の操り人形にすぎないだろ。
ショウカと張良は劉邦の疑り深い性格を知り抜いていたからあえて表に出なかったし、韓信の野心のなさも見抜いて抜擢を進言した。
軍略だって実は張良の言いなりだったんじゃないのか。
所詮は気の小さい股くぐり野郎だからな。 西北なんだよねw 彭城を盱眙の西と認識してたらあり
今のところ西楚の覇王名乗ってない>盱眙>項て感じ
義帝のwikiは西楚表記 秦末の反秦勢力の名目上の盟主。西楚の君主。
義帝は楚の義帝じゃなく西楚の義帝名乗ったの?
義帝が生きてる間に西楚なら訳分からん 西楚悪号説とか趙高復讐説とか一種のトンデモ説だから真面目に信じはしないけどこうして語り合うぶんには面白いよね >>650
言いなりでもあそこまで勝てたら十分すぎる有能だろう >>650
極端すぎて草
鄭道伝の劉邦張良論みたいだな 戦国の国力的に
秦を四分割、斉を三分割
残りの燕趙魏韓を二分割して
圧倒的な国力の楚全土を項羽が統治して
他を抑える、というならまだ分かるんだが
なんで肝心の楚まで四分割してるんだ レキイキを生贄にして斉を騙し討ちにした劉邦は悪魔だよな。 劉邦の恐ろしさに気づいてたのがショウカと張良。
気づかなったのがレキイキと韓信と項羽。
こんな悪魔を信用する方が間違ってる。 酈食其を生贄にしたのも斉を騙し討ちにしたのも韓信じゃねぇか >>657
圧倒的な国力の楚全土を項羽 > 4+3+(4×2)
范増『軍功があった者は十八人です』
項羽『4足す3足す4掛ける2は...足りねえじゃねーか』
項羽『しょーがねえ 俺のとこから分けるか』
范増『田舎ですが土地の広さで満足させましょう』
という会話があったとかなかったとかw 実際は楚全土で圧倒的な国力ではなかったと思われ
少し後のことと思うけど関中と巴蜀で天下の三分の一を占め
富は十分の六らしい そんな関中と巴蜀を漢中王の前にぶら下げるなんて項羽は気前良すぎるな。 全力土下座で許すぐらいには劉邦の事好きだからな項羽はw 関中は秦の三人だな
劉邦の蓋として考えれば項羽(この場合実務は范増?)が居座るべきなんだろうが、ホームシックで帰っちゃったからね >>663
十分の六の話はここで何度か出てる貨殖列傳から
読めないから訳が不安なんだけどw
巴蜀はぶら下げるでなく漢中と一緒に与えてる >>667
関中(と南の巴蜀)の地は天下の1/3、人口は3/10に過ぎないが、富の量は6/10を占める
みたいな訳かな >>659>>650
持論はいいんだけど断言されると反応に困る >>666
意外じゃなくて普通に甘い
その人間愛が偏愛となって殲滅という復讐行為になっているとする解釈が正解に思える 劉邦と違って真人間ではあるんだろうけど
寛容な訳でもないしケチ臭いし頭に血が登りやすいし。 >>670
歴史なんて真実と史実は違うし憶測だらけだし断言は御法度よね
色々自分流の解釈で楽しむのは大アリだけどそれを他人に押し付けると閉鎖的になるもんな >>675
どっちもだろ。司馬遼太郎は『項羽と劉邦』(小説新潮連載時は『漢の風、楚の雨』)も書いているし。 史記は今風に言うと「編集校正前の未発表原稿」やぞ
雑な部分があるのは仕方がないわな 司馬史観とかけてwifi接続と解く
その心は
リョウばかりでなく、ダンセンしています 項羽ageすぎて相対的に劉邦sageになってるけどこのおっさん普通に戦強いよね 黥布は戦上手なのか下手なのか
反秦で項羽の下にいたときは項羽に次ぐナンバー2の猛将というイメージだけど 王陵について質問
十八王封建の時、項羽勢力として西楚でいいの? >>675
遼太郎のほう
項羽と劉邦のキャラクターを史実の秦末の人物に当てはめて語る人このスレですら見かける 司馬史観に影響されてる人は多いが
宮城谷史観は少ない >>683
春秋戦国だと宮城谷史観に影響されてる人は結構見かけるな
介子推が武人とか楽毅が中山国を守った名将とか宮城谷昌光の創作を史実と思い込んで語ってる人がいたりする キングダムが浸透してくる前は春秋戦国といえば宮城谷昌光だったから影響力は結構あったね
某シリーズの古武将列伝とかにも影響が認められる 宮城谷さんの小説は俺には合わなかったな
名臣列伝系は全然読めるけど 項羽最大の失策は韓王殺して張良を劉邦の所に行かせた事だよな あそこで劉邦ぶち殺したとしても後で反乱起きまくりで次の代で滅んでそうだから
何が失策かっていうと戦後処理になるんでは 韓信が蕭何と張良の傀儡と考えると辻褄が合う。
従順で野心の薄い韓信を祭り上げてコントロールして全ての功を韓信1人のものにして悪人劉邦に目をつけられないようにする。
劉邦が韓信が仮の王にしろと言われて激怒した時に本当の王にしろと言ったのはこの二人。
この二人には韓信が独立勢力になって歯向かわないという確信があったに違いない。
張良の策で勝ってただけだとすると反乱を起こすわけがない。 張良は韓の再興目指してたのって最初は項羽、范増のように春秋戦国の秩序に戻そうとしてたの? そうなんじゃないの
張良からすれば皇帝が天下統一してた時期より各国に王が居た時代の方が長かったし >>692
その設定で小説でも書けばいいんじゃない 張良( ´д)ヒソヒソ(´д`)蕭何「全ての功を韓信1人のものに...」
劉邦( ゜Д゜)『戦功第一は...』 時代が時代だから仕方ないけど劉邦はちょくちょく裏切られてるよな
後々疑心暗鬼になっても無理はない >>695
当初はそうだったんだろうね
でも韓王生を殺されてからアンチセッキーを高じらせて、こいつと同じ価値観でいられっか!ってって中央集権的な国家を模索し始めたように思える 韓信凄いって言うけど、斉討伐も垓下の戦いも騙し討ちじゃないか 勝てばいいんだし、抵抗されて長期戦とかにならずに相手を倒してるから十分凄いよ
戦後に騙されてどんどん身分剥奪されて残念な最期って所もしっかりマイナス評価受けてるし 簫何と張良は最初から使い捨てにするつもりで韓信を持ち上げたのだろう
神輿にふさわしい特質があるから
ルールを平気で破る異常性(戦争向き)
戦争好きだが政治的野心が薄い
股くぐりで有名なように気が弱く従順な性質(コントロールしやすい)
全く評価しなかった項羽に強い恨みを抱いている
人を疑わず簡単に信用する
猜疑心が薄く持ち上げれば簡単に喜ぶ
劉邦の恐ろしさを全くわかっていない >>702
そんな卑怯な戦術ばっかりの韓信を使わなかった項羽のほうがまともだな >>704
結局こういう連中が政治センスもへったくれもない項籍みたいな脳筋に全てを託しちゃうんだよなあ 酈食其により斉と和平することができたのに
酈食其見捨てて斉に攻撃するのは非人道的すぎるわ
必要の無い軍事行動をしたという意味でも韓信の選択は悪手だった >>703>>704
お前がそう思うんならそうなんだろう
お前の中では >>708
カイトウは劉邦は停戦命令出してないんだから攻めるべきと進言して韓信はそれに乗った
劉邦は酈食其を生贄にして、汚れ役を韓信に押しつけた極悪人 劉邦軍はオウム真理教のような卑劣なテロ集団で、韓信は実行隊長 劉邦と韓信に親殺されてそうな憎みっぷりだな
あと蒯徹くらい漢字で書こうや 汚いやつを使わなかった項羽が負けて汚いやつを集めた劉邦が勝つ理不尽。 宋義、懐王、子嬰をぶっ殺した項羽がなぜ劉邦を殺さなかったのかな。
一番殺すべき悪魔だろ。 明確に反抗してきたわけではなく手違いと言い訳できるレベルに収まってた
最初から恭順してきた
ずっと共に戦ってきた戦友だった
この辺かな
特に3番目は項羽の論功行賞見てもなんとなくわかる 普通は陳平なんて使わないだろ。
不倫のクズと股くぐりを重用とか頭おかしい 陳平の兄嫁NTRネタは周勃が言いふらしてるだけやぞ 陳平重用は明らかに汚点だが、劉邦の天下取り自体が中国史の汚点 そうなん?
自ら漢民族名乗るぐらいだから誇りに思ってると思ってた
でも明らかに汚点って言われるぐらい、汚い国やったんか >>722こいつが勝手に言ってるだけで
中国史の中で劉邦は偉人であり漢帝国を作ったことは普通に偉業だよ 陳平周勃陸賈あたりは劉恒を次の皇帝に選んだ時点で漢帝国への功績ありまくり
ここで人選ミスってたら8王の乱みたいになってそう 一番の悪魔は項羽でしょ
気分屋で傍若無人、大量殺戮を繰り返しても屁とも思わない
物事を自分の見たいようにしか見ず、おまけに最期まで一切反省しない
老獪だが現実は見る劉邦よりよっぽど災厄 あの時代最悪の悪魔は趙高だろうな。
次期皇帝が扶蘇ならばかなり話は違ったはずで、項羽も劉邦も何もできなかった可能性がある。 趙高は史上屈指のサイコパスと思われる。
結局趙高や劉邦みたいな自分が第一で人を人とも思わない人間がのし上がる。 >>726
せめて范増の言うことを聞いてれば少しはマシだったのだろうが、ほとんど聞かなかったんだろうな。
どんなに頭がいい人間でも全ての問題を一人で的確に処理することはできない。
組織の上に立つ人間は全て自分でやるのではなく、人選と人材の配分をうまくやらなければならないのだが、項羽はそこがだめだった。
組織のトップとしての器ではなく、将軍レベルの仕事の方が向いていた人物。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています