項羽と劉邦 その17
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>>1
なんと相国であられましたか。
董卓殿乙であります。 鄂君「たとえ曹参らのごときを百人失ったとて、漢はさして困りますまい。蕭何の位をこそ第一とし、曹参はその次にすべきであります。」
曹参「・・・(ここでキレたら粛清される)」 漢建国後のドラマ、小説でいいのあるかな。教えて下さい。 小説だと短編が目立つかな
塚本青史の「凱歌の後」、宮城谷昌光の「長城のかげ」「花の歳月」あたり? >>14
断片的にしか語りづらいのかもね
確かにどんどん粛清されていく姿とか見せられるのはたまったもんじゃない
って「大明帝国 朱元璋」ってドラマはそれを短縮してあったけど箇条書きみたいにどんどんやっていったのにはちょっと引いたけどリアル感はあった >>14
長城のかげは良かったよ
人選がマニアックで楚漢好きの琴線に触れることうけあい
>>17
朱元璋見たいけどどこも配信してくれないんだよね 劉肥は知恵者が側近にいて良かったよな
妹に呂雉に対する詫び料の意味で領地あげたらあっさり許されたからなあ
呂雉が意外とチョロくて笑った
あと無礼講と言われて本当に無礼すると怒られるあたり今も昔も酒の席は気を付けなければならないあたり世知辛い 呂雉は陳平と審食其に甘い。たぶんイケメンに甘い。彭越のようなブサメンには厳しい。 張良にも甘かったしイケメンに弱いのはあり得るかもな 樊噲の拘束という絶好の大義名分があるのに陳平を野放しにするのは有り得ないからな。
呂氏による簒奪を目指すなら陳平なんて邪魔なだけでしょう。
手心を加えたのだとしか思えん。 つまり韓信は不細工だった・・・・・
蕭何は謎だけどな >>22
呂雉に呂家の人を要職に就けることを提案したのは陳平だからな
反対が多い中で、呂姓の者が王になるのを容認する姿勢を示したのも陳平
つまり、陳平の方が何枚も上だった 数手先を読むの女は苦手だからなあ
三手なら説明したら感心するが
それ以上は無条件で拒否するか占い、宗教に答えを見いだす いいや、比率でそうなってるよ
まあ何れ追い付き追い越す事は可能だが性格で済ましてるうちは無理だろうな 歴史なんて例外の連続
中国英雄で女叩きは痛すぎるのでNG 初期の劉邦の立場って江戸時代の
岡っ引きみたいなものかね? 亭長:亭は治安のために十里ごとに置かれた役所、宿泊施設。
沛公になる前は宿屋のオッサンみたいなこともしていたのかなとおもっていた。 交番兼中級公務員以上が宿泊する宿みたいなものだから
現代の警察官に例えるなら巡査部長か警部補位かな
割りと悪くないかも 交番長 管制宿場長 村役場出張所長 簡易郵便局長 これ全部兼ねてる職 >>41
ただし交番以外の仕事が殆ど無かった(交番時代も今ほど多忙じゃなかった)時代である事には注意が必要 >>42
っていうかこんだけの職を一人で兼ねさせられてる時点で激務じゃないの丸わかりよなw だから仕事サボって飲んでいられる
立場的には巡査部長が妥当だけど仕事的には両さん以下かもしれん 両津は大損害出して残る物無しだから比べるべきでもない
わ、か、れ 劉邦が亭長だったのって婆んとこで飲んだくれていた頃よね?
呂氏と出会う前
よくそんな職つけたよな >>46
父親がそこそこの富農で蕭何のコネだった説が有力 実はアメリカですらコネがものを言うのに何を言ってるんだろうか? >>26
これ
基本的に女に君主がいないのは伝統のせいもあるが出来ないからなんだよね
遂行する能力が欠如してる 蕭何だってコネと縁故だけで劉邦を亭長にしないだろう
劉邦は張耳の食客だったこともあるし舎弟もいた
ボンボンニートではなく呂氏から逆玉の話が来る程度に地元で名の知れた人物
つーか、劉邦、張耳、陳平、黥布と逆玉が多過ぎ 男一匹で大望を成すというのは、格好良さげに見えるが、実際は伴侶と協力して志しを遂げていると歴史が証明しておる
たまに男一匹でやっちまうイレギュラーもいるけどな、蘇秦とか韓信とか
それに君主は男ばかりと言うが、覇者と呼ばれた名君でも寵愛している女がいないと飯が喉を通らないとか言っているやろ >>51
劉邦が呂雉と結婚できたのは自ら売り込んで父親に気に入られたからであって先方から話が来たわけじゃない
名のある人物なら十里ごとに置かれる程度の小役人にしかなれないなんて事はない >>52
韓信にも子供はいたっていうから
案外女ができて自分に自信がついたタイプかもしれない 蕭何すら呆れていた劉邦のおおぼら一万銭が後の飛翔に繋がるんだから、世の中いいかげんにできているというか、真面目に考えるのが馬鹿らしくなるときがあるな 陳舜臣か司馬かどっちかの小説で、張良が鴻門の会で樊カイを使う時に、
どんだけ頭で計略や対処方法考えてもダメな時はダメで、
そういう時は床に爆弾を破裂させるみたいな事やった方が上手く行くときがある、
みたいに説明されてて笑ったのを思い出した 始皇帝の車に鉄槌ぶん投げた人が言うと重みがあるなw その辺が単なる「頭のいい戦略家」ではないのだろう。要するに物事を成功させる事が大事なので理屈は後から付けてもいい。なんなら付けられなくてもいいw 広武山での和解→背信行為
あたりはその真骨頂だろうな、この背信行為でもう戻れなくした >>56
あれはホラというより
まだ戦国四君の遺風が残ってた時代の
信陵君や孟嘗君の逸話の模倣と言うか >>52
でも大業を成し得てるのは常に男だろう
女はその添え物
たまーに女傑も出るけど先を読む力がないので長続きしない
結果スピリチュアルに精を出す >>60
裏切り急襲勧めた張良が、韓信彭越への根回ししてなかったのが不思議
単純に読み違えたのかね 陳平ってぶっちゃけ
その場の危機を切り抜ける策を捻り出す閃きに特化した軍師で
計画立てた長期視点持ってるように見えないんだよなあ
呂氏討伐でも陸賈来るまで全くノープランで
周勃や灌嬰に手を回すことすらしてないし
いざ始まると泥縄の行き当たりばったりにしか見えない
実際成功させたのだから凄いのは確かなのだが >>63
龍帥の翼の読者はそのシーンの描写で作者が悩んでいるから休載していると書き込みしていたな
超絶頭脳の主人公張良が判断ミスした理由を作者が思いつかないからだと >>63
ここでは何より劉季を追い込むことが優先されたんだろうな、手を打つならこのタイミングしかない、と 根回しはしてなかったけども、2人を呼び寄せる為の策を立てたからまあいいんじゃない 来ない可能性もどうすれば来るかも折り込み済みって事でええやろ
確か司馬遼太郎の項羽と劉邦だったかで韓信と彭越が王になったことで彼らが将来不幸になるみたいな予測までしてた記憶 このタイミングしかないって考えて劉邦説得を急いだのは確かにそう思う
ただ、下準備してないのが違和感あってね
張良自身は和議で兵を退くくつもりだったけど、陳平からの提案で急遽決心したとか
急な進路変更があった気がする 普通に張良と陳平は韓信、彭越、黥布の意向を読み違えたのだと思うが、理屈をつけて張良をヨイショするのは簡単だ。
たとえば3人が加勢しないのは予想済み。劉邦に不信感を抱かせて統一後に粛清する準備をすでに始めていたのだとかね。 天才があまりに当然の事が抜けるのは良くある事じゃん
高祖が彭越等に配慮しないとか思わなかったんじゃね? 下準備するべきは韓信と彭越に与える破格の報酬に対する劉邦の覚悟ぐらいやし 連中が少なくとも楚にはなびかない、その目算だけはあったと思う あと一押しで項羽を倒せる状況で劉邦からみれば配下の一武将とみている韓信と彭越に「王位を与えてください」と言っても劉邦が承諾するはずがない
まず一旦項羽に負けて韓信と彭越の力がどうしても必要だと理解させなければならなかったんだ 金で買えないものは期待するほど多くは無いって言ったの誰だっけかな
大体において切羽詰まった重要な決断って金じゃ転ばないんよね >>79
買えるやつもいれば買えないやつもいると自身も含めて冷静に見とるやろね
でなきゃ自分の家は長く続かないだろうみたいな予言めいた言葉は残らんやろね 命かけた戦争の最中に「いったん負ける」とか俺には絶対無理だ
その「いったん負け」てるあいだに死ぬ将兵もいるんだし、自分かも知れない
同様に釜と油と薪の前で大笑いして「ハハハハハっ!!これが笑わずにいられるか(笑)!!」とか言って言い逃れるのもムリ
ビビって泣きながら命乞いする自分しか思い浮かばない 釜茹での死刑は恐ろしすぎるわw
マジで泣いて土下座して命乞いをしまくる
宮刑のがマシかなと思える
まして蜀への流刑なんてぬるすぎ いったん負けるも何も高祖は負けまくりだから慣れてんだよ
人間慣れるとなんて事無いぜになるから毒だよ、平和ボケも有り難いんだよ
此処から戦争に向かわせるのは無理の連続だろうな 早明浦ダムが涸れたので、香川県で釜茹で饂飩は禁止になりました 章邯の物語上の役目が済んだら雑に処理される感じが好き 韓信を唆したと海通を昔の事で探し出して
釜茹でにしようとする劉邦は執念深いな。
犬は王にも吠えると舌先で逃れた海通も凄いけど。 張良蕭何韓信を1人で兼ねてた諸葛亮の激務っぷりよ
せめて魏延を韓信、馬謖を蕭何にできていれば 自分より有能な者を用いなかっただけなんじゃと歴史を学ぶと思うようになるよな周りは傀儡のが楽だし
人材は絶対にいてる、見出すか見出さないか登用するか登用しないかの差でしかない
なんでも自分でやろうなんて頭周勃かよ >>88
・秦軍の底力を表現
・項羽の功罪の目撃者にして対照
・劉邦への警戒ポーズに使われたお人形
・韓信って凄いな、と思わせる的
結構重要だったな >>90
むしろ諸葛亮の本性は簫何じゃね
陳寿の言う臨機応変の才の究極系は陳平 項羽と劉邦見て思ったのは、大事なのは自分の業務処理能力じゃなくて人を使いこなす能力ってことだな。 >>88
章邯や王離は知名度があるから恵まれている
創作物などで省略されるような武将のが悲惨っぽい
戦国時代に諸侯を震え上がらせた秦将がなぜこうなった
蘇角、将間、司馬欣、始成、末期秦将の魅力 徴税役人の章邯が反乱軍相手に無双
できたのは反乱軍の主力が農民だったから? >>96
でも章邯軍の主力の囚人兵もほとんど農民やん? >>90蕭何役は蒋琬がそこそこ程度だけどやれてたんだけどね 関羽=曹参、張飛=樊噲、諸葛亮=蕭何
まあ沛公にはなれるんじゃないの?w >>99
そのメンツじゃ項羽に勝てる気がしないわw
魏冄、白起、西門豹だったら項羽がボコボコにされそうだけどw 諸葛亮だと北伐で章邯に負ける
関羽は英布彭越と折り合い悪くて瓦解
張飛はいてもいなくても一緒かな 知ってる名前を精一杯並べる努力だけは認めてやれやw 三国志に親でも殺されたのかよ
よし、みんな、三国志縛りしよーぜw まあ簫何じゃなく孔明なら
韓信みたいな奴を推挙できる気がしない ショウカは泣きもせず韓信切ってるからな
推挙する際の必死さと比較すると冷たい話やけどそれだけに凄みを感じる 友情がどうとか言ってられる様な場合ではなく、もし劉邦が韓信を許してやれと言い出したら自分が韓信に恨まれる事になる状況なので、まあ斬るしかない ???「でも最初に彼を見出したのは私なんですけどね」※音声を変えてあります 国庫への負担という意味じゃ始皇帝より酷いけどな
私刑もテロも反対だけど上級への司法が機能してない日本じゃ起こるべくして起こった事だとも思う >>101
白起は勝てる時しかやらんし、項羽は無理をひっくり返す
西門豹も曹参とどっこいだろ、その三人じゃあ分からんね >>79
自分は国の為とはいえ陰謀を張り巡らしすぎた。この行いは道に外れているので報いは子孫がこうむるだろう。子孫がひとたび罪を犯せば家は断絶し二度と再興することは無いだろう
陳平がそんな俗物根性持ってたらこんな言葉は残さない これを出汁にして上級どもは下克上させないように夜警国家にする >>116
功臣の子孫はほとんど孫か曾孫あたりで没落しているんだよね
結果、漢は世襲の貴族がのさばらないから国家として健全だったのかね 制度上爵位がないだけで実際は世襲し放題だからな日本 >>119
よく「罪に問われ」とか書いてあるから徹ちゃんが一掃してくれただけなんじゃね? 没落する功臣が多いのと比べ張良は子孫が後漢でも蜀漢でも出世してるのが凄いと思う
皇帝を除けば史記、漢書、後漢書、三国志の四史に世家・伝が立てられてる一族って張良の一族くらいじゃなかろうか 張良は粛清からスタコラ逃げたのがなあ
創業の功臣であっても守成への功績ゼロに近いし過大評価なんじゃとたまに思う 沛公や漢王には貢献したけど漢帝国の三傑というのは違うような >>112
政くんと同一視されるとは安倍ちゃんも出世したもんだ >>125
創業の功績が尋常じゃないので過大評価とは思わない
三傑として劉邦が直々に名前挙げてるのが全てなんじゃないか 維新後明確にポンコツ化して隠棲ムーブ連発した挙句に国家に反逆して賊になる、
という最悪コースをたどった西郷も、維新三傑や維新の功臣である事を否定する人はおらんしね
そんな感じじゃねっすか 創業だけじゃない
最初に項羽に斉に向かわせたので
彭城の後、諸侯が離れたが、彭越に将を送り同盟を堅持
英布を離反させたのも、韓信の別行動も張良の大方針の内だろハゲ 単純に年齢や寿命もあるんじゃないの
張良多分かなり高齢だったろ >>135
一方で明治政府で張良と蕭何と陳平を合わせたような仕事をしていたのに暗殺された大久保・・・
逃げるのも殉ずるのもまた人それぞれだよなあ >>141
安倍もそうだけど基本的に日本って護衛が薄いよね
大久保や浜口なんかは自分からノーガードにしたんだけどそれ以外でも 維新なんてただの武力クーデター
日本一度も市民革命起きたことない
そういう国で民主主義は無理 守成の功績なら陳平周勃どころか灌嬰や劉章より下だろ そもそも守成は次代が主だって行うべきことでしょ
建国の功臣はもうそれで十分 戦国大名と近世大名では性質が違う
このあたりが分かると張良と蕭何の違いも分かってくると思う
そして誰もが忘れるのは張良は所詮韓からの客臣だったということ
そこまで漢に義理立てる必要もなかったと思うわけ 主君の高祖を計略にかけて後継者問題を解決するとか辞めたから出来る離れ業だろハゲ
高祖が張良の入れ知恵と知ったら激怒で呂后も処罰だろうよ
陳平にも子を使って助言してるし引く時に引くのも大事 なぜいちいち罵倒して荒そうとするのか
やんわり俺はそう思うって書けばええやん 何気に劉邦の手下の子孫は後世で名を上げた人が多いな
まあ流石に統一王朝立てた人はいないけどさ 韓信の末路から見る教訓
・職場で成功して出世したら謙虚に
成ってトップとの報連相を緊密に。
・職場の危機を救い業績UPさせた
エースに成ろうとも経営が安定したら
用済みとして切り捨てられる備えを。 そこらはあんまり関係なくね?
引き抜きや独立を仄めかして過度な高待遇要求
会社で得たノウハウと取引先を持ち逃げ
謙虚さや業績とかそういうレベルじゃないでしょ、人道に悖るクズだよ 韓信は斉への侵攻を中止するつもりだった。そのとき酈食其に手柄を取られるぞと進言したのは蒯通。
その蒯通の腹のうちは漢を裏切って独立せよというもの。
口先だけの野心家に振り回されたのが韓信の悲劇。 >>154
>統一王朝立てた人はいない
秦・漢・晋・隋・唐・元・清
統一王朝てこの7つ? 和平交渉の最中に斉を攻めて
靂食其の爺さんが釜茹、
苦戦して自分が負傷している
時に援軍に来ず王位の要求、
最終決戦で全軍結集すべき時に
動かず更なる領地の約束で遅参。
どんなに寛大な君主でもスリーアウトで粛清ですわ。 改めて考えたら自信がなかったのかもしれん
漢の一翼という立場を捨てたらどうなるか?勝てるのか?未知数という他ない 項羽からの連携の誘いを断ったのって劉邦に対する恩義どうこうって話になってるけど
ほんとかなー? 違うだろう。どちらにも味方せず、両者が死闘を演じてどちらかが滅びるのを待ち、かろうじて生き残った方もボロボロになっているのでこれを討って一気に天下を取る策 いや、項羽からは共に漢を討とうって武渉が言ってる事だ
良く読め、酔っ払ってんならブッ飛ばすぞハゲ >>159
後の歴史の人は司馬懿とかも韓信のようにならないようにだから
人類史初の戦乱状態だったから 項羽は報奨を惜しむから人が付いてこないんです!あいつは馬鹿ですよホント
暗に俺には報奨はずめよじゃなきゃ裏切るよと
君主相手に小賢しい取り引きして寿命ゲージ吐いていく韓信君 韓信って小僧扱いされて舐められる才能があるよな
居候していた亭長の妻や若者や老婆
武将では竜且と陳余
劉邦も寝てるところに侵入して兵権を奪ったり仮の王を申し込むと怒鳴り付けるなど多分人間性を軽く見ている
このように韓信は庶民から軍人まで会う人会う人老若男女から舐められている 韓信ていわゆる何処にでもいそうな平凡な容姿だったんだっけか
逆に劉邦は身なりや顔立ちがやたら印象的で常に人の目を引いた
やはり容姿は大事だな 淮陰侯列伝には貧乏なうえ品行が悪かったと書いてあるな
舐められるのは当時の常識からいって立ち振る舞いが悪かったのもあったのかね
現代の感覚からいっても数ヶ月間、亭長の家に居候するとか、数十日間、婆さんに飯を恵んでもらう神経は舐められるし理解されないと思うw 老婆はwikipediaだと「おまえさんがかわいそうだから恵んであげたんだよ、礼なんていいんですよ」みたいに優しさに溢れているようにかいてあるけど俺の持ってる史記の日本語訳だと
「大の男が自分で飯も食えないくせにお礼なんて一丁前の口を利くんじゃないよ」というように罵ったと書いてある >>173
明治から昭和戦前あたりだと今で言うホームレスの連中がよく金持ってそうな百姓家や商家にたむろして飯恵んでもらっていたらしいが
そういう連中で生意気な奴が居たら、そら袋叩きにあってしかるべきだろうな あれだけの才を秘めてて貧しい生まれのせいでまともに評価しようともされなきゃなんだこいつらって態度にもなるかもな
その割にはしょうりばつをあっさり売るところがいかにも韓信らしいが笑 この時代、餓死者も珍しくなかったろうに、とりあえず面倒をみてやろうという気風があったのは素晴らしいね 戦国末期から漢初にかけては庶民の自立と義理の気風が強かったときく >>174
横山光輝の漫画でも項羽と劉邦、史記の両方で婆から罵られるシーンだったから
むしろWikipediaのがどこから来てるのか謎であります 司馬遷の妄想を司馬遼太郎や横光というただの同人作家が手を加えてるんだから基本ロマン枠で捉えた方がいいでしょ
なんでも真実だと思ってたら頭時間なるで 勝利×は妹という字に似てるから心の優しい穏やかな武人であったはず >>180
本人が作為的なことはしてないって遺してるから
ほぼ伝え聴いたことそのままの可能性もあるでよ ドラマKings・warで演じてた韓信は
コミュ障のアスペみたいな感じだった。 >>184
蒯徹と微妙に話が噛み合ってないところが好き 鐘離昧が優しそうと言うのは、司馬遼太郎の個人的感想ではないだろうか。猛将だから、やっぱりそれなりに強烈だったんだろう こんな昔の人物の詳細な人となりなんてそれぞれの頭の中で想像するしかないもんな
しかし項羽だけはわかりやすくてホントにこんなだったんじゃないかってくらい具体的に雰囲気が想像できる気がする 韓信って今でいう輩みたいな感じなのに、
なんで気弱そうな感じに描写すんの? 司馬遼は韓信の行動については敢えて危険を招いてるみたいに描いてたな
常に輩に絡まれる前提でいるみたいな
危険なムードが刺激的で痛快らしい 司馬遷は反乱を起こす時に起こさずを嘆いてたんだよ
輩に絡まれるから同じく輩は短絡的だな 輩ではないな
輩だったら居候なんかじゃなく
堂々とどっかで食客してると思う 項羽がもし韓信の才能に気づいて使いこなしてたらヤバかったな
当たり前過ぎるけど項羽と韓信なんてドリームタッグだよね ・韓信はまず項梁の軍に加わった→姓名を知られるほどの働きはなかった。
・項梁がやぶられると項羽の配下になった→項羽は彼を郎中(宮中の警戒護衛にあたる下役人)に任命した。
・漢王が蜀に国入りするとき韓信は漢に帰属した→名を知られないまま連敖(賓客接待の係)に任命された。
項梁配下のときは一兵卒、項羽配下では少し出世、劉邦配下で連敖になれたのは学があったからかな。 >>198
これは穿ちすぎだと思うけど
案外項軍に居た過去から何か不始末しでかしたら処刑出来るように接待役になったんじゃねえの?
史記にも夏侯嬰との出会いの場面で罪の内容が書かれていない、でっち上げか些細なことだったと思われるし 郎中になったことから、それなりに体格は良かったと思われる
貧弱な人間に宮中の護衛は任せないだろうし
接待役にもなっているので、いうほど見た目も悪くはなかったのだろう 体格はいいけど素行が悪くて定職につけなかった輩
夏侯嬰の眼に止まったのも外見が良かったからだと思う 蕭何と話合って認められる所か国士無双だから輩ではないな
お前みたいなのが人材を埋もれさせるんだろうよ 夏侯嬰と蕭何は韓信の才能を一発で見抜いたけど、劉邦はあんま評価しなかったんだよね
どこの馬の骨かもわからんやつを治粟都尉にしただけでも大盤振る舞いかもしれんが
そんな劉邦でも張良と陳平は大抜擢したわけだから相性があるのかもね 見るからに仕事ができそうで、実際やらせればできるからそれなりの役職についていたんだろうけども、その一方では何を考えているのかわからん男と思われていたのかね 実際1回もやらせたことない方面で超有能ってだけでそれ以外は曲者だったからある意味正解
前者の方を見抜いた蕭何がチートすぎるとしか 蕭何は曹参との政争も見据えてたんだろうな大将軍推挙すりゃ一歩前進だし駄目でも殺せばいいと
計算高く保身力強い蕭何を認めさせる何かがあったんだから韓信の弁舌や展望も凄かったんだろうn
ただ蕭何は軍才(前線指揮能力)は無いからそこをどう理解したのか謎だけど 蕭何も兵書位は読んでたんじゃないの?(  ̄▽ ̄)
実践するには武芸、カリスマ、兵士の支持を得るには乏しいと判断したんじゃね >>189
遼太郎は歴史上の人物を好き勝手にキャラ付けするから読んで面白いけど学ぶことはないなって
紀信がねじまがったヤンデレになってたのは驚いた 司馬遼のやつは劉邦と夏侯嬰が二人だけで逃げて韓信の軍を強奪するまでの会話シーンが好きだった >>207
左遷されて関中を奪取しなければジリ貧
どうせ項羽に反乱するのなら自分の派閥から大将軍をと蕭何が考えてもおかしくはないよね
韓信を推挙しなければ曹参が大将軍になっていてもおかしくはなかっただろうし
よく考えれば実績がないのに国士無双だから大将軍にしろっておかしな話だもんなw 個人の能力だけだと項羽総合100で劉邦は総合60点
ただし韓信、張良、ショウカ、陳平、などを加点すると劉邦の圧勝 兵に将たる能力がチートの韓信
将に将たる能力がチートの劉邦
韓信は大企業の総帥、劉邦はコンツェルン会長 大企業の総帥やろか?
なんか実績を買われて雇われCEOになって会社はでっかくなったけど結局追い出されるみたいなイメージ 司馬遷から100年くらい前の時代なのに韓信のマッマの墓もあるくらいなのに韓信の嫁子供の情報が残っていないなんて 斉の王にもなった韓信だからな
愛妾くらいいてもおかしくは無いが 三族皆殺しになったそうだから、
三族の範囲をどう理解するかにもよるけど
奥さん子供がいた可能性は十分あるんじゃないかな >>215
一族郎党誅滅されたんじゃないの?(  ̄▽ ̄)
大逆の謀叛人であるからには親族いたとしても無事じゃないでしょ
まして嫁子供なんて死ぬわ そもそも配偶者なんて皇后貴妃レベルにならないと表に出てこないだろ、普通 日本でも菅原孝標の女とか、清少納言「清原小納言さんの娘さん)みたいな書かれ方だしな こういう女性軽視も儒教の弊害なのかな?
西洋史知らないからどこまで女性の名前残してるのかわからんが 妊娠出産で、半年~1年業務が制限されるのが
短命多産の古代では問題だったんじゃないかな >>225
古代社会が邑(都市国家)から国(領域国家)へ発展していく段階で父長権が強まった
つまり女性軽視の土壌は元々あった
ずっと後に儒教が台頭してきて、女性軽視含む諸々の文化風潮を明文化した >>225
むしろ中華は女性の名前残ってる方やぞ
記録魔のローマ史でさえ女性の名前は「○○将軍の娘」とか「○○部族出身の女性」としか記録されてない 政敵の粛清で名高い呂雉だが彼女の時代の
内政は安定して民衆の評判も良かった。 ローマにしろ中華にしろ二千年後まで名が残り世界中で愛好家に語られるってすげえよな
俺なんて当然歴史に名前が残らないし、じゃあ総理大臣なら残るのかというと、二千年前の総理大臣も空気でしょ 管仲や晏嬰を政治家の鑑、首相の手本とする人は多いんじゃね
むしろ君主よりエピソード多いが 景公なら晏嬰と出番がどっこいどっこいなのでセーフw 晏子春秋を尼で買ったけど知らなかったエピソード滅茶苦茶多くて楽しいなあ
でも景公が酒の失敗のエピソード多すぎで諌められるの多々だけどw >>231
2000年前どころか100年前の総理大臣すら空気な者が大多数だからな。 やっぱ宣伝媒体というかPR本というかそういうものがあるかどうかがキモだと思うんですよね
三国志の連中がそうであるように >>228
名前なかったんじゃないの?
ユリウス氏族の女性は全員ユリアとかで メッサリーナ、オクタヴィア、ユリア、アグリッピーナ
確かにみんなそんな名前だな
まあ悪名高いメッサリーナだけは絶対つけられないだろうけどw 名前で呼ぶのが失礼だから名前が残らないんだよね
日本人は信長様とか信玄公とか名前で呼ぶのにね どうでもいいけどジュリアス・シーザーは
ユリウス・カエサルだけどどっちも名字?なんだよな
誰もガイウスって呼んでくれない 意味はユリウス氏族のカエサル家のガイウス
中国でいう嬴姓の趙氏の政の感覚
ただローマは中国と違って個人名のバリエーションが多くなかったよ そろそろ項羽と劉邦の話題に戻ってください( ;∀;) 先秦の権力者の中では圧倒的に史料に恵まれている始皇帝でさえ
妻の姓名はおろか存在さえ不明だし女性が名を残すのは難しいね 呂雉と威夫人と薄姫と趙夫人と4人名前が残ってるって平民出の劉邦なのにすごいやん 夫人は通称というか俗称
貴人美人は尊称というか号
劉邦(中華史トップクラスの偉人)の側室クラスでも名前は残りにくいとも言える 女媧妲己呂雉楊貴妃武則天西太后
西施や趙飛燕
悪女ばっか残す儒教さん... 他はともかく悪女呂后に関してはぶっちぎりで史記の仕事だから…
偉くなってからの記事の大半が側室に対する仕打ち、縁故登用で女性権力者のイメージ悪化に大貢献してそう >>248
史記では「名は虞」
漢書では「姓は虞」
つまり「虞虞」ということに・・・ 虞が姓だとすると、虞兮虞兮奈若何が
「斎藤、斎藤、お前をどうしよう」みたいになっちゃう 後の世に劉虞っていたが、女の名前としてもおかしくはないのかね 曹操だって講談で悪者にされたからあんなに名が残ったんしょにね 斉は春秋時代から先進国で田氏に簒奪されてもなお強国だったのに、いつの間にか歴史の主役から脱落してんだよなあ
司馬遷だって斉の気風を絶賛してるのに楽毅にやられてから衰退国家になっちまったのか
田横のもとには優秀な人材がいただろうに楚漢の時代もパッとしないしなあ 田儋列伝を読むと韓信の奇襲がなければもうちょいやれたかなと思うけどw >>254
戚(セキ)の間違いだろ。人豚にされた女。 太公望の子孫から斉を奪ったのが田氏
田中に登場した田横は、田中を彭越から庇うのに
「俺の太公望だ!」
つまり奪う相手ってこと??? 田横って劉邦に楯突いたから評価してるのもいるがそれ以外はお粗末 >>267
田中を太公望に例えた田横は自虐史観なのかなw
そりゃあ彭越も爆笑するわなw
楚漢の田氏は内輪で権力争いをしていたのがアカン
そんなんだから斉は項梁、項羽の下に一枚岩だった楚に出遅れた
司馬遷は蒯通の謀略により滅亡されられたと書いているけどね >>270
厳密には転生ではなくタイムスリップ漫画だな
イケメンの田氏たちや美人さんと一緒に楚漢の斉で頑張る漫画
最初は出オチで展開が遅いけど劉邦と対面するとこまでいくとさすがに面白いよ >>267
なろう小説にそこまで期待したら気の毒でしょ >>253 >>259
論語でも周易でも語られてないし
そもそも女媧は悪女じゃないし なんだお前ら読んでんじゃん田中
つぶやいた奴スルーされがちだから、お偉い司馬遼先生や吉川先生をあがめ奉ってナロウなんか馬鹿にして読みもしないのかと思ってた
なろうはなろうで面白さもあるんだぜ 田氏は項梁の援軍を断ったことで項羽から田氏のせいで項梁が死んだと思われて憎まれている
一方項梁を実際に殺した章邯は項羽に涙を流して訴えたら許されたし王になった それなのに韓信と曹参が臨淄を制圧したあとに楚は斉に龍且を援軍として送っているんだよなあ
楚軍も斉軍も韓信、曹参、灌嬰に完膚なきまでに叩き潰されて彭越は右往左往していたという すみませんが、何十年も前に読んだ「春秋戦国史」があるのだすが
斉が姫から田になるのはどのあたりですか?
全部読み返す気力はありませんので誰か教えてください
大きいマス小さいマスの話ですか? 姫は姓、田は氏だから変わったとかじゃないよね?
あと、斉の姓は姜(呂氏)→嬀(田氏)で、姫姓ではなかったかと 斉は元から姫じゃなくて姜が君主だよ
戦国時代で田氏に乗っ取られた 呂(羌)姓から田(嬀)姓だから姫姓では無いな
姫姓は周、魯、鄭、晋、蔡、衛辺りが有名
晋が分裂したら魏と韓も姫姓 姜(呂)といえば太公望は結局いたのかいなかったのか 項羽は斉に攻め込んだり、援軍を送ったり何やってんだと不思議だったが、楚と斉の確執は想像以上に根深かった。
最初、項梁と田栄は協力して秦軍を破ったのに、まだ章邯を倒さないうちに田栄が楚と趙に喧嘩を売って、さらに宋義のせいで関係がこじれてw
秦滅亡後の項羽の論功行賞と田栄の討伐、斉の民の虐殺で決裂は決定的になる。
こんなにも斉が滅茶苦茶にやられた元凶は田栄だと思う。 >>286
項梁が実際に実力のある田儋と
懐王が血統上の正当性が高い田仮と
二重外交してこじれまくったから・・・ >>287
田仮の処刑は本紀だと項梁が断っていて列伝だと懐王が断ったことになっているので混乱しますw
列伝を信じるなら斉の人々は田儋の死後に元戦国時代の王だった田建の弟の田仮を擁立して斉王としたそうですから、やっぱり田栄がでしゃばり過ぎたのかなとw なにげに劉邦も陳余に張耳を殺したと嘘ついてこじれたけど、韓信を送ってボコって速攻解決しているから楽だよなあ どうでもいいけど
宋義の息子を斉の宰相にするって(あるいは大臣となっている作品もあるけど)
そうなっていたら田栄(現宰相)はどうなるんだ?
事実上の最高権力者だろうから宰相より上の地位になるのか?
秦みたいに左右丞相とか2人おくのか? そもそも宋義の息子が斉でいきなり宰相になったのが謎すぎる
宋義と田栄は裏で秦と密約していて鉅鹿に兵を送らない予定だったくらいの陰謀がないと有り得ない人事
宋義くん、見損なったぞ… 趙は三晋の中でも最も秦に対抗出来た国、という過去があったからこの戦いでのキョ六防衛戦は対秦の象徴的な戦いになる、という見方が当時でもあったと思う、長平の仇討ちみたいな
卿子冠軍の戦略としてはその象徴として六国の同盟のようなものを組んで対抗する、という政治的な意味合いが強かったと思う。簡単に言えば楽毅になりたかったんだろうなあ、それを斉に頼んだというのはネタ的にどうかと思う面もあるが
斉としてもその思惑が分かった上であえて結ぼうとした、と考えると結構楽しいifが見えてくるかもねw
ただ項籍はその戦略に我慢出来なかった その当の楚の軍勢が先に兵糧不足で消滅しそうになってる、と言う時点で
宋義は宋義で現場が全く見えてないというか・・・ 宋昌がどういう経緯で文帝の近侍に取り立てられたのか気になる 宋昌
漢の文帝の臣下。宋義の孫。劉邦の蜂起に従い都尉になった。のち代王劉恒の中尉となった。呂氏一族誅滅の後、陳平、周勃が代王を天子として迎えたいと使者を派遣してきた。警戒した臣下たちは「病気と称して行かないで、事態の進展を見たほうがよい」と進言した。しかし、中尉の宋昌は状況が有利なことを説き、結局、代王は上京して即位した。これが文帝である。この功績により、宋昌は壮武侯に封じられた。(孝文本紀) 宋義の一族が生き残ってて漢王朝で出世したとか初めて知ったな 史記に残る宋義の逸話って
下手したら宋昌経由の可能性も・・・ 広武の谷で劉邦は項羽に宋義を殺したことを責め立てているから、美談のようになっているけど道義に外れた行為だったのだろう。
そんな劉邦からすれば宋義の子孫は配下にしておきたい人材だったはず。 やったことはその劉邦の敬愛する信陵君が将軍の晋鄙ぶち殺した逸話と同じなのがなんとも >>301
樊噲の孫と司馬遷は友人だったから樊噲の話が詳しく伝わったみたいに
司馬遷は宋昌の子孫と何らかの繋がりあったんじゃなかろうか?
他にも何人か子孫と繋がりあったから聞いたみたいな事を書いてるし 大丈夫
劉徹さんがどうせ全部酎金を理由にして爵位取り上げられるから結局みんな平民に逆戻りw 宋義も宋襄も項羽の手にかかってるのによく宋昌は逃げのびれたな
あるいは別の場所にいたのか 呂氏の乱で陳平たちが劉恒即位させようとするも
代の家臣団皆がビビッて長安行き反対する中
宋昌がいなければ文帝は誕生していなかったかもしれない しかし、劉邦陣営には人材が幾らでも居る感じだな。
項羽陣営からは人材がどんどん離れて項羽しか残らなかった感じだ。 項羽さんのとこも版図の規模からすると武官も文官も結構な数がいたはずなんだけどなぁ >>312
項羽さんは圧倒的に武力重視だったんだろうな
謀略軽視・治世軽視・文官軽視
項羽さん自らリクルートしたのって戦士系ばっかりだろ 楚自体が連合国みたいなもんで項羽に従う理由もあんまないしな
むしろ瓦解せず長持ちした方だと思う 天下統一後に功臣から血縁重視になっていくのはよくあるが項羽は秦を倒した時点で戦争が終わった気分になってしまったのかもな あんなウンチ冊封を献策した奴も容認した項羽もどっちもヤバい まあ楚を倒して劉邦が皇帝になった漢も反乱やら匈奴との戦いでまだまだ戦争が続いたしな 樊カイ「お腹空いてんねん」
項羽「こいつに豚の肩肉を与えよ」
樊カイ「焼けてないじゃん食べられないよ」
項羽「あ、ほんとだごめんな」
普通こうなると思うんです 校門の会はどこまで脚色されてたのか
事実は項伯のツテ頼りに劉邦が項羽に許されたくらいか 日本だって戦前までは寄生虫祭りだったからなあ
当時の人がどこまで気にしてたかなんてね そもそもはんかいが食った彘って大猪や大豚の意味だから
即席で炙るくらいはしたろうがほぼ生やろ >>312
肥ゲームのイメージなんでしょう
>>316
それだな 項羽の分封を見ると各地に内乱の火種を巻いているから、秦滅亡後もまだまだ戦うつもりだったと思う
小説や漫画でもそういう解釈を見かけるし
ただ斉への侵攻の隙に劉邦が関中を平定してしまったので策士策に溺れてしまったのでは 項羽は劉邦を巴・蜀・漢中に左遷する際に監視用の軍三万を同行させているので、いちおう万全っぽい対策はしていた
それでも張良の書簡に惑わされ、速攻で陳倉を取られて、三秦の守将がくそ雑魚で、彭城まで攻め取られているのだから、参謀の亜父がダメだったのか、驕り高ぶりがあったのか >>321
項荘が初登場したまんま退場していく不思議なシーンという印象しか無い この時代、秦帝国にしても西楚にしても烏合の衆が勢いに乗って進んできたら中枢に迫るまで阻止できない
特定の誰かがアフォとかクソ雑魚とかいう問題では片付かない時代の限界みたいなものを感じる
三秦は敗残な上に急造だからやられたり寝返ったりしてあまり役に立たないのは仕方ない 章邯は廃丘でかなり粘っていた
文句なしの名将だった 章邯は露払いというか良いやられ役だよな
仮に楚漢演義なる物があればもっと掘り下げ脚色されて人気になってたはず 期間が短い
漢と楚だけで第三極がない
勝敗がはっきりしてる
粛正が始まる
これ演義物語にしても日本人の好みじゃないだろな 楚漢の戦いに絞ると平家のように楚が一方的に押し込まれて負ける展開は似てるけど
いかんせん楚陣営のキャラが弱すぎる…項羽と范増に全部すい取られたんかってくらい名のある将がいない 俺が把握しているだけでも楚漢の漫画が3作品同時連載中なのにブームにならないという悲劇 専門家じゃなくても読める現代日本語訳の史記があるし
三国志とかキングダムの延長線上みたいな感じで読める作家も読者も参入しやすそうな題材
しかし数うちゃブームになるってもんでもないし仕方ない 鴻門之会が教科書に採用されてる分まだ恵まれてるといえる 肛門の会とか下品な事言う奴が必ずいたけど
記憶に残るという意味ではもしかしたら良かったのかもしれない >>333
通俗漢楚軍談(西漢通俗演義)が普通にあるぞ
横山光輝の『項羽と劉邦』は司馬遼太郎作品が原作ではなく通俗漢楚軍談が原作らしい 日本での膾炙に関してはやっぱり横光が長編漫画にしてるのがデカい
今現在もコンビニコミック売ってるし 虞子期出てくるもんな横山のやつは
しかも虞姫の墓の前で自害するオリジナル付き >>334
韓信「つまり俺は義経なんだな・・・今にチンギスハーンになる・・・」 いやそこの時代なら
匈奴ことフン族を率いてローマ帝国を打ち倒すんだろ 統一後に韓の王になったのに、なんで翌年には晋陽、馬邑と辺境に飛ばされてるんですかね
そら中原の要所にある韓の王族なんぞは粛清されるか追放されるしかねえよな まあ韓は商業の中心だったからそりゃ理由つけて左遷されるわな 中原の入り口に当たる韓周辺は出来るだけ直轄か身内に任せて安心したいところだろうなぁ
西周も王畿を置いて睨みを利かしたし
戦国秦は早くから進出していた割になかなか本格的な支配に乗り出さなかったけど 項羽の二重瞳って瞳が2つ並んでるの?それとも重なってるの? 叔孫通の危機察知能力は異常
そら劉邦とウマが合いますわ 項羽が楚の荘王並に徳と寛容さと度量があれば劉邦も黙って従ったろうに 項羽は性格的に鳴かず飛ばず装うなんて絶対無理だろうな >>353
《史記:項羽本紀》
吾聞之周生曰「舜目蓋重瞳子」。又聞項羽亦重瞳子。羽豈其苗裔邪?
太史公は言う:吾は周生が「舜の目蓋は重瞳子であった」と言うのを聞いた。又、項羽も亦た重瞳子であった。項羽は、ひょっとして舜の末裔なのだろうか?
たぶん太史公序だと思う。 楚重瞳ともいわれてた記述もあるようだし、何らかの特徴はあったんだろうな
卓越した武芸から考えても、視力障害のない先天性多瞳孔症だったと想像する 日本だと平将門が重瞳だったとも言う。
なんか英雄豪傑の相みたいにも言われるが 車輪眼、今のアニメの魔眼とかキングクリムゾンの先魁か
漢の弓の名手が楚の莊子を幾人も撃ち殺したが項羽が出ると逃げ出した >>353
史記やでって書こうと思ったら>>361さんが書いてくれてた
ってかこのスレに来るような人達でもそんな認知度高くないのかね項羽の二重瞳って
俺文庫版かなにかの項羽と劉邦(の巻末の読み物)で読んだ記憶ある >>364
朱元璋「俺も奇怪な容貌だと言われたね、実際は王者の風格だったのだが」 >>366
このスレに来るのは三国、キングダムの延長だからな >>366
最近の漫画でよく取り入れてるから結構メジャーになってるかもね
高橋のぼるの「劉邦」では瞳孔が2つで
川原正敏の「龍帥の翼」では虹彩が二重で
それぞれ表現してる 創作なのにネタ元が項羽本紀や高祖本紀しか使わないのはどうなのよ
少しは他の列伝が推察しての解釈を入れて欲しいわ 日本の大河や時代劇も考証厨が面倒くさいという話聞くしなあ
それこそ俺らみたいなうるさ型が原因なんだよ思うぞ、ファンタジーと史実混同する奴ここでもチラホラいてるし 架空じゃなくて歴史を題材にするからにはうるさい位で丁度いいんじゃないの >>372
大河ドラマで特に天・地・人は酷かったから仕方ないな~
突っ込みどころ満載だったし 例えば宴会の料理に敵将の肉や骨が出てきて諸将みんな笑顔で食べるとかはカットしてただの宴会にして良いし
奴隷の鎖骨に穴を開けて鎖で繋いで連行するとかは今風の手錠を嵌める描写にしてもいいと思うよ
帆船がなかった時代に手漕ぎじゃなくて帆を張って進むとかは嫌だけど >>375
その程度が人によって違うからね
自分にとって全く違うことを大したことないと感じられた利 宴会と言えば叔孫通が指導するまで酔って叫びだしたり柱を斬りつけたりと暴れ放題のガチヤバ連中
よくこんな連中が天下取れたものだ 中華統一して長期王朝にするような軍団は大抵脳筋と知識層のバランスが神なんだろうな
趙匡胤李世民朱元璋どれもバランスとれてる >>377
草創期はどの時代もそんな連中ばっかなんじゃ
凌煙閣二十四功臣だって劉弘基(馬泥棒)段志玄(ヤンキー)李勣(十代半ばから殺人)柴紹(大侠客。妻の平陽公主も武闘派)とか劉邦軍団に負けないチンピラ揃い(李世民軍団は蕭瑀みたいな名門貴族抱えてるの違いもあるけど) 最近、龍帥の翼を買い始めたが川原正敏の解釈はそんなに悪くないね 品のいい人達は社会転覆なんて出来ないもの
転覆したあと徐々に定着させるのが彼らの仕事 劉邦がわしは今日初めて皇帝が尊いということを知ったって言ってたからな 平城から洛陽への遷都で六鎮は捨て置かれたという説明が多いが、
依然として北方の柔然の脅威はあるのであり、
この政策転換、思想転換の方が大きい。
六鎮の乱は北魏の東西分裂を招く。
東魏の高氏、
西魏の宇文氏というそれぞれの最高権力者は、
それぞれ兵戸、鎮の出身(具体的にはこの六鎮の出身)である。 徳があっても慕うようになるまでには
それなりの時間が必要である。 叔孫通が後世の儒者をみたら時勢を知らない田舎もんと一笑に附してそう のちの儒教で聖王と崇められる文王武王も実際は蛮族どもの首領だったし
創業なんてそんなもんだ いやあそれはどうだろ?
ある意味で大元の中国やその属国の朝鮮もそれぞれ程度は違うけどかなり悪影響受けてるだろ
どちらかと言えば日本より朝鮮の方が悪影響受けとるだろ
中国はまあ日本や朝鮮より更に酷いことになってるような
とりあえず朱子学はクソ 具体的な内容がないからクソって言いたいだけにしか思えない むしろ中華圏では一番儒教の影響が少ないような
いい意味でも悪い意味でも 職分を堅守せよ
寝冷えする王に、冠係が衣をかけた。王が起きて、言った。
「衣係は職務怠慢だったし、冠係は越権した。
衣係と冠係とに、どちらも罰を与えよ」
『韓非子』でいちばん有名な話。 善意と悪意
壁が崩れた。その家の子と、隣のオヤジが、同じことを言った。
「壁を直さないと、泥棒に入られるよ」
果たして夜に、泥棒が入った。
家の主人は、こう言った。
「私の子は賢い。泥棒が入ることを見抜いた。隣のオヤジが、泥棒に違いない。壁が壊れていることを、知っていた」
何を言うかではない。誰が言うかで、受け取られ方が変わる。 人は利に釣られる
馬飼は、馬に早く走ってほしいから、馬を可愛がる。医者は、診療報酬がほしいから、膿をすう。王は、人民を戦争に使うため、政治を改善する。棺桶屋は、人の死を願う。
みな利を追う。ひとつのことでも、得をする人と損をする人がいる。
自動車の大量リコールで、部品屋さんは嬉しいそうだ。 聖人は恥じない
越王の勾践や、周の文王は、逆境を恥じないで、努力を続けた。だから成功した。恥辱とは、自分で思い込んで作り出すものだ。 >>399
景帝「いくら親とはいえ膿など吸いたくはなかった!」 これは荒らしというより
何か昂っちゃっただけでしょ >>396
明治から昭和にかけての酷さに比べれば今はまあマシだろうね
ただ時折陳勝・呉広が現れる分中国のがまだまともなんじゃないかな
日本人はもう飼い慣らされてどうしようもない 劉邦「なっ?冠にしょんべん掛けても構わん連中だろ?」 前漢建国時に張良が「洛陽は小国の都にふさわしい土地だから都は長安にしましょう。」って言ってたのにね。陳瞬臣先生は「後漢は前漢に比べるとスケールが小さい」と話されてはいたが。 劉秀の地元南陽に一番近い要衝の土地だと先ず洛陽だしな
緯書=儒教=周王室と箔付けや正統後継者感出すためだったりとか 西安北京は外交的、南京洛陽あたりは内政的
と単純に考えている、要するに内政重視だっただけなんじゃねえの? 即位した地位ミングで、まだ長安占拠してなかったってのもある
消去法で洛陽選んだ説 たしかに西域運営するなら自然と長安になるだろうね
光武帝は懐柔政策だし洛陽で充分だったのかもね >>407
当初は長安は食糧事情が良かったが、官僚機構が肥大して
人口が100万人を超えると慢性の食糧不足になった。
東部・南部からも食糧を運搬したが、輸送システムが上手く
機能しなかった。
それで、後漢は食糧事情がより良い洛陽を都にした。 江戸時代の江戸も基本的には食料は不足気味でその理由は人口肥大と野菜や穀類の輸送を
荷車に頼ってたからシステム上の問題だったからなー
中華は広すぎるしそんなもんか あの当時最低でも6000万の人口を把握してたのは統治システムが如何に優れたのかわかる 都では無かったから、その人口数って事なんでしょうね、董卓のせいで献帝可哀想。 戸籍数はあんまあてにならんよな
豪族や荘園主は奴隷の数スゲー少なく申告するだろうし
徴税逃れや蜂起疑われないようにとか理由は色々だけど >>418
蜀の兵力十万二千も対呉が二千で他が十万でだいたいの数だと思う
本当に正しいなら十万千九百八十六人とか記録したかと >>423
戦国獅子伝では油を塗った棒の上の歩かせて落ちて焼け死ぬのを見て主人が笑っていた ガイジはそこら辺からパクって鉄骨渡りとか描いたんやな >>424
奴隷の命は主人のものだけど
貧乏な庶民をころしてしまうと凶悪犯として指名手配
昔は違和感あったけど奴隷を助けたら泥棒になるとかで人間じゃないってこと >>419
都だった前漢の長安城も人口はそこまで多くなかった(ローマや唐長安城辺りと比べて)のが通説じゃね? 奴隷以上平民未満に部曲民ってのもある
人身売買の対象ではないけど荘園の主人に帰属する存在 >>426
そうだったんですね、知りませんでした。 >>420
日本ほどいい加減ではないのではないかと
それに戸籍にいる数が支配している数だから
家畜と野生の獣の合計数は不明でも家畜の数で財産が分かるように 科挙の勉強法から
理解して暗記するのは無理だと分かった
覚えた後でないと理解できない 科挙も結局は金持ちじゃないと勉強できないし郷挙里選や孝廉の縁故採用否定はわかるけど深いところではあんまり改革になってないよな
統失発生装置化してる面も結構デカいし 「科挙」って本色々面白かったけど絶対エコノミークラス症候群みたいになった奴でたよな、あれじゃ。
あと出入りの弁当屋がカンニング用具売り払ってるって聞いてなるほどって思った 科挙は進士までいくより途中で挫折した奴のが有名人多いかもな
まあ母数考えれば当然なんだけど >>431
欲しかったのは皇帝専用アンドロイドだったろうし こんだけ必死こいて勉強しても皇帝の一番の信頼はチンコない宦官なんだから救えねぇ >>431
全員の底上げをするのは不可能ってことでしょ
スパルタ式の学校や会社もほとんど潰れるけど
極一部の奴だけ優秀になるやり方だし
科挙は43万字と注釈とか生まれた頃から勉強して36、7でようやく受かり
一部の人を除いて何度も落ち続けるのが普通だったからね
それに問題に使える箇所はそんなに多くないから同じような問題が出され
過去問の販売は違法ってことはそれが仕えるってことだし 魯迅の小説であったよね延々科挙に落ち続けて老人になって酒飲みに来る客の話 >>438
それだけ苦労しても落ちたらツブシも効かないとか悲し過ぎる
水滸伝の王倫なんてそりゃあんなになるよな 二十代で状元(科挙トップ合格)の蔡京とか文天祥ってIQ200ぐらいありそう。
しかもこいつら受験バカじゃなくて文化人としてもチート >>440
そういや水滸伝みたいな武侠小説って主役クラスで科挙合格者って金庸「書剣恩仇録」の陳家洛くらい
黄薬師も学のある虎眼先生みたいな感じだけど科挙には受かってない 宮崎市定の本で科挙合格者が反体制派やアウトローの中にいる本出したら
発禁くらうからじゃねって推測してた覚えが 一年浪人しただけでもかなり苦労したのに。そんなもん一生やってたらおかしくなってしまうな >>441
おまけに無学の韓世忠の息子は科挙楽々合格かつ武将としてもそれなりの業績
クソ真面目に勉強しかしてない奴が憤死しそうな人物もいるのが面白い 傑物発見用にふるいにかけてる訳じゃないのがね
やってることは一等賞(進士)に褒美(高級官僚)与えてるだけで試験内容が富国強兵や国政の良化に繋がってない
合格者から名宰相が出たとしてもそれを科挙制度が作り出したとする因果は無いようにも思うし 陳丞相だったら一回受けただけで諦めただろうな、科挙 学の無さそうな元葬儀屋の周勃が丞相になる前漢初期と科挙のある時代では全く違うなぁ >>446
ただ明代では洪武帝を補佐し開国に大きく貢献した劉基、英宗が土木の変で捕らわれた後に北京を攻めてきたオイラートを撃退し明の崩壊を防いだ于謙、
幼少で即位した万暦帝の初期に辣腕を振るった大宰相の張居正、彼らは全て20歳代前半に科挙に合格(但し劉基は元代に合格)しているので、やはり
優秀な人材であることは間違いないだろう。 劉基張居正に王安石曽国藩林則徐
ここらは科挙なんかなくても世に出て名前残してたように思うが
それが国政側か改革者かはわからないけど >>454
そういう人間を逃さない制度としてはまあまあ良かったと思うんだけどね。なんかで言っていたように名馬より名伯楽の方が生みづらいわけで 逆にもっと凄い傑物逃してる可能性もあるよね
初受験で詰め込みだけの糞試験じゃねーかとサッと身引いた人達の中に劉基以上がいてたかもしれない...
そんなの言い出したらキリがないけどw 田単のエピソード見た時は試験どころか自分でも才能に気づいてなかったり機会に恵まれず埋もれたまま死んでった傑物とかそう珍しくもないんだろうなって思った もし劉邦が最初の約束通り秦の地を貰って
その後に項羽を倒したら漢ではなく国号は秦だったのだろうか?
そして後世では後秦とでも呼ばれたのかな? 封建された王名を帝国名に流用する例が多いけど劉邦は沛公呼び長かったし沛帝国ならありえたかもね 漢中王→略称で漢王→自分の王朝が漢→劉邦とか劉備とか
なら関中王なら関になるんすか? そもそも義帝の言う通り劉邦が関中の王になったら称号は関中王だったのかって
秦王じゃないんすか?わかんね 秦はさすがに忌避されたんじゃないか、と想像はできるけど本当のところはわからんね
>>464
なんとも微妙なネーミングに感じるが
漢中王→漢王→漢王朝がありなら、関中王→関王→関王朝もあり得ないとはいえないわね 秦ってそんなに忌避されてたんかね
その割には五胡時代少なくとも秦を国号とした所が3つある 秦に国が滅ぼされたのをリアルタイムで覚えている旧6国民がいる時代と長い漢+αをはさんだ時代では違うでしょ 西王でいいんじゃないかな
周の記録でも北国東国南国はあっても西国はなかったらしいけど
西六師や殷八師とか
西が国名みたいなものだったのでは?
(定説では違うのは知っているので何も知らないのか扱いはしないでね) 秦滅ぼすべしで蜂起した以上国号には用いないと思う
この時代に秦王を名乗るのは他国全てに喧嘩を売るのと同義では 今思うと皇帝という称号も忌避されてもおかしくないと思うんだけど
特に反対とか無く劉邦、皇帝になっちゃったんだよな >>471
(実は滅秦に異様な執念を燃やしていたのって、籍ちゃんだけだったのでは・・・・?) 秦は申だった説はどうだろう
それなら申王でいいような >>470
現代日本で「統一教会」という名称の会社を設立するとか、「オウム真理党」と言う名称の政党を旗揚げするようなもんだろな >>471
王の中のトップでは項羽の二の舞だし、他の王を格下げするわけにもいかんし、王より上の称号が必要だったんじゃないかな
しかしここで劉邦が皇帝という称号を採用しなかったら、皇帝という称号は後世で宇宙大将軍みたいな扱いになってたかも 皇帝という称号を使う事に対して反対が出たって記述ないよね
左遷されてなきゃ案外普通に秦王名乗ったんじゃないの 六国を苦しめた挙げ句滅亡させた代々の秦王とぽっと出のよくわからん皇帝とは違うよ 逆に項羽が勝利者となった世の中が続いてたら覇王がもっとメジャーな称号になったんだろうか
皇帝は学校で習ったりテレビとかの歴史番組で知ることが多いけど、覇王という言葉を最初に知ったのはゲームって人も多そう 思い出せば懐王はあくまで関中に入った者を関中の王にする、と言っただけだった
ここで秦の地を与えるのに秦という一切言葉が出ないことの意味は深い >>466
関なんて武関とかそこらで使われてるからならねーよドアホ >>474
同音で同一族という説がある
>>479
覇者って王者より下だから
例えて言えば「部長社長」みたいな称号 >>467
圧政で滅んだんだぞ?(  ̄▽ ̄)ア?
五胡の前秦はまだ支持はあったぞハゲ 項羽やっつけて諸王の信頼勝ち取りました←わかる
なんで皇帝に推薦されました←わからない >>482
現代じゃ発音別物だけど当時は同じだったの?
所在も全然違うし 堯舜禹は「帝」だよな?
黄帝も。
皇さえつけなきゃいいのか? 皇も帝もどっちも神に近い様なニュアンスがある気がする。
どっちが格上とかあるんだろうか >>486
多少怪しい説だけど同音だとか怪しい本で
>>489
始皇帝が泰皇でなく皇帝にしたのは帝を入れたかったような気がするけど
満州国皇帝の后が皇后を名乗らず帝后にしてて
唐の皇帝が天皇を名乗ったりで中世?以降は皇は帝より上っぽい 皇ってのは日本の記紀で言えばアマテラスとかスナノヲみたいな非人間的な存在、数えるのが柱になるって感じかな
帝は神武崇神あたりの実在は怪しいけど天界から下界に降りてきた神、って感じかな
始皇が帝にこだわったのは、俺のやったことは神の所業だけどそれでも人間なんじゃい、という主張からかもしれん、寧ろ天に唾吐く心境で 真人のエピソードは数ある始皇帝故事の中でも突出してアカン感じがするけど
称したのは事実なんかねぇ…実権からの遊離が少し後継者の胡亥を想起させる >>493
キングダムでそれやったら凄いわ
あの光り輝く政がただの中二病誇大妄想患者に転落とかセンゴクの秀吉超えるぞ >>497
むしろそこまできちんと描かないとダメだと思うわ
ここまでこの時代を有名にしたからにはヒロイックな美談で終わられちゃ困る あの作者は史実にないことも平気で創作するから不都合なことは省くよ 真人の話を見る限りでは、真人が来てくれる前から自分で真人名乗ったら
色々とアウトやろって感じだしそこまで機微がわからんほど馬鹿じゃないだろうから
与太話に近いんじゃねーかって昔から思ってる 仙人呼ぼうとしても肉食っちゃ駄目とか色々と制限多いし
結局何かしらに引っ掛かりそうだから仮に仙人が実在したとしても呼べんだろうなw 日本も姓で真人を与えているから何とも言えない
そして貴族はただ人だから
要するに
皇族は本物の人間
貴族は普通の人間
5位以上の貴族は、普通の人間に近い動物 3位以上が、ただ人
5位以上が、通貴
元皇族だけが(それも全員ではない)、真人(まひと)
天皇の諡号でも真人が使われる
皇室の氏は原(はる)氏だから
貴族風に言えば、日本天皇及び皇族の氏姓は、原真人(はるのまひと) >>498
キングダムはあくまで信が主人公の漫画だから始皇帝の罪は描かずに
信が将軍として秦が天下統一してハッピーエンドで終わるんじゃないかな
信つまり李信が主人公だから項燕との戦いをどう描くかが一番気になるな まあ信は楚でボロ負けしても
政の信頼は消えずにそのまま
燕や斉攻め参加して
戦国の時代に幕引く一人になるんだよな >>506
どうせそうなるだろうね
猜疑心の塊で神仙狂いの暴君を光マンに描く作品だし >>482
周王という相談役やがいてるだけで社長ではあるんじゃないか天皇と関白の関係も似てるが
項羽は十八王封建して天下を切り分けて諸侯王の上に立ったから名乗ってないだけで皇帝
嬴政と同じ肩書を忌避しただけ
西楚覇王という言葉で地方軍閥のような印象だけど覇業は成功してる
一瞬なw😂 >>482
>>510
王者と覇者(伯者)は地位の上下以上に統治方法の違いを表す意味が強い
だから会社で例えるのは違和感があるんだけど
強いて言えば周王は創業者一族出身のお飾り社長で覇者は実際に経営をとり仕切る生え抜きの専務に近い >>505
北魏は元氏と同族だから源氏を与えていたし
日本も藤原氏とかあるし、原氏を保護するという意味かもしれない
ただ、焚書を日本はやったので事実関係は不明
恐らく朝鮮とかから誇らしげに官職を貰ったのを黒歴史と思ったのかと >>510
覇者は、王の臣だから
覇者の自称も力臣
日本の憲法学者とカで国家元首は天皇か内閣総理大臣かみたいな主張あるけど
そうなら天皇がパスポートなしで外国に行くのも不逮捕特権も駄目になる
何より、臣っていうのが奴隷、良く言っても使用人・部下だから
孟子とかでも王者より劣った存在が覇者だし
覇ってのは伯だし、王は本来は地上に唯一の至高の存在だから
殷代なら帝(神)の言葉を聴ける唯一の存在
>>511
徳で治めるのが王者
力で抑えるのが覇者
帝の臣は師、王の臣は友、覇者の臣は僕(しもべ)らしい >>510
関白の語源が司馬懿や諸葛亮も加官されていた録尚書事だけど
形式的には主人で、敬意をもって接するが、力はないが天王だから、、、
大臣と事務次官が近いかもしれない、官僚は大臣より事務次官を見ているし 何か話題ふるとバンバンレス返して貰えるのやっぱいいね
いつの間にかこのスレ自体が中国英雄板で一番勢いあるようになってるし前より絶対人増えたよね✌😊 >>508
政くんが猜疑心強いのは母親のせいやから…… 史記に出てくる政くんの暴君要素は、「人民を動員しすぎ」に尽きる
猜疑心などは些細なことよ… 陳勝が行くはずだった魚陽だかって北の果てだし
旧秦では上手くいってた離れた地域で労役兵役を
大陸全土でもやっちゃったのが問題だったと思う シンガポールとかの小さな領域でならやれることを
広大な地域でやると上手くいかないようなものかと
大田区から新宿区への労役ならまだ遠いけどだけど
旭川から佐賀への労役だと無理なように 賦役や重税が秦の見栄の為なのがいかんかったね
その土地の治水しかり必要な土木工事とかならなあ 地元でやらせると逃げるとかあったからが理由だろうけど
大陸の端からはしまで労役にいけをやってしかも負担は自分
日本も兵役中でも税は普通に取るとかやって負担が異常になったしなあ
そうなるとやけを起こす奴が増える
晋とかでも刑罰を厳しくしても犯罪が減らないみたいに言っているけど
刑罰が異常になって連座制だから、犯罪をやってもやらなくても捕まるんだよな 労役兵役の問題点はたぶん統一前から顕在化してたんだろうな
戦国末になると六国を圧倒してるけど秦軍の質の低さが見え隠れしてる 秦と今の日本も似たようなもんかもな
無駄に法律やルールだけ厳しくして国民締め付ける
でも皇帝だけは法の外に置く
日本の場合は皇族だけじゃなく相当数な上級がコレだから余計酷い
司法が忖度なく機能してれば安倍さんも死んでなかったんじゃないか 秦で人を〇す役人が忠臣とかを批判するけど
これは犯罪を取り締まったって実績になるから
日本で冤罪事件の刑事が勲章もらったり出世するようなもの 労役地獄で逃亡者だらけなのだろうから確実に殺して予防するか許して帰還を促すかなんだけど
いずれせよ労役地獄が続いてる限りいずれ破綻するだろうな
軍事絡みも多く逃亡者が厄介な軍事集団になるのが目に見えてるし危険すぎる 劉邦がヤバいのはそこらの飲んだくれのおっさんが始皇帝と違い教育もなにも受けてないのに天才的な人事能力を有していて天下をとってしまったこと >>520
長城も結果論としては役にたったけど半ば見栄だろうしなぁ
隋煬帝の大運河工事みたいな「江南の経済力で華北を潤す」みたいな構想はなかったと思う >>527
始皇の事業で賛否相半ばするのは統一事業なのか、自分の名誉のためなのか、はたまた権力誇示のためなのか
その分類が難しい事業が多いことにある
陵や阿房宮建設も蕭何に言わせれば国家でいつかやらねばならぬこと、だったろうし
問題は誰がやらされたか、にあったわけで 龍帥の翼だと劉邦の覇業はいつだって敗北スレスレ。
関中一番乗りからして奇跡ともいえる神業の連続だった。
その後の対項羽包囲網の形成も、敗者だった漢軍が執念で不可能を可能にした大逆転劇として描かれていた。
ワイは実際ここまで劉邦は苦戦しなくて、項羽は負けるべくして負ける運命だったと思っておるが、史記から神算鬼謀を読み取った川原楚漢は解釈として優れていると評価している。 >>526
東洋史家の宮崎市定が『中国の歴史』で書いているが乱世においては固定観念に捉われず柔軟な発想を実行できる者が成功するが、
それには異なる文化圏の境界線で生まれ育った者が最適で例として戦国時代に華北の魏や斉と華中の楚との境界線上にあった沛に
生まれ育った劉邦と、華北の金や蒙古(元)と華中の南宋の境界線上にあった濠州に生まれ育った朱元璋を挙げている。 >>526
そこそこ裕福な家の生まれで適当に名が通った遊侠だったのが結果幸いしてるから
そこらのおっさんという要素も天与の才能なんだろうな、と
この時代はやはり秦に反乱した有象無象の一人じゃないと天下は取れないと思う
項羽だってそこそこ良血でコネはあるけど無位無官で劉邦と変わらないし
英布とか彭越はもっとアレだし天下人候補はそこらのおっさんだらけ >>529
劉邦の覇業の実態はわからんけど
楚漢戦争開始後の項羽は基本的に防戦一方だし負けるべくして負けた感は強いな >>532
項羽は鉅鹿で秦の正規軍を撃破して関中に乗り込んだまでは見事だった。
だけども関中を焼き払ったうえに、遠く離れた斉に遠征して、本拠地の彭城を取られてしまう。
まあどこで兵站をまかなっていたか知らんが上手いこと彭城の連合軍を倒せたからいいものの、こんな杜撰な戦略で動いている項羽が天下人になれるとは思えないw 彭越相手にできる将が一人でもいれば劉邦に専念できたんだろうけどね
食料問題については、両軍とも敖倉取れるかどうかにかかってた感じ 敖倉というこの時代突然出てきて
この時代だけでいきなり消える謎の貯蔵庫 楚漢の時代ってさ、三国志の呂布とか孫策とか諸葛孔明とかみたいな、そいつ一人でドラマができちゃうようなスーパー武将がいないんよな
もちろん楚漢前の時代にも蘇秦、白起、藺相如、管仲などなど、そいつひとりの人生を王だけで本が一冊出来るようなスーパーマンがたくさんいるのに、楚漢にだけはそんなやついない 楚軍は敖倉を奪取してはいるんだよね
そんときに敖倉ごと食料を焼いてしまえば劉邦は関中に引っ込んだかもしれんのに
それをできなかったということは楚兵は無茶な遠征と攻城戦の連続で疲弊しており、なおかつまともに兵站を確保できてなかったんやろなあ 藺相如とかエピソードが華やかだけど、残ってるのはその場その場の「点」だからね
人生を「線」で追ったら資料無さすぎで、イメージで補完しまくりになっちゃう 後漢末も掘り下げ脚色してるだけなんじゃないの?全部真実(正史や史実ではなく)だと思ってるのか...
彭越でも龍且でも脚色しまくれば一人でドラマ作れるんじゃないの
もっと言えば李左車でもいいしレキイキでもいい
そんなのヨイショ本作者の匙加減なんだし 後漢末~三國時代がやたらエピソード残ってるのは三國志の編者が同時代の人で執筆時点でかなり
史料が残ってた(どころか当事者もまあまあ残ってた)のと、そこから割と近い時代に裴注でいろんな史料が拾いまくられてるのが大きいでしょ
やっぱりある程度史料ないと盛るにしても限界があって、楚漢は史料なさすぎ
焚書坑儒やらで記録残す文化も一時的に弱まってたのかね >>535
唐代くらいまでは現役で存在したみたいやで 楚漢戦争は漢側の史料は豊富だけど楚側の史料が少なすぎるんだよな
三国志でいったら三国に残る事さえ出来なかった袁紹、呂布ら群雄レベル
やっぱある程度史料が残るには数十年は国が保たないといけないんだろう 史料ないのに盛ったらファンタジー、すなわちキングダム(個人的には偉大な漫画だと思う)
楚漢の楚とか戦国期みたいなネタが薄い時代でそれなりに連載続けたら同じようにならざるを得ない 項羽陣営の資料が豊富ならメジャーな時代になったのかなあ
たしかに楚三傑みたいな内政屋、軍師、大将軍がいたらかなり印象が違ったかもw 楚漢の強みは劉邦陣営vsバケモノ項羽っていう単純明快さにあるような気がするので
楚側の史料増えて項羽の軍事的限界がはっきりしたりするとむしろ一般人気は落ちるかもしれん 少なくとも現代では人をうまく使った劉邦とワンマンで自分の武でゴリ押しの項羽って対比がウケてるから楚の配下の話題が充実すると項羽が嫌な奴になっちゃうと思うわ 売れるものって正三角形が形成されるものが多い気がする
「紅楼夢」はまさに三角関係だし、「三国演義」は言うまでもない
「水滸伝」も好漢=佞臣=皇帝の三角関係が重要なわけで
特に皇帝がいるとそれだけで三角関係が成立しやすくなるから楽なんだよなあ
その点楚漢は対立構図だけなんだよなあ、三角形になりにくい、皇帝も自身がそうだし
物語作る側から見ても膨らませにくい 某ドラマだと80話ある尺の半分以上が秦滅亡前に充てられてたな
折り返し地点でやっと趙高が死ぬ
「項羽と劉邦」とは言うものの、結局は多勢力が入り乱れる群雄割拠の頃が一番面白い >>549
それより展開が早すぎる事の方が問題
陳勝呉広の乱から楚の滅亡まで10年足らずは短過ぎ
日本で治承寿永の乱(いわゆる源平合戦)の人気が低い事と通じてると思う 例えば孫策などは小覇王と呼ばれたり、荀彧などは張良になぞらえたりもしたが彼らを超えたとは言っていない。やはり楚漢時代の人物はかなりクオリティ高いとは思う 彼らのクオリティが高いというのもあるけど
時代背景的に能力の上下格差が大きいという要因があると思うわ
人物が成長する時間的余裕もないし 褒め言葉として楚漢の重要人物に喩えられてもどいつもこいつも癖あるから素直に喜べない
社長に〇〇君は我社の韓信だの陳平だの言われたら苦笑いもできない 社長は劉秀というより劉邦タイプですね
ああそうだ劉禅タイプだったかも >>554
我が社の韓信→後で粛清する
我が社の陳平→子孫は絶やす
ひでぇw
>>550
まだ劉邦は功なり名を遂げてないから
項羽と趙高だな 西晋の苟晞は白起韓信に例えられてたけど末路考えると結構嫌だし実際それに近い末路になっちゃった 太公望蕭何張良辺りは従業員への賛辞としては最高峰だろうね 慕容垂も苻堅に韓白の如きが~と唆してたがあれも不吉の予兆よな よくあることだろうけど
白起と韓信、粛清されたのは同じでも、少なくとも史料上のキャラは全然違うよね
ある時期までほぼ無言で個性的な逸話のない大量破壊兵器なのに
唐突に不平不満分子になり弁舌で無双しはじめる白起さんおもろい 単純に昭襄王より取り立ててもらえた魏冉に心酔してたんだろな
昭襄王なんて小童の言うこと聞くのやーやーなのって 韓信はまさに楚漢戦争時代の寵児感
一方の多分貴門の生まれで貴戚に登用され長く活躍している白起は順調にキャリアを積み重ねた宿将
戦国時代の史料は各国の重鎮や公族に対する興味が薄く、縦横家的な人たちに注目してるから
権勢を誇る主流派に連なってた頃の白起のエピソードは収集も創作もあまりされなかったんじゃないかと 白起って名門貴族出身なのか?
史記とか戦国策を見る限り軍人として史書に名を現すまで経歴不明の人物のように思えるが 仰る通りで経歴不明、だから多分
貴族身分と推測したのは「公孫起」と書かれることがあるのと
恐らく魏冉に推挙された時点では若いのに相当爵位が高いこと >>566
史記で名前が出た時は既に左庶長からだしねえ 戦国秦って君主が大抜擢した能臣の活躍が有名だけど
けっこう謎の公族将軍や功臣の二世三世将軍が多いし
将軍には生得的に高い地位を持つ人物を充てるっていう伝統がある気がする
そういう理由で若くして師将に据えられると特に経歴のないポッと出、だが地位は高いになりそう まあそれなら客卿宰相范雎とソリが合わなかったことが辻褄が合うね 王離もキョロク前にパッと出てきて項羽に撃破されすぐ消えた >>556
陳平の子孫は劉徹が御家再興を認めなかったからねえ 秦王政から胡亥にかけての時期は公子が将軍を務めるパターンがほとんどないけど
かわりに重臣の子弟が将軍職を占有してる感があるな
蒙・王はもちろん馮劫、楊熊、趙賁もそれっぽい気がする 崔浩「ワシは今張良じゃぞい。鮮卑漢人の名族ランク付けも、仏教の弾圧も、史書の編纂も、
み〜んなワシが主導したのぢゃ! これほどの宰相は空前絶後なのぢゃ!!」
張良(ないわー、それ全部皇帝の裁可案件じゃん。俺ならそんな越権連発なんて危ない橋渡らんわー。
そんだけ君主の逆鱗に触れるまねをする宰相なんて、確かに空前絶後だけどさぁ…) 立ち位置的には張賓が近いんじゃね?
主君の石勒は劉邦リスペクトだし 宰相または宰相的な活躍が伝えられてない張良に比肩するなんて崔浩さん謙虚やな
長期間国家を運営した大宰相の列に入るべきだろう その蕭何と比べても宰相としての事績では崔浩に軍配が上がるだろうしな >>580
そういう比較を自分でしちゃったから殺されちゃったんじゃねえの?としか思えない人生
ある意味ここで常に話題になる淮陰侯に似た気質を持っていたのかな、と
才能ってのはフルに発揮すればいいものでもないという教訓しか生んでいない
その点は蕭何の方が賢く思える 常勝将軍なんかより大一番や勝負所は絶対勝つけど小さい戦闘でポカするようなタイプこそ本当は最強将軍なのかもね
強過ぎる出来過ぎる部下ほど怖いものは無いだろうし 君主の性格にもよるし状況にもよるかな
日本でいえば秀吉の手取川の前の時なんて
超有能過ぎたから処分する訳にもいかんし
処分しようとしたら他につかれそうだから許された以外の
理由なかったろうし 難しい問題よ
毛沢東に粛清されなかった周恩来を褒める人もいれば貶す人もいるからな >>582
局所でたまにやらかすが要所はきっちり締めるのが、部下でも上司でも理想像なのかもしれんね
あまりに隙がなさ過ぎると、そいつの上司も部下も息が詰まりそうだし
蕭何の田地買い占めが笑えるやらかしなのかはともかく 蕭何のやらかしって王翦のムーヴ真似しただけなんじゃね 戦争で適度にやらかすのってすごーーく難易度高いからまあ >>581
保身の見事さと宰相としての力は別だしなぁ
范蠡が天寿を全うしたからといって、じゃあ文種よりも賢くて優れているかといえばそういう訳でもない 明の張居正とかみてると出来るヤツが能力フル稼働させると結果も出るけどヘイトも尋常じゃないくらい買いそう >>590
保身というよりいかに空気を読みながら全体を回していくか、が宰相としての才覚だと思う、それは上も含めてね
俺に言わせれば文種は不器用な生き方しか出来なかった人間だね
そういう人間は尊敬も評価も出来るけど、賢いかと言われたら??だなあ
逆に賢い≒優れているという考え方でもあるわけで、一概には言えない 崔浩もあれやが宗愛の讒言聞き入れたり挙げ句に頃された拓跋燾の人の見る目の無さ >>592
言葉尻を捕らえるようで気が引けるけど
賢いのは宰相の前提で、そこからの末路というか、身を引くか己を貫くかの生き様は単なる個人の性格に見えるんだよね
賢さと性格とは別ベクトルで語られることだと思う
中国史はこの手の例が豊富で面白いよね 文種は范蠡の助言を受けて中途半端な行動で世を去る訳だから
范蠡よりも賢くは見えないだろハゲ >>593
つうか五胡十六国スレでも書いたけどなんで北魏って宦官ごときがあんな権力持ってんのか謎。
一人でキングメーカー面してるとか趙高レベルの専横 >>595
朱元璋「貴様~人様の頭髪が不自由な事を笑いものにしやがつて~あまり朕を舐めるなよ。並の中華の暴君とは違う。これが大明国初代皇帝の………」 劉邦から全然信用されてなかったのに最期まで保身しきった陳平が最強 陳平の転機は酈商をおどして呂禄の兵権を周勃に与えたところ
酈商を動かせたのは灌嬰が忠心から斉王の討伐を中止したからで、灌嬰がいなければ陳平と兵権の無い周勃は呂氏に手も足も出せんかったと思う
下手をすれば陳平は時の権力者に媚びへつらう佞臣で終わっていた 呂氏の乱はやるお呂氏の乱が詳しい
それによると陳平と灌嬰は組んでいないし灌嬰は斉王とともに呂氏討伐を企ていた推測してる そうだ
酈商のもとへ行ったのは陳平と周勃だった
呂后本紀を誤読しちゃったごめんw >>598
古参でもなく外様の実力者でもない第三者ポジションが幸いした感
劉邦から呂后からすれば怖ろしい存在ではない
呂后があと数年長生きしてたら
よくいるトップを脅かさない平凡なナンバー2キャラで終わるとこだったし危なかった 文種じゃなく鮑叔と言いたかったのかな
鮑叔こそ本当のキングメーカー説あるよね 管仲の菅氏は管仲一代で歴史の表舞台から消えるけど
鮑氏は有力世族として長く続くからな~ >>603
大丈夫あってる
政にかけては自分より優秀っすよ、と范蠡が文種を王に推挙したエピを見るに二人とも勾践の覇業に欠かせないんだよね そこまで言ってないから安心しろ自演もここまで来ると見苦しいよな 転生したら項羽だった
転生したら劉邦だった
みんなはどちらをやりたい?
俺は項羽かなあw とりあえず罵倒したりやたら挑発的な人は中英板に長らく常駐してるからスルーで お前さー自分が最初にレスした内容覚えてないの?(  ̄▽ ̄)
後付けを詰められて糖質とかレッテル貼りの方がヤバいって >>612
嫌に口悪く噛み付いてくると思ったらそういう事なのね
把握 文種は最後を全う出来なかったではないぞ
宰相も全う出来なかった分かる? 范蠡と文種がそれぞれ軍師と宰相として任を全うした結果が越の勝利よ 越はそれで終わりじゃないだろ
宰相としてその後も基盤を整えられればよし
范蠡の様に出奔してもよし
どちらも出来なかったね
勾践には7つの策の内4つは要らないと言われ、それも覆せなかった
范蠡は留めようとされ殺すと脅されても逃げ切った 顔文字くんは文種に親でも殺されたの?
少なくとも記録にある限り、彼は范蠡が「政治は俺より上」とハッキリ断言してまで直々に王へ推挙した人材なんだけど
実際に途絶寸前の越を二人が両輪で支えたから越王は復讐を果たせたわけ
まさに范蠡のいう通りで、宰相としての能力でしょう 越王が覇者になった後の二人の対照的な最期は、初めから何度も言っているように性格であって、この点において特に文種を擁護している訳でもない
才能と別物なのだから当然の話
そもそも顔文字は保身に事に拘りすぎる
逃げ切って富むのは確かに賢い生き方だが、それが絶対ではない
李斯が無残な最期を遂げたが、それをあげつらって宰相としての彼をまるごと否定する人がいたら笑うだろ 別に保身に拘ってるのではない
お前の最初の文種と范蠡のどちらが賢いに反応しただけだ
下らない保身もあるだろうが、文種は中途半端に放棄して讒言を受け死んだ、それだけの事 意地悪い見方だが
確かに文種は半端に逃げようとして無様に死んだと言うことは出来るだろうね
同じ見方をすれば、范蠡も臣下の身でありながら主君を身限り、その上で越の高官の任を放り出して余生を富に耽溺したと言うことも出来る
勿論、顔文字並みに歪んだ色眼鏡をかけない限りそうは見えないけれども 断ってとめられたら范蠡はゴリ押しで逃げたよね
そのあと文種に「勾践は人と一緒に喜べない奴だよ」と書いて送った
二人とも有能な名臣だけど、人格面で好みは別れるよ どうでもいいけど劉邦が魏を気にしていたのは
魏から移住した楚人だから
日系ブラジル人が日本天皇を特別視するようなものかな 劉邦が信陵君っ子だからという線が15%ぐらい
ないかなw 若い頃の劉邦って、信陵君の食客時代の張耳と顔見知りだったりするかな? 年齢的にちょっと無理があるんじゃないかな?
正確な年齢が不明だから絶対あり得なくはないけど 始皇帝と同年代説から項羽とそんなに変わらない説まであるしな 少なくとも始皇帝よりは年長じゃないと診療君時代の張耳に関わるのは難しいのでちょい厳しいな >>632
趙美見とは顔見知りみたいだけど
診療君と会ったことがあったらそれを言いそうだから合っていないかと
>>634
隠していなかったみたいだから同じ日生まれのロワンの年齢でも書かれた
資料が見つからないかねえ
懐王も年齢不明だけど秘密でもなさそうだからどこかに記録内かねえ 佐竹靖彦の「劉邦」で読んだ覚えがあるわ、没年時40代だっけ
あれ根拠どこなん >>632
若い頃の劉邦は張耳の弟分だった
と何かで読んだけど何かは忘れた うん
確かking's warでも張耳を兄貴と呼んでた記憶 信陵君の食客が張耳
張耳の弟分が陳余
劉邦の親分が王陵
信陵君の甥(?)が魏無知
魏無知の友達が陳平
魏無知と魏咎は親戚
魏咎の元臣下が陳平 >>637
韓信の没年齢35説も謎
ただ劉邦ジジイ説で韓信若者説だと劉邦が韓信への猜疑心拗らせてしまうのも無理ないかと 兄弟というか親分と食客だな
張耳が信陵君の食客やってたのは青年の頃で
劉邦が訪ねた頃の張耳は既に富んで県令の職にも就いてたから時代的に合わないかも そもそも信陵君の歿年が前244年
劉邦の生年が早い方の説でも256年
遅い方だと247年
後者は論外で前者でも満年齢は凡そ10歳あたり
信陵君の食客になりうるか? 元々の話が信陵君の食客の張耳と顔見知りかな?(  ̄▽ ̄)って話だろハゲ
お前は退場だよジジイ、コラ >>645
信陵君はおろか当時の張耳と知り合うのも無理っぽいのは皆わかってると思うよ
前270年辺りまで生年が遡ってやっとだろう それの真偽はともかく、
かつての部下が上司とかサラリーマンガにはいくらもあろうけど
君臣で逆転なんて、メンタルが持つのかな?
本邦なら秀吉と蜂須賀小六なんかがそうだろうけど 天下の主から転落し続けて最後は御伽衆になった人もいる 651さんへ
ごめんなさい
信雄は天下とってませんが高位にあった主筋にあった者だったからです。
頃さないのが我が国日本の美点かと。 秀吉と義昭ね
こういう乱高下な人生は乱世ならではで面白い 平家は天下取っても頼朝や義経を助命したし秀吉も織田を絶やしたりはしなかった。
家康は草の根分けても秀頼の遺児を探し出して殺したり、頼朝は平家の誰も助けはしない、だから敦盛の最期の笛のエピソードが涙を誘う
さて、生き残る最適解は、どっちなのだろうな >>655
情けを掛けずに始末することだよ
救っても決して感謝なんかされないし憎まれるだけ >>657
頼朝は出家したから剃っただけで禿げては無かったと思う 相手が見えないネットでの悪口は自分が言われて嫌なことやコンプレックスを指摘するのよね
悲しいよね… 悲しいね 悲しいね 悲しいね 争うばかりじゃ悲しいね 三国志とかで死刑になるのを棒叩きとかにすると感謝されるどころか恨まれるだけ >>662
そりゃ笞刑は凄く痛いし下手すりゃどのみち死ぬからな
良くて半死半生だし
かといって死刑で腰斬もなかなかだけどさ >>663
だからやっちゃいけないんだよね
少し違うけど罪人のいれずみとかもいれずみいれたせいで
もう更生不可能になると思う
それと楚漢なんとか伝で
呂后が粛清した数は実は少ないとかあったけど
上司が2人以上やったら、もう信用できないだろと思った どうでもいいけど
リュウショがエイフを打ち破ったり
シュウボツがロワンを打ち破ったり
兵数もあるんだろうけど王になれた奴より、なれなかった奴の方が強いのか?
サイブも官往診を破っているしなあ >>661
お前の間違いを正してやっただけだろうが豚野郎 楚漢時代の人物をカタカナや当て字のid見たら三国時代しかしらなそうないきりガイジやった
久々のngいき クレオパトラと楊貴妃とジャンヌダルク
でも今の俺らの目にはきっと橋環の方がしっくりくるよ 楚漢スレ的には戚夫人と虞美人を呼んでもらいたいところだ
リアル実況人豚が起きそうで怖いけど 司馬遼太郎のやつだと虞美人って初潮迎える前のロリにされてたなそういや >>672
権力好きのインテリ美女やけどセフレですら使い捨てにする奥谷禮子もビックリのブラックやぞ 飲み会あるの?
苻生趙匡胤安碌山オゴデイも参加したいって ???「ここで小生が一つ、不躾ながら芸を披露いたします」 >>681
嫪毐「小生のチ〇コ芸をご覧あれ」
武則天「ゴクリ」 劉邦が周の末裔を封建したのって相当怪しいよな
どうやって探すんだって話 >>684
ぶっちゃけ100年近く前に死んだ懐王の子孫探すよりは難易度低くね?
周の滅亡なんて30年ぐらい前でしかないんだし どっちも諸葛村ぐらいの怪しい奴でも封じてしまえば封じたことになるからな 懐王の子孫の義帝年齢って特定できんよね
資料無さすぎて推測すら無理という メジャー所として横山光輝は子供、司馬は初老みたいな感じだったっけ 懐王の歿年が前296年
前年に秦に抑留されてるから末子の生年が最晩年でも孫なら高齢だろう
玄孫説もあるらしいが 周子南君だっけ?
漢は秦を無視して周から天命継いだことになってるんだからせめて列侯にしてやればよかったのに お前さあ、参考にした等パクった、世話になったとか
自分が世を統べる身になっていつまでも残そうと思うかジジイ 優れてた者から優れてる者へ継ぐと違うし、余計な物はイランだろハゲ いや、制度の話なんで
或いは漢初はまだ二王の制度が整ってなかったのかね 黄巾の乱を含めれば約100年の三国志
より短いが密度が濃い楚漢時代だな。 >>688
祖父が死んだのは89年前で、祖父が最後に国にいたのは91年前という推定情報がある
それと、韓魏趙ついでに斉燕楚で建てられた王に子供?少年はいないから
多分40代か50代(かなり若く見積もって)だと思われる
孫じゃなくて玄孫(やしゃご、孫の孫)説もあるけど
孫以下のひ孫とかも孫って言うことあるからなあ
ただ、子供だったらあのジュシみたいにいうのありそうだから
あの羊飼いの傀儡ぐらいしか言っていないし、あのジジイとも言っていないから
やはり中年じゃないかね >>690
原文の孫だと年齢が気になるから玄孫説があるのと
孫って言った場合にひ孫、やしゃご、それ以降を含めて言うこともあるから
(厳密な使い方としては間違いでも子孫のことを孫、先祖のことを祖父って言うような)
懐王について悪く言う場合に豎子や老人というような幼王・老王に使う言葉は言っていない
王で特に若いとも年老いているとも言っていないのだから
45ぐらいじゃないかなと(30でも若造扱いすることあるし50じゃもう初老扱いだし) >>684
漢も衛を周の子孫扱いだし
違う説もあるけど衛君角が秦の二世皇帝に廃されて滅亡だから
普通に見つけられたのでは? >>699
朱元璋「貴様~好き放題に人様の頭髪の増減を笑いものにしやがって~あまり朕を舐めるなよ。並の中華の暴君とは違う。これが大明国初代皇帝の……」 >>701
項羽政権が冉魏(8年)とか西燕(10年)よりも短期政権だったのがびっくり
五胡や五代なら泡沫の群雄で終わってたのだろうか そこらと違って項羽は統一してるから
全諸侯が恐れ慄いてひれ伏した >>690
そこからの孫だから普通に考えればどう若くても
壮年~老年手前、つまり普通に王族として生きていた経験があるわけで
それがあっさり見つかった理由なのかもしれない
そのせいで妙にプライド高そうで神輿に収まるの由としなかったっぽいけど 負かしたら族滅の中華の歴史で禅譲とか再建とかぬるいことやってんのこの時代ぐらい?
諸葛子孫村はあるけど司馬子孫村はないから、やっぱ晋が転換点なのか? 降伏しても禅譲しても元皇帝がぶち殺される時代、と言う点では
やっぱり晋が転換期かなあ 曹操子孫村や魏延子孫村がないのは、単に演義の破壊力なんだろうなあ
演義で悪玉にされたら終わり >>710
諸葛氏の祖先がジョウキョウを王に立ててしまい陳王が立ったから
慌ててジョウキョウを始末してでも陳王に処刑されたとか >>709
司馬家って母系は普通に生き残ってて北朝の大貴族やぞ。
北周に天元皇帝の皇后も司馬家出身 >>711
まあ退位後に殺害された皇帝ってだけなら前漢の少帝弘が最初かな >>716
やはり旅行の孫じゃないのかなあ
他の皇子も景帝の孫じゃない扱いされたのも異
孫なら毒奪しないからかな 曹操は宦官の養子の息子だから曹参の子孫じゃないけど同族の曹仁とか曹洪は多分曹参の子孫だよね
曹操自身は多分夏侯嬰の子孫
張良の子孫も何人かいたけど後は有名所で子孫残ってるやつ誰かいたかな
粛清しまくりなのもあって王朝終焉時には建国の功臣の子孫あまり残らなかったか 子孫自体はいても没落してたり庶人に落とされたままだったりしそうね >>717
今やってる大河では実の息子や孫ぶち殺す
北條政子と言う鬼が・・・ 張耳の子孫は後漢最後の頃まで帝室近くにいたみたいだな >>722
皇帝の毒殺って本当の自分の孫だったらしないと思った
特に幼児なんだし、、、それに名前も不明
次が改名したのが前帝の名前そのまんまにした可能性はあるけど弘 >>726
甘いねジジイ、兵糧攻めや飢餓に陥ったら赤子を交換して食いあった
ライオンも子が殺されたら発情する
現代でも男が変わったら子は死ぬ、、、 呂后自身は恵帝や魯元公主や
例え自身の子でなくても母親に含むところなければ
普通に可愛がる劉長に対する対応見ると
めっちゃ愛情深いある意味子煩悩なのに
どうしてこうなった >>713
襄彊と葛嬰の辺りのぐだぐだムーブがいかにも農民反乱って感じですき
楚漢オタでも張楚関連の話題語れる人少ないよな 蒯通なんて漢にとっては大した功績もないのに謀反教唆した奴なのに漢代に子孫名乗るやつがいるんだな
その他の事績からして能力は高いんだろうけどさ >>730
ある意味「相国」曹参の育ての親でもあるし・・・ >>730
張耳は功績を覚えているだろうなジジイ、コラ >>728
曹氏に対しては敵対的ではなかったし
薄姫に至ってはめちゃくちゃ境遇に同情したからなあ
戚夫人はどれだけ呂雉に対して敵対的に振る舞ったんだよと逆に思った事はある >>734
おい
どこに薄姫に同情された証拠があるんだこらハゲ 呂后は韓信や彭越の粛清に関わるほど漢王朝に貢献した女傑だというのに
この時代の皆が後継者の問題で秦が崩壊したのを目の当たりにしたというのに
いやしかし、劉邦から寵愛されすぎて、もはや呂雉に勝負を挑まねばいけないとこまで戚夫人は追い込まれていたのでは >>735
ハゲ連呼しても仲間は増えないよ
お爺ちゃん >>737
>>738
少しはスルー出来ねえのかよジジイ共 実際劉如意を後継者にしようと画策しなければ戚夫人と劉如意は生き残れたのだろうか 多分その前から身を慎み何事も呂雉を立てて
後継者争いに首を突っ込まなければワンチャンあったかも >>740
如意が生きている唯一の方法は
後継者にしてくれと言いだす前に母親を始末することしかなかったのが現実
仮に如意が後継者とされても晋の献公の後みたいに
即位後に呂氏に始末されたと思う
上記以外で如意が生き残るには死んだということにして
辺境、南越とか匈奴とかに逃げることしかないと思う ちなみに母が一度でも後継者にしてほしいと言ったらもう終わり
その瞬間に呂派に始末される
皇帝がずっと保護し続けるというのもあるけど
恵帝が死んだらそれでも始末されるだろうから アンチ呂氏の斉王劉肥(劉邦の庶長子)まで戚夫人の味方しなかった時点でなぁ
つかそう言う「敵の敵は味方」的な発想すら出来なかったところからしてもそこらへんのお水のお姉ちゃんでしかなかったんじゃ
唯一の味方が追い落とそうとした恵帝なのが皮肉 劉邦の死後に功臣でさえ保身に専念せざるを得ない政争が起きたわけで
戚夫人は最悪な時期に野心を持っちゃったというか、さりとて先々を考えて行動するのは難しかったと思う
劉氏でさえ対抗できずに殺されまくったんだから >>745
日本史だと実は成功した戚夫人が
神功皇后とも言える
親征中の大和を守り既に男子二人も産み
血統も神功皇后より上の大中姫命がどう考えても正妻で
神功皇后は遠征中の愛妾、つまり戚夫人と同じ立ち位置と言う
それが「胎児に皇位継承権」とか言う無茶苦茶押し通せたのは
実力者の武内宿禰の協力を得られたのが決め手というか
まあひょっとしたら応神天皇の実父の可能性すらあるけど
やっぱり戚夫人の敗因は
有力な与党を周昌(しかも無理矢理)ぐらいしか作れなかったのが・・・ 得体の知れない田舎ヤクザのおっさんに嫁がされバケモノに人質にされながらも皇后になり太后になればやっと安泰という時に横から掻っ攫われそうになればそりゃ鬼にもなる しかもその時もう若さと美しさはないという
あと田舎ヤクザじゃなくて田舎警察署長な 警察署長までいくと県令配下の武官トップクラスやろな
亭長だと駐在所の責任者がいいところ
だから部長に昇進した両さんと言われとる なお、警察の部長はグループ班長程度の役職
だから県警で刑事部長や生安部長を見ても特に緊張する必要はない。それはただのおっさんだ 巡査部長ってのはハコヅメ読むとわかるが会社の主任(現場リーダー格)程度
警部補(交番や駐在署の長)になると係長クラス
>>754
警察でも2人とか3人で活動するとかあるぞ
不良皇帝の時代は今見たく職能分担されてた時代ではないけど警察官が半ばヤクザみたい(現代でも元暴走族が警察官とかたまにある)とか珍しいことじゃなくね おいおい楚漢でハコヅメって…
劉邦 川合
項羽 藤
蕭何 牧高
張良 黒田
韓信 松島 ハコヅメの作者次の連載歴史ものやるみたいだけど宮崎市定「雍正帝」見たくブラック業務に苦しむ皇帝とその臣下たちみたいな話しか想像つかん どっちが酷いとか優劣決めて喜ぶネトウヨはゴミクズだけど、
一人っ子政策の後の少子化で人口比率がこれから厳しそうなのは確かではあるな。
少子化がどれだけ成長の足枷と財政問題に影を落とすかはジャップラン土民が一番知ってるだけに楽観視できないわな。 そうなったら中国市場が縮小して日本企業が死ぬだけじゃないのか
インドはまだ中国みたいに中間層少ないしな まるで失われた30年が過去のものだったかのような言い草だけどまだ続いてるからね。
仮に中国が後追いで成長鈍化するとしてもその頃の日本なんて目も当てられないだろ。 福本智之「中国の2035年までのGDP倍増を巡る論点」『海外事情』拓殖大学
によると現代中国の潜在成長率は5-6パーセントが研究者の中心的な見方らしい
少子化でダメになるはずと侮るのはよくないと思う 夏の末裔とされる杞は甲骨文字にも登場する(多分夏の本当の名前は二代王の啓と同音の杞)
が三皇五帝の内、三皇は戦国末期で五帝が春秋中期を遡る事はないようだ。
おそらく後から何らかの伝承をまとめて三皇五帝としたのだろう。 中国なら何とかするし大丈夫だと思う
世襲制のカルト国家とは違う 王子聖を殷侯として商侯としなかったのは商の名を使わせたくなかったのだろう 周原甲骨で周方伯や王と呼んでいるのに周侯と呼ばないのは
侯は良くない意味なのだろう 夏侯氏は実は元々夏后氏と名乗っていたかもしれない、という電波を今受信した 異民族の当て字系を除けば諸葛、夏侯、皇甫、司馬、ぐらい? 司馬、太史あたりが官職からの二字姓で
公孫、夏侯あたりは古代の一字姓に1文字追加された感じ?
鍾離はよく分からん、家によっちゃ鍾1文字に減らしてるしあまりルーツとか拘りはないのかね >>774
諸葛も葛侯と呼ばれたり(葛侯のおかげだと民が言ったとある、諸の書き忘れでなければ)
司馬氏も馬で呼ばれたりで省略することもあるみたい >>776
あ、公は氏じゃなくて身分か
皇甫も皇父から来てるらしいし、やっぱ二字姓は由緒正しいのが多いな
諸葛(地名+葛姓)とか鍾離(地名)みたいなの混じってるが
っていうか、陳勝の部下の葛嬰が諸葛亮の先祖説なんてあるんだな 地名もそこを支配していた(又は支配者の姓が地名)からというパターン多いんじゃないの >>778
普通は逆じゃね?
元々の姓は別にあるけど
支配地の地名とって苗字を名乗るパターン >>778
姓は元々10ぐらいしかなくて実はかなり進んでも30ぐらいしかなかった
それが地名とかで氏を名乗るようになって増えていって姓と氏が区別なくなった
ちなみに孔子の妻も歴史上唯一一人だけの姓が記録されているケンカン氏だっけ >>772
他にも沢山あるよ
孔子の時代だけでも公山、季孫、叔孫、孟孫、端木、澹台、顓孫、仲梁、少正、幵官さん等がいる
史記や春秋を読むに複製は古代に遡るほど多い それもう楚漢や三国志になるともう叔孫通しか出てこんな いや、わざわざ三國志出さなくていいから
何で何時もついでに三國志なのか意味不明ジジイ そういや王莽さんが一文字姓と一文字名推奨したのがえらい長く採用され続けたみたいだけど真相はどうなんだろ?関係あるんかね? >>786
王莽が原因というかその辺から本格化した儒教支配の影響やろな
儒教の影響が少なかったら日本ほどじゃないにしろもっと色々出来た可能性はある
漢以後の新しい姓とか下手したら異民族由来しか無いかもしれん 完顔とか耶律とか成吉思とかかな
むしろ東南アジアに漢字じゃないけどタオさんとかヤンさんとかチャンさんとかおるわな 姓名に限らず当て字が汚いのは異民族への畏れや忌避から来るのかな
そんな異民族に征服されてさぞ不快だったんだろうね
音で現してると言い訳するけどどう考えても当てつけがましいよね アマプラにある映画「項羽と劉邦」って面白いかな?
スリキン製作社によるドラマはまぁまぁだったんだけど。 >>790
楚漢戦争を扱った作品の中ではかなり丁寧に製作されてるとは思える
スリキンに出演していた役者が結構出てて笑ったわ
スリキンでオリジナルキャラクターやらされてた女子がまさかの虞姫役に抜擢されてたり ロワンとかホウエツとかを病気理由で弁明に行かなかったのを批判されるけど
謀反の疑いで弁明に行った周勃起は
弁明も聞かれず投獄されて拷問を受けてだったし
曹爽も仮に蜀とかに亡命していたら
司馬懿は免職だけで済ませると言ったのに国を裏切ったと批判されただろうな >>782-783
春秋の終わりくらいまでは見かけるけどその後急速に消える印象がありますね
伝統ある姓氏が滅ぶor目立たなくなる原因がBC500~300くらいの大陸にあったのかもしれんな とりあえず省略する傾向があるから複姓が滅んでいくのは分からんでもないけど
陳姓ってなんで秦末漢初にやたら出てくるんやろな
戦国田氏と大都である陳のせいか? 高祖功臣は陳、張、王みたいな見慣れた漢姓が目立ってきてるな
同時にあまり見かけない姓もわりといるけど 晋の八王が1人残らず日本人に馴染みのない読みづらい書きづらい漢字なのが晋以降をマイナーにさせてるんじゃないかな
司馬氏の罪は重い >>795
陳勝が陳を手に入れた時に陳王を名乗ったのと
楚の都でもあったからじゃね
また陣って意味らしいし
斉王になった田氏も元の王族・貴族をほとんど潰してほぼ田氏だけになったけど
元は陳の君主の一族だし(予言ではお前の子孫は君主になるが別の国だろう) >>797
読みやすい文字だと後継者になれない
(皇帝、王の名前の文字は使ってはいけないから)
(簡単な文字の名前だったのは後継者でなかったことが分かる)
(世民とか) 邦が兄貴の意味なのは後世のカンボジアの方言らしいので
劉邦に名前はなかった、兄貴という意味だって説は
絶対になかったとまでは言えないけど、ほぼ違うだろうらしい
邦(バン?)は普通の名前っぽい
今でも子供に國とか国、邦子とか名前に付ける親結構いるし 仮にもともとは名無しの劉季だったとしても
成人後に遊士やったり官吏だったり皇帝になったりしてるんだし
朱元璋さんみたくどこかの段階で普通の立派な名前を付けるかと >>799
司馬懿の息子二人と八王の乱勝者の司馬越は簡単な漢字でしょ
経緯がグダグダで分かりにくいのと、一応勝ったのは司馬越だけどすっきりするわけでもない上に司馬越の最期も悲惨だからじゃないの インカ皇帝マンコカパックも、日本のマスコミや書籍で取り上げられることがほぼないよな >>801
朱元璋「ははは、何を言う、私は生まれからずっと元璋という諱だ」 >>792
ありがとう。見終わったわ。
想像してたストーリーではなく、オリジナルもあったけど総じて面白かった
これは、項羽と劉邦を知ってる人が見ると楽しめる作品だね 後漢劉秀の息子劉陽なんかは改名してるよな
陽なんて名前で皇帝になったら地名めちゃくちゃ変わって混乱するだろうし >>805
個人的には呂后一族の専横から滅亡まで描いて欲しかったわ
呂后が余りにもヒロイン過ぎる でも概ねあんなイメージだわ
韓信含め主要人物がイケメンすぎないのも良かった >>808
デカイと股くぐる時に大変だからじゃね? 漢代の人物俑みてると
股をくぐるのはなかなか大変そうである 下半身の造形はある意味始皇の兵馬俑を超える前漢の兵馬俑
頑張って探せば韓信さんの股をくぐれるかもしれん… 当時の中国は下穿き穿いてないから
身体の大きい韓信が股くぐりすると普通に直接当たりそう
実はそういうプレーだった? しゃぶらせたってことか
乱暴したとか悪戯したみたいな、文にする時の言い換えで 官往診が身長190センチとか
普通別人とされているけど同一人物じゃね?
官の王族なら書物で勉強できてもおかしくないし
元王族だから大諸侯とか一万戸の墓守とか考えていたんだろうし 嫪毐は年齢中学生か高校生ぐらいみたいだよ
漫画とか小説でもおっさんにされるけど 現代の日本語のaという音を「あ」と書く、iという音を「い」と書く、uという音を「う」と書く、eという音を「え」と書く、oという音を「お」と書く・・・。これがひらがなです。ひらがなはシンプルです。 現代の日本語のaという音を「あ」と書く、iという音を「い」と書く、uという音を「う」と書く、eという音を「え」と書く、oという音を「お」と書く・・・。これがひらがなです。ひらがなはシンプルです。 こうして作られたひらがなとカタカナが普及し、一般的には万葉仮名は忘れ去られてしまった感があります。しかし、日本語の起源や歴史を考える時に最も重要な奈良時代の日本語は万葉仮名で書き表されており、この点で万葉仮名の存在を無視することはできません。 「畳(たたみ)」の語源、畳まないのになぜ畳と言うのか 日本語にyama(山)という語がありますが、山を意味したのはyamaという語だけではありません。*kasaという語も山を意味していたはずです。日本語のkasa(笠)、kasa(傘)、kasa(嵩)、kasamu(嵩む)、kasanaru(重なる)/kasaneru(重ねる)などの語彙を見ればわかります。*kasaという語だけでなく、*tataという語も山を意味していたようです。 大尉で長安侯の魯湾が軍神の筆頭だと寛恕に書かれている
丞相と御史大夫は常設されていたが大尉は常設されなかったそうで
実は上昇や御史大夫よりも上なのだろうか
魯湾は燕王になったので29功臣には入っていないが彼が最高位なのだろうか 項羽を打ち取った者には千金と一万個の領土というのを
やる夫楚漢字スレでは多過ぎるとされているが
自分は横山光輝の項羽と劉邦を読んだ時に安い安すぎる低すぎると感じた
首1つでというけどこれを取れればもう瓦解するのになあと思った 張良に斉の三万戸を言ったのが劉邦が与えようとした最高戸数だけど
自分はこれも少ないなあと感じた
功臣でも一万戸が数人で大幹部でも五千戸なのとか
関羽に曹操が与えた偏将軍や漢寿亭侯も低いなあと思っていた
むしろ子楚(趙異人)が呂不韋に与えた河南(洛陽)の十万戸とかも
自分は高すぎる多過ぎるとは感じなかった るろうに剣心のようなのが事実であったとしても
功績が大きくても人斬りはろくに扱われていない
呉で光が専諸の息子を卿にしたのも子供の頃は自然に流していたけど
老いた今はかなりの褒章だったと分かった
魏の大功臣でも亭侯止まりが多くて
曹操の祖父も宦官の最高位の大長秋で費亭侯(魯の季孫氏が費公になったなあ)
だから丁侯でも実はかなりなんだなあ
マーチが実は全体では上位みたいなものか 徹侯は侯と言いながら長安在住を義務付けられて封国に行けず
税を受け取るだけの名目的な君主・領主に過ぎない
1つの年に160人近い侯が住んでいるのでは
そこまで広大な邸も作れないだろうしなあ 日本で例えれば
東京侯以外の侯は
埼玉侯でも千葉侯でも福岡侯でも自分の領地に行けないし政治もやれず
東京に住むのが義務なら麻布や田園調布の邸宅ぐらいにしか住めない
一万家族からの納税でもそこを治めるのや役人の給料でそんなに得るものなさそう 興味深い話題がちらほらあるのに
糞連投のせいでレス返す気無くす 方角の東西南北の字が付いた復姓は東方、西門、南宮が中国や韓国に現存し、その中で南宮は現在の韓国の復姓で最多だが
何故か北の字の付く復姓は現存していない。 >>835
何か、北って言葉はなかったらしい
向南で北を表したとか 北がないのはおれも気になってた
百家姓にも東門西門南門あるのに北門だけない
というか、一字姓にも二字姓にも北がつくものがない 田安が済北王に封じられてるし、地名や方位としての北という字は存在してる
でもなぜか姓に使われたないから避諱とかかと思ったけど特に見当たらない 「敗北」の北だし「背く」にも通じるしであまり良い意味はないだろう 北姓の由来を調べてみると
黄帝が蚩尤を北という地に移住させ、それらが北姓を名乗った
とあるね
中原の人は北姓名乗るのが怖かったのかもしれない 北がないのを不思議に思って考えた話のような
本当の理由は単純に古代は北って字がないか、あってもほとんど使われず
まさか後世の人間は東西南北で昔はなかった方角があったとは思わなくてとか 易経にも東西南北の文字がある
昔は北だけがが無かった説はさすがに無茶だろう 違う話だと思われそうだけど
アマゾンだかどっかで前後左右って言葉がない民族がいて
東西南北で場所を言うらしい
だから他の人はどこそこの右左で判断するのを西東で判断するから
パソコンの右にマウスがあるのをパソコンの東と判断して
同じように並べて下さいでどこにパソコンを置いてもマウスを東に置くとか
なんかわかりにくくてすまん これって前後左右よりも東西南北の方が古くからあったってことなのか
日本語の母音や冠詞・英語の名詞の性別みたいに昔はあったけどなくなったのか 意外と言い方が分からないことって結構あって
調べると実は表現があった場合でも
その正式名称を言っても一般に知られていないのだから相手に通じない、、、 新手の荒らしなのか、前からいる荒らしが手口を変えたのか…やれやれ 前からいる人でしょ
知識あるし話題も面白いんだからこの荒らしムーブ本当やめたらいいのに 北については施政者がいる場所だから使用は遠慮したって面もあるかもしれない
政治を行うことを南面するって表現なかったっけ どうでもいいけど日本の世帯数って5340万らしい
天皇は 食邑 五千三百四十万戸の侯か >>853
耄碌ジジイにしかわからんから安心しろハゲ >>849
いつもの挑発的なレスのやりとりで荒らす連中とはタイプが違うから
(おそらくネットor書籍から引用してきた)長文を投稿しまくってた人くらいしか思い浮かばん
でもあの人は多数のスレを荒らしまくるようなことは多分してなかったしなぁ・・・
いずれにせよ、本人の為にもこの辺でやめて欲しいね >>857
辞める訳ないだろジジイ
ベトナムも入植するためのテストに使ってんだから
あんま舐めてんじゃねーぞハゲ共がよ!! >>858
ジジイコラ
意味不明なこと言ってりゃ相手が黙ると思ったら大間違いだぞハゲ(  ̄▽ ̄)コラ 意味不明じゃないだろ、ホント使えねー無能だな猿真似ジジイ どっちが猿真似だよ(  ̄▽ ̄)
いい加減にしとけハゲジジイ ハプロ遺伝子を調べると鮮卑とかよりも劉邦の血統が離れていて独特らしい
元宋の領土で楚領になり言語や文化は楚だが
ハイは梁の人が移住した所らしくて魏人意識があるというおかしな地域だから
劉邦の周囲に大陸でも最高峰の優秀な人材がそろっていたのも
独特の地域で変わった遺伝子の宝庫だったからかな 書記の言語や遺伝子が南方系なのって
単に旧支配者階級が南に逃げたからだよねって思う
南から北に行って支配者になったわけじゃない(一部例外はあるけど) 地元の旧帝→札仙広福or京都大阪神戸こそが勝ち組だと思うわ。
特に関西の政令市は京大卒を準キャリア的に処遇していた時代が長いと聞く。出世も有利だし、地元でのステータスも最強だよね。
逆に関東の政令市や都庁は昇任試験が厳しく、巡り合せが悪いと50歳ヒラもありうるシステムで、難関大から入るのは明らかにコスパが悪い。特に都庁の昇任試験は東大卒でもバンバン落ちるみたいだし。 公務員はヒラが一番美味しいぞ。
ハコヅメ読むとわかる >>864
そんなルシファーみたいな東大卒ぞろぞろおらんやろ 何故に楚漢スレで大学校やら天使の話になるのか
これがわからない 項梁「有能か無能かは葬式を手伝わせれば分かるだろ!」 今だって新卒採用時に競技性のある部活で部長やってたとか生徒会で活動してたとか普通に評価されるわな
技術や知識はある程度のレベルまでなら後からどうとでもなる事多いけど
リーダーシップやマネージメントの才能はどうにもならん事多いからな >>870
その試すので葬式失敗したら評判がガタ落ちになるんだけど リーダーなんて何人もいらないよ
スタッフやらせればいい >>873
実際に挙兵の時に無能と断じられた奴が文句言ってたなw >>875
将の将なら1人でいいけど
10万の将は数人欲しいし万の将ならその10倍欲しい
組織の規模が大きくなればなるほど規模に見合ったリーダーが大量に必要になる当たり前の話や >>878
近衛兵みたいな感じだから何の実績もない人物に対して普通に期待込みで重用はしてる
それを一気に大将軍に抜擢する漢(というか蕭何)が異常なだけ 韓信が漢から逃亡して斉にいったら斉は項羽といい勝負できたんだろうか
まぁ取り立ててもらえるかという大問題があるけど。 >>880
それもあるけど斉は守りにくい上に項羽によって破壊されまくってるのも大問題
韓信の活躍は関中という優秀な策現地に有能な蕭何がいて劉邦という項羽の囮足り得る別働隊がいてこそという面もあるからね >>877
三国志でも馬超や軍閥の10頭目の軍勢が10万で
対する曹操側も総兵力10万
呉が楚を攻めるために根こそぎ持ってきた兵力が三万で
それに唐や蔡は驚いたレベル(両国の合計兵力でやっと五千)
対する楚側も千乗(の戦車)と号する軍十万
いずれも恐らく実数はそれより少ないし戦闘部隊以外も含んでいる
というか近現代になるまで数万程度が運用できる限界だった(ヨーロッパでは) 号して100万、理論上は42万、本当は5万、戦闘部隊は3万くらいだと思っとけば恐るるに足らず! >>882
実数がどうあれ大軍を率いる将の才能ってのは貴重なものだよ 戦闘兵以外も統率が必要なのを知らないジジイだからほっとけ 会社で五人くらいしか部下いなくても苦労するのを思えば一万人連れて戦闘に行くのとかゲロ吐きそう 俺の経験じゃ5人くらいが1番しんどかった気がするぞ
10.人20.人になると部下の中でリーダーシップとる奴が出てきて勝手に副官になる 現代なら何の職業がこの時代の将軍として活躍できるんや
あいもかわらずに葬儀屋か?自衛隊か? 部下でも男ならまだいい。若い女の子らを大勢使うとなるともはやどうしていいかわからなくなる。
孫子みたいに言う事聞かない娘を叩き斬るわけにもいかないし >>889
職業に限らず経営も現場も出れる奴だよジジイ >>891
例えばを聞いてるんだよ朦朧ジジイ、コラ 元職なんて高祖軍で問題にならなかったろジジイ
出来る奴は職差なんて3、4ヵ月で概要を掴み半年で一方のトップになるものだ 例えばと言ってたがこれも例えばなんだよジジイ
耄碌してんのはテメーだよ 現代なら普通に軍人やろ
自分の判断で部下を死なせる事に耐え得るメンタリティが必要になる職業
普通の民間には無いから例えようもない 例出てるねハゲ
出来ないなら出来ませんと言おう朦朧ジジイ >>896
無くはない必要な犠牲に転換出来る奴は居るし
先頭で戦える奴も居る、その状況に放り込まれたらね 発狂してハゲジジイ連呼しても仲間は増えんのに哀れだな >>893
陳省吾公も扶蘇と江陵を名乗ったのは正しかったよね
後で別人だと分かってんも真の王扱い 『隋書』には、600年と609年に、日本から男王が使者を遣ったと書いてある。『日本書紀』では、女帝・推古天皇の時代のはずで、食い違う。推古天皇の記録ですら、『日本書紀』はあやふやだ。
『明史』で、日本の戦国時代をメチャクチャに書いている。でも中国の史書は、けっこう正確だと思う。 倭国の戸数が多いのは、司馬懿の手柄を大きく見せるためだ。数字を真に受けて、日本の古代史の参考としてはいけない。 仁徳天皇より前は、兄弟相続が1件もないフィクションである。古いほど偽作しやすいから、ウソである。
仁徳天皇が登場する直前には、神功皇后がいる。
神功皇后の記録は、香椎宮の海神の伝説を、取り込んだものだ。香椎宮は九州にあり、白村江の戦いに勝つため、新興&信仰された神様だ。 神功天皇の実在を否定する根拠は、
○神功皇后は上陸せず、海上にずっといる
○皇后の記録には、海や魚族の霊験譚、海人が住む地名ばかり
○皇后は、住吉三神という海神との関わりが深い
○夫の応神天皇は、『書紀』に主人公の逸話がない架空の人
○皇居や陵墓の位置が、『書紀』の記録や遺跡がない やたら口悪い奴は数人いるのか?
それともやっぱり自演か Steam/PS4/XBOXone
架空戦争サバイバルゲーム
「RUST(ラスト)」シーズン9 第1話
『RUSTでkato junichi帝国を築く。』
(18:32~放送開始)
htps://www.
twitch.tv Steam/PS4/XBOXone
多国籍架空戦争サバイバルゲーム
「RUST(ラスト)」Season.9 第3話
『vsスペイン、レイド戦。』
▽人形遊びに、今宵も付き合え。
(17:43~放送開始)
www.
twitch.tv 一位 蕭何
二位 曹參
三位 張敖
四位 周勃
五位 樊噲
六位 酈商
七位 奚涓
八位 夏侯嬰
九位 灌嬰
十位 傅ェ
十一位 靳歙
十二位 王陵
十三位 陳武(柴武)
十四位 王吸
十五位 薛歐
十六位 周昌
十七位 丁復
十八位 蠱逢 一位は劉邦の好みのタイプ
一般的には曹参のが一番凄いと思われてる
という冗談はさておき、この功臣の序列はいつ誰が決めたんだろうね?実際のところ 武将を1番にすると「俺の方が必死に戦ったのに」的な事を考える連中が出てくることを危惧したのかな
兵站で勝った面も大きいから蕭何なら納得させやすいだろうし 武官を一位にすると韓信になっちまうからなあ
俺が劉邦なら論功行賞の時点で韓信が怖すぎだし、一位にしたくねえなあ 必ずしも順位が必要なのか?
「Aさんには食邑3000戸、Bさんには黄金2000斤、Cさんは美女100人、今後の役職は職能に応じて」てのじゃだめなのか? >>921
まあ序列は発言力の大きさに繋がる可能性があるので
赫赫たる武功を誇る武将タイプはできるだけ抑え込みたいところですね
劉氏や呂氏の脅威になるのはやはり実力ある武人だろうし 曹参はデカそう
ハンカイは臭そう
夏侯嬰と王陵は珍玉入ってる
雍歯は仮性包茎 韓信達は王になってるんで、ここには載らないよ
彭越(梁王)英布(淮南王)盧綰(燕王)も同様 >>925
張耳はどうなってんだよ?(  ̄▽ ̄)ジジイ、ア? 劉邦の同盟者に近い存在であろう他の三人と並べられるとやはり盧綰の異色さが際立つな
まあ楚漢戦争の終盤に楚地を降して項羽を孤立させるという他の三人に引けを取らない武功?があるので諸侯王になっても不思議ではないのかもだが >>930
張敖の3位は張耳の引き継ぎなんだろうが趙王だからな
どうなってんだ?(  ̄▽ ̄)ジジイ、コラ 高祖が諸将に蕭何が1位と言ってたのは戦後間もなくで
その辺りで功第が作られたんじゃなく
張敖が降格してから作られたって事か? >>932
呂后の時に再編された説もある
その際に捩じ込まれたんじゃないかね 呂后のときにねじ込まれた説なら韓信たちが載っていないのも納得ですね
だってみんな殺されていますから 蕭何を一番上って言ったのも実は高祖じゃなくて呂后政権だったりするかもね >>934
粛清だけが理由じゃないと思う
長沙王の呉芮も載ってないから「王は臣でない 」ルールに基づいてるんだろう そういう意味でも張敖だけが異例
父親の七光りで王になったが(本人の咎ではないにせよ)剥奪されて
嫁娘の体裁もあって第三位になってるだけに見える >>932
これが最終決定版の論功行賞なんだからそんなの当然
考えりゃわかるだろ(  ̄▽ ̄)ジジイ、ア? 功臣席次は張良が62位だかで陳平も50位ぐらいだっけで低いので
これは軍功がなかったからと言っている人もいるけど
実際は敢えて低い序列の方が良いって判断だと思う
席次の高さと食邑数も官職もどうもわざとずらしているように感じるし
序列が高くても偉そうにできるだけで何の得もない
序列10位の5000戸よりも序列60位の10000戸の方が実質得だし それは当時の政治情勢や権力構造にもよるからなぁ
不自然で「わざとずらしている」、その人物に相応しくない
と思われてしまえばかえって災いの種になりそうだし 張良にしても陳平にしても、派閥の領袖とかじゃないしな
組織の重鎮ではあっても人脈が豊富ではないし、その辺も加味されてはいると思う 途中から影が薄くなる感がある(+出自が外様大名?な)張良はまあわかるとして
陳平に関しては少し下に順位付けされ仲良く丞相を務めた審食其が参考になるかと思ったけど戸数がなかった >>944
内閣での堺屋長官とか竹中大臣みたいな立ち位置かな?
例えがおっさんですまないけど 西のヘロドトス、東の司馬遷。どちらも面白くて甲乙つけがたいんだよなあ。始皇帝と項羽のせいで散逸した書物が多いそうで、この2人がもうちょい自重していれば東の資料が西を圧倒していたかもしれない。残念。 >>946
張良は戦略を立てて(戦術は楊熊に勝てないからそこまで高くない)
劉邦が斉の三万戸を与えるから好きな場所を言えなので
実質最高食邑数(受けたのは留一万戸だが)
恐らく劉邦は臨氏か牢屋辺りの侯にして聖王を保佐させる気だったかも 張良はもう少し詳しい事績が残ってればなあ
不明な点が多いし建国後は隠居だからあんま功臣感がない
名前だけひとり歩きしてるようにも思う ただ、劉邦との逸話で
劉邦より年上で、項伯より年下らしい
また国が亡びる25年前高に父親が死んでいて弟がいるから滅亡時26歳以上?
恐らく30歳ぐらいだったかと ただ、劉邦との逸話で
劉邦より年上で、項伯より年下らしい
また国が亡びる25年前高に父親が死んでいて弟がいるから滅亡時26歳以上?
恐らく30歳ぐらいだったかと 誰にもミスはあるよねハゲ
存在がミスなジジイにはわからないかな(  ̄▽ ̄) 前々からの疑問で項羽の楚軍が崩壊した直接的なきっかけって
竜且に与えた20万もの軍が斉で韓信に壊滅させられたことじゃないかな?
ってかそこまでの大軍を正面決戦から引き抜く余力があったのか?って思ってたけど
こないだ漫画読んでたら竜且に付けたのは5,6万で途中の楚の支配地域で兵を募り10万
斉の田氏の残存勢力と合流して20万ってなっててそれならそれなりに納得できた >>954
韓信軍が30万、韓信軍だけで30万とも、漢軍合計30万とも一部されるが
斉軍が20万とも斉王が死んだ時でさえ10万ともあるから
竜且軍及び斉軍の降伏した兵が大半を占めていたのではないだろうか
実数はもっと少ないかもしれないが竜且でも韓信でも号した数との割合は類似かと 続きで
項羽軍が最終戦10万と号している
漢側は号して30万か40万(韓信軍だけで30万と全軍30万の両方記載がある)
記録で項羽死後に降伏した兵は1万2000というのもあるらしい
斉救援のために楚軍の実数はともかく号した数の3分の2を送って敗れた
そしてその敗残兵がそのまま敵についたのだからもうまともに戦えないかと 何か功臣席次と食邑数と官職が何でこうなのかって
単純にわざと分かりにくくしているんだと思うけどな
序列と報酬とか席次通りにしないことで序列低いけど食邑多いみたいなので
不満を感じにくくなる
欧州情勢は複雑怪奇なりも他の似たような事例も
単純に利権で思想別に組んだり敵対したりしているだけ 明治政府のお雇い外人軍事顧問たちが関ヶ原の布陣図を見て満場一致で西軍の勝ちで東軍に勝ち目なしと断言したが、
この楚漢の布陣も外人軍師に見てもらいたかったな 欧米人も美化されるけどそれほど凄いわけじゃないけどね
布陣が判明しても項羽側は主力が激減して大司馬も裏切り
臨江王だかはまだ楚側だけど
ほぼ大陸全部敵だし
漢の勝ちって言うと思うよ ドイツの有名な戦術家が関ヶ原を訪れて布陣と兵数を聞いて西軍が負けるはずがないと不思議がった
メッケルが関ヶ原の布陣図を見て西軍の勝ちだと述べた
明治政府のお雇い外人軍事顧問たちが関ヶ原の布陣図を見て満場一致で西軍の勝ちで東軍に勝ち目なしと断言
こうして逸話は作られ話が大きくなっていくのだなぁ それなら彭城の戦いを見てみたいな
いくら烏合の衆といって約16:1ぐらいの戦力差でしょ 黥布なんて早いうちから中立きめこんだうえに妻子を見捨ててまで漢についた
随何の手腕もあったんだろうが、ドラマとかの最強イメージと違って、楚は泥船だと思われていたのかも >>956
楚軍は龍且が敗れた後も斉の国境をしばしば攻撃するも撃退される
韓信が斉を平定し王になって灌嬰に楚を攻撃させる
灌嬰が広陵まで及んだ所、項羽が項声、薛公、郯公を派遣
灌嬰が項声、郯公を破り、薛公を討ち取り下邳を降した
余力はありそうだなあジジイ >>963
変な語尾でキャラアピールとかコロ助かよ それもジジイネタか?(  ̄▽ ̄)ア?
関係ないのはすっこんでろハゲ 違うぜ最初にまともに戦えないと言ってたジジイと共にだ
とにかくジジイは何を言ってるのか分からん、いい加減にしろジジイ、コラ 言葉が不明瞭でよくわからんが
要するにこのスレにはお前とそいつともう一人の3人のハゲジジイがいるってことか 俺は956に問うたんだぜ?
お前らはボケ老害だから関係ないのにワラワラ出てくるんだろうが 子曰く、暴言ばかりの荒らしがどうして人様にものを問えるだろうか 抜け落ちてる所があればどんな形であれ指摘されるって事だ
何でも優しく問われると思ってるジジイこそ傲慢だね それは正解、ただお前みたいな関係ないのにしゃしゃる事はないな γ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ
| モンゴルを倒して理想郷を築きましょう! |
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< 南無三! 南無三! 南無三! >
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lミミミ" ゙゙""゛゙""゙""゙゙゙゙"゙"'彡彡彡ヾ!
lミミ;゙ ;爻彳三ゞ!
lミ;" ミ爻三三!
lミ; 爻ミミ爻!
lミ イ≧==x,,゙' ' ',、x=≠≦ヾ、 'ミミミ彡|
V ゞイr::;テ=、,` '' ::ィr:::;テ=、,, _, ゙;:ミミミミ|
ハi ';, ''ー=''" :: :: :::.',` ̄´`ヾ=. ゙;;ミミソ 明教!
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. {{ ! / ヽ , ヽ.! 妖しの術で愚かな民を惑わすばかりか、
{{ ' / ''` ー ''''ノ\ ::ゝソ, あまつさえ国号「明」を名乗るとは不敬千万!
. } .| , '从从从从从从从ヽ :. //
. ゝi 从从从从从从从从;、 , ノ _/\/\/\/|_
', ノノ从ソ''"-‐'' `ー-ヾ从从ゞ ,'ー \ /
::.:.:.:.:.:.:. < 粛清!! >
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人 ヽ,.. .... i  ̄|/\/\/\/ ̄
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{ l ,' | ニニニヾ i|リ/l||l|l|l|l|l|
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ノ∧ | \ 丶ニニ/ //l|l|l|l|l|l|l|l| おめ゛え゛ーーのせき゛ね゛ぇーーか゛らー!
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