項羽と劉邦 その18
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>>898
賜姓の例は結構あるが後世の子孫が受け継いだのは意外と少ない。
唐の開国の功臣の除世勣は李姓を賜り李世勣と名乗った(後に李世民が皇帝になった
ため避諱して李勣と改めた)が子孫は徐姓に戻している。
明の開国の功臣で朱元璋の甥(姉の息子の)李文忠は朱姓を賜ったが朱文忠とは名
乗らなかったし、南明に仕えた鄭成功は朱姓を賜り国姓爺と呼ばれたが朱成功とは
名乗らなかった。 そうかね
朱邪赤心は本人のみならず孫まで李氏を名乗って唐を建てたし、宋文通は岐王になっても李茂貞の名を改めず子に姓を引き継いだ
改める理由がなければ普通は続くんじゃない 日本だと自分の姓と関係ないのを新しく作って与えるのなんでやね
源とか藤原とか豊臣とかみんなその時は新造 そういや歴史小説でなんだけど司馬の項羽と劉邦で、
項伯に劉姓を与える説明で「項姓だと諸事不都合だろうから」ってなってるけど
なんか根拠あったのかな しらんけどないでしょ
司馬といい宮城谷といい普段からオリジナル設定てんこもりだし >>900
相撲の一代親方みたいなもんなんだろうな、感覚的に 項だと不都合だろうから ←わかる
劉あげる ←わからん 劉邦は項羽の元部下に項羽の名を呼び捨てにさせて言わなかった者をクビにして追放するというパワハラしてるから 劉邦が"項羽"と名づけた宦官(小姓?)をいたぶって遊んだ
という話をなんかで見た記憶があるんだが誰か詳細知らないか? >>915
張良と同じ意見を張良より先にいったから
それだけ劉邦の張良への信頼が強かった 政権参加してたら劉邦さんの寿命とか呂雉さんの亡くなるタイミング次第でいつ不慮の死を迎えるかわからんしな… >>914>>916
洪武帝と馬皇后の間に生まれた皇太子の朱標は馬皇后に似て穏健な君子だったが、同じく洪武帝と
馬皇后の間に生まれたとされる燕王の朱棣(後の永楽帝)は、馬皇后とは似ても似つかぬ父の洪武帝
そっくりの残忍な性格だから実は馬皇后が生んだ子ではないと風説あったのも頷ける。 >>920
それは両親どちらかには似てる
恵帝は突然変異に近い >>921
それは本当は恵帝は劉邦でも呂雉どちらの子でもないというのが最も辻褄が合うな。
例えば劉邦の弟の劉交と呂雉の妹の呂嬃が民間にあった頃に生まれた男子を呂雉が
密かに引き取って自分と劉邦の間の子として育てたのだとしたら、恵帝が劉邦と呂雉
に顔が似ていても性格が二人に似ないというのも納得がいく。 >>922
子供の性格が親に似ない、なんてままあることだから別におかしいとは思わないけどね
隔世遺伝だってある
もし早世せずに皇帝として一人立ちしていたら、あるいは将来に苛烈な面を見せたかもしれないし 韓信なんて戦争以外は何の能もない男なんだから殺す必要なんてなかったのに 盧綰の裏切りから猜疑心加速したのか猜疑心が強い劉邦を恐れて裏切ったのか 陳平、周勃、灌嬰「まああの厄介なババアさえ消えれば赤子の手をひねるようなものだったけどなw」 夏○嬰「確かあの時、殿下がしこたま頭を打たれて・・・・、いや私の記憶でしかないのだが・・・・」 盧綰の粛清も悲しいが(自分で封じたとはいえ)遠方の王になっちゃってる以上、猜疑心が出るのはまあわかるよ
でも樊噲の逮捕命令は本当にかなしい 阿斗ちゃんも同じシチュだったのにすっかり阿斗になってしまったのに景帝はガチャ成功だな たいして大きな功に乏しい盧綰を北方の異民族に近い地に封じるのがまず無理がある
それなりに戦ってた韓王信だって太原に封じられても匈奴の脅威に抗しえない
代からとんずらこいた兄の劉仲とか、荊王にされても英夫に殺される劉賈とか
火種の側に封じられた諸侯王ろくすっぽ封地を保ててないな 漢の皇帝って劉邦の子孫だけど劉邦みたいなやつどれくらいおるの 陳平はクズ過ぎて話にならんな。
離間の計なんて無意味だろ。 >>941
盧綰の粛清というか征伐に呂雉の強い進言なんてあったかな?
韓信の事なら蕭何の保身に使われた側だし
むしろ蕭何曹参王陵陳平周勃を丞相に据え続けたのは劉邦の言葉重んじたからでしょ
俺は生前の劉邦が呂雉に操られてたとは思わないよ 生前呂氏を簡単に前面に出せなかった、というのがすべてだろうね
互いに牽制しあっている 劉邦を操れなくて呂雉がショボいと言ってるんじゃなくむしろ逆っすわ
儒教下での女性蔑視や治世の安定考慮すればとんでもない傑物だと思う
ただ劉邦のネタキャラ化に慣れ過ぎて実際はとんでもない英雄だってことも忘れがちなんよ どの程度かは議論の余地があるけど
漢が概ねそのまま統治機構を引き継いだ秦に帝太后と宣太后がいるし儒教下での女性蔑視云々はちょっと気が早いかな
たしかに呂后とその与党は初代皇帝たる劉邦ですら憚り危険視する存在だったとはいえ
権勢を振るったのは年少の君主の在位中、専横母后の基本パターンから大きく外れてはいない 劉邦さんは権勢弱めの皇帝でバランスオブパワーの上で玉乗りしてるイメージ
もっと時間があったら洪武帝か毛沢東化してたかもしれない >>946
劉邦が死んだのは生年が前256年説で数え62歳で生年が前247年説で数え53歳だから、朱元璋が死んだ時の数え71歳や毛沢東が死んだ時の数え84歳に
比べ明らかに若かったから、もっと長生きすれば朱元璋と毛沢東なみの粛清していたかも知れないな。 佐竹靖彦氏だっけ、項羽と劉邦は4つかそこらしか年齢差なかった説の人
あれってそういう説を提唱してるのは知ってるけど根拠は何なんだっけ 陳平はアシダカグモみたいなもん
不快な存在だがゴキブリ退治には必要 勝つためならなんでもやり、買ったあとには功臣を使い捨て まああの時代は負ければ下手すれば殺されるから必死なわけよ まだ儒教が天下とってない当時の価値観でもクズ扱いだから仕方ないね 項羽と劉邦はどっちが凄いかというより、どっちが酷いクズかという議論をすべき
どっちもありえないクズ人間 劉邦は自覚ないクズ、陳平は自覚あるクズ
まぁ知っててやる方がよりクズなんだけど 秦末漢初好きが高じて鍋処レキイキというしゃぶしゃぶ屋さん始めます
皆さん来てくださいね 高祖はアレなエピソードに事欠かないけど陳平は姦通くらいでわりと大人しい方じゃね?
離間とかはコネがあって敵陣営の事情に通じてる人間に期待されることだから普通だし日和見ムーブもよくあるやつ 陳平は賢人であり小人でもある
敵のみならず味方からもロクデナシ扱いで、劉邦もその点はよく含んで使ってた感じだった
まず本人が自分の不道徳を自覚してるからね 韓信「不道徳でロノデナシのクズばかりだなあ、漢王の軍は」 項羽の死の翌年に改易される韓信タン
いくらなんでも早すぎんだろ… 韓信も張良みたいに逃げるべきだったな。
戦争以外は馬鹿だから仕方ないか(笑) 韓信みたいなの(戦争の才能を発揮→ 統一後厄介もの扱い → 反乱起こす)で成功した人って誰がいるんやろ
五胡十六国あたりでいたような気もする >>970
馬鹿だから処刑されたんだろ
カイトウの進言も取り上げなかったし >統一後厄介もの扱い
統一後ならもう詰みだろ
統一前ならワンチャン 自分を取り立ててくれた上司が苦境だからって足元見て昇進や昇給を要求しただけでも後ろめたいのに
勝手に分社独立して地盤を奪いさらには逆に飲み込んでやれ、なんて提案は現代だってそうそうOK出せる支社長はいない
むしろそんな部下は切るだろう >>972
韓信に限らず失敗して死んだからといって馬鹿扱いしていい訳じゃねえぞ
むしろ謙虚な態度で学べよ ああ、自己レスだが、羽柴藤吉と蜂須賀小六、呂布と劉備、ラスプーチンとニコライII世、川路利良と西郷隆盛などなど例はいっぱいか 救援ブッチと王位無心で何がどう転ぼうが死ぬ未来へ舵切ったからなあw
戦は天才なんだろうけど処世術だけ見りゃ馬鹿という言葉にも満たない赤子や知能に障害有るレベルだと思うよ
まあそういうピーキーなとこが劉邦軍の面白いとこなんだけどね 垓下の戦いの前に度々の救援要請にもかかわらず来援しなかった時点でもう「項羽と劉邦に死闘させ、生き残ってボロボロになった方を倒して天下を取る」魂胆である事はバレバレなのだが、本人だけはバレてないつもりなのがもうアレだね 楚王にしてくれなんて言った時点で将来の粛清確定だからな。
少しは張良を見習えって話。 大敗しろとは言わんけども局地戦では負けて撤退したりもうちょい手こずったりしとけばな
戦すればサクサク勝つは占領地の平定運営できるは弱兵でも練兵バッチリとかそりゃ戦時下の主君にとっちゃ怖いっつーのにw
もうちょい可愛げあればワンチャン生きれたかもなあ
それとも斉王ねだったのが韓信渾身のギャグだったのかな? 食をイと読ませるあたり、洒脱の効いた当代一流の文化人だったのであろう 加えて食其の名はこの時代にしか見ない
当時の流行りだった可能性もある >>985
よくそんな音韻が日本に伝わったもんだな 現代日本だと食を「い」とは読まないけど、飯を「いい」とは言う。これ当時の名残りなのか 韓信は戦争に関しては最強だが、それ以外は知的障がい者みたいな男なので、劉邦にとっては統一後は恐怖の対象でしかないよな。 >>989
どっちかって言うとおかしいのは劉邦夫婦の方だろ >>984乙
審食其とかいう帝室のお世話に尽力し、呂后時代に入ると体制の中核を担った評価されるべき男 >>992
韓信の政治センスは幼児レベルだよ
カイトウも呆れて出てっちまったし 劉邦は人望だけの無能、韓信は戦争以外能無し、項羽は筋肉馬鹿
楚漢初心者あるある 歴史上の人物を極端に戯画化しないと語れないって悲しいよな レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。