武田勝頼 part48
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
武田信玄、武田義信、武田勝頼(諏訪)、武田信勝(織田)、黄梅院(北条)、真竜員(木曽)、見性院(穴山)、菊姫(上杉)、松姫(織田)など、武田関係について語って下さい。
なお、このスレにはアンカーレスを多用する荒らしがよく現れますが、無視して下さい。この荒らしはリアル世界に友達がいないため、皆様に相手にしてほしいから全てのレスにコピペ返レスしているのです。少し前の放火事件のように現実世界に迷惑をかける可能性もあるため、皆様寛大な心で受け入れてあげて下さい。
ワッチョイ導入議論スレ
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1644501787/
武田勝頼 part47
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1648298634/ 徳川からすると遠江を攻撃されてもそんなに痛くない。浜松は簡単に落ちないし他の要衝を攻撃されたら後詰に行けばいい。だから僅か8000の兵で武田軍を押し返す事が出来てる。織田からの物的人的支援があるから体力も高い。
だから勝頼は遠江を攻めつつ隙を見て三河を攻撃して楔を撃つ戦略を取った。一見成功するかに見えたけどこれはかなりの動員力が無いと不可能。それで長篠の敗戦で完全に破綻してしまった。 押し返すが出来てる?
織田に助けられて設楽原で壊滅的な打撃与えるまでは、武田が甲斐か城取に出張ってきてんのに自国入られても怖くて何もできずにどんどん削られて行って帰って行ってから何とか取り返そうと頑張ってたのが徳川じゃん
笑わせなくていいよ >>522
だから徳川の場合は待ってれば織田の援軍来るって言ってるだろこのゲーム脳が >>524
結局維持出来ねえならいなくなってから取り返せば効率いいじゃん 高天神城や明知城の例もあるからケースバイケースとしか 武田は浜松や掛川といった重要拠点を攻められて無いからな
徳川にそれだけの力があるから武田も簡単には攻められなかった。武田も徳川の力を削ごうと戦争してたけどそれが武田の国力の限界を超えてた。 徳川領攻めてるって言っても結局徳川とはシーソーゲームに興じてるに過ぎないからね。その上武田は上杉・織田とも戦線を抱えているから体力の消耗が激し過ぎた。長篠云々よりもいつこの三家にブン殴られるかが武田の寿命だっただけ。
一対一で勝てない敵には連合をもって相対せよ、は兵法さね。信玄だってそれで信長包囲網に乗っかったんだし。まぁこの三家を敵に回したのは勝頼じゃないしどうしようもないが。 長篠での惨敗がなければ勝頼は生き残れた可能性が高いな。
信長も遠江までは来そうもないし。 多分無理。信長は家康に資金や兵糧援助してるしこれは甲州征伐の時にも行われてる。信長は長篠時点で十万の兵を動員出来るから織田・徳川軍が大軍で押し寄せる未来は近い。しかも武田には上杉か北条と戦争する運命まで待ってやがるから戦略が難し過ぎる。 武田に勝つ為には徳川より織田を攻撃しないといかん。でも信濃-美濃の間は山道で防御が容易く攻撃が難しい。徳川が戦線を進めたら勝頼は本隊をそっちに向けないといけないから簡単に落とされることになるし実際なった。だから無茶苦茶難しい。信玄の時代まで戻って織田と敵対しないルートを進むしかない気がする。 駿河侵攻から織田敵対まで割と不可避な一本道なので生き残りのためには駿河侵攻しないで越後攻め落とすしか道はないと思う
甲斐信濃の地理的不利が大きすぎ
かといって織田に臣従するのはウクライナに降伏しろというようなもの 織田と上杉武田の和睦交渉中に
北条が『織田に臣従する』と申し出る妙手搦手を打った
これで和睦交渉は頓挫し武田は詰んだ
御館の乱で北条を怒らせたから武田は滅んだ >>534
織田の跡取りの嫁を武田から迎えると約束してる
これほどの好待遇はないだろ
これでウクライナと同じとか正気か? >>537
家康の妨害?
信玄が破ったんだろ
信長は武田をできるだけ立ててただろうに >>538
徳川が上杉との同盟でその縁談を破談にさせると誓約してるからその影響かと
ウクライナの二の舞って多分織田に降った大名達の末路が悲惨なの多いからだろう 話がズレるけど長篠の戦いあたりの状況はロシア武田、ウクライナ徳川、アメリカ織田っぽい
攻める武田に耐える徳川、物資支援の織田で徳川はレンドリース(織田の畿内制圧)待ちの状況
武田の鉄砲などの武装が劣ってるのも似てる それは仕方がない。戦国大名は求心力を保つ為に戦い続けないとならないから。
それに西上作戦そのものは高天神城を従属させ、二俣城、社山城、その他北遠江、奥三河と戦果はまあまあ。
そのまま信玄の死を隠匿したまま美濃入りしていれば中濃くらいは行けたが
其れを反対した重臣達に非があった。勝頼は進行を続けようとしたらしいが。 勝頼が北条に臣従すると言って北条夫人と婚姻したのに、武田一族(小山田ら)の説得で上杉に近づいたからな
勝頼が北条に喧嘩売ったのがなぁ運の尽き 北条を敵に回したっていうが御館時点で北条は既に半ば敵なんだよなぁ。徳川と戦争していて余裕ゼロの武田に上杉攻めてくれとか無茶振りかましてる訳で。御館はもう景勝の勝ちは目に見えていた訳で武田が武力介入しても敵が増えるばかりだし。 >>544
御館時点で北条は半ば敵?
無茶振りしたら敵になるの?
さすが妄想三点リーダーだな まともな同盟国なら自分達が先に戦闘していて苦戦してるから来てくれって言うぞ。織田徳川のようにな。
てか御館の北条みたく「俺たちは軍団送らないけどお前たち行け」って言った例ほかにあるんかな。 >>546
越後に直接行けるのは武田だし、北条は対陣中
援軍依頼したら半ば敵扱いかよ
おまえはいつも論理の飛躍かますよな だから武田も徳川と戦争しとるやん。北条軍が先行して戦争してるなら援軍要請だけど北条軍が行かないのに武田は行け、なんてのは正直敵対的だと思うぞ。そんな要請した例って他にあったっけ? そもそも「援軍」要請ですら無いんだよな御館の乱って。 >>550
君はいつも中身のない妄想書いて荒れるだけだから書込みやめとけよ 北条軍が景勝軍と戦闘してるから助けてくれ、なら援軍要請だけど主力が戦ってもいないのに戦闘しろってこれ援軍要請じゃないよな。てか兵法にそんなのがあったような。「敵の強力な部分を他人に押し付ける事で相対的に有利を得る」ってやつ。 ・北条が来るか来ないか不明な時期に景勝に買収されてます
・北条軍は信濃通しません
・家臣から不満の嵐。道義や利益がどうのこうのよりこれが一番大きい。勝頼の一番の責務は家臣の心を一つにをまとめることだから。 >>552
兵法三十六計、偸梁換柱。敵の柱を他者に押し付ける事で相対的に有利になる。武田は孫子の旗掲げてやがるぐらいだからすぐに思ったろうな。北条に謀られてるって。 >>553
信濃通さない、ってのが何なのかわからんけど上野に関しては真田に攻撃を中止させてるぞ。それに他国領ならまだしも自国領となると事前の相談無しには同盟国でも軍隊通せんじゃろ。北条は武田に領土を通る申請してたのかな? >>552 554
影虎は上越で戦ってるだろ。
あと言っておくが景勝の拠点は上越じゃない。 景虎は北条の人間だけど北条軍とは全く違うんじゃないか。少なくとも上杉景虎名乗って上杉家を引き継いでるというのが景虎の立場だから北条軍とは言えない(そう言ったら北条による上杉家乗っ取りを意味するから)。戦ってるのは景虎だから景虎からの救援要請って話にはなるけど北条は蚊帳の外になる。武田からすりゃいやお前が行けよこっちは大変なんだと言いたいところを何とか御館の乱を収拾しにいったわけ。 >>539
織田家の方は72年一月に公家に婚姻の吉日調べさせたりと縁談させる気でいたから、
徳川上杉の反対工作は失敗していたと考えるべきかと。
だから信玄が勝手に破ったでいいんじゃないか。 >>557
北条の要請で出陣してるくせに何言ってんの?
幼稚な屁理屈だこと 影虎は北条の人間だから乗っ取りとまではいかなくても自身の後ろ楯である
実家の北条家の意向を尊重する立場だから北条家とは無関係はあり得ない。 ずっと関東官僚の謙信に叩きに来られてたわけだしな北条
どう考えても絶好機の到来でここで全力で景虎応援がありそうなもんだが
その辺に氏政の無能さが見て取れる >>558
横からだけど、さすがに、それは厳しいんじゃないのかな。
その72年1月に信玄が織田に徳川の反武田行動について、抗議をしてたと思うけど、
武田からしてみると、徳川の反武田行動はまったくやむ気配がない様に思われたろうし、実際に徳川と上杉による対武田同盟もそのままのように思えるから、やんでないように思えるけど。
信玄は直接的に徳川の反武田行動をやめさせるように、織田に抗議をしたと思うのに、それがまったくやんでないどころか、織田がそれを止める気配もないんじゃ、そのままだと織田徳川上杉に包囲されると思っても不思議じゃないと思うけど。 >>559
きっかけが北条の要請だったかは史料上わからんけど取り敢えず武田としては北条の為に身を削る義理は無い。北条軍が直接に景勝軍とやり合ってる訳でも無いから。 >>563
横からだけど、あるんじゃないの。
同盟国である北条の要請なんだから、ある程度は応えていいんじゃないの。
戦国時代の合戦では、朝倉浅井、織田徳川、武田北条、という感じで、
同盟国の為に参戦して戦ってる事例がいくつもあるように思うけど。
武田だって信玄時代には、北条と一緒に武蔵松山城を攻略してるように思うし、
北条だって信玄の西上には援軍を派遣してるように思うけど。
そもそも、軍鑑読むと、北条は後になって景虎の為に援軍を派遣してるように思うけど。 >>563
北条としては武田がそこまで身を切ることにはならないのに裏切られて驚きしかないだろ。
身を切るのは景勝の本拠地である坂戸城一帯、上田長尾を攻め入ることになる北条軍。
氏政としては勝頼に景勝とその近習を春日山城から出させずに、
北条軍で坂戸城を落とし景勝の拠点と後ろ楯を潰す気だったかもしれない >>563
ついでに、軍鑑を読むと、普通に北条からの要請で勝頼が景虎救援の為に出陣してるように思うけど。
>>552 >>554
>>564にあるような感じで、軍鑑読むと北条は後になって援軍を派遣してたように思うし、
北条が後になって援軍を派遣する前の参加というなら、
そんなによくない話でもないと思うけど。
攻略した景勝派の領土は、普通に勝頼の領土にしていいだろうし、
そんなによくない話でもないと思うけど。
史実のように北条を敵にして、織田徳川北条を同時に敵にするよりは、
ずっとマシなように思うけど。 >>550 >>548
>>566にも似た事書いたように、軍鑑では、普通に北条が要請した事を受けて、勝頼が景虎支援の為に出陣してるように思うけど。
景虎は北条の一族で、景虎が勝利すれば自動的に武田の同盟国にもなるだろうし、
血縁関係から言っても、武田と北条は縁戚なんだし、要請としては特におかしな話でもないと思うけど。
これまた上記566に似た事書いたように、軍鑑読むと、北条は元々援軍を派遣する事を武田に伝えてもいたように思われるし、
実際に北条の援軍が景虎支援の為に派遣されてるように思われるので、
北条が到着する前に戦っておくのも、上記のような武田と北条の血縁関係や、
武田と北条の同盟関係からしても、そんなにおかしな話でもないと思うけど。
徳川が来たら来たで、景虎支援の為にある程度の軍勢を残しておいて、
援護をさせつつ、主力は徳川の方に向かえば、北条もそんなに文句言わないように思うけど。
北条にしてみれば、軍鑑読むと、上記のように北条の要請で勝頼は景勝支援に出陣してるようなのに、
それがなぜだかいきなり景勝から金と領土をもらって、婚姻同盟の約束とかして、景勝と戦わないで、
景勝と景虎の和睦とか言い出して、その後で景虎が景勝に倒されるのを放置とか、
北条からすると、勝頼が景勝に買収されて寝返ったとしか思えないと思うけど。 >>560
ところが武田からするとさにあらず。というのも勝頼は景虎を上杉の人間として見てるから。それは天正四年四月三日の木曾義昌家臣団からの起請文(戦武二六二九号)に上杉謙信・景虎・景勝から所領宛行等の勧誘が来ても乗らず、使者は捕らえて甲府に送ると書いてある事からもわかる。つまり武田は「景虎は上杉にあるとはいえ元は北条の人間なんだしその同盟相手である俺たちには調略なんかしないよね」なんて甘い事は考えてない。少なくとも景虎軍=北条軍とは見る事はなかろう。 >>568
横からだけど、さすがに北条の救援を受け、北条の縁戚として武田に助けてもらったなら、景虎もわざわざ武田と敵対しようとは思わないと思うけど。
勝頼としても、北条の要請を受けて景虎を支援する以上、>>567にも似た事書いたように、景虎を普通に血縁関係や、未来の同盟相手だと思ってると思うけど。 >>565
武田軍にはもうそんな余裕が無い。武田軍は長篠敗戦後本格化した織田・徳川の攻勢に打つ手が無く負け続けてる。勝頼は必死に「美濃に、三河に、遠江に出撃する」とぶち上げてるけど武田が出来た反攻といえば犬居谷に攻め入ったぐらいで後は特に無し。天正四年には「占いで悪い結果が出たから」と苦しい言い訳で三河攻撃計画を延期してる(一月六日付春日虎綱宛書状)。天正六年には勝頼本隊は専ら徳川軍の迎撃にキリキリ舞をさせられてる始末。もうイケイケだったあの頃とは違う。 だから武田としては北条軍が戦ってないというだけで戦争にはいけない。徳川軍が来る事を考えれば主力部隊で戦争には出来ないが数千では春日山どころか坂戸も落ちん。それに景勝は僅か数百の軍で景虎軍五千を粉砕してる戦上手なので楽観出来る相手でも無いしね。仮に北条が来なかった場合折角和睦に漕ぎ着けた上杉家を敵に回すだけで終わってしまう。そんな賭けをする余裕は無い。 >>570
君の部屋の換気したらどうかな。もしくは、部屋の掃除するとか。
そんなに君の部屋の匂いが気になるって相当だと思うから、少し君の部屋を掃除した方がいいんじゃないかな。 >>572 >>571
横からだけど、徳川が来たら来たで、数千の軍勢を残しておいて、主力は徳川の相手をしてればいいんじゃないの。
その残した数千には、もっぱら景勝派勢力が景虎派勢力を攻めるのを妨害させたり、景虎派の城を守らせるとかして、
その行動を遅滞させ、北条が援軍に来るまで景虎派を生き残らせれば十分じゃないの、と思う。
仮にそれがうまくいかなくて、景虎派が倒されても、景虎派の味方として戦い続けてたなら、
北条だって敵対まではしないと思うけど。
史実のように、北条を敵に回す方がよっぽど厳しい様に思うけど、どうなの。 >>571
同盟国を裏切るという選択が失敗に終わった場合には勝頼が汚名を被るということである。
勝頼が家臣から見放されたのは北条を裏切ったことが一因であることは明らか。
「何で北条の娘と婚姻同盟結んだばかりなのに、要請を断って上杉景勝と同盟してるの?しかも織田徳川に加えて北条とも戦線拡大してるじゃないか。軍役負担するのは俺達家臣だぞ」
この家臣達の疑問に正当な理由を説明するのが戦国大名たる勝頼の責任であり、重要な仕事である。幼稚な言い訳では通用しない。 >>570
それは謙信が存命中の話だろ。
謙信没後の影虎は実家に頼ってるから北条と影虎は無関係は通じない >>575
そう言った史料は何一つ無いから想像するしかないけど、北条取次だった小山田が土壇場まで従ってる事から家中の反対は殆ど無かった事が伺える(潤色逞しい甲陽軍鑑すら反対者の意見を載せてない)
その理由は武田軍の苦境にある。武田は信濃・駿河両戦線で苦戦を強いられていて勝頼は満足に援軍も出せてない。こんな中北条の為に戦争したら「俺たちがこんなに援軍要請して出さないのに北条の為なら出せるんか」という話になる。それは国人衆の離脱にも繋がりかねない。例えば今川氏真と松平元康の様にね。だから武田は戦争は出来ない。可能なのは調停くらいでそれも即座に引き返せる事が絶対条件だった? >>577
地下人町人に至るまで勝頼の裏切りを批判し、滅亡の原因だと君の大好きな甲陽軍鑑に書いてあることだよ
甲乱記にも書いてあるし
御館の乱のその言い訳は結局北条を敵に回してますます駿河遠江に手が回らなくなってるわけだから家臣達に申し訳が立たない
家臣から見て1.勝頼には戦略の一貫性がない2.金で買収されて義理を欠いている3.北条を追加で敵に回し軍役負担増
勝頼は何一つ説明できなかっただろうね >>578
具体的に「誰が」批判したのかわからんのだから意味無い話だろ。例えば信玄が今川を裏切った時も批判文で溢れて誰もが恥ずかしいと思ったって話があるがそれで当時勝頼や馬場が信玄の裏切りを恥じたって話になるかというとそうはならん。長篠の反対は一応反対者を名指ししてるのに御館では反対者が居ない。甲乱記は御館の乱以後から話が始まるから対象外だし。当時の武田についてはまるでわからんのよ。 それに負担が負担がって話になるとどのみち上杉を敵に回せば負担は増えるぞ。しかも信濃は織田・上杉・飛騨衆と攻められていて漸く上杉と和睦してなんとか負担を減らしたばかりなのに。武田の外交の形跡を辿ると武田は織田と和睦交渉をしてるから彼等の戦略は上杉と同盟、織田と和睦する。そうすれば信濃戦線はひと段落して駿河に全力を向けられる。
これが一番損失が少なくて済む。御館で上杉を攻撃すると信濃の負担が再び増す、のみならず織田と上杉が同盟する未来も有り得た。一概に御館の乱が失敗とは言えん。 >>582
>武田の外交の形跡を辿ると武田は織田と和睦交渉をしてるから彼等の戦略は上杉と同盟、織田と和睦する。
織田と和睦交渉するのは北条と手切してから
しかも交渉は失敗
行き当たりばったりである >>564
北条が戦ってないのに北条と同盟してるから武田が戦うのは当然とか平気で言えるこういう知恵遅れが一人前の気で物言ってるのって何だろな
これがGWか 勿論武田に出兵する義理は無い訳だけど上杉が織田に回るとマズい。だから和睦斡旋が最善だった。 上杉が織田に回るなんて勝頼は考えてないよ
上杉が北条に飲み込まれると囲まれて面白くないと考えたと甲陽軍鑑には書いてある 勝頼が御館で影虎を真面目に支援して影虎が上杉を継いでいたらどうなってるんだろうな。
通説のように三国同盟が成立し武田の延命に繋がったのかな。 >>588
三国同盟ではなく武田と北条がそれぞれ敵対した影勝派の武将から城と領地を接収し
勝頼と氏政が影虎の後見人として武将と兵を上杉領地に配置するんじゃないかと。 >>587
正直甲陽軍鑑だからなぁそのソース。別に甲陽軍鑑って勝頼の自叙伝じゃないから信憑性も無いし。 >>590
史実で御館の乱のさなかに
影虎派の武将からも領地奪ってる北条がその程度で済ますとは思えないんだが。 得々と御高説を語る御仁が人名もちゃんと書けないようじゃ御里が知れる。
文献信者ってのは煎じ詰めりゃ「字」を盲信してるんだろ?
だったらそれぐらい正確に写しなさいよ、と。 >>592
まあ勝頼と氏政が影虎を傀儡にし上杉領地をそれぞれ接収する未来になるだろうってこと。 >>584
なんか変な事書いているように思うけど、北条は>>564にあるような感じで、
軍鑑読んでも、普通に後で景虎支援の為に軍勢を派遣してるように思うし、
軍鑑読むと、勝頼に要請をした時点で、北条側も景虎支援の為に軍勢を派遣する事を伝えているように思われるので、
北条が事情があって援軍が遅れるなら、その間、同盟国が先に援軍を派遣してたって、
別におかしな話でもないと思うけど、どうなの。
というか、似たような事は、>>566にも書いてあるように思うけど、どうなの。 >>588
流れにもよるけど信濃の旧上杉領は全部景虎にあげる事は最低線になる >>581
>信玄が今川を裏切った時も批判文で溢れて
軍鑑にそんな話あったっけ?どこに?軍鑑の話で言うなら、
今川は武田からの三河共同侵攻の提案を敵対的に断って、
それから武田と今川の仲がよくないようになったように思われるけど、
それで信玄が今川と敵対した時に、そんな話になってたっけ?
御館の事例で言うなら、それこそ、軍鑑読むと、
勝頼が景勝に買収されて、景勝が景虎を倒すのを見過ごした事を、
1,武田領国の身分の高い武士から低い武士
2,一般大衆、
3,僧侶、
までが批判してたように思われるし、それに加えて、
北条家の武士達も批判してたように思われるけど。
普通に考えたら、武田領国の武士や大衆は、これで北条が敵に回れば、
ただでさえ織田徳川の相手で厳しいのに、北条まで敵にする事になるんだから、
批判するのも普通に思うし、北条家の武士達も普通に勝頼が不義理したんだったら非難するんじゃないかと思うけど、どうなの。 >>579
常識的に当時の武田領国の人々の感想を想定しても、>>597にも似た事書いたけど、
自身の国の政府が、ただでさえその当時の自身の国よりも強力な2国を敵に防戦一方なのに、
さらに有力な同盟国を敵に回して、3勢力を敵にした、なんていう事を知ったら、
何をしてるんだと思うのは普通なように思うけど、どうなの。
>>582
ただでさえ、景虎と上杉領土で争ってる景勝が、武田領土のそこまで多くの負担になる程の影響があるとは思えないけど。
史実でさえ、景勝は、御館の影響で武田の援護もろくに出来なかったように思われるのに、
景虎派が残っていて、武田や北条の援護を受けながら景勝派と戦っている状況で、武田が北条を敵にした史実と同じくらいの負担があるとはとても思えないんだけど、どうなの。
>>586
>>567にあるような感じで、それなりにあるように思われるけど、どうなの。 景虎に与した信濃国人衆が春日山攻撃戦で死亡してる(桃井義孝)。景虎からするとそれに報いる為にも信濃の旧上杉領は全部上杉に寄越せと言って来るは必定。しかも武田には徳川との戦争で上杉に強く言えない弱みと北条を敵に回すと上杉まで敵になる状況とあって全領土で割譲を余儀なくされる。
そうなりゃ木曾義昌や穴山信君は織田徳川に内通して甲州征伐が早まって終わる。織田と徳川に命脈握られてんのに更に北条や上杉にも握られるだけさな。 >>596
横からだけど、さすがにそんな事にならないと思うけど。
軍鑑にもそんな話なかったような。
なんで景虎が勝頼に助けてもらってるような状況で、
景虎が勝頼に領土を要求するの、と思うし、景虎だって要求しないと思うけど。
むしろ、当時は、その領土が攻略した武将の土地になる、というのが基本だと思うから、
勝頼が景勝派と戦って得た領土は武田の領土になる、というのがありそうだと思うけど、どうなの。 >>600
>>601にも似た事書いたけど、そんな事に到底ならないと思うけど。
援軍をもらってる側が、援軍してくれた側に領土を要求するなんて、
しかも元々相手が持ってる領土を要求するなんて、まずありえないと思うし、
なんで景虎派の一武将が倒されただけで、武田にそこまで要求すると思うのか、
僕には疑問なんだけど。
上記601にも似た事書いたように、むしろ、景勝派と戦って勝頼が得た領土を、
そのまま武田の領土として認める話になると思うけど。 >>585
あれ?まだ君その認定をしようとしてるの?と思うけど、君こと菅沼認定厨さんと思しき人って、
>>31にあるような、菅沼認定の矛盾とかにろくに答えられてないように思われるのに、
そんな事をされても、と思うし、
むしろ、上記31にあるような感じで、菅沼認定厨さんと思われる人の方が、ワッチョイスレで
IDコロコロや他人装いをしている可能性が高い事を指摘されていたように思われるし、
菅沼認定厨さんと思しき人に、何人もの人々が、菅沼認定をされているように思われる事が、
指摘されていたように思われるのに、
それで君は一体どうやってどのような理屈で菅沼認定しようとしているのか、答えて欲しいと思うかな。 >>591
君、甲陽軍鑑多用するくせによく言うよな
ご都合主義満載の妄想人間w そもそも武田は北条からも景虎からも報酬を提示されてないんじゃないか。甲陽軍鑑だと「北条から景虎が負けてしまったから景勝を倒してくれ」と言われたとある。てことは景虎からすると北条に援護要請はしたが武田にはしてないから報酬を出す必要は無いし北条からすると景虎を助けてくれと言ったから北条が報酬を用意する必要は無い。しかも景勝を倒すのは不可能ときてるから尚のこと期待薄だし。 >>605
それは>>601にあるような感じで、普通に景勝派の領土で勝頼が攻略した所が、
そのまま武田の領土になるだけの話に思う。
そもそも、同盟国への援軍で領土もらわずに帰る、なんて戦国時代じゃザラに思うけど。
徳川の織田への救援(姉川とか。)、織田から徳川への救援(長篠とか)、
朝倉から浅井への救援(姉川、1572年の対峙)
信玄時代の武田から北条への援軍(武蔵松山とか)
同じく北条から武田への援軍(西上とか)
同盟国への援軍は、それ自体が同盟国との関係を維持し、そうする事によって自領土の安全を確保する事にもなると思うから、それ自体が報酬って感じもあると思う。
>景勝を倒すのは不可能
そんな事ないと思う。本当にそうなら、景勝もあんなに大金払ったり、領土を渡してまで、勝頼を味方につけようなんて思わないと思う。
北条や武田に景虎を支援された状態で勝つのは厳しいと思ったから、そのままだと景勝派が倒されると思ったから、としないと、景勝があれだけの買収を勝頼に行った理由がない様に思う。 >>607
そうやって、議論的に反論とかしないで、そのように書くのはどうかと思う。 少しの労力をケチったばかりに同盟してた北条まで敵に回し無駄な新府城を造って家臣に離反され
最終的には織田徳川に滅ぼされたなんて正に悪銭身につかずの典型例だな 武田は上杉を敵には回せない。上杉を敵に回すと信濃戦線が長篠以前に戻る若しくは更に悪化するから。しかも大軍は送れない。徳川軍の猛攻に曝されてる駿河方面軍を見捨てる事は出来ない。厄介な事に織田・徳川と上杉は伝馬を整えていたから上杉領を攻めると景勝がこれを吹聴して廻る事は自明となると武田には打つ手が無い。更に武田には増援が無い。景虎軍は春日山攻撃戦で壊滅しており北条軍はいつ来るかもわからん。そんな中景勝攻めなんてしたらそれこそ景虎の死を意味する。 >>612
またいつもの妄想か
謙信の後継者を名乗る以上、景勝が真逆の外交に転向するのは困難
織田信長も上杉を許す気はない
上杉より北条を敵に回さない方が優先順位が先
勝頼が恐れていたのは北条が上杉領を飲み込むこと
他に戦線抱えてるからといって、同盟国の要請にゼロ回答、かつその相手に買収されてるのでは前代未聞で批判は免れない 景勝は信長と和睦交渉してるし勝頼に対して「信長と和睦する時にはお互い一枚噛む」事を約束させてる(「菅屋長頼宛上杉景勝書状」「跡部勝資書状」)
つまり景勝(と勝頼も)信長と土壇場に至っても和睦出来ると信じてる。天正六年でもそうだろう。というより景勝からすると御館のときが一番信長に接近しやすかった。謙信の悪の面は全部景虎に押し付ける事が出来るから。それは景虎には武田・北条という信長の仇敵がついてる事からも証明できる。勝頼がこの事を理解してなかった筈がない。同盟に至らずとも景勝が「勝頼が北上してる」事を徳川に密告するだけで武田は御館に介入する力を喪う。 >>614
はいはい、いつもの長文妄想ご苦労様
迷惑だから控えてね >>614
>つまり景勝(と勝頼も)信長と土壇場に至っても和睦出来ると信じてる。
交渉てのは相手あってのことで勝頼も景勝も交渉始めようとしたものの、門前払いされている
2人とも不利になりつつある時期に藁にもすがる気持ちで交渉始めたのであり「和睦できると信じていた」とまでいう根拠はない
>天正六年でもそうだろう。
そうじゃないだろう
御館の乱の前と後で状況は全然違う
>謙信の悪の面は全部景虎に押し付ける事が出来るから。それは景虎には武田・北条という信長の仇敵がついてる事からも証明できる。
意味不明
妄想についていけません
>勝頼がこの事を理解してなかった筈がない。同盟に至らずとも景勝が「勝頼が北上してる」事を徳川に密告するだけで武田は御館に介入する力を喪う。
武田が越後に向かってることくらい織田徳川は知ってたよ 北条は武田と同盟して織田・徳川と敵対してたのに武田と関係が悪化したら織田・徳川に和睦打診して武田を攻めた。
景勝も同じ事をするだけだろ。武田が裏切ったので織田・徳川に和睦打診するだけ。しかも同盟関係にあった時の連絡路があるからまず手始めに勝頼隊の場所をチクって徳川に駿河攻撃を依頼する。北条にできて景勝に出来ないって話は無いわな。 >>616
和睦出来ると思ってるから交渉始めてるんだろ…和睦出来ないと思ってたら交渉なんかせんわな。
しかもなんで菅沼くんって毎回史料を見ないのだ?織田と武田の和睦交渉は続いていてしかもそれは成功したという風聞まで立ってる(跡部書状)決して門前払いでは無い。武田は粘り強い交渉を重ねていた。ところが信長にとってこれは武田を滅ぼすための策謀の一つだった、というだけよ。 妄想君の妄想は同情論証による詭弁の一種でしかない
誰に対しても弁護できるクソみたいな屁理屈だからな
御館の乱に関していえば家臣達にどう説明できるかが第一
上杉が敵になるからとか駿河に戦線があるからなんてゴチャゴチャいっても通用しない
・同盟国を裏切ったのはなぜか
・戦線新たに拡大したのはなぜか
・前年に嫁をもらったばかりなのになぜ戦略を転換したのか
それらを説明ができなかったから、金で買収されただろというのが武田家臣のコンセンサス
軍役負担は増えて駿河遠江を益々放置し始めた
その不満が甲州崩れに繋がる >>618
>>>616
>和睦出来ると思ってるから交渉始めてるんだろ…和睦出来ないと思ってたら交渉なんかせんわな。
×和睦できると思ってるから交渉始めた
○和睦したいから交渉を始めた
アスペにはわかんないかなあ
>しかもなんで菅沼くんって毎回史料を見ないのだ?織田と武田の和睦交渉は続いていてしかもそれは成功したという風聞まで立ってる(跡部書状)決して門前払いでは無い。
甲江和与は全く交渉は進展せず失敗に終わっている(跡部が上杉に弁明してる書状から明らか)
その後の僧を仲介人とした甲江和親は佐竹に誇大広告したものがあるだけで交渉が進展した跡はない。
上杉は門前払いされていたのは明らかだし、武田も同様だったろう 具体的に跡部書状(戦武三二八八)を簡単に書き下すと、
貴方の書状を拝見しました。「仍甲江和与令成就」勝頼と信長が和睦して織田源三郎を返したとお聞きになり、「此処貴国へ不被申届条」このことを貴方に言わなかった事をお怒りなのはわかります。ですが当方には表裏無くこれには理由があるのです。
東方が源三郎を帰したのは「佐竹義重御媒介候」佐竹による事で決して上杉を出し抜くつもりがあった訳ではなく、それに「実儀無之候」まだ何の結果も得られてないのです。ですので出し抜いて和睦した事実はありません。
勿論、「勝頼被及大誓詞、剰執御榊深重申合、属甲江和睦者、貴国一統之儀、随分可被及才覚之旨」勝頼は神前に誓った織田と和睦する時は上杉も共に和睦するという大誓紙を忘れてはいないのであるから絶対に武田は上杉を軽んじません。
そういえば「貴国阿土ニ御使者被付置候趣雖申廻候」上杉の使者が織田に会おうとしてると聞きましたが、「凡下之惑説一向不被致信用候」下賤な連中の噂話なんて信用なりませんよね。畢竟「相互被守数通之御誓詞之旨、一途両国御入魂之外、不可有他事候」お互いに誓紙を取り交わしてる我々以外信じるものはないですものね。
こんな感じか。 重要なのは
武田はまだ織田と和睦するつもりがある(実際天正九年まで和睦交渉が行われてる)
上杉と武田はお互いに織田と和睦する時は両国同時に和睦することを誓い合ってる
にも関わらず武田も上杉も独自の交渉を行なってる
確かにこの跡部書状は武田の弁解書なので真実交渉が失敗したかまではわからないし下手すると武田は「成功した」という感触を掴んでた可能性もある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています