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二重公儀論について考察する [無断転載禁止]©2ch.net
0001agetoff
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2016/08/31(水) 10:53:46.38ID:4LGUqGSJ
笠谷和比古等が主張する関ヶ原後も関白継承権を持った豊臣家が一定以上の権威と大名への影響力を有しており、
公儀は二重体制になっていたという論について色々と考えてみましょう
0603人間七七四年
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2017/01/23(月) 20:56:22.60ID:vuRwEpq6
笠谷氏の二重公儀論に対して
渡邊大門は大坂の陣まででは無く
慶長八年から長くて十年くらいって
主張しているんだっけ
0604人間七七四年
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2017/01/23(月) 21:07:47.23ID:HGhBPi5n
>>602
そういう整然とした論理の帰結ではなく、ひたすらグダグダ展開というのが大坂の陣の開戦理由なのだが
0605人間七七四年
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2017/01/23(月) 21:47:30.56ID:M+X/tuZn
まあ、理由が一つだけの訳はないが
それでは論として散漫になっちうからな
0607人間七七四年
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2017/01/24(火) 12:45:18.37ID:AcD54Aak
>>606
家康が企図して大坂の陣を起こしたのではなく、且元の私案に激発した豊臣家が、
且元が徳川に両属という認識をせぬまま追放にした過程を指す
0608人間七七四年
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2017/01/24(火) 23:16:32.34ID:QUW5MzQq
それを家康が企図して大坂の陣を起こしたという
0609人間七七四年
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2017/01/24(火) 23:27:57.08ID:hVar9vU6
>>607
それは戦争の口実作りの話じゃね
0610人間七七四年
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2017/01/25(水) 12:30:42.22ID:1iQK/Izw
国交断絶の次に来るのは戦争ちゅうだけ
0611人間七七四年
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2017/01/25(水) 13:15:25.10ID:xRJrJdpq
>>601
そういうわけのわかんないこと言ってても話にならないから
0612人間七七四年
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2017/01/25(水) 21:58:21.83ID:w/Wn2nSI
>>611
どうわけがわからんのか説明してもらおう
100万歩譲っても1603年以前は家康の立場は豊臣公儀大老
秀頼の代理者でしかない
だから家康がやる事は形式的には秀頼がやること
0613人間七七四年
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2017/01/25(水) 22:01:14.31ID:xRJrJdpq
>>612
だからお前は!
“何も判って居ない”というのだよー
解るか?
雑魚やろーが!
0614人間七七四年
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2017/01/25(水) 22:03:16.50ID:w/Wn2nSI
なんの説明にもなっていないようなのでNGな
0615人間七七四年
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2017/01/31(火) 09:22:24.62ID:mTc1U8MS
age
0619人間七七四年
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2017/02/05(日) 22:59:18.27ID:Cky+9mgh
二重公儀論に反対する連中の大坂陣の説明というのはとても薄っぺらな印象
0626人間七七四年
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2018/05/06(日) 19:54:37.49ID:MRUfz6Y6
「(慶長十一年)二月廿五日付江戸城公儀普請奉行連署状」について
: 笠谷和比古氏の学説・二重公儀体制論に関する新出史料の紹介 / 白峰 旬
史学論叢 (47), 138-153, 2017-03
別府大学史学研究会
0627人間七七四年
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2018/10/13(土) 09:51:35.85ID:FcwwVdpt
>>1
真偽はともかく、豊臣家の力を家康が侮っていなかったのは事実。
だからこそ、江戸〜京都まで親藩、譜代で固め、西に池田輝政、
南に浅野幸長という豊臣秀頼の不倶戴天の仇敵を置いた。

それは、豊臣家が他と結びついたら恐ろしいと認識していた証拠。
特に池田輝政は、豊臣家と西国大名間の結びつきの邪魔を十二分に
果したし、豊臣家と対峙するための居城(姫路城)を築いた。
0628人間七七四年
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2018/10/14(日) 01:05:42.04ID:hNXeyZZb
実際に家康は諸大名の加増等を行う際、秀吉の朱印状を持っている家に
対しては且元を通じて秀頼の追認をもらうのは怠らなかったはず
これは二重公儀どころか、家康の権限の根幹が依然として豊臣家にあったことを
示しているのだけど
0629人間七七四年
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2018/10/14(日) 08:56:30.56ID:CxY6LLRc
>>628
初耳なのだが
後、且元は徳川家の国奉行でもあるので、その辺の区別をする必要があるのに、
且元の署名=秀頼の事業となってる件が多すぎる
0630人間七七四年
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2018/10/14(日) 13:49:48.72ID:UAwGuvQM
関ヶ原以降は分かりやすく言えば
家康が徳川の王様と豊臣の総理大臣を兼務している状態だからね
秀頼は豊臣家の王様であっても、組織としての豊臣の経営権はあくまで家康が持ったままだ
だから別に南北朝みたいに分裂しているわけではなく
どちらの権限も家康が支配しているから統一は保たれている

豊臣の方は要らないから廃業したい家康と豊臣の権限を家康から取り戻したい淀・秀頼が喧嘩すれば
それが大坂の陣になるというだけの話だ
0631人間七七四年
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2018/10/14(日) 20:01:37.32ID:jUcSXgpu
>>629
わける意味がない
もともとの徳川領ならまだしも関ヶ原以降の徳川の権力は太閤遺命によるものだし
0632人間七七四年
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2018/10/14(日) 20:11:30.27ID:jUcSXgpu
>>629
>後、且元は徳川家の国奉行でもあるので、その辺の区別をする必要があるのに

上のカキコはこの事に関してのことな
関ヶ原以降の徳川領とされるものは元々の240万石以外は借りているもの、というのが建前だから且元は徳川の人間というのはのちの結果を知っている人間の認識に過ぎない
0633人間七七四年
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2018/10/14(日) 23:20:12.76ID:UAwGuvQM
徳川に限らず関ヶ原以降の東軍領地は借りているものじゃなくて
謀反を鎮圧した恩賞として貰った物だよ
建前だろうが何だろうが借りているものだなんて口が裂けても言ってはいけない
日本の大多数を支配する東軍大名に向かって、お前の領地は借り物だ・返す義務があるだなんて
八つ裂きにして妻子もろとも皆殺しにしてくださいと言っているようなものだ
だから豊臣家も関ヶ原での領地配分には一切の文句を言っていない

借りているものというのが建前だなんて、それこそ後世の人間が好き勝手に言える妄言でしかない
0634人間七七四年
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2018/10/15(月) 00:56:34.97ID:3xLvVibb
東軍大名の加増、加増転封については改易大名の空きを埋める恩賞
太閤蔵入地に関してはいくつかの大名預かり分に関しては関ケ原以後も存続している
つまりよくわかっていないということ

豊臣家が持っていた商業都市からの収入とか貿易収入、鉱山については
家康が天下の政の費用捻出のため預かっている建前
よく教科書などには豊臣家が減封を受けて家康から「処罰」されたなどと書いているけど
引継ぎの際の史料を見る限り、そんな認識を持っている奴は当時いない 
結果、家康が返還せずに横領した。だからそのまま徳川支配になったなどと後の時代の
人間が書いているだけ
東軍大名の加増も秀頼からの加増だけど、これも史実を知っている後世の人間が家康が
加増したと書いているだけ
0635人間七七四年
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2018/10/15(月) 08:02:43.12ID:V3JvZkxt
二重公儀の根拠が建前しかないことを示すレスだな
0636人間七七四年
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2018/10/21(日) 07:06:38.81ID:vaUgSjZH
渡邊大門も二重公儀を認めるにしてもせいぜい慶長八年から長くても慶長十年くらいまでと書いてるしな
0637人間七七四年
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2018/10/21(日) 08:11:32.54ID:Y3l9Xl73
>>634
それって東軍大名が関ヶ原で貰った領地が自分のものだと確定させたいなら
秀頼を殺して豊臣を滅ぼせといっているようなものだな
確かに大坂の陣でどの大名も秀頼を味方しないはずだよ
秀頼は自分たちの財産の所有権を危うくさせる危険因子でしかない

豊臣を滅ぼした家康はけしからんと後の時代の人間が書いているだけで
日本の大多数を支配する東軍大名は、よく秀頼を殺してくれたと安堵していたというのが実情だろうね
0639人間七七四年
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2020/02/27(木) 19:40:46.49ID:5Uw0pORL
>>636
慶長11年の江戸城普請に際して、豊臣秀頼の家臣である水原・伏屋の両名が普請奉行として参加。
秀忠や家康の普請奉行と合同で江戸城普請を執行しているという件はどうなんだ。
江戸城って、徳川将軍の城なんだけど。どう説明する。
0640人間七七四年
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2020/02/28(金) 13:20:56.25ID:eWP8eY2H
>>639
実態としてその豊臣の「普請奉行」に実権が有ったとか信じてる?
0641人間七七四年
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2020/04/14(火) 03:54:44.48ID:7LnIa7n9
>>640
白峰旬に二重公議体制についての論文があって、そこに豊臣普請奉行の役割が書いてあった。徳川の普請奉行と連名で諸大名に江戸城普請に必要な石を運ぶ石船の供出を命じた命令書が残っているらしい。
0642人間七七四年
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2021/11/28(日) 15:52:25.28ID:oZK2vP8F
二重公儀論は豊臣好きには最後の砦みたいなところがあるしな
0643人間七七四年
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2021/11/28(日) 16:18:38.14ID:Dv3cnvx9
まぁ結構無意味な内容ではあるよなぁ
突き詰めていけば誰が力持ってるかって話で決着だし。
力の無い奴が騒いでも所詮はお飾り…
0644人間七七四年
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2021/11/30(火) 21:23:00.65ID:GiJWsLrf
自分の領地すらまともに治められない家が公儀を運営するなんて無理な話だろう
0645人間七七四年
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2021/12/02(木) 06:42:07.43ID:1rqDYNFo
>>634
まあ、この辺は中国の戦国時代の三晋は何時から存在するみたいな感じでね。
史紀とかだと、六卿が祁氏や羊舌氏滅ぼした「二つは公室諸流」時点で完全な無力化とか
言いたいみたいですが。

前497の六卿の内紛時点で晋と言う国は崩壊してる気がするんだよなあ。
根拠は、韓、魏、趙、智の四氏対、氾氏中行氏の対立だけど公室は最初二氏側だとしか
読めないのに四氏が勝つといつの間にか公室担いでると言う謎の結末。

そして、氾氏中行氏の領地が如何成ったか良く分からないのだよ。
本来公室に返還するのが筋だが、そんな事した様にみえないしな。
そして智氏は名目上公室担いでたみたいだし
0646人間七七四年
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2021/12/02(木) 06:56:19.83ID:1rqDYNFo
>>645
もう少し続き

そして、史紀とかだ智氏が理不尽な領地割譲要求を韓や魏や趙にしたように書かれてますが
実は建前は「四氏で領地を公室に献上しよう」だったらしいですね。
まあ実質同じ事だけど、この辺良く分からんのよな。

で三氏勝ち残りの後でも前403年までは三氏は建前は晋の卿だしね。
さらに後年の魏の恵王が晋の正卿名乗ってたりとか。

という事で建前はなかなか消えないとおもうよ。
0647人間七七四年
垢版 |
2021/12/02(木) 11:13:24.46ID:1rqDYNFo
>>640
まあ建前は事実だろうさ。

でもその建前を無視できない状況が有った事は重要だろ。
0648人間七七四年
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2021/12/02(木) 21:28:46.67ID:qc6pCLI8
誰も賛同してくれない事をいろんなスレに書き込んで虚しくならないのかね
0649人間七七四年
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2021/12/05(日) 12:49:32.56ID:TIiioMdg
>>648
別に賛同を求めてなどいませんよ
無視したいのなら貴方が書き込みやめれば良いだけの話でね。

只、家康の下克上は非常に上手い具合に手順踏んで良く考えられてますよ。
しかし手順が幾ら洗練されてても、家康が悪評被るのも又避けられない運命です。

家康は幼少時の秀頼に普通に臣下の礼取ってた事実かえられませんぜ。
0650人間七七四年
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2021/12/05(日) 13:21:55.76ID:hpVMdvgG
>>649
その情熱を秀吉にも向けたらいかがですか
秀吉こそ織田のお陰で立身できた正真正銘の恩顧で清洲会議でも三法師に仕えると誓ったはずなのにあっさり下克上した
司馬遼太郎大先生もこの時期の秀吉は史上類を見ない大悪人と仰ってますよ
0651人間七七四年
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2021/12/05(日) 13:24:34.08ID:Nw2cL+QI
両方悪人でいいんじゃねーの
後世からの視点では非難されてしかるべきだろう
0652人間七七四年
垢版 |
2021/12/11(土) 12:39:15.47ID:9TyMk6+K
マジレスすると下克上の世を平和ボケの現代人が勝手にあーだこーだ言ってるだけ
0653人間七七四年
垢版 |
2024/01/05(金) 01:56:57.27ID:vmyU1cmN
「二重公儀」肯定派も否定派も根本的な理論に無知な人が多いな。
だからいつまでもお互いうだうだ御託を並べ続けるだけになっている。

公権力(所謂「公儀」)が公権力たり得る絶対要件は、
「権力執行の有効性を自ら担保し得ること」
「その有効性に他の「私」権力を超えた共同性を与え得ること」
である。
これを可能ならしむるものとは即ち「暴力」、それも支配領域内に於いて他の主体を圧倒できる「超越的暴力」に他ならない。
従ってより端的に云うと、
「公儀」=「超越的/圧倒的な暴力装置を保有する者」
となる。

関ヶ原合戦終結後、
羽柴「豊臣」権力体の暴力装置は超越的なものであったか。
少なくとも徳川のそれを相対化し得る規模のものであったか。
他方の徳川はどうであったか。
 
これだけ考えれば既に、
「二重公儀」なる論が妄説に過ぎないことは火を見るより明らかであろう。
 
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