「二重公儀」肯定派も否定派も根本的な理論に無知な人が多いな。
だからいつまでもお互いうだうだ御託を並べ続けるだけになっている。

公権力(所謂「公儀」)が公権力たり得る絶対要件は、
「権力執行の有効性を自ら担保し得ること」
「その有効性に他の「私」権力を超えた共同性を与え得ること」
である。
これを可能ならしむるものとは即ち「暴力」、それも支配領域内に於いて他の主体を圧倒できる「超越的暴力」に他ならない。
従ってより端的に云うと、
「公儀」=「超越的/圧倒的な暴力装置を保有する者」
となる。

関ヶ原合戦終結後、
羽柴「豊臣」権力体の暴力装置は超越的なものであったか。
少なくとも徳川のそれを相対化し得る規模のものであったか。
他方の徳川はどうであったか。
 
これだけ考えれば既に、
「二重公儀」なる論が妄説に過ぎないことは火を見るより明らかであろう。