徳川秀忠 その2
前スレが落ちてたので立ててみた
スレタイはシンプルに
というわけで、
徳川二代将軍について揉めてください。
前スレ
【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156998657/ 乙ー
建てようと思ったけど建てられなくて でも建たなくてなくて良かった なんか新しく立ってたw
凡将か名将か
を消したのは英断だと思う
そう聞かれたら凡将と答えるしかない 前すれは忠長の長とか家光の光とか
ついでに御三家の名前ってドコから来たの?という話題で終わったよな 御三家の頼宣・頼房は
家康が頼朝公を崇拝してたから、そっからじゃないの? ってコメあったけど
義直は誰からとったんだろうか 自分は義経とか聞いたことある
兄の義直が義朝や義経で
弟たちが頼朝にちなんだ名前なんて
自分が義直関係者だったら納得できないな・・・・
>>9
なんか和んだw
家康が「自分も囲碁は最初はあまり興味なかったんだけど、やってたら楽しくなっちゃってさー」
っていうお江に宛てた手紙があると聞いたけど、これだったんだ 分かってすっきりした
秀忠の逸話の中でも、伊達さんや信雄さんと囲碁やってる話があるね この手紙はどこに存在するんだろうか
手紙の実物(の写真など )を見ないと信用できない自分がいる 「我等中年の頃迄棋を一向に不存、人にうつさえ無用の物、
気詰まりにて役に立たぬ事とばかり存じ、人の好み候は虚け
者に存候所、近年覚え候へば雨降り徒然の慰にもなり先達て
虚気者と存候者を相手に致候・・・」(慶長17年・1612・2月25日)
ネットで調べてみた手紙の内容がこんなんだった
何となく内容は分かるんだけど、やはり現代語訳してほしい 囲碁のことで家康に愚痴っちゃうということは
江はそこまで家康のこと恐れていた訳ではないんだなあ
むしろよき相談相手だったんだろうか 1612年だろ
小説やドラマなんかでは「いろいろ」ある前後で家康秀忠江の三人の関係はギスギスに描かれることが多いころだよな
クライマックス直前だからハイスピードで飛ばしてて
和やかな日常を挟む合間なんてないくらいに この手紙の件で気になったのは、お江さんが本当にこんなこと言ったのか
言ったとしたら手紙じゃなくて、誰かを介して口頭で家康に訴えたのかな?
たとえば本多正信辺りに、将軍様が囲碁に夢中になりすぎてるから、大御所様からも何かおっしゃって下さいとか
でも、口頭だと本当にこう言ったのかも分からないし
手紙があったとしても、原本がないから本当かどうか分からない
そもそもそんなのあったら、とっくに発表してるよね
お江さんの書いた手紙ってまだ二つしか現存確認されてないはずだし
この将軍様ともあろう人が云々てどっから出てきたんだろう 家康の手紙に書いてあったんだろう
まあ手紙の現物を見るまではなんとも
手紙の存在ひっくるめて逸話の可能性もあるか
まあその時は数少ないお江が登場する逸話が見つかったということで
上の話になるが秀忠の秀は秀吉の秀だけど
忠は松平家が康→忠→康→忠と交互に受け継いできたものだっけ? 忠は、もともと松平家に伝わる由緒正しき通字って聞いた
他の家も忠を通字にする所もあるし、忠ってのは良いんだろうな 戦国時代で一番好きな人と言われて、秀忠を推したいが
秀忠は戦国時代の人と語るべきか、江戸初期の人と語るべきか まず好きな歴史上の人物はと聞かれて
徳川秀忠と答える勇気が出ない 秀忠を紹介する文章なんかで
武将や政治家としての評価や功績の話しか載せてない文章見ると安心する
なんか他に書くことなかったんかいと思う人物紹介が多い
新刊だからと読んでみれば
過去の人物評を持ってきただけのものとかあるよね
今更こんな古臭い説もってくるとか、この人何なの?
と思ってもうその人の本二度と読まなくなるわ お江ちゃんて、幕府創成期とはいえ二代目の奥さんで三代目の母親なのに、史料や遺品とか少ないよね。秀忠のものはまだあるけど。
もうちょい残っていてもいいと思うけどなあ。
なんか人為的な操作でもあったのかなあ? >>26
松平信綱とかもすごい少ないんだってさ
時代は違うけど荻原重秀とか 人為的に消すなんてことはさすがに難しいと思うな
幕府側の史料はともかく諸大名のところのヤツを抹消するのはいくらなんでも無理だよ
元々少なかったのが火事やら保存方法の問題で消えて
さらに少なくなっただけだろう
つーか大河の便乗研究でちょくちょく出てきたし
大河決まる前は経歴と俗説以外はほぼ何もない状態だった 26です。レスありがとうございました。
笑われるかもしんないけど、春日局あたりの人為的操作かな?なんて考えたこともあって(笑)あり得ないか。
家光って両親をどう見ていたかな?彼の心情を知りたい。うちは妹ばかりちやほやされてきたからさ。自分語りゴメン 明暦の大火辺りで焼けちゃったのかなあ と
あと春日局のは、後年一族の人が書いたのがソースなんじゃないかな
彦左さんの三河物語のように、大抵そういうのは脚色が物凄い
他の史料では、ああいうのはほとんど嘘だよって言われてるくらい
家光は母親はそう嫌ってはいないと思うけどな もちろんお江も
父親はどうだろう 秀忠が晩年寝こんでいる時、ちょくちょく見舞いに行ってたというし
秀忠が隠居所を小田原にしようかと思っていたら「そんな遠い所へは…」みたいに渋ったから
結局隠居所は江戸城西の丸になったらしいね
(その頃はお江が病に伏せがちだったので、遠出は出来なかったというのもあるけど) その秀忠が小田原やら駿府で隠居しようかなあ〜という話、何の本に書いてあったんだっけ
忘れた ttp://www.narinari.com/Nd/20110715942.html
秀忠が武将枠で入ってた >>29
どうでしょうかね
秀忠夫妻の偏愛ぶりがどの程度かによるでしょうが
東照大権現祝詞の記述に従うと
悲惨な親子関係になる
「両親が家光を憎んでいる。適齢期になっても世子決定の様子がない〜続く」みたいなことが書かれている
この文章の通りの親子関係なら家光は通説通りの両親嫌いだと思うが
ただこの文章は誰が書いたか不明の文章、で
さらに家光室や秀忠側近の悪口まで書いてあるという
不思議?な文章ですので信用できるかどうかは意見が割れる
家光と秀忠夫妻の関係については個人的には色々考えていたんだが
昨年末に発売された本に結構新しい情報が載りすぎていて考えがまとまらない >昨年末に発売された本に結構新しい情報が載りすぎていて考えがまとまらない
どんな本なのか詳しく >>37
「江の生涯」と「誰も知らなかった江」
作者の想像部分は飛躍した部分もあるが情報収集にはいい二冊だよ >>38
ああその二冊は自分も読んだ
江の生涯は半分以上はちょっと無理があったけど、それ以外は割とよかったよね
誰も知らなかった江は良かったけど、ちょっと家康を綺麗に書きすぎじゃね? と思った
山岡荘八の徳川家康思い出したよ 乱紋読んでて、関が原後の戦後処理を秀忠がしてたとあったけどそうだっけ?
終了後の秀忠ってそんな仕事任されるような立ち位置だったっけか 慶長六年正月からの秀忠の動き
(この直前にあの有名な後継ぎ決定イベントが記載)
六年正月 御父子とも大坂の西城にましまし。大小の政事を沙汰し給ふ。
三月三 日豐臣中納言秀頼大坂城の西城に。 御父子を迎へ奉り。申樂を設け饗し奉らる。かへらせ給ひて後秀頼西城二丸にまかりて。 御父子の御來臨を謝せら る。
廿四日 公には大坂二丸を出て伏見に移り給ふ。廿七日 公ならびに秀頼。ともに大納言にのぼり給ふ。(一 に廿八日につくる。)
廿九日 公御參 ありて拜賀し給ふ。御同母弟下野守忠吉朝臣も。この日從四位下侍從に叙任したまふ。
九月晦日公第二 君。(珠君。)を加賀中納言利長の弟猿千代利 常。(後中納言。)に嫁し給ふ。此月 公伏見を出て江 の城にかへらせ給ふ。(台徳院御実紀)
後継ぎに無事決定した秀忠は
戦が終わった後も上方に一年近く滞在して親父と政務をこなしたようですね ありがとう やはり戦後処理が一番忙しいんだなあ
九月晦日ってことはほぼ10月上旬にようやく江戸に帰れたのか
だから勝姫から初姫生まれるまで年の開きがあるんだな
それ以外はほぼ毎年、お江さん子供産んでるし(ただ史料によってまちまちだけど) そういえば秀忠の異母姉の督姫も高齢出産の子沢山
だった気がするんだが
福田氏が督姫のことをどう思っているのか気になって仕方ない 二女の珠姫だって子沢山なのにね そういや完子も7人産んでるんだっけ
督姫は前夫の北条氏直と仲よかったらしいけど
池田輝政も懐深い逸話多い人だから、やっぱ仲良くやっていけたのかな 名将言行録の中で秀忠編が載ってるのが、どれなのか分からない
誰か教えて下さい >>35
「東照大権現祝詞」ってどの程度信用できる史料なのかな。
幕閣(秀忠の乳母子にして老中、松平信綱の舅にもあたる)の横死を「天罰だ、ざまあ」みたいな
論調で触れたり、家光室への中傷じみた文言や、さらには秀忠夫妻が家光をないがしろにした挙句
家康の怒りを買ったみたいな文章を公然と書き残したりできるものなんだろうか。
しかもそれを東照宮で言ってるって意味分かんない
仮にも幕府にいる人の言葉とは思えんし、何のために残っているのかも理解不能だ 筑後局?
かな文字でも男性でいいなら筑後守?
筑後に住んでいる人?
よくわからん 秀忠の息子忠長の乳母をつとめた朝倉局は朝倉筑後守宣正の妻なので、
「ちくご女」と呼ばれていた可能性は高いな。 >>52
今調べたら井上正就さんの弟も筑後守なんだな
朝倉さんか井上さんの関係者と考えるのが自然か 息子の乳母か、乳兄弟の弟の正室? か
高価な巻物20巻分て、かなりの金額だよね
そんな金額動かせるとしたらどっちだろうか
金まわりが良く、秀忠と親しくてもおかしくない身分だけど
あまり知名度は高くない女性・・・・・・・・朝倉局かなやっぱり
駿府博物館の学芸員はちくごが誰かについて検討つけているのかね?
『駿河城御前試合』はなかなかの外道っぷりだったけど
隆慶先生の秀忠と比べるとどうだろうか 秀忠の方が上かな 千姫の小説を立ち読みしたら
江が千に
「お父上は意外と執念深いお方なのです」
とか言ってた >>57
どの千姫の小説だろうか 教えて下さい
あと秀忠の執念深さは別に意外では…と素で思ってしまったw >>58
植松三十里という方の最近出た本
秀忠ファンが読んで楽しいかは微妙だけど
執念深い・・・ 晩年の話か >>59
ありがとう ちょっと読んでみようかな
秀忠のは執念深いというか、徳川の治世を脅かすものは誰であろうと断固許さん
みたいな強固な姿勢があるから、執念深いとはまた違うか >>49
のこの手紙見てると、凄く優しい文字で書いてるなあと感心する
なんでも鑑定団に出てた、7歳の頃の習字の文字は、凄く力強く書いてる印象あったから
年齢の違いにもよるけど、相手に対して筆使いも変えるって、昔の人気配り上手だよね 仕事に対する姿勢と、すっぴんの秀忠はイメージが違う。
親しい人にはかなり情のある男に見える。仕事面では容赦ない感じ。家康と違う自分を良く知って、幕府の体制を整えるためにあえて厳しかった。
子供の頃のお習字、のびのびした気持ちの良い手蹟だと思った。数え七歳なら今の5〜6歳くらいか。
残っている手紙なんかも全体的に雰囲気が柔らかく優しい。
前に徳川美術館で秀忠のいろいろを見たが、なんとなく巷のイメージと違って違和感があった。本当に凡庸な人には思えなかった。
自分が書道で生きてるからかもしれないが、文字で人を見てしまう。
誰か秀忠のイメージを払拭する小説を書いてくれないかな。 秀忠主役じゃないけど、志木沢郁の「結城秀康」に出てくる秀忠は、実に自分の理想とする秀忠だった
同作者の「真田信之」「立花宗茂」の秀忠もブレることなく、この人の描くいつもの秀忠像で実に良かったな
この人はあまり通説にとらわれずに、作者独自の人間像で書くので結構好きな作家さんなんだけど
お江さんが通説通りの、家光を毛嫌いしてたり、気が強かったとした設定なのでがっかりしたな
通説を持ちいらないこの作者さんなら、と期待していたんだけど、それ故落胆が激しかった
いや、歴史研究者の考察本じゃないんだから、小説の中くらい好きに書かせてやれと言われればそれまでなんだけど
いつかこの人の書く秀忠主人公の本を読んでみたいなあ、と思っていただけに、期待が大きすぎたかな 小説やドラマでの描写など
最近はどうでもよくなってきた
どう描かれようとその人本人が変わるわけじゃない そうだね
興味を持った人が史実まで追えばいいんだ
創作物はイメージ拡散ツールとして強力だから
描かれようが気になるのも分かるが みんな大人だなあ 自分のそれくらいの域にいられればいいんだけど
大河ドラマや小説だけ読んで、それが史実と信じている人もいるから
その人に「それはあくまでフィクションでね…」と言っても、信じてもらえず
自分の好きな歴史上の人物が、いつもいつも罵倒されているのが悔しくてねえ
ちゃんと調べれば、暗愚でもなんでもない、立派な人だとすぐ分かるのに
どうしてそれを信じず、いつまでも創作者の情報だけで語ろうとするのかなーと
酷いのだと、ちゃんと史実的な偉業も、○○オタの妄想とか言われてしまうのがオチだし ところで
ttp://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_taidan_201103.html
小和田氏によると
「秀忠は多くの史料から、大人しく頼りない感じを受けますが」
「竹千代が冷遇されているので、家康が自分で引き取り
養子にしようと考えていたらしい、という資料」だそうだが
具体的にどんな史料なんだ? >>66
「見る必要はなくて不快な気分になることが予想できるもの」(人物描写がアレなドラマや小説や個人ブログやツイッターなどの俗説だらけの歴史妄想話) を目に入れないようにしたらどう?
なんかそういうのでイライラするのは時間の無駄
小説やドラマは所詮娯楽なんだから好きな人物が良く描かれているものだけ見れば良い
ブログやツイッタは知識不足で適当なこと言ってる人がほとんどだから信頼できる所以外は見ない
史料と研究本と創作物は自分が気に入ったものだけ
周りにあるのはこれだけでいいじゃん
>>67
家光に関しては東照大権現祝詞だろ
君をするがへよび御申候て、ごんげんさまの御こにあそはされ、三代せうぐんにこれあるへきと上意御さ候間、やうやくするかへ御のほり候ハんかと下々もよびし申うちに、ごんけんさませんげあり
という一文がある
秀忠の性格に関しては知らない
というかよくわからない >>68
そうだね そういうのはスルーしとけばいいね
史料にもとづいて、ちゃんと考察しているサイトもあるし、そういうのを見て満足しとけばいいか 古本屋で買った、永井路子さんの本読んでたら
千姫をすっげえ痛烈に批判しててびっくりした
そこまで言わんでも…とちょっと引いた >>71
建礼門院とかもだけど、主体性が乏しい(と見た)女性に対しては結構辛らつだな。 >>72
それにしても、これ書いてる時、何か嫌なことあったの?
と聞きたくなるような辛辣さでうわぁ…ってなっちゃった
何でここまで言う必要が? と疑問に思っちゃったよ 小説家は多かれ少なかれ思い込みが激しいから当てにならない
かといって、学者も>>67みたいなのとか居るし >>67を読んでびっくりしたのが
春日局が息子を忠長にも預けているのを、小説で知ったっていうのがあって唖然としたわ
小和田さんは江の考察本も書いているのに、江周辺のことあまり知らないかあまり興味ないのかな
小説じゃなく、考察本にすら、俗説を上げてそれにそって解釈してるし
考察本なら史料優先で解釈してくれよと どういうわけか、研究者間でも忠長周辺の話って案外知られてないみたいだな。
人物叢書『徳川家光』でも「忠長には乳母はつけられていない」と書かれていた。 自分が江周辺のことで参考にしているサイトがあるんだが
最近の研究者の人すら、忠長の乳母の名前や存在すら知らない人が多いと言っていたな
何でこうまで興味持たれないんだろうか 真面目に研究する人いないのかな 興味がない上、まともに研究もしていないのに何故本を書く
興味がないなら放置でいいよ
変な本描かれるよりはいい 長男の長丸、この大河でじっくり秀忠江周辺調べるまで、実は自分知らなかった・・・・
過去の大河とか、有名な戦国ドラマで、長丸出てたのあったっけ?
隆慶一郎氏なんかは、江が長丸殺したなんて描いてるようだが
長丸ってなんか忘れられてるような・・・・ >長男の長丸、この大河でじっくり秀忠江周辺調べるまで、実は自分知らなかった・・・・
お江の子だったり、いなかったことにされたり
徳川さんちの子として扱われた形跡があるのに隠し子ポジションにされたり
証拠もないのに秀忠や江に冷遇されたなどと描かれたりするのが
長丸くんだから
それだけ描かれ方が違ったら存在は定着しにくいと思う
しかし長丸が隠し子ってのが一番意味わからんわ
九ヶ月で死んだ隠し子の墓を増上寺に造るかよ、といいたい
隠し子が早世したら存在自体無かったことにされるだろ >>79
葵徳川三代に出てるよ 江以外の女性の子として
長丸って名前つけた辺り、もし江が嫡男産めなかったとしてのキープだろうな
でもそのキープが早々に死んじゃったから、なかったこと扱いな気がする
しかし亡くなり方も八ヶ月後だったり、二年後だったりと相変わらず曖昧な記録しかないしなあ 葵徳川三代にはちゃんと出てたんだ、自分あんましっかりみてなかった・・・
長丸ってお灸で死んだってあるけど、お灸で死ぬもんなんだな
それにしても幼児にお灸なんてするのか?お灸を全身において、大火傷負ったのか?
こんな死に方だと、罰せられた人いて、そういう文献とか残っててもいいと思うんだけど
なんか長丸に関して、母親がどんな人とかも、あんま残ってないみたいだね
母親は側室になってもないな まあ、お静さんすら側室になっていないから、初めから側室持つつもりないけど
合戦あるし、いつ帰れるか分からんし、なるべく子供作っとかなきゃ…と思ったのかな
それにしては一人ってのは少ないと思うが >>83
まあ秀忠の母親が何者かに殺害されたとか書かれた史料もあったりするくらいだから
死因についてはよくわからんなあ なんで西郷局が殺されなきゃならんのだ…
その場合誰か得する人いたっけ? >>86
ソースが柳営婦女伝系だからな・・・あまり信用できな・・・
ただ家忠日記にも喧嘩にまきこまれて〜とか書かれているのがすごい気になるんだよね
>>77
忠長の乳母が知られてないのなら
家光の部下に浅井&淀の関係者がいることはもっと知られてないのだろうな 「柳営婦女伝系」て秀勝が死んだ後、江は九条道房に嫁いで二女設けたとか書いてるアレな本だよね
道房って江の孫だし、まだ生まれてもいないしと突っ込みどころ多いよね
でも家忠日記のは気になるな 家忠さんのなら結構信憑性が高い印象あるし 柳営婦女伝系→江は四回結婚したと書く 西郷局の死因の謎
以貴小伝→市は信長の従姉妹と書いてある
家康の四女の母親がお勝になっている
幕府祚胤伝→長丸の灸死亡話を記載
女性の略歴を載せた代表的史料の気になる部分
>>89
江戸時代のちゃんとした史料すら、年代バラバラだったりとアテにならないからなあ…
なんかそこまで行くと、二次創作な臭いもするわ >>90
出典を調べてみるのは大事だよな
ところで「日本歴史」という雑誌の正之家光忠長、三兄弟についての記事読んだ人っている? 春日局はともかく
大姥局と江との間に対立があったとかいう人って小説やドラマの見すぎだよな
>>92
そんな説いま初めて聞いた
そういう人って、嫁姑戦争とかのゴシップが大好きなんだろうな 秀忠は豊臣家が滅んだ後に秀の字を捨てて改名しようとは思わなかったのかな
一年後に、お江さん施主で養源院で大阪の陣戦没者の供養も許しているし
豊臣家に対して、家康もどう思っていたのか読めないけど、秀忠も読めない 月が描かれた扇子を持った秀忠が描かれた浮世絵?があるけど
あの絵の秀忠ってちょっとかっこいいな 秀忠 浮世絵 で検索してみたら
ttp://metro2.tokyo.opac.jp/tml/tpic/imagedata/toritsu/ukiyoe/2/2407-001-02.jpg
こんなのが出てきたんだけど、これどんなシチュなんだろう >>96
築土神社のサイトで見れるぞ
画像やURL貼りに自信がないので許せ >>99
見れた ありがとう 確かにあれ格好いいよね
これ鎧着てるから、合戦の時を描いたのかな 上田合戦と大阪の陣どっちだろう