徳川秀忠 その2
前スレが落ちてたので立ててみた
スレタイはシンプルに
というわけで、
徳川二代将軍について揉めてください。
前スレ
【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156998657/ 乙ー
建てようと思ったけど建てられなくて でも建たなくてなくて良かった なんか新しく立ってたw
凡将か名将か
を消したのは英断だと思う
そう聞かれたら凡将と答えるしかない 前すれは忠長の長とか家光の光とか
ついでに御三家の名前ってドコから来たの?という話題で終わったよな 御三家の頼宣・頼房は
家康が頼朝公を崇拝してたから、そっからじゃないの? ってコメあったけど
義直は誰からとったんだろうか 自分は義経とか聞いたことある
兄の義直が義朝や義経で
弟たちが頼朝にちなんだ名前なんて
自分が義直関係者だったら納得できないな・・・・
>>9
なんか和んだw
家康が「自分も囲碁は最初はあまり興味なかったんだけど、やってたら楽しくなっちゃってさー」
っていうお江に宛てた手紙があると聞いたけど、これだったんだ 分かってすっきりした
秀忠の逸話の中でも、伊達さんや信雄さんと囲碁やってる話があるね この手紙はどこに存在するんだろうか
手紙の実物(の写真など )を見ないと信用できない自分がいる 「我等中年の頃迄棋を一向に不存、人にうつさえ無用の物、
気詰まりにて役に立たぬ事とばかり存じ、人の好み候は虚け
者に存候所、近年覚え候へば雨降り徒然の慰にもなり先達て
虚気者と存候者を相手に致候・・・」(慶長17年・1612・2月25日)
ネットで調べてみた手紙の内容がこんなんだった
何となく内容は分かるんだけど、やはり現代語訳してほしい 囲碁のことで家康に愚痴っちゃうということは
江はそこまで家康のこと恐れていた訳ではないんだなあ
むしろよき相談相手だったんだろうか 1612年だろ
小説やドラマなんかでは「いろいろ」ある前後で家康秀忠江の三人の関係はギスギスに描かれることが多いころだよな
クライマックス直前だからハイスピードで飛ばしてて
和やかな日常を挟む合間なんてないくらいに この手紙の件で気になったのは、お江さんが本当にこんなこと言ったのか
言ったとしたら手紙じゃなくて、誰かを介して口頭で家康に訴えたのかな?
たとえば本多正信辺りに、将軍様が囲碁に夢中になりすぎてるから、大御所様からも何かおっしゃって下さいとか
でも、口頭だと本当にこう言ったのかも分からないし
手紙があったとしても、原本がないから本当かどうか分からない
そもそもそんなのあったら、とっくに発表してるよね
お江さんの書いた手紙ってまだ二つしか現存確認されてないはずだし
この将軍様ともあろう人が云々てどっから出てきたんだろう 家康の手紙に書いてあったんだろう
まあ手紙の現物を見るまではなんとも
手紙の存在ひっくるめて逸話の可能性もあるか
まあその時は数少ないお江が登場する逸話が見つかったということで
上の話になるが秀忠の秀は秀吉の秀だけど
忠は松平家が康→忠→康→忠と交互に受け継いできたものだっけ? 忠は、もともと松平家に伝わる由緒正しき通字って聞いた
他の家も忠を通字にする所もあるし、忠ってのは良いんだろうな 戦国時代で一番好きな人と言われて、秀忠を推したいが
秀忠は戦国時代の人と語るべきか、江戸初期の人と語るべきか まず好きな歴史上の人物はと聞かれて
徳川秀忠と答える勇気が出ない 秀忠を紹介する文章なんかで
武将や政治家としての評価や功績の話しか載せてない文章見ると安心する
なんか他に書くことなかったんかいと思う人物紹介が多い
新刊だからと読んでみれば
過去の人物評を持ってきただけのものとかあるよね
今更こんな古臭い説もってくるとか、この人何なの?
と思ってもうその人の本二度と読まなくなるわ お江ちゃんて、幕府創成期とはいえ二代目の奥さんで三代目の母親なのに、史料や遺品とか少ないよね。秀忠のものはまだあるけど。
もうちょい残っていてもいいと思うけどなあ。
なんか人為的な操作でもあったのかなあ? >>26
松平信綱とかもすごい少ないんだってさ
時代は違うけど荻原重秀とか 人為的に消すなんてことはさすがに難しいと思うな
幕府側の史料はともかく諸大名のところのヤツを抹消するのはいくらなんでも無理だよ
元々少なかったのが火事やら保存方法の問題で消えて
さらに少なくなっただけだろう
つーか大河の便乗研究でちょくちょく出てきたし
大河決まる前は経歴と俗説以外はほぼ何もない状態だった 26です。レスありがとうございました。
笑われるかもしんないけど、春日局あたりの人為的操作かな?なんて考えたこともあって(笑)あり得ないか。
家光って両親をどう見ていたかな?彼の心情を知りたい。うちは妹ばかりちやほやされてきたからさ。自分語りゴメン 明暦の大火辺りで焼けちゃったのかなあ と
あと春日局のは、後年一族の人が書いたのがソースなんじゃないかな
彦左さんの三河物語のように、大抵そういうのは脚色が物凄い
他の史料では、ああいうのはほとんど嘘だよって言われてるくらい
家光は母親はそう嫌ってはいないと思うけどな もちろんお江も
父親はどうだろう 秀忠が晩年寝こんでいる時、ちょくちょく見舞いに行ってたというし
秀忠が隠居所を小田原にしようかと思っていたら「そんな遠い所へは…」みたいに渋ったから
結局隠居所は江戸城西の丸になったらしいね
(その頃はお江が病に伏せがちだったので、遠出は出来なかったというのもあるけど) その秀忠が小田原やら駿府で隠居しようかなあ〜という話、何の本に書いてあったんだっけ
忘れた ttp://www.narinari.com/Nd/20110715942.html
秀忠が武将枠で入ってた >>29
どうでしょうかね
秀忠夫妻の偏愛ぶりがどの程度かによるでしょうが
東照大権現祝詞の記述に従うと
悲惨な親子関係になる
「両親が家光を憎んでいる。適齢期になっても世子決定の様子がない〜続く」みたいなことが書かれている
この文章の通りの親子関係なら家光は通説通りの両親嫌いだと思うが
ただこの文章は誰が書いたか不明の文章、で
さらに家光室や秀忠側近の悪口まで書いてあるという
不思議?な文章ですので信用できるかどうかは意見が割れる
家光と秀忠夫妻の関係については個人的には色々考えていたんだが
昨年末に発売された本に結構新しい情報が載りすぎていて考えがまとまらない >昨年末に発売された本に結構新しい情報が載りすぎていて考えがまとまらない
どんな本なのか詳しく >>37
「江の生涯」と「誰も知らなかった江」
作者の想像部分は飛躍した部分もあるが情報収集にはいい二冊だよ >>38
ああその二冊は自分も読んだ
江の生涯は半分以上はちょっと無理があったけど、それ以外は割とよかったよね
誰も知らなかった江は良かったけど、ちょっと家康を綺麗に書きすぎじゃね? と思った
山岡荘八の徳川家康思い出したよ 乱紋読んでて、関が原後の戦後処理を秀忠がしてたとあったけどそうだっけ?
終了後の秀忠ってそんな仕事任されるような立ち位置だったっけか 慶長六年正月からの秀忠の動き
(この直前にあの有名な後継ぎ決定イベントが記載)
六年正月 御父子とも大坂の西城にましまし。大小の政事を沙汰し給ふ。
三月三 日豐臣中納言秀頼大坂城の西城に。 御父子を迎へ奉り。申樂を設け饗し奉らる。かへらせ給ひて後秀頼西城二丸にまかりて。 御父子の御來臨を謝せら る。
廿四日 公には大坂二丸を出て伏見に移り給ふ。廿七日 公ならびに秀頼。ともに大納言にのぼり給ふ。(一 に廿八日につくる。)
廿九日 公御參 ありて拜賀し給ふ。御同母弟下野守忠吉朝臣も。この日從四位下侍從に叙任したまふ。
九月晦日公第二 君。(珠君。)を加賀中納言利長の弟猿千代利 常。(後中納言。)に嫁し給ふ。此月 公伏見を出て江 の城にかへらせ給ふ。(台徳院御実紀)
後継ぎに無事決定した秀忠は
戦が終わった後も上方に一年近く滞在して親父と政務をこなしたようですね ありがとう やはり戦後処理が一番忙しいんだなあ
九月晦日ってことはほぼ10月上旬にようやく江戸に帰れたのか
だから勝姫から初姫生まれるまで年の開きがあるんだな
それ以外はほぼ毎年、お江さん子供産んでるし(ただ史料によってまちまちだけど) そういえば秀忠の異母姉の督姫も高齢出産の子沢山
だった気がするんだが
福田氏が督姫のことをどう思っているのか気になって仕方ない 二女の珠姫だって子沢山なのにね そういや完子も7人産んでるんだっけ
督姫は前夫の北条氏直と仲よかったらしいけど
池田輝政も懐深い逸話多い人だから、やっぱ仲良くやっていけたのかな 名将言行録の中で秀忠編が載ってるのが、どれなのか分からない
誰か教えて下さい >>35
「東照大権現祝詞」ってどの程度信用できる史料なのかな。
幕閣(秀忠の乳母子にして老中、松平信綱の舅にもあたる)の横死を「天罰だ、ざまあ」みたいな
論調で触れたり、家光室への中傷じみた文言や、さらには秀忠夫妻が家光をないがしろにした挙句
家康の怒りを買ったみたいな文章を公然と書き残したりできるものなんだろうか。
しかもそれを東照宮で言ってるって意味分かんない
仮にも幕府にいる人の言葉とは思えんし、何のために残っているのかも理解不能だ 筑後局?
かな文字でも男性でいいなら筑後守?
筑後に住んでいる人?
よくわからん 秀忠の息子忠長の乳母をつとめた朝倉局は朝倉筑後守宣正の妻なので、
「ちくご女」と呼ばれていた可能性は高いな。 >>52
今調べたら井上正就さんの弟も筑後守なんだな
朝倉さんか井上さんの関係者と考えるのが自然か 息子の乳母か、乳兄弟の弟の正室? か
高価な巻物20巻分て、かなりの金額だよね
そんな金額動かせるとしたらどっちだろうか
金まわりが良く、秀忠と親しくてもおかしくない身分だけど
あまり知名度は高くない女性・・・・・・・・朝倉局かなやっぱり
駿府博物館の学芸員はちくごが誰かについて検討つけているのかね?
『駿河城御前試合』はなかなかの外道っぷりだったけど
隆慶先生の秀忠と比べるとどうだろうか 秀忠の方が上かな 千姫の小説を立ち読みしたら
江が千に
「お父上は意外と執念深いお方なのです」
とか言ってた >>57
どの千姫の小説だろうか 教えて下さい
あと秀忠の執念深さは別に意外では…と素で思ってしまったw >>58
植松三十里という方の最近出た本
秀忠ファンが読んで楽しいかは微妙だけど
執念深い・・・ 晩年の話か >>59
ありがとう ちょっと読んでみようかな
秀忠のは執念深いというか、徳川の治世を脅かすものは誰であろうと断固許さん
みたいな強固な姿勢があるから、執念深いとはまた違うか >>49
のこの手紙見てると、凄く優しい文字で書いてるなあと感心する
なんでも鑑定団に出てた、7歳の頃の習字の文字は、凄く力強く書いてる印象あったから
年齢の違いにもよるけど、相手に対して筆使いも変えるって、昔の人気配り上手だよね 仕事に対する姿勢と、すっぴんの秀忠はイメージが違う。
親しい人にはかなり情のある男に見える。仕事面では容赦ない感じ。家康と違う自分を良く知って、幕府の体制を整えるためにあえて厳しかった。
子供の頃のお習字、のびのびした気持ちの良い手蹟だと思った。数え七歳なら今の5〜6歳くらいか。
残っている手紙なんかも全体的に雰囲気が柔らかく優しい。
前に徳川美術館で秀忠のいろいろを見たが、なんとなく巷のイメージと違って違和感があった。本当に凡庸な人には思えなかった。
自分が書道で生きてるからかもしれないが、文字で人を見てしまう。
誰か秀忠のイメージを払拭する小説を書いてくれないかな。 秀忠主役じゃないけど、志木沢郁の「結城秀康」に出てくる秀忠は、実に自分の理想とする秀忠だった
同作者の「真田信之」「立花宗茂」の秀忠もブレることなく、この人の描くいつもの秀忠像で実に良かったな
この人はあまり通説にとらわれずに、作者独自の人間像で書くので結構好きな作家さんなんだけど
お江さんが通説通りの、家光を毛嫌いしてたり、気が強かったとした設定なのでがっかりしたな
通説を持ちいらないこの作者さんなら、と期待していたんだけど、それ故落胆が激しかった
いや、歴史研究者の考察本じゃないんだから、小説の中くらい好きに書かせてやれと言われればそれまでなんだけど
いつかこの人の書く秀忠主人公の本を読んでみたいなあ、と思っていただけに、期待が大きすぎたかな 小説やドラマでの描写など
最近はどうでもよくなってきた
どう描かれようとその人本人が変わるわけじゃない そうだね
興味を持った人が史実まで追えばいいんだ
創作物はイメージ拡散ツールとして強力だから
描かれようが気になるのも分かるが みんな大人だなあ 自分のそれくらいの域にいられればいいんだけど
大河ドラマや小説だけ読んで、それが史実と信じている人もいるから
その人に「それはあくまでフィクションでね…」と言っても、信じてもらえず
自分の好きな歴史上の人物が、いつもいつも罵倒されているのが悔しくてねえ
ちゃんと調べれば、暗愚でもなんでもない、立派な人だとすぐ分かるのに
どうしてそれを信じず、いつまでも創作者の情報だけで語ろうとするのかなーと
酷いのだと、ちゃんと史実的な偉業も、○○オタの妄想とか言われてしまうのがオチだし ところで
ttp://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_taidan_201103.html
小和田氏によると
「秀忠は多くの史料から、大人しく頼りない感じを受けますが」
「竹千代が冷遇されているので、家康が自分で引き取り
養子にしようと考えていたらしい、という資料」だそうだが
具体的にどんな史料なんだ? >>66
「見る必要はなくて不快な気分になることが予想できるもの」(人物描写がアレなドラマや小説や個人ブログやツイッターなどの俗説だらけの歴史妄想話) を目に入れないようにしたらどう?
なんかそういうのでイライラするのは時間の無駄
小説やドラマは所詮娯楽なんだから好きな人物が良く描かれているものだけ見れば良い
ブログやツイッタは知識不足で適当なこと言ってる人がほとんどだから信頼できる所以外は見ない
史料と研究本と創作物は自分が気に入ったものだけ
周りにあるのはこれだけでいいじゃん
>>67
家光に関しては東照大権現祝詞だろ
君をするがへよび御申候て、ごんげんさまの御こにあそはされ、三代せうぐんにこれあるへきと上意御さ候間、やうやくするかへ御のほり候ハんかと下々もよびし申うちに、ごんけんさませんげあり
という一文がある
秀忠の性格に関しては知らない
というかよくわからない >>68
そうだね そういうのはスルーしとけばいいね
史料にもとづいて、ちゃんと考察しているサイトもあるし、そういうのを見て満足しとけばいいか 古本屋で買った、永井路子さんの本読んでたら
千姫をすっげえ痛烈に批判しててびっくりした
そこまで言わんでも…とちょっと引いた >>71
建礼門院とかもだけど、主体性が乏しい(と見た)女性に対しては結構辛らつだな。 >>72
それにしても、これ書いてる時、何か嫌なことあったの?
と聞きたくなるような辛辣さでうわぁ…ってなっちゃった
何でここまで言う必要が? と疑問に思っちゃったよ 小説家は多かれ少なかれ思い込みが激しいから当てにならない
かといって、学者も>>67みたいなのとか居るし >>67を読んでびっくりしたのが
春日局が息子を忠長にも預けているのを、小説で知ったっていうのがあって唖然としたわ
小和田さんは江の考察本も書いているのに、江周辺のことあまり知らないかあまり興味ないのかな
小説じゃなく、考察本にすら、俗説を上げてそれにそって解釈してるし
考察本なら史料優先で解釈してくれよと どういうわけか、研究者間でも忠長周辺の話って案外知られてないみたいだな。
人物叢書『徳川家光』でも「忠長には乳母はつけられていない」と書かれていた。 自分が江周辺のことで参考にしているサイトがあるんだが
最近の研究者の人すら、忠長の乳母の名前や存在すら知らない人が多いと言っていたな
何でこうまで興味持たれないんだろうか 真面目に研究する人いないのかな 興味がない上、まともに研究もしていないのに何故本を書く
興味がないなら放置でいいよ
変な本描かれるよりはいい 長男の長丸、この大河でじっくり秀忠江周辺調べるまで、実は自分知らなかった・・・・
過去の大河とか、有名な戦国ドラマで、長丸出てたのあったっけ?
隆慶一郎氏なんかは、江が長丸殺したなんて描いてるようだが
長丸ってなんか忘れられてるような・・・・ >長男の長丸、この大河でじっくり秀忠江周辺調べるまで、実は自分知らなかった・・・・
お江の子だったり、いなかったことにされたり
徳川さんちの子として扱われた形跡があるのに隠し子ポジションにされたり
証拠もないのに秀忠や江に冷遇されたなどと描かれたりするのが
長丸くんだから
それだけ描かれ方が違ったら存在は定着しにくいと思う
しかし長丸が隠し子ってのが一番意味わからんわ
九ヶ月で死んだ隠し子の墓を増上寺に造るかよ、といいたい
隠し子が早世したら存在自体無かったことにされるだろ >>79
葵徳川三代に出てるよ 江以外の女性の子として
長丸って名前つけた辺り、もし江が嫡男産めなかったとしてのキープだろうな
でもそのキープが早々に死んじゃったから、なかったこと扱いな気がする
しかし亡くなり方も八ヶ月後だったり、二年後だったりと相変わらず曖昧な記録しかないしなあ 葵徳川三代にはちゃんと出てたんだ、自分あんましっかりみてなかった・・・
長丸ってお灸で死んだってあるけど、お灸で死ぬもんなんだな
それにしても幼児にお灸なんてするのか?お灸を全身において、大火傷負ったのか?
こんな死に方だと、罰せられた人いて、そういう文献とか残っててもいいと思うんだけど
なんか長丸に関して、母親がどんな人とかも、あんま残ってないみたいだね
母親は側室になってもないな まあ、お静さんすら側室になっていないから、初めから側室持つつもりないけど
合戦あるし、いつ帰れるか分からんし、なるべく子供作っとかなきゃ…と思ったのかな
それにしては一人ってのは少ないと思うが >>83
まあ秀忠の母親が何者かに殺害されたとか書かれた史料もあったりするくらいだから
死因についてはよくわからんなあ なんで西郷局が殺されなきゃならんのだ…
その場合誰か得する人いたっけ? >>86
ソースが柳営婦女伝系だからな・・・あまり信用できな・・・
ただ家忠日記にも喧嘩にまきこまれて〜とか書かれているのがすごい気になるんだよね
>>77
忠長の乳母が知られてないのなら
家光の部下に浅井&淀の関係者がいることはもっと知られてないのだろうな 「柳営婦女伝系」て秀勝が死んだ後、江は九条道房に嫁いで二女設けたとか書いてるアレな本だよね
道房って江の孫だし、まだ生まれてもいないしと突っ込みどころ多いよね
でも家忠日記のは気になるな 家忠さんのなら結構信憑性が高い印象あるし 柳営婦女伝系→江は四回結婚したと書く 西郷局の死因の謎
以貴小伝→市は信長の従姉妹と書いてある
家康の四女の母親がお勝になっている
幕府祚胤伝→長丸の灸死亡話を記載
女性の略歴を載せた代表的史料の気になる部分
>>89
江戸時代のちゃんとした史料すら、年代バラバラだったりとアテにならないからなあ…
なんかそこまで行くと、二次創作な臭いもするわ >>90
出典を調べてみるのは大事だよな
ところで「日本歴史」という雑誌の正之家光忠長、三兄弟についての記事読んだ人っている? 春日局はともかく
大姥局と江との間に対立があったとかいう人って小説やドラマの見すぎだよな
>>92
そんな説いま初めて聞いた
そういう人って、嫁姑戦争とかのゴシップが大好きなんだろうな 秀忠は豊臣家が滅んだ後に秀の字を捨てて改名しようとは思わなかったのかな
一年後に、お江さん施主で養源院で大阪の陣戦没者の供養も許しているし
豊臣家に対して、家康もどう思っていたのか読めないけど、秀忠も読めない 月が描かれた扇子を持った秀忠が描かれた浮世絵?があるけど
あの絵の秀忠ってちょっとかっこいいな 秀忠 浮世絵 で検索してみたら
ttp://metro2.tokyo.opac.jp/tml/tpic/imagedata/toritsu/ukiyoe/2/2407-001-02.jpg
こんなのが出てきたんだけど、これどんなシチュなんだろう >>96
築土神社のサイトで見れるぞ
画像やURL貼りに自信がないので許せ >>99
見れた ありがとう 確かにあれ格好いいよね
これ鎧着てるから、合戦の時を描いたのかな 上田合戦と大阪の陣どっちだろう >>98
例の家康が送った女中を、一切手を付けずに送り返したって話の絵だろ 寝ようと思っていたけど、客が来たので
正装に着替えて持て成して帰したんだったね 今年の大河批判するのは自由だが
批判の中にサラッと根拠のない妄想を混ぜこんで史実の人物を悪くいう人は
大河スタッフと同じで歴史上の人物に敬意がないな
そういう人が多くて呆れる >>106
自分もそう思う
アンチスレでドラマ批判している中に、己の無知を棚に上げて
マンガやドラマなどの俗説だけの知識を取り上げて、史実の人間すら馬鹿しているコメント書く人は
しょせんあの大河の脚本家と似たり寄ったりな人だよなあ
そういうの見るの嫌だから、あそこも見なくなったわ アンチスレは見てないから分からないけど、今の所
あの大河見てたら、特に江とかはあんな下品な姫にされ
当時の感覚を持ち合わせず
豊臣に保護されてるのに反抗的な我侭娘にされ
大河ひどい、史実の人に同情っていう流れになりそうだと思ったんだが
史実の人まで馬鹿にする人がいるのか・・・・
大河で、良い風に描写されてるの、茶々位じゃね? そうかなぁ 茶々も性格とか本当の所は分かってないのに
一人のわがままの為に、豊臣滅ぼした悪女ってレッテル貼られてるように見えるが
今期の大河に便乗しての悪口は、江とか茶々とか秀忠のも見えたね
まあ大抵は、今までの通説を更に歪曲したような言い方だったけど 江って浪費家だったんだよね
秀忠を冷静な男に描くということは関ヶ原遅参はわざとということになるのか?
この二つにはマジ呆れた
浪費家と言われるのは、娘の和子じゃないか?
でもその浪費だって、経済活動に文化を発展させたのを思えば
一概に責められるものじゃないと思うけど
まぁそれにしても、あんなファンタジーでコメディなのを大河ドラマって枠でやるから
便乗叩きも増えるんだろうし、残りをしっかりしたのを作って欲しいわ・・・・
この先、江は嫉妬深く、秀忠は恐妻家って風にならなきゃ
えー違うだろ!!って叩くのかな・・・・ 本来そっちの方が間違っている(というか信憑性にかける)のに
なんで頑なに大奥のような設定を持ちだす人がいるんかなあ
別に大奥を批難するつもりはないけど、その設定みたいのなら大奥みればええやんと思うが
江主人公ならせめて、従来とは違った見せ方してほしかったのに、本当にがっかりだ 秀忠江夫婦は、仲が良いという風には解釈されないよね
秀忠は側室は持たなかったわけだけど、江を愛したわけじゃなく
ただ江を恐れて側室を持たなかっただけの恐妻家って大体されるし
ここらの時代を著わすのに、単に仲が良いでは面白くないからか
春日局にしたってバトルがあった事にする方が受けるからかな そんなに仲悪かったら、家光生まれた時点でもう床は共にしないと思うんだけどな
家光生まれた時点で、お江さんもう30過ぎだし
それでもその後に忠長・和子と産んでる辺り、普通に夫婦生活は良好だったと見えるけど
そもそも、秀忠の数々の逸話見る限り、この人絶対女性の尻に惹かれるような性格してないと思うわ 夫婦仲の良し悪しのイメージなんて小説やドラマでの書かれ方が広まってしまっただけの話だからなあ
それにしても江が死んだ後も秀忠が妻を恐れ続けていたなんて解釈するのはいくらなんでも・・・・・・・
>>114
大奥は和子が登場しない、大坂方スルー、お振の方が登場しないという
歴史モノとは言い難い代物だから
まあ大奥が史実云々いう人が現れるたらそれを指摘すればいいよ
男女のドロドロドラマとしては面白いけど歴史モノとしてはみていない 大大名や将軍が「恐妻家」なんてセコい立場に身をやつす理由が分からんな
そんなに嫁が嫌なら、秀吉死後誰憚ることなく城の一角にでも隔離すればいい話
よしんば秀忠がヘタレだったとしても、家康や家臣がそうするだろう
「恐妻家」って、まるで江戸時代の下級武士以下か
現代の一戸建てor4LDK住まいのサラリーマンみたいな感覚だ >>117
実際秀忠を「恐妻家」と呼ぶ輩が現れたのは明治時代のようだしな
というか大大名の子息として生まれ育った秀忠が
一応格上から嫁いできた妻とはいえ「女を恐れ」たりするのかね
女にヘコヘコするなんて有り得る話なんだろうか
「気を遣う」とかならわかるけど あの家康の世継として育てられた秀忠が、女に及び腰な訳ないわな
秀忠の行動の解釈が、なんか一々悪くみせるように解釈してるのがなあ…と
お江さんが忠長を自分の母乳で育てたってのも、いかにも近代的な解釈だと思う
あの時代は、自分の子にはより良い乳母をつけるのが、最高の愛情だろうに
歴史研究家の人だってそれ知ってるはずなのに、何故かお江さんの考察本には
忠長の乳母のことには一つも触れずに、自分で育てたみたいに書くのが解せない 江さんが、6つも年上で、秀忠と婚儀あげるまで、二度の結婚歴あり、子供1人ありって身なのが
特に近代入って処女性重んじられてきたし、そんな女に惚れこむなんて有り得ねー
江を恐れていたからに違いない、ってもなったのかな???
でも特に歴史研究家なら、秀忠が権力失った豊臣の養女にいつまでも遠慮してた
ヘコヘコしてた、って解釈するのが変だとは思わないのかって思うんだけど 豊臣との関係の変化に着目してないことが多いかな
あとお江の火葬の件もどうにかならないのか
お江さんの火葬は、毒殺されたのを隠すためとか
それこそミステリーの読みすぎと失笑したもんだ
お江さんはゆっくりゆっくり、体調崩していって、寝込んだ上での崩御だし
当時の火葬がどれほど手間暇と金かかるか知らないんかな
この火葬の様子が詳しく書かれているのを読んでも、豪華な火葬だなと分かるのに 恐妻家だというのが正しいとして、側室持ちたかったのに我慢してたとかなら
江が死んだ後、側室置いたりして、せっせと女に入れ込んでるでるだろうに それどころか側室もおかずに、晩年は(江が眠る)増上寺に埋葬しろと指示して
享年が江と同じ54歳だなんて これだけでロマンを感じる
この夫婦は、今までの通説などなければ
普通に仲の良い夫婦だったと言われてもおかしくない要素が沢山あるのに
本当に勿体無いなあと思う 誰のせいだよ まあみなさん落ち着けよ
長丸くんが慶長五年十二月生まれなら秀忠が不在で江だけがいる江戸城で生まれたことになるよな
秀忠は九ヶ月から八ヶ月前に江戸にいたとすると生母が江戸で出産したのは間違いないし
慶長六年説もあるからややこしいが 長丸といい保科正之といい
どうも孕ませたタイミングが、どちらも嫡子に恵まれないから仕方なくって感じにも見えるんだけど
長丸の時は、関ヶ原の戦い中だし、死んでしまうかもしれないから、今の内に子供作っておかないと
として適当に家女選んだとか(それにしても一人は少ないけど)
正之も、家光生まれる前から関係あったみたいだが、家光生まれてからはそういう関係は切ったんじゃなかろうか
正之が生まれたと知った時、入浴中でめっちゃ驚いてたみたいだから
お静さんが妊娠してたことすら知らなかったんじゃないの?
その後の冷遇っぷり見ても、大切にしてたとは思えんし、結局会うこともなかったしな >>128
すまん「家光が生まれる前から関係があった」というのが初耳なんだが
保科正之についての情報も史料によってバラバラだから
断定できんことばかりだよ
静の父親の身分
柳営婦女伝系→ 大工
幕府祚胤伝→ 農人
幕府や会津系→元北条家の家臣 とか
妊娠の経緯
柳営 以貴小伝→はからず(予想外の)も懐妊
会津系→二度も妊娠させるくらい何度も会ってた
生まれた場所も父の実家と足立郡と二通りあったはずだし
見性院の話題は出るけど信松院が出てこないとか、なぜか信松院の話題しか出ないとか
言ってることが違いすぎて混乱する
それだけ不明な事が多いってことじゃないかな
側室ならともかく、一女中の記録がそうそう残るとは思えないし
(長丸生母ですらあの有様だし)
第一、身籠った時点では男子が産まれるとも
その子が立派な人物になるとも知る由がないわけで
>>128の「〜みたい」で語られる情報は初めて聞いた 会津の方は、偉大な正之がそんな予想外の妊娠で生まれたんじゃない
生母も可哀相な人って悲劇性を出して同情誘おうと
二度も妊娠、一度目は流産させられたとか
喧伝したんじゃないか、っていう可能性あると思うんだけどな
まぁ分からないけど 秀忠や家光だって幼少期の話が細かく残ってるわけじゃないからな
まあおいらなんかヤラせてくれるなら誰とでもやっちゃうけどな >>122
やっぱりあまり間をおかずに出産を繰り返してたから、体調も崩れていったのかも。
もしかしたら和子の後あたりから体調崩していったのかな〜?
この二人ならあと2人くらいはいてもおかしくなさそうだからw
ごめん、ここ秀忠スレだったw
>>124
不覚にも涙でた
『東福門院和子の涙』の和子出産の時は難産描写だったけど
実際はどうだったんだろう 家光生まれた時は安産だったと書いてあったような >>134
最近はもう、秀忠・江スレになっているから気にならないw >136
徳川実紀に書いてある
台徳院殿御実紀 巻六
>醫官今大路延壽院道三こたびの御産。ことさら御なやみつよくわたらせ給ひしを。
>よく治療し奉りたりとて劔製の短刀を給ふ。 葵徳川三代で西田秀忠が頭巾かぶってお忍びで隠し女のところに通ってたよね >>136
家光は平産だったんだろ
ソースは当代記どっちか >>138
おお、徳川実紀には書いてあったんだ
じゃあ和子産んだ後子供作らなかったのは、これ以上の出産は危険だと判断したからかな
確かに歳が歳だしね >>135-138
ありがとう ノシ
無知な自分にorz >>142
いや 和子出産が難産だったことなんて
そんな知られてないからorzと思うことないよ 江の考察本にもあまり載ってないよね なんで省いてるのか訳分からんけど そだな
自分も難産の件を初めて知ったのは
茶々オタの人のブログだし >>140
家光出産のときには姉淀殿の手紙にも
「江戸にても若君をやすやすと安産されたとのこと」という一説があったね
江は産に命を懸ける時代に子供8人産んでも54歳まで生きることができたから
世間一般から見れば安産体質だったと思うけどね 「わもじするする」
という手紙のことか
というか「江が十月終わりに江戸に戻ったことを知ってる茶々が
翌年七月に家光が生まれたことを喜んでいる」
んだから家光は江の子供で間違いないだろうと思うんだけどね
江以外の子供だったら喜ばないだろうし
当時の感覚でも妊娠期間におかしなところはなかったということだろう
あと「えとにもわもじ」のえとは「江戸」じゃなくて「江与(江戸、えと)」で江のことをなのかも
と誰かが行ってた >>147
>江の名前について
江(督とも書く)の名前については自分で「五」と自著したものが残っていて
名前の読みは「五(ご・ごう)」で間違いないとされている。
江戸に行ってからの江がしばしば「江与の方」と書かれるので「江与(えよ・えと)」という名に改名した、
といわれてたが、むしろ、城名を冠して江戸の方で呼ばれていたという説が有力。
市が「小谷の方」茶々が「淀の方」と呼ばれたように江は「江戸の方」と呼ばれた。
「おえとのかた」という読み方が出てくるのは雁金屋の注文書だっけ
遠方の人が江戸の御台所をさして「お江戸の方」と呼んだんだろうな
同時代の史料で使われた様子がない「おえよ」よりは信憑性あると思う ふんま そういえば城名で呼ばれることが非常に多い気がする
お江戸さまがお江与さまになったというのは非常にふに落ちるじゃないか! 大体はそこに住んでいる場所や地名から名付けられるものね
北の方は一般的な奥方の呼び名だし
江戸城に住んでいるから、江与の方(えどのかた)と呼ばれても全くおかしくない
完子の旦那の九条忠栄の日記にも「江戸御台さま」からご歳暮が と書かれているようだし
おえよのかた なんて呼び名、最近なんじゃないの? 例の長丸灸史料
幕府祚胤伝に「御江与の方」、徳川幕府家譜に「於江与君」とあるので
これを近代の人が
えよ と読んで広まったのでは
わりと新しい史料だよね まあ 確かに予と書いて、と、とか、ど とは近代の人では馴染みないかもね
しかもあの頃は当て字多すぎるから 家光が秀忠を嫌っていたとか、そんな話目にするけど
嫌っていたような逸話ってあったっけ?
伊達政宗が死んだ時、家光は父親が死んだ以上に悲しんだという話はあるけど
別にだからと言って、それで父親嫌ってたと結論づけるのはおかしいし よく言われるのは
家光が持ってたお守りだかなんだかの「二世しょうくん」だっけ
この二世しょうくん=家光自身という解釈は正しいのか? >>155
家光の場合、ことあるごとに夢に出てきた家康を描かせたりとか、
そういう病的なまでに家康に入れ込んでいるエピソードが多い分、父母との
関係がどうにも陰に隠れがちな印象を受ける。
二世しょうくんの「二世」てのは生まれ変わり、再来の意味(夫婦の契りは二世の縁、の
二世に近いニュアンス)だという話だけど、たしか三世云々と書かれたものもあるとか。
つまり、生まれ変わってもまた家康お祖父様の孫として生まれますよーに
って意味でもあるのかな 本当に尊敬していたんだなあ
質素倹約を旨とする家康の孫が、日光東照宮なんてもの作るってのもなんだかなあと思っていたけど
それは置いといて、一つの建造物としてみればあれは素晴らしいものだよね 普通は3代目ぐらいで身上つぶすもんだから
3代目がそういう回帰志向であったというのは育てかたも相当に
素晴らしかったんだろなとは思う。
「生まれながらの将軍」を勘違いしてたら今の日本は・・ >>157
秀忠スレ住人としては秀忠が造った地味な日光東照宮も見てみたかったが
家光が建て直したんだもんね 家光がアホだったら100年くらいで江戸幕府が潰れて、また戦国時代になったんかなー すでに武器は取り上げられていたから米みたいな連邦制とか
そんな風にかえって土着化してそこを外国に狙われて
日本消滅・・ >>159
ああ、それも見てみたい 何か絵とか図面とか残ってないのかな
子も孫も初代を崇拝していたからこそ、江戸幕府は完成したんだろうなあ
家康の話になると、どちらも聞く前に身なりを正したというから
そういう所は、やはり親子だなあと思う >159
>162
太田の世良田東照宮が、家光改築前の日光にあった東照宮を移築したものらしいよ。 >>163
そうなんだ いつか行ってみたいな
あとそこのHPみたけど、フラッシュとか力入れてるねw なにこのでっかいせともの……すげぇ
でも瀬戸とか接点あったっけ? 秀忠の足の短さがリアルだなw
もうちょっと筋肉質な感じなら良かった
顔は坊ちゃんぽくて良い 藤堂高虎さんて、秀忠に絶大な信頼寄せられていたようだが
浅井繋がりで江とも親しくしてたんだろうか 今wikiでおよつ御寮人事件読んでて、和子の入内をすすめてた秀忠と江が、
およつが親王を生んだと知って激怒って書いてあってなんかワロタw
100%政治的圧力だってのはわかってるんだけど、
「うちの娘が嫁に行くって言ってるのに後水尾凸!
和子、お父さんは怒ったぞ〜!」
なんて想像してしまったw
疲れてるのかな、自分w うーんどうかね
「入内前」にやっちゃった
ということを問題にすれば家康でも言えるんじゃね
風紀の乱れを指摘することと
武家が朝廷との婚姻をいちゃもんつけて白紙にするという前代未聞のことをやることで幕府の力を思いしらせるのが目的だよね 月宮の人はそこら辺うまいこと書いてたなあ
秀忠が側室持たない理由も、全ては徳川の娘を入内させた上に
幕府の脅威を朝廷に思い知らせることにあったんだよ!
みたいな内容だったような 月宮の人が和子が生んだ若君を梅宮が殺害したような描かれ方がしてあって
背筋が寒くなった覚えが
杉本の作品は冷徹すぎるw
月宮の人は最初から最後まで、氷のような寒々としたものを感じて怖いよね
もう物語の中の空気が常にひんやり澱んでるというか 春日局がギャグ担当みたいな感じだったな
雑炊争奪戦みたいなことやってなかったか?
春日局が清涼剤になる作品なんて珍しいw だって周りの人間が異常すぎるから、春日局が逆に普通に見えてくるし…
お面してどっかに乗り込んだ家康さんもゾッとしたなあ
ギャグとして読み返してみたら、案外面白いかもしれん 杉本の描く秀忠夫妻は美男美女夫婦なんだよな
秀忠が鋼の彫像
江が氷の彫像と表現されてた気がする
おまけに性格も二人とも冷たいので
親しみやすさゼロな夫婦
最後のほうで秀忠の性格についてはフォローが入ったけどね 読んだことないんだけど、どれくらいの外道っぷりかは興味ある あまりにもお約束な小物悪役なんで自分もあれはあれで結構好きだw
漫画を読むと顔面技に笑えるし(これは義理姉の淀君もだが) 秀忠ってエピソード聞いてるとどっか冷たい印象を受けるな。
側室をもたなかったというけど、正室と特別仲が良かったという話もないし、
長丸母とも続かなかったみたいだし、静や正之に対する扱いも酷いし。
単に父親に従順、規則として家庭を守るだけで、実のところ女なんて誰でもいい、
愛し方も知らない情の薄い人なんでは?
だから三度目の年上妻でもOKなのかも。
知恵伊豆との逸話で、仲の良い夫婦話があるじゃん
将軍になったばかりの頃、浅井家の菩提寺に寄贈したり
お江さんが病気になったと聞いて、仕事中なのに帰ってきたり
お江さんが亡くなった後は、壮大な火葬してあげたり
遺言で(お江さんが眠ってる)増上寺に埋葬しろと言ったり
普通に仲良かったと思うんだけどな
秀忠は私生活をあまり表に出さない人だったんじゃないの?
それかそういう逸話が残されなかった可能性もある >>182
息子や妻妾とのエピはともかく
娘や家臣たちとのエピは人間らしいものもあると思うけど
みんな大好き(笑)大奥ドラマとかの関係で取り上げられるのは前者が多いのでそう感じるのかも
所詮、逸話だから
ほとんど信じてないけど
あと夫婦仲なんてどこの夫婦も実際はわからんと思うぞ
解釈とイメージ次第でなんとでもなる
子沢山や側室がいないのを仲の良い証拠ととらえられている夫婦もいれば
妻が嫉妬深い証拠だとか旦那が尻に敷かれていてとかとらえられる夫婦もいてぶっちゃけ不公平
家譜などに載ってる正室との仲良し逸話とかも憲章のための創作かもしれんし 自分は仲良しさんだったとは思うけどね
もう少しでお江さんの命日ですな、確か。
秀忠は冷たいばかりだとは思えないんだよね、初姫亡くなった時の激怒ぶりとか
大奥法度も結局、家族と一緒にいたかったからかな〜とか勝手に思ったりしてる
>185
子沢山や側室がいないのに悪く言われるのって
秀忠と江夫妻以外に居るか?
どちらか片方なら思い浮かばんでもないが
「子沢山」かつ「側室がいない」となると…
(てか、両方の条件満たしてる夫婦自体そう居ないかw) >>188
側室がいないは側室が少ない、とかでもいいや
子沢山 側室不在
ネタになりやすい戦国末期から江戸初期の人物
本人たちは自己主張が弱いので周囲の証言しか情報がない
この四つが奇跡的に揃ってしまったからこそ今の秀忠夫妻のイメージがあると思う
どれか一つが欠けていれば無かったかも >189
プラス庶子問題ね
秀忠夫妻が悪く言われる理由じゃなくて
秀忠夫妻以外に
「子沢山」かつ「側室がいない(少ない)」のに
仲悪いと言われる夫婦を知りたかったんだが… 子沢山の正室がでんとしている中に側室を作るのは案外難しかったかも。
男子を産むまではそれなりの名目があったと思うが。
実際はお江さんが秀忠をうまく操縦してたんじゃないか。
秀忠自身も女同士のいざこざが面倒だったからもういいやとか。
でも妻があれだけ出産繰り返してたら、いくらなんでも夜伽女とかはいたんじゃないの?
それにしちゃ庶子が少ないけどね。
最初のうちは多少お江さんがリードしたかな。
子沢山で側室なしで悪く言われる…思いつかないなぁ
周囲が派手すぎるよな、信長・お市・長政・秀吉・家康・淀・千姫・家光・忠長
それぞれにドラマチックだ、良くも悪くも。
で、秀忠と江がなんだかものすごく地味に感じる。
あからさまな政略結婚とはいえ、普通に仲の良い夫婦だったかもしれないのにさ。
仮に少々気の強い歳上の奥さんであっても、そうした女性が好きという男もいるし。
何より、やはり二度の結婚の苦労は、秀忠相手に無駄にはならなかったってことだろう。 >>190
すまんそんな夫婦他にいないわ・・・自分の知識にないだけかもしれんが
>>185は子沢山と側室がいない(少ない)
二つ揃ってれば他の夫婦だと仲が良い証拠になるのに
秀忠夫妻にはそれが適用されないのは不思議ですね、という皮肉をこめた発言だったんだ
都合のいい妄想で夫婦仲を決めてるのがね >>193
他の夫婦だったら、美談になる話も
秀忠夫妻だと悪い方にしか捉えてくれないのがね…凄く不公平
そこまでベッタベタに好き合ってるんじゃなくて、普通に仲のよい夫婦だったろうと思うよ
無理して悪かったと解釈する必要なんてどこにもないし 細川忠興なんかも夫婦仲が冷え切ったと言われるようになった後にも子供作ってるしな 自分も昔は秀忠夫妻のことをアレな夫婦だと思ってた人間でさ
江が死んだ後も側室がいないことや庶子を実子として扱ってないことや豊臣滅亡後も蔑ろにした話がないのに気づいて「アレ?????」と思い始めたのは
詳しく調べ始めた一年前くらいだし
先入観ってホント怖いよ
恥ずかしい話だな 歴史マンガとかドラマで知った知識だけで
特に気にならない、興味湧いて調べようと思わなければ大抵みんなそんなもんだと思うよ
だから大河ドラマなど、創作ものってのも「史実と違います」って一筆そえてくれればなあ…
大河ドラマが全部史実通りと思ってる人も多いからな 恐ろしい話だ 人間関係やその人の性格がバッチリ史料に残ってるもんだと思いこんでいる輩もいるな
性格や人間関係なんて現代人の知り合いでもよくわからなくて苦労してるのにw
わからないことはわからないとハッキリ書いてくれよ 知恵袋とか個人ブログとかの記事って萎えるよな
久々にへこんだ 徳川忠長の考察本てみたことないんだが
あまり真剣に取り組んでる人いないよね…研究者すら俗説で説明するレベル
研究者じゃないけど、駿河城御前試合で説明する人がいたのには笑った
現存する手紙とか見てみたいんだけど、なんでこうもないんだろうなあ
何かしら再評価されるような史料が見つかれば、やってくれる人いるかな 大河の春日局が大ヒットしたことが遠因じゃないのか。 忠長を浅井家再興としてあてがうのは、さすがに出来んかったんかな
そこまで名門でもないしなあ… 浅井家って地味に旗本で残ってなかったか
江に憚って三好姓に変えた浅井家関係者もいるよなたしか 忠長の史料が極端に少ないのってやっぱり喧嘩相手が将軍だったからかな 忠長の肖像画ってないよな
信康や忠輝のはあるから忠長のもあってよさそうだけど
勝姫と初姫も見たことない
子々姫は木像があっるが >>206
浅井氏傍流の出自の三好政盛という人物がいるな。
家光の小姓を勤めた後、2千石の旗本に取り立てられている。 >>211
この人、母が江の侍女になった関係で幼い頃から大奥に出入りしていて秀忠にもたびたび会っていたようだね
親父さんが寛永三年の上洛に同行してるし
この人自身は確か和子の義理の孫が死んだ時に和子の機嫌伺いのために京都に行ったりしてる 秀忠個人の武力ってどれくらいあったんだろう
鉄砲の名手だとは聞いたけど 武力ってなんだよゲーム脳か
剣に関しては指南役として小野忠明がいたが 別にその手のゲームしたことないんだけど、武力じゃいけないのか? 久々にWikipedia見てびっくりした
長丸の母を大徳寺に過去帳に登場する「秀忠妾」中納言局だと確定してる
>>216
wikiなんてみんなが好き勝手にかけるから…
でも書きなおした方がいいんじゃね? また変な輩が現れちゃかなわん 確か太閤秀忠妾中納言局という記述だから誤伝誤字の可能性も高い
変な輩が現れるのはもう慣れました 最近の一番のお気に入り秀忠が、殿といっしょの秀忠になりつつある
何だかんだ言って、お江さんと仲良い感じが自分には一番嬉しいからでもあるんだけど
やっぱ最高だわあの漫画 出番少ないがフジ大奥の番外編スペシャルの秀忠が
いいお父さんしてるぞ
本編ではダメ親父だったのに >>220
大奥の秀忠といったらいっけいさん?
いっけいさんは、葵の本多正純のイメージが強いなあ お江さん主役と聞いて「美女いくさ」を読んだんだけど
なんかびっくりするような設定が多いな… 完子が佐治の子供とか
一番びっくりしたのが、家康と茶々とのことなんだったけど
もうお江さん主役という設定すらふっとぶくらい強烈だった この発想はなかったわ
あとお江さん主役の話って、佐治や秀勝のことは念入りに書くのに
肝心の秀忠は、父親に従順の情け無い夫で済ませるのが多いのが悲しい
今後はもうちょっと秀忠との関係も念入りに書いてくれる小説出てくれるかなあ >>221
家光と二人で狩りに行って
秀忠の矢は全く獲物に当たらない
何度も何度も挑戦してようやく当たる
そこで秀忠が良いことを言う
という思い出を家光が回想する
というシーンがあるw 222>>
「美女いくさ」読もうと思ってたけど、秀忠パートはあっさりなんですか…
自分もあまり奇想天外な筋は苦手かな。
「乱紋」もわりと評判いいみたいだけど、
お江さんと秀忠がどっちも無口で何考えてるかわかんない感じで、
ろくに話もしない関係で自分的には全然気に入らなかった。
江自身ではないけど周辺が長丸殺すとか、筋も嫌だった。
堅実で義理がたい秀忠と、才気あってしっかりものの江さん夫婦の小説が読みたいです。
単に尻に敷くとかありえないし、6歳上×2でどうやって若い将軍を操縦したのか知りたい。 >>224
美女いくさは佐治一成との関係を重視するあまりに
秀勝との娘すら一成の子にして、最後辺りまで一成のこと書いてきて
ちょっといい加減うんざりしてしまった まあ秀勝が一番哀れなんだけど
そこまでひっぱるような存在でもなくね? と 秀忠との関係も書いているんだけど
一成ほどに、心通わせるような場面もないし、悪く言えば手抜きのような書き方だった
乱紋も秀忠とは冷め切った夫婦に書いててがっかりしてしまったな
話はいいと思うけど、秀忠と江の夫婦が好きな者として残念ではある
今のところ「東福門院和子の涙」の夫婦関係が一番好きかなあ
この本なら、比較的仲のよい夫婦に書かれている
でも保科正之のことを持ってくる場面が、ちょっと納得いかないけれど 東福門院和子の涙は完子の話題が一切出ないのと
長丸の母が江になってる
だからこそ和子が保科の存在を知ってショックを受けるわけで
秀勝の扱いは確かに酷い
でも最近の研究で結婚期間が六年〜三年?くらいかもしれんという話が出てきたから
これからの作品での扱いは秀勝>一成になると思う
スレチだな・・・・・・・ >>226
長丸が江の実子になってるわ、完子の存在一切出さないわ
なんでこんな設定…? とは思ったけど、夫婦仲が良いからまあいいか…とスルーしてたが
家光との関係が、なんだか無理やり仲悪くさせたみたいで嫌だったかな
そういや問題の福田さんの、江は三人しか子供産んでない説が、嫌な風にひとり歩きしているような
あの本は、実子ではないけど、江はそれでも母親としての役割をこなしていたから
嫉妬深いとか今まで言われているような、そんな女性ではありませんよ と言いたかったのかもしれないけど
実子が三人という説だけ、皆の記憶に留まってしまって
実の子じゃないから、あんなに嫉妬深く家光も嫌っていたのか と解釈している人をよく見るようになった
はっきり言って福田さんのしたこと逆効果だよな どう責任とってくれるんだ 長丸が江の実子の件は昔はそう書かれていた本も多かったから許してやって
山岡の家康でもそうだった
福田本の件はそんなに気にしなくていいでしょ
>>228
長丸の件は、かくいう自分も知識浅い時に、江の実子と思っていたけどねw
でもそれは、自分の知識の浅さからくる間違いだと思っていたから
小説でその設定されてびっくりしたんだ
福田本は…気にしたくないけど
あの説がひとり歩きしてまた変なお江像が出来るのはやはり嫌だなあ
でも今期の大河は、長丸すら育てる気ない江でそれはそれで嫌だ…… 福田説って一笑に付されたんじゃなかったのか
どこでひとり歩きしてるのか良く分からんが
書評家気取りのブロガー(笑)とかが? 個人ブログもそうだけど
この前買った「江の生涯を歩く」に、わざわざこの説のっけてた 疑えよ
あんなとんでも設定を引用しちゃうような作者だとは思わなかったな…
しかも江の子供は三人説 だけを引用した上で、フォローも何もないから
こういう風にどんどん広がっていくのかと思うと憂鬱になった >>229
長丸と江の関係の描き方が微妙なのは今年の大河に限らず過去の名作もそうじゃん
長丸の存在を認める聞き分けの良い江だと後々のエピの処理に困るからだろう
自分は福田説が広まるどころか
「秀忠夫妻って子供多いし側室いないしよく考えると仲良いよね」、という人が増えたと思ってたんだが >>232
確かに長丸との関係は、正之よりは更に微妙だな
それでも実子として育てる展開の方が多かったような
でも今期の大河は
・長丸が生まれてショック受けるシエ
・次の子が女の子なら離縁します!→初誕生で離縁を覚悟
・でもシエと別れたくない秀忠が、女と長丸城に出して、離縁を思いとどまらせようとする
・そこまでして私のことを…と夫婦の絆が深まる
とかいう設定なんだよ…こんな理由でせっかくの嫡男をほっぽりだす秀忠とかもう諸々酷い あんたもう福田も大河も目に入れないようにしたら
その方が身のためだ
江が庶長子長丸を実子として育ててる作品なんて美女いくさ以外みたことない
江が殺すか
江が知らない間に生まれて知らない間に死ぬか
江の実子か
スルーか
詳しい説明なしか
だと思う >>231
桐野はそんなお堅い研究者じゃないし
作家っぽい人だし
お江の方に関しては
小林千草が茶々本で「従順だったので家康に可愛がられていた」と書いていたが
その根拠が示されていないという残念っぷり
どこから導きだした話なのが小林さんの話を聞きたいw
「家康に可愛がられた」とか、著者の願望くさくないか
第一、家康の「可愛がる」という感情が想像付かんw 可愛がったかどうかは知らんが
手紙などやりとり見ると、不仲ではないと思う >>239
はっきり仲が悪い証拠も良い証拠も可愛がられた証拠も可愛がられてない証拠も無いのが実情だな
歴史上の人物の関係というのは・・・・・・・・・ 秀忠が江の侍女大橋局に手をつけて家臣に下げ渡したって話は信頼できる話? >>243
幕末の史料(史料扱いしていい書物なのか?)が初出の話だろ
その頃にはすっかり広まっていただろう隠し子話に便乗した創作だよ
きっと >>243
家康の隠し子という説もあるし、まあどれもこれも
面白そうなネタだと思って書いた創作だろう 有名人に創作話は付き物
福田の本に出て来た妙徳院とやらの伝承なんて
当時の奥の約束事は守ってないわ
トンでも展開だらけだわで嘘くさい
なかなか馬鹿馬鹿しくて面白いので調べてみるといいよ
連中はなんであれほど、家光や和子は江の子供じゃないと主張したがるんだろう
江が将軍生母や天皇の外祖母と言われて、何か都合が悪いことでもあるんだろうか
まあ単に、トンデモ設定繰り出したいだけなんだろうけど やっぱそれだろうね
話変わるけど、秀忠の辞世の句ってあったっけ? >>247
連中が誰かはどうでもいいけが、あなたも相当バイアスがかかってるね うむ
気持ちはわかるが
もう少しおおらかになったほうがいい
その様子だと
万が一、家光や和子が江の子じゃないとする有力な史料や
秀忠が江の悪口を書いた手紙なんかが見つかったりしたら
精神崩壊するんじゃ
ないか
俗説やトンデモ説も可能性として頭の片隅に置いておいたほうがよいよ >秀忠が江の悪口を書いた手紙なんかが見つかったりしたら
もしそうだったら秀忠の精神構造が面白くなりそうだね
妻の悪口を書く一方で、自分の墓は妻と同じ増上寺にと遺言する男・秀忠
>>253
人間、複雑なもんだから言葉と行動にブレが出ることもあると思う
悪口と言っても冗談か本気か謙遜かで違ってくるし
江に仕えていた秀忠の側室?と伝わる
寿永法尼とやらが長丸母じゃないか
秀忠の生前に出家しているのが難点だが あでも
縁起を見ると江に仕えていた、とは書かれていても秀忠側室とか妾とかは一言も書かれてないな
「あそこの尼さんは二代将軍の御台の侍女だった」というのが誤伝して「あそこの尼さんは二代将軍の側室だった」と言われるようになっただけかもw
新編武蔵風土記稿による寿永寺の縁起
浄土宗京都知恩院末、正覚山真如律院と号す。本尊弥陀。開山暁誉位産慶安5年8月20日寂す。
開基得生院寿栄法尼は崇源院殿に仕へ奉り、後薙髪して当寺を草創し、おのれ第二世となり寛文4年7月20日寂す。
中興真如敬首は高徳の聞えありしかは、増上寺走誉大僧正其徳光を後に傳んと奏聞を経て、浄土律場とし、敬首を中興の開祖とす。寛延元年9月20日寂す。
(新編武蔵風土記稿より) 完子が秀忠夫人と書かれてしまうこともあるんだ
勘違いで書いてしまったのも多々あるだろうね 長い人生なんだからグチも出るしうまくいってるときもある。
部分をとりあげて、人物像や精神構造、を固定化してしまうのも
小林ー福田的なトンデモ説になってしまうけどね。
安っぽい研究者というのは鬼の首でもとったように
そういう細かい部分に固執して「こうだった!」みたいに
するしね。
実はそれなりの専門家でもそういう人は多いようだから
困るけど・・ 秀忠とお江も30年連れ添ってたんだから
そりゃ仲良い時と悪い時もあって当然だろうしね
最近では、普通に仲良い夫婦だと書いてる本も多いけど
そういや、嫉妬深いと書かれても、それくらい秀忠を好きだったのかも
と書いてる本には出会ったことないな
当時の背景を考慮しても、そう考えるのはやはり現代人すぎるかな? >>259
小和田はそういう系の解釈だろ
嫉妬深いのは三度目の夫を大事に思っていたからみたいな 何で「お江は嫉妬深い」が前提なんだろ
難産になるまで7人も子供産まされて
内心では頼むからちゃんとした側室持ってくれと
思っていたのかもしれないのに
まあ本心なんて知る由もないけどな >>261
やっぱりあれかな お静さんが神社に願掛けした時に
御台様の嫉妬が云々と言っていたからかな
でも江が嫉妬深かったってそんな史料ないし、何がどう嫉妬深いのかも分からないしというのが結果だからねー 静が江について書いた文はあるのに江が静について書いた文は(今のところ)ないからね
完全に一方聞いて沙汰してる?よな
あの願文って神社に400年間伝わってきたものなのか
それとも近代になってひょっこり発見されたのか
そういう説明がされてない気がするんだが
あの願文も、あれは嘘を記してはいけない願文だから
お静さんの言ってることは本当なんだろうって誰かが言っていたけど
お静さんがそう思っていたのなら、その人の真実なんじゃないの? と思ったけどな
まさに「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」という典型だもんなあ
それでお江は嫉妬深かった なんて断定されちゃ敵わん 濡れ衣だったらどうすんだ >>264
嘘を記してはいないというのは
「自分の 思 い に嘘偽りなく」ということであって
「真実をありのまま書いてある」ということではないということだろ
嘘偽りなく、と言われても自分の感情と自分が持っている情報の範囲のことしか書けないだろ
家族の性格や外での様子を嘘偽りなく書け、と言われても困るものw
なんか意味不明だな
ゴメン あの願文の内容から判断すると
お静は奥の制度を知らなかったんだね
女中ってそんなもん? 知らないはずはないと思うけど どうなんだろうなあ
この嫉妬深いという件だけど、逆にお静の方が嫉妬深いと思ったな
女は好きな男よりもそのライバルの女を敵視するもんだし
秀忠に捨てられてその恨みがお江に向かったんじゃない? >>266
秀忠が正室に手続きをとってくれなかったので「営中におれず」
そして秀忠が正室に許可をとらなかった理由は「正室の嫉妬のせいだ(と私は思う)」
ということじゃないか
当然、正式な側室でも何でもない女中の扱いは知ってただろう
妊娠前にちゃんと側室になれなかったのが無念だったんだと思う
>>267
城を出ることになったお手付き女中が七人子を生んだ正室をライバル視するかね
出産前で不安定だったんだろう
それにあんまりそういうことは書かないほうがいいよ
中傷合戦のきっかけになる >>268
別に特に深い意味はなかったんだ
前も流産していたそうだから、更に不安定だったんだろうかね >>269
一般的にいいイメージの人に対してはちょっと疑ったりするだけで怒る人がいるからね
気をつけて
江を恐れた秀忠に流産させられたって話か
会津藩の史料にしか載ってないからあんまり・・・・
幕府や女性の経歴が書いてある本には書いてないよ >>270
いいイメージあったの…?
息子が名君だったからそれに便乗かな
流産したというのは、例の願文にも書いてなかったっけ?
前は流産してしまったから、どうかこの子は無事に生まれますように とかなんとか 創作物の影響でいいイメージ持ってる人多いよ
風雲児たち?だっけか
「うやまって申祈願の事
南無氷川大明神、当国の鎮守として跡を此の国に垂れ給い、衆生普く助け給ふ。
ここにそれがしいやしき身として太守の御思ひものとなり、
御胤を宿して当四五月頃臨月たり。
しかれども御台嫉妬の御心深く営中に居ることを得ず。
今信松禅尼のいたわりによって身をこのほとりに忍ぶ。
それがし全くいやしき身にして有難き御寵愛を蒙る。
神罰としてかかる御胤をみごもりながら住所にさまよう。
神明まことあらばそれがし胎内の御胤男子にして、安産守護し給い、
二人とも生を全ふし、御運を開くことを得大願成就なさしめたまはば、
心願のこと必ずたがひたてまつるまじく候なり
慶長十六年二月 志津 」
祈願文の全文
自分古文とか苦手だから不安なんだが
流産とか二人目とか書いてない・・・・と思う
妻妾の話になると盛り上がるけどドロドロするね
お江と徳川秀忠101の謎
って本読んだ人いる?
ミーハー本かと思いきやポイント抑えてるし意外とマニアックな情報が書いてあるよ
俗説を深追いせずだいたい否定してるし
ちょっとお江をageすぎているかな、とは思うが 昨日の江さんの命日
増上寺で法要があって、大河ドラマの屋敷プロデューサーが出席したらしい。 >>275
そこらへんの雑学俗説本より詳しい話が載っている、というだけで新情報はないよw メディアワークス文庫の「江姫」とかイシュタルの娘とかの秀忠がどんなキャラで出て来るか気になりまするな
どちらも江が気が強い系なんだが 中古の嫁の時点で秀忠は負け組
しかし江は中古の分際で偉そうだよな 気の強い江は、個人的にあまり好きではないなあ…
もっと年上として落ち着いた感じの江は書いてくれないのかな なんか…今日の大河でみんな初めて長丸知った人が多すぎるようだね
確かに知名度低いし、知らない人がいても不思議じゃないけど、みんな保科正之と間違えすぎ
挙句に、長丸がお灸据えられて死んだという話を信じちゃってるみたいで、どうなることやら >>284
長丸と保科正之の待遇や生まれた時の状況の違いもわかってない連中に、何を言っても無駄です
あと側室とお手付き女中が同じものだと思っているヤツや
>>286
長丸は保科正之じゃないんですよ
とか説明しなくちゃならんのか
目眩する
こういう人たちが唯一の側室うんぬん浮気がどうのこうのとか江が庶子を殺害してとか
言ってるのかと思うと馬鹿馬鹿しいよ
織田信長だって長男だと思われてるし一般的にはそんなもんだろ >>287
>江が庶子を殺害してとか
こう言う人たちって
「そんな基地外女を野放しにする徳川って寛大すぎやしないか?」
という疑問は湧かないんだろうな
この件に限ったことではないが
偏った情報ばかり得て、しかも自分の頭で判断出来ないんじゃ
ネットやってても情弱になるわ >>289
現代感覚で見て面白いと思う部分を拾ってるだけなんだろう・・・・
豊臣の養女の江が秀忠の子供殺したりしたら
大坂の陣の原因は江だっただろうね
俗説の庶子騒動は家康や豊臣が絡んでこないのが不可思議だ 江の俗説信じてひでぇと言ってるのって
隆慶一郎の作品よんで、秀忠ひでぇと信じてるようなもん? 嫉妬深い性格までは全否定しないが
庶子の母や庶子を追い出したとか殺害しようとしたとかいう話をマジ話のように語るのは酷いと思う 俗説の江は、ものすごい権力者にされてるからな
江の嫉妬深さが全てを動かす、みたいな
江の性格と
秀忠の側室不在、保科母子の処遇などを関連付けるから
そんなことになってしまってるんだが
>>291
てか、江の長丸殺害説の発信地は
当の隆先生の小説だと聞いたが >>293
マジで 隆慶先生のはざっとしか読んだことなかったんだけど
そうだったのなら、隆慶先生も罪深い人だなあ
人間だから嫉妬だってあるだろうけど、江の実際の性格なんて分からないし
側室持たないのは秀忠の性格が前提だと思うんだけどなあ
秀忠の性格から分析して考えればいいのに
簡単に、妻が嫉妬深くてそれを恐れていたから、なんてアホらしい理由信じる方もどうよと思うわ
ちょっと考えれば、正妻とはいえそんな権力もてねーよ ここで長丸についての情報まとめようぜ・・・・・・
錯綜してるし あれだけ大名の取り締まりに厳しく、
またわが子ですら騒動の原因になると思えば蟄居させあわない人が、
徳川の子を殺したり、自分を脅迫するような鬼嫁を置いておくはずないのにね。
本当なら真っ先に江を追い出すよ。
また若い女を傍に置きたければ、思い通りに手に入れられる。
秀忠の実際の女性関係がどうかはわからないが、、
家の中で女関係の騒動を起こしたくなかったんじゃないかな。
それと江を押しのけて傍に置きたいような女はいなかった。 孝子を中の丸に移動させたのは秀忠だったよな
公家から嫁いだ息子の正室に対してそういう扱いができる人だから秀忠 >>298
あれ今手元にある本で確かめたら
秀忠の意向でと書いてあったんだが・・・・・・ただその本が提示したソースが柳営婦女伝系だ
この本個人的にあんまり信用してないので
徳川実紀で確認してくる >>296
秀忠には側室がいたっていう説があるんだよな
長丸母以外にもいたかもしれない
保科母が側室になれなかったので側室不在とされているが
嫉妬云々よりも跡取り出産の重責を一人で背負わされるのは
正室にとっても心身の負担が大きいし
ちなみに江の他の夫2人には江以外にも側室の存在が確認される
>>300
地方や寺の伝承と一史料にだけ登場する人とかかな>秀忠側室と言われる人
秀忠が亡くなった時点では確実に側室はいなかったと思うよ
秀忠の側室らしき女性は一人も遺産分配表に登場しないからね
ちなみに家康の側室は家康の時も秀忠の時も遺産を頂いてる
>>301
そういや側室がいるのなら、分配表に載ってなきゃおかしいよな
それなら小和田の言ってる、和子は側室の子って説もこれでなかったことになるな
それ以前に無理ある説だけどあれ なんであんなこと言い出したんだろう >>301
将軍が死んだ後一様に遺産をもらった側室って家康の時だけなんだよ
それ以降(家光以降だが)子供を産んだ側室は遺産をもらって出家するが
子供を産んでいない側室はそのまま奥勤めを続け出家する必要がなかった
いつからそういうことになったのかは分からないが2代将軍の時からかもしれない
つまり秀忠が死んだときに秀忠の子を産んだ側室は生存していなかったということにすぎない
家康は死ぬ時に8人、大名の前田利家でも5人の側室を侍らせていたのに
将軍秀忠が江が死んでから6年間側室も侍らさず独り身を貫いていたのも考えがたいが しかし、静との関係以後、ずーっとそれらしい存在もなかったのなら
お江が死んでから側室持つのも、今更…って感じもするけどな
それにしてもここまで側室はいたはずだ! と取り上げられる人も珍しいような気がする
側室いなかった大名なんて、結構いるのにね >>303
なるほど
「遺産分配時に子供を生んだ上に生き残った側室はいなかっただろう」ということだね
自分は「生き残っている側室はいなかった」というだけの主張だったから
>>302
小和田さんは確かそこらへんに触れてなかったので知らんが
妙徳院に関して「秀忠の側室だった」ことの説得力を増すためが
福田さんは「秀忠死後に出家した伝承」を採用してた
つまり福田説だと「子供を生んで、生き残っている遺産をもらっていない」ことになるので・・・・
まあ和子に関しては心配いらないよ 訂正・・・・
>説得力を増すためか
>「子供を生んで、さらに生き残っているのに遺産をもらっていない」ことになるので・・・・ 福田説だと、江が発注した呉服の一覧にある「あまごさま」が和子の母親らしいけど
あまごさまなら、常高院では? と思ったがちょっと無理があるかな >>307
うわ同じこと考えてる人がいた
秀忠の姉妹とか色々探ったけど
あのメンツの中に入っても違和感なくて江や浅井家に関わり深い雁金屋にとっての「尼さん」と言ったら初だろうと
他の注文書には初は登場するのかな
あまごさまと初が同時に登場する注文書があったりしたらダメだが >>308
あ、良かった 同じ考えの人がいてくれたw
あの本に書いてあるのが、どれほど詳しいのか分からないけど
子供たちや孫の衣装の発注してるけど、全員分ではないんだよね
徳川の子供たち差し置いて、御台の姉には常に発注するか? と疑問があって 福田説読んでないけど、
なんでそんな沢山の重要な子女をわざわざ江の実子として偽装しなければならなかったの?
そういう場合その側室をきちんとした身分にするでしょ。
天皇の手前なら、江を始末してその側室を正室待遇にしてやればいいじゃん。 福田さんが言うにゃ
江は脇腹の子でさえ、実の子同様に育てていたから
嫉妬深いとか自分の子以外は誅殺する人ではありません って言いたいらしい >>310
なんか勝珠和子のような嫡女ではない女子を側室(侍妾)が生んだ場合はその側室は使用人待遇で過ごすことが多かったので
実母の存在が消えた
とかなんとか書いてたような
前々から疑問に思ってたんだけど
福田説だと茶々は家光が
後水尾や公家の連中は和子が江の子じゃないことを知ってたことにならないか
なんかおかしくね 茶々って、お江が家光産んで良かった良かった
みたいな手紙書いてなかったっけか お江宛てじゃないけど 侍妾で子が夭折した長丸母ですらその存在を微かに残しているのに
成人した子の「実母」の存在が消えたとか、呉服の注文書には残っているとか
怪しい説ですね >>314
そもそも和子母が呉服の注文書にいるのに家光母がいないというのがおかしいからな
>>313
家光の誕生を知らせることが目的の手紙じゃなくて、橋を建て直すことを慶光院上人に約束した手紙の最後に
「江戸にも男の子が生まれたらしいから安心してね〜」とか書いてあるんだよ
ただ福田さんは「江の体の状態にはふれてないのがおかしいから、江以外の子が生んだ可能性がある」とか言ってるな
江以外の女が徳川の子を産むことは茶々にとってはちっとも「安心」じゃないと思うがねえ >>315
ああそうだった 追記みたいな感じだったね
主題とは外れた話題なのに、そんな事細かに書くわけないと思うんだがな…
それこそ、江以外が産んだ子のことを書くだろうかと思うけど >「江の体の状態にはふれてないのがおかしいから、江以外の子が生んだ可能性がある」
「ああ言えばこう言う」みたいだな
語尾に(キリッ を付けてやりたい
福田せんせいには、この調子で他の大名家の子女も片っ端から疑ってほしい >>307
あの本に載ってる慶長十九年の注文書の順番が原本どおりだとして
忠直(将軍の甥で娘婿)→忠高(御台の甥で娘婿)→義直→頼宣→頼房(将軍弟)→あまごさま
の順番だと御台の姉妹が来るのが自然だと思うんだけどな
ただ次の元和二年の注文書のあまごさまが亀鶴姫と犬千代の間に来てるのがよくわからんのだけれど
>>317
珠姫は江と一緒に疑われてます
鼻毛さまと珠姫のファンの方は気をつけて >>319
利常さんには詳しくないからようわからんが俗説や逸話の類じゃないのそれw
しっかり裏の取れる話だったらすごいな
そういえば某茶々ブログの人が珠姫と完子の息子に関する一次史料について書いていたが >>320
利常の逸話の半分は下ネタで出来ていますw
戦国いい話悪い話というまとめサイトで存分に語られてますので、オススメ致します 学者や作家の説を批評するのはいいけどさ、その説を唱えてる学者や作家を中傷したり嫌味いうのやめたら? 福田説って「本能寺の変の黒幕説」みたいだな
「いるはず」という結論から史料を繋いで論理が飛躍してるっていう 家康でも家光でも皆子どもの実母は何かの記録に残っているっていうのに、
江戸時代の将軍でなんで秀忠だけこれだけたくさんの庶子を正室の実子に偽装する必要があったの?
誕生日隠してまで。
福田さんは、家光が月足らずっていうのなら、江が上方にいて密通して出来た子だとは疑わないのかなw >>323
史料にはあるのに「でも本当はなかった」
史料にはないのに「でもいるはず」だもん
無茶苦茶すぎるって編集の人も思わなかったんだろうか >江が上方にいて密通して出来た子だとは疑わないのかなw
すべての可能性を考慮すべきだな
溺愛されていた風聞のおかげで疑われない忠長だって江の子じゃないかもしれない
だって忠長は誕生日が複数あるんだから
溺愛話がなかったら疑われてただろう
まあどちらもないと思うけどね
結論ありきはいかんということで でもそれ言ってたら、全ての人の出生も怪しくなっちゃうよなあ
実子ではない前提で話すすめるから、おかしいことになってる
つか、なんでお江の子だけこんなに疑われるんだろうかね
疑う理由は無いと思うんだけど 単純に仲の良い夫婦だった…だけじゃ、世間を納得させられないみたいだね。
何かないと、いや何かあるはずだ、あるに違いない…江関係の信頼できる史料が少ないからかなあ?忠長あたりが天寿をまっとうしていたら、江の遺品や史料が残ったように思えるんだが。 御台が病気だから帰る って言った話は普通に良い話だと思うんだけどね
宇都宮釣天井事件なんて話が出来上がったばかりに、あれは嘘だと言われてしまって
本当に病気で寝込んでたのに 秀忠と江のゆかりの品といえば
笹寺に「秀忠死後に江が寄進した」
というめのう観音像なるものがあるが
秀忠死後に江が・・・・・???? >>330
勘違いして逆に書いたのでは…?
増上寺のお江の霊廟にちょくちょく秀忠は行ってたと本で読んだけど
そういや、忠長って他の大名との交流話聞いたことないけど
誰かいたっけ? >>331
問題行動の話が出る前には
親父兄貴と一緒に諸大名のみなさんと茶飲んだり能見たりしてるだろ しつこくて悪いけど、
秀忠が侍妾にそれだけ庶子作りまくっていたのなら、
いよいよ江がリアルで出産するのが危険になる35歳以降にぱったり子がうまれなくなってるのが
いかにもおかしいと思う。(本物の庶子正之が一人いるだけで)
それまでは正室と競うように出産してるのに。
秀忠はいよいよ男盛りで侍妾が必要なのはそのころだろう。 >>332
いや、あくまで個人的に親しかった人いなかったのかなと >>334
いやそれはしらん
>>249
辞世じゃないが徳川実紀にいくつか句が載ってた
萬代の春に契て梓弓やまと島根に花をみるかな
やまと島根=日本
花=栄華という訳でいいのか?
杉本の小説に出てたクモのケツがどうのこうのという句?も載ってる
詳しくは台徳院御実紀付録巻四で確かめてくれ
デジタルライブラリーとかで読めるからさ
江が身重なのに千姫の輿入れに付き従ったことに、みんなびっくりしてるみたいだな
小説で初めて知った自分としては、そんなにびっくりすることか?
確かに身重で遠出は危険だけど くらいしか思わなかったのに
でも秀忠もよく許可だしたよね 新幹線もねーもんな 歩いて東京ー京都なんて気が遠くなるぜ・・・ >>326-327
でも「豊臣完子は実は江の子ではない。秀勝が朝鮮出兵前に侍妾に仕込んだ子だ」
と考える研究者は流石にいないでしょ。
第一子の女児が妾腹なんていくらこの時代でもあり得ないから >>336
今回の話で「江は勝手に自分の娘を自分の身内にやった」とか
「秀忠結局娘の顔みれなかったじゃん 可哀想 江酷い」とか批難されてたw
それ葵でもやってたんだけどな…つかそもそも徳川の姫を江が勝手にどうこう出来るわけないのに 大阪夏の陣が終わった後、二人がどんな会話を交わしたのか気になって仕方ない
その一年後に、お江喪主の追善供養が養源院で行われているから
秀忠なりに、お江を慰めたのかな 自分は、江が死んだ時、重要な用事は終わってたのに秀忠が帰ってこなかったのがわからない。
家光に任せたとはいうけれど、妻だし。
冷静にとらえてたのかな、秀忠に対してどっか冷たい印象を受ける。
「葵」では辛くて帰る気力もなかったように描いてたけど、実際はどうだったんでしょうか。 江のいない江戸に積極的に帰りたくないとか。
それでなんかもたもたしている感じしないか?
急いで帰れば病気が治るとか、まだ生きているのならともかく
死んじゃったらなんかつまんなくて、寂しくて「帰っても仕方ないなあ」みたいなさ。
側室持つなり、後妻もらうなり、前向きに独身ライフを楽しめばいいのにさ。地位も金もあるんだから。
申し合わせたように同じ享年で亡くなるしな。
頼りにしていたかみさんに先立たれた中年男の悲哀を感じて、冷たい男とは思わないが。
葬式なんか見たくもないわなんて思わなかったかな?
江の死を受け入れたくなかったとか そんな風に妄想してしまう
葵のイメージが強いけど、やはり二条城行幸が終わった後は
隠居して二人でゆっくりしたかったのかも
江の廟所にもちょくちょく行っていたようだし
長年連れ添った伴侶を死後も大切にしているように思えるけどな
江の葬儀に参加しなかったのは、夫は参加しないという当時の風潮があったから
とか、本にも書いてあったけど、あの当時はそうだったっけ? >>343
江の廟所にたびたび行ってたという話はどんな本に書いてあった? 『大猶院殿御実紀』や『東武実禄』に記録されてるみたい と
「徳川幕府の礎を築いた夫婦 お江と秀忠」に載ってた >>345
おお返信早
ありがとう
徳川実紀は拾い読みしかしてないからな
その山本さんの本だっけ
「秀忠は江が死んだ後、大坂を見回ってから江戸に帰った」と書いてあるの
大坂を見回るという行動をどうとらえるかだね
妻の葬儀より優先すべきことか否か >>346
そうそう 山本博文さんの本
この本、例の訓戒状が疑わしいことも書いてあって、その説も納得してしまったな
大阪巡検は心の準備期間かなあ と擁護派としては捉えたい >>347
大坂で戦があった10年後の大坂巡回は結構重要な仕事なんじゃないか >>348
そういやそうだね まだまだ安心出来ない状態だし
将軍も代替わりしたから、更に油断ならない状態だったか 江の霊牌所って秀忠霊廟の付属しているみたいな形だったんだっけ
元々は別だったけどその形に作り変えたのが家光らしい
ようわからんなあ 秀忠は堅物で一度決めたことはめったに変えない性格だったらしいから、
大坂巡回も予定にあって計画通りサクサク行ったんじゃないかな。
もちろんお江がまだ生きているのなら早く帰ったんだろうし、
葬儀に出ることが必要とされるなら律儀な秀忠のこと出ただろうから、
不自然なことではなかったんだろうな。
戦国武将として、将軍として、膨大な人の死に立ち会っているのだから、
妻が死んで辛くて帰れないというような柔な神経ではないと思う。
墓参りも亡くなって直ぐは行事も多いし、頻繁にする時期だから、
あまりロマンチックな考えは浮かばないな。
もちろん仲は普通によかったと思うよ。長く連れそった夫婦だし。
自分は後世の創作かもしれないが、江が火葬にしてくれと遺言した話にじんとくるね。 壮麗な荼毘をすることによって、江の生前の功績を称えようとしたとか
その時はまだ徳川家の廟所がなかったので
まず荼毘に付してから、廟所を作って遺骨を安置しようとしたかもしれないとか
火葬は金と手間がかかるからあまりしないだけというのもあるし
土葬にしようが火葬にしようが、特に理由を求める必要はないと思う
>>351が言ってる逸話のように
「自分が死んでも家族はすぐに帰れないだろうし、自分の腐ちた遺体を見せてショックを与えさせたくない」
という理由もアリだと思う 自分もこの逸話好きだ 遺骨をしばらく置いておいて、埋めたのが後だったとしたら、
そのときは秀忠は帰っていたかもしれないね。 火葬自体はおかしくないだろう
後の将軍家の人間は火葬が基本だったからごちゃごちゃ言われ出しただけで
他に火葬だった人もいるし上方では普通のことだったのでは 阿茶局も火葬だったっけ?
とにかく、火葬したとして何も不思議なことはないんだよね >>356
於大や於千も火葬なので
火葬だから暗殺がどうのとか蔑ろにされたとかはないわな 秀忠と家光の関係もどうだったんだろう
小説だとやはりあまり良くないみたいに書かれているけど
そんな史料あったっけか
自分はお江と家光も含めて、別に悪くはなかったと思うんだが さあ
なんだっけ藩翰譜には
お江のことには触れず「忠長を偏愛したのは秀忠」と書いてあるんだっけ そなのか。
当時の慣例というかなにか事情によって火葬とかにする
というのがあるかと思ったのだが特にないわけね。
ただ当時の火葬は2−8ぐらいなのかな
稀であるとしたら手間暇お金もかかるし
少し異例で個別でなんらかの意味性があるという
ぐらいでいいのかな。
江の場合になにかその理由があるかなとは
思ったのだけどこれも特にはないということね。
納得。 手間暇と金かかる大喪の礼を行うことによって
亡くなった人に対する想いを表していると思う
>>357の於大やお千も、家康や家光への想いによるものだろうし
それなら秀忠に対するお江への想いによる火葬 と思ってもいいんじゃないかな 江が事前に火葬にしてくれと頼んだ話が事実なら
火葬というのはそういう「想い」を含んだものという
一般論が前提となるからね。
そうすると土葬が逆にシンプルになってしまう。
火葬というのは地位も金も「想い」もそれなりに
認められる人のものであった、みたいな
少し異例的な意味合い、というのが学問的に
言われてるのかどうか前から不思議だったもんでね。 お静や鷹司孝子や勝姫が火葬と書いてある本を見かけたことがある
史料で確認したいけどさあ・・・ 秀忠の性格が物凄く好みすぎて困るな
こう、融通きかねぇなあ 生真面目すぎるだろ!っていう所が凄くいい 大震災前日のブラタモリで
秀忠霊廟をCGで映像化していたけど
あれをDVDとかにして発売してください
まじで >>365
マジで! 見てみたかった…まさかブラタモリでされるとは ブラタモリで放送してただけで
どこが制作したかは忘れました 秀忠の男色の相手と噂される人って、大抵寵愛受けてたとか、信頼していたとかだけど
それなら土井利勝とは噂はなかったのかな 幼い頃から一緒なのに 土井家の家譜や落穂集は「利勝は家康の御落胤」と断言しているそうだなw
土居家の家譜なら、箔が付くから断言しちゃいたくなるのも頷ける
ところで、秀忠って鉄砲の名手だったそうだけど
愛用していた鉄砲とかあったのかな >>372
発掘された秀忠の墓には愛用の鉄砲が一緒に納められていたらしい >>373
へーやっばり好きだったんだなあ
それ今どこで見られるんだろう 徳川博物館かな 徳川美術館というのは名古屋にあるが
博物館なんてどっかにあるの? 大河ドラマ観てると、秀忠役の俳優や上野樹里のファンではないのに何やら気の毒になってくる。
そんなことより
江さんの手紙が新たに二通見つかったらしいべ ttp://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111010-OYO1T00139.htm?from=main1
これだな 原文見てみたいなあ >>380
おお原文だすげぇ
こういうの見るとほのぼのするね 秀忠も江も子供可愛かっただろうな
ところでこれはやはり、散らし書きというのかな?
江から初への手紙も散らし書きだったけど、読み方難しいねアレ チラシ書きの順番なんかは鑑定団にでてる増田せんせが
本を出してるね、約束事なんかもあるらしいが読み方というより
読めない、わ。
そういや家康直筆が250万だったな、安いぐらいかと思ったがどう? まあ 読めないわなアレw
家康の直筆にしちゃ安いなとは思う
けど、家康の直筆って結構多く残されているらしいから、それくらいの値段なのかなあ
BSのナンバー2って番組、来週がお江だった 大河の影響?
今日の天海の方で、童門先生がきっぱりと「お江は家光を嫌ってた」と断言しちゃって
何いってんだこいつと思ったけど、どうなるんだろうなあ
またヒストリア並に、俗説並べるだけかな 信長みたいに確実1通、ほぼ本物2通しかないとかじゃないからな。 >>383
ナンバー2って題材になる人物を褒める番組だろ
史料の断片や最近見つかった史料を駆使して御台としての地味な仕事っぷりを紹介する内容にするのか?無理だな・・・・・・
俗説並べたてても
番組の内容から外れるだけだ
ゲストの先生次第で見るか決める >>385
前に何かのお江の特集で
お江の人生を紹介しつつ、お江とはどんな人だったのかという説明が
俗説ばっかりで泣いた
俗説だけ取り上げて片付けるとか、楽な商売だな 三年くらい前に俗説スルーで江の人生を紹介していた番組があった
江はおとなしそうな女で、もちろん春日や正之は未登場
夫婦仲が良かったことが予想できることや姉妹中心の紹介だった
まあ自分はそれでもいいんだが
なんか都合悪いことはスルーしている、みたいに思われそうな描かれ方だったな
俗説も紹介して
これはこういう見方もあるんだよ、という別視点も同時に紹介したほうがわかりやすいし、面白いし
文句も出ないだろうが・・・・・・・・・・・・・・・・
時間とやる気がないんだろう 家康は数は多いし未発表みたいなのも
多いだろうからね。確実というのが250万というのはいい感じかな。
ただ売りだと100万ぐらいで内容によっては青天だろうなぁ。
信長のほぼ本物ってどういうのだっけ?
どっかの旧家探せば可能性はあるけど出たら億はくだらないだろうなぁ。
今は俗説が常識になってる部分が多くて困るがテレビ報道とかを
マジ信じる社会になってるのもあるだろうねぇ。ダイエットとか。
歴史に限っても小説に書いてある以上は史実のはずです、とか
D門とかOW田よりもアナタを信じろというほうがアホ、とか
すごいと、テレビに出てる人やSBさんがウソをついてるというのですか、
とかからまれる。
なのでたまに誘われるけど歴史オフは行ったことがない。
なんかこわいもんな。 >>35
大河の公式で時代考証の小和田氏が家康が江に宛てた
「二月二十五日付お江宛の家康訓誡状」が紹介されているね。
この中で家康は江に対して国松偏愛をやめるよう戒めているのと、
徳川家の家督相続者は竹千代であることを徹底せよということが書かれてあるらしい。
これを読むと、秀忠夫妻と家光の確執は事実だったのかとも思うけど。
http://www9.nhk.or.jp/go/story/gom40.html >>389
その訓戒状は家康が書いたものじゃない、という説が有力になってきていると聞く
理由は
・この訓戒状は浅草のとある古本屋で見つかった可能性あり
・冒頭部分が、家康が生きていた頃の時代の書き方にそぐわない
・あの当時、堪忍って言葉あったっけ?
・慶長十七年、秀頼がまだ生きているのに、信じられないこと書いてる
「太閤様は古今に珍しいほどの大気の持ち主であったが
あまりにも大気だったため、身の程を知るということが出来なかった(あまり大気故、分限の堪忍破れ候)」
・関ヶ原の戦いの時、お江に宛てた家康の手紙と同じような文面がある(井伊直政のこと)
関ヶ原の頃なら直政生きているけど、慶長十七年頃はもう死んでいるのに、直政を頼れと書いてる
なので、この手紙は井伊家の人が書いたかもしれないとの疑い
等々
自分も本で読んだけど、正直何が言いたいのかよく分からないなあの訓戒状
まだ毛利訓戒状の方が理解できたかな それがあるから噂がたったのか
噂がたったからそれが書かれたのか
は考えなければいかんな
立場逆転している場合もあるからね でも、直政の文や太閤の文見るとやはり疑問だわ
もう死んだ直政頼れとか、お父様ボケちゃった? とお江さんに心配されちゃうよ >>389
というかこのスレの人はほとんどその訓戒状のことは知ってるから
今更・・・・そんなこと
という感じだぞ 以前から秀忠・江夫婦好きだったが
今期大河のせいで、この夫婦好きだと言うと「あんな大河に影響されたのw?」と馬鹿にされるのが嫌だ
でもこの夫婦好きは辞めないよ そもそもあの内容で好きになる人なんていないだろ 武蔵野の草場の末に宿りしか
都の空にかえる月かげ
和子の辞世の句です 草場→草葉
武蔵野の草葉の末(すゑ)に宿りしか都の空に帰る月影
現代語訳 今京都で見ている月も、かっては武蔵野の草葉の露に宿っていた月なのだが、武蔵野(江戸)に生まれた私と同じく武蔵野から京都へやってきた月であることよ。 訓戒状が怪しいとして、これ以外に江が竹千代を嫌ってた
みたいな史料はあるの?
初歩で悪いが。 史料では見当たらないね
更に江は竹千代の健康祈願もしているし、嫁探しに頑張っているという史料はあるから
竹千代嫌ってたらする訳ないと思うが >>400
あとは例の「東照権現祝詞」かなあ。
ただ、あそこまで前将軍夫妻やその側近、現将軍正室への悪意を
むき出しにしているような文書が本当に春日局筆の本物なんだろうかね。 >>401
家光が大きくなってからもずっと健康祈願してたんだよね。
生まれる前も男子出産を願かけまでしてた待望の子なのに。
>>402
それ見る度、いつも寒気がはしるんだが。 春日局筆の根拠は何なんだろう?
まさか秀忠夫妻の悪口書いてあるから
とりあえず春日局でいいや、みたいな理由じゃないよな 誰か分かんないけど、とりあえず春日ってことにしとこう
みたいな感じだったっけか
自分も>>404にと同じく、あれ見る度に寒気がする
これのどこが祝詞なんだと ただの悪口じゃないか >>402
おぉ、さんきゅ。
訓戒状のようにこれは、かなり疑わしい、ということでいいんだろか。
ただ、二つの別な「偽書もどき」があるということは「そういう噂」みたいなものが
あったということか。
作った人がどういう目的で作ったか、というのも出てくるわな。
かたや、古本屋発見、だし。
健康祈願、なんてのはあくまで建前上の問題だろうから
それがあったからといって嫌う嫌わないの問題の判定にはつかえないとは
思うけどね。嫁さがしも一緒でさ。 優先順位が違うんじゃないかな?
健康祈願は、普通に子供のことを考えてすることだし、嫁探しも普通に子供のことを考えて
そういう普通の母親としての活動よりも、根拠もない噂の方を重視するのも変な気がする 歴史上の人物の仲良し悪しのイメージなんてそんなもんだろ
逸話や俗説で仲悪いと決め付けられたり
建前かもしれん行動で仲良いと決めつけられたり ってか祈願なんてのは恒例の公式行事?だから
それ自体はなんの判断にもならないってことね。
噂がどうこうとは別の次元でさ。
「粗茶ですが」というのをそのまま「まずいお茶をだした」と解釈して
本人が言うのだから間違いないとかそういう教条主義みたいってことで。
意外とそういうのは専門家でも根拠に使ってるのだよね。
寺社が戦勝祈願をしたー友好関係にあった、とまともに論じてる
人もいるけど、そりゃスポンサーでパトロンになりそうな強い武将には
誰でもそうするだけのこと。
特に近くにいたらせざるを得ないだろうし。
またOW田の話じゃないが、建前とか社交辞令とかそういうのを知らない世界に
生きてるのかね、とか思うわ。別にどうでもいいが。 でもそういう記録がないと、子供の為に何もしない酷い母親呼ばわりされるんだよな 理不尽な
やったことは評価されず、やった記録がないと やっぱり酷いと断定されちゃう
というか、この前そういう文見てちょっと引いた なんでそこまで悪い方向にこじつけちゃうんだろうって まあ言い分はあっても、押し付けなきゃいいかな
ちなみに自分は、江は普通に子供たちを分け隔てなく育てていた派
あと秀忠との仲も普通に良好だった派だ 夢見すぎかもしれんが
問題は親と子の関係を偽書もどきで判断してしまって
それをどーどーとテレビ何かで言う専門家がいることだわな。
誰もが一度ぐらいは親子ケンカするだろうし
日記に書いたり回りや近所も「派手にやってたよー」とか
記録に残したりするかもしれない。
その一例をもってして「あの親子は生涯不仲だった」と断定するようなもんで
そういうもんじゃないわな。
ましてや長い人生、うまく行く時もケンカばっかりの時もあるかもしれない。
それをプロトタイプで決めつけてしまうところが愚かだし
それからさらにいろんな話につなげていくところはほとんど
仮想戦記みたいなもんだろな。
イマドキの近所インタビューもおもろいよね、「普段はいい人ですよ、あいさつもしますし」
「では、異常性を隠していたんですね」とか「気付かなかったんですか」とかさ
スレチで悪いが、どうもおかしな方向にいろいろ向いているかもしれんな。
マスコミ批判じゃないが。 上手く言えんが
すべて個人の感情で動いている、感情に従った結果の行動だと見る人が多すぎるのも問題だと思うよ
将軍も御台も乳母も女中もそれぞれ役割があるわけでさ
いくら気性の激しい人でも身分が分かれたあの時代、立場を越えた行動はとれんだろ
わけわからんなあと思うのが
「女中の〇〇は殿に従順、控えめな女で寵愛された」とかいう文
女中が従順なのは当たり前だろ、といつも思います
>>414
そこらはとても重要な指摘だと思う。
戦後はずっと日0組みたいなマルクス的史観というか
「いつどこで何が」を強調して「なぜどうして」に価値をおかなかった。
歴史は必然である、という立場で個人の能力や判断というのを軽視
したんだよね。
今のネットでも感情とか努力みたいな視点で語ると
「こういう背景があったからだよ」と誰がその場にいてもそういう歴史になった
というような視点での反論がかえってくる。
これはどっちが正しいというものでもなくてよく
考えないといけないことだとは思うんだよね。
特にイマドキは知識、理屈とか建前重視だから余計に自然にそういう
考え方になってきたりする。
江戸城を建てたのは「大工さん」みたいな教えられ方は本当にしてたわけだし
今でもそういう考え方をしている専門書も多いと思うのだよね。 >>江戸城を建てたのは「大工さん」
それ、ただの屁理屈じゃなかったのか…… >>415
俗説の江の勝手な行動を見て「いくらなんでもそんな勝手なことできるかよ」と思うけど
手紙の内容な嫁探しの件を見ても「ただの建前じゃねえの」と思ったりもする
結局自分の頭ではわからずじまいw
(こういう見方をすると他の人物の評価も変わってくるだろうな)
まあ史実のお江の性格はわからんが
一応「気持ちはどうあれ表向きには母親としての仕事はこなしていた」ということでいいんじゃないか
これでも今までのお江の評価よりも高くなったほうなんだよな
うん、最近のお江関係の小説だと、割りと良い印象で書いててくれてる
竹千代のこともちゃんと可愛くおもっていたり、秀忠には従順だったり
それだけでもう充分だわ これ以上変に持ちあげないでほしいな 行為に込められた本当の感情なんて本人しか分からんだろうな
当然すべき行為も、真剣に取り組んだのかもしれないし
通り一遍にやったのかもしれないし、一概にどちらだと断言は出来んと思う
逆に、当然やるべきことでも何か訳があって出来なかった
というケースも稀にあるだろうし
でも、建前かもと疑い出したら
歴史上の人物全員疑わなくちゃいけなくなるな
現代の人間に対してもだろうけど >>419
だな
誰とは言わないが兄弟と交わした手紙が(おそらく一枚?だけ)残っていて
それだけで「兄弟仲がよく弟は兄を敬愛していたのだろう」と書いていたり
・・・・まあ良い方向の解釈なので文句はいわないが
それだけで仲が良いと決め付けるのもなあと思った >>420
そういうのは、小説などで妄想ふくらませていく分にはいいよね
一つの手紙の内容から、色んな事情や会話を妄想していくの
でも研究者が断言しちゃうのはちょっとどうなの…? とは思う >>417
そだよね、人間の評価なんて本質的に不可能だから
学問としては避けてるのだけどこれは重要なところだとは思う。
誰の視点で、とか、いつどこでどうだったか、というのは
必要なんだけど、それが「理由である」とは確定できないしね。
歴史上の謎、みたいなのは本人の気持ちとか心情とか
考えると別に不思議でもなんでもないようなのが多いけど
そういうところをスルーしてるからかえっておかしな結論に
なってる部分も多いだろし。
お手紙一枚で一生判断されても困るだろしねぇ。 >>231
桐野は家光は江の子だと思ってるみたいだぞ
他の子についてはは言及してないから知らん 秀忠の遺体調査で銃創痕があったらしいけど、そんな大きな怪我したことあったのか?
どの史料にそういう記述残ってるか知ってる方、教えていただけませんか? 史料は見たことないが、関ヶ原や大坂の陣で割りと危険な状況になったというから
その時かなあと思う 普通は
鈴木尚 『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』 東京大学出版会、1985年12月。ISBN 978-4-13-061074-2。
『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』
このあたりなんだけど、銃創痕ってあったかなぁ。 >>424です。レスありがとうございました。
いつそんな大きな怪我をしたのかわからないんですね。
関ヶ原や大坂の陣だと、記録に残りそうな気がするんですけどね。忠吉みたいに。
>>429
柴田練三郎の小説に
らい病にかかった秀忠が瓜二つの異母兄といれかわって
自身は忍者として裏仕事をこなしていたとかいう内容のものがあったw ちがた
異父兄といれかわったんだった
眠狂四郎 独歩帖だ確か >>431
なにその凄いアクティブな秀忠w ちょっと興味湧いたわ >>433
子孫の話だから設定だけで秀忠出ないけどね
設定だけでもすごいが >>436
IDをよく見たら
ほとんどお前じゃないかw
秀忠の史料本増えないかなー
小和田先生の徳川秀忠はまあまあ良かったんだけどやはり少ない
お江さんはあんなにいっぱいあるのに >>439
江の本の内容の半分くらいは本人じゃなくて家族や周りの人の話題のような気がするが
史料少ないんだなと実感
秀忠は吉川弘文館とかミネルバとかの人物シリーズで本でないのかな
>>440
初めは大体、父母の事柄だもんね あと後半は徳川家の子供たちのこととか
でも名前も分かっているし、嫁ぎ先分かっているし、大体の経歴も大体は分かる女性って時点で
他の女性に比べたらかなり良い方だろうなとは思う 埋もれてた史料や記述もいくつか表に出てきたし
岐阜生まれ説とか毛利の書状とか大坂の陣の和睦に喜ぶとか初姫への手紙とか東福寺関連とか
今年になってから本人について書けること増えたね
この前、BSのナンバー2のお江の話に出ていた
着物の柄とか注文時の言伝とかも本に入れてほしいなあ
あれ初めてみた そんなのあったんだとびっくりした そういえば江にはまだ保科正之が出てこないね
秀忠の隠し子 これから出てくるのかな 最終話かその一話手前で出てくるらしいけど
扱いがまたとんでもらしいよ… 最終回は保科じゃなくて和子のために使えよ・・・・阿保らし
主人公の実子じゃなくて保科に時間使うあたり俗説しか知らない証拠だ 本当に、別に保科をわざわざ出さなくてもいいのにな 会ったこともないのに
本当に和子入内のこともやってほしかった 二人の子供の中で一番好きなのに 出さないのは流石に不自然だけどさ
あのドラマだと大奥ができるきっかけの話が意味不明だ
大奥法度を江の手柄にしたいなら
奥の制度が原因で外に出た妾がいることや
姉が密通を疑われていたことから
奥の規律や風紀を整えることが奥で暮らす女たちにとって重要なことだ、と考えて秀忠に法度の制定を提案する
みたいな感じでよかったんじゃないのか
>>448
あの脚本家がそんなこと考えられるとは思えない
それがどういうシステムかなんて知らずに、幕府で定められたものは
なんでも主人公の手柄にしたいだけだろう 側室も持たない秀忠が、何を持って大奥制度を作ったんだろう
制度作るまで、割りとゆるゆるだったようだし、奥の方もきっちりしたかったのかな 基礎作ったのは秀忠 最終形態はお福だろう
そういえば、大奥制度作った当初はまだ規制もゆるくて
お江さんが表まで出てきていたって話みたんだけど、出典はどこなんだろう >>450
奥女中が堕胎するのは「よくあること」だったらしいね
それだけ男性と会う機会に恵まれていたのかと
万が一のことを考えると門限や男子禁制を定める意味もある
>>452
落穂集 >>453
落穂集か ありがと
御台所が政治の場まで出てくるって、やっぱり凄いことだよね… 連投すまない 鑑定団でようやく秀忠の朱印状見れたよ
しかし江の旦那で、あーとか言われるのを見て、やはりまだまだそんな印象なんだな…と悲しくなった >>455
家族や女性関係の話題ばかりだったのか?
歴史に興味がない人を釣るにはそういう話題が一番手っ取り早いからしゃーない >>456
いや、秀忠の朱印状が出て、石坂浩二さんが「江の旦那ですね」と言って
司会の今田耕司が「あー」とか言ってたんだ 石坂さんが言うのがまた切ない…
番組内での秀忠の説明は割りと好意的だったよ 秀忠の行った政治面を分かりやすく説明してて
江のことも出てきたけど、二人の私的な関係については何も触れなかったのがまた好印象 >>450
正式な側室は持たなかったけど女中には手を出してたからなあ
その辺もきちんとするためじゃないの? 手を出したとか言われるけど、普通に夜伽なんじゃないのかなーと思うんだが どんなに真面目な男でも煩悩には勝てまい
おいらならもう手当たり次第にやっちゃうよ
ってかお江やったからには淀もやっちまおうかと思っちゃう 城内に部屋が与えられてない、ということ?
そりゃ側室は妻で
妾は使用人だし ああなるほどね
法度に門限が定められてるあたり、
外に出ることも割と自由だったんじゃないのか
秀忠の遺品てどんなのがあるんだろう
そういう一覧て、ネットでも見れるのかな >>174
だからこそラスト近くでの
後水尾院と東福門院の和解シーンは泣けた(T_T)
危険もかえりみずに和子と近江局を
助けにきた彼はかっこよかった 案外若く死んでるんだね
家康が死んでから9年後に死んでる
短い天下だったんだな お江さんの死後、6年後に亡くなって、あの世で同い年で再会する二人とか
そんな想像色々してしまう 家光は大変だったと思う
伊達政宗とか歴戦の兵相手に幕府を収めないといけないんだから
諸大名に舐められてたらひっくり返えされてたよな 徳川実紀によると家光が江の葬儀に参加してない、とか書いてある本(山本さんの)があったが
「駿河大納言忠長卿及び京極若狭守忠高松平仙千代丸その外在府の輩みな装束を着し(家光に)従えり」
ということで参加してないわけじゃないよね
江死亡記事が載っている大猷院実紀は家光中心の本なので家光が参加して、そこに居てあたり前の部分にはわざわざ家光(御所)の名前は出さない時があるというか
他の場所でもこんなような書き方してるし
「何日に御成があった家臣は〇〇を伴った」みたいな
意味不明だったらごめん >>472
その文読むと、家光普通に参加してるね
なんで参加してないということになったんだろうか
秀忠に関しては、あの時代はあの地位の人か、立場の人は参列しないんだったっけ? 自分も初めて見たとき家光いないと思ったし
秀忠の遺産分配も「家光に分配されてない」と思ったら家光の名前出さずに「江戸城に卅万枚」とか書いてあるし
何度も混乱させられた
そこらへん詳しくはわからん
秀忠は葬儀の時駿府に居て青山何とかさん(忘)を派遣してるよね
江の葬儀より秀忠の葬儀のほうがわけわからん
夜中のうちに家臣がひっそりで詳細不明
という 秀忠は位牌以外新調するなと言ったり、外様は参列させなかったり
物凄く質素な葬儀なんだよね…秀忠らしいというか
でも二代目の葬儀があまりにも質素だと、後の人が葬儀どうしようって凄く悩むと思うの
でもやはり書かれる情報が少なすぎるんだろうとは思うけどね 妄想書き散らしてるから小説家じゃないかな
つかなんで井沢元彦が そうだよね
本屋に並んでだ本で好き勝手言ってたんだけど小説家なら彼の主張にケチつける必要はないな 増上寺の墓行った?
拝観料500円だがポストカード貰えるし
行ったほうがいいぞ もちろん行った。
空襲のせいで霊廟が無くなったかと思うと、つくづく戦争ってイヤだな。
愛妻家だと思ってるから、仲良く墓にひとつで良かったよ。 九州だから遠すぎて…いいなぁ 見たいなぁ
自分も愛妻家だと思ってるから、今も一緒だねと思うとほのぼのしてしまう そういえば葵徳川三代では、最初に入内予定は家康の娘の市姫で
それが早死してしまったから、和子にお鉢が廻ってきてたな
でも実際は初めから和子だったんだろうか 現将軍の娘として和子が入内する方が自然に見えるが 市姫の婚約者は伊達忠宗でしょ
市姫が生きてる段階の慶長十三年に義演さんの日記に「将軍姫君后〜御上洛」と書かれてるそうな いくら家康の娘でも、所詮側室腹。
現将軍の娘で、正室腹の箔つうか格式にはかなわんだろう。 だよねぇ やはり現将軍正室の娘だからこそだよね
2時間ドラマでいいから、和子のドラマ見てみたいな 忠長の後にもう一人子供作ったのは朝廷ねじ込み政策のためかね
尤も、娘じゃなかったらその計画もパーだったわけだが ねじ込み政策がいつの段階で企画されていたのかが問題だね 勝姫では検討されなかったのかな
気が強そうだからやめたのか
忠直と結婚したのは1611年だが、婚約はいつ決まったんだろ やっぱり家康が将軍になって二年後、秀忠に譲ってからだと思う。
でなきゃ初姫を養女に出さない気がする。
竹千代が生まれて、三代目が具体的になって、次に生まれた姫を…となるのが自然じゃないか? しかし家光生まれた時点で、お江さんもう三十路過ぎ
当時なら充分な高齢出産で危険だし、姫が生まれるとも限らないし
姫が生まれたら、というのはちょっと確実性がないように思われる 将軍家の正室腹といっても
天皇家から見たら徳川も浅井も胡散臭い家柄なのには変わりないだろうな しかしそれをはね除けられないほど、朝廷は脆弱してしまったんだろうか
後陽成天皇VS家康
後水尾天皇VS秀忠 って感じだったな 和子の入内がおじゃんになってたら
普代か外様の大大名に嫁いでたのかな 大河ドラマ見てると、勝野秀忠がやはりいいなあと思う
葵の西田秀忠もいいんだけど、やはり自分の中の秀忠は
厳格で生真面目で隙を見せないけど、厳しいだけではなく温情ある人というイメージなんだよね
初めて勝野さん演じる秀忠見た時、あまりにもイメージ通りで嬉しかった 秀忠は遺言で増上寺に埋葬するように言ったが
増上寺は徳川の菩提寺だから敢えて遺言の必要もない気がするが
家康のように単独で葬られる予定でもあったのかな 建礼門院の特別展示目当てで長楽寺行ったら
和子寄進の厨子と歴代将軍の位牌があった 女系は一代限りだから寸でのところで
徳川の血が入るの防いだって感じだよな
皇子生まれてもすぐ死んじゃってたのは暗殺だろうな
天皇家自体が成り上がり者の血筋で胡散臭いが
何代も続ければ国のトップだから不思議ではある 最近見つかったお江の手紙や、初姐さん宛てに手紙に
大御所様(秀忠)にお任せしますやら、大御所様からも手紙が行くでしょうとか
お江の手紙に秀忠のこと書いてあるの見ると和む お江さんは女産み過ぎやら、女腹と言われるけど
どの子も結果的に綺麗に嫁ぎ先決まってるなあと思う
その後のことは置いておいて みんな成人してるしね。
自害しなかったら忠長だって長生きしただろうし、珠姫もあんなに連続して産まなければまた結果は違ったかも。病弱だったらしい初姫も20代後半まで。千姫や和子は長生き。家光がけっこう早いな。 >>499
> 女系は一代限りだから寸でのところで
> 徳川の血が入るの防いだって感じだよな
でも、九条家出身の貞明皇后を通じて徳川家康の血も皇室に入ったようです。なんでも、尾張徳川家のお姫様が九条家にお嫁に行かれ、貞明皇后は、その子孫になられるとか。
江は、完子を通して皇室の先祖、家康も先祖になるけれど、秀忠は蚊帳の外で少しかわいそう。 よく系図見たら、九条家に嫁いだ尾張徳川家の姫は千代姫(家光息女)なので、現在の皇室は、秀忠の血も引いている。 秀忠と綱吉ってすごい隔たりを感じるけど、孫なんだな。 >>505
今上天皇は、直系じゃないにしても
織田と豊臣と徳川の血が綺麗に入ってるんだなぁと思うと、ロマンを感じる 505訂正
誤 姫は千代姫(家光息女)なので
正 姫は千代姫(家光息女)の子孫なので 女系まで言い出したらきりがない
天皇家は古代に遡れば百済系五世?だかの血も入ってるし
それより、朝廷に対して強硬だった秀忠男系が完全に断絶して
恭順だったと思われる水戸系が最も繁栄していることの方がオカルト 水戸系で思い出したが
秀忠と光圀は、伯父・甥の関係なのか…と思うと妙な違和感を感じてしまった 新しく出た千姫の本って
家光と千の関係を美化しすぎじゃね?一部小説っぽい部分があるし
実際小説ソースの部分もあるし
崇源院は「家光をネグレクトする於江与様」だし
いや、次男の偏愛話はまだしもネグレクトって
>>514
・・・・・・今日はテレ東をうっかり見ないようにきをつけな 今年、秀忠か江の本が出るとしたら、もうちょっとまともなのが出ますように (腐っても)大河は終わったし、注目度薄くなるから出ないと思うよ
昨年出た江関連の本も、9割は5年以内に絶版になるだろうな
まともな本だけ残ってほしい 震災で延期になった江戸東京博物館の「秀忠と江の寺増上寺展」だっけ
あれの図録とかは そういや、お六の方の短編小説すらあるのに
西郷局の話って短編ですら読んだことないんだけど、あるのかな >秀忠と江の寺増上寺展
3月27日〜5月27日の予定
江戸博HPの展覧会スケジュールに入ってる
どうにか都合つけて観に行きたい 家康以外は50前後で亡くなってるんだね
家康がもし50で死んだと思ったら(北条征伐直後)長生きの効果は大きい・・・ 今日のブラタモは増上寺周辺の再放送か
秀忠霊廟CGを拝もう 小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10 競馬でメイショウヒデタダってのがいるんだが一般人はその響きにどう思うんだろうな そういえば無敗っていえば無敗か
ってかあの時期の若い二代目になるとほとんど全員無敗になるんじゃねーか?
負けたら即滅亡って戦いばっかりだし 生き残ったのは全員無敗 >>530
一般人はそんなに気にしないだろう
歴史オタだと吹くだろうがw
秀忠っち、お誕生おめ(^з^)-☆Chu!!
江ちゃんと仲良くお過ごしください。 4/26 20:00〜21:00 NHKBSプレミアム BS歴史館 保科正之 そういや、出典は知らんけど
「頼房が生涯正室を持たなかったのは江のせいw(←乱暴にまとめると)」
という逸話があるみたいだね
内容は極めて胡散臭いんだが・・・ 乱暴すぎるだろwwwwwwwww
水戸藩の史料が出展だったとおもう
頼房の正室は
兄貴たちの正室より格下だけど家康の息子の妻として不足ない身分の娘
を探さなくてはいけない面倒さ
&豊臣や朝廷とのゴタゴタ
&本人の女癖
が原因で選定に難航したんじゃないか 家康存命中は家康の指示に従うだけでたいした戦績、武功はなし
家康死んだ途端に諸大名改易ラッシュ
こいつはマジでクズ 千姫をボロボロに書き殴っているという永井路子の本を読んだけど、
千姫に「なぜお市の方のように夫に殉じなかったのか」と言い、
謎の死を遂げた築山殿には「そんなに気位が高いなら殺されても仕方ないよね」と言う永井路子マジぱねぇ
敗者の子で側室腹ある天秀尼の助命嘆願をしただけでも行動的なお姫様だと思うけどな。 永井さんは結構贔屓が激しいからな
時代は違うけど、旦那生前にその旦那の父(つまり舅)と再婚しろと言われて
きっぱり断ったというエピソードがあるにもかかわらず
平徳子を自分の意思がない人形のような流され女性とこき下ろしていたからな
生き残ったのは本気で死ぬ気がなかったから、本当に死ぬ気だったら死ねたとかね 生き残ってもいいじゃん
菩提を弔うことは生き残った人間しかできないんだし 明けましておめでとう
秀忠に関する本一冊でもいいから今年出ますように
この人が詠んだ歌とか書とかまとめてる本がほしいわ 日英交流400年:両国の民間グループ、イベント開催へ
ttp://mainichi.jp/select/news/20130111k0000e040162000c.html?inb=ra
>日英関係をめぐっては、英国王ジェームス1世(在位1603〜1625年)が1613年、
>江戸幕府を開いた徳川家康に初めて書簡を送り、二代将軍秀忠が返礼したことが
>最初の政府間の交流とされる。
秀忠が返礼してるが、書簡は大御所の家康宛なんだな
スペイン国王も家康に時計を贈ったし >>547
おおすげぇ!こんなのもあるんだ
1613年なら将軍は秀忠だし、代表として返礼するんだろうが
やはり大御所の家康の存在は絶大なんだろうなぁ 記事に出てくる秀忠が贈った甲冑
ttp://www.royalarmouries.org/visit-us/leeds/leeds-galleries/oriental/japan/single-object/3
家康のお抱え具足師、奈良の岩井与左衛門作 1610年製
1613年にジョン・サリス船長を通じてジェームス1世に贈られた
でいいのか
2個贈ったうちの1個みたい ロンドン塔にあるもう1個の甲冑
ttp://www.hrp.org.uk/TowerofLondon/stories/palacehighlights/FitforaKing/Starobjects
写真と説明見たかんじリーズのと全く同じ
1662年から展示されているが、長い間ムガール帝国皇帝?の甲冑と誤って紹介されてたと 永井路子の本を買おうか悩んでたんだが
千姫様が大ファンな俺は買わなくて良かった… 永井路子は偏見ひどすぎるからな…
昔は面白く読んでいたんだけど、いま読むと必要以上に嫌な人間を書くなぁと思った
登場人物全員に感情移入出来ないくらい、嫌な人間ばっかりだし 大阪の陣の時、お江が何をしたか史料が無いと聞くが
もしかして淀に手紙送っていたけど、あの戦のおり燃えちゃったんじゃないのかと思うんだが
江戸城の御台所で次期将軍の母なら勝手なこと出来ないし、手紙送るのも危険そうだけどね 仮に手紙贈ってるとしたら次姉宛の方が可能性高いんじゃないの
初は大坂の陣で仲介役やってるし http://www.nhk.or.jp/historia/
千姫の肩書筆頭は「家康の孫娘」か 当然だけど
「秀忠の長女」は多分3番目くらいだろうな 呪われしプリンセスってひでータイトル
明らかに悪意を感じるわ
母親のお江さんも結婚三回目なことも呪われたとか言われそうで嫌だなぁ 忠輝とは仲良くなさそう。忠吉は同母弟で早く死んだし仲良さそう。秀康はやっぱ微妙。御三家は知らん 家風=初代の意志意向と考えると
御三家とは普通に悪そう そもそも戦国大名の兄弟肉親に現代的な家族仲を想像しちゃいかん 家光にとって忠長が脅威になると思っていなかったようだし
(問題起こした後に慌てて蟄居させてはいるが)
同母弟の忠吉とは上手く行っていたのではないかと思う
忠吉がよそに出されてたのが大きいだろうけど 忠吉が亡くなって凄く悲しんだという話しをどっかで読んだなーなんの本だったかな
御三家とはあの鼓の逸話思い出すな >>6
>>8
二年前の書き込みに亀レスだが
義直の義の字は八幡太郎義家か新田義重のどちらかから来ていると思う。
義経は無いんじゃないかな 14年新春時代劇に隆慶一郎原作の「影武者 徳川家康」をやるっていうけど、
秀忠好きには凄く嫌なニュースだ。 それ読んだことないんだけど ただ嫌な奴になってるの?
まわりまわって悪役として魅力的と言われても 嫌われるのは嫌だな 漫画よりは陰険ではないぞ原作は。
役者が上手い人ならおいしいと思うが
あの内容を鵜呑みにするような方は放っておけば 影武者は漫画版しか知らないけど、
秀忠は父親の恩恵を最も受けている人物なのに、影武者では家康を嫌っているのがよく分からない。
原哲夫って、敵側とはいえ実在の人物を北斗の拳の悪役のように醜悪に描くのがなんか嫌。 良くないとは思うんだけど、家光関係や春日局関係が絡むと
途端に秀忠やお江が悪者になるか愚者になるから、相対的に家光や春日が嫌いになってしまう
未だに必ず秀忠やお江が悪者になるんだよな あまりにも多いから未だに史実と思ってる人もいるし
まあ何が史実かなんて本当の所は判らないけど、俗説信じて決め付けるやり方はもうやめてほしい 1621年9/12に江戸城で能があって、秀忠が景勝と義宣と政宗を呼んで楽しんでたり
10/14に秀忠が数寄に、またこの三人を呼んでいるんだよね。
ワリとこの4人ってウマがあったのかねぇ。
景勝は1623年3月に死去するから、このメンバーが集ったのはレア。
1622年9月に最上改易で景勝は山形へ兵を送っているが、あるいはこの時に政宗にあっているのかも試練ね。 へうげものの秀忠は、ねね様評「とてもできた子」。
でも、豊臣家を潰すことには何も遠慮なさそう。 秀忠って将軍になる以前の書状がほとんど残ってないんだよな。
家康と信長の間の書状もほとんどない。
江戸幕府が収集して破棄したんだろうか。 >>566
基本、「俺の考えた超カッコいい主人公」が無双する話だから、
敵役に廻された時点で、その人物の扱いはお察しってとこだな。
まあ、この作者の小説をそれなりに読み込んで、
「この人の話って名前が違うだけで主人公全部同じだよね」という達観に達した後で読むと、
秀忠や宗矩が裏返って魅力的に見えてくる感じかなあ。
主人公が強過ぎて非現実的な分、敵役がまともに見えるという。 どうしたって戦下手の無能な悪役扱いになりそう あーやだやだ
いい加減この判子的なキャラ付けどうにかしてほしいな
碌な史料も見ずに、こいつはもうこれが定番だろ みたいに作ってるみたい
定番しか作れないのなら最初から作らないでほしいわ >>575
みんなで若い時の話をして盛り上がってたのかもね。
秀忠も含めて東国組って感じだしな。 昔にやったテレ朝に高橋秀樹主演「影武者徳川家康」での秀忠は市川右近
いつも「おのれぇ、世良田めぇ」でぷんぷんしてたのが気の毒だったw >>575
秀忠を除く3名同士が気が合うかは微妙だな
特に伊達 伊達は、話が面白いんじゃないかな。家光に気に入られていたみたいだし。 家康…大物に恐れさせる
秀忠…小物に疎まさせる
家光…若者に敬わさせる
主人公を上げるために使われてるのは一緒だが立ち位置で貧乏くじ引かされたいい例 真田幸村の大河が決まっちゃったねー
秀忠も隆慶先生の秀忠みたいな奴になっちゃうのかな
それとも家康がいないと何もできないただのヘタレにされちゃうのかね
あーもううんざり 真田家がでるといつも引き合いにだされてこき下ろされるんだよな
だから最近真田家の名前見るのも嫌になってきた
秀忠はおろか徳川家をボロカス扱いして、正義は真田にありみたいにされそうですっげーいや >>588
同じ思いの人がいて嬉しい
第二次上田合戦は見たくない
だいたいストーリーが見えてる
そもそも秀忠さん好きとしては
信之は別として真田親子が嫌いだ >>589
こちらも同意してくれる人いて嬉しい
真田家自体ならいいんだよ あの時代を知略で生き抜いて家を残すって大変だし凄いと思う
でも真田信者というか幸村信者はすぐに他の奴sageて手柄全部幸村の物にして
幸村すげーぱねぇというから本当にうざい
大河始まるとこういう人たちの暴走でますますうざい空間になると思うと今からうんざりするよ…
まだ地道な活動している藤堂高虎の方が良かったな 真田関連は必ず秀忠か徳川がsageられる宿命だ
自分も見る予定ないし終わるのを待つだけだよ 徳川と秀忠からしたら真田はsageるに足らない存在であって
敵対者をsageるのはいつの時代でものことだからまあ仕方ないと思う
個人的には味方なのに秀忠を暴君化させて現代なら個人的恨みで党から追い出そうとする総理が辞めるまで耐えた
実は入党も家族絡みで断腸の思いだった、だから凄く苦労した偉い人、なプッシュされてる信之の方が訳わからん 真田は徳川の功労者。上杉、関ヶ原の両睨みで江戸防衛には絶好の地。
関ヶ原が1日ですんで、上杉が蜂起しなかったから、馬鹿のように
見えるだけ。
もし単なる拙劣攻城での遅参なら秀忠は将軍にはなれない。
関ヶ原の後の措置は単なる言い訳に過ぎない。
真田やるときはこの視点を忘れるべきではない。 >>577
不思議だよね
徳川が歴史から抹殺しようとした豊臣家や豊臣秀吉の書状はたくさん見つかってるし
あと秀忠自身も家康以上にVS豊臣強硬派のくせに
高台院(おね様)を大切にしたり、秀の字を残したりしてる その時期の徳川家の内部資料が意外に少ないのは明暦の大火のせいだろうと言われている そうか、
大坂の陣で奪った豊臣の財産とかもあったかもね 秀忠の幼い頃書いた書道の掛け軸が何でも鑑定団にでてたね
あと将軍の前になら、唐入りの時病気で行けなくったので
浅野幸長に行けなくて申し訳ないって言った手紙残ってるみたいね この前徳川関連の歴史番組があったんだが
それの実況スレ見てると、未だに秀忠はただのアホで
家光が頭良かったから幕府は上手く運んだって言ってる人がいてびっくりした
本当にアホならあの家康が跡取りにするかっての >>599
二代目がバカだったら
幕府なんかとっくにつぶれてるってね そもそも家光時代に御家騒動起こってなかったっけ
優秀なのは秀忠までと見てたよ もし秀忠がもう少し長生きしてたら島原の乱にどんな対応してたかな?
家光とあんまり変わらない? それとも自ら赴いた? 本人は行く気満々でも周りが高齢を理由に止めたと思う
(アンタが行ったら負ける) 昌幸と幸村は絶対秀忠のこと雑魚いと思っただろ
信幸もそう思ってたかもしれん 今更だけど増上寺の台徳院霊廟の模型
見に行った人いますか? >>606
武将としたら真田親子の方が上だが、政治家としたら秀忠の方が全然上だよな 信之は政治家として結構優秀だと思うが
まあ将軍と藩主では求められる政治能力は多少違うだろうけど 江戸時代通じたらたかだか10万石の信之レベルの藩主なんて山ほどいるだろう
将軍はまず15人しかいない 秀忠はその15人の中でも確実に優秀の部類に入るしな 今更だが、真田丸の秀忠は星野源か
昔の通説みたいに無能な凡人として
描かれるのかな 家康が大坂や伏見あるいは名護屋とか行っていて所領を留守にした時、
江戸をはじめとした関東の領地の経営の責任者は秀忠がやっていたのかな? 秀忠は主家を滅ぼした後も秀吉から
賜った秀と言う字を決して捨てなかった
普通、父も元康から家康に変えたようにああ
いう場合は通常変えるのに変えていないわけ
はあるのだろうか >>615
あえて改名しないことで
「秀吉の正当後継者は徳川、なかんずく我である。正義は我にあり」
と言外に表現したのではないか。
名づけ親のくれた名を改名することは、名付け親との縁を切るということ。
つまり豊臣政権を徳川が簒奪したという口実を与えかねないので改名しなかった。
という考えもありではないか。 陶晴賢も主君を討った後は改名した
家康も今川家から独立後は元康という名前を捨てた
秀忠はなぜか残している
将軍という立場上、大坂方は滅ぼしたが個人的には秀吉夫妻
に可愛がられていて思い入れがあった、とか 豊臣家はまだ残っていたから、無用な刺激を避けるために、家康が名前を使い続けるように
命令したんじゃないかな
で、大坂の陣の頃には、今更名前を変えるのも面倒なので、そのままにしたんだろう 将軍になってから名前変えたのって江戸幕府にはいたっけ?
偏諱の問題とかもあって変えなかったのかもしれない 改名なんて豊国社をわざわざ破却する労力よりはカンタンなのに
やらないのは謎だわ
他の武将も秀の字を捨てなかった者もいるが、そいつらは豊臣恩顧の
人ばかり 秀忠の場合は・・・
高台院とは親子のように仲がいいのを見ると理由はなんとなくわかる 秀忠ってけっこう陰湿というイメージがある
あずみのせいですけどww >>620
将軍になってから改名したのは家祥→家定くらいか
綱豊→家宣、慶福→家茂は将軍就任にあわせての改名
頼方→吉宗は紀州藩時代
室町幕府将軍は将軍になってから改名してるのそこそこいるんだよね
初代尊氏は「尊」の字捨ててないけど 秀忠って一人だけ家がつかない将軍なんだよね。
俺も秀忠って陰険な奴と思ってたけど、秀吉が好きだから名前変えなかったのなら、
なんかちょっと好きになったわ。 秀吉夫妻は子供が居なかった分、養子どころか人質の子までわが子の
ように可愛がったし、教育も徹底的にやった。
秀康とか秀忠とか親の愛情をまともに受けていない子らは余計に
衝撃を受けたろう 豊臣征伐に積極的だった秀忠が、そんな情義的理由で秀の字を残すかな?
将軍になった途端、趣味だった鼓もきっぱり止めてしまうような秀忠だから
なんか政治的打算な理由な気がする 捨てても別段プラスにはならないが、秀の一字を残すだけで「権現様と違ってほんとは豊臣家に情があるのでは?」という利用できる勘違いをうむ効果を狙ったのかも?
あるいは極端に「政治的人間」である秀忠には自分の名前でさえ、さほど興味の無いどうでもいいものであったのか? 高台院は大坂滅亡後も豊臣の人だが、彼女とは
引き続き仲がいい。でも彼女の死後もかえなか
った。 将軍の立場と個人的情感は分けていたとしか思えない 秀忠の遺体に銃創が残っていたらしいが、秀忠が参加した戦って
上田の戦と大坂の陣くらいだしどちらで傷を負ったんだろう 普通に考えれば大坂で本陣が急襲されたとき負った傷なんだろうけど
大坂方でもそういう決死行の時、攻撃に制約のある火縄銃を携行する余裕があるかな >>629-631
仮に政治的計算があったとしたら、「秀吉の政権をも吸収した全国政体(江戸幕府)の
指導者が自分(秀忠)である」と誇示する狙いなのかも。 >>632
遺体調べたら意外な程に筋肉質だったらしいね、秀忠 >>637
自分のかみさんの江が病気だっことで、予定を変更して帰る途中、かごの担ぎ手が
「なんで、こんなに急ぐんだ?」
「かかが病気だからさ」
「婆の為に急ぐんか」
と軽口たたいた二人を怒った秀忠がねじ伏せてぬっ殺したって話があるくらいだから
相当の剛力の持ち主と思われる。 バキの話でもあるまいし、人を素手で畳める奴などいるとは思えん >>637
キン肉の付き方で骨の形に変化があるからある程度推測できる そんなグラップラーに「たわけ!うつけ!まぬけ!」と怒鳴れる家康ってスゲーなw 『北斗の拳』の世界じゃないんで、肉弾戦での強さで上下関係が決まってた訳じゃないだろ?(笑)
実際どれくらい強かったか知らんが、かの宮本武蔵ですら、島原の乱では原城から腹ぺこキリシタンが
投げた石が脛に当たって、「アオーオッホッホ」と『トムとジェリー』のトムみたいに悶絶したんだから。 >>642
実戦剣術の皆伝者にして馬術、水練の達人、二人持ちの狭間鉄砲で雀を狙撃できる膂力スナイパー
の家康なら馬鹿力程度の息子なんぞ、恐れるに足りないだろう。 話半分に聞いておいたほうがいい
足利学校なんかも家康が保護したと信じていたけど
あれ関白秀次が保護していたのを秀次が書物を奪ったと
いう事にしてのちに家康が保護したことになっていたからなw >>647
小和田哲男氏の著作でも見てみたら
「浅野家文書」に秀次が保護した記述があるけど
一般的な「正史」では家康になってるからw >>648
ないわー流石に小和田信じるのはないわー >>649
なぜならカンタン。君が家康信者だからです >>646
当時の豊臣家は天下様だから文化保護は責務の一つ
秀次が盗んで行ったかの表現は違和感ありあり だな 改名となるとあれこれ手間も金もかかるからじゃね
何かあるたびに改名だ改元だとやり始める習慣化されても困るし 単純に秀忠という名前が気に入っていたからだろ
主家から貰った名前だから主家を討った以上は変えるのが通例
でも秀忠は秀頼は討ったが、秀吉を討ったわけではないので >>657
かわいそう〜〜って思ってたんじゃないの?
弟の俺が跡継ぎになっちゃって兄貴かわいそう〜〜って
それぐらいの普通の感覚はあったんじゃないかな
家光ほどの猟奇性は感じない 駕籠どうぞどうぞする逸話見るに哀れみというか遠慮してるんだろうなとは思う この頃は母親の血筋と言うものも重要視されてたからなぁ
それを考えると単なる長幼の序だけで、秀忠が秀康の事を
判断し、考えてたか疑問を感じるな 俺は尊敬してるゼ→二代目
親父は人質から始めて、色々有ったろうけど天下人
部下は(脚色されてるとしても)凄まじく有能
外様大名は己の気良で生き残った英雄
せがれは、「生まれながらの将軍である、キリッ」 めちゃめちゃ温厚で我慢強いイメージがあるけど
人殺スイッチが入ると何があっても許さない感じ 利用できるなら親父のカリスマだろうが
恐妻家の噂だろうが、とにかく自分の
目的の為に何でも利用する政治大好き人間って感じがする 英雄たちのなかに1人一般人がいる感じ
相当気を張ってなけりゃつとまらない
それでちょっとキツイことばかりやりすぎたか 隆慶一郎はなんで秀忠をあんなキャラにしたのか
なにを根拠にして人物像を作り上げたのか
逆に興味があるな >>666
主人公の影武者に対して、悪役というかライバルを用意するには絶対権力者の家康に次ぐ立場の秀忠のキャラクターをあのように設定しないとストーリーが成り立たないって事だろうな
主人公→善良な理想を掲げた人、家康(影武者)
ライバル→律儀な後継者、秀忠
ではストーリーが成り立たないし、他に家康とまともに対抗できる人物もいないし
ホームドラマ仕立てにするならともかく >>623
尊氏は鎌倉幕府滅亡後も3カ月くらい「高」の字を捨てていない
恐らく主上から偏諱を受けなければ後生大事にしていたのではないだろうか 尊氏の場合後醍醐天皇と敵対した後でも、生涯尊の字捨ててないからな
秀忠がその故事を手本にした可能性も無くはないだろうけど 秀忠は明らかに主君からの偏諱だから主君の家を滅ぼした後は
普通は変えるが変えていないのは豊臣公儀からの正当な継承者を
アピールするためとか?
徳川家の征夷大将軍は生前の秀吉が望んでいた、という話もあるし
(東西(西は毛利家)の将軍の上に羽柴武家関白が統治するという構図で) 息子に「高」の字を与え
その後通名にまでしてしまった京極家って一体…
まあ大河太平記でも道誉と高時仲良かったもんな コンビニでレジ待ちしていて前の高校生が衝撃的な話をしていたので書く。
「期末テストの社会で「原発は賛成か反対か意見を書け」ってあったんだよ。だから俺、「反対」って書いたらバツで返された。意見書けってのにバツっておかしくねえ?」
https://twitter.com/guchirubakari/status/759515386014334976
東 海アマ サンマ以降のバラエティ芸人の大半が、暴走族出身で極右思想。原発反対派を「放射脳」と嘲笑する連中。
芸能界極右は石原慎太郎一家を筆頭に、上田晋也 草野仁 津川雅彦 向井理 松本人志 宇多田ヒカル マツコ 春日俊彰 田村淳 北村晴雄
https://twitter.com/tokaia mada/status/630627400552845312
名無し 食べて応援で人が何人死んだみたいな無茶苦茶なこと、福島県の人に対してよく言えるな…。見苦しい。
https://twitter.com/tok aiama/status/720726309240836097
千葉麗子 「科学的根拠も示さず福島には住めないなどと風評被害をまき散らしている」
奥田知志 「薄い放射能〜大丈夫だっぺ〜食べて応援」 NPO法人抱樸理事長 SEALDs奥田愛基氏の父親
青山繁晴 「放射線障害で、つまりいわゆる放射能にやられたって意味では、亡くなった方はもちろんゼロで、治療を受けた人も、1人もいないんですよ。ね。
副島隆彦 「ホテル 放射能」を建設しよう。また、愚かな「放射能コワイ、コワイ」派の敵どもが、ギャーギャー騒ぐでしょう。 福島では、誰も死なない。[1792]
リチャード輿水 「なぜ、福島が安全なのか、10月11日(日)のRK佐久講演を聞けば、全部、わかるよ。」
ベンジャミンF フクシマが大変だ大変だって、あれはもうプロパガンダ、嘘八百なにもない。26分40秒〜
https://www.youtube.com/watch?v=KRd6O5bwN9M
週間AR 「自分を『負け組』と考え、反原発を主張することで正義の味方を演じ・・・」山本太郎の事かと思った。
https://twitter.com/aka shicr/status/592255976788504577
開沼博 良識派ヅラした偽善者の傲慢に付き合うな。コメンテーターの室井佑月が(略)あたかも自分が正義であるかのように語り続けていました。
https://cakes.mu/posts/7862 御三家って尾張、紀伊、水戸って思ってたけど、
ほんとは紀伊じゃなくて駿河だったらしいね 家康がものすごくかわいがって、
自分の隠居城をそのままゆずると言っていた
それを西への対応がどうのこうのといって、駿河から無理やり紀伊にやった
紀伊じゃなくて大坂100万石にしてくれといったが無視された 秀忠は身内にも厳しいからなぁ
息子の忠長も勘当して蟄居させてるし 頼宣にも一応西国転封の際、再建された大坂城を領することを願ったけど、
かなえられなかったって逸話があったじゃないかな
司馬遼とかの小説では扱いの悪い安藤直次に納得させるよう説明させたって
逸話もついでにあったような気もする >>677
と言うか秀忠が甘い相手っているのか
お江ですら朝廷対策等を見るに
恐妻家の噂を利用した印象があるのに 息子達は論外、正之に至っては生涯会わず
弟達は全国統治の為利用、役立たずとみれば改易
娘の嫁ぎ先にも不祥事があれば容赦なし
ただ北政所とか阿茶局に対する態度を見ると
母親的存在に対する態度は多少甘いかなって程度か 実直な人物ではあるが、どうにも陰湿なイメージがあるな >>682
そのイメージは大体隆慶一郎のせいだからとっとと棄てた方がよい >>682
自分は政治、統制が大好き、その妨げになるなら
趣味だった鼓だってきっぱりやめますってイメージだな 信長にしたって信忠に生前家督譲っているし、
他にも今川とか毛利、大友とかその他諸々
生前家督譲られた息子多いのに
秀忠はその譲られた家督が将軍だったんで
評価割り喰っていること多いよね 一番わからんのは、秀吉死後もなぜにあれほど江与を厚遇というか尊重したのだろう
恐妻家である必要(妻の実家の権力)はまったくなかったのに
唯一あるとすれば、妻の姉が豊臣だというくらいでしょ
わからないな 秀忠は豊臣家に苛烈と言われながら、結局は秀吉から賜った秀という字を
終生捨てていない
そして大坂の豊臣本家が滅びた後も上京した際には京都新城の高台院を
訪ね丁重に扱っているし、北政所が羽柴家が絶えてしまうと嘆くと養子を
取ることを認めた上に、3000石の旗本とはいえ滅亡した大坂の豊臣本家の
後継と認めたのは驚く 秀忠は豊臣家に苛烈と言うより秀頼に対して苛烈なんじゃ無いか
舅の自分に敬意を払うことが全くなく、苦労知らずで現実認識能力が
欠けているくせにプライドだけは高くて、昔と今の違いも分からず
我が儘言いたい放題な上に、自分が頭が上がらない家康が
無用に気遣いを払っていて、冷徹な政治家の秀忠としては
害あって益無しの、無用な存在が許せない相手だったんじゃ無いのかな 秀忠は冷徹な現実主義者だからな
過去の栄光や血筋などを理由に
妄想の中で生きていて我が儘言うような奴は
婿でも息子や弟、甥だろうが許せないんだろうね 兄、秀康に気を使ってたエピソードがあるけど、結局兄の子を粛清してるしなあ
面と向かってはヘコヘコ頭下げるけど、あとで家来に殴らせるタイプ 問題起こしてない秀康と問題起こした忠直ちゅうだけだろ
つか秀康はそこそこ名君やぞ 秀康の子供が皆冷遇されていたならともかく
忠直以外はそれなりの待遇を受けているから問題児に厳しいというだけだよな 忠直も秀忠から見れば甥であると同時に婿だけど
容赦なく改易してるし、史実か俗説か分からないが
家光より幼少時は可愛がっていたという忠長も
勘当しているからなぁ
問題ありと見做せば容赦ないよな
忠長可愛がっていたというのも家光や正之への態度を見ると怪しく感じるし
家康は息子に対し冷淡って説もあるけど、秀忠の方がより強く感じるな 将軍の継承にしても制度として安定してたわけじゃないからね
相続で揉めての飛び火から崩壊というありがちなパターンは避けたかったんだろ 秀忠凡君、家光名君って評価から
家光凡君、秀忠有能な政治家って
評価が逆転したのはいたくらいからだろう 海音寺や南條は秀忠は兎も角、家光に対しての評価は低かったな 家光は政治に関してはボンクラじゃなかったけどな
ただ、ガチホモで危うく断絶しかねなかったから武士としては無能 >706
本人は至って真面目にふざけた結果w
これはこれで味がある 姑息とは、その場凌ぎという意味である
まことは、その場凌ぎで、自演の否定をした 昔、ヒストリアで人質となって前田家を守った芳春院をテーマにした回があったんだが、
そのラストの方で、侍女だったか親族だったか、ある娘が今度結婚するんだけど、
自分は再婚で年上であることを負い目に感じていたらしく、それに対して芳春院が、
秀忠と江の仲の良さを例に挙げて、あんな仲の良いご夫婦は見たことがない、
江も再婚で年上、だから貴方も気にすることないし大丈夫ですよ、みたいな文を書いた、
・・・という話が出て来たのが何となく記憶に残ってるんだが、記憶違いかな?
芳春院にあまり興味がないせいか流し見してて、ふっと思い出したんだが、
別の誰かとの記憶違い??それか二次・三次史料の類か。 大坂幕府構想のニュースは
隠居城の可能性もあるんじゃないかと思ったり >>714
発売は来月か。ただ著者が山本博文というのがちょっと微妙だな >>714 >>716
今月には「家康」も出るよ
2ヶ月連続発売だ 名君のようなそうでもないような うーんわかりにくい 人物叢書
信康の切腹は信長の命令説を取ってなかった
良かった 立ち読みだったが
大久保忠隣の改易を正信主導だとか
家康が後継者を諮問して忠隣のみ秀忠を推したとか
そういうのは否定してたのはよかった
将軍時期のページが多かったと思う
家族についてはあまり多くは触れていない
だから新旧参考文献色々ある中で野村弦氏の『徳川家光』は参考文献になかったね >>722
人物叢書別冊「人とことば」の徳川家光のページの参考文献には挙げられてるよ
>ミネルヴァの「家光」 秀忠は、徳川元和大坂城築城の号令を発し、大天守のまわりに三層の小天守を8基も並べている。これは豪華すぎる。大坂の町人も、時代は変わったことを、嫌でも認識しただろう
また、元和8(1622)年の東日本大規模転封も注目される。これは、最上家改易を契機とするものだが、鳥居、内藤、戸沢、六郷、真田、酒井、仙石を一斉に移動する大規模なものだ 今更な話ならゴメン
エアリズムシームレスブラキャミが値下げしてたからオンラインで黒、グレー、カーキをまとめ買いしたんだけど、今のブラキャミってすごい進化してるのね
アラフォーの垂れ胸がしっかり寄せて上げられて感動w
アンダーも苦しくないし、シームレスだから肌当たりも気持ちいい
これはブラ要らずで過ごせるわ
エアリズムブラキャミの生地って丈夫で全然へたらないから何年も前の使ってたけど、
横から見た胸のシルエット違いすぎで速攻古いやつ捨てたw 大阪城博物館の3Fには秀忠が建築を命じた徳川元和期大坂城模型が飾ってある。一見の値打ちがある。 >>724
鳥居 陸奥磐城平7万石→出羽山形22万石
内藤 上総佐貫3万石→陸奥磐城平7万石
戸沢 常陸松岡4万石→出羽新庄6万石
六郷 常陸府中万石→出羽本荘2万石
酒井 信濃松代10万石→出羽庄内13万8000石
真田 信濃上田9万5000石→信濃松代13万石
仙石 信濃小諸5万石→信濃上田6万石 頼朝―頼家―実朝
尊氏ー義詮ー義満
家康ー秀忠ー家光
こうやって書くと二代目って大事だね。創業と守成どちらが重要か。
秀忠は家康のことを尊敬する、まじめな二代目。戦国大名は権力が
大きいから、当主と嫡子の間には緊張関係があり、徳川家でも信康
事件が起こっている。秀忠にはその心配がないから、いい息子だね。 >>686
秀忠は将軍職だけだろ
(家督は家康→家光だったような) >>738
足利義詮は将軍職
足利基氏は足利家(鎌倉公方)の家督 そもそもどこを初代扱いするかで話は変わってくるからな >>718
関ヶ原の功労者だろうが譜代だろうが危ないと思った奴はガンガン改易してたからゴリゴリの武断派 信康が余計なことせず、長生きしていたら
尾張藩初代藩主かな? REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担