徳川秀忠 その2
前スレが落ちてたので立ててみた
スレタイはシンプルに
というわけで、
徳川二代将軍について揉めてください。
前スレ
【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156998657/ >>98
例の家康が送った女中を、一切手を付けずに送り返したって話の絵だろ 寝ようと思っていたけど、客が来たので
正装に着替えて持て成して帰したんだったね 今年の大河批判するのは自由だが
批判の中にサラッと根拠のない妄想を混ぜこんで史実の人物を悪くいう人は
大河スタッフと同じで歴史上の人物に敬意がないな
そういう人が多くて呆れる >>106
自分もそう思う
アンチスレでドラマ批判している中に、己の無知を棚に上げて
マンガやドラマなどの俗説だけの知識を取り上げて、史実の人間すら馬鹿しているコメント書く人は
しょせんあの大河の脚本家と似たり寄ったりな人だよなあ
そういうの見るの嫌だから、あそこも見なくなったわ アンチスレは見てないから分からないけど、今の所
あの大河見てたら、特に江とかはあんな下品な姫にされ
当時の感覚を持ち合わせず
豊臣に保護されてるのに反抗的な我侭娘にされ
大河ひどい、史実の人に同情っていう流れになりそうだと思ったんだが
史実の人まで馬鹿にする人がいるのか・・・・
大河で、良い風に描写されてるの、茶々位じゃね? そうかなぁ 茶々も性格とか本当の所は分かってないのに
一人のわがままの為に、豊臣滅ぼした悪女ってレッテル貼られてるように見えるが
今期の大河に便乗しての悪口は、江とか茶々とか秀忠のも見えたね
まあ大抵は、今までの通説を更に歪曲したような言い方だったけど 江って浪費家だったんだよね
秀忠を冷静な男に描くということは関ヶ原遅参はわざとということになるのか?
この二つにはマジ呆れた
浪費家と言われるのは、娘の和子じゃないか?
でもその浪費だって、経済活動に文化を発展させたのを思えば
一概に責められるものじゃないと思うけど
まぁそれにしても、あんなファンタジーでコメディなのを大河ドラマって枠でやるから
便乗叩きも増えるんだろうし、残りをしっかりしたのを作って欲しいわ・・・・
この先、江は嫉妬深く、秀忠は恐妻家って風にならなきゃ
えー違うだろ!!って叩くのかな・・・・ 本来そっちの方が間違っている(というか信憑性にかける)のに
なんで頑なに大奥のような設定を持ちだす人がいるんかなあ
別に大奥を批難するつもりはないけど、その設定みたいのなら大奥みればええやんと思うが
江主人公ならせめて、従来とは違った見せ方してほしかったのに、本当にがっかりだ 秀忠江夫婦は、仲が良いという風には解釈されないよね
秀忠は側室は持たなかったわけだけど、江を愛したわけじゃなく
ただ江を恐れて側室を持たなかっただけの恐妻家って大体されるし
ここらの時代を著わすのに、単に仲が良いでは面白くないからか
春日局にしたってバトルがあった事にする方が受けるからかな そんなに仲悪かったら、家光生まれた時点でもう床は共にしないと思うんだけどな
家光生まれた時点で、お江さんもう30過ぎだし
それでもその後に忠長・和子と産んでる辺り、普通に夫婦生活は良好だったと見えるけど
そもそも、秀忠の数々の逸話見る限り、この人絶対女性の尻に惹かれるような性格してないと思うわ 夫婦仲の良し悪しのイメージなんて小説やドラマでの書かれ方が広まってしまっただけの話だからなあ
それにしても江が死んだ後も秀忠が妻を恐れ続けていたなんて解釈するのはいくらなんでも・・・・・・・
>>114
大奥は和子が登場しない、大坂方スルー、お振の方が登場しないという
歴史モノとは言い難い代物だから
まあ大奥が史実云々いう人が現れるたらそれを指摘すればいいよ
男女のドロドロドラマとしては面白いけど歴史モノとしてはみていない 大大名や将軍が「恐妻家」なんてセコい立場に身をやつす理由が分からんな
そんなに嫁が嫌なら、秀吉死後誰憚ることなく城の一角にでも隔離すればいい話
よしんば秀忠がヘタレだったとしても、家康や家臣がそうするだろう
「恐妻家」って、まるで江戸時代の下級武士以下か
現代の一戸建てor4LDK住まいのサラリーマンみたいな感覚だ >>117
実際秀忠を「恐妻家」と呼ぶ輩が現れたのは明治時代のようだしな
というか大大名の子息として生まれ育った秀忠が
一応格上から嫁いできた妻とはいえ「女を恐れ」たりするのかね
女にヘコヘコするなんて有り得る話なんだろうか
「気を遣う」とかならわかるけど あの家康の世継として育てられた秀忠が、女に及び腰な訳ないわな
秀忠の行動の解釈が、なんか一々悪くみせるように解釈してるのがなあ…と
お江さんが忠長を自分の母乳で育てたってのも、いかにも近代的な解釈だと思う
あの時代は、自分の子にはより良い乳母をつけるのが、最高の愛情だろうに
歴史研究家の人だってそれ知ってるはずなのに、何故かお江さんの考察本には
忠長の乳母のことには一つも触れずに、自分で育てたみたいに書くのが解せない 江さんが、6つも年上で、秀忠と婚儀あげるまで、二度の結婚歴あり、子供1人ありって身なのが
特に近代入って処女性重んじられてきたし、そんな女に惚れこむなんて有り得ねー
江を恐れていたからに違いない、ってもなったのかな???
でも特に歴史研究家なら、秀忠が権力失った豊臣の養女にいつまでも遠慮してた
ヘコヘコしてた、って解釈するのが変だとは思わないのかって思うんだけど 豊臣との関係の変化に着目してないことが多いかな
あとお江の火葬の件もどうにかならないのか
お江さんの火葬は、毒殺されたのを隠すためとか
それこそミステリーの読みすぎと失笑したもんだ
お江さんはゆっくりゆっくり、体調崩していって、寝込んだ上での崩御だし
当時の火葬がどれほど手間暇と金かかるか知らないんかな
この火葬の様子が詳しく書かれているのを読んでも、豪華な火葬だなと分かるのに 恐妻家だというのが正しいとして、側室持ちたかったのに我慢してたとかなら
江が死んだ後、側室置いたりして、せっせと女に入れ込んでるでるだろうに それどころか側室もおかずに、晩年は(江が眠る)増上寺に埋葬しろと指示して
享年が江と同じ54歳だなんて これだけでロマンを感じる
この夫婦は、今までの通説などなければ
普通に仲の良い夫婦だったと言われてもおかしくない要素が沢山あるのに
本当に勿体無いなあと思う 誰のせいだよ まあみなさん落ち着けよ
長丸くんが慶長五年十二月生まれなら秀忠が不在で江だけがいる江戸城で生まれたことになるよな
秀忠は九ヶ月から八ヶ月前に江戸にいたとすると生母が江戸で出産したのは間違いないし
慶長六年説もあるからややこしいが 長丸といい保科正之といい
どうも孕ませたタイミングが、どちらも嫡子に恵まれないから仕方なくって感じにも見えるんだけど
長丸の時は、関ヶ原の戦い中だし、死んでしまうかもしれないから、今の内に子供作っておかないと
として適当に家女選んだとか(それにしても一人は少ないけど)
正之も、家光生まれる前から関係あったみたいだが、家光生まれてからはそういう関係は切ったんじゃなかろうか
正之が生まれたと知った時、入浴中でめっちゃ驚いてたみたいだから
お静さんが妊娠してたことすら知らなかったんじゃないの?
その後の冷遇っぷり見ても、大切にしてたとは思えんし、結局会うこともなかったしな >>128
すまん「家光が生まれる前から関係があった」というのが初耳なんだが
保科正之についての情報も史料によってバラバラだから
断定できんことばかりだよ
静の父親の身分
柳営婦女伝系→ 大工
幕府祚胤伝→ 農人
幕府や会津系→元北条家の家臣 とか
妊娠の経緯
柳営 以貴小伝→はからず(予想外の)も懐妊
会津系→二度も妊娠させるくらい何度も会ってた
生まれた場所も父の実家と足立郡と二通りあったはずだし
見性院の話題は出るけど信松院が出てこないとか、なぜか信松院の話題しか出ないとか
言ってることが違いすぎて混乱する
それだけ不明な事が多いってことじゃないかな
側室ならともかく、一女中の記録がそうそう残るとは思えないし
(長丸生母ですらあの有様だし)
第一、身籠った時点では男子が産まれるとも
その子が立派な人物になるとも知る由がないわけで
>>128の「〜みたい」で語られる情報は初めて聞いた 会津の方は、偉大な正之がそんな予想外の妊娠で生まれたんじゃない
生母も可哀相な人って悲劇性を出して同情誘おうと
二度も妊娠、一度目は流産させられたとか
喧伝したんじゃないか、っていう可能性あると思うんだけどな
まぁ分からないけど 秀忠や家光だって幼少期の話が細かく残ってるわけじゃないからな
まあおいらなんかヤラせてくれるなら誰とでもやっちゃうけどな >>122
やっぱりあまり間をおかずに出産を繰り返してたから、体調も崩れていったのかも。
もしかしたら和子の後あたりから体調崩していったのかな〜?
この二人ならあと2人くらいはいてもおかしくなさそうだからw
ごめん、ここ秀忠スレだったw
>>124
不覚にも涙でた
『東福門院和子の涙』の和子出産の時は難産描写だったけど
実際はどうだったんだろう 家光生まれた時は安産だったと書いてあったような >>134
最近はもう、秀忠・江スレになっているから気にならないw >136
徳川実紀に書いてある
台徳院殿御実紀 巻六
>醫官今大路延壽院道三こたびの御産。ことさら御なやみつよくわたらせ給ひしを。
>よく治療し奉りたりとて劔製の短刀を給ふ。 葵徳川三代で西田秀忠が頭巾かぶってお忍びで隠し女のところに通ってたよね >>136
家光は平産だったんだろ
ソースは当代記どっちか >>138
おお、徳川実紀には書いてあったんだ
じゃあ和子産んだ後子供作らなかったのは、これ以上の出産は危険だと判断したからかな
確かに歳が歳だしね >>135-138
ありがとう ノシ
無知な自分にorz >>142
いや 和子出産が難産だったことなんて
そんな知られてないからorzと思うことないよ 江の考察本にもあまり載ってないよね なんで省いてるのか訳分からんけど そだな
自分も難産の件を初めて知ったのは
茶々オタの人のブログだし >>140
家光出産のときには姉淀殿の手紙にも
「江戸にても若君をやすやすと安産されたとのこと」という一説があったね
江は産に命を懸ける時代に子供8人産んでも54歳まで生きることができたから
世間一般から見れば安産体質だったと思うけどね 「わもじするする」
という手紙のことか
というか「江が十月終わりに江戸に戻ったことを知ってる茶々が
翌年七月に家光が生まれたことを喜んでいる」
んだから家光は江の子供で間違いないだろうと思うんだけどね
江以外の子供だったら喜ばないだろうし
当時の感覚でも妊娠期間におかしなところはなかったということだろう
あと「えとにもわもじ」のえとは「江戸」じゃなくて「江与(江戸、えと)」で江のことをなのかも
と誰かが行ってた >>147
>江の名前について
江(督とも書く)の名前については自分で「五」と自著したものが残っていて
名前の読みは「五(ご・ごう)」で間違いないとされている。
江戸に行ってからの江がしばしば「江与の方」と書かれるので「江与(えよ・えと)」という名に改名した、
といわれてたが、むしろ、城名を冠して江戸の方で呼ばれていたという説が有力。
市が「小谷の方」茶々が「淀の方」と呼ばれたように江は「江戸の方」と呼ばれた。
「おえとのかた」という読み方が出てくるのは雁金屋の注文書だっけ
遠方の人が江戸の御台所をさして「お江戸の方」と呼んだんだろうな
同時代の史料で使われた様子がない「おえよ」よりは信憑性あると思う ふんま そういえば城名で呼ばれることが非常に多い気がする
お江戸さまがお江与さまになったというのは非常にふに落ちるじゃないか! 大体はそこに住んでいる場所や地名から名付けられるものね
北の方は一般的な奥方の呼び名だし
江戸城に住んでいるから、江与の方(えどのかた)と呼ばれても全くおかしくない
完子の旦那の九条忠栄の日記にも「江戸御台さま」からご歳暮が と書かれているようだし
おえよのかた なんて呼び名、最近なんじゃないの? 例の長丸灸史料
幕府祚胤伝に「御江与の方」、徳川幕府家譜に「於江与君」とあるので
これを近代の人が
えよ と読んで広まったのでは
わりと新しい史料だよね まあ 確かに予と書いて、と、とか、ど とは近代の人では馴染みないかもね
しかもあの頃は当て字多すぎるから 家光が秀忠を嫌っていたとか、そんな話目にするけど
嫌っていたような逸話ってあったっけ?
伊達政宗が死んだ時、家光は父親が死んだ以上に悲しんだという話はあるけど
別にだからと言って、それで父親嫌ってたと結論づけるのはおかしいし よく言われるのは
家光が持ってたお守りだかなんだかの「二世しょうくん」だっけ
この二世しょうくん=家光自身という解釈は正しいのか? >>155
家光の場合、ことあるごとに夢に出てきた家康を描かせたりとか、
そういう病的なまでに家康に入れ込んでいるエピソードが多い分、父母との
関係がどうにも陰に隠れがちな印象を受ける。
二世しょうくんの「二世」てのは生まれ変わり、再来の意味(夫婦の契りは二世の縁、の
二世に近いニュアンス)だという話だけど、たしか三世云々と書かれたものもあるとか。
つまり、生まれ変わってもまた家康お祖父様の孫として生まれますよーに
って意味でもあるのかな 本当に尊敬していたんだなあ
質素倹約を旨とする家康の孫が、日光東照宮なんてもの作るってのもなんだかなあと思っていたけど
それは置いといて、一つの建造物としてみればあれは素晴らしいものだよね 普通は3代目ぐらいで身上つぶすもんだから
3代目がそういう回帰志向であったというのは育てかたも相当に
素晴らしかったんだろなとは思う。
「生まれながらの将軍」を勘違いしてたら今の日本は・・ >>157
秀忠スレ住人としては秀忠が造った地味な日光東照宮も見てみたかったが
家光が建て直したんだもんね 家光がアホだったら100年くらいで江戸幕府が潰れて、また戦国時代になったんかなー すでに武器は取り上げられていたから米みたいな連邦制とか
そんな風にかえって土着化してそこを外国に狙われて
日本消滅・・ >>159
ああ、それも見てみたい 何か絵とか図面とか残ってないのかな
子も孫も初代を崇拝していたからこそ、江戸幕府は完成したんだろうなあ
家康の話になると、どちらも聞く前に身なりを正したというから
そういう所は、やはり親子だなあと思う >159
>162
太田の世良田東照宮が、家光改築前の日光にあった東照宮を移築したものらしいよ。 >>163
そうなんだ いつか行ってみたいな
あとそこのHPみたけど、フラッシュとか力入れてるねw なにこのでっかいせともの……すげぇ
でも瀬戸とか接点あったっけ? 秀忠の足の短さがリアルだなw
もうちょっと筋肉質な感じなら良かった
顔は坊ちゃんぽくて良い 藤堂高虎さんて、秀忠に絶大な信頼寄せられていたようだが
浅井繋がりで江とも親しくしてたんだろうか 今wikiでおよつ御寮人事件読んでて、和子の入内をすすめてた秀忠と江が、
およつが親王を生んだと知って激怒って書いてあってなんかワロタw
100%政治的圧力だってのはわかってるんだけど、
「うちの娘が嫁に行くって言ってるのに後水尾凸!
和子、お父さんは怒ったぞ〜!」
なんて想像してしまったw
疲れてるのかな、自分w うーんどうかね
「入内前」にやっちゃった
ということを問題にすれば家康でも言えるんじゃね
風紀の乱れを指摘することと
武家が朝廷との婚姻をいちゃもんつけて白紙にするという前代未聞のことをやることで幕府の力を思いしらせるのが目的だよね 月宮の人はそこら辺うまいこと書いてたなあ
秀忠が側室持たない理由も、全ては徳川の娘を入内させた上に
幕府の脅威を朝廷に思い知らせることにあったんだよ!
みたいな内容だったような 月宮の人が和子が生んだ若君を梅宮が殺害したような描かれ方がしてあって
背筋が寒くなった覚えが
杉本の作品は冷徹すぎるw
月宮の人は最初から最後まで、氷のような寒々としたものを感じて怖いよね
もう物語の中の空気が常にひんやり澱んでるというか 春日局がギャグ担当みたいな感じだったな
雑炊争奪戦みたいなことやってなかったか?
春日局が清涼剤になる作品なんて珍しいw だって周りの人間が異常すぎるから、春日局が逆に普通に見えてくるし…
お面してどっかに乗り込んだ家康さんもゾッとしたなあ
ギャグとして読み返してみたら、案外面白いかもしれん 杉本の描く秀忠夫妻は美男美女夫婦なんだよな
秀忠が鋼の彫像
江が氷の彫像と表現されてた気がする
おまけに性格も二人とも冷たいので
親しみやすさゼロな夫婦
最後のほうで秀忠の性格についてはフォローが入ったけどね 読んだことないんだけど、どれくらいの外道っぷりかは興味ある あまりにもお約束な小物悪役なんで自分もあれはあれで結構好きだw
漫画を読むと顔面技に笑えるし(これは義理姉の淀君もだが) 秀忠ってエピソード聞いてるとどっか冷たい印象を受けるな。
側室をもたなかったというけど、正室と特別仲が良かったという話もないし、
長丸母とも続かなかったみたいだし、静や正之に対する扱いも酷いし。
単に父親に従順、規則として家庭を守るだけで、実のところ女なんて誰でもいい、
愛し方も知らない情の薄い人なんでは?
だから三度目の年上妻でもOKなのかも。
知恵伊豆との逸話で、仲の良い夫婦話があるじゃん
将軍になったばかりの頃、浅井家の菩提寺に寄贈したり
お江さんが病気になったと聞いて、仕事中なのに帰ってきたり
お江さんが亡くなった後は、壮大な火葬してあげたり
遺言で(お江さんが眠ってる)増上寺に埋葬しろと言ったり
普通に仲良かったと思うんだけどな
秀忠は私生活をあまり表に出さない人だったんじゃないの?
それかそういう逸話が残されなかった可能性もある >>182
息子や妻妾とのエピはともかく
娘や家臣たちとのエピは人間らしいものもあると思うけど
みんな大好き(笑)大奥ドラマとかの関係で取り上げられるのは前者が多いのでそう感じるのかも
所詮、逸話だから
ほとんど信じてないけど
あと夫婦仲なんてどこの夫婦も実際はわからんと思うぞ
解釈とイメージ次第でなんとでもなる
子沢山や側室がいないのを仲の良い証拠ととらえられている夫婦もいれば
妻が嫉妬深い証拠だとか旦那が尻に敷かれていてとかとらえられる夫婦もいてぶっちゃけ不公平
家譜などに載ってる正室との仲良し逸話とかも憲章のための創作かもしれんし 自分は仲良しさんだったとは思うけどね
もう少しでお江さんの命日ですな、確か。
秀忠は冷たいばかりだとは思えないんだよね、初姫亡くなった時の激怒ぶりとか
大奥法度も結局、家族と一緒にいたかったからかな〜とか勝手に思ったりしてる
>185
子沢山や側室がいないのに悪く言われるのって
秀忠と江夫妻以外に居るか?
どちらか片方なら思い浮かばんでもないが
「子沢山」かつ「側室がいない」となると…
(てか、両方の条件満たしてる夫婦自体そう居ないかw) >>188
側室がいないは側室が少ない、とかでもいいや
子沢山 側室不在
ネタになりやすい戦国末期から江戸初期の人物
本人たちは自己主張が弱いので周囲の証言しか情報がない
この四つが奇跡的に揃ってしまったからこそ今の秀忠夫妻のイメージがあると思う
どれか一つが欠けていれば無かったかも >189
プラス庶子問題ね
秀忠夫妻が悪く言われる理由じゃなくて
秀忠夫妻以外に
「子沢山」かつ「側室がいない(少ない)」のに
仲悪いと言われる夫婦を知りたかったんだが… 子沢山の正室がでんとしている中に側室を作るのは案外難しかったかも。
男子を産むまではそれなりの名目があったと思うが。
実際はお江さんが秀忠をうまく操縦してたんじゃないか。
秀忠自身も女同士のいざこざが面倒だったからもういいやとか。
でも妻があれだけ出産繰り返してたら、いくらなんでも夜伽女とかはいたんじゃないの?
それにしちゃ庶子が少ないけどね。
最初のうちは多少お江さんがリードしたかな。
子沢山で側室なしで悪く言われる…思いつかないなぁ
周囲が派手すぎるよな、信長・お市・長政・秀吉・家康・淀・千姫・家光・忠長
それぞれにドラマチックだ、良くも悪くも。
で、秀忠と江がなんだかものすごく地味に感じる。
あからさまな政略結婚とはいえ、普通に仲の良い夫婦だったかもしれないのにさ。
仮に少々気の強い歳上の奥さんであっても、そうした女性が好きという男もいるし。
何より、やはり二度の結婚の苦労は、秀忠相手に無駄にはならなかったってことだろう。 >>190
すまんそんな夫婦他にいないわ・・・自分の知識にないだけかもしれんが
>>185は子沢山と側室がいない(少ない)
二つ揃ってれば他の夫婦だと仲が良い証拠になるのに
秀忠夫妻にはそれが適用されないのは不思議ですね、という皮肉をこめた発言だったんだ
都合のいい妄想で夫婦仲を決めてるのがね >>193
他の夫婦だったら、美談になる話も
秀忠夫妻だと悪い方にしか捉えてくれないのがね…凄く不公平
そこまでベッタベタに好き合ってるんじゃなくて、普通に仲のよい夫婦だったろうと思うよ
無理して悪かったと解釈する必要なんてどこにもないし 細川忠興なんかも夫婦仲が冷え切ったと言われるようになった後にも子供作ってるしな 自分も昔は秀忠夫妻のことをアレな夫婦だと思ってた人間でさ
江が死んだ後も側室がいないことや庶子を実子として扱ってないことや豊臣滅亡後も蔑ろにした話がないのに気づいて「アレ?????」と思い始めたのは
詳しく調べ始めた一年前くらいだし
先入観ってホント怖いよ
恥ずかしい話だな 歴史マンガとかドラマで知った知識だけで
特に気にならない、興味湧いて調べようと思わなければ大抵みんなそんなもんだと思うよ
だから大河ドラマなど、創作ものってのも「史実と違います」って一筆そえてくれればなあ…
大河ドラマが全部史実通りと思ってる人も多いからな 恐ろしい話だ 人間関係やその人の性格がバッチリ史料に残ってるもんだと思いこんでいる輩もいるな
性格や人間関係なんて現代人の知り合いでもよくわからなくて苦労してるのにw
わからないことはわからないとハッキリ書いてくれよ 知恵袋とか個人ブログとかの記事って萎えるよな
久々にへこんだ