【陰謀論】フラットアースを優しく論破するスレ 第23日
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「伯爵夫人のお医者だ」とルッツはいった。
「彼女が真珠をなくさなかったかどうか彼にきいてみよう」
フラウ・ルッツはいった。
「やっかいな目にあうだけですよ。無分別ったらありゃしない! あれがどうして真珠だとわかります? ガラス玉かもしれないじゃありませんか」
ルッツはいった。
「止金にダイヤモンドがはめこまれていた。あの子はシャツの中にかくしていたんだろうね?」
「ダイヤモンドだということがどうしてわかります?
あの子がかくすとすればシャツの中にきまってるじゃありませんか」 ルッツはふかく息を吸い、とほうもないため息をついてそれをはき出した。
「あんたはここにいなさい。先生に話してくるから」
彼はまっすぐにシューマン医師のほうへ歩みより、彼のまえに立ちふさがり、ひと息いれて、かんたんに二言、三言しゃべった。
シューマン医師はいとも重々しくうなずき、歩み去った。 軽喜歌劇団の四つの特別室がてってい的にひっくり返された。
事務長はローラとチトーを呼びにやった。
しかし舞踏団全員が、捜索の船員たちによって部屋から追いだされていたため、一団となって事務長の執務室にはいった。
チトー、ローラ、リック、ラックをのぞいて、ほかの者たちはそこから追いだされ、外で待つようにいわれた。 事務長は、くだけた態度で、ローラからチトーへ、チトーから双子へ視線をうつしながら、
「こりゃあんたたちの子かい?」とたずねた。
双子はぴったり肩をくっつけてうしろへかくれ、危険におちいった山ねこのような顔をのぞかせていた。
「もちろん、わたしたちの子供ですよ」とローラはいった。「だれの子だと思っていたんです?」 「話を聞きおわらないうちに、よその子だったらいいのにと思うだろうさ」と事務長はいった。
だしぬけに彼はリックとラックにむかってどなった。 「貴婦人のネックレースをぬすんだのは、おまえたちだな?」
「ちがう」と二人はそくざに、声をそろえて、いった。
「あれをどうした?」と事務長はほえるような、きびしい口調をゆるめずに問いただした。
「答えるんだ!」
二人は無言で彼を見つめた。 ローラはリックの項をつかんでゆさぶった。「答えるんだよ、おまえ!」
事務長は彼女の顔が異様に黄色くなり、唇から血の気がひき、いまにも卒倒しそうな様子をしているのに気づいた。 じつのところ、ローラはいままで船員たちが船内を捜索している理由を知らなかったのだ。
仲間と一しょに伯爵夫人からぬすむ計画はたててはいたが、
さいごの瞬間まで待機するつもりでいたのだ、
彼女が下船するときか、その直後に決行するつもりでいたのだ。 それなのに、この餓鬼どもが何もかもめちゃめちゃにしてしまいやがった。
わたしにはもうわかっている、最悪の事態は事実だということが――それが何であろうと、リックとラックがやったんだということが。
ひとに胆をつぶさせたりしやがって、餓鬼どもが。
この太った豚みたいな事務長にあやうく気どられるところだったじゃないか。 「あわてないようにしなくちゃ!」
リックは大へん明瞭に、おちつきはらって、いった。
「何をいってんだか、あんたのいうことはさっぱりわからないよ」
ラックはほかの人たちではなく、リックにむかってうなずいた。 事務長はチトーとローラにいった。
「何も訊かずに、しばらくほっておきなさい。あんたがたに心当りがないというのなら、ほんとうに知らないなら」と彼はあてつけがましくいった。
「話してあげよう」そういって、彼はこの事件について集められた断片的な情報を彼らに語った――
医師が伯爵夫人から聴取したことを、まずルッツが、そのあとでしぶしぶフラウ・ルッツが、それにエルザまでが医師に告げた話の内容を―― そう、ラックがネックレースをもっていて、それを海に捨てたのだ。
ローラとチトーは、それはすべて誤解であろうという信念を、子供たちの無実を証明する証拠があがってほしいものだという願いを、
自分たちでなお子供に問いただし、真相を究明するというかたい約束を、それにくわえておどろきあきれてるという気持をよどみなく表明した。 それを聞きながら、事務長は彼らは演技を、自分をだますほどうまくない演技をやっているにすぎない、と終始、考えていた。
「好きなようにしない」と彼はいい、ひややかに彼らを追いはらった。
「こっちはこっちで調査をつづけるから」 チトーとローラが部屋へもどったとき、船員たちはすっかり元どおりに整理してひきあげていた。
ところが、アンパロにペペ、マノロにコンチャ、パンチョにパストラと、みんながおし黙ったままよりかたまって、待っていた。
彼らは無言のまま立ちあがり、それぞれ双子の片割れを腕のつけ根のあたりをにぎってつかまえている二人をかこんだ。
彼らの吐く熱い息がおたがいの顔をなでた。 「どういうことなんだい?」とアンパロはひくい声でいった。
「あたしたちに関係のあることかい? 学生たちはそういってるけど、だれも何もおしえてくれないんだよ」
「どいておくれよ」とローラはいった。「ほっといておくれな」
彼女はひじでおしのけて部屋へはいり、リックをひざのあいだにしっかりはさみつけて、寝いすの端に腰をおろした。
チトーはそばに立ってラックをつかまえていた。 ローラはいった。「さあ、話すんだ」
彼女は両脚ですっぽり彼の身体をかこみ、両手をつかんで、
指の爪を情け容赦なく、一ぺんにひとつずつ、ひややかに、じりじりと力をくわえ押しはじめた。
たまらず、彼は身体をよじらせ、悲鳴をあげた。
しかし彼女は
「さあ、話すんだよ。いわないと、爪をひんむいてやるから。爪の下に針を刺すよ! 歯をひっこ抜いてしまうよ!」
というだけだった。 ラックはチトーの手の中であばれ、支離滅裂なことを口ばしりはじめた。
しかし彼女は白状しなかった。
ローラはリックの目ぶたを親指と人さし指でまくりはじめた。
そのため彼の悲鳴は苦痛から恐怖へかわった。
彼女はいった。「目玉をむしりとってやる!」 マノロはふだんとちがうひくい、しゃがれた声でいった。
「どんどんやれ、やってやるんだ、やめるんじゃないぞ!」
ほかの者たちもそわそわ身体を動かしながら、それに応じて、
やめるな、つづけろ、口を割らせろ、とてんでに声をかけた。 ついにリックは彼女のひざのあいだで精根つき、
がっくりと顔をのけぞらせて彼女の腕にもたれ、
涙をながし、息をつまらせて、叫んだ。
「骨折りがいのない、ただのガラス玉だっていってたじゃないか。ただのガラス玉だって!」 ローラはただちに彼をひざのあいだから押しだし、
おまけとして彼に平手打ちを見舞い、憤然として立ちあがった。
「この子はばかだ」と彼女はいった。
「養っておく必要はない。ヴィーゴにおまえを捨てていくからね」と彼女は彼にいった。
「餓死するがいい!」 ラックはそれを聞いて金切声をあげ、チトーにつかまえられながらも跳びはね、おどりはねた。
しまいにチトーは彼女の頭と肩にげんこつをたたきつけたが、彼女はそれでも叫んだ。
「あたいも! あたいも捨てていって! あたいも残りたい――ヴィーゴに残りたい――リック、リック」
と彼女はいたちに噛みつかれたうさぎのようにきーきー声をはりあげた。
「リック、リック――」 チトーはラックをはなし、父親のしつけをリックにむけた。
彼はリックの手首をつかみ、腕をじりじりと、いともゆっくりと、肩の関節がほとんど一回転するまで、ねじった。
リックはひざをおり、長いわめき声をあげたが、
それはこのおそろしい折檻がゆるめられたときには仔犬のようなよわよわしい泣声にかわっていた。
寝いすの上に身体をまるめて傷をなでていたラックはリックと一しょにまた泣声をあげた。 やがて、マノロとペペとチトーとパンチョ、それにローラとコンチャとパストラとアンパロは、
いずれも不快なおどろきをかくしきれない表情で、
この困った事のなりゆきの各段階について検討をくわえるために一しょに二人のそばをはなれた。 二言、三言、話しあい、うなずきをかわした彼らは、
バーへ行ってコーヒーを飲み、夕食にもいつものように姿をあらわし、そのあと甲板で練習するのが最上の善後策であると判断した。
だれもがいまにもおたがいののどにとびかかるのではないかと思われるほど興奮していた。
出がけに、ローラはラックの髪をつかみ、彼女が黙るまで、こわくて泣けなくなるまで、たっぷり彼女の頭をゆさぶった。 彼らがいなくなると、リックとラックは上段の寝だなへはいのぼり、避難した。
二人は半裸の身体をそこに横たえた。
洞穴のなかのいじめぬかれた、できそこないの、奇怪な動物のように混乱し、つかれはて、もの思う気力もなく、じきに二人は眠りこんだ。 >>625
×おぼえたふりをして
〇おびえたふりをして 愚者の船(下) K・アン・ポーター
第三部 166ページより
スペインの舞踏団はいつになくむだ口ひとつたたかずに、目を前方にすえ、かたい、きびしい表情をして、そろって出発した。
いまだにうちのめされた表情のリックとラックは、ふてくされて、のろのろ歩いていた。 愚者の船(下) K・アン・ポーター
第三部 188ページより
「このサンタ・クルスで福引きの賞品を買うと彼らはいってましたね、おぼえていますか?」フライタークはデイヴィットにたずねた。
「ところが、やっこさんたち、それを大量にぬすんでいるんですよ――一見する値打ちがありますよ、まったく!」 愚者の船(下) K・アン・ポーター
第三部 192ページより
グロッケンは、何となく見すぼらしい服をひきたててくれるような服飾品がほしいと思いながら、
男性舞踏手専用のひろい、深紅の腰帯や、ほれぼれするような、白い、ひだをとった胸あてや、
闘牛士用のなまめかしい細襟のシャツをうらやましげにいじくった。
ネクタイは細い、くろいひもみたいで、そうでないのは仮面舞踏会とか仮装のときでもなければ着用できないほどけばけばしいものばかりだった。
彼は自分の好きな真赤な色の美しい絹のスカーフをのどから手が出るほど欲しいと思いながら指でいじり、勇をふるいおこして値段をたずねようとした。
きかなくてもとても手が出せないことはわかっていたのだが、そのとき女主人が不安におびえた顔をしてやさしく彼にはなしかけた。 「中へいらっしゃい――こっちにもっといいものがありますから。値段だって高くないですよ――」
そのとき軽喜歌劇団のあまりにも耳になじんださわがしい話し声が聞こえてきた。
女はせきたてた。
「中へはいってください、おねがいです。彼らの見張りを手伝ってください!」 彼女は襲撃者たちに皮肉な口調であいさつし、
だれでもいいから店へはいって買物をするのは一人だけにして、ほかの人は外で待てと命令した。
彼らは彼女の言葉には耳をかさずに、せまくるしい店の中へどやどやとなだれこみ、
品物をひっぱったり、価格をたずねたり、仲間うちで議論したりしはじめた。 コンチャはかくれようとするグロッケンに気づいた。
「おや、縁起のいい小人さんがいるよ!」
とうれしそうに叫んで、とんでいき、彼のこぶにさわった。
ついでみんながそれぞれ彼のそばへ近づこうとあらそい、混乱に拍車をかけた。
彼らはどこからともなく手をのばしてさわり、平手ではげしく叩き、ついに彼ががまんしきれなくなった。
あわてて彼は彼らの囲みをやぶり、外へ飛び出した。 見張りに立っていたリックとラックがそれを見つけ、自分たちも幸運にあずからんものと金切声をあげて彼を追いかけた。
やみくもにつっ走って、彼は、バウムガルトナー夫妻と、その先のルッツ一家に衝突した。 ミセズ・ルッツはそくざにまた母親たるものの義務に目ざめ、
リックに足ばらいをかけてよつんばいにさせ、ラックの腕をつかんで思いきり平手打ちをくらわせ、グロッケンをきびしくたしなめた。
「どうして自分で身を守らなかったんです? 何を考えてぼやぼやしていたんです?」
グロッケンは大いにくやみ、恥じいって、おとなしく答えた。
「考えが及びませんでした。なにしろすずめばちの群につかまったようなものでしたからね」 スペイン人たちは店いっぱいにちらばっていた。
女主人が彼らすべてを同時に見張ることなどとうていできなかった。
また彼らを追い出すこともできなかった。
彼らが耳をかさないからである。 ローラは、彼女の注意をひきつけておくために、早口に長々と値切り、品物にさんざんケチをつけ、
しまいにレースのふちどりがついた、刺繍した、小さな、紗の切れを硬貨を出して買った。
片隅へおしこめられていた女主人は、みんな出ていけと死にものぐるいで叫んだ。
ローラが金をわたし、女主人がつりを数えているあいだに、彼らはみな潮がひくように通りに出た。
一座の者たちの姿がどれも妙なところでふくらんでいるのが、見物人たちにはありありとわかった。 愚者の船(下) K・アン・ポーター
第三部 195ページより
自分を救ってくれたとはいえ、無神経な介入の仕方をして自分に恥をさらさせたフラウ・ルッツに何となく腹を立てていたグロッケンは、
思いきって話を事実にひきもどそうとした。
「彼らは、今日、いたるところでぬすみをはたらいていましたよ。
船でだってしょっちゅうぺてんをやっていたんです――れいの福引きがそれですよ
――あの子供たちは、小さな怪物どもは、伯爵夫人の真珠をぬすんで、海へ捨てましたね――」 「それはまだ証明されたわけじゃない」とルッツはいった。
「はたしてあれがほんものの真珠だったかどうか、わかっていないんです。
それどころか――捨てたものが彼女のネックレースだったのか、それともガラスをつないだしろものだったのかということも――」 フラウ・ルッツは憤然と、ひややかにしゃべりはじめた。
「主人は強度の近眼なんです」と彼女はいった。
「あるいはすくなくとも目がよく見えないのです。
あの子供たちが甲板でわたしたちとぶつかったときのいきさつが、主人にわかるはずがありません…… わたしにはわかっています。
あれは留金にダイヤをはめこんだ真珠のネックレースでした。
それをあの邪悪な子供たちがぬすみ、女の子のほうが海へ投げすてたのです。それだけのことですわ」
と彼女は皮肉をこめていった。
「それだけのことよ。さわぎたてなきゃならないほどのことはぜんぜんないのよ。あんな微罪のことで気をもむなんて、まちがっていますわ――」 こんどはルッツのほうが妻がその場にいないかのように他のひとたちに話しかけて、彼女を非難した。
「なにしろ家内は高潔きわまりない女ですからな、どんなささいな悪事でもすくなくとも絞首刑くらいにはすべきだと考えておるんですわ。 自分いがいの人間の性格については、どんなに小さな欠点も見のがしたことのない女なんです、これは。
外見はどうあろうと、状況証拠をぜったい的な決め手としてはならない、
どんなに軽微な事件のばあいでさえそれに頼ってはならない、といくらいってもわからないんですよ――」 フラウ・ルッツはおくせず、きっぱりといった。
「エルザ! あなたも見たわね、そうでしょう?」
両親から顔をそむけ、ほとんど彼らのやりとりを聞かずに、黙って、もさっとつっ立っていたエルザは、びっくりしてそくざに答えた。
「ええ、ママ」 >>640の会話と言ってることが夫婦逆になってるってことね
真珠のネックレスの止金(留金)にダイヤモンドが見えたって気付いてたのは本当は父親の方なんだよな
でも>>677-679ではそれが入れ替わってる たぶん、夫婦の仲があまりよくないって設定を印象付けるためのシーンだと思うんだよ
父親が「いや、あれはガラス玉だったかもしれませんよ」って母親が言ってた意見をパクった
だから母親も父親の「留金にダイヤモンドが使われていた」って意見をパクって皮肉っった
そして母親が「微罪だから騒がないでいい」って言った直後に、
父親が「家内は小さな悪事でも絞首刑にするべきと考えているんです」と返したところを見ると、そういう解釈で良いと思う 愚者の船(下) K・アン・ポーター
第三部 219ページより
フライタークは、体を拭き、髭を剃ろうと考えて、部屋へはいった。
ハンセンが、着衣をなかばつけたまま、素足をたらして上段の寝だなに腹ばいになっていた。
「どうされました? 船酔いですか?」 ハンセンの大きな、いらだたしげな顔が、寝だなのへりからつき出された。
「わしが? 船酔い?」
いまにも怒りだしそうなけんまくだった。
「わしは漁船の上で生まれたんだ」
そう自分の身の上をうちあけて、もっともうちあけ話のつもりかどうかわからないが、彼はくるりと仰向けになり、上を見つめた。
「わしは考えているんだ」 フライタークはシャツをぬぎすて、洗面器にお湯を注ぎはじめた。
「わしは考えているんだ」とハンセンはいった。「どこでも人がおたがいを不幸にするためにやらかしていることをあれこれと――」
「お母さんは漁船でどんな仕事をしていたんです?」とフライタークはたずねた。「女人禁制だと思っていましたがね――」
「親父の船だったんだ」とハンセンは陰気にいった。 「いいかね、だれもひとの話に耳をかそうとしない、ここに大きな問題があるんだ。
ばかげた話でないと聞こうとしない。そんな話だと一言も聞きもらすまいとする。
まともなことをいおうとすると、ご冗談でしょうとか、とにかく皆目わからないとか、
うそだとか、信仰に反するとか、ふだん新聞で読んでいる話とちがうといいたがるんだ――」
ここでフライタークは聴くのをやめ、ブラシで石けんの泡を顔にぬることに専念した。 船のゆれにあわせてうまく平衡をとりながら、まっすぐのかみそりでひげをそりはじめた。彼ご自慢のはなれ技である。
だれか見ている者がそれについて何かいったら、彼はきっと自分にいわせればほんとうのひげのそり方はこれしかない、といったであろう。
航海のあいだ一ぺんもハンセンはフライタークのひげのそり方に目をとめていなかった。
ハンセンはでき合いの泡をチューブからしぼり出してなすりつけ、安全かみそりで頬と頤をせかせかとこすり、
ほかにひげのそり方があることにぜんぜん気づいていない様子だった。 次にフライタークがハンセンの声を聞いたとき、彼はいっていた。
「いや、ひとはやろうとしないんだ。たとえばフランスでは――白ぶどう酒も、赤ぶどう酒も、桃色のぶどう酒も、
シャンパンをのぞいてどの酒も――みんなびんには肩がある、ちがうかね?」
「まったくそのとおり」とフライタークはいい、靴下をくるくる巻いて、緑色の糸で洗濯物(ヴエシエ)と刺繍した褐色のリンネル袋へおさめた。 「ところがドイツへ行くと――そうだ、国境を越すか越さないうちに、
ドイツ本土へはいりこまなくたってアルサスまで行っただけで――どうなると思う?
肩のないびんばかりになるんだ、ボウリングのピンみたいなびんに!」 いきりたった彼の語調がフライタークの神経をゆさぶった。
これじゃひとが聴こうとしないのもむりはない、と彼は思いやりをこめて考えた。 「しかし、国境は仮想的なものじゃない。それなりの目的があって存在しているんです。
つまり、あるものを明確にし、理念に形をあたえ、特定の人びとの言語や習慣を表現しているのです……いいですか」
と彼は頭上の片意地なしかめ面をちらりと見あげていった。
「だれもびんの形をめぐって争ったりはしません。そもそもちがった形のびんんをつくらせる心の中のちがいをめぐって争いが生じるのです……」 ハンセンは体をおこしてわめいた。
「そうだ、そこだよ、まさにそれをわしはいおうとしていたのだ。わしがいおうとしていたのはそれだよ」
「ぜんぜん気がつきませんでしたね」とフライタークはかみそりをたたみながらいった。 ハンセンは体をおこし、靴下と靴をはき、寝だなからとびおり、いちばん上の横木にかかっているシャツに手をのばして、いった。
「すべてがゆがんでいる、何もかも――あのスペイン人たちを見てみろ! やつらが淫売でありひもであることはだれでも知っている。
やつらのパーティに出たいなどと思う者は一人もいない――ところが、わしたちはみな金を出し、行こうとしている、羊みたいだ!
やつらはゆすり取り、うそをつき、サンタ・クルスでは島中の人間から見境なしにものをぬすんだ、
それをだれもが見、知っている――それでわれわれは何をしたか。ただ手をこまねいているだけだ」 彼の耳ざわりでたいくつな咆哮はほとんど堪えがたいほどになった。
「おみこしをあげて、一杯やりにいきませんか」とフライタークは打開の方法として提案した。
ハンセンは両手をおろし、首をふった。
「飲みたくない」と彼は五歳の童子のようにわがままに、またそっちょくにいった。 フライタークは外へ足をふみ出しながら深く息をすい、
海の老人〔『アラビヤ夜話』の人物で、シンドバッドの背中に幾日もくっついてはなれなかった老人〕がそこにしがみついているかのように肩をゆすった。 >>696
この前のセリフも無いと分からないな
220ページより↓
「こうしたことが問題なんだ」とハンセンはいった。
「あるところではひとが肩のあるびんをつくることにこだわり、そこから五十フィートとはなれていない、
たんに仮想上のものにすぎぬ線の反対側では
ひととちがうところを見せようというただそれだけの理由のために、肩のないびんをつくっているんだ!」 愚者の船(下) K・アン・ポーター
第三部 227ページより
リーバーはリッツィを首尾よく、完全にものにするための方法、手段を自分は見つけようとしているのだという考えを、一瞬も捨てていなかった。
「いつのときか、いつの日か、どこかで、どうにかして」と彼は気にいりのはやり歌のリフレーンを頭の中で口ずさんだ。
だが、そりゃだめだ。この船で、今晩やらねばならない、ぜったいに。 ブレーメルハーフェンに足をふみおろせば、もう暇がなくなってしまう。
じっさい、桟橋には使用人が何人か迎えに来るはずだ。
リッツィがブレーメン行きのバスに乗るのを見送り、いとも愛想よく
――愛想よくしかしもちろん型通りに、そして最後の――別れを告げることしかできないだろう。 犬が、ベベが出現してひとさわぎしたあの不運な晩いらい、彼はボート・デッキへリッツィを一ぺんしかさそい出せないでいた。
そのときも彼女はばかに慎みぶかくかまえて、うちとけず、意味のあるやり方でふれることさえこばみ、
ついに彼は新たな戦術を――へりくだり、子供のようにおとなしくするという手を考えねばならなかったのである。
彼は彼女の膝に頭をのせ、彼女をぼくのかわいい仔羊ちゃんと呼んだ。 彼女は何かほかのことを考えているかのように、数回、彼の額をなでた。
じっさい彼女は考えごとをしていたのだ。
こんなにわたしを追いまわしながら、どうしてこの人は一ぺんも結婚のことをいわないのだろう、といぶかっていたのである。 彼との結婚を望んでいるというのではない――ぜんぜんちがう。
恒久的に身を固める相手として――というのはこんど身を固めるときは恒久的なものにしなければならないと彼女は決心していたのだ、
婚姻まえに金銭的なとりきめをがっちり結び、その鉄のかんぬきを二重にも三重にもしっかりおろしておかねばならないと思っていた――
物質的にいって、リーバーよりかなり上のところを彼女は望んでいたのである。 とはいうものの、結婚の口を、それがどんな口であれ、むざむざと逃してしまうのはぜったいにいけない。
ただし、自分は適齢期をはみ出した女ではないことを、
自分とのいちゃつきはまさに祭壇への行進の予備行為となるべきものであることを、
つねにはっきりと理解させてやらねばならない―― それとない言いまわしや、ほのめかしや、おどしや、目くばせや、暗黙の了解といったやり方ではなく、言葉をついやして明瞭にいってやらねばならない。
今まで知りあったどの男も、じっさいの結果はどうであれ、
彼女と一しょのベッドにはいるまえには「結婚」という呪文をかならず口にしたものだ。 この人だけはそれをいわない。
それをいうまでは、見ていてごらんなさい!
今いじょうのことはぜったいにゆるしてあげないから。 リーバーが、どんなにそれをいいたかったにせよ、
結婚という言葉を口に出せなかったのは、まことにかんたんきわまる理由のためだった――
彼には妻がいたのだ。 法律的手続きをふんで別居はしているけれども、妻が離婚をこばんでいた。
また法律上の意味で彼女にはまったく過失がないために、離縁することができないのだ。
彼は彼女と三人の子供を、彼を嫌い、彼もまた嫌っている四人家族を、
彼にぶらさがり、彼の生血を蛭のように一生吸いつづけるであろう家族を養っていたのである。 ああ、こういう運命に甘んじなければならぬことを自分はしただろうか。
しかし、それが現実なのだ。
リッツィにはとまどいをまねくこの窮状をぜったいに知らせてはならない。
それは自尊心にたいする堪えがたい侮辱だ。
それにまた、ぜったいに彼女にはわかってもらえないだろう。 ああ、すぐれた競走馬のような身ごなしのすばらしい、すらりとした女、
ああ、仕事にとりかかるまえにブレーメンの静かなホテルで、一日一夜でもいい、すてきな、やらわかいベッドを共にしてみたいものだ。 愚者の船(下) K・アン・ポーター
第三部 228ページより
彼はボート・デッキをめぐりあるいて恰好の場所を選定し、ふたたび白昼の夢にふけった。
シャンパンをたっぷり飲ませ、甘い言葉をふんだんにかけたやり、甲板でやわらかい音楽にあわせてひとしきりワルツをおどれば、
彼女がトーストにのせた熱いチーズのようにとろり融けるであろうという夢に。 彼の想像のなかでは、子供向けのお話が幸福な結末でむすばれるように、
万事がやすやすと、途切れずに、めでたく進行するはずだった。 はしゃいだ気分が頂点に達していた彼は、白いよだれ掛けをかけ、ひだ飾りのついた赤ん坊の帽子をはげた頭にのせ、ひもを頭の下にむすんだ。
マリア・ファリナ・コロンの匂いをたっぷりとあとにまきちらしながら、彼はねぐらに帰る鳩のようにまっすぐ、座席をさがして右往左往している晩餐の客たちのあいだをすすんだ。
席の配置がすっかりかえられているため、いつものように名札はのっていても、どこをさがしたら自分の席がみつかるものやらだれにもわからず、それでごったがえしていたのである。
あっちこっちとびまわって世話をやいているボーイたちのうしろに、彼らは盲めっぽうについてまわっていた。 リーバーはリッツィのひじをつかんだ。
彼女は彼が赤ん坊の帽子をかぶっているのを見てかんだかい歓声をあげた。
彼女は長い、緑色の、レースのガウンを着て、小さな、緑色の、リボンの目かくしをしていた。 リーバーは舷窓の下の二人用のテーブルのほうへ確信ありげに彼女を押していった。
「ここにかけましょう、かまいやしませんよ!」
と彼は周囲の人の意に介さずにさけび、高いテノールで歌いはじめた。
「いつのときか、いつの日か……!」 「いつのときか、いつの日か!」とリッツィは二段ほど高い調子で唱和した。
二人はほとんど鼻がくっつくほどお互い前へ身体をかがめ、お互いの口にむかって合唱しつづけた。 >>714
×とろり融けるであろう
〇とろりと融けるであろう 愚者の船(下) K・アン・ポーター
第三部 229ページより
「シャンパンだ、シャンパン!」とリーバーは宙にむかって叫んだ。「ここにシャンパンをくれ!」
一本のシャンパンが彼らのまえにおかれた。
彼らは飲むまえにグラスをかちあわせた。 先からつけ根までおなじ太さの指をもった、大きな四角い手が、
テーブルの照明の下で赤くかがやくもじゃもじゃの毛でおおわれたたくましい手首にがっしりと結合した手のひらに
がんじょうそうな親指のついた手が、リーバーの肩の上からのびてきて、名札をその金属製のホルダーからはずした。
リーバーの皮膚は冷水をあびたように縮んだ。 聞きなれた声が、ふるえる、異国ふうの、じつに耳ざわりなドイツ語をわめいたとき、彼は一そう背筋を寒くした。
「おさわがせして申訳ないが、これはわしのテーブルだ」
そしてリーバーの真向いにまわって、アルネ・ハンセンは彼の鼻の下で名札をふった。 ハンセンの背後には大きな、色づけした鵞ペンを一本だけ髪にかざしたグロッケンが立っていた。
彼のピンクのネクタイには『女の子らよ、わがあとにしたがえ!』という文字がれいれいしく描かれていた。 ハンセンはリッツィの皿のまえからもう一枚の名札をぬきとり、それをふった。
「字が読めないのかね?」と彼はいった。
「こっちにはハンセン様、こっちにはグロッケン様と書いてあるんだ。それなのに、こりゃいったいどうしたわけだ……」 リッツィは手をのばして、彼の前腕をかるくたたいた。
「あら、でも、ねえ、ハンセンさま、わかってちょうだい――」
「どうか」とリーバーは気をとりなおしていった。
頭のてっぺんに大きな、透明な滴がうかび、たちまちそれらがよりあつまり、流れはじめた。
「どうか、あなたはひかえていらしてください。話はわたしがつけますから……」 「つけなきゃならん話などない」とハンセンは棍棒のように重い、抑揚のない口調でどなった。
「ここからどいて、君らが自分たちのテーブルを見つけりゃいいんだ!」 「ハンセン君」とリーバーはぐっと激情をおさえ、襟から頤をつきだし、赤ん坊の帽子をゆすっていった。
「ご婦人にたいする君の無礼を見のがすわけにいかん。メイン・デッキまで顔をかしてくれたまえ」
「どこであろうと顔をかす必要をわしは認めない」とハンセンはほえ、押しつぶすように彼らをにらみつけた。 「わしは自分のテーブルを要求しているだけだ。君はごてるつもりなのか?」
そして彼はリッツィに軽蔑の目をむけた。
それが彼女をいきりたたせた。
彼女は膝をふるわせて立ちあがり、「まいりましょう、まいりましょうよ」とリーバーに訴え、足早に立ちさった。
リーバーは追いつくために駆けださねばならなかった。 「われわれのテーブルをさがしてくれ」
と彼はいちばん近くにいたボーイにむかってほとんどハンセンにおとらず荒々しい口調でさけんだ。
ボーイはそくざにこたえた。
「わたくしとご一しょにどうぞ――食堂がこれほど混乱したことははじめてでございます」
しかし彼はリーバーであることを知っていたらしく、じきに彼らのテーブルを見つけ、リッツィの椅子をひき出し、リーバーの注文にきびきびと応答した。 「わたし、彼に侮辱されたわ」とリッツィはひくくすすり泣きながらいい、目かくしをあげて涙をふいた。
「もうそのことを考えるのはおやめなさい。かならず仕返しをしてやりますから」
「あんな田舎者のために今晩の愉しみを台無しにしないようにしましょう!」 「あの人はいつもあなたの椅子を要求するのね――第一日目のことおぼえていらっしゃる?
低級な人だということがあれでわかったわ。話の様子から察すると、あの人、過激派(ボルシェビキ)なんじゃないかしら……」
「そうだ!」とリーバーはいった。
「あのときはあいつを追いだしてやったんだ! こりゃ、あのときの復讐だな」そう考えて、彼は上きげんをとりもどした。 「きっとあいつに後悔させてやるぞ!」
「どうするおつもり?」とリッツィは喜んでたずねた。
「何か考えてみますよ」と彼は自信ありげに顔をほころばせた。
彼らはうわ目づかいに部屋を半分ほど横ぎったあたりをこっそり見つめた。 ハンセンは皿のそばの赤い三角帽をかぶり、しぶい顔であたりを見まわし、そしてぬいだ。
背むしのグロッケンは鬼のような笑いをうかべていた。
疑いもなく、けんかが彼にはおもしろかったのだ――自分の身に危険がないものだから! 「あのいやらしい小人を見てごらんなさいな」と彼女はシャンパンを注いでもらいながらいった。
「あんなばけものどうして生かしておくのかしら」
「それは大きな問題です」とリーバーはにっこり笑って彼女を見つめ、お得意の論題のひとつをもちだした。 「雑誌発行人としてのわたしのねらいは、読者の頭をわれわれの社会の重大問題にむけさせるところにあります。
わたしはさいきんある医者にたのんで、
不適格者のすべてを誕生と同時に、あるいは何らかの意味で不適格であることが判明したらすぐに撲滅すべしと主張した、
きわめて学問的な、きわめて科学的な一連の記事を書かせることにしました。
もちろん、無痛の方法によらなければなりません。
ほかの人間にたいしてと同様彼らにたいしても思いやりを示してやりたいと思いますからね。 不具の、あるいは役にたたない幼児ばかりでなく、老人も皆殺しにしなくてはいけません――
六十歳以上の、あるいは六十五歳以下でもかまいませんが、あるいはまた効用性を失いしだいということにしてもいいと思いますが、
老人にはぜんぶ死んでもらいましょう。
わが民族の才能にめぐまれた人びと、若くて逞しい人びとの精力を枯渇させる病弱な人間、衰弱した人間にも――
前途有為の人間にそうした重荷を負わせて不利な立場にたたせるべきではありませんからね。 医者はいま、もっとも強力な論拠をそろえ、医学研究者や開業医、社会学的統計などからの例や証拠を用意して、
この論文を提出すべく準備をしています。
もちろんユダヤ人や不法な混血、種類を問わず有色人種と白人との温血もすべて絶滅しなくてはなりません――
シナ人であれ、ニグロであれ……すべてそういったものとの混血を。 また重大犯罪をおかした白人については――そういった人間については」と彼はいたずらっぽく目をきらきらさせて彼女を見つめた。
「殺さないまでも、すくなくともその男が同類の人間をこの世に送り出さなくなるような措置を国家にとってもらいましょう!」 「すばらしいわ」とリッツィはうっとりと、歌うようにいった。
「そうすれば、あの小人も、車いすにのったあのおそろしい、小さな老人も――あのスペイン人たちも見なくてすむようになるのね!」
「ほかにも大勢いますよ! われわれの新世界のために――」とリーバーはいって、グラスをあげて彼女のそれにかちあわせた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています