もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら? 38
信忠が京都から一目散に逃げて、身を潜め生き延びてたら、その後の歴史がどうなったかを語りましょう!!
そして、千年恨の朝鮮出兵へ
信忠、信孝、信雄、秀勝、秀信、秀吉、勝家、長秀、一益、家康、氏直、兼続、元親、輝元、清正、忠武公…
前スレ
もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら? 36
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1673662689/
もし本能寺の変の時に信忠が脱出できていたら? 37
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1682720430/ >>89
それは信長でも同じだったやんけ
織田家も巨大化したから方面軍を組織して基本的には彼らに任せていたけど
一門にはあまり大きな軍は持たせなかったしぶっちゃけ大して役に立っていない
もっとも後継者以外は無能な方がいいんだよな
下手に能力があるとそれこそ頼朝兄弟みたいに殺し合いになる
一門は能力より従順さが重要 >>89
信房という有能だったらしき弟がいてだな…
武田時代に戦場に立っていたという噂もあれば
甲州征伐では小幡や関係者寝返らしてるし、
織田に戻れば即信忠与力で犬山与えられて秀吉も
贈り物攻撃しとるんだわ 信忠存命なら秀吉時代とは違う人物が上に上がるだけ
三成も清正も地方大名羽柴の一家臣として人生を全うする 信忠の過大評価スレ
凡庸な嫡男が継いだくらいで収まるなら乱世など最初から起きません ないない
天下人を見捨てたトンズラ信忠に天下の儀は不相応だって
本人がよく知ってるよ
信長という後見人を失った信忠さんにはカリスマないよ
信長と違って逃げても困らない程度の武将よ
信長だけじゃなく信長信忠の近習も大量死してるから柴田細川らから足利将軍と和解し義昭を担いで幕府を操ることを目指したほうがいいとしつこく提案があるやろ
足利将軍と和解すれば北条徳川も大人しくなって領国へ帰るやろうしな
神に見捨てられた親子か
何か罰当たりなことでもやったか?
神社でも焼かないとこんなことにならんやろ おいおい
ゲーム脳基準だと
信長が死んだ瞬間に信忠は覚醒でもするのかw
おまえは、
信長の死を過小評価している
徳川北条を好機を逃す愚将とみている
そして何より信忠を過大評価している
滝川・河尻は信長より信忠の暴走を止め制御する役割を命じられてきた
信忠がしくじりでもすれば二度と信長の面談を許さないと脅されながらな
少なくともこの二人は信忠を敬い崇めるほどの評価をしていないね
残念w 本能寺の変後、勝家や滝川らはみんな光秀の行動がわからないのに秀吉だけはなぜかすべてしっかり把握していた
それも中国地方で戦の最中に遠方の本能寺の変後すぐにだ
いくら秀吉の情報網が豊富だからと言って数日もしない内にあまりに的確な行動をやってのけるんだから情報網が近畿と中国を往復出来るのは情報収集の手間を考えてせいぜいその間2往復ぐらいだろうしあまりにもデキレース感が強い
その後信長のせがれをことごとく殺しているから織田を内部から乗っ取る計画だった可能性は非常に高い
だから信忠は本能寺脱出してようが秀吉にやられていたでしょう
まあ現実問題15000に囲まれて脱出はまず不可能だが 当時の状況を見れば秀吉黒幕説なんて絶対に有り得ない事は子供でも分かる
本能寺の変で一番窮地に陥ったのは秀吉だし
そもそも毛利が追撃して来ないのも、摂津衆や播磨衆が敵対しないのも、光秀に勝てるのかも全て未知数なのだから成り立たない
結果を知ってから遡ってこじつけたものでしかない 毛利は、そもそも本能寺の時点で織田方と敵対する理由が、防衛を除いてほとんど無くなってるんだよな。
本願寺は落ちた。尼子残党の処理は終わった。そもそもの織田との敵対原因のひとつの宇喜多は織田方についた。
戦えば被害が拡大するだけでなんの益も無い状態。
仮に信長の死を秀吉より先に知っていようが、信忠が生きていようが、あそこで講和するよ。 >>92
信房は織田姓も使えてるし信忠といつも一緒だからな
本能寺の変が無ければ信忠の下で実績積むなりして
古典厩や秀長みたいに信忠を支える良き弟になった
かもな、つくづく惜しい 信長から信忠への家督継承はけっこう前に行われていて、しかも非常にスムーズにいってたわけでしょ?
家康→秀忠みたいに。
だったら徳川幕府みたいに譜代が磐石に支えるんじゃないの 当主が健在である以上何も起きようがないからな
既に政権として組織されているから神輿がいればそれでいい >>101
家康は死ぬまで最高権力者だったし死ぬ前に豊臣家を潰したからその後の徳川政権が安定した >>92
信房(勝長)は武田の養子だったし
信忠の(織田性での)弟で信長が、自ら名付けして
かわいがってたと信長公記に書いてあるな 秀吉は信忠に贈り物を欠かさず媚びまくって信忠周辺とも良い関係を築いてるから、普通に仕え続けるだけだろう。
秀吉を史実から逆算して謀反したがる人間だと思うのは間違い。
兄弟喧嘩で織田家内紛の末に、自分が信雄より強大になってる状況じゃ忠誠心なんて持てるはず無い。 【 勢州軍記 】
松嶋舞楽事 天正九年辛巳秋八月。織田三位中将、信忠卿。神戸三七信孝。到松嶋城為遊興。信忠、信雄信孝、御兄弟。替々為舞楽也。貴賤群衆而見物之。君達好舞楽 信長公非之也。凡舞楽者費金銀。忘家業。乱國之本也。主将好不可用之云々。
信長の葬式で信忠信雄信孝三兄弟合同能フェス開けばいいだろ 今川氏真は有力な兄弟もおらず、家督相続も済ませていたのに、父親が死んだら一気に今川家臣が離反して
それに氏真の粛清も加わって今川領は支離滅裂になって自壊した
信忠も多分このコースでしょ
結局父親が後ろ盾になってると、父親の実力にほとんど依存しているから、現当主は
飾り同然なんだし 上様の事業を引き継げるのは秀吉しかいない
織田家中はそのような意見でまとまりつつあった
実際に信長の亡き後、秀吉は三法師、信雄、信孝に代わり、さまざまな問題の解決に奔走した
例えば、秀吉は、京都の治安維持、知行の実態調査、預物(あずけもの。明智氏やその一党が預けた金品、武器)などの探索を通して、混乱を鎮めようとした
それは信長(=天下人)の役割だったけれど、秀吉は意欲的に取り組んだ
秀吉が京都の治安維持を任せれらたのも朝廷の意向もあった
朝廷や織田家中からも多くの問題が秀吉のもとに持ち込まれ、解決が委ねられた
それは朝廷や織田家中の秀吉に対する信頼と評価の証でもあった
羽柴家は軍事だけでなく奉行衆の能力が極めて高く、必然的に朝廷対応や織田家の実務の中枢を任されるようになった
この流れは信忠が生きていても大きくは変わらない
秀吉は秀勝擁立の声を否定しつつ、信忠に代わって高度な実務集団(羽柴家奉行衆)が織田や朝廷に押し寄せる様々な問題の処理・解決に奔走していただろう まとめると
信長は封建制度の枠組みのなかで成果主義を取り入れた(中央集権的専制へ移行しようとしてた可能性あり)
信忠の天下を期待している人の意見は主に、主の命令は絶対服従である。
そして、その成果による果実は信忠が独占し、家臣や同盟国の躍進は認めないとなっている
さらに怠慢したり歯向かえば粛正である
これは信長の成果主義とは言えず、家臣や同盟国の不満は膨らむ一方である
この信忠では、謀叛や離反が起き大規模な争いは避けられない
つまりこの信忠では天下は獲れない 信忠が逃げてようが織田は実質秀吉のものになってるって
織田家の有力な家臣や信孝や信雄をまったくのないがしろにしてたんだから
信忠みたいな若造じゃどうにもならない
ヨイショしていいように利用され価値がなくなればよくわからない理由で腹を切らされてるだけ 何かよく分かってない人がいるけどそもそも信雄や信孝は主筋ではない
既に信忠が家督を継いでいるので信雄や信孝は家臣団の一人に過ぎず秀吉らの同僚でしかない
三法師や吉丸がいなければ別だけど嫡子となるべき者がいる以上は彼らが織田家の当主になるには反乱を起こして簒奪するしかない
一門衆で家格は高いから重臣達も一定の敬意は払っていたけど正直どうでもいい存在
信忠とは立場が全く違う >>112
だからそれは信長が存命だから成立していた前提にすぎない
信長が殺された以上、全ては実力で決まる
信雄や信孝、秀勝にも正当性がある >>113
ないない
武家社会の構造を知らなすぎる
そもそも史実でも当主どころか嫡男ですらなかった3歳の三法師にすら勝てなかった信雄らが
反乱を起こしてまで信忠から当主の座を奪う事に同調する家臣なんているわけない
全く道理に合わない 秀吉は死なないね
交渉上手な黒田がいるから撤退戦にならない
史実どおりに明智を討つよ
信忠は糞を漏らしながら明智から逃げるだけ
城に籠って調略を家臣に任せて各国から兵が集まるのを待っていて出遅れるんじゃないの?若輩者だしな
信忠軍から滝川と河尻が抜けたことがアダとなる
事後は織田に押し寄せる諸問題を捌けるのは羽柴だけだ
織田家は将軍家として祭祀を行い立派な神輿となる
羽柴家は管領(副将軍)として天下の実務を掌握し末長く織田政権が続くよう権勢を振う 文章読めねえのかよ
既に織田から独立して日本一の大富豪だった
直臣4万所有していた
世界中の歴史学者が信忠存命でもみんな無視して秀吉が天下取った
ただ「信忠は逃げれた」と言ってる史料があるって言ってるんだろ
本当に在日在日言ってる奴は池沼なんだな 本能寺の変後、勝家や滝川らはみんな光秀の行動がわからないのに秀吉だけはなぜかすべてしっかり把握していた
それも中国地方で戦の最中に遠方の本能寺の変後すぐにだ
いくら秀吉の情報網が豊富だからと言って数日もしない内にあまりに的確な行動をやってのけるんだから情報網が近畿と中国を往復出来るのは情報収集の手間を考えてせいぜいその間2往復ぐらいだろうしあまりにもデキレース感が強い
その後信長のせがれをことごとく殺しているから織田を内部から乗っ取る計画だった可能性は非常に高い
だから信忠は本能寺脱出してようが秀吉にやられていたでしょう
まあ現実問題15000に囲まれて脱出はまず不可能だが 不可能?余裕で脱出した織田有楽斎つえええwwwww 普通に秀吉は一番近かったけど
備中高松から京までは200km
魚津から京までだと350km
厩橋は関東だから500kmくらい離れているのでもうどうにもならない
しかも森が先にバックレて河尻も死んだから完全に孤立
滝川は運がなかったな 黒幕説なんていう陰謀論はとっくの昔に否定されているのにまだ言ってるバカがいるのか
しかも小説の域を出ていない秀吉説とかw 本能寺直後の秀吉がそんな支持されてたらわざわざ三法師や信雄を立てる必要もないし、史実であんな綱渡りしてない。
賤ヶ岳とかうっかりしてれば惨敗よ 秀吉厨のソースはゲームと小説と妄想なんだから仕方がない 毛利、上杉、長曾我部、北条に包囲されてフルボッコ
それに乗じて秀吉、家康離反
織田家滅亡 信忠が逃げてようが織田は実質秀吉のものになってるって
織田家の有力な家臣や信孝や信雄をまったくのないがしろにしてたんだから
信忠みたいな若造じゃどうにもならない
ヨイショしていいように利用され価値がなくなればよくわからない理由で腹を切らされてるだけ 信忠が家督継いでたから〜
これは今川氏真の例で無理だとわかる
氏真の場合は有力親族がいなかったから一門で争いは無かったが、義元が死んだら
家臣団が争って家康は独立
それに氏真の疑心からさらに内ゲバ祭りが激しくなって自壊した
織田の場合は有力親族が健在の上に家臣にも今川よりヤバいのがたくさんいる
導火線が至る所にあるから危険 おいおい
ゲーム脳基準だと
信長が死んだ瞬間に信忠は覚醒でもするのかw
おまえは、
信長の死を過小評価している
徳川北条を好機を逃す愚将とみている
そして何より信忠を過大評価している
滝川・河尻は信長より信忠の暴走を止め制御する役割を命じられてきた
信忠がしくじりでもすれば二度と信長の面談を許さないと脅されながらな
少なくともこの二人は信忠を敬い崇めるほどの評価をしていないね
残念w 今川氏真だって苦しい状況でも滅亡まで9年もかかっているからな
しかも武田と手切れにならなければ滅亡はしなかった
織田の場合は既に脅かす敵は存在していないし滅亡しようがない
毛利や上杉がほんの少し延命できたくらいの差しか生じなかっただろう 信長のバックが無くなるとさっさと自殺するヘタレ
己の運命と向き合わない無責任な野郎だよな 裏切らんでもトンズラする信忠をその度助けて支援してやってれば自ら配下を申し出てくる
信忠相手に謀叛なんて面倒でリスキーなことはしなくていい
史実でも謀叛をやってないしなw
やるなら信長ほどじゃないと >>128
それは毛利や上杉をなめすぎだろ
毛利は史実でも山陰や山陽で盛り返してるし、上杉も越中東部や北信で盛り返している
この両家に長曾我部や北条が加わったら信忠では苦しすぎる おい、頭使ってるか
じゃあ、信忠死んで信孝が家督継いでだら天下取れたって言ってる奴いるか?
まあいないね
おまえは信忠=信長コピーとして考えてるんだろ?
アホだから
信忠は弟どもと大して変わらんね >>131
上杉は信長死後も引き続き家臣の新発田重家にボコボコにされ続けるくらい弱いよ
兵糧切れて負けたり、放生橋の戦いでは大敗して景勝が討ち取られそうになる始末
1586年に秀吉に臣従して後ろ楯得ても、新発田に勝てず
1587年、信長の死後5年も経ってようやく、秀吉の支援のおかげでやっと勝てたレベル
信長死後、国力回復どころか5年間も国内の家臣にすら勝てないくらい虫の息
過去レスで君は秀吉が滅ぼせないほど上杉は強大とか言ってたけど、
伊達葦名の支援を受けた新発田重家に滅ぼされそうになってたのが史実の上杉
中央に対して何かできるレベルではないよ
秀吉からしたら小指一本で殺せるもやし勢力なので放置してたら、新発田にやられて血まみれで泣きながら臣従してきただけ
それが上杉 >>131
全く盛り返してなんていないが
史実では信長親子が死んで織田政権が消滅した事で旧織田政権内で争いになり
秀吉は明智、柴田、徳川と戦っていたから毛利に構っている暇はなく宇喜多ら地元の勢力と宮部らの僅かな守備隊に任せていたが
その間何年もあったのに毛利は殆ど動く事が出来ず結局何ヶ国も領地を手放して降伏した
上杉にいたっては越中では佐々成政一人に苦戦して動けず、越後では新発田の反乱を鎮めるどころか逆に領地を奪われる有り様
佐々と新発田に挟撃されて滅ぼされかねない窮地に陥っていた
秀吉が佐々を討伐して西からの脅威がなくなり、新発田を支援していた伊達と蘆名が両方とも当主が突然死ぬという奇跡的な幸運を得て
秀吉の支援を受けながら新発田の反乱を鎮めたのが本能寺の変から5年後だからな
信忠が死なず羽柴、柴田、滝川といったメンツが地方で戦いを続けていたら話にならなかったね
正に滅亡は秒読みだった 本能寺脱出後、史実で様子見だった筒井も細川も信忠の元に馳せ参じるだろうし、朝廷も明智に付くとは思えない。
つか明智の兵たちは自分たちが信長攻めてたとか知らんかった。
一夜明けて信忠存命としたら勝つ目がないんで逃亡者続出。
近江美濃の兵はもちろん、史実山崎で主力だった摂津衆も信忠に付くから明智を信忠が討つのは確定。
秀吉がわざわざ上洛する意味ないし信忠から指示あるまで高松城囲んだまま。
案外信忠の方から一旦毛利と講和して戻って来い命令来て清⽔宗治助かったんじゃね? >>118
信忠生きてたらほぼ信忠につくだろ
信忠は正式に織田家を継いでた
織田家を継いでた信忠より秀吉につく奴は皆無
どうして信忠差し置いて秀吉につくんだ❓
信忠生きてたら秀吉に殺されることはないでしょw >>135
日本史板の拾いもんだけど>>49氏も指摘してるけど
松姫通じると景勝だけじゃない
そも話、信忠は使者を立てるという正式な形で松姫に
再婚要請(改めてだから本妻だな)したとされるから
捨てる捨てないは関係ないな
以下コピペ
○松姫
・姉(黄梅院)→伊勢北条
・妹(菊姫)→上杉
・叔父(信顕)→阿波三好
・従兄(信俊)→正親町三条
・叔母(お菊)→今出川
・嫡(養?)母(三条の方)→転法輪三条
○信忠
・父(信長)→三条西
・弟(信孝)→阿波三好
・妹(慈眼院?)→伊勢北条
・叔母→管領細川
○信虎の交友関係(京周りのみ)
足利将軍家、管領細川、三好など幕府被官家
転法輪三条、正親町三条、三条西、今出川、
徳大寺、飛鳥井、山科(言継)、二条、中御門
本願寺、多聞院、興福寺、高野山など
ついでに書いとく
・香曽我部(長宗我部)→武田支流
・安国寺(毛利)→武田支流
・小早川(毛利)→相模
・真田(武田)→相模
・伊木(池田)→元は香川氏、相模から若狭まで武田同行 なんつうかそうして見ると恋愛話抜きにしても
思ってた以上に松姫の存在はキーになるな
武田は滅んだから意味無いとか一体何なのかと
難儀しそうなのは上杉と北条に不戦同盟みたいなのを
組ませるぐらいで後は調略でいけるんじゃね?
武田絡ませるなら石山や臨済を主にして寺院勢力の
後押しも期待できる 「傳(伝)曰 始 永禄八年(1565)乙丑八月 伯耆守従五位上 同十一年戌辰正月ニ婚礼 三十一歳 室者 光源院(足利義輝)ノ娘ナリ 御コト(永禄の変)アリシ時 十三才ナリシヲ摂津ノ国絲丸カ父 助十郎 コレヲ抱テ多田ヘ退 終ニ古伯(国満)ノ養育トナリテ如此 是女子ハ土佐ノ一條殿 房家ノ落胤 辰子ノ腹ナリ 辰子縁アリテ 慶寿院(義輝母)殿ニ宮仕シ 終 義輝ノシタヒニヨツテ女子ヲ生ム 永禄三年ニ彼女子瘡疱(疱瘡)ヲイタワリ 其形見(外見)悪シ故ニ 尼ニセント兼思ワレケルニ 此乱発テ御父失給フ 助十郎カ働故ニ 古伯(国満)養子トナル 始ノ間 世ニ密スト云共 后ニサタアリ 義昭ヨリノ通ハ渡辺宮内(昌)取次申サレケルトソ聞ヘシ 世俗ノ沙汰スルハ 信長ノ娘ト云リ 當家信長ト甚シタシミアル故ニ推テサタセシナリ 實(実)ハ如此ナリ」
三法師母は前将軍義輝の孫。三法師くんは曾孫や。
つまり織田が室町再興する大義名分。
信長の本来の目的の為に絶対必要だわ。
滅びた武田の娘…まあせいぜい側室の三番手四番手やろw 話ちゃいけないって誰が決めた?
信忠スレで信忠嫁や子のこと話すな秀吉のことだけ語れ
ってチョンの思考は本当理解出来んなw なんで自分で潰した室町幕府を再興せにゃならんのだ
しかもあんなカビの生えた古臭いぐだぐだで欠陥だらけの体制を復活させる事になんの意味が にわかが
最近の定説も知らんのか
まあ秀吉が本能寺時点で世界一の金持ちだったとか言ってるチョンだからなw 義昭には自分が養女にした赤松女を母に持つ
子もいれば武田元明兄弟は義晴の孫
足利本分家だって健在、欺波、吉良、今川も健在
別に義輝の血に拘る必要なんてないわな
まして不確かなご落胤なんて笑われるだけ
第一、本当に血を引いているなら母方実家筋が秀吉と
家康2人がそれぞれ潰したり(家康なんて族滅)、足利を
優遇した家康なのに西軍とはいえ秀信に対してあんな
仕打ちするかね マータ後付けで歴史後ろから見てあーだこーだかよw
それは関ヶ原時点での家康の事情であって
本能寺時点での信長信忠の事情ではねーわ
さすが史実はこうだったらみんな本来の天下人である秀吉に従ったはずだ
なんてチョン理論言うやつは違うなw ないない
天下人を見捨てたトンズラ信忠に天下の儀は不相応だって
本人がよく知ってるよ
信長という後見人を失った信忠さんにはカリスマないよ
信長と違って逃げても困らない程度の武将よ
信長だけじゃなく信長信忠の近習も大量死してるから柴田細川らから足利将軍と和解し義昭を担いで幕府を操ることを目指したほうがいいとしつこく提案があるやろ
足利将軍と和解すれば北条徳川も大人しくなって領国へ帰るやろうしな
神に見捨てられた親子か
何か罰当たりなことでもやったか?
神社でも焼かないとこんなことにならんやろ 三法師の母徳寿院について
https://www.tumblr.com/mabumaro/105046358756/%E4%B8%89%E6%B3%95%E5%B8%AB%E3%81%AE%E6%AF%8D%E5%BE%B3%E5%AF%BF%E9%99%A2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6
川伯耆守の鈴姫が最有力のようだが、宇佐山城で浅井・朝倉連合軍の謀略によって討死した森可成の息子達を気にかけて重用していた信長のことだから、可成の娘を嫡男の嫁にしたのも想像に難くない。坂本の聖衆来迎寺に徳寿院の墓があるのだが、なんと森可成の墓が近くにあるということは、これ以上の物的証拠は考えられないということで森可成の娘の説に賛同します。
森可成の娘説については典拠が不明だが、聖衆来迎寺には元亀元年(一五七〇)九月二十日「滋賀の陣」で戦死した可成が葬られ、開山堂近く の境内に現在も墓がある。可成は信長軍団の有力武将で、長可、成利(蘭丸)、坊丸らの父である。当時宇佐山城主であった可成は浅井・朝倉連合軍と下阪本地 域で合戦、討死した。遺体は住持・真雄が密かに聖衆来迎寺に葬ったと伝えている。徳寿院の墓は可成墓の近くに存在することから、彼女が晩年、実父の墓の傍 で息子の菩提を弔いながら隠棲していた姿は容易に想像できる。 歴史を覚えてれば足利将軍に出番は無いよ。
実際の歴史で秀吉は絶体絶命の危機だった。そっから明智光秀を倒して危機を打開してるんだから、信忠が生きてれば織田家当主の名のもとに、さらに楽になった秀吉が明智光秀を倒して終わり。
俺は秀吉はこっから無理な下剋上はしないと思ってるけど、信忠がどうしようもない無能ぶりをさらしたら秀吉に簒奪されて終わりだろう。 だから信忠が生きてたらわざわざ秀吉が強行軍率いて明智討つ必要ないんだってばチョンくん?
あと史実でも秀吉は当初は義昭担いで養子になろうとしたでしょ? 足利将軍を担ぐとか和解するとか言うけど、「鞆幕府」こそ秀吉が対峙していた毛利勢そのものなわけで。 三法師は信忠があそこで死んだから出てきたような
ものだしもし死なずにいて松姫を御台を迎えていたら
松姫が認めれば信雄や信孝扱いだが認めなければ
信正扱いでしかない
仮に松姫が生母だったとしても婚外子だから松姫が
養母の養子にしなければあくまで庶子でしかない
(それでも正式な婚姻後の実子が優先されるだろうから他に実子が出来れば跡目候補からは外される)
それぐらい本来はあやふやな立場でしかない
あと徳寿院が生母というのも寺の過去帳からなだけで
その過去帳も数回書き直されていたり乳母だったという
話もあり信ぴょう性に欠けている
塩川氏というのも末裔が言い張っているだけの話で
これは北政所なら宣旨がおりているはずだし記録も
それなりに残されるものだから裏付けがとれないということはゲタを履かせたに過ぎないというのが史学の見解
まして北政所はねねの代名詞みたいなものだから
無闇矢鱈とは使われなくなった敬称
本当に上流の家々と付き合いがあればそれぐらいは
知ってそうなものなんだがね 連投すまんけど>>139
武田繋がりといえば誠仁親王女房の勧修寺晴子、
信長猶子の生母でもあるけど彼女の母親は若狭武田の
重臣栗屋氏で甲斐武田の同族安田氏支流
これらの縁から誠仁親王の奥向きと信忠の奥向きを
武田でつないで強固なものにしてみたいな話を
CSでやっていて面白かった そもそも信長生母の土田御前も素性不明
信長正室の濃姫もその後どうなったんか不明
信忠生母も誰だか不明
三法師の生母も不明
と来れば女性の素性隠蔽すんの織田の伝統 理由はわからないけど織田家では女性の記録は
あまり残さないのが慣例みたいな話を末裔が言ってた
からそれなら仕方がないかなと…
あとお濃に関してその後ではなく母親と言われる
小見の方に関して明智出という通説どうりなら彼女は
若狭武田の血筋の可能性があるそうな
つまりお濃には若狭武田の血が流れていたかも知れず、若狭武田は六角も絡んでくるだけに織田と斎藤、
織田と甲斐武田信の縁組経緯などでちょいと注目されている 本能寺がせめて毛利、上杉、長宗我部を潰した時点で起きていたら、織田政権があんなになることも無かったかもな
光秀はその点では実に絶妙なタイミングで起こしている
毛利、上杉、長宗我部、北条、雑賀党、これらに包囲攻撃されると信長のいなくなった織田では苦しい 信長が秀吉に兵力を与えすぎたのがいけない
秀吉だけで4万もあったらそりゃ天下取りに動くわ
しかも信長は宮部継潤(因幡)、羽柴秀長(伯耆)、亀井政矩(伯耆)、宇喜多秀家(備前)
となぜか秀吉家臣だけは優遇している
それだけ秀吉を恐れていたのかもな
だから信長ならみんな秀吉なんかには従わないけど
信忠なら話は別
信忠はそれほど優秀でもなく器量もない
秀吉と比較したら月とスッポンより差がある
みんな気前がよく度量も大きい秀吉に従う
兵力もそうだが財力が凄まじい。
毛利討伐で大規模な土木工事、中国大返しで兵に半年分の報酬にあたる銭を配り、山崎に石垣の城を築き、信長の葬儀を取り仕切り、多数派工作で銭をばら撒き、賤ヶ岳の戦費を賄い、大阪城の築城を開始し、小牧で10万の兵糧を半年も調達する。
所領の石高では明らかに不可能。
だが、これも全ては信長から褒美で賜った銀山のおかげ。
最高のタイミングで新技術の灰吹法が導入されるという秀吉の運の凄まじさよ。
秀吉の家臣や堺の商人らまでもが秀吉の銀山を介して莫大な
蓄財に成功している記録がある
揚げ足取りしたかったみたいだけど、それでは蓄財を否定することは無理
残念だったね
無知は困るなあ
生見銀山の管理簿の記録をみたらいいさ
あと秀吉は銀山を今でいう金融業にうまく利用した
たとえば、生産してから現物引き渡すのではなく、あらかじめ銀の予約を取り付けて代金と引き換えにその証を渡す
銀のレートはもともと高かったうえ、鐚銭が大量に出回ってた影響で銀の価値は急激に上昇していた。
実際に銀が手に入るときは莫大な値上がり益を得るというわけだ
銀の生産量が最高のタイミングで急激な右肩上がりだから大量に発行した予約証のおかげで銀はどんどん出荷してさばけるし、自分も大量に予約しておけば莫大な値上がり益だ >>163
生見銀山とやらの天正十年までの管理簿とやらを教えてね
釣りにしちゃつまらないよ 明治以前に生見なんていう銀山はないぞ
一字違いならあるがw 信忠がそんなヘボで支持を失ってた言うなら史実でその子を神輿にした理由も賤ヶ岳で秀吉が大慌てで岐阜に行って戻って来る無駄な行動したのか謎
あの時点で勝家に気づかれて攻められたら終わりだった。 19で信長から家督を譲られているくらいだしな
かなり有能だったと見て間違いないだろう >>167
つまり、11歳で家督を譲られた毛利輝元は目茶苦茶有能だったんだな!
……まあ、戦国時代で2位3位を争えるくらいの無能だったわけだが。
なお無能1位は不動の豊臣秀頼。 >>168
当主が死んで自動的に繰り上がって家督を継いだ人間と
当主がバリバリの現役なのに若くして当主の座を譲られた人間が同じに思えるなら相当なクソ馬鹿だなw 秀吉が史実より難易度高い状況で堂々と織田に反旗翻すって根拠何よ?
家康はともかく秀吉に直臣どんだけいるんだよ?
信忠ともコネある秀吉が信忠体制での出世目指す方がよっぽど説得力あるわ >>170
なら毛利だって元就が当主になれば良いだけだよな?
実質的な当主がいるのに譲られたケースは本人の能力は関係ないのよ。
後継者争いの可能性を減らすだけの神輿にしか過ぎない。
他の事例で言うなら大友義統、今川氏真、北条氏政なんかも若くして譲られた無能たち。 信忠政権でもし秀吉が明智を討つなり勲功第一等をあげられたら
秀吉政権における家康みたいな存在にはなっていたと思う だ・か・ら
信忠生存だと近江美濃摂津の織田勢力が駆けつけて来るからわざわざ播磨の羽柴勢呼ばないんだよw
勝手に現場放棄してやって来たら命令違反で切腹 信忠への家督譲渡は実力以外にも義信事件や
信玄の急死が遠因なのでは?という見方もあるな
二重婚姻だった時期があるから義信事件の余波は
ある程度把握していただろうから
>>156
勧修寺は晴子含め後年景勝夫妻と懇意で菊姫が
療養中や亡くなった時に晴子から見舞いが出てる
背景には若狭や三条の方の縁も効いてるらしい
(生母か嫡母かは不明ながら三条の方の母親と晴子の
祖母は姉妹)
松姫はその三条の方が嫡母で配下には元は転法輪の
家司系統もいたそうだからそりゃ信忠の本妻に据えたい
だろうよ、松姫は実家もないからある意味気楽 >>172
その連中は嫡男でしょ
繰り上げで家督を継いだだけであって輝元と同じく順番に従っただけに過ぎないが信忠は嫡男として生まれた訳では無い
信長には正室の子供がいなかったから誰が後継者に選ばれるかは分からない状況だった
そこで信長が選んだのだから有能だったと言う事だよ 秀吉が天下を取れる器だと知ってるものは本能寺時点で(秀吉自身含めて)誰もいない。
なのに正当な織田当主差し置いて「秀吉の方が才覚上だから」ってどこの誰が従うんだ? >>177
信忠を無能とは決して思わないが最近生母は違う説が
推されている氏直という存在もいてだな… 信忠支える同世代の次期幹部候補生がな
羽柴秀勝→病死
蒲生氏郷→病死
堀秀政→病死
信忠の元小姓で忠の字貰ってる細川嫡男は嫁が… 同世代あたりだと…
・斎藤徳元や加治田衆から抜擢
・池田の息子の上2人
・滝川の息子の上2人
・河尻の息子
・森はやらかしそうなのがなあ… まあ、別に譜代を使わなければならない訳ではないしな
信長だって新参者を重用していたし >>113
信長存命中に成立したなら信長死後も信忠こそ織田家の当主
だから信忠生きてたら織田家は信忠が継いでた
秀吉の出る幕なかった 秀吉謀叛とかより家康だわな
家康なら信長死後の一時的混乱状態の織田と手切れってのはありそう
秀吉と違って彼には直臣がいっぱいいるわけだし まこと得意の 馬鹿の一つ覚え オウム返しも けっこうなのじゃが 反論せんことには 進歩がないのう >>184
でも織田政権が消滅した史実でさえ家康は織田家との対立は避けたからな
信忠が生きていたら甲信の火事場泥棒も出来ないし一緒に明智討伐をするくらいで終わっていただろう 秀吉だって正面から織田に反逆しとらん
下手したら最後まで秀吉は織田家臣よ
株式会社織田の役員羽柴が経団連会長になった感じや 戦国時代の忠義概念だと信長も秀吉も家康も謀反人じゃないからね。でも明智光秀は謀反人なのが戦国の倫理。