石田三成の挙兵 ★7
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ずっと長文頑張ってたのに新スレになったらパッタリ書かなくなってて草
飽きたの? >>5
まあ語ることもなくなったんでしょ。
三成は空気、輝元は無能、西軍には万にひとつの勝ち目もないで結論なんだから。 関東で謎の大地震が起きて会津征伐軍に甚大な被害が出たら勝てるかもしれない 岐阜城後詰決戦案なら勝算も出てくる。
瀬田で迎え撃つつもりが家康も前田も来ないので東進したところに東軍先発隊が清洲に来た。
そこの対処及び事前の対応想定がだめだったわけ。 いうて大垣岐阜合わせて二万少しで東軍先手衆は四万もあるんだぜ
あの辺りは川こそあるけど渡河地点も多いから戦略は自由
最初から美濃に大軍置いてないとどうしようもできん >>9
内ヶ島氏をディスるのはやめてさしあげろ
>>11
岐阜城後詰決戦よりも大垣城後詰決戦のほうがまだ少ないながらも可能性あったかと。
9月8日~9月12日は僅か5日間とはいえ西軍が東軍を数で上回っているし、
9月13日から後でも、野戦陣地の東軍と半数は大垣城の西軍ならまだ関ヶ原よりは戦いになる。
なにより南宮山勢が動かない理由付けが出来なくなる。
そうなると数万同士の正面からの戦いだから「紛れ」が起こる可能性は十分にある。 その場その時に相手方の人数なんかわかるのか?
物見、優秀すぎだろ 大垣衆以外は安国寺と長束が指揮官なんだが動かなかった
まぁ動いたところでどこ狙うのよって感じはあるからな 岐阜城後詰決戦で西軍の全力をもって東軍先鋒を壊滅せるのが最後の勝ち筋
もっと前の時系列に改変していいなら他にもやりようあるだろうけど岐阜城陥落したらもうやりようがない。 >>12
大垣は小城なんで西軍も城の周りに築城陣地築いて布陣してたから防御力に期待できないよ。 この手のIFて相手だけがなんの対処もせずに史実通りに動くのが前提なので暫くしたら飽きてくるんだよなあ >>16
それは何をどうやっても兵力不足で無理。
最低でも宇喜多隊が合流しないといけないけど、史実でそれは岐阜城陥落後。
>>17
まあ関ヶ原で野戦陣地すらなく追撃戦かつ挟撃という戦いにもならない状況よりはマシでしょ。 三成は豊臣を守るためによくやった
結果は出せなかったが 関ヶ原がなくても各個撃破で徳川幕府は成立していた。
そして、偉大な日本の英雄として名を刻んだだろう。三成の偉業と言えばそれを阻止したこと。家康の素顔を隠せないくらいに後生にわたって丸裸にしたこと。温和で我慢強く義理堅い英雄を演出出来ないまでにね。 岐阜城ってマジで斜面に造ってあるからな
あんなところに籠城はできん
それに籠ったところで大垣に人が足りないことは秀信だって知らされてたろうから包囲された時点で詰み、そりゃ打って出て奇跡の勝利を狙うしかないわ
秀信の知るところではないが犬山城と竹ヶ鼻が東軍に内通してるから東軍の勝ちは揺るがないんだが
美濃方面に兵を置かなかった時点で決着はついてた 周囲の国人衆に見限られたら織田秀信はオシマイなんだよなぁ
敵、しかも大軍が押し寄せてる中籠城なんて腑抜けたことしたら周囲の全拠点が徳川に寝返るだろうしそうなったらどーすんの?って話
しかも籠城戦は基本救援かしろだけで耐え得る事を前提としないと出来ない訳でそれも怪しいのにいきなり籠城とかできないだろう もうすぐ60歳の家康にとって最大の脅威は時間だった
各個撃破はどうしても時間と労力がかかり、家康としては無視できないリスクがあった
反家康勢力が結集したうえで、三成を1日で倒すだけで全員に勝ったことにできる関ヶ原は
日本史上もっともコスパのいい戦であり、家康の最大の脅威を克服させたと言える
三成の偉業と言えば、100石を超える大名も三成を遥かに上回る武力や智略を持つ大名も
自分の敗北で一瞬にして無力化してみせたことだろう 家康が国松を殺して豊臣を断絶させたことも知らないのか 三成は豊臣を守ろうとしたその性根や行動は立派
ただし実力が全く追い付いていない
軍事的には無能なんだから家康を打倒するのに武力討伐はあかん
やるなら暗殺しかない 西軍の関ケ原は毛利輝元の胸先三寸
石田三成がどうあがいても無理よ
輝元がどう動くかでしか変わらない >>34
毛利輝元からしたら最適解は、上杉討伐を中止に追い込み、西国を抑えて東西で膠着状態に持っていって「そろそろ手打ちにしましょう」とすること。
なので徳川の撃滅を謀る三成達の思う通りには動かないよ。 結構矛盾してるけどな
家康を攻めないと家康が降参するわけないんだから
じゃあ上杉にやってもらうのかといえば上杉と通信出来てないのに焦りが無い
東海一の弓取相手に何してたんだか 毛利が讃岐、阿波、伊予、豊後への大規模派兵をしているが、戦後、石治少は、これらの領有を認めてやるのか?あくまで拒否して次は毛利家を相手にする戦いが続行されるのかが課題になる
一方、武蔵一国に減封された徳川氏は息を吹き返す絶好の機会となり >>36
割とこの考察が妥当
梯子外された感の上杉討伐軍がそのまま徳川と西上してくるパターンはあまり読んでなかったのかそこはギャンブルだったのかは知らんけど やはり、岐阜城が2日、大垣城が1日で落ちたのが西軍にとって完全に想定外だったのでは?
城攻めってもっと日数がかかるのが常識で、同時期でも伏見城は2000人で4万人を相手に2週間守り、
大津城は3000人で1.5万人を相手に1週間守った。
岐阜城は6000人いて3.5万人を相手、しかも大垣城に1~2万人の後詰め。
大垣城は2万人いて8万人を相手、南宮山に2.5万の後詰め。
どちらも、普通に考えれば劣勢とはいえ1日や2日で落ちるとは思わんよ。
……1週間伸びたらなにか出来るかと言われるとなんとも言えないけど。 東軍は1日でも早く岐阜城を落として、次に1日でも早く三成を殺したいと士気は最高潮だったが
西軍は1日でも早く返り咲きたい石田派を除けば、必死に籠城したり城攻めする動機がなかった 岐阜城が1日で落ちた衝撃で吉川は家康との内通を再開させてしまい南宮山軍が無力化、輝元も腰が引けて岐阜城瞬殺が起きたら西軍の勝ち目はゼロ。
なんで岐阜城が短期で落ちたかというと主な原因は秀信が渡河防衛戦に撃って出てしまい敗北して籠城前に7・8割りの兵が逃げたから。
なら秀信に最初から籠城してもらえば常識程度の日数は稼げたかもしれない。そのうちに兵力かき集めて後詰決戦で東軍先鋒やぶってどうにかしましょうって案
もっと前の日にち改変するなら大津や安濃津や田辺なんて抑えの兵だけにして全軍で渡河防衛戦とかいろいろあるだろうけどIFのタイムリミットは岐阜城陥落だよねって話。 岐阜城の西軍が援軍を期待していた犬山城に籠城中の諸侯が
既に井伊直政と内応していた時点で戦う前から短期決着が決定していた >>44
犬山城の兵力でどうにかなるなら、大垣城からの援軍でもどうにかなったはず。
結果はあっさり蹴散らされたどころか、逆撃食らって川すら超えられて赤坂にまで進出される体たらく。
西軍は、兵力の大小以前にそもそもが戦に弱いのよ。 l_i_t_e(邪魔という方は左記をNGお願いします)
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一日でも早く奉行に返り咲きたい立場の三成が後方を無視してでも徳川への攻撃最優先を主張すれば
三成は私利私欲を優先している、三成が返り咲き目的で仕組んだ私戦ではないかと西軍諸大名の中に疑念が生まれる
西軍としては何よりもまず、三成のための戦ではないことを証明する必要があるから
三成の主張を無視して畿内や西国固めを優先するのは仕方がないこと
とはいえ三成が美濃方面に居座れば、どうやっても疑念が生まれることは避けられない
結局のところ、三成が西軍の戦略や士気を引っ張る重荷になってしまっていた あんまり語られんが宇喜多の思惑がかなり重要なんだよな 西軍勝利の際に最初に問題になるのは小早川秀秋への播磨加増により、宇喜多家への加増すべき土地が東も西も適当なところが見当たらないと言うことである。 そもそも伊勢を抑える必要あったのか?
あの軍勢が最初から美濃にいればかなり違った上に、
岐阜城が落ちてもなお2週間ほっつき歩いていたわけで。 そこら辺は三成にはどうしようもない
輝元たちの思惑が外れてる
その思惑とは何なんだよっていうとまるでわからん
西軍には豊臣がついてるんだから東軍先手衆も豊臣の意向を気にするとすれば時間がかかると踏んだのかもしれない。ところが東軍は豊臣より徳川の指示を優先したので計画が狂った 三成本人に武功がないのだから石田兵も実戦経験ないよね
左近はさっさとやられちゃったし勝てるわけがない >>51
もともと西軍首脳は家康が北伊勢を通て東海道を攻め上がってくると想定してる東海道主戦論やでな。当然に主力を置くでしょ。
結果的に決戦の主役になってしまった三成ら中山道方面軍は実は副戦線なのよ。 家康の西上ありき岐阜城攻略ありき関ヶ原の合戦ありきといった後世から見た考察ありきならどうとでも言えるよな
伊勢攻略は目的じゃないが手段としては別におかしくもない ただ吉川広家の様に戦略的価値を見出せない者が居たのも事実 毛利一門はそもそも戦意があったのか?輝元の意向で皆動いてただけ? そりゃ戦意無しに四国打ち行ったり城攻めしたりする奴はいないし 政争の延長線上が関ヶ原やしな
自民党総裁選みたいなものじゃないの
ガチなんだがガチでもないみたいなよくわからん戦い 中央政界での主導権を得られればそれでよかったのでは
なので上方を制圧して家康派(主流派)の勢力を削げればそれでよかった
しかし思った以上に家康派の結束が固く反攻されて和睦に走ったと 秀頼を監禁したように見える状況にしちゃったから嫌悪感で東軍の結束が固くなっちゃったんじゃねえの
自業自得 家康派の結束が固かったというより
むしろ奉行の権勢欲が露骨過ぎて叩かれた 小牧長久手から何を学んだのか。
伊勢尾張美濃が主戦場になるのはわかりきってるだろ、
そこで伊勢重視で美濃軽視がおかしいんだわ。 西軍の戦略ってどのように建てられてたんだろうな
あれだけこだわってたんだからやっぱり合議制だったんかねえ まぁ安直な推測だと増田長束が自領の安全化計るために伊勢主攻としたんだろうけど。
仮定の話だけど福島、田中が西軍側に与した場合、
東軍先発隊集結地は刈谷か吉田になる。
その場合早期に美濃衆、石田、小西、宇喜多先鋒明石掃部、尾張衆あたりが清洲に集結し、
尾三国境付近か三河が主戦場となり、
浜松辺りでの決戦を想定していた西軍の構想に近いものになる。
福島が味方するだけでも初期の東西戦力比も逆転する。
結果論的にはなにがなんでも福島を味方にしていれば
かなり推移、結果が変わったと思う。 三成と仲悪くて家康と縁辺関係にある福島正則が味方になるなんてあり得ないのにな
せめて福島家の反正則派と繋がっていれば良かったんだろうが 当時は合議制と言っても情報の精度も悪く立場も様々で忌憚ない意見で有益な議論が出来てたとも思えない
合議制そのものが組織が分裂しない為の意見の擦り合せみたいなものだしね 一応、岐阜城攻め直前まで福島正則に西軍入りの説得をしてはいたそうだね。
その窓口に三成を置いた時点で詰んでるが。
それこそあり得ない仮定としてだが、総大将の毛利輝元が最前線まで出てきて、
福島正則に頭を下げればワンチャンあったかもしれないが。 合議制つったって首脳陣が揃って会議できたのって伏見城を落とした後だけだからね
その時点では岐阜城がああなるなんて想像できないだろう 家康は勝手してる、掟に逆らって縁辺してる、一味徒党を組ませてる、
っていってる西軍に家康と親しくして徳川と縁辺してる福島正則がつく訳が無い
となると反正則派の誰かさんにお話してたはずだが結局袖にされたのか 三成と福島は別に絶対的敵対でも無かっただろ
近くはないが絶縁レベルの遠さでもない
正則は清正や長政に近いから政治的には対立かもしれんが好き嫌いとはまた別の次元の話だろ
とにかく私怨でもブッ殺すってのは清正vs行長の軸での話 福島みたいな短気、粗暴なカスに重要な所領を任せた秀吉が悪い
三成という忠臣に尾張を与えて大老にしておけば豊臣家は安泰だった 西軍のちぐはぐ感って、変な例えになるかもしれないけど、
毛利輝元は囲碁をやりたい(やっていた)のに石田三成は将棋をやり始めた。
徳川家康は即座に将棋の応手を始めてゲームは将棋になってるのに、
囲碁しか教わってない毛利輝元は囲碁をやり続けた。
こんなイメージなのよ。
なお、石田三成の将棋は下手だった模様。 後世からすると輝元はアホだなあで終わるが当時からすれば分からないからな。やはり大将は有能を担保する実績がなきゃならない。三成だって文官としては有能でも軍事では未知数だった。 小早川に関白にするから同心しろ、だもんな。仮に勝利したら一番の殊勲者は毛利なはずなのに。 福島正則は三成襲撃事件のメンバーだし徳川と縁辺してる。秀頼がついてようが西軍には乗らないでしょ
少なくとも相当攻め立てないと何もしてない時に内通とか起こらんと思うが 福島はアホだから秀頼が関ヶ原本陣に動座すれば動けなくなるんじゃないか?逆に発狂するかな?秀頼も最後まで人形だったなあ。彼の辞世の句すらないんだろ? 秀頼が関ヶ原に居たところで粉砕されるだけ、というかむしろ家康からすりゃ願ったり叶ったりだろう
卑劣な西軍の犠牲ってことで終わりだし
正則は岐阜城攻めではまず竹ヶ鼻を落として後詰を難しくしたり兵の疲労具合をみてたりとどちらかというと知略たる大将だった >>79
0か100かじゃなく何かしら繋がり作っておくのは大事だろ
どこかの瞬間で日和ってくれるだけでもいいしな >>81
福島正則は、良くも悪くも直情的なんよね
酔って家来切腹させて、酔いがさめてからぺしゃんこって逸話が
秀頼が戦場に居ると認識したら、全ての根回し無視して寝返りかねんよ、そういう人 まあ司馬遼太郎の小説の世界の福島正則はそうなだろうな 福島は酒癖は悪いかもしれんが通常時は案外と普通じゃないの
もっと面倒くさそうな大名はいっぱい居るとおもうしな
正則は気質が猛将っていうよりも豊臣家中で特段何の才も無いから槍働きに存在価値を見出したようなものだと思う 福島は槍働きも兵站支援も何でもできる万能型だよ
単に石田の暴走に振り回された被害者というだけ いろいろエピソードに事足りないが福島は政治がまるで読めない。感情だけでぶん回した武将。まあ、それが彼の良さであっても大名になると命取りになった。
やっばり華麗なる無能として名を残した理由だよ。 その点、家康は感情を押し殺して生き抜いた武将だよ。さんざん不条理を押し付けられたが腹で泣いて受け入てきた。
ひとたらし言われた秀吉をも騙し通せた演技派でもある。 まずかなりドライに自分の立場を理解してる
大坂に人を送って豊臣家の意向を確認するとかしてない。福島は徳川と縁戚なので反家康を掲げる西軍が勝ったら良くて減封悪くて切腹だろうという派閥や思想を勘案していたのは間違いない
岐阜城攻略戦では小説では池田輝政と軍功争いしたと思われてるけど史料では逆で輝政や先手衆と話し合った連携だったことがわかってる
確かに軍監の本多忠勝・井伊直政が苦言を呈する程の俊足で進んではいるがこれは軍功に焦ったのではなく西軍の美濃方面軍が少ない事を知ってその内に叩きたいという戦略的な理由だろう。竹ヶ鼻陥落、織田軍撃滅で気が大きくなった直政は即刻岐阜城を落とそうと提案したけど輝政正則は兵が疲れてるから翌日にしようと主張したという >>690
完全に感情だけで動いてる為に、普通の人から見ると意味不明のエピソードを沢山
残してますよね。
例えば関ヶ原直後に、徳川直臣伊那の切腹を家康に要求した事件
当人は武士の面子かもしれないが、この時点ですでに事実上徳川に臣従してる訳
ですからね。
建前で行くと、徳川と福島は対等、福島の家来と家康の直臣の伊那の命は等価に
成る訳ですが
これって直前の裏切りの功績だいなしにしてる訳で >>92
姻戚いうても徳川の養女を息子の嫁にしただけ
これって冷静に見ると、家康が豊臣子飼いの福島正則を寝返らせるにあたって
養女を人質に出したでしかない
内応した人は、当然後で処分される事が怖いのでこういう形の人質要求される事は
良くある
たださあ、この人って伊那切腹事件でも良く分かる様に感情暴走したら止まらないからな。
秀頼着陣でどう動くのかは謎としか言えん 正直、大坂の陣で豊臣方につかなかった時点で福島正則の忠義なんて信じられん。
安芸備後が大坂方に付けば、その隣の周防長門は元西軍総大将の毛利輝元の領地。
一気に西国に緊張が走って安穏と大坂城を攻めていられなくなる。
もちろん毛利は必死に徳川に土下座するだろうけど、この時点で無実でも、毛利を信用出来ないだろうし、
ましてや実際に毛利は佐野を送り込んでいるのだから疑惑は更に深まる。 >>95
秀吉が主家の織田の家督を三法師から都合のいい信雄に変えて、また秀信に戻したりとコロコロ変えてるから豊臣家に忠義を求めるのがおかしいかもしれない >>94
それを西軍が糾弾してるんだから正則にとっちゃたかがで済むものじゃない
少なくとも関ヶ原において正則は理性的に動いてるしそこに感情的なものは見当たらないよってだけ >>95
淀・秀頼は現場の言うことを全く聞かない人間だと福島も理解しているからな
素人のその日の気分で戦うか講和かが決まるのでは、浪人でもなければやってられない
三成もそうだが素人が偉そうに現場に口を出しても上手くいかない
素人がプロを無視して引っ掻き回す豊臣末期の風潮が福島には耐えられなかった 今治民なんだが福島正則の痕跡が全くないのは何でやろな
朝鮮出兵に絡んでたら何かしらその名残りが残ってても良いんだが >>99
やっぱり、江戸時代評判悪かったんだろうと思うな
だって清須って一番重要な拠点で、大量の軍需品あったんだしさ
一番重要な要塞の司令官が敵を引き入れたたんだぞ、山海関の呉三桂みたいだ
そりゃあ、江戸時代評判良く成る訳ないじゃん、一番重要な拠点の守将の裏切りなんて「 >>100
話が見えない
クラスでハブられるケースだな
>>99
そりゃ今治統治を任されて10年もせずに清須行き
しかも今治統治中は秀吉の全国平定と唐入りの最中だったから
今治の国造りの実績は上げにくかったからじゃないか
地元に集中できるのは天下泰平じゃないと厳しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています