石田三成の挙兵

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1人間七七四年2022/03/07(月) 02:55:02.62ID:gll72NsS
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。

2人間七七四年2022/03/07(月) 08:20:35.68ID:nE1hVesO
それだと関ヶ原で西軍についた将が本来の目的どおり上杉討伐に加わってもっと三成ヤバいことになるのでは
上杉討伐軍挙兵、三成街道封鎖、大名人質確保で西国大名通れなくなり西軍に参加だったのが徳川に合流してしまう

だからミッチーも焦って挙兵したのでは

3人間七七四年2022/03/07(月) 12:23:10.82ID:cBBy1geB
2011年フィギュア世界選手権モスクワの開会式で人工地震を示唆か?
- フジテレビがカットした映像
https://youtu.be/961-akJUeh8?t=29

4人間七七四年2022/03/08(火) 00:53:43.98ID:nHaBulHl
家康の狙いは五大老のうち自分を除く4大老を支配下に置くことだよね
前田利長が一人目、上杉景勝が二人目、ここで三成が挙兵しなければ景勝も家康の軍門に降る
次は宇喜多で、最期に毛利。結局は家康の天下になる
あのタイミングで三成が挙兵したのは悪くない決断
パールハーバーの日本軍よりよほどまともだ

5人間七七四年2022/03/08(火) 01:03:31.63ID:HuyQQmXt
秀吉がちゃんとお膳立てした家康に政務回してもらう政権だと自分たちがこのままだと政権牛耳れないとわかって上杉巻き添えにした癇癪からの挙兵
上杉も迷惑だったろうな
ろくに連絡も取れない状態で勝手に巻き込まれたんだから

どこでも史料も研究も出さないで妄言垂れ流してはすぐにまた例え話荒らしだとバレてまたトンズラこくの、楽しいか?

6人間七七四年2022/03/08(火) 05:16:55.41ID:Ml+4up+y
前田家は慶長四年三月に利家が家康に後見を頼んだ事で既に徳川の旗下に属してる。上杉はそれまでの悪行の報いを受ける羽目になってしまった。

7人間七七四年2022/03/08(火) 17:22:48.58ID:x+TQWD/+
上杉討伐に参加予定だった関ケ原の西軍武将って
大谷吉継以外誰がいる?

8人間七七四年2022/03/08(火) 17:54:01.71ID:HuyQQmXt
基本的に兵連れて上京してた連中はみんな会津征伐だと聞いて来てる
そしたら大坂で西軍が急に挙兵してなし崩しに西軍に組み込まれたのばっかよ

9人間七七四年2022/03/09(水) 16:48:37.68ID:fpal8qM9
宇喜多、毛利、小西、安国寺以外三成が挙兵して徳川と戦になるなんて誰も思ってもいないだろ
>>1は勘違いしてないか
三成が挙兵してから三成のために軍勢率いて味方したわけじゃないぞ

10人間七七四年2022/03/09(水) 20:12:00.99ID:55MOCSAc
>>1
>石田三成が上杉討伐で挙兵をしない
上杉征伐が実行され、高確率で上杉が敗北する。

>合戦勃発後に挙兵していたらどうなっていたか
仮に上杉征伐中に石田が挙兵したとして、畿内周辺で石田に味方するかもしれないのは、
小西、宇喜多、島津、奉行衆くらいか、それも畿内周辺にいれば。
安国寺恵瓊、吉川広家は上杉征伐に従軍してるはず。

こんな戦力で挙兵してなにやるの?
伏見城すら落とせんわ。

さすがに無謀すぎて挙兵などしないと思われる。

こんな内容はいちいちスレ立てずに質問スレで聞け。
20レスもあれば結論出るテーマ。

11人間七七四年2022/03/09(水) 20:39:54.46ID:55MOCSAc
と思ったけど、よく考えたらこの上杉征伐って小田原北条征伐以上の兵力動員してるよね、
九州、四国の大名まで従軍してるわけで。
奉行衆は東海道の行軍の兵粮手配はしてるけど、そこから先(江戸以降会津方面)の
兵站どうしてたのかよくわからん。

これもし上杉が冬まで粘るという善戦をした場合、征伐軍の兵站崩壊するんじゃないだろうか?
その状況ゆえに上杉に有利な条件での和睦、という結果もあるような気がしてきた。

まぁすべては、上杉が冬まで粘れば、という前提条件だけど。

12人間七七四年2022/03/09(水) 20:53:39.93ID:55MOCSAc
上杉領での刈田でしのぐというのも考えたが兵が多すぎて足りないような気がする。

13人間七七四年2022/03/09(水) 21:51:12.39ID:O8XLT05s
防衛用の陣立てすらしてなかった(遺構がない)から、来た瞬間土下座も普通にあり得るぞ
そもそも景勝が出向けなかった理由として家臣が言うこと聞かなくて領国空けたらやばいかもだから、家臣がこんな大軍勢の相手無理つった時点でしがらみはなくなる

14人間七七四年2022/03/10(木) 19:00:02.33ID:rOTybxUg
家康が率いる軍勢以外にも相手にしないといけない連中がいるから
佐竹でも味方につけない限り守り切れないんじゃないの

15人間七七四年2022/03/10(木) 19:20:13.70ID:wymWCsPO
防御用の陣立て無いとかウッソだろ…そんなの攻められた死亡確定やんけ

16人間七七四年2022/03/10(木) 20:02:38.02ID:u55jd4mU
そりゃ領内整備していたのに攻められればそうなるよ

17人間七七四年2022/03/10(木) 20:05:16.00ID:GVrBdzF2
整備どころか軍事増強はしてたがな
挙げ句違反の越後に家臣置いてきてるし
言っとくけど上杉、ぐうの反論も出来ないレベルにドアウトな事してっからね

18人間七七四年2022/03/10(木) 20:07:54.80ID:CP7gCBSf
上杉の勝ち筋はとにかく冬まで粘って少しでも有利な条件で和睦する、
これくらいしかないでしょ?
野戦で云々は、小牧・長久手時の家康以上の立ち回りをしてどうにかなるかも?だが、
上杉にはそんなことできなさそうに思える。

19人間七七四年2022/03/10(木) 20:12:55.52ID:GVrBdzF2
実際に兵がぶつかる前に家臣ちゃんと説得してひたすら詫びるって手はあるぞ
家臣も日本中の武家が敵になりましたじゃこれまでの国衆気質やってられずにちゃんと景勝の指示従うでしょ

20人間七七四年2022/03/10(木) 22:06:49.19ID:eYMVa/mU
上杉に嫌がらせされた堀秀治が上杉征伐の一因だし土下座しても潰されるって恐怖があったのかもしれん。自業自得だが。

21人間七七四年2022/03/11(金) 12:42:12.88ID:PJSsYLAm
堀が急速に検地を進めたのが上杉側が一揆を晒しやすくした一因ではあったみたいだけどね

22人間七七四年2022/03/11(金) 14:43:27.22ID:48Gh65tg
備蓄米持ってかれたなら強引なことするしかないから結局堀としては上杉を憎むことになるのでは

23人間七七四年2022/03/11(金) 15:13:32.36ID:/67Nko1m
隣が隙さらしてるからやったるでは完全に惣無事にツバ吐いてるのだわ

24人間七七四年2022/03/11(金) 18:52:43.84ID:EjUQ0CaW
順序が逆
攻められることになって隣で隙晒していたから狙われた

25人間七七四年2022/03/11(金) 20:33:49.49ID:O/JQf8JE
家臣置いていってるから故意犯よ、どっちかといえば
そもやるなと言われた城の改築なり軍道の整備もしてるしね

26人間七七四年2022/03/11(金) 21:43:45.31ID:lNdzfU2A
入封して新城建築や街道整備がいけないってのは何で決まったんだろう
福島正則が減封になったのは武家諸法度だろうが

27人間七七四年2022/03/11(金) 22:00:35.54ID:E1MM1IvX
無届けだからね
城や道の改築なんて戦闘準備だよ

28人間七七四年2022/03/11(金) 22:02:06.87ID:lNdzfU2A
そうなの?

29人間七七四年2022/03/11(金) 22:10:54.05ID:lNdzfU2A
秀吉死亡時に上洛したんだからそこで報告でもしとけば問題なかったのか

30人間七七四年2022/03/11(金) 22:11:54.30ID:E1MM1IvX
当たり前だが、道や城ってのは軍事上非常に重要なものだよ、それを中央に無届けのまま作るってのは軍事行動起こす気なの?ってレベルではある
まあ一番の問題は加増で家臣全員連れていきなさいって秀吉から朱印状出てるの無視して越後に家臣置いていった挙げ句それら諸問題あって更に申し開きの上洛もしないだから、中央統制にツバ吐いてるようなもんだね

31人間七七四年2022/03/11(金) 22:20:35.42ID:lNdzfU2A
そうだね、秀吉死後の中央統制に唾吐きたくなったのかもね
移封は公儀の監督下で行われているんだから責任は公儀が負うべきだと思うが

32人間七七四年2022/03/11(金) 22:31:19.07ID:4gYTJ/A4
え?移封された大名が命令に背いて
徴税したのや旧臣残してるのの責任を
中央が取るの?
戦争準備してるのも受け入れて負けろと?

33人間七七四年2022/03/11(金) 22:31:31.20ID:E1MM1IvX
家臣置いてったのは秀吉没前だし、あえて言うなら秀吉含めて中央政権なんてクソ喰らえ、勝手にやらせろのがまだあり得るかな
少なくとも当時は、移封で起きたゴタゴタなどはその地が任された大名が責任を負うものだからそれを今の個人的な見解で述べても詮無いよ

34人間七七四年2022/03/11(金) 22:37:58.03ID:4gYTJ/A4
むしろ移封を命じた責任を取るために
ちゃんと討伐しようとしたのでは?

35人間七七四年2022/03/11(金) 22:45:50.79ID:lNdzfU2A
監督下っていうのは残していく家臣や年貢の半分の件のことね、一応

36人間七七四年2022/03/11(金) 22:49:31.48ID:E1MM1IvX
豊臣から派遣された取次が本来見てないとおかしいんだけど、はてさてどうして確認や報告されてないのかなというのはたしかにそう

37人間七七四年2022/03/11(金) 23:45:55.42ID:mnriW3MV
取次ってそう言うもんじゃないぞ
目付けが派遣されたかどうかも知らんけども

38人間七七四年2022/03/12(土) 00:01:21.65ID:G6IhaTxu
年貢の関係は豊臣政権だと確認するよ、元来の取次というのから離れて取次兼目付けって感じかもしらんが

39人間七七四年2022/03/12(土) 09:41:38.49ID:MNDsPyaf
上杉景勝と堀秀治の悶着って
慶長三年・景勝会津移封決定。豊臣公儀より上杉取次・石田三成が派遣されて移封作業が始まる。旧領越後には堀秀治が入る。
しかし上杉家臣直江兼続が法に背き年貢米を持っていってしまう。秀治は返還を求めるも上杉は拒否。秀治は秀吉に訴えようとするものの三成に妨害され失敗する。秀治、上杉の旧領奪還の野心を確信。三成に負けない後ろ盾を求めて徳川家康に接近する。
慶長四年末までに景勝は城砦・街道の整備、兵器の貯蓄等の動きを見せる。上杉の動向を注視していた秀治はこれを豊臣公儀つまり家康に報告、景勝に叛意有りと征討を要請。
周辺国(伊達、最上)からも同様の報告がなされまた景勝は家康への弁明を拒否して叛意を肯定。征討が決定する。
こうした流れだった気がする。つまり割と三成のせいなのでは…

40人間七七四年2022/03/12(土) 10:52:38.62ID:9y7+DQ5d
三成上杉の取次だしな、本来彼が秀吉に朱印状の履行が為されてない旨伝えないと行けない立場

41人間七七四年2022/03/12(土) 11:09:13.54ID:i0Go/jAi
転封に伴い年貢米も持っていって揉めた件は黒田・細川でもある。
まだ慣例として成立していないんじゃないのか、この時期は。

42人間七七四年2022/03/12(土) 11:11:37.54ID:i0Go/jAi
それと>>1からあまり離れるべきではない。

43人間七七四年2022/03/12(土) 11:35:51.62ID:aBPMRJO+
ぶっちゃけ結論10で言われた通りだしなぁ
しかも西軍、挙兵後ほぼ全く東国の情報掴めず信之の去就も知らないまま真田介して上杉と連絡取り合おうとする状態だし

44人間七七四年2022/03/12(土) 12:44:50.19ID:MNDsPyaf
取次は主と利益相反にさえならなければ基本的に相手国の利益を優先して良いらしい
らしいんだが上杉と堀が仲悪くなったらそれは公儀に悪影響与えるのは必然なんだよなぁ…で、問題は三成さんこいつ普通に依怙贔屓するタイプの奉行だったらしくそうした逸話が多い(島津とか佐竹とかの検地の逸話)。人間らしいっちゃそうなんだが奉行がそんなことをするとなぁ

45人間七七四年2022/03/12(土) 12:54:49.71ID:GeNjqBZI
豊臣政権下の取次の、相手国うまいこといかせたら評価上がる制度っぽいのと監視との噛み合いが悪すぎるのはそれはそう

46人間七七四年2022/03/13(日) 14:51:32.27ID:jqgCAqE1
>>38
取次が確認してるの??
他大名の家臣が領内に入って検断してたってこと??

47人間七七四年2022/03/13(日) 15:37:47.40ID:CJc4UKKA
検地とかでも石田三成とかが出張ってきてるから多分そう

48人間七七四年2022/03/13(日) 16:02:25.77ID:d0v6ut2O
慶長3年の秀吉の死の前後だけど
三成越後に行ってたのか

49人間七七四年2022/03/13(日) 18:50:10.45ID:CJc4UKKA
確か慶長三年の三成は会津やら九州やらでてんてこ舞いだったはず。それで七月末くらいに上方に戻ってきて秀吉臨終まで大坂だったんじゃなかろうか。

50人間七七四年2022/03/13(日) 19:18:03.28ID:n1xKGXPa
多分蒲生の宇都宮移封から関わっていると思われる
蒲生の旧臣雇用しているもで

51人間七七四年2022/03/14(月) 15:56:43.72ID:TkhRoJNH
仮に上杉が軍事行動起こすとなると一番ダメージ受けるのは周辺国だからね。だから実は徳川よりも堀や伊達、最上といった連中の方が危機感あったはず。
その上杉と仲良し子よしが三成な訳で黙ってはいられなかったろうなぁ。ここで上杉を取られると奉行派の勢力は激減するし。

52人間七七四年2022/03/17(木) 12:19:27.68ID:aBqiUxNw
そう考えると三成が西軍に居なかったら歴史は大分変わってたかもしれん。三成憎しの連中がどっち付くかわからんし。

53人間七七四年2022/03/17(木) 13:30:15.26ID:32vGBElt
三成が憎いから東軍についたってだけが要因じゃないっしょ
向こうの大将が信用出来ないと同じくらいこっちの大将はまあ信用できるってのも大事
東国と取次してて一応伝手があると見込まれた石田を抜いたとして、東国に全く伝手のない連中が東国の連中切り崩せるとも考えられないでしょ

54人間七七四年2022/03/17(木) 19:44:12.03ID:bTn9rTuS
そもそもクーデターだからな

55人間七七四年2022/03/17(木) 20:47:24.07ID:e5xjBBWL
〜の変と言われていない不思議

56人間七七四年2022/03/17(木) 21:55:47.69ID:JaMXJUx7
家康は三成の君主じゃないから

57人間七七四年2022/03/18(金) 12:27:39.70ID:X3Dj1kNT
>>1
合戦勃発後にやるのが普通
それをしてない時点で三成の戦略・戦術眼の無さが
よく表れている
仮にそれをしても関東まで進撃するのは無理
だって伏見城で2週間も無駄にしてるんだし

史実でも8月中旬の時点でまだ尾張にすら到達してない
これではどうしようもない
上杉は最上程度に大苦戦する程度の軍隊
徳川が半数も返しただけで西軍は進めなくなる

58人間七七四年2022/03/18(金) 20:57:08.93ID:3jwjuzYy
三河の韮雑炊でござる

59人間七七四年2022/03/19(土) 01:57:00.88ID:lvAHrxg4
敵の敵は味方
まっこと憎き三成なり・・・
家康はそこを最大限利用して勝てた
三成は良いように利用されて負けて捕縛されて斬首で終わった

60人間七七四年2022/03/19(土) 02:09:04.11ID:sCrGJ1yt
勝手に政務の足引っ張りに来て案の定信用失った三成の自爆であって、利用とかどうとかのもんでもねーよ

61人間七七四年2022/03/19(土) 12:20:13.32ID:1l2kqSYy
仮に首尾良く上杉と挟撃の形になったとしても、毛利一族の二心は変わらないだろうからなぁ
遠からず九州は東軍勢が席巻して、その後毛利輝元とどうなるのか
長期戦でも結果的には西側から崩れていくことになりそう

62人間七七四年2022/03/19(土) 12:47:19.66ID:sCrGJ1yt
私的に気に入らないやつを引きずり降ろそうwith巻き込まれた連中だから、そもそも足並み揃わないのは当然ではある
まあ上杉との連絡がそもそもほぼできてないからまあ画餅

63人間七七四年2022/03/19(土) 12:50:21.57ID:7as/IxEL
上杉と交信するってなると西軍領だけで出来たっけ…?東軍領を通るとなるとかなり危ない気がする

64人間七七四年2022/03/19(土) 14:19:28.10ID:sCrGJ1yt
出来ない、できてないから慌てて真田介して連絡取ろうとしてる

65人間七七四年2022/03/19(土) 15:04:50.02ID:niMMwu9m
最近は上杉と石田が通じ合ってないとか言われているけど、もしそれが事実なら三成と上杉は只のバカです、ってことになるような

66人間七七四年2022/03/19(土) 15:29:28.21ID:sCrGJ1yt
家康が会津征伐で空いた機会に慌てて動いたんでしょ、泥縄式に
上杉は上杉の都合で揉めただけだし、それがバカとは思わん
ただ、上杉と西軍が挙兵前から通じてたとわかる史料なんてないしむしろ挙兵してから慌てて真田に連絡の仲介を頼んでるところから、連絡は取り合えてない

67人間七七四年2022/03/19(土) 15:52:47.98ID:7as/IxEL
この時の五大老の石高を見ると徳川は前田を後見して計三百万石以上という圧倒的勢力を誇ってる。で、上杉討伐で上杉に勝ち目なんて万が一も無い。やられたら死ぬか降伏するかしかない。そうなると上杉領は大幅に削られるか下手すりゃ無くなる訳でそれは徳川に流れるのも明らか。そうなりゃ奉行派に復興の目は無くなる。感情もあったのかも知らんけど政治的状況が西軍を動かしたんだろう。
上杉の取次は石田三成だったから動かなければ景勝が三成に泣きついた、ってのは有りそうな話だけど連絡取れんとなると戦略的にかなり厳しかったろう。

68人間七七四年2022/03/19(土) 18:01:45.61ID:tRQTH/m4
というか上杉との共謀によるというのが
小説的想像力の産物

>>65
上杉は家中統制に苦労して弱腰の対応と
取られるような政治的態度を取れずにいて

三成はかなり早い段階から対内府の
クーデターを画策するも失敗して隠居
追い詰められて起死回生を狙った

毛利は古くからの領土的野心があるとこに
政権掌握を餌にされて先走った

69人間七七四年2022/03/19(土) 18:02:57.08ID:9Y1B9aPe
上杉征伐ならばまずこの書状だろう、史料スレの>>42より引用。

六月十日付安田能元・甘槽景継・岩井信能・大石元網・本庄繁長宛上杉景勝書状

今度上洛不成樣子、第一家中無力、第二分領仕置之ため、秋中迄延引之趣、奉行衆へ令返答之處、重而逆心之讒言を以、是非上洛無之者、

向當郡可被及行之旨候、就之存分雖有之、元來無逆心筋目之条、 抛萬事可令上洛覺悟落着、倂読人糺明之一ケ條申入候處、

無是非只不相替上洛與計有之而、剩日限を以催促如此被押詰、上洛之儀者如何としても不成候、數通之起請文反古になり、

堅約も、好も、不入讒人之糺明も無之軆、時刻到來無二思詰候条、譜代・旧功牢人不依上下、右之趣、無拠分別仕候者は、

供之用意可申付侯、自然、無分別を以、理不尽之滅亡被述懐を存候者は、何者成共無相違可出暇候、然者、上方勢下候日限聞屆次第、

半途へ可打出候、諸口之儀に候条、領分端々被押破、 地下等心替可仕義必然候、其時節、或在所を無心元存知、

或妻子を難捨心中候者、當座之不覺末代之名をくたすへく候条、兼而肉を切而、可存是候、内々無疑心仕置無二奉公存詰者之糺明直に申出候者、

人により遠慮可有之候条、各以分別急度可被相究者也、

六月十日        景勝

安田上総介殿

甘槽豐後守殿

岩井備中守殿

大石播磨守殿

本庄越前守殿


以上。上杉景勝の上杉征伐に対する覚悟表明だが、死にたくない奴は帰っていいと
やる気満々なんだが、西軍関ヶ原敗報を聞いたあとのへたれっぷりは
なんなんだろうと感じる。なにか引っ掛かる。

元々有事の際には共闘しようという密約でもあったか、
そういうものはないが、内心薄々味方してくれる可能性が高いだろうと思っていたのか、
そういうものがまったくないのなら、西軍が関ヶ原で敗退しようと、
当初の方針通り征伐軍を迎え撃てばいいと思うのだが、なぜへたれるのか疑問に思う。

70人間七七四年2022/03/19(土) 18:57:02.58ID:sCrGJ1yt
会津征伐時と西軍挙兵後の最上領侵攻とで意味合いが大きく変わってしまったからでしょ

71人間七七四年2022/03/19(土) 19:05:02.57ID:tRQTH/m4
元々挟撃の密約があったと信じ込んでるから
西軍挙兵後へたれたと思うだけかと

元々独自に揉めて征伐くるから
仕方なく迎え撃つ覚悟ってだけでしょ

そしたらなんか知らんけど
中央でクーデター起きたw
南下しろ?イヤイヤ後方脅かされたらヤバいし
旧領との連携もあるから最上領獲れてから考えるわ
って別におかしくなくね?

72人間七七四年2022/03/19(土) 19:48:17.09ID:9Y1B9aPe
>>71
そうじゃなくて、西軍が関ヶ原で負けようと、最上領からの撤退は征伐軍迎撃の観点から
仕方ないとしても、なぜ降伏するのかという点。
関ヶ原勝利後に今度は上杉征伐に来るであろう征伐軍を当初の予定通り迎え撃てはいいじゃんと
言う部分。なぜへたれて降伏するのと。

73人間七七四年2022/03/19(土) 20:29:55.20ID:niMMwu9m
>>72
最上単独にすら、しかも最上主力軍では無く属城の守備隊にすら勝てない上杉が
家康やそれに従う諸大名の軍勢に戦って勝てると思うかねえ……

景勝は自軍の余りの弱さを知ってへたれてしまったんじゃないの?

74人間七七四年2022/03/19(土) 20:39:06.81ID:dn//uWaU
横からだが、上であげてくれたように死地において迎え撃つと配下に号令して上がっていた士気が
友軍とも言うべき西軍の蜂起によって死地を脱したことによって勢力拡大という方向へ変化し
そのきっかけとなった西軍が壊滅したとなれば士気を保ったままもう一戦とはいかなかったでしょうよ

75人間七七四年2022/03/19(土) 22:27:31.11ID:d3GoA/q4
西軍との示し合わせは無くとも自分達が徳川を引きつければ中央で動きがあるという風には考えてたんだろ
元から玉砕覚悟とは思えない

76人間七七四年2022/03/19(土) 22:30:07.62ID:H6LPuNHn
おそらく毛利が大坂なり本国なりで徹底抗戦の構えしてたら戦ったかもしれない。でも輝元含め奉行派完全敗北ってんじゃ上杉が孤独に戦っても無益というか無意味だもの。
しかも「今なら全部石田三成のせいにできてそうすれば領土は残る」っていうオマケまであるし…

77人間七七四年2022/03/19(土) 22:31:43.54ID:tRQTH/m4
>>72
勝てる見込みが無くなったから
それによって主戦論を装わず
降伏する道が開けたから

日本中敵に回して本気で勝てるとも
戦って滅んでもいいとも
君臣共に本気では思ってはいないでしょ

78人間七七四年2022/03/19(土) 22:59:05.87ID:dn//uWaU
佐竹相手に威勢のいい書状を送ったが本能寺の変によって救われ
奇しくも西軍の蜂起によってまた命拾いをすることになった上杉

上杉の上洛前はまだ島津も降伏してなかったけど辺境だったしな
とはいえ島津は九州諸侯に動員かかっているし、交渉中に徳川の朱印船沈めているしで

79人間七七四年2022/03/19(土) 23:01:52.98ID:NhU2krYe
書状で勇ましいこと言ってるけど上杉家がほんとに玉砕覚悟だったかつーのも眉に唾をつけとかなきゃダメだしね
ある程度当たって強硬派へたれたら即詫びる予定だってありえるし、何より上杉家が正しく家中の意思統一しきれてるかというと怪しいというかできてない可能性のが高い

80人間七七四年2022/03/20(日) 00:28:27.33ID:7/plnADj
越後に残った家臣がいたのも
謀略というより統制できなかったんじゃ

81人間七七四年2022/03/20(日) 12:22:25.70ID:bUY5czsl
頭下げる気がないならどの道戦争不可避なんだし
内心がどうであろうが威勢のいいこというしかないってだけじゃないの
弱腰だと士気にも関わってくるんだし

82人間七七四年2022/03/20(日) 19:53:02.44ID:9PlD9myd
景勝も家を滅ぼすのは嫌だったんだろうなぁ。
例え弱腰と言われようが。若しくは密かに助命の保証は貰っていたのか

83人間七七四年2022/03/21(月) 15:03:13.96ID:Sr2YL5Ih
石田三成は徳川家康に命助けて貰ってるのになんで刃向かってしまったのか

84人間七七四年2022/03/21(月) 15:06:46.32ID:UqwP6DX8
やってることは完全に豊臣の遺言体制崩壊させて自己が政権握ろうとする行為だから、野心でしょ三成の
ある意味秀吉の影響番受けた振る舞いではあるな

85人間七七四年2022/03/21(月) 15:27:27.05ID:Fgt9EtVh
>>83
命助けてもらったことなどないぞ

86人間七七四年2022/03/21(月) 15:41:21.71ID:xtpLYvnK
七将に死刑求刑されたのに庇ってくれたのは家康なんだよなぁ。家康がその気なら物理的な死でなくとも大名としての死(改易)、政治家としての死(嫡子含めた出仕停止)と幾らでも殺し方はあったのをなんとか謹慎に留めてくれた。

87人間七七四年2022/03/21(月) 15:47:07.30ID:UqwP6DX8
一応言うと、あれは謹慎ではなく隠居
確か隠居としてある書状がある
ただ毛利や北政所含めた話し合いの結果裁定が七将の求めた死刑ではなく三成の隠居、しかもその息子は秀頼の下へ出仕できるなのでド甘い裁定なのは確か

88人間七七四年2022/03/21(月) 16:07:57.00ID:xtpLYvnK
白峰氏曰く隠居ではなく謹慎とのこと。
根拠としては三成が奉行から除かれた痕跡が無くその後も奉行として署名してる事をあげてたな。

89人間七七四年2022/03/21(月) 16:08:56.02ID:UZUgLfFo
そもそも三成はほぼ無関係ないざこざから隠居まで追い込まれてるんだから普通に理不尽な裁定では?
死刑という無理矢理な要求から結局謹慎に持ち込まれて完全に力負けしてる

90人間七七四年2022/03/21(月) 16:15:23.66ID:qx5E8Rvc
俗に家康は「今三成を殺すと豊臣は一つになる。三成を生かしておけば豊臣は分裂する。それが徳川の天下に繋がる」として三成を敢えて生かした、って言われるけどだとしてもここまでのゲロ甘裁定を出す必要は無いしむしろ出仕止めか減封にすれば三成が焦って戦争する確率も上がった訳で。どうも家康は三成の事をそれなりには評価してたっぽいんだよなぁ。

91人間七七四年2022/03/21(月) 16:15:52.64ID:UqwP6DX8
白峰のあれは西軍が挙兵したあとに奉行として署名だから、西軍が豊臣公儀の軍であるっていう証明があって初めて成り立つけど
白峰はそこの証明をしてないしでその説はかなり難しいと思うよ
あくまで西軍挙兵後自称奉行として勝手に行動した、と解釈すべき

92人間七七四年2022/03/21(月) 16:20:10.24ID:qx5E8Rvc
>>89
要求が死刑だからね…しかも七将はかなり過激な要求をしていたらしく増田長盛も「三成が身を退かないとこのままじゃ済まない…」って報告してる。下手すりゃ死刑、良くても改易、気に入らないなら実力行使ってところをギリギリで踏み留めた訳で私情は呑み込まないといかん状況よ。しかも領土も減らず出仕も認められてるから石田家としては万々歳な訳で。

93人間七七四年2022/03/21(月) 17:14:40.57ID:SFCvaneq
むしろこの頃の家康ってトップとしては
ひたすらことを荒立てず済ませてね?
悪い言い方すんなら下の顔色伺って
流されてくことなかれ

元々遺言にもなかった自分の権限削ぐような
誓詞で縛られても文句言わず従い
弾劾受けても誓詞交わして和解に努め
自分の暗殺疑惑の容疑者でも殺さず流罪

三成隠居の経緯も家康黒幕説は小説の類で
元を辿れば豊臣子飼いの奉行人の内輪揉めでしょ
余計なことして波風立てるより
穏便にすましたってとこじゃないの?

何かと対立する三成の苦境にいい気味と思うのも
人情かもしれんがそれは正直弾劾した側の
7将の中にも変わらん奴おる訳で

94人間七七四年2022/03/21(月) 18:03:42.67ID:FiAO2Sf0
書状にあるのは「閉口」

95人間七七四年2022/03/21(月) 18:13:37.37ID:MPaShM3f
遺言に反した婚姻進めて前田や浅野を屈服させて、七将との揉め事にかこつけて三成の失脚に成功した
家康の野心的な派閥形成自体は否定出来ないな

96人間七七四年2022/03/21(月) 18:36:03.25ID:yRmkUZVT
遺言に婚姻してはいけないなんてない
あるのは御掟、で、この御掟が秀吉没後も生きてるかはかなり怪しいところ

97人間七七四年2022/03/21(月) 19:10:43.49ID:dNRFtHbk
いわゆる家康の私婚問題だけど、当時他に大名家同士の結婚てなかったんかな?
あったとしたらその時は五大老五奉行の合議で許可されてたんだろうか
他の事例があったのかよくわからないな

98人間七七四年2022/03/21(月) 19:20:10.16ID:qx5E8Rvc
>>95
前田が徳川の支配下になったのは利家からの利長後見の要請が理由だし、
浅野長政に至っては対三成のために徳川に近付いてるし…

99人間七七四年2022/03/21(月) 19:20:56.07ID:SFCvaneq
婚姻について合議で決めるべしという
なんらかの文書なり合意なりが明確にあったなら
その時点で穏便に済ます余地がななくね?

100人間七七四年2022/03/21(月) 19:36:29.53ID:qx5E8Rvc
まぁ実際、あって無きが如き文章よ。
仮に婚姻の話があったとして反対したらどうなる?そんなことしたら相手方に喧嘩売ったと看做されるし下手すると戦争になる。だからどのみち婚姻は賛成って話になる。
だから御掟でも「婚姻するって時には公儀に届け出て許可を取ってね」って言ってる訳だし。しかも徳川家康は公儀な訳で尚の事文句はつけられんわな。
むしろ、家康がいちゃもん付けてきた奉行衆を返り討ちにした強硬な態度が利家らを不審がらせたのかもしれない。

101人間七七四年2022/03/21(月) 21:14:51.80ID:5efLP7rK
>>100
不審がらせるどころか日をかけずにあっさり解決してる
利家も穏便路線だったと思われる
病気もあったかもしれないけど

利家の家に大名が集まったという史料を探してるんだが、どなたか知ってる?

102人間七七四年2022/03/22(火) 01:16:56.31ID:5XNBN2Vf
秀吉恩顧の三成ぜってー殺すマンたちって家康に絶対的な忠誠誓ってたわけじゃないからな
あえて生かそうと思ったのを創作と決めつけるのは早計かもよ
殺すマンたちも後で狡兎死して走狗烹らるとばかりに処理された奴ら多いし

103人間七七四年2022/03/22(火) 01:40:37.98ID:904hPFM8
黒田・細川・池田・藤堂・蜂須賀たちは元気に幕末まで存続しているし
反三成派の大半は別に処理されてなんかいないぞ?

104人間七七四年2022/03/22(火) 01:52:57.65ID:5XNBN2Vf
加藤と福島はあえて触れなかったな

105人間七七四年2022/03/22(火) 02:13:43.88ID:iGgpZTW4
加藤と福島の改易処分についての論文まず読んでから喋ってくれ
あれ完全に加藤と福島のやらかし大きすぎるから

106人間七七四年2022/03/22(火) 02:15:52.21ID:iGgpZTW4
もっと言えば、譜代家臣とされる連中の改易の率も見てやってくれ
そういうの見ずビッグネームの家系が断絶したって話だけで歪んだ結論出すのはよろしくない

107人間七七四年2022/03/22(火) 05:23:45.00ID:YnjDeL8J
加藤に至っては改易の機会はいくらかあったけど徳川が配慮してただろうが

108人間七七四年2022/03/22(火) 05:23:45.69ID:YnjDeL8J
加藤に至っては改易の機会はいくらかあったけど徳川が配慮してただろうが

109人間七七四年2022/03/22(火) 08:11:50.26ID:ObH1JEti
関ヶ原によって家康は天下を取った
とされるようになったから
何故豊臣恩顧の武将達が三成に付かなかった?
と言われるようになり
三成と仲が悪かったからだ
となった

ただ実際は関ヶ原当時家康は政権トップで
豊臣家も朝廷も支持した軍事行動の最中
多くの諸将が豊臣政権に従って従軍していた
三成ら西軍はその留守に放棄したクーデター軍で
正当性も確保できてたとは言い難い

7将「襲撃」や福島正則の捕縛された三成への雑言
と言った不仲のエピソードについても
何処までが史実であるのかもっと吟味されて良い

110人間七七四年2022/03/22(火) 10:18:28.37ID:h1XnDC2N
>>100
徳川に関しては家忠日記かなんかだけど前田はなんだろう…
利家夜話か利家公御代覚書?取り敢えず調べてみます。

111人間七七四年2022/03/22(火) 14:43:53.49ID:3DsUoRIF
とは言うものの、関ヶ原の大乱では豊臣家は何も出来なかったのが、豊臣家が政権の座から滑り落ちる原因だからな…

西軍の人々も、豊臣家を大切に思うなら徳川打倒は秀頼の成長か、家康の死を待ってから大乱にならないようにした方が良かったのではと思うのは、結果論なんだろうな。

毛利家にしても、上杉家にしても自分達の為の行動が見えるのが、何か面白い。

112人間七七四年2022/03/22(火) 14:56:32.54ID:BQir15Fz
政権中枢が続々と徳川に切り崩されてたからなぁ
上杉がやられて太刀打ち出来なくなる前にと決起するのは分からんでもないけど、そういう方向に持っていった時点で家康の勝ちな気がする

113人間七七四年2022/03/22(火) 15:13:58.49ID:+AqValD9
>>111
上杉と毛利は自分たちのためだよ
上杉は家中統制がとれず豊臣政権の出兵を招いた
毛利は私欲で四国九州に出兵してる

114人間七七四年2022/03/22(火) 15:24:05.69ID:szCojPnS
豊臣が政権の座から降りたのは遺言で秀頼成人まで豊臣家を政治から切り離した秀吉によるものだしね
んで切り崩すもなにも上杉や宇喜多らしたことは政務の後継者が誰であれ仕置しなきゃならん行為だし、その上でいえば秀吉より甘々の裁定で切り崩すといった行為ではないね

115人間七七四年2022/03/22(火) 15:34:17.03ID:XC+vnRvw
そもそも政権運営を家康に頼らざるを得なくしたのは秀吉だからなあ
それを認めたくなかった奉行らが反家康で結託しなければ切り崩しもなかったという

116人間七七四年2022/03/22(火) 15:47:20.97ID:szCojPnS
西軍があのタイミングで挙兵したのは
あのタイミングじゃないと彼らが損をするタイミングだっただけで
豊臣家からしたら秀吉が作った秩序である惣無事を真っ向から否定されるわ、自分とこのお膝元でクーデター起きて人質奪われてるのに何もできないサマを周知されてしまうわでろくな目にあってないからね

117人間七七四年2022/03/22(火) 21:05:34.19ID:ObH1JEti
三成にしてもせいぜいが
「中枢に自分がいる豊臣家」
のためでしょ

トップである大老と諸大名の結びつきを
派閥形成だと攻撃するのも
そのために断罪できないような形で
御掟を弄んでしまうのも
はっきり言って政権のためどころか
その枠組みを揺るがす行為だぞ

118人間七七四年2022/03/22(火) 21:12:42.39ID:ObH1JEti
政権への打撃の極め付けは西軍挙兵

もはや政権には世を泰平に保つという
統一政権として最低限の機能さえないと
はっきりと示したようなもの 

せっかく家康が朝廷まで動かして
豊臣政権としての体裁を整えて
惣無事のための軍事行動を起こしたのに
その矢先にそれじゃあね

そりゃ家康も朝廷もこのままの枠組みでは
無理があると思い切らざるを得ない

119人間七七四年2022/03/22(火) 21:38:29.28ID:BQir15Fz
そこまで家康をクリーンに捉えて野心を否定することも無いだろ
秀吉死んで事実上のトップになったから自分中心の政権固め始めた
そうなると不都合だったのが元々政権中枢にいた豊臣の奉行衆たち

120人間七七四年2022/03/22(火) 21:58:24.03ID:GvA98rvN
秀吉が徳川と豊臣の利益を共通にお膳立てした上で家康をトップに据える体制にして、それが飲めないって反発したのが奉行(特に過激に動いたのが三成)って感じ

121人間七七四年2022/03/22(火) 22:10:55.25ID:ObH1JEti
家康はクリーンでもないし野心もあったろ
そんな聖人君主はいないよ
三成を忠臣とするような夢物語の中にしかな

でも政権のトップとしてその野心と
政権の安定を一体させる筈だったのが
何故か秀吉の死の直前に覆された

122人間七七四年2022/03/22(火) 23:15:03.54ID:5XNBN2Vf
ノッブが鬼畜すぎて怖くて従ってただけなのに律義者のイメージ付いたのは得したな
長篠の戦いの前に武田側に寝返らなくてよかった

123人間七七四年2022/03/22(火) 23:22:42.43ID:iGgpZTW4
信長が鬼畜?
なんかだいぶ古いというか、浅い知識で語ろうとしてないか

124人間七七四年2022/03/22(火) 23:37:15.65ID:5XNBN2Vf
ああそうね信長ほど優しい大名他にいなかったよな
ごめんごめん勉強不足だったわ

125人間七七四年2022/03/23(水) 00:11:32.64ID:zC6Uq+zb
知識もなしで荒らしたいだけか、しょーもない

126人間七七四年2022/03/23(水) 00:54:27.35ID:sPRhlDXL
しょーもないのはどっちだろうね

127人間七七四年2022/03/23(水) 00:58:59.78ID:sPRhlDXL
ご高説賜りたい
出来なければ逃げたとみなす
信長が優しいってねねへの手紙とか松永許したとかそんなくだらない理由じゃないだろうね勿論

128人間七七四年2022/03/23(水) 01:31:14.20ID:zC6Uq+zb
むしろ信長を鬼畜と判断する要素何?
当時の大名と比して特別残酷と取れる要素あるか?
万福丸処刑にしたこと?寺社焼き討ち?
当時の大名として突出して残酷だと判断する要素を少なくとも俺は知らない

129人間七七四年2022/03/23(水) 01:33:03.76ID:zC6Uq+zb
逃げたと見なすキリッじゃなくこうこうこういうのがあって残酷でしたっての頼んますね
まあ加藤や福島の改易についても論文すら読まず雑な結論出してきたやつだから期待はしてないけど

130人間七七四年2022/03/23(水) 01:46:42.14ID:sPRhlDXL
信長のどこが優しいかの論文も頼みます

131人間七七四年2022/03/23(水) 01:57:05.14ID:zC6Uq+zb
自分が残酷だって主張しだして
それおかしくね?って言われたらそれか
ほんとただただ頭が悪いのな、主張した側からちゃんと論拠出すのが当たり前だぞ、論文提出したことないか?おこちゃま君

132人間七七四年2022/03/23(水) 02:12:31.03ID:b+nYsDiU
長島一向一揆や有岡攻めの戦後処理は鬼畜の所業じゃなかったんだ
信長が鬼畜じゃないって真面目に主張してるのは初めて聞いたな

133人間七七四年2022/03/23(水) 02:21:37.88ID:zC6Uq+zb
鬼畜ってほどの所業で家康がそれに恐れたなんて話は聞いたこともねーな
寺社勢力と対立してその寺社勢力に凄惨な報復する大名は信玄しかり浅井長政しかりいる
有岡城も荒木の蓄電による見せしめである
ひどい話ではあるが当時として常軌を逸した行為でもなんでもない

134人間七七四年2022/03/23(水) 02:26:10.40ID:zC6Uq+zb
当時の大名なんて多かれ少なかれ鬼畜な所業はしてて、その上で信長がそれらを上回る程凄惨な行為なんかをして、しかもそれに怖くて従ったなんて寝言吐いた以上それら証明するのは腫脹した側がせにゃならんこっちゃ
ほら、上辺だけでなんか語った気になってないで2点について答えろよ、荒らし

135人間七七四年2022/03/23(水) 04:31:58.65ID:Rig/wevz
まあ、今はやりのサイコパステストやったら盗将大権現は高得点だろなとは
思うね

盗将大権現様の行動は正しいよ、疑いの余地が無く正しいそれは事実
只、普通の人間の情として嫁や息子や孫娘生贄にする謀略はできんだろ、出来るのが権現様

136人間七七四年2022/03/23(水) 04:41:30.92ID:9n7n+v6X
>>135
司馬遼太郎信者は巣に帰れ

137人間七七四年2022/03/23(水) 07:29:53.68ID:iUWXvGi7
信長が信康殺させたと信じてそう

138人間七七四年2022/03/23(水) 07:45:20.21ID:AYPvgYEP
主張した以上証明しないと行けないって話の最中に、主張するだけで証明もろくにしないまま逃げ出すを繰り返してるたとえ話荒らしが出張ってくるのか
自覚がない程頭が悪いのか

139人間七七四年2022/03/23(水) 08:06:54.40ID:TLYs6Ed1
ワッチョイ導入はまだですか

140人間七七四年2022/03/23(水) 09:50:17.15ID:MhtTP+79
西軍のやらかしは一つは大義無く挙兵したので豊臣公儀の力を借りれなかったこと。そしてその結果豊臣公儀の権威を失墜させたこと。更に戦略を見誤り多方面に戦線展開した結果東軍の集中攻撃に成す術が無かったこと。
上杉の軍拡は周辺国から警戒されてた訳で要は此奴のせいなんだけどさ…

141人間七七四年2022/03/23(水) 10:49:18.07ID:gCa6wju/
関ヶ原の西軍は平治の乱の藤原信頼源義朝のようなクーデター失敗者てことなんかな
義朝に「日本一の不覚人」と罵られた信頼は関ヶ原で言えば三成か輝元か

142人間七七四年2022/03/23(水) 19:14:04.78ID:EQCwJ1Ix
例え話君は家康のこと盗将大権現って書くから分りやすいな

143人間七七四年2022/03/23(水) 21:32:20.94ID:HptIgYha
朝から午前中が活発なスレですね

144人間七七四年2022/03/24(木) 05:48:06.68ID:rbK/V4l6
>>142
もういっそのことコテハンにすればいいのになw

145人間七七四年2022/03/25(金) 10:57:49.59ID:4sBGrN7X

146人間七七四年2022/03/25(金) 18:44:36.76ID:qhQTO58C
立花宗茂と小早川秀包の使い方を間違えなけりゃ西軍が勝ってた

147人間七七四年2022/03/25(金) 19:51:00.77ID:xxDoppaO
>>144
同感!

148人間七七四年2022/03/28(月) 02:59:48.60ID:VyI7dxIa
>>146
地理的に近い大名が前線で戦うというのが当時の軍事制度なんだよ
だから朝鮮出兵では西国大名が前線で戦い、東国大名は後方支援だった
西軍が東進する場合は地理関係が逆転する
小西・宇喜多のような首謀仲間や島津のような戦闘狂といった例外がない限り
西国大名は後方支援さえしていればよいはずだった

立花たちが大津城攻めという名目で一歩下がったのは
朝鮮に続いて東国での戦でさえ前線での苦労を押し付けようとする三成への無言の抗議だったと言える
だから立花たちには史実以上の使い方はできなかった
むしろ広家や秀秋のような直接的な形での抗議をされなかっただけマシだったと言える

149人間七七四年2022/05/19(木) 10:12:52.80ID:v7FHHUik
赤坂に葵の旗が立つまで家康の西上に気付けなかった情報収集能力の無さが致命的
10日に熱田で3日ほどグズグズ(秀忠を待っていた?)してた時に気付いてりゃあ
大津の1万5千、上手く行けば田辺も併せて3万を合力出来て
小早川もおいそれとは裏切れなかったと思う

150人間七七四年2022/05/19(木) 11:29:02.28ID:2joSMd0g
岐阜城が落ちた後東軍は赤坂と垂井まで進出してる。これで西軍の拠点網が断絶されて徳川の動きが分からなくなったと思われる。家康も垂井を押さえた動きを「よくやった」と褒めてるからかなり効果的だったようだ。

151人間七七四年2022/05/19(木) 20:06:18.98ID:cCTn+Ri1
大津放置はないと思うけどな

主戦場の西軍主力と総大将のいる大阪
もっというと本拠地の西国との
連絡が相当滞るはずだから

主戦場での戦わない大名や寝返りが続出も
小早川が〜とか属人的な問題じゃなく
東軍の動きで不利を実感してた
って要素が無視できないと思うわ

152人間七七四年2022/05/19(木) 20:12:08.47ID:KpQ8cGr+
吉川広家の弁を信じるなら当初の西軍の戦略は南宮山と周辺で東軍を受け止めるというもの(ただし広家らは山から降りずに戦線放棄してた)ところが小早川秀秋が松尾山を取ったことで石田三成らは関ヶ原へ出撃。秀秋の裏切りを知らない連中は「三成が佐和山に逃げる」と思って東軍に降る者多数…
というから西軍無茶苦茶厳しい環境なんだよな…

153人間七七四年2022/05/20(金) 10:13:15.96ID:cvCNF77U
豊臣体制からの離脱を宣言し瀬戸際外交を継続する会津上杉は、
徳川を筆頭とする五か国協議に復帰することを急がねばなりません。

154人間七七四年2022/05/23(月) 11:26:08.57ID:EEe8rG7T
>>152
ただ東軍も問題多いいんだよなあ
秀忠軍の遅参は最たるものだけど
積極的に裏切る者はいなくても三成憎しか勝ち組に付いた大名ばかりで
家康に忠節を誓ってるのは黒田と藤堂くらい
西軍の内応組も戦況しだいではどっちに転ぶか分からない
あと家康本隊3万は数ほどの脅威はないと思う
メンツを見ても主力は秀忠軍で、朝鮮で戦ってない徳川軍は
大阪の役以前から昔年の強さはないと思う
家康もそれを知った上でのあの運用じゃあないかな
従来説準拠であれば決戦前日に三成に転生しても勝ち筋は充分見える

155人間七七四年2022/05/23(月) 11:42:56.39ID:YIH534BI
>>154
従来説の決戦前日ってまだ両軍とも赤坂に布陣で小早川が松尾山に陣取ってるんだぞ
御高説を願おうか

156人間七七四年2022/05/23(月) 11:55:55.12ID:6vLeCx2l
元々の西軍の戦略では南宮山を境に東軍を迎撃するというものだった。ところが三成が突如西進、佐和山方面に向かってしまう。これで西軍は動揺して東軍に寝返る者多数という有様になった(吉川家書状)ちなみに既に南宮山の毛利軍は戦うつもりは全く無かったので山を降りて無い(三成に不満を言われてる)
尤も三成は逃げたんじゃない。三成は既に「秀秋が裏切った」という報を受けてそれに対処する為に松尾山を攻めに行っただけ。秀秋は既に西軍の指示を無視していたから疑われていたけど西軍には何も出来んかった。

157人間七七四年2022/05/23(月) 12:33:27.02ID:uPcb7SkN
挙兵した時点で負けだろ
どんなに挑発されても挙兵はしない
家康はあの年なんだからひたすら隠忍自重しようって考えはなかったのかな

158人間七七四年2022/05/23(月) 17:56:01.25ID:LbCPX632
何も行動を起こさないなら反徳川勢力が家康に各個撃破されていくだけなのだから、まだ大同団結すればギリギリ勝ち目があるうちに賭けに出ようという気持ちは分からんでもない
家康が畿内から遠く離れる好機も何回あるか分からんし

ただ重要なのはこの各個撃破されるであろう「反徳川勢力」に豊臣家は含まれていないことだな
豊臣家のことだけを思うならやはり忍術すべきだった

159人間七七四年2022/05/23(月) 17:57:15.54ID:LbCPX632
忍術ってなんだよ忍従だよ

160人間七七四年2022/05/23(月) 18:20:52.58ID:sxxxYQSl
石田三成よりも毛利輝元がお手付きした疑惑が強い

161人間七七四年2022/05/23(月) 20:03:57.49ID:x9QT5W09
>>158
正直奉行や宇喜多は自家や己の立場や行く末と、豊臣の立場を天秤にかけちゃった時点で
もうどうしようもないんだよね この時点でどう言い訳しようと批判は起きてしまう
後の徳川と比較するとよくわかる、江戸幕府の最初期において政争に敗れた大久保一派は
許しを請うたり、減刑を求めたり政敵を批判したものはいても、復権を求めて
武力行使に訴え出るようなものはいなかった
たとえ不満があっても、それをすれば幕府そのものが弱体化することがわかっていたのだろう

162人間七七四年2022/05/23(月) 23:03:37.96ID:wXy1TiYs
石田三成自身は巻き込まれてどうしようもなかったって説もあるけどね。まぁだからなんだよって話でも在るけど。

163人間七七四年2022/05/24(火) 12:42:53.34ID:7DCllqer
https://i.imgur.com/rFfkKLy.png
>>155
とりあえず一番有名なこの布陣前提で議論したい
新説やらなんやらで毛利や小早川の数が多過ぎるとか
布陣が違うだろうとか思われる方もいると思いますが
前提を決めて置かなくては議論も出来ないので
旧参謀本部によって刊行された「日本戦史関ヶ原の役(附表・附図)」をベースにしたこの布陣で話すことをお許し頂きたい

164人間七七四年2022/05/24(火) 13:59:52.69ID:I4fRxB+2
>>163
長宗我部と長束
ぐるりと回って
京極の背後を突く
バレないように旗だけ残しておく

東軍不利と見た小早川秀明は
はよ裏切れとうるさい
奥平貞治と大久保猪之助を切って捨て
すぐさま松尾山をかけ下り福島正則の背後を突いた


赤座 小川 朽木 脇坂 らは遅れてはならぬとすでに長宗我部にボコボコにやられている京極めがけて
さらなる追い打ちをかけるのであった

165人間七七四年2022/05/24(火) 20:38:51.78ID:qwNU5S+u
小早川秀秋は松尾山取った時点でもう後が無いから東軍一本なんだよなぁ

166人間七七四年2022/05/25(水) 08:34:21.26ID:vLoM7vEj
新説だとそのとおりかもしれないですけど
私にとっては新説は有象無象の珍説のひとつに過ぎないので従来説準拠で議論します
東軍:従来説どおり
三成:理由はどうでもいいので最新の関ヶ原の戦いに関する知識をもってる

西軍:宇喜多、小西、島津、大谷、安国寺、長束、長宗我部、毛利秀元、平塚、戸田
一応西軍:小川、朽木、赤座
内応組:小早川、脇坂
傍観約束:吉川
戦後の処置を見ても事前に東軍に通じてたのは小早川、脇坂、吉川だけであり
彼らとしても御家大事が一番であって、家康に忠誠心を持っているわけではないので
状況しだいでどっちに転ぶか分からないでしょう
以下の従来説準拠で14日昼前に赤坂に家康到着を確認した時点から開始したいと思います

167人間七七四年2022/05/25(水) 09:41:16.89ID:gaA7P0lg
wwwww

168人間七七四年2022/05/25(水) 12:28:58.62ID:vLoM7vEj
何か言いたいことがあるのであれば日本語でお願いします

169人間七七四年2022/05/25(水) 13:53:12.95ID:whworicZ
元々西軍の作戦では南宮山を中心に赤坂からの東軍を迎え撃つ計算だった、というのが吉川家文書にある。ところが十四日突如石田三成が佐和山に向けて出撃、これを逃走とみて西軍は大いに動揺してしまう。
何故三成がこんな動きをしたかというと松尾山を小早川秀秋にとられたから。秀秋は元々西軍の陣替命令も無視してたんだがいよいよ東軍に与するという動きを見せてたので警戒されてた。警戒はされてたけどどうしようもなかった。

170人間七七四年2022/05/25(水) 18:09:32.34ID:7FqhpI2B
>>169
三成と配下の豪の者は
合戦前夜
小早川秀明と謁見
すぐさま秀明の首を跳ねた
同行していた伊賀者がケムリ玉を投げ
三成達は笹尾山に舞い戻るのである

171人間七七四年2022/05/25(水) 18:30:15.61ID:whworicZ
つまり関ヶ原の戦いは東軍を迎え撃つ西軍の背中を小早川秀秋が刺したのでは無く、
小早川秀秋を討とうとしたら東軍に背中を両断されたという締まらないお話なのだ。尤もこれは三成の才能に問題があった訳じゃ無い。三成としては南宮山の毛利隊が東軍を防いでくれる(例え消極的でも東軍に対する牽制にはなるはずだった)と思ってたんだろう。そうでないとあの動きは出来ん。ところが毛利は既に家康に内通していたから牽制にすらならずに東軍主力隊が雪崩れ込んできやがった。
だから秀秋よりもまず毛利をなんとかしないといけないんだけど大坂城を握ってる毛利は三成がどうこう言える相手じゃないし…

172人間七七四年2022/05/25(水) 18:44:12.57ID:wiOuZ4wP
大津城攻めをしていた小早川秀包と立花宗茂は
家康が赤坂に旗印を上げたと聞き入れると
すぐさま大垣に矛先を向けた

長束配下の伊賀者はその様を鍋島に伝達
九州に帰ろうとしていた鍋島は長束と供もに関ヶ原に向かうのであった

173人間七七四年2022/05/25(水) 20:34:47.33ID:qavM4xFr
三成大勝利の架空戦記を作るスレ?

174人間七七四年2022/05/26(木) 03:35:56.67ID:KE32+5Pz
三成がどうしても勝つなら、家康に刺客を送るしか手はない
挙兵は100パーセントの愚策
最初から無理筋

家康と三成ではそもそも人間が違いすぎて話にならない

175人間七七四年2022/05/26(木) 09:12:03.68ID:TDd3cKml
>>174
福島ら先方隊が来る前に清須を制圧
石田 小西 織田秀信 長束
とにかく7月中に清須
伏見は小早川秀明と毛利と長束の忍者で

176人間七七四年2022/05/26(木) 09:47:13.89ID:wdGeyfhk
以前「どうすれば西軍が勝てるか」スレでけっこうやったけど、9月14日時点では既に西軍の勝ち筋はほぼない。
8月中の岐阜城後詰決戦案が一番勝てる可能性がありそうだった。

177人間七七四年2022/05/26(木) 10:00:09.46ID:fp+eYkls
古田と筒井は西軍に参加すべきであった

178人間七七四年2022/05/26(木) 10:12:55.01ID:fp+eYkls
竹中重門に金森長近もなんとかならんか

179人間七七四年2022/05/26(木) 10:39:30.26ID:a6jm1kE/
西軍が押し気味と見た筒井が突如西軍に寝返る
島津は石田に加勢
黒田加藤細川が押され始める
そして竹中古田織田有楽金森も西軍に寝返る

それを聞いた大谷吉継跳ねた赤座小川朽木脇坂らに
小早川の睨みはといて京極に出陣せよと下知
赤座小川朽木はすぐさま動いたため
脇坂はいやいや京極に突き進む

西軍有利なのに吉川広家は動かない
毛利秀元はどいてくれない広家を罵倒し単騎池田軍に突き進む
広家は流石に死なせてはと後に続く

池田浅野山内有馬対南宮山方面軍
石田島津竹中古田織田有楽金森対黒田細川加藤
小西筒井対田中井伊直政松平忠吉寺沢
宇喜多対福島

戦っていないのは徳川家康と小早川秀明のみとなった

180人間七七四年2022/05/26(木) 10:43:37.32ID:0RMW/zIu
もし西軍が勝った場合、残った奉行と毛利上杉ら大諸侯で秀頼成人まで合議制を続け
成人したら秀頼を関白として秀吉の頃のような独裁体制にするつもりだったのか
それを毛利や上杉その他大名たちは望んでいたのだろうか

181人間七七四年2022/05/26(木) 10:49:19.20ID:4s0DsdRM
>>180
毛利は加増されて大喜び

182人間七七四年2022/05/26(木) 10:57:03.40ID:0RMW/zIu
>>181
毛利や上杉はもちろん加増されるだろうけど
秀吉の頃のようなトップの気分次第で海外遠征まで命じられる独裁体制を望んでいたのかな
毛利は秀吉の裁定した秀元への領地割譲を三成と共にひっくり返そうとしたそうだし
成人した秀頼と利害が衝突する可能性もあるとすれば結局政権が安泰だったかは不透明

183人間七七四年2022/05/26(木) 11:50:00.59ID:HBpl7mA4
加増というか、毛利や上杉は自力で獲得した領域は手放さないぞ
毛利は伊予・讃岐・阿波
上杉は山形

戦乱が長期化すれば、
毛利は九州方面
上杉は越後方面

特に毛利は、家康の後任よろしく大坂に居座る
長期化すればするほど実効支配が進み、史実と同じく豊臣政権の弱体化は避けられない
合議制など機能するわけない

184人間七七四年2022/05/26(木) 12:57:45.19ID:Sb/DkZSX
https://i.imgur.com/rFfkKLy.png
従来説の布陣図
https://i.imgur.com/rqGg3LT.png
架空の新布陣図(開戦直前:午前8時頃)
とりあえず新布陣図を貼っておきます
左上の石田傘下(2000)は北国街道から更に4、5km西の枠外に控えてると考えて下さい
この図を見れば大体の戦略をご想像頂けると思います
その新兵力どこから湧いてきたとかはおいおい解説します

185人間七七四年2022/05/26(木) 18:11:28.55ID:Cb8HyQ60
徳川サイドの話を信じるなら三成は何度か家康暗殺の刺客を送ってる。軒並み失敗してるけど。

186人間七七四年2022/05/26(木) 20:07:00.87ID:dTeAOdqM
そりゃ成功してたら家康しんでるし

187人間七七四年2022/05/26(木) 21:37:16.15ID:dYaF+o3e
>>176
岐阜城が落ちたのは大垣城に一万から二万弱しか居なくて後詰しようにも東軍先手衆(約四万)に勝てなかったから。
でなんでそんか事になってるかと言うと西軍首脳部が伊勢方面を重視していて毛利ら主力部隊はそっちに居たから。つまり三成はもう岐阜城が攻撃された瞬間に詰んでいた事に…

188人間七七四年2022/05/26(木) 23:51:49.19ID:O6OWC3w6
>>179
島左近が覚醒して無双
一直線に徳川本陣を襲い家康の首を取る
これで完璧

189人間七七四年2022/05/27(金) 07:31:07.41ID:dhXHO/0z
>>187
渡河迎撃せずに始めから岐阜籠城、しかるのち宇喜多到着を待って東軍先発隊に対し後詰決戦。
しかもここで勝ってもまだ東軍には徳川本隊、秀忠隊が残っているので勝ったとは言えない。

190人間七七四年2022/05/27(金) 08:35:50.24ID:H5Q5Brxs
結局西軍が勝っても豊臣家と豊臣政権が強化されるどころか
秀頼と豊臣家にとって他人でしかない200万石級大名が複数できるだけでさらに統制が難しくなりそうなんだよな
これで西軍が勝ったら豊臣政権は安泰だとなぜ思えるんだろう

むしろ豊臣家の権威を背景に徳川が前田→上杉→毛利と大諸侯を潰していっていけば
残るスーパーパワーは秀頼の密接な親類徳川家のみとなり
秀吉が想定したであろう豊臣の権威と徳川の実力が融合した政権が実現したかも知れないのに

191人間七七四年2022/05/27(金) 08:59:47.42ID:2x5kLUxD
https://i.imgur.com/rqGg3LT.png
私の書いてる内容は9月14日の時点で関ヶ原の戦いを逆転出来るか
それ1点です
とるべき手段
1 東軍の集中攻撃を受ける石田本隊の増強
2 西軍の士気高揚と東軍の動揺
3 南宮山の遊兵を参戦
4 伊勢街道の情報遮断
5 小早川を西軍側で参戦
6 脇坂ら四将を西軍側で参戦

1のために大垣城守備隊7500のうち6000を抽出し石田隊に加える
1及び2のために佐和山城に早馬を飛ばし守備隊2800のうち2000を援軍として派遣
3及び4のために島津義弘に毛利秀元を、島津豊久に長宗我部元親の説得
この際、吉川以外の南宮山部隊と作戦共有
別働隊で伊勢街道の情報遮断と主戦場の偵察
5のために従来説の恩賞に加え上方に更に二か国加増を約束
ブラフを含めた作戦を伝える
6のために大谷吉継に全作戦内容を伝える

192人間七七四年2022/05/27(金) 09:40:16.25ID:Bg6MsNPG
>>191
だから9月14日時点では無理だって、散々考えたんだから。
まず南宮山の毛利はよほど戦局有利にならなければ動かない(逆に言えば有利ならば動く)。

次に東軍はあと5〜6日もすれば秀忠隊が、北陸の戦況次第では南下中の前田も合流する、
つまり東軍は無理に関ヶ原に前進する必要がない。
理由不明ながら、西軍が大垣を手薄にして
主力が関ヶ原に転進するようなら大垣を落としてしまえばいい。
小早川秀秋の寝返りと毛利の不戦が確実となり、
大垣から西軍主力が関ヶ原方面に移動したので
東軍も関ヶ原に向かったのだろうが、
小早川が寝返らない、毛利との和睦交渉が進展しないのなら、
素直に秀忠隊の到着を待つだけ。
もう一度言うけど、9月14日時点では無理。
覆せられる戦力比ではない。

193人間七七四年2022/05/27(金) 09:50:21.44ID:Crj7wYwF
>>188
三成軍崩壊

だが左近は生き残っていた
取り残された島津は徳川本陣めがけて猛進
それを見た左近は島津と共に家康めがけて突き進む
あまりにも家康軍はもろく
逃げるつもりであった島津義弘は家康と刺し違えてでも決意
左近義弘豊久は無双となり家康軍を滅多斬り

194人間七七四年2022/05/27(金) 09:53:52.57ID:Crj7wYwF
>>187
東軍が来る前に美濃勢と近江勢で清須城を攻め落とす
毛利輝元が大阪城に入るころには制圧

これで奥美濃 伊勢 などほぼ西軍に付く

195人間七七四年2022/05/27(金) 10:04:34.20ID:UioXDGhg
>>192
朝のうちに西軍優勢のうちに筒井が裏ぎる
竹中古田金森も裏切る

田中も裏切ってくれ

196人間七七四年2022/05/27(金) 10:15:44.85ID:Wj/79eLX
西軍は松尾山並に笹尾山の要塞化していた

大阪城城から持ってきたフランキ砲の玉には仕掛けがあった
秀吉は生前三成に

村上軍が使っていた焙烙玉をヒントに
炸裂する玉をひそかに開発せよ
また国友にも大筒を大量生産し佐和山城に隠しおけ

と命じていたのである

三成は秀吉死後には炸裂玉を開発していた

197人間七七四年2022/05/27(金) 10:19:51.12ID:/9eaExcA
雨あられと黒田隊に降注ぐ炸裂玉
黒田隊はほぼ崩壊
それを見た筒井は東軍を裏切り加藤嘉明に襲いかかるのである

198人間七七四年2022/05/27(金) 17:33:29.30ID:Yh+eDw9t
岐阜城については割と攻められた時点で詰んでる。東軍が西軍より多いって状況で仮に籠城しても大軍に包囲されて数日しか保たない。状況的に後詰も期待出来ない。三成が「宇喜多を待とう」と考えるのは道理だが宇喜多がいつ大垣に来るかもわかってない。なら撃って出るしかない。で、負けた。しかも犬山・竹ヶ鼻が東軍に内通してたからどのみち負けてたろうっていう二重の詰み。

199人間七七四年2022/05/27(金) 17:39:24.13ID:Yh+eDw9t
次に毛利だけど元々家康派の吉川広家と奉行派の安国寺恵瓊が両立して外交してたけど岐阜落城と伊勢方面の苦戦を受けて輝元は広家を支持。結果広家が必死に家康と交渉してる。
南宮山に陣取った時点で毛利軍は家康に人質を出して不戦と引き換えに毛利本国安泰の取引をしてる。そうとは知らない三成が小早川秀秋に対処しようとして関ヶ原になった。
広家は南宮山から動かなかった事について「全員で決めていたこと。仮に裏切るとしてそこから山を降りて二万人の東軍と戦って(数キロは)離れた関ヶ原に行くなんて無理」と言ってたらしい。

200人間七七四年2022/05/27(金) 22:34:44.31ID:WzcUKD7R
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000~8000(推定)、
おそらく南濃周辺:長島城への備えとして原勝胤(長頼)800

近江草津:宇喜多秀家10000~15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、吉川広家ら5000、
  後続として毛利秀元ら1万、長曾我部盛親2100、鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中江直澄390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊等
相良、秋月ら約6900、
美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?
大坂は輝元・元康15000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、
その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。

秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。

それと「9月3~5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000~7000?)」
これは8月下旬以降、垂井~赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2~3日は到着が早くなる。

毛利は、毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)と仮定
毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。

■安濃津城攻城戦での吉川隊(秀元等他の毛利含めず)の死傷者数。

・戦死75名、負傷226名。死傷者計301名。
負傷内訳:銃創126名、槍創60名、矢創24名、刀創1名、銃槍創5名、銃矢槍創2名、
       矢槍創8名、計226名。

吉川広家が推測で兵3000引き連れていたとしたら、安濃津城力攻めでの死傷率は10%と言える。
けっこう高いね。
毛利の他隊も同様の損害が出てるなら、南宮山の秀元&吉川は13500くらいかもしれない。

それと東軍先発隊の兵数については、一般的には渡河部隊約35000と言われているけど、
>>5にあるように福島覚書準拠でいくと49300~58000くらい?となる。
かなり差があるのでこれをどう見るか、だけど。

201人間七七四年2022/05/27(金) 22:36:12.31ID:WzcUKD7R
史実時系列表(仮・本戦後を加筆)

6月6日 会津征伐に関する軍議、芳春院(まつ)、人質として江戸に到着
6月16日 家康、大坂出陣
6月23日 細川忠隆隊上杉征伐に丹後宮津を出陣
6月27日 細川忠興隊上杉征伐に丹後宮津を出陣
7月1日 家康、江戸到着
7月2日 秀家、出陣式
7月12日 前田、増田、長束が輝元に大坂出陣を要請
7月15日 輝元、広島出発
7月17日 前田、増田、長束「内府ちがひの条々」、細川ガラシャ自害
7月19日 輝元、大坂城入城、伏見城攻防戦開始、秀忠が会津へ出陣
7月21日 家康、江戸から会津に向け出陣
7月22日 宇喜多、小早川、鍋島伏見到着、毛利軍が瀬田の砦構築を担当することとなる
7月25日 伝「小山評定」
7月26日 東軍諸将、西進開始、利長金沢を出陣
7月29日 三成伏見到着
8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月4日 瀬田の砦構築完了
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月16~17日 市橋長勝・徳永寿昌・横井時泰らが福束城を攻略。
         福束城主丸毛兼利、大垣からの援軍伊藤盛正・武光忠棟・石田らは敗走
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月19日 市橋・徳永らは高須城高木盛兼、駒野城高木帯刀、津屋城高木正家を攻略
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信が迎撃に失敗し岐阜城へ敗走、島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略、東軍先発諸将赤坂に布陣、秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日  京極高次が北陸から大津城に帰城、東軍方として兵3000で籠城する。付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約15000がこれを攻める
9月3~5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000~7000?)
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月9~10日 尾張の野間・内海にて毛利水軍が合戦
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 家康清洲入城(33000?)、前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着、小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠、西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月15日 毛利元康ら大津入場
同日   関ヶ原の合戦(本戦)で東軍勝利、宇喜多石田大谷が壊滅、島津長束長宗我部他は撤退又は敗走

202人間七七四年2022/05/27(金) 22:48:57.89ID:WzcUKD7R
宇喜多については既に先発隊の明石掃部隊が推定桑名周辺にいる。
秀家も草津にいるので、7日あれば大垣に着ける計算。
後詰戦力はある。

犬山・岐阜・大垣・桑名の諸城は敵主力が襲来した場合は徹底した籠城策で
7~10日はかならず持ちこたえられるようにすること。
持ちこたえられさえすれば他方面より戦力を抽出し、当該地域での後詰決戦が可能となる。
東軍先発隊主力がどこに来るかによって、犬山城後詰決戦だったり、岐阜城後詰決戦だったり
桑名城後詰決戦だったり柔軟に対応できる。

西軍は戦力劣勢なので敵主力の撃滅を狙った各個撃破を狙うしか勝ち筋がないと思う。
家康を討ち取る、というのでも勝てる可能性は高いが、いずれにしても
野戦での決戦という形態になると思う。

3~5年前の「関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?」スレを見てもらえばわかると思うが。

203人間七七四年2022/05/28(土) 09:02:59.84ID:DXtDcIYH
>>192
広家は動かないとしても秀元なら朝鮮で共に戦った義弘の説得に応じたと思います
前進を主張して広家と衝突し、大阪城での徹底抗戦も主張しましたから
従来説では広家に前進を阻止されましたが
広家は無視してそのまま囮にし、反対の伊勢街道におりればいいのです
大垣城守備隊が7500から1500に減ってるなんて瞬時に分かるはずないので
西軍を追って東軍が関ヶ原に入る史実は変わらないでしょう
真夜中に西軍転出の報を聞いた家康は寝床に入ったまま即座に出撃を命じたくらいですから
私も当時居れば参加したかったですが
その議論されたスレでは伊勢街道からの南宮山部隊突入は挙がりましたか?
「日本戦史関ヶ原の役(附表・附図)」を見る度に
何で西軍は伊勢街道を利用しなかったんだろう
何で東軍は伊勢街道をこんな無防備にしたんだろう
何で誰もそれを指摘しないんだろうと常々考えてたもんで

204人間七七四年2022/05/28(土) 10:51:02.39ID:QXiH/Y+T
色々説があるんだろうけど(そもそも南宮山から伊勢街道に迅速に下山出来るのかとか)
一番あり得るのは既に毛利は家康に内通していて南宮山の毛利隊は戦う気が全く無い。安国寺隊みたいな一部の過激派はヤル気だったっぽいけどね。そんな少数が関ヶ原に向かったところで瞬殺されるのがオチだから誰も動かなかった。
次に恐らくだけど撤退路の問題があるかと。小早川秀秋はどうも佐和山方面から東山道を使って松尾山まで来たらしい。と、なると東山道は東軍の勢力下にある可能性が非常に高い。こうなると退却が困難極まる。無事に逃げたければ徳川との不戦の約定に縋るしか無い。

205人間七七四年2022/05/28(土) 12:22:43.48ID:cqIhBHlR
大垣城の西軍主力は大垣南方から長曾我部の陣方面から関ヶ原に向かっている。
また、その際外曲輪を焼き払っているようなので
大垣に戻ってくるつもりはなかったかもしれない。
史実でも大垣城は水野隊に攻撃され、曲輪への進入を許している。
松尾山の小早川を撃退して畿内方面への連絡線の復旧を試みようにも、南宮山の毛利が赤坂の東軍を牽制してくれなければ史実通り。
9月14日時点でどうにかしようと思ったら、
いちかばちかで赤坂の東軍に夜襲を仕掛けるくらいしかない。

206人間七七四年2022/05/28(土) 16:18:19.56ID:QXKBSXiq
慶長七年、豊臣政府は、家康、秀忠の死一等を免ずる代償として、反逆首謀者三名を出すべきことを命じた。家老の席次からすれば、本多平八郎、井伊直政、本多佐渡であったが、本多佐渡はこのとき行方不明、忠勝と直政はすでに自刃しており、結局、四番目の席次にいた榊原康政が、当家の責任を、一身に帯びて切腹をする。
慶長八年、徳川家は一般流罪された

207人間七七四年2022/05/28(土) 18:34:59.59ID:QXiH/Y+T
地味に痛いと言われてるのが岐阜城が落ちた直後の東軍攻撃隊を止められずに赤坂と垂井を取られたこと、って話も。
これで大垣が曽根・赤坂・垂井と東軍拠点に圧迫されかつ東軍からは大垣や南宮山の西軍の動きは丸見え。投了したくなるような状況。

208人間七七四年2022/05/28(土) 20:45:25.85ID:MuWM5/Fr
>>207
竹中のアニメがありますね

209人間七七四年2022/05/29(日) 12:18:25.51ID:mHUvuLtm
https://i.imgur.com/ELidjAH.png
開戦1時間後(午前9時頃)の状況図です
開戦の合図(石田隊の大筒)と同時に移動した
島津と毛利・長宗我部主力は伊勢街道で合流済み
現地に行かれた方はご存じだと思いますが南宮山なんて子供の足でも1時間もあれば登れる小山です
道などなくても戦国時代の兵士なら1時間もあれば伊勢街道に降りれるでしょう(そもそも夜明け直後から移動準備している)
じ後、島津の伊勢街道分遣隊と合流して状況を確認後、直ちに関ヶ原に突入
安国寺、長束、毛利・長宗我部残余も開戦と同時に移動し
蚊帳の外の吉川を囲むように布陣して東軍の南宮山警戒部隊を牽制
その際、毛利・長宗我部残余は旗差物等を多く持って主力の分離を偽装

210人間七七四年2022/05/29(日) 12:34:47.23ID:mHUvuLtm
佐和山城からの石田援軍2000は開戦と同時に前進し、この頃到着
14日に早馬で三成に指示された通り、大津から早馬と湖上の早舟を利用して借り受けた
毛利秀包や立花宗茂及び捕獲した京極の旗を15日の朝に受け取って石田の旗差物と付け替え
大津城攻撃部隊の先遣隊に偽装
西軍の士気高揚と東軍の動揺を誘う
ちなみに真の全作戦計画を共有してるのは石田、島津、宇喜多、小西、大谷、安国寺のみ
小早川や長宗我部、長束には田辺城と大津城は既に陥落し
攻撃部隊3万の主力及び先遣隊は本日朝には到着とブラフ込みで作戦を共有
吉川には嘘情報しか伝えない
松尾山の小早川からは伊勢街道の動きや北国街道からの援軍の動きは手に取るように望見出来たはず
ごちゃごちゃするので省きましたが東軍は既に史実どおり笹尾山、天満山等の西軍に突入し交戦中
家康本隊は南宮山西軍の東山道接近を警戒して桃配山を動いてないと思われます

211人間七七四年2022/05/29(日) 12:44:48.24ID:ctBzdPJk
>>209
だから東軍が関ヶ原に前進する理由がない。
毛利との和睦交渉が進展しないなら秀忠隊と前田との合流を待てばいい。

212人間七七四年2022/05/29(日) 12:54:26.06ID:E3Qih3Uy
14日の時点で士気が最高潮の東軍と最低状態の西軍じゃな
西軍諸勢が三成の急な指示に従うとは思えない
ウクライナでの戦争で士気、兵站、信頼が大事というのをあらためて思い知らされた

213人間七七四年2022/05/29(日) 13:06:54.66ID:mHUvuLtm
関ヶ原に突入した島津・毛利・長宗我部軍21000は徳川軍を牽制しつつ
東軍左翼の藤堂・京極・福島隊を背後から攻撃(午前10時頃)
この瞬間、笹尾山に初めて狼煙があがる
小早川への徳川軍への攻撃と宇喜多・小西隊の総攻撃の合図となる
小早川が動いた時点で大谷吉継は自隊と脇坂ら四将に石田隊と戦う東軍の背後を攻撃するよう下知
以後の戦いは家康の決断次第ですが、私の考えでは関ヶ原の合戦に見切りをつけて
南宮山警戒隊を翼側援護と殿にし、東軍諸隊を捨て石にして撤退して秀忠との合流を目指すと思います
そうなれば、徳川軍と南宮山警戒隊は損害を出しつつ撤退に成功しますが
残った関ヶ原の東軍諸隊はカンネの戦いのように殲滅されると思います
徳川軍にはまだ大きな戦力が残ってますが
ひとまず関ヶ原の戦いは西軍の完勝となります

>>211
家康に入る情報は何一つ変わらないのになぜ方針が180度変わるんですか
>>212
杭瀬川の戦いで士気は幾分回復しただろうし
史実では急な真夜中の関ヶ原転進も三成の指示どおりに動いてますよね
まあ水掛け論をする気はありませんが

214人間七七四年2022/05/29(日) 13:26:17.49ID:E3Qih3Uy
>>213
水掛け論で言うと小早川が西軍につく前提がある時点で駄目だろ
官位と領土だったらすでに十分なものを西軍は提示している
俗説では関白職までちらつかされてるんだぜ
それと広家から秀元たちの動向が家康に筒抜けの場合はどうすんの
広家抜きでも伊勢街道にも間者はいるだろうから伊勢街道で迎撃される
伊勢街道を無視したというより伊勢街道が使えなかった可能性もある
ぶっちゃけ妄想するなら何でもありになってしまう

215人間七七四年2022/05/29(日) 13:37:16.05ID:E3Qih3Uy
前提は>>191
なろう小説でも書くつもりなのかな
議論の価値は無いね

216人間七七四年2022/05/29(日) 14:03:38.51ID:SPKVUBIy
どうでもいいが読みにくい

217人間七七四年2022/05/29(日) 14:53:38.39ID:YY61P54l
>>213
徳川と毛利の和睦交渉が成立し、小早川秀秋が寝返るという史実通りの前提ということか?
ならば毛利は上で挙げたように戦況有利にならない限り動かん。
徳川と毛利の和睦交渉は本多忠勝・井伊直政と吉川広家・福原広俊が行っている。
吉川広家単独で行ったわけではない。
で、東軍の前進理由は小早川秀秋攻撃を企図しているであろう西軍主力を
関ヶ原で挟撃し撃滅すること、となるが、
佐和山の在番と大垣の在番を削って前線投入したところで戦況に与える影響に疑問。
長束や長曾我部が陣を移動させれば大垣への後詰戦力はなくなる。
史実では水野隊は曲輪に侵入しただけだったが、大垣落城もありうる。

仮に小早川秀秋が寝返りを止めて西軍として戦闘参加しても、
東軍先鋒の木曾川下流渡河組は大損害を出す可能性があるが、
勝ち切るまでには至らんだろう。
前田隊と秀忠隊が合流すればさらに劣勢になる。

毛利が不戦を決めてしまった以上9月14日以降もう西軍はどうにもならん。

218人間七七四年2022/05/29(日) 19:54:19.74ID:87BL51Rh
吉川広家の記録が正しいとなると九月時点で西軍かなり厳しいんだよなぁ。あと石田三成が増田長盛に資金と兵糧を依頼してる書状があったけど増田長盛も切り捨てに走ってたんかな

219人間七七四年2022/05/29(日) 22:04:36.33ID:esnhRzGn
>>917
小早川隊が動いても勝ちきれないは言い過ぎでしょ
あの時点で徳川の本陣は前に動いてるし、あの狭い場所で東軍先鋒が崩れたら
立て直す事なんて出来ないよ

賤ケ岳の戦いでも、佐久間隊が崩れた後は動揺が激しくて柴田の本隊は何も出来てない

220人間七七四年2022/05/30(月) 00:42:02.12ID:kppqDGmJ
とにかく理屈抜きで西軍に都合の良い変化があり
東軍には一切何の変化もなく史実通り動く
その上で西軍がまるで東軍の動きを見越したような
采配のもとに一糸乱れず動けば勝てる

あっそうwそりゃそうだろとしか

221人間七七四年2022/05/30(月) 06:10:16.86ID:nT7Y9eeN
そもそも関ヶ原に限らず、史実の敗北側を理屈抜きに勝たせたいんなら
『敗北側が当初考えていた勝利ルートの想定通りに物事が進みました 終わり』でいいのよね

222人間七七四年2022/05/30(月) 11:07:16.49ID:3bWbvUqn
>>219
松尾山は東軍先鋒の側面を突ける位置にあるけど、
後退されるとその効果は薄れるよ。

223人間七七四年2022/05/30(月) 11:30:33.14ID:k0S+Z4eG
吉川広家の記録によると
1 既に南宮山の毛利諸将は連署して家康に起請文出してるので戦闘することは出来ない
2 よしんば裏切りをするにしても山を降りたその先には東軍の監視隊二万がいる
3 しかも当時は濃霧で身動きが取れなかった
と書いてある。
毛利軍が動かなかった事は既に東軍に降伏してるからなんだが幾つか他の要因が説明されてる。

224人間七七四年2022/05/30(月) 11:38:50.28ID:k0S+Z4eG
まず確かに南宮山は簡単に登り降りが出来るような山じゃない。だが仮に毛利軍が下山(方向は問わない)しようとすると東軍の監視隊が前進してくる事になる。下山してるところを襲われるのも反対方向に降りてる時に山を登られても面倒なことになるし。しかも毛利軍には東軍の総数が分からないから下手すると南宮山を包囲しながら伊勢街道を突かれる可能性も考えていたはず。
次に石田三成らの関ヶ原進出は事前から決まっていたものじゃ無かった。だから南宮山の毛利軍はそもそも関ヶ原の布陣を知らない。しかも濃霧となると尚のこと。下手に突っ込んでそこが味方でした、なんていう事になったら笑えん。それで二重に動けなかったんじゃなかろうか。

225人間七七四年2022/05/30(月) 12:18:00.22ID:n0a8FSed
https://i.imgur.com/ELidjAH.png
>>214
秀秋が逡巡してた話しや問い鉄砲、家康が焦り黒田長政に詰め寄った逸話も全てなかったということですか
広家にだけは嘘情報を流すって書いてますよね
あと東軍は午前2時頃に西軍移動の情報を入手し
取るものも取りあえず関ヶ原に進出したので情報や作戦会議なんてできません
夜が明けて各自、目に付いた敵の前に布陣しただけで
それは極端に右翼に偏った布陣にも現れてます
あと伊勢街道は不思議なほど東軍は無警戒です
証拠は西軍が問題なく関ヶ原への移動に使ってるし
島津が撤退する時も追撃のみで何ら途中の妨害なく伊勢街道を離脱してる
また敵の物見を防ぐためにわざわざ島津の別働隊も情報遮断のため残置してます
>>217
秀元と広家を毛利として同一視し過ぎでは
秀元と広家は仲が良いとはいえないし
秀元が広家に出陣を詰め寄ったり大阪城でも主戦論を張ったという逸話は無視ですか
また最悪大垣城が落城したとしても八倍以上の東軍を関ヶ原に参加させなかっただけでも充分な働きでしょう

226人間七七四年2022/05/30(月) 12:26:42.36ID:n0a8FSed
>>221
私は14日の時点で西軍が物理的に可能なあらゆる手段(兵力、布陣、偽装、ブラフ、嘘)を講じ
それを東軍が察知出来ないなら大まかな動きは史実どおりに動くと思います
結局私が事前にしつこいくらい前置きしていた
従来説に沿った議論という前提と、わざわざ説明した西軍諸将の立ち位置まで崩さないと否定出来ないなら
机上の作戦としては問題ないということでしょうかね
あとこの板に限らないですが、歴史修正不可能派とでも言いましょうか
史実はどんな改変を加えても絶対に変化しないという人が多いいですが
私は逆で、さじ加減ひとつで歴史の天秤は大きくぶれ180度史実は変わると思っています

227人間七七四年2022/05/30(月) 12:32:13.16ID:n0a8FSed
最後に家康を神格化する人も多いいですが、私は家康にはもはや長久手以前の切れはないと考えてます
勝ったから良かったものの、秀忠軍の遅参は東西両軍でも最大の誤謬であり
その責任の大半は秀忠ではなく家康にあるでしょう
東軍諸将にはあれほど気を配っているのに息子と直参の将には不思議なほど配慮に欠けてます
徳川軍自体にも往年の精強さはないと考えてます
精強揃いの秀忠軍ですら上田であの体たらく
関ヶ原本戦でも目立った働きはなく、逃げる少数の島津すら反撃されて取り逃がす始末
お陰で東軍諸将に大幅に加増せざるを得ない羽目になってますが
これらの理由は朝鮮の戦いに参加せず実戦から遠ざかっていたためでしょう
逆に朝鮮で鍛え抜かれた島津や毛利、長宗我部と相対してれば
15年早く、遥かに寡勢の寄せ集め浪人衆に潰乱した大阪夏の陣のようなことになるかもしれません
14日の時点でも西軍が絶望的とも思いません
大局的に見れば前田利長と徳川秀忠が参戦出来ない時点で五分と五分
作戦次第で移ろいやすい人間の心情を変え
勝利することは可能だと考えてます

228人間七七四年2022/05/30(月) 12:58:38.69ID:fQmxQ5In
>>226
西軍だけは無制限に動けて
東軍だけは史実から一歩も外れられない

それがちょっとした匙加減?

229人間七七四年2022/05/30(月) 13:40:42.94ID:ZaEV0nw7
>>225
福原広俊がどういう立場の者かよく確認してくれ。
輝元は秀元に「福式とよく相談するように」と書状を送っている。

230人間七七四年2022/05/30(月) 16:57:20.67ID:nT7Y9eeN
>>226
最初の2行でもう論外としか言いようがないね、その部分の変更はできない前提で考えている
そこを変更した時点で理屈抜きで勝たせようとしたと判定するな、私は

231人間七七四年2022/05/30(月) 18:54:53.46ID:eS5gPzpB
結果論なんだからこうすれば勝てていたなんてことは誰でも言える
IFにはなぜ史実とは違う行動をとったのか・とれたのかという説明・設定が必要なんだよ

232人間七七四年2022/05/30(月) 18:57:52.85ID:jOXlr5T/
>>209
これいい

233人間七七四年2022/05/30(月) 19:07:47.68ID:bNFhlZSu
>>191>>226の最初の2行で
>さじ加減ひとつで歴史の天秤は大きくぶれ180度史実は変わると思っています
が無理だと自分で言ってる

歴史の天秤を動かすには莫大な力が必要だと思ってるが何故か自分でそれを認められない
あるいは自分が何を主張してるのかがわかっていない

234人間七七四年2022/05/30(月) 19:28:56.32ID:jxvTvVOd
新キャラとみた

235人間七七四年2022/05/30(月) 20:51:34.36ID:41LOfKPW
小早川秀秋が史実どおりの動きを見せるが、
実はその全てが家康を罠にはめるために西軍首脳部と示し合わせた
行動だった、って仮定かな?
一番の問題はその作戦が西軍内部の裏切り者を通じて東軍に漏れないように
する方法が無い、ってことだろうか。

236人間七七四年2022/05/30(月) 21:34:52.14ID:c9lPhzCm
異説では石田三成と家康は縁戚関係
乱の首謀者は大谷吉継

237人間七七四年2022/05/30(月) 21:52:49.30ID:k0S+Z4eG
関ヶ原での一番の問題は既に毛利が降参してるっていう状況だよな。この時点で西軍は瓦解してる。後は毛利の生け贄処分セール。
吉川広家は一貫して徳川との和睦を叫んでいた訳だけど彼単体で毛利軍を止められる訳じゃ無い。秀元含め毛利軍全体として不戦の約定を守る気だった。こうなると三成は辛い。舞台に上がったのは三成の意思じゃないのに…

238人間七七四年2022/05/30(月) 22:48:18.32ID:ej1uXXLd
毛利の内通と小早川の寝返りがなければ関が原がああいう形にはなりえないし
それらを家康をおびき寄せる偽装工作でしたとするなら
それこそ徳川家以上の領地を彼らに恩賞としてくれてやるくらいの見返りがないと無理じゃね
仮にそれで勝てたとして何のために戦を起こしたのか分からなくなる事態になりそう

239人間七七四年2022/05/30(月) 22:57:45.81ID:bJbBwlbY
>>222
関ヶ原は平地が殆んど無い狭隘な地形で、ここで崩れると部隊の再編制とか
出来ませんよ

こうなると、敗走する東軍先鋒は東軍本隊の直ぐ横を通って敗走になるんだよね
これが起きたとすれば、本隊の士気も低下して逃げるしかないのでは

賤ケ岳の戦いだと、佐久間隊の敗北より裏崩れ「後方の部隊が勝手に退却」が起きた
事が「前田隊」致命傷だったんですよ
味方が逃亡して自分達が取り残されるって恐怖が伝染すれば士気は簡単に崩れる

柴田の本隊は未だ数も居るし、堅固な陣地に居たはずなのですがね
柴田軍右翼が総崩れで敗走してるの見せられたら...(-_-;)

あの地形で先鋒が崩れたら本隊まで巻き込まれますよ

240人間七七四年2022/05/30(月) 23:08:03.33ID:n0a8FSed
別にあなた方とシミュレーションゲームをしたいわけじゃあないんですけどね
こうなることが簡単に予測出来たから
163や166や191で前提や状況をしつこく何度も前置きしたんだけど案の定、完全無視ですか
>>228
東軍が動きを変更するには西軍の新たな情報を入手する必要がありますが
どうやって大垣城守備隊の兵力をリアルタイムで知ったんでしょうか?
どうやって南宮山の部隊が伊勢街道に下りるのをリアルタイムで知ったんでしょうか?
情報を短時間で処理し決断に変える時間的余裕はあるんですか?
それを明示したなら別に変更してもかまいませんが
>>229
福原広俊?吉川広家と同じで使いっ走りの黒田や藤堂としか接触せず
家康本人には一度も直接交渉しなかったため
約束を反故にされ毛利を滅亡の危機に追いやった無能ですよね
>>233
私は人間の小さな決断次第で歴史は大きく変わると書いたんで
そこに莫大な力が必要なんてどこにも書いてませんが?
>>237
秀包が何人もの武将や重臣を失ってでも大津城を落としたことや
秀元が出撃を主張して広家と対立したことや大阪城で徹底抗戦を主張したことには全く触れませんね
そんなに意思統一が出来てたのなら戦後、秀元が広家を恨んだ訳は?

結局、勝者の行動は全て合理的で事前の計算どおりであり
勝者は常に勝つべくして勝ち、敗者は常に負けるべくして負けるという考えなんでしょうね
まあその方が物事考えなくていいから楽なんでしょう

241人間七七四年2022/05/31(火) 00:08:57.71ID:7WS2jj4m
負けたら後がない関ヶ原よりもその前で勝ちを狙えよ

242人間七七四年2022/05/31(火) 01:07:19.45ID:+W5/AraP
まあ実際合理的な行動をした方が勝って
負けた方はそうではなかった訳だがな

それなのに西軍だけは謎の要因で
勝てると言ってるのは何が言いたいんだろ

243人間七七四年2022/05/31(火) 01:13:09.16ID:DiPWXD+3
やっぱり菅沼例え話だったわ
都合の悪い質問はスルーするから

244人間七七四年2022/05/31(火) 04:32:32.61ID:U9HFGhjy
シュミレーションゲームがしたいわけじゃないと言いながら自分がやってるのは渾身のギャグかな?

245人間七七四年2022/05/31(火) 08:09:49.77ID:EcBs40se
>>238
小早川への見返りとしてはすでに「関白」を提示しているわけで、
それ以上は無理でしょ?
毛利・吉川は負け、と判断してるわけで、恩賞とかよりも、
勝てる、と判断できる材料が必要

246人間七七四年2022/05/31(火) 08:21:53.12ID:AwSXWHYR
>>242
人間が常に合理的理由で動くと思ってるのがなんも分かってないなと

ギャンブルと言う物を理解してないから、同じ話のループになるんだと思うね
ギャンブルを理解するのに重要なのは大抵の場合答えは二つあり、そのどちらが実際に来るのかは
実際には確率でしか分からないって事ですよ

例えば、投機の世界では皆が恐怖に怯えると「リスクオフ」安全資産の値段が上昇
するという法則が有ります

金とかの値段が買われて上昇するって事ですね、でもこの法則は実は絶対では無く
逆に金が暴落する事も「コロナ恐慌の初期に実際に起きてる」あります

この現象を理解出来ない人が暴れてるんじゃないのかな?

247人間七七四年2022/05/31(火) 08:36:40.34ID:AwSXWHYR
通常、世界的な危機が起きればリスク資産は値下がりし、これで損した投資家は
これ以上の損失の拡大を防ぐ為に手仕舞いします
そして手仕舞いした資金で安全資産を買い込む為に、金価格が上昇するわけです

でもね、本当に危機が深刻になると正反対の行動する人も出て来るわけ
非常用に貯めてた金を処分して当座の資金を何とか確保しようとする人もね
だから、この動きが大規模に起きれば逆に金価格が下がる訳ですよ

同じ、世界的に恐怖が蔓延するという同じ現象に対して、正反対の結果が起きてる訳です
ギャンブルって、実際はこういうものなんだよ

248人間七七四年2022/05/31(火) 08:47:28.52ID:+W5/AraP
>>246
合理的に動くのと合理的理由で動くの
全く違うことなんだがそれすら区別してないの?

249人間七七四年2022/05/31(火) 09:16:10.66ID:kPDtSMqJ
なんつーか、「関ヶ原本戦で小早川秀秋が西軍側で参戦したらIF」でしかないわ。
そしてなぜ小早川秀秋が西軍側で参戦するかの理由はない。
伏見攻略後自分勝手に近江うろついてた小早川秀秋が
急に西軍側でやる気出しだす理由がね。

松尾山占拠したら9月15日に西軍に松尾山包囲されたんで、山降りて布陣し直し西軍側で参戦しました、ならまだわかる。
なにもなしで都合よく西軍側で参戦など、
だれも納得しない、そんなのはおかしいと言われるだけ。

そして何度もいっているが、和睦がなった以上、
もはや毛利は戦局有利にならない限り動かない。
無能がどうとか関係なくて、立場。
本多忠勝、井伊直政と吉川広家、福原広俊、
同格同士で交渉してる。
家康と交渉?なら輝元連れてこいって話。

250人間七七四年2022/05/31(火) 10:28:39.91ID:qHp8EU++
>>249
実は連れてきていたとか

小早川 裏切りは許さない
と輝元に言われてしまう
広家も渋々引き下がる

251人間七七四年2022/05/31(火) 12:10:22.52ID:pdRRyfW/
例え話が出てきたw

252人間七七四年2022/05/31(火) 12:29:53.39ID:SC2bYkZm
>>244
シミュレーションな

253人間七七四年2022/05/31(火) 12:32:14.09ID:iHFdq1jv
東軍は情報戦で西軍を圧倒してる。西軍の布陣や作戦を把握してる事がわかってる。なんでこんな事になってるかというと西軍内の徳川シンパによる通報も確かにあるんだが…
髙橋陽介は石田三成が漏らしたとしてる。三成は仲の良かった真田一族に書状を送ってるけどこの中に信幸の名前がある。どうも三成、真田一族全員が西軍に着くと思ってたらしい。三成は筆マメな男でこれが裏目に出て西軍の初期戦略が筒抜けになったんじゃないかとか言われとったわ。

254人間七七四年2022/05/31(火) 12:44:56.16ID:wlsbHWKp
三成さんの逸話

三成「信雄さん!西軍に味方してくれたら軍資金に金1000枚と尾張の国をあげます!」
信雄「マジで!?わかった味方するからまずは金1000枚ちょうだい」
三成「はいよ!」→銀1000枚
信雄(えぇ…こんなんじゃ尾張も貰えるかわからねぇ…)
秀雄「父上!内府に逆らうとか馬鹿じゃないの!?」
信雄「お前もそう思う?俺もそう思うわ」
三成さんがケチだったので味方が一人居なくなったお話

255人間七七四年2022/05/31(火) 14:31:34.19ID:hIXhzgEO
三成って確か大坂の増田長盛に
「度々伝えていて申し訳ないんですが、資金と兵糧を送ってください。現在私が立て替えてますが限界です。今が勝負どころですからやってるのです。なんとか早くお願いします」
って書状送ってなかった?おそらく恩賞の提示は大坂が行っていて三成はそれを伝えてるだけなんだと思われる。つまり大坂が前払いを渋って三成が自腹を切ってたんじゃなかろうか。すごい悲惨な話だけど。

256人間七七四年2022/05/31(火) 15:23:43.89ID:qZXLZg79
兵糧は刈田すればいくらでもあるって言ってなかったっけ?その書状。

257人間七七四年2022/05/31(火) 17:25:24.83ID:zm+NcGJf
苅田すれば幾らでもあるのに(長束らが)やろうとしない、って書状もあった気がする。

258人間七七四年2022/05/31(火) 17:32:34.81ID:CKGzUAHQ
関ヶ原の合戦の全体像は後世の創作という説がある
実際は大谷吉継軍のみが戦って玉砕したようだ

259人間七七四年2022/05/31(火) 18:17:08.91ID:zm+NcGJf
毛利が降参していて秀秋は14日前に東軍に味方してるって前提で見れば俗説と全く違う状況が見えてくるからね。
石田三成らは松尾山の秀秋を攻撃しにいったわけだけど前提として南宮山が東軍を押さえてくれる(下山しなくても裏を掻かれるかもというプレッシャーくらいは期待できた)
ところが東軍は南宮山をスルーして関ヶ原に吶喊してきた。この時点で勝負有り。悲惨なのは松尾山に近かった部隊で前門の小早川後門の東軍でサンドイッチされてしまった。そりゃ壊滅するじゃろ。

260人間七七四年2022/05/31(火) 18:39:33.06ID:AwSXWHYR
>>248
合理的理由そのものが不確定だと言ってるんですが?

確かに通常はリスクが高まれば、人は安全資産に資金を移すから金は値上がりする
でも、本当にリスクが耐えられない程高まれば、今度は非常用安全資産を換金する人が出て
きて、こちらの方が優勢になる事もある訳

確率で行くと安全資産の値上がりの方が普通高いけど、絶対じゃないのよな
実際にギャンブルした事の無い人は、この別の要素も無視できないのが理解出来ない

思考の前提が、必ず優勢な方に人は付きたいものってなってるでしょ
勝ち組に味方しても、自分の破滅が回避出来るかは未確定だからね

261人間七七四年2022/05/31(火) 18:43:24.47ID:zm+NcGJf
卜斎記を基に当時家康は従来言われてたところには居なかったって書いてある本あったな

262人間七七四年2022/05/31(火) 18:46:10.56ID:3u06X/PY
ギャンブルの話は板違いですよ

263人間七七四年2022/05/31(火) 19:28:18.21ID:jahiqQIj
調べたら古今消息集の九月十二日三成書状だった
「度々申し入れた如く、金銀米銭を使うのはこのときである。自分などは分相応にはや手許に持っているだけ出してしまった。人をも召し抱えたので、手元の逼迫は御推量ありたい。この際が一番大事な時期だと思うので、あなたもその御心得がありたい」
他には
「当地で苅田を行えば、兵粮はいくらでもあるのに、敵を恐れて苅田にさえ人を出さず、兵粮は近江から運ぶことにしているようだが、近頃は味方中が畏縮してしまっている。」
こんな内容。

264人間七七四年2022/05/31(火) 19:43:23.99ID:SC2bYkZm
>>258
ソースは?

265人間七七四年2022/05/31(火) 21:48:58.91ID:Z1oiNDri
兎角言われる岐阜防衛失敗だけど状況を見ると如何ともし難いものを感じる。特に竹ヶ鼻が落ちた事が痛かったんじゃないかな。
竹ヶ鼻城は確かに小さな城だがここからは岐阜城が攻撃出来る上、地図上だと大垣城すら射程圏内に収めてる。だから織田秀信はここに三成からの増援(毛利広盛ら)を入れてまで防備を固めてた。ところがその援軍が福島正則と内通して裏切り、竹ヶ鼻城主杉浦重勝は討死し城は東軍が占拠する。こうなると軽々に動けない。兵力の分配が相当難しい局面だったはず。

266人間七七四年2022/05/31(火) 22:36:38.09ID:na7eth84
>>249
毛利という言葉を都合の良いように使ってるけど人名ではっきり指定してもらえませんかね?
安国寺恵瓊も毛利秀元も毛利秀包だって毛利なんだけど

267人間七七四年2022/05/31(火) 22:49:09.98ID:x+Bwq3AV
>>240
取次の意味分かってなさそう

268人間七七四年2022/06/01(水) 03:12:04.88ID:dO7yZq7i
毛利は南宮山に布陣していなかった
山はあまりにも狭く見張り程度しかおけなかった
南宮山付近に布陣していた毛利
深夜目前を通る東軍の数が多すぎて手が出せず
このままでは取り残されると旗印をその場に残し
南宮山勢は全軍伊勢街道を進み十九女池付近に布陣した
最後まで移動を嫌がった吉川広家は遅れてしまい少し離れた伊勢街道に布陣した

合戦なかば三成は毛利勢へ突撃せよとの狼煙を合図に
秀元 安国寺 長束 長宗我部は
東軍の横っ面を襲うのである

269人間七七四年2022/06/01(水) 06:01:08.58ID:wHXit97c
>>265
竹ヶ鼻は地点として見るなら大垣へも岐阜へも行けるが、
大垣・岐阜間を遮断するには至らない地点だと思う。
大垣・岐阜間を遮断するなら墨俣辺りの長良川渡河点付近を押さえておくべきだと思う。
実際黒田・藤堂・田中隊は岐阜城攻撃時その方面に展開し
大垣城からの後詰を阻止している。
それ以前に市橋・徳永らが大垣南方の西軍方の城落としてるから
既に大垣自体も危険な状況に陥りつつあり、大垣・岐阜・犬山を堅持して
後詰が来るまで耐えるのが最善の状況。
貴重な籠城戦力の損失を招いた木曾川渡河迎撃失敗が致命打と見る。

>>266
9月15日の関ヶ原で行われた関ヶ原本戦の話でしょ?限定する必要もないが、
当該地域にいる毛利は南宮山に布陣する毛利でしょ。
他の地域を含めても毛利は毛利全て。
もっとも和睦がなったのが9月14日なら輝元を経由し
その情報が伝わるまでのタイムラグは生じるだろうけど。



それとこのifの場合、小早川秀秋が西軍方として信頼できるなら、
大垣の西軍主力はなにしに関ヶ原に行ったのかという疑問が生じる。

近年だと松尾山の小早川秀秋を攻撃しに行った、だし、
島津(だっけ?)の言う「二重引き」なら大垣は放棄して段階的な佐和山への防衛線後退だろうし、
もし二重引きなら当然ながらそのことは南宮山部隊にも連絡は行ってて
南宮山部隊が後衛的部隊となるが。

270人間七七四年2022/06/01(水) 06:24:28.86ID:YNM9npxN
二重引きするように見えたと言ってるのは吉川広家だな
9月17日に書いたとされる広家自筆書状案に記載されてる

271人間七七四年2022/06/01(水) 07:06:57.73ID:+LAjTd21
垂井に布陣されて大垣は死に石同然だからな…南宮山を起点とした防御線を構築してたのに突然佐和山に向かって走られたら動揺が走るさね。吉川広家はこれで誰もが東軍に降伏して全く戦にならんかったとか言ってるらしいけど、となると石田三成らは自分達の行動理由を仲間に通達してなかった事になる。良いのかな…秀秋が東軍に寝返って松尾山を取ったと知られたら西軍の士気が無くなると思ったのか。

272人間七七四年2022/06/01(水) 10:59:22.73ID:HxWGLz3Y
三成 
何故小早川は動かぬ、南宮山も
大筒を松尾山に向け放て

ドカーンドカーン

小早川秀明
なんじゃこれは
殿、三成殿が我が隊に大筒を打ち掛けてきました
なんじゃと

ドカーンドカーン

ドカーンドカーン

わかったわかった
出陣じゃ敵は藤堂、京極
いざぁ

273人間七七四年2022/06/01(水) 11:53:00.63ID:DJ5D9pP4
>>272
尾根迂回しないと東軍側に出れないから数時間掛かるぞ

274人間七七四年2022/06/01(水) 12:36:50.47ID:+UmiSVWk
>>273
東軍接近で半分移動
通過後残りが移動
最後にいやいや広家が移動

間に合うよ

275人間七七四年2022/06/01(水) 12:40:05.13ID:EUEht2Kz
>>273
南宮山組がすぐ近くにいるし
大谷ともやりあって京極はかなり焦っている
そこに小早川が流れ込

276人間七七四年2022/06/01(水) 12:50:20.34ID:qWTLJTbp
毛利秀元って小早川秀秋と同じく西軍の作戦に従ってなかったんだとか。輝元から命令が来て従ったけど奉行連中の作戦には従いたくなかったんじゃないか。しかもそれで毛利軍は損害被ってる訳でもう切るかこいつらって思ってても不思議じゃない。

277人間七七四年2022/06/01(水) 15:44:59.84ID:CPQO/bLQ
>>276
そもそも西軍総大将の輝元の命令に従ってるのに、
西軍の作戦に従っていない、という言葉が出てくる時点で
西軍はどうしようもない。

278人間七七四年2022/06/01(水) 19:36:41.95ID:qWTLJTbp
分かりにくいけど西軍で指揮採ってるのは毛利輝元じゃなかったらしい。一次史料上指揮してるのは増田長盛・長束正家・前田玄以・石田三成・大谷吉継・安国寺恵瓊。彼らが戦略を決めて諸将に相談通告をしていた。ただしこれ自体はおかしくない。数万規模の戦で総大将が一から十まで決めていたら臨機応変な動きが出来ない。家康も大戦略を指示したら現場の事は現地諸将に任せてる。井伊直政ら軍監を派遣するのも忘れてないけど。

279人間七七四年2022/06/01(水) 20:03:19.18ID:okzjbVLw
>>277
だからさ
輝元はお忍びで関ヶ原にきていたんだよ
黒田の内応は世鬼に暴かれ
このまま放置だと負けてしまうからな

小早川 広家は渋々従うのである

280人間七七四年2022/06/01(水) 20:07:06.79ID:qWTLJTbp
ただ何が問題だったかと言えばその西軍指揮官の戦略に疑義を持つ者達がいたってところ。それが毛利秀元・吉川広家。彼らは元々奉行の作戦能力を疑問視していた。それで秀元は作戦を拒否。困った奉行は主人の輝元を動かして命令に従わせた訳なんだが、その裏で完全に軍令から離れてる小早川秀秋の存在が忘れられつつあった。

281人間七七四年2022/06/01(水) 20:57:38.69ID:dAoZ/rne
吉川小早川が黒田に引き込まれてるのがどうしようもなさ過ぎてなぁ
広家なんかは三成恵瓊と対立してて黒田親子と昵懇だからどうしたって東軍に転ぶ

282人間七七四年2022/06/01(水) 21:59:55.85ID:qWTLJTbp
広家は奉行衆の指揮能力を疑問視してた。広家が輝元に送ったっていう書状には「家康はあの太閤に(小牧長久手で)勝った程の戦上手でその上その時よりも勢力が増してます。その上多数の名将が家康に従っている。対して奉行どもの無能っぷりときたら朝鮮の事を思い出せばわかる筈です。どうして家康に勝てるでしょうか」と書いてるそうな。秀元も朝鮮外征組だし同じ様な思いだったんじゃないか。それで戦略をミスした挙句家康の動きに踊らされてる姿を見て切り捨てる事にしたと。安濃津城攻めで大損害を被った事も一因だろうけど。

283人間七七四年2022/06/01(水) 22:07:28.84ID:7zuSGiSW
>>276
>>280
それについては微妙にニュアンスが違う。史料スレの吉川廣家自筆覺書案より一部抜粋。

一 伏見之城へ人數差寄、責口被申付候刻、勢州へ可相仂之旨、奉行衆相談被相究候、惣別濃州北國兩口之仕置、
  堅被申付候て社尤候、勢州さしむかひたる儀にもあらす候間、出勢無詮候、雖然、長太、安國寺被罷向、
  あのの津近邊掠夲よ申所、兩人被陣取候、如何候哉、夜中我等陣所關之地藏へ被引取候、其より猶以敵味方覺相替候、
  其後又津之城可指寄之由被相催候、左樣へは、大御所樣被成御打上候は、大分之一戰可有之前かとに、
  不數城乘崩候ても無詮候、萬一手負死人罷成候はは、一方御をくれに罷成儀に候處、首尾不合行被仕、城被乘崩候へ共、
  手負死人候て人數半分に罷成、味方之覺莫大に罷替候事、

>惣別濃州北國兩口之仕置、堅被申付候て社尤候、
 勢州さしむかひたる儀にもあらす候間、出勢無詮候、

ここね、瀬田で陣地構築後、伊勢に行けと言われたが伊勢なんぞに行ってもしゃあない、
北陸か美濃に行くべきだと言ったが伊勢行け伊勢行けうるさいんで、
(秀元は)兵が足りないからとしばらくごねた後仕方なく伊勢に行った。

この時点では別にやる気がないわけではなく、長束・安国寺が伊勢行けとかアホなこと言い出したんで
ごねてた。この覚書が正しいなら、秀元らの瀬田の毛利勢は北陸か美濃ならすぐに向かったと言える。

284人間七七四年2022/06/01(水) 22:24:28.45ID:7zuSGiSW
伊勢は美濃からも行けるので、桑名さえ保持していれば問題ない。
伊勢は長束・安国寺・長曾我部・明石掃部だけでも十分だと思う。
瀬田の毛利勢は大垣辺りにでも詰めておけば史実通り岐阜が攻められても
そのまま後詰決戦、あるいは渡河迎撃が成功した可能性がそれなりにあると思う。

285人間七七四年2022/06/02(木) 07:46:18.39ID:UVQUXSRl
>>282
横からですがそれっていつ時点の書状なんですか?

286人間七七四年2022/06/02(木) 08:17:56.40ID:b//kGBJN
広家・秀元は美濃方面に兵を進めるべきと主張したけど聞き入れられなかった(内通を疑われていたとも)そしたら岐阜城は落ちるわ大垣城が包囲されるわでそりゃもうこいつらやっぱダメだね話にならないねってことに。

287人間七七四年2022/06/02(木) 09:23:59.14ID:bR0Z3rCh
東軍が来る前に清須城を奪うのが先

秀元、広家、小早川秀明、立花宗茂らは岐阜城に進軍した

288人間七七四年2022/06/02(木) 10:11:43.38ID:4R6JJVsm
>>285
内容からは、>>283と同じ吉川広家自筆覚書案と思われる。

289人間七七四年2022/06/02(木) 11:22:30.72ID:bGTTBeLS
>>260
結果的に勝利に向かって理に適った行動をした方が勝つ
合理的に行動しようとしてたかどうかなんて関係ない
そこを問題にしてる時点でずれてる

290人間七七四年2022/06/02(木) 20:12:12.95ID:SMdYHlMc
当初岐阜に進むよう主張したのは吉川広家・毛利秀元だけど多分石田三成も主張したと思うのよね。佐和山城主で大垣預かってる身だし。

そういや有名な「佐和山城を探しても何も無かった」って逸話だけど信雄への逸話や九月十二日書状からするともしかして恩賞の前払いで破産してたんじゃ…

291人間七七四年2022/06/02(木) 20:18:27.71ID:eFYsgbxF
奉公のための金は自弁が基本だから戦前は蓄えがあったけど開戦して使い切った可能性はある

292人間七七四年2022/06/02(木) 21:42:47.96ID:SMdYHlMc
だとするとマジで何の得もしなかった三成さん…九月十二日までは三成は自信に溢れた書状書いてるけどこの十二日書状は一転かなり弱気なんだとか。この時既に南宮山の毛利は家康との和睦に奔走、その他の西軍諸将も混乱とまぁ最悪の状況だから弱気になってもおかしくない…

293人間七七四年2022/06/03(金) 08:08:02.47ID:20wW/sMB
そりゃ投資失敗で死んでんだから
手元に現金あったらそれこそ異常者

294人間七七四年2022/06/03(金) 18:56:15.82ID:JNP+FvIx
徳川家康、関ヶ原に居なかった説もあるんだよね。卜斎記の記述が基なんだがどうも家康は南宮山の東に居たんだとか。
そこを取られちゃ西軍に勝ち目なんか無いぜ…

295人間七七四年2022/06/04(土) 11:06:50.06ID:RhPPYhl3
西軍の勝ち筋って岐阜落城前まで戻らないと無い気がする。

296人間七七四年2022/06/04(土) 12:22:16.38ID:4ZhP7Yrv
朝鮮出兵の時と同じ気分でやってたのが敗因でしょ
秀吉の名代として命令一下各大名が働くのが三成の前提
関ヶ原に砦築いて、そこで待ち構えれば成功すると信じてただけ

今まではそれで上手くいってたからね
成功体験にこだわることの危険性よ

297人間七七四年2022/06/04(土) 13:05:00.31ID:vyAxnBNO
朝鮮だって成功してないじゃないか

298人間七七四年2022/06/04(土) 15:50:42.55ID:uH51UlGp
吉川広家は「家康と奉行衆じゃ格が違い過ぎる」と輝元を諌めてたわけだが輝元自身はどんな戦略図を描いていたんだろうか。

299人間七七四年2022/06/04(土) 16:45:50.64ID:rzUMmUNG
増田長盛とかも何を考えてたのかよくわからん
東軍が勝っても知らぬ存ぜぬで逃げ切れるとでも思ってたのか?

300人間七七四年2022/06/04(土) 17:43:57.06ID:4ZhP7Yrv
>>297
野戦ではだいたい勝ってるよ
毛利や小早川がよく戦ったからね

301人間七七四年2022/06/04(土) 18:02:20.26ID:lVymqyPX
>>299
両建てしてたんだろう、西軍が勝ったら西軍首脳で東軍が勝ちそうなら西軍への補給を潰して「私も東軍でした」で逃げ切ろうとした。
まぁ大坂城を毛利に占拠された時点で東軍には与せない訳でタイミング次第では生き残れた気もするけど…

302人間七七四年2022/06/04(土) 19:48:39.27ID:cjJPVpxT
>>299
奉行の三成の担当は野戦のような戦術ではなくて戦略だろう
秀吉が耄碌してるからどうにもならないけど成功とは言い難い

303人間七七四年2022/06/04(土) 19:48:52.04ID:cjJPVpxT
>>300でした

304人間七七四年2022/06/04(土) 20:00:42.10ID:lVymqyPX
三成はそも朝鮮出兵に反対していて現地みてその思いは強くなってるしねぇ…

305人間七七四年2022/06/05(日) 07:48:50.21ID:eq3eGvxp
この場合の成功体験て戦略的戦術的それではなく
単純に政権として号令したら無理なことも
諸大名の大半が従うって言うものでしょ

その意味だと秀吉の関白就任以降十数年
ずっとそう言う状態だったわけでそのせいで
秀吉死後の状況を読み間違えたのはあるだろね

306人間七七四年2022/06/05(日) 20:20:15.16ID:2a3a8xDn
>>305
家康自身もそう考えてた節があるのが皮肉だな
諸侯が自分の指示に従っているのはあくまで豊臣政権の第一人者であるからで
その立場がなくなれば諸侯が自分に従う保証などありはしないと
実際、西軍挙兵した後にしばらく関東にとどまってた理由の一つは諸侯が
反西軍としてちゃんと戦ってくれるかどうかわからなかったからだろうし

307人間七七四年2022/06/05(日) 20:56:17.11ID:Bu865a7M
と思ってたらえ?実は豊臣じゃなくてもいいの?からの征夷大将軍で政権確立っていう。秀吉からすりゃ寝た子を起こすなよ…って話だったのかも

308人間七七四年2022/06/05(日) 22:26:52.68ID:XEpE+Nk6
>>301
両建ては、結局双方から疑われて滅ぶ事が多いですよね
カエサルは、有名なカエサルの寛容で両建てしてた元老院議員大量に許してますが

がしかし、彼らはカエサル暗殺の後、アウグストゥスが作った処罰者名簿に載り消されてます
何をしたかじゃ無くて、反対派閥だから問答無用で消すと言う酷い目に

酷いのはカエサル傘下で軍団長まで務めてたキケロの弟まで消されてる事
当人に疑われる要素は無いので、元老院派のキケロの弟で消されたという事でして

太閤が寛大だったんで、感覚ずれてたんでしょうね

309人間七七四年2022/06/06(月) 05:32:31.59ID:AGmK3C1D
>>299
秀次の義兄(兼家康の娘婿)の池田輝政に(秀次事件で)徹底的に
憎まれていたことを軽視したのだろう。

自分は池田輝政に憎まれていて負けたら滅亡以外残っていないと最初から
判り、水口(岡山)城で池田輝政に徹底抗戦し玉砕した長束正家とは対照的。
なお、水口城は落城時に徹底的に屠城され、生きるものはなに一つ残ら
なかった。それは、長束の正室の本多忠勝の妹ですら例外ではなかった。

310人間七七四年2022/06/06(月) 08:12:56.89ID:P9cHECqP
池田とかいうラッキーマン
ご都合主義過ぎて信じてもらえないぐらいの幸運っぷり

311人間七七四年2022/06/06(月) 11:49:00.73ID:2SfU2TXt
岐阜城攻略に打って付けだったな。

そして竹ヶ鼻に入れた増援は福島正則と旧知とかいうさぁ…

312人間七七四年2022/06/06(月) 12:01:47.87ID:E5iDb0zF
関ヶ原時点の家康って
日本の軍事力の何%くらいだったのかね?

313人間七七四年2022/06/06(月) 18:27:11.71ID:2SfU2TXt
太閤検地で1850万石ってハナシだし石高と軍事力を乱暴に当て嵌めれば徳川250万石で14%くらいじゃないかな?もっと精密に計算すれば更に増えるのかもしれんけど…

314人間七七四年2022/06/06(月) 22:33:29.77ID:5BHg1jLS
>>310
主君豊臣秀次への復讐に生きるという点では物凄い一本筋。
ただし、時には敵に機嫌を取ったり、敵を思いやるふりして分裂
させたり、プライドなどどこ吹く風というぐらい手段を選ばない。
そして、それができる数少ない日本人で、ある意味最も怖い人物。

315人間七七四年2022/06/07(火) 04:44:56.84ID:29eKej1J
そもそも家康と三成では人物が違いすぎる
名目上は輝元を立てた、といっても、輝元や秀家でも家康とは格が違いすぎる

なんで挙兵して勝てるなんて思ったんだ……

316人間七七四年2022/06/07(火) 05:20:59.82ID:1RewuX7n
>>315
豊臣政権を悪い意味で絶対視していたんでしょう
政権からの命令であれば諸大名は皆絶対に言うことを聞くし、逆らうものなどいないと
秀吉生前はそれが当たり前だったのだし、死んでから二年ほどしかたってないのだからな
だから内府違いの条々を諸大名が受け入れさえすれば家康は政治的に孤立して詰み、
後はかつての北条のように江戸征伐やっておしまい、この程度の認識だったと思われる

問題点は、豊臣政権は秀吉政権でしかないという指摘がある事(つまり秀吉死後は…)
でも毛利や上杉はともかく、奉行や宇喜多がそれを認めるはずがない
そもそもこの点は家康でさえ勘違いしていた節があるので、どうしようもないだろう

317人間七七四年2022/06/07(火) 07:22:00.37ID:37y/YSXb
>>315
輝元は家康が信長に従属してた頃から中国の覇者なんだがな
まあ秀吉からも隆景のオマケ程度にしか見られてなかったみたいだけど

318人間七七四年2022/06/07(火) 07:32:32.72ID:QQ8GhV88
あながち勘違いとも言い切れないと思うよ

家康自身別に小説みたく野心剥き出しで
政権無視した訳じゃない
ちゃんと政権内での手続き踏んで動いてる
(内心の話ではなく政治的行動としてな)

その家康が政権として出征した隙に
主君の城に兵を入れて号令する
という西軍の行動にはそれがあるか

西軍蜂起で家康は政権トップを降りてない
西軍はその地位を追ったと主張したわけだが
東軍諸将がそれを認めて政権より家康を取ったか
認めず引き続き政権トップとして家康を支持したのか

後者の見方は成立し得るし
それが建前論として成立することは
政治的にかなり大事だよ

319人間七七四年2022/06/07(火) 07:41:08.76ID:37y/YSXb
ちゃんと専用スレがあるぞ

関ヶ原を起こしたのは三成、家康は何も悪くない
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1651981216/

320人間七七四年2022/06/07(火) 07:46:00.58ID:QQ8GhV88
いや別に善悪を論じたいわけじゃないぞ

関ヶ原を起こしたのが三成なのは
そもそも異論が出るようなことなのか?
むしろあなた家康は極悪三成正義スレでも立てたら?

321人間七七四年2022/06/07(火) 07:55:52.11ID:EDZRGVwX
こいつの特徴は秀吉と家康って変わらないよねって言われるとムキになって否定するところ

322人間七七四年2022/06/07(火) 10:32:26.38ID:YfMFQWLn
秀吉と家康は全く真逆の人間だろう
秀吉は良くも悪くも人間臭い
対して家康には全く人間味を感じない
知恵をつけた昆虫か何かが人間のふりをしてるだけって感じ
妻子を何の躊躇なく殺したり、長久手の時に機密保持の為
出入りの商人皆殺しにするエピソードには
信長や秀吉の残虐性とは違う無機質な冷酷さを感じる

323人間七七四年2022/06/07(火) 11:34:06.80ID:6RQvJeXP
昔から散々言われてることだけど
信長秀吉と家康に対する好悪って義経と頼朝、西郷と大久保に対するそれと構図が同じなんだよな
子供にもわかりやすくその時だけ華やかな義経信長秀吉西郷に大衆的な人気が集まり
それとは一見真逆で陰湿なイメージの頼朝家康大久保は毛嫌いされる
でも実際に前者がもたらした混乱を収拾し秩序立て安定に導くのは後者の現実主義と堅実さ

人間の歴史的な評価の系列としてお決まりのパターンなんだろうな
大久保なんかは家康に私淑してたくらいだからはっきり自身をそっち系列と認識してたんだろう
人望好みの西郷と真逆で大衆の人気など顧慮せず
とにかく仕事を冷徹にこなすことを身上とした点でも家康に重なる

324人間七七四年2022/06/07(火) 11:38:51.29ID:waB4Leuj
今は家康のほうが人気になっているじゃん

325人間七七四年2022/06/07(火) 11:48:14.73ID:Cew92ul7
家康なんて信長秀吉の路線をそのまま踏襲しただけじゃん
別に信長や秀吉がそのまま生きていても同じような国になってたよ。都が京都のままだったろうなぐらい

326人間七七四年2022/06/07(火) 11:50:53.57ID:x3VQ2C/q
三成が挙兵したんじゃなくて輝元が仕掛けたって説もある(高橋陽介とかが主張)
というのもそもそも佐和山に蟄居してる三成が西軍を構築出来るはずも無い。また三成は確かに西軍の幹部だけど独断で作戦命令を出してる史料が無い。そんな三成が挙兵して輝元を招くなんて出来るのだろうか?って話なんだとか。

327人間七七四年2022/06/07(火) 12:48:21.39ID:DjBF/lyD
輝元は野心家だよね
三成もそうだから付け込まれたというか
winwin狙って失敗しただけと思うけど

前政権から新政権立ち上げの過程は
秀吉も家康もよく似てると思うよ
というかそこで筋違いのことしたら
うまくいかないよね

328人間七七四年2022/06/07(火) 15:41:10.01ID:WDcah7L9
関ヶ原の毛利の豊臣家をないがしろにする行為を見た、三成はどう思ったのだろうか。

愚痴を書いた手紙は確かあったが…

毛利にしても、上杉にしても豊臣家に絶対忠誠を誓う筋合いはないわけだが。

秀頼を擁してるかしてないかの違いだけど、家康の方が秀頼をたててるよな。

奉行の中でも、東軍に通じてみたりする連中がいる中で、三成は筋を通したけど、彼が首謀者なのか巻き込まれたのか、いろいろ研究が待たれる。

329人間七七四年2022/06/07(火) 17:22:18.25ID:Cew92ul7
毛利も上杉も信長相手に虫の息だったのが織田政権内部のゴタゴタによって一気に戦略的価値が上がって重要視されるようになったという流れがある

秀吉の天下取りに対して重要な立ち位置を占めていたけど別に豊臣家に思い入れがあるとかじゃないからな

330人間七七四年2022/06/07(火) 18:35:11.70ID:x3VQ2C/q
三成が最初から西軍に参加していたか?というと一次史料ではその様子は無いとのこと。確かに予兆はあって七月十二日に「大谷吉継が病気で代役に石田三成が出陣するように指名されたが三成は出陣を拒否してるらしい」って噂が流れた。高橋陽介氏は七月十五日上杉景勝宛島津義弘書状から十五日には西軍に参加してたとしてる。
しかし毛利軍の大坂城占拠が七月十七日で同日内府違いの条々が発付されてるけどここには三成の署名が無い。三成が最初から蜂起計画を練っていたなら内府違いの条々に名前を書かない理由は無いと思う。

331人間七七四年2022/06/07(火) 19:29:51.02ID:QQ8GhV88
内府違いに名前がないのはむしろ自然じゃね
三成は失脚して奉行でもなんでもない
その名で諸大名を従わせるのはなんの根拠もなく
政権トップとして振る舞いたい西軍としては避けたい

15日の段階で島津義弘は三成も決起の一員としてて
文書上それより早く確認できる西軍の活動て
12日の4奉行による輝元大阪入り要請
13日の関東に向かってた毛利勢の転進あたりで
それほど遡れないよね

一方東軍側が西軍の動きを把握した
最初期から三成吉継の名前は出てるし
書状を出しているとされてるので
巻き込まれただけでなく実際動いてる

332人間七七四年2022/06/07(火) 19:34:51.05ID:hqBvwS2f
確か後々、三成は奉行に復帰してたよね書状の上では(それで白峰氏は「三成は奉行職をクビになってない」と主張してたはず)奉行に戻れるなら別に内府違いの条々出した時に戻さなかったのは何故なのだろう?

333人間七七四年2022/06/07(火) 19:45:49.17ID:37y/YSXb
>>331
その通り
むしろ解任されてる三成が三奉行と連名してたら、なんだこいつが家康殿を逆恨みして蠢動してんのかって思われるだけ

334人間七七四年2022/06/07(火) 21:30:19.32ID:hqBvwS2f
家康の罪状として「五奉行のうち二人を追い落とした」って言ってるから今更な気がするけどね

335人間七七四年2022/06/08(水) 02:18:12.77ID:VE6/vL62
そこに三成の名前があったら俺を追い落とした!ってなっちゃうな

336人間七七四年2022/06/08(水) 07:06:58.59ID:y1uWzKJV
>>331
内府違ひの条々は、単純に要約するとこういう内容

家康が勝手に独裁権握って勝手な事してるんで、豊臣政府軍が討伐令だすよって事
家康が勝手な事してるから、大老奉行が同盟して討伐軍だすよって事です

家康が合議制無視して勝手に上杉討伐軍編成してるのを非難してるのだから手続きは大事

この時点で奉行じゃない三成が自分一人の名前で命令したら家康の同類

337人間七七四年2022/06/08(水) 07:11:30.77ID:y1uWzKJV
>>334
まあ、内府違ひの条々で徳川独裁体制非難してるしなあ

大老奉行の合議制無視したって批判してる人が、奉行じゃないのに署名したら変になる
家康じゃないんだし

338人間七七四年2022/06/08(水) 07:22:12.69ID:b2e3Gjkh
>>331
内府ちかひの条々に三成の署名がなくても、東軍諸将は三成が中心となって挙兵したと早々に認識してるしな

7月16日付堅田元慶宛蜂須賀家政書状
「仍今度石治・大刑逆意、無是非存候」

7月21日付家臣宛細川忠興書状
「石治部・輝元申談色立候由、上方ゟ内府へ追々御注進候」

7月27日付秋田実季宛榊原康政書状
「然者於上方石治少・大刑少別心仕ニ付而」

339人間七七四年2022/06/08(水) 08:09:16.72ID:HLyY6I/T
石田三成が大谷義継とゴニョゴニョやってるっていうのは家康も会津攻めの前に把握してたみたいだ
で、そんなもんだろうと甘く見て会津に遠征してみたら毛利宇喜多と三奉行まで絡んでて仰天したみたいだね

340人間七七四年2022/06/08(水) 08:49:27.74ID:yBE6uy/+
会津攻めが発動する前に把握してたって
そんな文書あるっけ?

>>338
そうなんよね
少なくとも東軍というか周囲から見て
三成が主導してるように見えるような
何かしらの活動をしてた訳よね

341人間七七四年2022/06/08(水) 09:23:25.08ID:HLyY6I/T
遠征前から把握してたって記録が残るわけねーよな
家康は最初は石田大谷が畿内で騒いでるぐらいの認識ではあったけど

342人間七七四年2022/06/08(水) 09:34:54.71ID:SnfiZzdi
おそらくだけど毛利内のゴタゴタがそのまま出てる。輝元が大坂城を占拠するって話は毛利家内で合意が無い恵瓊ら西軍派の独断専行だった。それで東軍派(というか穏便派か?)は仰天して事態を調査したり輝元を説得すると同時に家康に万が一に備えた弁明を行ってる。それが七月十三日益田・熊谷・宍戸書状。内容は「我々が会津征伐に参加しようとして近江まで来たら大坂に向かう三成と吉継を見ました!恵瓊は輝元が呼んだって言ってるけどこれは嘘です!」ってもの。輝元が家臣の言う事にフラフラ動かされる道理が無いからこれは東軍派の苦しい言い訳。てことは三成と吉継は最初から毛利のスケープゴート役だったことになる。

343人間七七四年2022/06/08(水) 09:43:31.20ID:SnfiZzdi
だから家康は確かに西軍の決起計画を七月十二日時点に察知してる。ただしそれは毛利家によって「石田三成と大谷吉継による謀反計画」という歪曲されたものになってた。現実にはこの謀反計画は大坂の三奉行と毛利輝元によって起こされたもので三成が関わってた形跡が無い。例えば七月十二日の輝元宛増田・前田・長束書状では輝元の大坂入城を要請してるけどこれには三成も吉継も書かれてない。

344人間七七四年2022/06/08(水) 13:10:17.60ID:uh1Diem/
その辺の動きも全部会津征伐の途中だね

家康が事前に察知してたというのは
それこそ司馬遼太郎あたりじゃないか

挙兵直前時点でご注進があったのは確かだが
それも数日明けて入ってるわけで

345人間七七四年2022/06/08(水) 18:01:26.68ID:AEZ8mtAK
>>338
7月16日竪田宛蜂須賀書状は結構面白くて竪田元慶は毛利家臣で輝元の懐刀的存在。何故竪田に蜂須賀が手紙を送ったのか?っていうとこれは輝元に対する諫止状。蜂須賀はかつて毛利との取次をしてたのでその縁を使ったらしい。じゃあ蜂須賀はどこで「石田・大谷が謀反」と聞いたかというと多分竪田ら毛利家臣から聞いたんじゃないかと。輝元は三奉行と内通して決起した訳だが家中で意見を統一してなかった。それで情報がダダ漏れ状態になってたと。

346人間七七四年2022/06/08(水) 19:30:06.93ID:1fky5inv
おそらく家康が事前に云々の元ネタは細川忠興書状でこの中で忠興は「こんな事が起こると思ってた」って書いてる。それで忠興が思ってたなら(彼より上位の)家康が思ってなかったはずが無い、で小説家が作ったんだろうね。勿論家康は知ってたろう。でもそれはよくある噂話で密告等の確証があるものじゃない。良くある噂の一つ、可能性の一つに過ぎんかったろう。

347人間七七四年2022/06/08(水) 19:41:41.24ID:HLyY6I/T
その可能性があんな大規模なものになるとは思ってなかったんだろう

348人間七七四年2022/06/08(水) 20:09:17.15ID:7WCvzml8
秀吉が勝てなかった家康を、三成や輝元みたいな小者が何とかできると考える時点でなあ……なぜ、おとなしく時期を待つことができなかった……

349人間七七四年2022/06/08(水) 20:14:36.26ID:bYFtKyRO
外国人が書いた看羊録ですら、景勝が徳川領を攻めて家康が畿内を離れれば必ず畿内の反家康勢力が一斉蜂起して家康は窮地に追いやられるだろうと倭人は噂しているとか書いてるからな
外国人や庶民レベルですら噂していたことを家康が全く予想してない訳はない
どのくらいの可能性として見積もっていたのかは謎

350人間七七四年2022/06/08(水) 20:55:11.09ID:VE6/vL62
石田と大谷が悪巧みしてるらしい

毛利宇喜多も?

三奉行も??マジで???

書状とかの時系列見るとこんな感じ

351人間七七四年2022/06/08(水) 21:49:07.10ID:7WCvzml8
三成が家康に遣り合うって、毛利輝元が織田信長と遣り合うくらい無理筋でしょ

所領や軍事力の問題じゃなくて、人間という格が違いすぎて話にならない

352人間七七四年2022/06/08(水) 21:49:57.93ID:1fky5inv
家康は七月二十五日に長束正家に「佐和山攻めの為に兵糧を渡してくれ」と書状を送ってる。この事から東軍は内府違いの条々を受け取ってない事がわかるんだとか。長束正家は内府違いの条々に署名してるから知っていればこんなのは送らない。この時点では「三成と吉継が謀反」だと思ってる。二十九日徳川家康書状で「大坂奉行衆裏切り」とあるからここで家康は内府違いの条々つまり裏切りの証拠を入手したと思われる。内府違いの条々は九州方面の大名に宛てて出されたっていうから加藤清正か、若しくは毛利と交渉してた蜂須賀が入手したのか。

353人間七七四年2022/06/09(木) 08:54:07.76ID:q8lsJ/A2
信長や秀吉はいろんなエピソードで凄えってなるけど
家康は皆無だな
実績は凄くても人間的魅力と華が全くないのよね
頼朝とか大久保みたいにね

354人間七七四年2022/06/09(木) 09:51:50.65ID:9fjHtKee
内府違いの条々って諸大名には出されてなかったんだってね

355人間七七四年2022/06/09(木) 12:42:48.29ID:bqJT4rJi
>>354
ということは東軍というか会津遠征組の切り崩しは考えてなかったのかな
色々とアホか

356人間七七四年2022/06/09(木) 12:51:04.62ID:Wh9v6Yqu
そもそも家康に付き従ってる連中に怪文書送ったところで味方になる訳が無いからね。西軍もそれくらいは分かってた。だから主に九州地方の大名に宛てて発布したんだろうとのこと。九州の大名は中央情勢に詳しくないから公儀が毛利に移って恩賞が約束出来る風に見えればそれで良かったんだろう。仮に九州方面が東軍に与すると毛利は東軍にサンドイッチされるから良くないって理由が主だったのかもしれんが。

357人間七七四年2022/06/09(木) 20:42:38.58ID:6ObF0vEH
状況的には三成の陰謀ってか輝元と三奉行の陰謀なんだよなぁこの一件は

358人間七七四年2022/06/10(金) 00:18:25.33ID:W42QkpP1
>>353
いや凄いと思うぞ、本当
この人の持ち味は見事なまでの、動と静の使い分けでね、普段の臆病とすら見える堅実な
所と、自分の時「まってたぜ、この瞬間を」が来たと思った時の素早さが見事

そして、思考に慣性が見られない「突然切り替えるんで周囲が啞然とする」為に最善手を
素早く打てるのが持ち味

桶狭間の後も、本能寺の後も同じ、動くにしても素早すぎるんよな
直前まで、今川や織田の機嫌取ってたのに何の抵抗も無く動くんだから

359人間七七四年2022/06/10(金) 08:28:04.66ID:P0fCI9IJ
>>355
そっちは大坂の妻子を人質にとる事で切り崩すつもりだったんじゃないかな
結果論で言えば失敗したが

360人間七七四年2022/06/10(金) 08:37:19.22ID:GW5okdI4
まあ単なるハッタリだったのかもしれんが福島はこっちにつくとか書状に書いてるぐらいだし、秀頼さえ確保すれば秀吉恩顧の大名は家康から離れると思ってたんじゃないか?
実際既に家康派と言えたのは黒田とか池田とかあたりで福島あたりは敵の敵は味方理論で家康側にいただけなわけだし
まあその敵がまさに三成なのに三成が福島はこっちにつくと言っているのは滑稽なんだけど

361人間七七四年2022/06/10(金) 09:33:40.06ID:ziQt5Y1K
昔から不思議だったが家康打倒後に豊臣家主導の政権を構想していたのなら
三成から見て第2の家康になりかねない所詮外様の毛利と組むなんて何を考えていたんだろう
毛利なら御せると思っていたんだろうか

輝元は家康のような野望は持っていないと擁護の声が出そうだが
そんなん断言できるものじゃないし希望的観測に過ぎない
少なくとも加藤福島らと組むよりはよほどリスキーだったと思う

362人間七七四年2022/06/10(金) 09:55:09.48ID:ziQt5Y1K
家康に対抗するには匹敵する石高の毛利と組まざるを得なかったのはわかるんだが
その前に何としても事前に加藤福島らと和解し彼らを一味に引き入れるのが最低限の絶対条件だったと思うんだよな
家康打倒後外様の毛利を大きくするよりまだ豊臣への郷愁を持つ加藤福島を大きくする方がはるかにマシだった

363人間七七四年2022/06/10(金) 09:58:42.72ID:VPdiScRu
加藤清正・福島正則とは朝鮮の一件で完全に敵対してるから和睦の可能性は無いと踏んでたんだろう。しかも自分を殺そうとした相手でもあるから尚の事。良いとこ秀頼の名前で何とか中立を取れるかどうか…
毛利輝元は実は出兵反対派で朝鮮領を内定された時に「迷惑」と言ってる。そこで同じく出兵反対派の三成と繋がりが出来たんだろう。

364人間七七四年2022/06/10(金) 10:16:51.08ID:P0fCI9IJ
そもそも論で言うなら天下をどうこうする野心なんかより
それぞれの地方で好き勝手に領地拡大や政権運営をしたいって野心の方が
全国政権視点だと余程厄介なんだよ、要は戦国時代に時計の針を戻すって事だし
地方での争いや不穏な動きっていうのを止めようとしたら邪魔するってどう考えてもマズいだろ
中央政権の権威や立場を維持するための行動を妨害することの意味を考えていたのだろうか

365人間七七四年2022/06/10(金) 11:55:15.75ID:GW5okdI4
>>363
毛利は全国統一の過程でも国替えを秀吉に指示されて小早川が代わりに被ってるからな

366人間七七四年2022/06/10(金) 18:18:41.46ID:mDQv1Xsd
一次史料上、西軍決起に輝元と三奉行が同心してることは分かるけど三成がこれに関わってるところが見られない。三成を西軍に加えたのは上杉の取次だったからだろうと言われてるけどこの時三成は景勝へのコネクションが切れていたらしく真田にも口添えを頼んでる。なんで三成を味方にしたのか。まぁ佐和山が徳川に属するとどうしようもなくなるからかもしらんが…

367人間七七四年2022/06/10(金) 18:50:40.35ID:SvykuM6r
輝元ってどこを切り取っても無能という印象しかないな
しかも動きたがる無能っていう1番質の悪いやつ

368人間七七四年2022/06/10(金) 18:55:47.75ID:M3C4aTt7
>>367
せめて関ヶ原で隆景が生きていたら……
あるいは家康を止める存在になれたかもな

369人間七七四年2022/06/10(金) 19:12:58.72ID:SvykuM6r
>>368
秀吉が死んだ後に子飼いが分裂したのと似てるね
方向を一つにまとめてた隆景が死んで一門がバラバラに動いてるんだから

370人間七七四年2022/06/10(金) 19:55:32.74ID:P0fCI9IJ
隆景生きてれば、って言うのはちょっと怪しい気もするけどね
というのは、毛利って本能寺の時にも秀吉と和睦した後に織田方の宇喜多や南条の領地を
攻撃したりしているから(両川も参加してる)
つまり、毛利って圧力(織田軍の圧迫や秀吉の押さえつけ)がなかったら近視眼的に
周囲にちょっかいを出そうとする、そんな御家な可能性がある(隆景が生きてても)
もっともある程度の大きさの地方大名なんて多かれ少なかれそんなもんな気もするが
秀吉死後から関ヶ原までの間を見ても島津や上杉、伊達が不穏な動きをしているし

371人間七七四年2022/06/10(金) 20:21:04.03ID:8tV+TZGA
というかあまり家康を止める必要もなく
止めようと思ったのもそう多くない

それこそ野心ありありの毛利と
政道から遠ざけられたくない奉行と
それに担がれたり付和雷同したのが西軍だが
しかもしっかり戦ったのなんか一握り

372人間七七四年2022/06/10(金) 21:32:57.46ID:vnAjyiv8
徳川家康のすごいところは事態が自分の想定外だった事が分かっても自分が打つべき一手は打っている点よ。つまり毛利が黒幕と分かってもまずは岐阜を落とそうという戦略的正解を落とさなかった。ここで焦って動いても落ち着き過ぎて動かなくても失敗してた(宇喜多隊が大垣に移動中で岐阜救援隊として配備される前に岐阜を落とせた)
西軍と違って戦略でゴタゴタしても居ないしやっぱり「東海一の弓取り」「秀吉に勝った男」の威光が強かったんかな。

373人間七七四年2022/06/10(金) 21:59:51.09ID:Mti/gad5
美濃を取らなきゃ西に進めないんだから戦略もくそもない

374人間七七四年2022/06/10(金) 23:43:08.41ID:ZX+LJg0u
>>358>>372
いやとにかく人間が寒々としているんですごいというよりも気色悪いとしか感じない
信康や秀康を持ち出すまでもない親子関係や
築山殿を持ち出すまでもなく女関係も信長には意外とあり、秀吉がそれで豊臣を弱体化させたような人間っぽいエピソードが皆無
自分のためにプラスかマイナスになるかそれだけが判断基準
忠臣と言われる家臣団も筋肉馬鹿か佞臣しかいないイメージ
他人を陥れることしか頭にないから決断が早いだけの猜疑心の塊
例えるなら頼朝や大久保よりもスターリンや毛沢東だな
だからこそ長期政権を打ち立てられたとも言える

375人間七七四年2022/06/11(土) 09:44:02.97ID:aObSnOOo
な?やっぱこいつには
家康は極悪立ち向かった三成正義スレ
が必要なんよ

376人間七七四年2022/06/11(土) 11:40:28.98ID:Ow5disa4
信康や秀康の俗説も所詮創作物なんだよなぁ

377人間七七四年2022/06/11(土) 11:46:17.70ID:PkxGUtP/
普通に因果を遡っていけば秀吉が1番の元凶で最も悪いんだけどね
わざとなのか何なのかなぜかそのことは言われないんだよな

378人間七七四年2022/06/11(土) 12:07:21.07ID:d1O5eRgc
信康はお家分裂の危機だったから粛清したんだろ?秀康は自分の子か疑ってたんだっけ

379人間七七四年2022/06/11(土) 13:57:10.54ID:oldHxij/
秀康と仲が悪かった、ってのは後世の作り話で史料上は息子として仲良かったみたいだけどな。石田三成を護送する任務も秀康に任せてるし。

380人間七七四年2022/06/11(土) 17:50:24.18ID:d1O5eRgc
部下としてはだろう?
なんで嫡男になれなかったんだっけ?

381人間七七四年2022/06/11(土) 18:30:41.06ID:oldHxij/
>>367
一応大名としては最高の能力を持っとる。刃向かえそうな時に刃向って、いざと言うときの保険に石田三成を用意しておいて、負けても三成を差し出して御家安泰。それで250年後まで生き延びた。ただ天下を担える器では無かったのだ…

382人間七七四年2022/06/11(土) 20:16:24.04ID:fU8lP7S7
当時の毛利は当主が輝元であるのは揺るぎないんだが豪族連合からも脱せてない
力のある家臣団に救われて損切できた

383人間七七四年2022/06/11(土) 20:24:45.01ID:zwjIZNyt
>>361
三成から見ると、自分の政敵である福島・加藤らと組んでる家康を敵にせざるを得ない
ので、毛利・上杉と組むしかない。
上杉がつぶされると、毛利単体では家康に勝ち目がないので、上杉がつぶされる前に
動かないと復権の目が完全になくなる。

384人間七七四年2022/06/11(土) 20:40:21.48ID:FCozQbsh
>>383
組んでるの、あれ?福島も加藤も家康を一方的に担ぎ上げてるようにしか見えないけど
三成の切腹要求も却下して隠居にとどめて佐和山まで送り届けてるし
息子の大阪城出仕も認めてるしで石田をかばえる範囲でかばってるでしょ、あれ
まあ三成からすりゃ納得いかんのかもしれんが、だからって加藤ら子飼いを厳罰処分にしたら
譜代をこれから作らにゃならん豊臣家や政権が大きな支障を抱えることになるぞ
ぶっちゃけあの時点だと三成一人が泥かぶってくれれば全て丸く収まるんだが

385人間七七四年2022/06/11(土) 21:17:49.88ID:xLpytnz6
三成擁護派からは大坂の重家が人質にされて選択肢が無かったんじゃないかとかいう説もあるが…(重家は関ヶ原後に大坂城を脱出して出家して家康の元に出頭して許されてる)
今も「三成襲撃事件は家康の陰謀」説を信じてる人は居るし三成も「もしかして家康が俺を嵌めたんじゃないか」って疑心を取り除けなかったんじゃないか。

386人間七七四年2022/06/12(日) 00:09:35.57ID:ilm0yiAh
というか本来武断派と揉めてたのは三成の縁戚だった軍監連中だからな
当人の明確な過失無くそれで失脚まで追い込まれるんだから道理もクソもあったもんじゃない

387人間七七四年2022/06/12(日) 00:17:18.31ID:RGc1TTUM
とはいえ三成らも私婚問題でいわゆる武断派を家康ごと葬り去ろうとしてるわけで
襲撃事件の頃にはとっくに対立構造ができ上がってる

388人間七七四年2022/06/12(日) 06:06:16.82ID:cCXECgKp
秀次が存命していたら少なくとも家康に権力が集中することは避けられたし、何より豊臣の家政にまで口出しさせる権利を与えることもなかった

秀次とその一党をぶっ殺した秀吉が全部悪い

389人間七七四年2022/06/12(日) 07:27:22.40ID:ZDnO7J91
秀吉って頼朝と似てるよな
晩年になって年の離れた後継者のためにバタバタと対策した結果裏目になるという

390人間七七四年2022/06/12(日) 07:46:33.14ID:cCXECgKp
秀次の何が不満だったというのかねえ

子供はあの年齢でそれなりに作ってる
豊臣の家系はほんと子供ができないからこれ自体役立ってるし
戦争経験もそれなりに積んで、治績も挙げてる
家康と比較したらそりゃ劣るけど愚物ではない
それを殺して秀次よりはるかに劣る秀頼立てて自ら終了フラグ立てるし

391人間七七四年2022/06/12(日) 08:32:57.34ID:ZDnO7J91
そりゃ姉の子より実の子(一応)でしょうよ

392人間七七四年2022/06/12(日) 09:01:15.67ID:wdtk9/qp
例によって秀次が勝手に自害したんだとかいろいろ秀吉擁護の説が出てるけど
政治的影響を考えたら明らかに悪手であり秀吉の失敗なんだよな

大体養子を後継者に定めたあと実子が生まれてお家騒動はテンプレみたいなもの
相模三浦氏はそれで滅んだし室町幕府でも応仁の乱の原因の1つになった
藤堂は家が潰れるところまではいかなかったが後代まで蟠りは残った
配られたカードが悪かったと言えばそれまでだが手持ちのカードでなんとかできなかったのなら
それが巡り合わせであり家運というものであり滅びる運命にあったんだねってこと

393人間七七四年2022/06/12(日) 10:04:20.68ID:CdgGBzrf
秀長の子供が亡くなってなかったら
色々事情変わってくるだろうな

394人間七七四年2022/06/12(日) 10:25:19.72ID:ZDnO7J91
変死とか言われてる秀保か

395人間七七四年2022/06/12(日) 11:32:29.07ID:z9MqXci0
>>389
さすがは天下友達

396人間七七四年2022/06/12(日) 12:32:46.76ID:cCXECgKp
>>392
秀次が勝手に自害したなら理解できないのは、
なぜ家族をほとんど族滅したのかということ

秀次が勝手に自害したならそれ打ち明けて家族は助けて僧籍にでも入れたらいいやん
男子は生かしたら禍になるというなら、女子だけでも生かしたらいい
ところが女子すら皆殺しに近い真似している
勝手に自害して家族まで処分するとか普通あり得ないよ
こんな新説ぶち上げたの、誰だよ

397人間七七四年2022/06/12(日) 12:34:07.95ID:cCXECgKp
>>393
秀長の娘って確か毛利秀元に嫁いでたよな
その縁で秀元を豊臣一族に迎えて毛利丸ごと取り込んで豊臣後見にしたらよかったんじゃないか?

398人間七七四年2022/06/12(日) 12:56:11.05ID:CdgGBzrf
>>397
吉川広家あたりが死ぬ気で阻止するんじゃない?

399人間七七四年2022/06/12(日) 13:22:20.58ID:KvaTcBPS
同じ発想で徳川を取り込んだんだけどな
秀頼を孫婿にして

それを気に入らず覆すのが西軍首脳の目的な訳だが

400人間七七四年2022/06/12(日) 13:54:36.61ID:ZDnO7J91
>>396
早合点して勝手に自害したとか言えないから謀叛人てことにして族滅にしたとかだったような

401人間七七四年2022/06/12(日) 14:46:33.08ID:qNSPzudh
自害したのが秀吉の命だったのか秀次の勝手だったのかは問題じゃなく
肝心なのは次世代も政権として磐石との印象と信頼感を天下に示すことに完全に失敗したということ
あんな陰惨なお家騒動満天下に晒して後継者は何も出来ぬ子供たった1人
秀吉死後の豊臣政権は諸侯の家と領土を安堵できる保証と実力はなくなりましたと宣言したに等しい

402人間七七四年2022/06/12(日) 15:18:53.23ID:WRxy2yTc
処罰としたら高野山在住命令と切腹の矛盾があり
切腹命令を扱う史料の信憑性は低いのだが
切腹命令の有無に関わらず政権としては痛手だし
その意味で失策以外の何者でもないよな

次世代の天下様として世間も諸大名も
認めて動いてた存在にあやふやな謀反の嫌疑を
かけて失脚させる時点でかなり危うい

403人間七七四年2022/06/12(日) 16:00:47.22ID:yYl5OP26
>>390
ソースは忘れたけど小牧長久手での敗戦の責を秀次に転嫁して秀次と仲が悪かった説、秀次が猿を飼っていたところ「秀次が猿(=秀吉)を女にけしかけて遊んでいる」と噂になり秀吉の機嫌を損ねたという続武将感状記の説、と色々あるけどよくわからんな。でも確かなのは秀吉と秀次は人間性が違ったらしくフロイスの日本史にも「伯父(秀吉)とは全く違って賢明にて聡明」だの書いてあるし元々ソリが合わなかった雰囲気は残ってるのが怖い。

404人間七七四年2022/06/12(日) 18:39:56.89ID:GVxcJKIC
>>399
毛利の権限を増して、政権運用上は徳川と毛利のツートップ、
秀頼は前田を守役にして両家と距離を置く、
ってダメかね?
徳川一強への反発が関ヶ原の原因だったんだから、
同等の存在がいて、バランサーもいれば安定するんじゃね?

長くは持たないだろうけど、秀頼成人までなんとかなればいいんだし

405人間七七四年2022/06/12(日) 18:55:20.51ID:X8T0BVfP
一強にならなきゃ結局は安定しないのだから反対勢力は叩き潰すしかないよ

406人間七七四年2022/06/12(日) 19:19:11.61ID:ZDnO7J91
>>403
フロイスの人物評はキリスト教から見てどうか?だからなあ
秀吉より秀次の方がキリスト教に寛容だったんだろとしか

407人間七七四年2022/06/12(日) 19:22:19.48ID:vBfwwxx2
>>404
毛利が豊臣政権内での地位を低下させたのは自業自得だから難しいだろう
どういう事かというと、輝元に嫡子である秀就が誕生してしまった事だ
これ自体はまあ文句を言うべきことではない、実子が生まれた以上は
後継を養子からそっちに変更したいと思うのは当然だ、秀吉ならわかるだろう
しかし、問題は秀元を後継の座から外したことで(秀元は即座に養子から降りている)
毛利と豊臣の縁が極めて薄くなってしまっているという点だ
毛利の後継が豊臣と縁もゆかりもないのなら、当然政権内での地位や重要性が
低下してしまうのは避けられないだろう、本当に縁のない上杉よりはマシだが

408人間七七四年2022/06/12(日) 20:02:14.10ID:ilm0yiAh
毛利は事実上主導的立場にあった隆景が死んでしまった時点でね…
小早川は実質豊臣家に取り込まれて輝元一人五大老に名を連ねる形になっちゃったから政権内に占める重要性は必然的に落ち込む
吉川家はひっそりと冷遇されて広家と恵瓊が対立してる始末だし

409人間七七四年2022/06/12(日) 20:10:23.14ID:3NQwwihg
数年前に発見された秀吉近臣の輝元宛書状では、秀次の死の3ヶ月前の時点で
秀吉は秀次の息子を大和国主に取り立てようとしてたことが述べられてるし、
この3ヶ月の間に二人の仲を裂く決定的な出来事があったんだろうな

また死の1ヶ月前の6月9日付秀次宛秀吉朱印状では
「河内八箇所の堤防が大水により決壊したので秀次が巡見すると聞いたが、
状況は酷いようなので巡見は無用だ。近日伏見で面会しよう。」
と言ってて、この時点でも秀吉には不穏な空気は見て取れない

410人間七七四年2022/06/12(日) 22:34:01.45ID:hI6J7a1x
>>406
確かにその通りなんだがフロイスの記事が「伴天連追放令を受けて宣教師が「秀吉を殺す!」と激昂。そこで宣教師が秀次に釈明(というか信仰宣言)してそれを穏やかに聞く秀次」って話だから結構嫌な感じなのよね…

411人間七七四年2022/06/13(月) 00:28:11.77ID:KG1MVZSE
秀吉はまだ39歳の時にもう子供は出来ないと思ったのか信長の子をあっさり養子に貰い受けて跡継ぎにしたからなあ…
秀次はもう生まれてたのに

412人間七七四年2022/06/13(月) 02:53:22.08ID:xI3i/sPl
そりゃ織田の家臣として考えれば信長の子を養子に迎えて後継者にしたらお家安泰だしな

413人間七七四年2022/06/13(月) 08:04:31.66ID:EHOpTUH0
自分の領地はいずれ信長様の子供が引き継ぎますよ、
って明確化させとけば、佐久間みたいなことにならん、ってこと。

414人間七七四年2022/06/13(月) 08:35:13.39ID:9qJ0TnM4
重臣たちが遠方で国をもらう流れだけど羽柴だけ畿内周辺に留まれそうだったしな
秀勝継承後は羽柴の血を引く者はまた別枠で大名にしてもらえたかもしれない
そういう方面から考えても織田重臣たちで一番裏切る理由がないのは秀吉なんだよね

415人間七七四年2022/06/13(月) 08:38:08.75ID:KG1MVZSE
まあそのへんの話しはわかるんだけどね
もともと秀吉にとっては秀次はその程度の存在で、どうしても羽柴家の跡を継がせたいとも考えてなかったんじゃないかなと

416人間七七四年2022/06/13(月) 08:38:56.79ID:9qJ0TnM4
諦めてたら実子が出来たとかあるあるだしな
応仁の乱の原因も畠山のそれだし

417人間七七四年2022/06/13(月) 11:06:56.05ID:dBn10dfk
切腹って武士の名誉刑か己の無実を証明する為の手段だよね確か。だから秀次の件は秀吉の命令かさもなくば秀吉が秀次を憎悪していたかの話に落ち着きそう。
そういや三成がこれを仕組んだって俗説も有名だけど、三成は三成でこの一件に乗じて浅野長政を追い落とそうとしてるからなぁ…

418人間七七四年2022/06/13(月) 11:31:13.39ID:2VH1JsjA
少なくとも秀次とその家臣団が消滅したことで
三成は秀頼の代でも政権の中枢に残れたわけだから利益を得た立場ではあるな

三成って明への冊封体制メンバー案でも自分を家康ら大老より上位に置いてたそうだし
いろいろきな臭いところあるんだよな

419人間七七四年2022/06/13(月) 11:56:39.14ID:kQ7B7b6B
秀吉はそのまま信長の天下になった方が幸せだったんじゃないかね。家も残っただろうし

420人間七七四年2022/06/13(月) 12:36:53.27ID:aktCG/GY
養子が早死にしたり子供が全然生まれなかったりって事がなければここまで拗れはしなかっただろうな
それも兄弟揃って

421人間七七四年2022/06/13(月) 13:52:54.53ID:U0ZkfA+h
それが家運というもの
貴賎問わず家門繁栄が最上とされていた当時では
豊臣は呪われた不吉な縁起の悪い家と思われたろうな
そこも天下人としての求心力低下に繋がったかと

422人間七七四年2022/06/13(月) 16:26:08.16ID:vyuYDsXX
織田に頼らなくとも秀吉に男児が産まれてたらそもそも家康の天下は無かっただろ

423人間七七四年2022/06/13(月) 17:11:05.66ID:gkfwOvEe
秀吉の男児は3人いたが2人は早死にして最後の秀頼だけが成人した

424人間七七四年2022/06/13(月) 17:15:07.57ID:kQ7B7b6B
むしろ秀吉に男児が生まれなければ家康の天下はなかったね

425人間七七四年2022/06/13(月) 17:17:16.98ID:B5NAesMl
秀頼の誕生ってタイミング的に奇跡的に最悪だからなぁ
秀次が関白になった後で、朝鮮・明と戦争中とかいう…

426人間七七四年2022/06/13(月) 20:55:08.76ID:41tJzpNI
取次元で友人だったから守る為に家康に刃向かった、みたく言われる三成さんだけど考えたら景勝って三成に対してなんかしてたっけ?襲撃事件の時に三成を助けたのって宇喜多秀家と佐竹で裁判で動いてるのは家康と輝元だし…景勝なんか見殺しにして家康の下についてたら割と面白い事になってたかもしれない。

427人間七七四年2022/06/13(月) 21:18:46.03ID:xI3i/sPl
別に景勝を助けたとかじゃないと思うよ
家康を叩くなら会津征伐が始まる前がギリギリだったってだけで

428人間七七四年2022/06/14(火) 08:02:23.35ID:I5otci6Z
徳川の下に着くというかそもそも
隠居した時点で豊臣の一家臣だし
奉行だった当時から内大臣たら家康の
下にいないのがおかしい訳だがな

関ヶ原がなきゃ普通に石田家は
豊臣-家康政権の一大名として
存続してただけだろう

429人間七七四年2022/06/14(火) 08:43:14.93ID:oDNrzAia
>>428
佐和山の領地守る事が勝利条件なら、確かに有り得る

その場合、太閤の晩年は現在以上に悪く言われただろうね
秀頼がどんどん追い詰められていくのに、豊臣家取り立ての者でだれも本気で
守ろうとする奴が居ないという事で

430人間七七四年2022/06/14(火) 08:57:35.36ID:oDNrzAia
>>426
あの時代の上杉家って謙信教団なんだよね
行動原理が、謙信なら如何動くかになってるので教えに背けば景勝とて危ない

謙信なら、負けると分かってても化狸と勝負するよ

431人間七七四年2022/06/14(火) 09:16:41.10ID:u2Lwjz5S
謙信負けるとわかってる戦とかするか

432人間七七四年2022/06/14(火) 12:35:56.50ID:tK+lSFeN
神格化した謙信ならやる
宗教なんてそんなもん

実際の謙信ならわからん
いきなり単身上洛で家康と直談判もやりかねない

433人間七七四年2022/06/14(火) 12:53:17.96ID:r71dAud6
景勝は謙信が保護し自家の拠り所であったはずの上杉憲政をあっさり殺したり会津移封時に堀に嫌がらせしたり
関ヶ原後は一貫して徳川に服してるしで特段義に篤いわけでもなく当たり前にエゴある戦国大名の生き残りでしかない
三成との謀議も無かったし創作エンタメで書かれるような格好いいものじゃない

434人間七七四年2022/06/14(火) 13:20:07.88ID:0VBf9/HC
まぁ謙信って家康とは仲良かったしそのおかげで上杉も残った側面あるし…

三成の息子、重家は家康からかなり可愛がられてたらしく三成が謹慎くらった後も秀頼への出仕を認められてる。多分上杉征伐の時は石田家復興の時と感じてたろうに親父が…

435人間七七四年2022/06/14(火) 14:13:02.63ID:rgHFoti4
看羊録には「徳川家康が都合の悪い前田利長・上杉景勝の勢力を削る為に朝鮮再出兵を企図してる」っていう話が載ってる。この一報は朝鮮にも送られて和睦交渉が進むという家康の外交術らしいがもう一つ狙いがある。この時期、前田利長・上杉景勝には謀叛の疑いがあってその証拠に「前田・上杉は武器を貯蔵してる」って報告があった。だから家康は敢えて外征の噂を流して「外征に備えて軍備をしてました」という拳の振り下ろし処を作ったと見られてる。西笑承兌の書状にも「朝鮮への出兵を口実にして上洛して家康に面会しよう」ってあるから謙信だったらこれに乗ってたかもしれないね。

436人間七七四年2022/06/14(火) 18:37:14.03ID:poym1khz
秀吉が期待した通りに家康筆頭で豊臣が残らなかったのは何故だろう
家康はかなり秀吉に期待されてたしその実力もあったのにね

437人間七七四年2022/06/14(火) 18:50:38.48ID:Zvid5FMf
元々豊臣政権は秀吉がカリスマでまとめてただけで諸勢力が対立し続けてる。なのに秀吉死後に十人衆合議を取り入れてしまった。一見すると各勢力のバランスが取れるように見えて実は対立関係がそのまま政権上層部まで上がってきてしまう最悪の構造になってた。

438人間七七四年2022/06/14(火) 20:05:33.70ID:I5otci6Z
>>436
秀吉死後の動乱によって豊臣-徳川体制では
世が治らないのがはっきりしちゃったから

それで徳川も自身を中心の体制再構築に動き
朝廷(返り咲き狙った摂関家含む)も支持
諸大名も反対できない

439人間七七四年2022/06/14(火) 20:07:10.01ID:Ckfv+Jty
>>436
関ヶ原で奉行衆が消滅した結果、豊臣公儀が機能不全に陥り、
徳川家家臣団で天下を回すしかなくなった。
そのまま家康が天下人になった。

つまり、三成が挙兵しなければ、形式上の豊臣政権は続いたはず
(スレタイに戻した)

440人間七七四年2022/06/14(火) 20:11:28.22ID:rgHFoti4
まぁ三成が挙兵する前に輝元と三奉行がクーデターしてるから三成がどうしようがどのみた…

441人間七七四年2022/06/14(火) 21:27:34.98ID:FMWNfbCm
結局三成の挙兵は家康側に誘い込まれる形なんだよな
家康からすると諸大名を上杉征伐の名の下招集して戦争準備万端
東海道の豊臣恩顧も必然的にそっちに着く流れになるし逆に反対勢力が明確化されて一掃出来る
奉行側でのある程度の反抗を期待しての上杉征伐だったように見えなくもない

442人間七七四年2022/06/14(火) 21:39:29.92ID:tK+lSFeN
秀吉が死んですぐに宇喜多と島津が御家騒動
利家も死んで利長が家中を抑えられずに無断帰国
上杉は直前の転封も絡んで御家騒動で会津征伐を招く
毛利も輝元恵瓊が暴走を始めて関ケ原になった
豊臣家の名前だけでは抑えることが出来ず諸大名と朝廷に見限られた

443人間七七四年2022/06/14(火) 21:50:01.03ID:1p0VIzXD
あの時代割と意味不明なのが上杉景勝で秀吉に従っておきながら旧領に未練たらたらで火種を残す、十人衆合議を決めたのに秀吉の遺言を盾に帰国(この時点で合議制は破綻同然)、家康が何度も和平のチャンスを与えてるのに戦争強行、何か勝機があるのかと思えば全く無い(つまり輝元がクーデターをしなかったら詰んでた)
お前一体何がしたかったのかと。

444人間七七四年2022/06/14(火) 22:10:26.44ID:kQ1UfmMk
元々徳川を迎え撃つ手筈だった上杉があの時点で北面の最上に攻め込んで何の意味があったのか本当に分からん
家康が思わぬ転進を見せて気が引けたのか領地切り取りの好機と見たのか
大局を意識しての行動にはどうしても見えない

445人間七七四年2022/06/15(水) 04:57:18.47ID:5kNj+PsE
後方の安全確保とか

446人間七七四年2022/06/15(水) 05:53:22.84ID:V1K3x1zd
>>443
真面目に聞くが、確実に天下人になれる、天下の主導権を握れるという確信があるならともかく、
そうでない状況で自分を押さえつけて無理やりいう事を聞かせた挙句、
先祖伝来の土地まで取り上げられた存在をありがたがる必要性がどこにある?
あんなもの、かつての室町幕府のように無力化させて、都合のいい時だけ
形式上担ぎ上げるだけの古ぼけた神輿にした方が、余程都合がよかろう
毛利は大内の失敗をよく見ていただろうし、上杉だってあんなもの気にする義理はないだろ
英雄秀吉や強大な徳川幕府ならともかく、家康が上方でぐだぐだ遊んでくれるなら
戦国大名として目先の土地を切り取りに走るのなんか当然というか常識としか言えない
彼らからすれば、この期に及んで豊臣政権護持にこだわる家康の方が余程変だろう

447人間七七四年2022/06/15(水) 06:17:38.72ID:5kNj+PsE
>>446
勝算が全く無いのに、政権に喧嘩売った意味がわからないという話だと思うんだが
勝算があれば別

448人間七七四年2022/06/15(水) 08:24:14.25ID:tvY4FQj2
同じ目に遭った徳川も多分水面下では大変だったんだろうが一応問題無く移転しとるからね。豊臣政権に参加する者としては当然でむしろ景勝みたく旧態然とした姿勢で居る方が問題かと。その挙句討伐になった訳だし。

449人間七七四年2022/06/15(水) 09:46:11.23ID:RHuVI8Cr
北面に軍を振ったのは鎖の一番弱いところを突きたかったのかもしれん。てかそうしないと絶体絶命だしな上杉…ますますなんで豊臣に喧嘩売ったのかわからん

450人間七七四年2022/06/15(水) 12:52:30.18ID:BXAgIflG
単に転封に不満の家中が押さえられなくて
(あるいは大名としての野心もあって)
旧領にちょっかいかけるの止められず
糾弾されても引っ込みつかなくなってただけじゃない?

三成との友誼がどうこう直江状がどうこう
後世のフィクションに惑わされてるだけかと

451人間七七四年2022/06/15(水) 14:09:03.79ID:JV6BOUSa
何度かあげてるけど史料スレより再掲
六月十日付安田能元・甘槽景継・岩井信能・大石元網・本庄繁長宛上杉景勝書状

今度上洛不成樣子、第一家中無力、第二分領仕置之ため、秋中迄延引之趣、奉行衆へ令返答之處、重而逆心之讒言を以、是非上洛無之者、

向當郡可被及行之旨候、就之存分雖有之、元來無逆心筋目之条、 抛萬事可令上洛覺悟落着、倂読人糺明之一ケ條申入候處、

無是非只不相替上洛與計有之而、剩日限を以催促如此被押詰、上洛之儀者如何としても不成候、數通之起請文反古になり、

堅約も、好も、不入讒人之糺明も無之軆、時刻到來無二思詰候条、譜代・旧功牢人不依上下、右之趣、無拠分別仕候者は、

供之用意可申付侯、自然、無分別を以、理不尽之滅亡被述懐を存候者は、何者成共無相違可出暇候、然者、上方勢下候日限聞屆次第、

半途へ可打出候、諸口之儀に候条、領分端々被押破、 地下等心替可仕義必然候、其時節、或在所を無心元存知、

或妻子を難捨心中候者、當座之不覺末代之名をくたすへく候条、兼而肉を切而、可存是候、内々無疑心仕置無二奉公存詰者之糺明直に申出候者、

人により遠慮可有之候条、各以分別急度可被相究者也、

六月十日        景勝

安田上総介殿

甘槽豐後守殿

岩井備中守殿

大石播磨守殿

本庄越前守殿


要約すると上杉としては特段過失や非があるわけではない。
告げ口をした相手側(堀ら)にも取り調べをしてもらえるなら上洛する(条件付き上洛)と
言っているのに、奉行衆は時限を切ってただ上洛せよさもなくば討伐されると言うばかり。
熟慮したが(理不尽な要求を呑むより筋を通すことにした)迎え撃つことにした。
理不尽な滅亡、死にたくない者は帰っていい。

まぁ面子というか筋というか武士の体裁というか、死んでも(討伐されても)いいから
名誉を重んじた結果、ってわたしはかんじる。

この時点だと景勝は子供(定勝)生まれていないようなので(能登畠山の養子はいる?)
この決断は討伐されてほんとに上杉滅亡しかねないと思う。
それほど景勝は名誉を重視したということなのかな?、

452人間七七四年2022/06/15(水) 14:51:31.35ID:4VJvZaLw
なら降伏しないで滅亡するまで戦えという話や

453人間七七四年2022/06/15(水) 16:49:24.24ID:ydgDnoBp
建前にしか見えん

454人間七七四年2022/06/15(水) 17:14:44.87ID:ONRJPNXQ
あとwikiの上杉景勝の項に、天正10年5月に上杉景勝が佐竹義重に送った書状に
「自分は良い時代に生まれた。六十余州を相手に越後一国をもって戦いを挑んで対峙し、
滅亡することは、死後の思い出である」とあると書かれている。
書状全体を確認できないから詳細がわからんけど、
景勝って滅びの美学みたいなのに酔っちゃうタイプだったのかなと。

455人間七七四年2022/06/15(水) 17:20:35.97ID:3GV90QFr
伊達政宗も畳の上で死にたくないとか、武士なら戦場で死にたいとか遺してる
ヤーさんと同じで舐められたらおしまい、簡単には頭下げんという精神は間違いなくある

456人間七七四年2022/06/15(水) 19:10:32.66ID:lVf2olM6
猿に土下座してる時点で、武家の面目も何もないんだよなぁ

457人間七七四年2022/06/15(水) 19:44:07.87ID:JBnnkblu
猿に土下座するのを嫌ったのが北条
朝廷の権威と大義を悟って猿に土下座したのが伊達というところか

458人間七七四年2022/06/15(水) 20:13:01.39ID:RHuVI8Cr
滅びの美学でかぶいたなら最期までかぶき通して欲しかった…
もしかしたら「家康が強いのは秀頼を抱えてるから。つまり家康自身はそれ程強くない」って思ってたら家康単体で毛利・宇喜多を粉砕する力量があると知って怖くなったのかもしれない。

459人間七七四年2022/06/15(水) 20:43:30.73ID:EFs30Vne
面子があって頭下げられないなら
勝てないまでも有利な講和条件狙っての抗戦以外に道はなく
士気に関わるから弱腰な態度はとれない
通説のような西軍首脳陣との連携はないとしても
相手方の親上杉的な勢力が(講和に向けて)働きかけてくれることは計算に入れていたはず
それが軒並み壊滅した以上じたばたあがいても傷が深くなるだけだからな

460人間七七四年2022/06/15(水) 20:51:12.17ID:RHuVI8Cr
西笑承兌書状で「家康は話が分かる男。謝れば許してくれる。上洛して話をせよ。朝鮮再出兵を口実に使えば良い。兎に角上洛するんだ」って書いてあるのを完全に投げた訳でよっぽど謝りたくなかったんだろう。前田は話し合って解決してるのに…

まぁ家康暗殺計画「疑惑」だった利長と違って景勝は完全にクロだったから逃げられないと思ってたのかもしれないけど。

461人間七七四年2022/06/15(水) 21:28:20.64ID:EFs30Vne
前田は家康との間を取り持ってくれる重臣がいたけど
上杉は取次役に内通の疑い掛けて出奔されちゃってるから
これで今更家康に頭を下げるならそもそもなんで家康と対立したのって
景勝主従の責任問題になるから面子にこだわるのも仕方がないというか
対内的な問題と対外的な問題の解決策が矛盾してて
動くに動けないってのは現代でもままある話だからねえ
関ヶ原の敗報を受けて勝ち目がなくなってやっと頭が下げることができるようになったというか

462人間七七四年2022/06/16(木) 08:43:41.41ID:o/YBtvfI
景勝個人の滅びの美学とかじゃなく
GHC当時の武家として現実的な処世術
って側面あると思うよ

疑いが心外だから一戦してやるってのは
私婚問題で吊し上げられた時の家康も言ってる
釈明しに行ってまんまと失脚した秀次みたいのもいる

463人間七七四年2022/06/16(木) 12:46:07.91ID:ExWBn/yX
一戦するとまで言ってたっけ?真実を確かめようとは言ってたけど(上杉の記録によれば)

464人間七七四年2022/06/16(木) 20:10:29.39ID:0gj/q6C7
本能寺前夜も関ヶ原前夜も
威勢のいいこと言ってるけども
その後の動きとはあってないのよね

むしろ180度方針転換して生き残ってるんで
義の武人とかじゃなく機を見るに敏な
政治家だと思うけどね

465人間七七四年2022/06/16(木) 20:38:47.15ID:w55Y47Yc
岐阜城を防衛するべく送り出した軍勢が裏切ってたりするし勝てねぇぜ絶対

466人間七七四年2022/06/16(木) 21:49:43.97ID:2ooPDGOQ
上杉家は徳川との取次役に出奔されて、
豊臣公儀との取次役だった三成も失脚して、
政治的に動きようが無かったし。
無策で上京すれば、そのまま処刑されて
とり潰されかねない

467人間七七四年2022/06/16(木) 21:52:25.28ID:w55Y47Yc
西笑承兌がわざわざ具体的な交渉口を示してるのになぁ。全く何を考えていたんだろう…

468人間七七四年2022/06/16(木) 22:04:10.38ID:o/YBtvfI
まあ無実の謀反でも釈明に行ったら
高野山追放→切腹させられる政権だからな

命令無視して年貢取り立てて行ったのも
旧臣残して行ったのも単なる事実だし
そりゃ素直に上洛するのは怖い

469人間七七四年2022/06/16(木) 22:26:25.91ID:s3BHDyMl
そうなると身から出た錆だ
特に落とし所を探そうということも考えてない

470人間七七四年2022/06/17(金) 00:37:50.86ID:itxXvYsd
石田三成と上杉景勝の共謀は最近否定されてるけど、史料がないだけで実際は共謀してたんじゃね?
いくら景勝や三成が馬鹿でもそこまでの馬鹿とは思いたくない

471人間七七四年2022/06/17(金) 00:48:30.95ID:uPt4b7KJ
>>470
共謀した人間が本国への通信ルートも押さえてないとはなんと杜撰な
真田に頼んでる文書あるでしょ

472人間七七四年2022/06/17(金) 01:49:04.14ID:TfZJUUsE
その慶長5年8月10日付真田昌幸・真田信繁宛石田三成書状より抜粋

一、菟角早々會津へ使者を被立、公儀無御如在、拙者と被仰談候由、可被迎合候、
  不及申候へ共、國ならひにて物のそかどを申方?候間、
  如此御入魂上は、少々出入りはいらぬ事候間、
  物やわらかに、彼方気に入候樣に被仰越、御入眼此時候事

>國ならひにて物のそかどを申方?候間、

ここね、「物のそかど」は原文ママとある。
訳が難しいんだけど、学者・研究者は「変わり者とか気難しいひと」あたりで訳してる印象。
言うまでもないがと言ってる以上、景勝がそのような人物であるというのは
知れ渡ったいたと思われる。
ただ肝心の訳が難しくてどのような人物だったのかがわからんけど、
普通ではないのは確かだと思われる。
前田利益が心酔してるんなら傾奇者とかかもしれないw

だれかこの訳わかります?

473人間七七四年2022/06/17(金) 10:40:41.86ID:S1o8HCx/
追記、?は「ニ」カ?となってる。
申方ニ候間、

474人間七七四年2022/06/17(金) 12:42:07.13ID:snaHz2n4
てか連絡に苦労してる状態では
共謀どこじゃないべな

景勝が難しい人ってのはあるのかもだけど
家として判断ができない訳ではないし
普通に頭下げるタイミング探してたんじゃないの?

475人間七七四年2022/06/17(金) 14:06:05.39ID:cdCN8gZ4
三成の動きが謎過ぎるもんね。事前共謀してたにしては内府違いの条々はおろか輝元への上洛要請文にすら署名が無いし。

476人間七七四年2022/06/17(金) 20:54:09.54ID:dQI2YKZz
ちょっと前に出てたけどその辺は
政権としての公式の動きとするために
既に奉行じゃない三成が外れてるだけだね

三成の動きは逆に巻き込まれただけとすると
他の奉行と比べて確認できる西軍としての活動は
せいぜい3日程度遅いだけでほぼ同時に動いてて
むしろかなり積極的なのでおかしくはない

ただ三成-上杉の共謀があった場合おかしいのは
弾劾を呼びかける動きが毛利宇喜多と比べ
上杉側が歩調を合わせてる様子がない

477人間七七四年2022/06/17(金) 21:42:15.33ID:Rdup6mSy
言うほど政権として振る舞った結果かな?
内府違いの条々は全国の諸大名に宛てたものじゃなくて九州地方に向けて出されてるものだから理論的正当性は二の次に作られてる。しかも三成は結局奉行に復帰してる事を考えるとここで除名してる理由としては薄い(特に条々で家康の悪事の一つとして取り上げてるのが三成への扱いなんだし)輝元への大坂上洛要請文に至っては公的な要素は無い訳で三成が一枚噛んでるなら省く必要性がこれまた薄い…

478人間七七四年2022/06/17(金) 21:50:54.49ID:q0Tq4TQ3
>>472
「重箱の隅」くらいに考えてる
それも踏まえてめちゃくちゃ意訳すると「景勝はごちゃごちゃうるさい人(だけど筋さえ通せば納得するから)」

あくまで勝手な推測です
「す」はあまり意味のない言葉で「物の角」と捉えて

479人間七七四年2022/06/17(金) 22:01:54.12ID:JwGcmWXZ
>>477
三成が噛んでないとすると奉行側の首謀者は誰なんかというのがなぁ
増田長盛の行動は消極的で中途半端だし

480人間七七四年2022/06/18(土) 00:28:08.33ID:umHhifwD
>>478
なるほど、「物の素角」ってあたりですか、
現代で言う「角が立つ」の角のことかな、

481人間七七四年2022/06/18(土) 00:39:49.36ID:umHhifwD
角が立つような物言いをするひと、とか?

482人間七七四年2022/06/18(土) 01:02:52.43ID:umHhifwD
國ならひにて、国並びにて、同格同士でも、前田・毛利相手でも、
前田・毛利相手でも角が立つような物言いをするひと、
どうだろ?

483人間七七四年2022/06/18(土) 02:00:10.70ID:QdspqZ/U
「すみ」と「かど」は同義だから、物の隅っこまでもの申す人、ってところじゃないか
小姑みたいに口うるさいのではなく、礼法や仁義、筋道、自分の考える正義にとことんこだわるという意味で

あの文書からは「景勝は物事の筋に頑固だが、筋さえ通せば力になってくれる」というニュアンスを感じる
それを三成が語ってるのも滑稽ではあるが

いずれにせよ、事前に共謀していたとは解せないね

484人間七七四年2022/06/18(土) 02:08:57.89ID:QdspqZ/U
たとえば家臣宛の>>451書状でもすごい面倒くさい
伝統的に家臣団統制に苦しんだ影響もあるんだろうが

485人間七七四年2022/06/18(土) 10:07:08.41ID:OEwuDOxm
>>476
地味に奇妙なのは内府違いの条々が三奉行連名で出てることよな。公儀として正式に発布したなら豊臣秀頼の署名が要るけどこれが無い。なら十人衆として発布する事になるけど三奉行の名前しか無い。最低でも輝元の署名が要るし石田三成・宇喜多秀家と連署すれば十人衆から六人が集まる事になってこっちの方が正当性を感じさせられる。まぁそれが出来なかったから西軍は条々を全国に発布しなかったんだが…
じゃあ何考えてたの?っていうとかなり奇怪。

486人間七七四年2022/06/18(土) 12:49:36.85ID:O90qU5sE
>>479
七月十二日に宍戸ら毛利三家臣が榊原を通して家康に「恵瓊が会津征伐に参加するということで我らも参陣するべく近江まで来たところ三成と吉継が大坂に向かうところを見た。恵瓊から「これは輝元が呼び戻したもの」と聞いて困惑している」という報告がされてる。
何故恵瓊は先に「三成と吉継が大坂に来る」事を言わなかったのかと言えばこの時点では三成が西軍に与するか分からなかったからじゃないか。

487人間七七四年2022/06/18(土) 18:53:35.61ID:XCFgxsVt
誰が西軍の黒幕かといえば毛利輝元じゃなかろうか。こいつ実は秀吉の死直後から暗躍してる。かなり巧妙に自分が黒幕だと分からない様にしてるけど。では何故クーデターに全力を尽くさなかったかという疑問が生まれるけど勝っても負けても生き残れるように保険を掛けていたと解することもできる。

488人間七七四年2022/06/18(土) 18:54:32.65ID:3NAaATDC
>>477
政権として云々は三成の奉行復職じゃなく
三成が内府違いに名を連ねてないことね
三成は巻き込まれただけと言いたいようだけど
だとしたらほんの数日前に知らされた決起に
ノリノリのちょっとやばいヤツになるな

489人間七七四年2022/06/18(土) 18:56:23.39ID:3NAaATDC
西軍が豊臣公儀として動いてないと言う主張なら
それはかなり不思議な主張なのでもう少し詳しく頼むわ

490人間七七四年2022/06/18(土) 19:33:25.24ID:a16ZH4Lj
勘違いされがちだけど内府違いの条々は公的な書類じゃない。小説で「内府違いの条々が送られてきて読んで激怒する徳川家康」なんて描かれる事が多いけど内府違いの条々は九州地方の限られた者達を対象に送ってる。当然「東軍の豊臣恩顧大名に呼び掛ける」モノでは全く無い。とどのつまり内府違いの条々とは発布者すら認める歴とした「怪文書」であってそこでは公儀の法則だの規則だのは無視されてる。三成の名前が無いのはそうした規則とは違った理由がある事になる。

491人間七七四年2022/06/18(土) 19:35:31.87ID:kOTJx4Eb
>>486
単に宍戸らが謀議の枢要からハブられていたかもしくはしらばっくれているだけなんじゃ?

492人間七七四年2022/06/18(土) 19:38:54.61ID:Vd+D2YHB
いや豊臣家の奉行(年寄)が連署してんだから
彼らが公式に発した書類だよ

それを「怪文書にすぎない」と見るか
「公式なもの」と考えるかは
政治的立場の違いによってくるが
発した側の理屈としては「怪文書ではない」
「奉行連署による文書」であることに意味がある
そこに意味がないなら署名しないよ

493人間七七四年2022/06/18(土) 19:49:46.32ID:a16ZH4Lj
内府違いの条々で気になるのは三成もだが「何故毛利輝元の署名が無いのか」ということ。九州の大名が知っていたかという問題はさておき建前上十人衆で合議する仕組みが豊臣公儀だった。奉行三人が出した内府違いの条々はこのルールにすら違反しつまり西軍は謀反軍ですよと公言してるに等しい。最低でも毛利輝元の署名が必要だし宇喜多秀家や石田三成の署名で十人衆の過半数が賛成してる事を演出しないといけない。西軍はそれをしなかった。狙いが非常に小さなものだったからだろうが。

494人間七七四年2022/06/18(土) 20:09:44.74ID:jBXH4qTZ
>>491
それが真実だとしたら安国寺恵瓊の戦略能力が問題視されることになるね。宍戸らは近江まで進軍した挙句そこから徳川に弁明状を出してる。これらは予め輝元の本意を伝えて家中統制していれば防げたこと。無駄な進軍までしてしまった訳で参謀としての資質に疑問符が付く。

495人間七七四年2022/06/18(土) 20:27:06.93ID:0qQlBEZw
合議を前提にするから不思議なだけで
元々合議を規定する文書もなけりゃ
合議で決定した案件もない

奉行というのも後世の用語であって
彼ら自身は自分達を豊臣の年寄(重臣)
俗に大老と呼ばれる者たちを奉行と呼んでる

つまり元々成立してない合議違反など
初めから弾劾していない
内府違いにも奉行5人の連署が必要なのに
一人で署名したとだけ書かれているにすぎない

496人間七七四年2022/06/18(土) 20:36:50.22ID:/rjoq6wk
内府ちかひの条々が九州大名限定に宛てられたものっては違うな

真田家文書の7月17日付三奉行連署状には「内府公御違之条々別帋ニ相見候」とある
真田家にちかひの条々の原本は現存してないけど、この連署状と共にちかひの条々も届いてる

497人間七七四年2022/06/18(土) 21:03:25.22ID:jBXH4qTZ
合議を規定してる誓紙自体はあるんだよなぁ…
内府違いの条々はツッコミどころ満載で現代ではかなり批判的な評価をされてる。問題はそれを西軍が理解していたかどうかでおそらく理解してた。理解してなかったらそれこそ諸将に送付してたろう。ところが中央から遠く離れた九州に向けて出した。つまるところその程度の書類で後世の小説にあるようなもんじゃない。

498人間七七四年2022/06/18(土) 21:13:27.83ID:0qQlBEZw
>>497
それあなたの独自解釈で言ってるだけ

499人間七七四年2022/06/18(土) 21:51:06.25ID:ctj97tpg
内府違いの条々が小説にあるように全国の諸将に送られた訳じゃ無いってのは高橋陽介が証明していたな。
徳川家康は当初西軍を「三成と吉継が謀反した」程度と認識していた。それは七月二十七日榊原書状に「三成が謀反して淀君と三奉行から救援要請がきた」とあることやその前に奉行に宛てて「佐和山攻めの兵糧を用意して欲しい」と言ってるから。内府違いの条々を見れば三奉行が謀叛の中心なのが明らかなのだからこの時まで家康は内府違いの条々を受け取ってない。また東軍諸将も西軍からこうした書状が届いた事を隠す理由が無いのだから東軍諸将も受け取って無い。

500人間七七四年2022/06/18(土) 21:59:17.13ID:ctj97tpg
事情が変わったのは二十九日、ここで家康は「大坂奉行衆謀叛」と書いてる。この事から高橋陽介はこの日に家康は内府違いの条々を知ったとしてる。ただし、家康筆頭に東軍は内府違いの条々を戯言と断じた。それで東軍は内府違いの条々に一切の反論を行っていない。尤も東軍は最後まで内府違いの条々の存在を知らなかった可能性も否定は出来ない。三奉行が毛利と連んでる事が露見した可能性があるからね。どのみち内府違いの条々は西軍諸将も思っていた様に特段の効果を持たなかった。

501人間七七四年2022/06/18(土) 21:59:33.60ID:i276UV3X
誤訳と妄想の常習犯だから相手にしない方が良いよ

502人間七七四年2022/06/18(土) 22:25:06.11ID:kOTJx4Eb
>>494
現にそのあと一貫してグダグダだっからね毛利

503人間七七四年2022/06/18(土) 22:41:20.90ID:YBS8DX6R
毛利は恵瓊と広家の対立関係が結局致命的な西軍の敗因にまで繋がったな
三成が毛利家取次就任後も吉川家に気を配ってれば或いは防げてた事だったかも

504人間七七四年2022/06/18(土) 22:55:38.44ID:uPMIzDnn
信長や秀吉だって成り上がっている間に山ほど糾弾状を書かれたけど
それによって倒されたわけでも何でもない
むしろ仮に光秀が事前に糾弾状を書いてばらまいてくれていたら
信長としては逆にラッキーで助かったと言えるだろう

中央の歴史を知らない田舎大名ならいざ知らず
そうした歴史を知っている武将からしたら内府違いの条々なんて笑いの種でしかない
西軍がやっていることは過去30年間にわたって失敗に終わってきた敗者の戦略だった

505人間七七四年2022/06/18(土) 23:03:37.47ID:/Pvnbh8R
恵瓊ー三成と広家ー黒田のラインでの対立ってあんまり語られないよな
新取次と旧取次との間での派閥の違い
関ヶ原の明暗って所ではかなり重要な要素だと思うけど

506人間七七四年2022/06/18(土) 23:06:31.44ID:C8bIHWm0
>>504
明応の政変なんかは成功例じゃねえかな
まああれは権力者が将軍の座を挿げ替えただけだとも言えるけどさ
豊臣奉行衆では細川政元になれなかったな

507人間七七四年2022/06/19(日) 00:44:01.79ID:0QLp3V9C
白峰氏の論文より引用
【「内府ちかひの条々」について】
 7月17日に三奉行が「内府ちかひの条々」を出して豊臣公儀として反家康の動きが公然化した
のであるが、この日の状況として、御奉行衆(三奉行を指す)の大坂城籠城、毛利輝元の上洛を
記載していることは(DB…7月17日)、反家康で動いた豊臣公儀の中枢メンバーが大老の毛利輝元
と三奉行であったことを示している。
「内府ちかひの条々」に関する記載は、『義演准后日記』7月18日条に見られ、「内府ちかひの
条々」を当時家康がいた江戸へ遣わした(DB…7月18日)、という記載が注目される。通説では、
三奉行が反家康の動きに荷担していることを家康が知ったのは7月29日頃とされるが(5)、7月
17日に三奉行が「内府ちかひの条々」を出して江戸の家康に送付したとすれば数日中には江戸に
届くはずであり、それを家康が知らない(見なかった)ということはありえないので、上記の通説
の見解には再検討が必要であろう。『義演准后日記』7月19日条によれば、7月19日の時点で、
大名ではない義演ですら「内府ちかひの条々」を見ていることがわかるので(DB…7月 19日)、
弾劾された当事者である家康が7月29日頃まで「内府ちかひの条々」の存在を知らなかったとは
想定し難い。
 これまでの通説では、「内府ちかひの条々」は諸大名に対して出されたものであり、「内府ちかひ
の条々」が家康に対して送付されたという指摘はされてこなかったが、「内府ちかひの条々」に
よって弾劾された本人(家康)に対して送っていない、と想定すること自体が不自然であろう。
その意味で、上記の『義演准后日記』7月18日条の記載は重要である


『義演准后日記』7月19日条
家康へ奉行(衆)より(出した)十三ケ條(=「内府ちかひの条々」)
が流布し、(義演もそれを)一見した。

白峰氏見解
大名ではない義演が7月19日(「内府ちかひの条々」が出された
翌々日)の時点で「内府ちかひの条々」を見ている点に注意するこ
と。「内府ちかひの条々」の流布の速さなどの状況を考えるうえで
参考になる。

508人間七七四年2022/06/19(日) 01:14:45.18ID:mdADaA/W
>>506
そもそも石田や増田はそんな器ではない

509人間七七四年2022/06/19(日) 02:39:42.04ID:mdADaA/W
三成みたいな爆弾は早く豊臣家が自ら排除するべきだったな

510人間七七四年2022/06/19(日) 08:17:53.21ID:b65hyL2s
>>507
当時の実力者にとって脅威だったのは
光秀のように予告なしで襲撃してくる行為だった
わざわざ弾劾状を書いて送りつけてくれる相手はいくらでも準備・対応ができるので
信長や家康のような天下を目指す実力者にとっては面倒なだけで脅威ではなかった

内府ちかひの条々が家康に送付されたならば、それによって家康の勝利が確定したといっていい
信長と家康の最大の違いは、事前に相手が弾劾状をばらまいてくれたかどうかだった

511人間七七四年2022/06/19(日) 09:25:18.58ID:fsg1Cth6
実際の所、盗将大権現は挙兵は読んでたとは思うんだよね、明らかに隙つくる行動だし
でもさ、謀略の名人って相手にわざと動かせて巧妙なカウンターうまいからね

多分近畿の幾つかの城で籠城するだけって言う、松永弾正みたいな形を予想してたと
思います
幾ら大義名分を語っても、大阪城に入城して豊臣政府軍を名乗れなければ大した事は
出来ないと考えてたと思う

が、しかし奉行大老が同盟して大阪に陣取る形になりましたからね

想像以上に、内府違ひの条々は大きいとおもいますよ
これで東軍大名が家康に従う根拠が消えた

512人間七七四年2022/06/19(日) 09:43:13.70ID:9kD+uvME
>>507
7月21日付松井康之他宛細川忠興書状
「急度申候、石治部・輝元申談色立候由、上方ゟ内府へ追々御注進候、如此可有之とかねて申たる事ニ候、
其外残衆ことことく一味同心之由候、定而内府早速御上洛可在之候」

「内府ハ江戸を今日廿一御立候由候、我等ハ昨日うつの宮まて越在之事に候、さためてひつくり返し、上方へ御働たるへくと存候」

21日の時点で忠興は輝元が三成に同心してる注進が家康にも届いてることや、家康も早速上洛するであろうこと、
我々もきっと反転して上洛するであろうことを述べてる
ここまで忠興が知ってるのに、家康にはちかひの条々が届いてなくて知らなかったとするのは無理があるよな

513人間七七四年2022/06/19(日) 11:39:39.87ID:9kD+uvME
>>490
小野寺義道宛や秋田実季宛の7月17日付三奉行連署状があるから、ちかひの条々は九州大名にだけ出されたわけではない

514人間七七四年2022/06/19(日) 11:47:48.02ID:b65hyL2s
>>511
東軍大名が家康に従う根拠は力だろ
信長が将軍を追放して好き勝手やっても成り上がれたのは力があったから
まして幼児しかいない豊臣など力でどうとでもなる
はっきりいって室町幕府以下のお飾りに過ぎない

実力者にとって唯一の脅威は、隙を突いた予告なしの直接襲撃のみ
しかし内府違ひの条々によってそれもなくなった
後は力で馬鹿な連中をねじ伏せればいいだけ
過去30年間繰り返されてきたおなじみの行為でしかない

島津・立花・真田みたいな中央の歴史に疎い田舎大名は内府違ひの条々で騙されるかもしれないが
織豊古参武将にとっては内府違ひの条々など単なる負けフラグでしかない
だから織豊古参武将のほとんどは東軍を選択するわけ

515人間七七四年2022/06/19(日) 12:52:07.60ID:3v9dbUyB
内府違いの条々は欺瞞と自己撞着に満ちたモノで到底正当性を主張出来るものじゃない。当然公的な書類では全く無いんだがこれを出したのには理由がある。
というのも内府違いの条々は加藤清正・立花宗茂・筑紫広門・中川秀成等九州の諸領主に命令書と共に出されてる。これが高橋陽介が「九州にのみ」と言ってる理由の一つでもある。つまり西軍にとって重要なのは九州を西軍支配下に置く事であって内府違いの条々は言わば盗人の三分の理。そこまで重要視してるものでもない。

516人間七七四年2022/06/19(日) 12:53:44.15ID:aYFaraaX
白峰論文だと石田三成は七月十五日に奉行に復帰してる。何故内府違いの条々では署名していないのか?

517人間七七四年2022/06/19(日) 15:57:28.72ID:b65hyL2s
白峰が現実と三成の脳内願望の違いを理解できていないだけだろ

518人間七七四年2022/06/19(日) 17:18:59.87ID:lPYk/bfR
毛利は元々、天下に興味はなく、徳川を滅ぼす気もなく、
豊臣政権を混乱させている間に、九州・四国を切り取ろうとした
だけじゃないかな。
それで、四国や九州に送り込んだ手勢が壊滅して、本国も
危ないってなった時点で、戦争継続する気が無くなったんやろ。

519人間七七四年2022/06/19(日) 21:31:40.12ID:b65hyL2s
別に対織田の時も毛利本体が前面に出て戦うわけでもなく
危険なことは他に押し付けてせいぜいが後方支援をしていただけだしな
やばいと思ったら籠城して奮戦している連中を見捨てて裏で取引もしていたし
関ヶ原の時だけ特殊なことをしていたわけでもない

対織田の時は本能寺があったからたまたま生き延びただけであり
18年前に破綻した行為を延々と繰り返していただけ

520人間七七四年2022/06/19(日) 22:20:40.37ID:f9KQmHJe
内府違いの条々で三成の署名が無いのは三成が関わってないからでしょう。政権がどうこうとかは関係ないよ。
前政権の決定を継承する人間はそもそもクーデターなんかしないし。謀叛をすること自体が前政権の否定なんだから。

521人間七七四年2022/06/19(日) 22:30:20.04ID:Cp7FJkJj
内府違いの条々って決起の趣意書であるとともに
家康罷免したからこれからは我々が指示をだしますってお知らせでもあるわけでしょ
だとしたらこれをもって家康の政治判断の否定になるのだから
三成の復職はこれ以降ということになり署名がないこと自体は
形式的にはそこまでおかしくないのでは

522人間七七四年2022/06/20(月) 09:21:38.89ID:jQlT88lP
>>517
三成「よっしゃ挙兵じゃワシも奉行復帰したぞ」
三奉行「え?いやあの人隠居だし文書出すならうちらの名前だよな」

ってだけだよな
西軍が一丸という幻想に過ぎない

523人間七七四年2022/06/20(月) 10:03:02.84ID:8QIewC4Z
城中で政権周りの仕事を担当してた3奉行と
城外で挙兵進めてた三成って違いもあるだろね

元々奉行全員連署でないとダメという運用でもないし
政権の枠組みをイチイチ確認しながら進めた
って状況でもない訳で
そこに大きな意味を見出す意味は薄いのでは?

524人間七七四年2022/06/20(月) 10:50:36.50ID:NqFHIvEb
三成がいつから西軍決起に参加していたかというと一次史料上は七月十五日以降で本格的に参加し出したのは八月一日から。つまり「石田三成が挙兵した」かというと全く違っていてむしろこいつ巻き込まれただけという。

525人間七七四年2022/06/20(月) 11:18:03.94ID:u6lbwExW
>>524
史料に残ってないだけで、それより前から参加か
それに近いことはしてたんじゃないのかな

526人間七七四年2022/06/20(月) 11:54:38.25ID:u6lbwExW
>>524
一次史料は重要だけど、これだけ隠蔽を必要にすることだから、
やはり1600年初頭には既に何らかの計画はしてたんじゃないかと思う
じゃないといきなり「俺も加えてや!」なんて言ってきて仲間にすると思う?

527人間七七四年2022/06/20(月) 13:33:10.28ID:mV1izTLv
三成ら浅野以外の奉行と毛利は秀吉が死んだ直後からつるんでるしな
そこから関ヶ原まで没交渉だったとは考えにくい

秀吉の誤算はただの手足、道具に過ぎないと思ってた奉行が
浅野以外は自分の次代構想にガチで反発して独自に政治的暗躍を始めるような連中だったということか
成り上がりの独裁者にありがちな失敗だな

528人間七七四年2022/06/20(月) 15:07:53.19ID:8f0/P9Nz
秀吉生前から対立はあっただろう
奉行と奉行に便宜を図ってもらってた毛利上杉などの外様衆と秀長秀次秀保や義弟になった家康などの豊臣一門衆とで

秀長が死んだ途端利休が粛清され、秀次が処分され、秀保が変死。一門が持ってた畿内とその周辺の要地は石田前田増田などの奉行衆のものになった

529人間七七四年2022/06/20(月) 19:39:38.49ID:8QIewC4Z
>>524
それいうと西軍の成立自体が文書で確認できるのが
せいぜい7月12日の三奉行から輝元への入城要請でしょ
たった3日の差でしかも初の対家康行動である
17日の内府違い条々より早く参加が確認できる

それを「巻き込まれただけ」てのはどうなん?
普通に初期から関わってると十分言えるでしょ

530人間七七四年2022/06/20(月) 20:07:02.43ID:lQMP5vKe
三成が最初から参加してたら上杉景勝とも連携してなきゃおかしいからな。三成は後から参加したからこそ有効な動きが全く出来なかった。

531人間七七四年2022/06/20(月) 20:23:25.19ID:AvSyrtx4
結局一次資料のみで構成された歴史もまた穴だらけで歪なものになるという証明でしかない
当時の三成の立場で堂々とそんな文書のやり取りをするのか
普通に考えて周囲に露見しないよう密儀の上で事を進めただろうが
或いは西軍側の文書の多くが散逸してる事も勘案されるべき

532人間七七四年2022/06/20(月) 20:35:31.88ID:jQlT88lP
>>530
三成は失脚後上杉とろくに連絡取ってないだけで
密儀に関わっていたかは関係なかろ

あとその「最初」っていつの誰の行動のこと?
西軍の最初の行動である17日の毛利大阪入城の
段階では既に確認できるわけだけど

533人間七七四年2022/06/20(月) 21:39:07.06ID:ZxdfGN2k
>>522
三奉行「家康は石田三成と浅野長政を逼塞させた!秀吉の遺言違反と十人衆誓紙にも反してる!だから我々は立ち上がった!」
三奉行「あっ、三成をクビにしたのは家康さまだから奉行には復帰させないね」
って話になると三奉行とんでもないサイコ野郎になるじゃん。三成が西軍に参加した時点で奉行職に復帰したっていう白峰説はこうした話だろうし。単純に考えるなら三成が内府違いの条々作成時から発布時まで居なかったって話になるけどそれは三成が全く謀反に関わってないことになるし。

534人間七七四年2022/06/20(月) 22:25:39.14ID:cOzOFir9
少なくとも奉行の一人の前田玄以は最初からやる気がなさそう

535人間七七四年2022/06/21(火) 00:31:48.80ID:+5NXiDnc
3奉行は結構最初から二股狙ってた節があったり
乾坤一擲の勝負なのに入れ込んでなかったり
輝元呼び込んだり弾劾状巻いてる割に
不思議な動きしてるんよね

輝元が領土と政権での地位向上に
色気出してんのは間違いなくて
一方の首謀者なのは確か

でも輝元が望めば大阪入城可能かと言うと
そんな単純でもなくやる気の怪しい3奉行と
色気ありありな輝元がどう結びついたのかとなる

536人間七七四年2022/06/21(火) 09:11:47.87ID:tIRHm0zS
西軍決起は景勝と連携したものじゃない(そうした史料がない)となると三成が首謀したとは言えない。徳川家康が出撃したからクーデター出来るのだから景勝に頑張ってもらう必要がある。後世の創作だと家康が戦争をしたくてしたくてたまらない奸臣として描かれているけど史料での家康は基本的に和睦重視の温厚な人物。西笑承兌の書状でも「上洛して内府と話せば全て解決する」ってあるくらいだからそうした見方が一般的だったんだろう。景勝が降りたらどうするつもりだったのか。景勝に「必ず助けるから戦争してくれ」とも言わないってのは景勝と三成の友情を信じ過ぎてる気がする。

537人間七七四年2022/06/21(火) 10:51:08.29ID:9SsK8Mxw
いや家康は軍事的な権限を握りたくて仕方なかっただろうよ
それを明確に掌握出来たのが加賀征伐であり上杉征伐
家康が諸大名征伐の動きを見せてるのには政権の軍事力を自分の手中に収めるという歴とした目的がある

538人間七七四年2022/06/21(火) 12:48:13.92ID:cZuqq2ms
しかもその後の論功行賞では豊臣の物を従軍した大名にばらまいて恩を売れるという一石二鳥のボーナスタイムだからな

539人間七七四年2022/06/21(火) 12:59:07.96ID:PF49MORo
俺が1ヶ月前に初めて話題振った時はもう2ヶ月近く誰もレスしてなかったのに
人の居るスレにはどこから湧いてきたんだ?ってくらい書き込みが集中するよな
スレタイの趣旨に合うなら問題ないけど家康マンセーしたいだけの人はあまたある家康スレでやればいいのに

関ヶ原を起こしたのは三成、家康は何も悪くない
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1651981216/
とか

540人間七七四年2022/06/21(火) 13:07:54.97ID:AZcIMKlC
>>539
失せろ

541人間七七四年2022/06/21(火) 13:28:16.02ID:rNlh7Ub5
よく言われてるけど加賀征伐は別に家康が「勝った」訳じゃない。家康と利長が話し合って解決させたものでとても平和的に解決してる。

542人間七七四年2022/06/21(火) 13:43:28.85ID:vvb+Qxdy
>>536
西軍の首謀者は宇喜田秀家

543人間七七四年2022/06/21(火) 14:18:16.42ID:xA/aonHe
加賀征伐での家康は硬軟使い分けての高等な交渉術を展開してる。結果前田利長は家康と「和解」した訳で降伏した訳でも屈服した訳でもない。利長は特段野心的行動をしてないから腹を割って話し合えば良いだけだった。
問題は上杉景勝でこっちはモロに野心的行動に出てる。旧領への調略、城砦の整備、軍事品の備蓄と弩ブラックだった。言い訳出来ない。それで戦争するしかなかった。この流れには石田三成が関わってる描写が全く無いので三成にとっても青天の霹靂だったのかもしれない(加賀征伐の際三成は家康に利長の行動を報告、対利長の押さえとして命令を受けてる)

544人間七七四年2022/06/21(火) 14:50:11.25ID:yBF3GS6h
人質送ってんだから降伏だろ、なに和解とか言ってんだ。

545人間七七四年2022/06/21(火) 16:17:47.39ID:rNlh7Ub5
前田利長が人質を送ったのは加賀征伐と関係ない定期

546人間七七四年2022/06/21(火) 17:52:00.74ID:93mG+9Iv
そもそも加賀征伐は計画自体なかった説は大西泰正が提唱してるな
家康との政治的対立を解消し、関係修復のための人質だと指摘してる

547人間七七四年2022/06/21(火) 18:23:03.59ID:BU/RzX/B
そもそも芳春院はどこに居たのか?っていうと前田家の記録では上方に居たことになってる。利長が帰国する時には大坂に居たらしい(象賢紀略)
その後家康暗殺事件が露見、利長に謀叛の疑いときて加賀征伐が取り沙汰されるけど家康も利長も表向き「やるぞ、やるぞ」としながら裏では交渉を重ねていた。その結果慶長五年の一月あたりに「沙汰止み」になった(慶長日記)これに対して利長が代償としたのは中納言辞任しか見当たらない。つまり利長は官職を返上する事で野心の無いことを証して家康はそれを受け入れて征伐を中止した、と言う事になる。

548人間七七四年2022/06/21(火) 18:28:18.68ID:BU/RzX/B
で「芳春院が家康への人質」ってのはどっから来てるかと言うと芳春院は慶長五年の五月に江戸に向かっている。同年二月までに加賀征伐は立ち消えしてるからこれは加賀征伐中止の人質じゃない。これは翌月に控えてる上杉征伐に対する人質。実は利長と景勝は親交があったらしく徳川に属する事を証する必要があった(これによって芳春院は西軍の魔の手から脱した)
つまり「芳春院は加賀征伐での人質」って話は小説家がこの一連の歴史から時系列を塗り潰して前と後をくっ付けて作ったもんらしい。

549人間七七四年2022/06/21(火) 19:15:17.21ID:HIrGzyVj
結局利長謀反の嫌疑に起因する出来事にしか見えないが、芳春院が上杉征伐の人質って言える根拠は何かそれより明確なものがあってのことなの?

550人間七七四年2022/06/21(火) 19:35:15.44ID:BU/RzX/B
二月までに「沙汰止み」になってるのに五月になって人質だって言うのは無理があるからね。例えば石田三成は沙汰が出る直前にに嫡男重家を家康に人質として出してる(閏三月九日付福島正則・蜂須賀家政・浅野長政宛徳川家康書状)
利長がこの件で家康に起請文や誓紙を出したって話も無いので加賀征伐はトップ会談のみで回避されたことになる。

551人間七七四年2022/06/21(火) 19:48:13.66ID:wNtwVcoN
だから何だとしか言いようのない流れで草

552人間七七四年2022/06/21(火) 20:13:05.54ID:Zd4qU5aW
西笑承兌書状でも「前田利長が異議を唱えたが家康公は道理に基づいて静謐に収めました(だから景勝も上洛して釈明しましょう)」って言ってるからね。二月に沙汰止みになった加賀征伐だから四月には完全に霧消してる。対して五月にはもう半ば会津征伐は確定事項になりつつあった(承兌が書状を送ったのが四月一日、四月二十七日には六月下旬までに事態が好転しないなら家康が直々に遠征すると触れが出てる)謀叛の疑いを掛けられた利長が五月まで人質を延期させる理由も史料も見当たらないから芳春院の江戸下向は上杉討伐が理由なんだろう。

553人間七七四年2022/06/21(火) 20:20:10.87ID:DE+MjWfL
義演准后日記5月20日条
伝聞、東国・北国悉和談候、珍重


慶長5年5月13日付堀尾忠氏宛前田玄以・増田長盛・長束正家連署状
羽柴肥前守殿御袋、江戸へ御下ニ付而、浜松ニ一夜御泊之賄方ニ、
八木五石、大豆壱石之分、
奥村伊与守・村井豊後守両人ニ可被相渡候、恐々謹言、
五月十三日
長大    増右    徳善
 正家    長盛     玄以



芳春院(まつ)が伏見を発ったのは慶長5年5月17日とされ、江戸に着いたのは6月6日とされる。
義演准后日記5月20日条からは前田と徳川の和睦は慶長5年5月にまとまったみていいと思われる。

554人間七七四年2022/06/21(火) 20:38:00.93ID:S3EIxXMm
「家康は加賀征伐をゴリ押ししようとした」
「利長は母を人質に差し出して降伏した」
「家康は加賀征伐の成功を基に今度は上杉を屈服させようとした」
これらは一次史料に反していてまぁ要は江戸時代・明治時代に作られた逸話を小説家が真に受けただけよ。史料では家康は一貫して話し合いで解決しようとしてるし利長はそれを受けて和解してる。上洛もせずに解決させてみせたのは利長の外交能力が高かったのか取次が有能だったのか。それでも数ヶ月掛かった訳だけど(慶長五年二月に解決させたとはいえ)

555人間七七四年2022/06/21(火) 20:43:53.01ID:DE+MjWfL
島津忠恒宛義弘書状

尚以帖佐、山田、蒲生、吉田之人衆出水表へ可被召移之由、度々御談合申定候き、然處庄内堺へ御城取に付、

右四ヶ所之人數被召移之由相聞候、無心元存候、當時之地頭に内談いたし、移望申儀も可有之候、

倂庄内事は一節の儀に候、いつみの儀は肥筑表之一の城戸にて候間、彼表之儀手かたく御かくこ候はては、

貴所御爲に罷成ましく候、其御心得專一候、我等事は老軆にて候間、後年貴所御手前可然樣に可被仰付候、

はや肥筑表きざし候之由申來候、就夫もいつみ表之儀於不番は、庄内口の御行も急に難濟候之条、さて申入候、

以上、

態令啓達候、

一 今度於大坂 内府樣天下之御仕置被仰定候に就き、いかやうの子細候之哉、羽柴肥前守殿當時賀州へ在國候を、

  無上洛樣にと被仰下候、自然強而於上洛者越前表にて可被相留之由候て、刑少殿の養子大谷大学殿、

  石治少之内衆壱千餘、越前へ被下置候事、

一 加藤主事も無上洛樣にと被仰付候、其上に罷上におひては、淡路表にて可被相支之由候て、菅平右衞門尉殿、

  有馬中書兩人に被仰付彼表へ被指越候、如斯必定承付候間、爲心持申入候、乍不申諸人不承樣に、

  校量肝心候、其故は京都之出合、國元へ申通候と露顯候へは、爰元の仕合も難計候之事、

一 出水表之儀心遣候之条、 竜伯樣江被逐御熟談、彼境之番尓々可被仰付事に、賴入候之事、

一 加主事は連々氣任之仁候之間、無思慮弓箭をも被取出儀も可有之候之歟、左樣なる時、出水表於不番に者、

  油斷に可罷成候、殊佐敷表之儀も、小攝、相良なと被乘取軆に候ては、後年御爲如何敷候、

  又加主方より手色不見處に、從御方角佐敷表へ楚忽なる儀をも仕出候へは、一揆の手初に可罷成候間、

  いかにも丈夫なる仁を被召置、其仁壹人迄に内證被仰聞、油斷をも不仕、又楚忽なる儀をも

  不申出樣に能々被仰付、彼表之樣子被聞屆、賢慮賴入候事、

一 庄内表之儀いまた於無落去は、右之出合承付候はは、彌下城之御侘も六ヶ敷可申歟と存候、從有方の内證は、

  先此節は下城仕候樣に被仰調候はは、後日はいかやうにも御噯可有之と被思食候間、時分からと申、

  分別可入由被仰候、定而加主方よりは庄内へ山くぐりをも被指越、樣子可被申談と推量申候、
  
  能々才覺此時候、恐々謹言

      九月廿一日       惟新(花押)

      少將殿

556人間七七四年2022/06/21(火) 20:52:05.80ID:DE+MjWfL
一 今度於大坂 内府樣天下之御仕置被仰定候に就き、いかやうの子細候之哉、羽柴肥前守殿當時賀州へ在國候を、

  無上洛樣にと被仰下候、自然強而於上洛者越前表にて可被相留之由候て、刑少殿の養子大谷大学殿、

  石治少之内衆壱千餘、越前へ被下置候事、

一 加藤主事も無上洛樣にと被仰付候、其上に罷上におひては、淡路表にて可被相支之由候て、菅平右衞門尉殿、

  有馬中書兩人に被仰付彼表へ被指越候、如斯必定承付候間、爲心持申入候、乍不申諸人不承樣に、

  校量肝心候、其故は京都之出合、國元へ申通候と露顯候へは、爰元の仕合も難計候之事、


>菅平右衞門尉殿、有馬中書兩人に被仰付彼表へ被指越候

「兩人に被仰付」加藤清正が上洛しないように家康が命じてる。
全体では前田利長、加藤清正が上洛しないように命じてる。

557人間七七四年2022/06/21(火) 21:55:22.19ID:DE+MjWfL
10月6日付千世宛芳春院消息(慶長10~19年ヵ) 千世…利家七女、細川忠隆室、村井長次室

よくそ?たひ?人を給候、御うれしく候、
まこ四郎事、はしめハする?としたる御返事申され候て、
いま何かとの事候、せひもなく候、
そはにて人か、いかほと?せいをいれ候ても、ならぬ事候、かうきハすミ申候、
こんとも人の御物語候か、
大御所さまの御くちハ、大かたよく候よし申候へ共、かしく、
しにてのちの事まて申され候、
大かうさま日本のしゆにせいしをさせ、いかほとの事仰おき候へ共、
ミな?むになり申候に、おかしき事ともにて候、
これと申も我身かいんくわのほとを、なを?かんし申候、
くわいふんかめいわくに思ひまいらせ候、
ふつしんにもやう?はなされたるわか身と思ひまいらせ候、
九月よりのとけさし出申、むねもいたくてけんかんのくすりのミ申候事候、
すき?とよく候つるか、又さし出申候、
さりなから、物ハよくくい申候、御心やすく候へく候、めてたくかしく、

又申候、一日給候ひきやくに、と山のもくかたまて、
ひせんへやうの事候て、あけ申候文、事つて申候か、
もくハしかられ申候よしにて候、
御たつね候て、その文ひせんへとゝけて給候へく候、
とおき所ハあとさきとなりまいらせ候、たのミ申候、かしく、



孫四郎(前田利政)の赦免の件で、(徳川家康は)初めは滞りなく返答していたが
未だに実現していない。
わたしがどんなにがんばっても無理のようです。
公儀の決定は出てしまいました。
人づてに聞いたところ、家康様は口ではいいことを言うけど
(利政赦免は)実行してくれません。

「人づてに聞いたけど」と注釈を入れつつも、
家康は口ばっかりで実行してくれない、と愚痴というか家康批判をしている。

558人間七七四年2022/06/21(火) 22:04:04.67ID:Fn1aPEWa
>>536
景勝と連携してるかと
三成は首謀かどうかは
別にそこまで固定ではなかろ

西軍としては家康がいるうちには動けずp

559人間七七四年2022/06/21(火) 22:06:06.63ID:Fn1aPEWa
>>536
景勝と連携してるかと
三成は首謀かどうかが
リンクしてるというのは
論拠が薄いかな

560人間七七四年2022/06/21(火) 23:46:09.75ID:+cdN4Wb9
三成が首謀者だとしても西軍が勝てば実権を握るのは毛利なんだよね

561人間七七四年2022/06/22(水) 01:24:27.76ID:M/wbIXdo
宇喜田は?

562人間七七四年2022/06/22(水) 08:33:16.29ID:ZThaTpfB
>>559
現実では三成は西軍参加後に上杉との連絡を任されてる(七月十五日島津書状より)ただしこれは捗りが悪かったらしく同月三十日になってもまだ力添えを探している(真田宛三成書状)
三成が最初から西軍決起を企てていたらこんな動きになるか?ならんだろう。上杉との連絡を密にしていないとおかしい(上杉には対徳川としての役割もある)

563人間七七四年2022/06/22(水) 20:20:40.25ID:DOroDhU7
>>562
いやそうとは限らないぞ
講談のように三成と上杉が最初から
共謀して挙兵したというのは否定されるが
それだけだ

564人間七七四年2022/06/22(水) 20:30:01.24ID:o6ivFimK
三成と上杉の共謀はなかった
→三成は挙兵を企んでなかった

とはならんよ
企んでないのに他の西軍首脳と
ほぼ同時に動けてる理由も分からんし
島津や東軍側が最初期から三成も挙兵の中心と
認識してたこととも整合が合わなくなる

565人間七七四年2022/06/22(水) 20:34:11.19ID:NEyIvE7i
>>557
手元の兵力増強を促したり有名な書状類だが、総じて家康の真意を図りかねていたり、嵐の前触れをみなが感じていた様子が分かる

566人間七七四年2022/06/22(水) 22:41:36.02ID:6ibt0Ylv
>>564

>三成と上杉の共謀はなかった
>→三成は挙兵を企んでなかった
そもそもこれが成り立つなら他の西軍主要メンバーは誰も上杉と連絡取れてないんだから西軍の首謀者は存在しないという事になるしな

567人間七七四年2022/06/22(水) 23:18:54.12ID:owduKerD
三成が「巻き込まれただけ」だとすると
一体誰になのかとなるものね

三成の西軍参加が確認できるのが挙兵直前というが
三奉行や大谷刑部だって毛利だって別に
そんなに早くから文書上で確認できるわけじゃない

上杉との連携が不可欠なのに連絡取ってない
てのも西軍全員が共通なので特別三成について
後から参加したと断定する根拠にはならない

三成の場合毛利側の文書ではもっと古い段階で
家康を狙って毛利に大阪入りを促してきた
という文書はある訳でな

その後失脚があったとは言え無関係に
西軍が結成され巻き込まれたと見るよりも
その活動の延長線上に西軍結成があった
と考える方がずっと自然ではないかな

568人間七七四年2022/06/22(水) 23:20:25.00ID:Wpl1F+Cl
愛知川に関所設置して西国からの軍勢を引き返させたの三成の兄貴だから
最初期から活動してたと考える方が自然だよね
秀頼と家康が離れることを危ぶんだのが会津征伐の反対理由だし
何者かが秀頼担いで蜂起することへの懸念は早い段階から存在していて
奉行衆にその気があれば上杉に事前に連絡することは可能だと思うがそれはしていない
となると三成か輝元あたりがノリノリで行動した結果
三奉行は引きずりこまれたということになるのかな

569人間七七四年2022/06/23(木) 12:55:16.21ID:hTm69htH
三成は西軍が決起してから漸く上杉との連絡を試みてる。上杉との連携は西軍にとって重要戦略だからここまで後ろ回しにする必然性は何も無い。三成は七月時点まで挙兵するつもりが無かったなら分かるが。
じゃあ誰が首謀者か?っていうとそれは毛利輝元と三奉行だろう。例えば三成と吉継を呼んだのは輝元(吉川家文書)だし西軍の命令書を書いてるのは三奉行。こいつらが首謀者で三成はあくまで参加人の一人。最悪のババを引かされたせいで首謀者みたく言われてるが…

570人間七七四年2022/06/23(木) 15:52:50.00ID:icGcqBLB
輝元は前のめりで進めてるから輝元恵慶大谷主導で見切り発車での挙兵じゃないかな
石田は大谷から誘われた説はありうる
大谷は北陸、石田は東海筋で色々やってるから大谷と石田はガチっぽい
増田と玄以は石田大谷の謀反と最初は通報してるし、その後も玄以は仮病を使ってるぽいし
長束の本気度がよくわからない

571人間七七四年2022/06/23(木) 18:30:58.39ID:hTm69htH
七月十二日付毛利輝元宛三奉行書状が輝元の下に届いたのが十五日、即日で輝元は出発して大坂に十七日に到着してる。
輝元が何も知らなかったならこんなに手際良く動ける筈が無いからこいつ結構なピカロよ。最初からある程度計画が練られていて手筈が整ったら書状が来る事になってたんだろうさ。

572人間七七四年2022/06/23(木) 19:51:06.67ID:h9vxYaGA
>>569
重要戦略だとして後回しにしたのは
三成だけでなく西軍全体なのに何故それが
三成が首謀者から外れる理由になるの?

三成は首謀者じゃないと言いたいために
その結論ありきで考えすぎてるよ

573人間七七四年2022/06/23(木) 20:06:13.61ID:c5XGb8jj
新キャラ感

574人間七七四年2022/06/23(木) 20:24:29.75ID:hTm69htH
西軍が三成参加以前に上杉と交渉してた史料って何かあったっけ?知ってる限りだと七月十五日に島津が西軍参加した時に「三成が上杉の担当になった」連絡が初と聞いたが…
その後七月三十日に三成は真田昌幸に会津連絡への手助けを頼んでるから上手くいってない事が窺える。この不手際は三成が西軍決起以後(十五日以後)参加したからだと説明出来る。問題は三成が首謀者だとするとお前何してたの?って話になって詳しい解説が要る。何故事前に上杉との連絡路を作ってないのか?何故連絡しなかったのか?何故三奉行より動きが遅いのか?江戸時代以降の軍記物語にはそれっぽいのが書いてあるけど。

575人間七七四年2022/06/23(木) 21:59:12.99ID:h9vxYaGA
準備不足がおかしいといい出すなら
首謀者が三成でも他の誰かでも同じだよ

そもそも西軍挙兵自体が広く支持を得られない
無謀であった訳だしね
全体的に泥縄的に推移してる中で
上杉と三成の関係だけを特別視しすぎ

576人間七七四年2022/06/23(木) 23:36:02.15ID:lhkaUX5+
事の性質上家康が上方にいる間に察知されたら終わりだし
江戸に向かう途上で通報されて引き返してこられるのもまずい
結局家康が江戸についてから行動するしかなく
真田にすら事後通告で詫びてるくらいなんだから
そんな準備期間のある計画ではないということ

577人間七七四年2022/06/24(金) 03:31:10.92ID:uqmRdgSB
当時の西軍が挙兵前から会津の上杉と書状で連絡を取り交わすとか計画露見のリスクが高すぎるんじゃないか?
実際上杉との共謀は無いだろうけどやるにしても密儀や口伝の方が理にかなってるしその場合資料として後世には残らない

578人間七七四年2022/06/24(金) 08:12:05.55ID:MgGMt6O3
毛利-三成間で対家康の謀議をしてるのは
毛利側の文書にあるのよね
それは関ヶ原前年の三成失脚前と比定されてる

でもだからって上杉ともそこまでツーカー
って訳ではないだろう
三成と兼続が盟友みたいのは後世の創作のイメージ

579人間七七四年2022/06/24(金) 08:39:27.92ID:RLItcAH+
本能寺の明智でも事前に上杉やら義昭やらと連絡してたとか言ってる人がいるけどそんなことするメリットより露見するリスクの方がやべーんだよな

家康が畿内から離れた時に事を起こせば上杉も挟撃してくれるだろうという見込みがあればそれでいいわけで、リスクを冒して事前に協議する理由がないのよね

まあ上杉は本能寺でも関ヶ原でも期待を裏切ってるんだけどな

580人間七七四年2022/06/24(金) 10:05:06.55ID:kuO8A2uG
あと単純に失脚していた三成の指示にだれが従うのかという話でもある
結局毛利や三奉行による保証が必要なら
事前連絡なんかするだけリスクを高める行為でしかないもんなあ

581人間七七四年2022/06/24(金) 10:36:00.31ID:dqYQEx5e
西軍が上杉とコンタクト出来なかったのはその窓口が徳川派に占領されてたからなんだろう。だから元取次の石田三成が参加するまで連絡が出来なかった。元でも取次ならある程度以上連絡は出来るから三成が最初から家康に刃向かうつもりなら「景勝を上洛させる為に説得」という題目で景勝に使者を送れば良い(実際そうした動きは他家でもある)それどころか三成と西軍がコンタクトした史料は七月十二日まで出てこない訳で。

582人間七七四年2022/06/24(金) 13:58:19.05ID:Q5RuY7QF
三奉行がやたら暗躍してるけど対して三成って運動してる形跡が無いんだよなぁ。恵瓊が言ってる事は正しかったのかも知れない

583人間七七四年2022/06/24(金) 20:02:21.80ID:05PPfScB
>>579
既に三奉行や輝元と繋がってたならそれこそリスク高いんじゃないの?広いとは言え大坂に居る三奉行や輝元が連絡していてもそこまでリスクは無いが佐和山にいる三成が彼らと連絡していたら流石に怪しまれる。逆にそのリスクを呑むんだったら上杉と連絡するリスクだって呑めるだろう。元取次で「取次してた上杉が豊臣公儀と戦争しようとしてるのを止める」って名目で堂々と使者を送れる。西軍にとって上杉が徳川と戦争するか否かはかなり重要なんだからリスクを呑む価値はあったはず。

584人間七七四年2022/06/24(金) 20:27:42.96ID:r5kY7hO9
上杉は隣国の堀から訴えらたりで疑惑の渦中にあり家康とも一触即発の状況で天下の注目を集めてるので増田やら毛利と連絡するリスクとは比較にならんでしょ
というか上方から会津に人を派遣するには徳川や親徳川の領地を通過しなきゃ行けないんじゃなね

585人間七七四年2022/06/24(金) 20:38:58.98ID:eXYQghpF
>>581
いや三成自身がろくにコンタクト取れずに苦労してる
単に三成と上杉の特別な関係というのが
史料上フィクションのように確立してない
それを「三成が首謀者じゃなく後から巻き込まれた」
「だから西軍は上杉との連絡に苦労した」と
解釈するのはかなり無理矢理だぞ

586人間七七四年2022/06/24(金) 20:55:31.64ID:MgGMt6O3
>>584
というか連絡は別にそう難しくないだろうけど
奉行である以上その連絡は当然政権の一翼として
恭順を促すものでなくてはならない

家康気に入らないから一緒に戦おうなんて
万一漏れたらその時点でアウトでおいそれと
書けるはずないのよな

それが可能になるのは覚悟を決めて対家康の
挙兵を起こした後ってことになる

587人間七七四年2022/06/24(金) 21:45:18.39ID:05PPfScB
バレるとヤバいから、だとすると尚更三成首謀説は遠ざかるかなぁ。三成が首謀者だとすると佐和山と大坂の間を何度も使者が往復してたことになる。そうなれば徳川派諸将がいの一番に気付いて家康が知る事になる。気付かれてないって事は三成は大坂とコンタクトしてないか凄まじく巧妙な交通網があったことになる。そんな外交力があるなら上杉との連絡なんて楽勝だろうに…

588人間七七四年2022/06/24(金) 22:08:12.73ID:uqmRdgSB
豊臣蔵入地だらけの大阪佐和山間と徳川派で占められた東海道周辺を通過する会津では全然違うでしょ
街道が徳川側の手中にあり困難だったからこそ挙兵後も連絡網に支障をきたしてる

589人間七七四年2022/06/25(土) 06:12:14.27ID:dxO0cJTi
どんだけ三成首謀にしたくないんだよw

590人間七七四年2022/06/25(土) 07:32:14.69ID:w9bdqVvu
首謀者は複数いていいし途中参加で首謀者になることもありえる

591人間七七四年2022/06/25(土) 10:04:27.92ID:lZgGSVyR
徳川にバレたらマズいから連絡しなかった説は確かに一理あるんだがだとすると佐和山にいる三成が大坂と連絡するのは問題無いの?って話になってしまうのがね。実際三成が西軍に参加したのは輝元に呼ばれたから(吉川家文書)でそれまで大坂とすら連絡してた史料も残ってないときてるし。
上杉と連絡するのもそんなに難しい話じゃない。三成は元取次なんだから書状で「景勝と内府の仲が悪いと聞いて心配です。詳しくは使者が話します」とでも書いて送れば良いだけだし。それで使者が何を喋っても景勝が言わなければバレないからね。

592人間七七四年2022/06/25(土) 10:48:22.87ID:CoDX7YjA
そうやって使者に口上で伝えさせた場合後世には一次資料として残らないね
要するに実際どう言うやり取りが交わされてたとか現存する資料だけでは分かりようも無い話

593人間七七四年2022/06/25(土) 11:36:41.16ID:Fmf9pbAh
いやだから
三成は真田を通じて上杉に連絡してくれいって要請してるのが書状で残ってるでしょって
なんでそういう既知の情報すら無視できるのか不可思議
景勝が国許にいる限り、三成は景勝と安全に音信する術がなかったんだから
伏見や大坂で互いの上下屋敷を往復するのとは違う

594人間七七四年2022/06/25(土) 12:45:41.88ID:she6XWnu
上杉とは知識人とは言え一僧侶の西笑承兌すら書状送ってるからな。三成がコンタクト取れないってのは奇妙過ぎる。
三成は佐和山で完全に孤立していて首謀者どころか西軍の決起計画自体知らなかった可能性の方が高い。どちらかと言うと大坂三奉行の方が怪しい動きをしてる。

595人間七七四年2022/06/25(土) 12:51:42.81ID:she6XWnu
具体的には五月七日の所謂「奉行衆連署の諫止状」なんだが(歴代古案)この第四条に「秀頼さまは若く、家康さまが居るからこそ諸人も重々しく奉っていますがここで家康さまが居なくなると秀頼さまが見放されたようになる」っていう奇妙な文章がある。家康は謀叛人を誅伐しに行くだけで別に秀頼を見捨ててる訳じゃない。この程度で見捨ててるなら帰国してる前田利長や上杉景勝はどうなるのか?幼君を置いて重臣が外征に行くと見捨てた事になる先例があるのか?
って考えるとこれは後のクーデターの為の伏線なんじゃないか。つまり「家康が秀頼を見捨てたから我々がお拾いした」といって大坂城を武力占拠する口実。とすりゃこの時から三奉行のクーデター計画は始まってた事になる。

596人間七七四年2022/06/25(土) 12:52:29.97ID:Osl5RJ6Z
>>594
(西軍蜂起の)コンタクトが取れない
上洛して内府に謝ろう、な!
くらいだったらもし見られてもなんの問題もない

597人間七七四年2022/06/25(土) 13:00:21.21ID:Fmf9pbAh
>>594
一僧侶の西笑というのは洒落かなにか?
西笑の卓越した地位やこのときの役割、ひいては日本史における僧侶の仕事を何も理解してないだろ

598人間七七四年2022/06/25(土) 13:21:50.83ID:QtN+P1Io
>>594
それはあんたの妄想でしょ
逼塞中の三成書状は多くはないが、相良宛に「上方は一段と静謐だ。庄内の乱が解決すれば上洛されることもあるだろし、その時積もる話をしよう」
と述べてる書状もあるし、外部と連絡ができない程孤立してたわけではない

599人間七七四年2022/06/25(土) 18:33:13.43ID:eo9IsY0Q
元取次でも相手国の危機に書状を送る事はある。例えば蜂須賀家政は七月十六日に「毛利輝元が石田三成・大谷吉継らに同調して謀叛した」と聞いてこれを戒める書状を送ってる(毛利家文書)それには「輝元さまがお覚悟もって天下を乱すとは嘆かわしい」「いままでずっとご懇意にしていただいたので(出過ぎたことかもしれませんが)このように申し上げている次第です」とある。蜂須賀家政は元々豊臣公儀で毛利との取次をしていたが朝鮮出兵で秀吉の勘気をこうむり失脚した。後に徳川家康によって名誉回復がされたが既に取次は増田長盛・長束正家らになっていたがそれでも元取次として書状を送り異言している。

600人間七七四年2022/06/25(土) 18:39:09.79ID:eo9IsY0Q
ちなみにこの書状は一切毛利の役に立たなかった。輝元は十五日に三奉行からの上洛要請文が来ると即時に出発、十七日には大坂城を武力占拠してしまったから。行き違いになってしまったのだ(余りに動きが早いので輝元が西軍決起の首謀者なのが明らかである)
この後輝元は大坂城にいた蜂須賀家政を脅迫。蜂須賀家の本国阿波は毛利軍が接収。家政を出家させる。挙句蜂須賀軍は毛利軍に支配され危うく西軍として使われるところだった。そんな蜂須賀家が改易されなかったのはひとえに蜂須賀至鎮が東軍として活動してたからであった。

601人間七七四年2022/06/25(土) 18:52:50.91ID:Fmf9pbAh
>>600
御託はけっこうなんだが、だから何が言いたいの?

602人間七七四年2022/06/25(土) 19:03:17.71ID:5CveZQQl
上杉との連絡については西軍挙兵以前と以後で分けて考える必要があると思う。
景勝の西軍への返信書状が真田家文書として残っているということは、
沼田で使者が信幸に捕まったか、上田より西に行けなかったということ。
挙兵以前なら会津への使者が捕まるということは考えにくいと思うが。

個人的には上杉との共謀はなかったと見る(暗黙の了解や憶測はあったと思う)
根拠は>>451の書状にある、
>重而逆心之讒言を以、是非上洛無之者、向當郡可被及行之旨候

>無是非只不相替上洛與計有之而、剩日限を以催促如此被押詰、

このあたり。景勝側からすると、奉行衆に追い詰められていると感じているような表現に思える。
共謀してるならもうちょうと違った表現をしていると思われる。

603人間七七四年2022/06/25(土) 19:04:25.92ID:eo9IsY0Q
実は一次史料を見れば「誰が西軍の首謀者か」は一目瞭然で答えは吉川家文書にあるように「毛利輝元と三奉行」だろう。この四人が常に西軍の中心にいる。三成を呼んだのは輝元と明言されてるしね。何しろ三成と西軍が繋がったのは大谷吉継が三成を誘った七月五日以降という史料しかない。
三成首謀説は「根拠は全く無いが三成と西軍は繋がっていたはずで史料には反するが三成が西軍を指揮していた筈だ」っていう司馬遼太郎の小説を基にして作られたもんなんだな。未だにファンが多い小説家だけど悲しいかな、所詮は物語なのよねぇ

604人間七七四年2022/06/25(土) 19:20:37.41ID:5CveZQQl
>>568のひとも触れてるけど、上杉征伐従軍諸将を愛知川で引き返させるように
石田木工に指示したやつはだれか?だね。
石田木工が首謀者だと言うなら反論できんが。

605人間七七四年2022/06/25(土) 19:24:40.04ID:eo9IsY0Q
上杉景勝と奉行衆、または石田三成がコンタクトして無い以上景勝からすると奉行衆=内府の部下でしか無かったんだろうねぇ。それでも景勝が謀叛をしたのはもう止まれないって言う理由もあるだろうが一応勝算があったらしい。それは「家康が動けば反家康派も動く」事だったと。んなアホなとも思うけど戦国時代だと確かにそうした動きもあった。
ただ景勝が知るべきだったのはもうそんな時代は昔のもので正確な情報と緻密な連携が物を言う時代に烏合の衆で立ち向かおうってのは無謀でしかなかったことなのだ。

606人間七七四年2022/06/25(土) 19:40:26.40ID:Xn5MImkQ
正澄に宛てた三成の命令書があるなら骨が通ってるけど無いなら論拠が足りないかな。その論理だと真田信幸が東軍に着いたのは真田昌幸の命令によるものだ!ってのも主張出来る様になるし。正澄宛三成書状にはどんなものがあるんだろうか?

607人間七七四年2022/06/25(土) 20:14:27.60ID:NOoVsuvr
正澄はその後も佐和山城の守備していて三成の指揮下にいるし
というか命令書がなきゃダメというなら大名の配下の行動には必ず命令書が残ってるということ?

608人間七七四年2022/06/25(土) 20:38:09.98ID:EQQviVK8
滅んだ側の三成間連だし何でもかんでも文書が残ってる訳じゃないからなぁ
正澄の行動は流石に三成と歩調を合わせたとする方が自然
逆に穴だらけの一次資料を徹底して突き詰めるのも危険性があるんじゃないかな

609人間七七四年2022/06/25(土) 21:23:01.42ID:t9kTD7C5
>>594
単純に失脚後連絡取ってないから
国許に戻った上杉への伝手がなくなった
ってだけでしょ

隠居して一線退く約束で佐和山にいるのだから
方々に現在進行で連絡取ってるわけではない
久しぶりに連絡取ろうとしたら別ルート必要になった

そこにそれ以上の意味を見出してしまうのは
他に理由があるはずと信じたいから
あなたが三成は首謀者じゃないという結論ありきで
考えたくてそういう論理展開しか見えなくなってるだけ

610人間七七四年2022/06/25(土) 21:48:34.32ID:Xn5MImkQ
一線を退くつもりだったのに大坂とのコネクションは残していましたってのが既になぁ…クーデターを企てていたならまず上杉に家康に刃向って貰わないとならないから何を置いても上杉と連絡を取らんといかん。蜂須賀家政だってやってる事で三成がやらなかった事を説明するのは困難でしょうね。
ちなみに西軍の命令序列は輝元→安国寺恵瓊→増田長盛→長束正家→その他諸将(三成含む)で実は三成、単なる一官僚に過ぎないのだ。三成の提示した作戦は悉く却下されて困ってる様子が書状として残ってる。これが首謀者の末路なのか?

611人間七七四年2022/06/25(土) 21:53:40.61ID:dxO0cJTi
なるほど
失脚してたのにかなり上位にいて
したも誰もより積極的に動いているんだな

612人間七七四年2022/06/25(土) 22:13:58.91ID:CoDX7YjA
他の西軍もやらなかった事を何故三成だけに指摘して論を作るのか?
挙兵前に会津の上杉まで書状で連絡しないのがおかしいってのも分からん理屈だけど

613人間七七四年2022/06/25(土) 22:50:42.96ID:2kNTW3SP
会社のメールは跡が残るからわざわざFAX使ったり、個人の携帯にLINEで送るなんてのは今ですらある
当時も書状に残さないモノだらけだったろう

614人間七七四年2022/06/26(日) 20:16:26.09ID:RtSMRk1p
「何をおいても上杉と連絡を取らねばいかん」
というのが事実であるかせめて西軍首謀者の認識であれば
それが三成であれ他の誰かであれ
もっと早くに連絡を取っている

が実際には連絡も取れないうちから
挙兵しているし実際それが致命的だったか
というとそんなことない

615人間七七四年2022/06/26(日) 20:36:18.47ID:pySWz2L+
正澄が愛知川の関封鎖は別に三成の指示とは限らんしな

616人間七七四年2022/06/26(日) 22:42:02.08ID:fi72VRBp
>>614
そもそも三成の当初の見立ては挙兵さえすれば会津征伐軍は瓦解して徳川軍は関東から動けず諸将はそれぞれ国元に帰還せざるを得ずに西軍に頭を下げに来るというかんじだったもんな

617人間七七四年2022/06/26(日) 22:49:58.68ID:uexAQJCX
上杉への通告なんて実際に会津で戦が始まってからでもいいんだよ
でもそれだと西国大名の取り込みができないからあのタイミングの決起になったんであって

618人間七七四年2022/06/27(月) 08:26:58.48ID:HhEbJn0E
西軍が実際は重視してたのは上杉との連携より
家康が国許にいる/政権中枢を離れる
という状況だよね

秀頼を擁した家康に反旗を翻したら
それはもう自分達が謀反で終わってしまう
家康が東下してる間に秀頼を押さえたら
家康を謀反人にしたてて諸将も支持するはず
というのが勝算だった訳だから

この場合の諸将には当然景勝も含んでて
討伐軍到着前に一転土下座外交というのは
それやるならもっと前か
あるいは一戦して意地見せた後
あるいは敗北して全面降伏の時
なのでそう警戒されてない

もう少し後になると上杉討伐軍に
西日本の大名まで加わって上方での蜂起軍が手薄
上杉との戦端が開かれ短期決着もあり得る
だからあのタイミングでの挙兵だった

つまり謀議があったとしてそれは資料が示すように
西軍首謀者と上杉の間ではない
すでに指摘があったようにリスクもある行為だし
挙兵前に話すこともそんなにないもの

619人間七七四年2022/06/27(月) 08:58:56.12ID:HhEbJn0E
では西軍蜂起の謀議は誰との間で行われたか
一方が毛利なのは間違いない

三奉行からの輝元への入場要請が史料上での
西軍の行動の最初とされることがあるので
この両者が首謀者とも見える

ただそんな書状が来たからっていきなり
クーデターを決意したというのは
いくらなんでも輝元どうかしてる

書状は7月12日付け、輝元が広島をたつのが15日
会津征伐の途上にあった毛利軍が転身するのは
それらと前後する13日
その書状の前にすでに話はついてる
(書状で決断したなら毛利軍の動きは間に合わない)

つまり記録の残ってないやりとりは
確実にそれ以前にある訳よ
というかむしろ入城要請の書状は
記録を残すために出されて
記録に残す意味で保管されたと見るべき

毛利が請われて「総大将になる」ことは
西軍内での毛利の立場を確立することになるし
敗れた後には「奉行に請われて引き受けただけ」
というエクスキューズとして残す意味があった

620人間七七四年2022/06/27(月) 10:23:49.58ID:iQlwWmML
蜂須賀家政が秀吉に叱責され蟄居・蔵入地没収の憂き目に遭って毛利との取次をクビになったのが慶長2年。しかし彼は慶長5年に毛利輝元が西軍に参加すると聞いて諫止状を毛利家に送付してる。対して石田三成が蟄居になったのは慶長4年だから僅かに一年前の事。三成は景勝の上洛や会津転封で活躍した筋金入りの「取次」だから家政よりも相手国と疎遠だった筈がない。つまり三成が上杉と接触しなかったのは「もう己が政治をすることは無い」と思っていたからじゃないか?だとしたらクーデター計画なんか建てんだろう。

621人間七七四年2022/06/27(月) 10:49:57.91ID:kN+XvzGv
蜂須賀はもっと早い段階で四国取次に移ってなかったか?
朝鮮出兵まで毛利取次をやってたのは黒田の方で

622人間七七四年2022/06/27(月) 12:08:33.69ID:oSHVueJN
むしろたった一年なので
表立って連絡とり続けるのは
はばかりがある

という考え方もできると思うけど

623人間七七四年2022/06/27(月) 12:22:06.96ID:YGpLLJA+
蜂須賀家政が処分されたのは慶長3年でしょ

1月26日付宇喜多・蜂須賀等言上状案で蔚山・梁山・順天三城の破棄を提案し秀吉激怒
更に5月26日付福原等三奉行連署状で蔚山城合戦の際、家政は先手の当番だったにもかかわらず合戦をせず臆病者だとして蟄居処分

624人間七七四年2022/06/27(月) 15:17:13.52ID:oU1hnWhq
ていうかバレると怖いからで連絡しないとか有り得るか?
会津の近くには上杉アンチの堀一族と軍勢率いてる徳川領が居るしそもそも会津征伐が発動したら徳川派諸将が東にスタンバイするんだぞ。挙兵する前なら「取次してた上杉が内府と戦争するのを止める」って名目で動けるけど挙兵したら敵対勢力と認識されて使者を送る事すら難しくなるのは目に見えてる。実際かなりの時間が掛かってる。
何はともあれ連絡路の再構築が優先課題でそれを無視する程三成アホじゃないと思うが。

625人間七七四年2022/06/27(月) 17:12:58.99ID:taimdY53
>>624
あり得るだろ
挙兵前に露見したら謀反人として処分で終わりだ
そうなったらそれこそアホの極み

626人間七七四年2022/06/27(月) 17:41:12.19ID:OSxlxtTU
石田三成って小説と違って上杉と交渉どころか大坂とすら交渉してた史料が無いっていう。まぁ大坂城に徳川家康が居る限り佐和山と使者が往来してたら何を考えてるかバレバレだから仕方ないんだけど。
もし決起計画を知っていたら三成はそれを何としても上杉に伝えていたろう。三成は輝元と三奉行が画策してる決起計画(これは五月七日には形になりつつあった)を知らなかった。景勝に手紙出すとして大ボラ吹くしか出来ない。そんな事しても自分のクビを絞めるだけだったと。

627人間七七四年2022/06/27(月) 17:51:03.67ID:OSxlxtTU
>>625
露見ってどんな状況よ?三成が決起計画を主導していてかつ上杉との交渉路を無くしていたとしてそれを再整備しない理由は無い。関東への抑えに必要だし景勝が降伏する可能性を減らさないとならん。どのみち上杉との交渉路は必要なんだし。上杉に使者を出した事を訊かれても「元取次の身ですが上杉が心配です」と言えば良いだけ。取次ならそこまでおかしな話じゃ無い。仔細は使者に口述させれば良い。露見する状況は「使者が徳川に寝返って全部自白する」事だけどそれを恐れたなら大坂の三奉行や毛利との交渉すら出来なくなる。三成が上杉と全く交渉してないどころか交渉路に苦慮してるのは重大な意味があるんじゃないか。

628人間七七四年2022/06/27(月) 17:51:30.39ID:wQ3T2UZW
わざわざ伝える必要ねンだわ
だって上杉は家康にケンカ売って家康はそれに応えて大軍を動員して会津に遠征したんだから

そこで畿内で兵を挙げて家康が畿内に取って返すようなら上杉は全力で家康の背後を突くしかない。だってもう家康にはケンカを売っちゃったんだから
家康が勝ってしまったら上杉家の将来はない。だから上杉は背後を突いてくれるはず

まともな頭をしてればそう考えるのが当たり前なんだよな。兵を挙げればそう動くだろうってことが分かっていれば連絡する必要は無い

上杉が血迷って最上を攻め始めることまで予測しろって言っても無理な話だよ

629人間七七四年2022/06/27(月) 18:07:50.00ID:bRNPEGMO
>>628
周り中敵だらけなのに出ていったら
普通に最上や、それ以外に攻められないか?
上杉の立場なら、戦争がどれだけ長引くかもわからないし、後方の安全確保するのは当然では
本領落とされたらシャレにならんし
少なくとも上杉はそう考えたんだろう

630人間七七四年2022/06/27(月) 18:09:20.51ID:LsF1laHC
そもそも上杉に事前に挙兵を知らせる必要がありかつ知らせるだけなら三成じゃなくたって毛利やら宇喜多がやればいいのにやってないというのは別に必要なかったということだろ
なんで上杉に連絡出来てなかったからといって三成が首謀者じゃないとい事になるんだよ?

631人間七七四年2022/06/27(月) 18:25:11.59ID:H6Tjo+e0
>>628
それは司馬遼太郎の「徳川家康には野心があって上杉に難癖つけて攻めた」という理屈の上なら成り立つけどこれは史料に反する。例えば四月一日、西笑承兌は書状で「内府は話せばわかってくれます。兎に角上洛なさい。前田利長は内府と話し合って和解したでしょう?あれは前車の戒めです」と送ってる。家康は一貫して穏健に話し合う姿勢を崩してない。
そして厄介な事に問題の本質は景勝にあった。逆に言えば景勝が謝れば事態は解決してたろう。

632人間七七四年2022/06/27(月) 18:33:07.31ID:Mo/ABFJJ
毎回反論食らってるのに何回同じ主張繰り返すんだよ

633人間七七四年2022/06/27(月) 18:44:40.73ID:yKkD3u8l
>>631
謝る気なかったんだから家康を潰すしかねーじゃん
例えば山形を取って会津を固めたとしても家康がその間に畿内の騒動を鎮めて天下を取ったら終わりじゃん

634人間七七四年2022/06/27(月) 18:45:45.06ID:gs9kk81N
妄想君の相手しても無駄だよ
会話できないからね

635人間七七四年2022/06/27(月) 19:20:53.45ID:LsF1laHC
>>631
そんな奴にクーデター計画を知らせろと?

636人間七七四年2022/06/27(月) 21:26:33.73ID:n08TBngu
三成って上杉とはおろか増田長盛や毛利輝元とも文通してないからな。到底決起計画を知れた立場じゃない。有名な「大谷吉継を誘った三成」の逸話(落穂集だったか)も真実とは言えない。というか順番からすると大谷吉継に誘われて決起計画に乗ったと言う方が道理が通る。

637人間七七四年2022/06/27(月) 21:27:27.14ID:nZ62wBCR
>>627
どんな状況???
上杉に密書送って対家康の謀議をしてて
それがバレる状況に決まってるだろ???
絶対バレない状況だとでも???

638人間七七四年2022/06/27(月) 21:29:20.64ID:nZ62wBCR
実際には上杉と連絡なんてするまでもなく
上杉は徳川に対して反抗を始めてくれた

それに便乗してことを起こしたのが西軍であり
その逆ではないというだけだ
逆じゃないとおかしいと力説されても
その認識がおかしいとしか言いようがない

639人間七七四年2022/06/27(月) 21:35:39.84ID:HhEbJn0E
>>629
というかそれが普通で別に上杉が
異常なことした訳じゃないよな

最上を叩けば旧領との連絡も確立するし
元々司馬遼太郎の言うような「家康挟み撃ち作戦」
なんてなくて上杉の興味は旧領にある

南下するならその後だ

西軍がすぐさまあっさり負けたから
そこまでいかなかっただけの話で

640人間七七四年2022/06/27(月) 21:36:20.19ID:XF8inlEw
賛同してくれる人がいないからって何度もID変えて自演すんな
鬱陶しいわ

641人間七七四年2022/06/27(月) 22:13:20.15ID:YGpLLJA+
>>629
まさに景勝も8月25日付毛利・宇喜多他宛書状でその通りのこと言ってるしな
まあこの書状は途中で真田信之の手に落ちて毛利等には届かなかったが

「すぐにでも関東表に出陣すべきところ、最上や伊達が気を見計らい、
こちらを牽制するような動きを見せているので、すぐに備えるよう申し付けた。
もし最上や伊達に対処せず軽率に関東へ調儀に及び、彼らが蜂起すれば見苦しいことだ」

642人間七七四年2022/06/27(月) 22:15:01.84ID:n08TBngu
>>607
正澄が佐和山城で最期を遂げたのは三成とはあんま関係無いよ。石田三成は関ヶ原で敗戦し逃走するも佐和山城に帰還出来ず最後は捕縛されてる。正澄は三成の指揮下には居なかった(居たら共に逮捕されてる)
佐和山城に籠ったのはそれ以外に道が無かったから。正澄が何の事情を知らなかったとしても「関ヶ原で戦があった」事を聞けば全てを理解したろう。それは南宮山の毛利隊が動かなかった事を意味する。つまり毛利が裏切ったと。大坂が敵に回った以上逃げ場も未来も無くなった。賊徒の首魁一味として刑死するか華々しく戦死するかで戦死を選んだだけよ。

643人間七七四年2022/06/27(月) 22:19:57.93ID:n08TBngu
>>637
三成は元上杉取次だから「内府に反発してる景勝を静める」名目で使者を送れるじゃん。蜂須賀家政の様に。書状にその旨を記して真相は使者に口述させれば良い。怪しまれても露見する可能性は殆ど無い。露見するとしたら使者が真実を家康に報告した時だがそれを恐れたから三成は何も出来ん。史実そうなんだが。

644人間七七四年2022/06/28(火) 07:57:07.13ID:8c4rhs9Z
>>642
指揮下にいるかどうかと一緒に逮捕されるかは別だろ
まあ個人的には別個に大名並みの禄を得てるので
三成の家の子のように描くフィクションはどうかと思う

豊臣政権内の正澄の職務はあくまで
正澄に対して与えられたもので三成の仕事を
部下として代行した訳じゃないはず

ただ佐和山の留守居にいたことを考えると
少なくとも関ヶ原においては軍事的には
石田家としてまとまって動いてる

645人間七七四年2022/06/28(火) 08:00:47.10ID:8c4rhs9Z
>>643
失脚してるそれも要らぬ懸念を招くし
そうなれば止められたり
内容を改められる可能性もある
また上杉が手のひらを返す可能性もあるし
双方配下のものが告発する可能性もある

だから軽々しく謀議などできないんだよ
あなたはそんなこと考えてたら何もできないと思うだろう
でも実際そんなに大っぴらに謀反の計画など練れない

646人間七七四年2022/06/28(火) 08:03:23.49ID:8c4rhs9Z
だからこそ一方で「三成が家康は手をこまねいてるから
今こそ大阪占拠しろと言ってきた」と書状が残る
石田-毛利間の関係性は一線を超えている

関ヶ原前年にそういう関係が成立してる
というのは無視できないと思う

647人間七七四年2022/06/28(火) 12:52:00.10ID:2KKpy2KE
三成って単なる西軍の一司令官に過ぎんからね。作戦の決定者つまり西軍のトップは毛利輝元でその右腕が安国寺恵瓊、大坂城に増田長盛、でその下にいるのが三成という構成。
八月五日真田宛三成書状では三成が「もうすぐ関東を攻撃する」と戦略を披露してるけどこれは三成の考えで西軍の考えじゃない。その頃西軍は伊勢方面に主力を振っていてとても関東を攻撃出来る状況じゃないから。三成は度々「増援を此方に送ってくれ」と言っていた事が九月十二日長盛宛三成書状に書いてあるがそれらは恵瓊・正家に却下されている。

648人間七七四年2022/06/28(火) 17:14:34.37ID:dKHHKLoz
いや実際北陸の大谷らや瀬田守備隊の九州勢は美濃に向かったんだが、岐阜陥落後で時既に遅し。
石田書状の備口人数からは石田が全体を把握している幹部であるのはまちがいない。

649人間七七四年2022/06/28(火) 17:57:48.09ID:rL10wZJA
三成は首謀者じゃないって主張してる研究者って誰かいたっけ?

布谷氏が通説で言われるように三成一人が首謀者ではないってことは指摘してるが、
二大老(毛利・宇喜多)・四奉行+小西・大谷を中心として組織されたもので、
三成も中心メンバーの一人であることは否定してないしな

650人間七七四年2022/06/28(火) 19:11:22.77ID:IGzLOxdv
>>643
そんなに上杉と連絡を取り合うのが必須なら、同じ大老として毛利や宇喜多も「内府に反発してる景勝を静める」名目で使者を送れるじゃないんですかね?

651人間七七四年2022/06/28(火) 19:28:20.07ID:43AQnX86
三成は他家との連絡を一切やってない。親密だった真田昌幸にすら伝えてなかった事が七月三十日昌幸宛三成書状より分かる。実は三成のこの行動は無益であるばかりか有害だった。おそらく三成は会津征伐軍の編成や行軍予定を知らなかったんだろう。それで三成は昌幸が味方だというだけで真田一族が味方になったと早合点して信幸にも書状を送ってしまった(三十日書状)。信幸は昌幸や信繁とは別行動してた上に徳川派だった。それで信幸はこの三成書状を家康に報告した。
結果西軍の初期配置や戦略が全て東軍に伝わってしまった。これが「西軍は東軍の動きを全く掴めてないのに、東軍は西軍の動きを読んでる」様に見える原因であった。

652人間七七四年2022/06/28(火) 19:30:06.97ID:IOwt24xK
首謀者だからといって指揮権を握ることができるとは限らんからな
元の分際に相応した権限しか与えられないのは当然の事

653人間七七四年2022/06/28(火) 19:35:52.03ID:OaLjOjsi
そもそも味方するように働きかける行為自体
十分主導的だからな
「巻き込まれただけ」と言うならせめて
声かけられた方だろうけど
三成は明確に声をかける側

654人間七七四年2022/06/28(火) 19:37:20.61ID:43AQnX86
高橋陽介は一次史料から西軍決起を主導したのは毛利輝元と大坂三奉行で石田三成は大谷吉継に誘われて乗っただけだとしてるね。

655人間七七四年2022/06/28(火) 19:40:48.69ID:43AQnX86
>>653
史料上判る「石田三成が声を掛けた武将」って誰が居たっけ?例えば大谷吉継は松井康之に書状を出してたりしてるが…

656人間七七四年2022/06/28(火) 19:51:14.08ID:p6EjAXRO
>>651
もう君はいいから
どんだけ空気読めないの?
自分のブログかなんかでやってくれ

657人間七七四年2022/06/28(火) 20:15:01.59ID:t22GlvVu
>>655
既にあがってるのだと上杉景勝だな

658人間七七四年2022/06/28(火) 20:51:56.95ID:2y6jg+iC
>>650
まず両家とも縁が遠過ぎる。毛利が上杉に書状を送ったりしてないのもそんなところなんだろう。そして宇喜多は家臣統制が出来てないから外交してる場合じゃない。

659人間七七四年2022/06/28(火) 21:09:21.65ID:p6EjAXRO
妄想…が沸くとあまりの突っ込みやすさに反論が殺到
ところが妄想…はガン無視で妄想をひたすら垂れ流す
反論は書きやすいからそういうやつも馳せ集まり、本題はまったく進まなくなる
妄想…は反論するでもなく、ただ妄想を披露する
そしてスレに誰もいなくなる

妄想…だけが悪いわけでもない
なにか語ると一次史料出せというわりに、一次史料が貼られると沈黙する奴が多い
翻刻されたものすら読めないくせに一次史料だなんだと口にするな、ダボハゼ

660人間七七四年2022/06/28(火) 22:03:10.29ID:2g4TW5dM
三成と西軍首脳部では構想してる戦略が違う。
三成は西軍戦力を東進させ上杉と連携して徳川領を攻撃する事を志してる(七月三十日書状、八月五日書状)三成からすると親しい真田昌幸も上杉景勝も何方も東軍勢力に包囲されてるので早く打破しないとマズいという危機感がある。しかし上杉とは連携どころかまず連絡が取れてない。
対して西軍首脳部は東進よりも西での勢力拡大を狙ってる。主力は伊勢に向かわせた上で輝元に預けられていたという大友義統を豊後に送ったり大坂城で軟禁した蜂須賀家政を脅迫して阿波を毛利軍が支配、蜂須賀軍を毛利軍の支配下においたりしてる。また九州勢には「西軍に城を明け渡せ」という命令書を送ってる。

661人間七七四年2022/06/28(火) 22:10:15.62ID:2g4TW5dM
そして三成が首謀者かと言うとその痕跡がゼロなのと明らかに指揮系統から外れてるのでこいつは首謀者じゃない。一番怪しいのは毛利輝元。西軍決起自体、毛利家の勢力拡大が目的だったんだろう。それはつまり上杉なんて輝元からすればどうでもいい、と言えば語弊があるが徳川軍が即座に西上しない程度に役立ってくれればそれで良しだった。その隙に西国を毛利で統一するつもりだったんだろう。ところが上杉は屁の突っ張りにもならず東軍は西進。西国の領主も西軍に城を明け渡さずに徹底抗戦。ここから「全部三成が悪い」に持って行った訳で中々の悪党よ。

662人間七七四年2022/06/28(火) 22:12:23.91ID:xQSU2xYg
妄想君は会話できないからスルーで

663人間七七四年2022/06/28(火) 22:24:37.60ID:rL10wZJA
九州勢に城を明け渡すように命令と言っても伝存してる史料だと、
8月4日付の二大老連署状案及び同日付四奉行連署状案にある松井康之の木付城だけじゃん

664人間七七四年2022/06/28(火) 23:20:49.87ID:uK16IwvJ
>>660
三成と西軍首脳というか三成と毛利かな
あとその二つの戦略は別に
矛盾したり対立してた訳でもない

665人間七七四年2022/06/28(火) 23:24:27.89ID:NhHilQVC
なんか勘違いしてるひとがいるみたいなんで書くけど、
石田三成と仲がよかったのは真田信幸だよ、さいつ(真田伊豆守信幸)宛消息がいっぱい残ってる、鷹狩りの鷹のヒナがどうとか馬小屋がどうとか久しぶりに会って話したいとか。真田家文書だったかな?

666人間七七四年2022/06/28(火) 23:26:48.97ID:NhHilQVC
あと織田秀信が草津へ温泉療養に行くから案内してやってくれとかもあったかな。

667人間七七四年2022/06/28(火) 23:34:44.13ID:3qgun1Py
輝元の火事場泥棒を西軍本来の目的と解釈してるのは流石に初めて見た
そしてそれを理由に三成が西軍首脳の指揮系統から外れてるとするのも中々にアクロバティック

668人間七七四年2022/06/28(火) 23:53:38.74ID:NhHilQVC
>>649のひとも言ってるけど、石田三成も首謀グループの一員だった、というのが一番近いんじゃないかなとは思う。輝元も三奉行も単独ではできない、権威+兵力がなければできない企てだから。

669人間七七四年2022/06/29(水) 08:27:13.25ID:wuWja1YB
>>668
同意だわ

フィクションの世界では三成が主役級で
彼一人が家康に挑む決意をして
他は協力したり付いてっただけみたいに
描かれてるのがちょっとおかしいだけ

実際には他の西軍に参加した諸将にも思惑があり
互いに働きかけた結果、家康追い落としという
利害で一致して起きたのが西軍挙兵だよな

三成はその中で最初期から積極的に動いたひとり
というのが実情だと思う

670人間七七四年2022/06/29(水) 08:56:30.01ID:rfqrhF23
織田秀信が準備に手間取って会津征伐に出陣が遅れている間に三成に勧誘されて西軍に参加したという話があるけど、準備に手間取って遅れたというのは事実なんだろうか?

671人間七七四年2022/06/29(水) 16:29:31.44ID:k6kc/KI0
佐和山に蟄居してる三成がクーデター計画なんて立てられる筈が無いからね。だから家康も当初は三成が親しい上杉を攻撃された義憤に駆られて大親友の吉継がそれに同意したっていう人情花吹雪程度と高を括ってる。家康が戦略を変えたのは三奉行と毛利が企てた大規模なクーデターと知ってから。

672人間七七四年2022/06/29(水) 17:29:30.55ID:WJexJvSR
誤算は元々三成は家康追い落とし狙って
毛利と謀議を重ねる仲だったことやな

西軍挙兵は家康の思惑通りとか
言う人いるけどとんでもない

673人間七七四年2022/06/29(水) 19:22:12.88ID:1VkW5+GT
>>670
理由はわからんけど遅れたから岐阜にいたんじゃない?
で、湯治の手配頼むような仲の石田に尾張加増で誘われたから西軍についたんじゃない?
んで、美濃の盟主的立場の秀信が西軍についたから
多くの美濃衆もとりあえず西軍についた。

あるいは織田秀信も首謀グループの一員だったとか?

674人間七七四年2022/06/29(水) 20:08:01.28ID:YB8wvetI
>>663
その書状は7月20日大谷吉継書状の続きだね。
「秀頼に奉公せよ」→「城を明け渡せ」っていう流れ。大谷吉継は西軍決起にかなり関わっていたらしく中川やら真田やらとも交信してる。

675人間七七四年2022/06/29(水) 20:36:51.00ID:rfqrhF23
>>673
三成がいつ頃から秀信に勧誘工作してたかだよね、8月5日までには西軍についていたのは確定してるけど
秀信が東軍に付いていたら関ヶ原戦役が史実よりもかなり小規模なものになったような気がする

676人間七七四年2022/06/29(水) 22:01:22.20ID:YB8wvetI
七月二十六日中川秀成宛大坂三奉行連署状に織田秀信が西軍に味方してる事が書いてあるから二十六日以前だったようだ。ただし、秀信が何で西軍に属したかはわからない。
同書状では和知の稲葉方通、大柿の伊藤盛正、犬山の石川光吉も味方になって人質を出してきたと書いてある。ところが犬山籠城衆は「奉行衆に人質を取られて西軍に止むを得ず属してる」と徳川家康に密かに打診、八月八日に家康は事情は理解した、味方と信じてると送ってる(これが後の岐阜落城の伏線になる)つまり大坂三奉行の言う様な自発的協力じゃなかった可能性も否めない。

677人間七七四年2022/06/29(水) 22:38:23.43ID:rHN6W00H
>>674
その返しはやっぱ会話できない人なんだね
あんたは九州全域に城明け渡し命令が及んでたみたいな言い方だけど、
実際は木付の明け渡し要求しかしてないよねって話してるのに

あとこの時期中川宛の大谷書状ないぞ
と言うか大谷の書状は私信的な内容のもの除くと、7月20日付松井康之宛と7月30日付真田父子宛の2通しかない

678人間七七四年2022/06/30(木) 07:26:41.54ID:RRGcozkp
>>669
三成の役どころは、ガリアで一時はカエサルを敗北寸前に追い詰めたオーベルニュ族の族長の
役どころでしょ。
ウェルキンゲトリクスの立場だと思う、部族内でも親ローマと反ローマに別れてて彼は反ローマ
派閥の親分。

本来カエサルに各孤撃破される運命だったガリアの反ローマの諸勢力を大同団結させて
一時はカエサルに敗北を覚悟させた

679人間七七四年2022/06/30(木) 11:01:25.98ID:u2MxRVVm
>>676
ということは、その2〜3日前、遅くとも7月23〜24日頃には織田秀信は西軍加担を決めたとみてよさそうですね、

680人間七七四年2022/06/30(木) 14:18:45.12ID:GAF224+9
秀信の出征予定はソースが不明だが7/1だったらしい。
これと三成の行動を突合すると三成は7/5頃に大谷吉継と共に大坂に向かうところを毛利家臣に目撃されてる。三成が大坂についたのは13日以降と思われている(十二日宛の毛利輝元上洛要請文にサインが無い)そこから三成は大坂から少し離れて活動していたらしい(十七日発付の内府違いの条々にもサインが無い)
最短で秀信が誘いを受けたとして12日間も秀信は準備してた事になる。万単位の兵を使うつもりだったなら兎も角数千人でこの日数は…

681人間七七四年2022/06/30(木) 14:54:50.04ID:HaioTwXx
それは織田秀信も首謀グループの一員だったとすると辻褄は合うわな、美濃衆の勧誘、説得に当たっていたと。
まぁ普通に考えれば
そんなことないだろ、となるが、いろんな角度で考えてみろのは悪くないと思う。

682人間七七四年2022/06/30(木) 15:16:09.24ID:jcAI8s8q
>>677
九州の情勢見りゃわかるんじゃない。当時の西国は文治派のお膝元みたいなもんでつまり西軍勢力が強い。
九州大名で西軍に与した連中を乱暴に挙げると島津家(52万石)、小早川家(36万石)、鍋島家(36万石)、立花家(13万石)とかなりの勢力になる。ただし東軍勢力も存在して例えば加藤家(25万石)、黒田家(12万石)、寺沢家(8万石)、中川家(7万石)、とまぁまぁの数が揃う。西軍はこれらの連中に「上洛せよ」と言ってる訳だけどその内意は「城を寄越せ」ってこと。手始めに輝元は蜂須賀家政を脅迫して阿波を収奪してる。東軍勢力なら城を奪い、西軍勢力なら自分の旗本同然とする。そうしていって徳川以上の勢力を確保する。それが出来ないと勝てる筈も無いし。

683人間七七四年2022/06/30(木) 15:58:37.87ID:F9o68BeB
実際は大友がたまたま旧領復帰を願ってきたから徳川が細川に宛てがった杵築城を明け渡し要求しただけだな
他に精力的な介入は見られないし何なら如水や清正が守備に徹するばかりの西軍諸将を蹂躙する立場に回ってる

684人間七七四年2022/06/30(木) 16:02:46.71ID:3HQc6aeI
例え話久々に見たわ

685人間七七四年2022/06/30(木) 19:06:19.11ID:Um065AZT
フィクションでの描かれ方がおかしいと言ったその内容を
わざわざカエサルがどうのという例えで言い直す意味がわからん
言いたいだけじゃないのか

686人間七七四年2022/06/30(木) 19:23:14.17ID:JMRHIT/e
見当違いの蘊蓄垂れるのを聞くと
頭いいと思っちゃうタイプなんだろ

687人間七七四年2022/06/30(木) 19:47:47.99ID:nHeV0Ay0
>>682
上洛命令=城寄越せとはならんでしょw
流石に妄想が過ぎる
黒田や中川にも中津や岡を明け渡せって史料があるなら
命令が九州広域に及んでた可能性も考えられるがそんな形跡もない
 
木付城の明け渡し命令って事の発端は細川の丹後領接収問題から始まっていて、
この機に飛び地の遠国にいて細川と連携の取りにくい松井を細川から引き離して味方につけるのが目的であって、
松井同様に城の明け渡し命令が九州全域にも及んでいたかというとそんなことはない

松井が西軍首脳に目を付けられた背景には、慶長4年の松井康之と細川父子との不仲も関係していると思われる
慶長4年10月18日付松井康之宛有馬則頼書状に「幽斎・其方御間相滞由、近日承」とある

松井家先祖由来附によると、不仲の原因は松井が秀吉から大名並の厚遇を受けたことが
秀吉の死後になって表面化して、松井は細川父子から疎んじられ伏見屋敷に蟄居させられたとある
西軍首脳には不仲につけ込んで松井を味方につけようという目論見はあったんだろう

688人間七七四年2022/06/30(木) 20:09:45.42ID:EmoURakH
西軍って結構エゲツない技してるからね

689人間七七四年2022/06/30(木) 20:17:14.86ID:EmoURakH
具体的には阿野津や松坂、岩手の城に長束正家が軍勢連れてやってきて「城を引き渡せ」って要求してる。これらの城は城主が不在でその隙を突いて占拠しようとしたらしい。ちなみに西軍はこれを「自発的行動」と主張してるので無茶苦茶悪質。東軍は自発的に城を預けてたって話だが西軍はこれだもんなぁ…

690人間七七四年2022/06/30(木) 21:17:58.32ID:pwSrm1/6
>>689
貴方はもう黙っててよ

691人間七七四年2022/06/30(木) 21:54:00.26ID:bgRNTOeg
中川家文書に残ってるやつだね。慶長五年七月二十六日三奉行連署状によると津城、松坂城、岩手城に大坂から軍勢を引き入れたと書いてある。ところがこれが真っ赤な嘘。
八月二十五日有吉立行・松井康之連署状では最新情報(八月十八日収集)として長束正家が安濃津城、松坂城、岩手城に軍勢を引き連れやってきて城を引き渡せと要求するも城主が戻ってきたので関地蔵まで引き返したとある。城主が居ない時に城を奪おうとした例は有名なのは清洲城があるけど蜂須賀家政もやられてるので西軍の基本戦略だったらしい(かなり陰険な手法だが)

692人間七七四年2022/06/30(木) 22:01:22.95ID:bgRNTOeg
この二十五日書状には追而書があって「家康が西上すると聞いて西軍は慌てふためいて籠城の用意をしてる」と家康に恐慌する西軍の姿が書いてある。長束正家が城を奪おうとした時にやってくる船を見て「家康が戻ってきた!」と逃げ出して後にそれは安濃津城主・富田信高の船であると知れて西軍兵は白け呆れ返ったという(そして再攻撃しようとした長束軍を信高は夜戦にて撃破したという)
家康が西上しない筈が無いからどうも西軍には「家康が西上しない理由」を信じていたらしい。それが何なのかは今となってはわからんが…連絡すらつかん上杉景勝とも思えんし。

693人間七七四年2022/06/30(木) 22:23:39.37ID:nHeV0Ay0
自演はやめた方がいいよ
あんたの文体は特徴あり過ぎてバレバレ

694人間七七四年2022/07/01(金) 08:56:54.11ID:Rx3fmJzZ
>>685
こういうのは、狐と狸の化かし合いと言う意味で書いたんだけど。

ウェルキンゲトリクスは、ガリアの反ローマ勢力を大同団結させた為ある意味カエサルの
ガリア平定の最大の功労者ですからね

とはいえ、それは勝てたからで一時はカエサルに敗北覚悟させる所まで追い詰めたのも
事実で、寛容でしられたカエサルが処刑した数少ない敵将です

これある意味カエサルの場合最大限の評価「殺さんと駄目、有能すぎる」でして

家康も、勝てる自信あったとは「岐阜落城までは特に」思えん

695人間七七四年2022/07/01(金) 09:14:19.29ID:Vakl79SD
>>694
そういうイメージがおかしい、実情はこうだと言ってる相手に対して、そういうイメージと同じことを返しているだけじゃない

いや、そのイメージは正しいのだ、何故なら云々と理由を言って反論するならともかく

ただのオウム返しに例えなどいらん

696人間七七四年2022/07/01(金) 09:25:21.30ID:jJpNLn0O
秀頼を失った家康には諸将が従わず
会津討伐軍は崩壊するって思ってたんでしょ
秀頼擁する自分達に従うはずと

697人間七七四年2022/07/01(金) 10:05:58.26ID:A4+fL82Y
諸将からしたら秀吉が生前に家康に与えた様々な立場を見れば
三成や毛利らは秀頼を空き巣同然に分捕ろうとしてるだけだと認識しただろう

秀吉の中では家康及び徳川家は単なる家臣ではなくて自分亡き後の自分の代理であり一門として豊臣家を守り代表する存在
前田の傅役は信長の平手政秀のように家臣の役割に過ぎずあくまで主従
豊臣一門そのものである徳川とは全く性質が違う
そのことは加藤福島ら恩顧諸将のほうがよく理解していたと思う

698人間七七四年2022/07/01(金) 12:11:14.40ID:f7Qyxahb
交代制かな

699人間七七四年2022/07/01(金) 12:50:12.78ID:XbAm+g72
そのあたり長年秀吉の命令を代行してきた
奉行は自分達こそ豊臣公儀って認識で
そこが単純に見込み違いなんよね

思い通りにならない家康がいない隙に
輝元大阪城に入れて仕舞えば
トップすげ替え完了っていう

700人間七七四年2022/07/01(金) 13:23:34.39ID:tWRHbTlp
光成氏は「蜂須賀家政領てある阿波を収奪してるのは毛利軍による(豊臣公儀は動いてない)」「生駒親正も同じく蟄居・讃岐領没収された形跡がある」「伊予に毛利軍が攻撃・調略にきている」「大友義統は毛利軍と繋がっている」と言った事から輝元の狙いは毛利領拡大にあったとしてるね。また毛利水軍によって秀吉に奪われた瀬戸内海制海権を奪還する目的もあったとする。だとするならば輝元は秀頼の名によって秀吉の打ち立てた惣無事令・海賊停止令を破壊する事が目的だったことになる。

701人間七七四年2022/07/01(金) 18:58:32.10ID:mudVoF0y
俺に味方してるなら城を寄越せってのはそこまで変な話じゃ無い。例えば大垣城だって三成が代わりに入ってるし(城主伊藤盛正は一度拒否したらしいが)東軍でも諸将は家康に城を預けてるしね。大きな違いは東軍は正に自主的なものなのに対して西軍のは命令して奪ってる点かな。

702人間七七四年2022/07/01(金) 19:33:07.62ID:Xr8pynqM
おかしな話じゃないのかな?
関ヶ原以外で居城寄越せの実例てあるのかな
居城渡せば領国経営にも差し支えるし
かなり無体な要求に見えるけど

思いつくのは黒田家が織田の播磨攻略に
姫路城渡したのとかだが
黒田側の自発的な行為で違うよな

703人間七七四年2022/07/01(金) 20:14:20.03ID:o72ck1m2
あと毛利の目的だけど西軍総大将毛利にとって
領国拡大と豊臣公儀を牛耳るもしくは
政権内での地位向上を狙うのって
必ずしも対立しないと思うんよね

A.攻め込んだ先で毛利領を拡大して
B.豊臣政権での地位を上げて追認させる
てのが理想的な流れのはずで
B.は狙ってなかったって主張だとすると
そこはちょっと頷けないかなあ

当然家康追い落とした後に取って代わって
天下に号令したいという野心もあったろうが
(だから総大将を引き受けてる訳で)

それがかなわなくともA.は無駄にはならないし
家康大勝利でなきゃB.も認めさせる余地は十分
そういう意味で優先度が領土拡大にある
という趣旨ならよくわかる

704人間七七四年2022/07/01(金) 21:57:11.62ID:VsTfG/0i
三奉行が輝元上洛要請文を書いたのが7月12日、輝元の手元に届いたのが15日だが輝元は即日出発して17日に大坂についてる。三奉行と輝元は完全にグルで手筈を整えてたんだろう。(光成準治は広島・大坂間が通常6〜8日掛かる事から輝元と三奉行の事前協議があったとする。渡邊大門も「前々から準備してた」と断じてる。)単に騙された愚鈍な男じゃ無い事は明らかではある。

705人間七七四年2022/07/01(金) 22:11:44.03ID:mcFdsr6F
この感じ見るに戦国板過疎ったのも納得だな

706人間七七四年2022/07/02(土) 09:16:01.14ID:Uk5MvTi2
>>702
多分これを通す為に毛利は自分を公儀にしたかったんだろうなとは思う。阿波も讃岐も公儀が収公って言いながら動いてるのは毛利軍だし。輝元って担がれた愚鈍な男じゃない。野望秘めた野心的な男よな。

707人間七七四年2022/07/02(土) 11:24:30.57ID:6/LPkqAs
野心的な策謀家だけれども実力が伴わなかった

708人間七七四年2022/07/02(土) 12:41:25.80ID:Oiy7XOqe
>>707
お前の100倍は有能だけどな

709人間七七四年2022/07/02(土) 12:53:18.63ID:6/LPkqAs
>>708
ってことは輝元は無能ってことやな

710人間七七四年2022/07/02(土) 14:07:51.85ID:Uk5MvTi2
三成の野心としては森忠政へ働きかけた一件が有名だけどその「右近大夫への遺恨は格別」っていう書状は何時のものなんだろう?

711人間七七四年2022/07/02(土) 20:45:54.75ID:PSoo3jRc
三成が西軍決起を知ってたら真田ともコミュニケーション取れて上杉とも連携できたろうになぁ

712人間七七四年2022/07/02(土) 20:53:01.68ID:6wOmLNBV
結局この話って三成だったらもっとうまくやってるはずって言いたいだけなんだよね

713人間七七四年2022/07/02(土) 22:00:53.65ID:0IPN4tca
三成「豊臣家を守ろう」
清正&正則「うるせー馬鹿」

三成「秀頼様の御出陣を!」
淀殿「イヤじゃ」

家康「豊臣の領地は削減ね」
淀殿「ファッ?!」

家康「加藤も福島も改易ね」
忠広&清正「ファッ?!」

三成「だから言ったろお前ら・・・」

714人間七七四年2022/07/02(土) 22:01:35.78ID:0IPN4tca
忠広&正則「ファッ?!」


715人間七七四年2022/07/02(土) 22:10:17.89ID:AbT5INvA
毛利の文書だと三成は関ヶ原前年から
大阪占拠唆したり一緒に陰謀巡らせてる仲

でも上杉との間にそんな特別な関係が
あったかというとかなり微妙
眉唾の挟撃策とセットの後世の創作を除くと
ほぼ根拠ないんじゃなかろうか

上杉上洛時の取次だったのは認められるが
それは別に三成一人ではなく例えば長束
彼も西軍の首脳の一人のはずだが

716人間七七四年2022/07/02(土) 22:48:40.84ID:yfsaYjmD
>>713
徳川の場合、おとなしくしていれば領地削減や改易程度で済むのだから
秀次のように無抵抗な相手でも妻子もろとも殺戮に突っ走る豊臣から交代してよかったと言える
特に三成はその尖兵とも言っていい存在だしな

717人間七七四年2022/07/03(日) 06:11:08.88ID:EoibGfha
>>716
そもそも大人しくしてれば福島も加藤も幕府に改易されてない

718人間七七四年2022/07/03(日) 07:50:41.01ID:wWrQTXAg
おとなしくしていても三成が妻子もろとも皆殺しを叫び始める危険性があることを考えれば
徳川の方がマシだろう
加藤も福島も家族を含めて殺されずに済んだわけだしな

719人間七七四年2022/07/03(日) 08:03:13.79ID:uxWN3Yc3
>>718
盗将大権現を甘く見過ぎ

必要とあれば、嫁も息子も計算ずくで見捨てられる人間に何を期待している
家康見て思うのは、「この人って本当に成功者?」だね

安易に見捨てられるって事は愛してないのだろうし、この人に心底大切な物は
何もないんだろうって成るんだよな

秀頼の為に狂乱する太閤の方がまだ人間を感じる

720人間七七四年2022/07/03(日) 08:50:12.61ID:eoywffdr
>>719
また嫁と子供か
本当に芸も余裕もなくなってきてんだね
可哀想に

721人間七七四年2022/07/03(日) 09:23:48.82ID:Rh17IZfR
三成「二十一日の手紙を見て急いでお返事書きました!挙兵するって言わなくてゴメン!でも色々訳があったの!西軍の状況を書いて送ります。上杉への連絡を助けてください。この書状は信幸と信繁にも送ります!」(七月三十日書状)→真田とも上杉とも連携出来てない。
三成「使者が会津に行けないのでなんとか力添えしてください。上杉と連携して徳川攻めしますから」(八月五日書状)→未だに全く上杉と連絡出来てない。
八月二十一日に家康は信幸に「信州と会津の国境を佳く塞いでる」と賞してるので恐らく使者は全て処分されてるしなんなら三十日書状は徳川の手に渡ってる。それで東軍は西軍の手の内を全て見抜いた上で戦争出来た。

722人間七七四年2022/07/03(日) 09:42:36.97ID:wgNR/kp1
そもそも後世のフィクションのように
三成は(というか西軍は)福島加藤ら所謂恩顧大名に
「豊臣家を守ろう」などと言っていたのだろうか?

内府違いの条々が彼らのもとに発せられたか
と言うこと自体を疑問視する向きもあるが
個人的にはそれに類するものは出されてたと思う

が、その内府違いにしても糾弾しているのは
あくまでも豊臣政権内での内府の行動であって
豊臣家を廃そうとしてるとか言ってない

723人間七七四年2022/07/03(日) 09:56:49.63ID:Rh17IZfR
三奉行の主張は「家康は秀頼さまを見捨てて会津征伐を強行した。だから我々が立ち上がった。秀頼さまを盛り立てたいという者達は立ち上がれ」というもの。些細な違いだけど家康は豊臣を破壊「しようとしている」では無く豊臣を破壊「した」としてる。まぁ豊臣政権に詳しい人には噴飯笑止千万なものなんだけど西軍からするとこれで押せると思ってたんだろう…

724人間七七四年2022/07/03(日) 09:58:27.38ID:zozulek6
妄想馬鹿の相手禁止ね

725人間七七四年2022/07/03(日) 10:01:27.57ID:BTfy8aud
三成の考えがどうだろうと西軍の蜂起によって豊臣政権が完全に崩壊してしまった

726人間七七四年2022/07/03(日) 10:41:55.99ID:W5lK1kV7
史料的には豊臣政権の存続を危ぶむ見方って
関ヶ原以前にはないように思うんよね

あくまで家康は豊臣政権を掌握しようとしてて
西軍はそれに反発してると言う構図

727人間七七四年2022/07/03(日) 11:35:54.69ID:iSg7azZk
秀吉の遺言で豊臣政権の運営は家康がすることになって、ほとんどの大名もそれを受け入れたと考えていい
秀吉死後になんとか覆そうとしたのが浅野以外の奉行衆と輝元

728人間七七四年2022/07/03(日) 12:18:18.12ID:M/UEJAC3
内府違いの条々にある家康の行動が事実だとして
加藤福島ら恩顧諸将もそれを見聞きしてたはずだがそのことに不満や危機感を抱いていたという話は聞かない
彼らから見て別に問題視するようなことではなかったんだろう

何度も言うが家康は他の大老や奉行たちのようなただの家臣ではなく
秀長や秀次と同等の豊臣一門と見なされていたということ

729人間七七四年2022/07/03(日) 14:51:24.71ID:Rh17IZfR
内府違いの条々は欺瞞と自己撞着の塊なんだが実際徳川家康が好き勝手してるという感覚はあったらしい。蜂須賀家政は毛利輝元に宛てて「家康さまは確かに横暴かもしれませんが」と一応の同意はしてるから。とはいえそれは「だから討伐しよう」には決して繋がるものじゃ無かった。ていうか十人衆の内4人も抜けてる現状で政治が出来るのは徳川家康しか居ないんだし。

730人間七七四年2022/07/03(日) 15:20:57.56ID:t6JQ77Bg
そりゃ武士なんて建前より力よ
知行宛行まで始めた家康と無力な幼子じゃ皆家康につくに決まってる
もちろん恩顧大名は豊臣家も家康の下で存続することを望んでいただろうが

731人間七七四年2022/07/03(日) 15:33:48.81ID:htPLDiVZ
「勿論近年内府無御届儀共可有御座候」
意訳し過ぎ
届けがなかったとは言ってるけど横暴だったとは言ってないし、意訳するにしても横暴と訳す人はいないだろう

732人間七七四年2022/07/03(日) 17:27:36.80ID:QxwEXjni
白峰氏の論文で知ったが、石田、増田が発給した上杉版ちかひの条々ってのがあるんだね
歴代古案所収、慶長五年七月付

偽書説もあるそうだが、ざっくりいうと白峰氏は三成が書いたオリジナルで、これをマイルドにしたのがよく知られる条々だと
当時の一次史料と断定している

しかしなあ、その後も三成は真田に上杉との連絡を懇願してるところみると、上杉版条々だけ景勝が落手したとは考えにくいよなあ
七月のいつかは不明だが、すでに会津征伐軍は出立したと記述あるし

733人間七七四年2022/07/03(日) 17:52:15.91ID:QxwEXjni
>>723
ちかひの条々のどこ読むとそういう解釈になるんだか

734人間七七四年2022/07/03(日) 19:10:06.30ID:IqNStJao
まぁ偽書だろうね。三奉行は前々から計画してたらしく五月七日の所謂諫止状で「会津討伐をすると秀頼が見捨てられたようになる」という奇妙な文を送ってる。後の決起に備えたんだろう。

735人間七七四年2022/07/03(日) 20:42:37.61ID:W5lK1kV7
>>732
これかな
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/ar02203.pdf?file_id=9973

これには内府の逆心が書かれてるんだな
初めて知った

読む限り偽書と断じるまでの材料はない気がする
これが黙殺されたか、その後国境に兵が置かれて分断
真田に繋ぎを依頼という流れはワンチャンあるか

736人間七七四年2022/07/03(日) 23:34:58.05ID:QxwEXjni
>>735
そう、それです
これが真正な書状だとすると、また白峰氏の解釈が正しいとすると三成の深い関与という、ある意味いわゆる定説を補強するものとは思うんだが

細かい書札礼解釈とかはともかく、整合性を持たすために推論に推論を重ねているようにも感じる

上杉は敵の敵だから真っ先に取り込む必要がないと思うし
これも推論に推論を重ねる論法になるが、上杉がなぜ徳川に歯向かわざるを得なかったか、江戸時代に三成を悪者にして偽造したものかも
いろいろ意見を聞きたいですね

737人間七七四年2022/07/04(月) 01:32:02.35ID:2VF17S7R
寡兵で大軍を破った戦いであればやはり桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
尾張一国の領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
兵力差8倍以上
まさに戦国史上ひいては日本史上最大の番狂わせ

738人間七七四年2022/07/04(月) 08:29:05.98ID:HI959hbu
>>736
関ヶ原の時点では豊臣政権内での権力争いで
西軍東軍ともに簒奪(または簒奪阻止)を
狙うとこまで踏み込んでないと個人的には思ってた

なのでこれを偽書とするのは俺にとっても魅力的
飛びつきたくなってるのは否めないので
いろんな意見を聞きたいな

739人間七七四年2022/07/04(月) 08:53:32.08ID:HI959hbu
ひとつに歴代古案というのは曰く付きの
直江状で有名な文書集だね

三成が檄文送ってきたから味方したんです
ってだけだと上杉の立場の正当化にはならない
特に時の政権への説明としては普通にまずい

が、その辺の編纂意図については別に考察があり
上杉家では慶長5年の戦乱に関して藩祖景勝ではなく
元和5年に家督が絶えた直江兼続(と三成)の
責任としたのだという見方がある

上杉版内府違いの条々もその編纂意図には
合致してるのよね

740人間七七四年2022/07/04(月) 08:55:24.56ID:LpFnAFFi
>>738
白峰氏の論文読むまで知らなかった自分が言うのもあれなんだが、歴代古案や続群書類従に載っているのにさして研究者の注目を集めなかった時点でなんらかの瑕疵があるんだろう
ぱっと浮かぶのは一点、上杉でしか保有してないことか

直江状らしきものはあったが、流布しているものが正しいのかという論争に似ているようにも思う
なんにせよこの前後数年はいまホットな話題でなにより
というより追い付いてない

741人間七七四年2022/07/04(月) 09:53:15.39ID:eqydYp6w
内府違いの条々って二つあるらしいからね。
一つは宛先と署名が入ってるもので此方は九州の領主に送られてる。もう一つは宛先も署名も酷いと日付も無い正真正銘の怪文書。江戸幕府は内府違いの条々を禁書としなかったらしくこれらは見ようと思えば見れたんだろう。

742人間七七四年2022/07/04(月) 12:23:28.51ID:cZPblWGv
歴史学者は紙切れの文字を重要視してしまうため、官僚タイプが多い西軍の文書を過大評価してしまう
しかし実際に戦をするためには莫大な金と食料が必要であり
特に西国大名は朝鮮で疲弊しているため自力で用意して東国遠征するのは困難だった

だから当時の武将にとって一番重要なのは豊臣家が軍資金と兵糧を提供するかどうかであり
豊臣家が家康に軍資金と兵糧を渡して西軍には渡さなかった時点で西軍の正当性などゼロだった
奉行が紙切れに何を書いたところで腹が満たされるわけでもない
そんな当然のことを白峰をはじめとした多くの歴史学者は理解できていなかった

743人間七七四年2022/07/04(月) 18:19:45.88ID:uQAxXIwL
>>730
自分一人の花押で文書出すとか、晩年の太閤ですら殆んどやってないよ。

それを平気でやってる時点で、秀頼<<<超えられない壁<<<家康という認識でしょ
只、権力を永続化させるには太閤取り立て大名を潰すか叩くかしないと駄目な訳で

どちらにしろ、加藤や福島なんかが生き延びれるかと言うと

744人間七七四年2022/07/04(月) 18:25:51.30ID:uQAxXIwL
>>729
そりゃあ、現代に置き換えてもそういう風になるのは分かるよ

「専務は会社を私物化し、自分が社長やってる子会社に会社の資産移してる」と言う風な
事実あったとしても「業務上背任容疑で刑事告訴しようとか、緊急役員会で解任しよう」とか
言えるかというとな。

自分の首が掛かる賭博をしたくないのは当然。

745人間七七四年2022/07/04(月) 18:36:09.79ID:IVwI3O8s
家康のやったことは秀吉と一緒
だから秀吉も秀頼が幼少で関白に任官する前に自分が死ぬ時点でもう豊臣家の天下は諦めてたんじゃないかな
なので最後は天下は家康に任せるから俺が織田秀信に織田家の拠点岐阜城と高位を与えたように豊臣家も1大名としてそれなりに遇してくれっていう思いだったんじゃねーの

746人間七七四年2022/07/04(月) 19:04:31.19ID:RaJ0Yl/h
パシオの報告書によれば、家康に政権を委ねること・秀頼がその任に耐えうる年齢になったら返却することを頼んでいる

747人間七七四年2022/07/04(月) 19:48:09.56ID:wMyheY2v
そりゃそう言うだろうけどな返してねって
そう言っておかないと秀頼が一目置いてもらえなくなって諸大名から軽視される

748人間七七四年2022/07/04(月) 21:11:40.12ID:WO9d0zER
??
織田家みたいに軽く見られたほうが家残しやすいじゃん

749人間七七四年2022/07/04(月) 21:47:37.26ID:zu1s/02S
豊臣公儀自体が秀吉の存在を前提としていて秀次への継承も失敗したからね。苦肉の策は家康を二代目秀吉に任命するしか無かった。それを快く思わない連中が十人衆政治を作った訳なんだが皮肉な事に事件が起こるたびに家康の人望が上がる結果になってしまった。

750人間七七四年2022/07/04(月) 22:48:39.34ID:wMyheY2v
織田家が軽く見られてたの?どこが?

751人間七七四年2022/07/04(月) 23:14:40.39ID:N9maeIW9
政権譲るのも家康の地位高めたのも秀頼のためだからな

752人間七七四年2022/07/05(火) 00:05:05.00ID:4srW7Dgc
企業論理っていうよりも職人論理なんだよな
豊臣の親方が無くなれば次の実力者の徳川親方に舵取りお願いするって感覚がね

753人間七七四年2022/07/05(火) 00:16:05.14ID:Cqm6s/+H
歴史小説とゲーム、それに自分のつたない経験を混ぜ合わせたような稚拙なお話はやめてほしい

754人間七七四年2022/07/05(火) 09:46:07.76ID:7Uw8K/7o
>>753
ちゃんとアンカーつけた方がいい
誰のことを言ってるのかわからん

755人間七七四年2022/07/05(火) 10:45:44.27ID:wbu9BmMI
三成が建てた戦略と西軍のとった戦略に隔たりが有りすぎる。三成は上杉と連携して徳川領を東西から挟み撃ちにするつもりでいた(だから会津への連絡を助けてくれと真田昌幸に頼んでる)対して西軍はまず西国を西軍(というか毛利が)支配してその後に徳川と決戦するという戦略をとってる。それで九州の諸領主に弾劾状と命令書を送りつけ、また徳川に親しそうな連中は土地を強奪してる。一見長期的な観点に立ってるように見えるけどこれ徳川が西上しないという事を前提にしないと成り立たない。現実に徳川が西上して鎧袖一触に倒された訳だが。彼等には何の勝算があったのだろうか。

756人間七七四年2022/07/05(火) 11:36:16.23ID:Cqm6s/+H
>>754
基本的に史料や論文に基づかない「感想」は下らないと言っている

757人間七七四年2022/07/05(火) 11:44:09.10ID:jG+5MBlH
同じ奴が同じ主張するだけのスレになってるな

758人間七七四年2022/07/05(火) 13:04:49.03ID:/1ugdSAf
西軍を構成する三成、輝元、他それぞれの思惑があるだけで
三成だけが違う思惑で動いてると特別わかる必要はないんでない?

三成にしても挟撃策は多分に後世の創作くさくて
上の上杉版内府違いが仮に真作であっても
挟撃策なのかどうかはわからない

少なくとも挟撃を狙うには全体的に遅きに失してるし
むしろ東軍先鋒への動きは悠長なくらい

西軍共通の誤算は会津討伐軍がそのまま東軍として
まとまって西進してきたことで
その時点で徹底抗戦を挑もうとした三成らと
諦めて危ない橋渡るより交渉で逃げ道探した
毛利その他という構図ではないかね

759人間七七四年2022/07/05(火) 13:05:40.53ID:/1ugdSAf
2行目わかる必要じゃないや
分ける必要

760人間七七四年2022/07/05(火) 13:30:54.28ID:45HrOtq/
妄想くんは反論があっても無視してずっと同じ主張垂れ流し続けてるだけだからなあ
会話にならんから絡む人もいないし話もそれ以上発展しないわな

761人間七七四年2022/07/05(火) 14:27:38.28ID:wbu9BmMI
三成が上杉と連携して徳川を攻撃するつもりだったことは八月五日真田昌幸宛石田三成書状にあるから一次史料に残ってる。だが三成は首謀者でも無いし西軍総大将でも無いのでこの戦略は採用されなかった。関西地方でも東軍勢力が強かったというのもあるんだろうが毛利軍が四国・九州に散っているのもあって東に振れる戦力が無い。三成は度々兵力増強を要請していた事が九月の長盛宛書状にあるけどその全てが却下されてたらしい。その頃には毛利は徳川と和睦交渉をしてるから何というか、三成も哀れと言いますか。

762人間七七四年2022/07/05(火) 15:02:42.25ID:NymoXV5r
もうみんな疲れ果てて実力者の家康に天下を任せればよいと思ってたんだろ。
秀頼なんかに誰が付いていくかと笑

763人間七七四年2022/07/05(火) 19:44:42.68ID:/1ugdSAf
なんで前年から毛利に対徳川たきつけてるのに
三成が首謀者の一人とは認めたくないんだろう?

764人間七七四年2022/07/05(火) 19:56:24.54ID:OnZJxw2L
>>761
毛利は四国・九州には主力は送っていない、
余剰戦力レベル。
輝元、元康、秀包が大坂周辺、秀元・吉川広家が瀬田から伊勢、
約三万が畿内及び以東にいる。

おそらく増田・長束が伊勢制圧を主張したんだろうが、まずは美濃に主力を集結させて東軍の出方を伺うというのが正解だった。
秀元や吉川も言っているが、普通は敵主力のいるところにこちらの主力を向かわせる。
それが伊勢制圧ではねぇ。
伊勢は美濃から行けるし、もし伊勢に東軍主力が来るなら退路は海。
美濃に集結すれば伊勢・美濃・尾張とどのようにも対応できる。

765人間七七四年2022/07/05(火) 20:06:14.81ID:Fe4gi02i
そもそも九州に行ったのは大友であって毛利は兵を出してすらいない
偶然大友が参集してきたから本領復帰を許可してやったとかそんなレベル
何をもって毛利軍が九州に散ってると言ってるのか

766人間七七四年2022/07/05(火) 20:39:48.80ID:s7fJX1Ol
大友義統のバックには毛利輝元がいる。九月七日黒田如水宛大友義統書状に「拙者事配所において毛利殿御懇意深重に候へば、今度一命を捨てその恩に報いるべくと存じ候」とある(黒田家譜)また義統が率いた軍には毛利が用意したものが入ってる(大友家文書録)更に義統は輝元に起請文と次男を差し出してる。

767人間七七四年2022/07/05(火) 20:59:34.93ID:dGMCN42g
>>766
まさかそのことを知らないと思ったの?
あるいは否定してるのだとでも?
何故そう考えたかかなり興味深いな

768人間七七四年2022/07/05(火) 21:01:23.54ID:2HjU4aVp
妄想馬鹿の相手禁止よ

769人間七七四年2022/07/05(火) 21:05:45.34ID:s7fJX1Ol
>>767
大友家文書録のことをしっていたのに「毛利は兵を出してすらいない」ってのはどういうこと?

770人間七七四年2022/07/05(火) 21:29:06.68ID:s7fJX1Ol
大友義統の行動は八月二十八日に加藤清正が「上関辺まで大友が来てる」と書いてある(清正勲績考)事がかなり興味深い。
というのもこの上関は毛利の水軍基地がある。大友家文書録で義統が軍艦と兵隊百人を授かった地は周防の大畠だが、これらの船の手配は輝元の指示によるものだったと見て良い。

771人間七七四年2022/07/05(火) 21:44:03.68ID:s7fJX1Ol
ちなみに九州に対する輝元の野望は大友義統に留まらない。
九州は毛利や大友、ある時は島津も絡んで紛争地帯になっていたけど秀吉によって豊臣系大名に割り振られた。しかし毛利一族の影響力は残っていた。八月二十八日、松井康之が毛利吉成の動向を記録してる(松井文書)けどこの中に
「毛利吉成は熊本に来た。輝元と奉行衆の使者らしい。吉成は伏見城攻めで大損害を出したという…その為(門司城に)輝元が軍勢を入れると言う」とある。輝元は書状で部下を門司に派遣して更に町人からも人質を取っている。軍勢無しに出来る事では無いと思うのだが…
なお、門司城だけではなく毛利吉成居城・小倉城も輝元の支配下に置かれてる事が吉川家文書より明らかになっている(「尚々小倉の儀、輝元より加番入の由候間…」とある)

772人間七七四年2022/07/05(火) 22:01:23.53ID:BQFzuyh9
>>766
戦国期の書状らしからぬ表現だなと思って黒田家譜読んだら、書状が引用されているわけではなく「義統返書の趣にいはく」「とそ述べられける」ってあるじゃねえか
どんなに都合よく解釈しても書状の大意を書いているだけ

しかも要点だけ言うと、おめさんが引用したのの後段には「ご存じのように里も失った。家康の人質になってる義乗も世に出したいし、家康の側にもつきたい。分別が大事で是非はすぐに決められない。二、三日したら使者を送るね」って記されている

こんなものを誰宛て誰々書状なんて間違っても言いません
毛利が背後にいるとする根拠に挙げるのもこれは不適切

ついでにいうと、どこから引用したか知らないが、細かいことを言うと原本見ると「今度」じゃなく「此度」な
おめさんは史料扱うレベルにない

773人間七七四年2022/07/05(火) 22:17:08.23ID:BQFzuyh9
>>766
ついでにもう一言
家譜、とくに黒田家譜に顕著なんだが、このエピソードも藩主をスーパー人間に仕立てる一要素だから
元義統の小姓で浪人していた大神大学ってのを使者に仕立てた
家臣は反対したが、如水は「大学が内通するのは分かっている。偽情報を流して裏をかくんだ」とどや顔
もう一人の使者、宇治勘七が密かに敵軍の情報を探ると

義統に「久しぶりに会ったら大男になったな、昔を思い出すよ」と言われた大学はむせび泣く

史料批判って言葉知ってるかい?
このエピソードを全面的に史実ですと言い張れる人間いるかい?
どうせ返答はないんだろうけどな
誤訳、超訳、切り貼り、前後も確認していない
この人の史料引用はすべて疑ってかかるべきだよ

774人間七七四年2022/07/05(火) 22:24:38.94ID:2HjU4aVp
まあ間違いなく返答はないな
会話できない奴だから

775人間七七四年2022/07/05(火) 22:47:19.07ID:KTv9X0CG
>>771
その二つの書状は時期が違うからその性質も全く違う
吉川家文書の如水書状は10月4日付で既に大勢が決した後に輝元が小倉に兵を入れる旨が述べられてる
この頃毛利吉成は小倉から離れていた可能性が高く、小倉城も既に空き城になっていた可能性が高い
そこに輝元が在番という形で小倉の安定を図るために一時的に兵を入れたに過ぎない

この書状で如水は「私からは毛利のお家再興の件は断言できないが、今こそ毛利家中で事に当たるべき時だ」と言ってる
そんな大切な時期に輝元が自らの野望で小倉に加番の兵を入れるわけがない
その解釈は的外れもいいところだな

776人間七七四年2022/07/06(水) 00:19:57.87ID:NdEKTGG4
>>775
史料確認した
すでに前日から小倉を黒田が取り巻いている上、「毛利吉成(あの人が分かっているかどうか知らないが毛利一門ではない)に城を渡すな」と吉川広家に助言してるね
全文読むと、広家はじめとして毛利家としっかり人間関係築いていたアピールと存続への願い、なのに輝元というより如水の野望を感じる内容(家康への愚痴)だね

777人間七七四年2022/07/06(水) 00:34:31.37ID:NdEKTGG4
返答は一切期待してないんだが、史料の切り貼りでいくらでも新説は立てられるということよ
あの人の場合は悪意というより単なる知識不足だろうが
ほかのスレだったと思うが、史学学んだものならどう考えても取り違えない真逆の訳もしていたし
話も出来ずに垂れ流すだけなので邪魔

のみならず、読めもしないのに史料を都合よく切り貼りするし、害悪

778人間七七四年2022/07/06(水) 01:12:37.32ID:fXctKln5
如水は広家宛書状だと結構心情吐露してるんだよな、家康御勝手になり残念とかもし戦が長引けばとか
関ヶ原前後で緊密にやり取りしてる辺りにも距離感の近さが窺える

779人間七七四年2022/07/06(水) 09:58:05.49ID:BJJ0rFGQ
輝元って割とエグい手段使ってるんだなと。徳川と親しい生駒・蜂須賀領は強引に奪い、森(毛利)吉成の城も侵食、大友義統には毛利軍を付けて派遣と野心満々の動きをしてる。そして事破れたら「恵瓊が悪い」で切り捨ててるし。

780人間七七四年2022/07/06(水) 10:03:21.35ID:YJvX/Ri4
なんか発狂してる奴いるけど何の反論にもなって無いな。
大友義統が毛利から軍を受けてる大友家文書録に載ってる話なのに何故か「黒田家譜は信用出来ないんだー!」ってズレた事を言ってる。輝元が毛利軍を毛利吉成領に送り込んでるのは輝元書状にも残ってる事なのにな。

781人間七七四年2022/07/06(水) 10:59:23.14ID:NdEKTGG4
大友に毛利が加勢して九州に出兵したことは否定していない
その根拠史料に黒田家譜の怪しい記述をさも書状の引用のように持ってくるのが史学から外れていると指摘してるんだよ
しかも切り抜きで「どっちにつくかすぐ決められませーん」という内容なのに
そんな取り扱いじゃ査読はおろか、ゼミでも単位もらえんよ

ttps://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/gallery/H25/kafu.html
ここで黒田家譜読めるから自分で読んでみろ
12巻の21ページ目が当該部分だ
読んだら改めて感想よろしく

782人間七七四年2022/07/06(水) 11:40:07.69ID:rSWwdzQr
小倉が空城なんてことあり得んのか?森吉成が秀吉から小倉六万石を賜った時に増改築したのが小倉城だろ?つまり森一族の中心。確かに森一族は伏見城での大損害で大混乱に陥ってるが黒田如水の手前小倉を捨てる筈が無い。それは森一族の滅亡すら意味する。仮に西軍が敗れても否敗れたからこそ小倉城は森一族が集結する最後の砦になるんだし。それが空で輝元が一時的に預かった、なんて奇妙な話があり得るのか?

783人間七七四年2022/07/06(水) 11:45:45.08ID:rSWwdzQr
あり得るとしたら相当汚い話になるぞ。つまり森一族を輝元が追い出して「空城になってるから」という建前を作って占領したぐらいしかあり得ん。
って調べたら吉成の子、吉政は毛利軍に吸収されて安国寺恵瓊の指揮下に置かれてたのか。蜂須賀家政や生駒親正と全く同じパターンじゃん…

784人間七七四年2022/07/06(水) 12:57:31.26ID:qucWn64t
>>782
9月28日付如水宛井伊直政黒印状
「毛利壱岐取懸、被入御精候儀、肝要之由被申候、
殊御領分之内候間、即彼地可被仰付之由被申候」
家康は当該書状で如水が大友を生け捕ったことを賞し、更に小倉を攻めるよう命じてる
10月19日付稲津重政宛如水書状で、如水が小倉城を既に受け取っていることが分かる

10月4日の時点で毛利吉成に小倉城を渡さないよう広家に要請してるということは、吉成が小倉城にいなかったのはほぼ確実
10月4日~19日までの間に小倉城で大規模な籠城戦があったという史料もないし、
城主がいないなら空き城若しくは空き城同然だったと考えるのは自然なこと

輝元が小倉に兵を入れるってのは、既にこの時期天下の大勢が決していることや、
輝元勢が小倉城に入るなら吉成に渡さないよう如水が要請してることからも、
輝元の領土拡大の野心による加番と考えるのは見当外れ

輝元が関ヶ原後も徹底抗戦の構えを見せてるならまだしも、この時期わざわざ家康の心象を損なうようなことをする方が不自然

785人間七七四年2022/07/06(水) 13:27:59.33ID:2VMa7VEp
>>779
輝元は大坂の陣でも自分の家臣を大坂城に保険で送り込んでる
で、大坂方が負けた後その家臣も尻尾切りで始末してる

小悪党って感じで領土削られて分相応になってよかったねとしか思わん

786人間七七四年2022/07/06(水) 13:31:12.12ID:8VCR5LnZ
つまり「毛利は九州に兵を出してすらいない」というのは真っ赤な嘘であったと。こうした動きを見ると毛利輝元ド真っ黒なんだよなぁ。やってる事が生臭い。表向きは大坂の三奉行に担がれた様に振る舞っておきながら実は四国・九州に侵略の手を伸ばしてる。しかもこれを「秀頼の命令」としてあたかも公儀の如く振る舞ってる。ソリャ家康には勝てんわな。格が違う。

787人間七七四年2022/07/06(水) 14:01:21.93ID:mCboEupQ
>>783
時系列の違う複数の史料をごちゃ混ぜにして自分の解釈に都合の良く抜き取ってるのはわざとやってるの?
そういう史料の扱いで自分の主張を何回も繰り返すから疎ましがられるんだろ
若しくはID変え続けてるから自演だらけで殆どスレが機能してないのに気づけてないのか?

788人間七七四年2022/07/06(水) 14:07:51.59ID:NdEKTGG4
毛利が九州四国で火事場泥棒したり、その過程で大友を支援したことを否定する人なんかいないでしょ
常識な話をなぜか得意満面で語り、根拠とした史料を誤読しているから叩かれてるんでしょ

小倉の件も自分で引用した史料に答えが書いてあるのに誤読するし
で、黒田家譜の該当部分は読んだかな?

>>787
わざとじゃないと思うよ
だってまともに読めてないから

789人間七七四年2022/07/06(水) 14:52:55.66ID:fXctKln5
なんというかこんな自演し放題なんだから戦国板も過疎る訳だな
同一人物が同じ主張してそれをID変えながらずっと続けてる
1人こういうのがいたらもうどうしようも無くスレが崩壊するだけっていう典型的なパターン

790人間七七四年2022/07/06(水) 16:12:35.38ID:ExqW7CxA
ボケ老人だから相手にしたら駄目なんだよ

791人間七七四年2022/07/06(水) 16:26:42.45ID:t+kYbbbC
毛利が四国・九州にそれぞれ1000〜3000ほどの兵を送った、ついでに言うと伊勢湾にも1000〜3000ほど兵を送った。九州はよくわからんが、村上らの水軍衆が主力、伊勢湾も乃美、村上らの水軍衆、
なんつーか、とりあえずやることのない水軍衆に
やれそうなことをやらせた、ってかんじにみえるけどなぁ、
もちろん後顧の憂いを断つという意味では
意味のない作戦ではないが、
とりあえずこれらは特に新たな発見等ではなく、
既に知られている事柄で、だからなに?ってかんじだが。

792人間七七四年2022/07/06(水) 17:02:46.05ID:SnwyPEC9
そういやワッチョイ導入はどうなったんだろ

793人間七七四年2022/07/06(水) 18:43:58.52ID:RG2CVXM/
ワッチョイ申請は終わっている
運営の処理が去年から滞っている状態

794人間七七四年2022/07/06(水) 19:45:14.04ID:5a5q0l78
>>713
秀秋が裏切りを躊躇したのは、眼下で宇喜多勢が福島勢を押していたからではないかな。
宇喜多勢1万7千、福島勢6千。3倍近い相手と果敢に渡り合う正則も凄い。

795人間七七四年2022/07/06(水) 19:48:29.04ID:5a5q0l78
家康の馬印が倒されたのは三方ヶ原の戦いと大坂夏の陣の2回。

796人間七七四年2022/07/06(水) 21:40:14.31ID:N+OdT630
まぁ裏切りも何も秀秋は松尾山を取った時点で西軍離反確定なんだけどね。

797人間七七四年2022/07/06(水) 21:47:18.55ID:VApwaOJt
>>788
悲しい事にそれを知らん奴がいるのよ。「毛利は九州に兵なんて送ってない!」って自信満々に言う人が。それが一次史料で指摘されて発狂しとる。まぁこれが火事場泥棒かと言うと一概にそうは言えんけど。だって火を放ってるのは毛利筆頭西軍なんだし。仮に九州や四国を放置して徳川攻撃を決定してたら歴史は変わってたろう。それが家康と輝元の違い。

798人間七七四年2022/07/06(水) 22:01:16.35ID:NdEKTGG4
>>797
黒田家譜が一次史料?
書状の引用でもないのに?
貝原益軒が本当にそんな一次史料読んでたならそのまま引用すればいい
他家の家譜じゃ普通にやってること
で、黒田家譜読んだ?

799人間七七四年2022/07/06(水) 22:32:01.10ID:6Y4yDo3r
>>797
ID:BJJ0rFGQ
ID:YJvX/Ri4
ID:rSWwdzQr
ID:8VCR5LnZ
ID:VApwaOJt

今日だけでこんだけID変えてるけどなんか意図があるの?

800人間七七四年2022/07/06(水) 23:26:58.36ID:pULTITUB
>>794
という事は、小早川軍が攻め掛かれば福島正則は確実に戦死という事

正直、東軍本隊まで先鋒隊の潰走に巻き込まれるでしょ
関ヶ原って狭い山狭だからね

敵よりも、前方から潰走してくる味方の方が怖い

801人間七七四年2022/07/06(水) 23:30:19.15ID:WeuwfnxY
この調子だとほんとにワッチョイ必要だな
もうずっと1人が自演連投しててスレが機能してない
本人に荒らし同然の行為してる自覚無さそうなのもタチ悪いが

802人間七七四年2022/07/07(木) 00:34:19.08ID:PNqBmH16
布陣図の信憑性に諸説あるけどあれだけ見ると宇喜多に相対した東軍が左翼側丸出しで松尾山の軍勢に対処出来なさそうなんだよな
実際小早川らに側面突かれた場合対処する方法はあったのか?

803人間七七四年2022/07/07(木) 01:06:24.77ID:ICMPwgvg
>>802
大垣を出て小早川に攻めかかった三成たちを、福島たちが東から挟み撃ちにして始まったのが関ヶ原の戦いなのに
小早川らに側面突かれた場合とか仮定がおかしいだろ

804人間七七四年2022/07/07(木) 08:45:04.16ID:7P7EihaE
>>797
大友義統が毛利軍の息が掛かってたってのは黒田家譜に書いてある事じゃ無いぞ。大友家文書録に「輝元から船と兵隊を出して貰いました」って残ってるからそれが基ね。一次史料で見ても義統は毛利水軍基地の上関を経由してきてるからそこで軍艦を拝領した可能性が高い。
黒田家譜にあるのは義統と輝元が非常に親密だったという話で実は重要なものじゃ無い。とは言えかなり興味深い記述でしかも矛盾が無い。義統は大友家再興を志していてその為の物資を輝元に提供されてるのだから恩を感じない筈がない。

805人間七七四年2022/07/07(木) 08:52:08.09ID:7P7EihaE
>>784
それは悪いけどかなりズレた想像かなぁ。輝元は徳川との和睦によって戦線縮小を命令してる。例えば九月十九日付で阿波占領軍を撤退させてる。九州戦線も当然撤退しなければならない。問題は小倉城でここは毛利が占拠してる門司よりも南にある。つまり毛利軍はわざわざ南下して小倉城を占拠してるワケ。お前さんの言う通り毛利は徳川を刺激したく無い訳だがこれは明らかな敵対行為と取られる。だからこれは関ヶ原の後のものじゃない。
だが関ヶ原の後じゃないなら何故毛利軍は小倉城に進軍したのか。小倉城は毛利(森)の本拠地でそこには兵隊もいる。松井文書には「小倉城方は心配してる」とあるのでこれも間違いない。

806人間七七四年2022/07/07(木) 09:12:37.84ID:nc1aATds
西軍が統一的な行動が取れてたとは言えないけど
毛利の軍事行動が身勝手で的外れかというと
それもまた違うと思うんよね

そりゃ三成は畿内で早々に周囲を西軍勢力圏に囲まれて
東軍攻め上って来たらいきなり死活問題だし
対徳川だけに集中したいだろうけども

毛利の立場では畿内以東にだけ戦力集中
というのは現実的な戦略じゃないと思うぞ

挙兵する以上敵勢力は確実に周囲にある訳で
四国を放置して瀬戸内が戦場になれば
本国と大阪、東国との連絡も途絶えかねない
九州放置して本国攻められたら
それもやはり東国どころじゃない

輝元に野心がないという意味ではなくてな

807人間七七四年2022/07/07(木) 10:44:36.00ID:yy91dZ1q
輝元は八月八日付益田元祥宛毛利輝元書状で「毛利秀元から援軍を要請されているが多方に戦力を送ってるので当分増援は出せない」と戦力不足を吐露してる。毛利軍は四国や九州征服に軍を割いてしまったので伊勢や美濃に兵を送る事も難しかったんだろう。その結果岐阜落城からの降伏な訳で輝元の戦略眼に問題があったことは間違いない。惣無事令で私戦行為は禁止されてるのだから本来九州や四国は気にしなくても良い筈なんだがなぁ。親徳川派が動いたらそれこそ討伐命令出すだけだし。

808人間七七四年2022/07/07(木) 12:46:23.80ID:d5/GQ4k4
>>805
ズレてる人にズレてると言われるのは心外だな
「尚々小倉之儀、従輝元加番入之由候間、壱岐へ不渡様ニ可被仰付候」
10月4日の時点でまだ輝元勢は小倉に入ってない
これから輝元が小倉に加番を入れるそうだから、毛利吉成に渡さないようにと如水は広家に要請してる
この時点で輝元勢はまだ小倉に入城してないのに関ヶ原後のことじゃないってのはどういう意味?

あと補足しとくが空き城と表現したけど、人っ子一人いない無人の城だとは自分も思ってないぞ
ただ吉成は在城してないし、留守居が抵抗したような形跡も見られないってことは空き城同然だったという意味
あんたが引用してる松井家文書の松井康之・有吉立行他連署状は8月28日付
8月下旬の状況が10月上旬にもそっくりそのまま当てはまるのかも甚だ疑問だけどね

>>775で小倉の安定を図るために兵を入れたと書いたが、これは個人的な推察で史料的根拠はないし間違ってるかもしれない
ただ輝元の領土拡大欲からによる占拠ってことは時期的に見てまずあり得ない
白峰氏も具体的な小倉加番の理由こそ述べてないが、これは一時的な在番だろうと言ってるし

809人間七七四年2022/07/07(木) 19:27:36.69ID:EpFamnRi
>>807
流石に私戦停止だから安全ですとは行かんでしょ

九州四国に送った兵を上方に集中させたとして
フリーになった東軍勢力が毛利領攻めたら
上方どころじゃなくなって結局頓挫する訳だし

810人間七七四年2022/07/07(木) 19:39:04.50ID:K4hoDqRP
>>805
読めないんだから史料読むなよ
どうせ質の悪いブログかなんかから引っ張ってるんだろうけど
以下は小倉の件と同じ書状の後段を関ヶ原スレから引用

一 上方於美濃口御取相當月迄も御座候者、中國へ切上、花々と見知返し候而、一合戰可仕と存候に、はやく内府御勝手に罷成殘多候、

一 於九州者、奉行方之者は嶋津、立花迯下有之事候、内府樣へ得御意に上せ候間、被仰出次第兩人之者共則時討果、

   罷上、以面萬々可申承候、恐惶謹言

     十月四日             圓?(花押)

     廣家樣
         貴報

日付見るまでもない
関ヶ原後というのは明白

811人間七七四年2022/07/07(木) 20:13:17.51ID:oAtGRsq8
九州って石高上は西軍勢力の方が遥かに強いから「背後を突かれたら」とか考える必要が無いんじゃね。
東軍勢力は黒田・加藤・中川・寺沢・伊東で併せて56万石くらいでしょ?対して西軍勢力は島津だけで56万石ある上に毛利小西小早川鍋島立花と合わせれば東軍の倍くらいは行く。この状況で海越えて毛利攻めする様な無謀な奴は居ない。まぁだから領土拡大が容易と踏んで九州を攻撃したのならそれはマジの藪蛇ってやつだったなと。

812人間七七四年2022/07/07(木) 20:22:31.41ID:K4hoDqRP
>>811
で、吉川宛黒田書状の後段見ても関ヶ原前と言い張るんですか?

813人間七七四年2022/07/07(木) 21:08:19.84ID:nc1aATds
結果的にあっという間の短期決戦で終わったから
そこに集中しなかったのは失策となる

が、そこを読み違えてたのは正直西軍全部そう
あっさり上杉征伐軍が東軍にまとまったのが誤算

>>811
少なくとも四国攻めは必要だったと思うわ
瀬戸内海が戦場になってしまったら
本国と上方の遠征軍の連絡が脅かされる

九州も史実としてその数が少ない
東軍勢力が伸びてるし
島津も本国は日和見だったじゃん

814人間七七四年2022/07/07(木) 21:54:25.44ID:TK9d8CG/
光成準治氏が「関ヶ原前夜」で輝元の野心の表れとして書いてたな。実際輝元は関ヶ原後に徳川と和睦して全戦線から撤退してる訳で間違っても戦線を進める様な真似は決して出来ない。だから十月四日時点で小倉城は毛利軍に占拠されてた事になる。毛利軍が支配してる門司城より小倉城は南にあるからそこに兵を送る事は提案すら出来ないだろう。明確な乗取り行為だが凄く輝元贔屓に解釈すると戦力で圧倒する黒田軍相手に毛利吉成じゃ無理と援軍を送ったのかもしれない。

815人間七七四年2022/07/07(木) 22:16:41.34ID:K4hoDqRP
>>814
関ヶ原前の書状だという主張はどこいったんですか?
「毛利吉成に城を渡すな」という黒田の発言は無視ですか?
頼むから史料扱うな
史料への冒涜だから
あと、おめさんが来るとスレが過疎になるんだよ
長篠スレで前みたいに妄言垂れ流せよ
そんなに構ってほしいのか?

816人間七七四年2022/07/07(木) 22:59:22.41ID:d5/GQ4k4
>>814
確かに光成氏は関ヶ原前夜で10月4日以前には既に毛利勢が小倉城に入っていて占領してると言ってるな
妄想くんは光成説支持ってことね
白峰氏は10月4日以降に毛利が入る予定だと言っていて、自分も毛利勢はこの時点でまだ入城してなかったと見てる

門司から南と言うけど距離にしたら小倉までは15kmくらいしかないし十分移動可能な範囲内
言い方に語弊があるかもしれんが、この毛利勢の小倉加番は時期的な観点から
西軍の立場からと言うよりは東軍の立場から行われたものだと思う
わざわざこの時期黒田と事を構える訳がないし、如水が吉成に渡さないよう要請したのも明らかに味方と認識した上での発言

「従輝元加番入之由候」
結局これが既に毛利勢が入ってるのか、これから入るのかでその後の解釈も全く異なってくる
この件についてはこれ以上あんたと話しても堂々巡りになるだけで、他の人の迷惑になるしこの辺でやめとくわ

817人間七七四年2022/07/07(木) 23:30:05.82ID:K4hoDqRP
>>816
あの書状は全体的なトーンとして毛利家にきわめて同情的だよね
たかかげ、広家と仲がいいだけかもしれないが
書状発出の前日から小倉城を取り巻いていて、解釈としてはそれ以前に毛利が番衆を入れていたと取れなくもないが、吉成への言及と整合性がない

このあと如水はさらに転戦しているし、早く安芸毛利家で治安面含めて管理してくれ、それが家康からの温情を勝ち取る手段だと言っているように思える
あなたの推論通りというか

光成氏の論拠は知らないが、毛利系文書の専門家といってもすでに占拠していたは苦しい

818人間七七四年2022/07/07(木) 23:57:19.35ID:d5/GQ4k4
>>817
そうなんだよね
まあ秀元と秀包に関しては最近手紙の一通も寄越さないと愚痴ってるが
これもご愛嬌で毛利についてはまあ好意的だよね
全文読んだ上で追而書を解釈すると、輝元勢の入城を歓迎してるように取れるし

光成氏の関ヶ原前夜は2009年の刊行で少し時間が経ってるし、近年の研究での見解も気になるところだ

819人間七七四年2022/07/08(金) 00:28:30.75ID:HMLnLUoE
如水は取次やってた縁で毛利一族とは基本的に仲良いんだろう
輝元は書状で黒勘殿と省略した呼称使ってて秀包も如水が攻め手なら降伏しろと家中に伝えてる
本人曰く穂井田元清とも親しくしてたそうだし

820人間七七四年2022/07/08(金) 06:05:40.69ID:iWWthHWU
>>811
実際の所、東軍の木曽川渡河は相当な博打だったと思うよ
史実の流れではそれが上手く行き、そして直ぐに岐阜落城だけどそれは相当な博打だったと
いう事を忘れすぎ

東軍先鋒隊の保々全軍が渡河ですから、有力な西軍が待ち構えてたら終わりじゃないですか
更に敵が多ければ退却すればよいってもんでもないんだぞ

戦闘が無く損害無しで退却したとしても、あの情勢では東軍先鋒が大敗って噂に成り深刻な
動揺に成りかねない

821人間七七四年2022/07/08(金) 06:11:58.23ID:iWWthHWU
東軍が容易に木曽川の線を突破出来ないと言う予想なら、先に九州四国の平定を
考えるのも別におかしくはないぞ

それで、黒田とか加藤とか藤堂とか国元潰したら見せしめ効果抜群の大名が沢山あると
いうのも見逃せない
両軍の本隊がぶつかる前に、黒田の親父が戦死とか藤堂の一族皆殺しとかの情報が
出回ればどうですか?

数ヶ月ずれるだけで起きた可能性が高いですよ

822人間七七四年2022/07/08(金) 08:05:29.21ID:mDIEh0DE
九州も四国も兵力が少なすぎて失敗しとるやろ、
1000〜3000程度で制圧できるわけがない。

823人間七七四年2022/07/08(金) 08:07:27.42ID:mDIEh0DE
しかも向かった将からも水軍衆が主力っぽいし。

824人間七七四年2022/07/08(金) 08:22:48.73ID:QCDQnY0m
>>815
「吉成に城を渡すな」って事は小倉城を毛利軍が押さえてるから言える事じゃないか。仮に小倉城が森一族が押さえてたら「東軍が接収するからお前らは退け」って言うじゃん。如水ひいては家康にとって毛利軍が撤退するのは当たり前としてそこで「城は吉成に返すわ」って吉成を入城されて森一族徹底抗戦になるとめんどくさいから言ってるんだろうし。

825人間七七四年2022/07/08(金) 08:54:20.60ID:QCDQnY0m
>>820
木曽渡河は博打でも何でもないよ。当時から「木曽川は何処からでも渡れる」と見られていて岐阜城攻撃は用意と東軍は踏んでいた。それに拍車を掛けたのが織田秀信の状況で秀信は軍勢を集める事に苦慮していてそれは東軍も掴んでいた。
それで岐阜城は簡単に落とせると思っていたらしい。あそこまで鎧袖一触とは思ってなかったのかもしれないけど。

826人間七七四年2022/07/08(金) 10:12:07.33ID:w4I4UR71
稲葉山城の頃から何度も簡単に落ちてきた城でもあるしな

827人間七七四年2022/07/08(金) 12:34:56.64ID:qk7Od7wO
>>825
戦力比がかなり優勢なら木曽川渡河自体は大きな困難ではない、
渡るだけならね、それでも下流渡河組は敵の抵抗大で
渡河地点変えてるようだが。
問題は戦力互角や劣勢時の話で、有力な敵が渡河に阻止迎撃してくれば
当然大きな損害を被るか渡河を阻止される。
また、戦力劣勢にも関わらず無理に渡河すれば
退路の問題も出てくる。

これらの問題がないなら小牧・長久手時に
家康は竹ヶ鼻の後詰に行ってるよ、
野戦で負けて退路の木曽川で討ち取られるのが見えてるから
後詰せずに開城してよしと言ったわけで。

828人間七七四年2022/07/08(金) 12:38:57.57ID:qk7Od7wO
なので、宇喜多か秀元・吉川が美濃に行ってれば
渡河迎撃は成功していた可能性はそれなりにある。
上流か下流どちらかだけ渡河成功しても、それはそれで戦力分断となる。

829人間七七四年2022/07/08(金) 13:41:36.04ID:QCDQnY0m
東軍は西軍の戦力をほぼ完全に把握してる。しかもそれは三奉行の出した書状と内容がかなり一致するから誰かが漏らした可能性が指摘されてる(おそらく石田三成)
それが何を招いたかと言えば、「西軍主力は伊勢に居て岐阜方面は僅か」という決定的情報が東軍に渡った事を意味してた。これだけの情報を徳川家康クラスの戦略家が掴んだらまぁ負けん。だから池田輝政・福島正則らの岐阜城攻撃隊は恐れず戦争する事が出来た。博打というより落ちてるカネを拾いに行った感覚だったかもね。

830人間七七四年2022/07/08(金) 17:53:48.40ID:BCkXBBzp
以上妄想でした

831人間七七四年2022/07/08(金) 19:50:45.36ID:DcrHwxw3
八月二十二日の佐々正孝書状(愛知県史)には木曽川は簡単に渡河できる上赤目・今尾等を確保してるので美濃だろうが佐和山だろうが攻撃可能であることを記しまた西軍の美濃方面軍の配置を網羅してる。これらの記述は七月二十六日三奉行連署状や石田三成書状と一致するからソースはこれら西軍書状と見られてる。また佐々は「織田秀信は人数を集められておらず攻められたらもたない」と見通しを語ってる。つまり東軍は博打的に岐阜城を攻撃したのでは無く「西軍主力部隊は美濃に展開してない」事を知った上で主力部隊が来ない内に電撃的に岐阜城を落としに来てる。これは三成にはどうしようもなく輝元の戦略の拙さが招いたものなんだが。

832人間七七四年2022/07/09(土) 09:23:52.85ID:zt6v/gpi
今の研究だと毛利の九州四国への出兵って
領土的野心で西軍とは無関係にやった扱いなん?

大友豊前、河野の讃岐奪還作戦(どっちも失敗だが)や
阿波の接収は西軍の戦略という認識だったわ

833人間七七四年2022/07/09(土) 13:17:04.26ID:Z9rZTkWc
「徳川家康は秀頼を軽んじてる!故に討伐する!」って言いながら何故か関係無い西国を攻めてる上にここで動いてるのが殆ど毛利軍って事を考えれば答え合わせみたいなもんだし。しかも西軍のトップは毛利輝元と安国寺恵瓊な訳で…

834人間七七四年2022/07/09(土) 19:37:09.77ID:DV/pQlLC
西軍って致命的な戦争下手しかいないしな。まさかの一番マシが三成

835人間七七四年2022/07/10(日) 07:27:47.20ID:2QtKKeWE
>>831
個人的推測だが、石田が福島勧誘した時正直に話したんじゃないかな、誠意の証として、
で、それが漏れたと。
誠意が裏目に出たんじゃないかな。

836人間七七四年2022/07/10(日) 07:33:27.53ID:2QtKKeWE
石田・大谷が謀反を起こした扱いになってるなら、
そりゃ石田が福島勧誘しても成功率低いだろうなぁ、

837人間七七四年2022/07/10(日) 09:21:55.17ID:wWwblqbe
実の所、可成り子細な記録残ってる戦いでも、大規模野戦って騙し合いなのな。
相互に相手騙して有利な条件で、決戦に挑もうとしてるから。

なのに、「最後の勝利者は勝者だからギアスが使えるんだ」的な思い込みは何故生まれるのか。

カンネでも、イッソスでも、ファルサロスでも、相手が追い詰められてるって言う欺瞞情報
信じて野戦に出てきたの忘れてないのか?
しばしば「ぼろぼろ、今野戦に出てきたら一気に勝てるよ」って欺瞞情報出回ってるのに。

何故、大権現はギアスつかえる想定なのか?

838人間七七四年2022/07/10(日) 11:21:42.80ID:KyHLpEu2
ギアス?

839人間七七四年2022/07/10(日) 13:39:07.54ID:W8GYEAIz
吉川広家だったが書いてたけど「奉行衆は事細かく指示してきてメンドイ」とのこと。どうも西軍は統制を強くしてたらしく少し煙たがられてたらしい。対する東軍は家康の大雑把な指示からの各方面軍が現地で判断してたらしく統制より速度を重視してたみたい。

840人間七七四年2022/07/10(日) 15:16:16.74ID:XmJw0xKk
広家はあくまで毛利の家臣だから奉行衆に無条件に従う理由は無いし奉行衆の指揮への信頼も無さそう
家康は軍監の井伊や本多たちがいるから任せられるし他の大名も歴戦の勇士の言葉は尊重する
上下間の信用度が違うのと戦略的余裕の差

841人間七七四年2022/07/10(日) 15:48:54.42ID:PYwfrif8
東軍の家康、軍監と諸大名の関係が
本来の秀吉、奉行衆と諸大名の関係なんよね

主君の命を奉じて行うから奉行な訳で
それが主君が死んで誰の命を奉じるでもなく
ただ命令するだけの存在になろうとしたら
そりゃ反発必至だよね

842人間七七四年2022/07/10(日) 17:06:35.26ID:mh9jKV80
>>838
最近色んなとこに現れるbotじゃない?

843人間七七四年2022/07/10(日) 17:16:34.27ID:T+SflT4H
これずっと1人でやってんの?

844人間七七四年2022/07/10(日) 17:24:56.58ID:5qKNIRCL
そもそも西軍の主張として家康の独裁を批判しているのだから
西軍は寄り合い所帯的な組織にしかなりえないんじゃないの

845人間七七四年2022/07/10(日) 17:31:44.95ID:RG4acYJR
ID:wWwblqbeは例え話
今日は連投してないけどID:W8GYEAIzがいつも一人でID変えながら自演してる妄想野郎

846人間七七四年2022/07/10(日) 17:54:19.72ID:lwYTAlxE
>>843
そうです

847人間七七四年2022/07/10(日) 18:17:19.91ID:iSaEOCyn
自分と会話したいならここじゃなくてさあ

848人間七七四年2022/07/10(日) 20:52:02.17ID:+Bg0JqN/
どうせ同一人物だろ
他スレで暴れているのも同じ奴

849人間七七四年2022/07/10(日) 21:00:38.71ID:+fY3/X0x
例え話とそれを攻撃する流れも自演だよな
どこにそんなに人がいたんだってキレて湧いてくるし

850人間七七四年2022/07/10(日) 21:05:41.95ID:XmJw0xKk
例え話は結論ありきであまりにトンチンカンだからな

851人間七七四年2022/07/11(月) 05:56:59.93ID:c5BlPW36
>>843
これが一人の自演に見えるなら、高確率で統合失調症なんだけどね?

統合失調症の重要な症状は、自分と他人の区別が曖昧に成る事
其の為、薄弱な根拠で同一人物認定すると言う行動が頻繁に起きる

色んなスレに現れる、自演認定職人って糖質だよ

852人間七七四年2022/07/11(月) 06:40:20.14ID:CYW04hsR
こんな妄想が複数いると思いたくないのは当たり前の考え

853人間七七四年2022/07/11(月) 08:41:04.20ID:CYtJB6O9
長文は全部同じ奴だろう?
真っ赤になってるIDが2人とか3人でやってる方がそれっぽいのに単発から3レスぐらいのばっかりじゃん

854人間七七四年2022/07/11(月) 09:36:50.75ID:O9PF5wro
ていうか輝元のやってる事ってモロ秀吉の惣無事令違反だしな。「後願の憂いを断つ」って言えば戦略的っぽいけど仮にも公儀がそんなことしちゃダメだろう。

855人間七七四年2022/07/11(月) 12:28:41.99ID:imYeVIyG
まあそこ言い出すと西軍の挙兵自体がね
序列上位者を引き摺り下ろす仕組みがないとは言え
武力で倒せばOKとなると政権の存在意義に関わる

856人間七七四年2022/07/11(月) 12:37:50.52ID:hlsV+VyL
狙って荒らしてるのか本人にスレ荒らしてる自覚が無いのか
何にせよ対処する方法が無いんだからそら人も寄り付かなくなるわな

857人間七七四年2022/07/11(月) 13:58:32.83ID:KUVtaSOk
言い出すも何も西軍は反乱軍でしかないですし

858人間七七四年2022/07/11(月) 16:44:18.37ID:d11vjyjO
西軍首脳陣の考えが西軍決起によって家康は孤立するということなんだから
こちらに従わない勢力を近場から叩くいていくのは妥当な戦略では
会津征伐軍が崩壊するどころかほぼ一丸となって逆撃してきた結果から逆算するから
上杉との挟撃の必要性なんかが出てくるわけで

859人間七七四年2022/07/11(月) 21:02:28.34ID:ApRyXIw6
惣無事令で紛争が起きたら公儀が仲裁する、これを拒否ったら討伐する。それが秀吉の作った豊臣公儀じゃろ?だから家康も会津征伐では上杉しか対象にしてない。例えば「景勝と仲のいい三成が戦争仕掛けてくるから」とかで領土を奪おうとかもしてない。つまり本気で西軍が自分を公儀だと思ってるなら家康に上洛命令するかさもなくば徳川のみと戦うべきだったんじゃないか。

860人間七七四年2022/07/11(月) 22:11:55.07ID:FmpJjcS6
>>858
同意だわ
結局誤算はその部分なんよね

>>859
公儀として筋を通すならそうだが
それで勝てるかというとまた別
そして筋を通すならそもそも挙兵が・・・

861人間七七四年2022/07/11(月) 23:54:13.14ID:jQqlj0zi
板自体人数が少な過ぎて数人が暴れ回ってる状態なんだろうね
だから同じような話題がスレを超えて何度も繰り返される

862人間七七四年2022/07/12(火) 06:50:23.74ID:FNX28JW6
暴れまわっているから人が少ない、これ

863人間七七四年2022/07/12(火) 10:13:46.86ID:3tpyXIl8
「大坂を押さえれば全員言うことを聞くと思った」っていう西軍の戦略思想も割と微妙なのよね。西軍は九州や自軍に対しては公儀を自称してるけど東に対しては使ってないし。
むしろ諸将の妻子を人質にする事を期待してたっぽいけどそれも徹底されてない。そもそも人質なんて最悪見殺しにされる世界で生きてきてた筈で絶対視は出来ないと分かってた筈だが…

864人間七七四年2022/07/12(火) 19:11:12.52ID:Iwogj/nW
>>862
活発な議論しているところに…が現れて過疎る
いつものパターン

865人間七七四年2022/07/12(火) 19:40:25.94ID:DuLM5VqV
結局西軍自身に「己が公儀」という意識が無くて公儀云々は勢力拡大の為の口実だったと。そう見ると一番勢力拡大に野心的だった毛利輝元が一等の悪党なんだよなぁ。三成とか目じゃないよ。

866人間七七四年2022/07/12(火) 19:42:11.70ID:FNX28JW6
>>864
わかるわ
普段…使って特徴つけておいて別回線では普通目の文体と使い分けてるんだろうな

867人間七七四年2022/07/12(火) 21:24:18.84ID:ssT8CI24
自演指摘厨も結構ウザいぞ

868人間七七四年2022/07/12(火) 22:19:29.26ID:6UZtz4Ez
自分の興味というより勢いのあるところに片っ端から顔だして妄言並べるから邪魔なんだよ
史料を誤読して指摘されても無視
会話も成り立たない
自覚なき荒らし

869人間七七四年2022/07/12(火) 22:24:30.85ID:iMQf3V7K
>>860
西軍が実は公儀を名乗って勢力拡大狙ってるだけだしねぇ

870人間七七四年2022/07/12(火) 22:42:25.40ID:rwG4gaSX
西軍が公儀がどうこう言ってるのも豊臣スレとまんまだしほんとに一部が暴れてる状態なんだろうな
そんでスレを潰した後は別の伸びてるスレに出張ってくるからタチが悪い

871人間七七四年2022/07/12(火) 22:59:27.36ID:PRfysAn9
明らかな間違いを指摘されても無視して構わず同じ主張を垂れ流し続けるからな
豊臣恩顧スレの多聞院日記の誤読と七将スレの輝元書状「ねらいたて仕候者」の誤訳は特に酷かった

872人間七七四年2022/07/12(火) 23:53:20.43ID:p+0HD92h
このスレ以外で伸びてる長篠スレも同じ手法っぽいな

873人間七七四年2022/07/13(水) 08:34:03.83ID:eNM4mezA
>>866
考えすぎだろw

874人間七七四年2022/07/13(水) 08:40:33.37ID:MKOg5Pww
>>871
研究者の見解出してるのに妄想で「三成が狙った奴」って訳してたやつね。あれはたしかに酷かったね。

875人間七七四年2022/07/13(水) 10:03:39.55ID:LXipSF/5
奴は会話ができないし、根本的に頭の回路がおかしい
ボケ老人と言われてたが言い得て妙

876人間七七四年2022/07/13(水) 10:38:17.03ID:f+U/LtM3
西軍決起は大坂三奉行と毛利輝元が主導したもので三成が関わってたという証拠は全く無いんだよな。だから何で三成を引き込んだのか。決起後に西軍は徳川との決戦を忌避してるから上杉と連携とる為でもなさそうだし。

877人間七七四年2022/07/13(水) 12:38:27.14ID:HjYomS3p
>>874
酷いのは未だに謙譲語と受け身の違いも理解できないお前なんだけどね

それでまた三成は決起に関わってなかったと同じ話し始めてるけどわざとやってるの?

878人間七七四年2022/07/13(水) 18:29:26.14ID:r4veeYzx
あいつのいるスレって平日午前が活発なんだよな
不思議

879人間七七四年2022/07/14(木) 07:27:26.87ID:aI1s1P/3
>>878
不思議でも何でもない
歳をとると早起きになるんだよ

880人間七七四年2022/07/14(木) 08:57:44.74ID:g0ijbFhL
毛利は野心家の首謀者だけど
一年前からその毛利を唆して対家康の
陰謀話し合ってる三成は巻き込まれただけ

不思議だねー

881人間七七四年2022/07/14(木) 11:17:42.16ID:LgQ2Suz/
一次史料だと三成が家康を狙ったって話自体が無いんだよな。細川家譜だの黒田家譜だのもしくは徳川実紀みたいな徳川家の歴史には残ってるけど。三成がやった事と言えば毛利と徒党を組んだくらいで家康の命を狙ったってのは後世の作り話よ。司馬遼太郎作品の読みすぎ。

882人間七七四年2022/07/14(木) 11:28:07.17ID:7vU9h7kM
毛利の46号文書の解釈で一番支持されてるのは光成氏の慶長四年説だろ。白峰氏の慶長五年説は支持されてるとは言い難い。光成氏は七将に襲撃された三成が輝元に助けを求めた書状だとしていてこれが通説になってる。白峰氏の上杉討伐に対処する為の書状ってのは支持してる書物を見たことがないしそもそも白峰氏も自信が無いような書き方してる。家康云々は関ヶ原から逆算して作られた御伽噺に過ぎん。

883人間七七四年2022/07/14(木) 11:59:44.81ID:PfBwv02u
もう荒らしと変わらないな
勢いあるスレを片っ端から連投で潰してるようなもの

884人間七七四年2022/07/14(木) 12:05:57.98ID:88PMkGYW
そもそも勢いがあるというのも本物なのかこいつがそう見せかけているのかすら分からない
何年も前から織田武田関係と徳川豊臣関係で同じことやってるもん

885人間七七四年2022/07/14(木) 19:26:40.82ID:yqzn4u72
規制依頼しかないのかもしれんが浪人がない

886人間七七四年2022/07/14(木) 20:41:09.27ID:0tgKp+L8
前北条は不可抗力だけど後北条は秀吉に従っていればな・・・

>>880
毛利は天下を目指すなと元就に言われてなかったっけ?

887人間七七四年2022/07/14(木) 20:43:50.23ID:7vU9h7kM
吉川広家は元就は毛利は天下を狙うなと遺言したろと説得したけど輝元は聞く耳持たなかった。でいざ負けたら安国寺恵瓊を生贄にして生き延びた。

888人間七七四年2022/07/14(木) 21:04:50.32ID:LRjOdOyK
白峰氏が慶長五年に比定している書状に共通するのは下屋敷の塀の修繕と元康の病気を心配(快復気味)していること
元康は慶長六年一月に病死
明らかに連続しているね

妄想太郎には分からないんだろうが

889人間七七四年2022/07/15(金) 09:31:53.93ID:AUn4CfQA
三成が家康の命を狙ったとか時代小説の読み過ぎ。一次史料には全く残ってないからね。第一家康は三成を警戒してないもの。

890人間七七四年2022/07/15(金) 10:24:40.55ID:p+1gtVdb
今話題の文書がその史料なのだがw

あと命を狙うってまさか
自ら暗殺狙ってるとでも思ったのか?
そんなこと書いてないし誰も言ってないが

891人間七七四年2022/07/15(金) 13:28:49.23ID:ix6pSfVp
慶長四年とする光成説が通説で慶長五年とする白峰説を論拠にする本を見た事が無いなぁ。誰か知ってる人います?
慶長五年説はかなり無理がある訳だけど一番の問題点は三成が小西行長と寺沢広高を使者にしてる点かな。こいつら曲がりなりにも万石の大名で私人が顎で使える相手じゃない。三成が奉行だったらその権力を使えるだろうけど謹慎処分を喰らって面目失った慶長五年以降というのは考え難い。隠居して尚隠然たる力があったとするなら上杉や真田と交渉すらしてない事と矛盾するし。それで光成説が支持されてるんじゃないの。

892人間七七四年2022/07/15(金) 22:36:25.75ID:SoqiNc5s
後の薩長同盟のことを考えると
家康はやはり関ヶ原の後に島津を徹底的に征伐すべきだったな
あの時の徳川の武力と勢いなら十分可能だったろうし

893人間七七四年2022/07/15(金) 23:55:34.80ID:UAlHKGXM
九州勢が島津国境まで軍を進めてたから潰そうと思えば潰せただろうな
或いはそれを見た徳川が逆に危機感を覚えたのかもしれないが

894人間七七四年2022/07/16(土) 08:40:08.61ID:UmTygP5E
>>892
可能じゃないでしょ
勝てるとしても何年かかるやら

895人間七七四年2022/07/16(土) 09:33:06.00ID:C2ugvTs8
小田原征伐に比べたら楽そう

896人間七七四年2022/07/16(土) 09:45:48.87ID:DNLegGwY
島津は対明での和睦交渉を受け持っていた事と、親徳川派の島津忠恒がいてこいつが次期当主なのは明らかだったから潰す必要が無かったんだろう。

897人間七七四年2022/07/16(土) 10:16:48.85ID:/w1xmZ/A
>>893
まあ、あの時点で薩摩征伐は物凄い博打ですよね

関ヶ原の戦後処理で、後戻りできない事色々と「毛利家処分とか」してますし
長期戦になれば、必ず狸の尻尾に噛みつく奴がいる。

まあ出来ない事もないが、勝率は半分もあれば良いくらい

898人間七七四年2022/07/16(土) 11:34:34.89ID:O3mqk0/c
徳川が出張るまでもなく黒田如水、加藤清正、鍋島直茂、立花宗茂他九州の軍勢が島津に攻めかかる一歩手前まで段取り進めてた
その後の影響はともかく島津潰しはこの面子で十分やれそうな気はする

899人間七七四年2022/07/16(土) 11:49:55.82ID:2ciAVjwW
島津は首謀者クラスでもないし島津家として正式に西軍に参加したとも言い難い
政情に疎かった義弘が三成らに「秀頼様御為だから」と騙されただけで国元の義久は一切関与してないし
あと家康と島津双方に昵懇だった近衛前久が早々に取り成ししたのも大きかったろう
別に島津も創作にあるような強硬姿勢とってたわけではなく弁明と恭順の交渉してたんだから
家康がわざわざ征伐する意義も名分もない
当時の島津なんて豊臣政権でもそんな大物でもないしな

900人間七七四年2022/07/16(土) 12:14:27.71ID:OCyglDhK
宇喜多を匿っていた島津

901人間七七四年2022/07/16(土) 18:47:36.37ID:mf173ikK
島津義久の思惑がどうだったのかわからんしな
義久は毛利輝元や上杉景勝あたりよりも戦国大名としては上
宇喜多と島津の繋がりは唐入り絡みぐらいだろうから秀家は使い捨てできる手駒扱いな気がする

902人間七七四年2022/07/16(土) 19:17:09.32ID:DNLegGwY
島津は何故か西軍に参加してしまったわけだけど何の打算があったんだろう。西軍が勝てば九州の西軍勢力が東に移って島津領が拡大とか?

903人間七七四年2022/07/16(土) 19:55:55.99ID:mf173ikK
島津は義弘が巻き込まれただけだろ
義弘の出兵要請に対して義久は塩対応してる

西軍は巻き込まれて参加しただけのがいるから小早川みたいに内通するのが出てくる

904人間七七四年2022/07/16(土) 20:39:53.79ID:lXg0QHa7
義久は鹿児島が大事でそれ以外はどうでもいい。だから中央のことはどうでもいい
義弘はそれじゃまずいと思っていて兄貴に頼み込んで朝鮮には大軍を動員出来たが関ヶ原の時は国元もゴタついてたから全然兵を回してもらえなかった

905人間七七四年2022/07/16(土) 21:41:31.75ID:vO6FXjHO
島津忠恒は関ヶ原の前年に石田三成とツーカーの仲の家老の伊集院忠棟をぶっ殺して三成を激怒させてる非三成派
島津義久は弟義弘が西軍中枢に参加してるのに義弘や輝元と三奉行からの度重なる援軍要請をガン無視した消極的東軍ともいっていい態度

加増出来るほどではないが義弘助命くらいの恩賞を与えれる間柄であって敵対しないなら元から討伐の対象ではないのよね
まぁ島津と仲が悪くてちょっかい出してた加藤清正がこれを機に島津をぶっ潰したがって徳川せっついていたりもしてたが

906人間七七四年2022/07/16(土) 22:12:47.78ID:7KIyguOk
清正は義久・忠恒は無関係を装ってるが、宇土城への後巻として島津忠長や新納忠元、本田正親らが
佐敷表にまで出張ってきてたのに、義久・忠恒がそれを知らないはずがないって榊原康政に主張してるな

この清正書状が榊原家ではなく黒田家に伝わってるのも面白い

907人間七七四年2022/07/16(土) 22:30:37.03ID:Xs0OYcCu
清正から見れば小西側を支援してた島津はモロ西軍だったろうな
これも十分島津を処罰する理由になっただろうが結果は九州勢を停戦させた上で本領安堵に

908人間七七四年2022/07/17(日) 08:24:00.82ID:y/Fi+3Cn
島津も地生え大名だから近世型への移行過程で家中がゴタゴタしてたんだろうか
毛利といい上杉といい西軍にはそういうの多いな、たまたまだろうけど

909人間七七四年2022/07/17(日) 09:57:54.70ID:OQqfiUWk
政権首班の徳川からしたら島津倒せるかより
戦後の統治のほうが大事だからな

九州仕置きを在地勢力にやらせたら
戦後の配分も彼らの優位に進むし
下手したら政権への発言力も生まれる

東軍先鋒による岐阜陥落後にまったかけて
大急ぎで進軍したのと同じことで
即参加できない以上は現地の軍勢を
国許に帰すほうが先決

910人間七七四年2022/07/17(日) 10:40:06.13ID:h4Lt+VJs
義久だっけ?「あなた(三成)の赦しを得て伊集院を誅殺したって聞いたんですけど違ったんですか本当にけしからん話です」とか言ってるのは。そんでそれもなんかすっとぼけらしいが。

911人間七七四年2022/07/17(日) 12:07:28.28ID:o21aQJCS
妄想馬鹿は出入り禁止にしてくれないかな

912人間七七四年2022/07/18(月) 01:57:14.62ID:DQDffBTP
島津豊久は井伊直政に討ち取られたからなあ
よく島津家は徳川家に報復しなかったよ

913人間七七四年2022/07/18(月) 10:35:21.38ID:Sx/MtAT8
西軍に巻き込まれて参戦した時点で覚悟の上
援軍を送らなかった時点で切り捨ての対象
義弘が戦死しても義弘に援軍を送らなかった義久なら徳川とは敵対しなかったと思う
徳川ではなくて義弘に責任がある

914人間七七四年2022/07/18(月) 10:38:48.42ID:Sx/MtAT8
文章がグチャグチャだ
すまん

915人間七七四年2022/07/18(月) 11:32:43.88ID:BnIFXAL4
下手したら島津征伐されて潰されるってのと国許が徳川派だからむしろ有難いまであったかもしれん。

916人間七七四年2022/07/19(火) 00:03:03.22ID:SwtW94nn
ちょっとでも手こずったら
ほぼ無傷の毛利や上杉、佐竹とかも抵抗するから
島津潰しなんて出来っこない
この時の家康の立場はあくまでも秀頼の家臣にすぎない
義久もそれが充分分かった上での交渉

917人間七七四年2022/07/19(火) 02:35:50.62ID:ExNxF/Ur
家康は島津を潰したかったけどやむ無く諦めたって
何か史料的な根拠のある解釈なの?
単にその必要を認めなかっただけじゃないかと思うんだが

当時の地政学的にも西南の地の果ての田舎大名なんてはじめから島流しされてるようなものだから
佐竹みたいに転封する必要もないし地生え大名に恩を与えてそのまま統治させときゃいい話
それで250年以上内乱起こさせてないんだから世界史的に見ても十分政治的成功でしょう

当時の一次史料に家康が島津を滅ぼしたがってたが泣く泣く諦めたことが明らかな出典があるなら不勉強で申し訳ない

918人間七七四年2022/07/19(火) 19:16:09.61ID:BGWVDdf9
まーたおんなじやりかたか

919人間七七四年2022/07/19(火) 19:41:30.47ID:u/Da26ux
一次史料的には無い、はず。寺沢広高に即座に釈明してなんとか許してもらったらしいが。

920人間七七四年2022/07/19(火) 20:48:56.31ID:hZiR2G0K
200年以上問題なかったんだから
島津を残して禍根を残したなんてこたないわな
それは小説家的なロマンチズムでしかない

921人間七七四年2022/07/20(水) 17:17:28.81ID:E94WiUAd
戦国大名は全員が京に上って天下統一を目指したというレベルの俗説

922人間七七四年2022/07/21(木) 20:05:15.28ID:1f7xfRiO
徳川一門の見分け方(簡易版)

徳川宗家: 通字が「家」(徳川家○)
尾張徳川家: 通字が「義」(徳川(松平)義○)
紀州徳川家: 通字が「頼」(徳川(松平)頼○)
水戸徳川家: 通字が「斉」、「頼」(徳川(松平)斉○、○斉、頼○)

※紀州と水戸の「頼」が共通しているのは、藩祖の母親が同じ、同母兄弟のため

923人間七七四年2022/07/21(木) 20:27:58.11ID:sWL1lB8i
やっぱり、同一人物認定職人が湧くと過疎るな

そりゃあ、糖質さんが居るスレとか怖いもん

924人間七七四年2022/07/21(木) 20:57:55.26ID:HNN1W9md
荒らしより過疎っている方がマシ

925人間七七四年2022/07/21(木) 21:04:01.93ID:EKxBx2QS
200年後ってもう想像すら出来んもんな。200年後日本は中国に滅ぼされるから今のうちに中国に攻め込め、なんて言ってる奴居たらちょっとヤバい人ですし。

926人間七七四年2022/07/22(金) 02:37:03.75ID:BTou13z8
関ヶ原開戦前〜戦後処理の島津家の状況については↓が分かりやすい。
https://www.youtube.com/watch?v=h60w2tIF4vs&ab_channel=%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
(50分ぐらいから関ヶ原)

927人間七七四年2022/07/22(金) 12:41:52.75ID:lChAvuch
関ヶ原で島津軍が逃走路を失って東軍勢力を強行突破したのは確からしいが、家康本陣に向かったというのは眉唾なんだと

928人間七七四年2022/07/22(金) 21:10:18.46ID:c2OOT1fA
関ヶ原で少数の島津勢でもあの凄まじい戦いっぷりだったし
況してや本国に温存された薩摩隼人を全て力でねじ伏せて屈服させようと思ったら
20万以上の大軍で攻めないと無理じゃないかな・・・

929人間七七四年2022/07/22(金) 21:43:43.26ID:E1sDDHI1
貧乏な島津に幕府軍と戦う力なんてないよ

930人間七七四年2022/07/22(金) 21:44:40.51ID:gDw+GgWJ
勝つだけなら関ヶ原後に島津国境まで集結してた如水清正鍋島立花ら九州勢で普通に勝てた
その後の戦後処理の問題は別として

931人間七七四年2022/07/22(金) 22:00:02.39ID:WjxRM8Fp
島津は唐入りに加えて庄内の乱で国内がよろしくないからな
伊集院忠真も健在だし

932人間七七四年2022/07/22(金) 22:35:04.93ID:c2OOT1fA
信長「嫁と倅を○せ」
家康「・・・はい」

家康「三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5か国の大大名だお」
秀吉「はい、没収ー。関東に移ってねw」
家康「くっ・・・はい」

家康結構ハードモードなんよな

933人間七七四年2022/07/22(金) 22:36:49.91ID:c2OOT1fA
家康の馬印を倒したのは武田信玄と真田幸村の二人のみ

934人間七七四年2022/07/23(土) 05:31:49.40ID:zlB43aem
>>932
お前は脳みそをアップデートしろ

935人間七七四年2022/07/23(土) 06:36:02.55ID:CqKUJngp
家康「寝返ってくれたら信濃一国をやるお」

幸村「足らん…甲信二国寄越せ」

しびれるぜ!

936人間七七四年2022/07/24(日) 16:43:35.38ID:mn3Kz82D
>>934
家忠日記に信長が信康自刃を命令したってないんだよな
それどころか信康に出仕するなと家康が家忠に命令したって
記述すらあるし

937人間七七四年2022/07/24(日) 19:11:49.58ID:C7Uifee7
三成は上杉や島津と親密だった訳だけどその割にはコネクション弱いんだよなぁ。豊臣取次だったから仕方ないのかもしらんけど。

938人間七七四年2022/07/24(日) 20:13:40.60ID:PT969dUT
>>937
単に取次だから関係あっただけで、別に親しくはないだろ
あの性格だし周囲からは好かれないと思う

939人間七七四年2022/07/25(月) 19:41:00.11ID:AtFdjW20
朝鮮出兵について色々調べたら
なぜ武断派は三成をあそこまで嫌ってるのかよく分かる

940人間七七四年2022/07/25(月) 20:38:21.53ID:04sQ5+HG
朝鮮出兵は色々ボロボロでそのツケが三成らに来たっていうね。指揮者が日本から指揮とか戦国時代に成功する筈もないわ。

941人間七七四年2022/07/26(火) 09:58:24.56ID:A6VSMRtb
>>937
ちゃんと調べろよ
慶長3年2月10日で直江兼続が出した覚書には明らかに石田と直江の関係が深いことが書かれてる

石田と直江の連署掟まで慶長3年2月16日付で出されてるし、直江は明らかに石田の意を受ける上杉側の取次でしかない

942人間七七四年2022/07/26(火) 10:01:32.04ID:A6VSMRtb
上杉と石田の関ヶ原前の密約はなかった、とよく言われるけど、直江と石田の関係を見るととてもそうは思えん
密約に関しては史料が無いだけではないのか
露見したらおしまいだし

943人間七七四年2022/07/26(火) 11:36:48.28ID:yCpYrBO3
中野等が挙げてるけど三成と景勝はかなり親しかったらしい。三成が景勝に「私の秘蔵の鷹をお貸しします。鷹狩りを楽しんでください」という書状を送ってるから(中野氏は慶長三年三月に推定)
上杉家が生き残ったのも三成の尽力あってのことでだから三成は景勝ともそして兼続とも親しかったと思われる。ただ景勝は政治運動に興味が無かったらしく三成が失脚した襲撃事件の際には全く動いてない(襲撃されかけた三成を助けたのは佐竹だし裁判に関わったのは家康と輝元)三成が景勝と共謀しなかったのは景勝の性格を知って居たからなのかもしれない。

944人間七七四年2022/07/26(火) 13:29:47.60ID:V81CGR3i
三成と上杉が共謀してたとして小説にあるような東西挟み撃ちなんて本当にできたのかね
東は上杉一家では兵力が少なすぎるんだからせめて佐竹くらいは参戦を確約させる根回ししないと
それでも現実的とは思えないが

945人間七七四年2022/07/26(火) 14:40:33.90ID:lCONOXGB
兼続と三成が共謀してたとすると…
兼続は、
上杉景勝を裏切り、石田三成ら西軍を裏切り、秀吉の遺言を無視したとんでもない奴になるけどそれでいいのかな。

946人間七七四年2022/07/26(火) 19:51:40.44ID:RWu/Q+Ko
>>945
もともと直江は過大評価が過ぎるからちょうどいいんじゃないのか
2万も率いながら1000が籠城する城を落とせないクズだし

947人間七七四年2022/07/26(火) 20:01:37.91ID:OlJIhsnu
親密っつーかまあ仕事の付き合いて
そんなもんよね

天下人の奉行だから大切に扱うし
共同で文書出したりもするけれど
関ヶ原時点での三成は
その立場にはない訳だから

948人間七七四年2022/07/26(火) 20:21:47.49ID:k86Bi+ed
上でも散々言われてるけど、慌てて真田に上杉への使者の警護を頼んだり、
真田からも上杉への使者を出して仲介するよう頼んでるの見ても、早い時期から密約があったとはとても思えん

949人間七七四年2022/07/26(火) 21:16:05.22ID:yCpYrBO3
景勝からするとまず三成が失脚した時点でミスをしてる。三成は会津転封時の上杉家による敵対工作を黙認または協力した共犯者だった。特に被害者の堀一族が徳川家康に接近してる事を踏まえればこの後何が起こるか分かってないといけなかった。でも三成を見殺しにした。更に景勝は三成や西軍と連携もせず連絡路すら作らなかった。これもミスで一体全体何に勝機を見てたんだ?まぁ毛利も絡んだ西軍が数ヶ月で鎮圧されるのは予想外だったかも知らんけどそれを言えば決起が起きなかったら上杉は潰れてた訳だし。

950人間七七四年2022/07/27(水) 11:39:44.97ID:eNQKZvzc
景勝は御館の乱と新発田の反乱の時とも基本的に変わってないのではないか
謙信、秀吉、徳川など上に誰かがいる状態だと比較的おとなしいが、いなくなると傲慢さが暴走する

951人間七七四年2022/07/27(水) 12:24:28.64ID:I6k9r3wk
乃至氏は景勝は謙信の様な嵐を起こす存在になりたかったんじゃないかとか書いてた。要は暴れたいだけだったのだ。

952人間七七四年2022/07/28(木) 10:01:51.06ID:KDqfBVF5
謙信も単独の武力によるものと誤解されがちだが
幕府や朝廷とも連動した大仕掛けが
関東管領就任と大遠征だからな

ただそれも論拠のあやふやなフィクションの
挟撃策や石田三成との密謀を基にしたイメージ

家中統制に苦労して父祖の土地からの移封を
粛々と実行させることができず
旧領に残った連中の悪さも止められず

咎められても家中統制できてませんなんて
もちろん政権に対して言えるはずもなく
家中の手前弱腰と取られる対応もできず
でズルズル来ただけと思うわ

実際本能寺の時も関ヶ原の時も
一戦滅亡も辞さずとなってからの
外交でなんとか乗り切ってる訳だし

953人間七七四年2022/07/28(木) 19:51:51.42ID:CgxXOyQG
三成は西軍の総大将なんかじゃなく美濃方面の一司令官に過ぎなかったわけだけどその末路が悲惨なんだよなぁ…

954人間七七四年2022/07/28(木) 19:55:40.33ID:L945lVxs
妄想太郎の行く先々が過疎るの草

955人間七七四年2022/07/28(木) 20:34:20.72ID:AiJ60sXy
毛利が挙兵して始まった西軍の乱な訳だが、三成が呼ばれた理由って何だったのか。単に佐和山が西軍領になる=直ぐには負けない程度の考えだったんだろうか。

956人間七七四年2022/07/29(金) 01:03:08.31ID:zoH2cSTS
>>955
普通は、奉行衆の招きにおうじて大阪に行った「首謀者奉行衆」という解釈だろうに。
事前根回しは当然あるだろうけど、首謀者毛利は流石に

957人間七七四年2022/07/29(金) 08:26:54.27ID:Lg6ERDwp
毛利側が「三成が大阪入れと言ってきた」
と認識してる史料あるからな

関ヶ原の時じゃなくその前年の
三成失脚の時とも言われてるけど
そういう関係があるから参加してるわけで

958人間七七四年2022/07/29(金) 11:33:11.05ID:EBUZh+Cz
研究者が指摘してるけど輝元は完全に真っ黒よ。大坂三奉行が輝元に上洛要請文を送ったのは12日、これが輝元の手元に届いたのは15日。それで輝元が大坂に着いたのが17日。これは無茶苦茶早い。光成氏は毛利の移動記録から陸路では通常7日程度かかる事を出してる。つまり輝元は船を用意して軍勢を準備させた上で即日出発した事になる。輝元が首謀者じゃないとこんな動きは到底出来ないだろう。

959人間七七四年2022/07/29(金) 12:40:46.63ID:VMpPflY2
>>957
毛利側は「輝元が三成と吉継を呼んだ」と言ってるんじゃないか。そも奉行でもない三成に大名で大老を呼べる訳ないし。

960人間七七四年2022/07/29(金) 13:10:00.01ID:dodI8oN5
>>959
どの史料で???

961人間七七四年2022/07/29(金) 14:00:07.97ID:HpNrwIs+
そもそも毛利が仕掛けたなら家康が出てきた戦場で輝元が城こもってるとかありえんぐらい分かりそうなもんだが
アホすぎる

962人間七七四年2022/07/29(金) 16:06:32.87ID:vdIdzTmQ
西軍こそ合議制なのかもな
毛利と奉行衆は秀吉晩年から結託してる
奉行の要請という建前が無ければ毛利が公に大軍を大阪城に入れることは出来ない
ただ増田は当初は毛利謀反で家康に通報してる
挙兵の見通しが暗かったからか人間性からなのか

963人間七七四年2022/07/29(金) 16:53:28.27ID:PU4HCEdh
>>960
吉川広家書状に安国寺恵瓊の証言で「輝元が石田三成・大谷吉継を呼び戻した」事が記されてるね。宍戸らが出した書状にも似た内容があったと思う。
「これは恵瓊の嘘」ってのが広家らの弁明なんだけどその根拠は「国許に帰ってる輝元が大坂の事を知ってるはずがない」から。でも輝元は三奉行からの書状を受け取ると即日に出発して最速最短で大坂城を占拠してる。つまり大坂の事情をよく知ってた訳で恵瓊は真実を言っている事になる。

964人間七七四年2022/07/30(土) 09:25:20.45ID:FxpQpEO7
増田長盛らの要請に応えて最速で上洛してる事が既に答えだからな。もし輝元が何も知らなかったなら事態を把握する為に時間をかけて上洛してるはずだし。

965人間七七四年2022/07/30(土) 12:28:27.99ID:MbtJt8m+
そりゃ三成と毛利はまもう一年以上前から
家康追い落としの謀議をしてるかはね

966人間七七四年2022/07/30(土) 21:14:21.81ID:FxpQpEO7
大名で大老の輝元を三奉行が命令出せるはずも無いしましてや蟄居の三成には不可能。安国寺恵瓊の言う通り輝元が三成らを呼び寄せたんだろう。

967人間七七四年2022/07/31(日) 07:31:23.41ID:iZrve1V+
奉行連中が毛利が大坂城を支配してさらに自分たちもその下で使われるのを容認できるならそもそも徳川のままで問題ないよな

968人間七七四年2022/07/31(日) 08:11:09.78ID:tPSckHnH
>>886
素直に従っていたとしても北条の広大な領土を秀吉がそのままにしておくとも思えないんだよな

969人間七七四年2022/07/31(日) 14:03:12.76ID:KC/MxLs+
家康を倒そうと画策するも岐阜城落とされて安国寺恵瓊ごと西軍を切り捨てにいくあたり生き残り能力は高い

970人間七七四年2022/08/01(月) 21:34:19.82ID:W7erQuOF
敗北前に三成は増田長盛に援助を要請してるけど敗戦前夜感が凄い。ていうか「苅田をしようと言ったのに長束達に拒否された」ってのがまた。

971人間七七四年2022/08/02(火) 16:40:41.02ID:pNa+G+cX
三成には岐阜方面軍の指揮権はあっても西軍の総指揮権が無い。だから少ない兵数で東軍に当たらないとならなかった。そして東軍は予想通りやってきた訳だがそれに対して西軍の動きは鈍過ぎる。徳川を甘く見てたんだろうなぁ。

972人間七七四年2022/08/02(火) 19:02:58.99ID:QCbA5LZ3
というか全体に甘すぎるんよね

四方八方敵なんだから一方だけ集中なんて無理
東は東軍先鋒が敵に回った時点でもうダメ

973人間七七四年2022/08/02(火) 20:12:22.04ID:6AG44h2N
家康が動けないと踏んだとしても徳川以外が集まっても四万いるとかいう…

974人間七七四年2022/08/02(火) 21:37:08.84ID:a6c5nH41
>>897
北条家臣「真田昌幸の城を奪ったお!」

秀吉「惣無事令って知ってる?上洛して直接謝罪に来てね」

氏政「名門北条が百姓出のサル顔に頭下げれるかヴォケ」

秀吉「やるのか?おっおっおっ」

素直に従って上洛していれば毛利や島津や上杉みたいに後北条も残れたかもしれないね

975人間七七四年2022/08/02(火) 22:04:30.21ID:kbRv3gjx
>>974
そんな単純じゃないよ

976人間七七四年2022/08/03(水) 00:05:05.75ID:1YRydUQz
氏康生きてた時にそれなってたら素直に頭下げてただろうに頭でっかちの氏政って…

977人間七七四年2022/08/03(水) 13:53:36.14ID:h1URMKXy
>>975

氏政「名門北条が百姓出のサル顔に頭下げれるかヴォケ」

 ↑ 何かソースあるの?

978人間七七四年2022/08/03(水) 16:58:29.06ID:23VVjGBl
>>977
確か五代記あたりにそんなのあったような

979人間七七四年2022/08/03(水) 16:59:43.95ID:23VVjGBl
北条って政所執事の伊勢家出身だから、まあ名門には違いないけど……
威張れるほどの家格なのかな?

島津や大友と比較したら下なんじゃないの?

980人間七七四年2022/08/03(水) 18:42:59.86ID:0rZFxeNd
お前らが会社でずっと後輩の若手の部下になれと言われるようなもんだろ
そんなんなら辞めてやるって普通の感情

981人間七七四年2022/08/03(水) 19:08:17.87ID:rZsWFwEP
大名はサラリーマンじゃなく
経営者なんでそれは別の話だな

競合他社に敵う訳ないから買収されます
でも減収が見込まれるから給料は減ります
という反発必至の方針を社員に
呑ませられない経営者の苦しみ

982人間七七四年2022/08/03(水) 19:18:53.93ID:QrwcWSRU
>>981
上の例は秀吉に対するものじゃないだろ

上杉や徳川の格下に完全に扱われること、石田とか堀みたいな大名でなかった奴に顎で使われること
自身関東で数多の国衆に頼られていること(国衆達も本領安堵の保証はない)
源頼朝以来の関東独立の伝統
少なくとも秀吉に勝てると思って反抗したとか、秀吉に頭下げたくないみたいな単純なもんじゃない

983人間七七四年2022/08/03(水) 19:40:15.14ID:WlrP2fdw
違うよ
トップ個人のプライドとかの話じゃなくて
多数の家臣やその家族を抱える
組織としての決断や意思決定の話

984人間七七四年2022/08/03(水) 19:56:27.50ID:L0ooVGGs
北条と似たような状況だった伊達政宗は秀吉に頭を下げた

985人間七七四年2022/08/03(水) 22:02:53.28ID:o6untsb6
早雲、氏綱、氏康が、
三浦、堀越公方、山内・扇谷の両上杉、小弓公方、古河公方と戦って
関東最大勢力となった後北条の領土が氏政・氏直の代で一瞬でぱあに・・・
織田家の次くらいに落差激しいな

986人間七七四年2022/08/03(水) 22:56:24.28ID:+cHkZHaR
>>984
北条の惨状見て降っただけやん

987人間七七四年2022/08/03(水) 23:27:18.67ID:o6untsb6
20万 VS 8万

まあ勝てんわな
関ヶ原は10万VS10万だし、最大動員数は小田原征伐がトップか?

988人間七七四年2022/08/03(水) 23:50:01.20ID:+cHkZHaR
大坂の陣とツートップやな

989人間七七四年2022/08/04(木) 07:57:30.98ID:e0lTanms
次スレ

石田三成の挙兵 ★2
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1659567400/

990人間七七四年2022/08/04(木) 20:00:09.06ID:3Jr+cnXP
同意とか得ずにたてるよねここの人

991人間七七四年2022/08/04(木) 22:00:40.21ID:tAqKQiGA
ネット掲示板で許可制とかあるんか…

992人間七七四年2022/08/05(金) 05:29:56.44ID:5lbex19Z
少なくともpart2は同意を得るね
スレやってきた人たちが来てくれるか大事でしょ

993人間七七四年2022/08/05(金) 10:05:50.74ID:eHF5ocN7
関ケ原関連は人気があるから誰かしらカキコはするよ
それと戦国板は簡単には落ちないから立てたら残る

994人間七七四年2022/08/05(金) 12:06:00.32ID:EE8PfWFZ
過疎過疎言われていて人気がある…

995人間七七四年2022/08/05(金) 18:49:09.38ID:FC8cpTrP
>>994
某スレがおかしいやつの巣になってるからなあ……

996人間七七四年2022/08/07(日) 18:03:45.07ID:P5bfTZy4
うめ

997人間七七四年2022/08/30(火) 22:06:22.40ID:UQOV0U+p
144 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/09/07(土) 15:43:18.42 ID:MQ7Vjzsh [2/2]
ちょっとでも秀吉を評価しようものなら、24時間監視体制で即刻発見し、
アンチ秀吉の織田朝鮮人による単発ID自演連続投下だもんな・・・・
最近は身元バレしないようにわざわざチョンとか書いて誤魔化し始めててワロタw

998人間七七四年2022/08/30(火) 22:06:40.69ID:UQOV0U+p
146 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/09/07(土) 23:51:44.15 ID:92TYC1lc
まーた基地外反日アンチ秀吉の織田厨のコピペ爆撃かよ。

999人間七七四年2022/08/30(火) 22:06:54.59ID:UQOV0U+p
147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/07(土) 23:54:42.87 ID:Sli8K5d+
だがチョンの自演が始まったらしいwww
やはり信長と秀吉を持ち上げまくってコピペするのはチョンの血が嫌うらしいwwwww


http://www26.atwiki.jp/dagamatome/

1000人間七七四年2022/08/30(火) 22:07:10.31ID:UQOV0U+p
636
ななしのよっしん
2016/12/16(金) 15:01:57 ID: bnCqnibdyb
すまない。
スレ違いを承知の下で言うが、最近ALiEnArwhDとよく似た、持論を一方的に主張して相手の意見に難癖つける内容、長文で改行を多用する文体、ってレスを戦国時代関連のあちこちで見かけるようになったのよね。火の粉をあっちこっちで振りまいていて正直辟易している。
・・・別人だったら申し訳ない。

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