石田三成の挙兵 ★5
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>>850
その辺に関しては正直家康も勘違いしてた節があるからな
自分が豊臣政権の第一人者であるからこそ、諸侯にある程度命令できると考えてたっぽいし
だからこそ、関ヶ原前の家康はひたすら政権内での権勢を高める方向で動いていた訳で
明確に政権(豊臣)を超えようという動きを見せてるのは関ヶ原の後になってからだから
ぶっちゃけ西軍はいらん事して秀吉がかけた家康の枷を外してしまったようにしか見えん >>845
あなたはいちいち私は人間ですって言って回ってるのか? 西軍が自分を公儀と名乗っている以上、東軍も同じ様に喧伝するのは定石なのでは?
それをしなかったのは豊臣公儀に頼らなくても事態を収拾できると言う自信ともしかしたら後の徳川幕府への布石
豊臣公儀を名乗ったり、豊臣家からSOSが届いて鎮圧に向かったら家康は形の上では豊臣公儀の下になる
公儀を名乗らなければ家康が公儀になる
当然それ相応の実力が必要だった訳だが、これが上手く行ったと 家康・東軍大名らは反乱も何も起こしていないのだから豊臣政権の一員のままじゃん
それで何を喧伝しなきゃいけないのだ 西軍の主張に同調しないのであれば
(東軍から見て)西軍のやってることはただの空き巣行為だから
自分たちの行為を正当化する必要がある西軍と違って
東軍は空き巣退治に説明を必要としない 西軍は本当に必要なことを何もやっておらず、ただ大阪城を囲って騒いでただけ
・本丸に乗り込んでの秀頼の身柄確保
・秀吉が使ってた朱印の確保
・秀頼と千姫の婚約破棄
・朝廷からの支持
・家康の官位剥奪と追討令
以上をやってないので東軍は西軍に謀反軍のレッテルを貼るだけですむ 豊臣家が西軍に参加してたからそこまでやる必要が無かっただけかもよ
西軍が決起前に集めた諸将の妻子は大坂城天守に集められてたって話もあるし
天守まで利用されて文句も言えない、ってんじゃ豊臣の凋落極まれりだよなぁ いやそこまでやらなきゃ何のために挙兵したんだってレベルだと思うんだが
本当に豊臣家を取り込みさえすれば後は何もしなくていいと思っていたのならちょっと政治センスが疑われる 大阪城を囲って内府違ひの条々で東軍がバラバラになると思ってたやつらだ
西軍に色々とセンスが無いのは間違いない >>856
四国の蜂須賀やら生駒やら相手に朱印状バラ撒いてなかったっけ >>860
秀吉が使ってた朱印を使ったものは確認できない そもそも、どうすれば豊臣公儀の執行者になれるかのルールが決まっていないので、
議論してもどうにもならない。
トップの秀吉が関白の官職をもって、官位についた諸大名を統率するシステムだったのに、
関白秀次ぶっ殺して、単に自分の実力で統率するだけの組織にしてしまった。
よって、秀吉が死んで、関白が誰もいなくなった時点で、官職トップの内大臣の家康が
トップになるしか、組織を維持する方法が無い。
家康に変わって誰かがトップになろうとするなら、家康以上の官位官職につくしかないんだが、
西軍の誰かが右大臣とか左大臣とかになろうとした形跡はあるのかね? 三成たち奉行連中は豊臣という名前が誕生した瞬間から誰より中枢にいて
15年間ずっと豊臣公儀を振りかざして威張り散らす立場だった
逆に誰かに豊臣公儀を振りかざされた経験自体がない
西軍が豊臣公儀になったというのではなく
三成たちにとって豊臣公儀というのは空気のように自分の近くにあって当たり前のものなので
自分が豊臣公儀ではないということ自体が想像不可能なものだった
だから過去15年間やってきたのと同様のノリで豊臣公儀を叫んでいるだけで特別な意味はない >>860
秀吉の朱印どころか蜂須賀、生駒宛の西軍首脳書状がない
まあ西軍首脳の発給書状で現存してる真田や島津、松井宛のものは全て花押が使われてるし
蜂須賀や生駒宛のものがあったとしても朱印が使われていないだろうことは想像に難くない >>858
公儀抱き込んでるんだからそりゃ優位に立ってると思うだろう
これに徳川が対抗するには秀頼か豊臣家からの救援要請が無いと不可能
後は東軍に不満がある連中が「秀頼さまのため」を理由に戦争すれば徳川は戦争どころじゃなくなる
謂わば、秀頼の名で秀吉の惣無事令を破壊したことになる。それが何を産むかなんてわかってたろうに 後継者が明確でないので序列二位だったものが
序列一位がいなくなってその仕事を果たすというのも
そんなにおかしな話ではないのよね
>>863
空気のように当然と思ってるなら殊更に主張する発想にならないよ
自分達とともにあり好きにできると思っていた権力が失われたことは理解してたってこと この時期の騙し合いって調べると実に面白いんよな。
大河とかではスルーされて、太閤死去、関ヶ原、二条城会見、大坂の陣って
感じで巻き進行ですが
ピカレスクな魅力で光り輝いてる盗将様と、意外と度胸もあるし、不屈の闘志もある三成の
騙し合いは其れなりに面白いんよな。
会津征伐は明らかに挙兵させる為の隙、でも罠を承知で動く三成も凄いし
こういう騙し合いってどちらが読み勝ってるのかって感じで熱い >>863
幕閣中枢にいた本多正純もよもや自分が失脚するとは思っても無かったろうにね >>856
高台院西軍・淀東軍説で全部説明つくやで
たぶん・・・ 本当に不思議よな、この時期の盗将様はある意味ピカレスクロマンと割り切れば面白い小説
書けそうなのに、意外と存在しないのがな。
無理に聖人君子東照大権現に書こうとすれば、この時期はスルーするしかないのは分かるが。
寧ろ、ピカレスクロマンな盗将様として生き生きとした謀略を書けば良いのに
一度調べ始めたら実に面白いもん、まあ普通のピカレスク小説はバッドエンドにしないと駄目なので
書かれないんだろうが ピカレスク連呼する馬鹿って前スレにもいなかったっけ 三成って家康と細川忠興にどうも怨みを向けていたとしか思えんのよな
慶長5年8月に真田昌幸に宛てた三成書状
細川忠興に対して「遺恨深候」とある。理由は秀吉の御法度を破り秀頼から新領をかすめ取るなどしたからとかある
しかもガラシャの人質を取ろうとした件も「大坂に居たから焼き討ちにしてやったぜ」とか書いてるし
あと、意味不明なのが「幽斎は助命して流罪にした」とあること
この時点の幽斎って確か田辺城にいたよね
これどういう意味?
この時期の三成書状って偽書なん? 細川幽斎の助命は確定事項だっただけでは
田辺情報は囲まれて絶体絶命、ただ幽斎は玉砕戦を覚悟の徹底抗戦
西軍は蜂須賀・生駒と同様に扱うと提案したけどこれも拒否
ただ幽斎は天下に聞こえた文化人だったので朝廷までしゃしゃり出てきて交渉に入ってしまった
となるともう三成の手には負えない。取り敢えず力攻めは不可能になった >>874
偽書じゃないぞ
幽斎の件はよくあるポジショントークでしょ
まーた適当なこと言ってるけどそんな誇るような言い方はしてない
ガラシャを人質に取ろうとしたところ、留守居が生害せよと聞き違えて
ガラシャを殺し、大坂の家に火をかけて相果てた、と言い訳をしてる
「長岡越中妻子ハ人質ニ可召置之由申候処、留主居之者聞違、
生害仕と存御しころし、大坂之家ニ火をかけ相果候事」 >>874
普通に三成視点で見れば許し難い逆臣に成ると思いますよ、不思議がってる方が(。´・ω・)?と
いいますか?
7将蜂起事件の当事者の一人で、事件後盗将様から豊後で6万石の加増受けてるからね。
第三者視点から見れば、7将蜂起事件の論功行賞を受けた様にしか見えない。
でも、抑々明智の娘のガラシャ正室にしてる事を不問にされてるだけでも豊臣家に格別の恩顧と
見られてもしかたない。
そういう奴を露骨に寝返らせる事の政治的効果を盗将様は狙ったのでしょうが。
実の所、ガラシャ自殺は逆に開きなおって宣伝してもよかったかもしれない。
裏切り者の細川の嫁がふさわしい最後を遂げたと。 史実に忠実な関ヶ原のドラマを描こうとすると、
お互いに情報不足で場当たりと思い込みで行動して
訳の分からないことになるという、シン・ゴジラ前半
みたいなグダグダな政治ドラマになるんだろうな
で、四国の河野、九州の大友が負けた時点で
輝元が敗戦処理に入って、実質終わりと。
盛り上がりに欠けることはなはだしい。 徳川家康が関ヶ原に来たのと同日に小早川秀秋が松尾山入ってるしドラマ性はあるんじゃないか
これで西軍はパニックだもの。偶然じゃない >>878
実の所、ガラシャの自殺事件も実は事故説があったりするんですよね。
当時細川家に有名な砲術家が居て、屋敷に大量の火薬が貯蔵されてたみたいで。
其の火薬に「どうしてこなた」という感じで引火した説がな
第三者視点から見ると「ガラシャは覚悟の自殺した」という風にしか見えないけど まあ史実というのも、調べたら単なる偶然や勘違いで事態が動いたように思える事が多くて
調べると面白い。
有名な昆陽の戦いでも、そもそも新王朝の討伐軍が包囲する方がおかしいのよな。
討伐軍の目的は劉秀の兄が率いる反乱軍主力が攻めてる宛の救援。
で昆陽は別に此処落とさないと駄目な要衝でもなんでもないから無視して進むのが
当然で「何故包囲するんだよ」でしかない
しかも籠城軍が降伏申し出たのに無視して攻撃続行中に劉秀の援軍が城外から奇襲という
分けわかめ状態。
こんな謎の状況で新王朝の主力が壊滅して歴史が変わってしまう。
戦場の霧とはよく言ったものというか 連投君は在日だから細川家に嫁いだガラシャは明智一族とみなして色々言ってるのがズレてる
第三者が忠興の正室の事を持ち出すのがおかしいんよな
特亜の夫婦別姓の概念によくある嫁はどこまでいっても別一族の考え方 大坂三奉行は石田三成・大谷吉継謀反を理由に諸将の人質を収容しようとしたけど
細川玉子にはバレていて自害された
影響は無かったけど >>879
それなんだよな
三成や西軍は家康の動きを何にも掴んでなかったのか?
東軍は西軍の動きが筒抜けだったのに >>883
三成は福島正則を調略しようとしたらしいが、人質をぶっ殺すような奴の調略に誰が応じるのよ
武田勝頼と同じで無闇に人質を扱ったらその後の調略が不可能になる
9月12日に出した書状でも三成は人質を丁寧に扱いすぎてるとか不満述べてるし 福島調略は無理
さっさと清須を落とすべし
できれば7月じゅうに >>886
伏見城に8月1日までかけてるのに、そんなの無理だよ
それと確か8月の書状だったと思うけど、確か佐竹義宣に宛てた書状で三成は尾三国境で家康迎え撃つから、あんたは
景勝や真田と協力して悠々と江戸に攻め込んで下さいねとか書いてる書状なかった?
三成って余りに戦況を楽観視してて話にならない やっぱり秀頼出陣を決めてたんじゃないの?
それに猛烈に反対してひっくり返した人が大坂中枢にいたと
そりゃパニックよな >>887
三成たち奉行連中は十数年間、豊臣の威光に日本中の大名が平伏し
豊臣の命令で海の向こうまで諸大名を行かせて殺し合いをさせてきたことを
誰よりも中枢部で体験しているんだよ
そんな三成が戦況を悲観するわけがない
自分も豊臣の威光を振りかざせば同じことができるとしか考えていないよ 三成は西軍の美濃方面軍の司令官に過ぎないので楽観的な事しか言えない
西軍の兵力分配すらできないんだから >>884
西軍の中に実は東軍シンパはたくさんいるけど、
東軍の中で実は西軍シンパ、なんて佐竹の当代ぐらいしかいないし。
情報源がないやろ 三成は忠臣だったが軍人としては無能すぎて出しゃばりすぎたのが問題だったね
官僚や行政人としては超有能だったけど
その分野と軍事は全く違うからなあ…… 大垣衆二万少しくらいしか指示出来ないんだからどうしようもできない
輝元がもう少し兵を振っていれば防げたかもだけど >>892
先代の遺言を平然と破って、そのくせ他人にはあやふやな根拠で厳守を主張して
自分の行動を平然と棚上げするわ、政権から役職を解任されても無視して復帰しようとするわ、
政権の正式事業を武力をもって妨害するわで政権崩壊を引き起こすような奴の
どこをどう解釈したら忠臣になるんだ、どう考えても違うだろ 秀吉個人に対しては明らかに忠臣です
ただ、軍事的に超無能なのが問題でした >>895
どこが?徳川を政権排除するのが正しいと思うなら秀吉生前にそれを強く公的に主張すべきでしょう
出来ないとは言わせない、立場的に秀吉に諫言は出来るでしょ、秀吉側近なんだから
そんなことしたら殺される?主君の為に命一つ平然と差し出すことも出来ない奴のどこが忠臣?
主君や主家の行く末より自分の命や立場が大事とか忠臣が聞いてあきれるわ
三成は権力欲や権勢欲を持つ内政に長けた野心家だろう、それ以上でもそれ以下でもない ワグネルの親分が消息不明だとさ、あのまま一路モスクワ目指すのが唯一の勝ち筋でしたか。
あれよなあ、前進あるのみが実は唯一の勝ち筋だったという。
三成も「目指せモスクワ」じゃなくて「目指せ清須」やるのが一番勝率あったのかもな >>887
長束の忍者を使って伏見場内の忍者を買収
城内から火が上がる
その頃三成は美濃勢とともに清須攻め
8月になると岡崎城を取り囲んだ >>897
そして小田原城の戦い
決戦江戸城の戦いと続いていく いつまでもごちゃごちゃ公儀だとかなんだとかうけるなw
家康擁護派の大前提が天下取りの野心が全くなく仕方なくそーなっていったってのがあるから話が終わらない
秀吉死後の家康の行動見れば明らかに天下取りにいってる
その事を考えると家康擁護は無理がありすぎる 後継者が余りに年少で大坂に引きこもった以上
一門筆頭が陣代となるのは常なること
結局秀次処分が一番悪い
次に大和大納言家に末期養子を充てず取り潰したこと >>901
合議で運営していけるという間違った考えがあるから
家康の動きが何でも天下取りに見えてしまうんだよ 家康の野心云々以前に秀吉及び豊臣の側にも天下人から転がり落ちるだけの要因や自業自得があったのに
そういうことには一切目を瞑ってひたすら家康の野心だけをエクスキューズにしてるのが必死すぎて見苦しいんだよな ロシアの騒動で御所巻きがツイッターのトレンドになるんだな
三成が合議制をねじ込んだせいで秀吉体制がどうでもよくなったから七将が御所巻に及んだのかもしれない 七将は私婚問題で家康と一緒に咎められた奴らだったからな
外征で苦労して帰ってきた挙句に粛清される可能性まであったらそりゃ怒るよ 家康に野心があったかは定かじゃないからね
よく言われる三成襲撃事件もかなりの危険事態で家康は全力で事態収拾にあたったんだろう
本気で三成を潰したかったにしては甘過ぎる。幾ら三成の息子と仲良しだからといっても
万が一七将が爆発したら豊臣家の力量的にそのまま戦国時代に真っ逆様だったろうしね >>901
『政権内部での権勢を高める野心』と『政権を超える野心』ってのは全く違うから
秀吉死後から関ヶ原前までの家康は前者にしか見えん、その後なら後者だろうけど
関ヶ原で区切る意味?人間は極めて重大な出来事や体験をすると、それまでの認識や
考え方をいくらでも変える生き物だからだよ、関ヶ原は充分にそのレベルの出来事に値する
他ならぬ秀吉がそうでしょう、本能寺前と後で秀吉の行動は全く違います
本能寺やそれに類する出来事(要は信長父子の突発的死亡)が”一切起きなくても”、
秀吉は関白就任して天下人になるだろう、なんていう奴はまずいないでしょう
だから『反家康派が関ヶ原なんて馬鹿な事をしなければ』家康が豊臣政権の担ぎ手のままで
終わった可能性は高いと思いますよ、藤原氏とかの例を見る限り >>895
朝鮮との和平交渉は嘘の報告で騙したけど? >>901
明らかにとか強い言葉を使いつつ
具体的には何も言えないよねいつも >>907
加藤浅野らは私婚問題で家康弾劾して前田邸に参集してるよ
七将全部が家康の与党で一貫してるというのは司馬遼太郎の間違い >>908
それは、政権その物を乗っとる野心と地方で独立する野心の違いじゃないですかね。
丁度、アレキサンダー大王死後のディアドコイに、二種類の方向性があったようにね。
家康は、関東で自立する目的じゃなくて全国政権を乗っとるつもりだから豊臣家の権威が行き成り
消滅してもらっては困る訳で。
豊臣家の大名を徐々に徳川の外様にしたい訳だから。 >>913
例え話くん久しぶりに見たな
相変わらず小説読んでそのゴミ知識を惜しみなく披露してるようで何よりw >>896
奉行を無視して内儀を進める利休を排除するのが正しいと主張したり
奉行を無視して自分と側近だけで政治を進める秀次を排除するのが正しいと主張することに忙しすぎて
徳川に構っている暇はなかったのだから仕方がないだろ プリゴジンは謀反失敗というか、途中で諦めたね
伝家の宝刀 核持って 家康は野心というより
豊臣政権のトップという
責任感でしょう 七将襲撃が家康の描いた絵なら石田三成が生きてるのはおかしい。三成は処刑なり七将に襲撃されて死んでるはず
それを家康は無茶苦茶寛大な裁定を出してる
家康に野心のようなものは無かったんだろう
史料から見る限り、家康が天下取りを決心したのは関ヶ原の後だろう 七将事件で三成に罪を問うなら、騒動起こした七将にも問わないといけなくなるのにか?
七将は現在諸説があるからメンバーが異なる場合があるけど、福島は家康の縁戚
池田は娘婿、加藤も縁戚だぞ
こいつらも罪に問えると? 七将の申し立てを鵜呑みにするなら三成切腹でおわるだろ
それやると七将処罰しなきゃいけないとか謎ルールすぎ W加藤や池田浅野は七将事件の直前には家康を糾弾する前田を支持した
福島は逆に私婚問題で家康と一緒に前田や他の七将から糾弾されてる側
なので七将が一味同心するようになったのは前田徳川の和解後
両巨頭の和解に沿って動いていたとも言える
>>915のいう一連の粛清劇を主導したのが奉行であるかは一考の余地はある
が、少なくとも4奉行は秀次事件では発端となった糾問の使者となり事件後出世、政権の中枢に座り続けてた
実態はともかく責任を問われる立場と見られる素地はある
実は福島も秀次切腹の使者として大出世してる
慶長の役にも出征しておらず立場としては常に前線にいた加藤より奉行に近い
なので私婚糾弾は福島にとっては後ろから撃たれたようなものでその後報復に動くのもまあ自然よね 喧嘩なら両成敗がこの時代の決まりだが、一次史料によると「訴訟」だからなあ
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1599/17-5-3/12/0008?m=all&s=0002&n=20
「閏三月十日、晴石田治部少輔江州サヲ山の城へ隠居、大名十人とやらん申合訴訟云々、内府異見云々」
同じページに写ってる義演じゃなく言経だと「伏見雑説、大閤政所御あつかいにて無事成也云々」
主導したのが家康なのか秀吉の愛妾なのかしらないが、「異見」「御あつかい」で決着してる 敢えて言うなら三成が死んでるのにその原因の七将が死んでないのはおかしいという死に損ってことで七将にも責任を取らせろという倫理的な問題
ただそれを家康に訴えることが出来る肝のある奴が多分居ない そもそも七将事件は三成よりその娘婿の福原と熊谷に問題があったのに、なぜか三成に対して行動を起こしてる七人
そしてこの事件で福原と熊谷は改易されてるから三成は十分処罰は受けてると思うが
そもそも改易とか誰が決めたの?
所領とかは秀頼が成長するまで特に判断するなとか言われてなかった? そもそも七将の訴状が明確ではないので福原熊谷が問題だったかも明確ではないのだがそれは置いといて
ふたりが問題だったとする説をとるのであれば彼らが石田の親戚でその与党と見做されたからというのがセット
何も不思議がないと思うのだけど何が「なぜか」なの? 七将が求めてるのはあくまで三成の処刑、その一派の改易はそもそも求めてない(増田長盛みたいな大物は狙ってたみたいだけど)
だから福原らの改易は家康が三成処刑を諦めさせる代わりの落とし所だった可能性がかなり高い
これを蹴ったら蜂須賀・黒田の名誉回復は永遠にされないんだから七将としても呑むしかない >>928
あくまで三成のしょけーを求めたという史料のソースお願いします 慶長3年5月26日付福原・垣見・熊谷連署状にある内容が七将事件
の契機になり、対立がより深まったのは間違いないところだろう
七将の要求に福原らの処罰が含まれていた可能性も考えられると思うがね
ただ七将が要求していたもの何なのか不明な以上結局不明としか言えんわな >>925
そこよな、論功行賞する権限こそが主君の主君たるゆえん
これって建前は兎も角、盗将様のクーデターだろ 別に秀吉死後、諸大名に対する加増は一切行われていない訳じゃないから
その辺のことを言われてもなんともな、少なくとも、森、島津、宗には加増されてる
で、島津や宗は西軍についてるから別に西軍側もこの件を問題視してるとは思えん
つーか、本気で問題視してるなら島津らを糾弾すべきだ、西軍に味方したから許すとかしたら
それこそ政権の私物化だから家康に対する批判自体「どの口が言うか!」って話になる >>932
家康一人の花押で決済してる物は、全然違うでしょ
太閤ですら、自分一人の花押の文書は殆んどだしてないのにさ
盗将様一人の花押の文書の意味って「文句いう奴は俺の軍事力で踏みつぶす」って事だ。
受けた時点で、事実上徳川に臣従したも同じ そもそも朝廷の官位叙任停止もそうだが大名の所領関係も秀頼成人まで手をつけるなってのが非常識
ただ秀頼が幼いからって私的都合だけで停滞させちゃいけない国家の重要事を無理やり停滞させるとか
日本は秀吉の豊臣家の私物じゃないし関白も当然豊臣の私物じゃないんだから
関ヶ原後家康が五摂家へ関白を返還したのも当然だしもともと秀吉が約束していたことでもある
所領に手をつけるななどは武家の御恩と奉公の契約不履行もしくは遅延行為で武家の棟梁失格
家康は子供可愛さのあまり公私の別を弁えられなくなった秀吉と武家の棟梁たる資格を失った豊臣家に代わって
国家を正常化させたまでのことでそのことをどうこう言う者は日本を豊臣家の私物だと言ってるのと同じ 後水尾天皇践祚の儀に出席するため京都にいく。大坂の秀頼も二条城へ来るようにとの大御所様のおん下知である。 毛利も秀元の所領問題があるから秀頼成人まで待ってられない
むしろ秀吉の遺命を反故にするよう奉行衆に働きかけてた可能性が大
そしてそれは成功した 秀吉が天下人としてはどうにもならない奴だと思うのは
もし秀頼が成人する前に死んだ場合どうするのかを何も言い遺してないこと
兄鶴松の例もあり当時秀頼が成人する保証などどこにもなく秀頼が子を儲ける前に死ぬ可能性は十分ある
秀吉はそうなった場合の継承順位を何も定めてないから秀頼が死んだ瞬間豊臣家も豊臣政権も消滅する
公言こそしないが当時朝廷から大名まで全てその危惧懸念は持っていたはずで
だからこそ 途中で書き込んでしまった
だからこそ家康はじめどの大名も「そうなった場合」生き残るためにどうするかも視野に入れて行動していたはずで
単に豊臣への忠不忠や野心の有無だけでは片付けられない機微がある 関ヶ原戦後処理で豊臣政権があっさり解体されたのをみるに
もう誰もが当事者能力を欠いていたのかもね チェーン店の看板に価値が無いならロイヤリティの無駄
独立するか乗り換える 結局は徳川を大きくし過ぎたのが問題だった
秀吉死後に徳川を守ろうと考えたらトップに立つしかないもん そうなった原因はそもそも豊臣家に人材がいなかったから >>940
そう考えると秀次処分が本当に悪手の極みなんだよな
成人男性、かつ関白に就任しているから徳川含めた諸大名とは格が違うし
子供も多いから後継者にも困らない、独自の家臣団を有しているから大老・奉行制度も不要
秀頼に万が一が起きた時の保険としてはほぼ完璧なのに、どっかの誰かが死なせちゃうというね
家督争いのリスク?御家断絶と比べてどっちがマシですかって話だよ
一門っていうのは確かに管理・整理・制御の難しい厄介な存在ではあるけど、
面倒だからとむやみに排除すると結局は御家が詰むってのが頼朝や秀吉を見てるとよくわかる
長期政権を築くなら、やはり一族、一門を豊富にしてそいつらをうまくコントロールして
活用していくのが一番だ、それが後継作成と並ぶお家の当主の最も大きな仕事だろう 秀吉は武家の出身じゃ無かったろうからそういった意識は希薄だったろうし
頼朝の場合は清和源氏では一族内で殺し合いをしまっくてた経緯もあって
今更兄弟仲良くという気にもならなっかたんじゃないかなあ そもそも秀吉遺言自体は秀頼の引き立てだけを頼んでる
家康が政権牛耳って秀頼が傀儡になってもそれはそれで安泰でしょ?
マジでそれでいいんだよ
秀頼が成人できない場合はもうどうでもいいのが本音でしょ
その場合の後継なんて縁の薄い母系から跡を入れようと摂関家から入れようと
秀吉にとってはマジで全くもってどうでもいい
その時の政権のトップが好きにしろよ
そんなことより秀頼の今後だけはよろしくねって遺言 仮に関ヶ原がなくても、成人した秀頼のヤバさだと大坂の陣と関ヶ原をミックスしたような大乱が起きるだろうな。傀儡や象徴としての存在を理解せず徳川家と対立。 >>948
まあ正直それに関しては、秀頼を徹底管理して洗脳をしなかった家康にも多少責任はあるかと
関ヶ原直後はともかく、将軍就任後位の時点で、大坂城に徳川の息がかかった家臣を
大量に送り込んで『適切な教育』をすべきだったように思う >>945
普通に沢山いる秀次の娘の一人が秀頼の正室で問題なさそうなんだよね。
それと、秀頼は織田の血筋って要素が有るので秀次が息子に無理に継がせたがるのかって
問題もある。
あの場合、織田の血筋が当主の方が絶対安定するからねえ。
そして、豊臣家の古参家臣は殆んど秀次に付けてたので最古参を粛清した形になったと
いうのもある
本当、余計な事しなければ家康の出る幕ないんよね、家康に都合よすぎというか レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。