転生したら勝頼になっていた件
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
織田軍に追い詰められ天目山でいままさに自害しようとしている勝頼。
「今度生まれてくるときは国は豊かで、大国に挟まれず近隣に強い敵もいない条件の良い大大名の嫡男になれますように・・・・」
そう願いながら脇差で自らの喉を掻き切った。
目の前が真っ暗になり「これが死か」などと考えていた次の瞬間、
勝頼は何故か町の中にいて野菜や果物が並べられた露店の前に立っていた。
「よう若様、この柿を買わねえか?」
少年時代に館を抜け出した際に柿を売ってもらっていた八百屋のオヤジに似ている・・・というかその人やん。
店の横にある水の入った桶をのぞき込むと幼い頃の自分の顔が映っていた。
「転生じゃなくて死に戻りじゃねえか!また勝頼ではじめるのかよ・・・・」
織田徳川上杉北条に囲まれ特に織田は大きくなりすぎて自力では対処不能に
上杉のお家騒動ではどっちを立ててもどこかの勢力に恨まれる。
「やり直しても生き残れる気が全くしないんだが、どうすんだこれ??」
ここから勝頼の新たな挑戦が始まる!! 使う>剣>セルフ
私は剣の刃を左胸に突いた。
・・・ドクドクと血がわき出てくる!!
ああ!!何て愚かなのだ。
自分の命を自分で絶ってしまうとは!!
・・・私亡き後の世界は闇に包まれてしまうであろう・・・。 勝頼は情報を整理することにした
武田信玄は1573年に死に織田包囲網は瓦解する
数を揃えた鉄砲+馬房柵に騎馬は敵わない
上杉謙信は1578年に死ぬ
上杉家の跡目争いで景勝を推すと北条が敵になる、景虎を推すと織田徳川だけでなく北条に囲まれる
織田に人質を返して和睦を請うても無理だった
武田家でも信長同様の独裁体制を敷こうとしたら裏切者が続出する
勝頼「自衛隊がタイムスリップしてきて味方になるとかよほどのことがない限り無理や・・・・」 うおーっ!!
私は叫び声を上げ炎の中へ
ホップステップジャンプ・・・かーるいす!!
私は燃え尽きてしまった。 まず内陸部は美味しい海の幸が味わえない負け組なので家出します
どうにかして家康と友達になればミッションクリア 『父上は尾張の織田信長と同盟したいとお考えと聞きました。私めが人質として織田に赴きます』
これで勝頼はノブさまの下、猛将として本領発揮できよう
信玄も勝頼が居ない以上、おいそれと義信を粛清できまい 転スラが関係なかったらクソスレ確定
とりあえず織田領地に綾小路静子を探しに行く 父晴信に頼み込んだ勝頼は
1560年尾張に侵攻する今川軍に武田からの援軍として100人の兵を率いて同行していた。
今川義元の桶狭間での廃止を防げば織田の拡大を防げるのではないか
そう考えたからである。
勝頼「桶狭間は奇襲される危険性があるので通ってはなりませぬ!」
しかし若輩者の勝頼の言葉が容れられることはなく史実通り義元は戦死。
従軍した彼も織田兵の手にかかり死亡してしまうのだった。
そして七日前の駿河の魚屋の前で覚醒する勝頼。
「なんだこの無理ゲーは、どうしようもないじゃないか・・・・」 おいおい、一回目の死ぬ前にヒロインと出会うものだろループ物は 転生後
スライム ◎
蜘蛛 ○
ゴブリン △
勝頼 ✕ 転生した勝頼は陰の実力者になりたくて七本槍こと七陰を探す旅に出かけるんだ 七陰を探して尾張にやって来た勝頼。
秀吉『ふむふむ、お主は母君が敵方の姫だったが為に苦労しておるのか。ワシも身分が低くて同僚から見下されておってのぉ。お主とは気が合いそうじゃ』
木下秀吉が仲間になりました そもそも転生したらスローライフを送るのが鉄板
武田家なんぞ関わらずに京都で雑貨屋カツヨリを作ってのんびり暮らす
老後に備えて金貨8万枚貯めます 桶狭間 死に戻り3回目
腸(槍で)刺し 毛利新介(実は女) vs 剣聖 塚原卜伝
勝頼は常陸の国にいた卜伝をなんとか口説き落とし桶狭間まで連れて来ることに成功。
槍と刀の激しい攻防の末に新介は逃亡し、織田軍も退却した。
「俺の名前は四郎勝頼!俺ってば殿の命の恩人!!」
「・・・・・(赤面」
勝頼に救われた義元は彼に一目惚れ、自分専属の色小姓にすることを決めた。
「早速だが褒美として今宵の伽を命じるでおじゃる」
「えっ?いやいいです、ほんとに!」
しかし周りの者に取り押さえられ手足を縛られた状態で寝屋へ連行される勝頼。
「イクでおじゃるよ!」
「ぎゃああああっ!!尻が裂けるうっ!!!!???」
青い果実を散らされたことにショックを受けた勝頼は事後すぐに自殺をはかる。
「もう織田の拡大を阻止するのはやめよう」
義元を生かすと自分の尻が危ないことを知った彼は強くそう誓うのだった。 >>16
商売やるなら座に入らんと。
京都みたいな古都なら尚更。
んでもって座の務めを果たすと。
となると今の人生と大差ないか。 痛いのはいやなので防御力に全振ります
武田重装甲騎兵隊誕生
鉄砲攻撃無効化スキル発動 重装甲にしたら馬が死んじゃう
徒歩にしたら石火矢の餌食になるけどどうする カバームーブで移動するから大丈夫
因縁の長篠の戦いで織田徳川の連合軍に真正面勝負で完膚なきまま叩き潰す
徳川は2回目のクソ漏らしながら撤退、信長は討ち取られてその後の歴史はかわる >>17
父信玄は世に名高いその道の剛の者
当時の武人の嗜みであり勝頼ほどのものが
不得手だなんて、まして嫌いだなんてあり得ない
事実長篠では彼のために漢たちが
先を争うようにして命を投げ出してるし
甲陽軍鑑でもはっきりと「強すぎる大将」と書いた上
一部の近親を優遇したと男の嫉妬を書き残してるだろ?
実際>17のようなことがあったなら
義元に天下を取らせれば勝頼はその寵臣
武田の家督なんぞ義信にくれてやっていい
歴史の浪漫がわかってない!?
ラスト3行削除して続きから!! >>13
そして自身も改造して遂に数万の軍団も木っ端微塵にできる技、アイ・アム・アトミックを編み出す
これならイケる、あの長篠の戦いの雪辱を果たせるぞ 突撃騎兵部隊ってゲームだと突撃スキルで外縁部の敵兵に大打撃与えられるけどすぐ離脱できないと遠距離攻撃の物量で簡単に消耗するから適当に運用すると高いだけであんまり効果ないのよな
でも崩れた敵を追撃する時に騎兵連れてないとここに騎兵いたらなぁ…て思うことは多い
現実の戦国時代だとどんな感じなんだろう 速度の出ない小さなパワータイプの馬しか居ないから軽装備の足軽繰り出した方が早そう 転生したならとりあえず冒険者ギルドに登録だろ
絡んでくる先輩冒険者がいるからそいつを撃退しながらな 何年に生まれたか知識持ったままでいいなら義信に協力して信玄幽閉
でもこれだと義信当主だしなぁ
こいつも馬鹿そうで滅亡まっしぐらな気がする
今川の仇敵織田と全面対決するの間違いない
信玄のままだと当主になっても老害重臣が言うこと聞いてくれなくてせっかく知識あってもやりたいこともできない
信長はその点いいよな
早い時期に完全に反発者一掃して重臣もそんなに権力ないし
勝頼詰んでるわ
信玄死んで信長と和睦するなんて言ったら重臣からブーイングの嵐で当主から降ろされるんでどのルート行っても滅亡しかない
俺しーらねで国捨てて冒険者になるしかない >>28
> 早い時期に完全に反発者一掃して
簡単に言ってるけど、自分で揃えた武闘派の馬回衆がいたから
重臣の意向を気にせず反乱者に勝ち抜くことができた
勝頼もこれを作らないと無理だろうね 織田の甲斐征伐
史実通り岩殿に行く 途中で追い返され天目山で自害
上田に行く 真田昌行に捕まり織田に売られ打ち首
小田原に行く 北条氏政に捕まり織田に売られ打ち首
越後へ行く 上杉景勝の配下となり羽柴秀吉に接近 秀吉に松姫を差し出して大名に昇格
四国へ行く 香宗我部親泰に匿われ1609年まで生存
ゲートを通って異世界へ行く 魔族や化け物相手に連戦連勝しその世界の支配者になる 本能寺の変まで武田勢を維持出来れば生き残れるんじゃね
秀吉に喰われるかな 勝頼が死なないとダメか?
上杉や北条の家臣として亡命して機会を待つとかは? 昌幸がもし勝頼来たとしても勝頼さしだしたとは思えんがな
徳川だって信長には武田残党討伐してるといいつつ武田残党匿ってる
依田信蕃もその一人で結果的に依田助けといたおかげで天正壬午の乱は徳川の一人勝ちできた
そして真田昌幸は勝頼大好き人間で長篠以後も裏切らなかった
彼は織田軍の軍団長てきポジで上野方面軍司令官となりなんと独力で勝頼軍抜きで上野ほとんどを武田勢力にしてしまった
やろうと思えば信濃北東から上野一国の大名になれたのにしないで勝頼の部下に甘んじてた
生き残るために巨大勢力に媚びるなんてのは誰でもやること
それを真実と真に受けるやつが馬鹿 >>34
普通にそれだろ
尼子、小笠原、大友、伊東と逃げて >>36
途中配信してしまった
尼子、大友、伊東、小笠原、村上、村上水軍と河野と国追われたどこかの勢力頼って再起の戦い例なんてゴロゴロある
小笠原、伊東は見事復活したね 真田昌幸の家臣になるのはアリかな
信長に降った際に切腹させられそうやけど 表裏比興の昌幸が勝頼素直に受け入れてたとは思えんな
まあ結局小山田に裏切られたから昌幸のところに行けばよかったのに論あるが ていうか勝頼が来て匿ってたら
真田攻められて滅んでたろ >>41
大人しくしてりゃばれねーよ
依田匿ってた家康はバレてない
武田もいなくなりもう徳川いなくても信長は痛くも痒くもないので武田残党匿ってたの知られたら裏切り行為と難癖つけられ徳川征伐を発動される危険性あったのにそれでも家康は依田信蕃匿った
本能寺起きるなんて知らないのに
長篠大敗後でも北条、徳川の対応に追われて上野戦線にまったくタッチできない勝頼を見捨てることなく真田昌幸は独力で上野ほとんど勢力下にした
やろうと思えば信濃北東から上野一帯の独立大名になれたのに勝頼見限らなかった
武田征伐でも裏切らなかった
このことから昌幸がいかに勝頼大好きだったかわかる
この時代攻められないようにあちこち媚びうるなんて日時茶飯事だよ
関ケ原の上杉征伐で反転した徳川見て伊達だけでなく最上もさらに上杉と関係最悪の越後堀まで上杉に攻められないように上杉と講和しようとしたり西軍につくと嘘付いた
伊達も最上も上杉に攻められたら敵わんと徳川に内緒で上杉と講和しようとしてた
最上が徳川のために必死に上杉と戦ったて思ってるやつ多いけどじつは開戦前に速攻で上杉と講和しようとしてたんよ最上。しらなかったでしょ君
ピュアすぎるよ君w >>42
無理でしょ
勝頼が死ぬまで詮議は終わらんよ
昌幸様は大好きな勝頼絶対守ってくれるもん!
ってあなたの気持ちはとても伝わる長文で
ピュアで可愛らしいと思いますハイ 昌幸と勝頼は年齢的にも同世代で仲が良かったとは聞いた事がある
盟友だし協力的にはなれるのではないかなあ
というか転生した時に勝頼の未来を知ってるならまず長篠の戦いをどうにかする方針に尽くすべきでは そもそも勝頼が潜伏して所在が割れない
ってのか結構無理でしょ
小山田が受け入れてても
小山田ごと攻められて終わりだろうし
真田が受け入れても真田ごと攻められて終わり >>43
黒田長政見つからなかったね
お前の頭の中では信長がメタルギアみたいに真田の城潜入捜査してると思ってるんだろうけど
繰り返すが徳川は依田信蕃匿ってる
これは非常に危険行為でばれれば信康事件みたいに武田残党と結託して敵対行動取ってると取られてもおかしくないのに家康は本能寺起こるなんて知らなかったのにやった
あと君ってピュアすぎてなんか笑える
君が戦国大名だったら隣国勢力があなたに味方しますと言ってきたらコロっと騙されて裏で敵対行動され数ヶ月で滅びそう
この時代生き残るために嘘付きまくるなんて当たり前なんですよ これまで裏切る機会なんていくらでもあったのに裏切らなかったのになんで独立しなかったんすかねぇ
結果的に昌幸は主家が滅びるまで裏切らなかったから信長から許された
真田昌幸は勝頼大好きで差し出すなんてまずしない
最悪別人の首差し出すでもいい
上野独力で落としてそれでも勝頼に従い続け甲州征伐でも裏切らなかった男が勝頼差し出す?
ねーわ
そんな男ならとっくに独立して裏切ってるよ 依田や黒田と立場が違うだろ・・・
どう言う頭の中身になってるのか想像を絶するわ いやお前の頭こそどうなってるか不思議だわ
実際、勝頼在命時裏切ってないのに裏切ったと言い切るお前の頭こそヤバい
今まで散々裏切る機会あったのに裏切ってないのに
お前悪魔の証明って知ってるか?w
足りない脳みそで検索してご覧。その端末でできるから 昌幸ってそこまで勝頼に忠節尽くす必要性ないやん
真田の家のほうが大事でしょ >>49
どこで俺が昌幸が勝頼裏切ると言ってるんだ?
マジ意味不明すぎて困惑してるんだが
具体的にレス番指定してくれ 勝頼は名前がデカ過ぎるから相当上手くやらないと死ぬのでは… 勝頼は軍才は信玄を超えたがカリスマ性が足りなかったよね
信長にも言えるが 長篠の戦いで負けなければ何とかなるやろ
当然に武田家臣団も無事ならば 掛川城の包囲戦でも信長は家康の援軍に来そうなもんだし、仮に信長との直接決戦が
掛川の戦いだったら武田軍も兵力的には五分くらいまで行きそうだから割といい勝負になってそうな気がする。 1585年の天正地震まで持ち堪えられればなんとかなるからなあ。
長篠なんてやらず本願寺と協調しながらチマチマ徳川領の遠江を削って、
東濃支配の強化と城郭を整備していればそれだけで信長への牽制になるし。 勝頼は勝負を急ぎ過ぎた
長篠がなければ信長も戦力を集中できず
本願寺を降すまでもっと時間が掛かったはず 勝頼は長平の戦いの孝成王みたいな感じがする。持久戦に耐えられないメンタルとか 勝頼が長篠の戦いで信長を破って足利幕府も呑み込んで武田政権で天下統一するまでがシナリオか? 勝頼には誰かを信頼して軍団を任せるとか
誰かに信頼されるとか
将軍に信頼されるとか
全然想像できないんだけど コーエー史観の弊害だよ
もっと武田勝頼についての本を読むしか無い >>31
上杉に行くのがベストだろうな
勝頼の首取れなくても早晩上杉と共に滅亡するだろと信長が判断して
事実上の武田滅亡で史実通りに隙見せるようになって本能寺起きれば
上杉の後押しで勝頼が武田再興を旗印に信濃に入れば
真田とかは勝頼に与すると思うし蘆田なんかも合力してくれそう
後は第二次織田包囲網の時に織田と同盟して松姫送り込んで生き残り図るしかないな
その代わり激怒した謙信が川中島に怒涛の如く押し出してくるけど
長篠で武将も兵も主力失った武田軍は海津城に籠城して織田の援軍くるの待つしかないな 今川義元が桶狭間で死んでなければ
信玄が駿河侵攻なんか出来なかったし
義信が謀反で死ぬこともなかったから
義信が武田家継いで諏訪勝頼として
信玄にとっての典厩信?みたいなポジションで
最前線で戦って大活躍したと思うな勝頼
なので桶狭間が起きないようにするのがメインになるだろうな
今川の尾張侵攻に義信が2000くらい率いて援軍として義元本隊と同行すれば
たぶん義元は死なずに済みそう 尾張侵攻は義元は楽勝だと思っていたので援軍を断る可能性があるのと
勝頼の献策を義信が受け入れるのか不透明 むしろ義信事件の阻止の方が
義信健在なら武田も結束し信長家康も迂闊に手は出せなかったのでは 義信事件は義元討ち取られた後では回避不能では?
信玄としては第4次川中島で北に勢力広げるのは事実上打ち止めになっちゃったし
仇討ちしようとするわけでもなく松平に離反されて更に領土削られてる氏真見てたら
駿河取りたくなる気持は抑えきれんだろうし
勝頼の人生がある意味暗転するのが義信事件だからこれは回避したいし
そうするためには今川義元は生きていてもらわないと困るよなぁ
史実通り信玄と信長が手切れした後で家督継いでももう史実と大して変わらんと思う
長篠回避しても信長の勢力は増大し続けるわけでジリ貧になるだけ
武田は信長の朝倉攻めみたいに一戦で戦国大名滅亡させるような戦いはできない
三河の城一つ一つ削っていくような遠征続けてる内に財政破綻するのは目に見えてるしね 信玄が信長と手切れする前に死んでくれるというのもありかな
それだと勝頼が家督継いだ事は都合がいい
勝頼の正室は信長の養女(信勝産んで死んだけど)だし
松姫を信忠にさっさと送れば松姫が嫡男産む可能性も高くなる
勝頼は織田家嫡男の義理の兄であり信忠の長男が武田の血を引いてるってのは凄いこと 都合よく死んでくれたら都合いいが史実ではその時期に死ななかったわけだし
勝頼が実現するのは相当難易度が高い
信玄が死ぬまで勝頼には実権は無かっただろうし考えれば考えるほど無理ゲー 長篠をせず上杉、本願寺と組んで織田を牽制し、天正地震が来るのを待つしか生き残りの道は無さそう 信玄が信長と対立した時点で離反
というのは実はアリだと思う
1565 義信失脚
1567 信長養女との間に第一子誕生
信忠と松姫の縁組が成立
1568 信長上洛
武田徳川とともに今川侵攻
ここまで武田全体の政策として
織田との同盟路線を爆進してて
勝頼はその最先端を担ってる
1569-70 北条と戦争しつつ駿河侵攻を継続
70末 徳川領に攻め込む
ここで急に織田との対立関係が浮上
1571 12月甲相同盟復活
1572 10月西上作戦開始
1572 12月三方ヶ原の戦い
1573 2月野田城を落とす
1573 4月信玄陣没
この間で勝頼が義信みたく
親父の路線変更に抗っても
流れ的には自然と思うのよね 西上作戦中に戦線離脱して高遠籠城とか
なかなかの勝ち確路線じゃね?と思ったけど
71年2月に甲府に召喚されて取り上げられてたのね
義信から勝頼に後継者を移す処置だろうけど
信玄的にも警戒してた気がする
ただ西上作戦中に織田方へ鞍替えしたら
織田は勝頼を旗印に甲信攻め
徳川は駿河攻めで収まりそうではある そんな事しなくても信玄没後に信長に御免なさいすればいいだけ。
代替わりで外交方針が転換するのはよくあるし、信玄存命時にリスクを犯す意味がない ごめんで済めば警察はいらない
信長と和睦するとなったら手土産が必要
信長に対して負けていない状況で手土産を渡そうとしたら
代替わりしたばかりで重臣の信認を得ていないし
幽閉されてしまうんじゃないかな 信長は勝頼絶対殺すマンか?
晴信さんに対しては恐れまくっとるけどな 武田不利が明らかになってきた頃勝頼は信長と仲直りしようと必死だったみたいね
まあ信長は信玄時代の恨みもあるし敵も減ってきしてるし首を縦に振るわけがない 信玄死んだから信長と和睦したいって勝頼が言うなら
最低でも岩村城は返却しておつやの方は信長に引き渡さないといけない
秋山が納得するわけもなく
信玄が死ぬ寸前にとち狂って織田攻撃したせいで
せっかく織田と縁続きだった勝頼の人生滅茶苦茶だよ 高天神城攻略後と、東濃制圧後ならワンチャン信長との同盟もあり得た。
本願寺や毛利がまだ力を持っていた時期に濃尾に来られたり、
遠江を削り取られたら2正面作戦になってしまう 信長の本拠地が岐阜の時代に
東美濃の武田領放置したまま同盟はないわ 晴信が逝去した後の段階から勝頼は武田領を最大級に拡げたからな
そこからやりようはあるはず >>88
それ遠江失う一方で御館の乱に介入して
奥信濃と東上野上杉から割譲されただけじゃ・・・ 上杉景勝の狡猾なところは東上野を武田に渡すことで(実際は北条がもう制圧済)
長年の宿敵であった北条と物理的に地続きの状態を解消して
武田を対北条の防波堤に使ったことだわな
このおかげで国内の反乱鎮圧と越中での対織田戦に兵力を集中できた >>87
山縣が信長信忠親子の迎撃に成功してるし、東濃を武田に押さえられるのは西進したい織田にとって
足枷を嵌められるもんだからなあ。長篠の戦いをせず東濃を支配下に置いていたら織田側から前向きな提案が来そう。 長篠の戦を回避したとしてもそれからも三河に遠征し続けるだろうから
武田は早晩財政破綻してたはず
策源地の甲斐信濃から三河に遠征するのは財政負担が大きすぎる
ここらが信長みたいに最前線の移動に伴って本拠地移動させた信長との違いだわな
武田みたいな名門守護大名は中々本拠地動かすなどできない それだったら財政破綻しない遠江の制圧に切り替えるだけかと。あと勝頼は長篠の戦いで惨敗した数年後に本拠移転してる。 そもそも長篠から逃げられたのからして怪しいからね
下手すりゃ刀根坂の二の舞、砥石崩れの再演になったかも リテイク勝頼「岡崎、長篠、ううっ頭が。あんなところ絶対に二度と行かん」 >>35
俺も真田昌幸との合流はアリだと思うんだよねえ ・岩殿城と岩櫃城では岩殿城の方が近いので逃げ込める可能性が高い
・武田の血を遺す為に逃走させた武田信豊と逃走経路が同じになってしまう(信豊は城代に裏切られて死ぬが気づく事はできなかった)
・岩殿城は小山田一族の領内にあるが実は武田宗家が管理していた可能性が指摘されてる(岩殿に勝頼が普請の為人を送り込んでる)真田昌幸が信じられないという要素もあったかもしれないけれど岩殿城の方が種々の面で有利だった
こんな話は聞いたことがある。実際、どうなのだろう 昌幸が勝頼を守れたかどうか分らないけど
昌幸のその前の人生やその後の人生から
強い敵は騙しまくるけど弱い味方は裏切ってはいないんだよな
昌幸がどうしたかは非常に興味がある たた武田スレイヤーと化してる織田信長に勝てるか?
って言うと… 昌幸が勝頼受け入れたら
そのまま織田に攻められてたよ
まったく一切の痕跡を残さずに
移動するとかの想定でなきゃ 真田の岩櫃上に籠城は論外
後詰もないのにいくら要害の城でも織田軍数万に囲まれたら確実に落ちる
真田経由で越後に逃亡が一番誰も困らない 上杉に逃げ込んだとなるとそれなりに
反抗に対応できる配置になって
本能寺起きないのではないかな
史実だと森が5000で進軍してたけど
勝頼が陣頭に立った場合
背後で反乱起きてもいいように
信忠の軍団は川中島か諏訪に待機になりそう 本能寺の変のフラグは勝頼の首級ではなく武田家の滅亡でしょ。 本能寺が起きなくても信長も50手前。そろそろ体にガタが来て政務から身を引くかもしれんし、それで弱気になって武田への敵意が萎えるかもしれん
若い頃から前線で身体張ってた人だから衰えが出ると案外脆いよ
上杉が勝頼の助命を条件に頭の下げれば命までは取らないんじゃないかな フラグってw
信長の野望とかやるとそうなの?w
そういうんじゃなく真面目な話として
史実だと天目山で勝頼が死んで
武田の滅亡がわかりやすかったけど
生存してたらまた話が変わるってことね >>106
頭悪いなw
大名個人が他国へ敗走しても大勢は変わらない。例として斎藤龍興、荒木村重は運良く
討ち死にせずに他国へ敗走したがその後、元の国に何か影響を与えられたか? そんな大きな影響の話をしてるの?
まさか甲信奪還とかそのレベルの??
そこまでの話はもちろんしてないよ
単に勝頼捕縛のための詮議が続いたら
全体的な織田勢の撤収のスケジュールズレる
上杉が匿ったら対上杉の戦線が
史実よりも拡大する可能性も出てくる
だから本能寺のような絶好の
タイミングが来ない可能性あるよね
ってだけ 勝頼の首級なんかより対毛利、対長宗我部の方が重要。
信長、信忠親子とその軍勢が勝頼の首級の為に甲信に留まる理由がない。 武田滅亡は信長の宿願だし勝頼が死ぬまで追いかけるだろうなぁ 勝頼の影武者の首でカムフラージュ!
本能寺の変まで生き延びるのだ! 単純な話真田が怪しい挙動したら
真田攻めが始まるので
史実通りのスケジュールより
信濃平定は遅れるよね?
史実では3月11日に勝頼が死んだあとも
4月に武田旧臣が景勝と結んで一揆してる
これは森長可がすぐ鎮圧してるけど
・2カ国にまたがる勢力を持つ真田氏が同調し
・後ろ盾の景勝が勝頼を支援してる
となるともっと大規模になると考えるのが自然では? >>103
信長がどこまで勝頼の首にこだわってたかで状況は変わると思う
勝頼を意地でも仕留めなきゃいけない理由って
占領した甲斐信濃を武田の威光で旧領回復に動かれると困るからだろうけど
武田征伐で一門衆すら勝頼見限って裏切りまくりだったからそんな影響力はないと判断しそうなもんだが
上杉自体ももう1582年3月の段階では風前の灯だし逃げ込んだ勝頼もろとも踏みつぶせばいいとなって
史実通りになりそうな予感
もし本能寺が史実通り起きてても勝頼が上杉の後援で川中島に現れたところで
春日、真田、蘆田(徳川に恩があるからもう無理かも)辺りが合力するかどうか
上杉が3000くらい兵貸してくれてこれらの合力があっても6000程度だろうから
3万で上野攻略して碓氷峠超えてくる北条や1万で甲斐になだれ込んだ徳川に対抗できんだろうね
甲斐の国衆なんて全く見向きもしないんじゃないか?
そのまま北信濃で上杉と一緒に羽柴のために戦えば将来的には甲斐信濃貰えるワンチャンありそう 信長は武田を憎んでいたから根絶やしにせよと命じたが家康は従わずに遺臣を保護した
結局家康の判断が正解だったね まぁ武田が滅んで北条も織田に臣従じゃ
徳川は駿河で打ち止め
この頃には東北諸将も続々と織田に臣従しようとしてたし上杉も滅亡寸前
徳川的には織田に潰される可能性考えて人材確保したかったんだろうな
実際本能寺起きなかったら徳川が武田旧臣隠れて召し抱えたのバレて
難癖付けて潰されたかもしれない 明智軍の足軽も家康討伐の兵かと思ったと書き記してるしもう用済みっぽかったのかな
本能寺起こってホッとしたのは家康か >>116
そうかもしれんね
もう徳川の援軍なんて織田の規模なら必要ないしね
そう考えると織田にとっては重要な美濃尾張の近くに100万石レベルの徳川がいるのはなんか気分悪いだろうし 家康が私財を投げ売った歓待に満足してたというし幾らなんでも流石に取り潰しはないだろう。
むしろ武田の遺臣を迎え入れたのは唐入りを控えた戦力強化と考えるのが自然かと。 勝頼は名前を変えて家康の家臣として潜伏するのだった 信玄が信長の面子潰したからね
正直穴山信君とかも危なかった よく御館の乱で北条云々言うけど
もし景虎に協力して景勝滅ぼした挙句
氏政と景虎に織田と通じられて滅亡してたら
勝頼は歴史的なお人好しの馬鹿って扱いだっただろうしなぁ 勝頼が相当景虎と親しくないと裏切りは止められないだろうしなぁ 景勝は甲州征伐のあの状況でも援軍出してたし
勝頼が海津城経由で逃げてたら十分越後まで逃亡できたと思うんだよな
もし史実みたいに本能寺みたいなのが起きたらと思うと
岩殿城選んだ勝頼の選択が悔やまれるな
勝頼は氏政、家康とは犬猿の仲だから外交下手の勝頼でも
本能寺後は景勝と一緒に羽柴に協力して上手く立ち回れただろうし 信濃に逃げた信豊の末路を考えるとなぁ…
昌幸は味方でもそれ以外に売られていたかもしれないし 無理やろ
真田の岩櫃すら辿り着けないと諦めたくらいやし
冬場でしかも浅間山噴火してる状況で妙高を越えられるとは思えん 転生してもほぼ同じ末路しか無さそうな勝頼さん・・・ 景勝に依頼して可能な限り上杉軍を南下させるとか、なんかないの? 新府城に引き返して高遠城で仁科が奮戦してる間にさっさと越後に逃げると決めてれば
海津城くらいまでは上杉が迎えだしてくれそうだけどなぁ まぁでも当時の上杉も越中で織田の攻勢に押されまくってたし
早晩潰されそうだったから武田家最後の当主が越後で客将として死ぬよりは
岩殿城で少しでも戦ってと思ったんだろうなぁ
でもそう思うなら高遠城に入って討ち死にした方がまだよかったな 武田崩れ起きたのは勝頼が佐竹経由で交渉して信長と同盟組めると思ってたところで
木曾は裏切るは穴山は裏切るわ同盟組めると思ってた織田は攻め込んでくるわで
完全に勝頼の権威が失墜したんだろうな
織田と関係修復しようなんてせずにいればあそこまで無様な最後にならなかったんじゃないかと思ってる
もし織田と同盟してたと仮定すると妹の嫁ぎ先で同盟国である上杉を見捨てることになるから
それも節操無さすぎだろ勝頼 信長の外交術が巧みだった
高天神城攻めなんて「織田と徳川は対等同盟してる」ことを上手く使って勝頼には後詰を出したら織田を攻撃したと看做すとした上で徳川には高天神城降伏を許すなと助言(の体にした命令)してた訳で完全に掌の上
まぁ信長と腹括って最終戦争しとけやって話で終わりかもしれないけどさ 信長と交渉なんかしてなければ
もし木曾が裏切ったとしても諏訪あたりで最後の決戦くらいはできたはず
信長本体が来る前の信忠軍3万相手なら後詰で1万5000もあれば一度くらいは撃退できたかもしれない 史料を忘れたけど勝頼は高遠城が一日で落ちるとは思ってなくて時間が無くなってしまったとか
玉砕は雄々しいんだけど盛信もおかしいよ… >>133
まぁあれは高遠城までの城がほとんど戦わずに無血開城続出で
飯田から高遠城に逃げてきた保科なんて織田軍が来たら
今度は高登場から逃げ出して上野に行ったりしてたから
籠城しても裏切り出る可能性が高くて長期戦戦える状態じゃなかったんだろうな 勝頼が越後に逃げた場合史実では最後まで勝頼に付き従った大熊さんは
越後までついて行ったのかは興味のある所だな >>134
そうか、戦線の混乱をモロに受けたのか
それでも降伏するする詐欺とかで〜とか思ったけど信忠が陣頭指揮してる位織田軍は好戦的だし、だとすると通用せんかったろうな
信長の作戦に引っかかって和睦とか考えたのが運の尽きだけど木曾路と駿河がヤバいんだよなぁ 木曽、穴山が裏切ってるのに小山田が勝頼のために玉砕する義理もないというのが正直なところ
同じ意味で真田も 長篠の戦いの後じゃ何やっても生き残れないでしょ。景虎について北条と無駄な戦をしなくても
使わなかった新府城を築かなかったとしても、よくて1回くらいしか武田征伐を凌げないだろうし。 そもそも論だが北条+上杉(景虎)が対織田で武田の支援するとも限らんしね
特に景虎は直接織田と国境線接してるし
代替わりを理由に織田と和睦なんてこともないとは言えない 景勝の和睦を蹴っ飛ばしたら景勝が信長頼るかもしれんしで外交的にもキツい 一番良いのは謙信が急死せずに生きててくれることだろうな 謙信が生き続ける
加賀まで上杉に制圧された織田は武田の相手してる場合じゃない
武田は戦力回復の時間を得ることができる 謙信「やっぱ関東遠征するわw武田君、分かってるね?w」
詰みです 謙信長生きは、深酒が大好きな時点で無理な話。
ワインとかと違って日本酒の深酒はマジでやばい。 謙信はクソ寒い越後で酒と塩分摂りまくってよく49年も持ったなという印象 もう勝頼さんは病気になったふりでもして出家する以外助かる可能性無さそうだね
信玄的には寅王丸殺して諏訪家継がせてるから簡単には出家させてくれないだろうけど 信玄存命時に織田家に単身出奔して諏訪家再興を願い出て武田と戦うしかない 信長『当主の責任を放り出す屑は許さん。華厳寺に幽閉じゃ』 >>148
捨て扶持付きならむしろこのスレにおける一つの解では
剃髪して花鳥風月に親しみ大往生を遂げる勝頼公も見てみたい >>150
1600年に織田秀信来た時の対応が気になる 信玄 織田に喧嘩売って死ぬ
謙信 同上
こいつら・・・ 長篠で撤退して戦力温存した状態で上杉が将軍家に味方して織田と手切れして
武田とも同盟した上で越中から加賀に攻め込めば包囲網にワンチャンあったかもしれないな
浅井朝倉滅んだ後では謙信が越前から畿内狙う動きしてくれないと武田は三河から先には進めない 武家はそう簡単に頭を下げられないもの。
家康だって天正地震が無ければ秀吉に大幅減封か取り潰しされるのは目に見えていた。 家康なら小牧長久手で有利に戦をしていた自負もあるし減封なんて素直に応じないだろう
信雄は論外として 信雄さんは北条征伐後に家康の旧領に領地替え受け入れてたら
秀吉死んだらワンチャンあったよな >>152
信長に喧嘩売ると暗殺されちゃうんだ
マンガで見た 信玄も謙信も織田と同盟組んでたのを反故にして裏切ってるのが共通してんだよな
で後継者が信長のヘイトで滅亡するまで許してくれない 長篠だって割と詰んでる
城が落とせてないから挟撃されてる形で無事に逃げられる保証はなし、殿は実質特攻隊で戦後「勝頼は信長の旗を見てびびって重臣捨てて逃げた」って言われるのは確実 信長が岡崎到着した時点で撤退してりゃ
500程度の長篠城兵なんかだけじゃ追撃も出来なかっただろうしね
もし追撃して来たら返り討ちにしてそのまま長篠城に雪崩れ込めるし 長篠から無傷で撤退
その後も三河で小競り合い続ける
その内上杉が義昭の要請にこたえて越中加賀に侵攻
織田が徳川に援軍出す余裕なくなる
じっくり長篠を皆殺し
掛川や岡崎の城下を片っ端から焼き払って家康が出撃せざるを得なくなるまで挑発
出てきた家康を徹底的に叩き潰す
これがベストなんだろうな
まぁ掛川なんて氏真でも半年籠城できた城だし
岡崎も簡単には落ちないから家康は浜松城でダンマリ決め込みそうだが 考えてみれば三方ヶ原で空城の計の浜松城に勝頼と信豊の部隊だけでも突入すればよかったんだよな
それを見たら山県や馬場なんかも突入せざるを得ないだろうし
1000人くらい失うかもしれんがここで浜松城ごと家康討ち取れば徳川領完全に瓦解するだろうし
岡崎城囲めば信康殺して投降しそう
その前に織田が岡崎城接収するかもしれんが 犬居城、二俣城、社山城といった北遠江を武田に押さえられてるから仮に勝頼に掛川城を攻められても
家康は浜松から出ることは出来ないだろうな。兵数も武田は25000くらい繰り出せるけど
家康は精々8000くらいが限界 >>164
織田の増援の兵力が不明な上に徳川の主力は無傷
攻めれるわけが無い >>165
とはいえこの頃の武田には2万以上で何か月も包囲する財政的な余裕もないからね
掛川城は堅城だから落すのは難しい
だから城下町焼き払いながら徳川領蹂躙して挑発するしかない
それでも出てこないのが家康だが
吉田城では青田刈りまでしても徳川軍出てこなかったし ここまでの議論だと信玄が織田に喧嘩売って
途中で死ぬまではもう勝頼には変えようがないんだから
三方ヶ原で家康の首取るしかないんだよな
勝頼は転生してる前提なんだから後出し知識総動員して
戦場で徳川の旗回収して徳川軍のフリして
どさくさ紛れに浜松城に突入して落しちゃうしかない 32000にもなれば300円あげても1%ないからな >>167
高天神城を僅かな期間で落城させてるけどな。勝頼は戦全般だけど、特に城攻めがめっぽう強い。
それに武田の兵站能力は高いし、半年に渡る遠征を信玄の代から何度も行ってきた実績がある。 高天神は内通者が出てきてくれて落ちたって面が強い
内通者を作る事が攻城の最適解だからそれはそれで正しいんだけど問題は敵が全く裏切らない降りない玉砕覚悟ってなったとき
武田家の体力では力攻めができん。甲州征伐で織田がやったみたいな出血覚悟の戦闘ができない 長篠がそれでハマったんだよな
勝頼裏切ってメンツ潰した連中だから
内通なんてまずしない
こうなると武田はたった500の城兵相手にすら苦戦する 鳥居強右衛門が武田に寝返っていたら開城していたかも 鳥居が返ってこなければ疑心暗鬼で早晩落ちたと思う
嘘言わせようとしたのは悪手 ただの奥三河の小豪族が長篠の戦のおかげで
幕府の老中出すような名門になっちゃうんだからわからんものだよな あのときの家康は次に武田が何処を狙ってくるか分からない事が相当のストレスだったからじゃね。
遠江だけでも掛川城、久野城、浜松城とあるし、これに三河も考慮すれば撃退した援軍が来るまで
持ち堪えた奥平様、様だよ。 松姫が仁科の子供連れて八王子まで逃げ延びてるのを考えると
北条夫人は小山田経由で相模に逃がすべきだったよね
で勝頼と信勝は信豊と一緒に信濃方面に逃げる
そのまま海津城経由で援軍に来た景勝と合流して越後に脱出
運が良ければ本能寺起きて甲斐信濃奪還するワンチャンある 鳥居の件、何が滑稽って武田は詰んでるのに悪足掻きしようとして案の定裏目引いてるところなんだよなぁ
鳥居が何を言うかなんて聞くまでもなくわかる「信長と家康が来てる、お前たちは終わりだ」と言うに決まってる
そして距離時間的に言って信長家康は早晩来る訳でもう余裕は無い、敵の言葉を信じて逃げるか戦うかの選択になる
つまり鳥居云々より信長をどうにかする策を考えないといけなかった ていうか鳥居の話が事実なら鳥居が岡崎から走ってきた時間を考えると
織田徳川軍は早晩長篠に到着する
鳥居が本当のことを城方に伝えてしまった後ではもう後詰来る前に落とせる可能性ないから
織田徳川軍来る前に撤退するのが普通の流れだよね?
たまたま信長が陣城におびき寄せて撃滅する作戦取ったから設楽が原に着陣したけど
普通なら直接長篠城の後詰に来て武田軍万事休す というか詰んでて騙くらかして落とすくらいしかないから悪あがきしたってだけだろ なぜ武田軍は織田徳川が来るまで撤退しなかったのかって話してるんだが
極端な話設楽が原に信長来た後でも撤退はできた >>182
鳥居を見つけたこと自体が最悪
これで織田軍を確認しないで逃げたら「勝頼は徳川の雑兵に恐れをなした」「信長の名前を聞いたら武田は青くなった」って吹聴されるに決まってるから確認しない訳にはいかない
そして確認に物見を出したら織田徳川軍に到着される
唯一の最適解は「鳥居は長篠城からの伝令で伝令が帰ってきたと言うことは織田の援軍が来るのだ」と察知して鳥居を有無を言わさず葬って最小の包囲軍を殿に逃げる
ただこれは半ばインチキに近い、多分無理。やろうとしたら重臣衆から止められるだろうし 甲陽軍鑑だと勝頼の独断で決戦を挑んだことになってんだろ >>184
後詰がきてるからもう逃走は無理、数千人は犠牲になるし最悪勝頼の首も危ない
後詰が来ると聞いて逃げて逃げ切れず大損害、って話は普通にある、ていうか信玄の砥石崩れがまさにそれだし しかし長篠の地って要害だし猛然と織田徳川の大軍がなだれ込んでくるようには思えないがな
あの時点なら退却できた気が まぁあの時点で撤退したら信長は「勝頼はわが軍を見て逃げ出した」と大々的に宣伝するだろうけど ・逃げるったって本拠地信濃まで数十キロ
・長篠は伊奈、別所街道とそれなりに行動可能なので織田徳川軍が追いかけてくる公算大
・そもそも長篠城が落ちてないので長篠城兵の押さえ兼殿を置いていくしかないが生還の見込みがゼロ
って感じに不利が多いんだけどそれよか割と決戦の要素になったのは田峯城じゃないかと思う
田峯城は長篠城から鳳来寺街道使ってすぐの所にある武田の城なんだが、ここを支配してる菅沼氏は当時家康に内通してる疑惑があった(実際内通してた)
つまり武田軍が逃げたら徳川軍が田峯城を使って先回りしてくる危険があったんじゃないか? >>184
そりゃまた単純にそんな選択できなかったんだよ
川向こうまで包囲のための備えが配備されてたわけで
そいつらは撤退時に攻められたら全滅必至
「俺は勝てないから戦いもせず逃げるんでお前らはそのための捨て石になれ」
なんて命令出せないよ普通
「武田の当主は敵より弱いし味方したものを守る気もありません」
と宣言してるのと同じだもの >>186
一応ちゃんと軍議はしてる
ただ正しいのかは不明だけど
退却派の馬場信春と決戦派の長坂光堅の討議で信春の主張は
「信濃まで逃げて織田徳川軍を惹きつけて戦う」「長篠城を力攻めにする」「長篠城を落としてそこを拠点に決戦」
光堅は「武田は逃げたことはない」「後詰を前に力攻めは無謀」と主張
結果的に光堅の「信長ほどの大将が容易く退くか」「攻められて決戦もこちらから攻めるも同じ」という主張が認められて決戦に決まったと言う >>193
創作なのは分かった上で長篠城力攻めで落とせるくらいならとっくに落としてるだろとしかw ただ決戦に至った決定打はやっぱり「信長自身が来た」だったとは思う
信長がわざわざ来るって事は絶対に成果をしかもそれは「長篠城が救われた」なんて外聞だけじゃないだろうし
なら逃げたら追ってくるし、追われて追い付かれたらそこで戦わないといけない 信玄存命時には浅井朝倉がいたから信長が三河まで援軍に来れる状況になかった
それが今や信長が3万もの兵力で長篠まで出てきた
この時点であかんやつ 前年に東濃で十余城を陥落させ織田軍を退かせた成功体験があまりにも強烈だったのかも。
それによって濃尾兵は弱小、甲斐兵は精強と思いこんで野戦築城した陣に
多少の出血覚悟で力攻めを敢行し、結果1万以上の死傷者を出したのかと。 高天神すら来なかったから甘く見てた節もある
ただ武田は知る由も無かったが信長は援軍には来ていて間に合わなかっただけなんだよなぁ…
勝頼は勇敢だったから負けた、って言われてるけどむしろ逆で常識的だったから負けたんだと思う
本当に勇敢だったら馬場信春辺りに「もう充分生きたろう、俺の為に捨て石になってくれ」って逃げてると思うの
ただ仮に転生してこれ言ったとして聞いてくれる部下おるんかな 甲陽軍鑑は馬場、山県、内藤は反対したみたいになってるけど
実際はノリノリで突撃したんじゃないかなと思ってる 長篠の軍議、内容が凄いめちゃくちゃなのよね
まず信濃まで敵を引き込むなんて不可能だと素人目でわかるし長篠城攻撃なんて織田徳川軍が見ててくれる事前提、織田徳川軍が突っ込んできたら武田軍は腹背を突かれて全滅だろう
ってこのノーセンスっぷりを見るとむしろ重臣衆が決戦、側近や一門衆が撤退でもおかしくない
とはいえ状況が状況で押すも引くもできないんだけど >>200
甲陽軍鑑って途中までは春日虎綱が喋ったのを口述筆記したって言われてるけど
とても春日が言うような内容じゃないんだよなぁ 多分ノリで作ったんだろうけど軍議の流れとしては結局「信長が来てる」って事実を無視出来なかったんだろう
逃げるにしても信長が殿に置いた武田重臣の首で満足してくれなかったらそれこそ信濃までやってくるかもしれんし
信長の巧妙なところは武田軍を皆殺しにする為に設楽原で野戦築城してたことでそれで武田軍も惑わされた感がある
一万死んで敵の被害軽微なんて考えられんもの普通は そもそも長篠城に1万-1万4千の兵士は収納出来るんですかい? 収納出来たとして奥平信昌が城に火をかけたら焼き跡に籠城する羽目に 信長も毎回三河まで援軍に来れないだろうから
長篠では撤退すべきだったよな
信長が来て逃げたと言われようが三河で圧倒的有利なのは武田だし
東美濃も奪還できてない信長が言っても信憑性はない 中々来れない信長がわざわざ来てる訳で逃げたら地獄の底まで追いかけてくるし
追いつかれたら城攻めと逃走に疲れ果てた兵で織田徳川軍と決戦になる
信長は朝倉を似たようなシチュエーションで滅ぼしてるし(勝頼が知っていたかはわからんが)相当巧妙にやらないと逃げられなかったと思う 信長と言う天下人、今で言えば大谷みたいなスーパースターが相手してくれるチャンス。敵わぬまでも一泡吹かせれば名が売れる。勝頼含めて武田サイドがいきり立っても無理はない
加えて朝倉が背中見せた途端とことんまで追撃喰らって滅亡した事も頭に掠めてただろ
撤退なんて選択が取れるとは思えん 転生してるとしても逃げるに逃げられず戦えば死ぬだけだし… よくよく考えたら転生したのなら最初から長篠行かなければ良い
でもそこから先は知ってる歴史じゃないから難しい 歴史が変わった時点で自分がどう動くべきかを考える方がよっぽど難しいわな
直後にあっさり無駄死にも大いにあり得る とりあえず長篠に行かず、天正地震という不可避なイベントまで耐えれれば生き残りの芽は出てくるはず >>215
実は長篠の戦いに関連した諸侯の軍事行動が活断層に影響を与えていて、地震もスキップされてしまうということは無いだろうか
地震や地学に知見のある方の意見を伺いたいところだけれど 徳川領を攻めてきゃ長篠でなくてもどっかで織田の援軍とやる羽目にはなるよな
長篠のような地形でなきゃ目の前の野戦築城に気付かないってなヘマの可能性は減るかもだが
単純な兵力差と装備を覆す勝利は必要になる
勇猛果敢な武田武士にはそのくらい可能だ!みたいのは軍鑑の手前味噌じゃないかな どのみち信濃と駿河で2方面作戦になるし
あと問題は上杉謙信、長篠の戦いのこと信長が教えてこなかったからヘソ曲げた感があるこいつが変わった歴史でどう動くか >>217
どこで戦うにしろ城攻めしてる途中で後詰で織田が3万以上で来援するってのは勝ち目無いからなぁ
長篠と同じ1.5万VS3.8万が平地で完全な野戦になっても普通に武田負けるだろうし
上杉が将軍家の要請で織田と手切れして加賀に侵攻してる間に
徳川叩き潰すしかないね
でもこの頃の家康はもう単独では武田と戦いたくないから城から出てこんしな 史実通り長篠城攻撃
予め信長が岐阜から援軍に出たら秋山に西美濃荒らすように命じておく
信長帰る
長篠落城 長篠攻撃してた武田軍は織田や徳川を牽制する方策があったのに全くやってない
秋山に西美濃突かせたり山県を別動隊にして駿河から遠江荒らさせるとか
のんびり長篠なぶり殺しにしてたら信長来ちゃったさあ大変みたいな
後詰来ても徳川だけで城包囲しながら後詰も余裕で撃破できると思ってたんだろうな 兵数的に劣勢な武田方が攻撃正面を増やせば勝てるというのは不思議な発想だな
そんな大規模な三正面侵攻ができたならそりゃしてるだろうし
小規模にやっても各個撃破されるだけだろう 上杉対策に兵を割いて15000、鼻血も出ない
対する徳川が約8000だから自由に動けそうで動けない絶妙な数…
一応、長篠合戦では織田徳川軍の背後を攻撃しようとしたけどバレてインターセプトされて終わった >>219
場所によるだろ。見附城や遠江久能城じゃ流石の信長でも2万一寸がいいところ。
一方の武田も2万は出陣できるからいい決戦になると考えられ 第二次織田包囲網で上杉が織田と手切れした時に
織田から武田に和睦持ち掛けたんじゃなかったっけ?
ここが最後のチャンスじゃね?
織田秀信生まれたのが1580年だから1577年に松姫輿入れさせれば
信忠の嫡男生む可能性は高い
まぁブチ切れた謙信が川中島に怒涛の如く出て来るだろうから
長篠で主力失った武田が戦えるとも思えんが 甲陽軍鑑だと信長は長篠で信玄を討ち取ったと喧伝してたっていうしかなり難しいかと
先代を殺めた相手と手を結ぶってのは心理的にも内情的にも難しい… 勝頼は長篠の4年後には織田と和睦しようとするんだから一緒だろと・・・・
謙信死んで北条と手切れしてから織田と和睦とか
信長から見たら正気の沙汰とは思えなかっただろうな もし第二次織田包囲網のタイミングで織田と和睦して
上杉が川中島に押し出してきた場合を考えようぜ
とりあえずまだ春日は生きてるから海津城に籠城させれば半年くらいは耐えるだろと
後は織田に頼んで徳川とも現在のラインで和睦して
かき集めた1万5000で海津城に後詰するしかない
ついでに信長に援軍要請して 武田と交渉してるって情報で上杉揺さぶるだけが目的でしょ? 武田が上杉裏切ったら謙信が史実通りに死んでくれるとは限らなくなるから
謙信死ぬまで地獄の川中島防衛線が続くことになるな
西上野の武田領もあぶない 自分は未来を知っているといっても家臣らは知らないのだから
結果論での行動なんて出来ないわけよ 長篠で反対する重臣押し切って開戦したってのが事実なら
勝頼の権威は武田家当主として信玄並みにあったという事 >>232
過去に転生ものの本質ってそこよね
仮に歴史をちょこっとだけ変えても大規模な変化は得られないとかな
当然に歴史の教科書も何も変わらない >>233
そりゃ東濃で十数城を取ったり要所の高天神城を攻略してるんだから信玄と同等の権威はあるだろ。 長篠の戦いも後半
鶴翼陣形の織田軍の中央を突破しようと弾除けの板と鉄砲を駆使して前進していた武田軍だが
三倍の兵力差はいかんともし難くその行動が限界点に達した途端敵に囲まれ殲滅の危機を迎えていた。
だがその時、勝頼の目の前にまばゆいばかりの光の球が現れると
その中から見たこともない鉄の乗り物や草色の模様がまじりあう奇妙な服を着た男たちが飛び出してきた。
勝頼「なんじゃこいつらは!?」
謎の男「де тут!?Хто ти!?」
勝頼「効いたこともない言葉じゃ、どうも南蛮人のようじゃが・・・」
そうこうしている間にも光の中からは鉄の乗り物と奇妙な服の男たちが続々と出てきて
その数は鉄の乗り物が1000両、男の数は20万人を超えようとしていた。
謎の男「Хіба це не Одеса(ここはオデーサではないのか)?」
勝頼「おだーさ?織田のことか??織田ならあっちだが・・・」
勝頼が身振り手振りで織田の陣はあそこだと教えると謎の男たちはそこへ向かって突撃を開始する。
どうやって動かしているのか分からないが鉄の乗り物も走り出したかと思うと
先についている筒が突然爆音とともに火を噴き、次の瞬間織田の陣中に爆発が起こり兵士の体が空中を舞うのだった。 ちょっと突っ込ませろ。あの狭隘な長篠にどうやったら軍団規模の機甲部隊を展開できるんだ >>234
いや長篠の戦いは歴史を変えただろ。あれがなければ信長も畿内での戦いに集中出来んし、
背後の武田に気を遣いながら戦っていたら他の地域で大勢力が次々と誕生してたわけだから。 重臣衆は退却を主張したけど
・長篠城の押さえはどうするのか
・信長が追撃してきたらどうするのか
この2点を解決出来なかった
ていうか本来なら「私が殿になって見事に散ってみせます」って言うべき連中なんだが… 結局のところ浅井朝倉長島一向宗の滅亡後では
もう武田は噛ませ犬でしかない 転生するなら自衛隊の一個小隊30人で十分だろ
自動小銃30丁あるだけで織田の鉄砲3000丁より強い 酒井の別動隊が来る経路に待ち伏せで1個小隊
設楽が原に二個小隊をあぜ道と連吾川の交点に十字砲火浴びせる形で配備
別に武田側から攻撃する必要ない 川挟んで武田と織田の間は300mくらい
織田の鉄砲隊の有効射程は30m程度
自衛隊はきょり200mで射撃訓練してるから護衛付けて150m程度前進させて陣城内の敵兵を狙撃させればいい
一方的な戦いになるな 織田徳川軍は胸壁の内にいるし
あっという間に弾切れになって銃剣突撃して散りそう >>240
そこからは軍神様だろ。浅井朝倉が滅んだことで其れまでは主に武田と北条に
やっていた経済制裁を上杉にまでやれるようになったからな。 武田はともかく北条と突然不戦なんてもう無理じゃね? 北条は全く信用できん
さっさと織田と同盟して北条を攻めるべき ウクライナ軍と武器が湧き出して来るタイムゲート(一方通行で現代には戻れない)を手に入れた勝頼
彼らに駿河を割譲し日ノ本ウクライナ共和国が誕生、同時に強固な同盟関係を築く。
駿府に静岡国際空港と駿河港が開港。
佐竹支援のためミグ29 2機が小田原を空爆、北条を屈服させる形で対織田同盟に参加させる。
武田遠江へ侵攻、ハイマースを使ったロングレンジ攻撃で徳川軍に壊滅的被害を与える。
日本政府からもがみ型イージス護衛艦2隻が送られる
遠江にウラン鉱脈が見つかる >>250
未来の日本政府が支援するわけないだろ、この場合の勝頼は勝手に外国へ領土を明け渡した国賊だぞ
そしてタイムゲートなんぞで祖国防衛に燃えているウクライナ軍の邪魔をしたら真っ先に血祭りに挙げられるわ
更に言えば軍閥(戦国大名)同士の内乱に外国の正規軍が加担しないと思う、旧ユーゴスラヴィア連邦崩壊を見るに 転生だけでも奇想天外なのに更にタイムスリップとか設定盛り過ぎ
戦国自衛隊が人気出たのは自衛隊員を織田軍に見立てて出来るだけシンプルに話を組んだからだからな
なんでもありだと読者が付いて行けず離れていく >>252
現代兵器で無双したいならCivilizationでもやってればいいのにね
石斧で武装した兵士を現代機甲部隊やステルス爆撃機、ミサイル巡洋艦、戦術核でミンチにできる >>253
石斧相手に戦車が瞬殺されたでござるの巻 大河酷かったな
俗説の三段打ちに突っ込んで全滅する武田騎馬隊そのものだった
鳶ヶ巣山落ちて時点でもう退路断たれてんだよな
残るは織田徳川連合軍の目の前で今の新東名の方に逃げる細い道しかないらしい >>255
「鳶ヶ巣山を狙うつもりですな、どうしますか?」
「………」
「鳶ヶ巣山が落とされましたな、撤退しますか?」
「信長、家康の首が欲しいかぁぁぁぁ!?」
「!?」 まぁ勝頼が突撃させた理由の9割は
信長と家康の首が目の前にあったからで間違いないと思う
だから撤退の時期を逸したわけだし
ただ鳶ヶ巣山は明らかに奇襲で退路断たれて
武田軍も腹決めた面が強いはず
鳶ヶ巣山落ちても逃げ道あったかのような内容は酷い
ていうか鳶ヶ巣山奇襲隊の動きが分かってたなら
みすみす武田信実らを見殺しにはせんだろ 本隊動けば背中を突かれるとは分かってたろうしだから3000人も置いて守備させてた
常識で考えたら10000人くらい攻めてこないと落とせないはずで少なくとも会戦中に勝敗が決まる事はないと思ってた
徳川が4500の奇襲攻撃で全滅させるとは予想外過ぎた 鳶ヶ巣山砦いうて物見櫓があった程度で山の上に陣取ってるだけ
一戦で砦作りまくる畿内勢の物量が田舎とは桁違いなだけ 本来だったら敵襲に気付いて防御できるし、気付けない程の少数なら落とせるはずも無かった
まさかの奇襲、指揮官信実死亡で防戦不可能に陥るとは想定外過ぎる。想定してたとしても無視していいくらいの最悪中の最悪 八幡原の時でも万越えの上杉軍の接近を直前まで察知できなかったしな 武田軍って結局は前線指揮官と兵隊が有能だから偵察能力低くても
臨機応変の対応で勝てただけなんだろうな
長篠でこの部分がごっそり失われてまともな戦出来なくなった
だから鉄砲装備率上げてカバーした
北条相手にはそれが効果的だったけど
織田が攻め込んで来たら勝手に崩壊した あの眼鏡かけた武田研究の自称第一人者のオッサン
勝頼は信玄よりデカい版図を築いたとか言ってるけどさ
ほとんどが御館の乱絡みで上杉が割譲した土地だろと
版図が有能の証明ならむしろ北条氏政の方がよほど優秀ってことになる 勝頼は現代に転生してノブヤボすれば満足できるだろ
武力93もあるし 強すぎる武将ゆえに武田家を滅ぼしたとされてるから武力高め
その代わり知力30台 >>264
それ言ったら氏政だって本能寺の棚ぼたあったくせに上野北半分は真田上杉に取られ南だけ
下野は宇都宮をとうとう倒せず西南にほんのちょこっと勢力築いただけで氏康時代と変わらず
氏康時代と対して変わってないよ
氏康時代と変わったのなんて里見従属させたぐらいだけどこれは里見がお家騒動で御館の乱状態だっただけで片方が北条に援護してほしいから従属しただけ。心から北条に心服してない
小田原征伐が起こるとあっさり裏切るどころかお家騒動が終わるとあっさり見限り武田佐竹と連絡取り合い北条包囲網に加わる寸前で本能寺だった
このときの氏政は武田に連戦連敗で信長への手紙にこのままでは北条は滅びると泣いて信長頼る状態 最大版図を得た=有能、ってのはおかしいって話では?
個々の事情まで考察せんと
勝頼の場合織田信長・徳川家康という強敵相手に只管押し続けたけど考えてみるとこれ自体が既に信長・家康の術中なんだよなぁ
いつか限界を迎えると分かってたはず。それが長篠で爆発して一度に押し返されただけで 「強すぎたる大将」って自信だけはある脳筋って意味だからな 神様に知力アップしてもらわないと
歴史は変わらないね >>268
今川氏真『俺より全然ましだろ。信玄が攻めてくる前は竹千代と互角にやりあったし、長篠後もそれなり活躍して城任されたりしてんに軍事オンチ扱されてんだぞ』 ノブヤボって何基準か全くわからないからね
秀吉の連合軍相手に落城しなかった忍城の成田長親なんて武力も知力も50程度しかなかったはず >>261
川中島で偵察隊狩られまくったそうだしな
軒猿が強いのかもしれんが 武力とか知力なんて能力を一括りにするのがおかしい
もっともっと種別があっていい >>275
長篠でも狩られまくってた説あるね
だから陣城の実態わからずに突っ込んだら馬防柵だけで三段あるって気づいたとかなんとか あらゆる面で武田に不利だからな
見通しの効かない地形してるのに悪天候で相当近付かないと見えないし、信玄台地から見ると第一柵しかみえずその背後にある空堀や土塁は見えない
しかも長篠民が徳川についてるから工事の内容が伝わることはないし何なら嘘を教えられてた可能性もある 逆に言えば相手からも見えないわけで撤退する気なら案外簡単に撤退できたと思う
悪天候の中馬防柵作らされて疲れてるのに急に総攻撃だーって言われても
設楽が原では田んぼだらけであぜ道しか進軍できない
4万いようが実際すぐに追撃できるのは3000程度だろう 困ったことに長篠城が実質徳川の物見台になってるから撤退しようとしたらバレるし攻撃を受けてしまう
あと伊奈街道に先回りできる鳳来寺街道は死守しないと逃げた先で挟み撃ちって最悪の可能性もあるので割と難しい状況だったかと 設楽原で工事してるのは長篠民といって織田徳川の工兵部隊だから織田徳川の兵隊はたっぷり休んでる
そうなると追撃部隊も数万くる可能性が高く(実際武田軍一万五千が特段問題なく長篠を行軍してるわけで)楽観は出来なかったろう 無線機ある時代じゃないんだから設楽が原から数キロ離れた長篠城が
武田の撤退に気付いても織田本軍に詳細伝える方法がない 狼煙の様な伝令手段が無いと言い切る根拠が無いのと
武田軍が撤退しようとしたら長篠城兵は追撃にかかる
この音を聞けば忽ち織田徳川兵が突っ込んでくる
長篠城兵に殺されながら逃げるか、長篠城兵に応戦して織田徳川兵に殺されるか 梅雨の雨で視界が悪くて陣城の全貌すらつかめないという前提でこの話してんだが狼煙?
それに長篠城兵が単独で追撃?
返り討ちにあうだけだろうw スレタイに戻ると転生したのなら鳥居すねえもんはさっさと処刑確定
これだけで援軍来たかわからない長篠城兵の士気は低下
もし武田が撤退しても追撃する気にならんだろう
罠かもしれんし 軍鑑とは違って重臣らが戦う気満々だった可能性も大いにある タイムマシンで見てみたいものだよな実態はどうだったか
山県、馬場、内藤辺りが「これぞ天祐!信玄公の悲願成就の絶好の機会!」なんて演説して
勝頼が困惑してたりして >>284
狼煙なら土地の起伏を無視して観測出来るし相当の悪天候じゃなければ出せる。当時の設楽原では雨が降っていても土砂降りじゃなくて小雨ないし霧雨なので問題にならない
また逃げるとなると長篠城兵への押さえは絶対に必要。鉄炮を五百挺ばかり持ってるんだから無視できない
兵も逃げる兵と長篠城へ向かう兵で混乱したら全滅あるのみだから最初から玉砕前提の守備隊を残すしかない 実際はそれで勝頼も乗り気だったと思う
地方の田舎武士の自分達が歴史に名を残すチャンスだったんだから
後年、江戸幕府に持ち上げられて名が広まるなんて当時の彼らには想像も出来なかった筈だし 結局は信玄が勝頼に正式に当主の座譲ってれば良かったんだよな
自分が信人ら追放した挙句義信にクーデター起こされてたから怖くてできなかったんだろうけど
浅井朝倉失った時点で武田に勝ち目もうないからなぁ わざわざ遠出しなくても、戦争が必要だったのなら
ちまちま遠江を削っていれば良かったんだよな。 徳川に取られた時点で北条と戦うしかない
なのに徳川に喧嘩売った挙句徳川と上杉が繋がって焦って織田まで敵に回した信玄が悪い
挙句北条と和睦したところで常に前線は武田で攻められ続ける定め 確かにせっかく氏康死んだタイミングで氏政と和睦は愚かすぎるな
長篠後の勝頼でさえ優勢だったんだから
信玄時代なら伊豆くらいは取れただろうに 信玄が当初の約束通り大井川のラインで徳川と今川領を分け合う
信長とは同盟結んだまま北条との抗争を続ける
氏康死去のタイミングで一気に攻勢仕掛ける
上杉を刺激するとあれなんで秩父から八王子と伊豆を重点的に攻める
信玄死亡
勝頼安泰
ウマー >>288
結局「自分の生き残りのための犠牲」を命じることができなかったということに尽きるよね
その犠牲の規模も数百や千で聞けばまだしもおそらくそれどころでは効かない
寒狭川、大野川の向こうに布陣した軍勢は敵の圧倒的大兵力の前で川超えて逃げなきゃいけない
なので最悪その分は全滅を覚悟する必要がある
少なくとも撤退の決断はそいつらにとっては「お前らは見捨てるから」と言ってるに等しい
むしろ勝頼の渡河自体がそれらの撤退を援護するものと考えた方がまだ筋が通る
劣勢は承知で救援の姿勢を見せたからこそ大量戦死者が出る大敗の直後にも関わらず
その7年大規模な離反者が出ず別方面では版図を広げることさえできたのかも 野戦になれば敵も味方もそれなりに被害出すのは当たり前
それを織田徳川は全く傷付かず武田が一方的にやられだってのは武田云々よりも信長や家康が凄すぎただけだろう
そもそも迂闊に長篠城を攻めたのが間違いなんだが他に考えもなかったろうしのぅ 織田徳川もそこそこの死傷者出してるが
武田軍と違って名のある武将は誰も死んでない
武田軍は名のある武将はほとんど死んでる 雑兵率いる将が全く無傷で雑兵だけが死にまくるなんて有り得ぬ 武田軍は最前線で武将が指揮
織田軍は馬防柵の中で指揮
山県は鉄砲で撃たれて死んでるし
防御戦でわざわざ武将が柵の側で指揮するわけもない >>293
伊豆なんかとっても旨味はない。相模は小田原城があるから攻略自体無理だし武蔵は遠い。
一方の東海地方では徳川がどんどん拡大してる。安全保障も兼ねて結局のところ徳川と戦うしか道がなかったのが勝頼。 信玄没後は信長の活躍が鮮やかすぎて、家康の反攻が隠れがちだが
家康も複数の城を短期間で取り返しているのよな
徳川恐るべしよ それが代替わりに失敗したってことなんだろうね
勝頼は信玄の生前に正式に家督譲られてないから
信玄没後は家臣と誓紙取り交わしたり動揺納めるために無駄な時間を費やした
その間に浅井・朝倉は滅亡してしまった
予め家督継いでたら信玄死亡で一時的に撤退しても
織田や徳川が反攻して来たらすぐに対応できたはず 信玄の死ぬタイミングを動かせないなら
もう何しても勝頼さんはダメだと思う
信玄が織田と手切れする前に死ぬとか
あと5年位死なないとかじゃないと
義信が信玄の駿河侵攻に反対して自害に追い込まれたのを勝頼は見てるから
信玄がとち狂って織田と手切れするのを止めることも出来なかった >>299
二十回くらい突撃して柵も破壊してたけどそれだけなんだよね
柵を壊したぐらいで戦力差は絶望的だし死傷者多数で勝てるわけがない 元から少数の側が攻勢をかけて
損耗率も少数側の方が悪いんじゃ負けるわな 野戦なら多少の兵力差を返した事例は山ほどある
ところが信長は最初から野戦なんてするつもりが無かったから武田は負けた まぁ最初から長篠で決戦する気はあったんだろ信長は
明らかに事前に詳細な地形偵察して無きゃあんな作戦は思いつかないだろうし
逆に言えば武田はまんまとあんな機動力活かせない狭い戦場に引っ張り出されてしまった
信長と勝頼の格の差としか言いようがない >>308
○月○日、場所は設楽原で決戦しましょう!
って事前に信長が勝頼に申し込んでた可能性は高いと思う
珍しい事でもないし 信長と謙信の直接対決は見たかったな
1577年だと謙信は3万くらい動員しようと思えばできるくらい強大化してるし
これでも信長が勝つなら化け物だわ >>308
水野忠重宛の高天神城の降伏を認めない旨の書状の中で
近いうちに武田領を攻める予定だけど、難所だから勝頼が後詰で
来たところを叩きたいと書いてる
長篠のときも武田にダメージを与えて動きを鈍らせたかったから
決戦志向だったろうね しかし仮に長篠城を陥落させても、その後の維持を勝頼はどうするつもりだったんだろう?
近くに武田の城は無く直ぐに徳川が奪還しに来るのは必至。 >>314
まぁ奥平一族皆殺しにして武田を裏切ったらこうなるよという見せしめと共に
徳川は後詰も出さずに長篠城見捨てたという宣伝目的だったから
武田が高天神城見捨てて豪族の信用失ったのと同じ運命に徳川がなったはず >>310
謙信は直属の10,000人前後を動かしてる時が一番つよいイメージ
それ以上に軍勢が膨らんだ時に使いこなせるのかな 徳川は織田から大量の物資援助を受けていて遠江を取り合いしても意味がない
だから長篠つまり奥三河に進出することでその動脈を断つ、また岡崎への布石とする
って戦略は間違ってないし正しい。不可能ってことを除けばだけど >>315
岡崎の内通者が武田軍の到着前に着く前に処されたから、裏切った奥平相手にヒャッハーをしに行ったってとこだろうな。 >>310
謙信は精兵5000のが好んでいたから3万も率いないな
孫子でも10万の雑兵より最新兵器の精兵5000のか強いし使え言われてるし
関東攻めも1000~3000言われているし 最新兵器装備の精兵20万で関東蹂躙したんだから、そりゃ関白殿下強いわ
結局、転生したとしても勝頼公の軍事行動は概ね史実と変わらないんだろうか
損害を抑えたり、より効果的な結果をもたらすことはあったとしても >>320
甲州征伐で越後に逃げて史実通りに本能寺起きるのを待つのが最後のチャンス
本能寺後に上杉の後援で春日と真田を味方に付けて深志まで進出
北信濃を抑えて北条・徳川の北進を止める
史実通りに羽柴が明智倒した後は上杉と一緒に羽柴のために
徳川を牽制し続け上手く行けば甲斐信濃貰えるかもしれん 上杉が越後抑えて武田が甲斐信濃抑えてれば
関東に封じ込まれた徳川は動けないだろうな
例え東海道の豊臣恩顧が裏切っても スレ的には西上作戦中の信玄の食事にしっかり火を通させる。というのが
1番簡単な勝頼と武田家を生き永らえさせる手段な氣がする >>325
末期の胃がんで何か月も遠征してたらそりゃ死ぬだろう 大河で勝頼さん退場かと思ったら今週も出てたな
勝頼さんの最後は真田丸の勝頼がよくできてたから今回は難しいなぁ 元今川の武将で唯一使える岡部元信を高天神城で討ち死にさせたのは痛いよな
岡部と蘆田で駿河の前線守らせてれば 真田丸の武田征伐の際の軍議シーンは
実際こんな感じだったんだろうなと思わせるものがあったな
勝頼役の平岳大もいい味出してた
味方に裏切られまくった悲哀が滲み出てた >>332
まぁもし上手く行っても真田なんかは豊臣系の独立大名になって
勝頼は甲斐一国くらいで終わるかもしれんね
関ヶ原的なの起きたら徳川と対立して甲斐失って
大阪の陣で大坂城入れば格的には断然だけど 今川消えてるから、その頃武田が生き延びてたら大名としての血筋の良さはダントツだな 大阪の陣で勝頼が大阪城入って真田も合流すれば
ある意味武田VS徳川の因縁の対決になるな
格的に浪人衆のトップは勝頼がつくことになるし じいちゃん長生きしてるし、討ち死にさえしなけりゃいけるんじゃないの? 信虎はストレスから解放されて長生きしたように見えるけど、勝頼は仮に生き残れたとしてもストレスフルな状況から解放されなさそう 勝頼は大坂の街で長宗我部盛親と共に寺子屋『落武者』を開き時を待つ 信玄は結核にかかったのが運の尽きだったんじゃないかな
結核って体が蝕まれて抵抗力も落ちるから他の病気にもなりやすい 義信さんに「兄上、父も最近は体を壊しておりあと5年程度でしょう
それまでは仏門に入って大人しくしていれば父上がお亡くなりになった後は
兄上をお迎えに参ります」と言って自決思いとどまらせるのはどうだ?
義信が死んだせいで勝頼の人生暗転したわけで
諏訪四郎勝頼として御親類衆筆頭ポジションで義信のために戦働きしてたら
典厩信繁のように後世賞賛されてたかもしれんよ 信玄没後は馬場と山縣、依井に遠江攻略を任せて自身は甲斐でゆっくりしてればいいんじゃね。
徳川の配下もまだ5000以上の大軍を直に扱った経験もないし何とかなるだろう 信長と家康がタッグ組んで攻めてきてるから座視してるわけにいかないし
割と無理ゲー 長篠城なぶり殺しにしてやろw
↓
えっ?織田徳川出てきたの?
↓
よっしゃ信長も討ち取ってやろ
こういう発想が上手く行くわけないと思うの 本願寺三好さんサイドにも問題あるんじゃなかろうか? 信玄が織田裏切ったのが悪いってのは結果論としてはその通りなんだけど
タイミングとして武田が織田裏切るなら浅井、朝倉、長島が機能してたあの時しかないのも事実なんだよね
信玄が死んだのが誤算だったけどさ
浅井、朝倉、長島が織田牽制しなけりゃ信玄生きてても織田と戦うなんて出来ないよ
はっきり言って動員力が倍で経済力は数倍なわけで ただその場合信玄が、というか武田が被害担当になる覚悟が必要だった
その覚悟無しに突っ込んだから… 信玄が岩村城攻撃して無ければ
家康が遠江でちょっかい出してきたからボコっただけ
と言い訳も出来なくもなかったのにな >>346
タイミングも遅すぎる
最低でも志賀の陣のタイミングじゃないと
比叡山焼き討ち後にクソみたいな手紙送って信長煽ってる場合じゃなかった 上杉謙信も長生きしてりゃ織田を圧殺出来たかも知れない
晴信と謙信の延命に尽力するのだ >>350
その時点では足利義昭からの要請も来てないし大義もない ていうかその頃は絶賛北条と全面戦争中なわけだがw
氏康死んだの1571年10月だから 武田が駿河取って無ければ北条が今川の駿河防衛に兵出してたのかね?
北条ってはっきり言って全く信用できないんだがw
氏政は御館の乱で弟見捨てたし 武田が一番長生きできたのはたぶん三国同盟堅持して義信の言う通り今川支援した場合なんだろうけど
今川のために出兵しても何も得る物がないというね
織田とは早期に美濃でぶつかるだろうから信長は上洛する暇もないだろうし
歴史はかなり変わるだろうね 永禄の変に便乗して氏真の首を引っ付かんで義昭の元に馳せ参じ
織田と和睦&今川斎藤との和睦を仲介
その手柄を持って幕臣に潜り込み足利幕府影のフィクサーとなって暗躍 武田の終わりって駿河侵攻から始まってるよな
嫡男の義信失って北条と手切れ、徳川とも揉めて信玄包囲網作られて、周囲から武田家への信用ゼロになったのが一番キツイ
勝頼に転生するなら義信が生きてるうちに信玄追放して義信体制に移行
勝頼が目指すべきは信繁ポジ 信玄追放って言っても主だった重臣連中も御親類衆も
義信の謀反を支持しないだろうしなぁ
飯富さんももり役だったから渋々だろうし
弟に密告させてるし やっぱ今川義元が死んだのが武田にも悪影響与えてるから
勝頼は忍びでも雇って義元が桶狭間に行く途上で鉄砲撃ちかけさせたりして
織田軍が近くにいると警戒させるだけで変わると思う
織田の奇襲食らった時に完全に警戒怠ってたからやられた面が大きいし >>356
その場合は織田と上杉で同盟が結ばれることになる
織田・徳川の動きを鈍らせることはできるけど、武田だけ遠征する距離に
なるから一番割に合わないよなあ… >>362
同盟結んでももう謙信は川中島本気で取りに来る気がないし 武田が駿河と西上野取らないと
甲斐信濃では動員力2万弱だし
上杉に備えて1万残置すると
美濃に遠征できるのは1万程度か
織田は尾張と美濃抑えた時点でもう100万石で4万くらい動かせるんだよな >>363
謙信が信玄に北信濃はもう取る気ないよって書状でも送ったのか?(笑) >>365
頭悪すぎて話にならないw
小学生以下だなお前の人生 謙信はその気なくても村上高梨ら旧北信国人の家臣達が黙ってないよ
絶対唆して攻めさせようとする
謙信からしても妙高越えられたらすぐ春日山を直撃される川中島は押さえておいた方が安心して越中関東に兵を出せる >>363
史実だと隙がなかったからできなかったけど、織田・徳川への対応に
手を取られることになるからチャンスは拡がる。少なくとも史実より
北信濃への調略は活発になる >>367
春日山周辺は50cm程度しか雪が降らないけど県境は4mの雪が降り積もる世界的な豪雪地帯なんだけど
川中島占領なんて無理だし最初からその気がない >>341
甲陽軍鑑に諏訪頼重を騙し討ちにして姫を妾にして勝頼産ませたのを不快に書いてるから武田の兄弟って感じじゃないと思う
あくまで諏訪勝頼 当時は小氷期だし一年のうち4~5ヶ月は信越の国境は雪で埋もれるしな。 >>370
義信が勝頼に武田勝頼って書いて送った手紙残ってるよ
義信さんは諏訪扱いされて武田の重臣連中から馬鹿にされている勝頼さんを気にかけてくれてた模様 なんしか北条が全く使えない
武田がが今川支援したら北条は今川のことは武田に任せて
自分は関東で上杉戦に没頭だろう
武田は今川のために遠江、北条のために川中島や西上野に出陣して牽制するだけで
何の領土も得られない >>372
諏訪扱いが馬鹿にされてると本人は思うかな?諏訪衆は勝頼産まれた事を喜んで高坂は「それみた事か!!」みたいな記述あるから諏訪として育てられたのが普通では?なんで騙し討ちした家の跡取りとして諏訪の重臣が武田として育てるの??ってなる 駿河侵攻は完全に政治的敗北だからな
実利獲得を見て駿河侵略は成功ともとれるが諸国に対して完全に信用を失ったこれ以降は独立独歩でやってくしか無いんだよな… 勝頼最後の時に高遠城主時代の信濃先方衆であった
保科が飯田城放棄して逃げたことで武田崩れ起きたし
その保科は仁科の守る高遠城に逃げ込んだが織田軍が来ると
しろから逃げ出して息子のいる箕輪城まで逃走
勝頼の子供時代にはこんな奴しか周りにいなかったんだよ・・・ 丁半博打なら今川裏切って駿河侵攻
ついでに義信も処断
武田家の存続を願うなら今川支援して三国同盟堅持
後者なら織田の上洛も巨大化も遅れるから
史実より悪くなることはない 穴山の息子は病死したことになってるけど
たぶん徳川に消されたんやろなぁ
諏訪の寅王丸みたいに 今川と同盟継続しても得られるの精々、三河と遠江の北部くらい無いのがなあ。
それも東濃や信濃への悪影響を排除するための鎮撫としか名目がないし。 >>381
今川と縁切って駿河攻撃した結果北条とは手切れして
徳川とも交戦状態に入って最終的に織田とも交戦
武田家を残すという目的なら駿河侵攻は完全に悪手 >>377
信濃の武田一族も次々裏切られ殺されたしな
もしかしたら仁科盛信がたった5時間で城を落とされたのは討って出たら門を閉められたのかも 家康が作った織田・徳川・上杉の対武田同盟は三国が武田と国境を接してるから無駄が無い
に対して武田・今川・北条の三国同盟ってどこを敵にしても必ず一国は遊んでしまうから不公平感凄かったと思うの >>383
あれだけ裏切り続いてたら疑心暗鬼になって
籠城成立しないと思っても無理はないと思う 今のところ勝頼が転生して生き残るには
1義信が後を継ぐ
2長篠で戦わない
3御館の乱で少なくとも景勝と組まない
このどれかか
1は難しい
2は簡単だが結局どこかでやられそう
3は徳川が攻撃してきたことを理由に撤退すれば氏政も手切れまではしづらい
当時の情勢的に最終的には景虎負けてただろうから上杉から奪った奥信濃はとりあえず確保できるが
お互い織田と戦ってるのに反目しあうという非効率な状態 何やってもダメな未来しかないな
勝頼は外交センスがほぼゼロなのが痛い てか外交できる人材が武田は皆無に等しい
そら先代が裏切り上等で信用ゼロやし義信事件で人材粛清やっちまってるし >>388
北条と再同盟してるのが信玄に信用があった証拠やん
謙信こそ信用ゼロじゃん >>392
お互い本拠地近いからな
謙信は遠いし雪が降るから適当に相手すればいいだけ 北条と再同盟などせず西上作戦も自重して
信長との友好関係を堅持してカネをたかりつつ北条領を削り続けた方が良かった気がする
信長にヘコヘコしてた癖に横死した途端に滝川の背中刺すような氏政と組むメリット無いだろ 上杉景虎が勝っても上杉と北条から背中刺されますよね? >>395
兄弟・子供が継いだだけで従ってくれるなら伊達とかもっと大勢力になっていたよね 景虎『私を見捨て氏真殿を放逐し非道の限りを尽くす北条氏政、我が兄とはいえ許せませぬ。勝頼殿、私と共に氏政を討たせてくださりませ』 >>395
上杉は豪雪地帯越えて信濃占領するなんて不可能だから協調路線になるでしょ 謙信公『冬の三国峠を何度も越えた我が越後兵を舐めるなよw』 そもそも論だが甲斐信濃って場所が悪いよな
一方が海とかなら守りやすいが
甲州征伐であらゆる方向から攻め込まれてあっさり滅亡したし 海あると便利な反面、敵の水軍や海賊がいきなり出没するから制海権握れてないと
補給路絶たれたり船に兵乗せて素早く上陸させられて機動戦やられるから苦労してる話も多いけどな
瀬戸内海と比べれば東の方は小規模だけど必要性は理解してたから武田だって急拵えで水軍編成して北条水軍と戦ったりしたわけだし 長篠後に山県の代わりに江尻城を穴山に任せたのが悪手だよな >>404
立場的に山県じゃ反感買うからなんだろう
ゲームの能力は所詮ゲームでしかないんだから むしろ穴山くらいしか引き受けてくれる人が居なかったんじゃ
侵略者の武田を憎悪してる駿府市民を宥められる自信のあるやつなんて
そうそうはおらんやろ針のムシロ状態だぞ 穴山氏は今川取次として信玄に重宝されていて武田一門衆でも随一の実力者、武田宗家の統制すら受け付けないパワーがあった
穴山信君は俗名みたいなもんで対外的には武田信君と名乗ってたくらいで能力も財力も人脈もあった
山県昌景すら、信君の押さえになったかどうか 穴山は今川がいた頃から駿河方面の取次してたし
山県と共に徳川への取次もやってるから後任としては自然だよな 穴山一族は確かに爆弾なんだけどじゃあ窓際に送れるかというと厳しい 牛馬に至る迄略奪したと言われているから武田軍の占領地って色々大変だったろうね
その時の恨みで信濃は裏切りの連鎖コンボで1月で落とされてるし 駿河も徳川軍に攻撃されて駿府も焼き討ち、商人が逃走するという悪夢的状況だし穴山信君しか頼れん
ただ頼ってしまえばもう穴山を止められない >>402
敵からしてみると進行先に海があると海路や河川を用いての兵站が楽になるぞ。
秀吉の小田原攻めなんかは海路を用いて大量の兵糧を送り込んだわけで。 今のプーチンと武田勝頼がかぶりまくるな
大国でも民心を失うと脆いもんだ 勝頼さんって生き残って本能寺起きて上手く復権しても
結局関ヶ原的なのが起きたら滅亡するだろうなと簡単に想像つくところが何とも >>413
大軍で山国に攻め入る場合、陸路での兵站の構築は困難だからな。
信長も信濃へ攻め入る信忠宛に兵站の困難さを説いているし。 世渡り下手っぽいからなぁ
でも甲州征伐さえ凌いだらなんだかんだで生き残りそうな気はするぞ
柔軟な思考はできるしリスクを背負った決断もできる
史実でそれが悉く裏目を引いた運の悪さが些か気がかりだが >甲州征伐さえ凌いだら
総勢10万の敵があらゆる方向から攻め込んで
更に味方は裏切り続出なんだが
あれで勝頼が勝つならもう日本最強の武将だわw 似たような状況だった景勝は本能寺で生き残ったし
家康も秀吉相手に詰んでた筈が天正地震で命拾いしたし
絶望的な状況でも粘っていれば何が起こるか分からんよ
甲州征伐では何も起こらなかったから勝頼の運の悪さが際立つ訳だが 景勝の運の良さで本能寺が起きたわけではないし
家康の運の良さで地震が起きたわけではない まあでも甲州征伐が起きてすぐ浅間山が噴火したことなんか勝頼の「持ってない感」すごいよな
ただでさえあの時代、天変地異は領主の徳の無さや悪政のせいにされるし
それ抜きでも将兵ともに現場は恐慌状態でもはや戦どころじゃないだろう 景勝が御館の乱で信用できる部下だけ残って本能寺ギリギリまで耐えられたように
勝頼が越後に逃げ込んでれば信用できる部下だけ残っただろうから
本能寺的なのが起きて復権すれば政治はやりやすかっただろうな どうかね・・・甲斐と言う国の性質から言って
一度自分達を見捨てた領主を領民が受け入れるかね
そうでなくても出生の事情やらなんやらあって支持を得られていなかったし 恵林寺焼き払った織田がどれくらい民心失ってたかだろうな
実際本能寺起きたと分かった途端に甲斐で反乱起きて河尻死んでるし >>425
徳川「うわー甲斐で一揆はたいへんだなー(棒
北条「予想出来ないわー(棒 信濃の連中もとっとと逃げたけど駿河は大丈夫だったんで
普通に領内掌握が出来てなかったんだろ もし信玄が織田裏切らずに死んでれば
松姫を信忠の正室に送り込んで嫡男生まれて安泰だったろうけど
信忠の次男とかを送り込んできて武田乗っ取りとかしそうだよなぁ
一応信勝は信長養女の産んだ子供だが・・・ 家康は三方原で自分の鼻っ柱へし折った勝頼絶許だろうからなぁ
色々手を入れて足引っ張ろうとしそう >>430
>>429へのレスなら信忠の正室が松姫の時点で
武田に嫌がらせなんて徳川の自殺行為じゃないか?
信長生きてる内は大丈夫だろうけど >>417
まぁだからこそ家康が穴山信君を落としたのがデカかったんだよね
三河→駿河→新府と一直線だもの
そうしたら木曾義昌もビビって降伏、両面作戦が可能になって勝ち確と 家康の師匠は信玄であって勝頼ではないからしょうがないんじゃない? 1日の野戦で1万人以上の死傷者を出したわけだからなあ。
それも野戦築城された陣に籠もってる連合軍に、何の策もなく無謀な突撃をして出した被害だし。 長篠の戦い以後の勝頼は成長してんだよな
上田原や砥石で大敗した信玄みたいに
ただ残された時間の差がでかかった >>436
さすがに上田原と比べると武将死に過ぎてるし
更に勝頼が抜擢したり育てた優良武将ってのがほとんどいない
上野方面任せた真田くらいか成果出したの 北条氏政は勝頼から逃げ回ってた
最後信長が攻め込んできた時にちゃっかり参戦したが >>438
実際は甲州征伐以前にも甲斐に侵攻されてるけどね なのに信長に活躍認めてもらえずタダ働きで天正壬午の乱では上杉徳川真田に負けて何も得られないとか格下感が凄い 甲州征伐の事前連絡も入ってないし北条は織田から相手にもされてない そら身内である景虎を見殺しにした挙句
それを勝頼のせいにして自分たちに擦り寄って来るようなやつを
海千山千の信長が信用する訳が無い
それを逆恨みして本能寺後に滝川の背中を刺す小物っぷり 秀吉から臣従しないかとのお誘い。
勝頼公、これを快諾。 三河で三味線弾きの娘とよろしくやってたのを北条の方にばらすぞと秀吉に脅され豊臣政権の軍門に下る勝頼 所領没収の上、結城秀康の下に預かりの身となり同じ境遇の天庵様と意気投合 不死鳥小田氏治の高説に勝頼が感涙し、
結城秀康を神輿にして家康政権の転覆を図る 武田丸の風林火山の旗に感動し味方に寝返る旧武田兵達 追い詰められるも若き日の三方原を思いだし自ら弓矢を手に取り奮戦する家康 信繁に秀頼を託して大阪を落去させ家康本陣に決死の突撃をかける勝頼 >>437
長篠で失ったのが最前線で働いていた馬場や山縣といった大幹部とその側近の幹部や幹部候補生達だからな。
数千規模の軍勢を効率よく指揮出来る人材達を、たった一回の野戦で亡くした損失は単なる死傷者数だけじゃ計り知れない >>442
五万の大軍送り込んだのに結局信濃と甲斐は徳川領になるし
上野は得たものの沼田は真田から切り取ることができず、滅亡の火種となった 景虎みたいな肉親すら平気で見捨てるわ、自分達を立ててくれた滝川の背中を刺すわ
こんなヤツに命賭けてまで味方しようなんて誰も思わんからな
一時的に味方に付けても情勢がちょっとでも不利になればそら徳川や真田の下に走るやろ >>462
「肉親すら平気で」粛清してるような連中に言われたくないけど(笑) 北条の凄いところって弟の救援を他国に任せた挙句自分たちはのんびり領土拡張、弟死んだらそいつらを非難っていう
この精神見習いたい どうする家康の勝頼最期は華々しく散ってカッコよかった 大将は腹切って首を敵に渡さないのじゃ常識だと思うんだけど 北条が景虎見捨てたのは「平気で」だけど
武田の父追放や息子殺しはそうじゃないのか 本心はご本人にしか分からんだろうが
少なくとも史料上は特に悲しんだり悔んだりしたって記述は無い 記述がないものを「平気だった」と思うか
「つらかったろう」と思うか
単に思う側の人間性の問題なんだけどね その妄想を想起させる様な行動を氏政が取った事は問題だがね
実際にそうして支持を失った結果が
落ち目の勝頼に押しまくられ、信長からの信用も得られず、真田や徳川にいいように翻弄され
最期には秀吉の機嫌を損ねて小田原征伐を招いているんだから 勝頼、信勝親子は土屋たちが時間稼いでる間に自刃した説と
最後まで戦って討ち取られた説あるね 勝頼さん的に諏訪勝頼のままの方が良かったのか
最後は滅亡しても義信死んで武田家継ぐ方が良かったのか
本人の気持ちがわからんことにはなぁ
普通に考えりゃ義信の下で信濃先方衆&御親類衆として槍働きする方が楽だったと思うけど 諏訪は諏訪で侵略者の信玄の息子って煙たがってたっぽいからなぁ
勝頼が家督を継いでもコイツら勝頼を支えようとした形跡が皆無だし
甲州崩れの時に至っては先を争うように織田に白旗上げてるし 勝頼の「勝」って字はどこから来たんだろ
信玄の勝千代から来たとか言われてるけどホンマなんかコレ?
「頼」の方はまんまだから分かりやすいけど勝が唐突すぎてそんな重要な字にも思えないし
家督継ぐこと決まった時点で「信」付けてやってもよかったんじゃねって思う あの時代改名なんて珍しいことでもないしなぁ
謙信なんて何回名前変えてんねんって感じだし
適当に出家したことにしていっそのこと頼捨てちゃっても良かったのに つまりは改名する意味なんてなかったってことだね
信の字一つで変わることなど何もないよ >>482
頭が悪いと君みたいな発想になるんだねw
Fラン大学のゼミってこんな感じなんだろうな 信玄が後継者として高遠から勝頼を甲府に呼び戻した時点で改名させるべきだったよね
でも義信事件で家中が混乱してたから新たな火種起こしたくなかったんだろうな 一門衆が嫌ったんだろう
特に穴山氏とかが
穴山信君なんて対外的には武田信君名乗ってて嫡男の幼名も勝千代とかだったはずだし
諱に誇りが籠ってるならこれほどわかりやすい問題はない そこらの一門衆って義信が継いでたらちゃんと従ったのかねぇ 勝頼にも(一応)従ってたし従いはしたんじゃない?
ただ穴山氏は信玄時代から特権を許されてたからそこに手を突っ込むとなると衝突したかもしれないけど
諏方にベースがある勝頼と駿河にベースがある義信では異なるものがあるだろうし 案外豊臣政権まで生きてて甲斐から転封されたら
しょうもない武田特有のしがらみから解放されたかもしれんな 勝頼の力で何とか出来るとすれば
三方ヶ原で家康討ち取るしかないんだろうな
家康死ねば織田が三河抑えに来るだろうけど
そうなると史実では徳川方で徹底抗戦した豪族も
武田側に付くのもちらほら出て来るだろうし >>476
最近の研究で箱に座って疲労で動けない所を脳天から真っ二つにされた事が箱の傷とそこからのDNAから判明した記事読んだな 三河風土記で「甲陽軍鑑で勝頼は戦って腹を切ったとあるからそう書いたけど、私が実際に勝頼の死を見た者から聞いた話だと勝頼は飢え疲れて座り込んでいたところを襲われて大した抵抗も出来ずに死んだそうだ」
持ってる食糧と水だけで獣道を歩む…ってなると悲惨なものだったろう
信玄が北条の女を裸足で逃げさせた報いを受けたのか 勝頼滅ぼした、裏切った奴らのその後が結構凄いからね
信長、信忠 本能時で討ち取られる
滝川 没落コースまっしぐら
穴山 堺から逃げる途中で落ち武者狩りで殺される
木曽 息子の代に終了
穴山死んだ時は甲斐ではザマァって言われてたらしいし 秀吉『勝頼を56すとは信長様も馬鹿な事をしたものよ・・・』 >>495
続き
俺なら顎で使って北条や上杉攻める先兵としてぼろ雑巾になるまで使い倒してやったのに 秀吉も関東任せられる人材が居なくて
やべーの承知で家康にやらせるしかなくなったからな
勝頼が生きていれば家康の牽制役として甲斐信濃安堵されてたかも 勝頼さんも天目山で一度死んでるから北条夫人には乗馬徹底的に教え込んで
二回目の甲州征伐では上杉に逃げ込む用意万端だろうな
でも勝頼さんはその後本能寺起きることまでは知らないのな 長篠でさっさと撤退していればね
信長も暇じゃないから毎回援軍で出てくるわけにもいかんだろうし
まぁ出陣距離的には甲府から三河より岐阜から三河の方が近いけど 三方ヶ原でもたいして援軍来なかったから今回も来ないだろと思い込んだんだろうな
ただ信長公記には長篠一ヶ月前に京都に織田軍10万集結の話が載ってるのでこれが本当なら武田の諜報力はウンコになる
普通上方にも諜報員送り込むだろ
そのうちの何割か来るかもしんないと警戒しなくちゃいけない
そこでとっとと切り上げて撤退しとけばよかった 撤退するって言っても敵地の奥深くにいるので
信頼出来る拠点まで山路50キロなのでどう足掻いても逃走できない
相当数の特攻隊に殿させてその隙に逃げるかどこか知らないけど山の中で決戦するかの選択
最初から「長篠を攻めてる時に信長と家康が大軍で攻めてきたらどうする」を考えてないと無理 設楽が原に着陣して陣城作りだした夜にでも撤退すりゃいい
そもそも織田本体が追撃して来るかも怪しいもんだ
信長的には「武田軍は織田軍を見て怖気づいて逃げた」と宣伝できる
徳川も「織田の援軍くれば武田恐れるに足りず」と味方の豪族を安心させることができるしな ところが武田は設楽原で信長と家康が何してるか分からなかったのよ、陣城って認識すら無かった
甲陽軍鑑だと攻め込むまでわかってないし何なら攻め込んでも分かってなかった
だから仮に知識があっても家臣を説得出来るかは不明というか多分出来ない
「諏訪四郎が臆病風に吹かれた」「変な妄想を叫んでる」「信長が怖くて気が狂った、もう武田は終わりだ」「亡きお館様ならあんな様には」って言われるだけだろう >>504
そこがちょっと複雑で信長が来てるって意味は大きい、信忠とかなら逃げてたかもだが
御大将自らだから信長は絶対に戦果を挙げに来るそして信長は朝倉を刀根坂の追撃戦で潰した前例があり武田は三分の一の敵に蹂躙された砥石崩れのトラウマがある そもそも領民飢えさせてまで捻出した費用で遠征して
吉田は落とせませんでした長篠も落とせませんでしたでは甲斐には帰れんだろう
何かしら戦果を挙げなければ吊るし上げだ
転生してやり直してる勝頼ならまず長篠には足を向けない 転生地点をかなり前倒ししないと正直厳しい
とはいえ徳川が織田の経済圏から利益得てる以上いつかは奥三河を攻撃しないといけないんだが
遠江なんかで小競り合いしてても時間と金の無駄 >>507
スレタイの趣旨に帰るとそういう事だろうけど
実際問題岡崎、吉田、浜松、掛川は武田の遠征能力では落ちるまで包囲することも出来ないし
もう打つ手なしって感じだね
ある意味優勢な状態で織田徳川と和睦するならチャンスだろうけど
信玄を神格化してる武将連中が納得するとも思えんし >>505
物見は出さなかったのか
そこが無能って言われるゆえんよな 織田に土下座靴ペロ絶対服従マンになってたら上杉北条討伐で生き残れた?甲斐から反発必死だけど諏訪を拠点に武田を名乗るだけにするとか 本能寺後に川尻が速攻で始末されてるのを見るに信長が退場したら生き残れる気がしない >>510
物見を送ったけど織田徳川の哨戒が厳し過ぎて「なんか柵建ててる」以上のことがわからなかった
設楽原が凄い織田徳川に有利な地形してたって事情もあるが あと織田徳川を動揺させる為に後方の牛窪城を攻撃させてる。丁度織田徳川が鳶ヶ巣山を攻撃したのと狙いは同じ
武田奇襲部隊は長篠民に発見・通報されて途中で攻撃されて逃走を余儀なくされ、
織田徳川奇襲部隊は長篠民の助けで鳶ヶ巣山を落とした 鳶ヶ巣山の砦前に徳川が長篠攻める時
作った奴そのまま使ってたらしいな まぁ長篠城攻めの為に資材ぶち込んでやるわけにもいかないし
あるんだったら使うのは正しい
その分徳川にアドバンテージになってしまったが 設楽が原まで進出すると撤退するのは至難の業だが
長篠城包囲の段階ではそれほど難しいわけではない
夜にシレっと撤退すれば設楽が原で陣城作ってる織田徳川が追撃に移るのは簡単なことではない
長篠城の城兵が単独で追撃して来たらむしろもっけの幸いで討ち取ればいい
信長は「武田勝頼は臆病風に吹かれて撤退した」と宣伝するだろうが
武田側は「信長は3倍の兵力で後詰しながら追撃すらできなかった臆病者」とアピールできる 陣城作ってるって情報が無いからね
武田からすると織田徳川は直ぐに追撃に移ってくると思うしそうなりゃ勝ち目は無い
信玄が砥石城攻めした時には後詰が着く前に逃げ出したのに追いつかれて自軍の三分の一しか居ない敵軍に蹂躙されて信玄も討死するところだった
退却戦は難しい 長篠城と設楽が原の距離知らない人って>>518みたいなこと書くよね >>519みたいな人って長篠城から信濃までの距離を知らなそう。だから撤退とか言うんだろうね
適当に言うと設楽原から長篠城までは直線で4キロ、長篠城から信濃まで50キロ以上ある
設楽原から長篠城までは早ければ30分、遅くても2時間で行ける。対して長篠から信濃まで逃げようとすると全速力で走り続けて10時間は掛かる
しかも長篠城が落ちてないから無傷では逃げられないよ しかも夜となると問題があって
長篠から信濃までは山路なので無灯火で行くのは自殺行為、しかし季節は六月で月光は期待薄つまり絶対に灯りを着けることになる
それは織田徳川の物見に「私たちこれから逃げますよ」という連絡をするのと同じ。謙信が飯炊の煙を見て武田の作戦を見抜いたって逸話と同じ話が出来上がる
信長は待ってましたと軍勢を送り込んでくるしそうなったら刀根坂の二の舞だろう
どちらかといえば明るい内に逃げた方が得だけど拠点が遠過ぎ問題は解決してない 勝頼『くっ、織田の援軍が到着してしまったか・・・・ん?思ったより兵の数が少ないな・・・』
馬場『信長殿は自ら先陣を切るのを好むとの事。精兵のみを連れて来援したのかもしれませぬな』
内藤『岡崎に潜ませた斥候によりますと現在矢作川は梅雨時期で増水しているとの事、
主力が渡河に手間取り業を煮やした信長殿が渡河が終わるのを待たず先発した可能性は充分考えられます』
高坂『勝頼殿!これは信長殿を討ち取る好機ですぞ!!』
武田の情報収集能力から察するにこういう事だと思うが 甲陽軍鑑にある釣閑斎の言葉、
「信長は容易い大将ではない、逃げたとして追ってきたらどうするのか、追われて戦うも今戦うも同じではないか」
ってのが武田軍の置かれた窮地を表してるかと 長篠あたりは山道だし迎撃するのなら設楽原よりいいのでは? 甲陽軍鑑含めて誰もその戦術を検討してないから論外だったんだろ それ以前に御親類衆以外のほぼ主要な重臣死んでるし
実際撤退してないからやってたらどうなってたかも検証のしようもない
そもそも甲陽軍鑑は勝頼下げが基本だからわざわざ擁護する必要もない 基本的に追撃戦は追う方が圧倒的に優位にある。砥石崩れでは信玄は三分の一の敵に負けた
何故なら全隊が必死に逃げてる中敵に追い付かれたら逃げようとする味方と戦おうとする味方で混乱が起きる、対して追う方は只管追うだけで混乱も起きないので優位なわけ
だから逃げる方は「ここで受け止める」地点を予め設定しないといけない。家康が三方ヶ原でやったように
ところが武田軍はそんな地点を想定してない、それで後世の研究者も小説家も考えない、適当に「逃げてたらな」程度 地形も違うのにドヤ顔で砥石崩れを例に出して何度もコピペするこの中学生なんなん? あと見落とされがちな、そして重大な問題があってな
設楽原と長篠城は4キロほどの距離にあるが
織田徳川軍と武田軍は100メートルの距離にある
つまり長篠城に士気旺盛な500の兵隊がいる、まずこいつらの対策を考えないといけない 選択肢は3つ、長篠城を落とす、長篠城を囲む、無視して逃走する(甲陽軍鑑では前者2つだけ検討)
落とすのは非現実的、2週間掛けて落ちなかった城があと1時間で落ちるワケが無いし攻めてる最中織田徳川軍が突っ込んでくるのは目に見えてる
長篠城を囲めば本隊は楽に逃げられるが包囲軍は死ぬ、それに鎧袖一触では話にならないから相当数割かないといけない
無視するのは言い換えれば無抵抗、長篠城兵に一方的にやられる 後詰の織田徳川本隊が来ないのに長篠の城兵500が打って出るらしいw
返り討ちにされて長篠城落ちるなw
武田軍が罠じゃなく本当に退却したか長篠城兵が見極められるのは夜が明けてからだよアホw 馬鹿中学生はIDコロコロ変えないか
コテ付けて書き込めな
『無能中坊』ってコテで ちなみに朝倉が滅んだ刀根坂の戦いが朝倉・織田の距離が10キロ、戦力が朝倉2万織田3万
これで朝倉は逃げきれず刀根坂で捕捉されて壊滅
これ考えると長篠での武田軍の絶望感もわかる
「信長は絶対攻めてこない」という確信か余程の勇気が無いと逃げられん
そしてそのどちらも武田には無い、仮に勝頼が未来予知しても家臣団を説得するのは難しい 敵の本陣に突撃するのはそんなに勇気が要る訳じゃない。打ち崩せば勝ちなんだから。しかも織田徳川の陣地は武田から見ると柵一つしかない脆弱なもの
逃げるのはかなりの勇気がいる、だって勝てないだろう。追いつかれたら死、なのに拠点は50キロも向こう、それでも逃げる訳で
一見武田武人の勇猛さと見えて実は勇気を喪って特攻してるだけっていう逆転現象が起きてる
とはいえそれこそ信長の狙いな訳で避けられない
長篠城攻略戦をもっとシュミレーションしてあらゆる出来事に備えないといけなかった あーあどこかで見たスレの流れと同じのが始まっちゃったよ NHKの番組では信長10万出陣で動揺して軍の意見が真っ二つに分かれて収集つかなくてそこを後方の砦を落とされて軍が崩壊して次々討ち取られたとかやってたな >>521
凄いなあ
鳶ヶ巣山奇襲隊は道無き山を気付かれずに夜間行軍してるのに
山慣れしてる筈の武田軍は往路で利用した立派な道を同じようには出来んのねw
しかも信長は夜間対応ドローンを持ってて即追撃出来るんだww
苦労して造った陣城の後方に潜ませた大軍を躊躇無く動員して
現代の米軍以上の情報能力だなwww
そりゃあ勝頼は勝てんわwwww >>539
鳶ヶ巣山奇襲隊は長篠の地形に詳しい者達が周辺の地理を完全に把握した上で立てた計画に則って行ったから成功した
そもそもいつ出発したかもわからない極秘作戦なので一概には言えないんだが >>539
で、仮に夜間に逃げるとなると武田はキツい
まず兵数が一万五千もあるから灯火だけでかなりの灯りになる。織田徳川の物見どころか山の向こうからでもわかってしまう。現代米軍どころかアメリカ先住民族ですら察知して攻撃にくる
なんとか灯火を規制しても長篠城があるので逃走しようとすれば騒ぎが起きて露見する、そして追撃戦にくるので損害無しには抜けられない、全力で逃げるとなると長篠兵の一方的な攻撃を甘受するしかない
そして何よりの問題は距離
武田の安全拠点まで山路50キロある。対して長篠城数十メートル、設楽原4キロしかない。これでは織田徳川兵が武田兵より少し速いくらいで迫ってきたら逃げきれない
2週間城攻めしてた武田兵とほぼ休息をとってた徳川兵、圧倒的兵力のある織田、これで無事に逃げられるかは勝算が薄い 本願寺包囲したままで10万集結
75年の段階で450万石ぐらいありそうだな織田軍
そんな相手に喧嘩売って寿命で死んだ無責任男信玄
勝頼もある意味可愛そうだ
アメリカと開戦してすぐポックリ死んで後のものが迷惑受けたようなもんだ 義景が逃げ出した時より距離が無いって考えると絶望的
せめて逃げ出す言い訳でも見つかればよかったけどそんなものも無かったし
どんな史料にも「私が殿を務めるので殿は逃げてください」的な話が無いのが武田軍の認識を表してる。勝てると思ってたんだろう >>542
まあざっと計算して石高はそんなもんだろうな
尾張→約50万石
美濃→約55万石
伊勢→約55万石
近江→約75万石
越前→約50万石
若狭→約10万石
山城→約20万石
大和→約45万石
摂津→約35万石
河内→約25万石
和泉→約15万石
合計→約435万石 >>542
まあざっと計算して石高はそんなもんだろうな
尾張→約50万石
美濃→約55万石
伊勢→約55万石
近江→約75万石
越前→約50万石
若狭→約10万石
山城→約20万石
大和→約45万石
摂津→約35万石
河内→約25万石
和泉→約15万石
合計→約435万石 それ江戸時代の検地だろ
信長は400万石もなかったんじゃない?
しかも各地に敵を抱えていたから全て武田に向けられたわけでもないし 長篠前後で大抵の敵は粉砕してるのと
信長に親しい連中にも兵員出させてパンプしてたんだとか 255万石の徳川で8万程度なら
1575年に各方面の前線に兵力割いてる状態で10万の軍勢なら450万石妥当だろ
さすがに前線の兵力までスッカラカンにして集めたとは思えんな
そんなことすれば留守襲われて逆襲される
関ヶ原の徳川なんか結城抑えに置いて江戸にわずかな守備兵おいといただけ
戦国真っ最中の長篠時とは比較にならない >>546
情報知らなかったのか知ってたのか知らんがその1/3でも来られたら武田は一大事
一流の戦略家ってのはつねに最悪の状況を想定する
知ってて三方ヶ原でもどうせ来なかったし今回も来ないだろと考えてたのなら救いようのない馬鹿だし
情報知らなかったのなら武田の諜報力はウンコでこれも無能 古来の重臣は止めたんだろ
ソース怪しげな甲陽軍鑑によると >>550
そういう事にしないと信玄の育てた最強軍団が無能ってバレちゃうだろ 石高と別に信長の場合は巨大な商業もあったからな
ロクな港のない武田じゃ経済力が圧倒的に違う そんな相手に浅井に騙されて意気揚々と喧嘩を売った信玄・・・ 1572年の時点では浅井、朝倉がいて長島の一向宗も健在
武田が博打するならあのタイミングしかなかったのは事実
信玄が死んでなければ失敗しても信玄のせいで終ってた話
信玄が死んで勝頼が支配体制固めてる間に浅井、朝倉が滅ぼされた
長島は明らかに勝頼が見捨てた形だけど
北条みたいに予め家督譲るなりしてれば避けられた話だけど
自分が父親追放して国乗っ取って、息子にも謀反起こされた信玄は
勝頼に家督譲ったらまた義信事件見たいが起こりかねないと危惧してたんだろうな
そもそも諏訪の血筋だし一度は諏訪継がせて冷遇したわけだし 信長が来てる以上信長はヤル気な訳で逃げたら追ってくるというか武田が逃げるのを待ってる公算大
30%の数で粉砕出来るんだから武田軍15000を殺るのに8000人もいれば足りる
どうせ追いつかれて決戦するならこちらから仕掛けられる今やろうで決戦した
ただ常識的過ぎて信長に読まれてた やられたとしても殿の数百程度で終わりだよ
史実と比べりゃ被害は微々たるもの
山間部の山道逃げるんだから追う方も同じ道幅しかない
遅滞されたら終わり 逃げたら「やっぱ勝頼じゃ駄目だな」派が発言力持って内側から崩壊した可能性 朝倉義景も同じことを思って撤退したんだろうな・・・
その結果命を失う羽目に >>558
アホ景は小谷城救援に行ったのに何もせずに撤退してるから全く意味がわからん >>559
一応小競り合いで秀吉に負けてた気がする
ただそれで全軍退却してる場合か!って思うが >>559
大嶽砦と丁野山砦で降伏して解放された敗残兵の様子や、それによって動揺してる将兵達を見て
このまま留まりどう足掻こうと砦の奪還は不可能であり、援軍目的を果たすどころか、決戦になれば崩壊必至と判断して、武田とは真逆の可能性に賭けたんだろう そもそも浅井は朝倉が信長におとなしく従ってくれてれば、義理の兄でもある信長を裏切って敵対することもなかったんだよ
なのにその信長に窮地に追い詰められて、やっと義景自ら援軍に来たと思ったら、敵の強さにビビって敵前逃亡するんだから救いはないわな 朝倉本陣と織田軍は10キロほど離れてたからワンチャン逃げられる事に賭けたんだろ
上手くしたら小谷城落として満足して帰ってくれるかもしれないし
そつしたら本気で追撃されて壊滅した 考えてみりゃ小谷無視して朝倉を徹底的に追撃するなんて思わんわな
一歩間違えれば挟撃喰らう訳だし
織田家臣団の追撃が遅れたのも『ホントに追撃するのか?』って戸惑いがあったのかもしれん そもそも小谷城を見捨てようとすること自体がどうかと思うけど 助けに来たけど不可能なのが判明、兵力がある内に本国に戻って織田に備える
って聞けばそれっぽいだろう?ただ思考回路を完全に見透かされてたから普通に潰されたけど 結果論だが京都まで攻め込んでノブをガチにさせちまったのが運の尽き
勝ち目が無くなってからの交渉の余地が無くなった 信長ってたまに凄いことやるよな
命令しても動きがトロい部下より先に自分が追撃したこの時といい天王寺砦を救出した時の突撃といい 朝倉義景に決戦を選ぶ度胸は無い!追撃戦の準備をしておけ!→義景は退却を選択、神速で追い付き壊滅
武田勝頼は必ず決戦にくる!堀と銃眼で陣地を造って一人も死なず勝つぞ!→勝頼は決戦を選択、野戦築城に手も足も出ず壊滅
ここら辺の戦略眼が凄い
そしてそれを幸運が助けるって言う んだんだ
他の大名が正攻法で一国取るのに20年かかるのに信長一ヶ月だもんな
総大将が即断即決自ら指揮する軍は強いよ
これが大名が出陣しないで代理総大将だといちいち本国に確認して評定開いて会議して返事が来るの待ってですっげータイムロスで大名直々に展開する軍とは2手3手とどんどん差がついていく
本国に報告したらその時に敵はとっくに別のことしてる
朝倉義景や北条兄弟がクソ雑魚なのもこういうところ >>564
この理屈だと城から打って出て追撃しなかった浅井長政が悪いともいえる そもそも戦国時代の戦いってちまちま城一つずつ落すような戦だったのを
信長や秀吉は簡単に一国滅ぼす戦してたからなぁ
とてもじゃないが武田なんかに真似できる芸当ではない 北条も結構雑魚で御館の乱以降、上野がとんどん武田に落とされ調略されなのに遥か遠くの氏政の元に連絡行き対策ねってる間に落とされ武田は次の行動起こしてる
三男氏邦が上野方面司令官なのにこいつは指を加えてみてるだけで武田の猛攻の前に国衆から援軍送ってくれの要請が連日届くも答えず見殺しし次々と武田に寝返る
上野が武田のものになり防備固められてから反撃軍率いて侵入したら城攻め下手くそすぎてあっさり撤退
裏切ったのは国衆では無く円群送らなかった北条の方
氏政さぁお前前に出て戦えよバカなの
お前上野まともに維持したことねーじゃんかよ
信長、謙信、信玄、元就、政宗が何で強いかわかるか
大名直々に出陣していちいち本国に連絡して~なんてやってないるからだよ
弟たちも決断力無い無能ばっか。ならお前が前に出ろよ 大嶽砦とはいうが実はこれが旧小谷城って噂もあるし
そんな重要拠点を取られて反撃不能な訳でもう浅井家には何の力も無かったのかも
後は小谷城を巻いてる織田軍が既に浅井軍より多いので特攻しても朝倉を追撃する信長本隊には勝てなかったか まあ織田信忠は朝倉義景の精神を見習うべきだったろ
信長と司馬懿の凄さは応変の将略だな >>576
まぁどこまで本当か知らないが本能時囲まれた時に
信長は信忠だと思ったらしいからなぁ そんな説聞いた事ないな
光秀の包囲攻撃が最初は失敗して再攻撃で落とした説なら見た事あるけど まぁ本能寺に宿泊した時点で信長を襲撃出来る組織って信忠か光秀かみたいな感じだろうし考えはしたんじゃない
直ぐに真実はわかったろうけど 上之助がべつしんか
は『三河物語』が出典だから信憑性はあまりない 100万石クラスの武田を簡単に叩き潰して
信長も完全に有頂天になってたのは否めないな
そういう意味では武田があれだけ無様に崩壊したお陰で歴史が変わったと言える
秀吉が「俺なら勝頼使いこなしたのに」って言ったのもある意味「勝頼君ありがとう」って感謝の気持ちだろうな 勝頼がもし岩殿城に籠城してたとして
あの位置じゃ上杉の後詰すら100%来ないし
何がしたかったんだろうな?
北条夫人を北条方に逃がそうとしたとか信勝も一緒に逃がそうとしたとか諸説あるが
まだ岩櫃の方が上杉と連携取るなら合理性あるよね? 勝頼は武田信豊を信濃小諸に逃してる
理由は「御家存亡の危機に血族が一箇所に居るのは危ない」から(信豊は勝頼と同行を求めてた)
つまり勝頼は自身か信豊どちらかは生き延びることを狙っていたらしい
小諸城は上杉領にも近くて生き残る確率は高いし岩殿城は勝頼が資材を投入して強化してるから上手くいけば両方生き残り!みたく考えていたのかも 信豊さんは部下に殺されて・・・
木曽も穴山も裏切ってる状況で真田は信用できなくて
小山田は信用できるってのもおかしな話だよね
俺が勝頼なら上杉領に逃げ込む以外の選択肢ないわ 勝頼も信豊も北に逃げたら信長も全兵力を北に振るだけで両方殺せてしまう
二方向に逃げれば片方が見過ごさられる可能性はある
岩殿は少し前に勝頼が奉行を送って何らかの補強をしてるからそれなりには保つと考えていたのかもしれない、が多分それよりも生き残り易い道を信豊に渡して自分達は捨て石になるつもりだったんじゃないか 信豊って信玄の弟信繁の息子だから勝頼とはいとこになるのか
俺なら信勝を信豊に預けるかな まぁ自分が岩殿に籠城して織田軍引き付けて
小諸の信豊が北信濃の兵力糾合して
織田軍を北から牽制して補給路攻撃させて撤退させよう
みたいな机上の空論だったんだろうなという気がする 武田の城って織田にしてみればショボいボーナスステージ扱いなんだけど武田としては名城扱いだから落とされた時はの衝撃とか凄かったんだろうな 地域によって城の造りもだいぶ程度の差があったみたいねあの時代
織田は力攻めしにくい城への対処も慣れたもんだし 信豊は景勝・景虎間の和睦調停や甲越同盟で働いた経験があって上杉とのツテがあった
そして勝頼は北条と縁がある
こうした理由もあってそれぞれの進路が決まったのかもしれない 勝頼は北条と縁がある
嘘ではないがもう因縁だろこの時期はw 何故か知らんけど武田側の史料だと北条が助けてくれると思ってたところがあるし
そう言う事にして東進して死場所を探してたのかもしれないが それ勝頼が間抜けってのを強調したい悪意だろうな
実際は>>588程度の考えはあったと思うよ
上杉からの援軍も当てにした上で 長篠から撤退後も小競り合い続けて信長との直接対決回避し続けても
結局ジリ貧で終わりだよね?
そもそも武田の本拠である甲斐から三河に毎回遠征するのは金掛かって仕方ない 結局のところ信玄が家康と信長敵にしたのが運の尽き
長篠の後家康は諏訪原城に今川氏真を城主として置く訳だけどこれ「俺たちは駿河を狙ってます」宣言だもの
遠江あげるから許してなんて言えない状況 三方ヶ原で家康討ち取ってれば勝頼時代の色々な問題の1/3くらいは片が付くんだよな 家康が仮に三方ヶ原で戦死してたら信康が徳川を継いで勝頼は仇敵となる
信康がどんな性格だったのかはよく分からんが氏真みたいに親の仇に媚びれる程のメンタルがあったとは思えん
信長からの支援もあるし武田絶許で抗戦するだろうから却って状況を悪くする可能性すらありうる
信玄が責められるべきは三方ヶ原で中途半端な戦果しか挙げられなかった事より織田徳川に喧嘩を売った事だろう 浜松かせめて掛川落としてれば話は変わったかも
とはいえ敵地のど真ん中を取ったところで意味があるかなぁ、直ぐ取り戻されてしまう
やっぱ裏切る時ほど大義名分は必要、それさえあれば言い訳も効いたろうがいきなり背中を刺したんじゃ 三方ヶ原で家康死ねば信長がそのまま徳川領接収すると思うけどな
信康の後見人って設定で
1572年だと信康13歳だぜ 史実で構いまくりだったからなぁ…
終盤なんて家康に「高天神の降伏は認めないでね」ってお願い、という体の実質命令出してまで潰しにかかってるし
家康もだがそも信長をどうにか出来ないと未来は変わらん気がする 謙信が死ぬまでに攻勢に出れば共同戦線でワンチャンあるかもしれない
北条は…アテにならんな 仮に三方ヶ原で家康が死んだとして謙信がそれで武田につくかというとまるでわからんのよな
上杉と徳川は同盟関係にあった訳で四月には武田攻撃の予定だったわけで
家康が死んだから同盟も解消で、っていうドライな謙信か信康よ共に信玄を討ち仇をとろうぞという熱血謙信かなんて読めない
どっちにも転ぶ可能性はある 謙信との共同戦線て1576年~1577年辺り?
長篠の敗戦から織田にも徳川にも押されてて急遽編成のハリボテ軍で対応してた状況だしなぁ 第二次包囲網で謙信の要請で徳川牽制するために出陣したけど
徳川も全く出てこなかったんじゃなかったっけ? >>540
自分の説に妄執するあまり相手のハードルは一方的に上げて
自分のハードルは一方的に下げる奴の典型だな
何一つ同意できんし議論する気にもなれんからレスは返すなよ 信玄が死んだ時の遺言通りに勝頼謙信頼る
氏康の遺言通りに氏政謙信頼る
コレでなんとかならん?
謙信死んだら終わりだが 謙信なんてヤクザと一緒で同盟なんかしてもこっちが一方的に譲歩するだけてまったくこっちの要請答えてくれなくてだからしなくて正解
北条なんて上野あげて関東管領も上杉に譲ったのにな~んもしてくれなかった 実は謙信かなりの家康贔屓だったのか家康の為に結構働いてくれてるのよね
というか「上杉謙信が徳川家康の味方」ってだけで武田家は戦略を限られてしまってるからかなりの優良物件だった どこがだよ
武田と戦ってたのは徳川だけ
御館の乱以降に北条が加わったが上杉なんて一度も戦ってない
長篠で大敗して絶好のチャンスなのに散々一緒に武田攻めようぜと言われても応じなかった
もう謙信は武田なんか興味失せてたんだよ まぁ長篠後でも結局海津城がある限りは川中島から南下できないし
もう武田も北進する可能性ゼロだから戦う意味ないのよね
あくまで武田が三国同盟で北に向かうしかなかった時代に
越後防衛のために川中島に遠征してたわけで 海津城って武田だから過大評価受けてるだけで戦国時代は砦以上城未満だよ
巨大な旭山城は作る度に落とされて破壊されてて城があるからってより豪雪越えて占領は無理だから深入りする気0だから そんな簡単に落ちるなら第4次川中島で上杉が落としてるよw >>616
信玄の西上作戦も勝頼の長篠合戦でも謙信の影響受けてるからな >>620
妄想はもういいよ
夏休みになってレベル下がったな >>621
史料に書いてあるのに何言ってるんだか
甲陽軍鑑にすら家康が謙信と結んで信玄は苦しんだとあるのに
つまりねぇ、謙信が家康と同盟してることで武田は常に北と南に兵を割く羽目になってた
長篠の戦いでも謙信対策で兵を一万五千しか連れて行けなかった
勝頼が木曾衆から取り立てた起請文でも上杉一族は敵として扱われてるしな 氏康のみならず家康まで敵に回してしまった今川領侵攻の時の武田完全にやっちまってるよな
まあ最初家康のこと舐めてたんだろうけどあんな厄介な存在になるとは信玄の測定外だっただろう 信玄的には予め説明してたからまさか氏康が攻撃して来るとは思わなかったんだろう 勝頼の代になって一瞬問題無くなったように見えてその時には徳川・織田間の連携が完全体になってて勝てないというオチ 武田が長篠で大敗するのを回避してその内史実のように謙信が
織田と衝突するようになればいいんだけどね
全盛期の武田軍団が残ってればワンチャンあるかもね 謙信と信長が拗れたのって長篠合戦の影響があるから長篠か無かったらもっと早く武田家滅んでたまである
割と厄介な状況 浅井朝倉滅んだ時に
もう勝頼に勝ち目無くなってしまったよな 長篠前に何度か持ち上がった織田上杉徳川による武田挟撃構想も信長側の不履行で立ち消えて
謙信が信長のこと責める書状送ってるけどそれで果たして同盟決裂までいったかと言われると
>>627の言うように事態が動いたのは長篠での弱体化ありきでしょうね
共通の天敵武田の力が残ってる間は短気な謙信も信長も我慢すると思う ただでさえ国力乏しいのに駿河・遠江・美濃・信濃と多方面に敵抱えてしまったのは不幸
御館の乱も望んだ景勝・景虎和睦による武田・上杉・北条3カ国同盟にならなかったし
まぁなったところで矢面に立つのは武田なんだけど REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 >>622
ハイハイ
寝言はいいから妄想はゲームの中だけでしなね
そういえば信長の野望PK発売したのか
やたらレベル低いやつあちこち湧いてるけど夏休みまでこんな雑魚がこれから湧くのかよ しかもソースが甲陽軍鑑とな
甲陽軍鑑では長篠の後に信長と謙信が対立すると信長の方から武田に和睦申し込んできたと妄想全開書いてある
信長公記にも他の記録にもそんなこと一言も書かれてないただの捏造
これも信じてそうだなお前 >>619
川中島で落としてないから名城とか頭悪いな >>634
誰一人名城なんて言ってないのに勝手に論理飛躍してて草
Fラン大学のゼミってお前みたいな奴だらけなんだろうなw >>633
信長公記に書いてないから嘘!
甲陽軍鑑に書いてあるけど嘘!
うわー…これはイタイ… >>636
横だが「他の記録にも」と書いてあるが
当時の手紙等と照合して、甲陽軍鑑の捏造の可能性が高いってことだろ 未だに歴史番組は甲陽軍鑑を事実として扱うのが大半だしな
あの勝頼の再評価でのし上がったHさんも都合の良い時だけ甲陽軍鑑では〜って言い出すしね 「武田と連絡してない」史料は無いからね
しかも信長公記と矛盾してる訳じゃ無い
信長公記に載ってないからと言い出したら信長の出した黒印状すら嘘になるからマトモな学者はそんなこと言わん
信長が勝頼に同盟を持ち掛けたとしてもそんなにおかしい話じゃない。時間稼ぎの一環で用意が整ったら破棄してぶっ潰すだけ
信玄がやったように 実際のところ第二次織田包囲網の頃には武田は東美濃からも三河からも駆逐されてるし
はっきり言って信長的には大した脅威じゃないんだよね
適当に家康に遠江で牽制させとけばそれで十分の存在
謙信が越前に突入でもすれば話は変わるかもしれんが実際は越後に帰って関東出陣準備中に死んでる体たらく 信長公記に載ってないからじゃなく
佐竹に出した手紙等の前後状況から
信憑性が低いのではといってるんだが
まともな学者なら信長公記と甲陽軍鑑
どっちも鵜呑みにはしないだろうが
信長公記はまあ概ね信用できて
甲陽軍鑑は話半分てのが一般的認識だろう 図星だったFランくん必死の反撃ワロタ
まるで田野で討ち取られた勝頼状態だねw>>642 そら否定する史料は何も無いからな
信長はあくまで武田を滅亡させるつもりだけどそれと同盟は実は矛盾しない
織田と徳川で一息に潰せる時まで待てば良いんだから 甲陽軍鑑は信憑性が著しく低いのだから肯定する史料が必要なんだよ
否定する史料はないとか矛盾はないとか言っても無意味だよ 甲陽軍鑑が信用出来んとか昔の話だぞ
信長から同盟話があったとしても不思議じゃないし矛盾する史料は無い、というかそんな史料存在し得ない
なんでかっていえばそんなに重要じゃないから
信長が信玄の葬式をあげたってのと同じくらい「まぁあったかもね」程度の小噺 >>1
勝頼に転生したってことは、余計な歴史改変しなければ長篠の戦いは情報チートで迎えれて、御館の乱とかも完全に予言出来るってことだよね?
これで詰んでるとか逆転出来ないって、お前ら揃いも揃って勝頼よりも遥かに無能ってことで良いよな? 仮に長篠で現代知識で勝ったら実際どこまで歴史変わるんだろ
自分みたいな凡人は本能寺の変待つしか出来ないが タイムスリップして長篠の戦いを起こさず撤退したいが重臣がイケイケな場合
無理やり撤退したらそれはそれでやばい? >>647
ちょっとは本当のことも書いてあるレベルになっただけやろ
甲陽軍鑑にしか書いてないことは史実として扱えないよ 長篠の問題点は逃げたとしても拠点が遠いので逃げ切れる保証がゼロってこと。逃げたところで追撃されて大敗する
その後上杉と織田が仲違いしなければ織田徳川上杉の三面侵攻を受けるしそうなったら勝ち目ゼロ
つまりこの長篠で信長と家康を討ち取るしか道は無い、てことは要は詰んでる >>650
領民の賦役を無駄にして戦果無しの遠征をしたとつるし上げられる >>636
このアスペは酷い
例えば勝頼が信長に和平してほしくて使者送ってシカトされてたのは柴田勝家が小笠原貞慶に送った手紙にもあるが
信長の方から勝頼に和平交渉したなんてもんは捏造軍艦にしか存在しないんだよ
捏造軍艦以外あるなら出してみろよ
当時の出来事は武将の記録、手紙や公家、寺、宣教師、他の勢力の記録に何かしら乗るんで実在が判明するけど信長の方から勝頼に和平交渉したなんてもんは捏造軍艦にしか存在しないんだよ 当事者側の記録にないもん実在したとか一番やっちゃいけないこと
大本営発表信じるアホと変わらんよ 信長と和睦したいよ~
でもシカトされてばかりで相手にしてもらえない
息子も返したし信長と仲のいい佐竹殿にも仲介頼んだのに相手にしてもらえない
そうだ俺の描く武田マンセー軍記に信長から和平交渉したことにしよう(願望)
これだからな
ちなみに勝頼が信長に必死に許しを請うてるのは上杉景勝から勝頼への詰問状ともし和平がなったら上杉も仲介してくださいのやりとりが残っておりここでも勝頼が信長になんとか許してもらえるよう交渉してたのがわかる 普通に考えてもヤバい
負けて劣勢側が信長の方から和平交渉してきたといいはる
でも交渉持ちかけたほうに一切そんな記録が存在しない
これで負けてる側の希望信じるなら
精神病院行ったほうがいいよ 史料と時系列分かってない人いるじゃん
信長が勝頼に和睦を申し出たのは謙信が勝頼と和睦した直後で
勝頼が信長と和睦しようとしたのは謙信死後の話
景勝からの詰問状云々って書いてるからそうだとわかるだろ?
時期が全く違うのにありえないんだー!って言ってもね 甲斐武田氏の研究者として著名な平山氏や黒田氏が『甲陽軍鑑』について
「頭から鵜呑みすることはできず、他の史料と比較する必要はあるが、史料として活用できる」
つまり他の史料で裏付けがとれない
甲陽軍鑑にしかない記述は信用できず
史料として活用できない以上 拠点が遠い君は
そんなに連合軍が圧倒的に強いなら設楽が原でわざわざ陣城なんて造ってないで
そのまま直ちに直接攻撃しなかった理由と
撃ち減らされた敗軍の僅かな殿に足止めされて甲府どころかその拠点すら落としてない矛盾には気付かんのかね? 僅かな殿(山県、真田信綱、内藤、馬場
。その他銃撃で死んだか追撃戦で死んだか不明な将多数) 耳川や沖田畷で大勝した島津は、なぜその勢いですぐさま大友や龍造寺を滅ぼさなかったのか、みたいなこというのもあれだが
三増峠では追撃してきた氏照、氏邦、綱成相手に勝利しているし、士気が高いうちに戦力温存しての撤退が必ずしも上手くいかなかったとも思わないな
甲陽軍鑑にある釣閑斎の言葉や、重臣達はこぞって撤退を進言したのが本当のことなのかも疑わしいけど >>660
圧倒的に強いから野戦築城で勝ったんだよなぁ
この当時数千挺の鉄炮を数時間稼働させられる勢力は織田徳川のみ
そしてお前さんは知らないんだろうけどこの長篠戦後にすぐ家康も信長も攻勢に転じて自国領の武田勢力拠点を落としてる
考えてみ?奥三河から信濃まで50キロ以上ある
そんなところで城を攻めたとて無意味だろう 勝ちはしたろうがあそこまで一方的にはならない
万軍が白兵戦するとお互い数千人は死ぬ
それを織田徳川皆無、武田は大将含め一万人死亡というワンサイドゲーム
結果論だけど逃げた方が安かったかもしれない
しれないけど説得困難 検索すると織田徳川連合軍も戦死者6000人って出てくる
野戦築城して引き籠って無かったら危なかったかもしれんだろ 部下を説得できない時点で終わってんだよな
信長が逃げろと言ったら誰も反論しない罠 転生してるから説得するの俺等なんだよな話術自信ない >>667
19世紀前半に編纂された、織田徳川の総数7万2千としてる徳川実紀が出典だけどね
通説では3万8千が一般的になってるけど
信長公記の織田徳川総数の約3万を段々に隠すように布陣したから、武田の総意も決戦になったのではと思う そもそも六千も死んでたら指揮官クラスも死んでないとおかしい
にも関わらず織田徳川軍の指揮官クラスで死んだのは鳶ヶ巣山砦攻撃隊のメンバーで設楽原で死んだ者は皆無
そもそも信長は味方に一人の死者も出さない覚悟で来てるから死者が出る筈もない
だから六千云々というのは逃亡者を過大にとったものだろうと言われてる 武田軍の懸念は甲陽軍鑑の
「信長ほどの大将がただ退くであろうか、押しかけてきたらどうするのか?押しかけられて決戦するも今決戦するのも同じではないか」
って言葉におおよそ集約される
信長は朝倉を追撃戦で滅亡させた戦果がありただ黙って逃走を見逃す筈がない
野戦築城の事を伝えようにも武田軍の物見は設楽原に近付けないのでソースが無い
うわぁ諏方四郎おかしくなっちゃった、と思われるのがオチで説得はかなり難しい
しかもそこで無事に逃げられたとして織田徳川上杉の連携攻撃をモロに受けるし
一難去って十難は来るぞ 追撃されたらってよく聞くけど
なんのために殿あると思ってるんだ 部下を納得させられなかったら殿努めてくれる部下なんておらんぞ これ説得間違えるとソースもないのに野戦築城してるから撤退しようと提言する
腰抜け野郎扱いになるんだよな 殿と一口に言っても生きて帰れる殿と死亡確定してる殿じゃ同じように見えて全く違う
長篠城500、徳川軍8000は確定してるからその殿といえば最低3000人、せめて5000人は居ないと鎧袖一触に全滅させられて殿の役目を果たせない
信玄の砥石城攻めや義景の刀根坂を思い出してみ?絶対に死ぬ殿なんてやりたがる奴いないのよ 賦役を無駄にして戦果無しで逃げ出した俺(勝頼)の代わりに当主になりそうな奴は誰かいる? 半端者だと兵隊を統制出来ないので殿にならない
殿が務まる有能な奴を失うのは痛い 真田昌幸なりのぼうしょうなら才能を如何なく発揮できたんだろうけどな。
なんせ普通の人、ちょっと有能くらいでは間に合わない。
ましてや周りは古参猛者ばかりの長老ばかり。
正式本来の跡取りは自害させられ、急ごしらえのなんちゃって跡取りで立場も弱い。
そんな彼が戦国屈指の勇将である信長、家康、上杉、北条に囲まれたら悲惨だよな。
結果、彼が選択したのは上杉ではあるが北からの脅威がなくなっただけで
ろくに援軍も望めなかった。この選択は勝敗だけ見れば悪手。では織田に早々に頭を下げたらどうだったのだろうか。 >>664
圧倒的に強いから野戦築城した?
意味わかんね
逃がしたら困るんで圧倒的に強ければ普通は直ちに攻勢に入るだろ
設楽が原までほいほい出てきた勝頼が無能なだけで、それを100%期待するほど信長は馬鹿ではない
武田の安全拠点まで50kmもあるから武田軍は逃げ切れないという前言と
50kmも離れた奥地の城を攻める意味はないという自分の言葉が矛盾してるとは思わんのかね?
すぐっていつだよ?
当然、長篠からその足でだよなあ? 金ケ崎の退き口は殿軍がギリギリ逃げ込めそうな距離10km先に国吉城があったのが大きいんじゃないか
過去にも朝倉勢の侵攻を何度も食い止め続けた堅城
長篠の戦場から武田領まででそういう類の防衛拠点がどこかあったのかどうか わりと日本の場合は土地も狭く撤退は安易に出来るレベルよ >>681
武田軍と同じ勘違いをしてるぞ
信長は武田に怯えて野戦築城をしたのでは無い
武田を殲滅するために野戦築城をしてた
武田の視点では設楽原が要塞化されてるという事が分かってない。地理的に観測困難で連合軍の哨戒が容易だったから
で、お前さんが言う通り何故信長は直ぐ攻めて来ないのか?と武田も思ったろう
その解答の一つが「武田が逃走するのを待ってる」というものがある。言うまでも無く追撃戦は追撃する側が圧倒的に優位。信玄すら自軍の三分の一程度の敵に危うく首取られるところだった
ましてや信長は朝倉を一昼夜掛けて追撃殲滅した前歴がある。となれば逃げられんわ それと武田と織田徳川だと勝利条件が違う
武田は50キロ先の城に逃げ込めたら勝ち
織田徳川は4キロ先から逃げる武田に追い付いたら勝ち
城に逃げ込めたら流石に攻撃はしてこない、かもしれない(城を落とせば勝頼が死ぬのでワンチャンやってくるかもだが)のだが武田は辛い。地理に明るいのは敵で更に元気いっぱい、対して自軍は疲れてる
追いつかれたら殿を切り捨てる暇なんて無い、決戦するしかないが砥石崩れや刀根坂の二の舞にならない保証が要る
それがあるか?っていうと無いんだよなこれが… >>678
穴山『では僭越ながら私めが信勝様の成人までの間、武田を仕切らせていただきましょうw』 多分武田には信長した野戦築城の知識が無いからまずそこから説明しないといけないし
ソースが無かったら笑われるか下手すりゃクーデターだろうな… >>686
お前さんは知らないんだろうけど長篠城周辺は「一騎打ちの節所」と当時から呼ばれてて大軍が迅速に移動出来るような地形じゃあないんだわ
距離が4kmだから1時間で移動できるなんてのは軍事を知らない者の戯言
確かに信長は武田軍を恐れてはいなかったろうね
地形上、寒狭川を武田軍が越えなければ攻城を続けようが撤退しようが手も足も出ないから
一か八か誘い出すために設楽が原に陣城を築いたんだよ >>688
川中島で自軍より少数の景虎相手に
慎重策を唱えた信玄の命に従った老臣は
さすがにそこまで馬鹿じゃない
>>689
奥平が寝返った時点で武田が長篠に来るのは想定できるから、前もって鉄砲衆を供出させたり、地形の把握や兵数が少なく見える布陣に
岡崎到着から直ちに長篠に向かわなかったのも敵から士気が低く見える事は承知で、武田を殲滅するための策を入念に準備してるよ
もちろん最終的に策に嵌まるかは勝頼の判断次第だけど >>689
残念な話があってな…
実は設楽原から長篠には伊奈街道だけでなく別所街道も通っていて実はかなり通りやすいんだわ…
長篠城を攻めるとなると難しいが逃げる武田軍を追撃するなら簡単という実に厄介な地形をしてる
しかも長篠城が落ちてないので長期対陣は不可能なんだわ
甲陽軍鑑でも触れられているんだけどね 長期戦するならむしろ短期決戦しないといけない
長期戦するのは時間をかければ有利になるからやるのであって伊達や酔狂ではできない
例えば武田には補給が難しい。長篠城周辺は山なので猪だの鼠だの山野草だのはあるだろうがそれで一万五千人は養えない。対する織田徳川は田園地帯の設楽原にいるし後ろは徳川領で補給路が確立してる
また援軍問題もある。武田は上杉の押さえに兵が割かれてるのでこれ以上の増援は出来ない。それらを呼べば上杉謙信が侵攻してきて抜き差しならない事態になる。対して信長は増援が幾らでも呼べる可能性がありむしろそれを待ってる感もある
つまり時間が経てば経つほど武田は不利になる
戦うなら今直ぐ設楽原で決戦するしかないし
逃げるなら直ぐに全てを捨てて逃げないといけない お前さんの言うことはワザとかと思うほど矛盾と何の根拠もない都合の良い解釈しかないな
夜間行軍は難しいけど連合軍は山中を楽々移動して武田軍は道があってもそれは不可能
武田軍の撤退は困難な山路だけど足止めは不可能で連合軍の追撃は容易いです
補給路と対外情勢と時間も武田だけ一方的に不利
極めつけは圧倒的に強いのに一旦、防御に入る連合軍
敗戦後に高坂が上杉と和睦して1万で勝頼を迎えた話しも捏造らしいし
刀根坂は大好きだけど三増峠の話しや街道が整備された時代や稲の刈り入れ時は全く知らんみたいだな >>654
今更だが公卿たちが噂してたレベルて良ければ老人雑話に直接の話題は信忠と松姫だが内容的にどう読んでも信長からとしかならないくだりがある
公家が噂してたというから内容はともかく実際噂されるような何かはあったんじゃね? >>693
武田軍は50キロ先まで逃げないといけない
連合軍は4キロ先を逃げる武田軍に追い付けばいい
どっちが圧倒的に優位かは小学生だってわかる
しかも連合軍は武田本陣の200メートルに500の兵を置いてる
逃げるとなると容易ではない つまり武田軍が決戦に来るのは常識であって逃げる方が非常識、信長からしても読み易い
長期戦は論外やる筈がない
逃走は長篠城が落ちてない上拠点が50キロ先では逃げきれない、殿を置くにしても相当数置かないといけないのは明らか。しかも追撃戦に弱い武田と強い織田、逃走もまず無い。勝頼がかなり勇敢でなければ
決戦では野戦能力に長けた武田軍の方が有利だし一方的に虐殺されるなんて有り得ない話、殿数千人をタダ捨てるならそれで決戦してあわよくば信長家康を殺ろう、となる
そして来ると分かってるから野戦築城が出来る
西洋から来た野戦築城なら一方的に攻撃、武田軍を殲滅できたと >>692
800人の犠牲を払って長篠の兵糧庫を陥落させてんだから、手立てを失ってると見てた敵に攻めていかなくても、そのまま包囲警戒を続ければ一週間もすれば優位になるだろ 何も優位にならないのではないか?
まず長期戦をするということは信長・家康と決戦するということ
長篠城は絶対に降伏しないし(するならとっくにしてる)また落とす事も不可能と考えないとダメ
武田は上杉の押さえに一万から二万の兵を本国に置いてるがこれを引っこ抜くと謙信が攻めてくる
対して信長は本国から兵を送ってこれる、信長が来たということはそういうこと
その兵力は最大十万、今現在何人かは不明だけど減る事は無いんだから戦うなら早い内にしないとダメ
織田徳川連合軍合わせて七万、対する武田一万五千…ってなってから決戦するのはバカのすること
決戦するにしても逃げるにしても早く決断せねばならない
敵数が揃ってからでは遅いのだ、一週間は無い三日以内がリミットという危機感があったはず 長篠城は兵糧がないんだから、川を前にして鳶ヶ巣山砦で守りを固めているだけで
連合軍は陣城を捨てて救援するか見殺しにするかの選択になって
陣城が完成してない到着してすぐや雨天の前日でもなく、最悪のタイミングで決戦を実行した史実よりかはマシになるだろ 長期戦とは今より未来に希望があるからすること
既に武田は2度見立てが外れてる
長篠城は簡単に落ちると思って攻めて落ちず
信長は救援に来ないと踏んでいたら来た
この上「長篠城が落ちるカモ」という希望的観測に縋るのか?
まず長篠城は落ちない。城主奥平信昌は武田に人質を殺されて後が無い、その下の連中も武田の攻撃を凌いで裏切ってない
仮に武田軍が対陣しても長篠城は開城しないのだから落ちない。人間食わなくても30日は保つ
信長が来た今、意地でも開けない、つまり武田から力攻めにしないといけない
だがそうすれば連合軍に横腹を貫かれる危険な賭けになる
しかも織田には援兵の未来有り、やはり危ない で実は武田軍がいつやってくるかも論理的に予想出来る
武田軍が決戦にくるのは何故か?野戦なら連合軍に勝てると思ってるから、負けると思ってるなら殿を捨てて逃げてるだろう
つまり決戦の時は必ず晴れてる。雨を吸えば具足は重荷となり野戦能力は封じられる
また設楽原は田園地帯であり雨が降れば泥濘動けなくなる、街道沿いは硬いだろうが他の場所は難しい
故に武田軍が攻めてくる時は必ず鉄炮が使えるということになり野戦築城に繋がる
いっそ設楽原に土砂降りでもなっていれば武田は逃げれたかもしれないが悲しい哉天運が連合軍に味方した 城攻め中に後詰め援軍が来ると情報を得たら来たら速やかに撤退がセオリー
信長も浅井が裏切ったと確信したら速やかに撤退してる 姉川では小谷城に籠城されるより、後詰めとの決戦は望むところと思っただろうし
本願寺は天王寺砦の後詰めに来た信長を見て、信長を討ち取る好機と当初は余裕綽々だったろうな 信長は俗に梅雨将軍と呼ばれるくらい雨に好まれた男だった、伝説的な桶狭間のせいかもしれないが
それが長篠では逆転、信長が到着するまでは小雨が降り信長が来た途端に止んだ
設楽原の土は適度に湿って工事がしやすくなり僅かな期間での野戦築城を助けた
信長に幸運が味方したとすれば勝頼ではなくこの天の気分だった
仮に逆だったらわからなかったはず 勝ち続けているときは退くことが出来ないものだ
それが出来るのが名将 穴山ってどうしたらいいんだ自分の手腕だと何もできなそう 穴山氏は信玄から特権認められて南部鉱山地帯を支配してる超有力氏族だから勝頼にはどうしようもできん
俗に武田を三分する宗家穴山小山田と言っても穴山だけ特出してる感がある 独自に鉱山や木材収入もあって蓄財してて徳川との交渉にも使ってたんだっけ 武田領でも豊富な鉱山持ってます
林業やってます
長篠後は駿河を支配して江尻港を経営してます
そして収入を宗家に明かす義務はありません
とかいう超恵まれた立地にあるのが穴山氏
富士講の連中が生命線だった小山田氏は勿論鉱脈枯れかかってた宗家よりも金持ちだったかも 鉱山くらいだろ。江尻は信長の東国への経済統制で大した収益はない。
林業も市場が近い木曽のほうが収益は大きい。 あると無いとじゃ大違いなのと木曾も結局織田に封鎖されてるから… 交易による利益という点では北国街道と中山道の関所を支配してる勝頼のほうが大きい。
武田領国だけでなく関東の大名の御用商人からも津料を取れる 拠点は50km、拠点は50kmと馬鹿の一つ覚えでうるせえわw
距離の話しだけじゃあなくて俺が指摘した他の事項での反論は皆無かよ
長篠城周辺は当時から「一騎打ちの節所」として記録されていて大軍の迅速な行動なんて不可能なんだよ
あと寒狭川にはさぞかし立派な橋がいくつもあって
武田軍はご親切にも破壊は一切せずに連合軍の追撃に便宜を図ってくれるらしいわww
次は拠点は50kmから浅瀬があるよにチェンジかな? ならば、まず50kmの山間部を無事に撤収出来た事例を提示して
それと同じ事が長篠でも可能な根拠も併せて提示すべきでは?
新城市にはよく足を運んである程度地勢は把握してるつもりだが
織田徳川の追撃を凌いで稲武まで逃げるのは無理だと俺は思うが 稲武と長篠城跡の比高を考えれば追撃なんてやらんよ。ろくに準備もしてない平地の兵士が大軍で山に入るなんて無謀。 朝倉義景もそう思って背中を向けたんだろうな
それでやられた
まだその記憶が新しい長篠で家臣たちが撤退命令に納得するとは思えん 勝頼(俺ら)『織田は4万動員してきてるらしい、勝ち目ねえから逃げようぜ』
武田重臣達『は!?刀根で朝倉がどんな目に遭ったかもう忘れたんか??アンタ追放な』
糸冬了
話術言うても撤退が成功すると言う根拠を提示できんと
自分と部下の命がかかってる家臣たちを説得できる訳がない 敗走と撤退は違うからな
ただ大局的にジリ貧の武田はすんなり退却しにくいやろとは思う 兵站を考えれば追撃なんて無理。現地調達しようにも稲武に3万を超える兵を
食わせる兵糧なんて無く荷駄隊も狭い登り坂じゃ必要な分量を運べない。
朝倉の場合は調略済みの越前の国衆もいるし、福井平野があるから現地調達が可能だったが
長篠から撤退する武田には朝倉の例は当て嵌まらない 織田の4万の兵が長篠付近の山道で動員できたのかどうか
難しいと思う そもそも長篠は徳川のテリトリーで地理に詳しいのは徳川
また実は長篠そんなに険しい土地じゃ無い、というかそんな険しいならそもそも勝頼が逃げきれた事実の説明がかなり難しくなる
史実では信長の設楽原殺戮要塞でかなりの戦果をとったので無理に追撃しなかったが仮に武田が逃走したら戦果を挙げるには追撃するしかないんだから追撃にくる
そして武田は織田徳川の兵より速く移動しなければ死ぬ、となるともう退却戦は出来ない
追い付かれたら朝倉の二の舞、追い付かれて戦争するなら設楽原で戦争した方がマシ >>721
砥石崩れでは武田軍9000が3000の兵に追撃され武田軍壊滅、信玄も討死に寸前だった
勝頼が信玄と同じ様に逃げたならば織田徳川軍は5000の兵で同じ事が出来る
そうでなくても仮に信長一万家康八千としてその半分が攻めてくるだけで9000人、兵力的に良い勝負になってしまう 武田は総崩れで逃げるようだと間者に言いふらさせ実際前線はもう撤退させているように見せかける
しめたと追いかければ実は勝頼は陣を構えて待ち受けていたというシナリオ それするなら設楽原で決戦した方がいいよねってのが武田の決定だし
設楽原より狭い山路で何をするんだっていう 長篠城落ちてねえし敵地で地理把握や情報伝達も織田徳川の方が有利
その程度の小細工が通用する状況でも相手でも無いだろ 家康みたく地形を把握していて挟撃地点を策定してたら不可能じゃなかった
けど長篠の戦い自体武田にとっては偶然の産物って話だしそうしたところまで考えていたかは… 砥石崩れはそれなりの平野で挟撃された状態から退却してるから、長篠とは状況が違うだろ
追撃である程度の損害が不可避なら、最初は強硬策を主張して穴山信君に反対させ、やはり義兄上のおっしゃることが尤もとか宣いながら殿を任せればいいだろ
攻守は逆だが、司馬懿が諸葛亮の追撃を張郃に命じたように、戦果をあげるもよし逆襲されて討取られるもよしの状況にする というか決戦を望むにしても
攻め込んだ側の諸葛亮が防御を固めて
後詰めに来た司馬懿に攻撃させて戦術的勝利を得ようとしたように
勝頼も信長から仕掛けさせる方向での決戦を志向するべきだったろ
幸い長篠城は兵糧がないんだし
やっぱ勝頼は強くても猪武者だわ 設楽原から長篠の道がどんなもんかそこを通った武田軍が一番分かってただろう
追撃不可能なほど険しいはずもない 武田軍が大して知りもしない刀根坂を心配してるのが笑えるw
そして実際に戦った三増峠は頭から消え去っているのは更に笑えるww
俺が武田なら三増の二の舞にしてやるが、まあ信長と家康もそこまで馬鹿じゃあないよな 勝頼『まともにやりあっても勝ち目ねーし、諸葛亮が五丈原でやったみたいに防備固めて迎え打とうぜ』
家臣『は?長篠落ちてなくて挟撃されかねんのに何言ってんの!?アンタ追放な』
糸冬 >>732
第四北伐は後詰めの司馬懿が陣地から出ようとせず、救援を待つ籠城兵や、張郃を始めとした諸将に突き上げを喰らってるんだが
というかアンタは甲陽軍鑑は真っ赤な嘘で、穴山から老臣まで勝頼の決戦案に賛成だったという考えか? 甲陽軍鑑からわかるのは決戦派と退却派がいて
決戦派に「信長は簡単な大将じゃない、追いかけて来たらどうするのか、追い付かれて決戦するなら今決戦しても同じだろう」と言われて決戦が決まった
というくらい。実際問題武田が置かれた状況だとこうした流れだったろう
自国領でも無いし反撃できる場所もわからんのでは山路50キロマラソンは不可能だしなぁ 奥三河に侵攻して2ヶ月
長篠城周辺に展開して1ヶ月もあるのに周囲の地形を全く把握してない武田軍笑えるw
そりゃあ負けるわなww ヘリもドローンも無い時代に無茶言うな
地元の人間が味方してる方が強いってのはこういうこと >>728
一番の問題点はな
長篠から武田の拠点まで50キロもあるんだわ
だから殿は間違いなく死ぬ、絶対に助からない
そんな殿を誰がやるの?って話
ちなみに甲陽軍鑑では退却を進言してる馬場信春すら「某が殿を務めるので」とは言ってない
なのに勝頼が「お前死ね」って言ったらどうなると思う?
重臣一人むざむざ死なせるなら決戦しようぜって話になるのは運の尽きだが避けられない 結局古参の猛将皆殺し状態になってるわけで誰かに死に役を務めてもらうしか無いだろ 神速の織田兵相手に50km先の武節城まで逃げ切れるとは到底思えん
情けなく逃げながら追い付かれて4ぬのは嫌だ
ならば敵わずとも華々しく戦って4なせてくれ
決戦派の主張はこういう事だろ?
撤退派はこれに対して反論できなかった。少なくとも退却が上手く行くという根拠を提示できなかった 結果論を言ってもね
「俺は未来を見た!このままだと武田は壊滅お前も死ぬ!だからお前みんなの為に殿になれ!」
なんて言っても呆れられるだけ
野戦に持ち込めばお互い死者が出るのが当たり前で戦術次第では数的不利背負っても勝てる
なのに夢を見たから撤退?
諏訪の神様の託宣と言ってもまぁ信じられんだろう だからまず設楽原から伊奈街道までの地形を完全に調査して隠れ遊びが出来る様にした上で長篠城を攻めておく必要があった
ここの地点なら追撃部隊を逆に奇襲して追い払えるから敵をここまで誘き寄せろと言えれば殿を務めるやつもでてきたかもしれない
だが問題なのは、そんな地点があったのか?果たして…ってところなのよね創作すら無い訳で 長篠から先はずっと渓谷で田峯まで軍を返して展開できるような場所はないな 勝頼が撤退の判断を下した時の信長の立場とすれば
家臣「武田は鳥居の件もあり長篠城を落とすのを諦め、一昨日撤退した模様。追撃の下知を」
信長「あんな山岳地帯の山路では補給も無理だから戻るぞ」
しかないだろ。武節城へのルートは標高1000メートル近くの山岳地帯で4万の連合軍をまかなう
兵糧の現地調達は不可能。もちろん荷車での輸送も無理。 >>743
俺もそう思うけど鉄砲隊が主力の織田軍4万が長篠の山道に全展開できて武田軍壊滅必須らしい 追撃戦なんだから全軍で追いかけてくるなんて有り得ん
砥石崩れを思い出してみ?9000で3000に負けたんだぞ
つまり15000の武田軍を撃滅するのに5000あれば良い
武田軍が考えたシナリオとしてはまず数千の追撃部隊が来てその後ろから同じくらいの増援がくるというものだろう。問題はこれの対策が全く無い
戦うなら広い設楽原で決戦した方がマシ
対して織田徳川からすれば敵は僅か4キロ先なので数千の兵で追いつけるし武節に逃げ込まれる前に捕まえれば勝ちが確定
兵站なんて考える必要も無いんで追いかけて来る 兵站が必要な筈の甲州征伐の進撃速度を考えてみ
50km程度の山岳路で追撃戦なら織田の補給は余裕
敵地を占領する訳では無いので長期間山に滞在する必要もない
長篠をデポ地にしておけば兵の携帯分で充分足りる 逃げる武田は50キロ走らないと食糧は無いし何なら水も無い
そして武田軍一万五千が走れる道は織田徳川軍一万五千と走って来れる 決戦前の撤退ならそこまで織田も激しい追撃戦を仕掛けれるわけでもない
日本国内のしかも山岳戦に部類される盤面ならな 山岳戦得意な武田軍を追撃したら三増峠の北条軍みたいに大損害を喰らうかもしれんし >>735
信玄は野田城を落としたあとに長篠城で療養してるんだが
武田が擁護されればされるほど、甲陽軍鑑で言い訳してるのとメンタル的に同じ無能集団にしか見えないわ 君はたかだか数カ月滞在しただけでその地域の地理を完璧に把握できるのか??
地理に詳しい地元の民衆の支持が必要と言われるのはそういう事なんだよ
川中島の時も武田は北信御三家を処断したせいで民衆の支持を失い
結果、1万を超える上杉軍の動きを察知できず大損害を受けた 撤退成功したとして確実に自分を批判してくる奴等は出るよな
どうしたらいいか悩むな そら「追撃されるはずがない」なんて個人のお気持ちでは説得できんよ
ていうか信長には逃げる朝倉軍を数日追撃して粉砕した戦果がある
信長が二匹目のドジョウを狙ってる可能性は非常に高いし否定する材料も無い。武田軍からは柵が一列並んでるところしか視えないから
甲陽軍鑑でも信濃で戦おうとは出てくるけど奥三河で戦おうとは出てきてない こいつにとっては常識らしいわw
>>752
現地偵察なんて1日もあれば充分
数ヶ月もかけるって無能過ぎるだろw
現に三方が原では追撃してくるであろう家康を待ち受ける場所と追撃路を侵攻先で瞬時に策定して実行している
それくらいは何処の武将でもやってるわ
それにお前さんは知らないだろうけど長篠城周辺は武田にとってもホームグラウンド
>>750のレス見ても気付かんのか? 5ちゃんの住人ごとき説得できなくて
海千山千の武田家臣達を説得できる訳がないな
我らが勝頼殿は撤退を主張したが為に戦地で追放される超レアな武将として
歴史に名を残しそうだ ほんとは1日も要らんけどな
現地を一望して味方の布陣と戦い方を決断するなんざ基本中の基本
何年もかけるお前が無能なだけ
一万分の一の地図でも作るつもりかよw
それに長篠城は武田の支配下にあった時期もあることは完全に無視してやんのw 転生前の勝頼の人徳に期待して俺信じろって言ってみるか 地形を把握するなんて何十日も掛かる
というのも「もし」自分達の調査に穴があって自分たちの知らない抜け道があり、それを敵が知っていたらどうなる?
死ぬ
我々は死ぬ危険が無いから無責任な事を言えるが武田軍は文字通り命懸け
想像してみろ、「長篠の地図を書け、もし正確でなかったら殺す」と言われて一日で終わらせられるか? だからこそ重要なのは地域住民の協力にある
彼らが助けてくれるなら捗りもあろう
ただし問題があった
まず長篠住民は武田領から流れてきた者達だが故に武田の苛政を知っていた。だから彼等は徳川に味方する事に決めていた
また長篠住民の住居は主に設楽原にあり長篠城付近や伊奈街道は詳しく無い。少なくともそう言われて否定する事が出来ない
最後に唯一武田に味方しそうな菅沼一族が徳川と内通している疑惑がありその人脈を使えなかった
こうして戦う前から負ける理由だけが積もっていった 武田軍は小田原包囲から甲斐に撤退した時敵地の三増峠で待ち伏せして追撃してきた北条軍を返り討ちにしたことがあったじゃん だったら尚更撤退すべき局面。
鳥居某の決死の伝令を許した時点で長篠城攻略は不可能になった。
おまけに2〜3日後には信長が大軍を率いて後詰め援軍に来る。
挟撃の被害は撤退よりも大きいのは誰もが知るところ。 三増峠は北条軍が来ると分かってたし地形も把握できてた
長篠は信長が来るとは思ってなかったし地形もわかりません
死亡確定 甲斐の隣国で小山田の様な人脈のパイプもある相模と
遠方で菅沼を収監せねばならぬほど人脈が心許ない三河とじゃ全く事情が異なるで 三増峠との違いを語ればぶっちゃけ信玄と勝頼の力量の違いとしか言いようがない >>764
それが最善というかそれしか無いんだよな。織田軍がやってくる僅かな期間で
城兵の士気が上がった長篠城を落城させるのは無理。 鳥居の話が真実として実はその話を聞いてしまったから退却は出来なくなった
鳥居が武田の物見なら何の問題も無い、逃げれば良い
問題は鳥居は徳川、長篠城の兵士なわけでそいつが何を言うか?「信長と家康が数万で来てる、お前達はもう終わりだ」これ以外なんか話すと思うか?つまり鳥居がハッタリかましてる可能性もある。
ここで逃げてみろ「諏訪四郎は徳川の雑兵に一喝されて逃げ出した」「鳥居が信長の名を出したら勝頼は真っ青になって小便漏らしたそうだ」「信玄以来の重臣衆も信長には勝てないと震え上がったそうだ」
とこうなる訳だ。雑兵の嘘八百で逃げたら武田の武名は地に堕ちるからここは真偽を確かめないといけない
そして真実だと分かる頃には信長は設楽原に来てた 信長が到着する前に勝頼は信長との決戦を行うと手紙を書いてるから
到着する数日前に信長が直々にやって来る情報は得てる。
あと信長も浅井が朝倉の後詰め援軍として来ると分かったら早々に撤退してるぞ。 勘違いしてた。決戦前日だった。
ただ浅井程度の勢力でさえ後詰め援軍が来ると分かったら信長も一目散に逃げたということ。
それくらい挟撃されるのは危険なことであり武将が恐れるのは当然。 結局、武田の諜報がスカスカだったから詰むまで何もできなかったって結論になるんだよな
信玄もそれは戸石崩れや川中島で痛感していた筈なのに整備しようとしなかった、もしくは出来なかった
2年でしかも碌な引継ぎも無しに当主にされた勝頼に諜報を強化できる時間はない
やはり信玄をどうにかしなくては勝頼が生き残れる道はないな 長篠を攻める前から信長は来ると思って準備しておけば逃げる事も不可能ではない(とはいえ徳川軍どうすんの問題があるんだが)
それを怠って後詰が来てしまったなら決戦するしかあるまいよ >>767
ていうか三増峠の勝因は北条軍に比べて武田軍の方が山岳戦慣れしてたことにあるだろ
現地の地形言うなら北条の方が詳しいに決まってるし
織田徳川との戦いでも山岳戦になったら武田に勝機があったかもしれないけど、信長もバカじゃないからその手には乗らないだれう >>762
凄いなお前
大河ドラマの脚本w書いたら?
妄想と願望100%のww 織田徳川に協力した長篠住民は残ってるけど
武田に協力した長篠住民って居ないんだよな
それどころか武田に嘘吹き込んでいる始末
だから武田軍甘利信康は長篠住民を恨んで腹切った 今の日本の政治を見ればわかるように後世の人間は好き勝手いえるけどその時代に生きてたら合理的な判断なんてわからないし、わかっても実行できないんだよね。
それはいつの時代もそう。大体、利権やら力を握ってる人間の意向を無視して断行できない。これは凡人が故。
日本が少子化対策と称して富裕層に金をばらまいたけど誰も反論できなかったしね。
いつの時代も非合理が物を効かす。
翻って勝頼の時代も同じだ。その時代に生きてればまさに無力。
正論言ったところでの話。どうやってその正論を聞かせるかが知略なんだろうけどね。 たぶんだけどその非合理が積み重なったり、大きければ大きいほどその組織は早晩瓦解するものだと思う。
武田家や大日本帝国が滅んだようにね。
人間の歴史はなんか似てるとこはあるね。 そう考えると信長は一代で天下人まで成り上がったから
一存で合理的な政策戦略戦術を実践できたと言えるんだよな
俺は斯波武衛家の陪臣からここまで出世した
俺の言う事に異議を唱えるなら俺より成果を出してみろ
と、言われたら誰も反論できない
もっともこういうワンマンは知らぬ間にヘイトを溜めやすく
実際何度も盟友に裏切られたし本能寺を招いた一因でもあっただろうから手放しで称賛はできないが 長篠敗戦の理由は幾らでも挙げられるが一番の理由は長篠城攻略を甘く見てたこと
もっと真面目に信長が来る可能性まで含めて計算しておくべきだった
長篠は確かに元武田領民が住む地域だったがそれだけで乗り切れる戦じゃなかった 1万五千で来たからには後詰に来た家康との決戦を目論んでいたのだろうから
長篠城を速攻で落としても意味がないんじゃ 一万五千しかいなかったのは上杉対策の結果だし
そもそも最初の狙いは岡崎だったと言う説もある 何にしろ城攻めすれば後詰が来るのだから一万五千は対家康の為やろ >>780
通説では、連戦連勝で信玄も落とせなかった高天神城を落とし
謙信、信長、家康からも高く評価されて
調子にのった勝頼とそのイエスマンのワンマン判断が長篠なんだけどな 長篠なんて無謀な遠征やらずに、近場の掛川城や遠江久能城を信玄のように
数年かけ地道に攻略していけばいいものを変に欲をだしたからな。
1585年の天正地震まで我慢出来たら一気に反転攻勢に転じれたのに残念 長篠の敗因は地元の菅沼正貞を信用しきれず幽閉しちまった事だろ
民衆の反感を買い、情報を得られなくなった事が致命的だった
勝頼に限らず、桶狭間の今川義元も山口親子を信用できず●した結果同じような事になったし
信玄も、川中島で北信三家を粛清した結果上杉軍の奇襲を察知できず多数の重臣を失った
やばそうなヤツを放置して裏切られたら全滅しかねないから
責めるのは酷かもしれんがかなり比重の高い敗因だと言っていいと思うが 長篠の戦いをしなければ武田家は滅亡はなかったな
あれで優位に進めていた遠江の戦線が一気に家康に傾いた >>783
岡崎城攻め諦めた時に家康・信康との戦闘を避けて長篠城に向かってるから本気で家康と戦う気だったのかは怪しい
長篠に武田が有利になる要素があるのかと言えば無かったし >>788
菅沼氏は徳川と内通してたからしゃーない
当主は武田派だけど他の連中が敵ってのは厄介よ 長篠の戦いは勝つべき戦、勝てない時点で詰み
当時既に信長の敵は殲滅されつつあり武田攻めに兵を割ける体制になりつつあった
つまり長篠の戦いが無かったとしても信長の圧倒的な兵力と精鋭の徳川がコンビを組んで攻めてくるので武田は複数面を突かれてどのみち大敗する
長篠の戦いで勝ち、かつ信長か家康に大損害を与えてないと未来は変わらん 勝頼『>>792と、いう訳なのでやべーのは承知で菅沼正貞に賭けようと思う』
家臣『ついて行けん。アンタ追放な』
糸冬了 代わりいるといえばいるから地雷踏んだら追放されそうで嫌 信長が殿任せた奴はいるし家康にもいる
勝頼は何故この窮地に誰も名乗りをあげてくれないのか 信長は過酷な尾張統一戦を勝ち抜いて反対勢力を黙らせたし
家康も三河一向一揆で自分に不満を持つやつらを追い出した
勝頼にはそういう事が最後まで出来なかった 撤退失敗例
1573刀根坂の戦い(×朝倉義景ー○織田信長)
撤退成功例
1570金ヶ崎の戦い(△織田信長ー△朝倉義景)
撤退成功の上に返り討ち
1569三増峠の戦い(○武田信玄ー×北条氏康) 不利に決まってる
そもそも撤退時点で不利を背負うんだから
地形が分かってれば奇襲地点を設定して迎撃も出来るけど武田軍には情報無いし
だから甲陽軍鑑では馬場信春が「信濃まで逃げて信長を引き込もう」とかいう無茶苦茶いって釣閑斎に「追いかけてきて捕まったらどうなるんだよ」と論破されてる 馬場には三増峠での成功体験があったからな
武田軍が山岳戦に強かったのは間違いないだろうし 金ヶ崎では名のある武将は誰も討取られず撤退している
織田徳川より精強な武田なら尚更余裕
はい論破 追われて戦うも今戦うも同じではないか
大量の鉄砲が待ち構える陣城に突撃するのと同じに見えるのは池沼の戯言
はい論破 武田って色々と盛られてるだけで実際そんなに強くないだろ >>804
まあ江戸幕府にとって武田は強かったってことにしないと都合が悪いからな
井伊家とかには武田遺臣の末裔も多かっただろうし >>802
武田には陣城云々は見えない定期
設楽原の再現で信玄台地から見ると柵一つしか見えないんだよなぁ
だから武田には信長や家康が策に窮してるように見えていた 全盛期の信玄時代も微妙な勝ち方が多い
五分の相手だとむしろ負け越して無いかってくらい
三方ヶ原も家康討ち取れてないばかりか浜松を巻く事すらできていない >>807
信長だって姉川の勝ち方はそうだし
桶狭間や刀根坂や厳島や沖田畷なんかが当然のように思われては厳しい 家督相続時
甲斐
死去時
甲斐、信濃、駿河、西上野、遠江北部、三河北部
当たり前だけどここまで版図広げたんだからそこは素直に凄いと言わざるを得ないだろ 上杉謙信みたいにいくら合戦強くてもそれが版図拡大に繋がらなかったら意味ないし ていうか領土拡大しても維持出来なければ無意味どころか有害 >>812
信濃、西上野の切り取りは何ら問題ない
問題は今川、北条との同盟破棄して駿河を切り取ったこと、さらに織田、徳川まで的に回して遠江、三河にまで侵攻したこと やはり駿河侵攻が悪手、そして武田滅亡のトリガーだったな
三国同盟を堅持して今川を支援し、
永禄の変義昭上洛を契機に氏真を説得して信長、家康と和睦させ
上洛作戦に参加しその手柄を持って幕府に食い込む
後知恵ではあるがこれがベターだった 今川を支援したところで得られるのは北三河と北遠江だけ。
それじゃ新参の信濃衆への求心力は保てず勢力拡大どころか自領を保つだけで精一杯になってしまう。
駿河侵攻は家中を纏めるためにも必要なこと。 駿河に侵攻して義信と北条の信頼を失うか、今川を守って家臣の信頼を失うか、あまりにも究極の選択すぎるな 最低でも徳川にちょっかいかけるのを止めて
今川との人質交換するのも止めておけばって感じ 少なくとも勝頼期には失地回復は厳しい
てか勝てない 三方ヶ原の場合
・三方ヶ原から浜松まで10キロ
・徳川のホームで地形把握できてる
・追撃部隊の迎撃地点も策定済み
と全部の要素でマルという家康の考え抜かれた戦略がある
勝頼の場合流れで長篠城攻めなので厳しい ちゃんと考え抜いたのなら最初から浜松城に籠城してる 浜松城に引き籠もってたら臆病者扱いされて離反する連中が続出する恐れがあるからなあ
徳川単独ならともかく後ろ盾に織田がいるからそれを防ぐためにある程度のリスクはとれるから >>823
北条氏康だって武田信玄や上杉謙信が攻めてきたら小田原城に引き篭もってただろ
そりゃその時は離反する連中も出るだろうけど、去っていったらまた従属する連中が大半だから
後ろ盾に織田がいるなら尚更籠城でよかった 家康は今川から独立して以来、積極的な攻勢姿勢で勢力を拡大させ家臣を掌握してきたので今更消極姿勢は取りづらいし
更に後年に信長の書いた佐久間折檻状には三方ヶ原の戦いにおいて佐久間に対して戦に勝敗はつきものだがら仕方ないとしてもお前の所からは名のある者の戦死者が出なかったのは思慮なき事だと怒っていたので、そういう性格の信長との関係も怪しくなってくる あれは汎秀を助けようとせず見殺しにしておめおめ逃げてきやがってという怒り
水野信元と林秀貞の末路にも関係してる
平手政秀と森可成のことは忠臣として高く評価してたから、息子に甘くなる 家康は上杉謙信・織田信長に「武田が攻めてきたら遠江で迎撃する」って約束してる
だから家康は勝算抜きで信玄を攻撃しないといけなかった。これ無視することもできたけどそうしたら謙信や信長が約定に違反しても責められない
逆に言えば信玄を攻撃さえすれば約定は果たした事になるので要は生きて帰れれば何の問題も無い
そういう意味では三方ヶ原は考え抜かれてる
浜松に近く、追撃を妨害出来る場所がある
一発殴って逃げればいいだけ それなら平手汎秀が戦死する事となった原因をつくった家康に激怒して関係悪化しそうだけどそうはなってないので信長も浜松城を素通りする姿勢をみせた武田勢に籠城を続けずに攻撃を仕掛けたことには納得してたんじゃないの? 単純に野営の準備をしてる最中を狙って討って出ただけかと。
当時は冬で日の入りも早いし、大軍なら尚更準備が大変だからな。
それを信玄に見越されてあのような結果になったが。 信長だって援軍3000しか送れてない時点で籠城だと思ってたでしょ >>828
勝敗は兵家の常であり、遅れを取るにしても譜代が何名か討死すれば、逃げ延びたのは状況的に仕方ないと納得できたのに
と家康との違いを説明してる
まあ伯父の水野信元を家康の手で討たせたのは、理屈では納得できてても感情的に思うところがあったのかもしれないが 徳川織田上杉の同盟なんだから役割は全員納得してる
謙信だって三方ヶ原の事を褒めて即座に一向一揆潰して武田攻撃に移ると書いてるし
だから実は惨敗したのは信玄の方
国に大重税かけて行った一大攻撃、信玄は必ず戦果をあげねばならなかった。つまり家康が攻めてきたら確実に大打撃を与えないといけない
それが僅か二千人程度の戦果では釣り合わない
戦術の失敗は戦略で取り戻せるとはこの事 >>831
佐久間と違って実際に戦をしかけたのは家康なのだから
戦を仕掛けたこと自体が無茶苦茶だと信長が考えていたら怒るんじゃないのかな 佐久間の折檻状は割と内容無茶苦茶なので信長がヒステリー起こしてただけって説もあるし
実際味方が戦死したから突っ込めなんて命令出してたら無意味な損害が幾ら出るかわかったもんじゃない
信長もそれが分かってたから懲罰とかやらなかったんだろう >>833
籠城策がメリットしかない上策だとは、信長も考えてはなかったということだろ
しかもその場での総大将は家康だから、信康切腹と同じく、家康の権限を尊重してたのでは >>834
人間は怒った時につい本音がでてしまうという事もいわれますからまあ >>834
汎秀を見捨てた卑怯な振る舞いの後
追撃が遅れた言い訳までならまだしも席を蹴飛ばす尊大な振る舞い
水野信元を讒言して領地を手に入れたくせに、権力を傘に着て与力にばかり働かせ、金銀を蓄え、茶道等に明け暮れる
毛利元就が井上元兼を、尼子が新宮党を誅殺したようになってもおかしくないと思うけど >>834
長年我慢を重ねてたの鬱憤がついに爆発した感じだろ 勝頼の場合仮に長篠に攻め込まなかったとしても同時期に信長の敵が壊滅してるから詰んでるのよね
むしろ上杉が同調するだろうから三面から攻め込まれてより窮地に陥ったろうし 上杉は最初から武田領に興味ないぞ。家臣が長篠の戦いでボロ負けした武田に攻め入ることを進言しても却下してる >>840
普通に攻め入って火をつけて回ってるんだよなあ 謙信も勝頼も出張らない国境の小競り合いだろ
そんなもん何処でもある そんなもんの為に徳川上杉北条に包囲されノブに泣きつく羽目になった信玄・・・ 徳川上杉織田三国同盟の何が厄介かというとこの三国は全て武田領と接してるから協働攻撃が容易という点
特に信濃はこの全勢力に加えて北条まで嘴突っ込んでるカオスである豪族が武田を頼ると別の一族は謙信を呼びまたその他が…っていう
だから武田は常に兵を南北に割く必要があったので戦略的に体力が削られていった
街道整備も山中だと難しかったろうし だから南の今川は絶対に敵にしてはダメだったんだよ
甲斐への進入が容易で且つ甲府にも近い だからこそ己の手で獲りたいって気持ちが湧いたのかも
どのみち残る道が冬になると往来困難でその上領主がクソ強い上杉か道が険しくてやってられない織田か長期戦望むところの北条かってなると
今川と北条を離反させて北条攻めしたいけど多分無理なんだよな 信長の野望に仮想シナリオで龍虎同盟ってあったが実現してりゃ信長は無事では居られまい 北条と手切れして、将軍義昭(実質信長)の仲介で和睦してた時期もあった 上杉が織田攻めするとなると
毎回親不知通らなきゃあいかんのか
まー上杉なら余裕なんだろうけど 謙信は信玄も北条も嫌いだけど勝頼ならまぁ許せる
ただ北条は不倶戴天なので三国同盟は拒否
つまり武田は必ず一方向には敵を持ってしまう
北信濃に持つか駿河に持つか 信玄が生きてる時は不倶戴天の北条とすら組めるくらい謙信から毛嫌いされてるし
家康、氏真、氏康をまとめて敵に回す立ち回りの不味さと信用の無さの元凶信玄なのでは
やっぱ今川侵攻前に義信に… 信玄『川中島で弟を筆頭に多くの重臣を4なせてしまいこれが俺の限界だと悟った。俺は親父を頼って京に上り見聞を広めるゆえ義信、武田の事は頼んだぞw』 遡ると川中島でグダグダを続けていたのが痛かった
せっかく今川義元に仲裁してもらったのだから、とっとと美濃入りに方針を転換しておけば
弟や重臣、嫡男と周りの大名家からも信頼を失わず済んだのに 川中島4をきっかけに義信に家督を譲り京に上り
永禄の変で義輝救出に成功、随一の幕臣に伸し上がり一躍時の人となる信玄 北信濃皆返せって飲めないいちゃもんつけてきたのは謙信だし そう考えると景勝と信濃で手打ち出来たのは大きかったのかもしれない 仮に織田に喧嘩を売らず、徳川を上手くいなしつつ
上杉と手打ちに出来て北条を削り続けていれば
武田は関東の覇者に成りえていたかもしれぬ 代替わりは外交方針を転換できるチャンスだから長篠前なら先代が無礼を働き
誠に申し訳ありませんでした。って信長に土下座したら和睦できた可能性は高いんだよな その頃の勝頼は有利だったから和睦なんて頭になかったろ
だんだん情勢が不利になってきてやっぱ今までのことは水に流して和睦しようぜなんて信長も受け入れられない
甲斐一国だけの臣従なら許してもらえたかもしれないけど 甲陽軍鑑には織田を侮るような表現多いし
家臣がそんなムードだと尚のこと難しそう >>861
信長は許してくれるかもしれないが
家臣、特に信濃・駿河を領地にしている家臣は許してくれないだろ 織田との和議に家臣が応じなかったら出家。でいいんじゃね
謙信も同じことをやってたしな 信長と家康にどれだけ賠償しないといけないか不明だし
勝頼の場合一門衆が多過ぎる
それでもやっておいて損は無かったとは思うが 相模と武蔵を上杉謙信と一緒に切り取れるなら東濃の一部と武節城、
遠江の二俣城、社山城、犬居城辺りを返還しても家臣は文句を言わないんじゃね。 石和温泉に<信玄ソープ>を開店し一大娯楽として町おこしを推薦します 西上の時に北条勢を無茶苦茶こき使って織田の北条への憎悪煽っとけば…… 領土割譲を条件に織田との和議が成立し西進から東進に戦略を変更してたら
北条を飲み込み200万石以上の大勢力になれた可能性は高い というか地理的な問題で役にたつ同盟が上杉との同盟くらいしか無いという絶望的な話が 川中島でダラダラやってたのが勝頼の不運の元凶
三次川中島なんて嫌気がさして出家しようとした謙信の居ない間に
掠め取ろうなんて姑息な真似をするから 謙信に勝てなかったのに
信長・家康連合軍に勝てるわけないじゃん
謙信から逃げた時点で詰み 仮に越後なり岩櫃なりに逃げて、後年に織田信長が突然死を起こしたとしよう。
しかし多数の家来が長篠で、高天神で、甲州征伐で、命を落としているわけで、戦国大名としての武田家を復興しようにも、武田勝頼は旗頭にはなれない世界線が確定的ひびきをおびてたちあらわれてくるのである。 村上や小笠原貞慶見事に復活したからどこか大名頼って時期到来まで家臣として頑張り旧領で争乱起きたら乗り込むって悪くない手だよ
村上も山浦景国の時代に天正壬午の乱で念願の旧領に返り咲いてる。
村上水軍、河野、大友なんかも毛利の元で時期を待ち関ヶ原で旧領回復の軍興して旧領回復の機会あったしこれは黒田が強すぎたのと村上河野軍がヘタレすぎただけで
勝頼の頑張り次第でいける
徳川なんか依田信蕃いなかったらまず勝ち目ないから。
遠征軍指揮官、酒井忠次尊大な態度取り味方になるはずだった諏訪、木曽が北条に寝返り味方からも非難轟々のクソっぷりで勝者になんかなれなかった 上杉の庇護を受けていた小笠原だが、上杉の減封があったこともあるが江戸時代は同高になっていたな 勝頼のクビ取ってくるまで信長は追い回すだろ
上杉も滅亡寸前で伊達佐竹北条徳川は織田の味方でどこに逃げ場が?
仮に上手く一時的に逃げ込めてもそこに信長から圧力かかってクビ差し出されるオチ 景勝も逃げずに滅亡覚悟してるって佐竹に言ってるからな
逃げ場はないと言う事だろ
とは言え結果的に本能寺で景勝は生き延びた
越後に逃げ込んで景勝の下で戦って時間を稼いでいれば何か起こったかもしれん 上杉が助かったのも朝敵武田滅亡で目標達成して信長信忠が一旦引いたからこそ本能寺の変が起きる要因になったのであって
朝廷に働きかけ"朝敵を征伐"しに行ったのに敵の大将に逃げられましたじゃ天下に示しがつかないから織田親子がすんなり帰るとは考えにくい
上杉に逃げ込むなら朝敵を匿った上杉と勝頼が滅亡するまで織田親子は甲信から引かずとことんやるだろうから
上杉の滅亡が確実になるだけで本能寺の変も期待できない 毛利の方が重要だから後の事は家臣に任せ富士山を見て帰るだろ 武田を根切りにしたから帰ったのであって
勝頼の首が見つかるまでは徹底的に甲斐を蹂躙しそう 勝頼が上杉に匿われたら全力で上杉討伐にかかるだろうけど、
その前に論功行賞はしないといけないだろう。
功ある武将は早く旧武田領を分け与えて欲しいだろうし。
上杉を滅ぼして勝頼を討ち取るまで何年かかるか分からんし。 >>882
上杉って1582年時点で織田軍相手に年単位で対抗出来るだけの余力ってあったの?
新発田の反乱はもう発生してるはずだし、柴田軍はもう越中まで侵攻してるし
北信濃ももう上杉視点で安全じゃないから、防衛可能か怪しい気がするけど
景勝自身も討死を覚悟したかのような書状があったと聞いたことあるんだが 魚津城落とされた後の上杉の狼狽ぶり見てたら抵抗する力なんてなさそうだし時間もかからなさそう
下手すりゃ北条や伊達まで加わって袋叩き 本能寺の変が起きなかったら上杉なんて1,2ヶ月で滅亡するだろ 小山田信茂が御館の乱のときに景勝に味方したことを後々非難した書状ってどんな内容だったっけ?
うろ覚えなんだけど、確か誰かが離反した際に自分もなぜか非難されて困ってるみたいな内容だった気がするんだけど、思い出せない 景勝と手を組んだせいで北条が敵に回り、こんなこと(甲州征伐)になった
高坂や跡部は景勝から謝礼貰ってたらしいから悪く言われても当然だが
そんなものを貰ってない俺まで悪く言われるのは許せない
みたいな内容だったと思う 小山田信茂は景勝と景虎の和睦に賛成だった
それで破談になったことを嘆く書状がある
小山田氏は富士講の客からの収益で食ってたから北条氏と親しく取次的な役割もしてた
その信茂が和睦に賛成してたのは注目されるべきことか >>888>>889
ありがとうございます
そういうのもあって小山田の心が離れていったんだですかね。土壇場で離反したのは結果的にはあれだけど、本当は最後まで勝頼の力になりたかったんじゃないかなと。葛藤してる感じが伝わってくる貴重な一次資料ですよね 家督争いだから和睦したはいいけど着地点をどう定めるつもりだったんだろうか?
仮に景虎側が勝ったとしたら武田としては対徳川、織田に注力できるけど結局北条からしたら防波堤みたいな状況になるので結果かわらないような気もする 遠江戦線で徳川が攻めて来たから和睦を纏めて兵を返したのであって
もともと勝頼は景虎側だろ
小山田が愚痴ってる事から分かるように相模に近い武田家臣には北条派が多い
氏政があまりのクソムーブかましたせいで勝頼が見切りをつけて景勝についただけで
それまでは景虎擁立路線だろう。当時の景勝は越後纏められる器量にも疑問があったし 景虎優位と語られがちだけど、この時の景虎の優位性って北条領と断絶してない事だけで単純な戦力だと景勝にボコられてるっていうから
武田軍が頑張ればなんとかなるって甘い状況じゃなさそう 武田は既に上杉か北条どっちかとは敵対せざるを得ないんだから贅沢言っても仕方ない
恨むなら信玄を恨むんだな 景虎が勝利したら武田と一緒に織田と戦ってくれる保証も無いしな
一番最悪なのが北条と一緒に織田に協力して武田の背後攻める
北条は義昭の誘いにも乗らなかった別に信長と争う理由が無い
自分の立場になってみるといい
Aという巨大勢力とは別に仲悪くないのに友達のBがAと爭ってる
AとBから協力要請が来た
さてあなたはBの味方して一緒に仲悪くないAと戦い滅びますか?
となったらAに味方するだろう
中には浅井みたいな馬鹿もいるがあのときはまだ信長の国力も御館の乱時ほどは無い
上杉も北条の息子が跡継いだので景勝では無理だった織田に許してもらうことも可能
信長と争うとは思えんな
なので景勝に味方したのが必ずしも間違いだったとも言い切れない
景虎が勝利してたら日本海から太平洋まで北条勢力
同盟国とはいえここまで国力差開くと対等な同盟にならず織田徳川の関係のようになる
それは武田も嫌だろ ゆえに景虎に氏政はお前を見捨てる気満々だと吹き込んで景勝と和解させ北条を攻めさせるんだよw 天目山の田野という集落を歩いていたら、勝頼の近習らしき者に、越後の援兵はきたか?ときかれ、そんな者きておらんと回答したら、もう終わりだあぁと叫んで発狂したまま山の中に消えていきました >>878
本能寺の変の数日前だかと変後に明智から直江に
味方要請が行ってるそうだからもし勝頼が死なず
あとは史実通りなら確かにワンチャンあったかもね…
ただ勝頼が死なずあとは史実通りというのは
かなり厳しいのでは?という気がしなくもない まだ中国と四国、九州が残ってる状況下で勝頼の首の為に信長と信忠が
長期間甲信に留まるわけがない。 残りも終わったようなもんだろ
長宗我部は最初の信長案飲むから勘弁してくださいって土下座してるし
毛利も敵わないから羽柴と水面下で和睦交渉してる体たらく
島津は信長を上様と呼んで大友との和睦に応じようとしたいる状況 勝頼が死ぬまで西には攻め込まないだろ
勝頼が死んで武田家壊滅したから西に注力するかという場面で勝頼が死んでないなら話が変わる あの時点では西はそんな切迫してないし全国の中でも信長が最も憎んでて滅ぼしたがってた天敵が武田だもんな
わざわざ公家達まで帯同して朝敵征伐しに行ってるのに
あの体面気にしまくる信長が勝頼逃亡を許したままトンボ帰りするわけない >>904
公家の帯同は信長の意向ではなく公家側の意向で
その理由は三條夫人や快川絡みらしいから体面どうのは
あんまり関係なさげだけど… わざわざ武田を朝敵認定してもらって錦の御旗ぶったてての武田征伐、これで武田を生き延びさせてしまったらそれこそ信長のメンツに関わる
勝頼の逃げる場所なんてたかが知れてるし地獄の底まで追いかけたろう 勝頼が逃げ込むなら受け入れるのは上杉くらいのもの
上杉滅ぼすまで甲信に居座るだけ
信長にしてみれば3月が4月に延びても困りゃしないだろ >>905
公家側の思惑はどうあれ信長からすれば朝廷関係者が自軍に帯同してる事実だけでも意味がある 近衛はかつて謙信(景虎の頃だが)について関東行ってるしな
因縁あるな スレタイ的な結論としては長篠前に織田に土下座か、それが無理だとしたら
岐阜から距離があり織田軍が大軍で応援に来にくい遠江を攻略目標にする。
くらいしか勝頼がやれる事はないって感じか。 北条にも徳川織田に宣戦させる
上杉と信濃国境確定させて兵力を集中する
長島一向一揆を全力で救出する ・朝倉浅井が滅ぼされる前に美濃に攻め込む
・謙信に頭を下げて同盟を結び全軍25000+上杉の援軍1万+北条からも援軍頼んで長篠設楽原で信長家康の首を取る 美濃侵攻は罠だよ
大軍で侵攻しても木曽が裏切った時点で甲斐に帰れなくなって全滅しかねない 木曾が裏切ってって1573年時点で裏切る理由が何もないんだが
信長は平時でも部下に裏切られまくってるけど
よほど人格に問題があるんだろうなあ 武田軍の主力が美濃に展開した時点で織田が木曽に有利な条件を提示したら裏切る可能性はあるだろ 木曽は信玄の娘もらってる親族だからただの国人と違う 一応一門とはいえ、流石に信玄が生きてる間は裏切らないだろうけど勝頼に代替わりしたら裏切りかねないと思うけどね
実際甲州征伐で裏切ってるし それは長篠後から末期にかけて負担が激増したからじゃないの
岩村城や高天神城の見殺しも この時点じゃ兵も家臣も温存してるし岩村城に秋山も居るしで裏切ったら挟み撃ちになるよ
好餌で釣られた奥平以外で寝返りは出ていない 一門衆というが、鎮圧服従に手こずった土豪を姻戚関係結ぶことで一時的にフタしたに過ぎないわけであって、潜在的造反リスクは何ら変わらないことが、わぬしにはわかっておらんのだ >>916
武田軍が美濃に展開できるくらい優勢な状況でなんでわざわざ裏切るの? 負担云々言えば徳川と織田に勝たない限り負担は減らないぞ。そして徳川と織田に勝つには軍拡増税が必須 だから寝返ったんだろ
それに岩村城の次の美濃方面の最前線は自分なんだから
岩村城が目の間で見殺しにされるの見たら次は自分達の番だと考えてしまう >>915
龍造寺隆信や大友宗麟や上杉謙信の方が裏切られてないか? 岩村城陥落からだいぶ経ってからなんだけど
木曽が勝頼を見限ったのは。 >>926
結局何が主張したいのかが見えないんだけど?
こっちは長篠後からの負担増加と岩村城や高天神城の見殺しを経て織田からの調略も来て
最終的に木曽が織田へ鞍替えを判断したと思ってたけど
そうではなく他に木曽が勝頼を裏切る大きな要因があったというの? 木曽谷は要所だから長い間調略がかかってる。天正四年に勝頼が木曽衆から取り立てた起請文で織田徳川上杉今川から調略来ても応えるな使者は甲府に送れと約束させてるし
もうありとあらゆるところから声掛かってた訳でよくもまぁ保ったもんよ 負担増加が原因って甲陽軍艦の記述でしょ
勝頼は早い段階で木曾の裏切りを警戒している事実もあることから、他の人が言うようにそもそも離反する潜在的リスクは高かったとみるのが正しいと思う 遠山氏が一年くらい前から調略してたらしいし
結局信長の武田征伐の情報を聞いて武田を見限ったという向きもある。重税の影響もあるだろうがだとすれば織田徳川を敵にした信玄の責任の方が大きい 後は隣接する飛騨の影響もあるだろうな
飛騨は長年周辺勢力の影響を受けてきたけど、長篠以降は
武田の影響力はほぼないだろうし、御館の乱以降は上杉も
関与できてない。織田が支配的になり、圧力も相当あったろうね 長篠後に東濃を奪還されるにあたって勝頼が何もしなかったのが大きいな 長篠後は武田軍再編成が急務だったのと徳川・織田が同時侵攻してきたからどうしようも無い
美濃と駿河を攻撃されたらただでさえ数が足りないところ守りきれない。この二つから取捨選択するならまぁ駿河を取って美濃は捨てるしかない 徳川と織田を滅ぼさないと武田が休まる時が無いのが絶望的 新府を焼いて岩殿方面へ逃げましたが、私なら石和の温泉に逃げ込み、猿に化けて湯船に漬かります 御館の乱はあれ以上の解決は現実的じゃない
北を敵にするか東を敵にするかの違いに過ぎなかった >>937
それは結果論だな
勝頼が選択する時点ではそんなことは考慮に入れてない
単に買収されただけで、家臣からもそう見られていた 景虎軍は武田軍が来る前に既に壊滅してる。そして北条は直ぐにでも上杉領に突っ込めば良いのに遊んでる。ここから景虎を勝たせようとすることはつまり武田軍単体で景勝を滅ぼさねばならない
織田徳川と戦争してる武田軍にそんな余力は皆無なので最初から景虎勝利は不可能、なら景勝と景虎を和睦させるというのが精一杯
実際北条取次の小山田信茂もこの和談に期待していて破談した時は無念がってる。全盛期武田でも勝てなかった相手に斜陽の武田では 北条は上野に兵送る余力なんて無いよ
御館の乱だけでなく後に武田と敵対し真田昌幸が上野まるまる制圧するが北条に援軍の催促来まくってたのにシカトすることしかできず上野まるまる勝頼に取られた
のちに氏邦軍が軍団再編するも5000程度しか集められず勝頼本隊抜きの上野衆のみに撃退されてる >>940
書いてあること全部終わった後から言い訳のように後付けしてるだけ
勝頼が景勝のより買収された天正5年6月初旬はまだ北条が来るかどうか定かでない又はほんの数日遅れてるかという程度の時期
単に出陣して即景勝から好条件出されて心変わりしただけだよ
その証拠に武田は景勝方と一戦もしてない
北条より早く越後に着くのは地理的に明らかなのにどういうつもりで出陣したというのか? >>941
それは勝頼が買収されて越後に入ったのに全く動かず、北条から既に疑念を持たれている時期の話 ちなみに買収云々は的外れで和睦の仲介者にカネを払うのは当たり前とされている。武田が上杉に使える時間は精々一ヶ月か二ヶ月でその期間に上杉領通過して春日山攻めとか出来る訳ない
景虎は既に死に体なので武田軍が戻り次第ぶっ殺されて武田は上杉と敵対、景虎救援の依頼未達で北条とも敵対する。和睦が成功すれば全部収まってたんだが北条がね >>944
カネだけじゃない
領土もだよ
援軍に出かけたのに、出てすぐ敵からカネと領土をぶら下げられて目が眩んだだけの話
北条が来ないなんて言い訳は時系列的に合わない 景虎の唯一有利なところは北条が応援にこれる事なのに来なかったからな そもそも北条はなんで景虎を上野に退避させなかったんだ
里見と佐竹相手で援軍送れねー、武田さんあとはよろしくねは流石にねーだろ
勝頼が和睦纏めて時間稼いでくれたのに無駄にして景虎を4なせちまってる
景虎を生贄にして織田に寝返る口実にしたとしか思えん そもそも北条はなんで景虎を上野に退避させなかったんだ
里見と佐竹相手で援軍送れねー、武田さんあとはよろしくねは流石にねーだろ
勝頼が和睦纏めて時間稼いでくれたのに無駄にして景虎を4なせちまってる
景虎を生贄にして織田に寝返る口実にしたとしか思えん なまじ景虎にも支持勢力が居るから逃走しますと軽々しく言えなかったのかもしれない
とは言え景勝は多くて数千くらいだから五千人くらい送り込めたら戦況はどっこいどっこいで終わってた可能性もありそうだが… >>947
スタートから北条は坂戸城落とさないと春日山に行けないのに対し、武田は春日山にすんなり行ける
北条が遅れることなんて折り込み済みだろ
あと、勝頼が越後に入って早々、勝頼が景勝に買収されて和睦したことが北条の耳に入ってるから信頼関係は始めから崩壊してる すんなり行ける訳ない。史実で春日山近くに行けたのは景虎との和睦を仲介して欲しいという景勝の要請に乗ったから。景勝に敵対的だと思われたらそのはるか手前で戦争する羽目になる
よしんば春日山に辿り着いてもその頃には徳川が駿河攻めしてるから武田軍は大損害出しながら逃げる羽目になる
そしてその後は上杉に敵視されて信濃に攻め込まれるといういつものオチ >>951
春日山にすんなり着かないならそもそも北条が来ないという言い訳は通用しないな
北条とは全然別のところで戦うんだからね
出陣した時点で戦闘するつもりがあったということ
にもかかわらず、金と領土で買収されて北条を裏切ったということ 北条は直ぐにでも景虎助けにいけるんだよなぁ普通なら。むしろ何故武田が結んだ和睦を破壊したのか 氏政の言い分としては自分を散々ぱらコケにした謙信の後継選びの失敗の尻拭いを
なんで俺たちがやらなきゃなんねーんだよって感じじゃないかな
勝頼は謙信に気に入られてたみたいだしおめーがケツ拭いてやれやってトコだったんじゃ
ここまでは分かる。だが何で身内の筈の景虎を退避させなかったんだ?
景虎を見捨てた事で周囲の信用を失い、勝頼からは見限られ信長からも粗末に扱われた
秀吉からも信用を得られず、名胡桃事件で悪者にされ征伐される始末 そもそも御館の乱自体北条の陰謀って説もあるし景虎個人の生命には興味無かったのかもしれない
既に上杉家内では景勝後継で決まってた(景勝派は上杉家史料からそれを導き出す)のを北条が外交をもって横車をいれ(景虎派の根拠の一つに北条ら諸外国の動向がある)それに反景勝派が乗っかり大乱になったというもの
上杉家に影響を残したいなら景虎が当主になる必要性はあまり無いしなぁ >>955
北条の言い分としては勝頼は援軍のために出陣したのに勝頼が越後に着く前に景勝に買収されてしまい一戦もしてくれず、裏切られた
ここで既に北条に対する背信行為 >>955
景虎の支持母体がいるのに小田原を拠点にしてる氏政がどうやって逃すんだ? 負け確の武田・上杉を見限って織田・徳川についたってのが氏政の判断 北条は上杉と武田を戦争させて共倒れを狙った感すらある 北条氏政殿ですか、あの方はいけませぬ
他家に出した兄弟姉妹を見捨てるような真似を繰り返しておりますゆえ
如何に無法の関東と言えども身内を粗末に扱う者は嫌われます
必ずや乱を引き起こし、その責を逃れる為に策を弄して事を大きくし
当家にも災いをもたらしましょう 御館の乱は単純に景勝攻めればって話じゃない
上杉とは仲良しだった訳じゃなくて領土紛争が絶えない敵だった。上杉は木曽衆にまで手を伸ばしてたから下手に敵にしてしまうと駿河で徳川に押されてる武田は相当にキツい
景虎を助けるって簡単に言うけど運が味方して景勝殺せたとしてそれで収まる訳がない。景勝に従ってた連中と長い抗争になる。どこまで付き合えばいいんだか
御館の乱時点で武田の戦略的価値が北条より上杉の方が重要になってたこともあるが困難な案件を武田に投げてきた北条の腹の底が読めない >>959
というより越後入ろうとしたら既に勝頼が景勝と和睦しており、勝ち目が乏しくなったから引き上げただけだと思う >>962
やっぱ武田切って織田に媚びる為の口実作りだったのかねぇ
旗色明らかに悪くなっててそこは仕方ないにしても
景虎を見捨てたのはやはり悪手だった
信長からも秀吉からも信用されず結局最後は潰されたからな >>964
勝頼がしたことは景勝と景虎の和睦だから勝ち目云々は意味不明になると思う。ていうか北条の要請としては景虎が危ないから景勝討ってくれだったとしても両者が和解したならもう北条に戦争する理由がなくなるのよ。なのに北条は気にせず坂戸目指して突っ込んで結果景虎を死なせてしまった >>966
景勝と景虎が和睦していたのは8月末のほんの数日だよ
北条からみたら6月上旬に勝頼が背信して景勝と勝手に和睦して景勝と景虎の和睦は一度も承知していない >>951
妙高から飯山城まで景虎方だから武田は北条方の体をしている限りは春日山にすんなり行けるよ
一方で北条は三国峠と坂戸城があるから困難 勝頼が裏切るってのは「景勝軍と共に景虎を攻撃した」時であって景勝と景虎の和睦を仲介するのを裏切りというのは疑問符がつく
そもそも景勝が和睦に合意したということは景虎も和睦に合意してるのだから既に北条との約束は果たしてる。逆に景虎が和睦したのになお攻撃を続ける北条の行動が景虎の生命を危険に晒してる やはり景虎を生け贄にして仇討ちを名分に織田に寝返る算段だったとしか・・・ >>969
日本語読めない?
景勝と景虎が和睦していたのはわずか数日足らず
北条には伝わってないか、無視する程度の期間
同盟国のために援軍に出かけたのに、その敵に買収されて勝手に和睦して中立決め込んだら裏切りかどうかはともかく、完全な背信行為だよ 裏切るってのは景虎を攻撃することで和睦を仲介するのは裏切りでもなんでもない(ちなみに武田は景勝には味方しないと明言したので背信とも言えない)
あり得るとしたら景虎が和睦に反対した時だけだが僅かでも「和睦が成立」した時点でその主張も苦しくなる
景虎が和睦した時点で必然的に北条には参戦する理由がなくなるので即時撤退するか武田を裏切って戦争するか。北条が選んだのは後者 >>972
利害関係のない第三国に出陣したのならともかく、同盟国の要請に応じて出陣したのにその敵と無断で和睦したらそれはその同盟国にとっては背信行為だよ
何のための同盟だよ 自分トコの身内を助けるのを他家に丸投げして自分の軍は温存するよーな真似の方が背信以外何物でもないと思うが >>974
時系列でみるとまず最初に出陣早々勝頼が景勝により買収され勝手に和睦してる
北条が遅いとか消極的と言われるのはその後の話 景虎が和睦した以上北条が何を言っても意味ないし。景虎は既に屍体同然だから拒否出来なかったというなら北条は相応の外交努力をする必要があった >>975
北条の要請を受けた武田が軍を動かしてるのに、同程度以上の準備期間が
あった北条が動いてないのは消極的じゃない?連合軍への対処があった
とはいえ、全軍ではないだろうから先発隊くらいは出せそう
ただこの武田北条の相互不信は、根幹としては同盟自体の存在意義が
薄くなっていたからだと思う >>978
北条に準備期間はないでしょう
本軍は鬼怒川で6/7頃まで対陣してるし、できたかも分からないが氏邦だけ派遣したところで坂戸城落とさないといけないから春日山は遠すぎる
一方で武田は飯山城が景虎方だから春日山まで容易に行けるが、6/7頃には既に景勝の誘いに乗ってるし、すぐにそれが氏政の耳に入ってる
始めから武田には損で酷な役割だったという意味ではそうだね
だからといって開き直って買収されていいもんだとは思わないけどね まず買収されたってのが間違いなんだけどね
勝頼がやったことは景勝と景虎を和睦させた、その仲介なので
裏切りというには勝頼が景虎を攻撃しないといけないがまるで逆
更に言えばこの時武田は徳川織田と戦争中ではっきり言って上杉と戦争してる余裕はゼロ >>980
北条はそんなこと依頼してないし、仲介なんてただのアリバイ作りで成立したのも8月末の数日間で失敗したと言っていい
北条からしたら要請に対しゼロ回答かつカネと領土貰って裏切ったという印象にしかならない 自分の弟の救援を織田徳川で忙しい武田に丸投げする氏政が悪いだろ 北条の依頼が何だかわからんけど
「景勝を殺せ」なら不可能を命令してるから北条がおかしい
「景虎を助けてくれ」なら景勝と和睦させれば達成されてる >>983
後者はないし、「おかしい」と思っていながら要請に応じて出陣するからおかしなことになる
ウクライナ戦争でアメリカから参戦頼まれた日本がそれに応じて出陣したが、ロシアに買収されてなぜか仲介に寝返るようなもの
その結果は「金で買収された」という汚名を負い、アメリカを怒らせて開戦する羽目になる 景虎軍が壊滅してんのに春日山攻めとか無理
徳川に駿河、織田に美濃を攻められたら勝頼はそこで切腹 景虎軍が壊滅してんのに春日山攻めとか無理
徳川に駿河、織田に美濃を攻められたら勝頼はそこで切腹 >>985
まだしてないだろ
上杉景信が戦死するより前だよ
河田長親みたいに中立もいれば沼田城のように内紛してる城もある 景虎軍が壊滅してんのに春日山攻めとか無理
徳川に駿河、織田に美濃を攻められたら勝頼はそこで切腹 >>987
景虎軍は春日山攻めに失敗して壊滅してる
春日山攻めの大将だったやつが死んでるからね
景虎が景勝との和睦に乗ったのも当たり前 >>989
桃井義孝1人死んだのを壊滅とは初耳だな
何ソースだ? 桃井義孝が戦死したのは5/17
景勝と景虎が和睦したのは8月末
時間が歪んでるぞ 天正六年三月に始まった御館の乱で五月に景虎は六千の兵をもって春日山を総攻撃したが僅かな手勢(一説には数十人)の景勝軍に粉砕された。攻撃隊大将桃井もこの時討死にしたとみられてる
大将は死んではならずつまり死んだということはその軍は全滅を意味してる。相当の被害が出ただろうに更に泣きの一回をしてしまいこれも失敗した。景虎が負った損害は甚大である意味では北条と上杉の血の質が表れてるのかもしれない
その結果春日山で景虎は防戦一方、というか防戦すらままならない緊急事態、唯一の希望は北条領の出入口を取ってる事だがそれも北条軍が来ないから死に石
ってなると六月から始まった勝頼の和睦交渉を受けるのは当然だしというか受けるしか無いわ
景虎にとって不幸なのはこの和睦に北条が絡んで無かったのと武田に和睦を確立させる力が皆無だったことに尽きる。徳川が攻めてきて武田は逃げ帰り、そうなるともうどうしようもない 桃井義孝が景虎方の総大将だったわけではないぞ
景虎方の大将格といえば上杉景信、本庄秀綱、北条高広(景広)あたり
桃井が5/17に討ち死したあたりはまだ互角程度くらい
景虎と景勝が和睦したのは8月末だから時系列が全然合わない 時系列はあってるだろ
要は景虎は五月の春日山攻めで戦力の大半を喪失その後攻勢に出れず八月に和睦
逆なら違ったけどね それはおかしいな
勝頼が買収されたのは6月上旬
勝頼が和睦仲介を景虎に送ったのに返事が返ってこなかったのが6/23頃
和睦がやっと成立したのは8/20頃
2ヶ月何してたのかといえば景勝からの領土割譲交渉ばかりという つまり景虎軍は五月の2度にわたる春日山攻めで数千の兵を失った。問題は景虎軍が数千の死者を「その程度」と言えるくらいの勢力があったかということで、おそらくそうではない
春日山を取れば勝ちという状況で景虎は出せる限りの兵を使ったんだろう。だから2回目の攻撃をしかも大将戦死という逆境で実行した
ところがこれで御館の乱は決した。景虎軍が失った損失を取り戻す術は無いのだから
景虎はかなり和睦を渋ったらしい。六月から始めて終わったのが八月だから。おそらく北条軍を待ってたんだろう。それが来ないのなら結末は そこまで苦境に立たされてる景虎を上野に退避させなかったのは
やはり氏政の失策と言わざるを得ない
勝頼もやれる事はやってその時間を稼いでくれた
それを裏切りと罵られたら勝頼もキレる
小山田ら北条派の重臣達も擁護できない 物事には順序ってものがあるからな
初手賄賂により買収されたでは同盟国どころか家臣の支持も得られない 上杉が倒れたら織田と戦うのがキツすぎるからさっさと切り上げたかっただけやろ このスレッドは1000を超えました。
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