信長は過大評価という学者の言のレベルはこんなもの
「織田信長」(人物叢書)を出した池上裕子という学者。
成蹊大学名誉教授だというが、この大学って大したことないの?
以下に池上の「織田信長」論を記す 池上裕子「信長の全国統一の評価はおかしい」(池上裕子成蹊大名誉教授 2013/07/28(東京新聞)
池上裕子 いけがみひろこ 成蹊大学文学部教授を長く務め、現在は名誉教授。2000年、著書「戦国時代社会構造の研究」で、第22回角川源義賞を受賞した。
専門は戦国時代、中近世移行期の社会経済史。2012年12月に出版した吉川弘文館の人物叢書シリーズの「織田信長」で、構成の英雄視を再考し、等身大の姿を提示したとして話題を呼んだ。
主な著書に「戦国の群像」(集英社)「織豊政権と江戸幕府」(講談社)がある。学習漫画「日本の歴史」(集英社)の監修も手掛けている。
天下統一に邁進した織田信長を革命家のごとく英雄視する後世の評価を再考、織田信長 (人物叢書)
乱世に平和をもたらすため、全国統一に邁進した英雄。歴史学者・池上裕子さん(65)は近著「織田信長」(吉川弘文館)でそんな信長像を覆した。
世間でいわれるような高い理想があったわけではなく、京都を押さえつつ自国拡大の為に戦ったに過ぎなかったと。しかも等身大の信長像には、安倍晋三首相との共通点もあるという。(勝間田秀樹記者) 信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった
記者:池上さんが見る信長とはどんな人物でしょう。
池上:支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従するものだけを編成していった。
それを平和をもたらす統一のための戦争だったと特別に評価するのはおかしい。関所廃止や楽市令など流通政策は信長の特徴です。でも農民をどう支配するか、武士全体をどうしていくかという全国区の政策は信長にはない。だから統一政権とは言えないと思う。 記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。
教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。でも若い人は「割といいんじゃない」と言ってくれてる。
歴史学者って案外、権力者が好きなんです。統一政権を打ち立てたことを評価する。戦国時代は乱れた時代で、統一が正しいように言う。戦国の世は確かに戦争が頻発し、安定しなかった。でも統一を実現する軍事力を持つ権力者こそが素晴らしい、という評価はおかしい。 記者:信長に抵抗した人はたくさんいました。
池上:たくさんいた。戦国大名、一向一揆とか。なぜそれほど抵抗が大きかったのか。
室町幕府の全国支配がうまくいかなくなって戦国大名が成立してくる。各地に地域権力が生まれ、農村では村という共同体が成立
していった。
いろんなレベルで地域社会ができ始めていた。信長は外から、それをどんどん壊そうとした。
だから地域の人たちは強く抵抗した。信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった。そう考えないといけない。「抵抗した側には歴史の先を見る目がなかった」
と評価を下す人が結構います。支配者は歴史の進むべき方向が見えていたと。それは違うと思う。
信長には、皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった。秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった。
それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった。 記者:支配する側、される側。双方を見るべきだというのが池上さんの持論です。
池上:戦後の歴史学は抵抗した側、民衆をきちんと見ようとしました。今は歴史学者が全体的に保守化したんですかね。「権力者は民衆の支持を受けたから支配できたのだ」と、抵抗した側を切り捨てるところがある。
特に最近三十年はそういう傾向が強まったように思える。研究が細分化し、大きくモノを見る目が弱まったのかしれません。
私みたいに戦後間もなく生まれ、まだ貧しかった社会を生きた世代と、なんとなく豊かな社会に生まれ育った世代との差なのかもしれません。 記者:著書で、信長は、百姓・村とは正面から正面から向き合わなかったと指摘しました。
池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。秀吉は太閤検地や石高制と、一応その仕組みづくりをした。
信長は各地の支配を重臣に任せ、その重臣たちが各地でいろんな政策を試みました。信長自身がやったことはありません。 記者:池上さんが農民とか、支配される側に目を向ける原点はどこに。
池上:実家は新潟県佐渡市の農家で、田植え、稲刈りも手伝いました。
農民の生活はある程度わかっているし、村という共同体の状況も大体わかります。
どのくらい田畑を持っていれば、どんな生活が成り立つか。あんまり成り立たないんですけど。村のみんなで水路をいくつも造り、その先をそれぞれの田んぼに分けていく。
そういう共同作業がありながら、みんなが仲良く暮らしているわけではなく、それなりに大変だということも知っています。
村人が生産にどう携わり、家や家族をどう成り立たせていたか。地域はどうつながっていたのか。
権力者は資料も多く、研究成果も得られやすい。村のことを調べようとすると資料は少なく難しい。でも民衆を知りたい。 記者:「歴女」ブームをどう見られていますか。
池上:歴史も結構調べていて、いろんなところに足を運んでいる。それはいい。
でも割と簡単に、素敵でカッコイイ武将のイメージをつくっちゃいますよね。歴史学者として「ちょっと違うんじゃないの」と言わなくちゃいけない。
戦国武将に憧れるのに危うさは感じるから。本当にその武将が考えたことや実際に取った行動と、随分違うイメージを抱いてしまいかねない。
未来が見え、強いリーダーシップで民衆を引っ張っていったとか。そんあヒーローみたいな人間って、実際はいないんじゃないでしょうか。
家康だって信長、秀吉の二人を見ながら政策を作った。試行錯誤するのが生身の人間です。
ただのイメージは負の面が大きい。リーダーシップがありそうな人に無批判についていってしまうとか。自分自身で物事を決めることが疎かになりかねない。 記者:今の権力者といえば、参院選で圧勝した安倍さんですね。
池上:一回失敗しているから何を言えば支持を得られるか、非常に考えたのでしょう。景気が良くなりそうだという期待を多くの人が持ち、安倍さんが自信たっぷりに「良くなる」と夢を持たせた。
参院選で勝てばしめたものと。でもこれから、怖いことがいろいろ待っていると思います。
信長は自分の家臣、特に尾張、美濃出身の武士と商人にはどんどん恩恵を授け、明るい未来を提供した。それ以外の地域の人に期待はないし、信長と戦わなければならない立場に追い込んでいったんですよね。
似たようなところがあるかもしれない。安倍さんもお金持ち、保守層には、明るい未来を語りかけていますから。
でも批判的立場から発せられた声、意見に安倍さんはどう対応しているでしょう。今だって東日本大震災の被災者にきちんと政権が対応できているとはいえない。
安倍さんも福島に行くけど本当に困った人たちに対応しているか。再出発の足掛かりも得られない被災者がいる。立場の違う、いろんな人の生活を成り立たせていく方策を考えないといけないはずです。
※インタビューを終えて 「私はこれまで『英雄』の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきた」。 >>2
自国を拡大せずに統一する方法があるなら教えてくれよ 信長が過大評価とか言ってる奴は、こんなに低レベルなのか?
酷すぎるだろちょっと 昨今の史学研究界隈での保守的みたいな信長評を覆し
昔の風雲児・革命児みたいな信長像を世間に植え付けるのがイッチの今年の目標なのかなw
明けましておめでとう! とりあえず信長ディすってる学者先生方には、それなら何故尾張の一勢力に過ぎなかった信長が安定した中央政権を打ち立てるまでに躍進したのか
その理由を説明していただきたい
立地と経済力と仰るなら、何故信長以前にも尾張を地盤とした大勢力が出現しなかったのか説明していただきたい >>18
行動力と人の使い方だろ
政策が特別優れていたわけでも、最初から高い理想を持って天下統一を目指していたわけでもない
そもそも池上に対する批判になってないぞそれ ん?活動頻度が半端ないから多少のミスは帳消し出来てしまうってヤツか?
あれ提唱してたの池上だったっけ? >>3
支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従するものだけを編成していった
↑
信長結構敵を取り込んでるはずだが
むしろ敵でも生かして甘ちゃん対応してるだろ
松永久秀に柴田勝家、三好に波多野と
そりゃ何回も逆らえば滅ぼすしかない
池上裕子は何を言ってるの? >>21
ちゃんと読めよ
絶対服従を強いて嫌がられて裏切られたんだろ >>22
そんなの秀吉や家康も同じだろ
信玄謙信にしても
そもそも絶対服従を強いた、って、信長が他勢力に絶対服従を強いたなんて例があったか? >>23
まさに君がいう通り他の大名と同じだってことだろ? 志賀の陣あたりまで浅井とか松永とかはどっちかと言うと義昭の部下的な立ち位置で
信長とは単なる味方する勢力ってかんじじゃなかった?
摂津播磨大和あたりでは信長の関わりないトコで結構派手に戦いしてるし >>24
だから、池上裕子がおかしなこと言ってるのがわならないか? 秀吉家康は信長と別みたいに言ってるんだよ? >>5
『それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった。』
頭おかしいだろ
尾張半分もない信長が30年以上かかるのは当たり前、本能寺が無ければ多分3年くらいだから34年
秀吉は畿内の半ばと中国地方東部全域からのスタートだぞ
何でこれで同等に比較するんだ?
下っ端と社長くらい違うのに >>26
秀吉、家康と違って農民に対する政策がなかったとしか書いてないじゃん >>28
農民に対する政策がなかった
具体的には?
信長は検地してるけど、これは農民政策ではないの? >>27
信長なら毛利、島津を絶対服従させようとしてもっと年数がかかったという意味だろ
君の方が国語力に問題あるぞ >>29
知らんよ
池上の論文ちゃんと読んでちゃんと論文で反論しないと駄目な話
今のところ反論している研究者もいないんだろ? >>30
???
本能寺時点で毛利は死にかけ
輝元が穂井田にどうしよという書状出してるくらい
島津は1580年の時点で織田に従うことを表明してる
本能寺時点で島津は服従してるんだが?
まさか、秀吉みたいに軍を出したほうが良いとでもいいたいの? 貴方や池上裕子は? >>32
それらは君がそう思ってるだけで池上氏はそう考えてないんだろ
実際、浅井、波多野、荒木、別所、松永皆嫌がって離反している
毛利や島津だって一旦従ってもどうなるかわからない
島津なんかそもそも長曾我部同様、戦うのは避けられない >>33
嫌がって離反
ちゃんと調べて言ってるの?
謀反した奴らの周りに何がいたか知っていたら、そんなこと言わないと思うし、池上裕子はそれ以前にたった8年と言ってるから、貴方がよく読んでないのがよくわかるな >>34
秀吉は和睦+本領安堵+上洛のセットで毛利、上杉、徳川等を臣従させた
家康に至っては母と妹を人質に出してまで家康のメンツを尊重した
武士はメンツの塊だからこれは超重要だし、秀吉がそのおかげで短い期間で統一できたのは事実だろ
信長にそんなことはできない
逆に秀吉のそのやり方もそれはそれで問題も抱えることになったけどね 嫌がって離反とは語弊があるが、何故信長には離反が多く、各地の大名の殆どが最終的に服従しなかったのか考えた方がよい
武田や本願寺や毛利と連携すれば勝てるなんて甘い考えではなかったと思う
浅井は信長に家臣扱いされたのが気に入らなかった説があるし、荒木や別所や波多野は織田の一武将でしかない羽柴や明智に頭下げるのは嫌だったんだろ
長曾我部は本領安堵認められないから征伐の対象になったし、武田には和睦の交渉にも応じなかった
毛利も多分許さないだろ 新年早々コピペ連投して感情的に喚き散らすだけのクソスレ
1は責任もって削除依頼出しとけ >>36
服従しなかった
こりゃひでえな
多分、島津や北条とかが信長が死んで秀吉になって交渉が暗礁に乗り上げたとか、上杉や毛利に対信長で既に余力が無かったとか知らないんだな >>1
明智憲三郎、井沢元彦って人の本だけを読んでれば気持ちよくなれるよ
あなたにはお勧めかと >>40
自称ハゲの子孫なんかバカでも信じないと思うからやめとけ
むしろあれは池上と同類だろ >>39
>多分、島津や北条とかが信長が死んで秀吉になって交渉が暗礁に乗り上げたとか、上杉や毛利に対信長で既に余力が無かったとか知らないんだな
島津は遠すぎて服従も何もない
織田が九州まで進出してきたら長曾我部同様に領土削減か開戦が待っている
北条は甲州征伐の後、信長がシカト
明らかに関東の地位は認めないからこれまた衝突不可避
上杉と毛利は余力無かったとしても簡単に滅ぼせるか、その後統治に成功できるかは話が全く別
甲斐や越前がその良い例 >>42
もっと勉強しろよ
甲斐や越前が良い例って何のこと?
まさか武田旧臣と一向一揆のこと言ってないよな? >>43
そうだよ
敵国を武力で奪っても遺恨を残していると統治がうまくいかない
それに君の理屈だと秀吉は毛利や島津や上杉や徳川を武力で短期間で簡単に滅ぼせたはずだよな、違うならなんでそのやり方を選ばなかったのかな?
実際は全くそうではないから秀吉は史実のやり方で天下統一を成し遂げた
信長だとそうはいかないから秀吉ほど早くないことが予想される
それの何が違うんだ? >>41
あなたにはその程度の書籍がお似合いだよ
それらの本だけ読んでマスかいてればいいよ >>44
秀吉の年齢考えろよ
スタート時点で46歳
しかも跡継ぎもいない
家康は57スタートだが、跡継ぎには事欠かない
それで短期間で信長と同じ真似ができると?
それとお前、その言い方だと秀吉が何してきたか全く知らないんだな
秀吉は信長に匹敵するくらいあちこちでやらかしてるぞ短期間で >>35
徳川以外の毛利上杉佐竹らは早くから秀吉に臣従していたから厚遇されたわけで
逆らった長宗我部や島津は大幅に領土減らされたし紀州の連中なんか皆殺しにされた >>46
まるで信長も秀吉も自分の年齢を考慮して政策を決めていたかのような書きっぷりだね
君の屁理屈だと信長はもう49歳なんだからもっと早く毛利や武田に和睦打診すればよかったのにね
両方ともにそんな気は全くなく、自ら出陣して滅ぼす気満々
「秀吉が何してきたか知らないんだな」とか「もっと勉強しろよ」は反論にならない幼稚な台詞だからやめた方がいいよ >>48
バカなのお前?
だから信長は早期に家督を嫡子に譲り、軍隊の指揮もやらせていたんだろ
秀吉は後継者がいないんだぞ?
理解してるか? >>49
秀吉は後継者がいなかったからなんなの?
支離滅裂に感情的になるのはやめなよ >>50
後継者がいないのと、スタート時点がそこそこ高齢だから、統一を急ぐ
その結果、毛利や上杉、徳川に島津、伊達などをそれなりの大大名として認めざるを得なくなった
外様が大きい上に政権中枢にまで参画させた結果が豊臣政権の末路 やり方としては徳川のように天下統一してから難癖つけて片っ端から改易していくのがベターだったかも知れんがね 徳川の場合は、家康の長寿も幸運だったよな
スタート57なら、いつ死んでもおかしくない >>51
漢の高祖、統一して6年で死んでるので出来ない事もないよな。
小田原からみて、8年生きてるんだからその気なら徳川潰す事ぐらいできたでしょ。
駿府と会津に築城命じるくらいして虐めても良かったくらい。
反抗すれば取り潰し、駿府と会津に築城されたら家康動けない。 >>54
秀吉が秀次ぶっ殺したせいで、政治を見れる有力政治家が家康か、病気でやばくなっていた前田利家しか居なくなってそれも出来なくなった
ちなみに家康は、伏見築城には協力している 如何に秀次8っちまったのが影響大きかったか分かるな
信玄が義信ぶっ56したのと同じ
粛清で人材が枯渇して次世代が悲惨な目に遭ったのもな 家康は信長秀吉の失敗を見ているからこそ徹底的に外様潰しをやったんだよなあ
池田っていったいなにを見ているんだろうね? 信長も外様少ないよね
羽柴や明智みたいなのは取り立てるけど、大名や国衆や土豪クラスはひたすら圧迫されて裏切られたり没落している感じ
よほど信長の下で完全服従するのは嫌だったんだろうな
それこそ池上氏のいう「抵抗するだけのちゃんとした論理」があったんだろう
ただ武田や北条も似たようなものだけどね >>58
信長が外様少ない
滝川(伊賀)、黒田(播磨)、村井(近江)、蒲生(近江)、細川(和泉)、筒井(大和)、松永(大和)、荒木(摂津)、別所(播磨)、波多野(丹波)。
ざっと挙げても外様だらけなんだが
何処が少ないの?
美濃はまだ譜代にしてるけど、美濃を外様にしたらまだまだ増えるぞ >>59
羽柴や明智みたいなのは取り立てるけど〜って書いてあるじゃん
ちゃんと読めよ >>60
いや自分で最初に「信長も外様少ないよね」って堂々と書いてて逆ギレすんなよ >>61
読んでたら松永、荒木、別所、波多野なんて書かないだろ?
国語力ゼロか? そもそも羽柴は尾張出身で今は貧農出身は疑われてるし、明智は美濃出身で斎藤親族、しかも織田に仕えた際は幕臣だから、細川荒木と変わらんし
明智は抜擢というのか、あれで? >>62
だから自分で「信長も外様少ないよね」って書いてるのに、それは無視かよ 滝川と村井は普代ではないけど尾張美濃衆のカテゴリ
秀吉のように外様の大名、国衆をそのまま安堵したのと全く違うという話をしている 「支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従するものだけを編成していった。」
絶対服従させるために滝川、羽柴、明智のような能力重視の人事を行い派遣した
波多野、荒木、一色、別所、松永はこれを嫌って離反した
細川、蒲生、筒井は絶対服従した >>65
ああ、つまり織田が外様というか、敵対大名を安堵したかどうかということか?
姉小路(飛騨)
宇喜多(備前)
三好(河内)
十河(讃岐・阿波)
雑賀(紀伊)
新発田(越後)
大友(豊後)
島津(薩摩)
北条(相模)
北条はまあ武田攻めの対応から疑問もあるが、本能寺がすぐ起こってるからわからん >>66
荒木は能力重視のはずだが
幕臣から離反してすぐに摂津守護だし どこも遠国じゃん
北条や長曾我部がそうであったように隣接しだすと途端により強力な圧力をかけるんだから
新発田や大友にしろ敵の敵は味方の論理で利用してただけ
服従なんかしてません >>65
ああまだあった
南条(伯耆)
亀井(出雲)
赤松(播磨) >>69
ええ?
遠国だと服従したと見なさないの貴方?
しかも大友は義統が信長の仲介で官途受けたり島津と和睦したり周防長門の加増まで打診されて厚遇されてるのに? >>70
その辺の先方衆は最前線でこき使われて利用価値なければすぐ没落する
黒田長政なんか殺されそうになったわけだし、そもそも官兵衛の主君は没落しているし >>69
しかも遠国って
飛騨って美濃の北側じゃなかったのか?
河内や紀伊って近畿じゃなかったのか?
いやいやすまん
確かに遠いな
よくわかった >>71
長曾我部は息子に信の字与えられてるけどあのザマ
つまり利用価値次第 >>72
小寺は荒木と呼応したんだが
まず基礎的知識を身につけてくれ
地理も歴史も話にならん ノブさまは母が土田御前だし可児とか池田みたいな家督相続直後から付き従った美濃所縁の家臣も多い
美濃は譜代と同様に扱っていいんじゃないだろうか >>73
違うけど君が挙げてるのは結局本能寺の変前あたりで服従し出したものばかりだよね
まだ利用価値を値踏みされているだけなんだよ
もっと前から服従したりしていた浅井、荒木、別所、波多野、松永は信長の支配を嫌って裏切った
つまり外様は常に厳しい評価に晒されて、秀吉明智滝川のような信長の腹心に絶対服従を強いられる
そういう構図 >>75
呼応したから裏切ったんじゃないよ
信長の支配を嫌ったんだよ
何故なら荒木、別所、波多野、松永、小寺、一色皆同じやり口で圧力をかけられ嫌って裏切ってんだから >>74
長宗我部は三好が信長の傘下に入ったのだからそこで戦闘はやめなければいけなかったと思うぞ?
あとは秀吉なり光秀なりの与力大名として生きるのが賢い選択だった >>67
その意味で言うと元々敵対大名だった
筒井とか入るだろうし
一度安堵した後まで背いたり統治失敗がなきゃ
土橋荒木松永別所らも安堵されたままだろしね
逆に他の戦国大名がそんな外様天国だったとこもないし
最終的に天下を治めた徳川幕府も政権中枢は
譜代だけで固めているわけだし >>68
荒木は、摂津三守護の一つ池田家の家老から始めてるしねえ。
主家乗っ取りと、伊丹、和田滅ぼすの黙認ですし。この時代でも無造作過ぎないって気はする。
記録が錯綜してて良く分からないけど、如何考えても間接的に織田と交戦した事あるよね、この人。
無造作にこの経歴で摂津守護は、話がうますぎて逆に疑心暗鬼になるかなあと思う。
大体、十年かそこらで池田家の家老から国持に成り上がりで、別に織田の譜代でもないし。 >>82
荒木は実力者なんだろうが、結局は信長のパワハラに耐えられなかったんだろうな
譜代か外様かというより信長の場合はひたすらパワハラ能力主義、地盤のある国衆や大名は服従した後も圧力かける
明智や羽柴も身を粉にして働かされる
まあこれが織田の強さでもあるけどね
本能寺はその延長と結果にして必然
荒木や松永は本願寺や上杉と呼応したからなんて真顔で言われても信じることなんかできない パワハラってよく言われてるけど具体的には?
刀に饅頭刺して食わせたとか信じる方向? 今の感覚だとパワハラと言われても仕方ないけど当時じゃかなりアマアマな大名だろ
信玄なんざ実の息子すら気にくわないなら誅殺の恐怖の独裁者だぞ 荒木はともかく波多野別所松永辺りは信長直属じゃなくその家臣の明智羽柴佐久間の下につけられたのが我慢ならなかった気がする 何気に西近畿も関東に勝るとも劣らぬヒャッハーだらけの世紀末世界なんだよな・・・ >>87
村重が和田惟正討った時って、未だ織田と足利同盟中だしね。
信長無視して幕臣攻めてたわけで、良くこの経歴で臣下に取り込んだよね。
畿内はこの時期間接支配にしても自由すぎる というか三守護体制が機能しなかったと言うべきかと
義昭-信長としては勝ち残った知正-荒木を追認するしかない
というとこで義昭と信長が割れて義昭に着いた知正は追放
荒木一本の体制になった >>85
むしろ信長は甘すぎるよな
だから松永久秀なんか何回もやらかすわけだし
武田信玄なら松永久秀は1回で終わりだろう >>84
その手の逸話なんかどうでもよくて、家臣はひたすら実力主義で結果出さなかったら切られると意味だよ
松永が許されたのは甘いのかもしれないが、利用価値があると思われたから許されただけで織田の一部将や筒井に土下座しないといけないわけだから生殺しでもある >>91
そんなの武田上杉豊臣徳川、みんな変わらんのだが
それと信長政権で離反が続いたのを信長個人のせいだけにするのはどうかと
石山本願寺や足利義昭みたいなのがいたから、のせいも少なからずあるだろうよ >>92
離反したのは本願寺や義昭のせい?
そんなの間に受けるわけない
どこをどう見ても織田が優勢
何故信長だけこれだけほぼ全てといっていい大名から離反されているのか考えた方がいい
明智もその延長なんだから外部要因のせいにするのはあり得ない >>93
信長が優勢て?
松永久秀が離反した1572年のどこが優勢なんだ? ひとつ間違えたら十分ひっくり返る可能性あったし
1577のほうも、上杉毛利本願寺武田で必ずしも優勢と言えるかわからん状態なんだが?
そもそも「これだけほぼ全てといっていい大名」って? ちゃんと説明してよ。全ての大名なんて離反した大名だけではとても言えないから
あんた前からやけにおかしなこと発言しまくりだけど、基礎知識はあるの? 飛騨の位置すら知らないのに >>94
>松永久秀が離反した1572年のどこが優勢なんだ? ひとつ間違えたら十分ひっくり返る可能性あったし
>1577のほうも、上杉毛利本願寺武田で必ずしも優勢と言えるかわからん状態なんだが?
そうかねー
武田のスレでも行けば1572年からだいぶ厳しい状況だよな
本願寺は攻撃能力ないし、上杉毛利なんて遠すぎてあてにならないのに大和半国もない松永が離反して勝てるわけない
結局、不満が大きくて滅亡覚悟で意地とプライドで離反したんだと思うけどね
来週の大河ドラマそのまんまだよ
>そもそも「これだけほぼ全てといっていい大名」って? ちゃんと説明してよ。全ての大名なんて離反した大名だけではとても言えないから
何言ってるか分からないけど浅井、波多野、別所、荒木、松永その他国衆数知れず信長から離反している
武田上杉北条毛利より多い
極め付けは本能寺だし
>あんた前からやけにおかしなこと発言しまくりだけど、基礎知識はあるの? 飛騨の位置すら知らないのに
そんなの知ってるよ
重箱の隅をいちいちつかなくていいよ 松永は最初の離反は信長に背いたと言うより義昭に見切りをつけたと言った方が正しいっぽいが
当時は信長の家臣ではなく信長とは同じ義昭を補佐する同志に近いだろ >>91
実力主義も根拠に欠けてない?
むしろ尾張の地縁血縁でしか起用しないという人もいるくらい
(オレは必ずしもそうは思わんけど
過酷な過重労働を示す史料も無いと思う)
結果出さないと切られる云々ってのも
荒木謀反の段階では特に例はないでしょう? >>97
なら佐久間林丹羽追放するなよ
地縁重視ならな いやだから荒木の謀反時点で
その誰1人として追放されてない
何をもって荒木は切られると思って謀反すんのさ 佐久間林の追放は信忠政権への移行を見据えての事だろ
信忠側近の美濃衆と譜代の尾張衆が揉めるのは目に見えてるし それはどうだろか?
丹羽はそこまでの身分ではないし
同時に美濃衆の安藤も追放されてる
そもそも職務怠慢を弾劾されてる佐久間と
野心(謀反内通)を理由にされてる林らと
同じに考えるべきかどうかもわからない