信長は過大評価という学者の言のレベルはこんなもの
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「織田信長」(人物叢書)を出した池上裕子という学者。
成蹊大学名誉教授だというが、この大学って大したことないの?
以下に池上の「織田信長」論を記す 池上裕子「信長の全国統一の評価はおかしい」(池上裕子成蹊大名誉教授 2013/07/28(東京新聞)
池上裕子 いけがみひろこ 成蹊大学文学部教授を長く務め、現在は名誉教授。2000年、著書「戦国時代社会構造の研究」で、第22回角川源義賞を受賞した。
専門は戦国時代、中近世移行期の社会経済史。2012年12月に出版した吉川弘文館の人物叢書シリーズの「織田信長」で、構成の英雄視を再考し、等身大の姿を提示したとして話題を呼んだ。
主な著書に「戦国の群像」(集英社)「織豊政権と江戸幕府」(講談社)がある。学習漫画「日本の歴史」(集英社)の監修も手掛けている。
天下統一に邁進した織田信長を革命家のごとく英雄視する後世の評価を再考、織田信長 (人物叢書)
乱世に平和をもたらすため、全国統一に邁進した英雄。歴史学者・池上裕子さん(65)は近著「織田信長」(吉川弘文館)でそんな信長像を覆した。
世間でいわれるような高い理想があったわけではなく、京都を押さえつつ自国拡大の為に戦ったに過ぎなかったと。しかも等身大の信長像には、安倍晋三首相との共通点もあるという。(勝間田秀樹記者) 信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった
記者:池上さんが見る信長とはどんな人物でしょう。
池上:支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従するものだけを編成していった。
それを平和をもたらす統一のための戦争だったと特別に評価するのはおかしい。関所廃止や楽市令など流通政策は信長の特徴です。でも農民をどう支配するか、武士全体をどうしていくかという全国区の政策は信長にはない。だから統一政権とは言えないと思う。 記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。
教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。でも若い人は「割といいんじゃない」と言ってくれてる。
歴史学者って案外、権力者が好きなんです。統一政権を打ち立てたことを評価する。戦国時代は乱れた時代で、統一が正しいように言う。戦国の世は確かに戦争が頻発し、安定しなかった。でも統一を実現する軍事力を持つ権力者こそが素晴らしい、という評価はおかしい。 記者:信長に抵抗した人はたくさんいました。
池上:たくさんいた。戦国大名、一向一揆とか。なぜそれほど抵抗が大きかったのか。
室町幕府の全国支配がうまくいかなくなって戦国大名が成立してくる。各地に地域権力が生まれ、農村では村という共同体が成立
していった。
いろんなレベルで地域社会ができ始めていた。信長は外から、それをどんどん壊そうとした。
だから地域の人たちは強く抵抗した。信長に抵抗する側にも、抵抗するだけのちゃんとした論理があった。そう考えないといけない。「抵抗した側には歴史の先を見る目がなかった」
と評価を下す人が結構います。支配者は歴史の進むべき方向が見えていたと。それは違うと思う。
信長には、皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった。秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった。
それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった。 記者:支配する側、される側。双方を見るべきだというのが池上さんの持論です。
池上:戦後の歴史学は抵抗した側、民衆をきちんと見ようとしました。今は歴史学者が全体的に保守化したんですかね。「権力者は民衆の支持を受けたから支配できたのだ」と、抵抗した側を切り捨てるところがある。
特に最近三十年はそういう傾向が強まったように思える。研究が細分化し、大きくモノを見る目が弱まったのかしれません。
私みたいに戦後間もなく生まれ、まだ貧しかった社会を生きた世代と、なんとなく豊かな社会に生まれ育った世代との差なのかもしれません。 記者:著書で、信長は、百姓・村とは正面から正面から向き合わなかったと指摘しました。
池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。秀吉は太閤検地や石高制と、一応その仕組みづくりをした。
信長は各地の支配を重臣に任せ、その重臣たちが各地でいろんな政策を試みました。信長自身がやったことはありません。 記者:池上さんが農民とか、支配される側に目を向ける原点はどこに。
池上:実家は新潟県佐渡市の農家で、田植え、稲刈りも手伝いました。
農民の生活はある程度わかっているし、村という共同体の状況も大体わかります。
どのくらい田畑を持っていれば、どんな生活が成り立つか。あんまり成り立たないんですけど。村のみんなで水路をいくつも造り、その先をそれぞれの田んぼに分けていく。
そういう共同作業がありながら、みんなが仲良く暮らしているわけではなく、それなりに大変だということも知っています。
村人が生産にどう携わり、家や家族をどう成り立たせていたか。地域はどうつながっていたのか。
権力者は資料も多く、研究成果も得られやすい。村のことを調べようとすると資料は少なく難しい。でも民衆を知りたい。 記者:「歴女」ブームをどう見られていますか。
池上:歴史も結構調べていて、いろんなところに足を運んでいる。それはいい。
でも割と簡単に、素敵でカッコイイ武将のイメージをつくっちゃいますよね。歴史学者として「ちょっと違うんじゃないの」と言わなくちゃいけない。
戦国武将に憧れるのに危うさは感じるから。本当にその武将が考えたことや実際に取った行動と、随分違うイメージを抱いてしまいかねない。
未来が見え、強いリーダーシップで民衆を引っ張っていったとか。そんあヒーローみたいな人間って、実際はいないんじゃないでしょうか。
家康だって信長、秀吉の二人を見ながら政策を作った。試行錯誤するのが生身の人間です。
ただのイメージは負の面が大きい。リーダーシップがありそうな人に無批判についていってしまうとか。自分自身で物事を決めることが疎かになりかねない。 記者:今の権力者といえば、参院選で圧勝した安倍さんですね。
池上:一回失敗しているから何を言えば支持を得られるか、非常に考えたのでしょう。景気が良くなりそうだという期待を多くの人が持ち、安倍さんが自信たっぷりに「良くなる」と夢を持たせた。
参院選で勝てばしめたものと。でもこれから、怖いことがいろいろ待っていると思います。
信長は自分の家臣、特に尾張、美濃出身の武士と商人にはどんどん恩恵を授け、明るい未来を提供した。それ以外の地域の人に期待はないし、信長と戦わなければならない立場に追い込んでいったんですよね。
似たようなところがあるかもしれない。安倍さんもお金持ち、保守層には、明るい未来を語りかけていますから。
でも批判的立場から発せられた声、意見に安倍さんはどう対応しているでしょう。今だって東日本大震災の被災者にきちんと政権が対応できているとはいえない。
安倍さんも福島に行くけど本当に困った人たちに対応しているか。再出発の足掛かりも得られない被災者がいる。立場の違う、いろんな人の生活を成り立たせていく方策を考えないといけないはずです。
※インタビューを終えて 「私はこれまで『英雄』の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきた」。 >>2
自国を拡大せずに統一する方法があるなら教えてくれよ 信長が過大評価とか言ってる奴は、こんなに低レベルなのか?
酷すぎるだろちょっと 昨今の史学研究界隈での保守的みたいな信長評を覆し
昔の風雲児・革命児みたいな信長像を世間に植え付けるのがイッチの今年の目標なのかなw
明けましておめでとう! とりあえず信長ディすってる学者先生方には、それなら何故尾張の一勢力に過ぎなかった信長が安定した中央政権を打ち立てるまでに躍進したのか
その理由を説明していただきたい
立地と経済力と仰るなら、何故信長以前にも尾張を地盤とした大勢力が出現しなかったのか説明していただきたい >>18
行動力と人の使い方だろ
政策が特別優れていたわけでも、最初から高い理想を持って天下統一を目指していたわけでもない
そもそも池上に対する批判になってないぞそれ ん?活動頻度が半端ないから多少のミスは帳消し出来てしまうってヤツか?
あれ提唱してたの池上だったっけ? >>3
支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従するものだけを編成していった
↑
信長結構敵を取り込んでるはずだが
むしろ敵でも生かして甘ちゃん対応してるだろ
松永久秀に柴田勝家、三好に波多野と
そりゃ何回も逆らえば滅ぼすしかない
池上裕子は何を言ってるの? >>21
ちゃんと読めよ
絶対服従を強いて嫌がられて裏切られたんだろ >>22
そんなの秀吉や家康も同じだろ
信玄謙信にしても
そもそも絶対服従を強いた、って、信長が他勢力に絶対服従を強いたなんて例があったか? >>23
まさに君がいう通り他の大名と同じだってことだろ? 志賀の陣あたりまで浅井とか松永とかはどっちかと言うと義昭の部下的な立ち位置で
信長とは単なる味方する勢力ってかんじじゃなかった?
摂津播磨大和あたりでは信長の関わりないトコで結構派手に戦いしてるし >>24
だから、池上裕子がおかしなこと言ってるのがわならないか? 秀吉家康は信長と別みたいに言ってるんだよ? >>5
『それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった。』
頭おかしいだろ
尾張半分もない信長が30年以上かかるのは当たり前、本能寺が無ければ多分3年くらいだから34年
秀吉は畿内の半ばと中国地方東部全域からのスタートだぞ
何でこれで同等に比較するんだ?
下っ端と社長くらい違うのに >>26
秀吉、家康と違って農民に対する政策がなかったとしか書いてないじゃん >>28
農民に対する政策がなかった
具体的には?
信長は検地してるけど、これは農民政策ではないの? >>27
信長なら毛利、島津を絶対服従させようとしてもっと年数がかかったという意味だろ
君の方が国語力に問題あるぞ >>29
知らんよ
池上の論文ちゃんと読んでちゃんと論文で反論しないと駄目な話
今のところ反論している研究者もいないんだろ? >>30
???
本能寺時点で毛利は死にかけ
輝元が穂井田にどうしよという書状出してるくらい
島津は1580年の時点で織田に従うことを表明してる
本能寺時点で島津は服従してるんだが?
まさか、秀吉みたいに軍を出したほうが良いとでもいいたいの? 貴方や池上裕子は? >>32
それらは君がそう思ってるだけで池上氏はそう考えてないんだろ
実際、浅井、波多野、荒木、別所、松永皆嫌がって離反している
毛利や島津だって一旦従ってもどうなるかわからない
島津なんかそもそも長曾我部同様、戦うのは避けられない >>33
嫌がって離反
ちゃんと調べて言ってるの?
謀反した奴らの周りに何がいたか知っていたら、そんなこと言わないと思うし、池上裕子はそれ以前にたった8年と言ってるから、貴方がよく読んでないのがよくわかるな >>34
秀吉は和睦+本領安堵+上洛のセットで毛利、上杉、徳川等を臣従させた
家康に至っては母と妹を人質に出してまで家康のメンツを尊重した
武士はメンツの塊だからこれは超重要だし、秀吉がそのおかげで短い期間で統一できたのは事実だろ
信長にそんなことはできない
逆に秀吉のそのやり方もそれはそれで問題も抱えることになったけどね 嫌がって離反とは語弊があるが、何故信長には離反が多く、各地の大名の殆どが最終的に服従しなかったのか考えた方がよい
武田や本願寺や毛利と連携すれば勝てるなんて甘い考えではなかったと思う
浅井は信長に家臣扱いされたのが気に入らなかった説があるし、荒木や別所や波多野は織田の一武将でしかない羽柴や明智に頭下げるのは嫌だったんだろ
長曾我部は本領安堵認められないから征伐の対象になったし、武田には和睦の交渉にも応じなかった
毛利も多分許さないだろ 新年早々コピペ連投して感情的に喚き散らすだけのクソスレ
1は責任もって削除依頼出しとけ >>36
服従しなかった
こりゃひでえな
多分、島津や北条とかが信長が死んで秀吉になって交渉が暗礁に乗り上げたとか、上杉や毛利に対信長で既に余力が無かったとか知らないんだな >>1
明智憲三郎、井沢元彦って人の本だけを読んでれば気持ちよくなれるよ
あなたにはお勧めかと >>40
自称ハゲの子孫なんかバカでも信じないと思うからやめとけ
むしろあれは池上と同類だろ >>39
>多分、島津や北条とかが信長が死んで秀吉になって交渉が暗礁に乗り上げたとか、上杉や毛利に対信長で既に余力が無かったとか知らないんだな
島津は遠すぎて服従も何もない
織田が九州まで進出してきたら長曾我部同様に領土削減か開戦が待っている
北条は甲州征伐の後、信長がシカト
明らかに関東の地位は認めないからこれまた衝突不可避
上杉と毛利は余力無かったとしても簡単に滅ぼせるか、その後統治に成功できるかは話が全く別
甲斐や越前がその良い例 >>42
もっと勉強しろよ
甲斐や越前が良い例って何のこと?
まさか武田旧臣と一向一揆のこと言ってないよな? >>43
そうだよ
敵国を武力で奪っても遺恨を残していると統治がうまくいかない
それに君の理屈だと秀吉は毛利や島津や上杉や徳川を武力で短期間で簡単に滅ぼせたはずだよな、違うならなんでそのやり方を選ばなかったのかな?
実際は全くそうではないから秀吉は史実のやり方で天下統一を成し遂げた
信長だとそうはいかないから秀吉ほど早くないことが予想される
それの何が違うんだ? >>41
あなたにはその程度の書籍がお似合いだよ
それらの本だけ読んでマスかいてればいいよ >>44
秀吉の年齢考えろよ
スタート時点で46歳
しかも跡継ぎもいない
家康は57スタートだが、跡継ぎには事欠かない
それで短期間で信長と同じ真似ができると?
それとお前、その言い方だと秀吉が何してきたか全く知らないんだな
秀吉は信長に匹敵するくらいあちこちでやらかしてるぞ短期間で >>35
徳川以外の毛利上杉佐竹らは早くから秀吉に臣従していたから厚遇されたわけで
逆らった長宗我部や島津は大幅に領土減らされたし紀州の連中なんか皆殺しにされた >>46
まるで信長も秀吉も自分の年齢を考慮して政策を決めていたかのような書きっぷりだね
君の屁理屈だと信長はもう49歳なんだからもっと早く毛利や武田に和睦打診すればよかったのにね
両方ともにそんな気は全くなく、自ら出陣して滅ぼす気満々
「秀吉が何してきたか知らないんだな」とか「もっと勉強しろよ」は反論にならない幼稚な台詞だからやめた方がいいよ >>48
バカなのお前?
だから信長は早期に家督を嫡子に譲り、軍隊の指揮もやらせていたんだろ
秀吉は後継者がいないんだぞ?
理解してるか? >>49
秀吉は後継者がいなかったからなんなの?
支離滅裂に感情的になるのはやめなよ >>50
後継者がいないのと、スタート時点がそこそこ高齢だから、統一を急ぐ
その結果、毛利や上杉、徳川に島津、伊達などをそれなりの大大名として認めざるを得なくなった
外様が大きい上に政権中枢にまで参画させた結果が豊臣政権の末路 やり方としては徳川のように天下統一してから難癖つけて片っ端から改易していくのがベターだったかも知れんがね 徳川の場合は、家康の長寿も幸運だったよな
スタート57なら、いつ死んでもおかしくない >>51
漢の高祖、統一して6年で死んでるので出来ない事もないよな。
小田原からみて、8年生きてるんだからその気なら徳川潰す事ぐらいできたでしょ。
駿府と会津に築城命じるくらいして虐めても良かったくらい。
反抗すれば取り潰し、駿府と会津に築城されたら家康動けない。 >>54
秀吉が秀次ぶっ殺したせいで、政治を見れる有力政治家が家康か、病気でやばくなっていた前田利家しか居なくなってそれも出来なくなった
ちなみに家康は、伏見築城には協力している 如何に秀次8っちまったのが影響大きかったか分かるな
信玄が義信ぶっ56したのと同じ
粛清で人材が枯渇して次世代が悲惨な目に遭ったのもな 家康は信長秀吉の失敗を見ているからこそ徹底的に外様潰しをやったんだよなあ
池田っていったいなにを見ているんだろうね? 信長も外様少ないよね
羽柴や明智みたいなのは取り立てるけど、大名や国衆や土豪クラスはひたすら圧迫されて裏切られたり没落している感じ
よほど信長の下で完全服従するのは嫌だったんだろうな
それこそ池上氏のいう「抵抗するだけのちゃんとした論理」があったんだろう
ただ武田や北条も似たようなものだけどね >>58
信長が外様少ない
滝川(伊賀)、黒田(播磨)、村井(近江)、蒲生(近江)、細川(和泉)、筒井(大和)、松永(大和)、荒木(摂津)、別所(播磨)、波多野(丹波)。
ざっと挙げても外様だらけなんだが
何処が少ないの?
美濃はまだ譜代にしてるけど、美濃を外様にしたらまだまだ増えるぞ >>59
羽柴や明智みたいなのは取り立てるけど〜って書いてあるじゃん
ちゃんと読めよ >>60
いや自分で最初に「信長も外様少ないよね」って堂々と書いてて逆ギレすんなよ >>61
読んでたら松永、荒木、別所、波多野なんて書かないだろ?
国語力ゼロか? そもそも羽柴は尾張出身で今は貧農出身は疑われてるし、明智は美濃出身で斎藤親族、しかも織田に仕えた際は幕臣だから、細川荒木と変わらんし
明智は抜擢というのか、あれで? >>62
だから自分で「信長も外様少ないよね」って書いてるのに、それは無視かよ 滝川と村井は普代ではないけど尾張美濃衆のカテゴリ
秀吉のように外様の大名、国衆をそのまま安堵したのと全く違うという話をしている 「支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従するものだけを編成していった。」
絶対服従させるために滝川、羽柴、明智のような能力重視の人事を行い派遣した
波多野、荒木、一色、別所、松永はこれを嫌って離反した
細川、蒲生、筒井は絶対服従した >>65
ああ、つまり織田が外様というか、敵対大名を安堵したかどうかということか?
姉小路(飛騨)
宇喜多(備前)
三好(河内)
十河(讃岐・阿波)
雑賀(紀伊)
新発田(越後)
大友(豊後)
島津(薩摩)
北条(相模)
北条はまあ武田攻めの対応から疑問もあるが、本能寺がすぐ起こってるからわからん >>66
荒木は能力重視のはずだが
幕臣から離反してすぐに摂津守護だし どこも遠国じゃん
北条や長曾我部がそうであったように隣接しだすと途端により強力な圧力をかけるんだから
新発田や大友にしろ敵の敵は味方の論理で利用してただけ
服従なんかしてません >>65
ああまだあった
南条(伯耆)
亀井(出雲)
赤松(播磨) >>69
ええ?
遠国だと服従したと見なさないの貴方?
しかも大友は義統が信長の仲介で官途受けたり島津と和睦したり周防長門の加増まで打診されて厚遇されてるのに? >>70
その辺の先方衆は最前線でこき使われて利用価値なければすぐ没落する
黒田長政なんか殺されそうになったわけだし、そもそも官兵衛の主君は没落しているし >>69
しかも遠国って
飛騨って美濃の北側じゃなかったのか?
河内や紀伊って近畿じゃなかったのか?
いやいやすまん
確かに遠いな
よくわかった >>71
長曾我部は息子に信の字与えられてるけどあのザマ
つまり利用価値次第 >>72
小寺は荒木と呼応したんだが
まず基礎的知識を身につけてくれ
地理も歴史も話にならん ノブさまは母が土田御前だし可児とか池田みたいな家督相続直後から付き従った美濃所縁の家臣も多い
美濃は譜代と同様に扱っていいんじゃないだろうか >>73
違うけど君が挙げてるのは結局本能寺の変前あたりで服従し出したものばかりだよね
まだ利用価値を値踏みされているだけなんだよ
もっと前から服従したりしていた浅井、荒木、別所、波多野、松永は信長の支配を嫌って裏切った
つまり外様は常に厳しい評価に晒されて、秀吉明智滝川のような信長の腹心に絶対服従を強いられる
そういう構図 >>75
呼応したから裏切ったんじゃないよ
信長の支配を嫌ったんだよ
何故なら荒木、別所、波多野、松永、小寺、一色皆同じやり口で圧力をかけられ嫌って裏切ってんだから >>74
長宗我部は三好が信長の傘下に入ったのだからそこで戦闘はやめなければいけなかったと思うぞ?
あとは秀吉なり光秀なりの与力大名として生きるのが賢い選択だった >>67
その意味で言うと元々敵対大名だった
筒井とか入るだろうし
一度安堵した後まで背いたり統治失敗がなきゃ
土橋荒木松永別所らも安堵されたままだろしね
逆に他の戦国大名がそんな外様天国だったとこもないし
最終的に天下を治めた徳川幕府も政権中枢は
譜代だけで固めているわけだし >>68
荒木は、摂津三守護の一つ池田家の家老から始めてるしねえ。
主家乗っ取りと、伊丹、和田滅ぼすの黙認ですし。この時代でも無造作過ぎないって気はする。
記録が錯綜してて良く分からないけど、如何考えても間接的に織田と交戦した事あるよね、この人。
無造作にこの経歴で摂津守護は、話がうますぎて逆に疑心暗鬼になるかなあと思う。
大体、十年かそこらで池田家の家老から国持に成り上がりで、別に織田の譜代でもないし。 >>82
荒木は実力者なんだろうが、結局は信長のパワハラに耐えられなかったんだろうな
譜代か外様かというより信長の場合はひたすらパワハラ能力主義、地盤のある国衆や大名は服従した後も圧力かける
明智や羽柴も身を粉にして働かされる
まあこれが織田の強さでもあるけどね
本能寺はその延長と結果にして必然
荒木や松永は本願寺や上杉と呼応したからなんて真顔で言われても信じることなんかできない パワハラってよく言われてるけど具体的には?
刀に饅頭刺して食わせたとか信じる方向? 今の感覚だとパワハラと言われても仕方ないけど当時じゃかなりアマアマな大名だろ
信玄なんざ実の息子すら気にくわないなら誅殺の恐怖の独裁者だぞ 荒木はともかく波多野別所松永辺りは信長直属じゃなくその家臣の明智羽柴佐久間の下につけられたのが我慢ならなかった気がする 何気に西近畿も関東に勝るとも劣らぬヒャッハーだらけの世紀末世界なんだよな・・・ >>87
村重が和田惟正討った時って、未だ織田と足利同盟中だしね。
信長無視して幕臣攻めてたわけで、良くこの経歴で臣下に取り込んだよね。
畿内はこの時期間接支配にしても自由すぎる というか三守護体制が機能しなかったと言うべきかと
義昭-信長としては勝ち残った知正-荒木を追認するしかない
というとこで義昭と信長が割れて義昭に着いた知正は追放
荒木一本の体制になった >>85
むしろ信長は甘すぎるよな
だから松永久秀なんか何回もやらかすわけだし
武田信玄なら松永久秀は1回で終わりだろう >>84
その手の逸話なんかどうでもよくて、家臣はひたすら実力主義で結果出さなかったら切られると意味だよ
松永が許されたのは甘いのかもしれないが、利用価値があると思われたから許されただけで織田の一部将や筒井に土下座しないといけないわけだから生殺しでもある >>91
そんなの武田上杉豊臣徳川、みんな変わらんのだが
それと信長政権で離反が続いたのを信長個人のせいだけにするのはどうかと
石山本願寺や足利義昭みたいなのがいたから、のせいも少なからずあるだろうよ >>92
離反したのは本願寺や義昭のせい?
そんなの間に受けるわけない
どこをどう見ても織田が優勢
何故信長だけこれだけほぼ全てといっていい大名から離反されているのか考えた方がいい
明智もその延長なんだから外部要因のせいにするのはあり得ない >>93
信長が優勢て?
松永久秀が離反した1572年のどこが優勢なんだ? ひとつ間違えたら十分ひっくり返る可能性あったし
1577のほうも、上杉毛利本願寺武田で必ずしも優勢と言えるかわからん状態なんだが?
そもそも「これだけほぼ全てといっていい大名」って? ちゃんと説明してよ。全ての大名なんて離反した大名だけではとても言えないから
あんた前からやけにおかしなこと発言しまくりだけど、基礎知識はあるの? 飛騨の位置すら知らないのに >>94
>松永久秀が離反した1572年のどこが優勢なんだ? ひとつ間違えたら十分ひっくり返る可能性あったし
>1577のほうも、上杉毛利本願寺武田で必ずしも優勢と言えるかわからん状態なんだが?
そうかねー
武田のスレでも行けば1572年からだいぶ厳しい状況だよな
本願寺は攻撃能力ないし、上杉毛利なんて遠すぎてあてにならないのに大和半国もない松永が離反して勝てるわけない
結局、不満が大きくて滅亡覚悟で意地とプライドで離反したんだと思うけどね
来週の大河ドラマそのまんまだよ
>そもそも「これだけほぼ全てといっていい大名」って? ちゃんと説明してよ。全ての大名なんて離反した大名だけではとても言えないから
何言ってるか分からないけど浅井、波多野、別所、荒木、松永その他国衆数知れず信長から離反している
武田上杉北条毛利より多い
極め付けは本能寺だし
>あんた前からやけにおかしなこと発言しまくりだけど、基礎知識はあるの? 飛騨の位置すら知らないのに
そんなの知ってるよ
重箱の隅をいちいちつかなくていいよ 松永は最初の離反は信長に背いたと言うより義昭に見切りをつけたと言った方が正しいっぽいが
当時は信長の家臣ではなく信長とは同じ義昭を補佐する同志に近いだろ >>91
実力主義も根拠に欠けてない?
むしろ尾張の地縁血縁でしか起用しないという人もいるくらい
(オレは必ずしもそうは思わんけど
過酷な過重労働を示す史料も無いと思う)
結果出さないと切られる云々ってのも
荒木謀反の段階では特に例はないでしょう? >>97
なら佐久間林丹羽追放するなよ
地縁重視ならな いやだから荒木の謀反時点で
その誰1人として追放されてない
何をもって荒木は切られると思って謀反すんのさ 佐久間林の追放は信忠政権への移行を見据えての事だろ
信忠側近の美濃衆と譜代の尾張衆が揉めるのは目に見えてるし それはどうだろか?
丹羽はそこまでの身分ではないし
同時に美濃衆の安藤も追放されてる
そもそも職務怠慢を弾劾されてる佐久間と
野心(謀反内通)を理由にされてる林らと
同じに考えるべきかどうかもわからない >>101
丹羽は信長の姉妹を嫁にしている親族だぞ だからと言って信忠治世のさわりとして
特に問題視されるほとの存在なのか?
という話ね
単に尾張衆だからと排除するというのであれば
もっととんでもない大鉈が必要になってくる 信忠政権を見越して人事整理が行われていたと言うのは同感だけど
地縁血縁だけで画一的な査定はしないでしょう
あと、明智光秀の謀反も人事整理と関連あると思うんだけどな 光秀の謀反の原因にされてる石見、出雲の転封だけど、あれ明智軍記とかの二次資料以外に何か確証はあるの?
それと出雲と石見なら、銀山に交易に鉄の産地にと、結構旨味があると思うんだけどな だとしても、旧幕臣まで配下に組み入れた『近畿管領』光秀だからね。
格落ち感は否めないよね。 丹波召し上げ石見出雲転封は一次史料ないね
明智が旧幕臣取り込んだのはむしろそれが
彼の価値の大部分をしめてたようにも思えるなあ
近畿管領と言われるのも一次史料無いと思うし
近畿での最大の敵本願寺にあたってたのも
明智ではなくて荒木→佐久間だしね
丹波領有したのも旧幕臣の所領多かったから説あるし
その攻略にしてもなかなか時間がかかってもいる
(国衆の抵抗が激しい国柄もあるにしろ)
義昭追放した当初は将軍還御を視野に入れてた織田政権も
信長晩年には三職推任の動きで朝廷ぐるみで
幕府外した政権構想が進めていた訳だしね
旧幕臣の統率に価値が見出せなくなる時期だった 石見出雲切り取り次第
→加増
→転封
かは分からんが加増の可能性の方が高い 石見出雲国替えについて触れる明智軍記では完全に転封
「乍レ去丹波近江は召上らるゝ由を申捨て、帰りける」
しかも召し上げは出陣前に行われるという無茶振り
「光秀併家子郎等共、闇夜に迷ふ心地しけり。
其故は出雲、石見の敵國に相向ひ、軍ヲ取結ぶ中に
旧領丹波、近江を召上られんに付ては、
妻子眷属小時も身を置く可き所なし。」
他に有力な史料もないのでこれを信じるか否かの問題で
部分的に採用の加増説の余地は薄いかなあ
秀吉の長浜召し上げが新領播磨が安定してからだし
関東任された滝川も本能寺後伊勢の旧領に帰ってるので
はっきり言って話自体眉唾だと思ってる 堀秀政が長浜城主になったと言うが秀吉の家族はそのままだし
よく分からんところだよね 何かで本能寺の時点では城主交代を受けて
1年間の引き継ぎ期間中だったと読んだな
前年の第二次伊賀攻め後に城主拝命というから
1年準備期間があるとすると10月くらいまで
ということになる
おねは不在の城主秀吉に変わって領内統治にも
関わってたというし単純な引越し以外にも
引き継ぎ事項はあったのかもね 信長は、百姓・村とは正面から正面から向き合わなかったと指摘しました。
池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
↑
は?
信長の農民統治知らんのか?
江戸幕府のほうが遥かに酷いし見向きもしてないだろ 江戸時代に東北で何度も飢饉が起こったのは家康の米さえ作ってりゃいいって政策のせいだしな
日本人の平均身長も江戸時代が最も低い 圧倒的なカリスマ性と天下布武という恐れられるような知的な残虐性を持った信長は殺されて当然の運命
人質から始まり祖父や父など殺され、三河一向一揆、信康事件などを経ている厭離穢土欣求浄土の家康ならありえん話
今川義元を家康の父と例えるなら、信長は双子の兄弟(兄は信長)だろうな
兄の元、家康は遠くを見据え、達観した人間だから面白くない なんjとかヤフーニュースコメント欄だと本気で
「織田家だけは職業軍人を雇い一年中戦争ができた。他家は田植えや稲刈りのシーズンはできなかった」
とか言ってるヤツ多くて驚くわ。
ほんのちょっ〜とでも調べればどのシーズンでも戦してること分かるやろって言う >>116
そんな極端なw
でも、間違いじゃないわな
信長の強さは兵農分離で訓練された兵士の多さと安定した収穫、流通と経済力による最新兵器の大量確保だろ >>118
どうせ一切合切完全分離云々の極端な話だろw
卓上の空論で現実的な思考ができない人だろうな 刀狩りの一部は行われていたことが記録には残ってる
たしかノブさまのご先祖所縁の寺社に
あんたんとこは上様と縁あるから武装放棄はしないでいいよって勝家の書状だったと思うが 一般人は農業をやめさせて職業軍人にすることを兵農分離だと思っているからな まさか室町期の農民が鍬や鎌持って一揆起こしてたなんて思ってないよな?
この時代の農民は普通に武装しとるぞ >>126
そんな財力あるのに農民は一揆起こしていたのか? 軍備や武装には相応の金がかかるはずだが? そりゃカネ持ってても根こそぎ奪われるんだから溜め込むより武器買うだろ
んで落ち目の武士を襲った方が余程旨い飯が食える 室町時代の農民どもは皆武装して、武装集団と化してたのかw 惣だよ
皆じゃなく畿内とかの先進地域がだけどね
主力は地侍だし 財力なくてもそれなりに武装を模索するだろう
なんのために追い剥ぎしてると思う >>127
武装に金がかかるって???
畑を継げない次男坊以下の農民は中間小者になったり
陣夫として戦場に行ったり
敵兵の死体漁りや乱取り落武者狩りしてたから
村には戦利品や刀がゴロゴロしていてそれを市で売ったり
陣夫も戦場に行けば米が食えると喜んでたんだぞ。
そういう副収入を取り上げようとしてたのが秀吉。
農民をこき使ってたのは秀吉なんだよね。 アニメやゲームにそんな描写が出てくるか?
是非そう思える作品があるなら教えてくれ
アニメやゲームならもっとオブラートに包むだろ、庶民が武装してヒャッハーしまくりとか刺激が強すぎる >>127がアニメやゲーム感覚だと言ってるんだろう。
>>129もまさしくゲームからしか知識を得てないような無知。 秀吉は信長の政策をそのまま継続発展させただけ
家康は信長秀吉でほぼ完成された統一機構をそのままもらっただけ
それなのに信長と秀吉家康を別物のように言ってるだけでどうかと思います >>135
細川三好は管領家という室町幕府の体制下での主従による政権
織田豊臣はそういった室町幕府の体制から脱却した政権(信長は短期でしか無いけど配下の秀吉が継承したという点から細川三好とは明確な差異が出ている) 池上裕子「信長は天下統一なんか考えていませんでした。豊臣や徳川とは違います」 信長がそこまで考えてなかった頃は秀吉や家康なんかもっと何も考えてなかったんだよなあ
信長が死んで天下をほぼ握った基盤を引き継いだからこそであって最初から上様は何も考えてないけど俺が日本統一してやるぜと思ってたとでも言うのか >>137
信長と秀吉の最大の違いは対外政策。
信長はキリスト教に寛容で南蛮人にも無警戒だったが、
秀吉はキリスト教を禁止して南蛮人を排した。
家康は秀吉を受け継いで鎖国をとった。
信長が生きていたら日本はフィリピンのような国になっていただろう。
日本を救ったのは秀吉。 >>141
池上裕子「信長にはビジョンがありませんでした。単なる室町幕府の延長にすぎません」 >>141
家康は鎖国してない。
カトリックの国からプロテスタント国に相手を切り替えたけど。 >>141
信長はキリシタンの本場だった九州まで乗り込む前に逝ったからね
信長の時代の畿内のキリシタンはまだ取るに足りない勢力だった。だから他の宗教と同じように公平に保護してやった >>144
池上裕子「信長にそのようなビジョンはありません。信長は今までの大名と同じで領土拡大にしか関心はありませんでした」 >>144
池上裕子「信長は武力で敵を徹底的に滅ぼそうとしたので時間がかかりました。秀吉も当初はそうしましたが、それでは時間がかかることに気づき、島津や大友を取り込んでいきました。そのため、秀吉はわずか8年で統一を達成しました」 まず全国の大名が領土拡大を目指していたというのが胡散臭い。そんなこともないだろ
信長も島津と大友に停戦令を出して大友に毛利攻めを指示してるんで秀吉は信長のやり方をそのまま踏襲しただけに過ぎない 池上自体が信長以外の戦国大名は農民をこき使わない政策してたとか
太閤検知が農民をこき使わない政策とか明らかに間違ってるからな
そりゃ学界や権威者からもうちょっと勉強しろと言われるわw >>147
尾張の小大名は加増を拒否して陪臣になってでも動かなかったな 秀吉は上杉景勝と毛利輝元を降伏させたが、信長は許さなかっただろう
それで滅ぼすことはできただろうが、徹底抗戦されたり、反乱起きたりで結局は秀吉より時間かかった可能性は高い気がする
というか寿命がくる 本能寺の変なかった場合、信長の寿命はどんなところだろう
塩分好きで恐らく高血圧 >>151
秀吉が織田家中の争いを勝ち抜く過程で毛利と上杉も協力してるからね
そりゃ協力者を滅ぼしたりせんよ >>152
あと5年としても信忠が30歳になるし盤石だろうね
秀吉も家康も先に死ぬ 秀吉は兎も角家康はどうかなぁ
健康オタクでまだ30年生きるんだろ? まあまず織田家が続くと家康が関東の大大名になることがないからな 武田も上杉も毛利も講和交渉はやってたし、本願寺講和後は信長への臣従前提での交渉。
ただ
信長は交渉窓口は閉ざさないのだけど
自分が有利だと武力征伐が基本路線らしく
北条も武田滅亡後は冷たい
どうも信長は戦国大名がそのまま臣従するのをあまり好まなかったということはいえるかも >>157
池上裕子「信長は武力で敵を徹底的に滅ぼそうとしたので時間がかかりました。秀吉も当初はそうしましたが、それでは時間がかかることに気づき、島津や大友を取り込んでいきました。そのため、秀吉はわずか8年で統一を達成しました」 島津も大友も信長に取り込まれてた定期
光秀を片づけた後に秀吉が大友に信長時代と同様の付き合いをお願いしたいって手紙を出してたらしいじゃねーか 東北からも使者が贈り物届けに来てるし臣従するつもりだよね >>159、160
池上裕子「私はそう思いません。信長を過大評価しすぎです。信長は安倍晋三と同じです」 俺もそうは思わないな
島津なんて信長に領地没収されたらすぐ反乱するに決まってる >>162
池上裕子「信長には、皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった。秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった。
それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった。」 >>164
池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。秀吉は太閤検地や石高制と、一応その仕組みづくりをした。
信長は各地の支配を重臣に任せ、その重臣たちが各地でいろんな政策を試みました。信長自身がやったことはありません。」 >>165
無知すぎる
太閤検地は農民が自分等の食べるために隠しておいた田畑からも絞り取る政策なのに >>165
>信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない
武田の重税知らない馬鹿
そして、重税から逃げられないように逃散防止のために連帯責任負わせた上に関所で移動もできなくして
農民の自由を奪いこき使った武田を知らないのかな?こいつ 信長には良くも悪くもないという点で間違ってないじゃん
家臣に任せて終わり >>169
家臣に任せたのは晩年だし、それまでは自身が前線に立つほど頑張ってたやん
50近くになった信長になおも前線に立てとでも?
信忠という後継者も育成していたのに >>170
自分で答え書いてるじゃん
戦に明け暮れて農民に対する政策は無かった(家臣に丸投げだった) 越前国の時の信長の指示
一、 国中へ不当な課役を申し付けるべからず。ただし、わけありな理由がある場合には、必ず我々へ相談して、その指示に従うべきこと。
一、関所は廃止のことは、越前国も同様とすること。
農民・商人に関係ありそうなところはこんなところか
国掟 武田征伐後
一、関銭・駒口を取るべからざるの事
一、百姓前、本年貢の外、不当な課役を申し懸くべからざる事
税に関しては不当に取るなと信長は指示を出してるね
武田の関所は農民の逃散、勝手な移動を防ぎ自由を奪うためのものなのに
信長以外の戦国大名が、農民を勝手にこき使ってはいけない政策してたとか笑える >>171
信長晩年に尾張や大和で検地してるし、越前掟や武田領仕置見ても農民に対する政策が無かった、ってどういう見解なわけ?
家臣に丸投げ
実務部隊の奉行送り込んで定期的に監査や指示をしてるんだが、あれ丸投げなんか? >>173
晩年までやらなかったと自分で書いてるよねw 検地が農民のためと思ってる馬鹿は池上の他にいるのか?w >>175
いないと思いますが
というか、池上は信長が何にも農民に対する政策をしてないだから、検地以前の問題かと 検地は農民が自分等の食べるために隠しておいた田畑からも絞り取る、農民をこき使う政策
ガチで検地しようとすると豊臣政権時に起こった肥後国人一揆のように反抗される
だから、太閤検地のようなガチの検地せずに農村からの自己申告の差出を受け取り
>>172のように関所や余分な課役が無いほうが農民には有り難い話だよね 農民が喜ぶ政策かどうか以前に信長には政策そのものが無かったって書いてあるだろ
農民にとって有難いかどうかは関係ない >>178
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
は?
「農民を勝手にこき使ってはいけない」と「農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。」なら>>172の関所や不当な課役を無くすほうが効果あるだろw 太閤検地が農民のための政策とか書くから池上は同業者にも馬鹿にされるw
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。 >>179
>>>178
>>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
とか、って書いてあるから農民に優しい政策のことだけを意味しているわけではない
武田の監視的な政策だってそれはそれで農民に対する政策である
信長には政策自体がない
>「農民を勝手にこき使ってはいけない」と「農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。」なら>>172の関所や不当な課役を無くすほうが効果あるだろw
武田にしろ北条にしろ戦に明け暮れてどうしても農民に負担がかかるから懸命に徳政令や税の免除等で農民と向き合っている
信長にはそういうのがない >>181
平山は武田は棟別銭で物凄い税をかけていた、と言っていたがな
武田が税の免除なんかしたことあったか?
勝頼の時代には隣の北条の二倍になる基地外じみた税や賦役を課していて、あまりの酷さに農民が織田軍に寝返り協力までしてるし
これが農民と向き合うと言えるのか >>181
>農民に優しい政策のことだけを意味しているわけではない
いやいや池上はその後、↓こう言ってるんですけど?w
池上「農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。」
>武田にしろ北条にしろ戦に明け暮れてどうしても農民に負担がかかるから懸命に
武田は重税なんだってw
連帯責任負わせたり関所でガチガチに固めて逃げられないようにしてたのw 武田が重税だったことくらい知ってるよ
重税だったかどうか農民にとって優しい政策だったかどうかは論点じゃない
池上氏も信長が農民を疲弊させたとは書いていない
農民と向き合ってなかった
統一政権を目指すような農民に対する政策がなかったと書いているだけだし >>184
>統一政権を目指すような農民に対する政策がなかったと書いているだけだし
そんなもん武田にも他の大多数の戦国大名にも無いわアホw 貫高や石高に応じた軍役や棟別銭とか山ほどあるだろ
要はそういうルール作りだろ
信長にはない
だから佐久間折檻状みたいにサボるなと難癖をつけられる >>186
軍役が農民をこき使わない政策?w
棟別銭が統一政権に必要なルール?(大爆笑w)
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
ほら信長以外の戦国大名はあっただとよw
池上擁護に四苦八苦でブレブレすぎて笑える 池上氏の主張と同じかは知らんけど棟別銭や検地みたいな徴税権の行使って国家権力の一番の要でしょ
信長みたいに漠然と不当な税をとるなでは高い理想なんか感じられない
信長としては津島とかのみかじめ料や堺や本願寺へのカツアゲ、敵国からの収奪で充分だったんだろうけど >>188
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
池上の言ってることと違いますよw
君の言ってるのは農民のためじゃなく、【支配者側のための】政策ですよw >>189
>池上:支配領域である分国を広げ、全国を分国として支配するためにの戦争に明け暮れた。その戦いは、武士や領主階級を統合するためのものだったとも言えません。各地の地域権力を基本的には滅ぼし、絶対服従するものだけを編成していった。
>
>それを平和をもたらす統一のための戦争だったと特別に評価するのはおかしい。関所廃止や楽市令など流通政策は信長の特徴です。でも農民をどう支配するか、武士全体をどうしていくかという全国区の政策は信長にはない。だから統一政権とは言えないと思う。 >>190
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
話題そらしですかな?
俺のID見ろ
これに対して池上はおかしいと言ってるんだよ?
それをコピペして何の答えに? >池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」
特にこの部分な >>191
農民を疲弊していく政策はあってはならない、の文に過剰に反応しすぎだよ
武田も北条も農村あっての軍事力で農村を疲弊させないようギリギリのところでやりくりしていたのは確かだろ
武田勝頼は破綻したけどそれは論点ではないし、信長が農村を疲弊させたわけでもない
池上氏の主張の要旨はむしろ>>190
検地は遅れていて土地に対する政策がないとか、中間搾取は温存とか、流通政策以外は目新しいものなし、辺りは池上氏以外の学者も散々書いている >>193
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
はっきり書いとるがな
>>190とは主張が正反対だから言っとるんや
こいつ頭おかしいのか、とな >>194
最後に信長がやったことはありません、と書いてあるがな
君の国語力に問題があるんだよ
あるいは揚げ足取りしてるだけだな >>193
太閤検地も上杉等の大名は指出検地のままだと知らない馬鹿 >>195
信長も検地しとるがな
目新しい政策?>>186で棟別銭挙げてたアホがいたが棟別銭なぞ鎌倉時代からあるw そもそも池上氏のクソ退屈な検地関係の論文とか読んだ上で批判しているのか疑わしいな
今年の大河も信長像だいぶ変わったし、特段池上氏が異端だとは思わないけどな
193の後半の話なんて谷口氏の本と信長研究の最前線から引用しただけのものだ
検地してたかどうか、差出検地かどうかなんて周回遅れの反論だわw >>199
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
こんな事書く時点でアホってことが分かるw
オリキャラと改変ばかりの大河を出すとかも笑えるw
最後は話題逸らしで逃げるw >>199
>特段池上氏が異端だとは思わないけどな
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。
なお、学界や権威者たちから「多く」批判された模様w >>200
国語力がない君に説明してあげるよ
>>>199
>>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
とか、と書いてあるのでカッコ書は別に読まなくてOK
信長以外の戦国大名は農民に対する政策があったと書いてある
>>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
これは全ての戦国大名に共通する原則論を書いているだけで信長が疲弊していく政策をしていたわけでもないし、全ての戦国大名は農村に気を配らないといけなかったと当たり前のことを書いている
秀吉は農村に対する政策として太閤検地をやったと書いてある
そして一番大事な結論は信長は「農民に対する政策はなかった」と書いてある
具体的には家臣に丸投げだったと書いてある
だから反論するならそこに絞らないと論点ズレてます >>201
>>>199
>>教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。
教科書書くような人とか権威者とか両者とも軽く見下してるよねw
今はまともに論文書いてないだろという自負を感じる >>202
>とか、と書いてあるのでカッコ書は別に読まなくてOK
はい、都合悪い処は削除w
俺は最初からそこがおかしいと突っ込んでるわけでw
無かったことにはできないよw
>秀吉は農村に対する政策として太閤検地をやったと書いてある
検地はそもそも農民をこき使う政策な
豊臣政権時の検地を反対して一揆もおきている >>203
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
こんなアホなことを書けばそりゃ学界のお偉方からも馬鹿にされてムッときたんだろw
池上の逆恨みw
多く批判されるってことは間違っとるんやw もっと頓珍漢な信長像なんて山ほど見かけるんだからそっち叩いた方がいいんじゃないの?
革新者(実はかなり保守的)、早くから天下を目指していた男(実は結構成り行き)、南蛮胴着てキリスト好き(実は中国がお好き)、兵農分離(全くの出鱈目)、鉄砲重視(みんなそう) >>204
カッコ書の例なら北条氏にありそうだけど何にそんな噛みついてんの?
農民に対する政策の一つの例示でしかないのにその例はおかしいって噛み付くのは君がおかしいよ >>207
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」
>信長以外の戦国大名
はい、ここ注目
信長以外の戦国大名はみんな農民をこき使ってはいけないって意味なw
武田とかがこき使ってる時点で崩壊してるんだよw
馬鹿すぎだろw >>208
バカは君だよ
信長以外の戦国大名は農民に対する政策があった
その例の一つが農民をこき使ってはいけないという政策
信長以外の戦国大名が農民をこき使ってはいけないという政策があったとは書いていない >>209
>池上裕子「信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。秀吉は太閤検地や石高制と、一応その仕組みづくりをした。
馬鹿はお前だろw 農民をこき使ってはいけない「とか」とあるから、
農民をこき使ってはいけないというのはあくまで政策の一つの例示です >>210
>>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
原則論書いてるだけです
信長が疲弊していく政策をしていたなんて書いてません >>211
順番変えて読み出してワロたw
信長にはないとはっきり書いてあるだろw >>212-213
池上「信長にはない」って言ってるけどな
まあ逃げるしかないわなw
おやすみw 池上信者なんているのか
そんな無理矢理曲解してまで擁護するようなことか? 人返し令とか美濃制圧時にやってるわけだが
これもあくまで城下町のために農民を農村へ戻したという考えなんだろうか
>>193
北条も武田みたいに農民の逃散相次いでるぞ。
>>194
ID:i77dlw+rが頭おかしいんじゃなく、
池上氏の著書がつじつま合っていないのでそれを参考にすると話がおかしくなるだけかと。
>>202
でも池上氏自身は丹後検地までなかった=少なくとも晩年にはあったと主張してるので
本人の中で「農民に対する政策はなかった」はどうつじつま合わせしてるんだろう >>209
越前国掟とか不当な課役を申し付けるべからず
と農民をこき使ってはいけないという政策にもろ当てはまるぞ 柴 裕之 近著「織田信長」には永禄6年に尾張で土地改 をしており、その際に軍役も定められただろうと書かれており、
信長が比較的早い時期に本国でなんらかの所領調査(検地か指出かは不明)を全体でおこなっているのは間違いないらしい、
横山住雄「織田信長の尾張時代」にも永禄6年と天正4年に尾張で土地改めを行った形跡にふれており、
織田家に軍役がないというのは無理そう そもそも知行によって家臣(主戦力)の数は決まってるんだから
軍役が在ろうが無かろうと主戦力の数は変わらん
佐久間折檻状に書かれてるように家臣の数が適正かどうかは信長も当然把握してる
足らないから信長に文句言われた 池上裕子とかいう露骨にイデオロギーでフィルタリングして信長を観てる学者を礼賛してる人がいてビックリした >>223
子孫が先祖を過大評価するのはよくあることやろ 池上裕子ちゃんどんな人かと思ってググってみたら棺桶に両足突っ込んだBBAで草
多分アルツハイマーなんじゃないのか >>221
そもそも信長以前の時代
南北朝時代や鎌倉時代は、軍役は無かったのか?
それともテキトーな軍役? >>225
江戸時代信長の孫や曾孫と言うだけで、知行ゲットした庶家もあるからな
信長に足向けて寝られんだろうよ 「プレジール福島」1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務 昭和62年うまれ)は怖い住民。井本寛(いもとかん)の壁ドンが横行、住んだら絶対ダメ!そんなマンションが「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、トランクルームとしても役立たない下水臭いマンションが「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、安かろう悪かろうがモットーの商都が運営する賃貸マンション「プレジール福島」(福島区福島1−3−27),
夜中笑い出す怖い入居者が多数入居中、鉄筋つくりなので響く騒音、そして嫌がらせの横行。
性器ヘルペスの異常性癖者が1002号室の井本寛(近畿日本コンサルタンツ勤務)の賃貸マンション「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、、
賃料を下げても空室率が上昇中、貧乏人とトラブルメーカーの井本寛をはじめとするクズのたまり場の「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、下水臭い室内は商都のメンテナンス不足の証拠,
入居時に前の入居者の陰毛が散乱した状態で引き渡す清掃料金ぼったくりの商都が運営する「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)、住んだら絶対ダメ!「プレジール福島」(福島区福島1−3−27) ,空室率上昇中!「プレジール福島」(福島区福島1−3−27)
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 井本廉 井本もも 井本梅香(杉並区成田東1-11-6-102) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛の持病 性器ヘルペス ソープで感染 井本寛(いもとかん)のペニスに毎日大江橋クリニックで処方された軟膏を塗る生活
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 柳 恒太郎(豊中市北緑2−1−18−1115) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 船越 明生(門真市上島町6−12) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 東 利則(茨木市小川町9−211) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 田岡 亜弥(横浜市都筑区牛久保東1−26−43) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 西口 昌宏(岸和田市八幡町10−15) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 飯尾 義弘(神戸市灘区八幡町4-9-27) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 葉山 大樹 葉山 真里 葉山 結里奈(東成区深江北3−15−14) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か??
「プレジール福島」 1002号室の井本寛(いもとかん 近畿日本コンサルタンツ勤務)と不愉快な仲間たち 立花 直輝 立花 智美 立花 和美 (住吉区山之内1−17−13) ←こいつら井本寛から性器ヘルペス感染か?? 33 >>229
無かったから家臣の自己申告任せてどんどんありえない数字に膨らんでいったんやろ
南北朝時代 >>219
平山優氏とかもチラッと織田家にも軍役があったことに触れていた気がするな。
具体的に何石に対し兵士が何人とかって言う記録があるかは知らないが 武田北条の軍役みると兵装まで指定されてるってことは、まともな兵装で来てない奴らが沢山いたってことでしょう。
ヤンキーばかり集まる武田北条のヤンキー工業高校は服装を守らないからガチガチに規則にされてるだけ。
進学校の織田高校は何も言わなくても服装は守るから校則は厳しくない。
法律もそう。
品質などで問題が発生したから粗悪品を排除する基準を制定している。
品質に問題が起こらなければ法律で基準が設けられることはない。
コロナ対策もそう。
日本は最初からマスク着用を法律で義務化してないが国民性でほとんどがマスクしていた。
外国は法律で義務化しないとマスクしない人がたくさんいた。 池上裕子がちょっとあれなだけじゃないの、これ?
とはいえ、こんなこと成蹊大学の教授が言っていたとは驚いたが 秀吉が全国統一するのに軍役は必要無かったしな
全国統一前の秀吉の手紙もなるべく多く兵を連れてこいばかり
度々出る秀吉の軍役は全国統一後に定め
朝鮮出兵で実践されたもの >>239
そこら辺は諸侯勢力の形成の仕方の違いなんだろうな
東海近畿は有力な地主や豪商の自警団組織が独立した武装勢力として形成してるけど、関東甲信越は無法者集団が武装勢力として形成されるからとか。 兵科別編成とかガチで言ってるアホがまだいるのか
長篠でも武田は国衆地域別で陣城に突撃してる記述があるのに 兵科別編成の根拠とされてる北条の岩付の着到の奴ならあれは武具着用で勢揃いさせて
ちゃんと武具が揃ってるか点検させた話だしな
その後に氏政の元に大半の武具が着到通りになっていないとの報告が続々と入り
氏政か武具が全く足りないと嘆くまでがセットの話 >>237
戦国時代の記録の方が圧倒的に兵数が少なくなるけどな 信玄時代の軍法(永禄十二年武田氏軍法)
弓・鉄砲は大切だから、長柄・持槍は略しても(弓、鉄砲を)持参すべきである。
勝頼時代の軍法
いまは鉄砲が重要だから、槍を省略しても鉄砲を持ってこい。鉄砲の玉薬をたくさん用意した者は忠節と認める。
兵科別で決まってるなら信玄も勝頼も槍の代わりに弓・鉄砲を持参すべきと言わないしね。
信玄時代は玉薬について記載せずに鉄砲だけ持ってくるという欠陥があったから勝頼が玉薬を沢山用意すれば忠節と言っている。
長篠の後の軍法だから察するべしだが。 >>114
秀吉家康の石高制は貨幣経済の混乱で米しか信用できなかったのもあるからそこは問題ない
問題なのは以降の将軍たちが経済を理解できず石高制を続けたことよ >>250
土佐藩や尾張藩辺りは土地運用や金融への重要性を早くから理解してた感じがする。そう言う人間を幕政として登用しなかったのも倒幕に繋がったのかなと思う。 >>239
意地悪すると織田軍の兵士は言っても聞かないヤンキーで指示出しても無意味だからと言う風にも解釈できちゃうし
仮に信長も同じように細かく指示してたら「流石信長様!こう言う細かい指示が強さの一因か!」
とか言っていそうなものである >>252
初期はそんな感じだったんじゃねーの?クセモノ揃いの兄弟達がまともに信長の言う事に従うとは思えんし。徐々に排除していって洗練されていったんじゃね? >>249
>信玄時代の軍法(永禄十二年武田氏軍法)
>弓・鉄砲は大切だから、長柄・持槍は略しても(弓、鉄砲を)持参すべきである。
これはいわゆる家臣任せでは?
信長は弾薬を細川に命じて調達させて長篠に届けさせてたよな? というか戦国好きを自称して池上裕子知らないってのがありえない
池上の論がどうのという前の話だわ 同業者にも馬鹿にされる程度の奴だし知らなくてもOK
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。 >>255
池上裕子の代表的な著書ってなんですか? 著書っていうのがすごくばかっぽい
池上は研究者だから主戦場は論文
どのつく素人どもがいっちょ前に知ったかで論を語ってるの草 学会からいろんな声が上がるのも健全だし
というか論考発表するのはそのためでしょ
学問やったことないの丸わかり 歴史の研究は地理や経済とか少しジャンルが違う先生が書いてる本の方が読みやすいイメージ 代表的な著書が無いのなら世間に認知されない程度の低い学者と見なされても否定できないぞ
学問は学者だけの知識では意味がない
実社会に落とし込んで共有して初めて役に立つ
その為に著書を出して世間に自身の論説を広めるんだろ?
著書も出せない程、学会でも支持を得られていないと言われても反論の余地があるとも思えないが >>259
学会から色んな声が上がるっていうのは
、西上作戦の進行ルートや高天神城の小笠原懇望の解釈の違いで、学者同士が互い論説を語り合うことや
こいつの場合は諭されてるというかもっと勉強したほうがいいと馬鹿にされとるんや 池上は業績のわりに一般書籍の単著が少ないだけ
監修も多いし参考文献や注がついた論文、書籍を読めば池上の名前はいたるところに出てくる
ちなみにいま手近にあった新しめの書籍確認したら主要参考文献のところに2冊池上の本がある 池上の論調に異論があるのは好きにしたらいいけど存在すら知らないってのがモグリとわかるところ
戦国じゃなく日本中世史をちゃんと勉強していればいやでも目に入る
ここ一通り目を通したけど知らない人多過ぎ
それに1月1日にスレ立ててコピペ連投してるのは異常者としか思えない
急にそんなの怖くなる 池上氏はまともな学者だろ
変な歴史研究者とは違う
残虐な独裁者とか統一政権ではないという主観的すぎるけど
でもそういう見方は全部が全部間違いでもない
残虐で好かれない性格だったのは間違いないしw 池上に異論があるのはこのスレだけじゃないのでw
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。 少なくとも論文も書かないで小説家もどきの本書いてる人や教科書なんか書いてる人よりはマシでしょうよ 池上が挑戦的な論ぶち上げていまの流れがあるんだよね
信長って実は革命児じゃなくて保守的なんじゃないのと
そういうのって池上の本業分野じゃないけどね
論争起こるのっていいことだよ
ひど過ぎて学会に無視されるような金の無駄本ばかり読んでいると理解できないだろうけど
はっきりいえば無駄本の方が圧倒的に多いし
いくら気をつけていてもたまにそういう本をつかまされたときの後悔たるや
金もそうだが時間を返せと
兵科分離のあれもそう
一丁目一番地の論拠が薄弱すぎる 池上は細かい基礎研究と通史のどっちも書ける珍しい人
普通はどっちかだけだから
信長論は専門じゃないから突っ込みは入るにしてもきっちり論争を呼んでるのはすごいこと 論争を呼んでるというか知識のない馬鹿が騙されて買って
ここと信長スレでフルボッコにあって顔真っ赤になってるだけだろw そういう俺も読んでない
文句つけてるのも誰もあの本は読んでない
俺に言わせればパン屋でラーメン頼むみたいなもんで
パン屋で買うパンは美味だがラーメン食べるのはやめとこうねというお話
池上に難癖つけるのは池上がパン屋だって知らないんだよ パン屋なのに店の中でラーメンを食べられるの?
それはパンを売っているラーメン屋やろ >>268
>池上が挑戦的な論ぶち上げていまの流れがあるんだよね
論文としてなら20世紀の頃から信長の政策の否定論は出ていて、
今までの信長像の否定論が2000年代半ばぐらいから一般でも流行したから、
専門でもないのにそれに乗っただけだろう、だから一般人からでも突っ込みが入る。
>>271
それだな、
一般人に売るための書籍買ってそれを検証しないでスレで書いて突っ込み受けて、
学者が言ってるから正しいとか言い出して、
結果として池上氏を知らない・論文と一般向けの書籍の区別がつかない人の中で池上氏の評価が落ちると。
池上氏の『織田信長』が金の無駄本だったというのは正しいかもしれないが、
それで忠誠農村史の専門家としての池上氏を否定するのはやめろと。 「信長様強えぇっw」ってマスかいてた層にはとことんウケが悪い >>272
織田信長は過大評価されすぎ 15
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1609400337/362-364
ここに読んだ人の感想があったな。 歴史を語る上では一級史料が当たり前なんだけど
池上とかの間違った論説も一級史料として扱おうとしてた馬鹿がいただけの話よ そもそも他に叩いた方がいい人いくらでもいるでしょうに >>277
おら、うずうずしてきたぞ!参戦します
あるところで史料厨呼ばわりされたものですが、一級史料と一次史料はまったく別物ですよ
それに一級史料だけからでは歴史は紡げません!
まっとうな研究者なら疑問符はつけつつ、二級史料も取り上げてます おい、これ立てたのヤフー知恵袋だろ?www
脳みそにシナプスあるのか?www
池上先生はもはや古典といっていい研究者だ
年が年だから一線にはいない
やふー知恵袋で批判されていた!っていう批判ほど「あはれ」なものはないぞーぞーwww
池上先生は村落社会に目を向けた功績多大な研究者である
ちゃんちゃんばらばらにしか興味ないマヌケがぐちゃぐちゃ言うんだ
仮想戦記ありがたがっておけ、産廃 >>279
>一級史料と一次史料はまったく別物ですよ
>それに一級史料だけからでは歴史は紡げません!
>まっとうな研究者なら疑問符はつけつつ、二級史料も取り上げてます
一級史料、一次史料、二級史料それぞれ説明してみなw >>281
しつこいな、もう眠いんだけど
一次は公文書や日記
ストレートに信じてもよさそうなもんだ
あくまでよさそうね
一級史料は信長公記とか、一次史料はじめとして検証し、その上でおおむね信じるに足る史料だ
どちらもそのまま信じられないのは注意な
何次史料でも、ほかとの比較が大事だし、そこが深堀りとセンスなの
道端に転がっている伝承だって価値はあるよ
乙夜之書物の再発見で本城覚書の価値は上がったと思うし、なら斎藤利宗のそれまでに既知な発言にもちゃんと注目すべきだと私は主張している >>283
「二級史料」は?w
「二級史料」なんて書いてある時点でニワカの馬鹿だとすぐ分かるw >>274
専門家なら、信長が「何にもしてない」は流石に酷くないかね? 池上裕子が出した人物叢書の織田信長を読んでみたけど、流石にあれは酷すぎるでしょう
専門家なら、感情を入れずに事実を書かないといけないはずです。少なくとも、人物叢書の織田信長には、感情丸出しで事実と違うことがよく書かれていました >>284
一級史料があり、それに足りないが注釈つきで使われる史料はあまたある
それを二級と言ってる
二次三次史料だって同じでしょう
素性の明らかな史料なんてきわめて少ない
一次史料は鉄筋、その他の雑多な史料は壁土の関係にある
ここらが史学の学問としての限界なんですね
池上先生は地場の一次史料を読み込んであの時代の社会史に迫った第一人者という理解ですが
誰が強い、兵力が何万だという幼稚な人は池上先生のことを知らないのも無理はない >>286
アホだな
信長公記は形式的には二次史料
ただ当事者として筆者として信憑性が高い史料だから信長公記は(第)1級史料とされてる
二次史料形式でも信憑性の高い史料含めて(第)一級史料と呼んでるだけ
二級史料なんて意味も分からずに使ってる馬鹿はお前な なにがあんな所に書き込みするかだこの嘘つき野郎
114 名前:人間七七四年 [sage] :2021/01/18(月) 23:06:33.60 ID:2onvQZRR
>>110
信長のところ?
前読んだら気持ち悪かったからえんがちょですよ、あんなところに書き込みなんかするか
史料を扱える人もちゃんといたけど、仮想戦記厨やノブ、ヒデとか気色の悪い略語使うのがたくさんいたから引いた
あと、なんか荒らしがあそこにいるの?
誰でもかでも霊視して荒らし認定するあなたみたいのもたくさんいて、無意味にスレを埋めているのは目撃した > 信玄時代の軍法(永禄十二年武田氏軍法)
> 弓・鉄砲は大切だから、長柄・持槍は略しても(弓、鉄砲を)持参すべきである。
> 勝頼時代の軍法
> いまは鉄砲が重要だから、槍を省略しても鉄砲を持ってこい。鉄砲の玉薬をたくさん用意した者は忠節と認める。
これはいわゆる家臣任せでは?
ノッブは弾薬を細川に命じて調達させて長篠に届けさせてたよな? 池上は専門家というならもう一度ちゃんとした著書出したほうがいいね 池上先生のメイン分野は戦国社会論なんですよね
この分野では間違いなくトップランナーだった
もうご高齢ですから、最先端ではないけど
戦国の庶民生活とかは、誰が強いだのあそこの兵力は何万だの、そういう話しかできない幼稚な人たちには興味ないんでしょうね
信忠スレで池上先生を批判してたやつは、その根拠にやふー知恵袋でも批判されてた、なんて妄言を吐いていましたw
池上先生のことを知らないだけでも恥ずかしいのに、なにを血迷ったのかやふー知恵袋wwwwwww
たぶんそいつがここ立てたんだと思いますけどね
やふー知恵袋w
そんなのもう高等なギャグだと思うでしょ?
いや、本気みたいなんですよね >>293
必要ありません
バカ以外、普通以上の人なら池上先生の業績は理解していますから
その上で、通史ならともかく、人物論なんてはっきりいえば史学の範疇じゃない
まして池上先生の専門分野ではない信長論なんて読んで怒る方がおかしい
松阪市に行っておきながら豚を食べて、おいしくないと言われても困るんですよ
松阪市なら牛、大間ならマグロ
池上先生なら社会経済史 池上先生の論で一点不服なのは、農民対策がなかったというところ
他の戦国大名はたしかに細かい分国法などを残していますが、それは問題があったから規定したわけで
北条がごちゃごちゃいろいろやってますが、あれだって農民のためを思ってではなく、農民がちょうさんしたり夫役を守らなかったり、問題ばっかりあったからでしょう
徳政もしかり
といろいろ書いてもやふー知恵袋はコピペしかできないわけですよ
ある意味ピュアですよね
やふー知恵袋を盲信するんだからw >>285
一般向けの歴史関係の書籍だと、
専門家の感情が紙面に出ていて、碌な根拠もなく想像で書いてるぐらいは普通にあると思う。
あそこまで感情丸出しなのは人物叢書という歴史専門のレーベルが出した中じゃ珍しいけど。
歴史読本とか歴史群像とか戦国武将絡めたビジネス誌辺りでならよくあることで済ませるんだろうが。 同業者にも馬鹿にされる程度の奴だしw
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。 >>295
専門分野でもないのに、そんなのだしたのは問題じゃね? だから、専門の同業者から非難されのでは? 昨今の信長の人物像や志向について「一般に流布されている人物像とは違う」という話を
聞きかじっただけの人が「一般に流布されているような高い能力をもった人物では無い」と拡大解釈して吹聴する
孔明とかでもみた光景 >>300
ちょっと齧った気になった人が
人気武将とかをボロカスに貶めて、こんなに有名武将を腐せる俺様は超偉い!とやるのは歴史好きの誰でも通ったことある道だからな
みんな心当たりあるだろう?
そこから更に調べて人気武将が人気あるにはそれなりの理由がある事に気付けたり
また別の人気武将を腐してエンドレス貶めのドツボにハマるかはそれぞれの品性の違いになるけど 信長の能力が高かったと言う事実を裏付ける事象は死後まであるしな 散々言われてるが能力があったからあそこまで拡大したわけだしな
親父が凄かっただけとか捻くれた見方をしているのもいるけど、親父が死んだ直後の信長を取り巻く環境は全然順風満帆じゃなかったからな
美濃の斎藤道三に負けて婚姻融和をしたばかりだし、東の今川からも領土を侵食されてるところだった >>304
今川にも負けとる
信秀の末期は結構酷くて同じく内外に敵の多い道三と同盟結べたから何とか信長の代で生き残れた 尾張統一戦のサバイバルはもっと周知されていいよな
あの過程が天下布武に邁進できたノウハウを培った訳だし >>307
池上裕子の織田信長は、桶狭間から始まり尾張統一は無視していたよ これご本人としか思えない必死な人おるな
情けないことこの上ない負け犬っぷりが物悲しい >>259
ちょっと読んだだけでヘドが出たわ
学界はなんでこんな感情的かつ思考力皆無の稚拙な糞ババアを野放しにしてるのか不思議でしょうがない そもそも論として、家臣や立地に恵まれてたとか親の遺産がとか信長幸運論みたいなの学者でも言うバカが少数いるが、客観的に見てもっと恵まれてた武将なんかゴロゴロいたぞ
304が言うように尾張統一の過程で背負ったリスクや努力はもっと研究されて正当に評価されてしかるべき
桶狭間のあと、信玄に代表される当時の大半の大名みたいな思考回路してたら、北や西なんかほっといて今川領にせめこんで占領してるよ
そうせず困難であるが美濃近江に向かった時点で、若い頃から大志を持ってたことが分かる 家臣に恵まれてた論に至っては、明智は足利・朝倉に仕えてたこともあったし秀吉は今川(松下)に仕えてた
滝川も明智も秀吉ももとは流浪の下賎の出で、信長以外の大名は日銭で雇われた足軽上がりの者が大軍を指揮できるほど抜擢されうるような仕組み・軍制を確立出来てない
家臣に恵まれた、じゃなく、優れた家臣が台頭してくる仕組みを信長が努力して作り上げただけに過ぎん >>312
史学軽視の風潮が蔓延って真面目に研究する学者の成り手がいないんだろ
そりゃ学者のレベルも下がる このおばさん独自の主張でもないよ
谷口氏や信長研究会の本とかも似たようなこと書いてある
信長はかなり誤解されてるのは間違いない 農村に対する政策や検地はあまり無かったとか、遅れてたというのはどの学者も書いてるな >>318
信長の消えた家臣たち
概要、信長が謀叛を頻繁に招いたのはその性格に問題があったから >>319
逆を言えば従来の政策で十分機能してました、ってことを専門家が認めてることになるよこれ
検地したから正義とか先進的とか言っていいのかな
それに信長が尾張や大和で検地していた事実も出てきてるし >>320
ああ、あれか
おばさんと同時期に出ていたね
ただ、谷口は信長が尾張美濃出自の武士だけエコ贔屓していたとは言ってなかったはずだが 「イメージと違って実際はこうだった」だけで本に出せて名前が売れてあわよくばテレビ出れるからな
叩き台としてこんなにありがたい存在はない
崩すのはイメージで、代わりに打ち立てるのも結局別のイメージだから
他の研究者に論理的に攻撃される心配も薄い
「みんなで信長のイメージ改変してみんなで名前売りましょう」をやってる >>321
不十分だから信長も晩年取り入れたんでしょ 大和の検地なんて晩年すぎて論外だし、尾張の検地にしても史料少なすぎて政策的に重視されてなかったのは明らか
やっていたから正義とか先進的ではなく、戦に明け暮れていて関心がなかったんだろう 関心以前に優先順位の問題やろ
信長には金があるし後にちゃんと検地もやってるし現実として天下取っとる >>322
谷口氏も服属した国人衆を信長は基本冷遇し、粛清することが頻繁と書いている
もっとも尾張美濃衆も結果を出さないと粛清だけどw
まあ論より結果で大名に残ったのは尾張美濃出身が圧倒的に多いし 武田や北条はだいぶ前からやってたらしいが、ならなぜ織田に勝てなかったわけ?
遅れた奴らに先進的な奴らが負けたのも、全て信長の運と立地なの?
上杉も検地したといっても景勝の代で、謙信の代にやってたっけ? >>327
んなこと言い出したら子飼いを取り立てた秀吉、三河譜代を取り立てた家康なんか信長以上だよ >>329
秀吉は島津や上杉や毛利や長曾我部を残している
信長の下は徳川と筒井くらい?
全然違う >>328
別に検地してたから戦いに強いわけではないだろ
池上氏の言うところの、信長は戦いにしか頭になく農民のことなど考えもしなかったということ
ただそれだけの話 検地の目的は百姓の所得を明確にして搾り取るためのもんやぞ
いわゆる太閤検地真面目にやった大名の苛烈さを知らんのか? >>331
信長が農民のことなど考えもしなかった、という割には織田領で土一揆打ちこわし百姓一揆って頻発してた?
一向一揆は含めないよなまさか?
永禄末元亀年間に畿内で土一揆があるが、あれは信長支配地というべきなのか? あの時期だと微妙すぎて信長なのかどうかわからないから誰か頼む
美濃尾張で一揆は聞いたことないが 国衆の冷遇に関しちゃ秀吉家康の方が酷いし、大名の扱いも秀吉家康の方が酷いだろ。
度重なる軍役普請で疲弊とか信長にはなかった、
まあ信長の場合は統一前何で出来なかったとも言えるが。 >>333
農民のことを考えもしなかった、とは農民を酷使するという意味じゃないし、農民が不満が持っていたという意味でもない
農民に関心持たなかっただけでそれ以上の意味はない
信長は関心を持たずに農村に対する政策は家臣に丸投げして、自分は戦に明け暮れた
それだけの話 >>335
…………
秀吉は自ら農政したのか?
家康は自ら農政したのか?
池上がそれよく著書で言ってたな
「信長は家臣に全て丸投げした」って
なら秀吉、家康、信玄、謙信、氏康らは自分からしないと、つまり家臣に任せる手足すらなかったってことか? >>335
丸投げしていたとして、家臣は好き勝手な農政や圧政していたの?
丸投げや無関心というのは家臣に好き勝手にやらせることで、信長は農民お前らの好きにしろなんて統治してたか? >>336
その辺池上氏の本に書いてあるから読んでから来たら?
読んでない奴とは話にならないよ >>337
>>>335
>丸投げしていたとして、家臣は好き勝手な農政や圧政していたの?
>
誰もそんな事言ってない
お前が勝手に妄想して発狂してるだけ 家康の農政担当って伊奈忠次と大久保長安じゃないのか >>330
中世からの過渡期に中世権力である室町幕府と闘争していた信長とその戦いの決着がついた後の秀吉家康じゃまた違うと思うんだけどな
荒木松永別所波多野とか皆室町幕府側の扇動に乗って立ち位置を変えたわけで 池上の本で言うなら晩年は農村政策したと書いてあるんだが、本当に読んだのか? そもそも家臣に丸投げしてたら佐久間みたいな説教文書書けないんだよなあ 丹後検地まで信長の農民政策は無かったって部分じゃ?
逆説的に晩年は農民政策あったって著者も認めてるってことだし。
なお越前検地は家臣が独自にやったことで信長は関係ないってスタンスみたい。 >>344
例の本じゃ佐久間のことで織田家は軍役なかったとかも書いてるな、
最近じゃ織田家も軍役あった説とか出てるし、
そもそも知行分より多めに兵連れて来いとかあるのにってのは置いといて、
仮に軍役なかったとしても、仕事命じられたら家臣は自分の才覚で費用を用立てする必要があったって部分、
費用自分持ちは封建制・江戸時代も同じだろうに、明治時代と比べているのだろうか?
本自体は出典も詳しく書いてあって良本の類だと思う、
ただ史実の事柄以外の著者の主観で書かれてる説明文は時折意味不明なのが。
ここじゃいろいろ悪く言われているが自分で考えられる調べられるような人間なら
それなりに読む価値あると思う。
学者だから正しいみたいな思考停止してそのまま鵜呑みにするような人間には悪影響が強いと思うが。 そもそも検地って江戸時代に入ってからも長く太閤検地の数字が参考にされてるぐらい(特に人員と時間の面で)めちゃくちゃコストの掛かる行政の一大イベントやから目的とタイミングが重要でとりあえずやれば良いってもんじゃない
そもそも農民政策ではなく家臣(に与える褒美となる領地)の収入実態把握調査という側面の方が大きいわ 検地してないのに何故信長が勝てたのかとか、農村政策しないのに何故一揆が起きなかったのかとか書いてる輩が本を読んでないのだけは分かる >>345
越前検地は信長が勝家に出してる掟を軸にやってるから無関係ではないはずだが 信長の時代と、秀吉家康の時代を同列に考える学者って頭悪くないか?
三国志で言うなら曹操の時代と司馬炎の時代を同列に扱ってるみたいなものでしょ
池上とかいうのは「秀吉は外様を取り込んだから信長と比べて8年と早かった」と言ってるけど尾張半分にも満たない信長と、中国地方東部を征服してる秀吉で比較するとかおかしくないか? 外様の取り込みはノブもしてるんだが
悉く裏切られたんだがな
なんせ義輝、義昭の言うことも聞かないヒャッハーどもだから家格の低いノブの言うことなど聞くはずも無いw
ヒデは実力で外様を屈服させて取り込んでるけど死後はコントロールできなくなって後継はひどい目に遭った
外様の取り込みはリスクが大きい >>351
信長の取り込んだ外様は前政権や前々政権の幹部や関係者なんだけど
普通は日本だけでなく世界で見ても粛清対象になる奴らを取り込む時点で異常だよ >>351
信長一人の独裁権力に依存してた織田家の本能寺後の混乱と没落の方が大概だけどね >>350
悪くないと思う
信長は本能寺の変が無ければ毛利、九州、関東を滅ぼすまで侵略していただろう
相手の面目を無視する傲慢で残忍な性格だから
その過程で離反も繰り返される >>354
どこまで信長嫌いなんだか
否定する奴はどこまでも否定するんだな 池上裕子「信長には、皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった。秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった。それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた。だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった。」 従わない連中公儀の役に立たない連中の扱いは秀吉の方が余程過酷と言うのに。 池上裕子が言う「秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった」って何のこと指してるんだろ? 秀吉の最初というと山崎や賤ヶ岳だが、秀吉は敵を皆殺しにしたりあるいは明確な勝利を収められてないか?
「それで地域の支配者を認めながらその上に自分が立つ支配の仕方を考えた」→これは毛利氏、島津氏、上杉氏、徳川氏などだよね? でもこれらを服従させられたのは、信長が既に彼らをかなり疲弊させていたのと、上杉毛利なんかは明らかに先代より劣化した当主がいたからもあるんじゃないのか? >>358
>池上裕子が言う「秀吉も最初、信長のような戦争の仕方をしたけれど明確な勝利は収められなかった」って何のこと指してるんだろ?
紀伊攻めと小牧長久手かなあ
>でもこれらを服従させられたのは、信長が既に彼らをかなり疲弊させていたのと、上杉毛利なんかは明らかに先代より劣化した当主がいたからもあるんじゃないのか?
完全服従を求めて面子を潰して圧迫、粛清するのが信長
官位を与えたり面子を保って降伏させたのが秀吉
この違い >>359
紀伊攻めが明確な勝利を収められなかった?
あれで明確な勝利でないなら、池上裕子はおかしいだろもう >>360
戦力が圧倒的だから勝つのは当然として、国人に無益な抵抗されて被害とコストもかかったからとか? >>361
いや、いや、いや
国衆が抵抗するのはどこも同じでしょ
秀吉だって九州後に肥後や城井に、東北後に大崎葛西らにされてるし、家康にしても今川残党や関ヶ原の越後なんかでやられてます
国衆には国衆の意地やメンツがあるんだから、池上裕子が言ってる方針転換したからスムーズにやれました、は間違ってると思います このスレ過疎ってたのにまた復活したんか?
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。
↑
池上の本なんて同業者にも馬鹿にされる程度の内容だって結論出たのにw >>362
少なくとも小牧長久手については反論ないからそれも違うでしょ >>331
アホかw
検地は百姓のためにやるんじゃなくて、自分のためにやるんだろ
>信長は民のことを考えてなかった
考えてなかったかどうか?は動機の問題であって、政策の優劣を競う問題ではない
池上及びその肩を持つバカどもはそんな論理的な考え方すら出来ない
1政策が民に支持されてたか?
2客観的に見て信長前と信長後の各地域は民にとって暮らしやすくなったか?
この視点で語るべき
信長が支配した年は清洲→岐阜→安土とそれぞれ人口が急増したのは事実
対して善政で有名な小田原は最初逃亡が相次いだ(だから氏康などは四公六民などで引き留めた)
当時の民は逃げる自由もあるので、信長が嫌いならその地域は人口が激減してしかるべきだが、そうした記録はない
安土城を一般公開して信長自ら見物料を受けとった話があるが、襲いかかる痴れものは誰もいなかった
信長が民に嫌われてたなら、明智はもっと英雄化されて味方が増えてたはずだが、最後は土民に射たれてる
信長以前の畿内は利権集団が牛耳ってて、物価が糞高く庶民には暮らしにくいとこだったはずだよ
普通に考えれば当時の民が信長を歓迎してたであろうことは容易に結論づけられる >>349
越前に関しては>>172にも書かれてるからね
信長が越前統治や税の方針決めて、わけ有りで新しく課役したい場合は信長に指示を仰いで、それに従えと書いてあるのに
馬鹿は丸投げと言ってるからなw >>366
政策の優劣を競う問題ではないのだから、君が書いてる長文自体がもう全く意味ないね
池上氏はそもそも農民に対する政策がない=農民に支持されていないとは一言も書いていないし、そういう頓珍漢なこと書いてる輩は本読んでないとすぐ分かる
池上氏は農民に対する政策がない=統一政権としての指針がないと書いてるだけ >>367
>>>349
>越前に関しては>>172にも書かれてるからね
>
>信長が越前統治や税の方針決めて、
172にそんなことは一言も書かれていないww
しれっとデタラメw >>206
>鉄砲重視(みんなそう)
ニワカすぎる
武田は信玄時代なんて鉄砲は軍役自体も少なく、玉薬は家臣に丸投げ、鉛ではなく鉄や銅と悪質なものを使う有り様
北条は氏政時代でも武器が着到通りにならないと嘆く有り様、着到自体も少ない >>370
余裕がないのと、重視してないのは違うぞw >>369
え?君もしかして越前の時の信長の定めた掟を見られない人?w
>>172もそれを視て書いてるのにw
史料見れないって馬鹿だよなw >>372
えー?関所廃止と、不当な税をかけるなだけが信長の統治や税の方針なのw
こりゃ統一政権でないとか丸投げと言われてしまうわけだww >>353
それ秀吉にも当てはまるだろ、
江戸幕府にしたって官僚制度整うのは秀忠期だろうし。 池上裕子ってしれっと「だから島津、毛利、大友にしろ秀吉の下で生き残った。天下統一も信長が死んでから八年と早かった」と言ってるけど、大友は織田信長の時代から中央政権に泣きついてるし、言ってることこれ大名クラスの話で国衆レベル無視してない?
信長は「信長には、皆殺しにしないとまた抵抗が起きるという不安があった」と大名クラスや国衆ごちゃまぜにしてるのに、池上ってわかってて言ってるのかな? それとも秀吉や家康の国衆粛清知らないのかな? そもそも誰も過大評価してねえよな
マッチポンプかな むしろ革新的な事なしに天下取った信長はとんでもなく優秀って事になるんやけどな >>371
勝頼がその後、軍法を変えてるのも知らないんだなw
信玄時代(鉄砲) → 勝頼時代(鉄砲)
新参・小者が持つもの → 訓練してないものが鉄砲使うのは言語道断
玉薬は家臣に丸投げ → 勝頼が家臣に命じて調達(信長とやっと同じw) >>378
単純な話、今も昔も人の使い方が上手いリーダーが勝ち残る
戦国時代だとそれプラス戦に勝ち続ければよい
具体的にどんな政策をしたかはあまり重要ではない >>379
そんなことは知ってるが、信玄時代から鉄砲は重視されています >>374
171: 人間七七四年 [] 2021/01/19(火) 20:10:45 ID:1l9NvyVb
>>170
自分で答え書いてるじゃん
戦に明け暮れて農民に対する政策は無かった(家臣に丸投げだった)
186: 人間七七四年 [] 2021/01/19(火) 22:25:02 ID:1l9NvyVb
貫高や石高に応じた軍役や棟別銭とか山ほどあるだろ
要はそういうルール作りだろ
信長にはない
だから佐久間折檻状みたいにサボるなと難癖をつけられる
家臣に丸投げと言ってた馬鹿の論なw >>381
重視してなかったから勝頼がめちゃくちゃ苦労してますw >>374
実際1575年の時点じゃ統一政権じゃないんだしそんなものだろ。
ただ本願寺退去後は各地で検地やってるから、
農民政策に関しちゃ秀吉と同じような形で推移していくだろ。
秀吉だって自領いきなり全部同一基準で検地したわけじゃないし、
というかそれは最後までできなかったか。
>>364
小牧長久手に関しちゃ、あとで家康は転封逆らった信雄は改易にしてるから、
小牧の時点じゃ完全屈伏出来なかったから後回しにして西片づけてから完全服従を求めたって感じじゃ。
>>359
全国への検地とか、朝鮮出兵なんか考えるに、秀吉の方がよほど完全服従求めてると思う。
両者の違いは信長は過渡期に加え、まだ他と結べば中央政権に抵抗できる望みがあったから、
抵抗しただけだろう。 池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
↓
馬鹿「棟別銭や農民の逃散防止は農民をこき使ってはいけない、農民と向き合う政策(キリッ」
だっておwww ID:Fe63QX26が上の鉄砲の話に反応するあたり、上と同一人物と認めたと同じだからなw
別人なら反応する必要ないしw >>351
近江衆や筒井中川高山一色なんかもいるし、他にも宿老の与力に付けられたものもいるから、
悉くとはいえんだろ。
>>345
家臣が検地やってるのみて効率いいから真似したとかも書いてたな。
真似した時点で農村政策してんじゃんとなる。
効率というのが軍事的な効率で農民のことは考えていない検地だというなら
それ他の大名にも当てはまるだろ、
単に信長の検地は農民のことは考えていない検地でそれ以外は農民のこと考えた検地だという
主観で言ってるだけじゃんとなる。
>>376
大名クラスでも秀吉家康は役立たないのや命令に従わないのは家中に介入したり処分したりしてるしな。
>>378
単純に戦争の仕方が上手いからだと思う、
格上敵にまわしながら尾張の敵対勢力片付けるという点でかなりおかしいし。 >>387
池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
↓
馬鹿「棟別銭や農民の逃散防止は農民をこき使ってはいけない、農民と向き合う政策(キリッ」
と言ってた馬鹿だねw >>385
ずっと上の方にも書いてあるけど、「農民をこき使ってはいけないとか」というのは政策の例示の一つであって、国語能力のない輩が信長=農民こき使ってる、他の大名=こき使っていないと誤解して発狂してるから噛み合わないんだなw
本旨は統一政権かどうかという話なのに >>390
> 本旨は統一政権かどうかという話なのに
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。
↑
池上の本なんて同業者にも馬鹿にされる程度の内容だって結論出てるけどねw >>390
というか池上裕子が言ってる秀吉や家康が検地したから農民と見向きしているってどういう意味なんだ?
秀吉は太閤検地して負担増やしただろ信長時代より
信長の時代は1反=360歩だった
太閤検地で1反=300歩に変えられた
つまりそれまで5反の年貢が6反になったんだが?
負担が増えても明確になったから見向きしているというべきなのか?
江戸幕府も太閤検地のデータを軸にしたから、農民の負担は大きかったし >>393
池上氏も書いてないし、負担の話は論点じゃないと何度も書いてあるだろ?国語能力ないのか?バカなの?
統一政権として政策があったかという話
結果として負担がどうかなんて話してる時点でバカ認定するからな このスレの議論の本旨は池上のいう
信長には農民に対する政策が一切なかったかだろ。
統一政権かどうかは統一前なんだから誰もが統一政権じゃないと答えるだろ。
統一直前だったとかほぼ統一政権だったと言う人はいるかもしれないが。
で統一政権としての農民対策はまあ秀吉と似たような感じになるだろう。
関白になった頃の秀吉の農民対策と信長晩年の農民政策にどれほどの違いがあるか。
統一後の90年代の秀吉政権と比べて劣るのは仕方ない。 農村政策なかったじゃ間違っているとしかならないから、統一政権に話をすり替えたようにしか見えないな >>394
織田は統一政権ではない
ただし中央政権ではあった
あと、池上が言うように見向きしてないは流石にない
越前や甲斐で出した掟に、大和尾張その他で規模は不明だが行われている検地からも明らかだろ
何人をバカ呼ばわりしていきってんだよ?
大丈夫か? >>395
農民に対する政策はあった
で終わってまう 過分な税をとるなと関所廃止とあまりに少ない検地事例が農民に対する政策の全てね(クスクス >>394
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。
>「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。
>歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。
同業者からも池上の本を馬鹿にする意見が多かったから
書いたほうの池上の文章力が悪いんじゃねーの?w
>池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
こんな頭の悪い文は普通なら入れないしw >>393
検地というのが本来は所得調査でしかないからなー普通は負担増える。
中間層である国衆の利権排除して直接把握することで負担が増えていない可能性がある例もあるだろうし、
今川氏の例で、検地に応じたら本百姓に認めるとかメリットも与える例もあったが。
面積だけでなく、斗代(面積あたりの収穫高)も初期の検地と比べて秀吉後期の検地じゃ増えていたりもするな。 >>400
>同業者からも池上の本を馬鹿にする意見が多かったから
池上氏といったら信長関連の論文の引用の常連よ
馬鹿なのは君の方w
>こんな頭の悪い文は普通なら入れないしw
本も読んでない輩がインタビューの文言を読み違えて発狂w
控えめに言ってもダサいw >>399
あまりに少ない?
信長の検地は規模不明だが、北陸や中国地方の一部を除いてやってるが?
あと、検地に時間と費用がかかるのを知らないのか? 織田政権下での検地は
伊勢越前加賀山城丹波丹後播磨摂津大和だったか?
能登と河内もだっけ?
伊勢は一次史料じゃ確認できないが。 >>402
引用?
お前が引用してるだけだろw
信長公記や一次史料から引用するのが普通で池上からは引用しないよ?
あ、原文読めないから越前の話も知らなかったよねw
君自体が馬鹿だから仕方ないかw >>404
ぶっちゃけ十分やろな
対象の国を見ると国衆の力が強そうな国なのが分かる >>399
他人を笑ってるつもりが笑われてる事に気付いてない残念な人にしか見えんな 普通は引用する史料と言ったら信長公記や一次史料などの信憑性高い史料の事を言う
現代で書かれた著者の推測やリップサービスを上記の史料と同等として扱う無知なアホは前々からいるよねw 軍役・・・支配者側のための物で農民のためではない。
検地・・・農村から自己申告で差出される数字を信用せずに、隠し田畑が無いか調べる。秀吉は検地の時に「親類縁者の隠し田畑も見逃すな」と命じている。農民のためではない支配者のための物。 池上は織田信長でわざと頭悪い解釈して注目集めようとしたんじゃ? 自分の著書が売れるのは正義だし >>410
仮にそうだとしたらもう学者とは言えないな
ただの炎上ビジネス >>412
でもここまで頭が悪い発言繰り返しているし同業者からも批判されてるし、わざと頭悪い発言して注目集めたとしか思えない
信長が安倍と同じとか言ってるしね 自分の政治思想を拡散するためにわざとやってんのか?学問を自分の信仰に利用しちゃよくないわな 信長の場合農村の支配構造に手を出して爆死した大名見てるから、
反発招かないで済む機会や抑えつけられるようになるまで手を出さなかっただけだろう。 加賀・富樫や山城・畠山あたりじゃね?
ノブがリアルタイムで見た訳じゃないが知識としては入ってきていただろう
三河や伊勢長島では一向一揆が起こっているのに
隣接する尾張では武装農民が蜂起した話は無い事を考えると
織田一族は少なくとも農民の支持は得られていただろうと推測するが そもそも金持ちの信長が力も無いのにわざわざ郷村敵に回す必要ないからな
農民言ってるけど普通に村落単位で武装した小さな国みたいなもん 永禄十一年、近江国六角氏倒した後の信長が設定した年貢は収穫高の三分の一だった話あったよね。
将軍追放も先に義昭の横暴を言い渡し、信長が世論や信用を勝ち得るために「外聞」を非常に気にしていたと谷口氏らも言っている。 >>402
悪い例として引用されてんだよw
何年たってもこのババアの説が世間の信長像に変わることはあり得ないから、諦めろ更年期ババアwww >>1
まあ話は簡単で、
今の学術界はパヨパヨ度が高いほど出世する そういや信長は敵が多かった、人格に問題あったからって解説する学者は池上氏はじめ何人も見るけど、
戦った相手って主に巨大な脱税集団よって説明する学者見たことないな >>421
まあ安心しい〜
世間の信長像も今後変わるだろう、それは今までの評価より更に立派でござったって変化。
池上婆は知識不足で信長の本なんか書いちゃったせいで未来に汚名を残す。
かなり俯瞰して見れば気の毒な婆でもある。 そもそも池上が言ってる後進的な織田信長が、なぜあれだけ敵を作っても勝ち続けられたんだ、と言われたら、池上擁護者は口をそろえて「立地が良かったから」「領土が豊かだったから」で済ますよな?
立地や肥沃だけで池上が言ってる農村に見向きもしない信長が勝てるのはなぜだ?
そもそも池上の著書見たが、池上は信長が商業政策に力を入れていたのは認めてるやん。当時の商業を農村を切り離したり無視して政策やれるとか池上はまじで思ってるのか? 結局は渡邊大門クラスの人がもっと売れないとダメだと思うよ 単に運がよかっただけの革新性0の平凡なやつに
武田も上杉も今川も斎藤も三好も六角も北畠も浅井も朝倉も毛利も皆やられた件 >>427
この人のは分かりやすくて説得力もあって好き 勇猛果敢な戦の天才で情に厚くて天皇や将軍を立てるモラリストだったのは無視かい >>426
池上みたいなパヨさんはブツ切り思考が基本だから
農村という生産地が充実してはじめて商業も発達するっていう
物事の繋がりまで想像がいかない パヨとかいうわけのわからないレッテル貼りいらない
バカな研究者というだけでいい >>428
勝つのに革新性が必要と考えのがバカの発想 >>433
つまり革新性なしに勝った信長は超有能
むしろ過小評価してたと >>435
ラッキーが大きいのは無視できないねぇ。 勝てないから動員兵力増やすために収奪を強化する農民政策をする
ちゃんと兵が集まるよう国人衆や農村への規制を強化するであって
勝てるならそんな小細工必要ないってことだろう
信長の場合美濃統一まで動員兵力増やすどころか小兵力で軍事行動してるからなー 尾張が大国だったってのは美濃攻略戦での動員兵力の少なさを見るかぎり疑問だな
何度も提議してるが尾張を基盤とした大勢力もノブの登場以前は出現していない
立地が良かった運が良かったではとてもノブの躍進を説明できないと思うが 運はいいだろなあ
桶狭間であそこまで勝利を得たのは 結局のところ家督継ぐ前から自前の兵力育ててたのが大きかったんだろ?
相続できない武士の次男三男、国人衆の人質にも声かけて訓練してた 戦に強くてブラック企業資質なのが信長の強みだな
兵農分離とか楽市楽座は勝ったから何か理由があったに違いないという幻想が生み出したもの >>440
義元が急死したとかなら単純に運と言っていいけど桶狭間は判断して行動し続けた結果やから運の要素は少ないで >>441
信長「そりゃ重臣が揃って弟の側に付く様な状況で頼れるのが舅の戦力とかいうハードモードやからな」 >>443
雨が降ってなきゃ今川本隊にあそこまで被害を与えられ無かったよ
後義龍が死んだり 信玄も家督相続前に諏訪頼満(1539年)や小笠原長棟(1542年)が死んでるよ
もし頼重や長時ではなく、中興の当主といわれるこの二人が存命していたなら、信濃であれだけ勢力拡大できたかな? >>445
雨が降るタイミングで接敵出来るところまで移動してこそ
義龍が死んだ期に乗じられる準備が整ってこそ 信長は天候を操ってるんじゃないかというぐらい天候にまつわる逸話多いけど、
信長なりの勝算ってか見込みがあったんじゃろ。
その過程を飛ばして見ると魔法に見えるが。 義龍死亡はどうなんだ?
信勝信広岩倉支援しても弱小時代の信長にやられて勢力拡大許すし、
国内じゃ、遠山離反に長井離反、別伝の乱と問題起こすし、生きていても信長に滅ぼされそうだが。 >>444
ひとつ突っ込ませてくれ
信行がノブに逆らったのは道三が4んでから
ノブは独力であの難局を切り抜けている >>449
尾張南部は水害が多いからノブや家臣たちは天候の変化に敏感だったと聞いた事がある >>450
そもそも義龍は尾張に攻め込んだりして追い詰めてた時に死んだとかじゃなく
逆転されて信長優勢の状況下で死んどるからな >>450
長井離反は眉唾だろ
根拠は時期不明の信玄書状だけじゃなかったか?
義龍は周辺国との折衝に追われて尾張に攻め混むどころじゃなかったのは事実だが
親56しは流石に信用無くすからこうなるのは必然だが >>451
最近の研究だと信長と信行は共同経営もしくは分割統治みたいな状況だった事が分かってる(時に協力する程度の関係)
つまり信秀が死んだ直後から信長は孤立気味で道三ぐらいしか頼りがなかったんやで 信長の著作は桶狭間以降が多すぎて、それ以前がほとんど注目されてない
これはテレビドラマやアニメでも同じ
少し前にアニメで若き信長なんてのやってたのが珍しいくらいだった >>455
そもそも名目上は両者ともに斯波氏の家臣のままだろ
仲良くないなら分割統治っぽくなるのは当然 >>457
そういう名目とかぽくとかの話じゃなくで
領地への書状等に信長と信行の両方の名前が見られるという実態の話だよ
んで信行と明確に対立した契機が信行による信長の領地横領だろうというところまで分かってる 信秀弟の信康が岩倉家臣だったとか言われたりするぐらいだから、
分割というか織田一族で尾張統治という意識が抜けていなかったのかもな。 >>458
だからそういうことを言ってるわけだよ
両者とも同格なんだから明確に弾正忠家の跡目が定まらないとなれば
それぞれの譲り渡された領地の範囲でやっていく形になるだろってこと
戦国の跡目争いのパターンはだいたいこれ
皮肉なことに、次の代ののぶおと信孝も別大名化して争った
強力な支配者がいる場合に家臣の跡目については判断を仰ぐ形になってるのは
そういう面倒を起こさないためなんだよ
しかし斯波氏には領地を仕切る力なんて無かったわけで
おかげで尾張は各織田家や豪族が割拠する形になってた >>460
既に家督を譲った信忠共々急死した信長の死後を例に出すのは的外れやけどな
そもそも信秀の跡目相続で争ってた形跡もなく普通に信長と信行は並立してて
そもそも信長が家督を相続してたかどうかですら怪しいというのが最近の研究やね 兄弟領土分割説ってどこまで信憑性あるんかね
・長男から次男に家督をすげ替えられそうになった
・しょうがないから兄弟で領土分けることになった
こういう類例って他にある? 麒麟が来るは信長に関して新しい説取り入れてる部分有ったからなほぼ分割相続で描いておったね >・長男から次男に家督をすげ替えられそうになった
親子でもめる場合は大抵このパターンじゃ?
>・しょうがないから兄弟で領土分けることになった
しょうがないはともかく兄弟で分割は室町期で細川とか。
弟の方を分家として分離独立は小笠原であるな。 上に出てる大河でない創作物で、母「そなたは兄であろう、弟にも譲ってたも」
ノブ「それはできない」母「なぜじゃ!」とかやってたけど、
結局譲ってあげたんだな、ノブ優しいなw 所謂「田分者」だったんかな。
そして結局力のある者が正義になるのだ。 >>463
普通は単独相続
分割はない
武田信玄と信繁、足利義持と義嗣みたいに長男廃して下を立てようとした例はあるが 池上裕子氏の信長本は過剰に信長を貶しているが、肝心なのはその著書発行以降、他の研究家たちも信長像の相対的な見直しを試みていると言うこと。そして現在、信長像は大きく変わっている >>468
足利一門一杯居るので分かるけど室町時代も結構分割相続は多いよ
単独相続による一族家臣化惣領集約ってのも戦国大名化の流れの一つだと思うよ 2000年代に谷口氏らが信長は古い慣習を壊した革新から、幕府朝廷に忠臣で外聞を非常に気にしていたと書いてたのに
池上に続いたとか馬鹿かこいつw このスレに限らず池上擁護する人間はこんなのばっかなんだろう?
少しぐらい調べればおかしいとわかることを平気で書く 池上の織田信長読んだが、なぜ桶狭間以前は無視しているんだろうか?
信長を批判したいなら、家督相続から尾張統一の流れも書いてほしい。そして批判してほしい >>472
最近出版されてた信長研究の最前線読んでないだろ >>471
てか鎌倉期だと女も相続権有してたんだっけ?
それで財産が目減りしてお亡くなりになる一族続出で男限定相続になり、それでもダメだから単独相続になると。 >>477
池上の信長批判は信仰心からくるものだから、
いつから話始めようが変わらんよ
池上の信長論はお寺で教わったこと
お寺は当然、信者いなくなっちゃうからホントのこと話すはずないんだが >>481
2の方はまだ五年と経っていなかったと思うから、人によっては最近と感じるんじゃね? 池上氏に限らず谷口氏も信長にかなり辛辣な評価
池上氏だけ槍玉に上げるのはイデオロギーの問題?
安倍がクソなのは完全同意だが >>487
谷口は池上に比較するとまともな著書もあるからじゃ?
池上は信長より前の著書がそもそも時代や畑違い 池上氏が批判されるのは充分な根拠を提示せず短絡的な結論を出してるからだろ
こんな場末の掲示板の住人にすら論説を否定されてるんだぞ >>489
まあ確かに、農村見向きもしてない信長が、商業政策はやっていたと認めてるあたり、池上は短絡的だよな >>490
畑違いかつ思想偏ってる時点で
戦国時代の農民を語れる訳がない 池上氏に戦国期の農村教えてあげるのに適役って誰?黒田? >>492
実態教えた途端に信長への興味失いそうやけどな >>493
信長への興味、最初からないんじゃ?多分 池上氏は戦国期の農村の専門家だよ、ただ専門は関東中心。
織田に関しては詳しくないか、イデオロギー先行したかだと思う。 >>495
そうなんだね
やっぱ信長が農村に対する政策がないのは間違いないな どうも研究者やファンのあいだで、西と東、商と農、織豊と武田北条の対立を感じる
今は戦国遺文の発刊もあって東国に流れがいってるな 本読む限りは
自分で検地して農民政策していたと書いてるのに、
農民政策なかったとか書いちゃう辺り、
織田に詳しくないよりかはイデオロギー先行で事実を事実として認められない客観的にモノが見れないの方が正しいかもしれない。
あとはもうボケて来てるか。 >>498
>本読む限りは
>自分で検地して農民政策していたと書いてるのに、
どの本の何ページ? >>495
専門家とは思えん内容やけどな
典型的な思想前提の昔の人って感じや 281頁2行目から信長の発給文書で、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力、とか書いてるな池上
郷村宛の禁制以外に村や百姓支配に関わって発給した文書がほとんどない、信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれていない。それを受けて村や百姓に対するのは奉行や領主自身である。「信長には農政、民政がないのである」と281頁3行目から6行目にかけて言ってる
池上って信長が越前や武田領で出した禁制知らないの? それに奉行は信長の赦しも得ずに独断で百姓と向き合うのが許されていたの? >>501
最晩年にやろうとしたみたいなこと書いてあるけど、そのことだとすると本の内容からして揚げ足取りだろ? >>499
262頁の5行目 秀吉が播磨で検地
同 6行目 信長が丹後で検地を行うよう藤孝に命令 >>502てる
>
>池上って信長が越前や武田領で出した禁制知らないの? それに奉行は信長の赦しも得ずに独断で百姓と向き合うのが許されていたの?
その禁制のこと書いてあるじゃん
要約するとその禁制により分国の各大名の上位権力として信長がいて、各大名は自分の裁量で検地を行ったり家臣を雇ったりする
信長は農民に直接政策を進めるわけではなく、ただひたすらに各大名に結果だけを求めた
実際に信長の農民に対する発給文書はない >>504
260ページ
関東の北条氏が1506年からやっていた検地を遅れること70年にして越前で始めて信長は検地をやった
これがこの本の趣旨
最晩年にやったというのは揚げ足取り >>505
文書がないから見向きもしないは乱暴な解釈じゃないの?
信玄に謙信、秀吉に家康にどれだけ文書があるから池上はこんなこと言ってるわけ?
大名に結果だけ求めた
当たり前やん。結果以外何があるの? その禁制により分国の各大名の上位権力として信長がいて、各大名は自分の裁量で検地を行ったり家臣を雇ったりする
信長は農民に直接政策を進めるわけではなく、ただひたすらに各大名に結果だけを求めた
信長がいちいち分国にあーせーこーせー命令出さないといけないなら領主が働いてないって事だろ。江戸幕府の将軍がいちいち大名の分国に命令出していたのか? >>507
>>>505
>文書がないから見向きもしないは乱暴な解釈じゃないの?
見向きもしない=農民に対する政策がない、というなら乱暴でもない
別に農民にノータッチでも家臣がちゃんとやればノープロブレム
でもそれは見向きもしない、という表現で間違ってない
>信玄に謙信、秀吉に家康にどれだけ文書があるから池上はこんなこと言ってるわけ?
関東とかの農村に関する史料の専門だから信長に限ってないと言ってるんだろ
261ページに柴田勝家は直接百姓に具体的な政策を明示した、とある
信長にはない
264ページ検地に関連して定められる軍役規定も1581年の明智の史料が初めて?とある
武田や北条の軍役規定はその昔から山程あるのはよく知られた話 >>508
将軍は検地した後知行与えてるからちょっと違うな
でも例えば現代の会社で社長が細々とした業務は部下に丸投げした方が良いとかそういう意味なら合ってる >>510
幕府もかなりの間太閤検地の数字のままやで >>509
武田や北条の軍役規定は山程ある
山程あるのに、勝頼はあんな重い軍役や税金賦役を課していたなら確信犯やな
北条も逃散とか結構あったし
軍役や検地山程してるから具体的な政策示してるはやはり乱暴すぎる 農民に見向きもしない=農民の負担が重かった、酷使していたとはどこにも書いてないのに、その話しだす奴はバカ認定だからな
国語能力ゼロと言われても仕方ない 略奪回避の為の文書発行とか頻繁にやっとるから
「見向きもしない」という前提自体が偏見に基づいた結論なんやけどな
そもそも当時の戦国大名が農民(という呼び方がそぐわない)と向かい合う事をしないなんて出来る訳がない 北条の話するなら早雲晩年だろとならないか?
他にも信長が検地しだしたのは40代で、
40代で死んでるから結果的に晩年と言う時期になっているだけだし。 >>515
見向きもしない=農民に対する徴税、政策はノータッチ、家臣に丸投げと言っているのだから別に偏見ではない
禁制とか国掟で目が向いてるじゃんと言うのは、ちゃんと本読んでないのか、ただの揚げ足取りだな
禁制や国掟が政策というなら、それだけだと他と比べてあまりに少なすぎという回答になるだろう >>518
徴税政策は対象にするけど禁制政策は対象にしないって方が信長を始めとした戦国大名に対する揚げ足取りやけどな
そもそも家臣に丸投げって話自体が尾張時代の発給文章から誤ってる事が一目瞭然やし >>519
禁制や国掟こそ誰でもやってるんだから特筆する必要ないんだよ >>520
戦国大名「そいつ基準で特筆に値する事しなきゃ家臣丸投げで農民見向きもしない扱いにされるとか怖いわ〜」 >>521
誰でもやってる禁制をもって農民に見向きしてる!って豪語される方が草だわ 池上の織田信長って、なぜか信長の尾張統一サバイバルが抜けてるからな
家督相続しました。で、次は桶狭間で、尾張統一は1ページくらいしかない、なぜだ? >>522
戦国大名なんて戦する以外は領内の農民(というより豪族)と向き合うのが仕事みたいなもんやぞ
というか守護が領地から離れて農民と向き合わなかったから領地にいて農民と向き合った守護代以下が実権を握って戦国大名化したんやで >>525
信長の織田って守護代の家臣だけど
陪臣の陪臣が農民と向き合わず大名化したならむしろ凄いと思うが そもそも当時の商業と農業は現代みたいに切り離して考えられるものか? >>528
江戸時代でも無理(居住地で町人とそれ以外を分けるのがせいぜい)
最近は少なくなったけど現代でも行われる朝市には周辺の農家が集まって物を売っており昔の市も同様の形式で行われている
(違うのは主催してるのが寺社から農協漁協に変わった事ぐらい) >>526
真面目系youtubeで、尾張は守護代もその家臣も同列だったって言ってたよ
信長が斯波義統と妙に仲良いの納得したものです >>529 >市を主催してたの寺社
それで思い出した。信長の家も元神官家の系列だったな。 >>531
それは尾張に来るずっと前で被官になる前の話やし直接的に何かに関わる訳じゃないけどな >>509
>池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
>農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。
検地も軍役も農民をこき使う支配者側のための政策なんだけどねw >>533
それ以前に「信長以外の戦国大名にはあった」とよく断言できるな池上
つまり信長以外はみんな検地や軍役定めていたんだな
ならばなぜ毛利元就ってよく国衆が兵を連れてこんとぼやいたんだ?
それにだとしたら信長すげーよ。農民に見向きもしなかった為政者が天下を取る寸前まで行って、その流れを秀吉や家康が継いだわけだし
世界でも稀じゃないのか
農民に見向きもしなかったのに、一揆を起こされなかった為政者ってのは(一向一揆は違う) 見向きもしない=農民を酷使する、一揆を起こされるほど不満をもたれる
ではないのに勝手に誤読してるバカがまた二人現れましたな >>535
ならどういう意味で見向きしてないと言いたいの?
信長と、信長以外の違いを挙げてください
文章で
本読めとか逃げはやめてね >>535
>>7の続きに
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
とあるから誤読でもないんだよなw
>>8についてはニワカ農家を語るw 農民が生活が成り立たない&疲弊しないようにするなら軍役や検地はより
>>172に書かれてる重税にしないほうが効果あるんだよなw
軍役や検地は逆に農民を苦しめるw この手のなんちゃって歴史学者は
江戸時代の検地がどれだけ百姓から嫌がられていたかを調べるのが先やろな
政治にしろ軍事にしろ戦国時代(それも後半)の事を知りたいと思うなら江戸時代を調べなきゃアカン 軍役・・・支配者側のための物で農民のためではない。
検地・・・農村から自己申告で差出される数字を信用せずに、隠し田畑が無いか調べる。秀吉は検地の時に「親類縁者の隠し田畑も見逃すな」と命じている。農民のためではない支配者のための物。 信長って祭り好きで自分から参加していたとか、浮浪者を労った逸話があるけど、あれは見向きしたうちには入らないの? >>541
池上「特筆すべき事じゃないので無視します」 田畑を継げない次男坊三男坊以下は武家奉公人や商人になって食扶持見つけてたが秀吉は身分統制令で禁止にしたんだっけか。
身分統制令自体が朝鮮出兵の兵糧確保のための臨時かその後ずっと続いたか判らんが江戸時代に引き継がれる。
農民を田畑に縛り付け耕作放棄したら農民斬首や田畑を継げない者の職業の自由を奪う等は農民をこき使う政策だよなぁ。 >>536
農民に対する発給文書がないから文字通り政策がないと書いてある >>537
貴方は本を読んだのか?
政策がないという理由の一つに検地を行なってなかったと書いてるだけで、検地が農民のためのものであるとか、信長が農民を酷使していたなんて書いてない
インタビューの農民をこき使ってはいけないとか、というのは農民に対する政策の例示の一つを書いてるだけで信長が農民をこき使っていたなんて書いてない
信長に関しては政策がなく、家臣に丸投げなのだからこき使う以前の問題
こんなことも読み取れないバカが騒いでるのが滑稽 >>544
発給文書がない?
検地に関する発給文書はあったはずだが?
それに信長以外はみんなあるって言ってるが、なら信長以外、例えば大内義隆や細川政元にはあるのか? >>545
検地を行なってない
丹後尾張大和播磨ほかでしてるんだが >>548
晩年のをいれるなよ
何度言わせるんだバカか? >>549
晩年の入れちゃいけないの?
なぜ?
尾張検地は確か永禄じゃなかったか?
永禄は晩年なのか?
だとしたらすみません 池上論者によると、晩年のは政策に入れてはいけないらしい
だとすると徳川家康の武家諸法度や禁中並公家諸法度も政策に入れてはいけないな。なるほど、池上理論では晩年は政策に入れちゃダメなのか 晩年のも越前のは信長がやったんじゃなくて丸投げされた柴田勝家がやったもの、そういうのが多い
晩年のを入れない理由は本を読めとしか言いようがないw
なんで俺が国語能力ゼロの奴や本も読んでないくせに文句垂れる輩に説明しないといけないのか? >>551
そういうピンポンダッシュみたいな書き方って人間としてどうなの?
ちゃんと具体的に何年のどういう内容の文書に書かないとダメだろ
そんな当たり前のこと言わせるなよ >>545
>>7
>池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
これが馬鹿すぎてなw スレ目を通したが
擁護している人が揚げ足取りだとか本旨じゃないとか言ってるってことは
池上の本に農民政策はなかったと書いていながら、農民政策やってることも書いてること自体は事実ってことなのか。 >>556
記者:あの著書への学界からの反応は。
池上:やはり「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多くありましたね。教科書を書くような人、歴史学界の権威者からは「信長は統一政権として評価すべきだ」と。
↑
同業者からも多くダメ出しされてるけどなw
馬鹿なのはお前だけだw >>553
えっと
太閤検地って全部秀吉がやったの?
武田や北条の検地も当主が全部やったの?
だとしたら新発見やんか!
当主が自ら検地したなんて! >>554
尾張検地は「尾張海西誌」にあったはず
年代は忘れたが永禄年間だったぞ 太閤検地も外様は丸投げで差出検地のまま
検地すらしてない >>557
池上氏も越前や丹後の検地のことはしっかり書いてる
その上で>>560の通り遅れていること、侵略の過程(例えば美濃や近江等)ではそういう農村に関する政策がなかったと書いている
最晩年の完全に勝者となった後の検地や家臣が独自の判断でやった検地を持ち出して批判するのは悪いけど、ピントがずれててバカ認定されても仕方ない >>559
本も読んだないようだし、書き込みの仕方が幼稚だから返事にする気にもならないな
君のその問いに対する答えは武田も北条も当主の命で検地をやっている
一方で信長は>>560の通り >池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
農民を疲弊させない農民に対する政策だと>>172のような重税にしないのが一番なんだよなぁw
馬鹿は軍役や検地が農民を疲弊させない政策と言ってるみたいだけどw >>449
雨のせいで苦戦した例も多いと思う、
河野島に大河内に長島に手取川と。
>>563
つまり最初から本に農民政策あったと書いてあると言っていた人たちの方が正しかったわけか。
後年まで農村の支配構造に手をつけようとはしなかったとか書いていたしのに対し、
否定してる人たちは煽ってばかりで書いていないと言うだけで怪しいなとは思ったが。 ぶっちゃけ、今まで書いてない書いてない言ってたけど、ページ数まで書くような人も出てきたから
揚げ足取りとか言って誤魔化しているようにしか見えないな
最初から書いてあること自体は認めていれば、少しは説得力あったかも >>568
最晩年や家臣がやった検地をもって、農村政策があったというのは本をちゃんと読んでない揚げ足取りだよ 端的な話、武田北条は領国内で検地をやっている
織田、最晩年に丹後で検地をやった←元々の主要地である尾張美濃近江伊勢は?尾張はやったという話聞いたことあるけど史料少なすぎでやってないに近くね?しかも最後の最後の侵略地だし
という話
加えて越前の検地に至っては柴田勝家が独自の判断でやったから信長の政策ではない(いわゆる家臣に丸投げ)
それに、例えば明智と柴田の領国内で政策が全然違うのに統一政権って言えるのか?という主張 織田の農村政策は文書が残ってないだけだろ
考えてもみろ。軍制にしろ統治政策にしろ乱世の当時は機密事項だぞ
文書にすれば漏洩のリスクが上がる
そうでなくてもノブは基本せっかちな気性の人
部下『では伝令にてご指示を伝えるので書状を書いてください』
ノブ『は?かったるいわ、馬を引け、俺が直接出向いて口頭で伝える』
こんな感じだったんじゃないか?
晩年は支配範囲が広すぎてそうもいかなくなって文書が残る程に書状を書いてたんだろ >>569
なぜ家臣がやった検地だとダメなわけ?
幕府だって大名にやらせてたやんけ
幕府から検使とか派遣はしてたけど
信長だって家臣や奉行を検地には派遣していた
有名なら大和検地なんかは明智光秀と滝川一益が派遣されていたし >>572
もう話通じないから本読んでから来なよ
一々初めから説明するの馬鹿らしいわ
本も読んでないくせによく首突っ込む気になるよな >>570
武田北条は領国検地をちゃんとやってる
武田って駿河はいつ検地したんだ?
自分駿河関係の武田の検地の史料見たことないんだが、知ってる人いたら教えて下さい
北条も上野や下総とか検地していたか?
相模伊豆武蔵南部はしていた記録見たが、ほかは見たことないぞ。池上はそのあたりどう言ってるんだ? 信長以外は向き合ってるなんて抜かしてるくらいだから、当然著書には書いてるよな? >>573
本読め本読めと言ってるが、その本読む価値あるの? 著者のレベルや史料性の低さから読む価値なしみたいに思えてならないが 本能寺後信雄信孝が濃尾で検地してるように
検地は代替わり時とかしやすい(農民に認めやすい)のだけど織田は信長現役だったから
検地がしにくかったもあると思う。
史料少ない言うなら氏綱期とか信玄期の武田も少ない、
あと越前検地だって史料ほとんどないんだがわかって書いてるか?
あと織田の検地は上で書いていた人いたが
丹後だけじゃなくいろんなとこでやってるぞ、その本には書いていないようだが。
>例えば明智と柴田の領国内で政策が全然違うのに統一政権って言えるのか?という主張
太閤検地も検地のしかた結構違ったりするぞ、石高に統一も実は一部出来ていないし。 >>573
しかも海西誌も知らないで晩年晩年ほざいて >>576
だって太閤検地は検地の秤から誤魔化していたし
本来5反の土地を6反にするインチキしてたんだよ太閤検地
1反360歩だったのを300歩にして秀吉はよく農民と向き合って素晴らしいよ >>574
「戦国大名武田氏の権力と支配」204ページに駿河の検地事例何点も載ってるし >>576
やっているというならその史料とその内容書けばいいのに何故それをしないのかな? あとその本でも尾張時代はカットで美濃時代も信長公記頼り(他スレで聞いた)とかしてるように、
濃尾時代の史料は農政に限らず織田の史料ほとんど残っていないから、
史料少なすぎでやってないに近くねって意見は反論にならないと思う。
>>574
武田は甲斐信濃にしても全体的な検地してるか?一部だけだと思う。
北条はひょっとしたら相模伊豆武蔵南部は全体的な検地出来ていたのかもしれないけど。
>>577
他早い時期は伊勢検地が69年で、山城検地(一部?)が73年だったか。 >>580
流石に史料と内容まで書くとなると
論文確認しに行かないといけないから即座には書けないぞ。 >>581
>あとその本でも尾張時代はカットで美濃時代も信長公記頼り(他スレで聞いた)とかしてるように、
カットしてないからw
美濃も近江も闕所となった土地をその前の領主の知行単位のまま宛行が続き、土地把握、知行制の整備が進んでなかったと書いてある
>濃尾時代の史料は農政に限らず織田の史料ほとんど残っていないから、
その本の248ページから255ページにちゃんと紹介されてるだがな
商業、流通に関する史料はその本にちゃんと紹介され、評価されてます
対する君ときたら読んでもないくせに恥さらしなこと書いてて情けないね ついには菅沼と同じようなごねかたしだしたな
というかどこでやったかぐらいはググればわかるだろうに >>583
あそうなんだ。
史料の絶対数でいえば濃尾時代は圧倒的に少ないんだが、
織田信長文書の研究でいえば尾張時代は全体の一割もなく美濃時代も二割もない。
そんな限られた状態で史料が少ないからやってないに近いってどんな判断だ?
あと近江は美濃時代じゃなく上洛後だろ。 >>585
その本の255ページでも読んでから来たら?
写して書いてやるほどお前に義理ないし
そもそも本も読んでないくせによくこの件で首突っ込む気になるよなw そりゃあまりに言ってることがおかしいからな、
でもまあ>>557>>567で書いたように気になっていたことはどっちが正しかったかは判明したからそれで十分といえば十分なんだが。 255ページにはそんなこと書いてないというオチかな 信長は農民と向き合わない
向き合わない奴が天下を取りかけた
結果で見るなら農民と向き合っていたやつらより上
なぜだ? どういう頭してたら、勝ったから全ての政策が上回ってたと思うのだろう? 信長の検地越前検地と丹後検地しか書いてないのその本? 短期間にあれだけ軍事拡張したんだから
それを支えられる国力の裏付けがあり
その国力は優れた民政なくしては維持できない
当たり前の事だと思うが >>592
播磨検地はしたと書いてた
ただ、信長が命令したのではなく秀吉の裁量でやったみたいに書いてた
大和も書いてたけど、池上氏はどういうのかな……「信長が命じたのではなく、とにかく家臣が勝手にやって信長はほとんどノータッチ」みたいに書いてる。
>>591
今の日本見たらわかるだろ
国民に説明責任を果たさない自民党政権のためにワクチンすら独自で作れない日本
勝ったから全ての政策が上回るというか、政治は結果が全てだろ
>>593
池上「信長は農民に見向きもしないニダ」
「信長以外はみんな農民に見向きしているニダ」 >>593
津島と堺と大津の権益だけで充分だったんだよ 流石に暴論が過ぎると思うが
土地に縛られた農民は兎も角、商人や職人は蔑ろにすれば我先に逃げ出すぞ そもそも武田は見向きしてたのに、信長が攻めてきたら我先に農民裏切ったやん
桶狭間で農民が信長に協力したのとえらい違いだ だから優れた民政なくして勢力拡張は無理だと言ってる 他の勢力と違って尾張半国から急拡大した織田が泥縄式場当たり的な所があったのは想像できるけど
それが後進性の現れというとどうなんだろうね 一代で日本有数の企業を作った社長だと
どうしてもブラック体質だったりするよな
それでも途中でやり方変える人もいるけど
日本電産とか >>600
優れたか、劣ってた以前に政策がなかったと書いているのが池上氏
家臣が優れた民政してたか、劣った民政してたかは別問題 >>603
北条は結構な善政だが?
政策あるから善政なんだだろ? >>604
なんで政策あるから善政なんだ?
サッパリ分からない >>605
逆に聞きたい
政策がないという根拠は何ですか? >>606
こんなところで聞く前に自分で本読んだら? 池上氏の主張に対する反論なのだから最低限著書読むのはマナーだろ
どんだけ厚顔無恥なの? 説明できないなら池上先生の名前を出すな
先生に失礼だ また学者先生の論説を捏造してたんだな
コイツ本なんか読んでないだろ
ネットで拾った浅はかな知識でモノ言ってるだけで >>612
何をどう捏造してるとお考えなのか知らんけど、農村に関する政策がないというのはスレタイにも書いてあるんだが
本も読んでない、スレタイも理解してないのではどうしようもないな 確かに信長が農業対策したなんて話はメジャーじゃないけど、
でも信長って何万、下手すると十万みたいな軍勢動員してるのに重税とったって話も聞かないんだよな。
信玄なんて二万人動員するのに大重税絞ってるのに。
やっぱ湊は正義なのか? 昨日の議論みたけど
丹後検地を晩年だから例外扱いとか揚げ足取りというのは意図読み違えていると思うぞ。 多分池上氏は丹後検地も農民と向き合った政策と看做していない、だと思う。 通説によるなら美濃統一までは石高の割には余りに小兵力且つ戦闘が短期間、
一回の軍事行動にかかる費用は収入に対する割合で言うなら少なくて済む。
信玄は通説の兵力なら川中島前でも毎回大動員して遠征期間もも数か月があったりと
一回の軍事行動にかかる費用は莫大、常に総力戦による消耗戦やってるようなもの、
って感じなんじゃないだろうか。
ww2でいえば自由主義のアメリカより社会主義のソ連の方が徹底的に管理されてるみたいな。 >>613
では説明してご覧!
各戦国大名の農村政策によって農村はどのように変わっていったか!
織田の農村とどう違うのか!
農村政策がないのになぜ織田の民は逃散しなかったのかを!
…答えられまいさ
あんたなんかに、判るわけがない >>620
その通り
その辺理解し、説明するには池上氏の「戦国時代社会構造の研究」を最低でも読まないといけないよね
批判してる連中も同様だね
読んでもないくせに批判してる連中の方があり得ないと思うけどね >>617
家臣のやったことみて都合がいいから真似して実行したであって、
・検地したほうが軍事的に効率がいいから軍事政策であって農民政策じゃない
・収入的に効率いいから結果だけ見て真似しただけで農民の方を向いてるわけじゃない
とか検地自体はしたがその検地のことをこんな感じに捉えているんだと思う。
これだと各論や最後のまとめのとこでの信長には農民政策なかったって主張とそれほど矛盾しない。
また家臣の政策をそのまま真似したのであって信長独自の政策というものがないとも矛盾しない。
丹後検地を晩年だからとか例外とかなら農民政策はゼロと全否定だと日本語的におかしい、突っ込まれるのは当然。
氏だって丹後検地を例外と思っていたなら、ほとんどの期間で農民政策はなかったとか一部を除いてみたいな言葉を付け加えていると思う。 こいつ具体的なことなんも言わねえな
平山優のやつといい万超えの高すぎて手が出ないやつばかり名前出して読めとだけ あと統一政権として考える場合や織田政権が続いた場合の政策考えるなら、
晩年を例外とするのはおかしくて、晩年こそ精査しなければならない。
だから丹後検地も検地はしたけどそれを農民と向き合った政策と看做していない
農民のことを考えて行った検地ではないって考えているんだと思う。 あと当たり前だけど自分はこの本に書かれてる内容・池上氏の考えが正しいと思ってるわけじゃない、
多分池上氏はこのような意図で書いているんだろうと推測してるだけだから。
>農民が生活できなくなれば社会は成り立たない。ですから農民全体がどんどん疲弊していく政策は、あってはならない。
これとか私自身は武田とか秀吉のことだろって考える立場。 >>623
学者の論説を批判するならそれが当然なんだがな
観てもない野球の試合の論評するの恥ずかしくないのかな? >>624
なるほどね
貴方は本を読んでるからか会話になるし、教えてもらえるのは助かる
農民をこき使ってはならないという話は筆者の経歴から北条の政策を念頭に置いているのは分かる >>626
本は印籠じゃないよ
本当にその本持ってる?
持ってるならちょっとID付きで晒してよ >>628
読んでもないのに批判するのおかしいっていう反論に対して、なぜ自分が読んだかどうか証明しないといけないんだ?
君が証明すればいい話だろ つまるところ守護代の家来だった信長が室町幕府を滅ぼして新権力を打ち立てるまでになった理由は何なんだろう
最新の研究では信長と周囲の人間の個人的武勇だという結論なのかな >>630
まず金じゃない?
室町期にはもう朝廷は完全に武家のヒモみたいになってたからな
義昭は将軍になったのに朝廷への支援をあまりしなかった
信長は建物の修復建築、金がなくて出来なかった諸々の儀礼を行うための支援、公家の財政の援助なんかを積極的にしたから >>622
越前にしても信長が重税にしない国掟をやって
税収入を信長によって決められたから家臣は少しでも税収入を上げるために検地をやって隠し田畑から絞り取ったとも言える
農民に対する「こき使わない」対策で一番大きいのは信長がやった税の設定
検地の効果なんてゴミみたいなもんだ
むしろ農民から反感を買う
太閤検地でも一揆起きてるし
軍役や検地を過大評価してる馬鹿がいるが秀吉が全国統一するのに全く役に立ってないんだよな
むしろ全国統一後に暇になったからやった事業 >>632
>>>622
>越前にしても信長が重税にしない国掟をやって
>税収入を信長によって決められたから家臣は少しでも税収入を上げるために検地をやって隠し田畑から絞り取ったとも言える
違うよ
税制を決めたのは柴田
信長は不当な税をかけるなだけ
だからフロイスから柴田は絶大な権力を与えられてると書いてる >>633
越前
分国いずれも諸関停止の上は、当国も同前たるべき事。
甲信
関役所・同:駒口、取るべからざるの事 >>634
それがどうかした?
税制を決めたのは柴田というのは変わりがない >>635
信長が許可した以外の税は取れない
分かった? 越前検地は内戦続いてそこから信長による越前一向一揆討伐でそれまでの体制が崩壊状態になって
生産高年貢高が碌にわからないような状態になってたから
村高確定するためにやったじゃなかった?
>>630
まあ一番の理由は戦に強いだろうな、あと判断行動が早い。
他には従来の慣習尊重して国人惣村にあまり干渉しなかったことだと思う。
他地域より国人衆や惣村の力が強いと言われる畿内及びその周辺で強権的に望んでたら、
史実の比じゃない反発起きてもっと苦戦したと思う。 課役に関しては急ぎの場合は信長に報告して指示に従えだから、
その部分に関しちゃ信長が決めるってことだろうけど、
それ以外はよほどでないかぎり自分の裁量で決められるんじゃないか?
江戸幕府だって全国の検地しても天領以外は譜代も外様も各自が自由にだし。 >>630
信長に反抗して京を出ていったのは義昭の意志だし
信長が京に帰ってくるように交渉してもそれを拒絶したのは義昭なのだから
室町幕府を滅ぼしたのは義昭だよ
信長が何故大勢力になれたのかといえば何度も言われているように運の要素が一番でかいよね 分国いずれも諸関停止の上は、当国も同前たるべき事。
だから越前も他と同じにし、信長と違う税を取りたければ信長に相談しろ
柴田自身が新しいことを独断でやれることは少ない >>641
それ関所だけ
人足、反銭その他賦課権は柴田が決める >>640
そうは言っても三職推任とか周りは幕府が終わって信長の時代だと認識してた訳だし >>643
新しいことを手っ取り早いのが関税 → 信長に越前も他と同じように諸関停止
信長より過大な課役を課す → 不当な課役に該当する恐れがあるので信長と同じようにする
信長と違う新しい税制したい → 不当な課役に該当する恐れがあるので信長の許可がいる
隠し田畑を見つける検地する → 信長の許可は要らない
独断でやれることは少ないよね >>644
だから義昭が自分から出ていって戻らなかったからそうなったんやろ >>645
>信長より過大な課役を課す → 不当な課役に該当する恐れがあるので信長と同じようにする
>信長と違う新しい税制したい → 不当な課役に該当する恐れがあるので信長の許可がいる
国掟はそんなふうには読まないのでは?
前例のない非分の課役をかけてはならない、必要があれば信長に相談してその決定に従うこと
旧領主がかけていた課役は自由にできると読めるが?
関所は第5条で第1条とは完全に別に定めてるし >>647
だから戻らなかったから権威がなくなっていったんやろ >>648
国中に非分な課役だろ?
前例のないは付いて無いだろ
つまり、信長に不当だと認められたらアウト
過大には課役できない
柴田の脳ミソじゃ信長に右にならえするの関の山だろ >>651
柴田勝家が越前で出した7ヶ条の規定は信長の意向ではないと思うけどね
国掟は所詮は他の条目がそうである通り、原則を示してるに過ぎない >>653
税逃れのために余所に移るな(秀吉の場合は斬首)
のアレか? つーか、アレは北庄城普請で柴田勝家の印がないと人夫調達してはならないという文から
信長の国掟の非分な課役するな、を頑なに守ってる文だろうに 信長がなんで国ごとに民政農政にいちいち指南しないと「農民と見向きしてない!」になるの?
秀吉や家康だって部下に細かいところはやらせていたでしょ? 織田だけ信長が指示や命令してないの根拠って残ってる文書が少ないから? 検地も今でいうと国税庁職員の仕事
人員徴発や税納入の仕方も地方公務員の仕事
総理大臣や各大臣が本来の仕事せずにそれらの業務して国民と向き合ってると言ってたら逆に笑うよねw >>655
段銭諸納所銭は三倍
信長に相談したとでも言うのかな? >>657
ヒント 現代の税制を決めるのは誰でしょう?税制改正大綱は誰が作ったものでしょう? 農民や大名が信長に反乱起こした言うけど、下克上の戦国時代に裏切りとか当たり前じゃん、武田信玄も父親から反旗を翻して、追放してるし、信長が実の兄弟と争って何度も裏切ってくるから謀殺したけど戦国時代では普通の事じゃん、信長にだけ特別に反抗しまくったなら信長にも問題があると感じるけど、当時はどこの大名も殆ど同じじゃん。 柴田勝家の越前の規定は農村の荒廃や人夫の調達に対応するためで他の戦国大名でもよく見られる政策だそうだが、そういう規定が信長の名前で尾張美濃近江伊勢でなんでないのかが疑問
検地にしても同様
尾張でも検地事例があったそうだが、それにしても史料が何故少ないのか
越前だけ一向一揆で大変だったから特別なのだろうか
池上氏に反論する論文や本が殆どないのは何故なのか >>658
本多博之の「統一政権の誕生と貨幣」を見たほうがいい
段銭は精銭基準だから鐚銭は三倍増という話
信長が鐚銭の交換レートを推進してるから信長の政策の一つ >>659
立法のプロセスを経ないと無理ですよねw
地方税も中央政府から指針が送られて来ますしw 池上先生とは、信長の農民に対するあるいは農政に関する発給文書が少ないから信長は農民と見向きしてないと言ってるわけ?
だとしたら学者とは思えない暴論だろ
発給文書がない=農民あるいは農政に関与あるいは見向きしてないとどうして成立するんだ?
あと、これまでのレス読んでみるとやけに太閤検地が持ち挙げられてるけど、まさか未だに太閤検地=素晴らしく正確な検地なんて考えてないよな池上先生? どうもこれまでのレス見る限りは、30年前くらいの古い太閤検地のイメージ臭を感じるんだが その辺知りたいなら池上先生の論文読めばいいじゃないか 本多氏や高木氏の経済と貨幣の本を読んだほうが百倍ためになるぞ
池上はんの本はカスや 質問に対して本を読めはその本を読んでない証拠で論説を捏造したと見なされても反論の余地はないな
ちゃんとした学術書なら著者がどういう史料の記述を元にどういうロジックで論説を提唱しているのか記載されているはずだから説明は容易な筈
過去に堂洞合戦の経緯について学者先生の論説を捏造してたのがバレてんだから
そう思われたく無いならちゃんと証拠史料とその記述内容、論説に至る考察はしっかり説明しろよ >>667
著書を読んでないのに質問したり批判するって失礼
常識だよ >>622
そういうことだったのか、凄い納得しました。
内容が自分で自分を否定しているから、池上先生ボケたのか?とかまで考えましたがそれなら本の主張はある程度一貫していますね。 大門先生も言ってたけど、歴史学者はとっぴな学説を打ち立てた方が注目されるから、
さしたる根拠もないのに史料を都合よく組み立てて妄想で語る奴が多いって >>668
そもそもここには著者は居ないぞ
居るのは他人の著作を引用解釈して自分の意見を述べる奴だけ
だから反論に対しては回答者が正しく引用して回答しなきゃいかん 池上氏は武田や北条が農民と見向きしていたと言ってるが、具体的には織田との違いは言及してるの? あるいは毛利や島津など西国大名でもいいから、このあたり言及してるの?
池上氏は農政に詳しいらしいから「ならし検地」くらいは知ってるよね? 信長以前の武田北条はならし検地のはずだし毛利は江戸時代に入ってもならし検地でおまけに春定法という過酷すぎる税制やってるんだよ、池上氏もちろん言及してるよね?
ならし検地や春定法やられるくらいなら、農民や農政に見向きしてくれないほうがむしろ農民は助かるよ >>672
本も読んでないのにそんな失礼なこと書いて恥ずかしくないの? 最低限「戦国時代社会構造の研究」と「織田信長」読まないと批判する資格もない
何か変なこと言ってる? 頭おかしいと見なされても反論できないレベルで変なことを言ってると思うぞ
主張に対する反論に対して説明責任果たして無いんだから 頭おかしいのは著書も読んでないのに反論してる人だし 説明できないお前の能力が低すぎるのが問題だって話だな つまり自分は読む気もないのに他人に説明しろとか説明責任があると言い張る厚かましさ
頭おかしいね >>630
ジジによる集金システム構築
パパによる朝廷への献金(都において評判上々になる)
本人による道を学んで身を立てたいと誓った頑張り >>678
エッセイ呼ばわりされてるぞ反論したほうがいいんじゃないか 本読めばわかると言っている人いるが、
読んでも理解出来なかったぞ
622見てそういう捉え方もあるのかと驚いたわ 著者でもないのに本読めで逃げるのはどうなんやろな
普通に引用すればいいだけやから反論出来ない事の言い訳に見える いや本なんか読んでないだけ
ネットで拾った浅はかな知識しか持ち合わせてないから
突っ込まれると本を読めと言って逃げるしかない
堂洞合戦の時もそうだった >>684
それ以前に読んでもないのに批判する方が論外 >>686
>>686
読んでるやつからエッセイ呼ばわりされてるぞ 読んだ人が書いてるらしい
「281頁2行目から信長の発給文書で、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力、とか書いてるな池上
郷村宛の禁制以外に村や百姓支配に関わって発給した文書がほとんどない、信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれていない。それを受けて村や百姓に対するのは奉行や領主自身である。「信長には農政、民政がないのである」と281頁3行目から6行目にかけて言ってる 」
だけど、奉行って信長から派遣されて差配してるのと違うのか? このあたりの池上の認識がよくわからない
奉行委任=信長の意思ではないのか池上アイでは?
秀吉だって現場は石田三成や浅野長政に、家康は伊奈忠次や大久保長安に任せて、領地安堵の朱印しか発行してないはずなんだが
池上の言ってる発給文書ってなんのこと言いたいのかなあ それと池上って戦国時代の農民農政に詳しい割に、やけに検地が簡単にできるように自著では書いてるの?
江戸時代でも検地は年単位の長期イベントなのに、平定したばかりの土地でむしろすぐ検地やりだす信長が農民に見向きしてないとかやばすぎるだろ、見向きしてない人間がやれることじゃない。土地の人間の反感買うし >>690
読んだ人に説明求めるより自分で論文読んだ方が早いぞ
人物業書だけでは池上氏の農村に関する研究は分からない まぁ人に説明を求められて答えられないとなると要は「理解出来てない」って事だもんなぁ >>691
いや自著出すってことは、自分の考え方を世間に公表するってことで、論文どうとか研究どうとか言っても仕方ないよ
というか君、具体的に何も言わないね
読め読めいうだけで読んだことないんじゃ? >>694
人物業書の方しか読んでないからな
農村に関する研究知りたいなら他人に説明させる前に自分で読めばいいじゃん
何様なの? まあこの本ではっきり分かるのは、池上氏はMだということだ
支配されたい願望がやたら強いので、信長の支配は足りないわ、もっと向き合って!もっと束縛して!
という本です 本多氏や高木氏の経済と貨幣の本にあるが、権力者が精銭を貯め込んで力の弱い庶民には悪銭が渡され、すごい勢いで庶民の悪銭の流通銭化していった
徐々に問題化していき、信長の頭を悩ませていた
民政の意味が国民の幸福増進を目的とする政治という意味なら、貨幣問題対策は必須で検地なんてどうでもいいはずだがなぁ
近〜現代でも貨幣問題は存在するくらいトップが主導してやらなくてはならない問題で、頭が良くないとできない
信長も試行錯誤して何回も対策してたが道半ばで死に、秀吉がそれを引き継いで悪銭貨幣対策をしたが解決はせず
最終的には石高制にするが、米生産量を確保するために農民には職業の自由を奪い、田畑を放棄したら斬首するという、
農民を米だけ作る機械として「農民をこき使う政策」を推進したのが秀吉・家康
>池上:信長以外の戦国大名には「武士は農民を勝手にこき使ってはいけない」とか、農民に対する政策があった。信長後の秀吉、家康にもあった。信長にはない。
マジでこんな事を言ってるからこのスレだけで無く、同業者にも馬鹿にされるw >>661
>池上氏に反論する論文や本が殆どないのは何故なのか
賛成引用する論文もないから、
一般人向けの書籍に書かれたことなんて誰も本気で対応しないってだけだと思う、
こんな本が出てるぐらいの紹介は誰かがしているだろうとは思うが。
>>666
池上氏の貨幣論というと織豊政権と江戸幕府のことか。確かに本多高木らの論文と比べるとな。
でもあの時期なら池上氏の信長の貨幣政策に対する考えは少数ってわけでもなかったな、
それに池上氏は貨幣史の専門ってわけじゃないし。 それ以前に信長が見向きしてない他はみんなしているとかまるで学者とは思えない発言してるのがねえ
当時の農業と商業の関係知っていたらこんな発言はできないはずなのに >>674
その人煽ってるだけだから無視すべきじゃ、
本読んでた方が議論に参加しやすいってのは当然だけど、
傍から議論みて気になったり疑問もったりして聞いたりするも否定ってのは異常。
大名のスレとかでwikiレベルの知識もない奴は書きこむなみたいな発言だろ。
いちいち答えるのが面倒ならスルーすればいいだけだし、
気になるようなら情報を提供するなり説明すればいいだけのこと。
>>689
多分622みたいな本人にはわかる何らかの理屈があるんじゃないか?
>>696
今は予約抽選も必要だぞ。
>>699
北条領じゃ貨幣制度崩壊は西国畿内より遅れていたからそこまで問題じゃなかったとか。
あと農民の職業固定は信長もやってる。 >>701
商業流通に関しては十分評価しているから、
間接的に農業に影響を与えるでは駄目で、
直接的な農業政策をしていないって意味で言っているというのはどうだろう? >>702
人口と物流の大動脈の畿内の話にクソ田舎の北条領をだして意味があるのか? >>704
関東と畿内の差を理解していないから貨幣問題の農村への影響に対するとらえ方が違うんじゃないかって意味で書いた。
黒田氏の貨幣対策=農村への飢饉対策の論文とか割と最近だし池上氏は参考にしていなかった可能性とかどうだろう? 池上って歴史知らなすぎだろ
商人が年貢米を請け負わないと当時は商売すら成り立たないのに
信長はだから商業を重視したんだろ
それを「信長は農民と向き合ってない!」キリッは笑える >>708
池上氏の所属するお寺が信長の悪口言い始めたのも
多分江戸時代から 家康が寺社統制のために寺社に手厚い保護を与えたからな
家康に比べたら信長は悪に見えるんだろうな寺社は >>710
う〜ん、個人的想像では
過去を聞いてくる純粋な門徒さんたちに
我が寺も昔は戦闘に明け暮れ、脱税もしてたせいか将軍から討伐令も出されちゃってさテへッ
なんて口が裂けても言えない。そや!信長のせいで酷い目にあったって言っとこ!
これじゃないかと 信長絡むとおかしくなるな
戦国時代社会構造の研究の頃じゃそこまでアンチ信長じゃなかったと思うが
『織田信長』も制度的に遅れているとか、農村社会に手をつけようとしなかったとかそれ自体は正しいと思うが、
死んだ時点じゃ統一政権としての政策にまでなっていなかったというのもわかるが、
農民政策がないってのはおかしいし、農民のことを考えていなかったというのもおかしい。
更に農民の負担を変えなかったことがまるで悪いことのように書くのはどうかと
他にも信長以外の大名には農村政策あって信長だけがないとか、
アンチが行き過ぎて逆に信長だけは特別の領域に入っているような 信長に対する抵抗は地域社会の戦いとか書いているが、
この本だと信長は上澄みだけ変えてそこから下の地域社会を変えようとはしていなかったから、
地域社会の戦いにはならず他の大名こそ地域社会との戦いだったろうに 農民に見向きしない織田領で一揆が起きず、見向きしていた武田や北条で一揆が起きる矛盾
見向きしていて起こるなら放置したほうがマシなんじゃ? しかもノブの本拠地、尾張美濃は隣接する三河や長島で一向一揆が起こってるからな
民政を蔑ろにしてたならすぐ波及した筈 一向宗の分布具合にもよるが、隣の三河と長嶋で一向一揆が起きているからな 尾張・美濃の浄土真宗は本願寺派ではなかったし信長との関係も悪くなかったからな 本願寺さんが被害者アピール頑張ってるせいか
信長応援団の浄土真宗存在感薄いな 地域社会・民衆との戦いというなら尾張統一時や今川との戦い美濃統一で
そういった存在が敵対しているはずだから的外れなんだよなー
逆に今川は地域社会敵に回して信長に尾張統一までの貴重な時間与えてしまったが 「信長は天下統一にあと一歩まで迫ったから高評価」「いやいや残虐なことたくさんしたから低評価」
こういうのが歴史学者の仕事なの?
いくらなんでもレベル低すぎないか 信玄も秀吉も家康も謙信も規模の差はあれ、みんなしてるよねえ ていうかノブは信長公記という詳細な記録が残ってるから残酷なシーンも平気で書かれてるだけでそこだけ現代人が抜き取って大騒ぎしてもなあ
太田牛一の評価でも他の人の評価でも同時代人平均ではことさら残酷とか冷酷とかなくて寛大で慈悲深いとまでされてるやん
信玄や秀吉なんか断片だけでもかなり横暴で残酷と言われてるんだからあんなもんじゃねえだろ 家康は温厚だし無駄な殺傷はしなかった。
だから最終的な天下人になれた。 新井白石の頃には信長は残忍凶悪という評価になってたみたいだがいつ頃定着したんだろうね 幕府の御用学者は全部逆算だからなあ
家康を有能で寛大な大物とするためには秀吉はこうじゃないといけない、信長はこうじゃないといけない 信長さておくなら秀吉の話いらんやろ
秀吉アンチはヤバいな 白石の「人物はアレだが乱世をまとめた功績はデカイ」っていう信長評がその後の定番になったのかもな 白石は信長がいなければ家康が泰平の世を築く事は無かったかもしれないと言ってる 徳川史観が支配する江戸時代ですら「座りしままに食う」評価なのに >>734
乱世を終わらせたのが信長秀吉で
泰平の世を作ったのが家康
結局は当たり前の評価に落ち着く 謀反起こされてあえなく死亡してまた大乱起こしてるのに、まとめたとな 家康の場合新領が全て今川武田北条という、既に地域権力地侍層弱体化させてる地域だったから、
殺生少なくて済んだんじゃ? >>737
謀反謀反と一つ覚えできしょ
こういう奴って戦国時代、いや信長の時代以外の歴史知らないんだろうな 白石って「今の諸侯は信長の時代に身を興した者達ばかりだ」みたいな事も言ってるんだよな
信長個人は儒教的価値観からいって全然評価できないが、結果的な影響は大きいみたいな感じかな >>735
それは幕末の話だし、それが当時のスタンダードな3人の評価だったわけでもないぞ 信長が秩序を回復させたわけだからな
そのあとは信長が作った天下の中の権力争い >>743
白石の言と併せて考えれば極端ではあるものの大筋としてスタンダードであると分かる >>745
「極端ではある」ものの大筋として「スタンダードである」
?????????? >>746
「比喩言い回し」が極端なだけで「大筋」の評価はスタンダード
頭の悪い揚げ足取りやな >>747
たった二例を引き合いに「スタンダードであると分かる」というのが
そもそも無茶苦茶だし 新井白石だって座って食ってただけとは言ってないだろうね 家康が開いた江戸幕府なんて農民から年貢をとるしか脳がなかった政権だけどそれに関してはどう思ってるんだろう 典型的な武士マインドなんだよな
経済的センスが皆無で財政がやばいとなると節約したり米を増産することしかできない 家康はまだビジネスに積極的だったんじゃ
江戸幕府が重農政策に舵を切ったのは家光期じゃないかと
それもスペインが没落して欧州との交易パイプが細くなって旨味が無くなったからじゃ 金銀の流出が止まらなかったから制限かけた
交易額自体は幕府としては減ってはいない
輸出品増やして貿易赤字減らすことが出来たのが田沼ぐらいで
その田沼の政策も松平定信によって潰されたが 池上の頭の中だと田沼は賄賂政治の認識のままになってそう 結局田沼の政策否定した結果が財政逼迫を招き、黒船がトリガーになって幕府政治の終演を招いた訳だが 田沼期に打ちこわしや天明の飢饉の救済策が弱かったから
池上氏は田沼は農民と向き合わなかったとか言ってそうw 池上氏の講義受講してる生徒さん達、ご本人に直接聞いてみて欲しい 農民政策がないってのはある程度は理解出来るけど、
それが検地やっている大名なんかと比べて農民にとっても悪いことみたいに書いてるのがな 検地は太閤検地みたいな全国丈量統一と石高制移行が合わさって評価されてるだけで
太閤検地じゃない北条や武田の検地みたいな小規模単位の検地なんて農民の隠し田畑を暴くだけで大した政策ではない
代官派遣してやらせれば誰でもできること
地方大名がやった検地を太閤検地と同等だと勘違いして過大評価してる馬鹿がいるのがなぁ
検地しても経済効果も数十〜数百石上がるだけ
畿内という物流の大動脈の悪銭貨幣問題のほうが大規模な範囲での経済効果と庶民の暮らしに影響あったのが分からないんじゃ話にならん 池上氏は研究にちょいちょい私情を差し込むから、
受け手のこちらもつい氏のプライベートを勘ぐってしまう
実家は農民だったそうだが、検地を喜ぶってことは小作人でなく大地主だったかも知れん
大地主は経済とか貨幣とか疎そう 検地は加地子得分内徳を否定するものだから地主にとっても損だろ 結局信仰心から信長をデスりたかっただけなのか
浄土真宗といっても確実に大谷派だな、信長に協力し大谷派と敵対した〇〇派では絶対にない 信長自体に先進性はなかった(他の大名の政策をパクっただけ)ってのはよく聞くけど
保守的な戦国大名が多いなかでアレだけパクりまくればそれって先進性があるのではって思っちゃうな >>765
今は異常に持ち上げてたのの反動で、いやそこまでじゃなかったからの更に別に普通だったって言えばいいみたいな時期になってるね
でもそれだけならあそこまで強大化することはなかったわけで 歴史小説から入って過剰に評価
↓
実はこうだったみたいな本を読んだりして過剰な過小評価に走る
↓
時間が経過し色々なモノを読んで(その人にとっての)妥当な評価にまで戻す
テンプレだと思うんですよ 逆張りが行き過ぎて伊達政宗や真田幸村はただのザコとか言い出す奴もいるしな 皆自分のことしか考えてなかった乱世に割と本気で中世室町時代の秩序を回復しようとクソ真面目に行動してたっていうのは斬新?なんじゃないか
クソ真面目で神経質過ぎて自分の思う天下静謐に合わない勢力を徹底的に叩いてたらいつの間にか大勢力にって感じ? 信長公記や一次史料や高木氏、本多氏の経済と貨幣の本などを読んでいれば
池上氏が言ってることに疑問符だらけになるのが普通
それに疑問を抱かなくて盲信してしまう奴など基本的にニワカ知識しかない そもそも当時の人は信長を先進的とか斬新とか言う言葉では評価してないな
彼らの信長評は聖人、恩徳ある人、偉人、武勇秀でた人、優しい人・・・だっけ
つまり史料無視の学者達が嘘撒き散らしてきたが、最近になってその嘘を学者自ら回収し始めたってだけやろ
池上氏も回収員の一人なんだが、信仰心まで妙に混ぜ混んじゃっておかしなことになってる >>770
信長みたいな三下(身分的に)が天下を仕切る時点で室町体制の崩壊なんでは >>773
義昭が室町将軍の慣例に従わないで謀叛した挙げ句職務放棄して逃げちゃったんだからしゃーない(信長目線では)
信長にとって天下人とは朝廷に厚く奉仕をして天下五畿内の静謐を保つのが務めなんでしょ 義昭がいたとしても信長のような馬の骨が実質的な権力者になる事自体が室町体制の破壊って事でしょ >>753
秀吉家康による米さえ作ってりゃいいっていう石高制のせいで他の産業が育たず万年貿易赤字になったんだよな
茶の栽培にでも力入れとけば欧州相手にボロ儲け出来たのに 天下人が朝廷を保護して畿内を取り鎮め、地方の有力大名にはある程度の自治を認めるが天下には従順であること
それが室町時代の理想の体制でしょ 信長は中国四国北陸関東にも兵を進めてるし九州の争いにも口出してるし畿内の平定にとどまってないだろう >>774
その天下布武の考え方も最近になって勝手に解釈されただけの話 そもそもこの池上って女、安倍晋三を織田信長とそっくりとか言ってた奴だぞ
こんな奴の著作なんか当てにならん ワイには安部元首相とノブさまの類似点が何一つ見つけられないんだが >>776
石高制関係なくもとから貿易赤字状態だ
あと茶で儲けるのは中国産に質量値段で勝てないから困難だと思う 親父の位牌に抹香を投げつけたと言われるのが信長、
親父の危篤時にゲームボーイをしていたと言われるのが安倍。 現代日本で8年総理を継続できた安倍さんの方がはるかに功績は上。 池上論だと安倍元が各省の方針やコロナ対策・経済政策もやらずに国税庁に来ていきなり音頭取り出して
検地(今でいう国税庁の脱税などの税務調査)してたら
池上的には安倍元は国民をこき使わない国民と向き合った政策してたって事になるんだろ? もっと単純に
安倍のおかげ(←実際は何もしてない)
信長のおかげ(←戦争に明け暮れて農民に対する政治は何もしてない)
だろ >未来が見え、強いリーダーシップで民衆を引っ張っていったとか。そんあヒーローみたいな人間って、実際はいないんじゃないでしょうか。
>ただのイメージは負の面が大きい。リーダーシップがありそうな人に無批判についていってしまうとか。自分自身で物事を決めることが疎かになりかねない。
これ、完全に同意
安倍とそれを無批判に受け入れたせい日本人のせいで日本は没落が早まった ところで石破が私は光秀とか言ってたの、もしかして池上婆の影響?
政治家にまでその発言が知られるほどの学者とは思ってなかったけど >>794
時期的にそうかもね
石破って下手な発言するオッサンやと思ったもんだ 麒麟は本当にゴミ大河だったな
最新の研究を反映と言ってたくせに駒とか東庵とかのオリキャラがウザいくらい出て
光秀の謀反の理由をネットのwikiに載ってるような信憑性ない陰謀説全部を闇鍋状態でぶち込んだだけの投げっぱなし
闇鍋と本能寺で無駄な信長無双したからか尺が足りなくなったのか山崎の戦いはナレ終
その挙げ句、光秀生存したかのEND
控えめに言ってゴミ >>796
信長の功績を濃姫や光秀に分ける事で
信長の最新研究を少し加えた事と併せて優れた信長下げ作品にはなっとるな >>776
鎖国して国内産業育てたおかげで
徐々に国産絹や陶器磁器が海外にも輸出できるようになって
幕末にはアヘン戦争太平天国の乱で中国の絹茶の生産地にダメージ
同時期欧州は蚕の病気で蚕が壊滅、これで絹がガンガン売れた
まあそれでも貿易赤字だが。
秀吉家康期じゃ産業育ててぼろ儲けは困難。 麒麟は配役から、秀吉が走って大返ししてくるのを期待したんだけどね >>798
秀吉家康時代の事かと思えば幕末の状況を語るとか
なんとも中身のないレスよ 最初のあたりで鉄砲にかなり時間さいてる時点で「?」だった
鉄砲って別に明智光秀に特有なもんじゃないのにさ >>783
中国に品質で勝てないとか言ってるが、秀吉家康期ってヌルハチが台頭してそこから60年くらい戦乱が続く
明なんて清との戦いや大干魃と長い戦乱の疲弊でボロボロになった挙げ句、最後は農民の反乱の李自成の乱で滅んだり
中国全土は荒れに荒れる時期
明時代から清の康熙帝時代まで海禁政策してて康熙帝が1684年にやっと海禁を解除 >>801
斎藤家の家臣時代を長くやったかと言えば義龍はナレ死
その息子の龍興は無かったことに
本能寺の原因で新たに発見された斎藤利三と長宗我部関連やると思ったら何にもやらず、wikiに載ってるようなカビが生えたような逸話集を垂れ流しただけ
信忠とともに討死する道三の忘れ形見の斎藤利治も無かったことに
そんな扱いなら斎藤家に尺を取るな 検地は同時期に各地の大名が行っている
むしろ北条などで竿指検地の導入も始まる一方
織田支配下の一部では指出検地すら実施されておらずこれも近年指摘される信長の旧態的な内政の一例
柴田勝家の越前における「刀さらへ」は豊臣政権の刀狩とは大きく性質の異なるもの
信長の資金稼ぎに関しては堺への「矢銭二万貫」に象徴されるような
上洛以降に強まる畿内一円における際限なき課税(ちなみに矢銭を拒否した尼崎は市街焼き討ち)、
朝倉滅亡後には朝倉に協力していた座すら保護しての座役銭の徴収といった旧態的な方法こそが大きな源泉となった
ちなみに本能寺の変の後、明智光秀が行った最初の政策は三好氏が廃止し信長が復活させた京の地子銭の再廃止
だけど現在の社会でも政界とか見ていると
別に革新的な政策とかではなく
既得権益からの献金やら集票で成り上がってきた政党とかもある訳やん 北条の一部でやっている政策を、織田家の一部ではやっていないという指摘に意味はあるのだろうか? >>805
西国より東国のほうが先進的な政策を実行してたみたいな指摘じゃね 伊勢新九郎の代から検地始めた北条家と
信長の代から検地始めた織田家で差があるのは当たり前 >>804
検地なんて農民の隠し田畑を暴くだけで大した政策ではないのに
過大評価するアホの多いこと >>807
ただの詭弁じゃ?全体で比較するんじゃなく、
北条家の一部の先進地域と織田家の後進地域の一部の比較だし。
これだと、織田家で竿丈量地やってる一方、
北条支配下の一部では差出検地すらしていないって書くことだってできる。 上で池上擁護してボロクソに論破された阿呆が帰ってきた? >>1
織田信長の楽市楽座も兵農分離も戦前の通説が近年の歴史研究で否定されとるんやで
>ちょっと専門的な内容。「楽市楽座」は、信長が始めたわけでもなく、習ったような内容でもなく、自由経済の先駆けのように捉えるのは、後の世の偏った見方のようだ。敵国の近くなど戦略上重要な場所に人を集めるために、安心して商売ができるよう保護したのが「楽市」で、「楽座」の事例は少なく、内容も「座」を廃することではなく、座からの徴収金を減らして商人にとって楽になるという意味であった。教科書で習った「楽座」=「破座」は秀吉の時代の話であるようだ。歴史の教科書はどんどん変わっていくので、世代間の常識に隔絶が生じるなあ。
>刺激的な一冊。「楽市楽座=信長」というイメージを廃し、織豊系以外の大名の「楽市」も考察する。大名ごとに様々な目的で出され、恣意的に運用される「楽市」は「自由な商取引」という言葉だけでは説明がつかず、また商人側も「諸役免除」に拘り、それが「楽市」に伴うものかどうかは重視しない。さらに衝撃は「楽座」で、それが役銭の減免を願う座側の申し出であり、「座の特権廃止」とは全く異なるということ。常識が揺さぶられるエッジの立った内容で、大変勉強になりました。
楽市楽座はあったのか (中世から近世へ)
https://bookmeter.com/books/13447652 >>1
●「楽市楽座」の実態
織田信長の「楽座」令とは座の廃止どころか座を認めた上で税を軽減するという座の優遇政策だった
朝倉氏の滅亡後、朝倉の庇護下にあった座を織田氏が安堵した史料も残る
実際の座の廃止にあたる「破座」令は後年の豊臣政権下で行われた
そもそも「楽市楽座」の通説は皇国史観で悪名高い戦前期歴史学の権威・平泉澄が捏造したもの
そして「鎖国」や「士農工商」同様、史実と大きく乖離した内容が歴史教科書に載ってしまった
関所についても信長は他の大名と同じく支配拡大で不要になった軍事関は廃止しても
関税を徴収する商業関は多くが存続し、恭順した勢力の既得権益が保証された事例も多い
例えば信長支配後の京では関税徴収の先駆けの「京の七口」が存続しており
琵琶湖においては堅田衆の関税を織田に上納させていた
こうした信長時代に存続した商業関は豊臣政権の時代に廃止が進んだ
明治以降の薩長史観や井沢元彦の歴史ファンタジーで定着した「織田信長=既得権益と戦い新たな時代を築いた英傑・天才」という史観は近年の歴史研究の世界ではもはや時代遅れ
むしろ「最初の天下人」こと三好氏凋落後の畿内における既得権益との癒着や支配地への過酷な課役、京の地子銭の復活など前時代的な方針こそが織田氏の権力拡大に多いに寄与したとされる ●「兵農分離」の実態
90年代に大ヒットした井沢元彦のトンデモ歴史ファンタジー「逆説の日本史」によって
「戦国時代、信長以前の大名の主兵力は農民で合戦は農閑期しか行えなかった。それを信長は「兵農分離」を行い常備軍を有して一年中合戦を行えるようにした」という俗説が世間に広まったが…
この「信長の兵農分離」概説、現在多くの歴史研究者に多方面から否定されている。
そもそも信長が兵農分離政策を行った証拠とされてきた史料
(「信長公記」中の記述)とは、実は
古くは朝倉氏が分国法で定めるなど既に各地の大名が行っていた城下集住すら織田氏は遅れていた、信長の革新性どころか後進性を示すだけのものであった。
兵農分離を行った証拠は実はない(真田丸の時代考証・丸島和洋氏の解説)
https://togetter.com/li/327812
ちなみにその記述を要約すると「信長は安土に移転後も未だに城下に妻子を移住させない家臣達に怒り、失火事件を機に彼らの実家を焼き討ちした」というもの。
今川義元が勢力を伸ばす時期、既に有力大名は寄親寄子制や直属の牢人衆などで季節に関わらず兵を動員する体制を構築しており
今川軍が桶狭間の戦いで6月に大軍を動員できたのもこの理由。川中島の戦役でも両軍が夏期の農繁期に対峙している。
豊臣政権の小田原征伐に対する北条氏の百姓動員令のような事例は緊急事態に限られ、その状況においても百姓の主な仕事は普請等で直接戦闘に参加する事は少なかった。 ●信長の肖像画
織田信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)がポピュラーで教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこちらの肖像画(大徳寺蔵)が採用されてきている
http://www.shouzou.com/mag/p/daitokuji700px.jpg
https://star.ap.teacup.com/tensi/timg/middle_1308435680.gif
この肖像画は生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したもので緑のものより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
有名な緑色の肖像画は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと考えられ、
他に残る複数の肖像画もやはり(大徳寺蔵)やその模写を基に描かれたとされる。 フロイスの評価通りなんだろ
真面目で公平で正義感が強くて、そして戦争に強かったから天下を取れたんだよ なるほどな
なんでその当たり前が語られなかったんだ?? >>819
歴史学者はなんだかんだで西洋資料を忌避してるからじゃないか?
ただの読書になっちゃって学者気分が味わえない、
分からないとこは外国語学者に聞く羽目になるし >>821
でも日本側の一級史料の信長公記の評価と一致してるじゃん >>818 >>821 >>822
普通に信長公記とか読んでも、信長が謀略とか粛清の多い人である事は伺えるように思うし、信長や織田勢の敗北はいくつもあるように思うし、他の資料とかを考慮してみれば、とても君がいうような評価にはならないように思うけど、どうなの。 >>823
ヨダレ垂れ流しながら書いてそう
キモい文章だな >>824 >>825
また変な事書いてるようだけど、実際には、信玄西上の時には、武田と包囲網勢力の方が総和的に織田徳川を上回ってるように思うし、信長も信玄を警戒してたと思う。 >>827
まじめな話として、>>352とかにも書いてるように、僕は菅沼なんて言う名前じゃないし、
その菅沼認定厨さんは、上記352にも書かれてるように、IDコロコロや複数回線で多数を装いながら、
上記352とかにも聞かれてるように、複数の人々に菅沼認定をして、
その矛盾とかにまったく答えられてないように思うのに、それで僕を菅沼とか言ってもしょうがなくないかな、と思うけど、どうなの。 元々構って欲しくて否定された自説を
延々と繰り返す人のスレだものね 信長が明確に謀略を用いたことなんて数えるほどだろ
大体河尻秀隆か丹羽長秀がやってる あちこちのスレにクラスターやらかしてるな
見境が無くなってる >>831
また変な事書いているように思うけど、このスレと同様に、
菅沼認定厨の君が変に思える事を書いて、それに僕とかが反論してるだけに思うけど。
菅沼認定厨の君自身が勝頼スレ37とかで指摘されてるように、IDコロコロや複数回線で
多数を装ってる可能性が高い事は指摘されてたように思うけど、
君の言ってる事は、君がそうやって多数を装って、多数の書き込みをしていると思しき事はよくて、
相手側が反論をしていくのはよくない、みたいに言ってるように思うけど、どうなの。 >>826 >>828
あれ?なんで君は僕の書き込みと思しきレスをコピペして、そんな妥当性の考慮もないように思われる形で提示してるように思うけど、
それって>>832にも書いたように、菅沼認定厨の人がIDコロコロや複数回線で僕になりすましをして、
相手側がコピペをしてる、っていう事にしたい、具体的には、>>827のようなレッテルを貼りたい、と
思ってるように思えてしまうんだけど、どうなのかな。
>>827
僕はそんな妥当性もないような感じで自身の書いている文章をそのまんまコピペとか、まずそんなにしないと思うんだけど、
君は何を書いているのかな?という事について、答えて欲しいと思うかな。 >>824
謀略や粛清をしてるからと言って、業績で英雄じゃない、っていう事もないと思うけど。
>>825
まったくそんな事ないけど。
なんでそんな変な事書いているのかな、と思うし、言いたい事があるなら、論旨で書いて欲しいと思うかな。
>>830
そうかなあ?弟を粛清したのとか、志賀の陣で朝倉浅井を和睦で騙した事とか、
伊勢長島を騙した事とか、秋山とかを騙した事とか、
佐久間をはじめとして、家臣達を何人も過去の事を持ち出して粛清してたりとか、
そういう事は普通に信長がやってるように思うけど。
家臣がやった謀略も、信長が指示や承認してやらせた事なら、普通に信長がやった事扱いでもいいと思うけど。 >>833
の
>なんで君は
は
なんでか君は、に訂正をしておくかな。 >>831
過疎板って大体そうだよ
人がいるスレを手当たり次第に荒らすのさ 池上裕子は著作見てると研究対象を極端に憎悪して分析結果に反映させてしまうし
駄目な研究者の見本みたいな人なんだよな 史料も充実してるしレベル低いってことはないだろ
駄目なのは著者の左翼思想に基づく結論だろう >>847
充実してる?
あれ読んだけど「公記」を真っ向から否定しすぎてる
それに池上は信長が尾張とかで検地してたの知らないのか?
あと、信長は尾張美濃の出身者を重用したとあるけど、明智とか
出自が曖昧な奴らも結構いるのにどうやって割り出したのあれ?
あと、なぜか桶狭間からスタートで尾張統一はスルー
尾張統一で信長がどれだけ動いたかも語らずに信長は〜
なんていう事態お門違いがすぎる 自分の政治思想を信長を利用して表現するとか学者と言っていいものか >>849
> 自分の政治思想を信長を利用して表現する
それは良いんだよ。
意識するにせよ無意識にせよ、独立人格が何かを発信するという行為は既に何らかの思想や価値観の表出であることから免れ得ない。
学術論文から場末の落書きまで一切の例外は無い。
だからそれは構わない。
池上の問題はそこには無い。
事実の誤認や歪曲、恣意的な抓み喰い、考察の浅薄さ、等々職業人として稚拙過ぎるということこそが問題だ。
簡単に云うと、度し難い愚者だということに尽きる。
逆に聞くけど織田信長の伝記で良著ってなにがあるんだ?
谷口先生はもういらっしゃらない。
桐野先生は10年ぐらい前に書いただけ。
柴先生や金子先生はまともに信長を書いていない。 >>852
むしろ織田を専門に研究「していない」学者に書かせた方が良書になるかもな。
ただ、人物中心の伝記なんてものは最良のものでさえ所詮は講談の域を出ない。
中世後期の社会構造論の中で「偶々そこに存在した要素」を表す単なる記号として「織田信長」なる固有名詞を出す方がよっぽど本質に迫れるだろう。
織田を専門にしない学者が書いた結果が
池上先生の「織田信長」なんだよな。 >>855
というか池上、織田信長を利用して安倍晋三を
批判してるやん
無能すぎる 楽市楽座
兵農分離
三段撃ち
信長の業績ってだんだんメッキが剥がれていくよな 革新性がなくなっていく度に素の能力が上がって行く感じやね >>857
そんな目先じゃなく当時の最適解を導き出してるのがとんでもないんだよね
領内の経済を安定させる金融政策や恐ろしい数の鉄砲を揃えられる生産力の向上を実現させた施策がどれだけ頭いいのってなる 革新性がなくなった結果
ただの戦争に超強い政治もできる偉人であることが判明した織田信長 >>860
池上裕子はそれも否定してるぞ
たった8年で統一を果たした秀吉こそが偉人なんだと 信長を安倍晋三やヒトラーに例える無農薬の話はいいです 信長や秀吉を評価しないのは無理がある
本能寺時点ではジリ貧の毛利、瀕死の上杉、他は残党が無駄な抵抗をしていたくらいで
東北から九州まで田舎豪族でさえ安土に貢物を持って必死に信長のご機嫌取りをしていたからな
当時の人間はみな信長を天下人であると認識していた
その信長が評価できないと言うなら他の武将は無能か白痴かという話になる 実際に朝廷は信長に右大臣の官位を送ってるからな
斯波の陪臣だった織田弾正忠家出身の信長にだぜ?
並外れた実績と貢献を当時リアルタイムで信長に接していた人達の評価の程が伺えるだろ
信長は過大評価ではないと言い切れる答えになると思うが そりゃあ信長も秀吉も信玄・謙信らと並ぶトップランクの武将だよ 並ばないだろ
信玄や謙信は地方大名の域を出ない
せいぜい国を3つ4つ取って地方の覇者となるのが限界 >>865
朝廷の評価
織田信長 正二位右大臣
武田信玄 従四位下
上杉謙信 従五位下
勢力範囲も信長は畿内を支配する「天下人」
武田上杉は地方のわずか数カ国の守護でしかない 謙信は関東管領職の地位もあるし短期とはいえ関東全域に勢力を伸ばしたから信玄より上の扱いでいいのでは 池上っていうのは本当に学者なの?
今は亡き谷口先生と比較すると余りに低レベルで驚いた
谷口先生みたいに史料を提示してないし >>867
池上「武田や上杉は検地をして軍役を定めているから先進的です
織田は農民に見向きもせず、軍役も定めない後進的な大名です。信長は安倍晋三に似ています」キリッ それ言ったら小瀬甫庵は大歴史家になるぞ
主張精査せずに知名度だけで判断するの? 甫庵とかあいつ太閤記でもやらかしてるからな
当時の人たちにも批判されまくってるし 甫庵『だから!俺は冒頭で面白く解りやすく編纂したから信憑性は期待するなって但し書きつけてるだろ!!』 >>876
わかりやすくと改竄は違うからな
しかも信長記だけじゃなく太閤記とかもやらかしてるし 池上と同じで、著書をいいことに自分の言いたいこと言って本来のことを何にも言えてないんだよな
甫庵もそうだけど >>870
そもそも何の能力?
やってることのステージが違うのにどう比べるの?
国のトップの能力と一地方領主では比べようもない 池上はその地方領主が信長より上と言ってるんだけどね 池上を信奉してるやつは
その時点で
歴史の話をまともにできない相手として認定するね 結局世襲
やっぱり世襲
佐久間が追放餓死で信雄が結局赦免なんだから
軍団長もうんざりする
信雄が前田利家みたく一兵卒から再スタートなら革新的と言ってもよかったが 佐久間には何だかんだ厳しく言っても最後にはどこかで手柄を挙げて汚名返上するか高野山で反省して許して貰えるようにしろと言っているのだから信長は優しい
信頼回復の手段を明示して、それが難しいなら反省している事を態度で示しなさいと
二重に機会を与えている訳だからな
駄目息子に発破をかける親父みたいだわw
実際、信栄は許されて帰参しているし
信盛ももう少し長生きできれば帰参できたかもな 丹羽氏勝なんか築城見物中に大工が岩落としただけで追放w
ノッブ怯えすぎだろw 林秀貞、安藤親子と同時追放で理由は「仔細は先年信長公御迷惑の折節、野心を含み申すの故なり」
2年前の事故が理由ととるのはちょっと無理があるかと 何言ったところで林、佐久間辺りが追放されたことが
当時60代と言われる明智光秀の疑心暗鬼を招いたのは間違いない
もうちょっと穏便に引退させりゃよかったのに 林秀貞については短い余生で安芸に流れたと言うので普通に毛利内通説の方がありそう 光秀は佐久間や林と違って実績があり信長にも絶賛されているのに反乱を起こすほど不安になる理由がない
不満説や野心説の方が理に適う 佐久間も別に実績ない訳じゃないし
丹波平定に手こずった光秀が
今更のように蒸し返されてクビにされてもおかしくない というか豪族に将軍に奉公してと言ってるのに無視され続けてるみっちゃん幸薄 >>889
信長はその佐久間を糾弾する時に光秀の実績を真っ先に上げて大絶賛している訳だが
お前も光秀見習えよと >>891
信長が掌返しすれば誰も逆らう奴などいないしw
おまえは織田家にいたら真っ先に処刑されるだろうねw >>892
何の根拠もなく妄想だけで話を作っちゃうお前みたいなのが信長は一番嫌いだった訳だが
まあ、雇ってすら貰えないだろうけど 合戦歴史の天王寺の戦い見たけど塙直政への仕打ちとか見てるとこりゃ本能寺は偶然でもなんでも無かったなと思う ありゃ生き残った方の原田丹羽が逃げ出したから連帯責任で当然の結果だと思うぞ 素直に敗戦の責任受け入れていればあそこまで酷いことにならなかっただろうと思う
まあ責任追及恐れて逃げ出す者が出るような組織だったのが悪いといえばそれまでなんだが
柴田明智なんかが負けても責任追及なんてされてないし 丹羽は逃げたわけじゃないかも
井戸良弘の宿所にいたみたいだし、原田みたいに探すみたいな言葉が使われていない 池上先生は織田は後進的
他は先進的と申しております >>816
兵農分離は近世(江戸幕府の時代)からと言うのが関東の学会では通説とか言ってるのか
北条に抑えられた西国で貿易してたから関東は閉鎖的でないみたいな事をやたら
強調してる向きもあるけどもしかして今その界隈が暴走してる? 「信長公記」に家臣をかなり過激に鞭うって安土城に集めたと言う記事を自ら引いておきながら
ほらね、信長による兵農分離の証拠は何もないんです、とか断定しているのも意味不明 城下に家臣を住まわせるのは兵農分離とは関係ないからね 最近の歴史学者ってレベル低くなってるの?
谷口先生が亡くなって信長研究の第一人者が不在になってることはわかってるけど……
関ヶ原でも光成とかが最上や伊達が上杉に降伏していたとかほざいててちょっと頭おかしいのかと思ってしまった
最近の学者はレベル低いのか? ろくに研究も深めずにセンセーショナルな説をぶち上げて、それをメディアにアピールして金儲けしようって輩が目につく 何年か前に信玄が西上の際に高天神が降伏していたとかぶちあげてた奴もいたよね
「懇望」を根拠にして
マジか、と思ったけど
まあ池上みたいなレベルがいる時点で今の学者はやばすぎるよね 池上は学者でも教授でもない
あいつの作品読んだがレベルが低すぎる
自分の考えばかりで肝心の根拠となる資料がほとんどない
話にならない REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 信長は一次史料にかなり略奪や強姦が記録されてるね
「永禄年代記」「続群書類従」「東寺光明講過去帳」
細川や公家の日記にも有るし
尾張美濃からやって来るので女を見れば犯したがったんだろう >>909
まああんな人間が人格者なわけないしな
実は信長は人格者だった!説うさんくせーと思ってた 別に人格者なんて誰も言っていないと思うが
気が荒いキチガイみたいな設定にされていたけどごく普通だったと言うだけで >>815
薩長が信長を讃えた…?
トンデモはお前では 上の方で農民に見向きもしない云々で揉めてるけど、
信長は経済や流通重視で領国経営がうまくいっててその影響で農民も豊かだったので取り立てて農民政策をする必要が無かったで合ってるかな? >>912そんないちゃもんつけてくるとは癪に障りますね
何なら直接話しますか?
090−1969−2145 >>913
「史料が乏しくて解明が進んでいない」というのが偽らざる現状。 >>917
農民に関する一次史料なんか戦国時代にそうそう残ってないぞ
北条はああいう滅亡の仕方だったから史料が豊富なだけという話
そもそも池上が言ってる検地してるから先進的とか論理がおかしい >>903
光成氏は専門毛利家じゃなかったけ
輝元を公平に書いた本は面白かったよ レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。