>>629
徳川が「三河時代からの統治体制」を関東に於いても敷いたと云う貴見の論拠を提示されたい。
管見では徳川がどうしたか以前に、
関東従来の貫高制から近世の石高制への移行の具体的工程さえ明らかではないと認識しているが。
 
勿論徳川が北條の旧制を承継したとの根拠も軍記類以外には無い。
が、
江戸期になって編纂された『新篇武蔵風土記稿』等によれば、
当時なお多数の北條発給文書が村々に現存していた事実がある。
これは;
・村々の実統治を担う在地有力者(家)が北條期から変化していなかったこと
・上記書類が有効性を維持していたこと
等を暗示するものと多くの研究者が考えている。
これについて貴見を伺おう。