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【早雲】後北条家総合スレッド 其の七【氏直】
0002人間七七四年
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2020/12/19(土) 06:33:51.32ID:o3Iyj67n
おつです
0004人間七七四年
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2020/12/19(土) 20:39:10.28ID:G1DfCeRv
今、新九郎奔る1・2巻無料だから読んだけど面白いな
終わる気はしないけど
0005人間七七四年
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2020/12/24(木) 17:57:37.94ID:lrr259F0
備中伊勢氏の4男坊のその非嫡出が『貞』の字貰えるとは思えんけどなぁ
伊勢守惣領の孫だから貰ったんだと思ってる
逆に言うと早雲は側室出だったかもしれん

となると貞興は生存していて京都伊勢氏の分家を継いでる可能性もあるんじゃないかね
父盛定も初名は盛次だとされてるし
0007人間七七四年
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2020/12/27(日) 20:45:35.84ID:xqE8Ljpt
>>5

>逆に言うと早雲は側室出だったかもしれん

まさしく「新九郎奔る!」はその説に立っている。
しかも実母が横井氏の出で、横井氏の「時」をもらって盛時を名乗るという。
しかも後々北条氏をなのる布石となっている設定の完璧さ。
0008人間七七四年
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2020/12/27(日) 20:50:06.86ID:xqE8Ljpt
あと、実母の再婚先が貞藤で、
後々貞藤の孫の貞辰が氏綱に
仕える布石にもなってるという。
0009人間七七四年
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2020/12/27(日) 20:54:30.15ID:xqE8Ljpt
弥次郎の元服名は盛興だそうだが、
これも長兄の貞興の名を貰っているのではなかろうか。
0010人間七七四年
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2020/12/28(月) 13:24:33.80ID:W7RPUGFP
ついでに知らない人に言っておくと、
横井氏ってのは北条時行の子孫ね。
ちなみに横井時任てのは北条時行の孫。
0012人間七七四年
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2020/12/28(月) 13:33:21.23ID:A7c4J64b
室町幕府からしたら謀反人の子孫ってこと?
0013人間七七四年
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2020/12/28(月) 17:56:33.93ID:GgbAJa2T
時行はさんざ室町幕府に逆らったから
子孫が苦労したのは想像に難くないな。
でも、これで後北条氏が「北条氏」を
名乗った説明がつく。
関東における北条氏の名声を継いだ
なんてのはいまいち説得力に欠けるもんね。

http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-2c1e.html
こういうHPが存在するのを見ても、
盛時の実母が横井氏であるという説も
まんざら嘘ではないかも。
0016人間七七四年
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2021/01/02(土) 01:45:23.95ID:JIiBNi/p
横井小楠も横井氏の一族だよね。
0017人間七七四年
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2021/01/02(土) 01:48:21.91ID:JIiBNi/p
>>12

謀反人じゃない。
北条氏からしたら足利氏のほうが謀反人。
0018人間七七四年
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2021/01/02(土) 04:07:55.49ID:SoTxQ2zq
「室町末期からしたら」て書いてあるじゃん
0019人間七七四年
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2021/01/02(土) 05:51:11.76ID:3YjcyXwT
>>16

なるほど
0020人間七七四年
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2021/01/02(土) 10:53:53.50ID:JIiBNi/p
>室町幕府からしたら

どこに室町末期からしたらって書いてあるの?
0022人間七七四年
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2021/01/05(火) 04:33:07.19ID:7UUVSouH
小田原北条五代「大河ドラマにして」
https://www.kanaloco.jp/news/life/article-355971.html
>戦国時代、小田原を拠点に関東に覇を唱えた北条5代をNHK大河ドラマにと、ゆかりの市町で構成する「北条五代観光推進協議会」が署名を呼び掛けている。
>会長市で事務局も務める小田原市は「北条ファンやゆかりの地に住む皆さんからの後押しと熱意で実現に向けて拍車をかけたい」としている。
>
>5代は宗瑞から始まる北条氏綱、氏康、氏政、氏直。戦国期にあって親兄弟争わず、減税や殖産興業、文化奨励などの善政をしいたとされる。
>市の担当者は「親子関係や領国経営は現代にも通じる」とドラマ放映の意義を強調する。

>市の担当者は「親子関係や領国経営は現代にも通じる」とドラマ放映の意義を強調する。

ファミリー経営中小企業ドキュメントドラマ的な?…すげえ地味な内容になりそう
0023人間七七四年
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2021/01/05(火) 09:05:49.22ID:PLPshBvW
また早雲が「わしが戦のない世の中を作る」とか言い出すんだろ
もう飽きたよ
0024人間七七四年
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2021/01/05(火) 20:36:49.18ID:eln6t1RD
下手に五代にしないで三代くらいにしたほうが見やすい気がする
葵三代くらいがちょうどいい
0025人間七七四年
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2021/01/05(火) 20:43:22.41ID:3xlc8AY1
幻庵を主役にすれば滅亡前に終わって丁度良い
0026人間七七四年
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2021/01/05(火) 22:41:22.03ID:l2fG9tvk
北条早雲一択で。
というわけで、「新九郎、奔る!」の大河ドラマ化を!
0028人間七七四年
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2021/01/10(日) 00:15:18.61ID:2hxePN3g
>>13
奥州藤原氏も藤原経清の息子の清衡が清原氏の棟梁として生き残った時に清原から藤原に復姓したのを思い出した
0029人間七七四年
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2021/01/10(日) 21:35:33.28ID:8Qa4Va4r
氏康までは普通に戦に強い、氏政からは物量でしのいでるだけで基本は弱兵
やっぱ強い時代がええがな
0030人間七七四年
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2021/01/11(月) 15:45:51.83ID:JO20ZkDS
北条も織田も嫡流は無くなったけど、庶流は残ってんだよな
0031人間七七四年
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2021/01/11(月) 21:13:56.27ID:r/eNZj/o
北条は氏直の後を養子の氏盛が継いでそのまま河内狭山藩として幕末まで存続してるから嫡流が残ってると言っていいのでは?
0032人間七七四年
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2021/01/12(火) 17:47:19.78ID:nUsoW29a
そういやヤンサンで江戸時代初期の狭山藩
描いたマンガあったよね?
あれ、好きだったんだけど。
受けなかったけどね。
0033人間七七四年
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2021/01/12(火) 20:12:31.01ID:Ttf4a3AK
ヤンサンじゃなくてゲッサンだった。
福井あしびというマンガ家の「嘘つきは殿様のはじまり」っていうマンガ。
全5巻で単行本化されてるみたい。
興味あったら読んで。
0034人間七七四年
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2021/01/12(火) 20:17:53.69ID:Ttf4a3AK
ちなみに「北条家」は「高条家」と表現されてるから。
綱成というキャラも出てくるけど北条綱成とは
関係ないのであしからず。
0035人間七七四年
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2021/01/12(火) 21:03:17.99ID:Ttf4a3AK
でも九島綱成なので、北条綱成の旧名である
福島綱成から名前をもらってるのは確か。
0036人間七七四年
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2021/01/12(火) 22:59:25.36ID:nJ5qJkn1
>>33
へー知らんかったほしい物リスト入れとくね
0037人間七七四年
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2021/01/12(火) 23:11:49.94ID:FWSnEV01
あくまで河内北条氏をモデルにした
創作時代劇であって、歴史物ではない
のでそのつもりで。
0038人間七七四年
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2021/01/12(火) 23:29:02.92ID://9+GtnM
鎌倉北条家の家系も居るからややこしいな
0039人間七七四年
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2021/01/12(火) 23:39:37.69ID:c37d6fFW
愛読者のワイが来たで
あくまでモデルを拝借しただけだが
悪役が真田でワロタ
作者真田ファンらしいんだが
あと家老の憲秀も悪役w


それはさておき大坂の役のとき狭山陣屋はまだ無かったらしいんだが
国屋敷はまだ旧織田信雄屋敷だったんだろうか?
久宝寺らしいんだけど多分大阪城にかなり近い
面した上町筋はそのまま菩提寺に連なってるから多分そうだと思うんだけど
0040人間七七四年
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2021/01/12(火) 23:41:55.12ID:1a07Jw1q
河内狭山藩は基本的に綱成の血を引いてるね
最後は伊達の血になっちゃったけど
0041人間七七四年
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2021/01/13(水) 00:33:59.76ID:wmUS4YFs
あと、高条氏信=北条氏信も実在するんだよね。
0042人間七七四年
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2021/01/13(水) 18:45:01.05ID:bWlcATnd
氏信って、氏盛の息子だっけか。
0043人間七七四年
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2021/01/13(水) 20:46:53.66ID:Ww/EYXWD
御旗本四拾八番将衆って小田原旧記を見たら全員名前載ってるの?
0044人間七七四年
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2021/01/14(木) 02:33:18.94ID:bzhysvFb
つうか高条藩は5万石設定だから狭山にくらべたらずっと裕福w
0045人間七七四年
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2021/01/14(木) 08:07:29.29ID:Fjtq294t
大名の娘が継嗣なくて男装するなんてこと
実際にあったんだろうか?
まあいいなおとらの例はあるけど。
0047人間七七四年
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2021/01/14(木) 09:03:16.16ID:8N18wRTg
>>45
普通に養子貰えばいいからわざわざ男装する必要がない
幕府へのお届けが嘘だとバレたら大問題になるかも
0048人間七七四年
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2021/01/14(木) 17:33:59.36ID:Fjtq294t
継嗣なくて断絶という家が多かったでしょ?
それなら隠し子が見つかったということで
娘を息子に仕立て上げるってことが
無かったのかなと。
0049人間七七四年
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2021/01/14(木) 18:19:42.74ID:Kq1KewSv
大名なら御目見しないといけないし娘を男にしてもその先どうにもならんね
仮に娘を男として嗣子に立てたら、その後に一族から適当な人を選んですり替えしなきゃいけないね

そうするくらいなら最初から婿養子を取った方がマシ
0050人間七七四年
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2021/01/14(木) 20:49:10.67ID:1ofDumUb
正妻を迎えて正妻に血のつながった子供を諦めてもらう因果を含めないといけないし
0051人間七七四年
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2021/01/14(木) 22:30:59.29ID:U6JUfjjI
>>45
例に上げてる井伊直虎もちょっと調べたらわかると思うけど女性説がかなり怪しい
0052人間七七四年
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2021/01/15(金) 00:39:02.71ID:6d1h62Ie
小和田先生女領主押しなんだよな
基本伝承は対立文献出てくるまでは否定しない派だよね小和田先生
0053人間七七四年
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2021/01/15(金) 07:22:17.32ID:gI5D/7u+
名前忘れちゃったけど、女城主なら憲政の時の山内上杉にもいるよね
北条戦で戦死して安堵状出された女児
その後どうなったかは知らないけど
0054人間七七四年
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2021/01/15(金) 12:25:53.33ID:srwmmYjv
織田家の親族にもいなかったっけ。
0057人間七七四年
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2021/01/15(金) 22:24:17.07ID:gI5D/7u+
川越合戦で戦死した赤堀親綱の娘だった
ただ15年後に謙信が関東にやって来たときは、親綱の息子とされる景秀なる人物が由良氏の被官として記録されてる
0058人間七七四年
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2021/01/16(土) 00:08:54.99ID:KDbEwWFK
織田信長の叔母、おつやの方も女城主といえまいか。
最期は信長に逆さ磔の刑にされてしまうのだが。
0060人間七七四年
垢版 |
2021/01/16(土) 13:14:13.68ID:d3M7QtDC
後北条家の誤解

1.初代の早雲は素浪人

2.小田原征伐で滅亡、断絶

江戸時代も北条家は続いてることを知ってる人はかなり少なさそう
0061人間七七四年
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2021/01/16(土) 19:15:47.93ID:GlkjJOVK
後北条氏三大誤解

長綱は外交僧

歩兵主流で騎兵が少ない

綱成は北条氏康のNo.2
0062人間七七四年
垢版 |
2021/01/19(火) 00:31:30.33ID:Wj/1XDw6
新九郎、奔る!の次の掲載までが長い。
タイムリーな話題なのに。
0063人間七七四年
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2021/01/19(火) 03:50:59.39ID:Du+q5Tes
紀州藩士の北条内記家て後北条系かね?
0064人間七七四年
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2021/01/23(土) 22:23:59.81ID:aByMZPic
伊藤潤、もう北条ものは書かないのか?

https://dot.asahi.com/dot/2020120700007.html?page=4

――もう北条氏は書かないのですか

予定はありません。今回の『北条五代』で卒業してもいいかなと思っています。

『北条五代』は、私の北条作品の集大成的大作であり、この作品でサーガに終止符を打てるのは、素晴らしいエンディングでもあるわけです。
0065人間七七四年
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2021/01/24(日) 00:35:36.81ID:8MDlHrcV
伊東潤は応援して来た小田原人のことをダサい田舎者だとTwitterで言ってからあまり好きじゃなくなったな。
歴史小説と歴史研究の違いもTwitterで語ってたけどなんだそれって感じだったし。
北条氏を専門に書く作家があまりいなかったからヨイショされてたけど実力はない。
0066人間七七四年
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2021/01/24(日) 01:53:39.36ID:kgxsBPlr
>>63
氏政五男の直定の子の氏時の系統が紀州藩に仕えてるから多分それ
0067人間七七四年
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2021/01/24(日) 02:03:26.71ID:iptE1c9r
>>66
後北条も武田と一緒で一応完全に消えた訳では無いんだな
0068人間七七四年
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2021/01/24(日) 02:58:09.53ID:x8vM2JmE
後北条は幕末まで大名として続くしな
最後に他家から養子になるのが残念だけど
0069人間七七四年
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2021/01/24(日) 05:04:03.36ID:J9gx5kom
現代まで続いてむしろ残念な事に…
0070人間七七四年
垢版 |
2021/01/24(日) 12:43:18.45ID:QIHahXHW
明日発売の少年ジャンプで『暗殺教室』の松井優征
先生の新連載『逃げ上手の若君』が来週開始!
なんと主人公は北条時行!!
主人公の逃亡譚になるとの話だが、俺のイメージでは
北条時行は生涯足利家への復讐の為戦い続けたという
イメージだが。いずれにしろ、これは楽しみ!!
0071人間七七四年
垢版 |
2021/01/24(日) 12:50:14.93ID:QIHahXHW
ちなみに福井あしび先生の新連載も開始予定!
こちらは歴史ものじゃなさそうだが。
0072人間七七四年
垢版 |
2021/01/24(日) 12:54:40.13ID:iptE1c9r
>>69
本家筋の横井氏は大地主やエリート一族として成功してるのにどうしてこうなった
0073人間七七四年
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2021/01/25(月) 13:31:47.30ID:PeAFmJ6B
「逃げ上手の若君」。
まあ、予想通りだが、足利高氏の悪役ぶりが(笑)。
少年マンガらしくかなり歴史背景ははしょってる。
評価としたら及第点といったところか。
あとは後醍醐天皇をどう描くかが楽しみ。
0074人間七七四年
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2021/01/27(水) 22:49:17.52ID:mTVMZrCx
富樫倫太郎もだが「北条サーガ」なんて言葉いつから使われだしたんだ
0075人間七七四年
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2021/02/04(木) 18:11:20.90ID:DCWGZvEN
ホテルニュージャパンの横井英樹も
横井一族なんだろうか。
0076人間七七四年
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2021/02/04(木) 18:18:24.37ID:ZQntknTC
>>75
違うと思う
そっちの家系の人は大体時なんちゃらかだっと思うから
学者でこの一族っぽい人は2人知ってるけど
0077人間七七四年
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2021/02/04(木) 19:34:26.11ID:nr2EnMxu
平野長泰の平野家も横井の庶流らしいね
長泰の父が入婿だけど母系で血を引いている
0078人間七七四年
垢版 |
2021/03/04(木) 11:51:26.24ID:AYKYWtKV
新九郎、疾る!はいよいよおもしろくなってきたな。
0079人間七七四年
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2021/05/04(火) 23:01:55.23ID:VuZRXrSR
>>7
「日本外史」はその説を採用しているな。
江戸時代にあっても頼山陽レベルの教養人層は早雲素浪人説を斥けていたんだろう。
0080人間七七四年
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2021/05/17(月) 23:09:41.98ID:8ZaI96nE
北條は最後まで内訌とは無縁だった。
地域覇権レベルの戦国大名としては稀有のことだが最大の要因は何だったんだろうか。
0081人間七七四年
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2021/05/24(月) 16:46:25.69ID:ViIrSZEW
小田原城の記念に「武将印」を 北条家5代イメージ
https://www.kanaloco.jp/news/life/article-513249.html

小田原城観光の記念にしてもらおうと、小田原市観光協会はこのほど、小田原北条家の歴代5当主をイメージしデザインした武将印とそのステッカーの販売を始めた。

初代の北条早雲こと伊勢宗瑞の武将印は伊勢家の家紋である「対(むか)い蝶(ちょう)」をあしらった。
2代目氏綱は北条家歴代当主が公印として用いた「虎之御印判(とらのごいんぱん)」を使いデザイン。
3代目氏康が使っていた朱印、4代目氏政は北条家家紋の「三(み)つ鱗(うろこ)」や花押も添えた。
豊臣秀吉の小田原攻めに備えて造成した総構(そうがまえ)もシルエットにして5代目氏直の武将印に使用した。
0082人間七七四年
垢版 |
2021/05/25(火) 02:36:21.11ID:gS7eukhj
>>81
カードの記名、「伊勢宗瑞」が正しいのは百も承知。
しかしここは敢えて「早雲庵宗瑞」にしてもらいたかった。
この企画、「北條早雲」への思い入れも深い我々爺ィ世代も主要客層だろう。
何とか史実ギリギリの落し所で両立を…と。
0083人間七七四年
垢版 |
2021/05/28(金) 21:59:15.45ID:uxBdaAB2
北條五代を通じて重要な転機は幾つもあったが、特に第一次国府台合戦に注目している。
で、大きな疑問。

この合戦の時、
北條氏綱・氏康の大勝利を何故両上杉は指を咥えて座視してたんだろうか。
山内は基本的に古河寄りの立場とはいえ「関東管領を差し措いて他国の逆徒が…」という意地は無かったのか。
扇谷は完全に小弓方で且つ葛西城を奪われたばっかりなのに北條軍の背後を襲うほどの戦意も無かったのか。

関東上杉スレにも書いたんだが今一つ腑に落ちないんで、ここでも訊いてみた。
0084人間七七四年
垢版 |
2021/06/11(金) 22:14:22.49ID:F6/69buq
様々な断片事実を考え併せてみると、
「早雲=素浪人」説を流布した張本人は早雲庵宗瑞その人であるとしか思えなくなってきた…。
0085人間七七四年
垢版 |
2021/06/20(日) 22:19:40.78ID:CyiiIlvr
22日(火)の夜、ブラタモリ小田原編の再放送あり。
0087人間七七四年
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2021/06/23(水) 00:10:31.69ID:+vxYK5hV
>>85
見てるぞ。
今、惣構の遺構歩きのくだり。
0088人間七七四年
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2021/09/16(木) 22:38:53.21ID:OxUeeZmA
タウンニュースに氏照(北条藤菊丸)の高精細・カラーの棟札の画像があるのを見つけた
神奈川県内の中世棟札全部取材して載っけてくれないかな
0089人間七七四年
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2021/09/18(土) 11:51:18.83ID:IhVNE+CS
>>83
小弓勢は扇谷上杉との連携も考えていたと思われるが、
直前に葛西城まで落とされ、武蔵国内での勢力を著しく衰退させた
扇谷上杉はこれに応えられなかったのではないか。
また氏綱に小弓公方の討伐を命じたのは古河公方なので
山内上杉としては邪魔できないし、これと和睦していた扇谷も
もはや小弓に肩入れはできなかったのではないかとも思う。
0090人間七七四年
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2021/09/18(土) 13:06:12.12ID:X0unyiy6
>>89
なるほど。
北條氏綱はその辺の事情を冷徹に見切ってたかな。
それにしても、

> 氏綱に小弓公方の討伐を命じたのは古河公方

この事実の解釈に苦しむ。
何でまずは関東管領山内上杉に下命しないかねえ。
それまで古河は小田原とは良くも悪くも縁が薄くて、
北條から忠節を申し出て来ても「肚の中で何を考えてやがるんだか。ま、これからの働き次第だ。」などと冷淡な書状を残してるぐらいだったんだが。
それを関東足利正統争奪の一番大事な所で起用するとは…。
それとも山内には既に小弓里見真里谷を討てる軍事力も威信も残ってないと判断したか。
0091人間七七四年
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2021/09/18(土) 17:00:30.55ID:JphDlJCr
>>90

> それとも山内には既に小弓里見真里谷を討てる軍事力も威信も残ってないと判断したか。

だと思う。
0092人間七七四年
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2021/09/21(火) 23:01:37.30ID:aF/uBhrO
大永元年(1521)記銘で「宗閑同伴衆」とある
新編武蔵風土記稿が図版を載せる弘明寺の扁額どこかに実物ないのかな
間宮康俊を宗閑とする近世の記録(系図、軍記類)は誤りってことになるんだが
0093人間七七四年
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2021/09/29(水) 13:03:05.84ID:ZFy4YO/T
>>22
最近の根拠のない氏政上げ考えると何かしらのな力が働いていると思われる。
だから内容もとっても公明な内容になるかと
0094人間七七四年
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2021/09/29(水) 13:38:02.27ID:Yt7xQCPv
>>93
上げも下げも無い。
お前さんがそう感じるあたり、軍記史観やゲーム脳症に犯されているのが解る。

まともな歴史研究はあらゆる動向を「構造」として解析する。
全ては因果律の函数が弾き出した結果として理解される。
そこからは個人の資質や記名性は排除されている。
「北條氏政」といえどもその構造の一要素としてのみ扱われる。
だから愚将とか名将とか云う幼稚な言説の入り込む余地は無い。

近年はそれが漸く素人にも浸透しつつあるというだけの話だ。
0095人間七七四年
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2021/09/29(水) 17:24:47.58ID:3GL/0qCx
氏政は汁かけエピソードばかり取り上げられて可哀想
0096人間七七四年
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2021/09/30(木) 10:07:20.58ID:X4ROLpve
>>94
言ってる意味分かんないな?
ここネットだぜ
そこに文献にもない氏政称えるエピのデマが蔓延してるから上げを指摘してるんだぜ
そもそも歴史研究だって研究している人の匙加減だろ
鎌倉幕府なり江戸幕府の開幕だって派閥で決まる訳だし
0098人間七七四年
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2021/09/30(木) 11:51:15.24ID:qlIDIHMh
文献にもない氏政を称えるエピソードなんて蔓延してるの?
0100人間七七四年
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2021/09/30(木) 16:22:35.83ID:X4ROLpve
>>99
氏政コピペで検索
ちなみに全部デマ

1(中)小田原征伐で焦土戦術却下、理由は「領民が困るから」
2(ニ)平時は週二回、百姓に混じって畑仕事
3(一)河川改修のために小田原城の畳敷にするのを後回しにする
4(三)2公8民の超低税率を達成
5(右)市が開く月16日は関宿以外の関所開放、関銭無料
6(左)穏田見つけるとその田だけ5公5民にして翌年は通常税率に、百姓お咎め無し
7(遊)小田原征伐で青田刈りせず。理由「北条滅んでも領民は生きていかなきゃならんから」
8(捕)家康が次の国主と決まると大量に水路図を送りつける
9(投)切腹時に家康に「領民を頼んます」って手紙を送って切腹
0101人間七七四年
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2021/10/18(月) 07:20:49.67ID:SV1G4heA
「新編武蔵風土記稿」溝の口村(川崎市)百姓七右衛門の家に伝わる棟札
「其宅は天正年間の造作なりとて…損壊して後に修造せり、されど古の柱若干を用ひて今にあり、又古の棟札もあれど悉く烟にそみて文字読べからず」
この棟札は現存してるのかな
残っていたら現在の技術で判読できないんだろうか
0102人間七七四年
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2021/10/18(月) 20:58:26.56ID:lF301FBd
>>101
東京及びその近郊は前世紀に於いて、
震災(1923)
空襲(1945)
五輪(1964)
と三度に亘る壊滅的災厄を被った。
遺憾ながら残存の可能性は限りなく低い。
0103人間七七四年
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2021/10/19(火) 20:57:04.42ID:8JSh0gx/
横浜市史編纂のために集めていた市内旧家の古文書が庁舎もろとも焼けてなくなる
関東大震災の嘘のような最悪な話
0104人間七七四年
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2021/10/27(水) 20:37:53.86ID:CNHOg5yZ
日曜TVKのカナフルTVって番組で早雲寺特集
0105人間七七四年
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2021/11/08(月) 23:24:50.42ID:WBHTZJB7
伊勢原市伯母様
白根郷伯母様村・坂戸村を領した布施弾正康則が
伯母(梅林理香大姉)の菩提を弔うため高岳院を再興したことにに由来

らしい
0107人間七七四年
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2021/11/17(水) 18:40:15.40ID:qRqeblz9
氏政って官位に叙された正式な記録ってあるんだっけ?
無位無官だよ派と違うよ派がいて、ちょろっと調べたがよくわからん
0108人間七七四年
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2021/11/17(水) 21:07:32.97ID:C+I6uzpf
>>107
「左京大夫」が公式のものか、氏康からの流れで自称したものかは研究者の間にさえ議論があるようだな。
「官位?何の役に立つ?虚名だよ。」
という宗瑞の冷笑が聞こえるような気もするが。

史料&遺構遺物ベースの真面目な議論を望む向きは下記にお越し下さい。
宗瑞の話題に限らず北條五代及びその前史・後史、いずれも歓迎します。

【祿壽應穩】伊勢早雲庵宗瑞 part02【針積玉碎】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1631281979/
0109人間七七四年
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2021/11/18(木) 17:31:54.47ID:RPNTvXFv
やっぱり、まだ諸説ありの段階なんか
ありがとうです
0110人間七七四年
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2022/01/08(土) 22:55:14.70ID:NT0e7+WH
川崎大師、西新井大師、成田山新勝寺って中世に全然見えなくて謎
北条・千葉の文書があっておかしくないのに
0111人間七七四年
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2022/01/22(土) 20:47:50.93ID:ZCXRXxNL
川崎大師、西新井大師、成田山新勝寺は今BSでやってる解体的な調査しても何も出てこないんだろうか
0113人間七七四年
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2022/02/19(土) 22:10:20.30ID:WaVl+reZ
宗瑞を伊勢宗瑞っていう人は親鸞も日野親鸞ていうんだろうか
0114人間七七四年
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2022/02/19(土) 22:37:18.33ID:XcpY+jl9
>>113
少なくとも徳栄軒信玄を武田信玄、不識庵謙信を上杉謙信とは呼ぶ。
0115人間七七四年
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2022/02/19(土) 23:22:26.31ID:DeHIp+jI
>>100
打線は誇張や曲解だったり逸話とか元ネタが何となくわかるものが多いが
これそういうのに全く心当たりがないデマなんだよな
まとめサイトとかで取り上げて拡散されてる。
誰かを貶めたり、持ち上げたりするデマも多いが
これは北条大河ドラマ化の動きでもあるのだろうか
0116人間七七四年
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2022/02/20(日) 12:07:22.65ID:J01Vur4X
>>113
それまでの身分、すなわち名字も何もかも捨てて仏門に帰依するのが出家
だから親鸞には名字がないわけで日野親鸞と表記するのは誤りとなる
在家のまま生活スタイルを変えずに形式的に仏門に入るのが入道で、伊勢宗瑞、武田信玄、上杉謙信とかはこちらの方に当てはまる
0117人間七七四年
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2022/02/20(日) 12:26:26.32ID:fs4OyIDF
弓削道鏡はどっちなんだ!
0118人間七七四年
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2022/02/20(日) 13:21:24.08ID:J01Vur4X
れっきとした僧侶なんで道鏡と書くべきところを、権威欲や性欲に溺れた悪僧ってことでそういうふうに呼ばれてるんじゃない?多分だけど
0119人間七七四年
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2022/02/20(日) 16:13:22.32ID:wfdtTxfr
釈氏だから苗字は「釈」とも言える

明治維新のときに本当に釈を名字にしちゃった人々も
0120人間七七四年
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2022/02/20(日) 21:32:03.24ID:cm+PBYvu
武田信玄は一次史料でも「武田信玄」だな
0121人間七七四年
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2022/02/22(火) 00:21:44.35ID:Z74xC+PL
一次史料では
伊勢早雲
武田信玄
謙信
0122人間七七四年
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2022/02/22(火) 00:54:56.57ID:lJPNhPOn
伊勢宗瑞は当時の史料だと

上杉顕定 → 伊勢新九郎入道、伊勢宗瑞
上杉憲房 → 伊勢新九郎入道宗瑞
三浦義同 → 伊勢入道

今川家中 → 早雲、早雲庵

敵味方ではっきり呼び方が分かれてるのが面白い
道号は諱みたいなもんかな
0123人間七七四年
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2022/02/22(火) 00:55:04.63ID:jgroO2X5
>>121
> 伊勢早雲

私文書や聞書の類では、な。
出家後の公文書では「宗瑞」以外の呼称は用いていない。
0124人間七七四年
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2022/02/22(火) 01:05:58.40ID:jgroO2X5
>>122
山内顕定は「豆州」と記した例もあった筈。

これは本来山内管国であった伊豆國を長享ノ乱の方面戦争で奪った伊勢宗瑞を正当な國主として承認したことになる。
また更に後、山内家中の某が伊勢神宮参拝の旅に上るについて相模國内の街道の通行許可を宗瑞に求めている(取次は長尾景春!!)。
これも宗瑞を正当な相模國主と認めるものだ。
伊勢と敵対する上杉の総帥が意外にも柔軟な既成事実追認を繰り返しているのが面白い。
0125人間七七四年
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2022/02/22(火) 12:20:46.12ID:ttw+oTJh
伊勢早雲だと武田徳栄・上杉不識って言ってるような感じ?
0126人間七七四年
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2022/02/22(火) 13:59:19.11ID:eIujRk+r
>>125
そういうことになるな
北条宗哲を北条玄庵、後白河法皇を後白河院と呼ぶのと一緒
法体となったときに開基にどれだけ尽力したかで院、斎、軒、庵と追号の格が決まるという感じ
当時の人が失礼のないように呼ぶならこっちで、まあ官位名みたいなもんかな
0127人間七七四年
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2022/02/22(火) 14:03:13.01ID:eIujRk+r
あと島津忠良や柳生宗厳も入道してそれぞれ日新斎、石舟斎と号しているのに人名事典だと俗名表記になっているのは、
可能なかぎり名字+諱or道号の表記を用いるというルールに基づいて道号の不明なものは俗名表記にしているからなんじゃね?
0129人間七七四年
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2022/09/16(金) 21:39:27.05ID:OgY4SHe2
「伊勢氏綱社殿造営棟札」早雲寺殿天岳
「北条家朱印状」早雲寺殿 (奉者は山角、宛所は稲取片瀬代官、現所蔵は三島神社)
「大道寺盛昌書状」早雲寺殿様
「相模国先達衆言上状」早雲寺殿 (先達24人が奉行の江雪・長純に宛てた)
「小田原衆所領役帳」早雲寺殿
「相州日牌帳」早雲寺殿
「仏像伽藍記」早雲 (藻原寺の古記録。永正期の僧による書写)
「快元僧都記」早雲寺 氏綱 氏康
「為広駿州下向記」早雲
「宗長手記」早雲庵  氏親/匠作 氏輝/龍王殿 義忠/長宝寺殿 北川殿
「朝倉宗滴話記」伊勢早雲 (宗長からの聞き書き)
「今川本「太平記」奥書」伊勢新九郎…号早雲庵宗瑞/早雲庵/早雲庵主
「伊奈盛泰書状」早雲
「大井宗菊書状」伊勢早雲庵
「福島範為書状」早雲庵
「上杉建芳〈朝良〉書状」早雲庵
「三不軒某書状」早雲
「鎌倉大日記」伊勢早雲
「勝山記」(生前)伊勢入道/早雲入道 (没後)早雲
「王代記」伊勢早雲
「学校答書」伊勢早雲庵主寄進之裏書 (1634年足利学校11世の記。孔子ら儒学者の肖像画について)
「上杉可諄〈顕定〉書状」伊勢宗瑞/宗瑞
「上杉憲房書状」伊勢新九郎入道宗瑞
「大蔵院宗好書状」宗瑞
「上杉憲政願文」平宗瑞
0130人間七七四年
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2022/09/16(金) 21:45:47.92ID:OgY4SHe2
「北条氏康書状」武田信玄
「北条氏照書状」武田信玄/信玄
「小田氏治書状」信玄
「相馬治胤書状」信玄
「上杉輝虎書状」武田信玄/信玄
土屋昌続宛「宇都宮広綱書状」信玄
「織田信長書状」信玄
「板垣信安起請文」奉対信玄様/奉守信玄様 (両角昌守、小幡信実、越後国衆、信濃国衆の起請文も同じ)
「馬場篤親起請文案」奉対信玄 (馬場篤親は常陸佐竹家臣)
「某〈上杉憲政カ〉朱印状」武田信玄 輝虎 北条氏政 義重
1582年4月15日付「慈眼寺尊長武田勝頼廻向道具并金子注文」勝頼公 信玄公
「武田勝頼遺物目録」信虎公并信玄公寿像

北条高広・景広宛「佐竹義重書状」謙信 (上杉景勝宛も同じ)
正木憲時宛「佐竹賢哲〈義斯〉書状」謙信
直江景綱宛「里見義弘書状」謙信 (柿崎景家宛も同じ)
「宝鐘寺清胤書状」太守謙信 (高野山の僧)
「無量光院宥義書状」謙信法印御房 (高野山の僧)
1578年3月24日付・4月3日付・1579年2月14日付「上杉景勝書状」謙信
1578年5月29日付「上杉景虎書状」謙信
「長尾忠清書状」為謙信菩提
1579年2月14日付「中条景泰添状」謙信遠行
1579年4月25日付「飯田長家書状」謙信遠行…謙信為菩提
1578年4月20日付「本庄繁長書状」謙信様
1583年2月19日付「北条高広書状案」謙信様
「松平忠昌寄進状」前越守謙信墓所

伊勢早雲庵主(臨済) 家中=早雲寺殿、同盟国=早雲(庵)、敵国=宗瑞
武田信玄(天台) 家中=信玄様、同盟国=信玄、敵国=信玄
謙信(真言) 家中=謙信様、同盟国=謙信、敵国=謙信
0131人間七七四年
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2022/09/16(金) 21:55:03.28ID:OgY4SHe2
>氏親/匠作 氏輝/龍王殿 義忠/長宝寺殿
氏親を「匠作」と呼んでいるのではなく
「氏親」「匠作」「氏輝」「龍王殿」「義忠」「長宝寺殿」が混在している

>>125
同時代史料をみると完全に違う
早雲は伊勢早雲
信玄は武田信玄
謙信は名字(上杉)・家号(山内殿)を付けずに謙信
0132人間七七四年
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2022/09/16(金) 22:33:24.82ID:tPTL+wDu
宗瑞の事例群に、宗瑞自身が権力体の責任者として発行した公文書が一つも無いのは何故かな?
そこに何と署名してあるか。
それが全て。
それ以外に百万の例を持ち出しても全く無効。

己の結論ありき、で、都合の悪いものは無かったことにする。
まあ、典型的な文系脳の詐術だな。
0134人間七七四年
垢版 |
2022/09/19(月) 22:59:18.48ID:FJZnYnJu
花押を据えた文書や朱印状を私文書というようなバカは相手にしません
0135人間七七四年
垢版 |
2022/09/19(月) 23:23:07.95ID:TnXJGUqP
万人の共有し得る、恣意の介入の余地無き原理原則を立ててこれに基づいて議論をする。
この「科学の方法」に背を向けて俺ルールに自閉する文系脳はもはや独善的なカルトの範疇に在ると云うべきか。
度し難い。
0137人間七七四年
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2022/10/06(木) 00:20:52.48ID:PRZATiYQ
古文書を見るなんていう非科学的なことやってちゃ駄目だよ君たち
0138人間七七四年
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2022/10/06(木) 00:48:45.43ID:ce7xt0C+
>>137
煽りのつもりなんだろうが、究極はそれだろう。

北條を語る上で不可避の「明応四年震災の論証」は、
恣意的な文献解釈が不毛な対立に陥るのを尻目に考古学の成果と地震学の数理計算が結合して歴史を確定してみせた。
この事例の如く人文学を介在させずに自然科学のみで実証するのが理想。
 
0139人間七七四年
垢版 |
2023/01/09(月) 19:47:12.48ID:IrwzLaQd
地震を否定していたのは文献史学ではなく科学者だど阿呆
0140人間七七四年
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2023/01/09(月) 20:33:28.45ID:J6phrh3Q
>>139
いや、1980年代に当時中世史の権威だった何とかって文献史学者が四年震災を記載した『鎌倉大日記』(だったかな?)の史料価値を否定して、
それ以来「これは七年震災の誤記だ!」ってのが定説になった。

ところが今世紀に入ってからの自然科学研究成果として;
・伊豆半島東岸遺構の発掘調査で15世紀末~16世紀初の津波堆積層を標高7.8mから確認
・自治体ハザードマップ作製用の地震/津波被害試算から七年震災の地震形態では上記が有り得ないことが判明
・同じく試算から「相模トラフ起因の関東地震」のみがこれを生むことが判明
・以上から「七年震災と近接した時期にこれとは別個の関東地震が存在した」ことが確定
--という経緯だ。

四年震災否定に乗っかった文献史学者の多くは今も見苦しい沈黙を続けているが、な。
馬鹿だと思う。
文献解釈だの史料批判だのという文系脳の方法論で自然科学に逆らえるわけも無いのに。
 
0141人間七七四年
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2023/01/09(月) 20:42:25.23ID:J6phrh3Q
書き忘れた。
明応七年震災は「南海・東南海・駿河トラフ三連動型地震」であることが確定している。
 
0142人間七七四年
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2023/01/24(火) 20:42:34.68ID:43cm5BAy
氏直が長生きして、大名に復帰後に
関ケ原や大坂の陣などで活躍して
伊豆くらい回復出来たらなあ
0143人間七七四年
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2023/01/24(火) 21:58:20.09ID:C2QHx2sf
>>142
氏直はともかく、徳川家康と幼馴染みの氏規がもっと長命ならその線があったかもしれない。
伊豆代官の江川家も北條遺臣だから徳川として北條を気に掛けていたのは事実だろう。
ifを語っても詮方無いが…。
 
0144人間七七四年
垢版 |
2023/01/26(木) 20:08:43.51ID:jAJUiA6Y
後北条が崩壊して、重臣だった有力武将は家康にそこそこ拾われてたな。
今川旧臣より扱いが良かった記憶。
0145人間七七四年
垢版 |
2023/01/26(木) 20:29:39.19ID:RVn4JiXn
>>144
関東の在地支配を考えたら北條旧臣を活用しない手はない。
北條の統治システムは仕組も運用もよく機能していた。
乱暴な云い方をすると徳川家康の初期関東統治は北條システムを丸呑みしたとも云える。
0146人間七七四年
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2023/01/26(木) 20:33:04.30ID:r4nBrUle
未だに江戸は何も無い原野で関東は家康が入ってから開発されたかのように思われてるのが残念
0147人間七七四年
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2023/01/26(木) 20:37:11.53ID:RVn4JiXn
>>146
世間はまだそんな認識か。
既に太田道灌の段階で重要拠点として相当整備されていたことが明らかになってから随分経つが。
 
0148人間七七四年
垢版 |
2023/01/27(金) 12:17:20.06ID:GXyXsaGG
北条て軍役ばかりで民の逃散や税の減免が横行してたよな
弱体化してる勝頼にボコられたり佐竹にすら負けるのそういう理由も大きそう
0149人間七七四年
垢版 |
2023/01/27(金) 16:20:29.55ID:lImaYwxe
>>145
敵軍のブレインを見抜いてそれを登用してたのは家康の上手いとこだわな
0150人間七七四年
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2023/02/04(土) 23:38:05.85ID:e2slgXsx
>>145
家康の味方には北条家一門衆の氏規がいるから優秀な人物も登用しやすかっただろうな
0151人間七七四年
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2023/02/05(日) 07:40:29.54ID:wJXaR7eB
>>65
そういや最近みないな。3年くらい前までNHKラジオ第一の土曜朝の城歩きとかのコーナー担当してたのにな。
0154人間七七四年
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2023/03/05(日) 01:24:17.99ID:gXJvBh0M
対決の東国史5 『山内上杉氏と扇谷上杉氏』(木下聡)
対決の東国史7 『小田原北条氏と越後上杉氏』(簗瀬大輔)

両書とも去年出版されたものだが、
前者は最終的に伊勢宗瑞の関東進出を生ずるに至った軍政状況の形成過程を詳述、
後者は北條と上杉の関東戦争を五つの対立軸で明確に解析して倦む所が無い。
両書とも面白い。
当スレを覗くほどの物数奇な諸兄には一読を奨める。
 
0155人間七七四年
垢版 |
2023/03/05(日) 15:00:43.02ID:OpimB9fE
秀吉時代に毛利の様に生き残れなかったのは、小早川隆景ぐらい優秀な人間が北条にはいなかったからだろうね

それと、直接秀吉に対峙していなかったのも大きいか
0156人間七七四年
垢版 |
2023/03/05(日) 15:41:15.91ID:gXJvBh0M
>>155
あまりに皮相的な見方だな。
これはシステム、構造の問題だ。

北條は大規模で優秀な戦国大名だった。而して戦国大名でしかなかった。
羽柴は戦国大名の止揚と云う統治原理を掲げる権力体だった。その具現化に足る暴力を保有してもいた。
両者の相対関係は明らかで、要するに北條はシステムとして羽柴に超克されたが故にその退場は必然だった。
本質を抽象すればこういうことになる。
 
毛利にせよ上杉にせよ島津にせよ伊達にせよこの本質は変わらない。
彼等もまた羽柴への屈従といっ形で戦国大名としての役割を終えた。
個々の「家」なる小さな共同幻想の消長など瑣末なノイズに過ぎない。
 
附言すると、
末期の北條も間違いなく「豊臣大名」として羽柴権力体の構造に組み込まれていた。
その為の政治的儀式も確定していた。
これは意外にもあまり知られていないが。
その状態が短期間で終わったことは名胡桃城奪取に始まる偶発事案でしかない。
上に云う如く、正に歴史のノイズだった。
 
0157人間七七四年
垢版 |
2023/03/05(日) 15:47:22.89ID:gXJvBh0M
>>156については、
齋藤慎一氏著『戦国時代の終焉』(中公新書)に多くを負っている。
 
0158人間七七四年
垢版 |
2023/03/05(日) 20:33:47.78ID:cOrLaZAo
軍記物かなんかでは氏直は国持ちになる可能性もあったんだっけか
0159人間七七四年
垢版 |
2023/03/05(日) 20:39:17.06ID:mVdfO/7Y
長生きしてりゃそのうち許されたかもな
0160人間七七四年
垢版 |
2023/03/07(火) 23:59:24.75ID:gkkH+Vo8
>>156
氏邦自体が宇都宮方面に進出してるから名胡桃云々じゃないし
惣無事令を甘く見てた訳で、その意味で秀吉の軍門に降るつもりもないし、それを持って北条が優秀ではないと思うよ
0161sage
垢版 |
2023/03/08(水) 02:23:51.51ID:r1uLaM0M
>羽柴は戦国大名の止揚と云う統治原理を掲げる権力体だった
一時期流行った「豊臣平和令」論的なアレ?
0162人間七七四年
垢版 |
2023/03/11(土) 22:46:39.02ID:7f2/SOIo
>>160
取り急ぎ、貴論は時系列事実経過の誤認に基づくものであることを指摘しておく。
近々、時間のある時に反論を書く。
 
0163人間七七四年
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2023/03/14(火) 10:39:59.36ID:mv443AHN
早雲の父の実家で伯父が継いだ備中伊勢氏の方は、残ったのかな?
早雲が統治していた備中東荏原荘を買ったり
その後、毛利と織田との抗争に巻き込まれたくらいしか分からん
0164人間七七四年
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2023/03/14(火) 12:15:31.53ID:gP5dpT4x
明智光秀に味方して山崎で死んでるよ
0165人間七七四年
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2023/03/14(火) 19:52:02.23ID:UnDS6zkA
関東の片田舎で昔働いていた所に岡山出身の伊勢君って後輩がいたんだけど、その伊勢氏の末裔だったのかなあ?なあ
0166人間七七四年
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2023/03/14(火) 19:53:05.45ID:UnDS6zkA
何故か余計ななあがくっついた
0167人間七七四年
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2023/03/14(火) 20:24:46.14ID:I/Yx4fWW
>>164
それは宗家の伊勢守家。
163は、備中に残った分家の事を言ってる。
0168人間七七四年
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2023/03/17(金) 23:05:01.47ID:eXlsNavr
>>160
【事実篇】

1. 天正十四年(1586)五月
 佐野、結城、佐竹ら北関東反北條連合の主要構成要素に羽柴「豊臣」権力体からの停戦命令伝達。
 この段階で北條には未達。

2. 天正十四年(1586)十一月
 徳川家康が羽柴/北條間の調停開始。
 停戦命令が初めて北條まで到達。

3. 天正十五年(1587)
 北條、対羽柴戦争準備。

4. 天正十六年(1588)正月
 北條が対羽柴戦争方針を撤回。
 和平=実質的には対羽柴従属方針へ転換。

5. 天正十六年(1588)八月
 北條氏規が上洛、羽柴秀吉に出仕。
 併せて北條から沼田問題についての羽柴の裁定を要請。
 羽柴が北條に対する「御赦免」を表明、北関東反北條連合にも伝達。
 同時期、関東では足利事件勃発。
 北條氏照、氏邦着陣。
 但し羽柴「豊臣」権力体としてこれを全く問題視せず。

6. 天正十七年(1589)二月~三月
 沼田問題審議、裁定。
 沼田領の2/3を北條領、1/3を真田領と決定。
 羽柴は裁定の前提条件として北條氏政または氏直の上洛を要求。

7. 天正十七年(1589)三月
 足利事件収束、足利城破却。
 北條軍撤収。
 同時期、石田三成が宇都宮国綱に上洛催促。
 書中で羽柴「豊臣公儀」体制への北條の参入決定を明言。

8. 天正十七年(1589)六月
 北條が「豊臣公儀」に対して氏政の翌年正月上洛(十二月に小田原出立)を確約。

9. 天正十七年(1589)七月~八月
 沼田裁定執行完了。
 北條が「豊臣公儀」からの執行使を歓待。

10. 天正十七年(1589)十一月
 名胡桃城事件勃発。
 羽柴秀吉が北條に対して宣戦布告。
 「近年、北條事、公儀を蔑し…」

(【解説篇】に続)
0169人間七七四年
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2023/03/17(金) 23:08:59.71ID:eXlsNavr
>>160
>>168から承前)
【解説篇】

貴論に謂う
「惣無事令を甘く見ていた」
「氏邦自体が宇都宮方面に進出してる」
は前レスの1~2の事実経過に照らして成り立たない。
北條に惣無事令は届いていなかった以上は甘く見るも何もない。
北條は戦国大名として尋常の戦闘行為を続けていたのみである。

その後3を経て4の段階に至った時点で北條は羽柴「豊臣」権力体への従属を自ら決している。
実質を云うならばここで北條は戦国大名であることを終えて「豊臣大名」となった。

5の北條氏規出仕はこれを名実共に確定したイベントとして極めて明確である。

更に重要なのはこれと同時期に発生した足利事件を、羽柴が詳細を知りながら全く問題にしなかった事実だ。
見ようによっては羽柴が激怒暴発しても不思議の無い背信行為紛いの行動だが、これを不問に付したことの要点は二つ。
 イ)羽柴「豊臣」権力体が「公儀」として惣無事を強要する対象はあくまでも大名領国境目の戦争に限られる
 ロ)大名領国内部の擾乱及びその鎮圧に羽柴「豊臣」権力体は関与しない
即ち羽柴はこの時点に於いて足利地域は北條領国、事件は国内事案であると認定していたことが示されている。
無論北條もこの認識を共有している。

同時に北條から羽柴に対して沼田裁定を要請した事実も見逃せない。
これは正に北條が羽柴を超越的権力体即ち「公儀」と位置付けたことに他ならない。

これらを要するに、
天正十六年八月時点で「豊臣公儀」と「豊臣大名・北條」の関係は両者合意の上で完全に成立していたということだ。
6~9の経緯はこれを明確に証明している。
貴論に反論せざるを得ない所以である。

然る後に名胡桃事件の勃発を迎える。
何故これが「北條事、公儀を蔑し」となるのかは上記のイ及びロから明らかだろう。
名胡桃城奪取の実行者たる猪俣が何者であれ、惣無事令に反したという厳然たる事実の結果責任を北條は監督者として問われたのである。

これは直ちに小田原合戦の意義に繋がって行く。
それは戦国大名同士の闘争に非ず、
「公儀」がその法に背いた配下の者に行使する暴力、即ち「処罰」だった。

小田原合戦は「戦国の終焉を告げる合戦」などではなかった。
戦国は天正十六年八月に終結していた。

小田原合戦は「ポスト戦国の開始を告げる行政行為」だった。
 
以上。
 
0170人間七七四年
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2023/03/18(土) 17:46:53.93ID:ZexHJgaJ
>>169
天正19年9月に北条氏邦は宇都宮領に侵攻してんだけど惣無事令が北条に届いていないからOKって事ね、19月に撤退11月に名胡桃だけどね
0171人間七七四年
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2023/03/18(土) 17:48:05.71ID:ZexHJgaJ
>>170
訂正10月に撤退、11月に名胡桃ね
0172人間七七四年
垢版 |
2023/03/18(土) 17:49:18.90ID:ZexHJgaJ
再訂正、天正17年ね
0173人間七七四年
垢版 |
2023/03/18(土) 17:57:45.47ID:NaaSBqsR
>>170
「天正19年9月」に北條氏邦は宇都宮領に侵攻できない。
それは物理学の許さざる所だ。
 
貴君の論は斯くの如く現実時空を超越した次元に在るものだったか。
 
0174人間七七四年
垢版 |
2023/03/18(土) 18:31:49.43ID:gcaT16WZ
>>173
先生大変お詳しいので是非ご教授下さいよ
1589年初頭に板部岡江雪斎を派遣して沼田問題が解決、これで豊臣方に組み込まれたら分かるんですが
その同年9月に氏邦自身が宇都宮領に侵攻してるんですよ。多気城焼討ちとかしてるし結局は落とせないまま撤退してるんですけど
本当に名胡桃事件の直前なんですけど
それで豊臣秀吉に従属したって言うのが理解出来ないのですが教えて貰えますか?
0175人間七七四年
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2023/03/18(土) 18:52:07.30ID:NaaSBqsR
>>174
その時点から宣戦布告、更に小田原合戦にまで至る経緯の中で当該事案が「豊臣公儀」によって問題視された事実は無い。
既述の如く宇都宮国綱と石田三成の間に連携が確立していたにも関わらず、だ。
となれば解釈は一つしかない。
「少なくとも当該事案は『豊臣公儀』が配下北條に課した制約に反する行動ではなかった」。
 
俺が知らないだけで、或いは本件を「豊臣公儀」の名の下に弾劾した史料があるのかもしれない。
そうであれば是非御提示願う。
 
0176人間七七四年
垢版 |
2023/03/18(土) 19:44:43.73ID:NaaSBqsR
一つ興味深いことがある。

>>168の7、宇都宮国綱宛石田三成書状の中で石田はかなり危機感を募らせている。
北條氏規出仕以来、北條の「豊臣公儀」への参入が着々と進展していること、
このまま推移すれば体制内に於ける北條の地位が宇都宮や佐竹などより上になるであろうこと、
等々を縷々述べて宇都宮の早期出仕を煽っている。
宇都宮らを引き立ててきた石田としても足下を洗われる想いがあったのだろう。
事態はそこまで進んでいた。

実際、沼田裁定の内容などは異例なまでに北條有利のものとなっている。
伊達政宗書状によれば「好条件過ぎて」北條が却って疑うほどだったと云う。
しかも裁定は実行された。
石田の危機感は現実化しつつあったと云える。
 
0177人間七七四年
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2023/03/19(日) 18:16:44.43ID:eVUduSfu
とどのつまり
今までの通説通り
秀吉は北条に名胡桃事件の頃まで譲歩していた
北条は秀吉を名胡桃事件以降も甘く見ていた
って言うだけの話。
秀吉から見て北条は従属していないのは氏直他複数の大名に送った宣戦布告の朱印状の言上から明らか
0178人間七七四年
垢版 |
2023/03/19(日) 19:47:32.19ID:MhOvPtxd
>>177
嗚呼、
自分から争点を設定しておいてその論拠を求められれば答えぬまま頰被りで論点逸らしとは。
「とどのつまり」などと云う割に詰められたその議論の過程さえ提示しない。
正に論理の放棄そのものではないか。

結局「ぼくのかんがえたひでよしとほうじょう」に固執するばかりで、
その妄想に都合の悪い事実には目も耳も塞ぎ続けるのみ。
またその妄想が二十年前に書換済の旧き巷説を一歩も出ない辺りが度し難い。

軍記ベースの妄想を捨てて、
権力、暴力、統治システム、共同幻想、排除された第三項などの普遍原理から出発して論理的に思考することを奨める。
--などと云っても届きそうにないが…。
 
0179人間七七四年
垢版 |
2023/03/19(日) 20:34:39.50ID:3IPBm4pl
>>178
先生、自分論理的思考出来ないので是非教えて下さいよ
氏直宛の朱印状に
関東で好き勝手やってるって書かれているのでそのまま捉えていたんですが…
自分古い考えでアプデ出来ていないみたいです
22世紀くらいだと北条は豊臣政権下に組み込まれているんですか?若しくは別世界ですか?
領土貰って「早期に」上洛しろって言われているのを先延ばしして、その期間に惣無事令違反してたら自業自得としか思えないのですが
0180人間七七四年
垢版 |
2023/03/19(日) 20:51:52.83ID:MhOvPtxd
>>179
日本語及び権力論を学習してから>>169を再読のこと。
特に北條側から羽柴に対して沼田裁定を要請したことは前者が後者を超越的権力即ち「排除された第三項」として設定/認定したことに他ならない。
この事実の決定的な意味を熟考のこと。

いま一つ、老婆心から忠告する。
議論の過程で>>174や179の如き感情的な態度に変じてネチネチと非論理的なカラミ方をすることは、
それだけで話者即ち貴君の敗北となるばかりか貴君の知性品性さえ疑われる結果となる。
人としての矜持を棄てる気がないのであれば注意されたい。
0181人間七七四年
垢版 |
2023/03/19(日) 21:04:13.70ID:3IPBm4pl
>>180
豊臣と言う権力を利用して沼田貰ったってだけで従ってないですよね?
って単純な話だと思うけど
0182人間七七四年
垢版 |
2023/03/19(日) 21:21:24.70ID:MhOvPtxd
>>181
北條はかつて羽柴「豊臣」権力体から敵と認定されていた。
なおかつこの時点に於ける羽柴と真田の良好な関係も承知していた。
にも関わらずこのセンシティヴな案件について羽柴の裁定を要請した--当然、裁定には従うことが前提となる--ということの意味は限りなく重い。
現に既述の如く、実際の裁定結果は北條自身が困惑するほど北條有利のものだった、
裏返せばもっと真田有利の裁定を覚悟した上でそれに従うことまで折込済だった。
大名同士の紛争を「裁定」(仲裁ではない)できるのは何者か、論を俟たない所だ。
 
0183人間七七四年
垢版 |
2023/03/19(日) 21:27:44.54ID:MhOvPtxd
また貴君が拘る「関東で好き勝手やってる」から北條は許し難いと云う羽柴の論理自体、北條は「豊臣公儀」配下の存在であるとの認識の表出に他ならない。
羽柴の認識が斯くの如くであり北條の認識もまた「羽柴=『豊臣公儀』」であって、両者は間違いなく一つの共同幻想の中に在る。
そこに齟齬は無い。
名胡桃事件が両者にとって偶発事案であったことの傍証でもある。
 
0184人間七七四年
垢版 |
2023/03/20(月) 03:28:37.23ID:QHUSg0Vq
鎌倉の方のが主人公の「逃げ上手の若君」がアニメ化か
「新九郎、奔る!」の方はまだか?
0185人間七七四年
垢版 |
2023/03/20(月) 06:11:44.97ID:jc7bScQm
> 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
> 
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
> 
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。
0186人間七七四年
垢版 |
2023/03/20(月) 21:03:16.45ID:zYtxXmgQ
>>184
漫画化さえ悍ましいのに、ましてやアニメ化なんぞ金輪際御免蒙る。
白痴とヲタクが集って来るだけだ。
0187人間七七四年
垢版 |
2023/03/26(日) 14:23:23.71ID:Bzt5ik/h
名胡桃城事件は猪俣邦憲の独断(少なくとも氏政は事前に知らなかった)とは思うが
結果として氏政は占拠を承認して、豊臣政権との対決に突っ込んでいく訳だから有能ムーブとは言えんわな

猪俣の首を秀吉に差し出せば北条家は助かったのか、という話は別にして
0188人間七七四年
垢版 |
2023/03/26(日) 18:32:58.81ID:6TjlQ2Fy
>>187
名胡桃事件を受けた「宣戦布告」の段階でもなお、
「豊臣公儀」側の公式声明は「実行者の処断と北條氏政の上洛謝罪無くば北條を討伐する」だった。
裏を返せばそれが果たされれば少なくとも殲滅まではしない、とも読める。
北條権力体視点で「家」存続を至上命題とするならば史実に於ける北條の運動は確かに不適切だったとは云える。

とは云え、
社会史を俯瞰する視座からは天正十六年八月時点で既に北條の役割は終わっていた。
その先の謂わばノイズの部分で有能無能を論ずることに積極的意義があるとは思われない。
ましてやそれ以上の無意味なifなどは議論に価しないだろう。
 
0189人間七七四年
垢版 |
2023/04/01(土) 23:34:53.41ID:P+bilFMZ
毛利元就や三好長慶あたりのように、一代で大幅に領地を拡大ってことは無かったな
0190人間七七四年
垢版 |
2023/04/02(日) 07:11:16.92ID:bvfw8jQs
>>187
>>188
秀吉は事件を知った際に、真田昌幸への手紙で「氏政が上洛してきても
名胡桃城を奪った張本人を処罰しないと赦免しない」と書いただけであって、
公式声明の段階では「北条とは対面しない」「逆賊として首を刎ねる」ことを
決定している。

昌幸への書状を根拠に、猪俣邦憲を処罰すれば北条家は助かった、と言う人がいるが、
上記の流れからその可能性がなかったことは明らかである。

また公式声明を受け取った北条家では、氏政・氏直が交渉を継続しようとしたが、
富田一白・津田盛月は取次を解任されていたうえ、家康も秀吉の命で上洛させられており、交渉の窓口そのものがなくなってしまっていた。

そして氏政や氏照が、猪俣邦憲への書状で沼田防衛について言及したのはその後の事で、
その時の北条家は秀吉と戦うしか道が無くなっていたのである。
0191人間七七四年
垢版 |
2023/04/04(火) 08:45:10.71ID:CjYKBkol
>>190
前年の氏政上洛も約束反故にしてるし
沼田領あげるから早期に上洛しろ!上洛します1年後にってやってんだから秀吉も切れていたんだと思うよ。寧ろ名胡桃城事件は最後の一押しかと
更に悪手は北条に内通してるのでは?と疑われて拘禁されていた秀吉方の対北条外交官の妙音院を呼び寄せて匿う気配を見せて秀吉を激怒させているし
0192>>191
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2023/04/09(日) 22:15:36.56ID:s86pgHvm
秀吉は沼田領引き渡しの条件として、氏政か氏直が上洛して出仕する、
という誓約書の提出を求めた。対して氏政は、その年の12月上旬に
出立するとした誓約書を提出し、沼田領が引き渡された。
これにより、「まだ100日も先だが遅れることはできない」として、
領内で上洛費用の徴収を行っていくのである。

ところが11月24日、北条家の討伐が決定した。
理由の1つとして「上洛してこない」とある。だがこの時点で上洛して
いないのは、取り決め通りであって、遅延・反故という評価はおかしい。
0193人間七七四年
垢版 |
2023/04/09(日) 22:19:09.99ID:s86pgHvm
また事態を知った氏直は、冨田・津田の両人にあてて手紙をだしている。

その中に「年内の上洛は難しいので、来春中にしてもらえないか」との文言がある。
これは『去る夏の妙音院・一鴎軒との話し合いにおいて、「氏政が上洛するのは勿論だが、
時期は来春中にして欲しい」と懇願したが却下され、「12月中に出立し正月中には京都
に着くように」と言われた』という文意の中での文言である。

つまり「上洛してこない」という討伐理由に対し、上洛の期日は12月〜正月中であるし、
それを決めたのもそちら側でしょう、と確認、抗議をしているのである。
0194人間七七四年
垢版 |
2023/04/09(日) 22:33:09.30ID:s86pgHvm
妙音院を招いたことで秀吉が激怒したという話は聞いたことがない。
匿おうとしていたというのも初耳だ。良ければ出展を教えてほしい。

事実としても討伐が決まった後のことだから、特に影響はなかっただろうと思う。
0195人間七七四年
垢版 |
2023/04/10(月) 17:50:35.09ID:HmeEmYik
>>194
秀吉への返書でも述べてたと思うけど
つか貴女何も知らんよね
0197人間七七四年
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2023/04/16(日) 08:40:40.87ID:AMmc5r3y
妙音院を匿おうとしたとか、それに秀吉が激怒したなんて、何を言ってるんだろう
と思ったが、この人が言ってるのはこういう事なんだろう。

冨田・津田への手紙の2日後、氏直から家康への手紙に、
「惑説の為、妙音院と一鴎軒を招いて、胸中を晴らそうと思っていたところ、
先月20何日のご立腹のお手紙で、本当に驚いております云々」とある。

惑説とは、上洛するとそのまま京から帰してもらえないとか、
国替えになるといった噂で、名胡桃城事件以降、方々から
もたらされていたことが、冨田・津田への手紙から分かる。

その為、妙音院を招き真偽を確認しようとしていたところに、
秀吉から北条討伐を告げる手紙=御腹立之御書付が届いたという、家康への説明である。

これを妙音院を匿おうとしたので秀吉が激怒した、と勘違いして
悪手だと評価しているのだろう。
0198人間七七四年
垢版 |
2023/04/28(金) 00:04:18.65ID:Au+G2R12
氏康が信玄より前に駿河攻めて同時に上杉と同盟結んで上洛目指してたら北条は天下取れたのか?
0199人間七七四年
垢版 |
2023/04/28(金) 00:13:30.05ID:LrUmrICe
>>198
現実の歴史に関してifを構えることは無意味かつ不可能だ。
ゲームでもやるような感覚で安直にそれを語りたいなら然るべき板/スレへ移動されたい。
 
0200人間七七四年
垢版 |
2023/04/28(金) 00:37:30.68ID:LrUmrICe
附言。

全ての事象は;
1. x座標(空間方向座標)=同時代的な諸範疇の「構造」
2. y座標(時間方向座標)=時系列的な諸範疇の「因果律」
の交点に発生する。

当該事象にifを構えて改変するという行為は上記の少なくとも何れか、多くの場合は両方を改変することに他ならない。
然るに同時代的構造は物理実体構造同様に極めて危うい力学的平衡の上に成立するものであって、
たった一つの要素でも改変すれば平衡は忽ち崩壊する。
新たな平衡点に於ける諸様相は史実と全く異なるものになるだろう。
また時系列的因果律は単独で存在するものに非ず、
他の因果律と複雑に連関するのみかそれ自体多くの分岐を有している。
これを改変することはその全てを変えることであって、
当該事象発生時点に如何なる影響を及ぼすものか予測不能である。
 
即ちifを構えること自体が当該事象を評価する為の条件も要件も破壊してしまう。
当該事象のみを改変しつつ他の全てを史実の通り留め置くことが上記の通り不可能であってみれば、
改変行為そのものが改変行為を無意味化するというパラドクスに帰結せざるを得ない。
吾人が前書込に於いて「ifは無意味かつ不可能」と断じた所以である。
 
0201人間七七四年
垢版 |
2023/04/28(金) 01:01:20.36ID:0UhJpJyF
ああ、なんという子供らしい考え方だ! ああ、まるで純潔無邪気な赤ん坊の夢だ!
0202人間七七四年
垢版 |
2023/04/28(金) 15:47:35.96ID:5AGYIGGv
>>198

氏康は天下人になる能力はあったと思う。

ただし氏政では天下を維持できない。
0205人間七七四年
垢版 |
2023/05/07(日) 18:36:22.80ID:WKiqyAl1
>>198
攻める大義名分は?
無いのにやると信玄と変わらない
0206人間七七四年
垢版 |
2023/05/08(月) 06:51:33.59ID:wl/fOd6z
信玄には室町幕府に逆らう今川を討伐するという立派な大義名分があったよ
0207人間七七四年
垢版 |
2023/05/13(土) 00:23:19.56ID:yz5+ta4o
大義名分とか考えてる時点で今どきの雑魚なんだよなw
0208人間七七四年
垢版 |
2023/05/13(土) 02:17:49.48ID:37LYf8hx
後北条なら関東公方担いで
関東東北制覇が現実的方法だろ

西に行くのは向いていなさそう
0209人間七七四年
垢版 |
2023/05/13(土) 02:21:55.84ID:37LYf8hx
秀吉が京に上った氏照と
会食の時、氏照の座席が
次の間にはみ出して蜂屋の隣だった

かわいそうだよな
0211人間七七四年
垢版 |
2023/05/13(土) 21:46:13.77ID:MGICvbdM
>>210
従来知られていなかった新事実を>>209氏は発掘したんだろう。
続報を刮目して俟とうじゃないか。
0212人間七七四年
垢版 |
2023/05/13(土) 21:53:25.11ID:gd2/IDFx
長谷川竹よりも格下扱いにされた蜂屋の待遇が泣ける
0213人間七七四年
垢版 |
2023/06/16(金) 14:39:26.94ID:dEB2FREk
確かに蜂屋だけハブられているように見えなくもないけど国持の大大名が居並ぶ中、小大名の蜂屋が同席を許されたのだから
評価されていたと見るべきではなかろうか
0214人間七七四年
垢版 |
2023/06/24(土) 11:09:06.99ID:VP5aORst
武田に南方に目を向けさせないために
越後府内侵攻を助力すべく上野奪取、魚沼郡進駐に専念でワンチャン賭けるしかなかった

三国同盟成立を以って本拠を江戸に移転
最悪下総取られて古河を危機に晒しても上野優先
これで10年甲相駿で闘える
0215人間七七四年
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2023/06/24(土) 11:27:19.69ID:6c30tmwj
>>214
江戸に本拠地を移すなら最低でも利根川を今の流域に造り替えないと城下町の発展は望めないし、仮想敵が西にいるとして江戸湾をバックに戦う前から背水の陣を敷くのは愚策以外のなんでもない
0216人間七七四年
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2023/06/24(土) 13:58:38.32ID:lBdFKCKl
江戸に本拠地を移さないまでも
「第二小田原市」
みたいな感じで要衝にする選択肢はなかったのか?
0217人間七七四年
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2023/06/24(土) 15:43:56.74ID:jfWRjDIj
>>215
江戸と云う町の歴史について学び直した方が良い。
関西史観と権現様逆説的神格化のタッグが捏造した偽りの江戸史にいつまでも囚われていてはならない。
0218人間七七四年
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2023/06/24(土) 16:20:28.46ID:dER/PIJs
江戸って北条領内の第二都市くらいの発展はしていたのでは
鎌倉時代から貿易港として発展していた都市だしな
0219人間七七四年
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2023/06/24(土) 17:00:30.09ID:jfWRjDIj
北條氏政は晩年江戸城を居館として執務していたと云う。
或いは所謂「両屋形」制を物理的にも展開してその一角とする構想でも存在したか。

当時既に里見は降伏して武総之海は完全に北條の海。
簗田も屈伏して関宿も北條直轄。
江戸そのものの繁栄の上にこれらの軍政状況も併せて、更なる発展への要件は満たされていた。
 
0220人間七七四年
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2023/06/24(土) 19:31:14.78ID:hXncT/aD
>>217
しかし利根川東遷事業が無いと江戸が大阪以上に
発展する事が無かったのも事実だろ。
0221人間七七四年
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2023/06/24(土) 19:50:21.26ID:lBdFKCKl
>>220

大阪みたいに発展するのは無理だったろうが
小田原レベルになるのは可能だったと思う。

江戸に小田原城みたいな堅城を作っておけば
佐竹などを威圧できたのではないか?
0222人間七七四年
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2023/06/24(土) 19:55:15.87ID:VP5aORst
江戸は内海だからある程度悪天候時でも里見に睨みが効くんじゃない

北関東出兵時に本軍帰還まで持ちこたえられればいいのだ
0223人間七七四年
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2023/06/24(土) 22:03:43.77ID:Mm9dZlxF
>江戸に小田原城みたいな堅城を作っておけば
上洛費用の捻出にすら四苦八苦してるにのに無茶言うなよ

というか、家康入府以降に実施された数々の事業を逆算すれば
氏政期の江戸の開発レベルは概ねイメージできるだろうに
0224人間七七四年
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2023/06/24(土) 22:22:40.95ID:jfWRjDIj
>>220
どうだろうか。
関西を遥かに凌ぐスケールとスピードの中世関東河川水運の全体像は未解明と云って良い。
北條氏照が栗橋を差配していた頃、その配下だけでも三十隻からの大型水運船が回航していたとの記録もある。
船舶総数や運搬物量は厖大なものだったと考えるのが自然だろう。
だからこそ北條氏綱は江戸を速やかに攻略したし、北條氏康の「関宿は一国にも値する」と云う台詞にもなる。

利根川旧流路の下流域に於ける氾濫水害は慥かに深刻だったがそれも表裏を見る必要がある。
宗長や万里集九の記録した太田道灌の江戸の殷賑は、多摩川と隅田川(入間川)に加えて利根川の水運まで集める要湊だったが故のこととも解釈し得る。

今なお幅を効かせる関西ナショナリズムからは認め難いだろうが、
前近代の日本列島は現代よりも遙かな健全な多極社会だったことを認識されたい。
 
0225人間七七四年
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2023/06/24(土) 22:27:30.00ID:VP5aORst
今から見たらなんで古河なんかにとおもえるが、
当時は水運の要所だったとかなんかとか
いやしらんけど
0226人間七七四年
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2023/06/24(土) 22:28:56.22ID:jfWRjDIj
附記。
利根川東遷事業が全て徳川の仕事という「常識」も改められつつある。
それは早くも古河成氏の時代には部分的に始まっていた。
むしろ「利根川を如何にせむ」は古河、簗田、北條、徳川の枠を超えて引き継がれた関東社会の大課題であって、
徳川はその流れを絶つことなく優秀な継承者として振る舞ったと位置付けるのが的確だろう。
 
0227人間七七四年
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2023/06/24(土) 22:35:58.19ID:EtpYasux
江戸幕府でも30年かかっている事業を戦乱期の一大名に求めるのもどうかと思うけどなあ
0228人間七七四年
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2023/06/25(日) 10:35:18.46ID:6Y16Dh43
ID:jfWRjDIjが何を主張したがってるのか分からんのだが
端的に1580年代の江戸をどのように評価してるんだ?
0229人間七七四年
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2023/06/25(日) 21:39:16.12ID:fSGdqZfD
>>228
> 1580年代の江戸をどのように評価してるんだ?

「関東の重要核都市の一つ」。
 
むしろ貴問の主意を測りかねている。
元々は>>215氏の古くて浅くて偏った認識の誤りがあって、
当方は上記の評価を前提としてそれを正す為に当時の江戸の属性や位置付けを述べたまでだ。
それは当方の>>219及び>>224から明らかに読み取れる筈だが。
 
0230人間七七四年
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2023/06/25(日) 21:46:30.26ID:fSGdqZfD
偶然とは怖いもので、今日本屋でこの議論にぴったり嵌まる書籍を見つけて早速購入した。

『江戸 -平安時代から家康の建設へ』
中公新書で、著者は誰あろう、あの齋藤慎一氏。
面白くない訳が無い。
一昨年末の発行だから新刊ではないが、興味のある向きには奨めておきたい。
0231人間七七四年
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2023/06/26(月) 02:18:39.98ID:c27lL4lE
中世江戸ついては定量的データに乏しくて
特に氏政期の江戸の実態は「不明」と評価すべきと思っている
(道灌期の史料とかそのまま鵜呑みに出来るわけないし)

中世江戸に対する評価の違いをハッキリさせたかってことかな
>質問の主旨
0232人間七七四年
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2023/06/26(月) 05:28:16.32ID:xsjF1BGb
浅草寺は平安時代末期には既に大寺だったと記憶
0233人間七七四年
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2023/06/26(月) 11:47:35.80ID:8kMjD44D
島津も豊臣氏に楯突きながら所領一部安堵されたので
仮に負けても伊豆相模くらいは残してくれるだろうと
根拠なき前提の下で戦始めてしまったのかもしれんね。
0234人間七七四年
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2023/07/01(土) 10:43:30.54ID:QIlntDyv
徳川方の記録だと江戸は葦だらけの湿地で江戸城もオンボロで使い物にならんって北条下げの風評被害が酷い
0235人間七七四年
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2023/07/01(土) 12:49:42.00ID:nkwvWePc
北条というか
秀吉のせいで辺鄙な所に飛ばされて苦労したけど権現様のお陰で大都会になりました
権現様すごい!
というシナリオ
0236人間七七四年
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2023/07/02(日) 02:30:04.37ID:Maahzs5l
江戸時代だろうと現代だろうと
徳川以前の江戸が目くそだったか鼻くそだったかなんて話に多くの人は興味ないからね
そりゃあそういう筋立ての話も出てくるし定着もするよ
目くそでも鼻くそでも無く実は山椒でしたって実証主義的に論証できれば話も変わるだろうが
0237人間七七四年
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2023/07/02(日) 04:04:15.87ID:1/0N92kk
関西イデオロギー、怒りの暴発。
0238人間七七四年
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2023/07/03(月) 17:33:19.41ID:hpyDbMAR
何で秀吉も北条にだけは厳しかったのだろう
信長も恭順しようとしている北条を絶対に許さなかったし
何か他の大名を苛立たせるものがあったのだろうか
0240人間七七四年
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2023/07/03(月) 21:00:04.67ID:NYUwx8Yw
そりゃ関東250万石だっけかが直接恭順の挨拶にもこないんなら秀吉の目の黒いうちに潰してしまうしかない
0241人間七七四年
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2023/07/03(月) 21:42:42.85ID:jkpOgLEC
>>238
> 信長も恭順しようとしている北条を絶対に許さなかった

それは何かの間違いだな。
織田信長が甲斐戦争に関する北條氏政の支援活動に一定の評価を与えた書状が遺っているし、
「織田と縁組をしてその属国となりたい」と云う氏政の申し出にも具体的に対応していた形跡がある。

結局の所、
織田が北條をどう考えていたかは不明と云うしかない。
甲斐戦争までの織田の戦争に関するスタンスは基本的に「殲滅」だった。
文字通り殲滅しないまでも在地の支配を完全に奪い取る。
毛利もこの措置を受ける途上にあった。
ところがどうしたことか、
武田殲滅後の関東仕置に於いて織田は、
関東の軍政構造を維持したまま瀧川を「管領」役として北條も佐竹もこれに出仕させる、
謂わば超越的暴力による在地暴力の封鎖=「惣無事」モドキという形を取った。

織田が全国一元統治を曲がりなりにも意識し始めたのは甲斐戦争後だと云う説もあるが、
それが本当ならば「殲滅」よりも現実的かつ効率的な覇業の手法として在地権力体群の包含を考えていたかもしれないし、
関東北條をその最初のテストケースにしたとしても不思議は無い。
0243人間七七四年
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2023/07/03(月) 22:14:46.82ID:jkpOgLEC
>>242
当時の北條家の文書に北條と書いてある以上、当時のことを語るに際してはそれを採る。
現代を生きる北條家子孫の方々がどう書いているかまでは知らない。
 
0244人間七七四年
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2023/07/03(月) 22:18:36.22ID:NYUwx8Yw
条は條の略自体だからどっち使っても良い
0245人間七七四年
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2023/07/03(月) 22:29:03.48ID:jkpOgLEC
>>244
俺はそうする、と云うだけの話。
お前さんにも他の人にも北條と書けなどと求めた覚えは無いんで、御随意にどうぞ。
0246人間七七四年
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2023/07/03(月) 23:57:34.68ID:s6bypJPv
>>243
そんなことを言ってるから馬鹿にされるんだよ
0247人間七七四年
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2023/07/04(火) 08:38:46.77ID:5v5uPmzi
徳川もコ川になるんだが?
0248人間七七四年
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2023/07/04(火) 08:43:50.87ID:5v5uPmzi
豊臣の豊も、上の曲が変な形になる
0250人間七七四年
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2023/07/08(土) 02:39:44.50ID:591p1r7g
>何で秀吉も北条に『だけ』は厳しかったのだろう
なんかそういうデータあるんですか?と言いたくなるレスだな
0251人間七七四年
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2023/07/08(土) 09:40:14.80ID:2vljzDyp
>>250
ひろゆきってなんだかんだいっても
昔TVタックルに出た時の台詞しか有名じゃないよな
0252人間七七四年
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2023/07/08(土) 12:37:31.14ID:JkOjsBPO
>>250
徳川・・・全領安堵
毛利・・・全領安堵
長宗我部・・・本領安堵
島津・・・本領安堵
北条・・・切腹、獄門、改易
伊達・・・本領安堵

むしろ厳しくなかったという理由が知りたい
秀吉は優しさから氏政に腹を切らせて獄門にかけて改易したの?
0253人間七七四年
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2023/07/08(土) 13:32:11.82ID:G6kQrzgI
石田が佐竹の取り次ぎだったから
豊臣体制の内部対立に巻き込まれた説
沼田問題が解決しそうだった時に北条安堵に危機感持った手紙が佐竹に送られてる

あと信州名胡桃と書かれた文書があるらしい
単なる誤字かもしれんけど
0254人間七七四年
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2023/07/08(土) 13:41:29.93ID:591p1r7g
諸々の条件が違う案件をずらずら並べて何がしたいんだw
毛利・伊達は直接戦闘に至ってないし、長宗我部・島津は土佐薩摩に攻め込まれる前に降伏してるわけで北条の処分と単純に比較ができるわけないだろ
0255人間七七四年
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2023/07/08(土) 14:53:15.43ID:JkOjsBPO
いや比較できるだろ
北条は本拠地が西に寄っているから早い段階で小田原付近の戦闘になっただけで
その事によって処分に影響なんてある訳がない
まして伊達などはもはや潰す事は容易い状態であって北条よりも立場は悪かったのに大大名として存続できた事を考えると北条の処分は異常に重い

>>253
関東平定においても石田らと浅野らの内部闘争によって明暗が別れた大名は確かに多かった
お互いに自分が取次をしている大名はなるべく力を維持させて、敵対派閥が取次をしている大名はなんとか潰してやろうと躍起になっていた
佐竹なども実は伊達と対峙していたから参陣がかなり遅れていた
更に名門ゆえに秀吉に対する侮りがあったのか謁見した時に無礼な態度を取って秀吉を激怒させている
でも石田の取り成しによって事無きを得てむしろ大幅な加増を受けているしな
取次役が誰であるかは非常に重要であった
北条は家康が取次の一人で婚姻関係もあった事が原因になっていたかもしれないね
北条を安堵してしまうと家康が力を持ちすぎるし
0256人間七七四年
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2023/07/08(土) 16:05:22.50ID:r6sk76ty
羽柴と北條の関係だけを取り上げて個別事案として見るから不可解に見える。
列島の中央政権が関西に在った時期を通じて、奴等は関東(坂東)を常に敵視・警戒し続けてきたと云う構造がある。

関東を敵視した理由は;
イ)列島の地理風土による「関東半独立」の可能性の高さ
ロ)潜在的な地域力=中央政権にとっての危険度の大きさ

関東の優越的権力体が奴等に敵対的であろうとなかろうと、
奴等はこの強迫観念的構造によって行動を規定され続けてきた。
北條に対する処遇もその一事例であると俯瞰すれば特異性は全く無い。
 
0257人間七七四年
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2023/07/08(土) 16:13:03.73ID:r6sk76ty
附記。
上述の図式は、関西政権トップの内実が関東由来の勢力であっても、また逆に関東権力体トップの内実が関西由来の勢力であっても飽きることもなく繰り返されてきた。
これが個別の「人」「家」「勢力」等々の間の関係性に因るものには非ず、それを超越した構造であったことが示されている。
 
0258人間七七四年
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2023/07/08(土) 16:32:32.75ID:G6kQrzgI
半独立ゆうたら九州の方がパイセン
なんせ磐井のLANからの大留年
0259人間七七四年
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2023/07/08(土) 16:41:38.52ID:r6sk76ty
>>258
スレチだがちょっと乗る。

磐井ノ乱は、むしろアプリオリな状態としての「独立九州国家」の終わりと見た方が当たるように思う。
ヤマト王権統治後の「反乱」、半独立云々とするのは記紀史観に対して無批判過ぎやしないか。
0260人間七七四年
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2023/07/08(土) 18:01:20.12ID:SL8kOTUC
政宗も切腹寸前だったじゃん
恭順の意を示さないやつには秀吉は厳しい
0262人間七七四年
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2023/07/08(土) 18:31:24.73ID:NdoZ/kum
秀吉は北条氏政氏直父子の上洛を何度も催促して、
かなり長い間辛抱強く待ってただろ。
なのに秀吉が可愛がってた真田に襲いかかったから
堪忍袋の緒が切れた。
0263人間七七四年
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2023/07/08(土) 18:34:40.89ID:NdoZ/kum
北条から秀吉に送られた手紙もかなり上から目線のモノばかりだしな。
そりゃ秀吉の北条への心象が悪くなるのも当然だろ。
0264人間七七四年
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2023/07/08(土) 18:55:52.25ID:G6kQrzgI
>>259
太宰府が左遷視されたのも独立性故の統治困難さからでしょ
その後も尊氏担いだり直冬担いだり
なにかと中央に抗してみたりする
0265人間七七四年
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2023/07/09(日) 13:52:50.57ID:afBKLu3N
まあ、確かに良く考えたら単に北条が状況も読めずに調子に乗って秀吉に喧嘩売ったから潰されただけか
他の大名の領地を取り上げて俺にくれとか、人質を寄越したら上洛してやるとか
仕舞いには仲介してくれていた家康に向かってお前使えねーなボケと罵声を浴びせる始末だったからな
そりゃ誰でも不快になるわ
0266人間七七四年
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2023/07/09(日) 14:08:19.59ID:ZxfBzqok
北条と言えば名門みたいに聞こえるが、伊勢ふぜいが伊豆相模を掠め取って鎌倉時代の執権北条の姓を名乗ってるだけだけどな
0268人間七七四年
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2023/07/09(日) 17:25:42.03ID:0+F6/FnL
>>266
そう考えると、どこの百姓か分からない猿が主君の死を利用して天下を掠め盗り、豊臣なんて姓を名乗って上から目線で手紙を送ってきても、そりゃ無視したくもなるわな。
0269人間七七四年
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2023/07/09(日) 17:37:33.06ID:f4YZfPOo
>>266
幕府申次衆の重味を理解していない。
また掠め取ったと云うのも事実に反する。
伊豆は幕命による公務、相模も少なくともその西半領有については扇谷麾下としての行動。

>>268
羽柴の出自に関して「どこの百姓かわからない」という巷説も近年の学術水準ではほぼ否定されている。
 
総じて、
伊勢宗瑞や羽柴秀吉について軍記講談の類に脳を犯され過ぎた御仁が今なお多いのは嘆かわしい。
学術知見は年々歳々更新され続けている。
 
0270人間七七四年
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2023/07/09(日) 17:53:24.48ID:sJUbm5Jz
伊勢氏は一応幕府政所執事の家柄だろ
0271人間七七四年
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2023/07/09(日) 18:02:41.28ID:eSXbYClC
秀吉は名実ともに天下人だから上から目線なのは当たり前
実際に一番上の人間だし
氏政達は実力が伴わない無駄に尊大な態度だったから滅びた
本当に意味不明
一体どういう考えだったのだろう
0272人間七七四年
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2023/07/09(日) 18:16:15.77ID:sJUbm5Jz
小田原城を過信してたとしか
あと伊達が燕軍に来てくれるとか夢想してたし
0273人間七七四年
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2023/07/09(日) 19:44:36.54ID:Bwb2CuaE
>>272
上杉謙信や武田信玄でも落とせなかったと言ったって、どっちも本気でを落とすつもりで攻めたとは思えないからな
0274人間七七四年
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2023/07/09(日) 20:06:40.23ID:4GQuvQJV
家康同様に優遇されて然るべきという考えはどこから出てきたんだろう
石高の違いなのか、松平なんて伊勢氏の被官だったじゃんという家格の問題なのか
0275人間七七四年
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2023/07/09(日) 20:31:19.10ID:Y4I/3D1P
謙信は本気で落とすつもりだったんじゃね
ただ長期化するのは想定外で準備不足だっただけで
冬ごもりの年中行事で関東に来るようになってからはそもそも小田原まで行く気が無かったろうけど
0276人間七七四年
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2023/07/09(日) 21:05:59.32ID:sJUbm5Jz
氏康亡き後氏政の判断ミスや戦下手が目立つよな
氏康が長生きしてたらああはならなかった
0277人間七七四年
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2023/07/09(日) 22:49:38.06ID:0aaC7gzq
当時の秀吉は従一位関白で官職を極めて政権を開き、支配地域は西国から北陸東海まで数十ヵ国に及んでいるのに
どうして戦おうと思ったのか謎すぎる
仮に伊達が積極的に戦ったとしても焼け石に水だし勝算なんてはっきり言ってゼロ
上杉や武田の時みたいに籠城して長期戦に持ち込んで相手が撤退するのを待つというつもりだったのだろうけど
それやると領内は散々に荒らされて荒廃するし、仮に上手くいって上野の城を一つや二つ貰っても割に合わないと思うのだが
0278人間七七四年
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2023/07/09(日) 22:50:04.57ID:48bRoCLW
そもそも相越和睦が取り返しのつかない判断ミス
0279人間七七四年
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2023/07/10(月) 00:51:26.63ID:p5rhqnc4
>>275
メインの目的は鶴岡八幡宮での関東管領就任式だったんじゃ・・
0280人間七七四年
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2023/07/10(月) 01:32:21.97ID:Dcy3/9mY
10万もの軍勢集めて敵地の奥まで入り込んで就任式だけやって解散とか頭おかしいだろw
0281人間七七四年
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2023/07/10(月) 01:34:51.66ID:p5rhqnc4
>>280
上杉謙信ってそういう人だから
0282人間七七四年
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2023/07/10(月) 01:46:32.97ID:dvEWByqm
長尾景虎の小田原攻囲というのも謎が多い。
まだ当時は難攻不落とは云い難かった小田原城を大軍で囲みながら内部崩壊して解陣、
鎌倉での関東管領継承後の帰路は何故か味方だった筈の諸将から追撃を受けて敗走同然に上州の奥地まで逃亡。

農繁期に掛かったが故の軍勢自壊はまだ解るにしても、攻撃されるほどの憎悪を買うとは一体何があったのか。
 
0283人間七七四年
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2023/07/10(月) 01:59:35.58ID:kMYPWgb0
まあ、謙信は小田原を落として北条を滅ぼすつもりだったろうけど
敵地の最奥まで入り込んでいた訳だから略奪しまくっても兵站が維持できず
小田原どころか他の城も落とせなくてこれはもう駄目だから帰るわとみんな引き揚げ始まってしまったから
では今回はお開きにしましょうかみたいな感じで尻切れトンボになってしまったんだよな
勢いだけで突っ込んできた上杉より防衛体制を整えていた北条の方が上手だったと言う事だわ
0284人間七七四年
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2023/07/10(月) 02:03:35.19ID:p5rhqnc4
>>282
金品の略奪、農民を越後に拉致して奴隷化
0285人間七七四年
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2023/07/10(月) 02:27:31.94ID:k6f3z0hD
>>282
だから成田を殴って恨みを買ったというような逸話も生まれたんだろうな
これ以降も謙信と関東衆は喧嘩を繰り返して最終的には誰も協力しなくなった
関東は独立性が高く関東公方を中心に独自の統治体制が構築されてそのルールの下で活動していたが
それを破壊する者として敵視されたのが北条であって関東公方や管領らが排除しようと戦い破れた
その後継者として期待されたのが謙信だったんだよな
だから初めはみんな集まった
だけど謙信は関東の大名ではないからその辺りの機微には疎く彼らのルールから逸脱する決定をしたから喧嘩になった
永禄3年の小田原包囲戦の時にも関東公方を巡っての争いがあったとも言われているけど
実際にその後も関東公方を巡って散々喧嘩をしているから、この時も離反者が続出したのは何かしらそういったトラブルがあったのだろう
0286人間七七四年
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2023/07/10(月) 02:31:41.97ID:HRHFiDg8
自分達で「正義」とか言う連中って大体やばいからな。
ワンピースの海軍と同じよ。
0287人間七七四年
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2023/07/10(月) 06:27:49.09ID:RpQTvaw7
関東史から見ると謙信が義の人とか持ち上げられての意味不明だよな
0289人間七七四年
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2023/07/10(月) 06:52:59.10ID:p5rhqnc4
>>287
民衆にとってはただの迷惑な略奪軍
0290人間七七四年
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2023/07/10(月) 07:52:00.75ID:oDJTDztI
越後から解放軍が来てくれたと思ってたら
俺らを軍団化して畿内戦線に投入します

ってそりゃ怒るわ
発想が応仁の乱の大内軍団
100年古い
0291人間七七四年
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2023/07/10(月) 10:20:14.47ID:tVvMM8NF
そもそも古河公方派の人間は関東管領と敵対関係だったからな
北条という共通な敵というだけで関東管領になる予定の長尾と仲良くする気も鼻からない
また謙信も佐竹のこと家臣扱いし嫌われ協力的でなくなり、小弓公方派だった里見にも雑な態度取り
里見と敵対関係にある千葉氏(北条に従属してる)に味方し国境揉めてる里見と千葉の間に入り下総は千葉のものと後押し里見からキラワれる

また里見のこと名前知らないから太郎殿でいいやと里見が何度も失礼ですよと怒った手紙よこすもとうとう最後まで太郎殿呼ばわりだった

再び上杉北条が敵対関係になって佐竹里見に協力求めたがシカトされる
0292人間七七四年
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2023/07/10(月) 10:59:15.08ID:ctWL1lRN
>>290
結局それなんだよな
謙信にしてみれば上野周辺の上杉領を併呑できる大義名分が得られ、関東衆を動員でにる権力を獲得できる事に魅力を感じて山内上杉を継承し関東管領を名乗った訳だけど
権利と義務は表裏一体であるから関東管領を継承する事は関東の支配体制の保護をする義務も生じる
関東衆もそれを期待したから馳せ参じた訳だけど、北陸の大名であり戦国大名化していた謙信にとっては関東管領は自家勢力拡大の為の単なるツールであり
関東公方が誰であろうと、関東の支配体制が崩壊しようとどうでも良かったんだよな
その辺りの意識のズレが初めからあって、お互いに北条を倒す為には協力しなければならないから仕方なく妥協しながら付き合っていたけど
最後には妥協できない一線も越えてしまったから完全に破綻した
0294人間七七四年
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2023/07/13(木) 18:15:11.70ID:KZNossvs
関東の農民達にすりゃ年貢が軽い後北条の方が
良いに決まってるからな。
後北条が関東を支配する正当性が「善政」だった。
だからこそ秀吉は家康に関東を押し付けたとも言える。
後北条を支持する農民達が一揆を起こしまくるのを期待して。
0295人間七七四年
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2023/07/14(金) 20:26:11.52ID:DwdjFwcX
それは後世の創作でしょ
北条は籠城戦を度々行ったから領内は略奪の憂き目に遭って亡国と言われるほど荒廃してしまったし
関東では天候不良が続いて飢饉が度々発生し北条領内では年貢を拒否する村が多くでる有様だった
年貢を取らなかったのではなく取れなかったというのが正しい
0296人間七七四年
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2023/07/14(金) 21:05:25.12ID:Q03xMLFx
北條善政伝説が形成され始めたのは対長尾戦争よりも遥か以前、伊勢宗瑞や北條氏綱の頃とみられている。
恒常的な飢饉や頻発する災害を背景として年貢の減免交渉に真摯に応じたこと、国主権力体が直接かつ明文規定に拠って対応したことなどがその伝説のコアを成していると考えられる。

そもそも論を云うと、
気候変動と地殻変動の激化による危機に際して無力無能を晒した室町体制=複線/複層統治構造に対するアンチテーゼ群の試行錯誤が「戦国」なる社会運動の実体だった。
そしてその典型事例の一つとして北條は在った。
この危機の中で領国の立ち行くような権力体系を確立すること、換言すれば室町体制とは異なる統治論理を具現化することが北條のアイデンティティだったわけで、それが「善政」と評価されたのは純然たる結果論に過ぎない。
 
0297人間七七四年
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2023/07/14(金) 23:05:47.84ID:072mv7w3
そもそも他の大名の領国でも特に統治に差があったとは思えない
例えば室町体制を最後まで守ろうとして北条と対立していた佐竹も善政で知られていて400年経った今でも慕われているが
話の内容は北条と極めて似ている
だが戦国末期の関東は災害が多発して飢饉も発生し領民の暮らしはかなり苦しかった事は間違いない
それに加えて北条も佐竹も毎年のように戦を繰り返していたから賦役と年貢の負担はかなりのものであった事も疑いようがない
これらの善政伝説は江戸時代以降に語られるようになったもので
逼迫した江戸時代の諸藩の暮らしに対するアンチテーゼとして生み出された虚構に過ぎない
0298人間七七四年
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2023/07/14(金) 23:28:56.82ID:Q03xMLFx
>>297
> これらの善政伝説は江戸時代以降に語られるようになったもので
 
そう思いたい人にとっては甚だ遺憾なことではあるが、同時代史料にある。
本当に「善政」だったか否かは知らず、
「善政と評価されていた」ことは否定できない。
他國と北條の統治体系に差があったか無かったか、史料や研究論文を当たった上で貴君自ら判断されたい。

また関東の在地の荒廃は戦国末期に特に顕著だったわけではない。
遅く見積もっても享徳ノ乱の当時から荒廃を極めている。
その状況下で前代の統治者が十分な対応を取れなかった事実が北條善政伝説の前提になったことは想像に難くない。

また佐竹が室町体制を固守しようとしたとは初耳だ。
室町体制そのものの内訌を克服して「戦国大名」化を果たしたからこそ北條との間に実体利害の矛盾を生じて対立に至ったわけだし、
永年に渡って北條に対抗し得たのも佐竹が戦国大名だったからに外ならない。
佐竹もまた北條とは異なる形で旧秩序へのアンチテーゼを提示していた。
それは彼等に自覚があろうと無かろうと、客観事実として動かない。
0299人間七七四年
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2023/07/14(金) 23:52:37.87ID:oOymaTHL
出たよ貴君、また戻ってきたのか北條氏は。
0300人間七七四年
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2023/07/15(土) 10:42:32.27ID:Mpw8Cfdz
>>298
それは全く違うよ
佐竹は戦国大名ではない
室町体制の中で洞中という新しい支配体系を構築していた
これはあくまで室町体制の延長でしかなく関東公方という権威が不可欠なものであるから擁立に最後まで固執した
里見、結城、宇都宮など他の関東衆にとってもこれは同じ事で
結局これが原因で長尾上杉と決別する事となる
北条の善政も伝説でしかない
北条は早くから検地を実施していたので領民の負担はとても大きいものであった
室町体制下の年貢などはザルで百姓がいくらでも誤魔化しが可能であったからむしろ北条支配以前の方が生活が楽であった
実際、北条家の検地帳とそれに関する覚書が実在しているが大幅な増税が記されている
隠田や年貢滞納は死罪とする厳しいお触れも出しているし免田であった土地も年貢の対象としている
その結果、北条領内では百姓による年貢の拒絶や一揆、逃散が相次いでいる
特筆すべきは百姓だけでなく地侍までも国外に逃亡している事だ
年貢が完納されない場合は徴収役の武士も連帯責任となっているのでそれを恐れて正に村ぐるみで逃亡した
0301人間七七四年
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2023/07/16(日) 01:55:01.72ID:9eUfC5sO
黒田基樹によれば北条氏康時代に民衆が他国に流れるのに歯止めが止まらずまだ働き盛りなのに氏政に家督譲って徳政令やったってさ

善政してたのに民が他国に流れるのわけがない
借金無くすからなんとか出て行かないでとやって引き止めてたのが北条
0302人間七七四年
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2023/07/16(日) 07:18:28.51ID:5zW6axQ5
それは永禄の飢饉のせい
0303人間七七四年
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2023/07/16(日) 09:10:53.34ID:L4w+Jdaw
いくら善政敷いてても、大水害で飢饉が起きたら仕方ないわな
0304人間七七四年
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2023/07/16(日) 09:32:10.54ID:tR250Q7o
後北条の善政を否定するなら、
まず4公6民を否定するソースを出せよ。 
0305人間七七四年
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2023/07/16(日) 10:59:40.38ID:AcV9QfAi
根本的なところから学んだ方がいいよ
そもそもそこで言う年貢というのは田畑など収穫に対して課されたものであって税率ではない
税はその他にも様々なものに課される
代表的なものでは棟別銭や夫役などであるが北条も棟別銭、陣夫、城米などたくさんの課税をしており総じて見ると税率は6割を超えている
しかも滞納すれば打首か妻子牛馬の召し上げという時代劇の悪代官のごとき厳しい処分であったため国外逃亡する者が後を断たなかった
これは北条が滅亡するまで慢性的に続いている
0306人間七七四年
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2023/07/16(日) 16:56:58.41ID:9eUfC5sO
信虎、謙信、信玄に国内侵入許し荒らし回られても引き籠もって撃ってでない
思う存分暴れられてからやっと形ばかりの出陣するもボッコボコにやられ和睦する
領民からすりゃこんな大名に税金払いたくないわ
お前ら数年に一度中国が日本荒らし回って日本政府に不満持たないのかよ
そりゃ領民も逃げ出すわ
0307人間七七四年
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2023/07/16(日) 18:01:58.43ID:JYvZQSa0
一つか二つで止めときゃいいのに調子に乗るから段々見えてくる尻尾
0308人間七七四年
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2023/07/16(日) 19:22:21.52ID:Hvo/bwYz
百姓「あと三日!あと三日だけお待ちくだせえ」
代官「ならん!ならん!払えぬのなら女は貰ってゆくぞ」
百姓「それだけはご勘弁くだせえ!」
代官「ええい!邪魔立てするなっ」
バサーッ
百姓「ぎゃああああ」
娘「いやあああ!」

北条領内の日常
0309人間七七四年
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2023/07/16(日) 19:42:36.91ID:5zW6axQ5
上杉謙信の関東遠征は表向き義のためとか言ってるけど本質は略奪軍だったらしいよ
0310人間七七四年
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2023/07/16(日) 23:22:11.48ID:9eUfC5sO
ちゅーか真面目な話謙信、信玄が国内略奪放火しまくってるのに迎撃しないの領民からしたら糞大名だからな
税払った見返りに守らなきゃいけない

家失った、財産奪われた、田畑駄目にされた
これ全部北条が弁償したとは到底思えないんだよな

4公6民程度で名君呼ばわりする奴いるけどさ。もし中国がしょっちゅう攻めてきて日本の家、工場、ビル破壊しまくって自衛隊引き籠もって迎撃しなかったら日本政府糞すぎんでしょ

それと一緒
0313人間七七四年
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2023/07/17(月) 08:26:07.05ID:mS6RnJKz
北条は大大名に成長したけど動きが鈍く決戦を避ける行動が多いのが不可解だったけど
北条が出している書状やお触れを見るに領民とその代表である地侍との関係が上手くいっていなかったから無理な命令は出来なかったのだろう
0314人間七七四年
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2023/07/17(月) 12:10:23.98ID:QD+Q3vx0
そうか?
秀吉、家康の転封で余所者が配属されると一揆多発

徳川はまったく一揆起きてないので北条が特段優れてるというわけでは無い

そもそも前線の城で敵を抑えて迅速に軍勢集めて迎撃しない糞大名が人気あるわけがない
何回領内侵入され荒らし回られてるんだよ
しかも謙信、信玄共に上野から相模まで侵入許し居城まで迫られ放火されまくっても迎撃しない

そりゃ民も逃げ出すわ
0315人間七七四年
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2023/07/17(月) 14:31:23.95ID:QD+Q3vx0
北条だけなんだよ最初から敵が攻めてきたら迎撃しないでいずれ帰るだろうと二カ国突破許して居城までこられてもまだうってでないで城下までめちゃめちゃにされてるの。
民の家、田畑、財産どうなろうと知ったこっちゃない

織田で言えば浅井朝倉に美濃尾張突破され岐阜城下まで放火略奪されまくってるのに迎撃しないのと一緒
毛利だって備中、鳥取で敵の大軍雪崩込むの防いで頑張ってる
上杉も越中魚津城が本能寺まで粘りそのおかげで生き残れた

北条はヘタレで領民からすれば糞大名
0316人間七七四年
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2023/07/17(月) 21:55:56.91ID:Pr0ND1Se
問うに落ちず語るに落ちるとはよく言ったものだなあ
0317人間七七四年
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2023/07/18(火) 10:18:11.70ID:s/jcNUmV
もし日本の隣に地続きの国があって
中国が頻繁に日本破壊しまくって略奪しにきていずれ帰るからと日本政府は自衛隊に迎撃させず政府高官だけ自衛隊に守られ引き籠もってたら
そんな国見捨てて隣の国に逃げるだろ

北条の民もそれと一緒で逃亡しまくってた
なのにゲームのせいか北条は政治100とかわけわからん数値にされてる
民を守らない奴が政治100なわけねーだろ
0318人間七七四年
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2023/07/18(火) 12:50:22.73ID:ckaD1cSj
ロシアお得意の作戦ではある
1ナポレオン戦争
2独ソ戦
0319人間七七四年
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2023/07/18(火) 15:06:04.86ID:s/jcNUmV
そんな多民族の戦争と一緒にすんなよ
それは征服されれば死ぬか奴隷にされるか強制疎開させられ強制労働なの知ってたから民衆も死に物狂いで国のために戦った
北条がそれに当てはまるか?
0320人間七七四年
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2023/07/18(火) 18:37:07.44ID:pekAnzNP
>>319
じゃ中国が日本に略奪しにくる話と同じとか言わないでください
0321人間七七四年
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2023/07/18(火) 21:04:36.56ID:IJclJhCF
暴れてる人の素姓はだいたいわかった 相手にしたら負け
0322人間七七四年
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2023/07/19(水) 01:16:45.19ID:AwkdNwMb
>>320
略奪、放火は変わらんだろボケ
お前の言ってるような多民族の戦争がどうやったら日本国内の戦争に当てはまると思うのか馬鹿だねぇ君
それとも謙信、信玄軍はただ通過するだけで何もしなかったと?
北条は敵が来ると迎撃しないで民の家が放火略奪されてるのに引き籠もって引き返すの待ってたヘタレ
こんなのが政治凄かったとかアホすぎるわ
0323人間七七四年
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2023/07/19(水) 01:29:57.10ID:+ngAzW7S
書けば書くほどお里が知れるぅ~
0324人間七七四年
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2023/07/19(水) 02:02:45.24ID:AwkdNwMb
多民族間の戦争と日本国内の内戦一緒にしてるアホのことでしょ
0325人間七七四年
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2023/07/19(水) 02:14:02.11ID:AwkdNwMb
政治凄かったのに民が略奪放火されてるのに迎撃しないで二カ国突破、国内縦断を指を加えて見てるだけで安全なところに引き籠もって敵が飽きて帰るの待ってただけのヘタレが政治凄いはねーわ

税納めた見返りに大名は民を守る責務があるのに北条はやらなかった糞大名です
0326人間七七四年
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2023/07/19(水) 08:18:17.11ID:sT7dO5u8
>>324
まず、>>317の中国が頻繁に日本を破壊、略奪された時に日本が何もしないのと同じって言う例えにおいてあなた自身が他民族間の戦争と日本国内の内戦を同じに考えてることに気付きましょう

ちなみに>>320の略奪、放火は変わらんと言うならナポレオン戦争や独ソ戦だって変わらんだと思いますよ
0327人間七七四年
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2023/07/19(水) 10:16:10.60ID:cJpo3c0W
名将と言われる武将の殆どはどんなに不利な状況でも必ず敵地か国境付近に打って出て戦ったけど
度々国内に敵を入れて戦う北条は珍しい家ではある
0328人間七七四年
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2023/07/19(水) 16:24:30.41ID:Nkr8iK25
国内に敵を入れてを例えると
危機を感じると引っ込む巻貝に…反撃がないな 亀か
反撃はするからボクシングのブロック、クリンチが上手い選手
0329人間七七四年
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2023/07/19(水) 16:52:20.89ID:nD50lEgA
上杉や武田が織田にやられて退場したから良かったものの
攻撃に晒され続けていたら北条も内部崩壊しただろうな
領民や配下の不満がかなりたまっていたようだし
0332人間七七四年
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2023/07/20(木) 18:25:26.71ID:Rc26a490
本能寺後のあのチャンスに4万近い大軍で上野抑えて碓氷峠通って信濃に進出して
真田とかも呼応したのに結果的に1万程度の徳川軍に負けたって酷すぎね?
しかも信濃も全て失ってるし
ここで甲斐信濃も抑えてたなら250万石くらいあるだろ
0333人間七七四年
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2023/07/20(木) 22:25:59.05ID:tAbiIisL
滝川と戦った時は珍しく素早い出陣で勝ったけど
その後は結局いつも通りぐだぐだで弱かったな
徳川に完敗して甲信を断念し已む無く上野の切り取りを行う事になったけど、その上野すらも結局は制圧できなかった
そしてそれが北条滅亡の原因になるのだから確かに酷い有様だ
甲信を切り取って豊臣と対峙し有利な条件で臣従し天下取りの地盤を築いた徳川とは雲泥の差がついた
0335人間七七四年
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2023/07/20(木) 23:25:30.04ID:J4Upm6hv
>>331
でも氏康時代から悪化したからな
両上杉を倒す事には成功したけど領内は荒れ果てて更に天災と増税が追い打ちをかけて領民の生活は破綻した
それで国中で領民が逃亡という事態に陥って氏康は例の徳政令を出したが
この時、徳政令だけではなく減税処置も行って領民の帰還を促した
しかし結局僅か2年ほどで再び増税を行い数年で元に戻ってしまっている
だから領民の逃亡は収まる事はなく領主までもが逃亡する状態であった
その後も増税を繰り返し天正9年には一揆が起り、逃亡という言わば消極的反抗から一揆という積極的な反抗に変わっていくのだが
0336人間七七四年
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2023/07/21(金) 00:06:54.26ID:lX92IjCZ
滝川にも一度は撃退されてるしね
3倍の兵力で
0337人間七七四年
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2023/07/21(金) 00:27:01.28ID:hEvi4lur
甲州征伐の時も結局駿東の国境付近しか切り取れなかったからね
0338人間七七四年
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2023/07/21(金) 00:32:03.23ID:AqqjhAeY
必死に書いてるのに誰も相手にしてくれない→よしそれなら自演だ!
0339人間七七四年
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2023/07/21(金) 00:45:49.01ID:lX92IjCZ
織田に瞬殺された末期の武田に一方的に押されてただけあって北条は弱い
0340人間七七四年
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2023/07/21(金) 08:13:23.64ID:eTL2PKz0
>>339
武田と断交して以降甲州征伐まで駿東も上野も切り取れてないとかどんだけ弱いんだよ
0341人間七七四年
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2023/07/21(金) 11:00:11.80ID:sYnJuLBK
関東東北は室町体制が生きていて、そのルールの中でみんな戦っていたけど
北条や伊達はルール無視の何でもありで暴れたからお山の大将にはなれたが
戦国大名化した他の地域の勢力には全く歯が立たなかったんだよな
0342人間七七四年
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2023/07/21(金) 11:18:37.69ID:on2gPHS8
織田には平身低頭従った氏政が織田より巨大化してる秀吉に逆らった意図が分からんな
そもそも北条自体が秀吉馬鹿にするほど大した家系でもないだろうに
0345人間七七四年
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2023/07/21(金) 11:53:49.30ID:eTL2PKz0
もともと北条じゃなくて伊勢だし
0346人間七七四年
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2023/07/21(金) 12:29:44.42ID:typOadhJ
>>342
ほんと意味が分からないな
当時の豊臣は織田より地位も戦力も圧倒的に上だったのに何であんなに強気だったのだろうか
領内の統治も不安定だったし
中国韓国北朝鮮みたいな政策だったのだろうか
内政が上手く行かないときは敵を作って国民の意識を逸らす的な
0347人間七七四年
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2023/07/21(金) 14:40:17.45ID:Jf+QaxeS
強気の原因
長期の籠城に耐えられ小田原城は落とせない これが一番でしょ
徳川と縁戚 これが二番 交渉は何とかなる  
伊達もいる これを当てにしてたら滅んで当然
0348人間七七四年
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2023/07/21(金) 14:43:20.03ID:VPb4c97S
伊達とかいう絶対に信じちゃいけない奴信じた末路
0349人間七七四年
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2023/07/21(金) 15:45:14.41ID:Jf+QaxeS
強気というか面子の問題なんだろうね
徳川以上の自負があるから、妹や母を差し出されたのと
同等の扱いか官位の約束が欲しかった、とかが真相に近そう
0350人間七七四年
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2023/07/21(金) 15:52:41.24ID:7GeS+Vu4
家臣の面子もあるから自分の面子だけの問題じゃないよね
0351人間七七四年
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2023/07/21(金) 17:03:44.94ID:i0NVXc4Z
逆に言うと謙信の時は関東衆だけでも小田原を囲まれてしまったのに
西国と東海北陸関東まで支配下に置く秀吉は謙信など比較にならないほどの規模で攻めて来る事は子供でも分かると思うのだがね
それで勝算があると考えるのはやはり謎だ
家康についても北条はボロクソに悪口を言って家康を仲介した交渉のパイプを自ら切るような事をしている
この家康に対する態度も秀吉を激怒させた一因になった
伊達についても不可解
仮に伊達が本気で豊臣と戦うつもりであったとしても常陸や下野などに豊臣方の勢力が多数いて通れない
これを攻め滅ぼしながら向かうなどと悠長な事をしていたら何年かかるか分からない
戦略的に伊達との同盟はさほど意味があるものではない
せいぜい北関東の諸将を足止めできるくらいがメリットであろう
家康もメンツがあるから豊臣の情報は詳細に伝えていただろうし氏規も上洛しているのに
あまりにも現実を無視した言動は謎すぎる
0352人間七七四年
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2023/07/21(金) 17:24:59.30ID:OY4Ej/Vf
伊勢って名門だよ派と成り上がり派がいるのは何故
0353人間七七四年
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2023/07/21(金) 17:38:10.87ID:i0NVXc4Z
伊勢も色々あるので
宗家なら名門だけど早雲は何だか良く分かっていない
0354人間七七四年
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2023/07/21(金) 18:02:39.02ID:g3bog89X
織田に従ったのに武田攻めの恩賞はロクに貰えないわ上野は取られるわで懲りたんだろうな
0355人間七七四年
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2023/07/21(金) 19:29:46.97ID:lSNbtw4I
>>354
一説によると
領地あげます、従属します
って言っておきながら上洛もしてこない北条に信長がキレてたらしい。
そう考えると名胡桃に対しての秀吉への対応含めて北条って何だかなぁって思える
0356人間七七四年
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2023/07/21(金) 20:26:41.31ID:OlTsmn1r
氏康も武田の駿河侵攻でかたくなに今川側に立って無駄な抗争繰り返してたし
北条も大概な感じはするな
その結果上杉に後の景虎を人質に出して御館の乱で北条と武田が全面抗争になる遠因も作ってるし
0358人間七七四年
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2023/07/22(土) 08:23:26.18ID:xSytw7vm
REVELATION
資金源
フロント/天下り
フィクサー
汚職/集団ストーカー/盗聴/盗撮/揉み消し
揉み消し加担
0359人間七七四年
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2023/07/22(土) 08:37:05.60ID:IQLQ7Yu2
>>354
上野は甲州征伐まで武田領だから、取られたというより出遅れて取り損ねたと言う方が正しい
0360人間七七四年
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2023/07/22(土) 11:53:21.23ID:AYuMXE1V
全然関係ない下野の領地も手放す事を強要されているし
武蔵の国衆なんかも織田の臣下に組み込まれてしまっていたので
上野を取ったとしても直ぐに巻き上げられただけだわな
0361人間七七四年
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2023/07/22(土) 13:02:48.96ID:9tX4kRCc
まぁ武田にあれだけ押されてた北条だから
まさか武田が1か月で滅亡するなんて思わずに
チンタラしてたのを信長が許さなかったってことだろうね
滝川を上野に入れたのも北条への圧迫だろうし
0362人間七七四年
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2023/07/28(金) 16:13:39.11ID:tJOCyBws
>>65
信長に追放された足利義昭が小田原ではなく鞆に行った理由の一つは
「北条氏は完全な地方政権であるから天下を左右する力はまったくないので」
と言われているな。
0363人間七七四年
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2023/07/28(金) 16:52:03.06ID:4w717L4k
著名な戦国大名の殆どは上方へ向って勢力を伸ばそうとしたけど
北条は真逆の北東に向かったという点では非常に珍しい
この事を見ただけでも北条は短絡的で先見性が全くなかったと言えるな
0364人間七七四年
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2023/07/28(金) 17:11:35.81ID:25qL8hGT
将門といい奥州藤原氏といい
中央政権から距離を置いて独立した勢力圏を成立させようとしたとかロマンがあるじゃないか
結果的にみんな失敗したけどそういう男達がいたと事に熱い思いがこみ上げてくる
0365人間七七四年
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2023/07/28(金) 17:19:44.52ID:4w717L4k
勢力拡大したら結局は中央政権と戦わざるを得ない事は子供でも分かる事
だから生き残るには中央を目指して覇権を握るしか無い
しかし北条は目先の領土拡張しか頭になく、北関東の田舎でチマチマといつまでも争っていてタイムオーバーとか
全くもって無駄な戦いだったと言わざるを得ない
関東衆なんてなあなあでプロレスみたいな戦をやっていただけだし、北条の方から喧嘩を売らなければ積極的には動かないのだから
どうせ大志もないなら変な欲をかかずに相模と武蔵の半分くらいを維持していれば生き残れた可能性が高かったものを
0366人間七七四年
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2023/07/28(金) 18:05:21.98ID:IA3SIcWK
秀吉に恭順しなかった氏政が悪いの一言
0367人間七七四年
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2023/07/28(金) 18:41:07.36ID:2hXkmWn1
家康への配慮もあって秀吉もだいぶ譲歩してくれなのにな
あそこで調子に乗って逆に喧嘩を売る意味が分からない
0368人間七七四年
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2023/07/28(金) 20:06:40.47ID:50uEiyxL
>>363
氏綱の時駿河東部に攻め込んでるけどな
0369人間七七四年
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2023/07/28(金) 20:36:16.70ID:IA3SIcWK
>>368
河越の戦いで返して今川と和睦してるから無意味だったな
0371人間七七四年
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2023/07/28(金) 22:01:03.52ID:Ik5lY+LC
そもそも今川との関係がこじれて攻撃しただけだからな
上方を目指そうとかそんな考えは微塵もない
0372人間七七四年
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2023/07/28(金) 22:40:36.04ID:Dc/au2e7
もうとっくにバレてるよ ジャニヲタくん
0374人間七七四年
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2023/07/29(土) 09:13:34.02ID:cOdHSGm3
>>364
鎌倉幕府だって最初は東国の独立政権からスタートしてるからな
0375人間七七四年
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2023/07/29(土) 11:16:48.09ID:kr3TrsmW
徳川家の関東転封で一揆が起きない。
→北条氏は余所者だからどうしようもない。
従来の鎌倉以来とか鎌倉公方以来の国衆 に
比べれば求心力はないから、
いなくなりました→ああそうかいぐらいの感覚だろうな。
我々の感覚だと地元の駅前百貨店が無くなりましただと少なくとも地域ニュースにはなるけど、ジャスコがイオンに変わったぐらいだとニュースにはならないぐらいじゃないかな。
北条氏の善政>
せいぜい実際統治している役人がよけいな負担をさせにくいように制度を整えている程度。
(税負担を分かりやすくするのとかあらかじめ公印が無い負担は認めないとか目安箱ぐらい)
黒田先生か、小野田先生かが税負担は他の大名と変わらないと言われてたから凄い善政とは言えないと思う。
ただ北条氏が旧来の土着勢力より増しだと思われていたからその統治下では一揆とかは起きなかったんだと考えられる。
まあ、一揆の中心に
なる


中央志向>
毛利元就は普段から天下を望むなといっていたわけだから家や場所によると思う。
島津氏や大友氏、長曽我部氏が天下を望んでいるとも思えないし。
>引きこもり
北条氏統治前の関東の庶民には地元が戦場なのはよくあることだからなあ。
大体、相手が上杉謙信に武田信玄じゃ相手が悪い。
滅ぼされないだけましだと思う。
そもそもそんなに北条が弱かったら、何回も対抗できないし、
上杉になびいた他の国衆に滅ぼされているだろうな。
0376人間七七四年
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2023/07/29(土) 11:19:57.69ID:kr3TrsmW
追加

一揆の中心になる国衆は北条が排除しているせいもあると思うけど。
0377人間七七四年
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2023/07/29(土) 17:35:38.22ID:yOedKcsW
戦国最弱なんて言われてしまっている小田氏治でさえ謙信に攻められた時は侵攻を阻止するために打って出て戦っているのにそんな言い訳は通用しませんわ
武田も北条と同じく上杉と何度も死闘を繰り広げたけど引き籠もって領内を荒らさせるなんて事は一度もなかったし
北条の善政なんてものは軍記物語ネタであって一次資料から見えるのは北条の圧政でしかない
0378人間七七四年
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2023/07/29(土) 18:10:46.55ID:V44EndUL
>>377
謙信が越後と関東の軍勢合わせて10万くらいで
攻めてきたら信玄でも籠城したんじゃね。
0379人間七七四年
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2023/07/29(土) 18:47:42.62ID:yOedKcsW
>>378
武田なら先制攻撃しかけたろうな
そもそも籠城する城もないし
10万言うてもゲームじゃないのだから広い平原で10万人と同時に戦う訳ではないし
寄せ集めで統制も全く取れてないので脅威度は低い
名将と言われているような武将は3倍や5倍、中には10倍の敵を破っている武将もいるしな
0380人間七七四年
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2023/07/29(土) 18:50:25.22ID:V44EndUL
なんつうかあんたのそのレスこそゲーム脳では?
0381人間七七四年
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2023/07/29(土) 19:04:22.28ID:c+/8mwyz
城に籠るのがまずいなら、どこの大名も何で城なんか作るのさになっちゃうじゃないの。
籠城反対なんて、ドイツ参謀本部や、ナポレオン1世、第一次世界大戦前のフランス軍指揮官なら大賛成だろうけど。
大体小田城は由緒正しい元館みたいなところを改造した場所だから籠ってもなあって感じか否めない。
大体本当に小田氏は土着して長いんだから、それなりに縁者も多いだろうし、
そこがぽっと出の北条氏とはちがうわな。
0382人間七七四年
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2023/07/29(土) 19:10:30.42ID:SyxQfCTk
>>380
その人は毎日後北条を貶さないと死んじゃう病の人だから触っちゃダメ
スルーかNG推奨
0383人間七七四年
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2023/07/29(土) 22:22:04.17ID:tQxSAG7C
籠城てのは圧倒的に不利な状況でとる最後の手段
領内に敵を侵入させる事は最も下策であるから普通は極力回避しようとする
だから名将と言われるような人は常に外で戦った
北条が異常なのは十分な戦力があっても引き籠もる事だ
領民の犠牲を省みない不可解な戦略である
おそらく北条は百性だけでなく配下の国人達に対しても求心力が低くて
決戦に挑むような命令を下すことが出来なかったのではないかと思う
北条の発給した文書を見ると百性だけでなく国人領主も北条の圧政に苦しんでいた事が記されているので
0384人間七七四年
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2023/07/29(土) 22:38:15.67ID:V44EndUL
北条が籠城した戦いについて書いてみ。
0385人間七七四年
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2023/07/29(土) 22:48:38.51ID:c6BXYArf
北条って北関東の小領主寄せ集め軍と戦ってもパッとしないもんな
大概は睨み合いになって終わる
0386人間七七四年
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2023/07/30(日) 08:36:47.05ID:qNW/h6hu
上杉謙信が小田原城を落としてたらその後どうなったんだろ逆に混乱?
0387人間七七四年
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2023/07/30(日) 09:19:49.59ID:HxnGMzBA
>386
越後上杉景虎が関東管令就任
古河公方は足利藤氏再就任
関東は北条氏を滅ぼすか、完全屈服させた後
関東を安定化させた後、その勢力を背景に
上杉景虎が近衛前久と共に上洛し、畿内を安定化させる。
周辺の敵対勢力は古河公方の権威と関東管令の実力、近衛を通じた朝廷からの勅で押さえる。
という構想だったらしいけど、
下手すると史実の関東進攻の拡大版や大内氏の二の舞になるのでは無いか?
0388人間七七四年
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2023/07/30(日) 09:28:31.37ID:izjFNmCA
>>387
そんなこんなしてる間に武田に関東取られそう
0390人間七七四年
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2023/07/30(日) 13:05:42.45ID:OUlElLc5
>>386
謙信が関東衆を上手く扱えるかどうかだな
それには上手く藤氏を処遇できるかが重要
もしそれが出来たらエグい事になるわ
あの時点で15万くらい動かせる訳だから天下取れる
まあ、謙信にそんな人望も政治力もないから絶対に無理だけど
北条のポジションに謙信が入れ替わるだけで、上杉(関東管領派)対関東衆(古河公方派)の争いになっただけだろう
0391人間七七四年
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2023/07/30(日) 14:54:04.36ID:TFt6L/3C
>>390
そうなったら関東衆(古河公方派)は武田と結んで上杉に対抗するだろうね
0392人間七七四年
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2023/07/30(日) 16:32:55.15ID:kHlAff4h
第一次関東進攻の際に藤氏を奉じているので、そのままならかつての関東管令=古河公方体制の復活で問題無し。
そもそも関東がまとまらなかったのは関東管令=古河公方体制が崩れたのが大きいからここが解決できるなら大体大丈夫。
次に上杉氏内の争い(山内vs扇谷)だと思うが有力な越後上杉が乗り出して来ているのでこれも問題解決。
0393人間七七四年
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2023/07/30(日) 18:30:20.37ID:KxH/i8GQ
ここの詳しい人のおかげで関東諸将って扱いクソ面倒臭そうって学べたのは良かった
0394人間七七四年
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2023/07/30(日) 19:05:02.72ID:R/Dqifa9
関東の外交は平安時代から続くしがらみで複雑怪奇だからな
殆どの家が婚姻関係や本家分家の関係にあるので大名間だけでなく家中でも統制が極めて難しい
それに加えて関東府は独立性が高く、将軍家とは険悪で何度も討伐を受けている
関東管領も表向きは関東公方の補佐役であるが実態は将軍家が送り込んだ監視役で関東公方家との仲はすこぶる悪い
それによって関東は将軍派(関東管領派)と関東公方派で真っ二つに別れて争ったが
それは大名単位の話ではなく各大名家の家中でも管領派と公方派に別れて内戦になり
更に関東管領家と関東公方家も分家が乱立してそれぞれ宗家の座を巡って争ったのでカオスと化した
0395人間七七四年
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2023/07/31(月) 11:09:52.63ID:SE99SDgh
1560頃
関東公方
古河公方→藤氏派、義氏派
小弓公方→頼純
堀越公方→滅亡
関東管領
山内上杉→憲政(政虎)
扇谷上杉→憲勝
北条→氏康
0396人間七七四年
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2023/07/31(月) 12:12:31.55ID:EfLgy2f6
思ったんだが本能寺の黒幕って北条じゃね?
0398人間七七四年
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2023/07/31(月) 18:21:49.21ID:WZZrSV4y
>>396
火事場泥棒狙うも家康に1/4以下の兵でやられる北条が黒幕って…
まあ
0399人間七七四年
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2023/07/31(月) 21:05:56.90ID:tdqSQ6/c
一応第一次関東出兵の時には対北条としてまとまったけど
北条を滅ぼして扇谷上杉復活なんていっても山内上杉方は納得行かないだろうなあ。
謙信が生きている内は押さえこめても何回も上洛させられたりしている内に不満がたまって
そこを武田辺りに諜略されて結局元通りとかになるかも。
0400人間七七四年
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2023/07/31(月) 23:45:37.16ID:GvInbygL
北条が進出したから関東が混乱したんじゃなくて
関東が混乱していたから北条が進出した。
謙信が北条を排除したとしても、抑えの利く誰かを
据えておかないと元の木阿弥になる可能性は高い。
謙信自身は越後国衆の統制に苦労した側面があるほか
成田長泰の離反を招くなど力不足の感は否めない。
謙信で無理なら他に務まる人材はいない。
北条に任せておいた方が良かったという話になる。
0401人間七七四年
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2023/08/01(火) 07:31:21.55ID:4GhAYpPE
>400
越後国衆であれだけ苦労しているから、関東なんてもっと苦労しそうな気がする。
下手すると、京都→関東→越後をぐるぐるして過労死しそうだ。
古河公方と関東管領をきちんとすえなおしても謙信の後ろだては必要だろうしな。
0402人間七七四年
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2023/08/01(火) 07:44:43.34ID:C7aoCBhp
最大限上手くいったとして関東管領(越後在住)になるのかな
0403人間七七四年
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2023/08/01(火) 14:59:09.20ID:HEQ6BwS3
>>400
関東東北の騒乱はスポーツみたいなものだよ
決められたルールに則ってお互いにやりすぎないように行っていた恒例行事
北条や伊達が暴れなければ関東東北は大規模な争いもなく信長や秀吉に恭順して終わりだっただろう
0404人間七七四年
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2023/08/02(水) 00:03:44.83ID:9zjpE2m4
鎌倉公方は古河公方やら堀越公方やら小弓公方やらいるし
関東管領は関東管領で、山内上杉やら扇谷上杉やらいる上に、上杉氏以外でも足利義氏が北条氏康を補任したり織田信長が滝川一益を補任したりしてるし
0405人間七七四年
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2023/08/02(水) 07:18:49.12ID:KkfLli8T
北条が関東管領を自称した事で里見も関東副将軍、佐竹は管領を名乗ったりしてもはや訳分からん事に
0406人間七七四年
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2023/08/02(水) 08:39:50.50ID:PYwi2SRy
そもそも古河公方からして勝手に「公方」を自称してますし
0407人間七七四年
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2023/08/02(水) 09:56:44.27ID:EmDNJe14
呼称は自称だけど関東府長官の地位は正式なものだよ
0408人間七七四年
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2023/08/02(水) 12:45:27.62ID:BrIBFPqg
勝手に自称してるのは小弓公方だろ
0409人間七七四年
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2023/08/02(水) 18:32:30.71ID:XHfMyrhH
鎌倉公方足利成氏が幕府に逆らって父持氏みたいに
討伐されかけたから古河に逃げて、幕府が代わりの 
鎌倉公方として足利政知を関東に送り込んだけど、
関東武士が政知を全然支持しなかったから伊豆から東へは
入る事が出来ず、そのうち家督争いで滅んだから幕府が
成氏の古河公方を公認せざるを得なくなった。
0410人間七七四年
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2023/08/02(水) 19:49:06.07ID:BrIBFPqg
一方小弓公方ってのは足利義明が勝手に名乗ってただけで幕府は一切認めてない

ただ堀越公方と違って房総の真里谷や里見からさ支持されてたらしいが
0411人間七七四年
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2023/08/02(水) 20:27:36.62ID:A8tVmOw8
義明は血統的には正統な古河公方の血筋だしな
反高基派としては擁立するのに都合が良い
0412人間七七四年
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2023/08/02(水) 21:29:18.87ID:8hYF3BWA
A)鎌倉公方から派遣されたB)篠川公方(足利満貞)
とC)稲村公方(足利満直)
A)鎌倉公方が移動してD)古河公方に変化。
更にD)古河公方が分裂してE)小弓公方が発生

関東の混乱を押さえるため京都から派遣されたのがF)堀越公方(足利政知)
それぞれの時代がちがうとは言うものの6つも公方があり、
どれも混乱を押さえるために設立されたのに結局は押さえるどころかかえって混乱の種を
撒き散らす奴もいるのは皮肉だな。
0413人間七七四年
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2023/08/02(水) 22:47:26.46ID:A8tVmOw8
関東の戦国時代は関東公方のいざこざによって始まったからな
早い段階から騒乱が始まったけど、どこの家も大規模な内訌が起きて家中が混乱し本格的な戦国時代には乗り遅れて戦国大名化できなかったんだよな
その隙を北条に突かれて伸長を許してしまった
0414人間七七四年
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2023/08/02(水) 23:10:22.59ID:IUmuEtGy
こんなに面白いのに歴史好きの間でもマイナーで人気無いのが勿体ない
0415人間七七四年
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2023/08/02(水) 23:47:37.45ID:h6bfOvDh
>>413
> 戦国大名化できなかったんだよな

古河とその奉公衆、
山内、長尾諸家、扇谷、太田、…、
彼等は享徳ノ乱の過程で急激に地域権力へと遷移して行った。
規模の大小こそあれ、その権力構造は「戦国大名」と同質であったと考えられている。
特に太田道灌(を通しての扇谷)の動向はその典型と位置付けたい。

> その隙を北条に突かれて
 
北條に決定的な伸長の機会を与えたものは関東諸家の隙などではない。
諸家に「隙」を強要した原因、即ち「戦国」なる社会運動の発動をもたらした自然環境条件(気候変動及び地殻変動)だ。
大規模災害に対する危機管理政策を恒常化し得たことこそが北條抬頭の根本要因だった。
0416人間七七四年
垢版 |
2023/08/03(木) 00:00:47.25ID:ei5KjuYN
少なくとも北関東や房総の大名は戦国大名化していない
彼らは豊臣政権の権威の元でようやく旧来の体制から脱する事が出来た
0417人間七七四年
垢版 |
2023/08/03(木) 00:18:42.75ID:MtX4d6FJ
北条だってちゃんと古河公方の晴氏や義氏から関東管領に補任されてるから
0418人間七七四年
垢版 |
2023/08/03(木) 00:36:37.78ID:AJR2u6Kj
>>416
北関東については見方の分かれる所だと思うが、学術水準では岩松は戦国大名化の先駆例と評価されている。

房総についてはむしろ小型戦国大名の見本市だった。
里見、真里谷、千葉、簗田、野田、…、
出自も経緯も様々だが暴力による直轄一円統治を行う在地権力、即ち戦国大名型権力体として自立を果たしていた。
 
0419人間七七四年
垢版 |
2023/08/03(木) 00:43:52.78ID:FCno/MX9
そもそも関東管領の任命権って鎌倉公方にあったの?
0420人間七七四年
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2023/08/03(木) 12:36:54.60ID:gEO/ISId
>>419
鎌倉公方の執事である関東管領の任命を公方ができない理屈があるかよ
0421人間七七四年
垢版 |
2023/08/03(木) 13:04:38.77ID:mCqFXRfL
Wikipediaにはこう書いてある

>関東管領の任免権は京都の室町幕府(将軍)が有していたが、実際には鎌倉公方が人事権を行使して幕府はそれを承認する形を取っていた。
>むろん、幕府も権限を放棄したわけではなく、康暦の政変直後に独断で上杉憲方を任じたり、永享の乱後に上杉憲実の辞職を認めなかったりしており、
>特に上杉憲忠が関東管領に任命された時には特殊な事情(憲忠の山内上杉家家督・関東管領職継承に反対する父の憲実と憲忠を擁立した長尾景仲ら重臣達の対立及び鎌倉公方足利成氏が信濃国にいて鎌倉に不在)のために、室町幕府の任命及び後花園天皇の綸旨による関東管領任命が行われた。
>その後、成氏の憲忠殺害をきっかけに始まった享徳の乱によって、鎌倉公方(古河公方)と関東管領は敵対して完全に分裂すると、名実ともに室町幕府が任命するようになったものの、
>上杉顕定の没後には山内上杉家当主の家督が継承する家職となり、室町幕府・古河公方の任命手続を経ることがなくなった。
0422人間七七四年
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2023/08/03(木) 21:46:58.92ID:pXnY2Tun
関東管領の設立目的の一つが鎌倉公方監視だから幕府に任免権があったんだろう。
(元々管領という役職だから幕府に任免権があるのかもしれないけど)
初期の京都と鎌倉の間に特に何もなかった頃は鎌倉の推薦してきた人間でも別に問題はなかったが、
関東がきな臭くなるとそうもいってられなくなったから、任免権をきちんと行使するようになったんだろうな。
0423人間七七四年
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2023/08/04(金) 01:20:44.98ID:SrdvvZPp
任命権が幕府にある、即ち直属の上司は幕府になるから憲実も幕府と鎌倉公方の板挟みになって辛い立場になったんやろ。
0424人間七七四年
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2023/08/04(金) 16:45:11.51ID:h4w9Olv2
関東の諸大名は関東公方を支持している
そこに将軍家の刺客として関東管領が送り込まれる訳だから結構大変だよね
他にも将軍家が直臣として取り込んだ家がいくつかあるけど、後ろ盾の将軍家は遥か上方にいてそっちもそっちで混乱していて当てにならないし
0425人間七七四年
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2023/08/04(金) 18:35:49.02ID:R3m22JNG
建前上幕府に任命権があるったって実際は山内上杉家が世襲してましたやん
0426人間七七四年
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2023/08/04(金) 19:22:13.40ID:Fwark7tN
室町幕府支配領域である越後に所領があって守護家とも繋がりが深い山内上杉家が関東管領になるのが幕府にとって都合がいいからな
0427人間七七四年
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2023/08/04(金) 20:12:15.83ID:PXYvkBTW
殆どの役職は世襲化していたからな
でも正式には将軍が任命するものだから他の家が将軍に任命されてしまうと負ける
だから北条が関東公方を傀儡化して関東管領を任命させた時は憲政も謙信も京まで上って将軍に拝謁している
0428人間七七四年
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2023/08/04(金) 21:13:08.82ID:CnBvwu2a
>>425
それは後になってからのこと。
鎌倉体制成立から永享ノ乱までは山内の世襲というわけではない。
名実共に家職となったのは山内顕定の超長期在任によるものだろう。
また顕定の代で山内も実質的に戦国大名化したから世襲以外の方法で管領を決めようとすると面倒くさいことになりかねない。
0429人間七七四年
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2023/08/04(金) 23:39:50.88ID:2fC12FjX
じゃ世襲で関東管領になった山内上杉憲政も古河公方から関東管領に補任された北条氏康も、本来の任命権者である幕府の任命を受けてないって意味ではどっちもどっちな訳だ
0430人間七七四年
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2023/08/04(金) 23:59:31.41ID:marz+B9K
少なくとも関東・越後における上杉氏の影響力は無視できないから観応の擾乱で討たれた後でも
関東管領に復活できた訳で幕府としてはこの影響力があれば鎌倉公方がいらんこと考えても押さえることが可能だと思ったんだろうな。
京都扶持衆がうまく働けば京都下りの関領でも良かったんだろうけど。
0431人間七七四年
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2023/08/05(土) 01:52:21.65ID:lfanlCWl
人為のみが肥大して共同幻想が全てを統御し得ると錯覚した室町システム。
気候変動と地殻変動の時代に直面してそれが無力無能を曝け出して崩壊するのは必然だった。

幕命に拠りながら明応四年、七年、九年と馬鹿馬鹿しいほど濫発する大震災群や常態化する飢饉状況との対峙を強要された伊豆の伊勢宗瑞権力体、
それがやがて抬頭の時を迎えるのもまた必然と云えば必然なのだが、
この事例を眺めて浮かんで来るのは人文系の言葉よりもむしろ「前適応」と云うダーウィニズムの術語だ。
畢竟、ヒトの歴史とやらも生物史の一部たることから逃れ得ない。
 
0432人間七七四年
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2023/08/05(土) 02:23:37.14ID:lfanlCWl
>>429
山内憲政の関東管領就任の正統性を疑う論潮はリアルタイムでもあったと云う。
 
古河晴氏が小弓義明討伐を北條氏綱に命じたのは何故か、
関東管領ではなくて何故よりにもよって「他国の逆徒」北條だったのか、
--と云う疑問がずっと引っ掛かっているのだが、憲政の正統性問題が案外大きな意味を持っていたのかもしれない。
 
0433人間七七四年
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2023/08/05(土) 13:27:11.01ID:anWPv6E3
>>429
正確に言えばどっちも自称だけど
山内上杉家の世襲職として認知されていたので憲政の関東管領就任は誰も疑っていない
北条は関東公方より任命される事で正統性を確保しようとしたけど関東公方には任命権がないし
関東衆も認めなったため結局は僭称状態に
0434人間七七四年
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2023/08/06(日) 09:29:01.74ID:tXjj5iht
1455 享徳の乱
足利成氏(鎌倉公方→古河公方)
足利政知(堀越公方)
1495 堀越公方滅亡
1510 永正の乱
足利政氏→足利高基(古河公方)
足利義明(小弓公方)
上杉顕実→上杉憲房(関東管領)
1531関東享禄の内乱
足利高基→足利晴氏(古河公方)
上杉憲寛→上杉憲政(関東管領)
1538小弓公方滅亡(第一次国府台合戦)
北条氏綱(関東管領(晴氏が補任))
1555
足利晴氏→足利義氏(古河公方)
北条氏康(関東管領(義氏が補任))
1561
上杉憲政→上杉政虎(関東管領)
0435人間七七四年
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2023/08/06(日) 09:57:17.39ID:ZYjU3n+v
>432
小弓公方討伐は新参者に対する瀬踏みの意味もあるんじゃないかな?
今まで小弓公方側だった北条氏がこちら側につきましたと言われもなかなか信用は難しいだろうし。
0436人間七七四年
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2023/08/06(日) 11:26:43.52ID:7QPwMbBI
その頃は既に小弓公方と北条は対立していたから何の不思議もない
古河公方としては目障りな小弓公方を攻撃させたいし北条としては小弓公方を滅ぼす大義名分が欲しいわけで利害が完全に一致している
0437人間七七四年
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2023/08/08(火) 22:10:36.73ID:PU+S2jZc
同じ小弓公方勢力の扇谷上杉と争いになったから
古河公方側に鞍替えして大義名分を整えたんだよな。
古河公方側としては敵が分裂して争ってくれるんだから
多少怪しいやつでもこっちの戦力を出さないですむなら
いくらでもウェルカムだと思う。
0438人間七七四年
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2023/08/08(火) 22:32:57.68ID:DfjiOpcH
北条って小弓公方と手を組んでいたの?
0439人間七七四年
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2023/08/08(火) 23:20:16.03ID:aGBzhyB0
>>438
就いたり離れたりを繰り返してきた。
伊勢が真里谷と組んだことで自動的に小弓方になったのが両者の最初の関係。
御蔭で当時絶讃全面抗争中の扇谷と味方になってしまうという大変気まずい(笑)事態になった。
氏綱期になって北條が里見内訌に介入する過程で敵対、その後和睦。
北條は当時古河にも誼を通じようとしたが、
古河の方が「アイツは何を考えてるか知れたもんじゃねえよ」(家中宛書状)と疑うぐらいには小弓寄りと見られていた。
国府台合戦前夜は稍々距離を置く形になっていたが積極的に喧嘩を売ることも無い状態だった。
 
0440人間七七四年
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2023/08/09(水) 11:31:21.24ID:kmqPlXD7
関東は外交関係が入り組んでいるから味方の味方は敵みたいな変な事がよくあるのだわ
0441人間七七四年
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2023/08/09(水) 17:04:09.58ID:JUdvUjPV
そもそも家中で争って古河か小弓につくかとなる場合もあるし、
家督争いで助けられても都合が悪くなればそね味方だった奴を叩くのもあるからなあ。
0442人間七七四年
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2023/08/09(水) 20:43:20.90ID:QoluW/VZ
足利義明はうまくのし上がったと思う
北条氏綱との国府台の戦いで勝ててたら能力バク上げだった
0444人間七七四年
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2023/08/10(木) 12:44:56.56ID:0/mJQyMS
>>442
足利将軍家に弓を引ける者などいるはずがないとか高を括って敵軍の渡河を簡単に許すような高慢で軽率なのが戦国を生き残れるはずがない
0445人間七七四年
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2023/08/10(木) 18:48:30.68ID:d8e4lV7Y
軍記物の記述を真に受ける軽率さも大概だけどな。
千野原靖方氏の著書等、国府台合戦の戦闘実態について現地踏査や古地理史料に依拠した蓋然性の高い推定仮説も幾つか公刊されているのに。
 
0446人間七七四年
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2023/08/10(木) 19:57:16.01ID:p02qsVHW
>>445
史料に基けば第一次国府台合戦の敗因は北条軍が簡単に江戸川を渡河できたことだろ
実際義明が傲慢だったのか、足利将軍家の血を引く自分に云々と言ったかは知らんけど、いずれにしろ江戸川渡河中の北条軍を叩けなかったことから見るに無能であると言わざるを得ない
0447人間七七四年
垢版 |
2023/08/10(木) 21:04:27.14ID:d8e4lV7Y
>>446
国府台合戦の戦闘経過を具体的に詳述した一次史料は無い筈だが?
渡河云々は後世成立の軍記の記述だろう。

クラウゼヴィッツが「異なる手段による政治の継続」と喝破した通り、戦争とは「構造」であり多変数函数だ。
その勝敗を決める要因はそんなに単純なものではあり得ない。
国府台合戦は上記で議論した複雑な政治性や時代性もあるが、
そもそも両軍の数も兵装も具体的なことは何一つ確定できない「解らない戦争」でもある。

そんな戦争について、
たかだか戦場の一具象(それも虚実不明)を取り上げて「敗因はコレだ!」と判ったような気になってしまう思考停止が軽率・軽薄な軍記脳だと云っている。
ヴィトゲンシュタイン曰く、語り得ないことを語ってはならない、と。
 
0448人間七七四年
垢版 |
2023/08/10(木) 23:13:23.03ID:FHSsnlsk
ミリタリーかじってれば一次史料もデタラメ(本人たちはそのつもりは無い)なの当たり前すぎるんだけどな
お前らもミリタリーかじれよ

日米だけでなくドイツもイギリスもソ連も戦果過大だからよ
双方の記録照らしあわせないで片方の言い分鵜呑みにする愚かさがいかに間抜けかわかるよ

二次大戦なんかどこの国も実際より三倍以上に戦果膨らんでるから

モンゴメリーなんてインパールに匹敵する兵站無視な馬鹿な作戦やって明らかな敗戦なのに勝利宣言してるしイギリス人もそう思ってて迷惑被ったアメリカ人から脳筋馬鹿と呼ばれてる
人間なんて自分の名誉のために平気でこういう事するから

イギリス系オーストラリア軍も零戦とダーウィンで10数回戦いコテンパンにやられたのに兵士の士気下げないためと国民不安にさせないために勝利宣言してる
0449人間七七四年
垢版 |
2023/08/10(木) 23:40:41.80ID:crl8cpn1
中国も日本の台湾征伐の時に勝ったと記念日まで建てているけど
勝ったのに台湾取られてるとか意味不明w
0450人間七七四年
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2023/08/11(金) 10:01:02.36ID:0TgT//nd
軍記物をベースにした通説の歴史観を無視して、独自の推論を繰り広げると大河ドラマのどうする家康みたいになるぞ
0451人間七七四年
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2023/08/11(金) 11:47:10.65ID:WcwHma6u
軍記物も資料として無価値ではない
一次資料の補完をするのに使えるし、当時の人達の思考パターンや価値観なども読み取れるので歴史研究をする上では必読と言える
単純に小説として読んでも面白いしね
0452人間七七四年
垢版 |
2023/08/11(金) 16:18:03.19ID:1JIweijh
所沢にある滝の城で、合戦あったことありますか?
0453人間七七四年
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2023/08/11(金) 22:09:24.67ID:qB/m5OYS
>>452
「豊臣公儀」による関東制圧に際して合戦あり、落城と伝わる。
発掘調査による出土物件もこれを証明する。
 
少しは手前ェで調べろ。
調べれば瞬時に解る。
スレ住人はお前のパパじゃねえんだよ。
0454人間七七四年
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2023/08/12(土) 03:09:23.55ID:MVnyZFBK
>>451
> 当時の人達の思考パターンや価値観なども読み取れる
 
読み取れるのはあくまでも当該の軍記の成立時点に於ける思考や価値観であることに注意されたい。
以前からよく指摘されてきたのは、多くの軍記が成立した江戸期の武士階級の価値観と戦国期のリアルなそれとの乖離だ。
武士はもとより「村」等在地勢力と大名権力体との関係を江戸期の価値観に引き寄せた軍記の記述は結果として実態に反する「歪曲」を生み出してしまった。
これを肯定することは実事求是であるべき歴史事実究明作業について百害あって一利無き先入観を与えるものと断じ得る。
 
あくまでも物証や数理計算によるものを第一、一次史料記述を第二とするべきであって、
軍記の類に対しては常に批判と疑念を以て向き合う態度を基本としなければならない。
 
0455人間七七四年
垢版 |
2023/08/12(土) 13:13:14.08ID:fTP0Q7zK
んなことはみんな分かってんだよ
アスペかよ
0456人間七七四年
垢版 |
2023/08/12(土) 15:09:42.99ID:YglgX3A8
>>453
そんなのWIKIで調べればすぐ出てくるんだよ なんか面白エピソード知ってる人いないかと思って聞いただけだよバーカ
0457人間七七四年
垢版 |
2023/08/12(土) 20:32:19.29ID:NNT5Ggki
第一次国府台合戦は足利・真里谷・里見連合軍と北条軍でそれぞれやる気が違っていたんじゃないかなあ。
足利:逆らう北条は討つ必要から出陣→ただし今までの経緯から適当なところで手打ちになるだろう。
真里谷:家中争いの解決の為出陣→北条に打撃を与えて北条を倒すか有利な条件を引き出したい。
里見:今までの状況から足利方についているから出陣→自分が家督を取るために組んでいたし、手打ちできないかな。
北条:扇谷上杉を倒す為には足利を討つ必要がある→家格でも勢力でも下だから相手に相当の打撃を与え
0458457
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2023/08/12(土) 20:40:14.21ID:NNT5Ggki
る必要がある。
そうしないとこちらの言う事を聞いてもらえない。
また古河公方方にも信用してもらえない。
と言うところじゃなかろうか?
そうでもないと軍記に書かれてる足利方の油断の理由がわからない。
今まで古河公方に本気で対抗した奴は上杉や武田(信長)とかいたんだから。
0459人間七七四年
垢版 |
2023/08/12(土) 21:46:25.53ID:ucoLhtYk
第一次国府台合戦
北条→江戸城、葛西城へ進出し東武蔵から扇谷上杉を攻めると見せかけて、実は背後を脅かす小弓公方を討つのが狙いだった
小弓公方→国府台城まで進軍したが、北条軍の狙いはあくまで扇谷上杉と考え、千葉氏を抑えて、北の関宿、古河御所まで攻めようとしていた

→北条が千葉氏の内紛云々を口実に太日川を渡河したいとの申出を小弓公方は安易に許してしまった(里見は止めたが無視されたので戦意を失くし、合戦が始まると速攻で引き上げた)
おまけに形式上古河公方軍として戦ったので、小弓公方についた房総勢の戦意も低下して小弓公方軍は簡単に崩壊した
0460457
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2023/08/13(日) 06:21:35.00ID:xeFaI22b
>459
なるほど、第一次国府台合戦の経緯がわかったけど、
小弓公方は味方の扇谷上杉を切り捨てるつもりだったんだろうか?
それともどこかで両者を和睦させて主の役割を果たすつもりだったんだろうか?
0461人間七七四年
垢版 |
2023/08/13(日) 10:34:55.13ID:bMFznljT
小弓公方つったって古河公方に比べたら正統性のかけらもないバッタモンに過ぎないからな
0462人間七七四年
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2023/08/13(日) 11:04:35.29ID:4aruPHAP
まぁ勝てば官軍ですよ
古河公方だって反逆者だったのが幕府が折れて和睦したからな
0463人間七七四年
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2023/08/13(日) 21:16:02.12ID:xeFaI22b
>462
京都に認められたのは一応関東管領の山内上杉とは和睦後ではなかったっけ?
0464人間七七四年
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2023/09/01(金) 23:04:42.93ID:6SHfo4BU
100年前の今日
横浜市史編纂のために集められた古文書が市庁舎もろとも焼けて失われた
0466人間七七四年
垢版 |
2023/09/26(火) 10:50:03.99ID:lLqSvxzw
すでに告知されてたw

話が通じないと面倒なので家康と北条に興味ある人は見よう、明日だ
0467人間七七四年
垢版 |
2023/09/26(火) 10:55:06.63ID:Xt7s+Ox2
どうする家康の宣伝で終わらないことを祈る
0468人間七七四年
垢版 |
2023/09/26(火) 20:54:25.13ID:odKCwR6L
>>466
所詮は女子供向けの番組だから、むしろ当スレ住人にとっては;
 ・物足りない/浅い
 ・既に否定された古い通説
 ・軍記ベースでリアリティが無い
等々で鬱憤の溜まる番組になる可能性が高いんじゃないか。
 
北條の民生政策には或る程度言及するんだろうが、
その本質が気候変動(寒冷化)と地殻変動(大震災頻発)に対する危機管理の恒常化であることにまでは踏み込めないだろう。
宗瑞凄い!氏綱偉い!氏康万歳!で終わらなければ良いが…。
 
0469468
垢版 |
2023/09/28(木) 23:36:15.95ID:mDlDrffL
>>465
見た。

>>468で書いた予想はほぼ外れた。
意外にもハードウェアからの視座で製作された(一般向け教養番組としては)稍々硬派な内容で好感を持てた。
不足不満は多々あるものの総じて善戦したと云えるのではないか。

概略内容は;
 イ. 小田原城惣構の解説
 ロ. 寺社修造事業を通じた技術移転
 ハ. 北條時代の利根川東遷事業
--と云った所で、特にハ項を取り上げたことを評価したい。
そのうちぽつぽつと所感など書いていく。
 
0470人間七七四年
垢版 |
2023/10/07(土) 19:22:59.27ID:+GeX0L+N
今週の歴史探偵は上杉謙信が主役で
北条が関東で勢力を伸ばしていて越後にまで侵入を企てたとか言っていたが
北条が越後に侵攻しようとした事なんてあったっけ?
0471人間七七四年
垢版 |
2023/10/07(土) 20:30:53.25ID:WskJBxDi
>>470
無い。
少なくとも謙信期には無い。

何故か謙信原理教信者は学者も素人も北條恐怖症のあまりそういう被害妄想に囚われがちのようだ。
そもそも不識庵その人が何やらそんな強迫観念を抱いてもいたらしいが、山内憲政あたりに有ること無いこと吹き込まれたか。

当時の北條にしてみれば
「馬鹿野郎こちとら飢饉と大水の始末で大変なんだよサの字の付く面倒くせえ連中も絡んで来やがって忙しいんだよわざわざ山ァ越えてまで遊んでる余裕なんざあるかよ篦棒メ」
と云うのが身も蓋も無い現実だったろう。
現実には北條勢が越後侵入を果たしたのは御館ノ乱の時だから童貞和尚はもう仏になっていた。
0473人間七七四年
垢版 |
2023/10/08(日) 12:42:48.85ID:JRWlSt/P
関連イベント
特別講演会「戦国大名 北条氏綱を語る」
日時:
2023年12月2日(土)
13:00~17:00(開場12:00)

場所:
小田原三の丸ホール 大ホール

講師:
・黒田基樹氏(駿河台大学教授)
・浅倉直美氏(駒澤大学准教授)
・諏訪間順氏(小田原城天守閣館長)

定員:
1000名
※要事前申込

参加費:
500円(資料代)

申込方法:
11月10日より受付開始
0475人間七七四年
垢版 |
2023/10/12(木) 22:35:15.86ID:iwiN5K3J
歴史探偵上杉回が軍記頼りなの意味わからんな
0476人間七七四年
垢版 |
2023/10/12(木) 23:03:51.78ID:4A0Fqgez
>>475
考古学成果物や同時代文献などに依拠して実証考察なんかしてみろ、
謙信カルト信者に何をされるか分かったもんじゃねえぞ。
NHK職員だって命は惜しいし家族もいる、察してやれ。
0477人間七七四年
垢版 |
2023/10/13(金) 22:10:28.80ID:YqKfB59A
上杉家文書・歴代古案が泣いてるぜ
0478人間七七四年
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2023/11/07(火) 00:27:10.18ID:/9YH9eMX
鎌倉市・古河市が協定で公方関係かと思ったら永井路子だった
0479人間七七四年
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2023/11/13(月) 20:46:35.67ID:2YUlrMAN
>>476
まあ、それだけ現実よりも理想が好きな人が多い訳。
研究者やらの先生が力説しても無駄な事がある。

諦めた方がよいかな。
0480人間七七四年
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2023/11/14(火) 18:34:12.36ID:aWrxtfl1
越相同盟で上杉謙信の関東での威信排除したのは大きかったね。
あれで佐竹、里見は上杉信用しなくなったわ
0481人間七七四年
垢版 |
2023/11/16(木) 10:14:23.91ID:MmX/ZtVl
北条と佐竹との対立が続き、交戦中のため1578年に謙信死去の際に上杉家中の内紛に同盟者の武田勝頼を派遣させたのはよかった。しかし、勝頼が景勝に取り込まれてしまい武田上杉の同盟が成立して北条と武田が対立したのは無駄だったね。
 あと、1562年3月に古河御所にいた足利藤氏と上杉憲政を襲撃したのはわかるが関白の近衛前久も滞在してたのであそこで北条が前久を拉致すれば前久を北条が支えて上杉謙信の関東進攻の大義名分を完全に失う事が出来たのに惜しかったね。
 後半についてはたられば論だが、上杉側の立場だけでなく北条側の古河での関白近衛前久襲撃を考察するものってないよね。
0482人間七七四年
垢版 |
2023/12/02(土) 11:07:20.69ID:Tk3AYbdo
>>476
北条早雲88歳死亡説を否定したアホも殺したいわ
0483人間七七四年
垢版 |
2023/12/04(月) 22:56:44.92ID:X96khq5T
典拠史料はボールペンで書かれた他家(北条家ではない)の過去帳です
0484人間七七四年
垢版 |
2023/12/10(日) 02:11:59.56ID:S26tY4UN
>>481
上杉謙信の関東侵攻の目的は越後國の飢民の救済事業だから「大義名分」などは無くても構わなかった。
そもそも山内憲政の亡命さえ単なる口実だからそれが無くても何れは越山しただろう。
他方で同じく「飢饉と災害の常態化」を前提にしながら北條の領民救済政策は上杉とは全く異なるイデオロギーに基づくものだった。
どの道、両者の激突は避けられなかった。
 
0485人間七七四年
垢版 |
2023/12/11(月) 09:39:23.19ID:GaokJvq6
資源を他国の略奪に求めた上杉
領民から搾り取る事に求めた北条
悲惨なのは西関東の農民だったな
上杉に略奪されるわ残ったものも北条に巻き上げられるわで
0486人間七七四年
垢版 |
2023/12/11(月) 12:37:43.97ID:02hADFfe
関東戦国ヲタクからすると
謙信が義の人とか侵略しなかったとか何を寝言ふかしてんだって話だよな
0487人間七七四年
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2023/12/11(月) 13:21:14.66ID:Bwz5UlOm
謙信の関東攻めは略奪目的だったなんて
あほらしい説を信じてる人もいるぐらいだしな
0488人間七七四年
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2023/12/11(月) 14:57:48.82ID:URtHpuBc
まあ、義があったと言えばあったけどな
日本人の大半は歴史に大して興味がないし漢学も忘れてしまっているから義の意味が分からない
義がどうこう言っている人の99%以上は善の事を言っているんだよな
学者でさえも
何せ正義の対義語を悪だとみんな言うし
正義の対義語は不義であって、悪の対義語は善だ
正義と善は全く別のものであって同時に存在する訳ではない
謙信の場合で言えば謙信は義の人であり悪人であるというのが正しい評価だろう
0489人間七七四年
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2023/12/11(月) 20:11:30.67ID:LqfME3Pj
>>488
悪も善もない。
上杉謙信は小氷期の越後國の為政者として「越後の」飢民救済を図っただけ。
謙信の人格も関係ない。
或る構造の中で偶々そういう時機/立場に存在してしまっただけ。
越後人にとっては善、関東人にとっては悪と云って云えないこともないが所詮は相対的な言説に過ぎない。
ただ、客観的結果は無残なものだったから目的機能として「拙」とは云えるかもしれない。
 
対して北條氏康/氏政。
その意味では辛うじて「巧」と称するに足るか。
 
0490人間七七四年
垢版 |
2023/12/13(水) 21:34:17.82ID:ztbKdM66
>>486
関東つか上野、下野の国人領主から見たら北条も変わらん
0491人間七七四年
垢版 |
2023/12/13(水) 21:40:45.37ID:A/wdMyCk
>>490
慥かにどっちも大して変わらない筈なんだが、
正にその國衆たちが不識庵童貞和尚に不信任を突き付けて軒並み北條方になっちまったからこそ和尚は越山も出来なくなって敗退したわけだ。
 
0492人間七七四年
垢版 |
2023/12/13(水) 22:30:07.27ID:ztbKdM66
>>491
その書き方だと上杉が敗けて北条が勝ったように取れるけど実際には…
って話しになるけどね
0493人間七七四年
垢版 |
2023/12/13(水) 23:38:40.43ID:A/wdMyCk
>>492
正に北條の全面勝利、上杉の完全敗北。
それ以外に何がある?

戦国板に書くほどの御仁がまさか「戦争の勝敗」の定義や要件を知らないわけじゃあるまい。
それともクラウゼヴィッツ辺りを引用して説明する必要があるか?
 
0494人間七七四年
垢版 |
2023/12/13(水) 23:48:54.47ID:mu5Y8tiV
越相同盟なんて言ってるけど実質的に上杉の降伏だもんねアレ
一方的に北条優位の内容だし
0495人間七七四年
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2023/12/14(木) 00:01:39.28ID:iXY3ovHx
>>494
あれはもう北関東戦争終了後のことだから相互に顔が立てば何でも良かったんだろう。
 
「戦争は、平時とは異なる手段に於ける政治の継続である。」
欧州語直訳らしい持って回った云い方をもう少し日本語らしくするならば
「戦争はあくまで政治目的を達成する為の手段である。」
 
北関東戦争に於いて北條と上杉の政治目的は何だったか。
それを達成したのは北條だったのか上杉だったのか。
戦争の勝敗はこの要件によってのみ判定される。
結果は明らかだ。

武田との北信戦争に於いても敗北しているが、
どうも上杉は「目的の下に行動を組織する」ことが拙劣だったように見える。 
 
0496人間七七四年
垢版 |
2023/12/14(木) 00:26:35.14ID:XpKL7UlL
くそみたいな小理屈いらないんだよ
戦は自分達が強く偉くなる為の手段でしかない
0497人間七七四年
垢版 |
2023/12/14(木) 01:32:43.00ID:iXY3ovHx
>>496
その思考自体がスレチ、否、板チだと気付け。
ここは苟くも歴史を語る板だ。
ゲームやマンガに受けた洗脳から脱して、
まともな学術研究論文の一つも読んでから出直して来い。
さもなきゃソッチ方面の板にでも行くんだな。
0498人間七七四年
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2023/12/14(木) 03:59:48.60ID:xe6T65Xo
>>497
すまんがお前の書き込みも妄想してるやんな
学術レベルってなんの話だ?
笑わせないでw
0499人間七七四年
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2023/12/14(木) 05:08:31.38ID:0z4vfyp3
荒れてると思ったらまた北條氏か 北条の話題だと必ず顔出すよねw
戦国板住民を馬鹿にして見下すのにいつまでもいる奴
北条擁護ばかりで子孫なのだろうか
0500人間七七四年
垢版 |
2023/12/14(木) 09:13:03.23ID:sJRFb9zU
北条氏のスレで北条の話を出すと荒れるってことはアンチが暴れているのか
0501人間七七四年
垢版 |
2023/12/14(木) 11:14:06.20ID:CQjEVeul
まあ、捏造伝説を何百年も垂れ流し続けている長尾上杉関係者の方がタチが悪いね
あれに比べたら北條君なんて可愛いもの
0503人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 10:32:28.83ID:e/G6fU/G
略奪者上杉は北条スレも自分のものだと思っているんだろうね
0504人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 11:39:38.49ID:DEWVKW7q
まあ北条スレだからと言って北条有能!
ってやる必要はないし、実際有能だったらあんな無様な最期にはならんと思うけどね
その無能な部分すらここでは北條氏のアクロバティックな擁護があるってだけで
0505人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 12:02:07.65ID:7f/q9VOc
最後が駄目なら低評価というのなら織田信長より六郷政乗や分部光嘉の方が有能って事になるのか
バカの理論ですね
当然落ちぶれた上杉景勝よりも領地を増やした六郷や分部の方が有能って事ですよね(笑)
0506人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 12:08:47.45ID:DEWVKW7q
>>505
最後じゃなくてその過程な
やっぱりアクロバティックな擁護するには、その過程無視するんだ?
0507人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 12:59:22.11ID:8UrH5NFG
過程なら北条は地方大名最強ですね
上杉の支配領域なんて北条の半分程度だし雑魚ですよ
0508人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 13:53:55.61ID:6UkSeAMJ
上杉は他所から人間拐って奴隷で稼ぐようなクズだから領地は必要最低限でいいんですよ
0509人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 15:50:33.57ID:Vg2egABZ
>>502
北条を北條と書いて嘘ばっかり書く荒らしが住み着いているんやで
0510人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 20:15:58.04ID:c0AG8Bkq
>>509
そこまで云い切るんなら、
当スレの俺の書込を全て抽出した上で何処が嘘か説明してもらおうか。
「嘘」と云うなら解釈や価値観の違いレベルじゃ済まない。
当該各項の全てに逐一物理的事実の根拠を付けて「虚偽であることの証明」をしてみろ。
他人に対して無礼な罵言を吐くからにはその罵言に責任を持て。
 
0511人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 20:30:10.25ID:Vg2egABZ
残念ながら荒らしは相手にしないよ
0512人間七七四年
垢版 |
2023/12/15(金) 20:46:06.06ID:c0AG8Bkq
>>511
北條スレで北條に関する考察を書く者を「荒らし」呼ばわりする。
これを荒らしと云う。

他人に喧嘩を売っておいて買われてしまうと恐慌を来して逃亡する。
これを卑怯者と呼ぶ。
 
…まあ、文面と文体で手前ェの素姓は割れた。
飽きもせずに粘着御苦労。
 
0514人間七七四年
垢版 |
2024/01/01(月) 03:02:48.25ID:TR1h41an
謹賀新年。

>>230に挙げた書籍が面白くて、もう十回以上読み返している。
道灌の江戸、北條の江戸、徳川の江戸、…、
実証研究が進めば進むほど中世(戦国)関東史に於ける江戸の重要性が増大してくる。
東京者としては素直に興趣を惹かれる。
近いうちに思う所を書きたい。
 
0515人間七七四年
垢版 |
2024/01/06(土) 12:16:42.05ID:aQzGIBoX
キモオタが書いた本は焚書坑儒せんとな
0516人間七七四年
垢版 |
2024/01/11(木) 05:34:13.96ID:ewN7YScj
江戸はちょくちょく大地震が来ることがわかっていたわけで。

大地震のリスクを考えると江戸を大都市にしたのは疑問手と言えば疑問手。
0517人間七七四年
垢版 |
2024/01/11(木) 08:50:38.32ID:v0JfTRxy
つまり江戸以降令和までの政権はすべて無能と
0518人間七七四年
垢版 |
2024/01/11(木) 09:20:53.98ID:gBU409nG
ちょくちょくと言うほど来ないだろ
200~400年周期だし
災害が少なく江戸湾という大きな安定した海に接する江戸ほど大都市形成に適した土地はなかなかない
欠点としては地震よりも河川が集中しすぎて洪水が多発する事にあったけどそれも利根川の付け替えで改善できた
0519人間七七四年
垢版 |
2024/01/11(木) 13:51:08.67ID:ewN7YScj
帝国陸軍の調査では、大地震が来ても被害が少ない場所として八王子と加古川がリストアップされた。
0520人間七七四年
垢版 |
2024/01/11(木) 19:39:07.38ID:r88mbm2K
日本に大地震がない平野は存在しない
0521人間七七四年
垢版 |
2024/01/11(木) 21:43:00.27ID:/Q6ufMbO
>>518
例えば。
日本列島の「火山地帯」と云う属性は大地震を頻発させる一方で温泉その他多大な利点ももたらしてくれる。
自然環境条件には必ずそういう両義性(多義性)がある。

同様に、
大河川の集中は定期的に水害を招く一方で肥沃な土壌や高度な河川水運と云う大きな強味も与えてくれる。
特に後者は現代交通の陸運偏重の色眼鏡を通すと見え難いが、
中世社会の構造を考える時には絶対に欠かせない要素だ。
江戸、河越、関宿、古河の水運を一体的に掌握運用出来たなら海に直結する江戸は正にハブとしての絶大なポテンシャルを遺憾無く発現出来る。
少なくとも氏康期以降の北條の江戸重視はそういうグランドデザインに拠って立つ施策だったと考えられる。
 
0522人間七七四年
垢版 |
2024/01/11(木) 22:08:16.92ID:THtNv5KC
掘立て平屋と土の道路
地震で壊れようが洪水で壊れようが現代のような産廃は出ない
0523人間七七四年
垢版 |
2024/02/10(土) 00:58:57.85ID:TkBKmv3n
霞堤も現代ではゴミの処理が大変なんだそうで
0524人間七七四年
垢版 |
2024/02/11(日) 22:37:36.94ID:CyS/ab5q
>>523
西洋由来の「現代文明」なるものが如何に狂った方向へ走り続けてきたか、と云うことですな。
先人たちに顔向けできない。
 
0525人間七七四年
垢版 |
2024/03/05(火) 21:29:19.95ID:YLGEIvJm
江戸時代の系図に信玄の書は草
0526人間七七四年
垢版 |
2024/03/05(火) 21:32:36.39ID:YLGEIvJm
系図 享禄
信玄の書 弘治

なお系図の書式は江戸時代

3000円
0527人間七七四年
垢版 |
2024/03/05(火) 23:13:56.54ID:ao1Drlz8
>考えられる。
長々書いて結局根拠史料も提示できない妄想か
0529人間七七四年
垢版 |
2024/03/08(金) 00:25:01.23ID:LYkva14Z
地元・北多摩地域の北條期について調べるうちにこんな資料を見つけた。
https://adeac.jp/kodaira-lib/text-list/d100020/ht000180
https://adeac.jp/kodaira-lib/texthtml/d100020/mp000010-100020/images/025.jpg
 
井戸の深いことで知られる武蔵野台地。
その深さが近世まで開発を限定してきた--と、俗説ではそういうことになっている。
しかし「地下水堆」「宙水」と呼ばれる浅井戸帯も少なからず存在していて、その地上には古来集落が営まれてきた。
上図は浅井戸帯の分布図の上に『北條所領役帳』所載の被官拠点集落(図中の「〇」)を記したもので、両者には見事な相関が認められる。
そこには我が町の名前も見える。

小生は元々武蔵野の中小河川群に強い関心を持つ者だが、
そのせいか斯様な図を見ると現代の武蔵野と北條期のそれとの間にか細い、しかし確かなリアリティの糸が繋がったように感じられる。
 
0530人間七七四年
垢版 |
2024/03/08(金) 05:37:52.28ID:7q13xiZ6
神奈川県立歴史博物館
@kanagawa_museum

当館では特別陳列「戦国大名北条氏と西相模・伊豆」を3月16日(土)から開催するぞ。
珍しい使われ方をしている北条家朱印状、伊勢宗瑞の動向を伝える古文書や、北条氏綱時代を知るための重要資料である「快元僧都記」など約20点を展示するのじゃ。
みなが来るのを楽しみに待っておるぞ。
0533人間七七四年
垢版 |
2024/03/10(日) 11:56:22.00ID:+ShwA+HF
前に子供に聞いたら「わかった!絵描きだ!」って言われたことがある
0534人間七七四年
垢版 |
2024/03/10(日) 13:17:19.54ID:WJdCfptB
正直自分も知らなかった
関東に上杉がいたことすら知られていない
0535人間七七四年
垢版 |
2024/03/10(日) 13:22:40.56ID:rNggP6C5
>>230に挙げた齋藤慎一氏の『江戸 -平安時代から家康の建設へ』に拠りつつ、
北條の江戸について。
 
巷間今なお抜き難い「江戸は家康から」なる虚構に反して、
北條は扇谷/太田から承け継いだ江戸城と城下町の拡充整備を継続的に施工していた。

先ずはその始点となった太田道灌の江戸。
城域は淀橋台の平川右岸低地に果てる突端、
今日の本丸から道灌濠の東側即ち今日の西ノ丸にかけての区域だったとみられる。
今日の北ノ丸、吹上曲輪、西ノ丸下などは未だ存在しない。
平川が城の北から東へ巻き込むように流下、
南の平川湊で日比谷入江に注いでいた。
道灌濠(人工溝渠)、平川(自然河川)、日比谷入江(海)によって四方に水面の防御線を構える実戦的な城だった。
当時の城域は台上に限られていて段丘面から平川右岸低地、今日の二ノ丸・三ノ丸に当たる区画は城外だった。
大手は今日の平川橋でこれを「高橋」と云った。
今に姿を留める梅林坂は台上の城から段丘面を高橋に下りる道の名残で、
これは西方から城内を貫いて北東へ抜ける「鎌倉大道」の一区間でもあった。
高橋の上流側と下流側、両岸にわたって展開していた城下町「上平川」「下平川」或いは「平川宿」は、
鎌倉大道と平川舟運の交差する「舟車之会」を成して大いに繁栄していたと同時代文献は記す。
 
(続)
0536人間七七四年
垢版 |
2024/03/10(日) 13:24:16.22ID:rNggP6C5
(承前)
 
北條の江戸城、ハードウェア篇。

北條期の主要な城域整備工事として確定的に把握されているのは概ね以下の如くである。
 イ)城域の拡大:台地東段丘面から平川右岸低地「上平川」「下平川」区域の城内取込=寛永以後の二ノ丸・三ノ丸相当区域の形成
 ロ)イ)に伴う平川の流路改修:今日の内濠東半部原形か?
 ハ)城大手の変更:「高橋」=平川橋/平川門から「大橋」=大手門橋/大手門(北條期の架橋)へ
 ニ)イ)に伴う城下町の移動:大手門橋前(東側)区画「大橋宿」へ
 
総じて城の東面の拡充強化に注力していたことが推察される。
内濠の整形、大手の位置と方向、後年の「大手前」相当区域の城下町化など、
今日の江戸城現地に土地勘のある人なら直観できると思うが、
徳川期江戸城内郭東面の祖形が漸く現れつつあったと云えるだろう。
 
他方、
城域南東面の日比谷入江は道灌期と概ね変わらぬ姿であったかと推測される。
大橋宿も平川宿と同様に繁華の巷となっていた由、舟が大橋まで上って来ていたことに疑いを容れない。
即ち日比谷入江が舟運通航可能な状態を留めていたことを意味する。
かつては「大橋」を常磐橋に比定して平川の流末付替--平川湊から江戸前島を挟んだ東方の江戸湊へ--を北條期の工事とする説もあったが、
これは通説通り徳川期の仕事と見て可のようだ。
 
(続)
0537人間七七四年
垢版 |
2024/03/10(日) 13:26:17.38ID:rNggP6C5
(承前)
 
明らかにならないのは西側即ち今日の吹上曲輪である。
吹上曲輪の西縁を限る内濠西半部の完成は勿論徳川期に入ってからのことだろう。
これは牛ヶ淵、千鳥ヶ淵、半蔵濠、桜田濠によって構成されるが、前三者は局沢川、桜田濠はまた別水系の小河川を原形とする。
つまり北條期までの吹上曲輪相当区域は東を道灌濠、西を上記諸河川の谷によって明確に区切られた台上の区画だったと云うことになる。

諸々の古記録や諸碩学の論考を見るに当時此処が城外であったことは間違いない。
しかし上の如く何らかの施設を構えるに究竟の一画を北條は勿論のこと太田道灌ともあろう者が原野のまま放置したとは素人目にも不可解の感を禁じ得ない。
これは全く無根拠の話になるが、
後述の理由によって少なくとも北條期に於けるこの区域は城外ながらも「準城域」とも云うべき占有地だったのではないかと想像している。

以上、北條期江戸城の物理的構成は;
 ・今日の本丸、西ノ丸、二ノ丸、三ノ丸に相当する城域を有する
 ・平川、道灌濠、日比谷入江を外郭線兼防御線とする
 ・今日の大手門と同じ位置に大手を構える
 ・大手に架橋された大橋を街区生活圏の要とする
 ・大橋の東側に城下町として大橋宿を擁する
 ・城域西側の台上区画を附帯占有区域とする(?)
--と概括される。
 
(続)
0539人間七七四年
垢版 |
2024/03/12(火) 08:01:24.27ID:Xp9adjl7
>>538
條も正解だぞ。
0540人間七七四年
垢版 |
2024/03/12(火) 22:28:31.04ID:Q6tCiUu2
>>537から承前)
 
北條の江戸、ソフトウェア篇。

北條期に於ける江戸の位置付け・運用は概ね以下の諸点に要約される。
 イ)利根川水系戦線の前線基地
 ロ)大規模動員時の集合出撃拠点
 ハ)関東交通網のハブ都市
 ニ) 「鎌倉殿」御座所計画地
 ホ)北條領国両都体制計画地
 
イ)については元来江戸城が享徳ノ乱初期に於いて御所方の上総武田・千葉・安房里見等房総勢力群に対する攻守拠点として築城されたものであることを考えれば当然ではある。
皮肉にも扇谷から城を奪った北條もまた同じ勢力群を主敵とする「利根川戦争」構造に引き摺り込まれて行った。
ヒトの些末な意志など無化して類型行動を強要する「利根川」に魔性さえ感じるが、それはまた別途。
齋藤氏はこの軍事状況が北條期江戸城の大手移転=房総に向かう東面の「正面」化の動機であると考察する。
 
(続)
0541人間七七四年
垢版 |
2024/03/12(火) 22:32:23.48ID:Q6tCiUu2
(承前)
 
両度の国府台合戦に見る如くロ)はイ)を包括するが、
その他にも関宿や岩附方面の戦争等北條宗家直率軍が動く大規模軍事行動に際しては先ず江戸城に入城、
支領勢や近隣の味方國衆勢の集合並びに戦争機材の集積を待ちつつ情勢分析や軍議を尽くしてから出撃していた。
北條の江戸重視の証左であるが、
実はこれが上述の「吹上曲輪相当区域は準城域だったのではないか」と云う私見の切掛にもなっている。
北條の盛期に於いては上記の如き動員は四桁台後半、万に迫る軍勢を集めたことだろう。
その全てが当時の城内に集合し得たとは物理的に考えられない。
少なくとも数日間、厖大な人数の集中屯営できる空間が確保されていなければならない。
推考の仔細は割愛するが、
北條勢力圏の方角や主要道路/水路の筋等も勘案すると当時の江戸城至近でこの要求に堪え得る場所は吹上と神田の台くらいしか無かったものとみられる。
戦国期である以上斯様な軍事行動は頻繁に行われたわけだがその狭間に一般住民が居住・耕作等するようでは有事の運用に支障を来す。
一定以上の制限を設けた占有地的性格の空間ではなかったかと推測する所以である。
異論は勿論あろうかと思うが。
 
(続)
0542人間七七四年
垢版 |
2024/03/13(水) 13:22:00.18ID:LLCkxv6g
秀長を主人公に豊臣兄弟を作るなら幻庵を主人公にして北条一族も作ってくれ
0544人間七七四年
垢版 |
2024/03/13(水) 17:50:54.89ID:rEAVf+ko
>>542
伊勢宗瑞(北条早雲)は何故実現しない?
新説の幕府史僚出身は確定してるし。
0545人間七七四年
垢版 |
2024/03/13(水) 19:59:44.11ID:z4W9S6pm
戦国初期は人気がない
後の世代は見せ場ない
最後に至っては太閤記の引き立て役の存在でしかない
0546人間七七四年
垢版 |
2024/03/13(水) 21:59:01.15ID:j44XILT5
確定してないだろ
申次が将軍の側を離れてあっちゃこっちゃ遠国に滞在してる例が他にあるのか(ない)
0548人間七七四年
垢版 |
2024/03/13(水) 23:03:37.76ID:TnnXtZcw
確かに将軍の近くにいないと申次にならないなw
0549人間七七四年
垢版 |
2024/03/13(水) 23:46:05.81ID:KhtpbFyU
伊勢盛時は伊豆侵攻と殆ど重なるタイミングで「奉公衆」即ち将軍直属の暴力装置に編入されている。
堀越御所の内訌は勿論、
ドサクサ紛れに今川家督争奪戦争への介入についても法的正当性を遡及適用(法理学的には禁忌)せんとする幕府の意志が垣間見える。
 
いつの世も、役所は役所。
 
0550人間七七四年
垢版 |
2024/03/14(木) 00:40:02.49ID:HPR5V9p3
>>541から承前)
 
ハ)について。
江戸には下記の要路群が集中交差していた。
道灌や北條の仕事と云うよりも歴史の必然、多くは自然環境条件の然らしむる所だったと云える。

 ・陸上交通: 鎌倉大道(下ノ道)、矢倉沢往還、国府路道(古甲州街道)、清戸道(古川越街道)、岩附道、浅草道、等々
 ・河川交通: 平川、旧石神井川、隅田川(入間川)、荒川、利根川、古川、多摩川、等々
 ・海上交通: 平川湊、江戸湊、品川湊、「武総之海」沿岸~外海
 
北條期に関して特筆すべきは、
利根川右岸の広域一元支配によって江戸と云う都市の巨大なポテンシャルを意志的に解放せんとした点にある。

就中、河川交通に注目したい。
それは陸運偏重の価値観を刷り込まれた我々現代人の盲点でもある。
上記の河川水運はそれだけでも重要な交通網となるが、
関宿~古河と云う要所経由で更にもう一つの世界=印旛沼香取之海水系~常陸外海への交通網と接続すれば壮大な陸水ネットワークを構成できる。
江戸は正にその要であって、
北條氏康・氏政の関宿攻略に懸けた執念は江戸の安定拠有を大前提とするものだったことを理解してこそ初めてその本義を知り得るだろう。
むしろ北條の江戸都市整備、牽いては関東全土制覇運動の動機が大半此処に在ったかとさえ思われる。
 
なお附言すると、
陸上の要路の江戸集中に関しては永享ノ乱以来の「鎌倉の地位低落・江戸の相対的抬頭」の趨勢による道路変遷の結果であると齋藤氏は論考している。
今日顕著な東京(江戸)中心の放射状道路網形成は既に漸く始まっていた、と。
鎌倉期の所謂「鎌倉往還」群と戦国期の主要道路群を比較してみれば氏の論旨は至当であると判断される。
 
何れにせよ江戸が中世特に北條期から重要都市だったことは疑いを容れない。
この切口からも「江戸は家康から」なる巷説の虚妄は明白と云える。
 
(続)
0551人間七七四年
垢版 |
2024/03/14(木) 09:18:53.25ID:hGwf3Tju
豊臣兄弟かー
こんどこそ後北条と思ったのに
いったいなにが悪いんだろう 
伊豆は静岡県だけど、やっぱり徳川今川になるのかな
小田原は神奈川県 神奈川って後北条押してないのか?
もっとNHKにロビー活動しろよ
0552人間七七四年
垢版 |
2024/03/14(木) 13:11:22.08ID:BtfEtW6+
神奈川は鎌倉幕府で何度もやっているので
この前も執権北条氏をやったばかりだしパチモン北条なんて興味ないです
0553人間七七四年
垢版 |
2024/03/14(木) 18:54:42.30ID:MQHQMlej
昔まことしやかに言われてたのは某宗教団体の名誉会長が北条が嫌いだからってのがあったね
0554人間七七四年
垢版 |
2024/03/14(木) 19:30:44.59ID:71ddNwZK
織田豊臣徳川あきたわ
何回擦るんだよ
0555人間七七四年
垢版 |
2024/03/14(木) 20:32:28.12ID:OiNjhrXP
天下人はネタが豊富だから作りやすい
マイナー武将は大部分を創作ネタで補う事になるので微妙な内容にしかならない
0556人間七七四年
垢版 |
2024/03/15(金) 00:15:37.92ID:lTJ8WW2s
>>550から承前)
 
ニ)の足利義氏江戸移座計画は遅くとも永禄元年(1558)には北條氏康の下で準備実行段階に入っていた。
義氏自身の江戸入りが具体性を帯びるのは永禄四年(1561)即ち長尾景虎「越山」以後の軍事状況によるものだったが、
計画そのものはそれ以前から既定の政治工程だった。
諸条件に鑑みればその発端はどんなに遅くとも義氏「鎌倉殿」継承の天文二十一年(1552)、
或いは河越合戦で足利晴氏が北條に完全屈伏した天文十五年(1546)にまで遡るものとみられる。

永禄年間の発信書状に見る限り義氏は移座についてかなり前向き、むしろ前のめりだったようだ。
江戸を己の御座所として不足も不審も無しとの認識が窺える。
北條氏綱による江戸城接収から二十余年、
既に江戸は関東に於いて軍事・経済のみならず政治的にも特別な地位を占めるに至っていた。

(続)
0557人間七七四年
垢版 |
2024/03/15(金) 18:24:09.81ID:boFtcIWs
>>550
>北條期に関して特筆すべきは、
>利根川右岸の広域一元支配によって江戸と云う都市の巨大なポテンシャルを意志的に解放せんとした点にある。
こんな風に断言する根拠史料は何なのかが知りたい
0558人間七七四年
垢版 |
2024/03/15(金) 21:22:01.17ID:iCNLFQj7
>>557
中世関東の地理水文。
大橋及び大橋宿の構築。
北條氏康の言葉。
北條氏照の廻船政策。
北條氏政による両都化。
街道の付替。
そして何よりも物理法則と経済原理。
これだけ材料が揃っていればこれらの具象群を規定する函数を推考することは誰にでも出来る。
 
異論は歓迎する。
拙論に納得行かないのであれば貴君の想定する北條の国家モデルの体系的全体像を伺いたい。
 
なお、
以前から云う通り「史料」の片言隻句の些末な解釈に血道を上げる近視眼の玄人ゴッコに付き合うつもりは無い。
悪しからず。
 
0559人間七七四年
垢版 |
2024/03/15(金) 21:45:58.43ID:iCNLFQj7
「江戸」と云う範疇を超えるから一連の書込(もう幾つか書く)では触れなかったが、
北條氏照の廻船政策によって逆照射されるのは権力体の想定以上のレベルで留保されていた在地のポテンシャルだろう。
流域の一元掌握と云うトリガーを引くことでその解放がむしろ暴走し始めていたことを示すものとみられる。
 
0560人間七七四年
垢版 |
2024/03/15(金) 22:03:56.52ID:Ed5HLnVR
>>538
晒し上げ
0561人間七七四年
垢版 |
2024/03/17(日) 12:13:08.99ID:lGanvyte
江戸については岡野友彦氏の「家康はなぜ江戸を選んだか」って著書があった
北条氏の記述は限定的だったけど
0562人間七七四年
垢版 |
2024/03/17(日) 14:18:30.63ID:nrdgXy/4
>北條氏照の廻船政策
これは布施美作守宛書状と天正四年九月二十三日付書状のことを言っているのだろうか?
いずれにしても直接的な根拠史料があるわけではなくて、推測であることは良く分かったのでもういいです。
0563人間七七四年
垢版 |
2024/03/17(日) 16:17:28.90ID:HMHpVs42
北条水軍の関係者が海路、松島の瑞巌寺を参拝したことがある、
という論文を読んだ記憶があるのだが。

北条と伊達にとって佐竹は共通の敵なんだが、水面下で交渉はあったのかもしれない。
0564人間七七四年
垢版 |
2024/03/17(日) 17:14:43.04ID:ojvSK78y
>>563
> 海路、松島の瑞巌寺を参拝
 
事実であれば「里見降伏」が絶対的な要件になるから天正五年以降のことか。
佐竹水軍は河川警備隊程度の質・量に過ぎず里見や北條のそれと比べるようなシロモノではないと読んだことがある。

だとしても太平洋岸の沿岸航法、
潮に逆らって松島まで行くのはなかなか骨が折れたろうな…。
0565人間七七四年
垢版 |
2024/03/17(日) 17:18:13.32ID:ojvSK78y
>>561
ありがとう。
調べてみたら面白そうだ。
が、出版が99年。
新刊で買えるかなあ…。
 
0566人間七七四年
垢版 |
2024/03/17(日) 17:21:31.12ID:ojvSK78y
>>556から承前)
 
永禄十三年(1570)頃迄には御所重臣の移住も実現するほど進捗していた「鎌倉殿」江戸御座所計画は、
しかし相越同盟の「御座所は古河なるべし」との合意条項を以て未完のまま終焉する。

これを承けて北條はホ)の方向に動く。
江戸領を城代支配から一門衆支領へ、
更には小田原との両都化を思わせる存在へと引き上げて行く。

北條の江戸城と云えば遠山・富永・太田の城代三頭体制だが、
天正二年(1574)に至って地黄八幡こと北條綱成の子、北條氏秀が城主となった。
即ち江戸領を瀧山領、鉢形領等に次ぐ一門衆支配の支領格とした。
 
氏秀歿後(天正十一年[1583])、
事実上の江戸城主/江戸領主となったのは「御隠居様」北條氏政だった。
当時の家中には他に幾らも人材はあった筈だが、
敢えて氏政=実質的総帥の執政拠点化という措置からは当主北條氏直の小田原との両屋形/両都を視野に入れていた蓋然性が強く感じられる。
少なくとも例えば氏直の兄弟辺りでは済まされない程度の重要性を北條権力体が江戸に認めていたことは疑えない。
 
(続)
0567人間七七四年
垢版 |
2024/03/17(日) 17:29:10.02ID:ojvSK78y
(承前)
 
天正二年(1574)、北條の関宿接収。そして越後上杉の関東全面撤退。
天正五年(1577)、安房里見降伏。
天正十年(1582)、甲斐武田滅亡。踵を接して織田政権崩壊と北條の上野國制圧。
自然環境条件は依然厳しいが、
軍政上はもはや関東制覇に障碍無し--であるかに見えた--との状況現出を受けて、
北條はその領国構造を戦時体制から平時体制即ち「あるべき姿」へ漸次移行せんと指向したのではないか。
 
巷説に謂う。
北條は関東王国を目指しながらその首府として南西僻陬の小田原に固執し続けた、
これは地政的には明らかな誤謬・失敗であり北條の保守性・退嬰性を示すものである、
--と。
 
この巷説は否定せざるを得ない。
江戸を特別な都市とする施策はかなり早期から漸進的に実行されてきた。
地理水文や流通に於ける「関東中央」たる江戸を軍事のみならず政治の重要拠点とすることは既定のプログラムだった。
上に見る如く江戸が「平和」「安全」な場所となることで愈々顕現したそのプログラムの行方が「両都」化=より自然な領国構造と云う地点であったことは今や疑う方が難しい。
 
(続)
0569人間七七四年
垢版 |
2024/03/18(月) 08:24:14.47ID:qVLNSsgV
病気だよ 北條氏は自分のレスが荒らしになってるのが分かってない
誰が読むんだろうね 一人二人はいるか
0570人間七七四年
垢版 |
2024/03/20(水) 01:10:35.67ID:G+TaBu7l
(承前)
 
総論。
 
江戸なる都市は、戦争が生んだ。

それは「享徳ノ乱」なる大構造の重要構成要素として立ち上げられた。
しかし稀有の自然環境条件がこの地に与えた巨大なポテンシャルに鑑みれば、
究竟の軍事拠点などと云う位置付けは役不足も甚だしい。
太田道灌は江戸をその軛から解放せんとしたが彼に残された時間はあまりに少な過ぎた。
 
扇谷を経て北條が引き継いだのは道灌が遺した未完の都市建設事業だった。
関東戦国の業火が愈々燃え上がる中、
しかし北條領国の拡大と共に戦線は北へ、東へと遷って行く。
戦火から漸く遠ざかった武蔵野の涯、仮初めの平和を得た江戸で、
北條はその本来の可能性を解放し始める。
 
江戸なる都市が、生まれ変わろうとしていた。
 
後の顛末は史実に見る如くである。
北條にも残された時間は無かった。
北條から引き継いだ徳川の下で、江戸はそのポテンシャルを遺憾無く爆発させることになった。
平和なればこそのことである。
見誤ってはならないことは、
徳川が江戸に平和を齎したのではない、
徳川は北條から平和な江戸を承継したという事実である。
運命を知ってか知らずか、
徳川は説得を以て江戸城を開かせて城も町も焼くことは無かった。
 
(続)
0571人間七七四年
垢版 |
2024/03/20(水) 01:12:17.00ID:G+TaBu7l
(承前)
 
「北條の江戸」が何であったかは一言では語り難い。
様々な見方もあろう。
しかし、
「江戸の北條」が何であったかは一言で語り得る。
 
『戦争から平和へ』。
 
江戸なる都市の滔々たる発展史に於いてその構造に組み込まれた「北條」なる部品の果たした画期的機能はそれに尽きる。
而して北條はその成果を見ることなく去った。
不条理かもしれない。
が、
北條を否定せず丸呑みした徳川は当時に於いて世界水準を抜く都市と統治体制を築き上げて行くことになる。
末期北條の江戸に於ける仕事は恰かもその準備に自覚的であったかの如くである。
そうでなかったとしても生物進化学に謂う所の「前適応」という作用は十二分に果たした。
 
北條、以て瞑すべし。
 
(終)
0573人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 19:07:11.81ID:nYQMlBqg
このスレは妄想と願望をポエムする場所だからしゃーない。
まあポエポエするのは1人だけだけど
0574人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 19:54:18.57ID:5UtGHkGa
伊勢宗瑞と地震の関係。
先ずは対象となる三つの地震について。
 
【明応四(1495)年八月十五日 地震 津波】
『鎌倉大日記』『熊野年代記』等。
地震の推定M不明。津波の推定波高8m前後(鎌倉、東伊豆)。
由比ヶ浜で二百余人溺死、鎌倉大仏殿が流失したとの被害記述(実は誤読か)の残る震災。
古来著名な地震であったが1980年代に於ける文献史料批判に基づく研究によりその実在性に疑義が呈された。
近年は史料の記述は明応七年地震(後述)との混同、誤記であるとしてこの地震の存在を否定する見解が主流となるに至っていた。
しかし2010年代に入って歴史学の片桐昭彦、考古学の金子浩之、更には地震学の浦谷裕明等の各氏によって複数の学術分野から主流説に対する異論発表が相次いだ。
そこでは明応四年地震は相模トラフを震源とする関東地震(大正関東大震災等と同質)として実在した可能性が強く提起されている。
下記明応七年地震とは震源を異にすることに注意されたい。
これらの研究報告を読んだ上での私見だが、この地震の実在は肯定すべきものと考える。
 
(続)
0575人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 19:56:06.95ID:5UtGHkGa
(承前)
 
【明応七(1498)年八月二十五日 地震 津波】
『塔寺八幡宮続長帳(異本塔寺長帳)』『常在寺衆年代記』『日海記』他多数。
地震の推定M8.2~8.4。津波の推定波高6~10m(焼津、西伊豆)。
歴史地震の代表格とも称すべき大震災。
東は房総から西は四国まで東海道及び南海道の広範囲に亘って死者数万人、建屋被害数万戸とも謂う厖大な被害記録を同時代史料に残す。
考古学成果からもその実在は疑いの余地無く実証されている。
南海トラフ及び駿河トラフを震源とする南海・東南海・東海連動型の巨大地震とみられる。
なおこの地震から僅か三日後の八月二十八日には駿河湾を大型台風が襲った。
大震災と暴風雨の連擊による激甚災害は当該地域のヒト社会を潰滅状態に陥れた。
 
(続)
0576人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 19:57:49.94ID:5UtGHkGa
(承前)
 
【明応九(1500)年六月四日 地震】
『勝山記(妙本寺記)』『王代記』等。
地震の推定M不明。津波の記録未発見。
『勝山記』に拠れば明応七年地震以上の震動であったと謂う。
甲斐國の史料にのみ記録が残り他国就中沿岸国の史料が確認されないことから内陸の直下型地震を思わせるが上記両史料にはそれぞれ
「この年までも大地震不絶。」(勝山記)
「此年迄三年震動ス。」(王代記)
とあって明応七年地震に連動するトラフ震源の群発地震であった可能性も否定できない。
『勝山記』の前年一月二日条に見える「大地震する也」との記事も或いはこれを傍証するか。
何れにせよこの地震の実在は疑いを容れないものの、現時点ではその全貌は不明と云う他は無い。
 
(続)
0577人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:01:33.87ID:5UtGHkGa
(承前)
 
次に、
伊勢宗瑞の小田原城接収や伊豆國全域制圧と地震との関連について。
 
【地震と小田原城接収】
伊勢宗瑞の小田原城接収は長享ノ乱に於ける扇谷上杉方与同勢力としての行動である。
その時期及び詳細経緯については未だ確定されず、明応四年説と明応九年説が対立している。

イ. 明応四年説
上述『鎌倉大日記』の八月条震災記事に続く九月条に「伊勢早雲攻落小田原城大森入道」との記事が見える。
震災による小田原の動揺混乱に乗じて宗瑞が攻め込んだとの理解であって、かつてはこれが学術水準に於ける定説だった。
しかし地震の実在性が疑われる中で四年説の前提が揺らぐ。
更に山内上杉顕定書状の解読から、
 ・明応五(1496)年七月時点で小田原城は扇谷上杉方の拠点であり城主はなお大森氏だった
 ・扇谷方勢力として長尾景春入道意玄及び伊勢弥次郎盛興(盛時弟)が援軍に入っていた
等を黒田基樹氏が指摘するに及んで四年説は殆ど否定された。
その後、地震自体の実在性が上述の如く強力な再評価を受ける中で四年説も再浮上しつつある(片桐氏、金子氏等)。
一定の説得力を有する仮説ではあるが、上記の山内文書との矛盾や当時同じ扇谷方に属した大森氏を宗瑞が攻めることの不自然さなどの課題に対して十分な解決を提供するには至っていない。

(続)
0578人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:02:58.90ID:5UtGHkGa
(承前)

ロ. 明応九年説
四年説同様、震災を奇貨として小田原城接収が為されたと云う理解であるが、その契機は明応九年地震だったとする。
四年説を否定した黒田氏は、史料に依拠する限りその時期は「上記明応五年七月から文亀元(1501)年三月(宗瑞の小田原掌握を明示する文書の初見)までの間の何時かとするしかない」として断定を避けた。
近年になって盛本昌弘氏は寺社棟札の研究から本件が明応九年地震の直後であったとの仮説を提起、黒田氏もこれを支持する。
上記文亀元年との時間的近接、宗瑞の伊豆制圧完遂(明応七[1498]年)との前後関係、そして五年七月に小田原城大森氏が山内方に転じたこととの連関性等から見て九年説の蓋然性は極めて高い。
但し九年説にも四年説の根拠たる『鎌倉大日記』の記事との矛盾を単に誤記として切り捨てるだけで十分な説明を為し得ていない、四年地震自体の「復活」には沈黙する、等の危うさや強引さは残る。

(続)
0579人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:05:16.37ID:5UtGHkGa
(承前)
 
【地震と伊豆制圧戦争】
「幕府-扇谷上杉-今川-伊勢」対「堀越足利-山内上杉-武田」の対立構図による足掛け六年間に及ぶ戦争である。
将軍足利義澄の堀越足利茶々丸(=母と弟の仇)に対する復仇戦、幕府の関東直属拠点(堀越御所)回復運動、及び長享ノ乱の三つの要素が重層構造を成している。
明応二(1493)年伊勢宗瑞の侵攻に始まって同七(1498)年足利茶々丸の自害及び狩野道一の滅亡を以て終結した。
戦争期間中に明応四年震災と同七年震災及び台風を経験、当然ながら戦争の転機や帰趨は大規模自然災害によって不可抗的に規定されたものと考えられる。
但し災害と戦争との具体的な相関経過については上述の小田原城接収時期とも絡んで議論の対立がある。

(続)
0580人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:06:29.36ID:5UtGHkGa
(承前)

イ. 明応四年地震と戦局
伊勢宗瑞の侵攻以来二年間一進一退だった戦局はこの年、足利茶々丸が伊豆國から没落して大島に渡るという大転機を迎えた。
以下、明応四年地震実在の立場を取る片桐氏、金子氏等の仮説を踏まえて概観する。
四年地震が実在したとすると、考古学成果から茶々丸勢力圏(堀越~東伊豆)は甚大な震災被害を受けたと認められる。
茶々丸没落が震災前後何れのことかは不明であるが、後であったとすれば物理的に戦線維持が不可能になった結果と推測できる。
一方、当時宗瑞の軍勢は伊豆北西部又は駿東地域に在ったとみられる。
上述の如く四年地震が相模トラフ震源の関東地震であったならば宗瑞方の被害が相対的に小さかった蓋然性を十分に想定し得る。
これによって宗瑞が震災直後段階に於ける軍事的優位を確立し得たと考えると、一見唐突に思える戦局転換も納得が行く。
また、同年九月の小田原進出を肯定する場合にも茶々丸没落による伊豆戦線小康化を前提とすることで整合的な理解が可能になるように思われる。

(続)
0581人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:07:09.64ID:5UtGHkGa
(承前)

ロ. 明応五年及び六年の戦局
明応四年に一旦は伊勢宗瑞方優位が確立した伊豆戦線であるが、翌五年から六年にかけて足利茶々丸方が反転攻勢に出た。
大島亡命後程無く本土帰還を果たした茶々丸は武蔵國(山内顕定)や甲斐國(武田信縄)に仮寓しつつ彼等の支援を受けて北方から伊豆を窺う一方、伊豆國内に残る与同勢力とも連動して反撃を展開する。
五年七月には小田原城大森氏が山内上杉方に服属、「西郡一変」と云われる状況が現出する。
これを受けて翌六年になると茶々丸勢は駿河御厨地域まで進出、呼応して伊豆の旧臣狩野道一も攻撃を激化させる。
宗瑞方は一転して劣勢を余儀無くされて拠点死守が精一杯という状態に追い込まれた。
帰趨不明の激戦が続くその足下の地下深く、破局へのカウントダウンが進んでいたことを、伊勢宗瑞にせよ足利茶々丸にせよ神ならぬ人の身にして知る由も無かった。

(続)
0582人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:08:52.37ID:5UtGHkGa
(承前)
 
ハ. 明応七年地震と戦局~足利茶々丸の滅亡
明応六年は足利茶々丸方優位の裡に推移したが、翌七年に戦局は再び大転換、伊豆戦線は同年の内に伊勢宗瑞方の勝利で最終決着を見る。
この転換の直接契機が茶々丸の滅亡であったことは疑いを容れない。
その時期は『王代記』に拠れば正に大震災と台風の明応七年八月であったと謂うが、震災が茶々丸滅亡を如何にして決定付けたかについては研究者の間でも意見の分かれる所である。
かつては宗瑞方が震災後の大混乱に乗じて茶々丸を追い詰めたとする見解が主流であった。
決戦の機会を虎視眈々と狙っていた宗瑞が震災後間髪を容れず一気に総力を投入して反転攻勢を掛けたと云う。
後述の異説によってやや後退したものの、金子氏等は今もこの立場を維持している。

(続)
0583人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:10:50.13ID:5UtGHkGa
(承前)

これに対して家永遵嗣氏は大地震、津波とこれに追い討ちを掛けた台風の壊滅的災害下では大規模軍事行動やその準備作業は物理的にも時間的にも不可能であると指摘する。
黒田氏等は家永氏の指摘を肯定した上で、伊豆七島の津波記録の解析から宗瑞方が伊豆國全域に於いて再び優位を確立したのは震災以前だったとして金子氏等と見解を異にしている。
この前提に立って震災の茶々丸滅亡決定過程については甲斐國武田信縄の動向を重視する。
ここまで茶々丸を擁して伊豆戦線に激しく干渉してきた信縄は、震災と時期を同じくして殆ど唐突に今川/伊勢と和睦を遂げている。
甲斐國に於いても激甚であった震災被害下、内訌をも抱える信縄が多方面戦争体制を維持し得なくなって和睦に踏み切った蓋然性は高い。
和睦に際して一つの「落とし前」として茶々丸の身柄或いは首級を差し出した、謂わば茶々丸は武田権力体に捨てられた--のではないか。
黒田氏は慎重な云い回しで断定を避けつつこういう経緯を想定している。
大震災が伊豆國を巡る大規模軍事行動を誘発したのか停止を強要したのか。
金子説(従来説)と黒田説の対立の本質はこれに集約されると云える。
 
(続)
0584人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:12:57.80ID:5UtGHkGa
(承前)
 
ニ. 明応七年地震と戦局~伊豆戦争の終焉
足利茶々丸滅亡後も伊豆國内の残党の抵抗は稍々続いたが、最早それは伊勢宗瑞方にとって大きな障碍とはなり得なかったとみられる。
伊豆戦争は明応七年の内に淡々と収束に向かった模様である。
その最終過程について金子氏等は、震災で弱体化、孤立化した小勢力群を宗瑞方が各個撃破で殲滅掃討したと想定している。
一方黒田氏等は、物理施設のみならず統治機構も社会関係も潰滅した村々、浦々にむしろ粛々と進駐接収したと云う方が事実に近いと見ているようだ。
ここに於いても大災害が軍事行動を促進したか停止したかについての見解の相違がある。
何れにせよ、狩野道一の滅亡を以て伊豆戦争は終焉を迎える。
足掛け六年にも亘る戦争は劇的な決戦による終幕なども無いままに、自然の猛威が去った後の荒涼たる景色の中へとフェイドアウトして行った。
大震災が戦争という構造そのものを根こそぎ破壊し尽くした−−と云うべきか。

(続)
0585人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:15:44.37ID:5UtGHkGa
(承前)

しかし真に重要な政治過程は戦後にこそ在った。
新たに伊豆國の為政者となった伊勢宗瑞の権力体が全力で取り組まなければならなかった課題、即ち荒廃を極める村々、浦々の救難再建活動である。
『北條五代記』など軍記群に見える「風病」救済活動によって民心を得たとの説話、それも含めた所謂「百姓憐愍」の北條善政伝説の核事実はこの辺りに在るのだろうが、史実に照らしてもこの政治過程には具体的な意義を認め得る。
宗瑞にしてみれば早急に領国を再建しなければ権力体の存立もあり得ないわけで、しかも旧来の統治機構が完全に崩壊した状況下では否応無く村々と伊勢権力体が直接向き合わざるを得なかった。
非常時活動である救難は勿論、権力体の本来機能である徴税や賦役に関しても現場の破滅的現実を真摯に受け止めた上で行うことが不可避だった。
ここに伊勢宗瑞の枕詞とも云うべき「村の直轄統治」「村との直接対話」が萌芽したものと考えられる。
室町幕府の統治秩序に対するアンチテーゼ、即ち「戦国大名」の定義に他ならないこの政策を、宗瑞が何処までそれと意識していたのかは分からない。
しかし伊豆國からやがて相模國へと展開されるこの統治原理は、伊勢宗瑞を正に戦国大名の魁にして典型として位置付けることになる。
そして震災が生み出した−−むしろ強要した−−それは宗瑞のみならず北條五代をもその終焉に至るまで規定していく。

(続)
0586人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:29:49.92ID:5UtGHkGa
(承前)
 
【私見による補遺その一 小田原城はいつ落ちたのか】
既述の如く伊勢宗瑞の小田原城接収については明応四(1495)年説と同九(1500)年説が対立している。
双方とも強力な根拠がありつつも、対立説を否定するに於いては些か強引さ、粗雑さ、危うさを残す。

議論の基本ルールとして、己の仮説に対する反証が一例でも為された時は一旦自説を捨てて全てを包括説明し得る新仮説を模索しなければならない。
それが所謂「弁証法」−−正・反・合−−による対立の止揚と知見の進化ということではないのか。

素人が碩学諸賢を批判するのは恐縮だが、この意味に於いて本件に関する対立は稍々冷静さを欠くように思う。
四年説にも九年説にも相応の史料や考古学成果が根拠として存在する以上、共に史実であると小生は考える。
小田原城が無二の要衝であるからには何回争奪があっても不思議は無い。

(続)
0587人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:36:29.55ID:5UtGHkGa
(承前)

明応三年、扇谷上杉方の重鎮たる小田原大森氏頼が世を去る。
家督相続を巡って大森家中に内訌が生じたとの所伝は一次史料の裏付けを欠くが、戦国の世にあってはむしろ尋常のこととしてその蓋然性を認めてもいいのではないか。
そして有力氏族の内訌が上位権力体の対立構造を引き入れるのも享徳ノ乱や応仁ノ乱等々に飽きるほど見える図式だ。
大森家中も御約束の如く扇谷派と山内派に割れつつあるところ、これを察知した扇谷定正が機先を制して当該方面の与同勢力たる伊勢宗瑞を動員、山内派を駆逐したものと考えられる。
それを可能にしたのは既述の通り「関東地震である四年震災の被害の偏差」であったろうし、或いは大森氏内訌の顕在化自体が震災の混乱によるものだったかもしれない。

黒田氏等は四年地震非実在説を基にこの件を否定するが、
『理科年表』が2023年版から四年地震を記載するなど理工学系の知見からその実在が再肯定される中、
自説を維持するならば新たな論拠を提示する必要があろう。

明応五年の山内上杉顕定勢による小田原城攻略と扇谷派の没落、そして大森氏の山内方への降伏転属には争う余地は無い。
片桐氏等は顕定書状にある「要害」は小田原城のことではないと論じているが、ここは「西郡一変」をもたらすほどの要害は同城以外に考えられないとする黒田氏等の見方を強く支持したい。

(続)
0588人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:41:09.97ID:5UtGHkGa
(承前)

明応九年、盛本氏等によれば伊勢宗瑞は小田原城を接収して大森氏を排除した。
同五年の山内上杉による同城奪取及び文亀元(1501)年以後の宗瑞即ち扇谷上杉による小田原領支配が共に事実である以上、その間の何時かの時点で接収があったことは自明である。
政治的見地からしても扇谷がその本拠相模國の最奥部に於ける山内の拠点の存在継続を許容することはあり得ない。
扇谷にとってその奪還は極めて優先度の高い政治課題であったろう。
その為にまたしても動員された伊勢が見事に目的を果たしたわけだが、今回の背景として既に伊豆制圧を終えていたことも見逃せない。

しかしそれ以上に重要なのは三度襲来した大地震だった。
現時点では明応九年地震は関東地震であったとの見方が有力で、これを肯定するならば同四年の事例同様、宗瑞方と小田原方に生じた被害の偏差が軍事行動の促進及びその結果を規定したと考えられる。
或いは伊豆戦争の終幕の如く抵抗力を喪失した敵城を粛々と接収したことも想定し得る。
但し史料が九年地震について七年地震以来断続した地震群の一つ、即ち東海地震である可能性を示唆していることには注意を要する。
この場合、被害の偏差は生じ難いかむしろ逆であることさえあり得る。
今のところは留保が必要とするしかない。

何れにせよ、小田原城の攻防は伊勢宗瑞乾坤一擲の勝負などではなくて、より大きな戦争構造の中での要衝争奪だった。
それは少なくとも足掛け六年間の経緯の果てに明応九年を以て決着した。
その意味では「ありがちな」事例と云えるが、しかし稀に見る大震災の頻発に終始規定され尽くしたという点に於いて特筆すべきものであった。

(続)
0589人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:44:48.49ID:5UtGHkGa
(承前)

【私見による補遺その二 それは伊勢宗瑞の戦争だったのか】
伊勢盛時(当時は出家前)の伊豆侵攻が「明応の政変」と連動したもの、即ち足利義澄及び細川政元の意志によるものであったことは既に広く認知されている。
と同時に、義澄、政元、盛時等が好むと好まざるとに関わらず、山内上杉の管国たる伊豆に扇谷上杉の支援を得て侵攻した瞬間それは「長享ノ乱」の大構造に組み込まれることでもあった。
結果論ではあるが初動に於いて取り逃がした足利茶々丸が山内や武田と連携するに至って伊豆戦争はいよいよ「長享ノ乱」の一要素と化していく。
そこには「茶々丸個人の討滅」から「伊豆國全域制圧、確保」へ--という戦争目的の変質が認められる。
当然ながら、盛時の主体意志など微塵も存在しない。

軍記等の呪縛から逃れ切っていない我々素人は勿論、研究者の間にさえ伊豆戦争と小田原城接収を分けて、或いは段階過程として考える傾向が今なお根強い。
しかし既述の如く、事実を再構成してみれば両者は一体不可分のものとして進行したのであって「長享ノ乱・西南戦線」としか云いようのないことが解る。
そこに於ける伊勢宗瑞(伊豆侵攻前後に出家)勢は終始一貫して「扇谷上杉方・伊豆箱根方面軍」として使役--むしろ酷使--され続けただけだった。
扇谷定正/朝良は宗瑞を与同勢力と云うよりも完全に麾下の一部将と思っていたかもしれない。

しかもその間、宗瑞は今川氏親の部下として参遠戦線にも幾度となく駆り出されている。
正にブラックを極める労働状態、よくぞ過労死しなかったものだと嘆息の他は無い。

(続)
0590人間七七四年
垢版 |
2024/03/24(日) 20:47:09.39ID:5UtGHkGa
(承前)

どう見ても巻き込まれただけ、右往左往しただけ、酷使されただけの殺人的労働によって維持し続けた戦線の、その経過や帰趨さえ宗瑞の意志によって規定されることはなかった。
宗瑞はおろか如何なるヒトの意志や存在も「無」とする巨大自然災害の非常識なまでの連続がそれを不可抗的に規定した。
「戦争」なるヒトの矮小な営為を嗤うが如く、地震が津波が台風が敵も味方も瓦礫の海に沈めた。
壊滅的破壊に叩きのめされて、それでも宗瑞が何とか立ち上がれたのは殆ど偶然の幸運に恵まれた結果でしかない。
そしてフラフラと瓦礫の上に立った宗瑞が四囲を見回した時、意外にも立っているのは己独りだった--。
乱暴に総括すればそれが真実だろう。

それは「伊勢宗瑞の戦争」ではなかった。
少なくとも小田原領有の時点では、それは伊勢宗瑞の戦争ではなかった。
そう結論せざるを得ない。

他者の意志と大自然に翻弄され続けただけの日々が後付けの意味を付与されて北條五代草創神話と化すのは北條氏綱以後の事蹟から遡及した結果であって、
それは最早伊勢宗瑞の意志とは別の範疇に属する事になる。
 
(終)
0591人間七七四年
垢版 |
2024/03/25(月) 01:00:26.73ID:fnvQbPny
名前付ければ?
読みたい人はまとめて読めて幸せ、読みたくない人はNG設定出来て幸せ
0592人間七七四年
垢版 |
2024/03/26(火) 13:42:17.61ID:Cqi56RnL
文章が下手過ぎだろ
不必要な単語や 言い回しが多くて読みづらい
0593人間七七四年
垢版 |
2024/03/28(木) 22:05:07.73ID:8UNaMSrO
一、八甫迄上船者商船及卅艘之由申、其直ニ彼船も上候条、別ニ咎無之候之条、早々可被戻候。
一、八甫之儀者当知行ニ候、然者無体ニ他之船可通子細ニ無之候、今迄
此穿鑿為如何不被申候、向後者一改可申付候、誰賦船通共改而可承候。

********************

>>559に云う商船政策を通達した北條氏照書状の抜粋。
これを改めてしげしげと眺めて今更気付いたことがあったので、
面白いから蛸壺系片言隻句ヲタクの皆様に付き合って近視眼的に重箱の隅を突っついてみる。
なお、四百五十年前の文書とは云え猿でも読めるほど解り易いから現代語訳は割愛する。
 
問題は第一項。
「早々可被戻」の対象は八甫に滞留する「卅艘」(以後、甲と称す)であると誰もが何となく理解して流してしまう所だし、
所謂専門家の諸碩学もその如く解釈している。
小生も無批判にそう読んでいた。
が、
実は純文法的に見るとこの解釈を絶対化できる文言は一つも無い。
 
対象は「其直ニ」「上候」所の「彼船」(以後、乙と称す)であると読んで読めないことはないのである。
だとすると何が云えるか。
何れの読みを採るかによって北條氏照権力体の政治的志向がガラッと違って見えると云う、
まあ、そんな与太噺になる。
 
(続)
0594人間七七四年
垢版 |
2024/03/28(木) 22:06:41.32ID:8UNaMSrO
(承前)
 
通説に従って甲と読んだ場合、
氏照権力体の意志は「八甫湊をどんどん回転させろ。用の済んだ船はサッサと帰ってもらって湊を空けろ。」ということになる。
通商の空間的/時間的効率を最大化しろ、と。
 
他方、乙を採る場合、
既に八甫湊を利用して定着した「卅艘」を優先して
後からワラワラと押し掛ける有象無象の「彼船」は仮令彼等に瑕疵が無くとも追い返せということになる。
既得権益者を優遇しろ、と。
 
極めて乱暴に纏めると氏照権力体の志向は;
 ・甲なら自由主義的
 ・乙なら統制主義(国家社会主義)的
であると云える。
 
何れか迷う中で重箱或いは蛸壺に足を突っ込んでしまったのは第二項との整合性が気になったからだ。
第二項は誰がどう見ても強面の統制主義としか読めない。
となると、
これは意外と乙も有るのかと思ってしまう所だろう。
 
(続)
0595人間七七四年
垢版 |
2024/03/28(木) 22:10:03.06ID:8UNaMSrO
(承前)
 
正解は、知らない。
それこそ専門家ならぬ素人には何れか判じ難い。
但し、
北條の領国統治理念は周知の如くであるし、
農地管理以外にも山林資源、薪炭生産、船番匠などの管理に官製ギルドを導入していた実績に鑑みて乙を採っても荒唐無稽とまでは云えないのではないか。
 
そもそも北條の本質が「戦国大名」即ち戦時行政府であってみれば、
政策は本能的に統制主義へと向かって不思議は無い。
里見降伏と関宿開城を経て一気に放恣の度を強める民間と統制の手綱を緩めたくない行政府と、
何時の世にもある鬩ぎ合いの一幕と見るのも一興ではあるだろう。
 
(続)
0596人間七七四年
垢版 |
2024/03/28(木) 22:15:36.05ID:8UNaMSrO
(承前)
 
なお附言する。
 
甲乙何れであっても>>559の拙論旨に些かの影響も無い。

仮初めとは云え--それが仮初めであることを誰が知ろうか--「平和」の到来を触媒として
急激に運動エネルギーへと変換されて行く在地のポテンシャルエネルギーの総量規模と変換速度、
拙論の刮目する所はそこに在るからだ。
 
些末な文言解釈が甲であれ乙であれ、
八甫湊をオーバーフローさせつつある何者かの巨大さと暴走性は変わらない。
実はそれこそがこの氏照書状の発行と云う事案の「構造」そのものでもある。
 
(終)
0598人間七七四年
垢版 |
2024/04/05(金) 21:02:54.83ID:ljzUjhCe
>>542

宗瑞が死ぬまで尽くした姉上(北川殿)と寿桂尼の今川女傑二代で今川の栄枯盛衰を。
0599人間七七四年
垢版 |
2024/04/05(金) 21:28:42.57ID:HWrdgS2B
大河で今川やるなら義元を渡辺謙にして適当に北条絡めとけば一年持ちそう
0600人間七七四年
垢版 |
2024/04/09(火) 12:31:48.61ID:zFdPJlw6
>>598
2017年の大河ドラマは井伊直虎ではなく、寿桂尼にでよかったのに。
0601人間七七四年
垢版 |
2024/04/09(火) 13:19:48.44ID:sFFqhVk2
阿部寛はあと今川義元と北条氏康やってくれ
0602人間七七四年
垢版 |
2024/04/10(水) 20:52:37.01ID:/dlS925D
北条氏が先進的な統治体制を持っていたのなら
何で豊臣氏に滅ぼされたのかって質問で
「旧東ドイツだって後進国のソ連に従属した」
って言われて納得できるようなできないような
0603人間七七四年
垢版 |
2024/04/10(水) 21:27:26.06ID:/9gY+YKc
>>602
質問者が「先進的」と云う黴の生えた術語を使ったのだとしたら、
そもそもそれが近代西欧啓蒙主義の虚妄に堕ちている。
 
統治構造の相対的評価は、
地域の自然環境条件や時代の社会状況に如何に上手く適応したかという指標に過ぎない。
条件や状況が変われば「優劣」など簡単に逆転する。
生物の「進化evolution」(ダーウィンはこの単語を用いたことを後悔していた)と同じことだ。
 
北條の統治権力構造は十六世紀関東の現実に最も善く適応していた。
而してそれに留まった。
羽柴「豊臣公儀」は百四十年間の戦国争乱を前提として新たに生まれた全列島規模の需要を的確に捉えた。
その為の具体的方法も有していた。
 
故に北條は羽柴に超克された。
納得するもしないもない、単純な話だ。
 
0604人間七七四年
垢版 |
2024/04/13(土) 11:17:22.53ID:S8SXKdON
茶々丸って元服できなかったの?
0605人間七七四年
垢版 |
2024/04/13(土) 13:41:45.42ID:ZjUPyyUl
>>604
不明。
堀越茶々丸についてのまともな史料記録は伊勢宗瑞来襲後の事蹟に限られる。
それらに於いても元服云々の記述は全く無い。
江戸時代の文献に実名(じつみょう)を「政綱」と伝えるが根拠不明、
現在これを採用する研究者はいない。
0606人間七七四年
垢版 |
2024/04/15(月) 06:50:55.90ID:e6KzORKC
戦国時代に小田原北条氏の勢力下にあったという小机城の歴史を伝える「小机城址(じょうし)まつり」が14日、横浜市港北区の小机城址市民の森など3会場で開かれた。
武者姿の一行によるパレードや出陣式が披露されたほか、北条氏を陰で支えたとされる「風魔忍者」が小田原から駆け付け、迫力満点の殺陣で会場を盛り上げた。
https://www.kanaloco.jp/news/life/article-1070848.html
0607人間七七四年
垢版 |
2024/04/15(月) 06:52:56.10ID:e6KzORKC
>>602
近代的な憲法を持っていたフィンランドが帝政ロシアに併合されたことがある。
0608人間七七四年
垢版 |
2024/04/15(月) 06:55:26.43ID:e6KzORKC
>>602
北条政権は強大とはいえまったくの地方政権だったので
京都を追放された足利義昭も放浪先候補として考えなかったとの説がある
0609人間七七四年
垢版 |
2024/04/15(月) 08:32:30.18ID:qd2KWxyJ
そもそも北条は足利一門を殺して西関東を乗っ取った勢力なのにそんな所に行くわけない
0610人間七七四年
垢版 |
2024/04/17(水) 21:44:38.53ID:gj7apGUE
>>609
その「足利一門」を殺せと下命したのが他ならぬ足利将軍家なんだが。
 
0611人間七七四年
垢版 |
2024/04/18(木) 01:50:45.91ID:1EnOT8+x
足利一門を傀儡にして利用してる北条の所なんか危なくて行けないよな
0612人間七七四年
垢版 |
2024/04/18(木) 09:29:04.99ID:LgwL8Rt+
官職も得ていなかったところを見るに足利将軍家との関係は良くなかったんだろうな
0613人間七七四年
垢版 |
2024/04/18(木) 21:49:47.92ID:oS/0FvQJ
北條氏綱 従五位下 左京大夫
北條氏時 左馬助
北條宗哲 駿河守
北條氏康 従五位上 左京大夫 相模守
北條氏政 従四位下 左京大夫 相模守
北條氏照 陸奥守
北條氏邦 安房守
北條氏規 従五位下 美濃守 左馬助
北條氏直 従五位下 左京大夫

むしろ公式の官位官職受領等が伝えられていないのは伊勢宗瑞だけと云う方が当たっている。
その宗瑞は幕府奉公衆。
数多いる奉公衆の中からわざわざ将軍家御指命で伊豆に派遣された。
関係が悪いと想像する材料が無い。
 
また氏康以後の宗家当主は代々相伴衆に列せられている。
これも格別の扱いと云える。
 
0614人間七七四年
垢版 |
2024/04/18(木) 22:04:05.57ID:oS/0FvQJ
公式論を云うと、
官職とは朝廷から与えられるものであって将軍家から貰うものではない。
もちろん将軍をはじめとする権力中枢と関係が良ければ何かと有利ではあるだろうが。

何れにせよ>>613に見る如く北條は朝廷とも幕府とも良好な関係を築いていたようだ。
 
0615人間七七四年
垢版 |
2024/04/19(金) 14:41:48.00ID:w4/CcQ3D
徳川の関東移封時に北条遺臣で徳川入封を反対する一揆は起こりましたか?
0617人間七七四年
垢版 |
2024/04/20(土) 16:23:50.16ID:HjKgQOMB
北条の統治は崩壊寸前だったし徳川は年貢を少なくしたから歓迎されただろうね
反発があった話も聞かないし
0619人間七七四年
垢版 |
2024/04/22(月) 14:29:26.40ID:pOX6+FFQ
北条早雲は幕府高官だったから足利将軍家との関係が悪いとは考えにくいんだが、どうだろ?
0620人間七七四年
垢版 |
2024/04/22(月) 16:52:22.97ID:K5v9BFBQ
越後上杉家臣で厩橋城主の北条高広が名前からして本物の北条かなと思ってたけど、
越後にある北条が本貫で関係ないんだね
0621人間七七四年
垢版 |
2024/04/22(月) 21:04:00.46ID:Bw1qD7DD
>>620
そもそも毛利北條高廣は「キタジョウ」であって「ホウジョウ」ではない。
北條氏政から彼に宛てた書状にわざわざ「喜多條」と表記した例もある。
 
0622人間七七四年
垢版 |
2024/04/22(月) 21:07:53.90ID:1fLYKQfv
しかし北条って源氏から権力を奪ってライバルを次々滅ぼして
ましてや室町時代なら太平記では敵役だし当時としてもイメージ良くなかったと思うけど
よく北条を名乗ろうと思ったな
0623人間七七四年
垢版 |
2024/04/22(月) 21:11:58.30ID:Bw1qD7DD
>>619
元々悪くないし、
また悪くない状態を保てるように将軍が代わりそうな情勢(義澄→義尹)になると次期候補に微妙に乗り換えるという細かい芸まで見せている。
 
0624人間七七四年
垢版 |
2024/04/22(月) 21:24:18.15ID:Bw1qD7DD
>>622
鎌倉北條は清盛流を除けば平氏の中で出世頭だったし、
最明寺入道以来の善政伝説や「天下の副将軍」の権威を纏っていた。
特に平氏の王国たる関東に於いてその存在感は絶大だったと謂う。
後世の源氏贔屓史観で当時を測ることはできない。

何よりも藤原氏(上杉)に正面から喧嘩を売る為には恰好の政治的プロパガンダだったろう。
 
0625人間七七四年
垢版 |
2024/04/22(月) 21:27:53.61ID:Bw1qD7DD
>>619
老婆心ながら。
「北条早雲」は既にフィクションの中に封印された。
史実を語るなら使うべき呼称ではない。
 
0626人間七七四年
垢版 |
2024/04/23(火) 17:07:15.50ID:cUruK38L
>>622
簒奪も成功すれば武功だからな
そういった武将は奸雄とも呼ばれ英雄視されるので悪役であっても嫌われる訳では無い
それに地生えの豪族で執権になった家だからな
関東を分国支配するには非常に都合の良い名前でもある
0627人間七七四年
垢版 |
2024/04/27(土) 15:59:51.17ID:KvC/4SbI
>>615-617
関東移封後の徳川は、地元民の反発対策に、北条体制をなるべく引き継いだからな

四公六民の税制や、農民の要望をお上に直訴できる目安箱も北条時代の物だし
0628人間七七四年
垢版 |
2024/04/27(土) 20:29:33.18ID:wr3/b9YW
>>627
北条時代は本年貢、役銭、夫役に普請と地域差が発生して重課税になってたよ
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