【早雲】後北条家総合スレッド 其の七【氏直】
今、新九郎奔る1・2巻無料だから読んだけど面白いな
終わる気はしないけど 備中伊勢氏の4男坊のその非嫡出が『貞』の字貰えるとは思えんけどなぁ
伊勢守惣領の孫だから貰ったんだと思ってる
逆に言うと早雲は側室出だったかもしれん
となると貞興は生存していて京都伊勢氏の分家を継いでる可能性もあるんじゃないかね
父盛定も初名は盛次だとされてるし >>5
>逆に言うと早雲は側室出だったかもしれん
まさしく「新九郎奔る!」はその説に立っている。
しかも実母が横井氏の出で、横井氏の「時」をもらって盛時を名乗るという。
しかも後々北条氏をなのる布石となっている設定の完璧さ。 あと、実母の再婚先が貞藤で、
後々貞藤の孫の貞辰が氏綱に
仕える布石にもなってるという。 弥次郎の元服名は盛興だそうだが、
これも長兄の貞興の名を貰っているのではなかろうか。 ついでに知らない人に言っておくと、
横井氏ってのは北条時行の子孫ね。
ちなみに横井時任てのは北条時行の孫。 時行はさんざ室町幕府に逆らったから
子孫が苦労したのは想像に難くないな。
でも、これで後北条氏が「北条氏」を
名乗った説明がつく。
関東における北条氏の名声を継いだ
なんてのはいまいち説得力に欠けるもんね。
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-2c1e.html
こういうHPが存在するのを見ても、
盛時の実母が横井氏であるという説も
まんざら嘘ではないかも。 >>12
謀反人じゃない。
北条氏からしたら足利氏のほうが謀反人。 >室町幕府からしたら
どこに室町末期からしたらって書いてあるの? 小田原北条五代「大河ドラマにして」
https://www.kanaloco.jp/news/life/article-355971.html
>戦国時代、小田原を拠点に関東に覇を唱えた北条5代をNHK大河ドラマにと、ゆかりの市町で構成する「北条五代観光推進協議会」が署名を呼び掛けている。
>会長市で事務局も務める小田原市は「北条ファンやゆかりの地に住む皆さんからの後押しと熱意で実現に向けて拍車をかけたい」としている。
>
>5代は宗瑞から始まる北条氏綱、氏康、氏政、氏直。戦国期にあって親兄弟争わず、減税や殖産興業、文化奨励などの善政をしいたとされる。
>市の担当者は「親子関係や領国経営は現代にも通じる」とドラマ放映の意義を強調する。
>市の担当者は「親子関係や領国経営は現代にも通じる」とドラマ放映の意義を強調する。
ファミリー経営中小企業ドキュメントドラマ的な?…すげえ地味な内容になりそう また早雲が「わしが戦のない世の中を作る」とか言い出すんだろ
もう飽きたよ 下手に五代にしないで三代くらいにしたほうが見やすい気がする
葵三代くらいがちょうどいい 北条早雲一択で。
というわけで、「新九郎、奔る!」の大河ドラマ化を! >>13
奥州藤原氏も藤原経清の息子の清衡が清原氏の棟梁として生き残った時に清原から藤原に復姓したのを思い出した 氏康までは普通に戦に強い、氏政からは物量でしのいでるだけで基本は弱兵
やっぱ強い時代がええがな 北条も織田も嫡流は無くなったけど、庶流は残ってんだよな 北条は氏直の後を養子の氏盛が継いでそのまま河内狭山藩として幕末まで存続してるから嫡流が残ってると言っていいのでは? そういやヤンサンで江戸時代初期の狭山藩
描いたマンガあったよね?
あれ、好きだったんだけど。
受けなかったけどね。 ヤンサンじゃなくてゲッサンだった。
福井あしびというマンガ家の「嘘つきは殿様のはじまり」っていうマンガ。
全5巻で単行本化されてるみたい。
興味あったら読んで。 ちなみに「北条家」は「高条家」と表現されてるから。
綱成というキャラも出てくるけど北条綱成とは
関係ないのであしからず。 でも九島綱成なので、北条綱成の旧名である
福島綱成から名前をもらってるのは確か。 >>33
へー知らんかったほしい物リスト入れとくね あくまで河内北条氏をモデルにした
創作時代劇であって、歴史物ではない
のでそのつもりで。 愛読者のワイが来たで
あくまでモデルを拝借しただけだが
悪役が真田でワロタ
作者真田ファンらしいんだが
あと家老の憲秀も悪役w
それはさておき大坂の役のとき狭山陣屋はまだ無かったらしいんだが
国屋敷はまだ旧織田信雄屋敷だったんだろうか?
久宝寺らしいんだけど多分大阪城にかなり近い
面した上町筋はそのまま菩提寺に連なってるから多分そうだと思うんだけど 河内狭山藩は基本的に綱成の血を引いてるね
最後は伊達の血になっちゃったけど 御旗本四拾八番将衆って小田原旧記を見たら全員名前載ってるの? つうか高条藩は5万石設定だから狭山にくらべたらずっと裕福w 大名の娘が継嗣なくて男装するなんてこと
実際にあったんだろうか?
まあいいなおとらの例はあるけど。 >>45
普通に養子貰えばいいからわざわざ男装する必要がない
幕府へのお届けが嘘だとバレたら大問題になるかも 継嗣なくて断絶という家が多かったでしょ?
それなら隠し子が見つかったということで
娘を息子に仕立て上げるってことが
無かったのかなと。 大名なら御目見しないといけないし娘を男にしてもその先どうにもならんね
仮に娘を男として嗣子に立てたら、その後に一族から適当な人を選んですり替えしなきゃいけないね
そうするくらいなら最初から婿養子を取った方がマシ 正妻を迎えて正妻に血のつながった子供を諦めてもらう因果を含めないといけないし >>45
例に上げてる井伊直虎もちょっと調べたらわかると思うけど女性説がかなり怪しい 小和田先生女領主押しなんだよな
基本伝承は対立文献出てくるまでは否定しない派だよね小和田先生 名前忘れちゃったけど、女城主なら憲政の時の山内上杉にもいるよね
北条戦で戦死して安堵状出された女児
その後どうなったかは知らないけど 川越合戦で戦死した赤堀親綱の娘だった
ただ15年後に謙信が関東にやって来たときは、親綱の息子とされる景秀なる人物が由良氏の被官として記録されてる 織田信長の叔母、おつやの方も女城主といえまいか。
最期は信長に逆さ磔の刑にされてしまうのだが。 後北条家の誤解
1.初代の早雲は素浪人
2.小田原征伐で滅亡、断絶
江戸時代も北条家は続いてることを知ってる人はかなり少なさそう 後北条氏三大誤解
長綱は外交僧
歩兵主流で騎兵が少ない
綱成は北条氏康のNo.2 新九郎、奔る!の次の掲載までが長い。
タイムリーな話題なのに。 伊藤潤、もう北条ものは書かないのか?
https://dot.asahi.com/dot/2020120700007.html?page=4
――もう北条氏は書かないのですか
予定はありません。今回の『北条五代』で卒業してもいいかなと思っています。
『北条五代』は、私の北条作品の集大成的大作であり、この作品でサーガに終止符を打てるのは、素晴らしいエンディングでもあるわけです。 伊東潤は応援して来た小田原人のことをダサい田舎者だとTwitterで言ってからあまり好きじゃなくなったな。
歴史小説と歴史研究の違いもTwitterで語ってたけどなんだそれって感じだったし。
北条氏を専門に書く作家があまりいなかったからヨイショされてたけど実力はない。 >>63
氏政五男の直定の子の氏時の系統が紀州藩に仕えてるから多分それ >>66
後北条も武田と一緒で一応完全に消えた訳では無いんだな 後北条は幕末まで大名として続くしな
最後に他家から養子になるのが残念だけど 明日発売の少年ジャンプで『暗殺教室』の松井優征
先生の新連載『逃げ上手の若君』が来週開始!
なんと主人公は北条時行!!
主人公の逃亡譚になるとの話だが、俺のイメージでは
北条時行は生涯足利家への復讐の為戦い続けたという
イメージだが。いずれにしろ、これは楽しみ!! ちなみに福井あしび先生の新連載も開始予定!
こちらは歴史ものじゃなさそうだが。 >>69
本家筋の横井氏は大地主やエリート一族として成功してるのにどうしてこうなった 「逃げ上手の若君」。
まあ、予想通りだが、足利高氏の悪役ぶりが(笑)。
少年マンガらしくかなり歴史背景ははしょってる。
評価としたら及第点といったところか。
あとは後醍醐天皇をどう描くかが楽しみ。 富樫倫太郎もだが「北条サーガ」なんて言葉いつから使われだしたんだ ホテルニュージャパンの横井英樹も
横井一族なんだろうか。 >>75
違うと思う
そっちの家系の人は大体時なんちゃらかだっと思うから
学者でこの一族っぽい人は2人知ってるけど 平野長泰の平野家も横井の庶流らしいね
長泰の父が入婿だけど母系で血を引いている >>7
「日本外史」はその説を採用しているな。
江戸時代にあっても頼山陽レベルの教養人層は早雲素浪人説を斥けていたんだろう。 北條は最後まで内訌とは無縁だった。
地域覇権レベルの戦国大名としては稀有のことだが最大の要因は何だったんだろうか。 小田原城の記念に「武将印」を 北条家5代イメージ
https://www.kanaloco.jp/news/life/article-513249.html
小田原城観光の記念にしてもらおうと、小田原市観光協会はこのほど、小田原北条家の歴代5当主をイメージしデザインした武将印とそのステッカーの販売を始めた。
初代の北条早雲こと伊勢宗瑞の武将印は伊勢家の家紋である「対(むか)い蝶(ちょう)」をあしらった。
2代目氏綱は北条家歴代当主が公印として用いた「虎之御印判(とらのごいんぱん)」を使いデザイン。
3代目氏康が使っていた朱印、4代目氏政は北条家家紋の「三(み)つ鱗(うろこ)」や花押も添えた。
豊臣秀吉の小田原攻めに備えて造成した総構(そうがまえ)もシルエットにして5代目氏直の武将印に使用した。 >>81
カードの記名、「伊勢宗瑞」が正しいのは百も承知。
しかしここは敢えて「早雲庵宗瑞」にしてもらいたかった。
この企画、「北條早雲」への思い入れも深い我々爺ィ世代も主要客層だろう。
何とか史実ギリギリの落し所で両立を…と。 北條五代を通じて重要な転機は幾つもあったが、特に第一次国府台合戦に注目している。
で、大きな疑問。
この合戦の時、
北條氏綱・氏康の大勝利を何故両上杉は指を咥えて座視してたんだろうか。
山内は基本的に古河寄りの立場とはいえ「関東管領を差し措いて他国の逆徒が…」という意地は無かったのか。
扇谷は完全に小弓方で且つ葛西城を奪われたばっかりなのに北條軍の背後を襲うほどの戦意も無かったのか。
関東上杉スレにも書いたんだが今一つ腑に落ちないんで、ここでも訊いてみた。 様々な断片事実を考え併せてみると、
「早雲=素浪人」説を流布した張本人は早雲庵宗瑞その人であるとしか思えなくなってきた…。 22日(火)の夜、ブラタモリ小田原編の再放送あり。 >>85
見てるぞ。
今、惣構の遺構歩きのくだり。 タウンニュースに氏照(北条藤菊丸)の高精細・カラーの棟札の画像があるのを見つけた
神奈川県内の中世棟札全部取材して載っけてくれないかな >>83
小弓勢は扇谷上杉との連携も考えていたと思われるが、
直前に葛西城まで落とされ、武蔵国内での勢力を著しく衰退させた
扇谷上杉はこれに応えられなかったのではないか。
また氏綱に小弓公方の討伐を命じたのは古河公方なので
山内上杉としては邪魔できないし、これと和睦していた扇谷も
もはや小弓に肩入れはできなかったのではないかとも思う。 >>89
なるほど。
北條氏綱はその辺の事情を冷徹に見切ってたかな。
それにしても、
> 氏綱に小弓公方の討伐を命じたのは古河公方
この事実の解釈に苦しむ。
何でまずは関東管領山内上杉に下命しないかねえ。
それまで古河は小田原とは良くも悪くも縁が薄くて、
北條から忠節を申し出て来ても「肚の中で何を考えてやがるんだか。ま、これからの働き次第だ。」などと冷淡な書状を残してるぐらいだったんだが。
それを関東足利正統争奪の一番大事な所で起用するとは…。
それとも山内には既に小弓里見真里谷を討てる軍事力も威信も残ってないと判断したか。 >>90
> それとも山内には既に小弓里見真里谷を討てる軍事力も威信も残ってないと判断したか。
だと思う。 大永元年(1521)記銘で「宗閑同伴衆」とある
新編武蔵風土記稿が図版を載せる弘明寺の扁額どこかに実物ないのかな
間宮康俊を宗閑とする近世の記録(系図、軍記類)は誤りってことになるんだが >>22
最近の根拠のない氏政上げ考えると何かしらのな力が働いていると思われる。
だから内容もとっても公明な内容になるかと >>93
上げも下げも無い。
お前さんがそう感じるあたり、軍記史観やゲーム脳症に犯されているのが解る。
まともな歴史研究はあらゆる動向を「構造」として解析する。
全ては因果律の函数が弾き出した結果として理解される。
そこからは個人の資質や記名性は排除されている。
「北條氏政」といえどもその構造の一要素としてのみ扱われる。
だから愚将とか名将とか云う幼稚な言説の入り込む余地は無い。
近年はそれが漸く素人にも浸透しつつあるというだけの話だ。 >>94
言ってる意味分かんないな?
ここネットだぜ
そこに文献にもない氏政称えるエピのデマが蔓延してるから上げを指摘してるんだぜ
そもそも歴史研究だって研究している人の匙加減だろ
鎌倉幕府なり江戸幕府の開幕だって派閥で決まる訳だし 文献にもない氏政を称えるエピソードなんて蔓延してるの? >>99
氏政コピペで検索
ちなみに全部デマ
1(中)小田原征伐で焦土戦術却下、理由は「領民が困るから」
2(ニ)平時は週二回、百姓に混じって畑仕事
3(一)河川改修のために小田原城の畳敷にするのを後回しにする
4(三)2公8民の超低税率を達成
5(右)市が開く月16日は関宿以外の関所開放、関銭無料
6(左)穏田見つけるとその田だけ5公5民にして翌年は通常税率に、百姓お咎め無し
7(遊)小田原征伐で青田刈りせず。理由「北条滅んでも領民は生きていかなきゃならんから」
8(捕)家康が次の国主と決まると大量に水路図を送りつける
9(投)切腹時に家康に「領民を頼んます」って手紙を送って切腹 「新編武蔵風土記稿」溝の口村(川崎市)百姓七右衛門の家に伝わる棟札
「其宅は天正年間の造作なりとて…損壊して後に修造せり、されど古の柱若干を用ひて今にあり、又古の棟札もあれど悉く烟にそみて文字読べからず」
この棟札は現存してるのかな
残っていたら現在の技術で判読できないんだろうか