【義景】越前朝倉家総合スレ2【宗滴】
信長包囲網の一環を担った戦国大名・朝倉氏を語りましょう!
義景以外の朝倉家、また浅井家、その他関わりのある事象・戦・人物なんでもおk!
特に姉川の戦いを語りたい人大歓迎!
■前スレ
【戦国の金】 朝倉義景総合スレ 【官職】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152866449/ 無能なのに気位だけは高そうみたいな役柄はユースケに合ってそうにも思える
男やのに短大行ってたほうではないよ やっぱ無能として描かれてしまうのかなぁ、それだとちと悲しいけども
ただいろいろ新説入れてるドラマでもあるので期待もあるのよね にわかですまそ
信長の野望朝倉家プレイの為、感情移入できるよういろいろググったりしています。
>>449
子供の頃の教科書に毛が生えたレベルのイメージでアップデートしてなかったのでこの定説初めて知りました。
正直にいえば志賀の陣も最近知りました。
姉川の二、三ヶ月後の志賀の陣が大敗後すぐてのが自分の中でピンときてなかったのですが>>449見ると余力あることがわかって納得できるというか
勉強になりましたありがとう >『歴史家がお江の方に忖度して』徳川と浅井軍を活躍させた創作説が有力で
この手のエスパー系はとりあえず信じないことにしている >>449だと
・布陣した場所に1万以上の兵を置くスペースがなくて合戦が出来る状況じゃないこと
・姉川じゃない場所で主力部隊が朝倉本隊と対峙していた資料があること
これは事実
だから通説の姉川の戦いはなかったってとこまでは 手紙とか書物とか発掘とかで新資料が出てきたとかならまだしも姉川行ってみたら〜とか400年以上時間あったのに案外昔の人ていい加減なもんなんだな 琵琶湖
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
浅井・朝倉軍
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姉川
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徳川・織田軍
田んぼ
┌────┐
│平和堂│
└────┘
=====[ 駅 ]==== >>475
で、「徳川の歴史家がお江の方に忖度し」た証拠はあんの? 証拠ひとつ自分でググって見つけられねえ低能がこのスレにいるな >>477
まあそういけどさ、本当に現地みれば少なくても榊原隊が迂回して奇襲がどうたらーなんてのは不可能だと子供でもわかるような見晴らしのよい平地だよ。 もっくんが義景公やったほうがいいよね コロナ関係で休止が入るけど 年越してもちゃんと放送するみたいだから 今から差し替えよう 質問なのですが、金カ崎ののきぐちの時に浅井が出した援軍の数をご存知の方おられますか?朝倉・浅井勢総勢二万とwiki等に書かれていますがそれぞれの兵力がわからなくて 第一陣(先陣)として計12300余騎
第二陣(本陣)として計6750余騎
第三陣(後備)として計3200余騎
一乗谷(留守居)に計20000余騎
これらの金ヶ崎城救援以外にも加賀や美濃国境の警備部隊等も多く派遣されています
浅井軍と合流して柳ケ瀬から疋田口へ進軍した部隊としては
朝倉景盛1000余騎と三段崎氏500余騎との記述があります
朝倉・浅井勢総勢二万とのwikiの記載とはかなりの差がありますね
どの数値が正しいのかは正確には分かりませんが一応、参考程度に
21 浅井の裏切りって朝倉は事前に知れていたんですかね?
朝倉方は織田を迎撃できるよう木ノ芽峠にばっちり防衛線敷いてるし、突然の事で対処出来てないように見える 返信ありがとうございます。浅井だけでそんなに援軍出せたのですか?浅井の総動員兵力8000〜1万5千とあった記憶が…。
でも、それだけ出すなら完全に信長を潰しに行ってますね(汗) 浅井の兵数が知りたいのです。
どれだけ本気で信長を抹殺しようとしたのか?それだけの兵数を揃えるだけの準備をしていたのか? 領地に近く回りに敵がいなかったから全軍投入したと思うよ
信長打ち損じたら浅井が最前線になるからね
兵数5000位じゃないかな 朝倉・浅井氏を専門に研究してる人ではないんだけど
ある氏族を専門に研究しているその人が言うには
織田は薄々、浅井氏の離反に対して気が付いていて
浅井の動きを見張る先遣隊を湖西地区に出していたので
信長が撤退を早期に決断出来たのではと書いていました
金ヶ崎の退き口にも大いに関係のある氏族研究専門の方ですが
実際に若狭や湖西の市役所や図書館を尋ねて当時の地形図や文献などを精査する活動的な郷土史家の方です
21 信長は、浅井の裏切りを予期して朽木氏にも事前に話を通してたとする説もありますね。 つい最近、朝倉・浅井氏に全面的に協力します的な事を誓った朽木元網の書状が見つかったけど
この時代の各勢力の動きはどうしても憶測や願望が入りがちになって真相は分かりづらいね そっちに着くって言っておいてなんかいつの間にか敵陣営についてるって国衆も多いもんなぁ、畿内
浅井も講談みたいな話抜けば織田と同盟だけど扱いにムカついてワンチャン行けそうな時に背中から殴りかかったやつだし
真田が表裏比興って言われてるけど、畿内じゃそれが日常茶飯事すぎて複雑怪奇
ていうか格下な浅井なんて見捨てても良かったのに志賀の陣の後まで面倒見るとか義理堅いな朝倉 この時代弱い勢力は八方美人になるしかないよ
今だから結果がわかるけど明日もわからない当時は是非も無いね
朽木が朝倉、浅井に味方すると書状にしたためた事が興味深いね
当時、織田>>>>>>朝倉、浅井だったら後の事を考えて朝倉、浅井に味方しないだろうし
朽木の見立てでは織田≧朝倉、浅井と見ていたのかな?
まあ、味方しますよと言って裏切るつもりの場合も有るし結局の所紙のみぞ知るだね 浅井氏の湖西地区の統治方法・範囲に関しては
朽木氏領(幕府直轄領含む)以外の湖西地区を統治
朽木氏&高島七頭を武力でもって従属させていた
朽木氏&高島七頭と半同盟的な形でもって従属下に置いていた
この3つの説どれもあるのでこの辺の真相を読み解くのは難しいね
舞鶴近くの国人勢力にも浅井麾下の一団がいたみたいな記事も見た事あるし >>499
>当時、織田>>>>>>朝倉、浅井だったら後の事を考えて朝倉、浅井に味方しないだろうし
そうとは限らない
高国政権時代に京を追われた義澄、三好全盛期の時に江口の戦いに敗れた義晴、義輝、細川晴元を庇護したりしてるし来るものは拒まずって感じじゃねーの 朽木氏なんだかんだ幕末まで続いてるんだよな
関ヶ原では西軍に付いたり波乱万丈だね 義景は六角からの養子かもと流れてるけど
確率高そうなの? ちょっと上の所さかのぼった所でも言われてるけど
与太の部類 いろんな説はあってもいいけど
義景養子説はアレひどいな
よく発表しようと思ったもんだ 流れをぶった切ってすいません。長浜を観光中なのですが、浅井長政ってどこに住んでいたかわかりますか?小谷城は結構な山城だしここに住んでたのかな?って疑問に思ったのですが。 普通に小谷城中じゃないの
城下の居館ではなかったはず 山の上で寒くないんかね?
同じエリアでも、平地だとたいして雪は積もらないのに
山の上だと車も動かせない大雪になるって結構あるよ 毛利元就も大大名になってもずっと山城の吉田郡山城に住んでいた。 >>509
小谷城の麓に館跡があるよ
平時は麓で戦時は山城に登ったんだよ
朝倉氏の一乗谷も平時は館で戦時は館の裏山にある山城に登ったんだよ 大河麒麟で義景が信長包囲網の黒幕で信長対義景の構図になったりして 信玄は後乗りみたいだしな
義昭も当初は浅井朝倉には敵対してるし
本願寺も後乗りだろうし
朝倉、浅井、六角、三好だと
朝倉か三好なのかなって気はする YouTubeでやってるような歴史動画でどのチャンネルだったかは忘れたけど
最新の研究では主導してたのは義景と本願寺だみたいな説語ってたな
まあこういった最新の説そのものが手柄が欲しい新進気鋭の研究者の早とちりみたいなのも多いし
もうしばらくすればその辺りの研究も進むのでは >>515
本願寺が参戦するのはかなり後だし、三好じゃない? この辺りの研究が進んで事実が解明されたとしても
義景主導はないと思うなあ 放送予定 - 英雄たちの選択 - NHK
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/schedule/
英雄たちの選択「朝倉義景 信長を最も追い詰めた男」
[NHKBSプレミアム] 2020年09月09日 午後8:00 ~ 午後9:00 (60分)
戦国時代の越前・一乗谷に都さながらの都市を築いた大名・朝倉義景。
その力を頼ってきたのが将軍候補・足利義昭。義景に軍を率いて上洛し幕府再興を助けるよう求めてくる。 義景さん、信長を最も追い詰めたとか言われるようになったんか、出世したなぁ
この義景さんを別に恨みはない、助けてやれって言った信長はやっぱ優しいなぁ 金ヶ崎単体の話なら最も追い詰めてた瞬間かもしれない たしかに
金ヶ崎・志賀の陣・ちょっと無理して信玄と連携した小谷在陣、と追い詰めてはいるね。
ことごとく失敗してるけど。 元々、評価低めの武将だからかその反動でたいした根拠もなしに
義景実は有能説みたいなの力説しだす奴がいるけど
何の捻りもなしに見たままの凡将ですから
ただ思うのは義景がひと世代早く父孝景の替わりに生まれていれば
義景が風流太守と褒め称えられ孝景が暗愚と侮られていたのではないかと思う
二人の能力差は特にあるわけではなく置かれた時代の違いのせいで評価が真逆になった気もする 義景はあと、家庭でゴタゴタあったのがちょっとね気の毒よね >>520
「(三英傑)を最も○○した男」
↑
知名度が低い・事績がショボい武将を持ち上げる際の定型句 >>518
でも、1次は人が居ない
1次
武田:不参加
義昭:信長と親密
本願寺:後乗り
六角:本拠地奪われ逃亡
三好本家:信長派
三好三人衆:戦って、信長に付いたり、行方不明になったり
松永:信長派
残ってるの、筒井と浅井と朝倉、機内の国人
まぁ、朝倉にそんなの出来るのって気持ちも分かるけど 待望の後継者の死亡、一門衆の対立、隣が一向宗で長年対立、若狭武田氏への出兵、畿内の国衆らしい性格してる浅井
これだけ宿痾抱えたまま長い事織田とどつきあいしてたのは凄いとは思う
志賀の陣で落としどころ見つけられたら良かったのにね >>526
信長包囲網なんて大層なネーミングを付けるもんだから首謀者は誰だ!?みたいな話になりがちなんではないだろうか
京を抑える勢力に対抗するために畿内周辺の勢力を自陣営に引き込んで
複数の方面からの同時侵攻という戦略は両細川の乱の時代から当たり前のように採られてる戦略だし
阿波細川家の家宰であった三好一族の残党が古来よりの習いでその戦略を採る事は不思議ではないと思う
信長の統治に不満を持つ畿内国衆や本願寺にも当然、声は掛けていただろうし
合力の働きかけを行いながら三好三人衆を中心とした畿内の反信長勢力と朝倉浅井勢が口火を切って
織田・義昭政権を敵に回す事に対して躊躇していた本願寺がようやく腹を決めたってところでは 最初は信長包囲網なんて大それた動きがあったわけではなく畿内に於ける古来よりの戦い方を踏襲しただけのものが
「三好家中の反信長勢力&畿内国人」「本願寺」「朝倉・浅井連合」この3つの強力なピースが揃ってしまったので
信長との対立の芽が生まれ出していた御神輿として格好の人物であった足利義昭を奉じる事で
ここに初めて「信長包囲網」と呼べるものが自然発生的に生まれて形作られていったのではないだろうか
その後、姻戚関係等を頼りに武田氏など周辺の勢力にも包囲網への参加の声掛けが
誰が首謀者という話では無しに広がっていったのではないか思う
そうなると象徴的な目立つ人物として義昭だったり戦力的な大きさから信玄であったりという名が
首謀者としてクローズアップされだしてそこから真の首謀者は誰だ!?って話に進展してしまうのではないかと
21 信長がここまで人気出てなきゃいつもの畿内情勢 で終わる話ってことか 二系統に分かれた将軍の対立や管領家の対立と同じ構図でそもそも信長というよりも反義昭のための三好のいつもの戦い方なんだよな >>519
これ斬新な切り口の内容って何かあったりした? 志賀の陣であと少し粘っていれば信長に勝てたのになぁ どうだろうね。
既に三好や六角が各々単独で和睦結んでいるからなあ。
比叡山上で孤立化は避けたいのが普通だと思うが。
豹変して三好・六角が京に迫るなんて事態となれば
山を下って挟み撃ち→勝利!かもしれないがね。
強力な指揮権がなく、それぞれ他人任せなのが弱点だね。 志賀の陣の講和の理由の一つとして
雪に閉ざされて越前への帰還が困難になる事を嫌ったって話がよく出るけどさ
雪で陣の士気が落ちるのは織田方も朝倉方も同じだし
一乗谷には戻れなくても敦賀や小谷へ帰る位ならそこまで困難か?とも思う
福井市内も敦賀も長浜も高島も全部住んだことあるし
それらの地域で大雪は何度も経験したけど北陸の人間ならある程度は慣れっこというか
雪は降るもんだという意識も前提として持ってるしそこまで雪に関して心配になるかなあと 長く領国空ける事自体が朝倉氏の抱えてる問題的に他家よりやばい 雪で一乗谷への帰還が困難だとはいっても
湖西、湖北、若狭地方が雪でヤバイなら奥越のほうはもっとヤバイという事
織田軍だって美濃方面からの越前侵入は無理な事になる
一乗谷へ全軍帰城させる必要は無い訳でもう少し状況見て欲しかった
志賀の陣の時には朝倉ー本願寺の講和は成っているので
加賀からの一向宗侵入の危機も可能性は低い訳だし 朝倉氏の家中統制の問題なんて
他の大名家と比較したらほぼ無いといって良い代物
孝景時代は内乱的な戦闘は無しで弟・景高の一族を追放
義景時代の内乱的な武力衝突は堀江氏の居館立て籠もりがあっただけ
池田氏への静粛も武力衝突など無しに行われた
朝倉家滅亡の一年前ぐらいから内部崩壊の兆しが目立つようになるけど
それはどこの大名家であれ普通に起こる当たり前の事(武田家、斎藤家、浅井家…etc)
配下の一門衆や家老の間で対立などが存在する事もどの大名家にだってある
朝倉家健在の状態で離反的な行動をとっていた配下の家はない
(溝江家だけが織田方と連絡は取っていたが離反前提の連絡ではなかった) 朝倉氏の一門の問題が非常に大きくね?
それがなくても何かあったらすぐに帰れますよとどうしても帰れませんの場合どっちが領内荒れやすいかって考えたら
やっぱり雪で物理的に帰還不能ってのは戦国大名にとってかなり痛手じゃない? 義景が目を光らせていたから対立が分かりやすい形で出てこなかったって言えちゃうし、武力対立があったかどうかだけでほぼ問題がなかったとは言い難くない?
大野郡司と敦賀郡司の対立で一人加賀侵攻中に自害するような羽目になってるし それよりは書状各種で対立の有無を確認すべきと思うなぁ
武力衝突のみが対立の在り方では決してないし
まぁ、やらないです、武力衝突の有無が絶対ですって言いきるなら、多分これ以上言ってもわかってもらえないと思うし話切るけども 義昭御成の場での敦賀郡司欠席、朝倉景垙の自刃これらは武力衝突を伴わない家臣間対立の最たる例じゃねーか 朝倉家に謀叛や家中対立の火種は一切なかったって言ってるわけではないよ
>>539にもそう書いてある。他家と比べてそれほどの大事ではないと言ってる
加賀攻めの大将争いで敦賀郡司家と大野郡司家が揉め景ミツが自害
義昭の義景亭御成で下座の敦賀郡司家が揃って退室
堀江氏と本願寺家との内通疑惑
父・孝景時代から一貫した池田氏の面従腹背
廻国にかこつけて織田家と誼を通じる素振りを見せる溝江氏
朝倉家滅亡直前に綻びが出始め離反や内通が頻発しだした志賀の陣以前だと
主だった朝倉家中の対立や離反の動きにはこういったものがある
これらの中で武力衝突にまでエスカレートしたのは堀江氏の一件のみで
それらも最終的には話し合いの末、越前退去に落ち着いてるわけで 越前隣国の謀叛や家中対立だとわかりやすい例で言えば斎藤道三と息子・義龍との武力衝突からの道三の敗死
武田元信ー元光ー信豊ー義統は四代にわたって父子間で武力衝突とそれに伴う六角氏の介入や国端の逸見・粟屋の離反
能登畠山の義続の家督相続時における一向宗と結びついた一門衆の能登乱入とその解決に当たった重臣層達の増長
etc…
この時代はどの家にも多かれ少なかれ当主と一門、一門と一門、当初と配下、配下と配下…対立の火種はあるもの
そしてそれらが武力衝突に発展し勢力としての勢いを削がれた結果、他国からの武力又は政治的な介入を受ける羽目になる
こういった事例が数多くみられる戦国時代において朝倉家の各郡司家の対立や足の引っ張り合いなんて他家から見ればたわいもないレベル
これを無理に敦賀郡司家と大野郡司家の対立を殊更大げさな事にとらえるのは他の大名家の事例からすればオーバーだと言える
他の大名家だったら跡継ぎが自害に追い込まれて下座に据えられる扱いをされたならばとっくに離反して敵対してる
信長の若狭侵入時にも金ヶ崎城に籠城なんかせずにとっくに織田方に寝返ってもおかしくない状況でも籠城戦で抵抗して
その後の姉川の戦いでも先陣を務めたりしてる位、朝倉配下は従順で家中統制に苦労している家とはとてもじゃないが言えない
朝倉家中には家中対立がなかったなんて話ではなく武力衝突にまで発展する他家と比べても大げさにとらえすぎだと言ってる メインは雪で通行が物理的に不能になった場合の話じゃろ?
逆に雪で自分の領国へ物理的に帰還不能になっても出陣続けられる戦国大名ってどの程度いるの?
何かあればすぐ帰れるのとほんとに帰れなくなるの差でかくね?
当主と主戦力がほんとに帰れませんって時にお行儀よく待っててくれる連中ばっかりだって胡坐かいてられるほどこの時代の治安も信用もよろしくないっしょ?政務も滞るし 雪で帰還不能になっても沼田城に滞在して(食料事情の為ワザと?)越冬するの大好き上杉謙信
謙信の越後も独立意識の強い揚北衆とか越後国内の不穏分子ウジャウジャいます
そんな事も意に介さず毎年、越冬してますな
雪中行軍なんて無茶な事はしないだろうという相手の虚をつく津軽為信のかんじき部隊ってのもいる
探せば東北や北陸なら他にもいるかもしれんね
志賀の陣が長引いた場合の領内の統治不安の問題なのではって言うのならば誰が朝倉家に反旗を翻す事になる?
朝倉景鏡も志賀の陣には参陣してるし敦賀郡司家は金ヶ崎での失態のせいもあってか景恒は入仏、景紀は隠居状態
越前北部の堀江氏は参陣してないはずだが一向宗を領内に呼び込もうとも朝倉ー本願寺間では既に和議が結ばれてるし
どの武将とどの勢力が結びついて蜂起するのか具体名上げて推測してみて欲しい 家臣であってもその気になれば謀反起こす上杉の例を挙げて
どうして和議結んだから長年敵対してた相手でも大丈夫です、背中がら空きにしてても絶対殴られませんって自信生まれると思うの? 津軽為信のやつなんてまさしく、本来は越冬なんてきついって自分で言ってるしさ
関東管領職の関東制覇や津軽の特殊例挙げていけますってちょいと強引すぎね? 例えば武田からの調略を受けた本庄繁長が縁のある大宝寺氏からの助力を受けて蜂起した件でどう?
「どうして和議結んだから長年敵対してた相手でも大丈夫です、背中がら空きにしてても絶対殴られませんって自信生まれると思うの?」
上記の書き込みから察するに本願寺家が朝倉家との和議を反故にして朝倉家中の誰かと結びつくという考えをお持ちなら
足利将軍の執り成しでもって結ばれてお互いの子息、子女の婚姻関係までまとめた和議が反故になる確率ってこの時代でも高い方なの?
和議を反故にしてからの本願寺家とそれを支援する武将の具体的な越前侵攻プランってどんなものになるのか妄想でもよいので意見を聞きたいな
例を聞きたいと言われたのでパッと思いついた上杉と津軽の2例を書いたよ
「探せば東北や北陸なら他にもいるかもしれんね」
探せば特殊な例ではない雪国ならではの戦い方の作法や慣例はあるんじゃないかとも思ったので知りたければ探すしかないねって事も書いたのよ 志賀の陣で降雪の心配で領地に当主不在による統治不安があるとしても
本願寺家が織田方に野田福島の戦いで敵対の意を表明したのが志賀の陣とほぼ同時期なので
ますます本願寺家が朝倉家との和議を反故にする可能性アリという発想に行きつくのがちょっと分からない あれ?確か本願寺って朝倉より先に織田と講話してなかったっけ?
記憶違いなら前言も含めて完全に認識不足ですわ申し訳ない >>553
本願寺が一番先に信長と和したのが10月、
続いて六角が11月に和し
朝倉浅井は12月だ 領国の不安があるとはいえ留まって欲しかったな
しかし三好も11月に信長と和議結んでるから朝倉浅井だけで継戦するのはかなりキツい状況ではある ある意味これって他が和睦しちゃってこれ以上粘ると負け筋すらあり得るからかなりいいタイミングで和議結べたんじゃ?
ババを引いたのは延暦寺って感じだけどさ、そういう意味では雪じゃないかもね 帰った理由
自分も勝手な思い込みがあったけども、本来この後もまさか織田とどつき合いが続くって認識もなかったろうし
なんなら志賀の陣の講和の仲介者こそ義昭だし 志賀の陣で和睦した事で手打ちになってるのに何がどうこじれてもっかいバトってるんだ朝倉・浅井・六角・三好・本願寺と織田は
義昭は旧来の研究と違って信玄の西上がうまくいきそうって時まで織田に肩入れし続けてて発端じゃないよね? >>533
台詞だけだったけど「家老の山崎様が〜」って光秀が言ってたね
今回の大河は一色藤長とか日根野弘就とかマイナーどころもちゃんと出てきて嬉しいw 先月末に一乗谷に行ったのだけど、
あんな狭くて閉ざされた空間に、あんな豪華な本拠地を造ったら、発想が内向きになって、他国に関心がなくなるだろうなと思った。
先週の麒麟で義景公が同じことを言ってて笑った。 横山光輝さんの漫画で、信玄が勝手に退却した義景に激怒してる場面が印象に残っているな わしは黒澤明監督の「影武者」の同じ場面が印象に残ってるな。 今回の大河は一気に義景評が覆るような描き方ではないにしても
多少はクセのある義景像的な持って行き方にしているようには感じる
主役は明智だし敢えて義景自刃みたいなシーンはいらないな
今回はナレーションで義景自害にサラッと触れて朝倉氏滅亡のパターンでいい NHKがお気に入りの朝倉氏遺跡の学芸員の若い女の子いるじゃん
あの子がちょっと目新しい解釈で新史料でも解読しようもんなら即、飛びつきそう
あの子は群馬県出身で関東公方や関東管領なんかの事の方が詳しいんじゃなかったかな 室町幕府の権力構造みたいな事を勉強してたんじゃなかったっけ?