伊達政宗はどうすれば天下を獲れたのか?
一説には天下を狙っていたといわれる独眼竜伊達政宗。
そんな彼がいつ、どのように、どうすれば天下を獲れたのかをみんなで考えるスレです。 南部って某ノブヤボでもやたら強かったな
放っとくと東北地方を制圧されていたり なんで伊達政宗て人気なんですか
調べれば調べるほど思慮がないだけの若者だったように見えるんですが
政宗の傍若無人っぷりを抑えられなかった東北の大名が雑魚だけじゃないんですか 海外から見た戦国時代の日本とは―、Netflixのドキュメンタリー・ドラマ『エイジ・オブ・サムライ: 天下統一への戦い』
https://dramanavi.net/drama/news/2021/02/netflix-3418.php
【Netflix】エイジ・オブ・サムライ: 天下統一への戦い/Age of Samurai: Battle for Japan
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/netflix/1614929858/ 伊達政宗
▲生まれるのが遅すぎた
○生まれた土地が僻地で京から遠すぎた
(上洛のため途上の大名を全て討ち果たすには100歳まで生きても無理) >>615
佐竹が伊達勢力圏に勢力を伸ばしてきたから仕方なく戦ったんだよ 伊達、蘆名を主力とした連合軍で北条と連携を取りながら
関東入りしてたらまた評価は違っていたかもしれない。
武田信玄同様にIFの余地がある大名だから人気なのかも >>615
お茶の水から秋葉原埋め立てたのが伊達政宗
だから人気
北海道を4分の1位開拓したのが伊達政宗の家臣団の末裔
大泉洋は仙台藩の片倉家家中の末裔大泉家(その宗家は白石インターに巨大な病院がある)
戸次重幸は本名は佐藤姓、佐藤氏は相馬氏から伊達氏に付いた伊具郡小斎の国人領主
石巻市周辺の領主で実高2万石の伊達家の有力武将。戸次(べっき)は母方の姓で九州由来。
安田顕は越後上条氏の士族毛利安田氏が由来。上条氏は伊達実元の母親で
越後守護の養子に実元がなる予定だったが、伊達晴宗に止められる。長尾景虎と上条氏が対立したので
安田氏は伊達実元→伊達成実の家臣となり、成実は亘理伊達氏をつくる。亘理伊達氏は明治維新後
北海道に入植。
音尾は南部由来の名字。森脇は岩見尼子氏由来の名字。
チームナックスの3人は仙台藩由来の人物。
政宗に関係するエリア北海道・岩手(南三分の一)・宮城全域・福島県仲通り・会津地方
山形県の三分の一、新潟県の蒲原郡・越後高田(城下町建造)、茨城県竜ケ崎、滋賀県安土・近江八幡、
愛媛県の宇和島、親戚関係の大名家が京極氏(麻生太郎が伊達政宗の末裔なのはそこから来ている)
東京だとお茶の水から秋葉原、日テレがある汐留・新橋周辺(今も宮城系の店が多いのはそういう理由)
仙台坂や仙台川という地名(仙台川=神田川で神田エリアも仙台藩が造成したエリア)
一番は、江戸開府時の江戸市民が食べていた米の殆どが仙台米(30万石)と仙台伊達屋敷で作られた味噌
江戸では味噌=仙台味噌だった。日光東照宮を見て貰うとわかるけど陽明門の前にひときわ大きい
伊達家の鉄灯篭がある。東照宮も仙台藩が多大な費用をかけて建造した。そのお礼として
家康の死後の江戸城の天守閣と、秀忠の死後の江戸城の天守閣(材料)を政宗は貰い受けた。
それが、中尊寺や瑞巌寺に移築されたり、仙台城2の丸造営に使われた。
こんなところが人気なのだと思う。 >>617
ここのタイトルが天下=畿内統一だけど
そもそも政宗は畿内統一を目指してはいない。
行動原理は奥州探題として、最上家と大崎家と蘆名家の介入と揚北衆に対する対応 そもそも足利の時代から奥羽にまともな弓取りは蘆名・伊達の二家しかないと言われていた
鳥なき国に鳥がたった二羽 駄目になる前、室町時代、奥羽で大身で名門といったら伊達蘆名と並び称されていた
実際この二つは戦国大名化に成功するのだが蘆名はすぐに傾き始めてしまった >>626
足利幕府が金よこせと言って寄こせたのがその2家だけって話 伊達政宗の顔が頭蓋骨から先進技術を使って復元されたらしい
オリジナル
http://imgur.com/6k5zEAK.jpg
アプリで若返らせたり歳を取らせたりしてみた
http://imgur.com/Nq6YWux.jpg
http://imgur.com/BQ7taiG.jpg
http://imgur.com/a78e65P.jpg
なかなかの美形
どうやったら政宗は天下を取れたのかだが・・・
東北~奥羽くらいまでを早急に制圧してから秀吉が北条征伐をしてくるまで待つ
先ずそれを可能にするにはやはりもう少し早く産まれてないとキツい
仮に北条征伐までに東北~奥羽を傘下に収めていたなら秀吉が北条征伐してくる際に上杉と北条双方と組む
上杉は仕方無く秀吉に下った側面が大きいので充分に引き込める
史実では北条も伊達政宗との同盟を最後の頼みの綱にしてたくらいなので当然引き込める
それらが成れば関東以北の一大勢力の出来上がり
そんな勢力があれば徳川家康の下心も当然黙っていられないだろうから上手くいけば徳川家康も引き込める
そこまで来ると秀吉の率いる軍と関東以北軍とで天下分け目の戦いが出来る
これでもし勝利出来たら後は戦よりも政宗の政治力で内側から天下を統一していく事に専念
史実上豊臣徳川政権下であれだけの権力を維持出来た政宗なので可能性は充分にある ゲームならそれで何とかなるだろうけど、現実的には経済力や生産力が違いすぎると思うが
それに同盟といっても恐らく政宗は自身が上位でないと気が済まないだろうし、同盟相手の領内で騒ぎを起こして自領にしようとしかねないからうまく機能しないのじゃないかな >>630
政宗はそんなに暴れん坊でもないですよ
晩年の政宗は歌舞伎者を気取って豪快な振る舞いで周りを翻弄したようですが
それもどちらかと言うと徳川政権下で疑われないように一芝居うってピエロに見せかけてた感があります
恐らく上記のシナリオなら最初は家康辺りを筆頭に立てていると思われます
ちなみに仙台62万石も実際の石高は100万石超え、鉄砲保有数もいつの間にか日本随一にしていたことを考えると政宗が早く産まれていたら北国なので何かと不利なのは否めないですがそれなりの経済力も得られていたかも
まぁでもそもそも早く産まれていたらってことがあり得ない非現実的な仮定なんだけどね・・・ 米沢や会津若松は失ったが、大崎葛西領転封により平野と海を手に入れたのはプラスだった? 天下取りの可能性を追うなら関ヶ原で西軍に寝返りするぐらい滅茶苦茶なパルプンテ行動を起こさないと可能性皆無
それですら届かないと思うけどね 輝宗パパの邪魔しなければ姉の嫁ぎ先だった葦名領国を平和的に得られ
浜通りの相馬や中通りの南奥大名を従えて関東入りできたかもしれなかったな 史実通りに産まれていて天下を取るチャンスというのはどのように振る舞っても無かったと思う
人としての器や才覚は充分天下人になれるものを持っていたと思うけど何せ場所が悪い
あまりにも都が遠過ぎる上に冬に身動きし難いというのは大き過ぎるマイナス
政宗が担ぎ上げた秀次や忠輝、大久保長安などの重要人物が失脚してなければもしかしたらもっと政権中枢を握れたかもとは思う
もしもの話をするとしたら支倉常長の派遣後にスペインが艦隊を率いて日本に攻め入ったとしたらどうなっていただろう?
政宗は徳川政権と対峙しただろうか?
まぁでもそもそもスペインにメリットが無さ過ぎるな スペインってw
同時期にイギリスと国家存亡の戦いで用意できた上陸兵が8000ポッチなのにしかも目と鼻の先のイギリスでこの程度
まさか日本に20万の大軍でも派遣できると思ってるの?
てかねヨーロッパってこの時期多国籍連合やっても20万なんて用意できませんよ
一国で3万程度しか動員できない
当時一国で20万なんて用意できたのは日本と明とオスマントルコだけ
しかもイギリスと戦争中で大敗して制海権喪失して日本どころじゃねーぞ >>635
そうか?上手く立ち回ればぽっと出の蒲生に出番はなかったし、転封でやってきた会津中納言の
上杉景勝に出番はないのは当然として、それ以上の権勢を持ちながら五大老入りできていた。 姑息な一揆扇動しかできないレベルのやつが天下取れるわけねーじゃん
しかも一揆扇動全て見抜かれてる二流戦略
しかも知ってるか関ヶ原の時こいつ三成挙兵、家康たち上杉討伐中止引き返すってなったら
速攻で景勝に和睦申し込んでなんとかして上杉に攻め込まれないよう交渉してるの
先の展開なんてまったく見えてないよこいつ
ここで上杉とガチで戦ってたら100万石いったのにまたしても姑息な一揆扇動
しかも東軍勢力でやるという馬鹿
案の定ばれて約束反故。取り潰されててもおかしくなかった
家康が勝つなんてまったく予測もできなかったレベルしかない ちょっと訂正
東軍西軍の戦いが長期化して泥沼になると思ってたんだな 出羽は叔父の最上義光に。
越後は親父と姉ちゃんの嫁ぎ先の葦名に任せて
今の福島県中通りの勢力を率い関東入りしてたら可能性はあったかも は?
最上と蘆名なんて政宗の敵で味方なんかしねーよ
なんのゲームの影響よ 血縁関係を保つという考え方をしたら全然ダメ
そんなの無視して若いうちに東北全般をガンガン討ち滅ぼしていかないと全く間に合わない 輝宗は子供そんな多くないし政宗は子供が多くなるのはかなり遅くなってからだから婚姻関係が要の洞を維持するのすごくきつそう 輝宗は子供そんな多くないし政宗は子供が多くなるのはかなり遅くなってからだから婚姻関係が要の洞を維持するのすごくきつそう >>640
擁護するなら関ヶ原を短期決戦で終わると見越してたやつなんて誰も居ない
やり口姑息過ぎたのも横に上杉おったししゃーないともとれる
その程度の器って事で天下は無理 >>647
誰も短期決戦で終わるの予測できなかったからなんて言ってないが???
どこに書いてある??? 南奥羽は親父の輝宗に任せて、政宗自身は大崎と葛西の取り込みをすべきだろう。
南奥は残念ながら顔の広い輝宗でないと纏められない。陸前の大崎は家中も纏まってなく
陸中の葛西にいたっては九戸にボコられてる始末。若い政宗でも苦も無く制圧出来る。
とりあえず景勝の代わりに100万石超えの勢力にならないと天下は見えてこない もし政宗が大崎葛西一揆を起こさず米沢を拠点にし続けていたら米沢が政令指定都市になっていたかな? 米沢はやはり場所が悪い。内陸地だから。そこへいくと、岩手沢転封後の平野地新田開墾は徐々に効を奏し、庶民の生活も、生き生きとして、明るくなったという 伊達正宗は武田信玄のようにif が溢れてるのが魅力 >>650
それは無い。狭いし場所が今一つ
葛西大崎一揆がなかったとしたら大崎市がその役割を担うと思われ >>652
それは山形県そのものに言える事だな
江戸時代初期は人口が60万以上は居たのに今は110万人ほど
他の県と比較して人口増加率が著しく低い 米沢は平地が少なすぎる山形福島以下仙台は広いそれだけで価値がある >>654
転勤で仙台に住んだ事があるが、他の都市より高低差が大きく連続した平地が少ない都市だった。
あれだったら大崎平野の方が開発は容易だったろうな。伊達政宗はなんで大崎でなく
仙台に城下町を作ったのか不思議 歌舞伎者としては面白いけど大名としてはチョットって感じかな。 大崎一揆起こさせたりなんか天下人のやることじゃないなぁって感じが >>615
めちゃくちゃ返信遅いけど
佐藤貴治書「奥州の竜」 伊達政宗
最新の評伝読むと良いよ
自分はこの本読んで
政宗はむしろ気遣い人・苦労人の印象受けたが その本読むと
片倉重綱の軍師(参謀)的存在というのは大袈裟に思えてくる
もちろんは献策はするし相談もするけど
成実・重綱は前線で働く先手武将の役割が強く
帷幄で所謂参謀的な役割務めるのは
中島宗求・鬼庭綱元て印象