徳川秀忠 その2
前スレが落ちてたので立ててみた
スレタイはシンプルに
というわけで、
徳川二代将軍について揉めてください。
前スレ
【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156998657/ 真田は徳川の功労者。上杉、関ヶ原の両睨みで江戸防衛には絶好の地。
関ヶ原が1日ですんで、上杉が蜂起しなかったから、馬鹿のように
見えるだけ。
もし単なる拙劣攻城での遅参なら秀忠は将軍にはなれない。
関ヶ原の後の措置は単なる言い訳に過ぎない。
真田やるときはこの視点を忘れるべきではない。 >>577
不思議だよね
徳川が歴史から抹殺しようとした豊臣家や豊臣秀吉の書状はたくさん見つかってるし
あと秀忠自身も家康以上にVS豊臣強硬派のくせに
高台院(おね様)を大切にしたり、秀の字を残したりしてる その時期の徳川家の内部資料が意外に少ないのは明暦の大火のせいだろうと言われている そうか、
大坂の陣で奪った豊臣の財産とかもあったかもね 秀忠の幼い頃書いた書道の掛け軸が何でも鑑定団にでてたね
あと将軍の前になら、唐入りの時病気で行けなくったので
浅野幸長に行けなくて申し訳ないって言った手紙残ってるみたいね この前徳川関連の歴史番組があったんだが
それの実況スレ見てると、未だに秀忠はただのアホで
家光が頭良かったから幕府は上手く運んだって言ってる人がいてびっくりした
本当にアホならあの家康が跡取りにするかっての >>599
二代目がバカだったら
幕府なんかとっくにつぶれてるってね そもそも家光時代に御家騒動起こってなかったっけ
優秀なのは秀忠までと見てたよ もし秀忠がもう少し長生きしてたら島原の乱にどんな対応してたかな?
家光とあんまり変わらない? それとも自ら赴いた? 本人は行く気満々でも周りが高齢を理由に止めたと思う
(アンタが行ったら負ける) 昌幸と幸村は絶対秀忠のこと雑魚いと思っただろ
信幸もそう思ってたかもしれん 今更だけど増上寺の台徳院霊廟の模型
見に行った人いますか? >>606
武将としたら真田親子の方が上だが、政治家としたら秀忠の方が全然上だよな 信之は政治家として結構優秀だと思うが
まあ将軍と藩主では求められる政治能力は多少違うだろうけど 江戸時代通じたらたかだか10万石の信之レベルの藩主なんて山ほどいるだろう
将軍はまず15人しかいない 秀忠はその15人の中でも確実に優秀の部類に入るしな 今更だが、真田丸の秀忠は星野源か
昔の通説みたいに無能な凡人として
描かれるのかな 家康が大坂や伏見あるいは名護屋とか行っていて所領を留守にした時、
江戸をはじめとした関東の領地の経営の責任者は秀忠がやっていたのかな? 秀忠は主家を滅ぼした後も秀吉から
賜った秀と言う字を決して捨てなかった
普通、父も元康から家康に変えたようにああ
いう場合は通常変えるのに変えていないわけ
はあるのだろうか >>615
あえて改名しないことで
「秀吉の正当後継者は徳川、なかんずく我である。正義は我にあり」
と言外に表現したのではないか。
名づけ親のくれた名を改名することは、名付け親との縁を切るということ。
つまり豊臣政権を徳川が簒奪したという口実を与えかねないので改名しなかった。
という考えもありではないか。 陶晴賢も主君を討った後は改名した
家康も今川家から独立後は元康という名前を捨てた
秀忠はなぜか残している
将軍という立場上、大坂方は滅ぼしたが個人的には秀吉夫妻
に可愛がられていて思い入れがあった、とか 豊臣家はまだ残っていたから、無用な刺激を避けるために、家康が名前を使い続けるように
命令したんじゃないかな
で、大坂の陣の頃には、今更名前を変えるのも面倒なので、そのままにしたんだろう 将軍になってから名前変えたのって江戸幕府にはいたっけ?
偏諱の問題とかもあって変えなかったのかもしれない 改名なんて豊国社をわざわざ破却する労力よりはカンタンなのに
やらないのは謎だわ
他の武将も秀の字を捨てなかった者もいるが、そいつらは豊臣恩顧の
人ばかり 秀忠の場合は・・・
高台院とは親子のように仲がいいのを見ると理由はなんとなくわかる 秀忠ってけっこう陰湿というイメージがある
あずみのせいですけどww >>620
将軍になってから改名したのは家祥→家定くらいか
綱豊→家宣、慶福→家茂は将軍就任にあわせての改名
頼方→吉宗は紀州藩時代
室町幕府将軍は将軍になってから改名してるのそこそこいるんだよね
初代尊氏は「尊」の字捨ててないけど 秀忠って一人だけ家がつかない将軍なんだよね。
俺も秀忠って陰険な奴と思ってたけど、秀吉が好きだから名前変えなかったのなら、
なんかちょっと好きになったわ。 秀吉夫妻は子供が居なかった分、養子どころか人質の子までわが子の
ように可愛がったし、教育も徹底的にやった。
秀康とか秀忠とか親の愛情をまともに受けていない子らは余計に
衝撃を受けたろう 豊臣征伐に積極的だった秀忠が、そんな情義的理由で秀の字を残すかな?
将軍になった途端、趣味だった鼓もきっぱり止めてしまうような秀忠だから
なんか政治的打算な理由な気がする 捨てても別段プラスにはならないが、秀の一字を残すだけで「権現様と違ってほんとは豊臣家に情があるのでは?」という利用できる勘違いをうむ効果を狙ったのかも?
あるいは極端に「政治的人間」である秀忠には自分の名前でさえ、さほど興味の無いどうでもいいものであったのか? 高台院は大坂滅亡後も豊臣の人だが、彼女とは
引き続き仲がいい。でも彼女の死後もかえなか
った。 将軍の立場と個人的情感は分けていたとしか思えない 秀忠の遺体に銃創が残っていたらしいが、秀忠が参加した戦って
上田の戦と大坂の陣くらいだしどちらで傷を負ったんだろう 普通に考えれば大坂で本陣が急襲されたとき負った傷なんだろうけど
大坂方でもそういう決死行の時、攻撃に制約のある火縄銃を携行する余裕があるかな >>629-631
仮に政治的計算があったとしたら、「秀吉の政権をも吸収した全国政体(江戸幕府)の
指導者が自分(秀忠)である」と誇示する狙いなのかも。 >>632
遺体調べたら意外な程に筋肉質だったらしいね、秀忠 >>637
自分のかみさんの江が病気だっことで、予定を変更して帰る途中、かごの担ぎ手が
「なんで、こんなに急ぐんだ?」
「かかが病気だからさ」
「婆の為に急ぐんか」
と軽口たたいた二人を怒った秀忠がねじ伏せてぬっ殺したって話があるくらいだから
相当の剛力の持ち主と思われる。 バキの話でもあるまいし、人を素手で畳める奴などいるとは思えん >>637
キン肉の付き方で骨の形に変化があるからある程度推測できる そんなグラップラーに「たわけ!うつけ!まぬけ!」と怒鳴れる家康ってスゲーなw 『北斗の拳』の世界じゃないんで、肉弾戦での強さで上下関係が決まってた訳じゃないだろ?(笑)
実際どれくらい強かったか知らんが、かの宮本武蔵ですら、島原の乱では原城から腹ぺこキリシタンが
投げた石が脛に当たって、「アオーオッホッホ」と『トムとジェリー』のトムみたいに悶絶したんだから。 >>642
実戦剣術の皆伝者にして馬術、水練の達人、二人持ちの狭間鉄砲で雀を狙撃できる膂力スナイパー
の家康なら馬鹿力程度の息子なんぞ、恐れるに足りないだろう。 話半分に聞いておいたほうがいい
足利学校なんかも家康が保護したと信じていたけど
あれ関白秀次が保護していたのを秀次が書物を奪ったと
いう事にしてのちに家康が保護したことになっていたからなw >>647
小和田哲男氏の著作でも見てみたら
「浅野家文書」に秀次が保護した記述があるけど
一般的な「正史」では家康になってるからw >>648
ないわー流石に小和田信じるのはないわー >>649
なぜならカンタン。君が家康信者だからです >>646
当時の豊臣家は天下様だから文化保護は責務の一つ
秀次が盗んで行ったかの表現は違和感ありあり だな 改名となるとあれこれ手間も金もかかるからじゃね
何かあるたびに改名だ改元だとやり始める習慣化されても困るし 単純に秀忠という名前が気に入っていたからだろ
主家から貰った名前だから主家を討った以上は変えるのが通例
でも秀忠は秀頼は討ったが、秀吉を討ったわけではないので >>657
かわいそう〜〜って思ってたんじゃないの?
弟の俺が跡継ぎになっちゃって兄貴かわいそう〜〜って
それぐらいの普通の感覚はあったんじゃないかな
家光ほどの猟奇性は感じない 駕籠どうぞどうぞする逸話見るに哀れみというか遠慮してるんだろうなとは思う この頃は母親の血筋と言うものも重要視されてたからなぁ
それを考えると単なる長幼の序だけで、秀忠が秀康の事を
判断し、考えてたか疑問を感じるな 俺は尊敬してるゼ→二代目
親父は人質から始めて、色々有ったろうけど天下人
部下は(脚色されてるとしても)凄まじく有能
外様大名は己の気良で生き残った英雄
せがれは、「生まれながらの将軍である、キリッ」 めちゃめちゃ温厚で我慢強いイメージがあるけど
人殺スイッチが入ると何があっても許さない感じ 利用できるなら親父のカリスマだろうが
恐妻家の噂だろうが、とにかく自分の
目的の為に何でも利用する政治大好き人間って感じがする 英雄たちのなかに1人一般人がいる感じ
相当気を張ってなけりゃつとまらない
それでちょっとキツイことばかりやりすぎたか 隆慶一郎はなんで秀忠をあんなキャラにしたのか
なにを根拠にして人物像を作り上げたのか
逆に興味があるな >>666
主人公の影武者に対して、悪役というかライバルを用意するには絶対権力者の家康に次ぐ立場の秀忠のキャラクターをあのように設定しないとストーリーが成り立たないって事だろうな
主人公→善良な理想を掲げた人、家康(影武者)
ライバル→律儀な後継者、秀忠
ではストーリーが成り立たないし、他に家康とまともに対抗できる人物もいないし
ホームドラマ仕立てにするならともかく >>623
尊氏は鎌倉幕府滅亡後も3カ月くらい「高」の字を捨てていない
恐らく主上から偏諱を受けなければ後生大事にしていたのではないだろうか 尊氏の場合後醍醐天皇と敵対した後でも、生涯尊の字捨ててないからな
秀忠がその故事を手本にした可能性も無くはないだろうけど 秀忠は明らかに主君からの偏諱だから主君の家を滅ぼした後は
普通は変えるが変えていないのは豊臣公儀からの正当な継承者を
アピールするためとか?
徳川家の征夷大将軍は生前の秀吉が望んでいた、という話もあるし
(東西(西は毛利家)の将軍の上に羽柴武家関白が統治するという構図で) 息子に「高」の字を与え
その後通名にまでしてしまった京極家って一体…
まあ大河太平記でも道誉と高時仲良かったもんな コンビニでレジ待ちしていて前の高校生が衝撃的な話をしていたので書く。
「期末テストの社会で「原発は賛成か反対か意見を書け」ってあったんだよ。だから俺、「反対」って書いたらバツで返された。意見書けってのにバツっておかしくねえ?」
https://twitter.com/guchirubakari/status/759515386014334976
東 海アマ サンマ以降のバラエティ芸人の大半が、暴走族出身で極右思想。原発反対派を「放射脳」と嘲笑する連中。
芸能界極右は石原慎太郎一家を筆頭に、上田晋也 草野仁 津川雅彦 向井理 松本人志 宇多田ヒカル マツコ 春日俊彰 田村淳 北村晴雄
https://twitter.com/tokaia mada/status/630627400552845312
名無し 食べて応援で人が何人死んだみたいな無茶苦茶なこと、福島県の人に対してよく言えるな…。見苦しい。
https://twitter.com/tok aiama/status/720726309240836097
千葉麗子 「科学的根拠も示さず福島には住めないなどと風評被害をまき散らしている」
奥田知志 「薄い放射能〜大丈夫だっぺ〜食べて応援」 NPO法人抱樸理事長 SEALDs奥田愛基氏の父親
青山繁晴 「放射線障害で、つまりいわゆる放射能にやられたって意味では、亡くなった方はもちろんゼロで、治療を受けた人も、1人もいないんですよ。ね。
副島隆彦 「ホテル 放射能」を建設しよう。また、愚かな「放射能コワイ、コワイ」派の敵どもが、ギャーギャー騒ぐでしょう。 福島では、誰も死なない。[1792]
リチャード輿水 「なぜ、福島が安全なのか、10月11日(日)のRK佐久講演を聞けば、全部、わかるよ。」
ベンジャミンF フクシマが大変だ大変だって、あれはもうプロパガンダ、嘘八百なにもない。26分40秒〜
https://www.youtube.com/watch?v=KRd6O5bwN9M
週間AR 「自分を『負け組』と考え、反原発を主張することで正義の味方を演じ・・・」山本太郎の事かと思った。
https://twitter.com/aka shicr/status/592255976788504577
開沼博 良識派ヅラした偽善者の傲慢に付き合うな。コメンテーターの室井佑月が(略)あたかも自分が正義であるかのように語り続けていました。
https://cakes.mu/posts/7862 御三家って尾張、紀伊、水戸って思ってたけど、
ほんとは紀伊じゃなくて駿河だったらしいね 家康がものすごくかわいがって、
自分の隠居城をそのままゆずると言っていた
それを西への対応がどうのこうのといって、駿河から無理やり紀伊にやった
紀伊じゃなくて大坂100万石にしてくれといったが無視された 秀忠は身内にも厳しいからなぁ
息子の忠長も勘当して蟄居させてるし 頼宣にも一応西国転封の際、再建された大坂城を領することを願ったけど、
かなえられなかったって逸話があったじゃないかな
司馬遼とかの小説では扱いの悪い安藤直次に納得させるよう説明させたって
逸話もついでにあったような気もする >>677
と言うか秀忠が甘い相手っているのか
お江ですら朝廷対策等を見るに
恐妻家の噂を利用した印象があるのに 息子達は論外、正之に至っては生涯会わず
弟達は全国統治の為利用、役立たずとみれば改易
娘の嫁ぎ先にも不祥事があれば容赦なし
ただ北政所とか阿茶局に対する態度を見ると
母親的存在に対する態度は多少甘いかなって程度か 実直な人物ではあるが、どうにも陰湿なイメージがあるな >>682
そのイメージは大体隆慶一郎のせいだからとっとと棄てた方がよい >>682
自分は政治、統制が大好き、その妨げになるなら
趣味だった鼓だってきっぱりやめますってイメージだな 信長にしたって信忠に生前家督譲っているし、
他にも今川とか毛利、大友とかその他諸々
生前家督譲られた息子多いのに
秀忠はその譲られた家督が将軍だったんで
評価割り喰っていること多いよね 一番わからんのは、秀吉死後もなぜにあれほど江与を厚遇というか尊重したのだろう
恐妻家である必要(妻の実家の権力)はまったくなかったのに
唯一あるとすれば、妻の姉が豊臣だというくらいでしょ
わからないな 秀忠は豊臣家に苛烈と言われながら、結局は秀吉から賜った秀という字を
終生捨てていない
そして大坂の豊臣本家が滅びた後も上京した際には京都新城の高台院を
訪ね丁重に扱っているし、北政所が羽柴家が絶えてしまうと嘆くと養子を
取ることを認めた上に、3000石の旗本とはいえ滅亡した大坂の豊臣本家の
後継と認めたのは驚く 秀忠は豊臣家に苛烈と言うより秀頼に対して苛烈なんじゃ無いか
舅の自分に敬意を払うことが全くなく、苦労知らずで現実認識能力が
欠けているくせにプライドだけは高くて、昔と今の違いも分からず
我が儘言いたい放題な上に、自分が頭が上がらない家康が
無用に気遣いを払っていて、冷徹な政治家の秀忠としては
害あって益無しの、無用な存在が許せない相手だったんじゃ無いのかな