戦国時代 心優しく、善人だった大名、武将は誰?
戦国時代で善人とか 心優しかった大名や武将って誰ですか?
教えてくださいお願いします。 ググっても分からないのです ○公○民という概念は石高制を導入した太閤検地以降のもの
貫高制の表現には不適切
後北条の四公六民は江戸時代の創作だろう
史料的には、北条領全体の検地帳が存在しないため一段500文がどのくらいの割合か分からない
(一段あたりの収穫量が土地によって異なるため部分的なものでは意味がない) サッ と1からレスよんでるが>>322から>>328は妙に面白いな。変わった視点だが説としては頷ける所も多々だな、
将軍義輝から貰った大切な絵をわざわざ斎藤にプレゼントしてるあたりはそういった働きも含め高く評価してる証なのかもと感じた 北条領内では氏康の失政から民の逃散が相次ぎ「国中緒郡退転」(公生文書)という悲惨な事態になっている
逃散民を呼び戻すために一時的な減税を行うが、ほとぼりが冷めると増税して、また逃散されるの繰り返し
キレた氏康は「私が(民に)モテないのはどう考えてもお前らが悪い!」と小領主の利権を奪うも逃散は収まらず
民の苦難を見かねた坊さんに「善政しろ!」と説教されると、「善政しとるわ!」と顔を真っ赤にして自画自賛
その自画自賛を無批判に垂れ流してるのがネットで散見する北条の善政(笑)である >>284
>暗殺を好まず、家臣・領民を慈しみ、親兄弟や妻子も大切にする…
>誰が該当する?
斎村政広 佐竹義宣はやることはやってるが伊達政宗に比べると穏便に事を進めてて育ちはいいなと思える あの政宗とくらべちゃいかん
みんな心優しく善人になってしまう 現代の常識に当てはめても善人ってなかなかいないな……
戦での人殺しは仕方ないとすると
石田三成、立花宗茂かな
三成は
殺されてもおかしくないような
無礼を人前で働いた(わざとじゃない)部下を
結構なお金与えてクビにとどめたし
そもそもこの人家臣農民を無礼打ちにした系の逸話聞いたことない
元が農民当然の武士だったせいもあるかもしれん
宗茂はもう言わずもがな
まさに王子(逸話的な意味で)
二人とも善政敷いてたし家臣や領民に慕われていたし
謀略身内殺し当たり前の中じゃ
気性は穏やかな方なんじゃなかろうか >>180
小林性のおっさんが伊達を持ち上げるのは小林性が伊達と深い関わりがあるからだろ
出身地によって違うが、確か小林って伊達と関わりがあったみたいなことどこかで書いてあった
家臣を大切にしたのは立花道雪、宗茂、石田三成
民を慕われたのは北条早雲、島津義弘、小早川隆景、吉川元春、新納忠元
他国大名達に慕われていたのは立花道雪、宗茂、小早川隆景、吉川元春、島左近 宗茂とギン千代は改易された後、柳川の領民が肥後まで金品食料を
献上しにくるくらい慕われてたんだよな 王国クランベリーラーメン
王国クランべリーラーメン
王国クランべリーラーメン
駐車近代リカエらーめん 宇喜多直家
味方には異常なまでに優しい
敵には容赦ないが >>371
伊賀久隆「『味方には異常なまでに』なんだって?あぁっ!?」 仏道のお師はんと比べて野蛮な我が身が恥ずかしい
俺は城主を辞めるぞーーー!!の今川氏真さんぐう聖人に転職
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:kU5fxarpJOsJ:www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20170620/CK2017062002000094.html%3Fref%3Dhourly+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
徳川氏の支配下で一時、牧野城(諏訪原城、現在の島田市)の城主だった一五七〇年代中ごろに記されたらしい。
「深雪」「仏名」「祝言」という三テーマごとに二首ずつが詠まれ、より優れていると考えた方に記しが付いている。
氏真を示す「宗●(そうぎん)」の文字が右下にある。
文書が作られた状況ははっきりしないが、岡村学芸員が注目するのは、仏名の一首。
「法の師の 聲(こえ)うちそへて あつさ弓 おなし雲井に すめる夜半哉(よはかな)」。
武士として弓を持つ自らの身を罪深く感じる趣旨の内容という。 今川氏真公。親の仇の恨みを水に流して復讐を望まず、斎藤を援助することもなく信長の美濃攻めを好意的中立で放置。自分を裏切った家康を恨むことなく、その後暇潰しの話相手を勤め、華麗なリフティングまで披露して家康を喜ばせた。キリストみないなお方の氏真公。 大宝寺義氏。
僧侶上がりだから、民に優しく。
自国より外征で物資を得たから。 悪源太源義平は平安時代だし悪党楠木正成は鎌倉時代末だから
戦国時代までだいぶ時が流れてる。
悪人正機もあるから元々「ワル」の意味もあったんじゃね。 >>39
さらに裏切って武田共々に今川を滅ぼした徳川家康にすべて身を任す心の深さw >>381
最上義光や伊達政宗と間違ってないかな? >>386
大宝寺義氏は織田信長に贈り物をして屋形号を許された。
それで領民からは悪屋形と呼ばれた。間違ってません。 意外なようだけど戦国人にとっての善人は信長公だおw
当時の史料「天下を支えた恩徳ある人」「欲がなくて聖人のようだ」「優しい人だ」
「信長公のご誠意に励まされた」いろいろあるお 戦国板でだおwとかあの糞コテまだいるのかよって感じ 安宅冬康
血気に逸って戦で殺戮を繰り返し傲慢になっていた兄・長慶に対し鈴虫を贈り、「夏虫でもよく飼えば冬まで生きる。まして人間はなおさらである」と無用な殺生を諌めた。 豊臣秀吉だろうな。
刀狩りってのは庶民からすれば決定的に有り難いよ。 内ヶ島のこと?地震の山崩れだけど
内山田も雪崩も戦国時代ではわからん 誰かに優しいってことは、誰かに厳しいってことで、大切にするものが間違えない人が善人でいいと思うけどな
転職しまくりだけど、藤堂高虎なんかはさすがというか、現代の有能という逸話が多いし、善人な気がする 南部信直。
自身を56しに来た浪人とその仲間たちを登用って
なかなか出来ることじゃない。 >>1
とりあえず真田幸村
まあ強くて性格イケメンなら凄いだろ
最後の最後に娘を敵方に逃がすという賭けに出るのも人間臭いし あとは上杉謙信かな
戦っている理由が「義」のみ
天下統一には絶望的に不向きだが
基本的に無駄な殺生をしないし
立ち向かってくる相手には正面から迎え討って屈服させるよね
そして降伏したら許しちゃう
キレて兵を起こした成田長泰や小田氏治も「参った」と言ったら引き上げたらしいし
手取川でも必要以上には追撃をしなかったらしい 斎村政広(赤松広秀)
朝鮮人に「日本の将官は、すべてこれ盗賊であるが、ただ広通だけは人間らしい心をもっています」と絶賛され
名刀「獅子王」の所有者で、殖産振興につとめ領民にも慕われ、武断派とは対立した文化人肌の仁の人
関ケ原の合戦のあと、ゴマすり大名・亀井茲矩に罪をなすり付けられて切腹 >>405
尼子の支配力・権力の弱さを物語っているエピソードやな ∧ ∧
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| ̄ 金吾秀秋  ̄)
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