戦国時代 心優しく、善人だった大名、武将は誰?
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戦国時代で善人とか 心優しかった大名や武将って誰ですか?
教えてくださいお願いします。 ググっても分からないのです 徳川の内政官の内藤清成や青山忠成は
「仏」とか言われて民に慕われていた。 wikipediaより引用。
島津忠昌(島津氏11代当主)
「忠昌は軍事よりも文学に優れ、1478年には桂庵玄樹を招聘して朱子学を講じ、薩南学派の基礎を築いた。」
島津忠治(島津氏12代当主)
「父の忠昌が自殺したため、その後を継いで当主となった。しかし忠治は戦乱の君主としては不適格な温厚かつ
学問好きの当主で、鹿児島に大興寺を建立したりするなど、戦国の世と合わないことを多く行なって島津氏内部
の内乱はさらに促進された。」
島津忠隆(島津氏13代当主)
「兄・忠治の死により家督を継ぐ。兄同様に戦乱を好まず、文学に傾倒し、古今伝授を受けている。このために
島津氏内部の内乱は続いた。」 質問なんですが、北条氏康さん とかは優しくて善人だったのかな? 上杉謙信なんかは善人の代表格みたいな武将だったから
その謙信に討伐されても逃げ続けた北条氏康は悪人という声が多いみたいですね。 上杉謙信って善人だったんですかね? なんか見方を間違えて殺したり
人質も怒り来るって殺したとかありますが・・・ やっぱ戸次鑑連じゃあないかと
あと氏郷とかさ
島津方は人情の話が割と多いよね >>8
味方を間違えて殺したなんて知らないな
柿崎の幽霊が出るんで、実は信長への裏切りを誤解した謙信が殺した
なんていうトンでも話は知ってるが。。。
だって謙信って自分を裏切った相手が降伏すればことごとく許してる義理人情ある武将で有名だよ
氏康でさえもそれを認めて一時期、謙信の軍門に降ったような同盟関係に奔ってるわけだし
敵にさえ認めさせる人物ってどう考えても善人以外の何者でもないだろ まず>>1が思う善人の定義を示さんとどうにもならんだろう。
例えば戸沢盛安とかは先頭切って敵に突っ込んで夜叉九郎とか恐れられた反面、捕虜とか怪我人とかは殺さなかった、ってのもあるし。 ん〜・・・ 人殺しを嫌って大名にはむかないような人 でも武、知ともにすぐれてるような人
はいないのかな? 慈悲があって愛があって人殺しを嫌って善政をひくようなひと 仮に民主党マンセーな人に、鳩山や管は善人か?とか
自民マンセーの人に、麻生や安倍は善人か?とか
聴いてみるぐらいナンセンスなスレだ。
宗教政党や独裁左翼政党はなしよ。 宗教政党や独裁左翼政党みたいな
似非平和主義者、人権屋ほど
本当の悪はないからな >>12
そんな甘い奴が生き残れるわけない
そもそも頭の良さなんて誰かを蹴り落としてなるもんだし 宇喜多直家や毛利元就、斉藤道三、松永久秀みたいな謀将が
表向きそんな平和的な薄ら笑みを浮かべて敵を暗殺したりするんだよな
もしくは北条五代みたいに弱いもの虐めだけして強い敵が来たら全力で家の中に逃げ込むって感じ 善人ランキングみたいなの作ってくださいお願いします。 聖人君子が戦国時代で名を上げるのは無理
ヤクザに善人なんかいないだろ? 三好長慶
謀反人とか言われているが、
実際は戦国武将になるべきではなかったほどの温和な人 上杉謙信は関東で拉致した人たちを
自ら差配して売り飛ばして儲けたという。
そのため毎年の関東遠征の真の目的が略奪・人さらいだった
という説すらある。
あと、彼の発言に「甲斐・信濃の人家残らず焼き打ち」というのがある。
甲斐信濃の人家を残らず焼き払おうと考えて武将が塩など送る筈無い。 おまいらにとって優しいのは
朝鮮半島を蹂躙しまくった豊臣秀吉だろw 家康とか謙信は自分自身にだけはとっても優しいお( ^ω^)
これも一つの優しさと言えなくもないけど( ^ω^) 謙信は自分には優しいっていうか、あいつの場合は家臣にも何がしたいのか全然分からないんだがw 家康は悪人だけど善人よりも善良になれたから天下を取れたのですよ
悪人は時として善人より善良になれます 黒田如水は世間では謀略家のイメージがあるが家臣や領民にやさしく主君に忠義をつくす人情家だよな
自分を裏切った浦上宗景の子孫をめしかかえたりとかしてるし
唯一の汚点は城井宇都宮鎮房の暗殺くらい 大内義隆
朝廷を愛し、寺社を愛し、男を愛した慈愛の人 今川氏真
親の仇である信長に蹴鞠を披露してあげる心の広さ >>31
まあ、謀略のイメージが強いけど、義光の代に山形が急速に
発展し、一揆が皆無だったのは事実。
地元では名君として扱われてる。 義光がそうなのかは知らんが、
敵に厳しく領民には優しいってパターンならいいやね。
いるかどうかはわからんが。 政宗はスペインの軍勢を涙を流し呼び込む優しさを持っていた とりあえずハッキリ悪人と言えるのは
ドラマとかで主役に追いつめられて降参した敵ボスが、その主役が隙を見せた途端
「バカめ!甘いわw」とか言って背後から銃を撃つ・・・てタイプを地で行く毛利元就
悪さしてるところに主役がやってきて、それに刃向かうも全く歯が立たず
「クソッ! おぼえてろよ!」とか言って涙目で逃げて行って、
主役のいないところでまた弱い人を苛めたり盾にとったりして対抗しようとするタイプを地で行く北条氏康
こいつらが典型的な悪人か >>47
父親の代の外交を全部ぶち壊しにしておきながら、いざ苦しくなったらそれに助けられてる伊達政宗とか、
苦しくなったら朝廷を利用して和睦→和睦破りを繰り返す織田信長とか、
その辺もか? でも実際に領地に行ったのは生涯で一回だけらしいぞ。 >>44
俺には全く優しくない。
可愛い嫁と別れろとか
可愛い息子を養子に出せとか
汁は一度に汁!とか
>>53
それが結局お前のためになるんだからといわれればそれはそうだろうが。
そういうわけで、誰の立場から見てっての決めてくれないと何とも言えない。 上杉謙信
北条からの人質に自分の幼名つけてかわいがったあげく、同盟が破綻した後も
まるで後継ぎのような扱い。どんだけ良い人なんだよ。 >>1
マジレスすると、そんなものは視点によって違うので一概にはいえない。
それをつくづく考えさせられるのは北条氏康が上杉憲政の息子に対する扱いの逸話ね。
あれが「美談」とされてるんだから、どれだけ現代と考えが違うんだかと痛感させられる。 松永久秀も教養豊かな善政名君だと言われる真実は一つでは無いわな
住民増加率が多いと比較的参考にはなりそうだが やっぱり自国に敵の侵入を許さなかった大名だろ。
頻繁に財産もって避難ばかりして
敵に民衆の家屋を焼き討ちされてちゃかなわんわ。 善人かどうかは判らんが、
耳川合戦で大活躍しながら、
合戦が終われば戦死者を敵味方分け隔てなく埋葬し、
慰霊搭も建立した山田有信とかはどうだろう?
>>11の戸沢盛安に近いタイプかな。
>>57
ハチャメチャな人物ではあるが粗暴な野蛮人ではないんだよな。
茶器を持つなど文化をたしなむんだよな 平気で主君を裏切る辺り善良だったとはとても言えないけどね 毛利隆元
家督相続してたから一応大名でしょ
親父はあれだけど・・・・ >>62
隆元兄は記録も少ないから困る(´゚ω゚`)
義隆にケツ掘られた奴が大名か・・・ >>63
お人よしで人望があったと昔見た
本(タイトル忘れた)で見たような
息子もお人よしだったようだが・・・・
隆元は、人質だったから掘られるのも外交
耐えてか、喜んでたかは謎だが・・・・ 戦国初期の武将で長野業正という名将がいる。
以下、WIKIより
真田幸隆(幸綱)は武田信玄の家臣となる前に業正に仕えていた。
業正が年をとって長野氏が衰えてくると幸隆は信玄の家臣になろうと考え、
密かに脱走を試みた。脱走は成功したが、ある峠で業正から手紙をもらった
幸隆は驚いた。そこには、幸隆の身を心配した内容が書かれていた。幸隆の
妻や家臣達も殺されること無く、幸隆は業正の器の大きさを感じたという。 家臣に優しい、領民に優しい、敵に優しい、地球に優しい
すべてを兼ね備えるのは不可能だな(最後のはオマケだが) >>66
大寧寺の変でオヤジが通謀していた事も知らずに
ひとり大内義隆の敵討ちを叫んでいたらしいからガチで喜んでいそうだ 基本的に農民に優しいと配下の武士に優しいは矛盾してるんだよな。
当時の給料は今の公務員や会社みたいに上から支払われるわけではなく
武士に土地を与えて農民から収奪させるものだしな。
それで武士なんてものは基本的に生活に困窮してたからな。
「農民に優しい領主」とかいって農民からの収奪率を低くさせると
配下の武士たちを困窮させることになる。 >>56
現代の倫理観に近くなってくるのは徳川綱吉が儒学を奨励し、生類憐れみの令を出した元録時代だもんな
それまでは日本人は結構荒々しかった >>74
半農の武士階級ばっかだから
住民に厳しくしたら一揆を組まれて離反される。
統治に失敗する無能は失脚する
大名は絶対権力者ではない
こういう事情が理解できない守護は下克上される。 朝廷や幕府が弱まってきて、地方の有力者が武装蜂起する、ってのがパターンだよな >>64
当時の武家社会において珍しくはないがやってないほうがレアという事は絶対にない
毛嫌いしてたヤツも多いし主従関係を持つ人物以外ではそういう関係をもつほうがレアだった訳だが 弱きを虐げ強きに媚びる→一揆
弱きを助け強きに抗う→滅亡
どないせいと 個人的な性質では、心優しく、善良であったとしても
施政に関しては鬼にならないといけないこともあるよね そーいう点では
北条みたいに普段は民百姓から年貢を取り立ててるのに
いざ、敵がくれば百姓見捨てて自分ら家族だけは安全な場所に逃げる大名って
個人的な性質も政治もどっちもカスだな まあ、立花宗茂みたいに家臣にも領民にも慕われ、
敵対してた相手とも大抵和解して、友誼を結んだり、
面倒見たって武将は稀だわな。 宗茂も柳川復帰の時に仕官を申し出た田中家臣を
残らず追い出しちゃったりしてるがな >>81
鬼高利貸しが政権運営してるのが北条だからね。
質を取った上でトイチ金融をするようなもんで
時代を先取りしてる先進金融社会体制を築いた北条は評価されるべき。
謙信が焼き討ちをするのを放置してるのも、
その方が質流しと家族から引き離しての人売りで北条金融が儲かるから。 関東人も災難だったおね( ^ω^)
後北条が悪政敷くわ、謙信が荒らしまわるわで逃げ場がないお┐ (´ω`) ┌ 謙信の軍隊は規律が正しかったと思う。
後北条が悪政を敷いていたのなら、
上杉軍は人民解放軍だね。 上杉謙信軍が、掠奪し放題だったら、
謙信に正義はないな・・・ >>88
焼き討ちは戦術だからやってたが
略奪は知らんな。そもそも略奪できるほど財産があったら
質を取っての高利貸し悪政やり過ぎで民衆暴発危機の恐怖で
徳政令の頻発なんて事態が起きないだろうけどな。
そもそも氏康自体が悪政が原因で隠居させられ徳政令発布だし
謙信の小田原城侵攻をラッキー♪って利用して、危機だから復権します宣言してるくらいだから。 >>91
は?
謙信が自ら差配して関東で拉致した人たちを
売りさばいた逸話知らんの? いままで何度も許している小田が懲りずにまた謀反したからだろ
しかも今回は佐竹義昭が死んで喪に服してるのをチャンスに挙兵し佐竹を敗走させて激怒されてる。
小田が土浦へ逃亡したあと謙信は結城晴朝に和睦条件を一任しており
小田は小田城破却作業を飲んでおり
小田城破却中に民を飯代程度の安い金で売っているのも結城晴朝が交渉で得た条件だろうし納得しない佐竹の激怒報復的なものがあったかも知れない。
そもそも謙信はこの1回しかやってないから習慣性は感じられないし、
結局今回も謙信は土地の取り上げをやらずに小田を許し返却してる。 もう! 結局北条氏康さんは 善人ではないの? 島津義弘さんは良い人でしょ?
はっきりしてよ! それはそういうはっきりした記録がそのくらいしか残ってないからだろう。
当時としては略奪・人攫いは常識すぎていちいち、記述するほどの話しではないと。
あと、もう一つ言うと当時は「無抵抗な非戦闘員たる農民」なんて存在しない。
刀狩りで大量の武器が没収された件からもわかるように当時の村は相当に武装していた。
「落ち武者狩り」なんてのはその典型で敗戦で落ち延びた武士を襲い身包み剥して収入にするわけだが
時には正規軍の兵士まで襲い掛かるほど獰猛だったという。
略奪・人攫いなどの民への攻撃は正当防衛的な側面もあった。 しかし信玄の価格設定と違い、
謙信がやった価格じゃまったく儲からないわけだが。
なんかメリットあったの?メリットないから
和睦交渉で決まったこととして押し切られて
結城や佐竹ら関東衆の意見を尊重し
1回だけやっただけじゃないの?
下記を見ればわかるが徳政って言っても北条直轄領では
借金返済できずに売られた妻子すら取り戻し禁止の悪魔徳政っぷりなんだが。
関宿城番の恒岡越後守と太田下野守→高利貸しであり北条組における奉行職のポストを得て
財務を扱っていた根岸など武士階級相手に金銭の貸し手で蔵本そのもの。
(古河公方にはある閏年郷役の御恩賞の制度すらない民衆吸血鬼北条)
氏康の大失政により民困窮し隠居した際の代替わり徳政の悪法。
永禄3年徳政令において2月晦日付伊豆国牧之郷(北条直轄以外の私領での公布において)
さまざまな形態の貸借や蔵に入れた質物が徳政として無条件破棄。
諸代官・諸奉行の立て替えた年貢の利銭の猶予。年期売の妻子や下人等の取り戻し。
上記の話の2週間後に北条高利貸しの意見を聞いたのち修正し北条直轄領で施行開始
3/16日付武蔵国網代郷(御領所=北条直轄領)穏便な取り戻しや三嶋酉町で質流れした物は返却請求禁止(高利貸し超有利!)
諸代官・諸奉行の立て替えた年貢の利銭の猶予&売られた妻子や下人の返却完全黙殺(奴隷売買で売られた家族の取り戻し禁止とか悪魔すぎ)
北条大名権力直轄領の経営に携わる蔵本たちの高利貸し資本を露骨に保護する北条の本性が垣間見れる。
このアコギな商売に反発した関東武士団が要請しての永禄4年景虎の小田原侵攻 信玄と久秀と長可と政宗と悪い家久と直家と元就が同じ時代に生きていたら一番善人は誰やろか >>98
民が喰えないほど困窮してたのに無視して
北条は軍事侵略を繰り返して、さらに貧困層を作り出してたのか酷い悪政人災ぶりだな。
民の苦しみを理解できない鬼畜北条は、北条幻庵の指揮の下に上野国にも暴力を振るって上野攻略達成感に満足してたんだもんな。
そりゃあ民の苦しみを見れば関東諸将も謙信に泣いて救援頼むわな。
しかしそんな困窮して略奪するようなものが何もない貧困した民だらけの関東にわざわざ謙信も出陣するなんてなあ。
なんだか、だんだんスレの主旨が違ってきてるぞ・・・ つまり悪魔北条に立ち向かった謙信が一番優しいってことで合意をみたので
このスレは終了でいいよ。 黙認してたんだろ。
異議があるならさっさと反論書けよ。 ID:UzhJR59P=ID:UzhJR59P
って。。。
北条厨またまた涙目大敗? 北条厨っていう人種がいることが俺には信じられない
可もなく不可もなく、それほどの美談がある訳でもなく
武田に塩が出まわらないようにとかコスい工作をしたり
謙信の事を関東管領って認めたくないが為に「長尾」って呼んだり
なんの魅力があって贔屓にするのか北条厨というマニアの人たちに問い詰めたい気持ちでいっぱいである 北条ってもともとは
どこの馬の骨とも知れない流れ者が勝手に関東の地に居ついて
で、嘘や裏切りを繰り返して、自分を可愛がってくれた人たちを殺して
その土地を不法占拠して、名前も勝手に土地の人の姓を名乗り出した大名の代表格なんだよね
この北条家の歴史ってさ
そのまんま、戦後の在日韓国朝鮮の日本不法移民の問題と一緒なわけ
多分、北条厨って人は、そんな自分たちのルーツと北条一族をダブらせたんだと思うよ
その証拠に、2ちゃんで単発ID自演を平気でできる排他的な人って、みな在日チョンというのは有名な話だし そんなに北条ってカスなのか。
俺は斉藤道三が実は善人なんじゃないかなと思う。
まあ地元だから愛着があるだけなんだがw >>115
いや、斉藤道三なんかだと、
マムシの道三なんか言われて本人も悪人である自分を隠していなかったし
戦国の世だからと割り切って自信を持って悪人に徹していた潔さがある
信長もそうだし、松永もそう。
でも北条の場合は、カスのくせに変に自分ら一族を善人のように見せかけたり
負け戦を勝ち戦のごとく喧伝したり、とにかく、やることなすこと本当のクズって感じなんだ
今で言えば共産左翼の民主党みたいな感じ。
クリーンな政治、官僚脱却の政治主導とかキレイごとばかり言っておいて
尖閣諸島で中国船船長を解放したのは地方検察の責任にしたり
チョンのために朝鮮学校の教育費を日本国民の税金で養ったりするのを一部の有職者が決めたとか逃げたり
事業仕分けで無駄を削減とか言いながら、大韓航空爆破した北チョンテロリスト実行犯をヘリコプターで遊覧させたりと
そんな表では善人面して裏の顔はチョン。みたいな人間が本当の悪人だと思うんだ >>118
政治の話したいだけだろお前
氏ねよネトウヨ あちこちで所かまわず政治の話で顔真っ赤にしやがって
>>119
父親を強制的に隠居させ義兄を裏切るような奴のどこが? >>120
信長の場合は、朝倉を攻める時は浅井に事前連絡する約束を破ってるから自業自得。 詰めが甘く逃がしちゃったところに長政の優しさを感じる >>120
その父親と昔の恩義に負けてる上に、敵対しても嫁は離縁するわけでもなく生かして返してるじゃん
■サブとは?
愛知県安城市近辺在住の無職引きこもりぎみのおっさんらしい。Wikipediaを
荒らしたときのアカウント「Sabkakusikaku」から通称「サブ」と呼ばれる。
■特徴
・とにかく煽りたい、貶めたい、馬鹿にしたい、構ってもらいたいという
感じの悲惨な人
・煽り文句と妄想ばかりの駄文を大量に投稿する
・「厨、捏造、論破、マンセー、ワロタ、バァカ、トラウマ、屑、基地外、無知、雑魚、
土下座、美化工作、〜なのは事実」など語彙が貧困で口汚い。論法も稚拙
・史料を曲解・捏造するため、ソースを求められるても提示できず逃げまくる。
そのくせ反論にはちゃっかりソースを求め、かつ都合の悪いものはひたすら
無視・捏造扱いする
・唐突に自分の過去レスをコピペしてソースと言い出す
・他者の指摘に耳を貸さない。自分の間違いは認めない
・自説を主張するためには平気で嘘をつく
・単発IDは自演と決めつけるが、そのくせ自演とマルチポストが大好き
・対立スレを好んで立てる
・知識がないのに、知ったかぶる
・レスしているうちに、混乱して自爆(自説を否定)することも
・史料の成立年代と、それが収録された書籍の出版年の区別がつかない
・「サブ」「荒らし」といわれるのが嫌らしく「サブ=○厨」「○○スレを
荒らしていたのは○厨」と意味不明ななすりつけをする
・とにかく気持ち悪い 石川県の地方紙の北國新聞に連載されている
「猪山家の人々」という連載記事を読んだ人がいるかな?
江戸時代の武士がいかに借金漬けで酷い生活をしていたかわかる。
常時に馬や使用人を召抱え、彼らに給金を払わなくてはいけない。
農民が挨拶にくると多少の小遣いを与えなくてはならない。
そんなこんなで生活がカツカツなのに冠婚葬祭とか祝い事とかの出費が半端ではない。
例えば猪山家が40俵取りから50俵取りに増封される時、
100人近い、上司・上役、同僚、親族などを招いて鯛のおかしら付きの豪華な祝宴をあげなくてはならない。
さらに数百人の痴人などに礼状などを送らなくてはいけなかった。
増封を受けたことにより増封分の数十年分もの出費を強いられるわけだ。
これは別の猪山という男が見え張りの贅沢男という事ではなく当時はそれくらいが当たり前の風習だった。
武士というのは格式とか体面が最大限の社会だった。
そういうのをまかなうために商人や同僚や親戚に借金をするわけだが、
当時の利息が半端ではなく年利40%が普通だった。現代のサラ金以上の利息だ。
こういう話しを聞くと「農民からの租税を軽減する」という行為が
実は結構、問題のある行為だという事がわかる。
現代流に言えば、ついこないだ民主党の鳩山がやってたような
財源もないくせに子供手当てやら高速道路無料化やらの大盤ぶるまいをしてたのを思い出す。
「優しい大名、武将」と言っても、どこに焦点をおくかが問題だよね。
農民からメチャ搾り取って、武士の給与を増して生活を楽にする大名も「優しい」といえば優しいし。
その逆も言える。 >>132
そんな講談話しを信じているのか?
まあ塩止めに積極的に参加しなかったのが
「塩を送る」という話しになりかわったという説はあるけどね。
しかし、謙信が甲信への塩止めに参加した場合、越後の製塩業に計り知れない
ダメージを与えるから、したくても出来なかったんだろうけど。 塩止めしても
相模や駿河の製塩業者が困らなかったのに
何で越後の製塩業者がやると困ることになるの?
会津盆地は温泉から塩を作り出すほど塩に困ってる地域だし越後の南の北関東も海無し県。
塩を売りさばく場所ならいくらでもあるよ。 >>135
現代と昔は違うんだぞ・・・
現代なら日本全国どこでも商談したり送ったりできるが
昔はなかなかそういうわけにはいかない。
少なくとも甲信がお得意様だったのは間違いない。
ましてや塩の価格も上昇してたろうしな。
駿河や相模の製塩業ね・・・
まあ、彼らは普通に塩止めでダメージは受けてたろ。 主君、親族、友人らへの義からくる行為が
その他の人や多くの民百姓にとって害悪となるやも知れない。
領国全体を、勢力の発展を考えての戦争・政治が
民百姓への苛烈な施政となるやも知れない。
家臣団や民百姓に対して穏健だから良い政治家とも言い切れ無い
誰にでもいい顔するのは自分が可愛いだけの人間だお( ^ω^) >>136
ぜんぜん回答になってないじゃんw
ふつうに新潟津から船舶で会津盆地に持ち込む量を増やすか
値上げして利益率高めて持ち込めばいいだけだろw >>140
は?
だから単純に今まで甲信に塩を売っていた製塩業者が
甲信に塩止め令があったら困ると、ただそれだけの話し。
塩の買い手、しかも近場の相手がいなくなれば困るだけだ。
甲信は越後にとって塩を売る格好の市場だし、その市場が消失したら困るだろ。
会津盆地に持ち込む? 競争相手が他にもいるだろうし、塩の価格は下落するだろ。
ナポレオンが大陸封鎖令を出したときに何でロシアは穀物在庫が溜まって
イギリスに仕方なく輸出したのか全然わかってないね。国家レベルですらこうなんだぞ。 >>142
はいはいシッタカだね。
イギリスまで増援してのスペインのゲリラ戦でナポレオンを泥沼にハマって苦戦してるのを知って
ロシアはナポレオンから反旗を翻しただけだから。
会津は温泉から少ない塩を精製してたくらい困ってて
しかも仙道から会津への道には堀削による運河がなく
河川流通による船舶大量輸送が不可能だったから
越後からの輸送に依存してた。
だからそもそも立地条件からして塩の飽和はあり得ず他国からの塩の競争は起こり得ないから塩の価値の下落も有り得ない。
お前の頭でテキトーに考えてるのとはワケが違うわ。 >>139 みんな自分がかわいいよね。
自分だけがかわいいやつが一番よくないよね。 >>143
いや、お前は要するに謙信が信玄に塩を送ったという美談が
事実だと思いたいだけだろう。 まぁただ単に謙信を貶したいだけが目的の馬鹿が
自分の意図通りにならずに無い知恵絞って屁理屈をタレて粘着してるだけw 父親不幸の最上義光 → 善政を敷いた良君
主君を裏切った三好長慶 → そもそも主君が親の敵
7度主君を替えた藤堂高虎 → 主君がいる間は裏切ってない
騙し討ちの尼子経久 → 物に執着のない剛直男
第一印象は悪いイメージの強い武将ほどギャップがスゴい
おっと松永久秀、おまえは別だがな 武田信玄
父親を切腹させたお詫びに、娘を妊娠させてその子供を武田の跡取りにしてあげるやさしさ ていうか性格が優しかろうが厳しかろうがどうでもいいんだけどね。
恐れられる君主でさえあればいい。
要するに、一般的に甘ちゃんなダメ君主と思われてるような人を挙げていくといいと思うよ。
俺は石田三成。
人質返しちゃダメっしょ。 >>151
事実と言い切る材料はどこにもない。
嘘と言い切る材料もどこにもない。
>>154
そういうのを悪魔の証明って言うんだが・・・
ちなみにそういう場合は「ある」という側にのみ立証義務がある。 と逮捕されたアンチ上杉の馬鹿が自分に都合が良い発言を供述し… >>155
私は「あった」「なかった」どちらの立場でもない。
151が「事実でしょ」と断言してるから、「断言出来る材料はないよ」
と反論しただけ。
「ある」という側に立証義務があるというなら、151さんにそれを言っ
てあげてくれ。 残念ながら、そういう事にはなりません。
物事というのは「ある」と主張する側のみが立証責任つまり証拠を求められ、
「ない」という側は「ないという証拠」などいらないのです。
司法でも科学でも史学でも医学でも何でもそうなんです。何故なら悪魔の証明といって「ないという証拠」は提示不可能な場合がほとんどなのです。
例えば地球外に生命があるかという命題なら、「ある」側は地球外のどこかから生命を見つけてくればいいですが、
「ない」側は全宇宙の地球外の全ての場所をくまなく探し回って地球外に生命がないという事を証明しないといけません。
裁判で無罪の判決が出た人物に「無罪であるという絶対的証拠もない」とか食い下がったり、
低温核融合の実在を主張する学者が「他人に証明はできないが私の実験室では成功した」とか言っても無意味なのです。
「ある」側が第三者にもわかる形で立証しなくてはいけないのです。
残念ながら、この「謙信が塩を送った」も事実と主張する側が史料を提示し
それを否定派が信用するに足る史料か検証するという形で証明するしかなく、
否定派が「謙信が塩をおくったのは事実ではない」などという証拠提出の必要はないの(というか不可能に近い)のです。
貴方はまるで肯定派と否定派がまだ対等であると言いたいようですが、
残念ながら「謙信が塩を送った」という証拠を明示できない時点で
肯定派の敗北と言い切れます。 ある話が存在する以上は
ないと断言できないわけで
そこで否定する以上は
ないと否定できる材料なり合理的根拠が史学では当然必要になるわけで
宇宙人が存在するしないと言う宗教や科学や物理の分野の話を持ち出すのは馬鹿な証拠。
>>159
それを言ったら「義経がチンギスハーンになった」とか
「光秀が天海になった」とか「謙信は女性だった」とか
どんな珍説、奇説、与太話しも否定できなくなってしまうのだが。
「否定のための絶対的証拠」がない限り。 塩を送るという慣用句があるのだから、
99,999・・・パーセント、事実だと思われますが? >>160
それらは証拠がなくとも合理的に疑うに足るから、また話が別かと >>160
それは確実に否定できる話ばっかだろ
主張が子供じみてるわ。 太田道灌じゃね
なんか渋沢栄一みたくスゲー有名だし
埼玉じゃ まあ、武蔵と考えれば一緒だし、子孫は埼玉地方で活躍しているし、間違い
と言うわけ・・・じゃないかもしれない。
太田道灌は美談が多いけど、自領土広げる為に結構色々な事をやっていたと
思う。世田谷氏なんて徹底的にやられたしね。
必ずしも忠臣と言う訳でもなかったようだ。
まあ、領土広げた為に警戒されて暗殺された訳だが。 ガキの頃から驕り高ぶってて手に負えないどころか恩賞足らねーって喚き散らして扇谷上杉家臣を自分の家臣みたいに扱ってたから最後は誅殺されただけだろ。 太田道灌は中二病だけど、関東で足軽戦術を多用したり、戦術、戦略面共に優れていたのは事実。
結局親父の忠告通り暗殺されたが 道灌が上洛した際に将軍が飼ってた猿を事前に殴って大人しくさせておいた話を
仙台藩がパクって政宗のやった事として堂々と記しているのにはワロタw >>173
上杉でも謙信が上洛した時の逸話として丸パクしているお( ^ω^) も、って事はパクったの認めんだな
流石捏造大好き仙台www 横山光輝漫画の「伊達政宗(山岡版)」にもあったな>政宗の猿懐柔
物語上のネタ付けあわせだったんだろう。 >>174
そういやそんな話あったな
よっぽど頭にきてたんだろうな >>173
それ小林清治によって史実として書かれてるの読んで
やっぱ小林のオッサンは政宗マンセー過ぎてダメだわって思ったわ。
>>175
そっちの逸話は長曽我部家から義輝へ献上された猿を
弥太郎が打ち据えた話だよね。
あれ弥太郎が信玄の猛犬を撃退したりと
単なる軍記創作による弥太郎の武勇伝説話だよね。 だから宇喜多直家様を抜きにお前ら何語ってんの?
直家様が少しでも戦の犠牲を減らそうとどれだけ心を砕いていたか判らない? >>185
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ミヘ丿 ∩・∀・; )
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>>185
お前は全国の江戸柳生の血筋を敵に回した。
その内裏柳生がお前の所に行くのでヨロシク。 >>190
実際違った?
秀吉はその統制力を誇示して全国統治を試みようとしていた以上は止む得ない手法。
家康は全国統治を諦め地方分権で他藩に委任した。 やはり通信とか移動の高速化がなされないと、中央集権化は難しいのかね?
だから家康も中央集権にしたければ、陸蒸気とか全国糸電話網(笑)とかの技術革新を目指せば
良かったんだよ。そうすりゃ日本が世界に先駆けて産業革命を…www まあ秀吉は南は薩摩で島津を土下座させたし
北は政宗に土下座させて会津まで視察してるし
南部の願いを受け入れて秀次に九戸まで遠征させてついでに出羽まで巡回させてる。
全国から朝鮮遠征に動員させる威厳があるのに
秀吉が失敗したのは有力大名を大老にして秀頼を補佐するって言うアホなやり方を作って死んだこと。
本来は排除しなきゃならんのに、こういうことをやるとすぐ政権はおかしくなる。
三成に北条執権のようなものができる力量があれば安定長期政権になったかもな。 徳川ほか大大名が各地に居るのに北条執権のような権力は無理だろ。 >>191
織田家に下克上している時点でやむを得なくはないな。
>>194
「土下座」とか、イメージ悪い単語を持ち出して印象操作するマスゴミみたいな手法はやめること。 小田氏のようにまけてもまけても不死鳥のように復活するのは
人徳があったのかな? パっと浮かぶのは
黒田如水、島津義弘、明智光秀?
織田信長は・・・・グレー
大内義隆じゃね?
激怒しても結局ザビエル許してるし、領内の郎若男女愛してた。 少年レ○プは野獣のやることです!
義隆「んだと!この野郎…でも許した」 山内一豊
一領具足という半農半兵ゲリラの国屠サを、
平和で安定した良国にした。 一豊は優しいお人さ。
古女房を愛し、戦功を控え、古参の部下を優遇し、
子孫は末長く繁栄しましたとサ。 >>218
土佐の民草は300年に渡り怒ってますが? ゲリラの言う事は嘘です。
土佐の民草は一豊公のご恩を忘れてはいません。
「一豊公&千代様サミット」
参加市町村
高知市(高知県)
掛川市(静岡県)
一宮市、犬山市、岩倉市(愛知県)
長浜市(旧市および虎姫町)、米原市(滋賀県)
大飯郡高浜町(福井県)
郡上市(旧郡上郡八幡町)、安八郡安八町(2005年より参加)(岐阜県) >>223
長宗我部遺臣を懐柔できず虐殺したド低脳山内バ一豊が?
偽土佐民乙 転封して、少なくとも大虐殺だけはしなかった家康は
ちょっとは善人なんだなw >>223
そういうのってさ、戦後米軍に占領されて
アメリカ様は素晴らしい、とか言ってるようなもんだよね。
まさに、いまだに米軍基地に貢いでいるような現代日本の縮図だね。 会津の領民には
蒲生氏郷→善政
保科正之→善政
松平容保→悪政
で
明治政府が松平の借金棒引きや重税から開放したというのに
なぜかここ30年くらい?になって市のエライさんが中心になって
松平容保が正義で明治政府が悪という逆の考え方を事実であったかのようにゴリ押ししている。 名前やイメージ先行で、地元の歴史を学ぶ気が
はなっから無いんだろうな。 >>225
小田原陣で北条側戦死者多数でもう充分じゃないか。 溢れる涙をこらえ、殺生関白の切腹に異を唱えず、それを見届けた一豊公、
掛川の領地を放棄してまで、民衆を戦渦から守った一豊公、
善と正義を持って、屠サの下劣な下級武士から農民を守り続けた一豊公、
引き裂かれた心を胸中に秘め、平和への道を歩み、弱い民衆を救済し続けた人生であったとさ。 長宗我部遺臣虐殺に飽きたらず、下っ端は未来永劫徹底的に虐待を推進したクズの山内バ一豊が? 加増も遅れ三中老にも選ばれず同期落ちこぼれ山内。
堀尾の案をパクって家康に媚びたおかげで土佐をもらった無能
無能統治者にやれることは騙し討ち虐殺だけ 一豊は悪人じゃなかったと思う
能力以上のものが与えられて舞い上がっちゃったんだろうな
要はたんに無能だったってだけだよ
けど長宗我部の子孫をここぞとばかりに冷遇したのは弱い者いじめ以外の何者でもない >>236
>弱い者いじめ
普通に悪人じゃねえかよアホ あ、いや、長宗我部の子孫をいじめたのは一豊の子孫ってことね
相当恨まれてるもんな >>227
逆だろ。昔から薩長政府は悪。
戦死者の埋葬を許さず、放置腐乱した。
会津高等学校の設立を何度も妨害したのも有名。
しかし最近、容保公の困窮財政がクローズアップされはじめた。
会津戦争が小笠原唯八が戦死するほどの苦戦だったことはまだあまり知られてない。 簗田晴助
子も孫も主君に忠節を尽くし、号も洗心斎で、善人間違い無し。 >>243
・長州藩士や不逞浪士が「京都大火計画」を構想し、京都に放火して天皇を拉致しようとしていた
→市中で流れていた噂を新選組が計画を防止したことにして功を誇った可能性が高い。
京都を焼き尽くす大計画の割に志士側が準備物資を調達した形跡が一切残っていない。
なお、当日の池田屋では古高俊太郎を救出するための会合が開かれていた。
・長州藩が禁門の変敗走時に京都に放火したせいで現中京区・下京区一帯が焼失した。
→長州が放火した長州藩邸はすぐに鎮火されたので隣の加賀藩邸や対馬藩邸は無事だった。
長州勢が籠っていた鷹司邸には一橋慶喜が、天龍寺には薩摩藩も放火。他にも彦根藩なども放火したが
中でも会津藩が長州残党狩りの為に潜伏していそうな所を連続放火したことが「どんどん焼け」の要因とされる。
・長州藩は英国人グラバーから武器を密輸して徳川政権を転覆させた売国奴
→長州藩は四国艦隊と率先して戦い、講話でも英国からの99年間の彦島租借要球を阻止している。
むしろ会津・庄内藩がスネル兄弟を通じてプロイセンへ蝦夷(網走・紋別・留萌・天塩)と越後を売却(割譲)し、
見返りにプロイセンから支援を受けようとしている。この時はビスマルクの判断によりプロイセン側が拒否したが
後に蝦夷共和国が租借に応じてガルトネル開墾条約事件として外交問題となる。
・長州は会津で乱暴狼藉を行った
→長州主力は長岡藩と交戦中だったので不可能。(当初長岡藩は中立であったが、会津藩の佐川官兵衛が官軍に奇襲し、
退却時に牧野家の旗を置いたせいで会津と通じていると疑われて小千谷会談が決裂したとも言われる)
会津藩は自らを官軍と偽って郡山・栃木・函館・北越(新潟、新発田ら)で略奪し、米沢藩が旧領民を会津藩から救うために救援に駆けつけている。
越後撤退時でも略奪・虐殺は行われており会津街道の山内宿・赤谷宿・綱木宿を破壊している。赤谷宿・綱木宿に至っては会津の領内である。
会津に関する第三者の資料は英国公使館員ウィリアム=ウイリスの記述が詳しい。
・長州は「遺体埋葬禁止令」を発令して死者の埋葬すら禁止した
→「明治戊辰戦役殉難之霊奉祀の由来」が根拠とされるが、これは両軍の遺体に一切の処置を禁止している。
この背景には会津世直し一揆(会津藩降伏直後に圧政に苦しんでいた農民が蜂起)が勃発して
旧会津領内が2ヶ月間混乱していた事と、真冬であったことから大規模な埋葬作業が困難になっていた。
そのため雪解けまで戦死者からの遺品剥ぎ取りを禁止したものである。
・会津藩を減封して環境劣悪で貧しい斗南へ強制移住させた
→会津は旧領国の一部である猪苗代への減封を提示されたがそれを拒否して斗南転封を選択している。
すでに旧領民の支持を失っており旧領には戻ることが出来なかった。
・歴史研究家の星亮一先生が「会津は正義で長州は悪」と言っている。
→星亮一は「自称」歴史研究家。司馬遼太郎・早乙女貢・中村彰彦・宮崎十三八あたりの著作も会津贔屓の創作。
東北人自ら被害者を演じる為の捏造が多く流布している。薩長閥を批判するために東北出身の原敬が捏造した「白河以北一山百文」は特に有名。 >>246
身内の死体が路上にさらし続けられる屈辱を考えれば、
百年うらまれて当然。
227の
>なぜかここ30年くらい?になって市のエライさんが中心になって
>松平容保が正義で明治政府が悪という逆の考え方を事実であったかのようにゴリ押ししている。
というのは間違い。昔から薩長政府は嫌い。(という事を239で言いたかった)
>>247
明治政府自体は官軍の死体すら処置を禁止している。そのことを屈辱に感じるのは全く筋が違う。
普通ならこんなもの発令しなくてもいいのに会津の治安がとりわけ低く追剥が続出したからこそ発令されたものだし。
そもそも会津領民は降伏した旧会津藩の役人のもとに押し寄せ略奪を始めるだけでなく
死体からの略奪まで始める有様というのは戦後に戦勝国気分で略奪を開始した朝鮮人を笑えない。
しかも一揆を鎮圧せず、領民と旧役人当事者同士のやりとりに一切介入しなかった明治政府を
逆恨みするのは恩知らずにもほどがある。
本当に屈辱に感じるべきは会津の藩公が護送されるときに
地元民は徹底的に無視したり逆に竹槍で威嚇するなど圧政をしたもの、されたもの双方とも
情けない送り出しになった事態を恥じるべきだね。 ふーん、他藩にくらべて会津は民度が低いと言いたいんだね。
スレ違いだから終わろうか。 >>251
え?謝罪ってw
君こそ、>>239の私の説を証明しただけでは?
>昔から明治政府は悪(と会津は恨んでいる。ここ30年の話ではない)
>戦死者の埋葬を許さず、放置腐乱した。(理由に関係なく事実)
もうこのスレに迷惑なので、続きをやるならこちら。
島 津 は 銀 河 も 嘆 く 屑 大 名
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192070867/l50 立花宗茂・・・ぼっちゃんぽいトコあるけど、そこは強いって事で 細川忠興
京都生まれの京都育ち
色々とお茶目だが、根は良い人に決まってる。
良い人だから善人揃いの熊本では無茶しなくなったんだろうし 蒲池鑑盛。
敵であろうとも頼られれば手厚く保護した。
「義心は鉄のごとし」とたたえられてる。 戸田勝成
誰からも好かれていてその死は多くの敵方の東軍諸将も涙を流したという。
具体的に何をしたかなんて知らないが、きっと善人だったに違いない・・ アルメイダが府内に孤児院と病院作った頃の大友義鎮
特に病院は、大友家が建設費、運営費を負担してたんで、無料で治療が受けれた上に、
被差別者だったらい病患者達の病棟に護衛を付けて保護してた。
アルメイダがキリスト教会の命で病院を去った後も、日本人医師に運営させてたから、
福祉政策者としては戦国大名では、ずば抜けて善良だったんだけどな。
戦国で善人はまず生き残れない…
ということは、生き残れなかった中にいるのかもしれないw 随分マイナーな中世城郭(家臣の城)の復元模型だ。
沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html 心優しく善人だったのは、やはり男色家の上杉謙信に決定だよナッ!!!!
大友宗麟
かなり慈悲深かった。戦国武将にしてかなりの人格者と言えるのではないか。
キリシタン大名ゆえに、家来、庶民をいかに生かすかを考え、手厚く保護した逸話は数にいとまが無い。
大友宗麟の俗っぽい一面は確かに記録にある。
下半身が元気な頃、女にはだらしなかった記録は確かにあって、無類の好色家ぶりはかなりの批難もあった様だ。
家臣の嫁に手を出したり…ってのが衰退へ向かわせた1つの理由でもあったという説。
ただ若さ故と言ってしまえばそれまでだが…その時歴史は動いたではかなり美化されていたのを覚えてる。
おそらく武将から出家して坊さんになる人は確かにいる。あれは…
戦乱を経験し、凄惨な地獄絵図を沢山見るとあまりのショックに人は信仰や和平の道を求めるものなのかもしれない。
近代には日露戦争で偉大な戦果を残した秋山真之、上村彦之丞なども晩年は仏教を信仰し、戦没者を供養を目的とし、坊さんの様な生き方をしている。
大東亜では今村均などは下士官へ親鸞の悪人正機を奨め信仰を促している。
つまり地獄の世界に身を投じた人は、その対極にある『理り』を求め生きる事になるのは必然で、いつの世も普遍なのかもしれない。
晩年の宗麟は正に伝説として、1人の人間のあり方として語り継がれているのも事実。
若い頃は多少節操なくても、それは元気な証拠で得てしてそうなのかもしれない。
世の中の道理が次第に理解できるて人間味というのが形作られ、大成して評価されるのって…
ひょっとしたら…中年期〜晩年にかけてなのかもしれない。
>>263
病院や孤児院をつくったから宗麟が善人だと言うロジックが分からん
宗教広める常套手段が医療、福祉、教育ってのは基本で当時はそこら中の寺社だって似たような事してんだが
あと民政家だから差別されてたライ病患者を保護したってのは大きな間違い
ライ病とテンカンは当時のキリスト教では聖なる病として有り難がられてた ベン・ハーでは隔離されてたけどなぁ。時代が違うけど。 >>271
>>無類の好色家ぶりはかなりの批難もあった様だ。
家臣の嫁に手を出したり
毛利の後世編纂捏造史料が初出のデタラメ
実際に家臣の嫁を幼女の頃から目をつけて
手を出したのは輝元の方で、バレて隆景にボコボコに殴られ半殺しにされた。
そして証拠隠滅のためにその旦那は隆景が暗殺した。 ダビデみたいに世界中に知られてないだけマシ、かな!? 明智光秀は戦の世をなくそうとしていた理想家でもありすごく民にも優しくしていた本能寺の変の際にも敵は本能寺にありと宣言する前に民のため平和のため信長を討つと言っていたのでいちばんやさしい人物だと思う 放浪の身から三国にまたがる大名に成長した宇喜多直家
婚姻や常識を覆す鮮やかな手並みで勢力拡大を成し遂げ、その際の犠牲も最小限。
無駄な流血を嫌った稀有な善人。
その犠牲も身内に集中させるという自己犠牲の人。
また、家臣たちとともに粗衣粗食や断食をおこない宇喜多再興のための軍資金を蓄えた、
危険な役目を担った家臣をその妻子ともども厚遇した、などの美談も残されており、
直家の時代の宇喜多家は鉄の結束を誇った。 直家は現在の常識からすると結構な腹黒だが、当時は誠実者で通っていたって
話だけど、実際はどうだったんだろうね。
確かに家臣の結束は固そうだけど。 弟にも警戒される直家…
同じく謀略やりまくった毛利元就はブラックイメージで語られにくいのになぁ
大抵謀略で勢力拡大すると梟雄扱いされがちだけど
更に拡げた元就の場合は地方の覇者として語られるからじゃないかな 暗殺を好まず、家臣・領民を慈しみ、親兄弟や妻子も大切にする…
誰が該当する? そもそも心優しい善人に他者の命や領地を奪うような真似はできまい
該当者がいるとすれば戦国武将失格だな 汚い仕事は家臣に命令するモンじゃないの?
最上や松永、宇喜多は自ら実行しただけで。
綺麗な大名なんていないでしょ?家督相続で急死とか早遽なんかも毒殺とか
普通の時代だべ? >>284
その条件を3つとも満たす人物は、端武者レベルならまだしも武将、大名としては生き残れないだろう
かといって3つとも満たさない人物は大概暴君なわけで、これも大成するのは無理 仁に過ぎれば弱くなり、義に過ぎれば堅くなる
文武両道が大切だな 福島正則って乱暴で粗暴みたいなイメージだけど、根は悪い奴じゃなかったんだろうな 現代のバイトしながらバンドやってる兄ちゃんたちのノリのような気がする >>294
なんとなく分かる気がw
正則は現代に生まれてたらプロレスラーとか言ってる人もいたけど あれだけ秀吉に世話になっておきながら
恩をあだで返すような奴は大悪党だろ。
秀吉も信長の奥さんを磔にしたから
擁護出来ないが・・・・ 秀吉は裏切らなかったよ
清正も正則も豊臣というより秀吉の家来なんだろうね 身内とトラブル起こしてない武将だけでもそこそこ数が少なくなるね。
父親殺し→伊達政宗、斉藤義龍、大友宗麟
父親追放→武田信玄、浅井長政
兄弟殺し→織田信長、今川義元、伊達政宗、毛利元就、斉藤義龍
子殺し→武田信玄、徳川家康、細川忠興、最上義光
妻殺し→徳川家康
豊臣秀吉は大々的な甥殺しがあるか。
にしても有名どころいすぎやw
上記の武将たちはこのスレ的に「善人」には該当しない系・・・?
家臣の独断説とか、実は殺してない説とか色々あるようだけど。 そりゃ戦国大名に限らず武家は身内同士で骨肉の争いがデフォだもの。
戦国時代になって激化した面はあるけど 現代のモラルでは測れないけど
基本的に有名な武将で善人はいないと思った方がいいな。
やらなかったら自分が殺されるんだから仕方ないか。 そもそも現代の善人と当時の善人も違うよな
当時は農民も武装してた時代。
土一揆や一向一揆に村が加わって戦っているのときに、
1人だけ、オレは人を傷つけたくないと言って、
逃げるのは悪とされただろうしね
あと骨肉の争いは源氏だけじゃなく、
朝廷の歴史も上皇と天皇が対立もやってる
南北朝もあるし 上杉謙信、北条氏康、直江兼続、石田三成、大谷吉継、立花宗茂、真田信繁
世間で義とか聖人君主とか言われてる方々を並べてみたけど、この人たち心やさしい善人?
同時代の人間と比較すれば善人だっただろう
現代人だって乱世にいけば大半がその世界に染まる 大谷吉継&石田三成が親友同士って実は確実な根拠無いって聞いたのだが… 身も蓋もない言い方だけど、現代人の感覚で考えるのがそもそも間違ってると思うな。
時代によって人々の考え方や常識は変わるものだし
あえて論ずるのなら、>>11が指摘してるように戦国時代における善人の定義から始めないと 家臣を大事にする、領地に善政を敷くとかかな。
当時の善人の基準って。 悪人正機なんて教えが大ブレイクする時代だぜ
誰もが悪を成さねば生きて行けぬ時代
人が最も自覚的に悪を成した時代だ
そういう時代に生きた人々を善人認定しようとする姿勢がキモイ
戦国時代に対する冒瀆とすら思える 明智のみっちゃんか…
この人、実際のところどうなの?
フロイスはボロクソ書いてるけど、フロイスの記述だしな…
立花宗茂は戦国武将としてはそれなりに善良なイメージがある
最上義光はどうなんだろう
領民や家臣からみたらいい殿様っぽいが 明智は腹黒い裏切り者
立花や最上も何人も殺しまくってるよ 前田利家
加賀を所有してから領民をほとんど戦乱に巻き込んでない >>315
一向一揆を清掃したことはむしろプラスと考えて良いと思う >>316
おいおい伊達政宗を忘れてる(わけでもないと) 実は謙信の義善(?)は信頼も高い家臣の斎藤が暗に絡んでおり、彼の働きかけが=上杉家の評判=主君謙信の評判になったのが少なからずあったのでないかとトンデモ説を唱えてみる 奉行から外交、合戦と、オールラウンドに活躍した人物だし、性格も温厚誠実で領民にも評判が良かった人物として伝わってる。
越後の鐘キ(厄払いの神様)の異名も持ち、
さらに落とした城には必ず斎藤を入れて事後処理させてる話もあるくらい謙信も信頼寄せてるみたいです、
その時の善政も恐らく上杉家の統治という名の下、謙信評を高めた要因に繋がってると言ってみる
と、あくまでもトンデモ説なんで あしからず 善人ではあの時代、生きていけない
僧侶が武装してた戦争してたんだぜ
想像もできない時代だな 奇妙な話のほうが逆にしっくりと符合することがある。もしかしたら斎藤は縁の下の力持ちに徹っしきったのかもな。
すべてを謙信の功績にして謙信のカリスマ性が上がれば国の威信に繋がる。結果的に斎藤ら豪族たちも外敵から身を守れるという感覚があったとしたらの話だが。
自分の手柄を自慢したいような武将には無理な話だが、越後の鍾馗ならやれるかも知れない。
鍾馗と言えば@鬼を撃退してくれる善人A報われない苦学生 善人?彼らは軍事力を行使する戦国武将ですよ。
まるで慈善団体のような言い方ですが、
ユダヤ人を銃殺にかけるドイツ兵のストレスは大変なものでした
普通の精神ではいれないわけで
あの時代意は
精神を異常な状態にしとかないと生きれないと思いますよ 神と同じく善も人間の作ったものだ
現代の価値観を善とするなら他の時代は悪だろう エリック・ザ・バイキングみたいだな。
杯から飲んで鼻水擦った手をその杯で洗う、男は殺して女は犯す・・・おれたち、ケモノか?もう厭だ。
ラビット関根
「漕ぐんだ〜漕げったら漕ぐんだよー」 善人というかまあ五常の徳(仁礼智信)を兼ね備えた武将とたたえられた人ならいるにはいる。
小早川隆景 五常といいながら四個しかないのはネタか?たんなるミス?なのか 明智光秀は名君だったらしい
光秀が近江坂本と丹波を治めていた時のこと
領内の検地により、百姓が山中に隠し田を作って、年貢をごまかしていたことが判明した。
隠し田の収穫まで含めて年貢を厳しく取り立てようという部下の言葉に対し、
仏の嘘は方便と言い
部門の嘘は武略という
百姓土民は可愛いものなり
と言って、隠し田のことは知らぬふりして
それまでの年貢を納めるだけで良しとしたという。
こんな大名ちょっといない。 戦国時代ってのが余計に難しくしてると思うけど
・農民視点からだとなんとか初期の戦国時代に入ると思われる【北条早雲】
・愛というキーワードで【大友宗麟】
今の時代で求められてる名君は戦国時代ではいないかも
江戸時代の【保科正之】なら今の時代に欲しい人かもね >>313
戦で人殺しするのは彼らの稼業だからなあ。
それで善人じゃないとか言われても。 俺も誰一人ころしてないよ でも善人かどうか微妙だなぁ >>340
ビザンツ帝国のヨアニス二世は右手がスキタイ人の、左手がペルシア人の血にまみれていたにも関わらず、
カロヨアニス(心美しきヨアニス)と呼ばれたそうな。 >>335
四天王といいながら5人いたりするから問題ないかと >>344
四天王が5人なのは喜ばしいけれど、
徳が足りていないのは相等酷い事だろ >>345
昔から薩摩では
「義を言うな」と言われてきた。
ってうそです。 昔から浄土仏教では、
『無義をもって義とする』
と言うからな
これはホント >>340
これほど、アメリカ人の人情とユーモアを感じさせる物語はないよな。
トラムといい、この皇帝陛下といい、ますますあのサンフランシスコが好きになった。 いまの日本みたいに人殺さなくて社会が成り立つ時代じゃないんだろう
それだけはいえる
武田信玄も現代に生まれれば、町工場の社長かもな 北条氏は年貢率低くて徳川内政の鏡になったってよく聞くけどね 後北条の善政とやらはネットで盛んに喧伝されてるけど、調べて見ると、かなり怪しい。
例えば四公六民。
江戸時代の石高制と違って後北条は貫高制。収穫した米の四割を納税するようなシンプルなシステムではない。
北条の農民は秋に収穫した米を売って得た銭で、田一段ごとに定められた税を払う。
その金額は一段500文で、これは今川武田と同じ。とくに安い訳ではない。
例えば徳政令。
有名な永禄三年の徳政令で北条は年貢を半分にしたみたいに語られるけど、実際は半分を銭で、のこり半分を米で納めさせている。
(凶作で米価が高騰するため、例年通り全額銭だと北条家が損をする)これを借金帳消しなどと抱き合わせて徳政と称してるけど、
条文の最後のほうで、北条家や北条家懇意の高利貸しからの借金は帳消しにしないと捕捉されている。
つまり北条家と関係ない借金だけチャラにするという、痛みを民間に押し付ける徳政令。
例えば災害減免。
災害にあった地域の年貢免除を申請できるけど、その際は役人の調査が必要。
この場合の調査は検見(検地)も兼ねており、未申告の田畑が摘発され、翌年からは実質増税。
調査の結果、免除に値しないと判断されたあげく、未申告の田畑が摘発されるケースも。 >>354
内政の鑑にふさわしいよくできたシステムじゃん ○公○民という概念は石高制を導入した太閤検地以降のもの
貫高制の表現には不適切
後北条の四公六民は江戸時代の創作だろう
史料的には、北条領全体の検地帳が存在しないため一段500文がどのくらいの割合か分からない
(一段あたりの収穫量が土地によって異なるため部分的なものでは意味がない) サッ と1からレスよんでるが>>322から>>328は妙に面白いな。変わった視点だが説としては頷ける所も多々だな、
将軍義輝から貰った大切な絵をわざわざ斎藤にプレゼントしてるあたりはそういった働きも含め高く評価してる証なのかもと感じた 北条領内では氏康の失政から民の逃散が相次ぎ「国中緒郡退転」(公生文書)という悲惨な事態になっている
逃散民を呼び戻すために一時的な減税を行うが、ほとぼりが冷めると増税して、また逃散されるの繰り返し
キレた氏康は「私が(民に)モテないのはどう考えてもお前らが悪い!」と小領主の利権を奪うも逃散は収まらず
民の苦難を見かねた坊さんに「善政しろ!」と説教されると、「善政しとるわ!」と顔を真っ赤にして自画自賛
その自画自賛を無批判に垂れ流してるのがネットで散見する北条の善政(笑)である >>284
>暗殺を好まず、家臣・領民を慈しみ、親兄弟や妻子も大切にする…
>誰が該当する?
斎村政広 佐竹義宣はやることはやってるが伊達政宗に比べると穏便に事を進めてて育ちはいいなと思える あの政宗とくらべちゃいかん
みんな心優しく善人になってしまう 現代の常識に当てはめても善人ってなかなかいないな……
戦での人殺しは仕方ないとすると
石田三成、立花宗茂かな
三成は
殺されてもおかしくないような
無礼を人前で働いた(わざとじゃない)部下を
結構なお金与えてクビにとどめたし
そもそもこの人家臣農民を無礼打ちにした系の逸話聞いたことない
元が農民当然の武士だったせいもあるかもしれん
宗茂はもう言わずもがな
まさに王子(逸話的な意味で)
二人とも善政敷いてたし家臣や領民に慕われていたし
謀略身内殺し当たり前の中じゃ
気性は穏やかな方なんじゃなかろうか >>180
小林性のおっさんが伊達を持ち上げるのは小林性が伊達と深い関わりがあるからだろ
出身地によって違うが、確か小林って伊達と関わりがあったみたいなことどこかで書いてあった
家臣を大切にしたのは立花道雪、宗茂、石田三成
民を慕われたのは北条早雲、島津義弘、小早川隆景、吉川元春、新納忠元
他国大名達に慕われていたのは立花道雪、宗茂、小早川隆景、吉川元春、島左近 宗茂とギン千代は改易された後、柳川の領民が肥後まで金品食料を
献上しにくるくらい慕われてたんだよな 王国クランベリーラーメン
王国クランべリーラーメン
王国クランべリーラーメン
駐車近代リカエらーめん 宇喜多直家
味方には異常なまでに優しい
敵には容赦ないが >>371
伊賀久隆「『味方には異常なまでに』なんだって?あぁっ!?」 仏道のお師はんと比べて野蛮な我が身が恥ずかしい
俺は城主を辞めるぞーーー!!の今川氏真さんぐう聖人に転職
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:kU5fxarpJOsJ:www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20170620/CK2017062002000094.html%3Fref%3Dhourly+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
徳川氏の支配下で一時、牧野城(諏訪原城、現在の島田市)の城主だった一五七〇年代中ごろに記されたらしい。
「深雪」「仏名」「祝言」という三テーマごとに二首ずつが詠まれ、より優れていると考えた方に記しが付いている。
氏真を示す「宗●(そうぎん)」の文字が右下にある。
文書が作られた状況ははっきりしないが、岡村学芸員が注目するのは、仏名の一首。
「法の師の 聲(こえ)うちそへて あつさ弓 おなし雲井に すめる夜半哉(よはかな)」。
武士として弓を持つ自らの身を罪深く感じる趣旨の内容という。 今川氏真公。親の仇の恨みを水に流して復讐を望まず、斎藤を援助することもなく信長の美濃攻めを好意的中立で放置。自分を裏切った家康を恨むことなく、その後暇潰しの話相手を勤め、華麗なリフティングまで披露して家康を喜ばせた。キリストみないなお方の氏真公。 大宝寺義氏。
僧侶上がりだから、民に優しく。
自国より外征で物資を得たから。 悪源太源義平は平安時代だし悪党楠木正成は鎌倉時代末だから
戦国時代までだいぶ時が流れてる。
悪人正機もあるから元々「ワル」の意味もあったんじゃね。 >>39
さらに裏切って武田共々に今川を滅ぼした徳川家康にすべて身を任す心の深さw >>381
最上義光や伊達政宗と間違ってないかな? >>386
大宝寺義氏は織田信長に贈り物をして屋形号を許された。
それで領民からは悪屋形と呼ばれた。間違ってません。 意外なようだけど戦国人にとっての善人は信長公だおw
当時の史料「天下を支えた恩徳ある人」「欲がなくて聖人のようだ」「優しい人だ」
「信長公のご誠意に励まされた」いろいろあるお 戦国板でだおwとかあの糞コテまだいるのかよって感じ 安宅冬康
血気に逸って戦で殺戮を繰り返し傲慢になっていた兄・長慶に対し鈴虫を贈り、「夏虫でもよく飼えば冬まで生きる。まして人間はなおさらである」と無用な殺生を諌めた。 豊臣秀吉だろうな。
刀狩りってのは庶民からすれば決定的に有り難いよ。 内ヶ島のこと?地震の山崩れだけど
内山田も雪崩も戦国時代ではわからん 誰かに優しいってことは、誰かに厳しいってことで、大切にするものが間違えない人が善人でいいと思うけどな
転職しまくりだけど、藤堂高虎なんかはさすがというか、現代の有能という逸話が多いし、善人な気がする 南部信直。
自身を56しに来た浪人とその仲間たちを登用って
なかなか出来ることじゃない。 >>1
とりあえず真田幸村
まあ強くて性格イケメンなら凄いだろ
最後の最後に娘を敵方に逃がすという賭けに出るのも人間臭いし あとは上杉謙信かな
戦っている理由が「義」のみ
天下統一には絶望的に不向きだが
基本的に無駄な殺生をしないし
立ち向かってくる相手には正面から迎え討って屈服させるよね
そして降伏したら許しちゃう
キレて兵を起こした成田長泰や小田氏治も「参った」と言ったら引き上げたらしいし
手取川でも必要以上には追撃をしなかったらしい 斎村政広(赤松広秀)
朝鮮人に「日本の将官は、すべてこれ盗賊であるが、ただ広通だけは人間らしい心をもっています」と絶賛され
名刀「獅子王」の所有者で、殖産振興につとめ領民にも慕われ、武断派とは対立した文化人肌の仁の人
関ケ原の合戦のあと、ゴマすり大名・亀井茲矩に罪をなすり付けられて切腹 >>405
尼子の支配力・権力の弱さを物語っているエピソードやな ∧ ∧
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|  ̄ ̄ ̄ ヽ
| ̄ 金吾秀秋  ̄)
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|:: \___/ / <呼んだ?
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