戦国時代 心優しく、善人だった大名、武将は誰?
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戦国時代で善人とか 心優しかった大名や武将って誰ですか?
教えてくださいお願いします。 ググっても分からないのです 細川忠興
京都生まれの京都育ち
色々とお茶目だが、根は良い人に決まってる。
良い人だから善人揃いの熊本では無茶しなくなったんだろうし 蒲池鑑盛。
敵であろうとも頼られれば手厚く保護した。
「義心は鉄のごとし」とたたえられてる。 戸田勝成
誰からも好かれていてその死は多くの敵方の東軍諸将も涙を流したという。
具体的に何をしたかなんて知らないが、きっと善人だったに違いない・・ アルメイダが府内に孤児院と病院作った頃の大友義鎮
特に病院は、大友家が建設費、運営費を負担してたんで、無料で治療が受けれた上に、
被差別者だったらい病患者達の病棟に護衛を付けて保護してた。
アルメイダがキリスト教会の命で病院を去った後も、日本人医師に運営させてたから、
福祉政策者としては戦国大名では、ずば抜けて善良だったんだけどな。
戦国で善人はまず生き残れない…
ということは、生き残れなかった中にいるのかもしれないw 随分マイナーな中世城郭(家臣の城)の復元模型だ。
沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html 心優しく善人だったのは、やはり男色家の上杉謙信に決定だよナッ!!!!
大友宗麟
かなり慈悲深かった。戦国武将にしてかなりの人格者と言えるのではないか。
キリシタン大名ゆえに、家来、庶民をいかに生かすかを考え、手厚く保護した逸話は数にいとまが無い。
大友宗麟の俗っぽい一面は確かに記録にある。
下半身が元気な頃、女にはだらしなかった記録は確かにあって、無類の好色家ぶりはかなりの批難もあった様だ。
家臣の嫁に手を出したり…ってのが衰退へ向かわせた1つの理由でもあったという説。
ただ若さ故と言ってしまえばそれまでだが…その時歴史は動いたではかなり美化されていたのを覚えてる。
おそらく武将から出家して坊さんになる人は確かにいる。あれは…
戦乱を経験し、凄惨な地獄絵図を沢山見るとあまりのショックに人は信仰や和平の道を求めるものなのかもしれない。
近代には日露戦争で偉大な戦果を残した秋山真之、上村彦之丞なども晩年は仏教を信仰し、戦没者を供養を目的とし、坊さんの様な生き方をしている。
大東亜では今村均などは下士官へ親鸞の悪人正機を奨め信仰を促している。
つまり地獄の世界に身を投じた人は、その対極にある『理り』を求め生きる事になるのは必然で、いつの世も普遍なのかもしれない。
晩年の宗麟は正に伝説として、1人の人間のあり方として語り継がれているのも事実。
若い頃は多少節操なくても、それは元気な証拠で得てしてそうなのかもしれない。
世の中の道理が次第に理解できるて人間味というのが形作られ、大成して評価されるのって…
ひょっとしたら…中年期〜晩年にかけてなのかもしれない。
>>263
病院や孤児院をつくったから宗麟が善人だと言うロジックが分からん
宗教広める常套手段が医療、福祉、教育ってのは基本で当時はそこら中の寺社だって似たような事してんだが
あと民政家だから差別されてたライ病患者を保護したってのは大きな間違い
ライ病とテンカンは当時のキリスト教では聖なる病として有り難がられてた ベン・ハーでは隔離されてたけどなぁ。時代が違うけど。 >>271
>>無類の好色家ぶりはかなりの批難もあった様だ。
家臣の嫁に手を出したり
毛利の後世編纂捏造史料が初出のデタラメ
実際に家臣の嫁を幼女の頃から目をつけて
手を出したのは輝元の方で、バレて隆景にボコボコに殴られ半殺しにされた。
そして証拠隠滅のためにその旦那は隆景が暗殺した。 ダビデみたいに世界中に知られてないだけマシ、かな!? 明智光秀は戦の世をなくそうとしていた理想家でもありすごく民にも優しくしていた本能寺の変の際にも敵は本能寺にありと宣言する前に民のため平和のため信長を討つと言っていたのでいちばんやさしい人物だと思う 放浪の身から三国にまたがる大名に成長した宇喜多直家
婚姻や常識を覆す鮮やかな手並みで勢力拡大を成し遂げ、その際の犠牲も最小限。
無駄な流血を嫌った稀有な善人。
その犠牲も身内に集中させるという自己犠牲の人。
また、家臣たちとともに粗衣粗食や断食をおこない宇喜多再興のための軍資金を蓄えた、
危険な役目を担った家臣をその妻子ともども厚遇した、などの美談も残されており、
直家の時代の宇喜多家は鉄の結束を誇った。 直家は現在の常識からすると結構な腹黒だが、当時は誠実者で通っていたって
話だけど、実際はどうだったんだろうね。
確かに家臣の結束は固そうだけど。 弟にも警戒される直家…
同じく謀略やりまくった毛利元就はブラックイメージで語られにくいのになぁ
大抵謀略で勢力拡大すると梟雄扱いされがちだけど
更に拡げた元就の場合は地方の覇者として語られるからじゃないかな 暗殺を好まず、家臣・領民を慈しみ、親兄弟や妻子も大切にする…
誰が該当する? そもそも心優しい善人に他者の命や領地を奪うような真似はできまい
該当者がいるとすれば戦国武将失格だな 汚い仕事は家臣に命令するモンじゃないの?
最上や松永、宇喜多は自ら実行しただけで。
綺麗な大名なんていないでしょ?家督相続で急死とか早遽なんかも毒殺とか
普通の時代だべ? >>284
その条件を3つとも満たす人物は、端武者レベルならまだしも武将、大名としては生き残れないだろう
かといって3つとも満たさない人物は大概暴君なわけで、これも大成するのは無理 仁に過ぎれば弱くなり、義に過ぎれば堅くなる
文武両道が大切だな 福島正則って乱暴で粗暴みたいなイメージだけど、根は悪い奴じゃなかったんだろうな 現代のバイトしながらバンドやってる兄ちゃんたちのノリのような気がする >>294
なんとなく分かる気がw
正則は現代に生まれてたらプロレスラーとか言ってる人もいたけど あれだけ秀吉に世話になっておきながら
恩をあだで返すような奴は大悪党だろ。
秀吉も信長の奥さんを磔にしたから
擁護出来ないが・・・・ 秀吉は裏切らなかったよ
清正も正則も豊臣というより秀吉の家来なんだろうね 身内とトラブル起こしてない武将だけでもそこそこ数が少なくなるね。
父親殺し→伊達政宗、斉藤義龍、大友宗麟
父親追放→武田信玄、浅井長政
兄弟殺し→織田信長、今川義元、伊達政宗、毛利元就、斉藤義龍
子殺し→武田信玄、徳川家康、細川忠興、最上義光
妻殺し→徳川家康
豊臣秀吉は大々的な甥殺しがあるか。
にしても有名どころいすぎやw
上記の武将たちはこのスレ的に「善人」には該当しない系・・・?
家臣の独断説とか、実は殺してない説とか色々あるようだけど。 そりゃ戦国大名に限らず武家は身内同士で骨肉の争いがデフォだもの。
戦国時代になって激化した面はあるけど 現代のモラルでは測れないけど
基本的に有名な武将で善人はいないと思った方がいいな。
やらなかったら自分が殺されるんだから仕方ないか。 そもそも現代の善人と当時の善人も違うよな
当時は農民も武装してた時代。
土一揆や一向一揆に村が加わって戦っているのときに、
1人だけ、オレは人を傷つけたくないと言って、
逃げるのは悪とされただろうしね
あと骨肉の争いは源氏だけじゃなく、
朝廷の歴史も上皇と天皇が対立もやってる
南北朝もあるし 上杉謙信、北条氏康、直江兼続、石田三成、大谷吉継、立花宗茂、真田信繁
世間で義とか聖人君主とか言われてる方々を並べてみたけど、この人たち心やさしい善人?
同時代の人間と比較すれば善人だっただろう
現代人だって乱世にいけば大半がその世界に染まる 大谷吉継&石田三成が親友同士って実は確実な根拠無いって聞いたのだが… 身も蓋もない言い方だけど、現代人の感覚で考えるのがそもそも間違ってると思うな。
時代によって人々の考え方や常識は変わるものだし
あえて論ずるのなら、>>11が指摘してるように戦国時代における善人の定義から始めないと 家臣を大事にする、領地に善政を敷くとかかな。
当時の善人の基準って。 悪人正機なんて教えが大ブレイクする時代だぜ
誰もが悪を成さねば生きて行けぬ時代
人が最も自覚的に悪を成した時代だ
そういう時代に生きた人々を善人認定しようとする姿勢がキモイ
戦国時代に対する冒瀆とすら思える 明智のみっちゃんか…
この人、実際のところどうなの?
フロイスはボロクソ書いてるけど、フロイスの記述だしな…
立花宗茂は戦国武将としてはそれなりに善良なイメージがある
最上義光はどうなんだろう
領民や家臣からみたらいい殿様っぽいが 明智は腹黒い裏切り者
立花や最上も何人も殺しまくってるよ 前田利家
加賀を所有してから領民をほとんど戦乱に巻き込んでない >>315
一向一揆を清掃したことはむしろプラスと考えて良いと思う >>316
おいおい伊達政宗を忘れてる(わけでもないと) 実は謙信の義善(?)は信頼も高い家臣の斎藤が暗に絡んでおり、彼の働きかけが=上杉家の評判=主君謙信の評判になったのが少なからずあったのでないかとトンデモ説を唱えてみる 奉行から外交、合戦と、オールラウンドに活躍した人物だし、性格も温厚誠実で領民にも評判が良かった人物として伝わってる。
越後の鐘キ(厄払いの神様)の異名も持ち、
さらに落とした城には必ず斎藤を入れて事後処理させてる話もあるくらい謙信も信頼寄せてるみたいです、
その時の善政も恐らく上杉家の統治という名の下、謙信評を高めた要因に繋がってると言ってみる
と、あくまでもトンデモ説なんで あしからず 善人ではあの時代、生きていけない
僧侶が武装してた戦争してたんだぜ
想像もできない時代だな 奇妙な話のほうが逆にしっくりと符合することがある。もしかしたら斎藤は縁の下の力持ちに徹っしきったのかもな。
すべてを謙信の功績にして謙信のカリスマ性が上がれば国の威信に繋がる。結果的に斎藤ら豪族たちも外敵から身を守れるという感覚があったとしたらの話だが。
自分の手柄を自慢したいような武将には無理な話だが、越後の鍾馗ならやれるかも知れない。
鍾馗と言えば@鬼を撃退してくれる善人A報われない苦学生 善人?彼らは軍事力を行使する戦国武将ですよ。
まるで慈善団体のような言い方ですが、
ユダヤ人を銃殺にかけるドイツ兵のストレスは大変なものでした
普通の精神ではいれないわけで
あの時代意は
精神を異常な状態にしとかないと生きれないと思いますよ 神と同じく善も人間の作ったものだ
現代の価値観を善とするなら他の時代は悪だろう エリック・ザ・バイキングみたいだな。
杯から飲んで鼻水擦った手をその杯で洗う、男は殺して女は犯す・・・おれたち、ケモノか?もう厭だ。
ラビット関根
「漕ぐんだ〜漕げったら漕ぐんだよー」 善人というかまあ五常の徳(仁礼智信)を兼ね備えた武将とたたえられた人ならいるにはいる。
小早川隆景 五常といいながら四個しかないのはネタか?たんなるミス?なのか 明智光秀は名君だったらしい
光秀が近江坂本と丹波を治めていた時のこと
領内の検地により、百姓が山中に隠し田を作って、年貢をごまかしていたことが判明した。
隠し田の収穫まで含めて年貢を厳しく取り立てようという部下の言葉に対し、
仏の嘘は方便と言い
部門の嘘は武略という
百姓土民は可愛いものなり
と言って、隠し田のことは知らぬふりして
それまでの年貢を納めるだけで良しとしたという。
こんな大名ちょっといない。 戦国時代ってのが余計に難しくしてると思うけど
・農民視点からだとなんとか初期の戦国時代に入ると思われる【北条早雲】
・愛というキーワードで【大友宗麟】
今の時代で求められてる名君は戦国時代ではいないかも
江戸時代の【保科正之】なら今の時代に欲しい人かもね >>313
戦で人殺しするのは彼らの稼業だからなあ。
それで善人じゃないとか言われても。 俺も誰一人ころしてないよ でも善人かどうか微妙だなぁ >>340
ビザンツ帝国のヨアニス二世は右手がスキタイ人の、左手がペルシア人の血にまみれていたにも関わらず、
カロヨアニス(心美しきヨアニス)と呼ばれたそうな。 >>335
四天王といいながら5人いたりするから問題ないかと >>344
四天王が5人なのは喜ばしいけれど、
徳が足りていないのは相等酷い事だろ >>345
昔から薩摩では
「義を言うな」と言われてきた。
ってうそです。 昔から浄土仏教では、
『無義をもって義とする』
と言うからな
これはホント >>340
これほど、アメリカ人の人情とユーモアを感じさせる物語はないよな。
トラムといい、この皇帝陛下といい、ますますあのサンフランシスコが好きになった。 いまの日本みたいに人殺さなくて社会が成り立つ時代じゃないんだろう
それだけはいえる
武田信玄も現代に生まれれば、町工場の社長かもな 北条氏は年貢率低くて徳川内政の鏡になったってよく聞くけどね 後北条の善政とやらはネットで盛んに喧伝されてるけど、調べて見ると、かなり怪しい。
例えば四公六民。
江戸時代の石高制と違って後北条は貫高制。収穫した米の四割を納税するようなシンプルなシステムではない。
北条の農民は秋に収穫した米を売って得た銭で、田一段ごとに定められた税を払う。
その金額は一段500文で、これは今川武田と同じ。とくに安い訳ではない。
例えば徳政令。
有名な永禄三年の徳政令で北条は年貢を半分にしたみたいに語られるけど、実際は半分を銭で、のこり半分を米で納めさせている。
(凶作で米価が高騰するため、例年通り全額銭だと北条家が損をする)これを借金帳消しなどと抱き合わせて徳政と称してるけど、
条文の最後のほうで、北条家や北条家懇意の高利貸しからの借金は帳消しにしないと捕捉されている。
つまり北条家と関係ない借金だけチャラにするという、痛みを民間に押し付ける徳政令。
例えば災害減免。
災害にあった地域の年貢免除を申請できるけど、その際は役人の調査が必要。
この場合の調査は検見(検地)も兼ねており、未申告の田畑が摘発され、翌年からは実質増税。
調査の結果、免除に値しないと判断されたあげく、未申告の田畑が摘発されるケースも。 >>354
内政の鑑にふさわしいよくできたシステムじゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています