雑兵足軽の実状
金そう医は、兜武者に対するのと、足軽に対するのでは対処に違いがあったのだろうか? 足軽に実態知ってから徴兵された兵士こそ最大の戦争犯罪人で
全員地獄へ落ちるべきもの、と思うようになりました。
乱取り、略奪、強姦。
戦争の勝ち負けに関わらず役目が終わったら処刑しといた方がいい連中ですね。 初期の足軽と、土一揆を構成している層とは殆ど同じ、という説は面白い。 信長の弓衆てのは弓足軽の集団でしょうか?
北政所の養家浅野家も弓衆の出と言いますが? 研究してるわけじゃないが、個人的には多分足軽身分ではないと思う。
弓衆太田牛一は堂洞城での戦いの功績で信長から重ねて知行を下されたと公記に記述がある。
知行を持っているのは普通士分。よって弓衆牛一は足軽ではないと思う。
浅野家も同様じゃないかな。 >730は女かね?
雑兵も足軽も野伏も一揆衆も僧兵も
そのへんは変わらないんじゃないの >>732
信長公記の記述の事を言ってるなら上の人が言ってる様に
弓小隊の指揮官の侍くらいに考えていいと思うよ >>733
岩倉織田家の林弥三郎の様な立場の武者だろうね 足軽=一兵卒
侍=本来は馬上。最低でもお供のモノがつく
っつう認識でいいの? ただし足軽と侍は身分上明確に区別された。
足軽はあくまで農民、百姓扱いだった。 >>731
黄巾賊が曹操に取り込まれて青州兵になったみたいなもんか。
要は農家の次男三男で食うに困った連中。農耕社会では東西を問わず不安定要素
とされる遊休人口だな。 >>737
足軽はもともと形容詞としても使われるから
戦国以前だと、武士が鎧を脱いで足軽になるとかいう表現があったりする >>730
乱取りなんて大名公認だろ。
そうでもしなきゃ合戦なんて成り立たなかった。
そんな時代だったってことなだけ。 >>737
恒常的に仕えてる立場の者が士分で、徴兵か臨時に雇われた立場が足軽といいたいけど
陣借り武者なんかもいるから難しいね 足軽にも二種類あって、
普段は農業などを営み、戦時に臨時徴収される一般的イメージの足軽と、
常備軍として雇用されている西洋でいう傭兵のような足軽がいた。
前者は訓練などもおざなりな文字通りの雑兵でしかないが、
後者は弓鉄砲などの訓練を積んだプロ集団だった。 まず足軽定義を書いとかないと・・・
身分についてなのか、兵種なのか、形体なのか >>747
徴収でも常備でも知行50石程度の武士に仕えてた足軽もいるんだけどね
ついでに金で臨時雇いもある 「足軽」という言葉も、兵種ではなく「武家身分でない戦闘員」全体を表している観があるからなあ。 >>748
【足軽の身分】
若党=士分(侍)の若衆、功績や推薦、志願で士分として家中に
取り立てられた士分以外の者。昔ながらの封建的な御恩奉公。
一族衆、有力家臣の子弟、末端家臣の陪臣などはこれ。
中間=契約によって武家に従う常備軍的な惣村、野党、盗賊、流民
(この場合の流民は、軍役を糧とする流動的な漂白傭兵、浪人の類)
による傭兵的兵員、武家の主力戦闘集団、乱取狼藉の類はこの層が中心?
小物、下人=一般農村の軍役、武家の譜代奉公人、一代限りの奉公人など
ただし、一般農村からの軍役は、報酬や代価を払って惣村や野党、流民の
身代わり賦役も横行。主に雑用。平時には子供、年寄り、女性も多い
【足軽の兵種】
騎乗しない雑兵身分。頭、組頭から騎乗。
士分の若党は家中の身分、功績、年齢によって段階的に頭、組頭に自動出世。
兵種に特化した近隣外地の傭兵的、常備的足軽集団の供給源も存在
(有名なのは雑賀衆、根来衆、伊賀衆、甲賀衆、風間党、各海賊衆など
これらは惣村、地侍、或いは個々の傭兵的雑兵と契約する形。
武家との起請文が主な契約形式)
【足軽の形体】
室町時代
野党、野武士・流民・惣村が主流。一揆(契約社会)の風潮が高まる。
戦国時代
上記身分の円熟期。戦国大名との抗争や取立てによって次第に二極化
末期には集権化した武家(豊臣・徳川)により禁制または駆逐
江戸時代
士分から外れたものは主に帰農或いは郷士など。海外での傭兵も散見
こんな感じ? 士分を得ないまま下士として武家社会の中にとどまったものも多かったけどな。
時代劇によく出てくる、奉行所の実務部隊である「同心」は、身分的には足軽だ。 江戸時代とかの感覚では、足軽とは別に中間や小者がいて、
足軽は基本的に兵士で、中間や小者は基本的に武士の身の回りの世話とかする感じやね。
しずがたけ合戦図屏風に手明と思われる連中が描かれてるけど
平服に武装は脇差のみなところから見ても、戦闘することが無いのが窺える 軍夫、人夫も平装やがな。戦国時代も、敵であってもこういう非戦闘員は討たないのが
不文律だった。まあ首を取っても手柄にならないからなんだが。 足軽の中にも自然災害で嫌気がさした奴もいただろうな 日根野鉢の兜は下々では鍋替わりに使われてたらしいな。
兜って言ってもピンキリだがそういう所でも日根野鉢は実用性が高かったという。 別に溶接してるわけじゃないんだから隙間から漏るんじゃないか 煮炊きの鍋代わりに使ったというよりは、カップ麺のお椀的な役割だったという説もありますね。 煮炊きの鍋代わりに使ったというよりは、カップ麺のお椀的な役割だったという説もありますね。 ttp://img3.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ed/0c/bananamiti/folder/23033/img_23033_8709467_3?1302573860
こんな感じの足軽が鎧の下に着てるのはたっつけ袴なの? 裁付袴の場合もあるし普通の袴に臑当付けている場合もある 合戦屏風なんかだと、裸っぽい足軽もいっぱい描かれていますね >>146
普段は鍋で雑炊のようにして食っていたそうだ 戦国時代の足軽て、北斗の拳のモヒカンのヒャッハー軍団
みたいなもんすかね? >>772
蜂須賀みたいなのがヒャッハー軍団に充たるだろ >>773
川並衆って単に河川流通に関わってる地元豪族ってだけではなかろうか? >>775
港湾流通に関わる地元有力集団もあるわけで >>775
勝手に「この流域は俺達の縄張りだ」て言い張って通行量取ってるアウトロー集団だろ。
明治になって蜂須賀の末裔が学者に頼んで蜂須賀は盗賊の家系ではないと証明しようとしたが、
あっさりと「先祖は盗賊だった」という調査結果が出てしまった。 >>778
通行税取ってるだけなら盗賊ではないだろ
海賊衆みたいに船を襲うこともあるってんなら分かるが 役人が偉そうに積み荷の一部を徴収するのも
盗賊が積み荷の一部を拝借するのもやってる事は変わらん >>778
普通の領主は街道の関所で通商通行税を取る
川並衆らのように領地が川沿いなら水運で通商通行税を取る
それだけの違いだよ >>781
あなたの思う普通の領主の実例は?
後世に名の残った領主の殆どが守護や守護代の部下あるいは本人。
あるいは地頭の類。
寺社に服属するもの。
結局は、殆どが公的権力(鎌倉以降の幕府もしくは朝廷)に地位を承認されてる。
蜂須賀党だっけ?
さらに昔の楠木正成達みたいな存在じゃないの?
そりゃ近代の価値観からしたら盗賊だろw
なんとかしたかったら大名になってすぐに系図をでっち上げておけば間に合ったろうにw 現代に於いて守護大名と戦国大名の区分は公認か自力救済かという解釈もあるしな
具体的に信秀時代の織田弾正忠家の例だけ取って見ても公権力の補任があった痕跡は無い
夜盗働きを行う者すべてがヒャッハーアウトロー(笑)だというのであれば当時の地方勢力や豪族や
農村なんかもすべて該当してしまうw
喜田貞吉が言いたかったのは戦国当時の夜盗働きは一般的であって恥ずべき行為ではないと
いうものではなかっただろうか 織田とか武田とかは足軽とかの武装度が華麗なイメージあるんすが、
他の大名とかの足軽の武装度はどんなもんなんでしょう?
蜂須賀の盗賊説は明治大帝が公認なされたんだろ、否定したら、明治大帝のお言葉に間違いがあったとなってそれこそ不敬の極みだわな。 足軽というのは読んで字のごとく軽武装の兵だ。
足軽の兵装に関しては、結局惣村からの軍役なのでどこもそんなに大差ない。 応仁の乱の頃は徴募制だが戦国時代には足軽は軍役に入ってる。
秀吉の実父が織田家足軽の家だった、という伝承の意味を少し考えてみるといい。 >>789
軍役は武士が主君に提供する軍事的負担を意味するのだが
戦国時代の足軽も徴募制か常時雇用の形 >>790
基本的には足軽提供も惣村にかかる軍役だぞ?
普段は惣村にいる。中で武家に召抱えられたものは惣村給人という存在だな。
これが分離するのは秀吉の身分法令以後だよ。 >惣村給人
半士半農の地侍や土豪の事だよね?
彼らは知行地の安堵と引き換えに軍事的奉公を行う士分だと認識してたんだけど
給人というのは土地持ちの武士の事だし。
もう一つは年貢や夫役の一部免除と引き換えに戦時に軍役をになう「軍役衆」
もしかしてこちらのことかな?でも彼らは給人じゃない。
どちらにしても惣百姓とは立場が異なる人達だよ。
>>793
その定義が地域・時代によって様々だからなぁ。江戸期に入ってですら
大名ごとにバラバラ。 >>793 >>794
オフクロの先祖が上州前橋藩酒井家の足軽衆だったからこのハンドルネーム
を使っている。明治維新で往来勝手になったから上州を後にした。苗字こそ
由緒ある”渡辺”だが、ビンボーだったと聞いている。
もっと議論して!
>>795
江戸時代の前橋酒井家なら傘張り長屋のイメージで良いかと >>786
その話自体作り話でなかったら明治大帝が『太閤記』で作られた蜂須賀党のイメージに
釣られていたとしてよほど不敬だろ >>786 >>797
その話しだったら司馬遼太郎氏の「飛ぶが如く」に出て来る。
蜂須賀公が明治帝が中座した折に卓上に有った高級葉巻を数本を失敬した
事だろ。明治帝は目ざとく見つけ「やはり血は争そえぬなぁ」と大笑いして
不問に付してるょ。 >>796
浪人の傘張り内職は傘は”人の頭の上に立つ”と言う意味があるんじゃぞ。
だからエライんだゾ。
798の飛ぶが如くは変換ミス。正しくは「翔ぶが如く」。 >>798
歴史小説の中で取り上げられた俗説や伝承の類いってだけだろ
一次史料でもなんでもない
その話自体、タバコと銀皿の2種類あるしなw
そもそも明治大帝が戦国期の多くの豪族が盗賊働きをしていないという誤認に因る言い掛かりを
蜂須賀家の末裔にしていたというのが不遜だといっているんだけどそこは無視かw ラスボスの父親はなんでまたあれほど影か薄いんだろう?。前田とか小出、青木あたりになにか記録残っていてもよさそうだか?
>>380
あれは戚継光の紀效新書のやつでな、刀とはいても五尺約(150cm)ありの野太刀だぜ、トゥーハンドソードみたいのやつだ
あとは長巻にもググレ >>800
その蜂須賀候は狸の子孫で小六の子孫ではないアル >>805
それだと尚更「やはり血は争そえぬなぁ」などといった明治大帝が赤っ恥じゃねえかw 骨が語る日本史読んでたらこんな記述があった。
男性二にして女性は一の割合であり、また骨や歯から年齢を推定
すると、血気盛りの若者が多く、それにわずかの熟年者もあった
が、老人や子供は全く見当たらなかった。p157
たぶんこれら戦死者の年齢と性別は一般の中世合戦に参加した人
びとの平均的な内訳を示しているものと思われる。p158
つまり女性も少なからず戦場に兵として参加してたってことか >>812
ルイス・フロイスの「日欧文化比較」の中で尼が陣立に行くとい記述がある。
訳者はこれを売春にでも行っているのだろうと解釈しているが、「イエズス会
士日本通信」に尼僧に対し参陣するか代わりの兵を雇う金を出せという命令が
下ったという記述があることから兵士として加わったと考えるのが普通であろ
う。
他にも「カサナテンセ図書館の日本関係文書」には仙石とその妻は自らの兵を
率いて逃げ惑う民衆を助けるどころか掠奪を行ったという記述がある。このこ
とから武将の妻にも兵を指揮する権限が与えられており、それを行使する場合
もあったといことがわかる。
戦場に女も加わるということは珍しいことではなく例えば16世紀にスウェーデ
ンのオラウス・マグヌスによって記された北方民族文化誌には女の軍事訓練と
いう項目があり幼いときより女子は弓を学ぶことになっているという。
昭和32年(1957).8.17〔小6女子ら少年少女桃色グループ112人補導〕
東京都世田谷区北沢の、桃色集団「根津山グループ」少年66人、少女46人の112人を補導。高校生や無職、女子中
生、女子小学6年生(12)など。ゆすり60件25万円、窃盗125件110万円。桃色遊戯を繰り返していた。中流以下の家庭。
昭和34年(1959).7.7〔中3女子がリーダーの「もんじやグループ」63人〕
東京都足立区本木町の中学3年生女子3人をリーダーとする、小学生2人を含む「もんじやグループ」63人が捕まった
。学校をサボって、万引きや不純異性交遊などを繰り返していた。
昭和35年(1960).8.23〔小6ら渋谷の愚連隊99人補導〕
東京都渋谷区渋谷の一斉取り締まりで小学生(12)1人、中学生11人、高校生39人を含む不良少年99人を補導した。暴
力団「安藤組」配下の「夜桜会」「英雄会」「北龍会」「黒龍会」の愚連隊で窃盗、恐喝、不純異性交遊を繰り返して
いた。会社社長など裕福な家庭がほとんど。
昭和の不良グループの例だが足軽の実情もこれと変わらないだろう。恐喝や窃盗を繰り返し、グループ内で乱交を行
う退廃的集団。蒼天航路冒頭に出てきて盗賊団のイメージにかなり近い。 >>815
代わりの兵を雇う金を寄こせと言ってるんだから、戦力とする意図があった
と思って間違いないんじゃないの?戦国の雑兵なんざ所詮寄せ集めばかりで
職業軍人的な存在はほとんどいなかっただろうな。 従軍僧なんて全世界的なものだろうに
僧が従軍せずに金銭で済ますのは陣僧銭といってコレももっと前からある習慣 奈良の村で、飢饉がきて、川につけてた芋を母と子が盗み、
村の若者の集団が現行犯で処刑。前の日も7人処刑と記録は語る。