雑兵足軽の実状
>>624
論旨と違うからって事もわからないのかい低脳君。 最近多いよな。革命児信長からの振り戻しが酷いやつ。 全然違わないだろw
織田家が遅れていたという定義も他家との比較があって
初めて言えることだろ
どうせ北条とか書くつもりだったんだろw つーか毛利や武田以下だけどな、信長の織田家は。
なんか勘違いしているバカがいるが、信長が抜群に優秀な武将だったことは間違いない。
だが彼や彼の体制は、古臭く後進的だった。
それだけのことが納得できないかね?
むしろ守旧的だったからこそ信長は、短期間にあれだけ拡大できたと言っていい。
中世史の人で信長が近世的とか、今時言っている人なんているか?
>>622
>言ってみれば信長は佐久間粛清の時点で、ようやくそれらの
>「先進」戦国大名のスタートポジションにいたったってわけだ。
そうか、肯定的に評価しちゃっていいのか。、
スターリンみたいでなんか厭だなw
というか、戦国大名の多くは
武田信玄や上杉謙信みたいに
豪族の寄り集まりみたいな感じで
大名は常に豪族たちの機嫌を窺いながら
政治をしていたって感じはするよな。
大名といえども、かなりの危険人物に対してさえ
そう簡単には粛清できないような立場。
それを考えると信長の独裁制は異様のような気がするんだが。
>光秀個人をいくら支配したって意味はない。領国、領民を把握してなきゃ。
後、これがちょっとよく分らんけど、
明智を支配することで領国支配としては十分じゃないの?
中間に明智がいるのにそれを飛び越えて下に指示するとかって
軍隊としても組織としてもあり得ないし。
信長は一方的に領地がえをさせることにより、
領主と領民とを簡単に切り離すような事をしたが
これは実効支配ができている証拠にならないか?
信長は領主を中央から派遣された知事程度にしか
考えてない節がある。 論旨うんぬんの前に、すでにスレの主旨から外れている事を知れ まぁ、よりによってあの毛利以下とか言えちゃう時点でどの程度アレか推して知るべし。
以下スルー。触れるの禁止。 自分らも話題に加わっちゃって触れるの禁止とか言ってもなぁ。俺もだけど。
とはいえ、このスレにも居るように革命児信長を引っ張ってる人が多いのも事実。
経済関係者に多いようだ。どうでもいいけど、中世の話なのに近代という単語が出るのって司馬遼太郎も罪深いねぇ。
中世の次は近世なのに。
こんぐらい言っとけば公平になるかね。んじゃ、スルーしとこう ところで
恩賞ってどんな感じでカウントしているのかな?
雑兵の首を一つでもとれば足軽頭に出世できると聞いたことあるが。
あと、接近戦できる場合ならともかく、鉄砲隊とか弓隊
は一体どうやって手柄を証明するんだ? いくさになると、それぞれの頭にデジタル表示されんだよ >>635
弓隊でも鉄砲も、状況によって誰が撃ったのか解る、と言うものだったらしい。
まあ、矢には名前を書いておく念の入った人も多かったようだが。
>>638
>弓隊でも鉄砲も、状況によって誰が撃ったのか解る、と言うものだったらしい。
出典よろしく。 その隊の真正面で、鉄砲キズや矢キズで死んでるのが、その隊の手柄になんだろ
個人でなく隊や組に恩賞がいって、それを組頭が分けるんだよ
638が言いたいのはそういうことじゃないの?
これだったら、そこらの戦記ものを目通せば、すぐ載ってるけど つか、この当時の鉄砲なら、致命傷が与えられるのは可視範囲だから、
撃って当たったってのもある程度把握できるんじゃね?
弾幕が出来るような戦場なんて(長篠も含めて)ほとんど無かっただろうし。 で、足軽組の誰某が敵方の足軽や誰某を撃って云々て記されてるわけ? 兜首じゃないと恩賞の対象にはならんでしょ
武田なんかだとはっきり規定があって
証人も必要だったはず 兜首でも足軽でもなんでもいいけど、足軽組の誰が鉄砲で当てたかを監察する
ことがあったんですかと訊いている。説明しなくていいから何に記されているのかだけでいいよ。 俺は知らんけど発射速度が遅いので、
最初の斉射以外では、案外わかるかもね
第二次大戦の狙撃兵なんかだとカウントされてるし あのねえ、撃った本人が分かるか分からないかの話じゃないんだよ・・・
足軽組(集団で行動する)の足軽(集団に属する個人)の手柄を監察
することがあったのか、あるのならそれが何に記されているのかを
訊いているんですけど?>>638の個人的な想像のレスなら「らしい」とか
紛らわしい言葉で濁さずに「だったかもしれない」と締め括れよ。 だったらトンチンカンな言葉を労してまで必死になるなよw くだらね
明日はID変えてしっかり638の振りしろよw 流石に歴オタでも恩賞のことは分らんか・・
兜首しか認めないとなると弓隊が不利に
なって不公平だから
弓隊に対する救済措置がなんかしらあるはずなんだよな。
もしかして専門家でも知らないのかもしれんな 軍功状は侍大将クラスの話だから足軽の恩賞は組頭からもらうわけで、
弓足軽と兜首云々の救済は現実的じゃないような……
もともと投射兵器で弱ったところの首を欠く(ひろい首)のが常道だったりしたわけで
そこらの”弱らせた軍功の記録”はないんじゃないかなぁ 長柄足軽=営業・歩合制
弓・鉄砲足軽=経理・月給制
みたいなポジションだったんじゃないの?
んで、弓の名手とか鉄砲の名手とかは日当はずんでもらったんじゃないか? つーか足軽って基本的には戦ごとの契約傭兵だろ。
江戸期に入って足軽も含めた武士が城下に居住するようになって、
農村から分離しただけで(兵農分離) >もともと投射兵器で弱ったところの首を欠く(ひろい首)のが常道だったりしたわけで
>そこらの”弱らせた軍功の記録”はないんじゃないかなぁ
弓兵は弓で撃った後、接近して首拾いに行くってこと?
そんなことしたら戦列乱れるし、ありえないんじゃないの。
まあ、侍階級が個別に足軽雇って好き勝手に戦っているとかいう
組織だったらわかるけど。
あと、弓兵は固定給とかいうのはありえるかもしれんけど。 首を取るのは白兵戦力である徒歩武士の仕事でしょ
従者も主人の武士をアシストするのが主で、
名も無き兵卒が兜首を取って大出世なんてあまり無いよ >>661
たとえば、4人編成で、
従者は弓で主人を補助するというのであれば
わかるけどね。
主人が恩賞もらえばおこぼれもあるだろう。
大河ドラマの功名が辻はそんな感じぽい
シーンがあったな。
ただ、弓隊編成された部隊の場合はどうなるんだろうな。
戦国期は家にもよるが、例えば武田家あたりじゃ、軍役分の足軽を武田家が一括で集めて、
部隊編成していたそうだ。
この場合恩賞などの判断は、足軽運用の責任者である足軽大将にあるんじゃないかな? 射手の練兵には時間がかかったから、被害が少ないように大事にされていたはず。
鉄砲が重宝されたのも、弓と違って練兵が容易だったせいもあるし。
したがって、弓が扱える=それなりに優遇されてたんじゃないかなぁ 足軽の恩賞ってのは組頭の差配じゃないの。
上位者からお前(の部隊)は、こんだけ仕事したから、これだけ恩賞やる。
後は揉めない様に分けろ的な。
個人の裁量に寄るやり方だから記録にも残らないとか。 前近代の戦場で、上官が部下に統制力を発揮するとすれば、やっぱりそういう風になるのかな
上官が逃げる&死ぬと、恩賞の分配者がいなくなるから、部下も敗走しないよう戦う、と
案外、この辺って未開拓の分野なのかな 城攻めで先発隊が全滅するだろ
空堀とかに死体が満載になる
これ、どうする
どっちの死体処理人がそうじする 伊達が版図を広げたのは、冬になると略奪と強姦が仕事だったからだろ もう誰も認めない上杉出稼ぎ説を今度は伊達で語るのかw
上杉や伊達にうらみでもあるの? >>666
TPOで勲功の評価に違いがあったわけで、一概にこうだった、といいきれないだけじゃない?
”狙撃”も盛んに行われたので、その場合は個人の勲功(名前が記録される)が残ってるけど
関ヶ原の黒田家の島左近狙撃(菅和泉以下百の部隊)の場合、
左肘左脇乗馬3カ所に弾が命中、その勲功はた菅和泉ののものになってるけど
たぶん参加者全員評価されてたはず(不満が出てないから)
現在の会社組織だってプロジェクトの成功ボーナスはその責任者が分配する(各人を査定する)し
昔も今もそこらは変わってないと思うけどね つーか飛び道具系は、合戦中ずーっと飛び道具なわけじゃないだろ?
別働隊とかでない限り、しょっぱなだけで後は槍とかに持ち替えたんでしょ? >>674
本陣の守備とかじゃね?毎回全軍突撃じゃないだろうからさ 主攻の左右後方に散って迂回しようとする敵を狙撃
押し負けて撤退する味方の援護など
やること一杯じゃん
戦の途中で槍に持ち帰る機会があったら銃剣の発祥は日本になってるだろうな >>675
なるほどね
でも追撃とかにも向いてないから、手柄立てづらいっちゃあ、立てづらいんだろうね
比較的活躍の場は少なそうだ 足軽って最初は重装だったのが、時代が下がるにつれどんどん軽装になっていって、
戦国末期の頃には、もはや鎧も着けずに羽織だけ、なんてのまで結構いたらしいね。 >>679
戦国末期じゃなくて安土桃山末期じゃねえの? 時代というより勢力や地域に因るんじゃないのか。
千葉氏配下の酒井氏の足軽も装備は粗末な竹の鎧に竹槍だったそうだし。 その頃の東国じゃ足軽なんて主力じゃなかったんじゃない? それまでゲリラ的な役割で使われていた足軽を、初めて組織化して合戦に投入したのが太田道灌だとか。
>>690
京都の悪党が戦場で槍働きするために陣狩りして従軍したのが足軽の始まり。
雇われ傭兵であり戦時中に集まってくるだけで、主従関係にはなかった。
また、戦場で一翼を担ってはいたがまだまだ主戦力には及ばず
戦力の補強程度の意味合いしかなかったが、一騎打ちが主流の武士の戦に対し
集団戦で勝負をつけ、負けそうならすぐに逃げるので無視できない戦力になっていった。
関東でも足軽は従軍していたが、組織立っての用兵には至っていなかった。
太田道潅は足軽に着目し、江戸城築城後城内での練兵に勤しみ
後の長尾景春の乱の時には道潅の采配で見事に乱を鎮めた。
たしかこんなかんじ
道灌の「足軽」はどちらかというと「徒侍」の意の様に感じられる 太田道灌に関しては、「傭兵隊長」という見方をしている人もいるな。 しかし戦国の100年間、軍隊の重要なポジションを担い続けた足軽なのに、
結局武士なんだか違うんだかわからない、不安定な身分のままだった。 >>697
”備”の観点から見れば、弓組は道灌の時代にも一般的だったんじゃない?
弓専用の荷物も多いし、まとめて運用てのは室町から行われてたし 太田道灌の時代 ーー 足軽=悪党
北条千葉の時代 ーー 足軽=農民
でも悪党と農民は違う 足軽と一言で言っても指してる物が違たりするからな
信長公記みたいに一つの作品の中で
侍身分を含んだ歩兵全般と、半農主体の軍役衆を
それぞれ足軽という同じ言葉で表したりしてるものもある 雑兵といわれる最下層の足軽は、いつの時代もその党や組頭の下男や領内の農民でしょ 兜武者が城攻めで土塁で撃たれて矢げん堀に落ちて絶命した場合、その兜首を
撃ち殺した鉄砲足軽はどうやってそれを照明するの?
首拾いに行くのか?いつもどうしてるのか考えてしまう(´・ω・`) >>704
土塁に兜武者が出てくるほど攻め込まれているようなら、それは銃撃戦じゃなくて、
刀を使う接近戦になってるだろ。
土塁を隔てた銃撃戦の段階なら、そもそも兜武者はそんな危険なところに
ひょっこり顔を出さない。 確実に誰が撃ったか解らない状況では
誰の手柄にもならない >>700
備えという組織自体の話じゃなく、弓を集団として訓練したかどうかの話で…… 兵に弓の訓練とあるけど、これが足軽かどうかはチト不明
普通の侍かもしれないし、もしそうなら普通に弓馬の鍛錬と言う事になる 火縄銃伝来前の猟師とか弓使ってたんじゃないのか?
わざわざ素人に訓練する必要もないかも >>706
なんか手柄を立てられるか否かは、実力や勇気より運による要素が大きそうだね
末端の連中の士気を高めるために、正確に軍功を計る方策考えたりしなかったのかなあ? 専業猟師は絶対数が少ない
農民も害獣駆除のために弓は自体は扱えたが、戦場で使うとなるとやはり訓練が必要 大まかな方向に向けて曲謝出来る程度に弓を扱えればいいんでねぇの? 足軽弓は斉射してなんぼだから指示した距離に飛ばす位の訓練は必要かもな
あとは遮蔽物の利用方法や号令に合わす訓練とか
少なくとも武士の一撃必中させるための訓練よりは楽だろ >>712
その程度の技量で効果的にやるとなると、イングランドロングボウ部隊のように
弓兵を大量動員しての一斉射が必要になるんじゃないか? 日本じゃそんな例知らん。
映画だと蜘蛛巣城のものすごいシーンがあるけどさ。 >>710
そもそも軍功とは大名が主従関係のある侍の働きを査定するものであって
足軽を評価するためのもんじゃないと思う 和弓は引くだけでもそうとうな腕力が必用とされていたからねぇ。
へたくそがいても矢の無駄遣いじゃなかったのかな?
消耗品とはいえ、矢じりを作る生産だとか考えると無駄矢は撃ちたくないよね。
親指大の矢じりだとしても、300の弓組みが5本消耗したとして1500でしょ。
製鉄して砥いでって考えると大変なもんだよなぁ・・・・ 撃ち込まれた無駄矢は、敵が回収して再利用するしな。 >>712
日本では曲射はしない。
相手が密集陣形を取らないのだから、
距離さえあってれば誰かに当たるだろうは通用しない。 弓でよく空から降ってくるように射る攻撃があるが、あれはなんというの?
あれは落ちてきてささったりするのか?
上に気をとられているのを、正面から別の射手が射るという複合攻撃なのか? >>693
一騎打ち以外に関してはだいたいあってるな >>651-654
3〜4時間間隔で気にしてやんのwww