雑兵足軽の実状
太田道灌の時代 ーー 足軽=悪党
北条千葉の時代 ーー 足軽=農民
でも悪党と農民は違う 足軽と一言で言っても指してる物が違たりするからな
信長公記みたいに一つの作品の中で
侍身分を含んだ歩兵全般と、半農主体の軍役衆を
それぞれ足軽という同じ言葉で表したりしてるものもある 雑兵といわれる最下層の足軽は、いつの時代もその党や組頭の下男や領内の農民でしょ 兜武者が城攻めで土塁で撃たれて矢げん堀に落ちて絶命した場合、その兜首を
撃ち殺した鉄砲足軽はどうやってそれを照明するの?
首拾いに行くのか?いつもどうしてるのか考えてしまう(´・ω・`) >>704
土塁に兜武者が出てくるほど攻め込まれているようなら、それは銃撃戦じゃなくて、
刀を使う接近戦になってるだろ。
土塁を隔てた銃撃戦の段階なら、そもそも兜武者はそんな危険なところに
ひょっこり顔を出さない。 確実に誰が撃ったか解らない状況では
誰の手柄にもならない >>700
備えという組織自体の話じゃなく、弓を集団として訓練したかどうかの話で…… 兵に弓の訓練とあるけど、これが足軽かどうかはチト不明
普通の侍かもしれないし、もしそうなら普通に弓馬の鍛錬と言う事になる 火縄銃伝来前の猟師とか弓使ってたんじゃないのか?
わざわざ素人に訓練する必要もないかも >>706
なんか手柄を立てられるか否かは、実力や勇気より運による要素が大きそうだね
末端の連中の士気を高めるために、正確に軍功を計る方策考えたりしなかったのかなあ? 専業猟師は絶対数が少ない
農民も害獣駆除のために弓は自体は扱えたが、戦場で使うとなるとやはり訓練が必要 大まかな方向に向けて曲謝出来る程度に弓を扱えればいいんでねぇの? 足軽弓は斉射してなんぼだから指示した距離に飛ばす位の訓練は必要かもな
あとは遮蔽物の利用方法や号令に合わす訓練とか
少なくとも武士の一撃必中させるための訓練よりは楽だろ >>712
その程度の技量で効果的にやるとなると、イングランドロングボウ部隊のように
弓兵を大量動員しての一斉射が必要になるんじゃないか? 日本じゃそんな例知らん。
映画だと蜘蛛巣城のものすごいシーンがあるけどさ。 >>710
そもそも軍功とは大名が主従関係のある侍の働きを査定するものであって
足軽を評価するためのもんじゃないと思う 和弓は引くだけでもそうとうな腕力が必用とされていたからねぇ。
へたくそがいても矢の無駄遣いじゃなかったのかな?
消耗品とはいえ、矢じりを作る生産だとか考えると無駄矢は撃ちたくないよね。
親指大の矢じりだとしても、300の弓組みが5本消耗したとして1500でしょ。
製鉄して砥いでって考えると大変なもんだよなぁ・・・・ 撃ち込まれた無駄矢は、敵が回収して再利用するしな。 >>712
日本では曲射はしない。
相手が密集陣形を取らないのだから、
距離さえあってれば誰かに当たるだろうは通用しない。 弓でよく空から降ってくるように射る攻撃があるが、あれはなんというの?
あれは落ちてきてささったりするのか?
上に気をとられているのを、正面から別の射手が射るという複合攻撃なのか? >>693
一騎打ち以外に関してはだいたいあってるな >>651-654
3〜4時間間隔で気にしてやんのwww 金そう医は、兜武者に対するのと、足軽に対するのでは対処に違いがあったのだろうか? 足軽に実態知ってから徴兵された兵士こそ最大の戦争犯罪人で
全員地獄へ落ちるべきもの、と思うようになりました。
乱取り、略奪、強姦。
戦争の勝ち負けに関わらず役目が終わったら処刑しといた方がいい連中ですね。 初期の足軽と、土一揆を構成している層とは殆ど同じ、という説は面白い。 信長の弓衆てのは弓足軽の集団でしょうか?
北政所の養家浅野家も弓衆の出と言いますが? 研究してるわけじゃないが、個人的には多分足軽身分ではないと思う。
弓衆太田牛一は堂洞城での戦いの功績で信長から重ねて知行を下されたと公記に記述がある。
知行を持っているのは普通士分。よって弓衆牛一は足軽ではないと思う。
浅野家も同様じゃないかな。 >730は女かね?
雑兵も足軽も野伏も一揆衆も僧兵も
そのへんは変わらないんじゃないの >>732
信長公記の記述の事を言ってるなら上の人が言ってる様に
弓小隊の指揮官の侍くらいに考えていいと思うよ >>733
岩倉織田家の林弥三郎の様な立場の武者だろうね 足軽=一兵卒
侍=本来は馬上。最低でもお供のモノがつく
っつう認識でいいの? ただし足軽と侍は身分上明確に区別された。
足軽はあくまで農民、百姓扱いだった。 >>731
黄巾賊が曹操に取り込まれて青州兵になったみたいなもんか。
要は農家の次男三男で食うに困った連中。農耕社会では東西を問わず不安定要素
とされる遊休人口だな。 >>737
足軽はもともと形容詞としても使われるから
戦国以前だと、武士が鎧を脱いで足軽になるとかいう表現があったりする >>730
乱取りなんて大名公認だろ。
そうでもしなきゃ合戦なんて成り立たなかった。
そんな時代だったってことなだけ。 >>737
恒常的に仕えてる立場の者が士分で、徴兵か臨時に雇われた立場が足軽といいたいけど
陣借り武者なんかもいるから難しいね 足軽にも二種類あって、
普段は農業などを営み、戦時に臨時徴収される一般的イメージの足軽と、
常備軍として雇用されている西洋でいう傭兵のような足軽がいた。
前者は訓練などもおざなりな文字通りの雑兵でしかないが、
後者は弓鉄砲などの訓練を積んだプロ集団だった。 まず足軽定義を書いとかないと・・・
身分についてなのか、兵種なのか、形体なのか >>747
徴収でも常備でも知行50石程度の武士に仕えてた足軽もいるんだけどね
ついでに金で臨時雇いもある 「足軽」という言葉も、兵種ではなく「武家身分でない戦闘員」全体を表している観があるからなあ。 >>748
【足軽の身分】
若党=士分(侍)の若衆、功績や推薦、志願で士分として家中に
取り立てられた士分以外の者。昔ながらの封建的な御恩奉公。
一族衆、有力家臣の子弟、末端家臣の陪臣などはこれ。
中間=契約によって武家に従う常備軍的な惣村、野党、盗賊、流民
(この場合の流民は、軍役を糧とする流動的な漂白傭兵、浪人の類)
による傭兵的兵員、武家の主力戦闘集団、乱取狼藉の類はこの層が中心?
小物、下人=一般農村の軍役、武家の譜代奉公人、一代限りの奉公人など
ただし、一般農村からの軍役は、報酬や代価を払って惣村や野党、流民の
身代わり賦役も横行。主に雑用。平時には子供、年寄り、女性も多い
【足軽の兵種】
騎乗しない雑兵身分。頭、組頭から騎乗。
士分の若党は家中の身分、功績、年齢によって段階的に頭、組頭に自動出世。
兵種に特化した近隣外地の傭兵的、常備的足軽集団の供給源も存在
(有名なのは雑賀衆、根来衆、伊賀衆、甲賀衆、風間党、各海賊衆など
これらは惣村、地侍、或いは個々の傭兵的雑兵と契約する形。
武家との起請文が主な契約形式)
【足軽の形体】
室町時代
野党、野武士・流民・惣村が主流。一揆(契約社会)の風潮が高まる。
戦国時代
上記身分の円熟期。戦国大名との抗争や取立てによって次第に二極化
末期には集権化した武家(豊臣・徳川)により禁制または駆逐
江戸時代
士分から外れたものは主に帰農或いは郷士など。海外での傭兵も散見
こんな感じ? 士分を得ないまま下士として武家社会の中にとどまったものも多かったけどな。
時代劇によく出てくる、奉行所の実務部隊である「同心」は、身分的には足軽だ。 江戸時代とかの感覚では、足軽とは別に中間や小者がいて、
足軽は基本的に兵士で、中間や小者は基本的に武士の身の回りの世話とかする感じやね。
しずがたけ合戦図屏風に手明と思われる連中が描かれてるけど
平服に武装は脇差のみなところから見ても、戦闘することが無いのが窺える 軍夫、人夫も平装やがな。戦国時代も、敵であってもこういう非戦闘員は討たないのが
不文律だった。まあ首を取っても手柄にならないからなんだが。 足軽の中にも自然災害で嫌気がさした奴もいただろうな 日根野鉢の兜は下々では鍋替わりに使われてたらしいな。
兜って言ってもピンキリだがそういう所でも日根野鉢は実用性が高かったという。 別に溶接してるわけじゃないんだから隙間から漏るんじゃないか 煮炊きの鍋代わりに使ったというよりは、カップ麺のお椀的な役割だったという説もありますね。 煮炊きの鍋代わりに使ったというよりは、カップ麺のお椀的な役割だったという説もありますね。 ttp://img3.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ed/0c/bananamiti/folder/23033/img_23033_8709467_3?1302573860
こんな感じの足軽が鎧の下に着てるのはたっつけ袴なの? 裁付袴の場合もあるし普通の袴に臑当付けている場合もある 合戦屏風なんかだと、裸っぽい足軽もいっぱい描かれていますね >>146
普段は鍋で雑炊のようにして食っていたそうだ 戦国時代の足軽て、北斗の拳のモヒカンのヒャッハー軍団
みたいなもんすかね? >>772
蜂須賀みたいなのがヒャッハー軍団に充たるだろ >>773
川並衆って単に河川流通に関わってる地元豪族ってだけではなかろうか? >>775
港湾流通に関わる地元有力集団もあるわけで >>775
勝手に「この流域は俺達の縄張りだ」て言い張って通行量取ってるアウトロー集団だろ。
明治になって蜂須賀の末裔が学者に頼んで蜂須賀は盗賊の家系ではないと証明しようとしたが、
あっさりと「先祖は盗賊だった」という調査結果が出てしまった。 >>778
通行税取ってるだけなら盗賊ではないだろ
海賊衆みたいに船を襲うこともあるってんなら分かるが 役人が偉そうに積み荷の一部を徴収するのも
盗賊が積み荷の一部を拝借するのもやってる事は変わらん >>778
普通の領主は街道の関所で通商通行税を取る
川並衆らのように領地が川沿いなら水運で通商通行税を取る
それだけの違いだよ >>781
あなたの思う普通の領主の実例は?
後世に名の残った領主の殆どが守護や守護代の部下あるいは本人。
あるいは地頭の類。
寺社に服属するもの。
結局は、殆どが公的権力(鎌倉以降の幕府もしくは朝廷)に地位を承認されてる。
蜂須賀党だっけ?
さらに昔の楠木正成達みたいな存在じゃないの?
そりゃ近代の価値観からしたら盗賊だろw
なんとかしたかったら大名になってすぐに系図をでっち上げておけば間に合ったろうにw 現代に於いて守護大名と戦国大名の区分は公認か自力救済かという解釈もあるしな
具体的に信秀時代の織田弾正忠家の例だけ取って見ても公権力の補任があった痕跡は無い
夜盗働きを行う者すべてがヒャッハーアウトロー(笑)だというのであれば当時の地方勢力や豪族や
農村なんかもすべて該当してしまうw
喜田貞吉が言いたかったのは戦国当時の夜盗働きは一般的であって恥ずべき行為ではないと
いうものではなかっただろうか 織田とか武田とかは足軽とかの武装度が華麗なイメージあるんすが、
他の大名とかの足軽の武装度はどんなもんなんでしょう?
蜂須賀の盗賊説は明治大帝が公認なされたんだろ、否定したら、明治大帝のお言葉に間違いがあったとなってそれこそ不敬の極みだわな。 足軽というのは読んで字のごとく軽武装の兵だ。
足軽の兵装に関しては、結局惣村からの軍役なのでどこもそんなに大差ない。 応仁の乱の頃は徴募制だが戦国時代には足軽は軍役に入ってる。
秀吉の実父が織田家足軽の家だった、という伝承の意味を少し考えてみるといい。 >>789
軍役は武士が主君に提供する軍事的負担を意味するのだが
戦国時代の足軽も徴募制か常時雇用の形 >>790
基本的には足軽提供も惣村にかかる軍役だぞ?
普段は惣村にいる。中で武家に召抱えられたものは惣村給人という存在だな。
これが分離するのは秀吉の身分法令以後だよ。 >惣村給人
半士半農の地侍や土豪の事だよね?
彼らは知行地の安堵と引き換えに軍事的奉公を行う士分だと認識してたんだけど
給人というのは土地持ちの武士の事だし。
もう一つは年貢や夫役の一部免除と引き換えに戦時に軍役をになう「軍役衆」
もしかしてこちらのことかな?でも彼らは給人じゃない。
どちらにしても惣百姓とは立場が異なる人達だよ。
>>793
その定義が地域・時代によって様々だからなぁ。江戸期に入ってですら
大名ごとにバラバラ。 >>793 >>794
オフクロの先祖が上州前橋藩酒井家の足軽衆だったからこのハンドルネーム
を使っている。明治維新で往来勝手になったから上州を後にした。苗字こそ
由緒ある”渡辺”だが、ビンボーだったと聞いている。
もっと議論して!
>>795
江戸時代の前橋酒井家なら傘張り長屋のイメージで良いかと >>786
その話自体作り話でなかったら明治大帝が『太閤記』で作られた蜂須賀党のイメージに
釣られていたとしてよほど不敬だろ >>786 >>797
その話しだったら司馬遼太郎氏の「飛ぶが如く」に出て来る。
蜂須賀公が明治帝が中座した折に卓上に有った高級葉巻を数本を失敬した
事だろ。明治帝は目ざとく見つけ「やはり血は争そえぬなぁ」と大笑いして
不問に付してるょ。 >>796
浪人の傘張り内職は傘は”人の頭の上に立つ”と言う意味があるんじゃぞ。
だからエライんだゾ。
798の飛ぶが如くは変換ミス。正しくは「翔ぶが如く」。 >>798
歴史小説の中で取り上げられた俗説や伝承の類いってだけだろ
一次史料でもなんでもない
その話自体、タバコと銀皿の2種類あるしなw
そもそも明治大帝が戦国期の多くの豪族が盗賊働きをしていないという誤認に因る言い掛かりを
蜂須賀家の末裔にしていたというのが不遜だといっているんだけどそこは無視かw