雑兵足軽の実状
>>561
3日分ほどは自弁。後は大名からの支給。 支給も貰うし略奪もする、ついでに隙があれば味方からも強奪 ”略奪”の定義がきまらんとなんともいえないのでは?
指揮官の命令に従って現地徴収するも”略奪”になるのなら、
最近まで世界中で行われてきたし…… 561ですが、どうもありがとうございます。
基本は、数日分が自己負担なんですね。 帝國陸軍と同じだろうなぁ・・。
召集地までは自弁、あとはお国。
戦地では携帯口糧が1週間分。
なくなったら輜重隊が運んでくるまでは現地調達。 掠奪、押買を禁止する制札は多い。
為政者側は占領して統治する土地の治安を乱す行いは好まなかっただろう。
侵略的にも防衛的にも国人領主や寺社勢力を敵に回すのは得策ではない。
やはり一部の問題児集団が暴威を振るっていたと見るべきじゃないかな。 現地での物資徴収が一般的だった当時では、基本”押買”を全面禁止してはいないと思うよ。
つまり統治がどうのこうのは,、あまり考慮されない時代だったかと。
"押買"というのは基本的に現地での軍事物資調達の意図があってのこと。
ちょっと古くなるけど、芝山を三銭で押買した山名持豊の配下ですら侍所の権限を元に行ってる。
だから足軽だけじゃなく武将が指揮してるから、それゆえ”制札”の効果があったのよ。
ただ”制札”があったとしても、そこに抵抗するだけの武力がないと効果はなかったみたい。
関ヶ原の伏見城攻めの時、醍醐寺では制札だけではなく檀家の農民を集めて抵抗し
西軍150名程度を追い返した。
まぁ、帰りがけに日野郷の竹を根こそぎ持ってってるんだけど。 源義経は足軽の略奪等は公開処刑にしたから武士から信望を失った
というのは本当ですか? >>572
義経が京都で朝廷から一般市民に至るまで支持されたのは
そうやって雑兵足軽の狼藉略奪を防いだからでないのか?
義仲の雑兵足軽どもの狼藉略奪がひどかったのに対して。 民衆守れば部下から不満
部下を守れば民衆不満
腹痛くなりそう >>573
頼朝軍で義経とおなじ立場の範頼のことも思い出してあげてください。
義仲が気の毒なのは、上洛した時ちょうど飢饉で、
食料挑発で都の食糧事情を圧迫しちゃったから、ってのもあんだよなぁ…… 浮浪的な悪党を、足軽として組織化させ戦闘集団として活用したのは、応仁の乱〜享徳の乱。
>>581
応仁の乱はまだゲリラ部隊で正規軍に組み入れられていない
また、組み入れられても当初は徒侍の集団的な色が強い
一般的イメージの各種兵科に組織化されたのは相当後でしょうな >>582
大田道灌の足軽戦術の衝撃は大きかっただろうね。 正規兵として雑兵や足軽が組み込まれたのは、
天正ぐらいからなんだろうか。 正規兵とは何か、と言う問題もあるが、長柄足軽の集団運用は、天文年間には既に広く
行われていた模様。 槍の運用は南北朝くらいから盛んになったという説もあるな。 なるやつもいるんじゃないの?
農民でやる奴はいないと思うが。 どうだろう?いるんじゃないの?とイメージで思ってた。
なんやかんやで人間の需要はある農家はあるだろうし。 ところで最近就職難で大変だが、
足軽への就職ってどうなんだろうな。
簡単にできるイメージがあるんだがどうだろう?
現在で言うとどの職と難易度が近いかな?
期間工とか? 時期や地域に等によってだが基本的には中小企業の正社員クラスかな。
期間工や派遣クラスは人夫として雇われる感じ。 じゃあそこそこ厳しいね。
それなりに面接対策しないと受からないレベルってことか。
とりあえず志願すれば即採用って感じに思ってたけど。
そもそも足軽に採用試験みたいのあるのかな。
関係ないけど新撰組は採用試験は
なかったみたいだね。
妻子を遠くに住まわせるという条件があるくらい。
槍足軽は簡単、鉄砲・弓は技能職なので要相談、旗足軽は力持ちでかつ名誉な職なので一番難しい
これとは別に経理的な技能職として荷宰領等がある 募集年齢は15〜55歳ぐらいで、足軽契約が成立すると税や賦役免除の特典や
食料金銭の支給があったそうだからアメリカの登録予備役兵に近いイメージかな。
本職は当然農業。 なるほど、
槍足軽は営業、
鉄砲・弓は開発、みたいな感じか。
とりあえず槍なら放浪者でもすんなり採用されそうって
ことかな。
旗足軽ってそんな重要な職だったんだ。
新米がやらされるような荷物持ちかと思ってたよw
しかし、当時は読み書きできるやつあまりいないだろうから
読み書きできるってだけで引っ張りだこだったんだろうな。 >>597
浮浪者や山賊やってた奴がフラッと採用試験受けるの可能かなと
思ってね。
その場合は、耕す土地を与えられて半農ってことになるのかな?
当時は慢性的な人材不足っぽいから簡単に採用されそうぽいんだけどね。 流民みたいのはなれんよ。たしか
命以外失う物無いから戦場ではすぐ逃げるし陣中で狼藉放火されたら戦う前に負ける。
その点村の中でそれなりの地位にあるものは、隣人捨てて逃げたら村八分で生きていけんから
それなりに戦う。
大名が出した身分のしっかりした者以外はつれてくんなという書状は幾つか残っているらしい
まぁ農民にしてみれば身内で働き手が死ぬと困るから流民を家の者だって偽って送り出したり
云々っていう駆け引きは常にあったみたいだけど 何、流民はなれないのか!
住所不定だと就職できないのと同じか。
いや、30歳職歴無しだと正社員になれないのと同じか。
せちがらすぎる。
しかし、流民になったらどうすればいいんだ?
とりあえず人夫としてなら採用されるのかな?
それで信用積めば正社員の足軽になれるかな? >まぁ農民にしてみれば身内で働き手が死ぬと困るから
>流民を家の者だって偽って送り出したり
あ、この手は結構使えそうだなw
片っぱしから訪問してみるか、
庄屋の家でも訪問して誰か入用な農家を紹介してもらえばいいのかな。
とはいえ信用されないとダメか。難しそうだ。
まず農民になればいい。農民募集見たいのはどこでもやってたはず そうか。農民になればいいのか。
敗者でも復活できるとこがいいな。
しかし、織田軍は常備軍じゃなかったっけ?
織田軍の採用基準も同じなの?
農民使えないんじゃないの?
>>598
旗は自隊の位置を示しすもの
これがないと自分が何処にいるのかすら解らなくなる
よってこれが決して倒れないよう、力持ちに持たせるわけ
旗が乱れると士気が低いというくらい >>604
> しかし、織田軍は常備軍じゃなかったっけ?
それはいわゆる「俗説」
実際の織田軍は兵農分離なんて皆無。むしろ戦国時代でも後れた組織体系だったのが
信長の軍隊の実態。 信長直営軍が常備軍
織田領内の国人軍は従来の組織
ではなかったっけ? まあ、大抵のどこの大名でもそうだが、いわゆる侍クラスは常備してる。
でも、雑兵レベルは侍クラスの地元から集めてるっぽい。
公記の本願寺戦の記述から。 >>607
信長なんて安土城のときにようやく旗本の城下集合をやった、って程度の大名だぞ?
組織としては遅れまくってる。 信長は軍役の人数指定を出来るほど家臣を支配できてなかったんだっけ? 「できるだけ多く」って奴ねw
ああいうのを見ると、一部の人間が信長を合理的だとか近代的だとか言うのは、
悪い冗談としか思えなくなってくるw >>610
佐久間達をあっさり首にするような恐怖政治が出来るのに
支配できてないってどういうことだよ。
小事は裁量に任せているだけじゃないの?
軍団編成の近代的な軍隊を
作り上げたというのが間違っているというのか?
>>612
佐久間処分なんて内衆の排斥みたいなもんだ。たいした強権でもない。
あと君は「支配」の意味を間違えている。戦国大名の領域支配は大名権力による
人、土地、金の一元管理が特徴だが、信長の領国ではそれが出来ていない。つまり「支配の深層化」が
出来ていないわけだ。上っ面の支配でしかない。
この意味で信長は戦国大名どころか、守護大名レベル。
あと信長の軍隊は近代的どころか近世的ですらない。これもまた守護大名レベルの
中世をたっぷりと温存した軍隊。
はっきり言えば信長は、同時代的に時代遅れなんだよ。 で、知ったか博士のいう当時最新の組織はどこなわけ? 議論を変な枝葉にそらしたいんだろうけど、そんなものに乗るほどバカじゃない。
反論があるなら「信長は時代遅れじゃない」という論拠を示してくれ。
>>613
特に汚点もない宿老を粛清する
のってすごい強権のような気がするんだけど。
これ以上の強権ってどんなのあるかな?
>戦国大名の領域支配は大名権力による
人、土地、金の一元管理が特徴だが、
後、明智光秀が一方的に領国替えさせられたりしてるけど、
これは一元管理されていると言えなくないか?
信長が大名を官僚のように見ていたため、
明智が耐えかねて裏切ったという説があるけど。
逃亡宣言じゃない
「僕、調子に乗っちゃったけどそこまで詳しくないから教えて」ってツンデレと思うのだ
夏休みだしな >>619
汚点が無くても勢力の大きい宿老の粛清なんて昔からいくらでもあるがな。
毛利が井上一族を粛清したり尼子が新宮党を粛清したりしたのは何なのかと言うこと。
言ってみれば信長は佐久間粛清の時点で、ようやくそれらの「先進」戦国大名の
スタートポジションにいたったってわけだ。
あと、光秀個人をいくら支配したって意味はない。領国、領民を把握してなきゃ。
守護大名でも重臣の領国換えはいくらでもやってた。
まあ光秀が一方的に領国換えされたなんて、軍談講談のお話でしかないが。 >>620-621
出た出た一方的な勝利宣言w
テンプレどおりのバカだな君ら。 >>622みたいな長文書く暇があるなら
なんで「近代的」な大名家の名前が書けないのかなw >>624
論旨と違うからって事もわからないのかい低脳君。 最近多いよな。革命児信長からの振り戻しが酷いやつ。 全然違わないだろw
織田家が遅れていたという定義も他家との比較があって
初めて言えることだろ
どうせ北条とか書くつもりだったんだろw つーか毛利や武田以下だけどな、信長の織田家は。
なんか勘違いしているバカがいるが、信長が抜群に優秀な武将だったことは間違いない。
だが彼や彼の体制は、古臭く後進的だった。
それだけのことが納得できないかね?
むしろ守旧的だったからこそ信長は、短期間にあれだけ拡大できたと言っていい。
中世史の人で信長が近世的とか、今時言っている人なんているか?
>>622
>言ってみれば信長は佐久間粛清の時点で、ようやくそれらの
>「先進」戦国大名のスタートポジションにいたったってわけだ。
そうか、肯定的に評価しちゃっていいのか。、
スターリンみたいでなんか厭だなw
というか、戦国大名の多くは
武田信玄や上杉謙信みたいに
豪族の寄り集まりみたいな感じで
大名は常に豪族たちの機嫌を窺いながら
政治をしていたって感じはするよな。
大名といえども、かなりの危険人物に対してさえ
そう簡単には粛清できないような立場。
それを考えると信長の独裁制は異様のような気がするんだが。
>光秀個人をいくら支配したって意味はない。領国、領民を把握してなきゃ。
後、これがちょっとよく分らんけど、
明智を支配することで領国支配としては十分じゃないの?
中間に明智がいるのにそれを飛び越えて下に指示するとかって
軍隊としても組織としてもあり得ないし。
信長は一方的に領地がえをさせることにより、
領主と領民とを簡単に切り離すような事をしたが
これは実効支配ができている証拠にならないか?
信長は領主を中央から派遣された知事程度にしか
考えてない節がある。 論旨うんぬんの前に、すでにスレの主旨から外れている事を知れ まぁ、よりによってあの毛利以下とか言えちゃう時点でどの程度アレか推して知るべし。
以下スルー。触れるの禁止。 自分らも話題に加わっちゃって触れるの禁止とか言ってもなぁ。俺もだけど。
とはいえ、このスレにも居るように革命児信長を引っ張ってる人が多いのも事実。
経済関係者に多いようだ。どうでもいいけど、中世の話なのに近代という単語が出るのって司馬遼太郎も罪深いねぇ。
中世の次は近世なのに。
こんぐらい言っとけば公平になるかね。んじゃ、スルーしとこう ところで
恩賞ってどんな感じでカウントしているのかな?
雑兵の首を一つでもとれば足軽頭に出世できると聞いたことあるが。
あと、接近戦できる場合ならともかく、鉄砲隊とか弓隊
は一体どうやって手柄を証明するんだ? いくさになると、それぞれの頭にデジタル表示されんだよ >>635
弓隊でも鉄砲も、状況によって誰が撃ったのか解る、と言うものだったらしい。
まあ、矢には名前を書いておく念の入った人も多かったようだが。
>>638
>弓隊でも鉄砲も、状況によって誰が撃ったのか解る、と言うものだったらしい。
出典よろしく。 その隊の真正面で、鉄砲キズや矢キズで死んでるのが、その隊の手柄になんだろ
個人でなく隊や組に恩賞がいって、それを組頭が分けるんだよ
638が言いたいのはそういうことじゃないの?
これだったら、そこらの戦記ものを目通せば、すぐ載ってるけど つか、この当時の鉄砲なら、致命傷が与えられるのは可視範囲だから、
撃って当たったってのもある程度把握できるんじゃね?
弾幕が出来るような戦場なんて(長篠も含めて)ほとんど無かっただろうし。 で、足軽組の誰某が敵方の足軽や誰某を撃って云々て記されてるわけ? 兜首じゃないと恩賞の対象にはならんでしょ
武田なんかだとはっきり規定があって
証人も必要だったはず 兜首でも足軽でもなんでもいいけど、足軽組の誰が鉄砲で当てたかを監察する
ことがあったんですかと訊いている。説明しなくていいから何に記されているのかだけでいいよ。 俺は知らんけど発射速度が遅いので、
最初の斉射以外では、案外わかるかもね
第二次大戦の狙撃兵なんかだとカウントされてるし あのねえ、撃った本人が分かるか分からないかの話じゃないんだよ・・・
足軽組(集団で行動する)の足軽(集団に属する個人)の手柄を監察
することがあったのか、あるのならそれが何に記されているのかを
訊いているんですけど?>>638の個人的な想像のレスなら「らしい」とか
紛らわしい言葉で濁さずに「だったかもしれない」と締め括れよ。 だったらトンチンカンな言葉を労してまで必死になるなよw くだらね
明日はID変えてしっかり638の振りしろよw 流石に歴オタでも恩賞のことは分らんか・・
兜首しか認めないとなると弓隊が不利に
なって不公平だから
弓隊に対する救済措置がなんかしらあるはずなんだよな。
もしかして専門家でも知らないのかもしれんな 軍功状は侍大将クラスの話だから足軽の恩賞は組頭からもらうわけで、
弓足軽と兜首云々の救済は現実的じゃないような……
もともと投射兵器で弱ったところの首を欠く(ひろい首)のが常道だったりしたわけで
そこらの”弱らせた軍功の記録”はないんじゃないかなぁ 長柄足軽=営業・歩合制
弓・鉄砲足軽=経理・月給制
みたいなポジションだったんじゃないの?
んで、弓の名手とか鉄砲の名手とかは日当はずんでもらったんじゃないか? つーか足軽って基本的には戦ごとの契約傭兵だろ。
江戸期に入って足軽も含めた武士が城下に居住するようになって、
農村から分離しただけで(兵農分離) >もともと投射兵器で弱ったところの首を欠く(ひろい首)のが常道だったりしたわけで
>そこらの”弱らせた軍功の記録”はないんじゃないかなぁ
弓兵は弓で撃った後、接近して首拾いに行くってこと?
そんなことしたら戦列乱れるし、ありえないんじゃないの。
まあ、侍階級が個別に足軽雇って好き勝手に戦っているとかいう
組織だったらわかるけど。
あと、弓兵は固定給とかいうのはありえるかもしれんけど。 首を取るのは白兵戦力である徒歩武士の仕事でしょ
従者も主人の武士をアシストするのが主で、
名も無き兵卒が兜首を取って大出世なんてあまり無いよ