>>259
遅れたが藤木久志の「雑兵たちの戦場」など。
越後では二毛作ができず、農閑期・慢性的な飢餓に陥る端境期(田植え終了〜収穫までの期間)
の口減らし&出稼ぎとして出兵していたのでは?ということだった。
田村憲美氏が中世後期の人々の死亡傾向を調べた結果、端境期に死者が集中していたそうだ。

謙信の関東方面への出兵パターンの多くが
収穫を終えた晩秋から田植え期まで帯陣する短期越冬型か、冬から夏まで帯陣する長期越冬型で、
上杉家軍役帳では全体の四分の三が農民だったこと、作物の略奪(刈田)、金品・人間の略奪(乱取り)、
それらの捕虜・人質から身代金を取ったり、奴隷として売り払うのがビジネス化していたこと、
謙信も小田城攻略後、城下で人身売買の市場を自らが差配していたこと、
などを根拠にしてた。

土豪や土侍は兵を徴発する農村の農業活動に動向を左右され、
彼らに軍事力の多くを頼っていた謙信の戦略に強い影響を与えた。
大名は農兵達を戦場に引き止めるために、恩賞として略奪を黙認していた。
また、当時略奪を逃れるために禁制が発行されており、これは略奪が日常茶飯であったことを示している、
と言ってるがどうなんだろうね。