雑兵足軽の実状
ただこの人鈴木真哉氏と共著出してるあたりがきな臭い・・・ >>265
当時は手っ取り早く言えば北斗の拳みたいな世界で
天災続きで作物も取れない大飢饉の時代だから
土地の英雄=略奪者になるのも仕方ないわね ぶっちゃけ雑兵の略奪・人身売買を厳しく取り締まらなかっただけで
それ目的の戦争ってのは苦しくないか?
例に出されている人身売買も一般的に人ひとり一貫くらいが相場だった頃に
謙信が取り仕切った時は身の代金ひとり辺り数十銭とかゴミみたいな値で、
何万人単位で売っても割にあわんと思うが。
売らないで奴隷や妾として持ち帰ったりもしたんでない?
逃げられそうだがw 武田家の書類だったと思うけど、逃げ出して他家の下人になった奴隷を元の持ち主に返すよう
仲裁の指示を出てたりしてたから自分の奴隷にもしてたみたいだよ。 しかし自分の所に連れて帰るだけでは金にならんじゃないか。
働き手も増えるが食い扶持も増えるだけじゃないか?
特に餓死者が多く出るくらい逼迫していたなら
高値で売りつけんと割に合わないだろう。
実際武田は身代金に数十貫とかなり高額な値を付けてるし。 上杉の場合頭領の謙信は鉱山を直接支配しておらず
収入は主に直江津の海運やアオソ輸出による商人からの税収に頼っていたあたり
謙信本人は奴隷売買をビジネスとしてはさほど重要視してなかったんじゃないか?
ただ商人がいくら儲けてもその分け前は来ない下の方の雑兵(農民)は
略奪できなきゃ旨味が無いので略奪禁止されると士気が落ちる…となると
謙信本人の奴隷市取り仕切り二束三文叩き売りは迷惑でしかなかったかも。
ちゅーかこの頃の人身売買は売る相手は主に売られる本人の親類縁者やその土地の領主で
(買い戻すために一番高値で買い上げてくれるから)
買い戻してくれる人間がいなかった身寄りの無い奴を奴隷商人に渡していたって話を
聞いたことがあるがそれはどうなん?
関東圏内の狭い地域じゃ無理にさらって連れ帰って奴隷扱いしても
すぐ逃げて地元に帰ってしまうだけな気もするが。 ショタオフの主催者がオフ参加者をホモが集まる新宿2丁目へ売り飛ばすと公言
男児ポルノ愛好家の卑劣な発言を許すな!
【ショタ】ダメ…僕…男の子だよ…あ…んっ…【OFF会】
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1182435883/191-
191 名前:幹事(仮) ◆CItxdAkoPQ 投稿日:2007/07/14(土) 14:33:39 ID:M17PlN/u
お金足りなくなったら俺たちに頼めばいいよ。
多分「貸す」から。
払えなかったら2丁目あt(ry >>265
藤木久志は「定本・北条氏康」や「天下統一と朝鮮侵略」を著した人だね
この人の本って、背景にある思想的バイアスが透けて見える気がする。
客観性に欠けるようで、何か気持ちが悪いんだな。 領国経営に力を注いだ謙信の年貢収納高は推定99万7000石。
食料や富を略奪するために外征を行う必要は無いのではないか? 雪で冬やることないから出兵してたんじゃない?
謙信の居る春日山城って豪雪で有名な上越市だし 兵に農民が多い以上自国の農地を放置するわけにはいかんし
冬の農業しない時期に出兵が多くなるのは理由考察するまでも無いことだろう? >>265
>謙信も小田城攻略後、城下で人身売買の市場を自らが差配していたこと、
「小田開城ヨリ、御意ヲモツテ、春中、人ヲ売買事、廿銭・卅弐程致シ候」(越佐史料)
ほんのわずかな証言を根拠にして、自説を展開するのはちと乱暴なのではと思います。
>>270>>273同意です。 >280
御意によって身代金二十銭で人身を売ったって
人身売買をビジネスにしているようには全く見えんなー。
身代金二十銭で捕虜開放してくれるなら
売られた人間の殆どが親類縁者に取り戻されたんじゃないか?
二十銭でなお買い戻してもらえなかった奴はよっぽど困窮していて
商人に買ってもらって食い扶持を保障してもらえる方が安全な奴
くらいな気がするな。 >>281
確かに捕虜開放と言った方が近い感じですね。
また謙信(輝虎)が小田勢の捕虜を安価で解放した、
逆に捕虜となっていた上杉勢(佐竹など)の兵を買い戻した、とも読めますね。
常陸小田城は争奪戦となっていたので、両軍多数の捕虜を抱えていたでしょう。 九州では島津が豊後で残虐行為を行なった後
奴隷を大量に連れ帰ったが家で持て余し、
競りにかけて安価で外国に売り飛ばした例がある。
武田家も一般市民を捕えて奴隷にしている。 >>283
日本人が犯した残虐行為について詳しく教えて下せい! 足軽の発展については大体
戦国期初期:百姓の次男三男の志願者や地侍によって徴募された奴らが主体。あまり錬度は高くない
戦国期中期:この頃から定期的に訓練を受ける様になるがまだ半兵半農
戦国期後期:兵農分離が進みプロの兵士に近くなる
江戸期:兵士を職業とし常備軍を構成する様になる
と言う理解でいいんですか? 江戸期:太平の世となり軍人から役人や普請に役割がシフトする 加賀藩の足軽の住居を再現したものをテレビで見かけたけど割りといい暮らししてたっぽい。 >>288
気をつけるべき点は以下の2つだ
・実物も再現も、新築間もなきゃ良く見える
天守閣だって年が経てば松本城のように傾いて歪む
・リアルに再現しても集客&注目されない >>288
私も以前金沢に行って足軽史料館?をみてきたけれど、結構広い家だよね。
4間+台所ぐらいだったかな。きっちり庭もついているし。
江戸の下級武士の生活環境ってかなり劣悪だけど、地方はあんなものなのか、前田家だけなのか?
……江戸時代だね。 TVドラマや資料館とかで、足軽や下層の人たちの暮らしの再現があるけど、実際はそをかなり下回るひどさだと思った方がいい。
江戸末期だけど、そういった人たちをさりげなく撮っている写真集とかあるから、それを見れば一目瞭然だよ。
例えちゃ失礼だが、飢えや病気に苦しむ海外の人たちの写真や映像があるけど、あの人たちより少しはマシってくらいだよ。
江戸末期と言えば、下級武士が経済的にもっとも困窮した時代だろ。
米の価値は下がるわ、減給に踏み切る藩は出るわで散々だぜ。
武士は威張ってはいても金は持ってない。 江戸末期の下級武士(足軽)と戦国期の足軽・雑兵は意味合いがちがうでしょ。
簡単に言うと 江戸末期の足軽=下級武士 戦国期の足軽=農民 てなるよね。
つまり、「そういった人たち」ってのは、下級武士でなく江戸期でいう農民って事です。
下級とはいえ武士に格上げされた江戸期の足軽は、この板のこのスレでは別物だと思いますけど・・・
幕末に日本に来た外国人たちは、当時の日本の民衆や農村を、
「質素だが生活の貧困や、物乞いがまったくない」「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気」
「素朴で誰もが気軽にあいさつしてくる」「筆舌に尽くしがたい礼儀と愛想の良さ」
「皆が協力しあって幸福そうに生きている。欧州のように生活に疲れきった不機嫌な顔は見た事がない」
「彼らは外国人がいなくても十分幸福で健康だ」「西洋文明は彼らを堕落させるだけではないだろうか?」
とか書いてるね。
乞食がいないこと、人々が陽気で見渡す限り皆上機嫌なことは、ブラックやベルク、ボーヴォワールなど何人もが特筆している。
当時の日本人はお調子者で軽妙、ふざけって笑ってばかりいたそうなんだが、
若干子供っぽいとも付け加えている。 足軽といっても徴集された者、臨時雇いの傭兵、職業軍人的な常勤の傭兵がいるね。
武士の従卒も、戦時のみ募集なんてのがあったらしい。 本当は禁止されているんだけどな >臨時雇いの従卒
今も昔も、非正規雇用で済ませられるならそっちの方が雇い主にとっては良いんだろうな 風林火山見ると足軽は残虐行為や略奪行為をする集団にしか思えないが。
>>300
お前はドラマをなんだと思っているんだ。 普通に考えて略奪・暴行はあっただろう。
たとえば大阪夏の陣のあとの大阪も凄かったらしい・・・・・ 同盟国や自領を通過するときでさえ
ある程度の略奪は許可されてたそうだしな
でなきゃ補給が続かないそうで。 >>306
ややこしい話だが、自領内でのある程度の略奪というのは、当時はする方もされる方も略奪とは考えないで、普通に当たり前と思っていたかもしれない。
年貢の徴収レベルで、むしろ義務として食料等の提出は当然みたいな。
「行軍時に自領にて、急遽強制的に調達した」というような記録を見た現代の学者が、「略奪」という言葉にしたのかもしれない。
と、ひねくれて考えてみる。 あ?そうなの?
北条が自領から戦時金徴収しようとして、
領民からブチ切れられていたから、そういうのは無いと思ってた。 逆に足軽雑兵は農民などが自由に殺してもいいんでなかったっけ?
負けたりした場合.当時は戦場での戦死より農民などに殺されて死ぬ
のが(足軽雑兵だけではなく武将でも)多かったのではないの?
明智光秀,穴山梅雪など.
負けていたらね。
勝っている方に手を出したら反逆と取られて報復をくらう。
制札を得てこそ、初めて自衛を許される。 勝っていても,戦の前でも足軽雑兵クラスなら殺されたりしても,現行犯以外なら報復などは
せずが普通では(陣中でもなければ)雑兵が殺されたくらいで報復したりそれを口実に開戦とかはしないでしょう.
(武将なら別)
避難である山上がりですら、敵対行動と取られるのは知ってるよな?
武力発動以前の段階でさえ敵と認識されるのに、
実際に危害を加えておいて敵と認識されないという事はない。
例えそれが、雑兵の狼藉に対する行為であってもな。
その為の、制札だ。 >>311
武装集団は、舐められたらおしまいだよ。
ヤクザでも武士団でも。
ましてや格下相手に。 源義経は一般市民に暴行や略奪働いた雑兵は公開磔等にした.
米軍に是非取り入れて欲しい. なんか略奪=現代の兵士の犯罪に結び付ける傾向があるなあ。
これほどナンセンスなものは無いと思うんだが。
投石についてなんだけど、誰だったか著者は忘れたが、「日本人と鉄砲」という本の中で
「基本的に遠戦傾向にある」という書かれ方をしていたのを思い出した。
鉄砲は数が揃えられず、弓は効果的に運用するには高度な訓練が必要、
で練度が低い兵士でも扱えてコストの安い投石が頻繁に使われたらしいね。
あと鉄砲や弓は一部隊にいくら、何丁ときめられていたり、
射撃の補助をするものが必要だったりするので、それ以外は投石をしてみたりとか。 投石って微妙だよね
記録も多いから実際にやってたんだろうけど、威嚇程度でそんなに効果がなかったように感じがするんだよなあ
むしろ逆に相手がむかついて、士気をあげてしまうようなw
以下、自分なりの疑問点
・籠城の石落としならまだしも、投げるとしたらせいぜい手のひらサイズ
・有効範囲が狭い(具足の無い部分でないと効果が激減)
・訓練しないと意外と飛ばない(野球の1・3塁間(36mくらい)の投球は、
やってる人でないとノーバンでは届かない。山なりの球なら届くけど
それじゃ殺傷能力はゼロ)
専門部隊もいたらしいから、そいつらなら多少は訓練されてて使えるんだろうけど・・・どうなんだろう?w >投げるとしたらせいぜい手のひらサイズ
素手でなげるわけではない。
投弾帯(スリング)或いはスリングスタッフに相当するものをつかって、80m以上かっ飛ばすらしい。
煉瓦クラスの重量だったとしても、それだけの力で投げ出す以上、衝撃はかなりのものだろうさ。
あと鎧の類は刺突や斬撃は防ぐけど、衝撃は伝わってしまう。
致死は難しいとしても、四肢や頭に当たれば無力化させることはできる。 なるほど
じゃあやっぱり、そこそこの技術や練習が必要なワケだね
なんとなく山なりに飛んでそうだけど、密集してたら避けられないから驚異だね
たしかにレンガが飛んできて当たったら死傷者は出るなあ 足軽用の桶川胴にしても陣笠にしても人体との間に多少の空間ができるから
投石程度の衝撃なら直で伝わることはないんじゃないか?
現代の工事現場用のプラスチックヘルメットも落下物対策だよ。 どこぞでみたことあるけど
戦国時代の死傷原因のトップは投射武器で、その中で投石によるものも結構な割合を占めてたよ。
確か全体の割合の10パーセントほどだったと。
投石を馬鹿にしちゃいかんよ。 たしかその為に陣笠の普及が進んだとかいう話だったような。
装備にうるさいことで有名な北条もこのへん徹底してたよね。 戦国末期にガチンコするようになるまでは殆どの戦は死傷者は僅かだったから。
投石による負傷も無視出来なかったんでしょ。
大体具足の効果を過大評価し過ぎ、鉄砲は勿論だけど弓矢もスパスパ貫通したし
当たり所が悪ければ石でも怪我するでしょ。 そりゃそうだけどあくまで完全防護ではなく軽減の話だからね。
空間があれば衝撃も相当緩和できるよ。 心理的なもんだろ。
命中率自体は低いが、バカスカやられると兵が怖がってしまう。 現代の話になるが、学生運動盛んな頃、街の舗装がレンガじきのところでは学生にはがされ、投石の材料にされていた。
これが、はがされにくいアスファルト舗装を普及させる要因となったのは、余談だ。
この時、投石を受けた機動隊員の怪我の程度をみると、投石の被害が馬鹿に出来ないのが分かる。
ヘルメットに当たってムチウチや気絶ならラッキー、死傷特に腕や肩の骨折が多かったらしい。
大学生より屈強であろう戦国時代の足軽が、補助具を使って投げる投石の威力はかなり高かったんだと思うけどな。 アレクサンダー大王やカエサルも専門的な
投石兵を傭兵として雇っている。
主力部隊の突撃支援に運用している。
>>326
腕や肩は直で衝撃が伝わるから命中すればそうなるだろな。
その記録にヘルメット着用での頭部損傷や衝撃による頭蓋骨陥没の傷例はあるの? >>325
その為に防具の貸し出しがあったんじゃないかな。
防具を着用していれば素肌で行くより多少は心強くなれる。 兵士の戦闘能力を奪うのに頭部損傷や頭蓋骨陥没が必要なの?
戦争における武器の使用目的は相手の殺傷ではなく無力化だよ。
士気を挫いて戦闘意欲を失わせるだけで十分なんだよ。 >>330
死傷者が出てると書いてるからさ。
頭部損傷(内出血も含む)以外でどうやったら投石で死人が出るのかと思って。 >>331
そういう細かいツッコミをいれるならさ、まず死傷者の意味を知っておこうや。
もう一度いうよ? 死’傷’者。死人とは書かれていないよ? >>332
ししょう ―しやう
0
【死傷】
大辞林 第二版より
(名)スル
死ぬことと傷つくこと。
普通、負傷だけなら負傷者と表現されないか? 細かいことを言えば、日本の機動隊員で投石による殉職の例はないはずだよ。
死亡例は銃撃、火炎瓶による全身火傷、ゲバ棒その他による全身殴打。
これで満足かな?Wiot144T君 >>332
単に言葉の誤用、意味の取り間違いだったみたいだから特別に見なかったことにしてやるよ。
てか、投石の効果については誰も否定してないんだけどな。
>>334
OK,FZzy1BQaたん。 あの芋の茎で作った味噌味の縄は美味しいんだろうか? ただ、道具を使って物を投げる(手で直接投げない)としたら、命中率はかなり悪そうだね >>337
巧者になると、弓と同等かそれ以上の命中率を誇るらしいぞ。
まあ弓にもいえることだけど、そこまで上手くなるには相当な研鑽が必要になるだろうがな。 >>338
だよね
ところで最近、やたらに合戦の死傷率は弓や投石とか飛び道具が多かったって話がでてるけど、あれの出所ってどこ?
自分が知る範囲だとマンガのセンゴクってやつにチラッと出てきたのしかしらないけど
みんなあれを信じてるのかなあ? 爆弾や銃器が未発達なときは頭部や顔面や首で死ぬことが多いんでないの?
(胴を防御していれば)手足切られても数日は持つだろうから。
(数日後死ぬのなら、足軽雑兵クラスなら戦死者にカウントされないだろうから) 狩猟用のパチンコもといスリングで犬の頭に石をぶつけると潰れたトマトのようにはじけ飛ぶそうな >>340
まあ、近寄らずに一方的に勝敗を決せらるならばそれに越したことはない
現代戦で言えば空爆だけで勝てるならそれが最高、って事さ。
もっとも決定打を決めるには、近接戦闘は必須になる訳だけどな。
しかしお互いに弾幕を張っていると近接戦闘に入る過程で死傷者は増えるわけで。
だから、勝敗を決するのは近接戦闘だと言うことには否定しないけど、
死傷者は飛び道具の方が多いと思う。 >>339
鈴木 真哉 「鉄砲と日本人―「鉄砲神話」が隠してきたこと」。毀誉褒貶はあるようだが。
>>343
なるほど。
著書を読んでないのでなんとも言えないが、注目されたいがためにこじつけた説でなければいいけど。
従来の常識を覆すような新説が出る
↓
市販されてる本みたいなもので書いてあるなら間違いない
スゲー、俺って史実研究の最新情報を得たぜ
↓
おいおい、まだそんな古い事言ってんのかよ
○○なんて作られたイメージだぜ。実際はさあ・・・
というので色々な珍説がまかり通ってるからなあ。
しかもその説でドラマとか作られたら、それが「正しい」って人が多くなって
決定的な否定する事実がないと、いつの間にか多数決的に
それが常識になってしまってる事が多い気がする。 しかし、相手の無力化を追及するならお前らの大好きなうんこなげればよくね
細菌兵器にもなるし、一石二鳥
まあ、投げるほうも凹むことは凹むが >>346
馬の死体を放り込むとか、疫病とか精神的なダメージ狙いの攻撃はあったらしい。
ただしソースは忍たま乱太郎。 >>344
その本の中では戦場での死亡率などに関する記述の所に書いてある。
著者自体は「鉄砲スゲー」が書きたいようだから投石に関する記述はそこまで問題が無いような気がする。 >>346
成田空港反対派の地元民はそれやってたな黄金攻撃 >>349
でっていう
野戦でも使われてた例じゃないし、恒常的にうんこ戦術がもちいられてたわけじゃないだろ、それこそ投石やら弓やらみたいに 支那では攻城戦で防御側が沸騰させた糞小便を敵兵にブッカケ。 なんかだんだんスレチになってる気もするがw
ちょっと戻す意味もふくめて・・・
沸騰してる糞尿ならともかく、当時の雑兵足軽(=農民)からすると
肥だめとかで馴染みが深かったから、現代の感覚と違って、水を
かけられたくらいの感覚じゃないのかとも思うが、どうでしょ?w
馴染み云々以前に、命のやり取りの最中なら、害のない糞尿なんて
そんなもんかもしれないけどw 第一次世界大戦では戦死原因の多く(インフルエンザなどの戦病死除く)は
頭部損傷(当時鉄兜なかった) ソースは天才バカボン「たたえよ鉄かぶと」)
それ以前も飛び道具の場合はそれに近いんでないの?
>>353
傷があれば、雑菌が入って化膿するぜ。
生理的にいやなのはもちろんだが、軽い生物兵器でもあるわけだ。 >>354
バカボンにマジレスだがw
塹壕での睨み合い戦だと銃弾や砲弾の破片が頭部に当たる確率が高かったのでは。
で、大戦途中で鉄ヘルメットの標準装備化が各国で進んだと。
因みに現代の軍用ヘルメットは砲弾などの破片対策というのをどこかで読んだ。 投石用の石ってどうやって確保するの?
戦場が原っぱの場合、その辺に手ごろな石がごろごろ転がってるわけでもないだろうに
石がなかったらそれまでだろ? ああ、バカボンのたたえよ鉄かぶとってものすごいシュールな回だったな。 >>357
焼き物や煉瓦を作る要領で作ることもあったし、石を投げる事もある。
いずれにせよ、本国から持っていく。 するってえと、川中島あたりに転がってる手頃な石は、使って殺した石かもしれんワケだ >>339
1552年、宮光寄が篭る志川瀧山城を攻めた毛利軍の損害は死亡7人。
負傷者は鑓傷が31人、矢傷が96人、切傷が3人、投石による傷が28人だそうな。 >>363
攻城戦の場合は投射兵器による損害が多くなるから。