ショパン-【バラード&スケルツォ】4©2ch.net
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ファツィオリ、でかいホールならまだしも、うるさいよ バラ4のよさがさっぱりわかりません
同じように感じてる方いませんか?
やっぱりバラ1こそ珠玉中の珠玉 >>122
人生経験が足りない。バラ1は大学生でも感動できるが、バラ4は40代以降でないとわからない。 >>124
恥ずかしながら40代
何度聞いても印象に残らない、つかみどころのない感じで
世間のバラ4の扱い、との差に悩んでいました
地味で退屈と感じる我
嗚呼なぜに >>126
失礼ながら、ピアノ弾けないか、あまり上手くない方ですね? 好き嫌い、響く響かない、別になんだっていいだろw
上手いも下手もねーわ
あほか >>127
まあ実際ピアノさわってる人じゃないとバラ4なんて改めて聞き込むことはないだろうよね。
ピアノやってない人がメロディライン重視で曲を見がちなのは仕方ない。
俺も初心者の頃、英雄ポロネーズ目当てで買ったポロネーズ集で、
英ポロの次だからたまたまよくかかっていた幻想ポロネーズ。
最初の頃は全然気にも止めてなくて聞き流していたけど
ある日のこと、やっぱりたまたま流れていた時に「あれ?なんかこの曲実は凄く良くない?」って気がついてから英ポロなんか比じゃないくらい大好きな曲になった。 ツィメルマンのCD,
最高ね
スケルツォはYouTubeで拾った1&3番がいいわ ツィメルマンは青臭い。いつまでも青年が夢見てるようだ。
ショパンの協奏曲の録音でがっかりしたし、バラードも独特だ。
大人の演奏とは、ルービンシュタインやフランソワを言う。
ツィマーマンはポ−ランド人ショパンコンクール優勝者として、伝統の継承に責任を持ってほしい。
ラファウ・ブレハッチの方が好感を持てるし、これから王道を歩いてほしい。ツィマーマンのように自己陶酔に埋没しないでね。 ツイメルマンは自分の容姿に気にすぎ
ナルシスト
もっと音楽に埋没しなよ 白人に嫌がられる東洋人のランランや内田光子は
持って生まれたキモ顔を顔芸でカムフラージュしようとしている。
顔芸の上手い美形ピアニストは少ない 顔芸の下手な東洋人ピアニストは生き残れないだろう。
ユンディリもそのひとり、去年ショパコンで優勝した韓国人が生き残るためには卓越した顔芸を身に着けるしかないだろう。
あの顔は世界に通用しない。 バラ1はその青臭さがあるからツィメルマンがいい
ノクターンなんかはルービンシュタインがいい >>136
チョソンジンは先日、名古屋で見たよ
とてつもなく上手かったとしか言えないな
アンコールでカンパネラ弾いてくれたが、ノーミスで楽々弾いてたよ 彼の場合、とてつもない上手さが上品ではあるが線が細く女性的だ。
多少粗い方が訴える力が大きいことを学んでいくべきだ。
>>137
60過ぎてもあんなバラ1弾くなら悪趣味と言わざるを得ない。
自分を出すなら、さらっと出してくれ。鼻につくんだよ。ツィマーマン君 ツイメルマンはなんかうざいなー
はいはい、素敵素敵、これでいいだろ、という、感じ >>126
私はまずバラードは第1番を好きになった。これはほとんどの人がそうだろう。
しばらく4曲を聴きまくっていると、第2番が好きになる。
エキセントリックで粗削りながら激しい情熱と淡い和声の対比が天才的だと感じた。
しかしさらに2・3年すると、やはり第4番こそ最高だと感じるようになった。
その音楽的完成度、ポリフォニックな処理、これぞ最高の音楽と思った。
実際に音楽的完成度では第4番こそ最高のものという意見は今でも変わらない。
しかし、さらにショパンを聴き続けていると第3番が一番魅力的に感じるようになった。
貴族的で洗練された第3番は第4番のような濃密さはないが、そこにむしろショパンの真骨頂があると思えた。
舟歌の素晴らしさに魅了されていた時期と第3番に魅了されていた時期は一致している。
そして、さらにショパンを聴き続けた現在は、なんと第1番が最も好きである。
確かに音楽的完成度は第4番が最高のものだ。
だが楽想の天才的なアイディア、処理法、そのまとめ方、どれをとってもショパンの天才性が最も示されているのは第1番だと今は感じている。
恐らく他の凡庸な作曲家ならばとてもまとめ上げられないようなそれぞれが単独で主張している突発的アイディアを、見事にまとめ上げている。
それでいて最終的にはその1つ1つの楽想が全部でまとまった1つの作品として成立している妙にはつくづく感嘆せずにはいられない。
あなたが第4番を好きになれない理由は主に2つあるだろう。
1つは単純に好みだ。第4番は第1番のようにそれぞれが自己主張するような楽想がたくさん現れるわけではない。
むしろ基本的な2つの主題が形を変容させていく妙技のような曲だ。
ともすれば変奏曲のようにも聴こえてくる第4番は全体的調和が神がかっているが、第1番のような驚きを詰め込んだ音楽ではない。
そういった噛めば噛むほど味が出る形態変化の妙である曲をあなたは単純に好まない。
もう1つの理由は、第4番の表象ばかりを聴いていて、ポリフォニックな変化を聴きこんでいないのではないだろうか。
いずれにしても、第1番に魅力を感じる人が第4番の素晴らしさを理解できないことはない。
もっとたくさん色々な演奏を聴いてみる事を勧める。
だが私もそうであるように、第1番が最も好きだと感じるのを卑下する必要はないことも言っておく。 >>142
バラードは4番以外は簡単だ。譜読みもしやすい。
何も考えないで、1か月間繰り返して弾いていれば自然に暗譜できる曲ばかりだ。
しかし、4番だけは違う。1年経っても暗譜しきれない。譜面を見て弾いて毎回新しい発見がある。
ショパンではバラード4番と幻想ポロネーズ ソナタ3番が、このタイプの難曲に入る。奥が深い。
バラード1番はホロヴィッツやミケランジェリが名演映像を残している。
バラード4番はフランソワが名演映像を残している。
それと比べると、ツィマーマン以下は子供の演奏だ。 3番が一番好きだね
2番は嫌いじゃないが好きでもない
1番4番はどちらも好き >>146
私は2番はまあまあ好きで、
ほかはあなたと全部同じ 4番は弾いてみると魅了されるね。
何だこの天国的な響きは。
自分でうっとりしてその美しさににやけてしまう。 >>150
>>144の最後の方をしっかり見て、この話の流れの上での「子供」の使い方を考えようね。 >>152
3番とかならあるけど
4番はそんな余裕ないし
うっとりするくらいに弾けない 20世紀の巨匠と比べれば、現代のピアニスト全てが子供だ。 22世紀のピアニストと比べれば、現代のピアニスト全てが巨匠だ。
加齢臭してますよ!w アコスティック系の楽器奏者は、時代と共に衰えるのが常。
作曲家もベートーヴェンを頂点にして下り坂だし。
まあ20世紀からは落ちてはいるが、今のピアニスト以上のものは将来現れないと考えると聴いてみるのも悪くないか 巨匠は古い時代にしかいないよ
人口増えて多様化するから
音楽はもちろん何でもそう 間違いなく200年前も200年後も同じ事を言っている人がいる
自分の努力不足を時代のせいにしても人生は改善しない >200年後も同じ事を言っている人
ピアノという楽器が絶滅危惧種になって、極少数の研究者と伝承芸術家のものになってしまう恐れもあるけどね。
今のような演奏形態が完全に崩壊して、自動演奏 自動作曲 自動創作楽器で楽しむ時代になるかもな。 それは俺も思う
AIが超高度になってしまえば、もう作曲も人間より凄いものを作るし、演奏も人間を超える日が来るだろう。
今はまだまだ人間の模倣でしかないが、いずれオリジナリティにおいても人間を超える。
絵画なども同じだろう。
その時人間は何もしなくなってしまうかもな。
もしかしたらいずれ、苦労や努力を金で買う時代が来るかもしれない。
何もかもオートメーションの時代には苦労はホビーになるだろう。 ショパンのノクターン55-2はバッハを理解してないと弾けない、と某ピアニストが語っておりました。
理由は存じません。 作品てのは単にその出来の良さや巧妙さのみならず、
誰が創ったのかということも評価の対象になるから、バッハは他の何によっても超えられることはない。
しかし残念ながら作品の完成度や巧妙さ、オリジナリティなどの作品そのものの出来では、
AIはバッハすら超えるものを創り出してしまうだろう。
不眠不休で疲れも知らないAIは自己改良出来るようになれば、1時間後には1時間前より遥かに賢いAIに進化する。
大して時間もかからずに神のような全知全能レベルにまで到達してしまう。
もはや人間が創り出したものの解析など朝飯前で、人間がまだ発見していないものまで発見し、
人間が思いつかない物凄いアイディアすら思いつくだろう。
バッハの専門家にバッハの未発見作品だと完全に思い込ませる贋作を創ることも可能だろうし、
どんな天才よりもさらに凄い作品を創作する事も出来る。
そんな時代が本当に幸せなのかわからない。
ただ、人間が何をやってもAIに敵わない時代では過去の偉人の偉業は尚更輝きを増すとは思う。
「AIのない時代にこんな凄いことをやったこの人は我々には決して真似できないね」となる。
ちなみに私個人の考えでは、神のようなレベルになったAIが人類に戦争を仕掛けることはない。
そんな非効率的で馬鹿な方法をAIはとらない。
一瞬で消し去るはありえるが、もっとあり得るのは気が付かないうちに支配すること。
それも人間が自ら進んで支配される方向になる。
人間はそれで幸せだと思い込んでAIに従う時代になる。 アルゲリッチが偏愛するスケ3
ショパンコンクールの小林愛実も良かったな スケ3を感動的に弾くには、男でしかも巨匠の域に近い人でないと駄目。
アルゲリッチは男勝りで、巨匠になったので、素晴らしい演奏をするようになった。
小林愛実は、感動性はまだまだだな。 あれだけ上手に弾くからこそ、足りない点も浮き上がってくる。
20歳では感じ取れない部分が多いのは、やむを得ない。 バラード1番、結構スラスラ弾けていたけど、1年間も弾かなかったら全然弾けなくなっていることは多いですか? >>175
う〜ん。俺は多いか少ないかを語るほど数多く「1年間弾かない」状況になってないからなあ〜 ピティナの音楽事典によると
スケルツォ4曲の難易度は
2→4→3→1だってさ
私の中では
4→3→1→2だったので意外 初バラードという事で3番をやってるんだが、真ん中くらいから訳わからん難易度になるな。 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ スケルツォ2番は6連符の伴奏メインで譜面ヅラ的にもスケルツォっぽくないから嫌だね。
独立楽曲以外にもチェロソナタにせよ2つのPソナタにせよスケルツォはすべていかにもスケルツォ的なたたずまいしてる。ベートーヴェンのすらそうだし。
2番だけが浮いてる。
ショパンは形式に結構こだわる人なのにね バラード4番聴いてたら
それまで落ち込んでたのに「よし!頑張ろう!」と思った。
自分にとっては、勇気をくれた曲だよ。
最初の出だしは暗いけど、徐々に力強くなっていく曲調だからかもしれない。 俺はツィメルマンのバラ4がピアノ史の頂点と思ってる。何回聴いても第二主題の再現部で鳥肌が立って涙が・・・ >>183
フランソワのサロンで弾いたのが最高
ツィマーマンは独特のやり過ぎ感があって、個性がショパンを上回っている
フランソワのは大人の演奏で、内面から感動が涌き出てくる。横顔が泣いている。
演奏態度はツィマーマンが好きになれない。真摯で余裕がなく常に貼り積めている。 好き嫌いをああだこうだ言うつもりは無いがフランソワは音抜けミスタッチが目立ちすぎて聴く気になれない
良くも悪くもおフランス人気質なんかね フランソワ バラード4番 ミスタッチも音抜けもないよ
ツィマーマンが通常の演奏で溶け合って聴こえん音を強調してるのはわかる
これも好みと解釈と演奏個性だから否定はしんけど バラード4番は自分で弾いて 表現してナンボだからね
好みの演奏家はそれぞれいるだろうけど
自分の演奏が最高と思うぐらいでないと取り組む価値がない
弾いて最高の喜びを得られる曲。ショパンでは舟歌と双璧だ。
ベートーベン31 32番ソナタ以外、ショパン舟歌 バラード4番と同格のソロ曲は見当たらない。高次元の弾く喜びという意味でね まあエアプに無駄口たたく労力使う気は無いよ
どうぞyoutubeってて下さいな スケルツォ1番と4番、アヴデーエワの演奏がかなり好きだな
1は割とオーソドックス、4はアーティキュレーションの付け方が素敵 来年のツィメルマン来日はスケルツォだね
行くべきか スケルツォはリヒテルがベスト
バラードはフランソワがベスト
ツィマーマンも芸術性高い演奏をするけど
何か特有の持たせ方をするので疲れる
若いときはもっと素直な演奏で好感が持てた
白髭で顔を覆うようになってから見るに忍びない
表現に対して入れ込み過ぎて、観客を疲れさせる。もっとシンプルに自然に無我の境地がほしい
ツィマーマンに無我の境地が訪れれば、もう数段登り詰めるだろう
まだ熟しきっていない芸術家 フランソワの特徴は、ムラ気なことであった。気分が乗らないときの演奏は、呂律が回らないほどであり、気分の良し悪しによる演奏の出来栄えの差が大きかった。
フランソワは、酒を愛した人であった。3回の来日歴があるが、来日するたびに酔漢の風貌へ変わっていったと言われる。
また、タバコも愛し、「酒はやめるがタバコはやめられない」と妻に語ったことがあり、健康を害していても愛するクラヴァンというタバコを嗜み続けた。
どこらへんが無我の境地? 演奏家は自分表現をしたくなるもんなんだよ。音楽側が求めてもいないのに自分表現をやってるうちはダメだろ コンサート終盤
フランソワ「あータバコ吸いてー テンポ上げて終わらすか あれ、なんか酒切れてトリル自動的に入るわ どーでもえーか」
無我の境地 フランソワは40歳で完成された芸術家。巨匠コルトーを40歳で越した稀有な芸術家。
フランソワの魅力が解るかどうかで、その人の芸術性が判断できる。
フランソワは極めて繊細で音楽にのめり込む人だった。よって体調に左右されたことは確かだが、彼がどんな時にも音楽と真摯に向き合った証でもある。
フランソワの録画や録音が残っているが、どれ一つとして彼の手抜きを感じられるものはない。常に音楽に没頭していて、邪念なく無我の境地だ。
酒が入っていても彼は音楽そのものだ。
彼の評判はよろしくなかったのは事実だが、21世紀になって彼の動画が多くアップされるようになると、彼の演奏態度が本物だと理解した人は多い。 録音終盤
フランソワ「あータバコ吸いてー テンポ上げて終わらすか あれ、なんか酒切れてトリル自動的に入るわ どーでもえーか」
ある意味、無我の境地である >>199
本物の芸術家とはそういうもんだよ
音楽表現のためには作曲家の音符を変えてまで没頭する
それが許されるのはフランソワやホロヴィッツレベルの芸術家しかない。 ジジイに許されてもなあ
まあいいや君の価値観でいいから「タバコ吸いて〜」って考えながら酔っぱらってコンサートに臨んでも許せるピアニスト列記してみてよ。 認められるには3つ条件がある
1.独自の芸術感を持っていて、時には作曲家と同等の存在になれること
2.奇行も含めて許容する根強いファンが多いこと
3.芸術的にも演奏家としても世界一流レベルの格調高く唯一無二の存在であること
フランソワ ホロヴィッツに加えるなら
ミケランジェリ コルトー リヒテル グールド ポリーニ
現代のピアニストにはいない。それだけ小ぶりなピアニストばかりになったものだ
ツィマーマンも奇行したら許されないだろう うむ、そこからフランソワ ホロビッツ コルトー ポリーニを削るならまあ認めても良い。 一般人から見ると
芸術=奇行
だから心配せず芸術家を続けてくれ給え。 最近のコンテスタントみると、皆良い子ばかりで、羽生結弦や大谷翔平のように振る舞いが素晴らしい
一昔前の生意気な青年というイメージはなくなった。生意気だと叩かれるから皆臆病になったのか
ピアノ演奏も好かれたいという拘りが強く、アイドル化している。
個性的に弾こうとしても、受けを気にする子ばかり
本当に芸術家として強く振る舞えるピアニストは皆無になった。
グルダ アルゲリッチあたりが最後か
そうするとフジコが持て囃されるのも解る なにいってんのこいつ
大谷や羽生は強い振る舞いができない良い子だから木偶の坊ってことか?
常識外れな行動が巨匠ピアニストの必要条件か?そんなの関係ないだろ。 >>207
必要条件だが十分条件ではない 203を読めば理解できる筈
羽生や大谷の振る舞いのままでは巨匠は無理
天使ではなく我儘勝手な人間が芸術家 既に羽生や大谷は前人未到の域なんですが?
何が無理なの? ショパン練習曲スレの方が盛り上がってるみたいだけど、バラードとかのが音楽性もあって曲としての難易度も高くない?
そこでバラード1番の話題振るとほとんど、その曲は大抵の音大生が弾いてるからなって言われるw
だから何?って思うんだけど…
エチュード弾けてもバラード弾けるとも思えないんだがなぁ
そもそもバラード弾かずしてエチュードばっかりやってる人がほとんどなのかな? エチュードが弾けるならばバラードが弾けるでは無いよね
バラードの必要条件としてエチュードがあるということなら理解できる エチュードならなんとなく音は出せるけど、バラードになると長さもあるから手が付けられないor最後まで音も並ばない人達では?エチュードはソナチネレベルの再開大人に餌としてあげる率が高い。当然仕上がるとかいうレベルにはならない。 バラ4を練習している
死ぬまでに弾いておきたいので練習しているわけだが
このレベルの曲だと
他人が想像するのはピアニストのように弾いている様子だよね
あまり上手じゃないバイエルとかソナチネだと容易に想像できるけど
あえてバラ4を弾くんだからうまく弾けるに違いないという想像はっやめてもらいたい ハーマン・ショルツ校訂のペーテルス版は地雷
やっぱショパンは安定のパデレフスキー版がベスト
何がって目に見えない形而上学的な諸問題故 スケルツォ1番を始めたけど、やたら繰り返しが多くて覚えるの意外と楽そう。
2番は終わったけど、どっちが難しかった? バラ1の展開部イ長調の後の主題とは関係ないようなところが
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