劇場版SEED FREEDOMを見終えて、
ガンダムSEED及び運命の放映時期がウィザブレ全盛期と被っていた事や、
世界設定的に色々と重なるものがあって、今になって様々な面で改めて考えさせられたな。
コーディネイター:魔法士 ナチュラル:一般人 世界再生機構:コンパス とかね。

7巻(下)でのアリスの件とか、何もしてないのに魔法士だからってだけで攻撃するのか!と思う読者も当時はいただろうが、
人は自分に持ってない強い力を持つ者を禁忌する本質があると考えると、無理もない事ではあるんだよな
SEED世界でもコーディネイターってだけで忌み嫌うナチュラルがたくさんいたのと同じかと。

自分はウィザブレ1巻の頃から、与えられた環境で生きてる無辜の市民の味方だったからか、
ウィザブレ世界の最大の違いは最終的なパワーバランスがあまりに悪すぎることだと感じた。
ガンダム世界は味方も敵も強力な兵器(MSなど)を所有してるから、まだバランスはとれてるけど、
賢人会議側に魔法士が集まっちゃったウィザブレ9巻以降は、賢人会議側(魔法士側)のパワーが圧倒的すぎるんだわ。
(例えるならシティ側は量産型MSしか準備できないのに、賢人会議側はデストロイガンダム複数を戦場に投入してくるレベル。
世界再生機構なども、祐一はフリーズアウト直前だし、そもそもシティ市民を守りながらの戦いはあまりに負担が大きすぎる)
しかも魔法士側は失った四肢を再生できる技術まであると来たときは、正直ずるいと思ったし、魔法士側に感情移入できなかった。
後は賢人会議側のキャラ、特にサクラや真昼なんかは、読者から嫌われるように書かれてたなとも思う

だからこそ9(下)のカタルシスは凄かったのだが、いかんせん払った犠牲が大きすぎるわ……
10巻(P270)の名もなき老人の言葉が凄く染みたよ