MSXに足りなかったもの
情報が足りなかったと思う
MSXって自分で作れるからワクワクして楽しかったはずなのに、
技術系の記事で「このあたりは難しい話になるので」みたいな感じで肝心な部分をいつもはぐらかされて、結局わからなかった
べつにコナミがどうやっているかとかそんな最先端のテクニックは企業秘密でいいと思うんだけど、編集部で作ったものくらいは全部解説してほしかったわ
レベルアップしていかないといけないのに、逆に情報が低レベルのBASICで止まってたから、
ごく一部のクリエイターと、大多数のクレクレ君に二分されて、ノウハウやテクニックが「秘伝」になってしまったと思う
そしたら少数のクリエイターがMSXの命運を握ることになってしまうから、クリエイターがMSXを卒業すると、みんな物資が届かない難民みたいになって死に絶えたんだよ
で、そうなってしまったもうひとつの原因は、
マシン語モニタがなかったからだと思う
製品版MSX-DOS?か何かには付いてたらしいけど、最初からMONコマンドをROMに入れてなきゃいけなかった
吉田工務店とかああいうのは、ゲームデザイナー指向のユーザーは救っただろうけど、プログラマ志望のユーザーは切り捨てられたようなものだ VDPがブラックボックスになってたのがな
全部見通せプログラム入門に良い8bitパソコンの統一仕様としてVDPを使うのは失敗だった
後々拡張に失敗して行くのを除いてでも
普通にメモリマップに16KB見えてる仕様なら良かったろうに
TI-99/4Aの16bit CPUなTMS9900を8bit CPUな Z80に置き換えたようなもんだったんだから、
いっそApple2の6502をZ80に置き換えたような表示画面で良かったのでは
最初から80×24テキストで始めて、後からの拡張も楽だったろうに >>39
VDPを使うのが失敗だったとは思わない。
9918を使った事で低価格で時代成りのグラフィック性能をTVに大して出力できた。
Z80の3.58MHz且つメモリにウェイトが必要だったりと非力なCPUパワーで
CPUにVRAM直接アクセスも厳しい、16kBの初代であればマシだが。
80x24というならモニタが必要でその手の8bit機と同じで埋もれる事になる。
MSXの数が出たのは低価格な所も大きいのにソレが無くなる。
MSX2でのVDPが非力ではあるが、MSX2のVRAMを扱うCPUパワーがもっと不足 Apple2ならゼビウスも1MHzなら6502だけでできてたがZ80では難しいのか
80×24と言っても、560×192ってドット数は少ないので、画面いっぱいに調整するとNTSCビデオ接続でも見れてたようだが
まあ滲み色だからモノクロモニタと使い分け向けになるのが合わないか
ワープロ専用機のように9インチモノクロモニタで文字編集を使えば良いとなれば安く使い分けできてた時代だったんだが 同世代の同じくらいのグラフィックメモリなパソコンとの比較なだけでは
まあ、何でそんな古いグラフィックをMSXなんて後から出した機種で使ったのか?でもあるが MSXは思いっきり後出しなのに1年4ヶ月前に出たぴゅう太やm5と同じような画面なんだよな
低価格でモニタいらないのがナイコン族への光明になったとはいえ、いくらなんでもこれは無いなと思った
MSX2になってもまだファミコンやマーク3の域に達していないものもたくさんあったし
画面や筐体のおもちゃっぽさに目を瞑れば最初からまともなBASICを積んでるからプログラムの勉強には最適だったがな TI-84 Plus CEが近い仕様で現役なのからすると、テレビを使う低解像度プログラミング環境自体は良かったんだろうけどな
下手に高解像度目指して頓挫したり、高速化が後手後手だったりしたのが間違いで
モノクロ液晶画面を最初からオプションにして標準化したりして、
携帯機器の大画面表示用家庭テレビ表示にするべきだったのだろう 足りなかったものなんて言われても常に88、60MK2、X1、FM、MZやファミコン、MK3と比較され続けてたし逐一上げきれんだろ
誰が見たってゲームも実用もあの画面、筐体やキーボードもあの通り
MSX2になって色数だけは増えたがそれ以外はな 83年に54,800円でHB-55とCF-2000が発売。入門機としては十分だと思うよ
85年春に無理してX1 turboを買ってMSXを馬鹿にしていたクチだが、自分の間違いだった
MSX2の低下価格設定でさらにユーザを増やし、
令和になってもこれだけ愛されてMSX3として復活間近で大成功じゃないか
スペックだけじゃない魅力がMSXにはある 出来の悪い子ほどかわいいって言うからな。今となればキャッチーなチープさが逆に愛される
まぁ超低価格なMSXでもBASICはマトモだったし、初心者向けのテキストも充実してたしプログラム入門機としては最適
MSX以前のゲーパソだと別売りの拡張BASICがないとちゃんとしたプログラムが組めないなんてのもあったし
そういった意味では当時のマイコンブームに乗って、末端の裾野を広げる役割は大いに果たしたといえる
さしずめ軽自動車といったところか SCREEN0で多色刷りができればよかったんじゃね? >>48
85年春にX1turboなんて羨ましい、天下取ったような気分だっただろう
俺は経済的理由で妥協し、85年夏にノーマルX1を買っちゃってゲームにまでturbo専用が幅を占めてきて辛酸をなめた
それでも他の82年組88MK2や7よりはましな余生だったと自分を慰めたあの頃 >>51
自分が貯めてきたこずかいでは足りず、妹にも出してもらい、親にも借りた
人生で一番無理した分不相応の買い物だよw
秋葉原に初めて行って、父、友達と一日かけて安い店を探しまわり、電車で運んで帰ってきた思い出
X1 turbo専用ゲームだとソーサリアンはむちゃくちゃプレイしたなー
FM音源ボードをあとから増設したんだけど、そのときの音には衝撃を受けたよ 38年前の空気感がありありと伝わってくる
ワクワクが止まらない熱い時代だったな MSX1 すべて足りない
MSX2/2+ 色数以外すべて足りない
turbo-R CPU性能以外すべて足りない
だからこそ愛着がわくんだがな 一応、拡張性があるのが売りだったはずで、ココムで規制されてた共産圏に使われてたくらいに拡張性はあったが、
実際に拡張する拡張カートリッジが足りなかった
グラフィック拡張して本体に戻せたり、
CPU拡張して高速化できたり、
あと一歩カートリッジに乗せ切らなかったな グラフィック拡張に関してはNEOSからMSXをMSX2にするユニットが出てたじゃん
A1/F1で存在価値を失ったが愛着のあるMSX1を2にできるのは価値があった
あのA1/F1筐体使うよりはMSX1を拡張した方がという選択肢もあったし MSXの画面がショボイ、筐体の作りがおもちゃなんて言っている奴分かっちゃいねえな
80年代半ばに一家に1台マイコンを普及させ、日本国民の情報リテラシーを底上げするという壮大な構想だっただろ
たとえ貧困家庭でも手の届く価格にしなくちゃいかん、ぴゅう太レベルの価格で専用モニタいらなくて最初からちゃんとしたプログラムの勉強ができるという線は譲れない。
素晴らしいじゃないか
それでも比べる奴はこの時代のソアラやマークUとアルトを比べるようなもんだぜ 御三家を引き合いに出してMSXディスるのがそんなに楽しいかい?
価格帯だって何倍も違うだろうに
当時は「御三家いいな」と思いながらも楽しいマイコンライフを満喫したMSXユーザー、たくさん居たと思うぞ 80年代半ばに御三家8ビット機を使ってたけど、1chip MSXは出たときに買って楽しませてもらったよ
MSXとX68Kは新規でも今から始められるし、十分に生き残ったと思うぞ 勝手が利かないところ。
MSXはハードの仕様をガチガチに固めていたので誰かが仕様をバージョンアップしてくれないと進化が止まってしまう。
今普及しているPCを見とCPUはインテルが勝手にバージョンアップしてくれるし、なんならAMDみたいなメーカーが新しいCPUを勝手に作ってくれる。
グラフィックも専業のメーカーが勝手にバージョンアップしてくれる。
OSもマイクロソフト等が勝手にバージョンアップしてくれる。
MSXに限らず誰かが仕様を決めていたPCはアップル以外全部なくなってしまった。
まだ見ぬMSX3も誰かが仕様を決めるなら同じ運命となるかもしれない。
そして何が足りなかったのだろうと。 オンボードのノートPCがアップグレードできないみたいなもんで、
MSXが特別に中央集権的でガチガチだったわけじゃないし、
FMPACは勝手なバージョンアップの代表例だけど、
上位互換性を保つという仕様が足枷になったとは思う
WindowsもMacもPlayStarionも任天堂も昔のソフトは切り捨てたからね ぴゅう太ユーザーだった俺からすれば、ぴゅう太が将来的にやるはずだった事をMSXが全部やってくれた思い
VDP同じだし似たようなスペックなのに行きつくところまで行った(MSX1の範疇で見ても)
m5やSC-3000、RX-78とかのユーザーも似たように感じたかもしれんがな プリントごっことかテプラとか写ルンですみたいに、地味でも辛抱して
地道にメーカーが廉価MSX2を販売していれば今でも続いてたと思う
「えっ、まだ売ってたの!」みたいな感じでw
中身のコストダウンも進んでたかもしれん 続けていれば今でも続いてたと思う
・・・それ、あたりまえじゃね? 続けると言う点では、最後の徒花になってでも液晶画面携帯機を出してくれなかったのは勿体なかった
液晶ゲーム機が復活するまで生き延びたのに
液晶ゲームパソコンとして生き延びられたろうに
グラフ電卓のようなモノクロ240x192と米粒Qwerty+テンキーとかで現代のグラフ電卓の類似品すら出せたろうに 2+、turbo-Rの進化が微妙だったにもかかわらず高すぎたんだよな。敷居が低いからこそA1/F1爆売れしたわけで
A1筐体使い回しでいいからFDDなしで29,800、付きで54,800の最廉価機種ラインナップも貫いていればもう少し時代に抗えたかも
FDDもFM音源も漢字ROMもメモリもやろうと思えば後から増設できるし、とりあえず2+のグラフィックとturbo-RのCPUは積んどいて MSX1、VDPの開発が間に合わなかったからTMS9918で妥協したってのは本当? 最初っから枯れたパーツで行こうという事でTMS9918でOKってことじゃなかったっけ?
特に安価路線で行く気満々のカシオが価格上乗せになる要素に反対したとか
いずれにしても83年末でTMS9918は厳しかった。ゲーパソ百花繚乱の1年前ならともかく >プロトタイプが出来上がったのは1982年冬だった。
って発売までに統一規格としての擦り合わせで時間がかかって時期ハズレになっただけ カシオのアレはパソコンとして発売してないよな
どう見てもゲーム機 >>69
>続けていれば今でも続いてたと思う
そんな事どこにも書いてないが、どこから持ってきた?
天から降りてきたの? 仮に1982年冬に出てれば時期的に仕方ないよねって話なんだよな
この時代の1年は物凄い技術進歩があったから83年末だと、もうちょっと何とかならなかったのかよって誰しもが思うところ
色数以外の進化が微妙だったMSX2も同じ思いなんだが ゲーム作るだけならソードM-5のBASIC-Gがさいつよだった >>58
初代MSX設計当時にちょっと話題になってたキャプテンシステム端末に使いたいという想いもあったのでは >>65
一時期1世代前だけサポートするという選択で生き延びてるのが任天堂だったけどN64やSwitchは過去斬り捨てでジャンプアップした
初代MSXは早い時期に切り捨ててもよかった まぁでもゲームをする上での話だよね
アスキー側からしたら「MSXのコンセプトが理解されなかった」
市場側からしたら「アスキーの見当がズレてた」
という事かね
「クイズSHOW by ショーバイ!!」のスロット画面がMSXだというのは知らなかった
グラフィックといってもあの程度の使われ方がアスキーの理想に近いのかも
あとは例えば博物館の映像コーナーの選択画面とか、ラブホテルのメニュー画面とかw
家庭だと株取引とか天気予報とかまぁそういう事だったんでしょう
WIDTH80するとRF接続のテレビじゃ読めなかったし スーファミという独自規格の安価なゲーム機の大成功。
その後に大手各社が投入する予定で開発中の次世代機計画。
そんな状況下で、MSXが儲かると考える経営者はいないわな。
「オラんとこも、次世代ゲーム機を作って大儲けするっペ」
ってなるわ。
実際、松下はそれで盛大にこけちゃったけど、ソニーは大成功した。
もし、あのときのMSXに生き残る選択肢があったとしたら、
教育現場に「コンピュータ学習用」として大量導入させることを政府に確約させ、
カシオとかシャープに廉価版を電卓やポケコンのノリで
ひたすら安価に大量生産させることだったのかもしれない。
まぁ、それをするとMSXが自分の手から完全に離れちゃうから、
西さんはやらんだろうけど。 B-TRON教育用コンピュータでゴタゴタした後で教育用コンピュータに同一規格を採用するのがタブー視されたから
今もIT学習は統一しないようにしてるくらい