PC100を称えよ Part2
前スレ立ったの2002年か
このスレも18年くらい持つかな オークションではたまに出るけど、高騰してて手が出ない このスレはPC-100システムディスクとBASICのイメージが
手に入るまで続くだろう 発売が1983年?
発売から18年くらいして立ったスレが18年埋まらなかったんだろ?
このスレは知ってる人間が死に絶えても埋まらなかったりして 18年+18年が経過してもまだ書き込みが続いているわけで。
それだけPC-100に対するみんなの思いが強かったということだと思う。 845 名前:ナイコンさん[] 投稿日:2020/07/03(金) 07:08:32.91
クック・ロビン・PC-100
「PC-100を殺したのは誰?「私」と、PC-9801が言う。
「私の弓矢で、私がPC-100を殺した。」
「PC-100が死ぬのを見たのは誰?」「私」と、店員が言う。
「店の在庫で、私がPC-100が死ぬのを見た。」
「PC-100の血を受けたのは誰?」「私」と、ジャンク屋が言う。
「私の小さな倉庫で、私がPC-100の血を受けた。」
「死に装束を作るのは誰?」「私」と雑誌社が言う。
「私の筆と紙とで、私が死に装束を作る。」
「PC-100の墓を掘るのは誰?」「私」とホームエレが言う。
「私のつるはしとシャベルで、私がPC-100の墓を掘る。」
「牧師を司るのは誰?」「私」とオオウチが言う。
「私の小さな聖書で、私が牧師を司る。」
「事務を司るのは誰?」「私」とタカヤマが言う。
「暗がりの中でなければ、私が葬儀事務を司る。」
「松明を掲げるは誰?」「私」とゲイツが言う。
「今すぐにでも持って来て、私が松明を窓に掲げる。」
「喪主を司るのは誰?」「私」とワタナベが言う。
「愛する者たちを悼む私。私が喪主を司る。」
「棺を運ぶのは誰?」「私」とニシが言う。
「夜の最中でなければ、私が棺を運ぶ。」
「棺布を運ぶのは誰?」「私」とイナモリが言う。
「私たちサイバの民で、私たちが棺布を運ぶ。」
「賛美歌を歌うのは誰?」「私」とユーザーが言う。
「藪に座りながら、「私たちが賛美歌を歌う。」
「鐘を鳴らすのは誰?」「私」とオレが言う。
「紐を引くことができるから、オレが鐘を鳴らす。」
空の鳥たちは、ため息をつき、すすり泣いた。
可愛そうなクック・ロビン・PC-100の弔いの鐘を聞いた時。 なにしろ誰もロクに知らんからな。
「なんかすごそうなのがあったらしい、ロードランナーとか」
程度の認識しかない。 廉価版が出なかったのが残念
スリムな本体と縦画面に憧れてたのに model30持ってたのでたまに思い出でも語るよ
ロードランナーやJS-WORDなど付属ソフトがほとんど白黒だったのが残念だった >>13
NEC以外の市販ソフトって、何かありましたか? タイトル忘れたけど絵を描くソフトと、30万円くらいするワープロ等の総合ビジネスソフトを持ってました
もちろん父親が、ですが 910 名前:ナイコンさん[sage] 投稿日:2020/09/22(火) 01:47:28.58
>>877
PC-100のソフトって本体バンドルは以下の如し
日本語版MS-DOS Ver2.01、日本語ワープロJS-WORD、日本語対応スプレッドシートMULTIPLAN、
N100-BASIC、スクリーンエディタNOTEPAD、ビジュアルシェルVISUAL COMMAND INTERFACE、
ファイルコンバータFILCON、通信ユーティリティTELCOM、ゲーム・ロードランナー。
ソフトハウス製ソフトでは、東海クリエイト「ユーカラ」2万8000円、「ユーカラ ターボキット」8000円。
ダイナウェア「ダイナデスク」12万円、同(イメージオプション付)14万円、「ダイナピックス」30万円、
「ダイナパース」50万円。システムソフト「アートマスター」1万8000円、「3Dマスター」4万8000円、
「ソリッドマスター」10万円。その他、技術計算、業務用ソフトがかなり出ていた。
https://ameblo.jp/kagra/entry-10718527643.html アスキーから「エアブラシ」っていうお絵描きソフトが出てた。 「アルハンブラ」だったか、スライドショー的に絵を表示するだけの環境ソフトが出てたな。 ソフトの価格で高いのはオフコンクラスだね
企業で使うのが前提だったんだろうなぁ
ユーカラとアートマスターの低価格が嬉しい 中古ジャンクで買って2DDに乗せ換えてDOSマシンとして使っていたので
純正のソフトについてはほとんど知らないなあ
ウィキペにはHDD乗せたとか書いてあるけどどう見ても法螺 >>22
83年というか80年代のHDDといえば前半なら5インチフルハイト
後半でハーフハイト。90年近くでようやく3.5インチというほど。
100でHDD内蔵は5インチではあり得ないだろうね。
ただ↓のカタログには純正のHDDインタフェースカードと
5インチドライブユニット、増設HDDユニットの型番がある。
http://ratscats.client.jp/n-pc100.html PC-9801F3、PC-9801M3、PC-98XA model3 みたいに
FDD1台のスペースを潰してそこに5インチHDD内蔵してたケースはあるから
一概に法螺とも言い切れないのでは? 純正であるのはSASI I/Fだけだねえ
ドライブはST506(お約束)
SCSIは同人ハードで、確か30pin SIMMスロットの載ったメモリカードとコンボのやつもあった
98のメモリボード流用とかデタラメだろどこに挿せるんだよっていう PC-100を他社ブランドで出してたことがあって、その中にHDDモデルがあったはず。
FDDを片方とっぱらって、そのスペースにHDDを入れてた。 908 ナイコンさん[sage] 2020/11/28(土) 00:27:02.30 ID:
V60 で検索すると出る
https://www.shmj.or.jp/dev_story/pdf/develop46.pdf 冨田倫生さんのパソコン創世記の語りはほぼほぼ1985年くらいまで。
なので85年以後の話題が薄いようで。特にTRONとか日米半導体摩擦周辺の
話が欠落している風味。日米半導体摩擦については↓が詳しい。当時を知らない
世代が読むと驚くべき内容かもしれない。特にインテル創業者のロバート・ノイスが
果たした役回りは日本の半導体業界に対して激烈な殲滅戦であったことがわかる。
彼は米国半導体業界、特に自社インテルの「麒麟」であった。しかし日本の半導体業界
に対しては、比叡山・石山本願寺を焼き討ちした織田信長のごときですなあ。
半導体のはなし 29 日米半導体摩擦と協定
https://floadia.com/column/semi_29.pdf 半導体のはなし 全33回 筆者は元ルネサスの半導体設計エンジニア
https://floadia.com/jp/column/
電子立国 日本半導体業界の興亡盛衰記 という感じの大部。通読の価値ありです。 >>28 を読むとv60の開発は日電のエンジニア250名を擁する大プロジェクトであった事がわかる。
つまり、PC-100の未来はその250余名のエンジニア諸氏の継続的な支援がありえた。という事だ。
しかしCPUの実装機の開発が止まり、vシリーズも終了し、半導体事業自体は日電エレクトロニクスへ
と分社解体されさらにエルピーダ・ルネサス へと枝別れ。あの民主党政権時代にはメモリ部門存続社の
エルピーダが米マイクロンに売却などなど。PC-100はそんな終わりの始まり起点だった。と思えるのね。 >>28
別スレに引用元を書いたのは自分なんだがV60も習作なんだからなあ
レジスタが沢山ある所が68000系みたいだけど遅いとこまで似てるか。
16bitバスの386SXみたいなものだけど、386は85年には出てるからな
PCのメインCPUになれる能力が有るか、
Appleが68000からPPCに乗り換えるまでにPPC代わりに成れてれば・・・。
それか今でいう所のARMの立場にあればなあ。
日立のSHシリーズもモバイルの時にARMのようになれてればな。
日電はスパコン用プロセッサ設計もやってるんだしそれがコッチに反映されてれば売れたか?
まあ、社内政治で敵対的にセクショナリズムやってるのが悪かったんだけどな。
PC-100然り、PC-88系然り。虎の子になったPC-98系もAT互換機の末裔にと。 80386のプレスリリースはウィキペで85年ということだが
実装製品としてはcompac のDESKPRO386が初めだったような。
本家IBMより先に386機投入が話題に。定価は6500ドルほど。
40MB HDD内蔵。プレスリリースで配布されるデバイスカタログには
必ず preliminary の文字を入れるのがお約束。
80286のプレスリリースは82年始め。うろ覚えだが日本でも丸の内界隈の
小ホールで発表会があって行った。同時にリリースされた432の方に目が
行って286はどーでもいい。という印象だった。本家PC/ATの発売は84年中。 Compac / Compaq
15年位前にオクでDESKPRO386の中古を数千円程度で入手。
ウィザードリトリロジーの5インチ版持ち。FDD内蔵品は珍奇だた。
レンタル落ちの美品だが、今や電解コンとか液漏れして動かない
だろうなあ。納戸の奥。 そいえば先月だったか、日電の社長氏が交代したらしいね。
京大卒氏から東大法学部卒氏へ。東大閥の復権かね。
日電の社長は長年東大閥。今世紀始めのITバブル崩壊以後
赤字続きで5兆+あった売上を半分に減らすリストラ続けて
ようやく黒字化したところ。株価もそれなりに戻したし。
PC-100終了裁可の大内氏は東京帝大。格上。副社長から会長へ。
三田の98タワーが墓碑になりませぬように。 大内ってC&Cの人だっけ?
あの頃のNECは輝いていたな 日本電気歴代社長の在任期間と学歴
初代:岩垂邦彦(1899〜1926年。創設者)工部大学校(東大工学部)
2代:大畑源一郎(1926〜1932年)東京帝国大学
3代:志田文雄(1932〜1938年)京都帝国大学
4代:梶井剛(1938〜1946年。東京帝国大学
5代:佐伯長生(1946〜1947年)東京帝国大学
6代:渡辺斌衡(1947〜1964年)東京帝国大学
7代:小林宏治(1964〜1976年)東京帝国大学
8代:田中忠雄(1976〜1980年)東京大学
9代:関本忠弘(1980〜1994年)東京大学
10代:金子尚志(1994〜1999年)東京大学
11代:西垣浩司(1999〜2003年)東京大学
12代:金杉明信(2003〜2006年)慶應義塾大学
13代:矢野薫(2006〜2010年)東京大学
14代:遠藤信博(2010〜2015年3月)東京工業大学
15代:新野隆(2016年4月〜2021年3月)京都大学
16第:森田隆之(2021年4月〜 )東京大学
C&Cの提唱は小林宏治氏だね。会長時代?に米国視察時に現地ディーラーから
PC-8001売ってくれと言われて、それなに?と帰国後に部下に尋ねたとか。
リクルートとかの理系学生の就職したい大学ベスト10の一位を82-88年と
7年連続で獲得維持。あの時代は輝いていましたね。現社長は83年入社組。 TK-80が欲しくても買えなかったんで大内氏の"マイコン入門"買って我慢してたわ >>39
俺も買ったわ。TK-80本。執筆はご本人様じゃなくて部下とかが
ゴーストライターやってたとか。安田寿明センセのマイコン本並みに売れて
大内さんびっくりでご満悦だったとか。
https://userweb.alles.or.jp/chunichidenko/mycom_tukuro128.html >>41
"マイコン入門"と安田寿明さんの本は今も手元にあるわ
CQ出版の”マイコンピュータ No.2”もあるけど著者の松本吉彦さんがPC-100の主要人物だったと
最近知ってちょっとびっくり >>38
小林と大内を混同してた
TK-80本は実家にあったのだが先日探したら見つからなかった
捨てちゃったのかな、もったいない カラーボードのVRAMエラーの直し方を知りたい。
あの変なメモリモジュールのはんだクラックなのかな。 >>1
何で前スレに続いてスレタイをPC-100ではなくPC100にしたんだよ? PC-100のマニュアル、BIOSはおろかハードウェア制御の方法まで書いてあって、
紙質もよかった。売るとしたら一冊1000円以上していいくらい。 縦長画面でしか動かないソフト、横長画面でしか動かないソフトがあったのが残念。
まあ、ソフトのつくりからして仕方がなかったことだけど。
そういう意味で、正方形画面という西氏の次機種構想(妄想)はよかったと思う。 Wikipediaの記述からね
画面仕様[編集]
専用ディスプレイは縦置き・横置きを切り替えて使用可能である。
専用ディスプレイのチルトスタンドに縦置き・横置きを検出する機械式スイッチが
搭載されており、画面の表示モードもこれに合わせて自動的に切り替わる。
ディスプレイ横置き時に画面解像度720×512ドット、縦置き時は512×720ドットの
ビットマップグラフィックを表示可能。論理的には1024×1024ドットのグラフィック
画面を備えており、ウィンドウ機能によりグラフィック画面の一部をディスプレイに
表示する。これによりビットマップ転送することなく画面を上下左右に自由に
スムーズスクロール可能としている。 縦長、横長といったモードがあるから分断が起きる。
いっそのことモードをなくしたらという発想だと思う。
もちろん、モードをなくしても、縦長の良さ、横長の良さを失わないように、
というところから正方形という発想が生まれたのかと思う。 元々altoの真似っこが原点だから。A4 WYSIWYG 実現のための縦長だったのでしょ。
MacintoshでもIIci用でモノクロ縦長モニタ&カードの純正があったわけだし。
でもまあ実際は人気出ずに1発終了しちゃったけどね 西和彦の反省記にPC100の事を書いてましたね
ビルゲイツがWindowsを作ったのはAppleの対抗
だと思ってましたが、VisiCalcを作ったVisiCorpの
GUI環境のVisiOnに対抗するためだったと。
そこで西氏の構想して京セラの社長に売り込んだ
企画がPC-100で、その時動き出したみたいですね。
結局、貧弱な8086に対応したVisiOnもPC-100
そして、Windows1.0も「失敗」したのも時代の
限界だったんでしょうか。 1.0があったから3.1があり95があったと考えると失敗とは言えないんじゃないかな
PC-100を経験しながらWindows時代に駆逐されたNECは明らかに失敗したけど ゲイツはMacのファンでありPCに移植するようジョブズを説得したが当然拒否され、DESQviewやVisiOnといったソフトが流行った。
マイクロソフトがGUI OSを作るのは必然だった。
Excelの開発を元にInside Macintoshを読んでToolbox QuickDrawを逆アセンブルしてMASMとMSCで書きWindows1.0を作った。 マックのようにモノクロで良いと割り切ったら、それなりに安く出来たんじゃないの? >>57
>PC-100を経験しながら
NECはPC-100のなんたるかをまるでわかってなかったってことだ。 CPUに8086を使ったのはMSと組むことが前提だったから?
8086は力不足だったよね。 だからと言ってその前のiAPX432はあったけど多分価格も凄い事になるだろうし まぁ、macのように68000という選択肢もあったわな。
8bit全盛の当時はそこまで86じゃないとダメってわけでもなかったし。 PC-100の回路設計者である松本吉彦さんは1976年のトランジスタ技術誌に
MC6800を用いた自作マイコン基板の記事を連載していた偉人だったから
68000という選択が彼において順位1位の候補だったとしても不思議じゃないだろうな。
しかしマイクロソフトのバイスプレジデント格の西和彦氏からすれば、CPUが
インテル系8086/8088でなければならないマスト。86/88は絶対条件だったに違いない。
後のI/O誌@工学社の星氏は76年当時のCQ出版の編集者。彼の手下が西郡司塚本。
1976年の電子技術関連メディアで松本吉彦さんの影響力は計り知れないほど
大きかった。青空文庫の冨田 倫生さんが「日本のウォズニアク」と評していたが
エバンジェリストとしてはウォズ以上の影響力だったと思うね。
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926ナイコンさん2020/09/30(水) 03:03:56.83
>>951
松本さんといえば、1976年にトランジスタ技術誌で連載された
モトローラ6800を応用したマイコン基板製作記事。連載期間は
第1回、1976年8月号、p186〜200
第2回、1976年9月号、p201〜216
第3回、1976年10月号、p200〜216
第4回、1976年11月号、p201〜216
第5回、1976年12月号、p194〜215
第6回、1977年1月号、p201〜216
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1361216268
記事内容は翌年1977年のムック誌で再録されているようです。入手困難ですが。
私だけのマイコン設計&製作 : マイコンピュータ・プランニングA〜Z
松本吉彦著 (つくるシリーズ, 5) CQ出版, 1977.12 >>65
432は81年末ごろ286と一緒にインテルが発表公開。そのロードマップな
プレゼンを聞きに行ったことがある。432のターゲットはスーパーミニコン。Ada。
タンデム社のフォールとトレラント志向。エヴァンゲリオンのMAGI志向。
複数のCPUに同一命令を実行させて違和を検出しエラー訂正するという
冗長性重視。当時のインテルCPUは非同期バスでノイズ脆弱だったから。
ユーザといえば国防総省が筆頭。コンシューマ向けじゃなかったですね。ハズレ。 >>53
単眼の異星人が作るコンピュータは、ドット数縦横同じでディスプレイは正方形なんだろうな 批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。
あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。
そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。
だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。 しかしつまんねぇコピペだな。
5ch(2ch)のレベルも随分落ちたなって思う。 普通、CRTモニタを縦にしたり横にしたり向きを変えると、帯磁の関係で表示がおかしくなる。
でも、PC-100のモニタはそのへんの対策が出来ていて、消磁の必要がなかったんだよね。 有志で立ち上げたユーザーズクラブがあったんだよね。俺も一応加入してた。 PC98や88がLSIの寄せ集めだったのに対し
PC100はあの薄い筐体にドライブを埋め込んでいる
拡張性を犠牲にしたとも言えるがファミコン同様カスタムICで集積化してた
専用モニターは当時20万だが当時PC98用モニターの一番高いのが
約17万という事は利益出てないどころか損してたはず
あのモニターどう考えても20万では作れない
あれで利益が出てると言うならPC98用のモニターが
滅茶苦茶ボッてるという事になる 実際NECは高かった
売れるから値引きが小さい殿様商売 あの筐体に内蔵2ドライブと拡張スロットが3つあったんだよね。
まあ、拡張ボードはあまり大きなものではなかったが。 >>76
14インチのブラウン管のテレビ縦にして見てたら
画面の調子悪くなった。そういう事だったのね
>>83
業務用ゲーム機のモニター縦にして使ってるが
消磁機能ついてたのだろうね割り込み処理で定期的に機能させて
このモニター当時20万だが利益度外視だね PC8001が当時約17万でPC100モデル30が55万+20万のモニター計75万
僅か4年で猛烈な進歩だ技術の進歩は今現在とは比較にならんわけで
見方によっては今の方が停滞してるとも言える価格面はこなれたが
京セラ名義で出したとこで市場から相手にされんだろうし
PC100が辿る運命はどっちに転んでも大差なかったと言える
NECがPC100路線を推し進めても行き詰った >>86
8001は本体16マンとかだが、1s1dのFDD2発の8031が31万。
FDDインタフェースの8011/8012が10万超。高精細モニタが16万とか。
ハードウェアの定価だけで換算すればほぼ同額。pc-100はアプリバンドルだし。
そういう点を鑑みればむしろ8001でcp\mとかよりはるかにお安かった。
83年だと9801がF2で398000円。アプリの価格分だけお安いかもしれないけど。
9801が100に向かって進化すればよかったんだろうけど羊頭狗肉な9821よりもっと早くに。 毎回モニタの後ろのボタン押して画面がヴィーンってなるのを楽しんでたw 西和彦氏の後継機の構想では、モニタは1024×1024の正方形。
今なら、EIZOのEV2730Qがその構想に使いものがあると思う。 日本は全部負けたな
コンピュータ関係でなにか残っているか Sony PS5, Nintendo Switch SIEは実質的に多国籍企業なので、純粋な日本のゲーム帝国は任天堂だけ >>90
じゃあ、イギリス、フランス、ドイツには何がある? >>97
英国は80年代からBBC@6502を学校教育用に利用し
その後初代ARM搭載のArchimedesが教育用PCとして後継。
相応環境で育ったエンジニアがラズパイ開発。30数年かけて
コンピューティング文化&パラダイム形成。
ARMは携帯からスパコンまで世界制覇しているわけで。
日本も80年代はオリジナルCPUを各社多産していたしTRONのような
プログラミングカルチャーのコアとなり得る萌芽もあった。でも途絶。 おれはね。大内がPC-100を途絶させたのは百年の計を誤らせた超絶誤判断だと思っている。
100@Vシリーズ@TRONを生きながらえさせて、学校教育用にパソコンの源流にしていれば
今のような半導体的壊滅日本は無かっただろうし。インテルなんかとっくに倒産していたかも。
とかね。日電の半導体ビジネスを生み育てた大内は存命中は大功労者だったけれども、世紀が
変わったとたん、日電から半導体ビジネスは蒸発して雲散霧消。墓碑を探すのさえ一苦労という
ありさま。100終了は祇園精舎の鐘の声ですね。
今頃になって甘利@自民党とか半導体で大騒ぎしているけれども、100がずっと存続していたら
違った並行世界になっていたかもね。とかね。 80年代の日米半導体摩擦ってミッドウェー海戦だったね。
今また、対中国で同じような事態。 >>98
もう一つ。python。今やプログラミング言語の世界でJavaを
超えたのじゃないかというほどプログラマユーザーを獲得。共通語化し始めている。
Python関連書籍は英文だけで多分1000超。AI。ディープラーニング分野。
この語の由来は英国製ギャグ番組のモンティパイソン。巨泉前武のゲバゲバ90分とかね
日本でもナンチャッテマネもの番組あったですね。クラスと並行処理。
並行処理といえばインモスのトランスピューター。言語はオッカム。
ウィリアムのオッカムという中世の聖職者兼論理学者はオッカムの剃刀という
最少用語で最大表現を行うべしというふう言語哲学で、ウィトゲンシュタイン経由で
AIの父とも言われるアラン・チューリングへ。この辺が英国的分析哲学的文化ですな。 コンピューティング文化が発展するためには次世代を引き継ぐ
子供たちを育てる苗床が豊潤であるべきだけれど。
ARMでpython@Linuxなラズパイ環境が子供たちを育てる
苗床として機能している彼方の世界が眩しいね。
日本の半導体産業再起動政策にそうした次世代を育てる苗床確保の
施策は含まれるだろうか? 甚だ心許ない。 >>101
五胡十六国時代が理想と言えるほどの乱世が
数世紀続くだろ >>103
やっぱり、母国語が英語である国は強いと思う。
日本も、日本語でのコンピューティングを目指すべきなのではないのか。 >>105
日本語G-BASIC!?
モシ x=y ナラバ 240 ニイケ!? FORTHの方言で日本語版あったなぁ。触ったことないけど >>105
日本語でってのは無茶だが、英語ベースである限り勝てない気はする。 >>111だが、70,000円になってた。いったい何に使う気なんだこれ? 金と時間と根性がそうとう無いとやれんよそんな趣味・・・・ 海外のコンピュータのソフトはネットにあるのに
日本のが無い
このまま消えてしまうのか 著作物保護自警団が強靭だからね。アバンダンウェアという概念が日本には存在しない。
前世紀末に若干地下下水道とかアンダーGで流れていた時期もあったようだけどね。
とはいうものの、archive.orgにはシレっとアイオ誌とかoh!なんちゃらとかウpされて
いるものもある。日本好きなアッチの外人さん達がウpしてくれているんだろうなあ orz それやっちゃったのは自炊したモラルなし日本人だろう。
元編集長は削除要請しないことにしたが
話題にするべきではない。
おしまい。 ヤフオクでまた出てた。
『NEC PC-100 本体(PC-10020)日本電気 通電のみ確認 パーツ取りにどうぞ 1円〜』
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h567083658
23,956円だったがせいぜいこれが普通のだと思うぞ。 中古PC-100で気を付けることってなんかある?
98で例えると四級塩全盛期は電源が弱く、それ以前はカレンダ用充電池が基板を壊しやすい傾向・・・みたいな感じで。 Appleで言えばAppleIIGS。メーカーの一押し機種の陰に隠れて、すぐれた機種でありながらないがしろにされた。
悲運の名機。 >>126
OSが見つからない
カラーボード故障気味
2コイチ3コイチ当たり前
拡張カード付は有無を言わずゲット
期待するほど性能良くない
殆どゴミ まるでダメでワロタ
箱だけ使ってITXマザーボード入れるくらいしか使い道無いじゃないか(冷汗 NECはもうパソコン作っていないし。半導体も工場丸ごと捨てちゃったし。
浮川夫妻は赤字からジャストを大阪の人貸し家に売っ払っちゃったし。
夢破れて会社なし。時流れて草莽深し。だね。アバンダンなのに著作権w 中古PC〜安サバ民としては鼻毛サーバ(もATXケースとして)もありなんで(汗 懐かしいな。鼻毛鯖。2台まとめ買い2万でお釣りが来るとか。カッター付きで。 画像でみるとすんごく格好いいんだけどな。コンパクトなのに5.25を2台積んでて。
箱だけ入手してWindows機にしたい気もするが、ちゃんと動くだけで(骨董品的な)価値あるコンパクトマックにiPadやmini押し込んで売る人と同じになりそうで怖い。 この時代のマシンって、ネットに依存する部分がないから、一式揃えたら当時のままに動くんだよな。 しばらく電話につながないだけでワープロが死ぬとか聞いたら「そのパソコン不良品じゃないか?」と言うだろうな、当時の人なら。
今の状況、ある意味「全速力で退行してる」としか思えんわ。 電気がなければエアコンは動かないが団扇より全速力で退行してるのか? これ、純正FDDではヘッドが下りるときにガチンッ!とうるさい音がしていて、それは2DDタイプのドライブも同じだったんだが、
PC9801VM純正の3モードタイプのFDDでは、カシャン、と少し柔らかい音になっていた。俺はそのFDDに換装していた。 2DDに換装した時にヘッドロードしないジャンパーで設定したと思う。静かで良い。 写真でみると3.5"化したらもっと格好よくなりそうな感じだな。
PC-100に後継機あったら3.5”内蔵の可能性あったんだろか?
9801U2やUV21みたいに薄平たくてコンパクトな機種。 >>145
PC-100がNECのメイン機種であったらという前提のもとではあったかもしれない。
でも前提が事実でないので。 147は146がつまらない人だと言っているだけで、自分がつまらなくないとはひとことも言っていない
ちなみに俺も146はつまらない人だと思う 一番可能性のあるのは2DD化だ。初代でも実は対応していて、ディップスイッチの切り替えで2DDが使えた。 >>150
わざわざ他人のふりしなくていいですよ、>>147さん 残存参加者10人未満かもみたいな過疎板で絶滅危惧されるわずかばかりの生存者をディスるなよ。 なんかね、PC-100がこういうふうに進化したらみたいな仮の話をすると、
意味がない、みたいな感じで突っかかって来る人がいるんだよ。
俺も何度か見た。
お前が好きな話題があるんならそれを自分で振れや。それをせずに人に
けちをつけるだけというのは見苦しいぞ。 本当、素ではビックリするほど性能よくないからね?
いじり倒して味わうためには、カラーボード付本体、キーボード、マウス、標準のディスケット、マニュアルが全て揃えることが前提。
更にV30、増RAM、2DDドライブで本体改修。
多分今なら20万円越えの投資になるね。 ギリギリでMS-DOSが動作する環境でしかないからな…なんか変な方向に過大評価されてるが 流石にWindows1.0が動いても嬉しく無いしな。 まあ実際にはPC-100で動くWindows1.0は世に出ていないわけだが ジョブズの映画でWindowsデモをPC-100でやってた
ような気がする >>156
8086〜V30世代の98持ってるユーザーなら改修分だけ安く済む感じか・・・
そもそも論としてKBメモリ等など本体まわりの入手が問題だけど。 Y!でPC-8801MkUのKB見かける時があるけど、これで代用できない?
ぱっと見では同じに見える ビデオ回路は他にない面白い構成だから主流になって欲しかった >>163
あれは似て非なるもの
うっかり買って絶望するがよい CPUクロックが7MHzだからね。今と比較しちゃいかんよ。 ゼビウスが作りやすそうと思ったが縦のハードウェアスクロールは8ドット単位だった ハードウェアスクロール機能が付いてるが、全画面をスクロールさせることしかできないので、
画面の一部にスクロールしない固定部分があると破綻する。 >>167
この場合の縦とは? 横画面の縦スクロール? 8ドットでもいいんじゃないかな
ゼビウスの288×224を左右倍にして額縁表示すると思うので、
実質4ドットスクロールになる?
というか、ゲームに向かない超高級PCになにやらせるw >>172
さすがにPC-100ではないが、ニュース番組でゲーム機(初代ファミコン)を報道見たときの比較対象が88だったな、ゲーム機はすごいという内容で。
一般ピーポの認識はそんなものかと。 N100-BASICでファンクション表示をした時がひどかった。
1行スクロールするたびにファンクション表示を描き直して
いたんだよな。 大昔はマボロシ機だった(主に値段のせいで)
未確認キーボード 33,750円
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x802579694
いまもマボロシ機のようだ(やはり値段のせいで) >>181
単独の茶色キーの事ね
故意に脆弱にしてたのではないかと思える要は首が座ってない感じ PC-8801mkIIと共通部品だったからローコスト μpd7220を1個実装して、テキスト文字の描画処理を受け持たせれば良かったんだよ。 ゲーム内に説明はあるよ
まあ、間に合わなかったんだろうね >>178
ヘー そんな糞仕様なのか
憧れだけから 過度な期待を抱いていたよ ゲームでキーボード壊してとかいう伝説があるのは9801のピンボールゲーム。
システムサコムのムーンボールですね。オレもハマったけど。あれはCPU
クロック依存。初代98依存だったので。100のロードランナーはデモ機で
一画面だけプレイしたことあるな。でもアレって壊れるほどキー叩かないでしょ。 システムサコムって
炎?が現れるゲームが最後まで行かなかった
というか最後があったかどうかわからない
あとゾーンとかいうやつと
ドライブのやつ 30年くらい前に日本橋でCRT付きソフト一式付き5万円くらいで売っていたのを買ったことがある。
主に会社で使っていたMULTIPLANのデータ(SYLKファイルにして)を家に持ち帰って使っていた。
はじめてパソコン通信をしたのもこれだった。
ロードランナーは意味が分からず使わなかったが最近MSXのゲームでどこかで見たことがあると思ったらPC100だった。
ワープロも確か単漢字変換だったので使わなかった。あれは一太郎の先祖だったと後で知りました。 >>191
おっさんいい笑顔だな。
俺もこんなおっさんになりたかったわwww (なお現実… … つか硬派なビジネス機にロードランナーはちょっとアレかと思われ 88MK2のキーボードは配達されて
ウキウキで使ってたら三時間後に
根元から折れた糞不良品だったわ PC-100と98には互換性なしといわれていたが試し何かデータベースソフトを入れてみると動いていた(一部表示不明のようなところはあった)。R:BASE 画面制御にエスケープシーケンスだけを使っている標準MS-DOSアプリケーションは動くことがある。 ターボパスカルっていう言語/開発環境がそれで、カスタム設定をした上でだが、
PC-100の縦長画面でエディタとかが動いていた。 >>202
TurboPascalのPC-DOS版は98でも改変なしで動いたような覚え。
文字端末出力のカーソル制御コマンドがANSI準拠だったからかな。
当時の市販文字端末のカーソル制御コマンドは各社各様で無統一だった
そこでANSI。というかdosのcommand.comが1.0時代からソコは
どこでも一緒どの機種でも一緒。だったのかも。 Turbo Pascalは
カーンが優秀だったのか
ボーランドが優秀なのか TurboPascal8bitCP/M版も機種選ばなかったし、パソコンOSって本来はそういう目的もあるんだよな。 昔学校で教わったOSの機能って奴のひとつに「ハードウェアの隠蔽化」ってのがあったっけな。
カーネルやらデバドラやらどこのレイヤーで吸収するかはともかく、アプリからハードウェアを意識しないでも良い環境を提供する、というような定義だったはず。
エスケープシーケンスによる表示の共通化ってもろにそれだよね。 隠蔽が進むとエスケープシーケンスすら使わないようになる turbo pascal にはターミナル設定機能がちゃんとあるよ。dos用の3.xだけど。
たまたまデフォルト設定が1978年策定のANSIなだけで。
https://ht-deko.com/qiita_mirror/0d8976801c02ec685bd6.md
文字端末のエスケープシーケンスについては↓。英語版の機械翻訳? 広告有
https://ja.wikiqube.net/wiki/Computer_terminal どうせ最後は高騰するんだろうけど一応貼っとく
NEC 日本電気 パーソナルコンピューター PC-100 モデル30 中古・ジャンク品
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j1006606849 PC-100の時代にはまだインターネットが存在せず、データを音声に変換して電話回線を通す「パソコン通信」というものが
行われていた。もちろん、それ用のアプリケーションソフトを使って。
俺は名前は忘れたけどフリーソフトを使っていた。多分、市販のソフトは出てなかったんじゃないか。 >>211 PC-100の付属ソフトにはJS-WORD,MUTIPLANと通信ソフトともう一つ何かあったと記憶している。その通信ソフトでパソコン通信をやっていた。カタカナだけで。
そのカタカナをひらがなに変換する方法トがあってのちには平仮名でやっていた。
その後MSXを使ったり、ニフティでは漢字を使うためにワープロ通信などへ移行した。 通信ソフトって、TELCOMでは。
あれは端末エミュレータ的なもので、パソコン通信に使うには機能不足だったかと。
まあ、パソコン通信にはみんな苦労してたみたいだね。 ターミナルエミュレータのROMはPC-8001は別売だった
型番PC-8062-01 >>214 電話代月数万円というのが1年以上続いたかな。 データを音声に変えるモデムはもちろん汎用品で、PC98と同じものが使えたが、
ソフトは機種固有のものばっかりだった。 PC100と直接関係ない話で申し訳ないが
あれ88年かそのぐらいだがNHK教育でパソコン通信講座があり
スタジオ内でPC8801(初代)とファミコン(気は心でロゴはテープで隠した)を
モデムで接続し要は文字化けについて語ってたNHK技研の技術力感じた
スロットに直コネクタ刺して当然任天堂非公認
ファミコンはアルファベットと数字だけで文字コードが無い
当時パソコン通信は電話回線開放状態だから電話代数十万の人も結構いたらしい
しかしPC100に通信ソフトバンドルされてたのは初耳凄い先見性 レンタルビデオとクリーニングと雑誌関連を扱ってた店で
他の書店に置いてない扱いSM誌ミストレス(年4回発行)を立ち読み
その店のレジ脇にレンタルビデオの管理用だったのか知らんが
場違いなPC100がなぜか置かれてた
その店も今は携帯ショップになりミストレス発行してた司書房も今は無い PC-100って京セラだったっけ
欲しかったけど高かったんで・・・結局買ったのはPC98だったな どちら買っても使った期間は3年だったろう。
PC-100は伝説になったが。 >>232
ジサカー的には結構長寿命だったな。440BXチップセットのせいで。
PC133対応チップセットが最大512MBしか使えない半端仕様でそれ以上はRIMM使えとか色々変な時期だった。 >>233
ただのバラ売りじゃねーか
嫌いだわこういうの ゲームソフトが出なかったのが痛かった。
まあ、NECがやる気なかったのが根本問題だったが。 >>236
こんなニッチ機種のキーボードが
50000で売れるとか謎すぎる
買ってどうすんだよ、教えてくれ KYOCERA製だからな。8801mk2もpc-100も >>236
ケーブル着脱式?
左側はマウス用だっけ? PC-100の発売が1983年10月だったんだよな。
もうかれこれ40年になるか。 >>245
誰も祝ってくれんが日本のPC史に与えた衝撃はデカい
PC8001からPC100まで僅か4年で物凄い進歩だよ
去年CDの10月生誕40年もマスコミ完全無視で唖然とした
更に酷いのはステレオサウンドまで無視した終わりだなと
ファミコンも今年の7月で40年だが開発責任者の上村さんは
あまり知られてないが昨年の12月に亡くなられてる WindowsXPからでも20年だからなあ
この20年のPCの進歩は緩慢に感じる スマホは進歩してるが セールスとして失敗作だが当時あれ世に出せた事に驚く
会社も出せるだけの経営体力と上の理解があってこそだが
ネット通信用ソフトまで添付されてたんだから畏れ入る(大分後に知ったが)
PC100同志の通信を想定してると思うが
話それるがマランツが2006年にフラグシップのSACDを出した70万
開発者「この機種からオーバーサンプリングを一気に8倍に出来ます」と
それまで一旦4倍でそこから8倍に処理してたとか・・・・
そう考えると1秒間に28億の処理が必要なCDは
様々なカラクリの上に成立してたという事だね
先人の技術者は努力家だと痛感させられる 長渕の名曲「西新宿の親父の唄」でいう
日本の物作りの現場もクラゲになっちまった 当時の日本の状況から考えて普通ならありえないマシン。
西和彦の営業力のおかげで世に出たマシンだった。 いや当時の日本の状況なら出てもおかしくない
西和彦の営業力は認める
今の日本の状況でこのようなPCは出ないだろうが 実験的な攻めた製品ってとんと見なくなったよな
NECは当時も大企業だと思うんだがな
大企業も老成しちゃったというか むしろ大企業製PC自体
退化した末にオワコン化したという アメリカの技術を使ったらアメリカと差別化できないだろうと思わなかったのかね。
縦書きOSでもいいし日本語プログラミング言語でもいいし、日本でしか出来ない技術を
出し続けるべきだった。 82年から開始された第五世代コンピュータプロジェクトがあったけどね。LIPS、Prologといった論理記述志向なプログラミング言語をメインに据えて、特定分野の専門家並みの知的解決能力を備えた人工知能エキスパートシステムを構築を目標にしていた。投入された公費予算は540億とか1000億とか。続かずで失敗。 PC-100は、ジャンパスイッチだったかの切り替えで、720KBのFDDが使えた。
標準が360KBだった理由はPC88との互換性確保だった。
でも、容量不足のせいで出せなかったソフトもあったんだよな。残念。 2DDを搭載しなかったのは、98の優位性を脅かさないように、
NECの政治的判断じゃなかったか? >>256
形は似てるけど・・・88との互換性あったの? PC88とフロッピーディスクに入ったデータのやりとりが可能という意味で
とは言いつつOSも違うんだがな >>256
ダイナウェアのダイナピックスも。
メーカーに聞いたら、
「FDDの容量不足でこれ以上の機能追加が不可能」
だと言われた。 >>260
PC-100も標準でハードディスク積めていればまた違った?せめて2HDのドライブが使えれば…。 時期的に可能なのは5インチ2DDまでかな
普通に98互換な8インチコネクタを付けとけば良かったのに
サードパーティにはあったはず まあ、PC-100が続いていればFDDの容量も増えていっただろうけど
一代のみで消えてしまったのがすべて悪いんよ 進化の早い時代だったからなあ
ポテンシャルがあっても一代では如何とも 人生に役に立つものがあるだなんて、まだまだ分かってないな。他人にそこをツケ込まれてるだけだぞ、ほとんどは。 ディスプレイのサイズが720×512だったがビデオメモリは1024×1024分あったんだよね。
それで、画像の作業データをビデオメモリ上に置くソフトがあった。
メインメモリは不足していたが、ビデオメモリには余裕があったんだよ。 まあ、NECに見捨てられなかったら、PC-100も80386とHDDを積んでメモリフル実装でWindowsが動くバージョンが
出てただろうねえ。 ビジュアルシェルだっけ?GUIもどきのシェルソフトが添付されてたけど、糞だった記憶が。
ダイナウェアに作らせれば良かったのに。 殿様なNECがそんな気の効いたことしてくれただろうか 画面を縦長にも横長にも出来た。
横長画面は、従来のソフトとの互換性を考慮して設けられたものだと思うが、
従来のソフトがこのマシンで動いたか?ほとんど無いだろ。
ほとんどがこのマシン専用のソフトばかりだった。
だから、横長画面なんてものにコストを掛けず、縦長画面に最適化した
つくりでよかったんだよ。
それだけが心残りだった。 サードパーティーから8インチFDDやHDDのインターフェースカードが出てたけど、
所詮純正じゃないんで、増設したドライブからのOS立ち上げが出来なかった。
内蔵5インチFDDをカチカチいわせて立ち上げるしかなかったんだよな。