PC100を称えよ Part2
PC-100って京セラだったっけ
欲しかったけど高かったんで・・・結局買ったのはPC98だったな どちら買っても使った期間は3年だったろう。
PC-100は伝説になったが。 >>232
ジサカー的には結構長寿命だったな。440BXチップセットのせいで。
PC133対応チップセットが最大512MBしか使えない半端仕様でそれ以上はRIMM使えとか色々変な時期だった。 >>233
ただのバラ売りじゃねーか
嫌いだわこういうの ゲームソフトが出なかったのが痛かった。
まあ、NECがやる気なかったのが根本問題だったが。 >>236
こんなニッチ機種のキーボードが
50000で売れるとか謎すぎる
買ってどうすんだよ、教えてくれ KYOCERA製だからな。8801mk2もpc-100も >>236
ケーブル着脱式?
左側はマウス用だっけ? PC-100の発売が1983年10月だったんだよな。
もうかれこれ40年になるか。 >>245
誰も祝ってくれんが日本のPC史に与えた衝撃はデカい
PC8001からPC100まで僅か4年で物凄い進歩だよ
去年CDの10月生誕40年もマスコミ完全無視で唖然とした
更に酷いのはステレオサウンドまで無視した終わりだなと
ファミコンも今年の7月で40年だが開発責任者の上村さんは
あまり知られてないが昨年の12月に亡くなられてる WindowsXPからでも20年だからなあ
この20年のPCの進歩は緩慢に感じる スマホは進歩してるが セールスとして失敗作だが当時あれ世に出せた事に驚く
会社も出せるだけの経営体力と上の理解があってこそだが
ネット通信用ソフトまで添付されてたんだから畏れ入る(大分後に知ったが)
PC100同志の通信を想定してると思うが
話それるがマランツが2006年にフラグシップのSACDを出した70万
開発者「この機種からオーバーサンプリングを一気に8倍に出来ます」と
それまで一旦4倍でそこから8倍に処理してたとか・・・・
そう考えると1秒間に28億の処理が必要なCDは
様々なカラクリの上に成立してたという事だね
先人の技術者は努力家だと痛感させられる 長渕の名曲「西新宿の親父の唄」でいう
日本の物作りの現場もクラゲになっちまった 当時の日本の状況から考えて普通ならありえないマシン。
西和彦の営業力のおかげで世に出たマシンだった。 いや当時の日本の状況なら出てもおかしくない
西和彦の営業力は認める
今の日本の状況でこのようなPCは出ないだろうが 実験的な攻めた製品ってとんと見なくなったよな
NECは当時も大企業だと思うんだがな
大企業も老成しちゃったというか むしろ大企業製PC自体
退化した末にオワコン化したという アメリカの技術を使ったらアメリカと差別化できないだろうと思わなかったのかね。
縦書きOSでもいいし日本語プログラミング言語でもいいし、日本でしか出来ない技術を
出し続けるべきだった。 82年から開始された第五世代コンピュータプロジェクトがあったけどね。LIPS、Prologといった論理記述志向なプログラミング言語をメインに据えて、特定分野の専門家並みの知的解決能力を備えた人工知能エキスパートシステムを構築を目標にしていた。投入された公費予算は540億とか1000億とか。続かずで失敗。 PC-100は、ジャンパスイッチだったかの切り替えで、720KBのFDDが使えた。
標準が360KBだった理由はPC88との互換性確保だった。
でも、容量不足のせいで出せなかったソフトもあったんだよな。残念。 2DDを搭載しなかったのは、98の優位性を脅かさないように、
NECの政治的判断じゃなかったか? >>256
形は似てるけど・・・88との互換性あったの? PC88とフロッピーディスクに入ったデータのやりとりが可能という意味で
とは言いつつOSも違うんだがな >>256
ダイナウェアのダイナピックスも。
メーカーに聞いたら、
「FDDの容量不足でこれ以上の機能追加が不可能」
だと言われた。 >>260
PC-100も標準でハードディスク積めていればまた違った?せめて2HDのドライブが使えれば…。 時期的に可能なのは5インチ2DDまでかな
普通に98互換な8インチコネクタを付けとけば良かったのに
サードパーティにはあったはず まあ、PC-100が続いていればFDDの容量も増えていっただろうけど
一代のみで消えてしまったのがすべて悪いんよ 進化の早い時代だったからなあ
ポテンシャルがあっても一代では如何とも 人生に役に立つものがあるだなんて、まだまだ分かってないな。他人にそこをツケ込まれてるだけだぞ、ほとんどは。 ディスプレイのサイズが720×512だったがビデオメモリは1024×1024分あったんだよね。
それで、画像の作業データをビデオメモリ上に置くソフトがあった。
メインメモリは不足していたが、ビデオメモリには余裕があったんだよ。 まあ、NECに見捨てられなかったら、PC-100も80386とHDDを積んでメモリフル実装でWindowsが動くバージョンが
出てただろうねえ。 ビジュアルシェルだっけ?GUIもどきのシェルソフトが添付されてたけど、糞だった記憶が。
ダイナウェアに作らせれば良かったのに。 殿様なNECがそんな気の効いたことしてくれただろうか 画面を縦長にも横長にも出来た。
横長画面は、従来のソフトとの互換性を考慮して設けられたものだと思うが、
従来のソフトがこのマシンで動いたか?ほとんど無いだろ。
ほとんどがこのマシン専用のソフトばかりだった。
だから、横長画面なんてものにコストを掛けず、縦長画面に最適化した
つくりでよかったんだよ。
それだけが心残りだった。