日立ベーシックマスターシリーズ レベル11
今は亡き日立ベーシックマスターシリーズ の11スレ目です
前スレ
日立ベーシックマスターシリーズ レベル3 Mark6
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/i4004/1345048044/ Z80の本はたくさんあったよね
それに参考になるお手本もたくさんあったし
いちおうベーシックマスターレベル3にも Hu-ENGINEって Z80ボードがありました
64kBフル実装で贅沢な仕様でした 日↑立のお店↑を覗上いてみません↓か〜♪
……ってテレビCMはもっと後かな? 何気にZ80は、I/Oで64Kアクセス出来るのが大きかったと思う
もちろんクソ重いが単純バンク切り替えとか使い方が面倒な
メモリマッピング機能を使わなくて済むのは楽 結局国産PCは完全な敗者なんだよ
98ですら結局死滅したし DOS/Vが革命もたらしたからね
PC98はゲーム市場とパッケージソフトで縛りあったから
Wlndowsゲームや98から安いDOS/V機へのリプレースで98は淘汰されていった まあ9821が負けてくれたおかげで、シロウトでも
パソコンが安く買えるようになったんだから、いいじゃねーか。 造りは国産パソコンの方が良かったけどね
DOS/Vブーム初期の頃は拡張カードがケースのスロットと干渉して上手く入らなかったり
鉄板むき出しで下手するとすぐ怪我をするとか 安ければいいわけでもないしな
当時は買うのも大変だったが少ない情報でそれなりに使い込んでやりがいはあったな パソコンが面白かったのは、ファミコンがでるまでの
ホンの数年だけだったのかもしれないねぇ。 このスレで、レベル3やMB-S1以外でフロッピーディスクを使っていた強者はいますか? >>483
日立のマシン限定なのか
他社の8bitも含むのかで回答が変わるけど
他社なら
MZ-80k/c
FM-8,7
PC-8001から以降
FDは使っていた >>482
そんなんやからいつまで経ってもプログラムの一つも書けんのやで ノスタルジー込みってことで
あの当時は何にもできないのに夢だけはあったなぁ
8bit時代のフロッピーは夢だけで終わってしまった >プログラムの一つも書けん
うぐっ
Excelマクロも立派なプログラムだぞ(必死 6809→Z80→6502→68000→8086→SH2→MIPS→ARM7のアセンブラは書いたことあるけど、
愛着ある6809よりZ80のニモニックの方がとっつきやすいと思った。 >>483
あ〜、すみません。
ベーシックマスターのJrの話です。
Wikiを読む限りでは、JrにLevel II Mark5の頃に登場した、3インチ(コンパクト)フロッピーが接続可能とありましたので。
そうなると、JrにDisk BASICがあれば物凄い価値がありそうだなぁと思ったりします。 >>483
デジタルカセット装置のカタログを指をくわえて眺めるだけだった
BM L1/L2用にも5インチFDDあったっけかな
FLEX動かすのであったかもだな
自分はPC-8801からだなFDD繋げたのは
外付け2台構成で中古のを3万位で買った覚えがある
8801(無印)も1万5千円の中古
CRTも中古
全部中古w
新品はBM L1、PC98、McIntoshだな
>>490
Jrでカラー化され、グラフィックも低解像度ながら装備してたんだよね。羨ましいかったな
L1/L2は擬似グラフィックとして、キャラクタを4分割したものしか扱えなかったから(うろ覚え) カラーアダプタとrfモジュレターを内蔵して値段変わらなければp6と互角の勝負できたかも basicやmonitorのromをネットには放流してくれる人はいないかな NEW ON 7 [RETURN] だったような。 ベーシックマスター L1/L2は、復改
ベーシックマスター Jrは、RETURN
ベーシックマスター レベル3は、RETURN 復改って、機械式コンソール(タイパー)の名残りだよね
復帰・改行(CR,LF)
ミニコンの名機HITAC10のタイパーもCR、LFとKEYが分かれていた
だからこそ、CRだけやって、同じ行で文字を重ねて原始的なアスキーアートを作った作品が沢山あった。
一番の力作は「モナリザの微笑み」
作者は誰だったんだろう 復改/まっ消/英数/英記号/カナ/カナ記号
これって旧JISキーボードそのものじゃないか。 うちは、TK-80BSとTK-80だった
木製の机を改造して、TK-80BSが組み込まれてたw >>511
写真残っていない?
画像を見てみたいわ。 >>512
当時はフィルムカメラの時代だし
撮影する程のこともなかったから
当時はTK-80BSなんて珍しくなく現役PCだしね
自分はベーシックマスターL1使ってたけど
今はスマホでお手軽にいつでも撮影できるから良い時代になったね
もし撮影したとしても、写真をPCに取り込むなんて夢の世界。発想すら無かった時代
というか、PCで撮影画像表示なんて誰も考えてなかったから
粗い解像度で画像表示なんて夢のまた夢 当時はカラーの写真表示するためだけのグラフィック端末あったからなぁ
べらぼうな値段でした https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q285291346
ヤフオクで日立のMB-S1/40が出品されているけど、
なんでカテゴリーが、
コンピュータ>サプライ>記録用メモリ>SDメモリーカード、MMC>SDHCメモリーカード>32GB
という変なところになっているんだ? 写真が全て、の文面通り
写真入りSDメモリが送られてくるんじゃね? 「裸同士で激しく抱き合う」写真と称して送られてきたのは力士の取り組み写真って、ネタは本当の話
ノーカット、女性のあの部分満載と謳った如何にも怪しげなiOS Appが103円で売られてたのは本当の話
(英語版wikiへのリンクを表示の中華製) 今どきはユーチューバーとかがワザと詐欺に引っかかってくれるから、
詐欺としてもやりたい放題なんだろうな。 まあ、髪の長い巨乳たちがTバックandトップレスでNHKに
なんてのは、昔からの定番中の定番だったもんねぇ。 ネタと分かってて金振り込んだら本当に力士の写真だったが、名勝負の取り組みだったので、結果儲かったという話も聞いた
良心的な詐欺グループもいたもんだ 初代ベーシックマスターは日本初の完成品パーソナルコンピューターとして一定の価値はあるがレベル3はゴミだね。
マルチ8やFPと同等ののクソPC。
そんなもんをアップルIIを下取りにして買ってしまった俺… 当時は和製アップルと言われていたもんな
メモリーもっと積もうとしていたけど 社内価格にしてもらえず
ベーシックはM$に騙されて 6800用のを掴まされてしまった
半年辛抱していたら FM-8買えたという悲劇 ただ、自分でシステム解析して
機械語書けるレベルだと面白いマシンだったらしい 機械語できないと使いこなせないなんて
ベーシックマスターなのに… それ故に標準となりそうだったマイクロソフトベーシックを搭載しようとして
ゲイツに騙された 大きく性能で上回るFM8が登場してショックだったが、それ以上に10万円も値下げしやがった日立には殺意がわいたねw
それだけ値下げしても性能差がひっくり返るわけでもなく、まるで売れなかったのは言うまでもないが。 FM-8は安かった。そしてRAMがたっぷり
そもそも自社の新製品である大容量DRAMを使って、何か作ろうというコンセプトで作られてるしね
日立は伝統的(?)にRAMをケチるよな。自社生産してただろうに、安価で供給してくれなかったのかな >>540
FM-8買ったら1年も経たないうちにFM-7がでて悲しかったぜ 今であれば、FM-8のバブルメモリというのがミニコンみたいで味があると思うが、昔はHDD的な電源切っても記憶できるストレージなわけだけど、価格がね
容量も8KBや16KBじゃなかったっけ?
BM3は、ステップスカルプチャーキーボードが自慢だったけど、ユーザーの反応はどーなの?
FM-8は配色が地味過ぎる
反省してかFM-7でよくなったけど
OKIのIF-800みたいに思い切った真っ赤くらいのインパクトないとね そうか。
X1の前にif800があったか。
燃える男の赤いマイコンw >>541
> 自社生産してただろうに、安価で供給してくれなかったのかな
工場毎に別会社みたいなものだったからなぁ >>541
S1の時代になってもそうだったものな。
増設メモリがないと市販ソフトが動かないなんて・・・ >>543
バブルホルダー
当初は32KB、後に128KBが出た。
外部記憶をカセットテープに頼る時代に
当時のメモリエリアの半分(あるいは4倍)の記録媒体は
十分使い道があったと思う。 >>547
アクセス速度はどうなの?
ランダムアクセスに対応してたり? >>546
日立は同じことをMSX2でもやらかすのです
H3はVRAMをケチって悲惨な事に…
まあ、これはちゃんとした規格だし、他のメーカーもやらかしてたけど
RAMが少ない方に寄せてるのが日立っぽいというかw 真面目にサイクルスチールやってるいいマシンなのにな
FMや8801では不可能な作品も多かった >>548
シーケンシャル・ランダム両方OK
低レベルな読み書き命令(BUBR/BUBW)も用意されていた。
さすがにRAMの読み書きに比べれば遅いけど
電源を切っても消えない不揮発性メモリとして十分実用的だった。
アーケードゲームのEPROMの代用として使われたのは周知の事実。
(コナミ「グラディウス」とか) fanucの制御装置にもバブルメモリは採用されていた
他の工作機器会社でも採用例があったようだ
可動部がないので環境の厳しい工作機械には良かったのかも 電源を切っても消えない不揮発性メモリとコナミってったら
ハイパーオリンピックぐらいしか思いつかん。 組み込みPCは非スピンドルが原則だよね
バブルメモリはEP-ROMよりは便利だったけど、
大容量EEPROMが安くなってきたらあっさり消えたな >>541
富士通は全社一体になってプロジェクト進められる良いところがあった
当時原価割れで FM-8用に DRAM供給していたそうな
後に TOWNSも社内プロジェクト組んでまで立ち上げた 独自アーキテクチャで長生きしたマシンでした
日立は教育用とか販路がもうあったので どうしてもテキトーな造りに制約されてしまっていた
縦割りでメインフレーム部門がパソコンなんてオモチャに投資できるかアホって役員会でのたまわったといううわさも
ギリギリまでパソコンを蔑んでいた社内風土もあったそうな 馬鹿じゃねーのって感じ マイクロコンピューター自作するときはちょっと高いけど SRAMで組む機会が多かった
その方が楽だし そんなにデカいプログラムは入れなかった >>555
日立のメインフレーム部門は2050/2020とかのワークステーションを持っててB16とかのパソコンとは別路線だったからねぇ
そもそもそのワークステーションすらメインフレームのおまけみたいな感じだったし
それぐらいメインフレームは儲かってた
あの時代にパソコンの台頭を予測できる奴はそんなにいなかったよ 2020系列はx86、2050系列は68000の不文律(笑) >>555
しかし俺のFM-7は日立のDRAMだったという... 68000、高級品
個人所有できる環境には小躍りした人いたんじゃないかな >>559
なるほど
一体何やってたんだろうね>日立
日立でも横浜テレビ事業部のベーシックマスターの親分はマイクロコンピューターの将来を見据えていたみたい
だけど身動き取れなかったんだろうね NECはわりと最初から本気出し始めていて 富士通は FMを皮切りに
このジャンルで橋頭堡取っておかないと未来がないって危機感があったような 今でもこの2社は頑張っているね >>560
X68000が出たときはかなり話題になったね あれもシャープの親分と日立の半導体部門の人に
つながりがあってあの値段で出せたそうな じきに i386が出て 68系の凋落が始まったけど
日立は S1用に 68008ボード出したけど こっそり、って感じだったもんなぁ
あれも社内でゴタゴタあったのかもね 最初から S1を68008付きで出せばいい線いったかもね
死んだ子の年を数えるようなものだけど たぶんmk5の頃はもうMSXが見えてて、独自アーキをあきらめてたのかも
最後までつき合ってくれたS1ユーザへのサービスに、
68008ボードを格安提供というのは有りだよな
シャープは特定の系列店に在庫を投げてたみたいだけど、
日立はそういうの無かったのかな 宣伝通りソフトがたくさん出れば問題なかったんだけどね PC-9801は N5200ってオフコンを少しだけスペックダウンして個人用に売り始めて
部長があちこちのソフトハウス回ってソフト作って下さいと頭を下げて回ったという逸話がある
あれだけ本気出されちゃ日立なんて足下にも及ばなかった・・・・・・ただ系列会社や教育販路には
強かったらしいけどね
ベーシックマスターUの頃は家電店にテレビ修理を教えるための教育施設を使って、親子でパソコン教室とか
クラブ会報なんかも配っていたんだけど その流れは続かなかったのが残念 横浜もできる限り精一杯の
ことはしていた N5200とPC-9801とじゃ
使い方とかマシンに対する考え方とか
根本的に全然別ものじゃない
スペックダウンとかじゃなくて全くの別系統だと思うが 日立がだしたMSX1のH-1は酷かったな
キーボードなんて長時間打てる代物じゃない
打鍵が硬く、グミを噛んでる感じ
カーソルキーなんて、正方形をクロスした4分割の変則キー(ファミコンの十字キー意識か)
電源部とセパレート構造なのはBMの名残りかw
持ち運びには合体させて、キャリングハンドルでぶら下げて持ち歩けたが、なんだかなって感じ
それでもベーシックマスターL2よりも遥かに強力なBASIC だったが、もうプログラミング熱なくなっちゃった
BM L1/L2のキーボードは意外と打ちやすかったな >>565
確かに日立のPCは、所謂「日立のお店」でしか見たこと無かったな。
パソコンが出始め、ちょっと広い電気屋や無線屋(死語だな)でパソコン展示場みたいなのが流行った頃。
不思議と日立のPCは置いてなかった。NEC、シャープ、富士通のは必ずあったのに。
ベーシックマスターは高いから敬遠されていたのか、既に店に見限られてたのか、
それとも他のメーカーは直営店以外にも無償貸し出しを行ってたのか…
ちなみにカシオのPCは文具店でした見たこと無かったです。 >>568
Level 1/2の頃は家電屋にそこそこ置いてあったけどLevel 3は見たことないな
まあ本体が最初30万近くしたしひらがなが表示のために専用長残光ディスプレイが必要とかスクロールが極端に遅い(ただしローレゾモードだと他機種と変わらない程度)とか野心作だけどちょっとこなれてなかったから
そこら辺の課題はS1でほぼ解決したけど時すでに遅しだったな
S1じゃなくてB16000を推してたらワンちゃんあったかも >>566
表向きはそういう解説になっているけど
両者のハードウェア構成を比べてごらん 内緒のインタビューではそれを認めているのもありました
他所が 8088で濁していたのを一気に潰しにかかった
Fで覇権を取って Vmでその地位を確固たるものに
ベーシックマスター16000は日立謹製の CAD専用マシンとして生き残ったです
異様にグラフィック早かったからなぁ もし IBM互換機の波がバカ早く来ていたらもっと売れたかも いちおうレベル3にも16ビットカードと称して 8088カードってのがありました
なんか動いていたのは見たけどあれは MS-DOSだったらしい