北大路魯山人の考えた料理
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しかし、家族に看取られない死に方も可哀想と言えば・・・ そんな人は一杯いるさ。離婚した女房と女房に持っていかれた子が死に目に
やってくると思うか? 山城新伍って知っているかい?典型的な来なかった例だね。 親父が死んだ時に前妻と娘が線香を上げに来た
30年前に離婚して一切付き合いが無かったのに
母親違いの姉に初めて有ったよ 自分もそう思う
リアルタイムで知らないので文章で読んでいるだけだけど 過大評価でもない。むしろ、ピカソの絵より作品は良いし、
過小評価されてる。 美味しんぼで雄山とかいうのが誰でも知っている魯山人のパクリをやっている。
美味しんぼ世界はパラレウワールドかなんかで魯山人は存在しなかったのか。 チョン系だから朝鮮マンセーな原作者が持ち上げる訳か この人の本を読んでいると「自称グルメ」ってくだらないなあと思うわ 俺も家で時々鴨ローストをやるけど、さすがに血のソースは家では出来ないが、やはり
野性的な鴨には赤ワインとフォンドキャナールのコクとスパイスを効かせたソースが一番
合うな、さすがに洗練されてなおかつ野性味のあるフランスの精華的な一皿だけあって
良いワインとの相性も抜群だw
わさび醤油だと弱いし、鴨に負けるな、ワインにも合わないし。
あ、この爺さんは、お金無くて良いワイン頼めなかったんだっけ?(^^;) >>285
ヌーベルキュイジーヌが懐石の影響を受けたってのは聞いてるが、別に魯山人
って訳じゃないんじゃないの?w >>285
辻調の初代社長、辻静雄氏が、フランスから招いたボキューズやトロワグロ兄弟を
京都の有名割烹の千花(ミシュラン三ツ星)に連れて行ったのが始まりでしょ、その
影響が、ヌーベルキュイジーヌやメニュデギュスタシオン(小皿料理)に発展したと
いうことだな。 >>395
1970年代だから、魯山人はもうとっくに死んでいないわな (^^;) フランス料理がオードブルから始まるコース料理になったのはロシア料理からの輸入。
ロシアの宮廷はフランス文化リスペクトだったから交流があった。
今のフランス料理の盛り付けというか、魚の扱い方とかポーションは、ヌーベルクイジーン
以降だな。これは>>396が言うとおり、辻静雄がポキューズやらトロワグロを招いて吉兆や千花に
招いたから。>>396は千花って書いてるけども、辻静雄は先ず日本料理の師匠
湯木貞一の高麗橋吉兆に連れていったからな。フランスから来る料理人は「吉兆」に連れていかれれば
最高の接待と考えていたみたいですな。 魯山人の美食倶楽部やら初期星岡茶寮は中華料理の影響が濃かったらしい。
山人はふぐにわらびを日本最高の美食(味なき味ね)として好きだったんだけども、
実は自分の文章で馬鹿にしているマグロや、血のしたたるステーキや、天ぷらが晩年まで
好きだったというツンデレw
初期星岡には当時の魯山人が考えた「日本料理に油を加える」という思想に基づいた料理
の「魚の琥珀揚げ」(星岡通しての名物料理)や、豚の角煮はもちろん、
初期は中国の紹興酒に漬け込んだ蟹の素揚げもあったんだよな。
彼の料理を魯山人後の日本料理の巨人、吉兆創業者の湯木貞一は「京料理と金沢料理の折衷+少し中華料理」
と喝破している。湯木は自分の料理を「京料理+大阪神戸風の新鮮な魚介を使った町方会席料理」と表現ているけども。
湯木は魯山人の星岡に煮方で入る予定が狂って入れなかったんだけども、食べに行った事はあるし、
板前割烹+戦前吉兆時代に魯山人は気にいって結構行ってたらしいな。
湯木は魯山人を「日本料理に咲いた一輪の大輪」と評しているよ。とにかく形に拘った「料理屋の料理」を
嫌った、と。 >>394
血のソースは料理の鉄人で坂井シェフが
あんなもの臭くてマズいマズい!
とか言ってたぞw >>388
魯山人は過小評価
膨大な数の作品とエピソードがありすぎて
様々な業績が知られていない
一般的に有名なのは
陶芸家としての魯山人
星ヶ丘茶寮(日本一有名な料亭)の経営者としての魯山人だけでは 魯山人は款印の作者としても日本一だし
魯山人は人を育てる天才
魯山人の弟子は出世した人が多く
人間国宝や天皇陛下の料理人になっている つーか魯山人が半島系って書かれててワロタわ
在日1世が日本に入国したのは1940〜1950年前後
魯山人が生まれたのは1883年
いわゆる在日朝鮮人と関係があるわけないわ >>306
この魯山人の言葉いいね
ミシュランの影響で日本料理は世界最高ということが
一般人にも知れわたったね
5年前までは「フランス料理は日本料理」より上と
本気で信じてる日本人が多かった
日本料理から影響を受けて1970年代以降は
フランス料理もマシになったけど
魯山人が生きてた頃のフランス料理はほんとに不味かったらしい >>404
お前日本史苦手だったろ
弥生時代とか知らない口かよ(呆れ) 義務教育レベルの日本史知らないってどこの国で育ったの? 武士の献立の料理の監修は大友楼の主人みたいでかなり本格的みたいですね。 >>411
なんだ間違いを指摘されると煽られたとか逆ギレしちゃうタイプか 白洲正子に著書で
魯山人は才能あるのに性格が悪すぎた
的なことを書かれていた >>414
>>404の主張の論理誤謬。
>つーか魯山人が半島系って書かれててワロタわ
ってやつのこと。
>在日1世が日本に入国したのは1940〜1950年前後
>魯山人が生まれたのは1883年
だからといってそれ以前に半島系の人が日本に入って来てないことならない。古来より朝鮮半島から沢山の人が日本には入って来ている。
>いわゆる在日朝鮮人と関係があるわけないわ
ルーツ的に極めて近い関係がある可能性を否定できない。 >>414
>神経抜き野郎
抜けてんのはお前の脳神経じゃないのか? いちいち説明しなくていいって
そこに笑ってんだから >>419
反論できないならぐずぐず言うなよwバカ丸出し 過ちては改むるに憚ることなかれって言葉すら知らないんだろうな しっとるけ?知らん知らん
さすが神経抜き
どいつもこいつも同じ反応やの
で、その2ちゃん名物在日認定の結論はどこに持っていくんや?答えはあるんけ >>416
読んでわからないか?無知なうえに頭悪いんだな。
>>404の主張は
>在日1世が日本に入国したのは1940〜1950年前後
>魯山人が生まれたのは1883年
ゆえに魯山人が半島系ではあり得ない。
従って
>いわゆる在日朝鮮人と関係があるわけないわ
という論理。
ところが
1940〜1950年前後 以前に半島系の人が日本に入って来てないことにはならないのは、古来より朝鮮半島から沢山の人が日本には入って来ている事実に明らかであり、
先の論拠からは魯山人が半島系ではあり得ないという結論は導き出せない。
また半島系の血筋である可能性が否定できないならばルーツ的に極めて近い関係がある可能性を否定できないのだから
>いわゆる在日朝鮮人と関係があるわけないわ
という主張も成立しない。
そんだけのこと。 さすが教養のある人は違うな
すんばらしいよ
よくそんなレス読んでるな
あんた天才!
毎日2ちゃんで臭い息吐くのもその教養のせいなんやな
頭のいい人のやることは俺アホやから理解できん でもまあ、渡来系どうこうじゃなくて在日云々いうから国籍の話なんちゃうか
んなことはどうでもいいけどな 知識も教養もある一流料亭で修行した神経抜きの達人さんが
アホとキチガイとクズの掃き溜めの2ちゃんねるでおっしゃることには
重みがありますわ
さぞや子供の頃は神童と呼ばれ末は学者か大臣かと期待されたことでしょう
後光が眩しくてあたしには正視できないです
ありがたいお言葉をいただいたので精進いたしますですはい
師走で神経抜きもお忙しいでしょうからお体大切に 拙い駄文にせよあなたが必死だということは伝わりました
師走の夜風は身に凍みるでしょうが、一概にあなたの低能があなたの不幸を招いているとは限りません。周りがたまたまあなたより優れていただけだ、と考えてはいかがでしょうか。
足りないものを求めても、必ず得られるというわけではございませんが、拗ねたり妬いたりせずご自分の身の丈に合った生き方に甘んじるという策もあなたの場合にはお悩みの解決の一助となるように思います。
頑張って明日をお迎えくださいね。 魯山人は時代に持て囃されただけで過大評価の人
もちろん無能ではないにせよ自分や取り巻きが思っていたほどの傑物ではなく、俗物に毛が少し多目に生えた程度の人物
偏った性格のお陰で嫌われたりもしたが極端な性格ゆえに逆にウマの合う有力なパトロンがついたお陰で地位を得た >>431
おまえさんは魯山人の焼き物見たこと無いのか? >>432
実家に幾つかあったし
そう謳ってるみせには何度も行ってる(F家) >>432
いや魯山人も悪くないんじゃない?否定してないよ
ただ過大評価の気味があるという事実の指摘であって、
中々いいのもあると思うよ
まあ荒らすつもり無いから消えるわw >>423
お前、基本的なことわかってないだろw
「在日朝鮮人」として嫌われてるのは
1940年代前後に入国した朝鮮人(在日1世)とその子孫であって
「古来に来日した朝鮮人」と「在日朝鮮人」は分けて考えるのが普通なんだよ >>431
>>434
これこそ昔、流行した「魯山人否定派」の典型的な意見だなw
魯山人に周囲を見るとわかるが
目利きや実力者→魯山人肯定派
目が利かず時代に流された人たち→魯山人否定派 魯山人の場合、多才すぎるね
料理に関する業績として
・星が丘茶寮の経営 (日本一有名な料亭の経営)
・お弟子さんが昭和天皇の料理人
この二つだけでも日本を代表する料理人だからね >>436
正直、魯山人のどの作品が数多ある芸術品の中で群を抜いて素晴らしいと思うか
根拠を添えて教えてくれ 単なる好き嫌いのレベルの話なら要らないよ
分かってると思うけど芸術批評ってのはそんなものじゃないから
じゃ、よろしくね ああ、芸術批評ってのは根拠なしにいい逃げすることなのね
そりゃすごいわー すごいすごいというだけじゃなく、どう価値があるのかを根拠付けて論じないと批評にはならないよね 一回だけ茶事で織部の銘々皿を出してもらったけど
十右衛門とは違う魅力にあふれてたなあ
ネットで画像を見る限りだと茶碗類なんかは何故かそこまでの魅力を感じないが >>435
?
>「在日朝鮮人」として嫌われてるのは
>1940年代前後に入国した朝鮮人(在日1世)とその子孫であって
>
>「古来に来日した朝鮮人」と「在日朝鮮人」は分けて考えるのが普通なんだよ
お前バカだろ
半島系ってのが1940年前後からの在日朝鮮人とその子孫に限るわけじゃないだろ何言ってんだ? >>445
普通は、半島系っていうのは1940年前後からの在日朝鮮人とその子孫に限るよ
「あの人は朝鮮系だ」といった場合、一般的には
1940年前後からの在日朝鮮人とその子孫のことを指している ま、魯山人は踏み絵みたいなもんだな
センスのある人は、魯山人をほめる
センスのない人は、魯山人をけなす
魯山人をけなすと通ぶれるからなw 実際、有名な陶芸家や芸術家は
たいてい魯山人のことを高く評価している
しかし魯山人には「敵」が多かったのは確かで
敵にまわった人達が「魯山人は過大評価」という「流行」を作っていった
という現実がある
この流行に騙されているかどうかで
目利きかどうかわかる 厨二病の変なのが涌いてるな…
古来より()とか阿呆か 魯山人さんもお風呂から上がって十何秒かの決まったタイミングで
冷たいビールがさっと出てこないと雷を落とす人だった、
タイミングを間違えて辞めさせられたお手伝いの人を何人も見ている。
これは在日でしょ たぶん中国系 鴨をわさびで食べるのは魯山人が滞在した石川県加賀市では普通のことです センスのある人は、魯山人をほめる
センスのない人は、魯山人をけなす
これねー半分当たってるんだけど半分間違いなんだよね 魯山人を評価する評論家は
業績と人格を合わせて美化したがる
人格は良くないのを認めなさい 仕事と人格は別物でせう
死んでから何十年?
いまだに性格が悪いと言われるというのもある意味凄いねぇ 魯山人はヘビが嫌いだった
敷地にヘビが出ると人に命じて排除していた
サンショウウオもウシガエルも食べているのに
ヘビは食べていない 魯山人なら「我が庭にはしばしば蛇が出る。蛇ほど獲りたてに強くものはない。
獲ってから30分以内に下処理を済ます。都会では味わおうにも味わえない雅味
がある。」とか書きそうなもんだが。蛇飯の話は書いてたっけか。 魯山人の納豆を再現するはずが勢い余って1万回納豆を混ぜてしまった結果 - Togetterまとめ
http://m.togetter.com/li/780641 魯山人の料理王國だね、おいらの愛読書だよ
美味しんぼで・・・むむむ何年前だ30年とは言わないが
白菜のスープ煮をキャベツのスープ煮ソイソースアレンジとかで紹介されてた
蛇といえば昨夜のいってQでイモトが食わされていたが旨いらしいよ
確か中華では蛇と猫で竜虎鍋という高級料理がある。
おいらは嫌だけど 自然素材の質にこだわったから
フォワグラよりアンキモなのか 窯出しなど人が集まるとき、魯山人の吸い物はなにか一味違っていた。
「どうしてもこの味は出せない」
などと客に評判なのだが、その種明かしはこうだ。
唐草の風呂敷に包まれた空の一升瓶を、その日の朝、西山は渡される。
自転車で小袋坂を登り、鶴岡八幡宮の横を通り、
由比が浜と材木座を分ける滑川の脇にでた。
下帯姿になり、風呂敷を担ぎ、沖へ泳ぎ出す。
十五分も泳ぐと、海水は冷たくなる。
右手には稲村が崎に遮られていた江の島がみえてくる。
ここで瓶の蓋を抜き、海水を満タンに入れ、風呂敷に包み直し、
滑川の河口に向かって引き返す。
山崎に戻ると魯山人は、満面の笑顔で迎えてくれる。
この海水を吸い物の隠し味に使っていたのだ。
「江の島がみえるところまで出ると海水は澄んでいるから」
と魯山人から頼まれていたのであった。
黒田草臣 『器 魯山人おじさんに学んだこと』 海水なら荒塩でといいたいところだけど
塩にすると塩カルが抜けるから甘味が少なくなるかな
流石は魯山人先生ですね
15分およいで温くてきちゃない河川水が届かない沖までゆくのも凄い 魯山人は大根を例にして食材における新鮮さの重要性を説いたが
大根はしばらく寝かして置いたほうが美味いという話もある うむ掘ったばかりの大根は勿体無くて皮なぞむける訳がないといってたな 小島政二郎って食の師匠の魯山人のごとく、
これは日本一うまい!なんて日本全国を食い歩いたこともねーくせしやがって
思いっきりぶっこいてばっかだったな。これは敵を作ったのも当然だな。
そのてんも魯山人を見習ってしまったらしい。 魯山人の弟子といえばカリーでそ
先日原発鼻血ブーの反論を新聞に書いていたが
鼻血が出たのは事実である、微細粉塵に含まれる放射性物質が鼻の粘膜に付着
そのために毛細血管が破れて鼻血ブー 確かに尤もらすい喃w
傲岸不遜我田引水天上天下唯我独尊
ひとりぼっちのリンの頃から読んでいるけどもう70半ば
言いたいこと言ってやりたいことやって死ぬのは漢の本望でせう いうまでもなく、まことの言動には、「馬鹿にされている」が多い。
おどろかされるのは、必死になって人をバカにしようとする行動である。
ご存知だと思うが、まことは50年以上、バカにされ生きている。 カリーがいなければ櫓山人を知ることはなかった
若い頃やってた櫓山人風スキヤキ・・・再現は到底無理
だってみな煮える前から貪るっちゃうもんw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています