項羽と劉邦 その16
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基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです
前スレ項羽と劉邦 その15
http://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1640852154/ 劉邦の子孫で一番優秀なのはやはり光武帝なのかねえ
文帝や宣帝や劉備も捨てがたいけどさ 成し遂げた事だけ見ても全土統一王朝を建てた人だしそうなるかな・・・
劉備や曹操なんかは五胡十六国南北朝あたりの1政権レベルでしかないし 劉備とかの時代までいくと子孫といっても数えきれないほどいるだろうし 劉邦の子孫かあ。ひたすら文帝、景帝のような人物が続けば、皇帝は失脚せず、国力は右肩上がりで民もwinwin。
でも、不思議なことに世界史はなかなかそう上手くはいかないものなんよなあ。 異民族
外戚
宦官 官僚
貴族 豪族
好きな組み合わせで王朝を崩壊させよう >>10
景帝は結構やらかしてる事も多くて
景帝みたいな皇帝が続いてたら帝国は衰退するんじゃないかなって気がする >>11
色んな手段で王朝を崩壊させる逆三國志みたいなゲームあったら楽しそう >>6
劉徹「(((o(。>ω<。)o))((o(´∀`)o))」 >>15
衛青と霍去病いなかったらただの暴君で終わってたなw 司馬遷って「若い頃に苦労をしたがその困難を乗り越えて名を上げた人物」をひいきしてるよな
范雎は白起を殺して身内に交代させたりして君側の奸みたいなことをしてるのに良い奴みたいな評価だし
衛青は世間の人気がなかったというが列伝だと兵士思いで慎み深い人物でなんで人気がないのかわからない
でも田叔列伝で褚先生が補足した部分で衛青が田仁に言ったことなどを見ると人を見る目がないなと思う 衛青が兵卒に人気ないのは意外だよな
大抵中国史じゃ深慮、清貧、厳格で褒賞をちゃんと分け与える将軍なんて好かれるし名将化するんだけどな
武帝の霍去病贔屓からの逆張りで司馬遷の衛青ageも無いあたり結構理解不能な次元よな
政治に無関心だからコイツに付いていっても出世しねーなって感じだったのかな周りは いや俺が言いたいのは衛青の性格悪いエピソードを司馬遷が意図的に載せてないんじゃないかということだ
史記の褚先生が書いた部分にはそれらしきエピソードが少し載っている
逆に、人気があったはずの霍去病の人気が出そうなエピソードは何も書かれてなく兵士を飢えさせて自分だけ贅沢したみたいな話を載せている
これはえこひいきだ おおじゃあまるで真逆だな
衛青の駄目エピわざと載せる動機が薄い気もするけど色んな考察あるわな そういえば孔子が筆誅出来なかったのって太公望と晏嬰位しかいなくて
太公望は無視して触れないようにして晏嬰はせいぜい皮肉を言う位しか出来なかったってある作家がいっていたな
安能務さんだったか宮城谷昌光さんだったか忘れたw 太公望を叩けば周王を否定し儒という物を否定し自分自身の否定になるからね
それは流石にできない
晏嬰と子産はむしろ褒めてるよな
弟子が悪く書いてるだけで孔子はその当時から認めてたんじゃないのかな 思想家としてではなく政治家として同じ立場に立った孔子なら晏嬰子産の凄さが嫌でもわかったはずだし 孔子は管仲の人格や行い批判しつつもその功績を評価してるし
気に入らない人間でも筆誅するなんてことはしないのでないだろうか >>15
司馬遷とか言う歴史同人作家に筆誅の機会を与えたのがアカン >>19
范雎ageはアヴェンジャー大好きな部分が出たんじゃね >>24
司馬遷は晏嬰さんはむしろ「晏嬰さんハンパないって!マジ車の運転手でも喜んでやるッス!」って絶賛してた気が 古代中国史って
焚書で原作が消えたせいで
同人誌しか残らなかった世界なんだな
我々は同人誌だけ読んで原作知った気になるオタクのようなもの >>32
孔子は晏嬰に就職邪魔されたから結構批判してる
お弟子さんは好意的に評価している人は多い
あと御者は当時は家宰の次辺りの腹心なんでその家だと重臣なんだよね 管仲晏嬰列伝でまさかの伝記省略したことから考えると衛青の悪い話も霍去病のいい話も当時はみんな知ってるだろうと思って省略して「実はこんな意外な話もあるんですよ」というものを載せたのかもとも思う 「無知」もわからないが「去病」って名前は何。
病魔退散を願ったのか 孔子は管仲と子産は恵人で鮑叔と子皮が賢者と言っているな
劉邦に韓信を推薦した夏侯嬰と脱走したのを引き留めた蕭何も当然賢者になる・・・かなあ?w 史記をおおっぴらに公開したのがいつか知らんけれども同時代の武帝、衛青、霍去病の記述には気を使ったのでは
誰かに司馬遷は嘘を書くインチキ史家だと記録を残されたら生涯を賭けた大業が台無しになる
それでもまあ人物の好き嫌いはアりそうだけどね >>37
これって「俺も推薦してくれねーかなぁ」っていう孔子自身の願いも込められてそうなんだよなw 史記はいわば個人的なブログを魚拓取られて勝手に広められちゃっただけでは? >>41
生原稿流出が一番近い
前も書いたけど今で言うところの編集や校正入ってないのでガバガバなのは仕方ないわ ただ行政文書は発掘されてるからそのうち古井戸からなんか資料が出てくるんじゃね >>38
孟嘗君とか何気に筆誅喰らっているw
薛について民度低いだの孟嘗君の事書いているとこでディスってるし
そして何より1県皆殺しとかどう考えても斉と趙との国家間の戦争になるような事やったとか書いてるし
余程薛で嫌な目にあったのかなと?宮城谷昌光さんも言っていたw 薛の虐殺は発端がしょうもない理由だからディスられて当然だけどね
食客というと聞こえ良いが体のいい愚連隊だし まああの虐殺エピソードは胡散臭いってのは事実だと思うわ
戦争でもないのに虐殺行為して趙から斉や孟嘗君への抗議も何もないってのは変だ >>34
それは特に魯と斉の関係もあって周公旦の魯には周の正当な礼が伝わりより周王室正統の国で文化度が高いっていう意識が孔子にあったからやと思う
ただ孔子はその魯でなかなか出世の道が開けなかったのと王の不明さに半ば諦めてしまい隣国で何よりも大国であった斉で立身出世を図ったのに晏嬰が容喙して上手く行かなかった
魯からの政治亡命を決意した時点で一度目の誇りを失い、仕える国を替えてでもと思った先で二度目の誇りを失った
この恨みって結構大きいんやと思う
孔子はここでの仕官失敗で政治家としてのキャリアは潰えたと感じその後多数の弟子を取り孔子学閥を形成しこれを政界に送り出すようになった
今現在ではこっちの方が評価される状況なんで孔子としては苦虫を?み潰しているやろうな >>33
なるほど納得した
でも兵書や農法は焚書されてないよね? 中国で散逸しても何故か日本で発見されたとかもある
宋書でもそう書いてあるし近年だと商鞅の友人で雑家の大家の尸子の書が金沢文庫に一部の欠落した部分以外は保存されていて
習近平の親父が来日した時に皇族がお土産として写本を譲ってやったみたいだ 中国の文化財を日本や英米仏辺りがガメてたり
日本の文化財を戦勝国がガメてるのはめっちゃあるだろうな
よくよく調べると定説ひっくり返るようなのもあるかもしれんな 五胡の動乱で知識層が日本に逃げ(渡来人)て持ち込んだ書物とか結構ありそう 遣唐使時代に坊さんとか商人が持ち込んだ書物とか多そう
何せ日本は文化後進国だったので経典や書物なら貴族や坊さんが何でも欲しがったろうから
逆に中国で無くなったのを日本で写本したのを商人が中国に持って帰ったりもしたのだろう
でなけりゃ宋書に日本に中国本土で遺失した本が大量にあるとかわざわざ書かないだろうからな 宋史日本国伝(外国七)読むと五代十国時代の戦乱に心底ウンザリして「戦は嫌でございます」モードなのが面白い >>51
日帝が奪った文化財だろ
詫び賃つけて原本返済しろや! >>57
アホかw
原本と言うならそれこそ竹簡か木簡だわw
日本に来たのは写本だからキンペーの父ちゃんに渡したのはそのまた写本だわw >>57
帝国軍にそんな文化的な発想があったらあんなアフォな戦争仕掛けていないわ スレタイはどういう意味なんだ
秦末楚漢じゃだめなのか スレタイはそのままじゃね?項羽と劉邦って言葉に秦末どころか戦国末期から呂氏討伐ぐらいは含まれてると解釈してるけどな
てかそこまで拘らなくても板自体の勢いや人数的に中国史雑談オッケーな雰囲気もあるし大丈夫なんじゃないの?
古代中国史詳しい人多いしそもそも好きな者の集まりだからよっぽど頓珍漢なレス連呼しない限りはみんな普通に反応してくれるよ
今までの流れだったらね 楚漢戦争のどさくさに紛れて匈奴が攻め込んでこなかったのはなぜだろう? 匈奴も強引な代替わり直後でまとまっていなかったため 蒙恬にボコられてたし
その周辺の部族ともやりあってたし
そんな暇無かったからでは?
冒頓単于が権力を掌握してからようやく周辺の部族平らげて外征出来る余裕が出来たみたいだし 北方異民族の諸部族をまとめること自体が偉業なんだよな
そこまとめるの成功すれば中華なんて毎回ボコられてるし 匈奴がフン(ヌ)で武帝に追い散らされて西に逃げてゴートと混ざってゲルマンを押しやってローマに侵入して西ローマを滅ぼしたなら、世界最強は漢だよな 周の礼は王莽が復興させただろ
誰もやりたがらなかっただけで。
現代でも律令制の儀式や決まりを日本中でやるとなったらネトウヨだって嫌がるだろう >>66
フンヌってフンなの?
ならフィンランドって匈奴国じゃんカッケー >>69
七国の王は名目だろうと復興の対象だったのに
周王は存在すらなかったレベルで無視されてるよな >>64
冒頓の親殺しもホントは親父がリーダーとして頼りないから周りが担ぎ上げた気もする
親父の頭曼は蒙恬にボコられて大牧草地のオルドス地方を秦に奪われてるし >>73
中山と宋と当時は滅亡したばかりの衛を忘れるな 北狄西戎東夷南蛮だっけか
異民族概念四天王で北狄だけズバ抜け過ぎだよな 西と南は早い段階で中華に取り込まれたし東は海の向こうで遠い
北しか残らなかった >>71
直近で秦に滅ぼされた国だけが復興したんだろ
と思ったが周もそうか 日本で天皇家がただの地方領主になるとか想像つかんな お飾りになって覇者の制御下に置かれる春秋状態まではいった
あとちょっとで戦国状態にもなれた気もする 夷狄がいないのも善し悪しだよな
はっきりいって中華みたいに駄目な王朝は潰される方が健全だよ
今の日本みたいに何故皇族に金が流れてるのか釈然としない社会よりよっぽどいい 日本国民統合の象徴としてほぼプライベートが無いひどい環境に耐えていただいているのに。 百歩譲って皇族はまあいいとしようよ
でもそこに宮内庁や皇宮警察とかくっそ無駄が含まれてるからなw
そういうの全部込み込みで要らねーだろとは思うかな 西暦ベースなのか和暦ベースなのか書類その他が実際はちぐはぐなままの元号も正直いらんと思う
元号以外だと皇室は空気だし、元号やるならあくまでそっちデフォにしろよ >>84
個人としては可哀想だよね
好き勝手生きれないだろうし >>82
誰だっけか
日本史でも東北で天皇名乗った武士いたよな >>81
天皇家は室町時代~戦国時代なんてフリマで食ってたんやぞ >>87
ドイツ人の後家と結婚しようとしてバッシングされた北白川宮能久親王とかな カッコいいのは紀信かな
そういや宮城谷さんは夏侯嬰の男気アピールは芝居だと言ってたな
劉邦庇い後の皇帝拾い季布を匿ったのはぜんぶ侠者アピールだと身も蓋もない考察してたw >>93
その手の「ええカッコしい」って後漢の士大夫の連中の方が露骨 >>88
関東の覇者平将門だろう。「新皇」だけどな。しかし将門の時代はまだ武士は居ない。
将門を討伐して武名を轟かせた平貞盛と藤原秀郷が武士の元祖と位置付けられる。
武士としての桓武平氏は貞盛に始まる。将門と貞盛は従兄弟で祖父は皇孫 高望王です。
ちなみに将門の反乱を朝廷に報告して出世したのが清和源氏の初代源経基こと皇孫 経基王です。 >>83
一応熊襲だの蝦夷だのいたけど弱かったしね
でもそんな蝦夷でも子孫で首相になった安倍晋三とかいる
安倍一族の流れを組む奥州藤原氏の分家の佐藤氏の子孫の佐藤栄作も首相やった
まー藤原秀郷の子孫でもあるけどさ 蝦夷熊襲は中華で言えば南方の蛮族みたいなもんかな
後代にはほぼ同化しきってる 演義の知識しかないやつはそれにふさわしい他のスレいけよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています