五胡十六国南北朝を語るスレ17
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ほい
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https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1638713412/
晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>66
同意だが
現代でも存在する锡伯族は鮮卑の末裔とされてたり
繁栄期過ぎて没落しても人知れず細々と続いてたりしてるような
両生類よりも先に陸上に上陸して恐竜よりも遥か昔の石炭紀(約3億5千万年前)に
大繁栄したが後に矮小化して細々と生きている昆虫やゴキブリみたいな >>67
慕容農は劣化自滅というよりも
親父慕容垂の下では猛将でそれ以外だと凡将の感がある
まるで慕容恪の下では良将で慕容恪死後は愚将の慕容評みたいな >>105
そのページは存在しませんになってたから今まで4回くらい消してたしまた消したかと思ったけど今は見れるな http://www5a.biglobe.ne.jp/~o-kyouko/zhongguoshi.htm
趣味の中国史
検索するとこんなの出てきた
うーむ >>94
>>95
乙
タダで読めるし思うままに拡大なり操作なり出来て意外な高クオリティ
しかしEDITORぽい画面とIT慣れしてないと苦戦しそうな操作に
スキルの無い高齢者だと二十五史みたいな写本で出してくれという意見も出そう >>51
慕容徳は張掖郡太守だから吐谷渾の居住地に結構近いけど
その頃の吐谷渾(辟奚〜視連辺り)は前秦を畏れて臣従したり
また吐谷渾内で混乱して治世まともに行えてないので
部族としてまともな軍事行動が取れない時期だったので
ほとんど接触なかったのでは >>109
慕容徳にとって辟奚ははとこの子になるなのか >>95
昔はぜんぶルビ振ってたんだ。
親切でいいね >>111
https://life-purasu.com/img/sazaekakeizu.png
サザエさんで例えると
慕容徳(タラちゃん)からみて辟奚の父葉延(イクラちゃん)とははとこの関係か
サザエさんで例えると余計頭が痛くなったw 慕容部と吐谷渾とそれぞれ繫栄して更に
慕容部から豆盧氏とかも出ていて
日本でいえば天皇家が繁栄して源氏や平氏が出て
それぞれ繫栄しているぐらいの盛況ぶり 現代でも慕容氏いるぞ
作家の慕容雪村とか・・・と思ったら
本名は郝群だった
他にちょっと前まで生きてた神経外科の権威医師の慕容慎行とか 流石に現代まで残ってなくていいだろ。次の統一王朝までとか 隋唐まで生き残っていれば成功の部類だな
その意味では慕容氏は成功だが
司馬氏も成功になってしまうという…
晋の前の王朝の曹氏や劉氏他は馬の骨ぐらい存在薄なので
五胡十六国時代以降の荒波超えられた家は勝ち組 宇文は契丹チンギスハンだからな。五胡十六国で一番遺伝子を残した 宇文は北匈奴の敗残兵から遼西に居ついて慕容と抗争
その後慕容や拓跋と仲良くなって名族の仲間入り
野生の契丹は突厥やウイグルの配下から遼建国して征服王朝の先駆け
チンギスハンのモンゴル帝国は云うまでもなく世界最強最大の遊牧民族帝国
何気に宇文が一番凄いかも そういや征服王朝は遼・金・元・清のみで
五胡や北朝や隋唐は浸透王朝と呼ばれているとか
実質同じだと思うけど 征服の意思とか年数とか基準なんだっけ
異民族侵入の歴史を長い間受けてきた国の言葉は違うなーって感心した覚えがある 北方異民族はこれ以上南下すると弱体化する緯度とかありそう ぶっちゃけ生活が安定すりゃそりゃ「ころしてでもうばいとる」って発想なくなるわな 「ころしてでもうばいとる」
殺人強盗は五胡の末裔かもしれない お前が食うにも困ったら「ころしてでもうばいとる」に
ならざるを得ねーだろうがって話を理解できていないようで…… >>129
とはいえ孔子が7日間飢えると飯確保よりも先に
弟子の子路捕まえて君子と小人について論じ合ったりするからなw
「ころしてでもうばいとる」というのは文明人の発想ではない
北方騎馬民族が中華の文明に触れると弱くなるのは
脳味噌が中華文明に毒されて野生を失うからだろう >>125
候補としては
1、長城を越えると弱くなる
2、黄河を越えると弱くなる
3、長江を越えると弱くなる
とかありそう
3は隋とか元とか清とかみるとほぼ全ての北方異民族に当てはまりそう 北方異民族が活発になるのは寒冷化したときなんて話を見たような覚えがあるし暑いのがダメなんじゃね 鋳鉄を発明してまで嗄仙洞やエルグネ・クンから出てきても、寒冷化で住めなくなって南下するしかないんだよ。生存のための活動。
しかし南下しすぎると、水の壁、空白の壁に阻まれる >>132
日本の戦国時代もそうだけど寒冷化する→生産力が低下する→「ころしてでもうばいとる」になるから…
逆に江南だと害虫や伝染病とかの危険はあるけど、温暖で生産力が高く生活にそこそこ余裕が出てくる。
(その代わり軍事力が低下)
東晋の皇帝の本紀読んでるとバラマキが目立つんで農業生産力や経済力は結構高いんじゃないかと
三国志展でも孫呉の発掘物だけガラス器や緑釉陶器とか発掘されてた >>123
征服王朝は、支配者(異民族)と被支配者(漢族)が明確に峻別されてたからね。
元の治世では、純粋な漢族はカーストの最下層に追いやられ、「蛮子」と呼ばれて蔑視されてたし、
清の治世では、満族に忠誠を誓えば漢族も優遇されたが、そもそも服従の証として辮髪胡服を強制され、民族のアイデンティティをぶっ壊されていた。
そこへいくと五胡や北朝・隋唐は、異民族ながら早くから漢族と同化する傾向があったし
隋唐に至っては、創業者自らが「オレは漢族だ」と言い放っている。
この時代で征服王朝的な性格があるのは、やや鮮卑民族主義に回帰した北周・北斉くらいか。
この時代の胡族がいずれも漢族王朝を模倣したのは、五胡十六国時代のスタートを切った匈奴の劉淵が
自らは遊牧民で歴代単于の末裔でありながら、建国にあたって父祖の宿敵であるはずの劉邦を祀り、
自らを漢の後継者と位置づけ、中華の天子たらんとした。
最初の胡の王からして漢化してたから、その後の歴代胡族政権も漢族の王朝を模倣することになった。
そこが征服王朝との違い。遼金元清は
「オレはお前ら(漢族)とは違う。お前らはいくら多数派でも所詮は未開な被征服民なんだから、そこをわきまえろ」
というスタンス。 古代の周とかも異民族の王朝なのに
征服王朝とも浸透王朝ともされない不思議
まだ漢民族というカテゴリ無いからか 征服王朝 漢族と同化しなかった異民族王朝
浸透王朝 漢族と同化した異民族王朝
あとは異民族由来だけど天下統一時はすでに漢化していた王朝
例) 周? 秦 (隋唐も?) 宋 >>135
演義での南蛮がいい奴扱いなのも、漢民族が「南家」「蛮子」という蔑称つけられてたのが大きく絡んでたりする
>>136
実際のとこ夏殷周までは中華の概念がなく、当時の交易中心地の元締めが玉座に座っていたようなものだった
そこから諸子百家による思想の再編と秦による皇帝制度の成立、秦をトレスした「漢」の成立を経て漢民族ってカテゴリができた >>133
アフガニスタンの洞窟に幽閉されたトニー・スタークは、自らの発明によって絶体絶命の状況を切り抜け、洞窟からの脱出に成功する。これがアイアンマンの幕開け。 夏殷周までは九鼎の時代
秦漢から五代十国の後晋まで伝玉璽の時代
遼によって伝玉璽消失したので
解釈によっては漢民族の世界は伝玉璽とリンクしてて
征服王朝によって漢民族の世界は終わったともとれる 「オレはお前ら(漢族)とは違う。お前らはいくら多数派でも所詮は未開な被征服民なんだから、そこをわきまえろ」
と言って手も結局は未開な被征服民に毒されて漢族化してしまうという・・・
清の末裔で今でも辮髪してるのなんてほぼ居ないし ウクライナ農家、ロシア軍が大量の穀物を略奪と証言 飢餓の歴史再来の懸念
https://www.cnn.co.jp/world/35187137.html
瓜歩の難の北魏ムーヴ再び 結局漢族使っちゃうからなー。ポルポトしなければ漢族化待ったなし >>141
しかしチャイナドレスは元々デール(騎馬民族の衣装)が起源なのに
知らないうちに漢民族の民族衣装扱いしてたりするからな
まあ漢民族にとっての民族衣装は漢服(聖徳太子の着てる服)なので
チャイナドレスも今では清の末裔はほとんど着ず
一部の店の店員とか一部のマニアが着る服になってるが >>142
瓜歩の難とウクライナ侵攻とで違うのは
劉宋にはジャベリンやネプチューンやドローンや
NATOの数兆円規模の援助等の後詰がない事と
北魏に核兵器がない事 確かに現代中国では満州族はいるものの、民族としては名ばかりで
みな漢語を話し、姓もかつての「愛新覚羅」「葉赫那拉」のような複雑怪奇なものではなく
シンプルな漢姓になり、ほとんど漢化している。
その一方で現代の漢民族も、満州文化に大きく影響され、上記のチャイナドレスもそうだし
太極拳などの衣装も筒袖の胡服で、本来の漢服とは全く異なる。
現代人がイメージする「昔の中国人」像も、中国文化に関心のある人なら
例えば孔子や始皇帝、三国志や水滸伝に出てくるような人物、玄宗皇帝や楊貴妃などを想像するだろうが
興味ない人だったら、ナマズ髭に辮髪のラーメンマンみたいな人物を思い浮かべてしまうでしょ。
ちなみに現代の満州族は、もともと塞外からやってきた征服者で支配階級であったことから
都会人が多く、そのせいで高所得で教育水準や社会的地位も高く、
現代においても相対的に恵まれており、「勝ち組」が多い民族らしい。 と言うか
なんで人間とかいう生き物は
全ての敵性存在(敵国・敵国土・敵国民・敵資源・敵世界etc)を
問答無用かつ無意味に殲滅しないの?! それやると自分が待ったなしで滅ぼされるのに気付かないほど
愚かではないからでは? 支配しようとして反乱起こされて滅ぼされるぐらいなら
むしろ先に徹底的に滅ぼすだろ 五胡の族滅を目指した冉閔に比べると
傀儡政権作りたがるプーチンは聖人に見えてしまうw 葉赫那拉
どうやったらイェヘ=ナラと呼べるのか
禿げそう 瓜歩の難って一歩間違えてれば北魏は前秦の二の舞になってたのに
惜しかった あの時代の国境付近には住みたくないわ
自国の軍が負ければ敵国に連行されて奴隷として分配される >>156
本籍が最前線付近だとある程度の人は地元愛(地縛霊)で最前線に住み続ける
他所から最前線に移住させるには進撃の巨人のトロスト区みたいに税制優遇とかメリット無いと厳しい 葉赫那拉の呪い
西太后が葉赫那拉の出身だったので
西太后を皇后にしてしまった清は滅亡 ロシア、ウクライナ市民118万人を強制連行か アメリカが非難
https://mainichi.jp/articles/20220510/k00/00m/030/296000c
瓜歩の難の北魏みたい
航空戦力あんま使えないと古代や中世の戦争とそんなに大差ないんだな >>159
あと核の抑止力も
もしロシアが核兵器持ってなければ
今頃NATO軍ウキウキと参加して
ロシア国内絨毯爆撃してる 現代でも奴隷は有用なんだなあ。何させるんだ。工場か土木か 瓜歩の難(450年)の時に劉義隆は「檀道済が生きていたら・・・」
と勝手に檀道済殺しておきながらのおまゆう発言が有名だが
檀道済(? - 436年)は檀韶(366年 - 421年)や檀祗(368年 - 418年)の弟で
桓玄の変(404年頃)には桓玄討伐軍に参加しているので
檀道済が劉義隆に殺されなくても瓜歩の難の頃には寿命迎えてそうなので
どちらにせよ結果は変わらなかったのでは 檀道済は明元帝の河南侵攻でも対して役に立ってないしなあ 劉宋の檀氏って、万葉集の碁檀越妻の夫である、檀越と関係あるのかな。
https://manyoshu-japan.com/13078/
神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱邊尓
神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に 東晋の廃帝が物部氏のボスだから、伊勢に劉宋の檀氏が赴くとしたらいかにも何かありそうじゃん? >>150
張献忠と比べりゃ甘ちゃんだろ
それどころか漏れ的には
張献忠どころか文字通り「一匹残らず駆逐してやる」「この世を終わらせてやる」を実践してしまった
エレン・イェーガーすら超甘ちゃんだけどな
世界を因果地平の彼方に飛ばしても
ビッグバンすら駆逐しても
まだまだ甘い 張献忠の虐殺も最近じゃ清軍の虐殺とごっちゃにされてるらしいから 川が血で染まって死体が埋まって船が航行できなかったとかいうあれは信用ならん >>163
厳密には劉湛&劉義康を止めきれなかった、だけどな。
まぁ承認しちゃってんので同罪は同罪。 >>171
現代でもたまに川が赤く染まったりするからな中華は
信用ならんというのはわかる >>165
檀越って「パトロン」「出資者」的な意味やぞ。 >>170
しかし南京大虐殺の時の宣教師は
1件の犯罪を20万人虐殺まで誇張しているのが明らかで
宣教師の報告をまともに鵜呑みにするのも危険 >>174
それが名前かどうかもそうだが、万葉集の和歌自体、神威を以て伊勢の首を取ったというような解釈が可能。
正直、昔の文章は正史レベルでも訳や解釈が正しいかどうかわからないことがある。
例えば東晋の琅邪王司馬睿も、八王の乱あたりの通例に従うと琅邪王睿、あるいは単に王睿という記述が考えられ得る。琅邪王氏の王敦、王導などと本当に区別がついていたのかどうか。 >>177
王懿の兄貴が王睿だな
王苗はどんだけ晋が嫌いだったのか >>178
王苗も王懿も王睿も太原王氏だからセフセフ
ちなみに太原王は司馬孚の子孫の司馬瓌・司馬顒・司馬輔・司馬泓が襲位してるが
291年頃に太原王は廃止されてるな >>180
色々要因あるが五石散服用してる奴はほとんど長生きしてない
散歩も現代なら滋養強壮健康長寿の秘訣で健康的だが
当時の散歩は麻薬中毒症状散らしでしかないから壮絶に不健康 皇后に自分の妹を送り込み、一代で後漢を滅亡させたソグド姓の将軍何進の息子だか孫だかが、短命で死ぬようなドラッグを貴族階級に流行させた。 中世欧州で瀉血を断固拒否した連中が長生きしたようなもんか >>182
おうおうジャンキーにして老荘思想の紹介者の何晏ちゃん舐めんな 記述に残る五石散のジャンキーは何晏が初だが
もう少し前の時代の張機(張仲景)の『傷寒雑病論』にも
五石散の記事載ってるから後漢時代には既に存在してたのだろうな
それが五胡十六国時代や南北朝時代を越えて唐時代までジャンキー生み続けるとは
ある意味強力な麻薬なので高樹沙耶には試してもらいたい処 何はクシャーニャの姓だけど、ソグド人以外も名乗れるからな。 ソグド人だと思うと、漢人壊滅力が高すぎるから腑に落ちる >>187
ただ大麻ってQOL的な意味あいもあるから五積散とは違う気が
(末期ガン患者の痛み止め等) QOLというか向精神薬という意味では五石散も大麻も同じ
アッパーかダウナーかの違いはあるだろうけど その何晏が広めた老荘思想は、魏晋南北朝時代のエリート階級を馬鹿に変えるための阿片として機能したかもな。 と言うか
無謀な戦争まで起こすほどに危険性を認識できたアヘンと同じように
水銀の危険性も認識できなかったのか 実は水銀(無機水銀)自体はそんなに毒性無いよ
有機物(メチル基とか)と化合した有機水銀は激毒性で致命的だけど 現代の水俣病やイタイイタイ病も発覚するまで時間かかってるしなぁ 今日もカドミウムドボドボして、全身イタイイタイなのだった。 >>194
そんな因果関係きっちり紐付けできるわけねーだろ現代医学基準で考えすぎだ >>189
何姓は色々ルーツが有って
周成王の弟の叔虞が何姓のルーツだったり
「韓」姓が南(長江淮河地域)の方言で「何」と発音したりで
異民族でも鮮卑や吐谷渾がルーツの家系もある
そもそもソグド人が大量に中華に入ってきたのは北魏の支配した5世紀以降なので
何進がソグド人という説はかなり信憑性低い
安禄山がソグド人系なのは理解できるが ネットで漁っても何冊か本を読んでも、曹操や何進がソグドと見なせるような情報は全然出てこない。石氏は当時から胡人だが。安や康は、仏教に貢献してる人物が結構いる。また安世高という訳経僧は元パルティア太子とのこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています