五胡十六国南北朝を語るスレ17
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ほい
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https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1638713412/
晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE >>6
マジレスするとそんな奴五胡十六国南北朝時代には居ない
現代に乙一とかいう小説家居るけど ___
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イレ,、 >三 。゚ ・ ゚
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麻秋敗走の報告を聞いた石虎 >>10
麻秋敗走させたのが慕容恪というのが感慨深い
石虎と慕容恪に接点あったとは 石虎が燕に親征したときも慕容恪が撤退する後趙軍を追撃してボコボコにしているな この時代の人物知名度って本当にない
たいした人物もいないのに知名度だけはある少し前の時代とは大違い 知名度ないなんて別に五胡十六国南北朝に限らないと思うけど… 三国志演義に匹敵する面白さの五胡演義を書けばいいんだ >>12
石虎と慕容垂が戦っていれば面白いのにな
慕容垂確か石虎生きてる時代に高句麗蹂躙してるから
機会あれば石虎存命時に対戦可能だったろうに >>13
車胤、孫康のエピソードだけなら日本人なら大体知ってるで 「蛍雪の功」だな。
俺は漫画ことわざ辞典で覚えた。
中学・高校の漢文とかで触れる機会はあるかもな。
でも興味ない人はそれっきりで忘れるだろうし、勉強しない人が知っているわけないし、日本人ならって言われると困る。 ことわざなんて言葉や意味は知ってても由来は殆んど知られてないよ あと漱石枕流の元ネタもこの時代(正確に言うと西晋末だけど) ババアに某有名人に似てると言われて喜んでたら
やっぱ違うわって言われて拗ねた話ほんとすこ >>25
やったことは曹操劉備に勝るとも劣らないのにこの存在感 >>25
桓温は「竹馬之友」「断腸」の諺で現代人にも知られる故事成語で記憶に残っているが
陶侃は桓温よりも多くの故事成語を残してるのに日本人ほとんど誰も知らないという・・・ >>30
wikiに8個乗ってたけど全部知らねえ… 淝水の戦いで活躍した謝安に関する故事成語なら
「人事を尽くして天命を待つ」
「屐歯(げきし)折るるを覚えず」
がある。後者は日本ではほとんど知られてないかな。
あとは敗北した前秦軍の「風声鶴唳」とか。
日本での富士川の戦いで、平家の軍が水鳥の羽ばたく音を敵の襲来と勘違いして
逃げ散ったというエピソードも、ここから来たのかもしれない。
あとは「源氏」の起源となった禿髪破羌と北魏太武帝のエピソードとか(日本の源氏とは関係ないけど)、
北斉の文宣帝の「快刀乱麻を断つ」、雅楽の「陵王」のモデルになった高長恭。
思いついたのはこれくらいかな。 三國志は「漢を取り戻す!」みたいな大義が強烈だからなあ。
東晋の場合「晋を取り戻す!」だけど、既に三國志ファンにとっては
「いやあのクソ晋を取り戻されても……」になる。
わかりやすい大義名分を示しきれない以上、
この時代に分かりやすさはない。
ひとりひとりの習熟度を語るならともかく、
「人気」を語ろうとするなら、この時代ってマジ無理。 >>21
蛍の光の唱歌も知らん日本人っているの?
今は教えてないとか? >>31
連続する時代の人物を比較するのは大切
桓温の場合、その凄さや見過ごされ方が理解しやすいから余計に >>35
蛍の光の原曲メロディーはスコットランド民謡なんですが… 蛍の光
ほたるの光、窓の雪。書よむ月日、重ねつつ。
いつしか年も、すぎの戸を、明けてぞ、けさは、別れゆく。
原曲(Auld Lang Syne)
旧友は忘れていくものなのだろうか、
古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。
友よ、古き昔のために、親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。
すっとこ民謡の歌詞とこれだけ離れてますのでな。
歌詞だけの話させろ、と言うことよ。 「蛍雪の功」の2人は寒門に違いないが
車胤の曽祖父は旧孫呉の会稽太守車浚で税金納めなくて孫晧に斬首された人物
孫康の曽祖父は史家の孫盛で桓温の腰巾着やって利殖に励んだ事で有名な人物
どちらも寒門の割には家に書物が大量に有るぐらい裕福な家系で
灯火の為の油を得る事が出来ないので蛍の光や雪の明かりで
書物読んだという爪に火を点す様な努力のエピソードで有名だが
どちらの家も持ってる畑で奴隷に菜種育てさせれば簡単に油得られそうなので
蛍雪の功のエピソードはパフォーマンスとしか思えない件について
しかし車胤は太常や丹陽尹に出世そして孫康は御史大夫に出世しているので
高官に登り詰めたのは2人の努力の賜物なのは否定しないが 申し訳ないがこの時代、ちょっと嫡流からずれれば
一瞬にして赤貧とか普通なので…… >>45
働かないで引き篭もって(ニート)書物読み漁ってれば貧乏(赤貧)
寒門でも仕官するなり畑耕したりすれば普通に灯火ぐらい手に入りそうだが… >>47
慕容阿豺と名乗っても良さそうだが…嫌なんだろうね
もっと後(唐とか)の吐谷渾は慕容姓名乗るのも出てくるが >>49
本流は阿干歌を歌い継ぐくらい吐谷渾大好きなのに…どうして… そういや前秦で慕容徳が涼州のどっかで太守やってたけど接触とかなかったのかな? >>13
霊獣記なら…霊獣記ならきっとなんとかしてくれる
田中芳樹が「日本人で初めてこの時代を〜」みたいな推薦文をつけてくれる 慕容垂が苻堅の晋攻略に賛成したのは野心があってのことなんだろうがどういう展開を予測していたんだろうな
唯一苻堅の救援に向かってるしその後も苻堅への義理は通してはいるし
成果がないにしてもあそこまで大敗するとは思ってもなかったんだろうか 勝てば建国の功臣、負ければああなるし良い賭けだと踏んだんじゃない? >>54
前燕売って滅ぼしたのはいいが、前秦に前燕の集団がまるっと組み込まれて焦ったんじゃないか
いくら苻堅の信任があり前秦内のヒエラルキーが高いとしても、同族殺しの売国奴と目する集団が身内に入ってしまった
となると根切りして完全に黙らせるか、ぐうの音も出ない武威を示して屈服させなければ、自らが危うくなる
東晋の打倒というのは、武威を示し地位を盤石にするのに絶好の場といえる
時間が経って旧前燕閥が馴染んでいくほど不利になる以上、活かさない手はなかったのではないだろうか 勝っても前秦のリソースだと東晋の実効支配は難しそうだし、そのどさくさに自立できると踏んだんじゃ
実際、自立後の慕容垂ってジジイなのにどえらい強さだし 言うて後燕立ち上げたあとずっと反乱受けっぱなしだったけどな >>53
十六国春秋輯本とか載記にある淝水の戦いの経過は、個人的にはあまり信用してないかな
苻堅を暗君として描くために、デフォルメと創作が入り混じってる印象がある
「賢弟(苻融)の諌言を聞かずに破滅した愚兄」
「賢臣(王猛)の遺言を聞かずに破滅した愚帝」
「野心ある危険人物(姚萇・慕容垂)にそそのかされて国を滅ぼした暗君」
という筋立てが整いすぎていて、かえって嘘くさく感じるというか
それはさておき、慕容垂自身は前秦が瓦解するとまでは考えてなかったんじゃないかな
>>56の意見が的を射ていると思う
つか、慕容垂って間違いなく政争は不得手だよね
でなければ亡命という事態に至ってないし
それに比べると、皇帝になるよう懇請され、あるいはそそのかされるレベルの権臣にもかかわらず、
身を保って死後も慕われた慕容恪って、やっぱり凄いんだなとも思う というか恪以外の慕容氏って軍略はいけるけど外交や内政はよくわかんね…という蛮族DNAが特に強そう
あとは評のように政争までなら強い奴もたまにいる程度で 「政争に負けて敵国に亡命して母国を売り飛ばすも敵国が落ちぶれたら母国再興を目論む」とか完全に狂人のムーヴ >>57
慕容垂が1人強いだけで後燕があまり強くないのがな・・・
遼東も慕容垂が生きてた頃は中華の領域だったが
慕容垂死後は高句麗が遼東支配して唐まで朝鮮地域に >>61
慕容氏は元々色白美人で漢民族の奴隷として大人気で
慕容氏の語源となった「歩揺」といわれる
歩くと揺れる煌びやかな金の冠を被るのを好むお洒落な種族
外見美しい容貌で中身蛮族DNAとか赫連勃勃を体現した種族だが
赫連勃勃は漢民族との雑種の匈奴で
鮮卑の一種族の慕容氏とは血統的に遠い筈なのだが
赫連勃勃は鉄弗部(父が匈奴人、母が鮮卑人の意)出身なので
蛮族DNAでは赫連勃勃と慕容氏は意外と近いのかなと思う 中華というか北族の領域かな
鮮卑慕容部、鮮卑宇文部、契丹など異民族が割拠 >>63
慕容部は翰、恪、垂とエースに依存し過ぎてる感がある
次のエース候補の慕容農が劣化自滅しちゃったのが痛い
それに比べると北魏の拡大期は中堅の層が厚い 慕容氏の姓は、もともと鮮卑族が自らの部族名を「ボヨウ」と発音していたのかと思いきや
「歩揺」から来たのか。だとすると名付けたのは漢族で、漢語由来の姓ということになるね。
それを当の鮮卑部族自身が受け入れて「慕容」を名乗るようになったのかな。 步搖冠から来たとか「慕二儀之コ,繼三光之容」とかモンゴル語のバヤンとかいろいろあるはず バヤンに侮蔑的な当て字をしようとしたものの、逆に礼節を指摘されて敵前逃亡した西晋の件から
比較的ソフトに慕容(我々の支配を受け入れた)という文字で表すようになったという バヤンといえば
元の皇帝クビライの懐刀が真っ先に思い浮かぶ
ロシアとかウクライナとかのボタン式(鍵盤の無い)アコーディオンもバヤンかw >>72
一番言われるのは、東方書店の「五胡十六国」かな
次が講談社学術文庫に収録された「中国の歴史5 魏晋南北朝」になると思う
慕容の由来はマジレスするなら「不明」、「諸説入り乱れて決着を見てない」だけどな
つか載記とかにある慕容の由来話は、燕書等の編纂時に漢人の史官がそれらしく創作したもので、
ぶっちゃけ信用度は低いのよ
大昔に、船木勝馬が「古代遊牧騎馬民の国」とかその他の論文ですでに喝破してることが、なんで共有されてないんだろーね? 異民族の当て字はほぼノリだろう
漢字はあとから理屈つけるのが容易いから諸説出てくる >>72
南北朝ならこのあいだ中公新書から出た南北朝時代―五胡十六国から隋の統一までもいいと思うよ
講談社学術文庫の魏晋南北朝は川勝義雄と川本芳昭のがある
両方読んだ人いる?ワシは川勝だけ読んだ
>>74
その手の本クッソ高い中古しかないんじゃ電子化しろ♡ 敵から逃れるために逃げ込んだ断崖渓谷から出られなくなり、そこから脱出するために鋳鉄したという祖先神話が共通するから、北魏→モンゴル帝国らしいな。北魏の嘎仙洞とモンゴルのエルグネ・クンにはかなりの相似が。
女真は高句麗→高麗→渤海→金と来ているらしいが、髪を縄のように結んでいるのは契丹と同じ。メディア操作に長けたモンゴルだかは、集史も実は嘘で女真族=モンゴルかもしれない。だとすると、南涼の禿髪=源氏と日本の源氏や女真族が綺麗に収まって見える 関幸彦 著 刀伊の入寇
・藤原道長が天皇家を追い詰め、全権を掌握したら女真らが襲ってきた。
・藤原隆家がこれらを屈服させたら、国風文化が栄えた。しかし打ち従えたという歴史の叙述は妄想かもしれない
・この時代、徴兵から傭兵への転換があった。
・貴族→武士の世に変わった
これだけ見ると、日の本の支配者層は女真族とつながって見える。キタイと日本は敵同士だったんだろうか? 契丹と繋がろうとする場合は、新皇と名乗ったりしていた。阿保機と将門は同時期に倒れた。
新羅が日本の衛星国家だったとすると、めちゃくちゃ強くて渤海にやってきた阿保機の暗殺くらいなら可能だったと思う 疾駆する草原の征服者 杉山正明と、刀伊の入寇 関幸彦を連続で読むと上のような歴史観が頭をよぎるのでおすすめ。五胡十六国→隋唐→モンゴルと、日本の動向が関連づけられる。 北魏が契丹になり、契丹がモンゴルになったらしいぞ。そして、将門=新皇は契丹サイドの人間、朝廷は女真サイドの人間というのがこの2冊を読むと分かるから。 >>72
Kindle化
三崎良章「五胡十六国」
川本芳昭「中国の歴史5 魏晋南北朝」
会田大輔「南北朝時代〜五胡十六国から隋の統一まで
」
陳舜臣「小説十八史略4」「中国の歴史3」
古松崇志「草原の制覇 モンゴルまで」
非Kindle
川勝義雄「魏晋南北朝」
吉川忠夫「侯景の乱始末記」 >>78
契丹と通謀して処罰された公家いるみたいだから断交かそれに近いんじゃね
当時は経済と安全保障上の関係で宋との関係は崩せないし >>84
朝廷がどれくらい女真寄りか不明だが、日宋交易ルートは平家が日本海側、奥州藤原氏が太平洋側の港や交易品を押さえていたよな。
藤原氏は通婚で朝廷を牛耳ったから、元々の渤海・高麗系の利権者から見るとコントロールが効かない状態に。契丹派はそんな中では立つ瀬がなかったかもな。 契丹は五胡十六国時代では
慕容皝や拓跋珪にボロクソに負けたモブ勢力だったのにな… >>72
岡崎文夫「魏晋南北朝通史」
国会図書館デジタルコレクションから全部無料で見られる >>90
国会図書館て永田町に本当に有ったとは
魏晋南北朝通史とか愛読してる国会議員皆無なんだろな…
調べたら日曜日祝日第3水曜日年末年始は定休日
食堂は閉店してるが喫茶店売店あり弁当買って食事も可能
1度は逝くべし >>92
ttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1917952
自宅どころかスマホでも読めますよって話やぞ なおスレ民が拾って楽しそうなデジコレ
資治通鑑 東晋
ttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239917
文選 上巻
ttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1912763
廿二史劄記
ttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239993 魏晋南北朝通史は内編だけなら東洋文庫で出てたけどもう絶版っぽいな
キッチリした電子書籍じゃなくてスキャンしただけのやつをスマホで読むの厳しくないか 10分でわかるシリーズは安いから買ってみたけどあまりにも虚無で
とてもこの時代を深く知りたいと思わせられるような内容とは感じなかった… >>93
最近の首相で最も故事引用してたのは安倍晋三
小泉純一郎も米百俵とか故事引用してたし
故事引用するのが好きな総理は長期政権になりやすい法則
五胡十六国や南北朝では全く通用しなさそうな法則でもあるが >>66
同意だが
現代でも存在する锡伯族は鮮卑の末裔とされてたり
繁栄期過ぎて没落しても人知れず細々と続いてたりしてるような
両生類よりも先に陸上に上陸して恐竜よりも遥か昔の石炭紀(約3億5千万年前)に
大繁栄したが後に矮小化して細々と生きている昆虫やゴキブリみたいな >>67
慕容農は劣化自滅というよりも
親父慕容垂の下では猛将でそれ以外だと凡将の感がある
まるで慕容恪の下では良将で慕容恪死後は愚将の慕容評みたいな >>105
そのページは存在しませんになってたから今まで4回くらい消してたしまた消したかと思ったけど今は見れるな http://www5a.biglobe.ne.jp/~o-kyouko/zhongguoshi.htm
趣味の中国史
検索するとこんなの出てきた
うーむ >>94
>>95
乙
タダで読めるし思うままに拡大なり操作なり出来て意外な高クオリティ
しかしEDITORぽい画面とIT慣れしてないと苦戦しそうな操作に
スキルの無い高齢者だと二十五史みたいな写本で出してくれという意見も出そう >>51
慕容徳は張掖郡太守だから吐谷渾の居住地に結構近いけど
その頃の吐谷渾(辟奚〜視連辺り)は前秦を畏れて臣従したり
また吐谷渾内で混乱して治世まともに行えてないので
部族としてまともな軍事行動が取れない時期だったので
ほとんど接触なかったのでは >>109
慕容徳にとって辟奚ははとこの子になるなのか >>95
昔はぜんぶルビ振ってたんだ。
親切でいいね >>111
https://life-purasu.com/img/sazaekakeizu.png
サザエさんで例えると
慕容徳(タラちゃん)からみて辟奚の父葉延(イクラちゃん)とははとこの関係か
サザエさんで例えると余計頭が痛くなったw 慕容部と吐谷渾とそれぞれ繫栄して更に
慕容部から豆盧氏とかも出ていて
日本でいえば天皇家が繁栄して源氏や平氏が出て
それぞれ繫栄しているぐらいの盛況ぶり 現代でも慕容氏いるぞ
作家の慕容雪村とか・・・と思ったら
本名は郝群だった
他にちょっと前まで生きてた神経外科の権威医師の慕容慎行とか 流石に現代まで残ってなくていいだろ。次の統一王朝までとか 隋唐まで生き残っていれば成功の部類だな
その意味では慕容氏は成功だが
司馬氏も成功になってしまうという…
晋の前の王朝の曹氏や劉氏他は馬の骨ぐらい存在薄なので
五胡十六国時代以降の荒波超えられた家は勝ち組 宇文は契丹チンギスハンだからな。五胡十六国で一番遺伝子を残した 宇文は北匈奴の敗残兵から遼西に居ついて慕容と抗争
その後慕容や拓跋と仲良くなって名族の仲間入り
野生の契丹は突厥やウイグルの配下から遼建国して征服王朝の先駆け
チンギスハンのモンゴル帝国は云うまでもなく世界最強最大の遊牧民族帝国
何気に宇文が一番凄いかも そういや征服王朝は遼・金・元・清のみで
五胡や北朝や隋唐は浸透王朝と呼ばれているとか
実質同じだと思うけど 征服の意思とか年数とか基準なんだっけ
異民族侵入の歴史を長い間受けてきた国の言葉は違うなーって感心した覚えがある 北方異民族はこれ以上南下すると弱体化する緯度とかありそう ぶっちゃけ生活が安定すりゃそりゃ「ころしてでもうばいとる」って発想なくなるわな 「ころしてでもうばいとる」
殺人強盗は五胡の末裔かもしれない お前が食うにも困ったら「ころしてでもうばいとる」に
ならざるを得ねーだろうがって話を理解できていないようで…… >>129
とはいえ孔子が7日間飢えると飯確保よりも先に
弟子の子路捕まえて君子と小人について論じ合ったりするからなw
「ころしてでもうばいとる」というのは文明人の発想ではない
北方騎馬民族が中華の文明に触れると弱くなるのは
脳味噌が中華文明に毒されて野生を失うからだろう >>125
候補としては
1、長城を越えると弱くなる
2、黄河を越えると弱くなる
3、長江を越えると弱くなる
とかありそう
3は隋とか元とか清とかみるとほぼ全ての北方異民族に当てはまりそう 北方異民族が活発になるのは寒冷化したときなんて話を見たような覚えがあるし暑いのがダメなんじゃね 鋳鉄を発明してまで嗄仙洞やエルグネ・クンから出てきても、寒冷化で住めなくなって南下するしかないんだよ。生存のための活動。
しかし南下しすぎると、水の壁、空白の壁に阻まれる >>132
日本の戦国時代もそうだけど寒冷化する→生産力が低下する→「ころしてでもうばいとる」になるから…
逆に江南だと害虫や伝染病とかの危険はあるけど、温暖で生産力が高く生活にそこそこ余裕が出てくる。
(その代わり軍事力が低下)
東晋の皇帝の本紀読んでるとバラマキが目立つんで農業生産力や経済力は結構高いんじゃないかと
三国志展でも孫呉の発掘物だけガラス器や緑釉陶器とか発掘されてた >>123
征服王朝は、支配者(異民族)と被支配者(漢族)が明確に峻別されてたからね。
元の治世では、純粋な漢族はカーストの最下層に追いやられ、「蛮子」と呼ばれて蔑視されてたし、
清の治世では、満族に忠誠を誓えば漢族も優遇されたが、そもそも服従の証として辮髪胡服を強制され、民族のアイデンティティをぶっ壊されていた。
そこへいくと五胡や北朝・隋唐は、異民族ながら早くから漢族と同化する傾向があったし
隋唐に至っては、創業者自らが「オレは漢族だ」と言い放っている。
この時代で征服王朝的な性格があるのは、やや鮮卑民族主義に回帰した北周・北斉くらいか。
この時代の胡族がいずれも漢族王朝を模倣したのは、五胡十六国時代のスタートを切った匈奴の劉淵が
自らは遊牧民で歴代単于の末裔でありながら、建国にあたって父祖の宿敵であるはずの劉邦を祀り、
自らを漢の後継者と位置づけ、中華の天子たらんとした。
最初の胡の王からして漢化してたから、その後の歴代胡族政権も漢族の王朝を模倣することになった。
そこが征服王朝との違い。遼金元清は
「オレはお前ら(漢族)とは違う。お前らはいくら多数派でも所詮は未開な被征服民なんだから、そこをわきまえろ」
というスタンス。 古代の周とかも異民族の王朝なのに
征服王朝とも浸透王朝ともされない不思議
まだ漢民族というカテゴリ無いからか 征服王朝 漢族と同化しなかった異民族王朝
浸透王朝 漢族と同化した異民族王朝
あとは異民族由来だけど天下統一時はすでに漢化していた王朝
例) 周? 秦 (隋唐も?) 宋 >>135
演義での南蛮がいい奴扱いなのも、漢民族が「南家」「蛮子」という蔑称つけられてたのが大きく絡んでたりする
>>136
実際のとこ夏殷周までは中華の概念がなく、当時の交易中心地の元締めが玉座に座っていたようなものだった
そこから諸子百家による思想の再編と秦による皇帝制度の成立、秦をトレスした「漢」の成立を経て漢民族ってカテゴリができた >>133
アフガニスタンの洞窟に幽閉されたトニー・スタークは、自らの発明によって絶体絶命の状況を切り抜け、洞窟からの脱出に成功する。これがアイアンマンの幕開け。 夏殷周までは九鼎の時代
秦漢から五代十国の後晋まで伝玉璽の時代
遼によって伝玉璽消失したので
解釈によっては漢民族の世界は伝玉璽とリンクしてて
征服王朝によって漢民族の世界は終わったともとれる 「オレはお前ら(漢族)とは違う。お前らはいくら多数派でも所詮は未開な被征服民なんだから、そこをわきまえろ」
と言って手も結局は未開な被征服民に毒されて漢族化してしまうという・・・
清の末裔で今でも辮髪してるのなんてほぼ居ないし ウクライナ農家、ロシア軍が大量の穀物を略奪と証言 飢餓の歴史再来の懸念
https://www.cnn.co.jp/world/35187137.html
瓜歩の難の北魏ムーヴ再び 結局漢族使っちゃうからなー。ポルポトしなければ漢族化待ったなし >>141
しかしチャイナドレスは元々デール(騎馬民族の衣装)が起源なのに
知らないうちに漢民族の民族衣装扱いしてたりするからな
まあ漢民族にとっての民族衣装は漢服(聖徳太子の着てる服)なので
チャイナドレスも今では清の末裔はほとんど着ず
一部の店の店員とか一部のマニアが着る服になってるが >>142
瓜歩の難とウクライナ侵攻とで違うのは
劉宋にはジャベリンやネプチューンやドローンや
NATOの数兆円規模の援助等の後詰がない事と
北魏に核兵器がない事 確かに現代中国では満州族はいるものの、民族としては名ばかりで
みな漢語を話し、姓もかつての「愛新覚羅」「葉赫那拉」のような複雑怪奇なものではなく
シンプルな漢姓になり、ほとんど漢化している。
その一方で現代の漢民族も、満州文化に大きく影響され、上記のチャイナドレスもそうだし
太極拳などの衣装も筒袖の胡服で、本来の漢服とは全く異なる。
現代人がイメージする「昔の中国人」像も、中国文化に関心のある人なら
例えば孔子や始皇帝、三国志や水滸伝に出てくるような人物、玄宗皇帝や楊貴妃などを想像するだろうが
興味ない人だったら、ナマズ髭に辮髪のラーメンマンみたいな人物を思い浮かべてしまうでしょ。
ちなみに現代の満州族は、もともと塞外からやってきた征服者で支配階級であったことから
都会人が多く、そのせいで高所得で教育水準や社会的地位も高く、
現代においても相対的に恵まれており、「勝ち組」が多い民族らしい。 と言うか
なんで人間とかいう生き物は
全ての敵性存在(敵国・敵国土・敵国民・敵資源・敵世界etc)を
問答無用かつ無意味に殲滅しないの?! それやると自分が待ったなしで滅ぼされるのに気付かないほど
愚かではないからでは? 支配しようとして反乱起こされて滅ぼされるぐらいなら
むしろ先に徹底的に滅ぼすだろ 五胡の族滅を目指した冉閔に比べると
傀儡政権作りたがるプーチンは聖人に見えてしまうw 葉赫那拉
どうやったらイェヘ=ナラと呼べるのか
禿げそう 瓜歩の難って一歩間違えてれば北魏は前秦の二の舞になってたのに
惜しかった あの時代の国境付近には住みたくないわ
自国の軍が負ければ敵国に連行されて奴隷として分配される >>156
本籍が最前線付近だとある程度の人は地元愛(地縛霊)で最前線に住み続ける
他所から最前線に移住させるには進撃の巨人のトロスト区みたいに税制優遇とかメリット無いと厳しい 葉赫那拉の呪い
西太后が葉赫那拉の出身だったので
西太后を皇后にしてしまった清は滅亡 ロシア、ウクライナ市民118万人を強制連行か アメリカが非難
https://mainichi.jp/articles/20220510/k00/00m/030/296000c
瓜歩の難の北魏みたい
航空戦力あんま使えないと古代や中世の戦争とそんなに大差ないんだな >>159
あと核の抑止力も
もしロシアが核兵器持ってなければ
今頃NATO軍ウキウキと参加して
ロシア国内絨毯爆撃してる 現代でも奴隷は有用なんだなあ。何させるんだ。工場か土木か 瓜歩の難(450年)の時に劉義隆は「檀道済が生きていたら・・・」
と勝手に檀道済殺しておきながらのおまゆう発言が有名だが
檀道済(? - 436年)は檀韶(366年 - 421年)や檀祗(368年 - 418年)の弟で
桓玄の変(404年頃)には桓玄討伐軍に参加しているので
檀道済が劉義隆に殺されなくても瓜歩の難の頃には寿命迎えてそうなので
どちらにせよ結果は変わらなかったのでは 檀道済は明元帝の河南侵攻でも対して役に立ってないしなあ 劉宋の檀氏って、万葉集の碁檀越妻の夫である、檀越と関係あるのかな。
https://manyoshu-japan.com/13078/
神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱邊尓
神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に 東晋の廃帝が物部氏のボスだから、伊勢に劉宋の檀氏が赴くとしたらいかにも何かありそうじゃん? >>150
張献忠と比べりゃ甘ちゃんだろ
それどころか漏れ的には
張献忠どころか文字通り「一匹残らず駆逐してやる」「この世を終わらせてやる」を実践してしまった
エレン・イェーガーすら超甘ちゃんだけどな
世界を因果地平の彼方に飛ばしても
ビッグバンすら駆逐しても
まだまだ甘い 張献忠の虐殺も最近じゃ清軍の虐殺とごっちゃにされてるらしいから 川が血で染まって死体が埋まって船が航行できなかったとかいうあれは信用ならん >>163
厳密には劉湛&劉義康を止めきれなかった、だけどな。
まぁ承認しちゃってんので同罪は同罪。 >>171
現代でもたまに川が赤く染まったりするからな中華は
信用ならんというのはわかる >>165
檀越って「パトロン」「出資者」的な意味やぞ。 >>170
しかし南京大虐殺の時の宣教師は
1件の犯罪を20万人虐殺まで誇張しているのが明らかで
宣教師の報告をまともに鵜呑みにするのも危険 >>174
それが名前かどうかもそうだが、万葉集の和歌自体、神威を以て伊勢の首を取ったというような解釈が可能。
正直、昔の文章は正史レベルでも訳や解釈が正しいかどうかわからないことがある。
例えば東晋の琅邪王司馬睿も、八王の乱あたりの通例に従うと琅邪王睿、あるいは単に王睿という記述が考えられ得る。琅邪王氏の王敦、王導などと本当に区別がついていたのかどうか。 >>177
王懿の兄貴が王睿だな
王苗はどんだけ晋が嫌いだったのか >>178
王苗も王懿も王睿も太原王氏だからセフセフ
ちなみに太原王は司馬孚の子孫の司馬瓌・司馬顒・司馬輔・司馬泓が襲位してるが
291年頃に太原王は廃止されてるな >>180
色々要因あるが五石散服用してる奴はほとんど長生きしてない
散歩も現代なら滋養強壮健康長寿の秘訣で健康的だが
当時の散歩は麻薬中毒症状散らしでしかないから壮絶に不健康 皇后に自分の妹を送り込み、一代で後漢を滅亡させたソグド姓の将軍何進の息子だか孫だかが、短命で死ぬようなドラッグを貴族階級に流行させた。 中世欧州で瀉血を断固拒否した連中が長生きしたようなもんか >>182
おうおうジャンキーにして老荘思想の紹介者の何晏ちゃん舐めんな 記述に残る五石散のジャンキーは何晏が初だが
もう少し前の時代の張機(張仲景)の『傷寒雑病論』にも
五石散の記事載ってるから後漢時代には既に存在してたのだろうな
それが五胡十六国時代や南北朝時代を越えて唐時代までジャンキー生み続けるとは
ある意味強力な麻薬なので高樹沙耶には試してもらいたい処 何はクシャーニャの姓だけど、ソグド人以外も名乗れるからな。 ソグド人だと思うと、漢人壊滅力が高すぎるから腑に落ちる >>187
ただ大麻ってQOL的な意味あいもあるから五積散とは違う気が
(末期ガン患者の痛み止め等) QOLというか向精神薬という意味では五石散も大麻も同じ
アッパーかダウナーかの違いはあるだろうけど その何晏が広めた老荘思想は、魏晋南北朝時代のエリート階級を馬鹿に変えるための阿片として機能したかもな。 と言うか
無謀な戦争まで起こすほどに危険性を認識できたアヘンと同じように
水銀の危険性も認識できなかったのか 実は水銀(無機水銀)自体はそんなに毒性無いよ
有機物(メチル基とか)と化合した有機水銀は激毒性で致命的だけど 現代の水俣病やイタイイタイ病も発覚するまで時間かかってるしなぁ 今日もカドミウムドボドボして、全身イタイイタイなのだった。 >>194
そんな因果関係きっちり紐付けできるわけねーだろ現代医学基準で考えすぎだ >>189
何姓は色々ルーツが有って
周成王の弟の叔虞が何姓のルーツだったり
「韓」姓が南(長江淮河地域)の方言で「何」と発音したりで
異民族でも鮮卑や吐谷渾がルーツの家系もある
そもそもソグド人が大量に中華に入ってきたのは北魏の支配した5世紀以降なので
何進がソグド人という説はかなり信憑性低い
安禄山がソグド人系なのは理解できるが ネットで漁っても何冊か本を読んでも、曹操や何進がソグドと見なせるような情報は全然出てこない。石氏は当時から胡人だが。安や康は、仏教に貢献してる人物が結構いる。また安世高という訳経僧は元パルティア太子とのこと。 安世高が本当にパルティア太子だとすると
親はヴォロガセス1世、パコルス2世、オスロエス1世、ミトラダセス4世の兄弟の誰かだろうな
しかし安世高の頃のパルティアは末期でローマ帝国との抗争や
内ゲバで兄弟親族との抗争で安息どころでない末期症状
石虎の後趙が >>196
イタイイタイ病は江戸時代初期から症状確認されてる
当時は風土病扱いで原因不明の奇病
科学の発展しない世界はとても恐ろしい 日光周辺地域の花粉症も報告が始まった江戸時代当時は原因不明の奇病・風土病扱いだったっけな 花粉症で奇病扱いなら
もっと強力なエアロゾル黄砂塗れの五胡の生息地はとても恐ろしい事に・・・
でもあまり騒いでないという事は五胡では奇病でなく普通の風土病なんだろね >>204
人間の免疫っていうのは強い
並大抵の病気なら、時間で解決してしまう
花粉症つーのはその強い免疫によって自身の体を痛めつけてるからこそヤバい
免役を破壊するHIV等とは逆のアプローチ 中国で奇病は大体長江より下の江南地域のイメージ
最近の鳥インフルエンザもSARSもCOVID-19も
だから江北特に五胡みたいなのにとっては
江南は奇病魑魅魍魎の跋扈する魔界で治めたくない
ので自然に南北朝が形成されたのもわかる >>206
王導「江南温かいやんけ。飯も美味いし何が不満なんや?クソ寒いのにろくに風呂も入れない華北なんぞいらんかったんや!」 日本史
桶狭間の戦い ○織田3,000 VS 今川25,000●
中国史
淝水の戦い ○東晋85,000 VS 前秦1,170,000●
西洋史
テルモピュライの戦い ●ギリシア7,000 VS アケメネス朝300,000○ >>209
真田昌幸は2000の兵で徳川秀忠軍約3万8千に勝利
雑賀孫市は3000の兵で織田信長軍約10万を撃退
島津義弘に至っては7000の兵で明・李氏朝鮮連合軍約20万を撃破
海外ではシモ・ヘイヘが僅か32人の小隊でソ連軍約4000を射撃しまくって
実質1人で潰走させてる 勝利とか撃破いうてもレベルが違うからな
桶狭間とか淝水は局地的な勝利でなく相手がその後ほぼ壊滅だし 淝水は戦略レベルなら19万対110万だし、
戦術レベルなら85千対34万なのだ。
何言ってくれてもいいが、そこはちゃんと踏まえてくれ。
(謝玄85000+桓沖100000超VS前秦各方面軍)
(謝玄85000VS前秦前鋒軍30万+別働隊5万) 演技の張飛以外で
一人でウン千~ウン万の雑魚を敗走もしくは死滅させたのってあった? 昆陽の戦い ○緑林軍17,000 VS 新430,000●
は新滅亡に繋がってるのに何故かあまり語られる事ないな
彭城の戦い ○楚30,000 VS 漢連合軍560,000●
は語られる事多いが漢滅亡していないからか致命的扱いされない 苻堅と慕容沖の薄い本ないのか
69からのお互い顔射とか >>214
楚漢は鉅鹿の戦いの方が扱い大きい気がするな。秦滅亡への大金星って感じだし
劉邦は負けが多いからあんまり >>214
中国史オタに限らず一般人でも知ってるようなメジャーな話だと合肥の戦いが一番有名かもな 鉅鹿の戦い ○楚(項羽)50,000 VS 秦(王離)200,000●
は趙(張耳陳余)含めるともう少し楚軍多くなるが
秦も章邯軍20万が別に居るので圧倒的差覆しての勝利は変わらない
井陘の戦い ○漢(韓信)30,000 VS 趙(陳余)200,000●
は鉅鹿の戦いよりも兵力差大だが趙兵は秦兵よりも弱兵と思われてるせいか
兵自体は項羽の方が韓信よりも強いという評価がデフォ 現代でも大番狂わせがあるのは変わらんな
ベトナム戦争も最初は巨象が蟻を踏み潰すがごとしと言われたが結局アメリカの敗北だし
ウクライナは瞬殺されるとプーチンは勿論アメリカの軍事専門家ですらそう思っていたのに
未だに戦争が継続中だし >>211
古今東西を問わず寡兵で籠城して大軍を退けた例は結構あるけど
寡兵で野戦において敵の大将を討ち取って相手の軍を壊滅させその相手勢力はその後一気に衰退
みたいな例はそう多くない気がする
明の皇帝でモンゴルの捕虜になった人もいるけど中国皇帝の中でも結構レアケース >>219
ロシア(ソ連)は元々遊牧民族に蹂躙され続けたモブ民族なので
人口1/20未満のフィンランドに苦戦するぐらいだから
人口1/3未満のウクライナに勝てないのは普通
ロシアがまともに勝てるのは人口1/100未満のチェチェンぐらい 英雄といったら
中国人「李世民」
モンゴル人「チンギス=ハーン」
イタリア人「カエサル」
日本人だとやっぱ織田信長かねえ ゼルダの伝説BotWにおいて、全滅を避けるために逃げ込んだハイラルの岩山で、リンクは回生の時を待った。ゲームは、リンクがテクノロジーを起動させ、この岩山の祠から外の世界に飛び出す場面から始まる。
敵から逃げてハイラルの嗄仙洞に逃げ込み、鋳鉄というテクノロジーによって外界に飛び出すという、とんがり帽子の拓跋氏祖先神話を彷彿とさせる。 慕容沖をぐぐると耽美的な肖像画出てきて草生えますよ >>227
13歳(苻堅にヤラれた当時)って設定にしては老けすぎなイラストばっかなのはアカン >>139
>>224
スーパーマンのマン・オブ・スティールも、北方民族との親和性が高い。まず鋼の人というタイトルが鉄木真=チンギス・ハンや、鍛鉄奴隷ルーツの柔然突厥を思わせる。
母星が爆発して逃げてきた二勢力が、それぞれ地球人との同化、侵略でイデオロギー対立するというプロットの骨子も、寒冷化で爆発的に南下してきた鮮卑が、漢化したり北族文化を維持したりという歴史を連想させる。 >>227
よくよく考えると慕容沖は西燕の初代皇帝なんだよな・・・
いいのか 軍師と聞いて思いつくのが
張良、諸葛亮、王猛、太原雪斎、竹中半兵衛、黒田官兵衛 >>231
このスレ的には
張賓が最初に出てこないのはおかしい >>231
さらに軍師の草分けといえば姜尚(太公望呂尚)
が張良よりも先に出てこない時点で このスレで軍師を論じるのはあまり向いていない
五胡十六国時代の前の東漢末期や三国時代は
軍師中郎将や軍師将軍などの役職がある為
中国では諸葛亮だけでなく盧植や蔡瑁や李典なども何故か軍師のカテゴリw
その後司馬師の避諱の関係で軍師と呼ばれる役職無くなったので やるなら軍師というが今で言うコンサルみたいなもんか?
とてもニートには務まらんな 現代日本における「軍師」という単語は、日本の軍記物のイメージが投影された、一種の造語なんだけどな
三国志に記載される「軍師」は複数の意味あいがあって、「神算鬼謀をもって敵を討つ」知将・参謀に冠するものではないよね 司馬懿は諸葛亮のライバルで軍師のイメージが強いけど実際は将軍なんだよな 諸葛亮は「軍師」で「将軍」(軍師将軍)だけどなw
五胡十六国時代以降の「軍師」は「軍司」と呼ばれてたらしいが
侯景の乱での防衛戦で有名な羊侃も「軍司」だったり 頼朝は義経がいなかったら平家を倒せなかった
家康は信長が搗いて、秀吉が捏ねた天下餅をくすねた
征夷大将軍らしいのはやっぱ尊氏
九州大返し、そして湊川の戦いで大勝利とかロマンやん 司馬曜を尚書左僕射、謝安を吏部尚書、桓沖を侍中とするお。
この軍勢なら、すぐに戻って来ることになるお。
出陣に先立って彼等の邸宅を築造しておけお。
「やる夫が五胡十六国時代の覇者になるようです」10年前の作品だがいいね >>209
3万の兵で2万5千の敵勢に勝とうと思ったら大将首を狙うしかないわな
援軍の見込みがあるなら籠城という手もあるが >>247
その兵力差でそんな弱気とか項羽が相手なんか? 間違えたw
>>209
3千の兵で2万5千の敵勢に勝とうと思ったら大将首を狙うしかないわな
援軍の見込みがあるなら籠城という手もあるが >>244
「将軍」は「軍を将(ひき)いる」という意味で
春秋戦国時代の「司馬」「馬(軍)を司(つかさど)る」の上位互換で作られた役職
確か「卒」が兵百人、「司馬」が兵千人、将軍」が兵万人を率いる長
大将軍は春秋戦国時代から存在したが(上将軍とも)
驃騎将軍は西漢の霍去病が初めて就いて以後定着
車騎将軍は楚漢戦争の斉の田広の配下の華毌傷が初で
以後は西漢の薄昭以後常設されて主に外戚が就く将軍職に そういや五胡十六国南北朝時代の高句麗・百済・新羅・倭などの諸国は
こぞって東晋とか劉宋などの南朝に朝貢して将軍職貰ってたんだよな・・・
たまに半島で大将軍とか貰える国出てホルホルしてたりw
倭(日本)は後発のせいか総じて半島より低めの将軍職だったのに
その後遣隋使遣唐使で頑張ってか唐玄宗の頃に完全に日本が半島との地位逆転して上になり
それが原因で半島人の風土病として火病が代々遺伝した説があったりw >>242
しかし観応の擾乱で晩節汚したがな
弟と腹心を内ゲバの末に両成敗同然な粛清するわ
わざわざ建てた北朝という神輿を見捨てたと思ったら
1年後に元サヤになったり
挙句の果てに認知しなかった庶長子に反逆された挙げ句
致命傷を食らうという末路… 劉啓「博局投げつけなくても簡単に劉賢を頃せる時代だからな五胡十六国時代は >>253
よくよく考えると足利尊氏は南北朝時代の人物だから
スレチでないという・・・ 胡が六博のルール理解できないガイジしかおらんかったから廃れた 赫連勃勃とか高緯とかのエピソードみてると
五胡には六博よりも楽しい遊び(残虐行為)あるからね・・・ 中国の生首とかたくさん重ねて作る芸術品みたいなのなんて言ったけ。戦争のしきたりみたいなこと書いてあった気がするけど サソリやヘビの入った穴に落としたり、
首と両手首・両足首に縄をかけてそれを5頭の牛にそれぞれ引かせたり、
肉を徐々に削いだり、
中国人って昔から残虐だったんだなと 家康は生涯現役やね
大坂の陣の時はもう70
中国で老将といったらやっぱ黄忠だな マンダリン以外を喋ったら罰せられるやつ、中華4000年の跡形もない消去だよな。俺は悲しいよ 普通話以外も普通に話されてるが???
現代中国のこと知らないくせに黙ってろよゴミ >>259
これなんだっけ
「景観」みたいな単語だったと思うんだけど 五胡十六国南北朝時代では
京観は当たり前に作られているので
わざわざ史書に記されなかった説 蕭衍・楊堅・李世民は京観反対派というのも面白いなw
仏教徒は京観に否定的思想なので
日本では京観は流行らなく代わりに
首塚耳塚が作られた説 敗軍の死体山積みにしたあとだれがどうやって処分したの? >>274
実際は鄧艾の後始末やらされた鍾会や杜預やぞ >>272
野生動物で死体処理班いるだろ(肉食動物) 誰やっけ一定期間さらした後で埋葬しといてって村人に金渡して依頼してたのあったね >>278
その手の話は文明国家では実は結構沢山ありそう アメリカでのコロナ騒動で墓地に入りきれない死体を埋め立てた人工島に捨てたって話聞くと結局古代とたいして変わらん気が 今日現在アメリカのコロナ感染者累計約8442万人
コロナ感染死者累計約100万人
五胡十六国時代南北朝時代のどの虐殺でも及ばない数死んでて
ましてやアメリカは土葬が基本だからわからんでもないな >>260
「人豚」が出てこない時点で
残虐さには文明度の高さも野蛮さも関係ない
残虐さには男でも女でも変わらないが
女の残虐さは同じ女に向かう傾向はある >>229
多分君以外全員ポカーン( ゚д゚)状態だが
そのカオスな内容はこの時代と親和性あって悪くない >>283
おそらく、ソレガワレワレノシヂズダ!ゲンヂツダ!っていう勢力だろう
こういう手合いは厄介なもんで、偽典エノク書を幼年期の終わりというSFに仮託してたりする >>281
2年超の期間で病含むとなると王朝が崩壊する時の首都周辺は近いくらい死んでそう >>285
それはないな
唐の最盛期の長安でようやく首都人口100万人到達したぐらいで
五胡十六国〜南北朝時代の首都人口の最大は洛陽と建康の約50万人で
鄴とか平城辺りだと約20万人で長安は荒廃しててそれ未満だから
この時代首都近辺が人の絶える廃墟になるぐらい死にまくっても100万は逝かない ちなみに西漢東漢の最盛期の長安の人口は約40万人洛陽だと約42万人で
同時代のローマ帝国の首都ローマは既に100万人規模だったので
実は東西だと西の方が都市繁栄してたのな・・・ この時代について書かれた日本語文献少なすぎて史書に手を出してみようかと思ったが自分の漢文の知識って高校時代で止まってるんだよなぁ
スレには漢文読める人もいるみたいだけどどうやって勉強してるんだ?良かったら教えてください >>287
ローマがガチのオーバーテクノロジーやってたからな
コンクリートやモルタル実用化、水の利活用や下水道整備など枚挙にいとまがない
ただし豊かな生活に溺れ、人口が完全にパンクしたことや
アレキサンドリア図書館由来の知識が断絶したことで一気に没落したわけだが >>288
こちらも漢文の知識あまり変わらんけど
白黒写真カラー化ソフトウェアのAIの如く
漢文を自己流で翻訳
↓
翻訳した文を正解文(有識者が翻訳した文)と比較
↓
最初に戻る
を繰り返して練習し続ければ1人で無料である程度は漢文読めるようになる
他にもっといい方法あると思うのでごり押しはしないけど >>289
アレクサンドリア図書館全盛期はプトレマイオス朝で
ローマ帝国時代には幾度も縮小やら破壊やらで没落も致し方ない
ローマ帝国自ら自分で自分の知識の足喰ってるようなもんだから
とはいえローマ帝国没落期の紀元前5世紀でもローマの人口80万人ぐらいで
中国のどの都市よりもはるかに大都市
その後フン族やらヴァンダル族やらの蛮族に徹底的にやられて
推定都市人口の記録残らないぐらい没落
やはり文化や知識の継続性は国家存続よりもはるかに重要 都市ローマの没落が決定的になったのは東ローマによる侵攻のせいらしいな 漢王朝がすごいのは少なくとも2000年以上前に6000万人近い人口を把握してたこと
もっと古いのがでてこないのは残念やが >>293
秦王朝が天下統一した後
始皇34年 約2500万人
始皇37年 約3000万人
の戸口人口が出てたような
楚漢戦争の時に人口約1500〜1800万人に減ってるけど
この頃の領域は漢の支配地域から
敦煌などの涼州や益州南部や交州が無いので
漢との直接比較は出来んが
少なくとも漢が人口把握出来たのは
秦の整備した法制度の多くを踏襲したからであって >>292
535年〜554年のゴート戦争で
東ローマ帝国と東ゴート王国がローマの支配争ったおかげで
ローマの人口35000人まで減ってるな
蛮族や五胡の略奪よりも戦争が最も都市人口減らすファクターなのは
西も東も変わらない 殺されるよりも何よりもさっさと逃げ出しちゃうからな普通は
独ソ戦でベルリンに来たソ連軍がなんで逃げてないのなんでこんな住人いるのって驚いてたし >>296
西に米英仏他連合軍で東にソ連軍でベルリンから逃げる場所無いな
北のデンマークは占領して保護国だったけど反抗的で危険
南のスイスは永世中立国で国境越えようとすると無条件で撃たれてもっと危険
永嘉の乱から続く混乱下で南に逃れれた人は幸せだな
船も金も尽きて黄河渡る手段消えた華北の人の絶望感といったら 古代中世ならともかく近代なら建前上は一般市民に対する攻撃は禁止やからな
昔の日本やらソ連やら今のロシアやら守る気さらさらないのがおかしいだけで >>290
ありがとう。ひたすら実戦積むっていうのも確かにアリだな。自分の知ってる時代なら大体正解はわかってるし
しかし二十四史すらすべて和訳されてないのは悲しいなぁ。割りと需要あると思うんだけど 中国語わかるなら正史全部現代中国語訳されてるよ
文言文読むのと変わらんか 南船北馬だから長江は船社会なら渡れそうだが
黄河は長江ほど船が用意されていないイメージ
確かに渡し場あるけどさ・・・
五胡なら馬と泳いで渡っちまえ的な発想 >>299
需要をどう語ってくれてもいいが、
「訳者の生活を保障する」だけのゼニを出せるのが
需要の充足だからな?
「好事家がこの時代で遊ぶだけの餌を蒔ける」
ことを需要とほざくなら、
お前には、訳出して下さる方々の、
少なくとも二、三ヶ月の生活を保障できるだけの
出資ができるんだな? いや、できるんだよな?
なら、そいつを口走ってくれても構わんぞ? 英訳でも半年以上の期間拘束されて一冊200万くらいとかの世界やから
ちなみに一番おいしい翻訳仕事は映画の字幕翻訳
2週間程度の期間で一本数十万円。
しかも映画によってはアンチョコついてたりして殆ど中学生でも翻訳できるレベル 現代の翻訳家のも平均年収400〜600万円
翻訳スキルの社会的価値そんなに高くないな
まだ太史公の方が身分給料高そう 中華の人と五胡民族は
文字や言葉が共通だったかどうか気になる
劉淵みてると共通ぽいがバイリンガルの可能性もあるので >>306
この時代の東アジア地域に文字は漢字しかないから共通だろうが言葉は全く違うだろう。 >>308
石勒が「胡はヘイトスピーチだから禁止な」ってお触れ出してるからヘイト溜め込んでる連中相当いそう 華夷思想はもっと古代春秋戦国時代以前から存在するので
五胡がヘイト溜め込んでるのは千年どころでないな
その拗らせぶりでは現代のBLM運動にも通ずるものがある
中華も後に征服王朝建てられまくりで宋学で拗らせてしまったが 石勒は胡人の漢人への報復も禁止するお触れも出しとるからやはり器が違う。 暴力で強い個体がボスになる世界ではそうなるな
温和そうなミツバチもロイヤルゼリーで女王12匹育てて争わせて
最後に残った個体を女王にする世界
一方でゾウやシャチみたいに知恵と経験に溢れた
最年長のメスをボスに戴く種も存在する
もし遊牧民族が中華よりも文明度を求める種族だったら
カリスマ勇者よりも賢者をボスに戴いてたかもな と言うかホモサピエンスとかいうお猿は
メスを頂点に戴く習性が退化してるな しかし遊牧民族でも
古代の大帝国ペルシアの創始者キュロス2世を戮した
マッサゲタイのトミュリス女王とか
漢の張騫が同盟を結ぶために派遣されて同盟断った大月氏女王とか
まれに女王懐く事あるな >>311
石勒はほぼ還暦で亡くなってるな
三十代で王侯に封じられて自前の勢力率いて暴れてたからそんなに遅くないが
惜しむらくは劉曜との抗争で十余年費やされて華北統一が遅れて
天下平定へは残り少ない寿命に抗えなかった事か 石勒の
「人がどうしてそのように自分のことを知らないことがあろうか。そなたの言葉はあまりに大袈裟だ。朕がもし高祖劉邦に会えば、臣下としてこれに仕えて、韓信や彭越と競争して先を争うだけだ。もしも光武帝に会ったなら、中原にて戦いに加わり、誰が天下を取るかわからないだろう。大丈夫たるもの事を行うに、小さなことにこだわらず日月のようにはっきりしていなければならぬ。曹操や司馬仲達親子のように、孤児や寡婦を騙して天下を盗み取るようなことはできぬ。朕はまさに高祖や光武帝と比べるべきで、軒轅などにどうして比べることができようか」
は有名だが石勒死後すぐ石虎に我が子殺されて
曹操や司馬懿親子の如く天下を盗み取られた件について 自身には忠実だったからあいつやばいから誅殺しましょうと周りから言われても非情になりきれんわな >>317
曹操や司馬懿を殴る棍棒としてよく石勒が用いられるけど
石勒自身も甥にやられてるので説得力無いな >>317
ぶっちゃけ、石勒のこの台詞って創作臭がすごいよな
古を尊び近代を卑しむ、いかにも士大夫の筆になる戯曲的な台詞だよ
石虎「俺は天下を盗み取ったんじゃないぞ。実力(武力)で強奪しただけだぞ」 >>317の話は建平3年(332年)の
高句麗&宇文屋孤の使者を持て成す宴席での
石勒と徐光の問答出の話なのだが
石勒の発言は後々まで取り上げられるのに
徐光は完全無視なのが泣ける
徐光この時まだアラサーなんだな
石勒に仕えて20年弱なのに >「俺は天下を盗み取ったんじゃないぞ。実力(武力)で強奪しただけだぞ」
窃盗か強盗かぐらいの違いしかないような >>322
宇文屋孤は北周皇帝世系図では直系の先祖に出てこないから
傍系なのかな >>321
晋書はイエロージャーナリズムとバカにされてるぐらい
信憑性よりも芸術性を追求された文が多いから
史書としての厳密性追求しちゃダメよ >>323
某皇帝的に「予は天下を盗みたいのではない、奪いたいのだ」ということなんでしょう そんな石勒や石虎は
末裔途絶えたのは泣ける
天下盗んだ方は子孫残っているのに 行き場がなくなり仕方なく東晋に逃げ込んだ末裔も当然処刑されてるのは因果応報やね >>328
石琨が東晋ではなく姚弋仲や苻健の下に逃げてれば・・・
まあ襄国から遠いわ山越えあるわで逃げるの大変な方角だけど >>327
石勒:石虎を放置したのが悪手
石虎:石閔(冉閔)を放置したのが悪手
どちらも後継絶える要因残したまま死んでる
その面では数代以上王朝続いた曹操や司馬懿をdisる資格無い無能感が 石勒は石虎を放置してたわけではないんじゃないかな
死後に自分の妻の劉氏と石虎が対立して国を割るなんて思わなかっただろうし
石宏即位時の面子を見ても、石虎ないし石虎派が絶対有利の形勢ではないしね
これはもう、簒奪まで持っていった石虎の手腕を褒めるしかないよ
それと、石虎が死んだ段階での石閔は、王朝を滅ぼす要因たりえる存在でもないかな
石虎死後の混乱は、石宣誅殺&石世立太子事件がデカすぎる
十年太子を務めて次代の受け皿だった石宣を殺しただけでも乱の原因には充分すぎるのに、
劉曜の娘の子である石世を太子に決めた時点で、乱世の再開を予感した人は相当数いたんじゃないの?
よりにもよって劉曜の孫でもある幼児を、次の主君だと私心なく仰げる人間がどれほどいたことか
もし石宣がつつがなく即位していたら、石閔は有力な一部将として生涯を終えたように思う 石勒も石虎も乱世でなければ後継者選び盤石だったと思うが
魑魅魍魎渦巻く五胡十六国時代の中原だったのが残念
元いじめられっ子羯族なのに民族としての生存本能が絶望的に足りない
苻堅は苻堅で石勒石虎の反面教師からの民族融和だったと思うが
それも南北朝時代過渡期ではワンパンで崩壊
糞みたいな貴族社会の南朝が石勒石虎や苻堅よりも成功者というのが諸行無常感が 石勒も石虎も乱世でなければ皇帝になんかなってねえよ >>332
石虎は後継者選んで殺し選んで殺し少年に継がせて崩壊だから盤石な所ないだろ 北斉の善児、劉桃枝
何なんだろうな、文宣帝から後主の時代まで
北斉で始末される人物が何人もいる
軍人だとしても、前線で軍を率いて活躍した記録はないし
名前の残る処刑専門人だったのか 劉桃枝と崔季舒が高洋を担いで街中闊歩とか何のシュールな騎馬戦・・・ 市民に難癖つけて、成敗する、闇落ちした暴れん坊将軍ならぬ皇帝 >>338
虎眼流門弟が忠長の乗る輿を担いで街中を闊歩してる感 >>339
まんまシグルイ忠長や衛府の七忍の秀頼なの草
若先生この時代描けばウケそう 酔ったらおれは何をするかわからんぞ、っていうけど
恩倖にしても勲貴にしても文宣帝とか武成帝の
勘気を避けるコツみたいなのがあったんだと思う
これに触れなければ大丈夫みたいな
魏収みたいにこの中で結構思い通りにできたやつも多いし、
コツさえつかめたら北斉の宮仕えは面白かったかも そこは虎眼先生ばりのへつらいテクを発揮したんじゃ
文宣帝「魏収よく来たの」
魏収「へぇ」
家族や弟子の前では決して見せぬ媚びた表情
北朝を代表する歴史家の上役への処世術であった 魏収は上に諂う一方で魏書編纂で敵対者貶めて書いたり
梁に使者として赴いた時迎賓館に妓女を連れ込んで顰蹙買ったり
普通はどこかで恨み買った人々から殺されそうなもんだが そりゃあ魏収について事実が書かれていない可能性が高いからだろう
そもそも「魏書」編纂は魏収の私撰ではなく皇帝の肝煎りで始められてる
北斉における氏族のランク分け、族姓譜の再編集という側面を持った国家事業で、
ここでよく書かれる氏族が上位に位置づけられるわけだから、
主筆である魏収に真偽の定かでない毀誉褒貶の嵐が吹き荒れるのは当然としか >>339
南朝梁では蕭正徳がそれをやっていたな
徹頭徹尾ろくなことしでかさなかったクソ野郎 和士開はソグド系、斛律氏は突厥つまりテュルク系
北斉は国際色豊かなんよね
隋唐は宇文泰の制度設計が大元になってるといっても
胡人任用にかんしては北斉の風を受け継いでるのではないかと思える >>346
蕭正徳は市井では虎のように強く狂暴なのに
侯景の前では猫のようにおとなしいのがダサい 【フクシマ】 安倍、岸田、を死刑に 【ワクチン】
://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/infection/1652239358/l50
>>347
北斉は地理的に中央アジア以西とは隔離されてて
国際色豊かには程遠いイメージだけど
中には虞弘みたいに中央アジアの魚国に生まれて
茹茹国(柔然)に仕えてペルシアや吐谷渾を経て
北斉に出仕して北周や隋の時代まで生きた人物も居るから
現代の想像以上に人種の坩堝 和士開って安禄山の先輩みたいなやつか
反乱までは起こさなかったけど 和士開「元氏イラネ( ゚д゚) 長孫氏イイ(*´Д`*)」 >>351
まぁある意味先輩かもしれんがちょっと違うな
安禄山は父親の名前もよくわからんのに対して
和士開は太高祖父の和跋から知られている由緒ある家の出 >>347
隋唐は宇文泰と高歓のハイブリッド
というよりも元々両者とも爾朱栄軍団なので元は同じ穴の狢 >>345
そう考えると晋書以降の国家事業史書は糞で
私撰四史(史記、漢書、三國志、後漢書)の評価が
相対的に高くなるのもわかる 胡皇后(高緯の母)が悦ぶぐらいだから
和士開はじめ胡人の逸物は素晴らしいのか 胡皇后の子供なのに
高緯が淫蕩ではない違う世界に目覚めたのは謎 胡皇后北周の使者にまで「Fast Food Bitch」呼ばわりされてんのホント草
某ダ○ア○とか某○室よりキッツい恥晒し 【中国四大淫女】
夏姫(春秋時代)
孝文幽皇后(南北朝時代)
胡皇后(南北朝時代)
潘金蓮(元末明初)
胡皇后の他にも孝文幽皇后まで四大淫女に入る南北朝誇らしい
しかし淫女で有名な始皇帝の生母の名前も夏姫なので春秋時代の夏姫と混同されてるようで紛らわしい
潘金蓮は『水滸伝』『金瓶梅』で有名な架空の人物で何故か四大淫女に入っているが
清廉潔白な同姓同名のモデルの人物が存在するが施耐庵の私怨で勝手に淫女にされた説 【中国四大美女】
西施(春秋時代)
王昭君(西漢時代)
貂蟬(東漢時代)
楊玉環(唐中期)
こちらも架空の人物(貂蟬)が居るのが謎
美女に関しては五胡十六国時代や南北朝時代が出る幕ではないのが悲しい… 【中国四大醜女】
嫫母(三皇五帝時代)
鍾離春(戦国時代)
孟光(東漢時代)
阮氏(三国時代)
嫫母は黄帝の妻、鍾離春は斉宣王の妻、孟光は梁鴻の妻、阮氏は許允の妻で
醜女なのに全員結婚できているという・・・
一説には誰かの代わりに賈南風を入れる場合もあるが
前4人は賢女で知られているのに対して賈南風は全く別で除外が適当
とりあえず五胡十六国時代や南北朝時代は美女だけでなく醜女とも無縁の世界 【中国四大名妓】
蘇小小(南北朝時代)
李師師(北宋末南宋初)
梁紅玉(北宋末南宋初)
陳圓圓(明末清初)
名妓だと圧倒的に有名なのが呉三桂の妾陳圓圓なのだが
何故か南斉時代の蘇小小が入っているのが誇らしい
蘇小小のエピソードみると名妓というよりも没落貴族の才女の方がしっくりくる >>366
魚玄機の生家は名妓の家だが
魚玄機本人は詩人とか道士とかの人なので… >>359
>しかし淫女で有名な始皇帝の生母の名前も夏姫なので春秋時代の夏姫と混同されてるようで紛らわしい
だったら 夏姫(戦国時代) でいいじゃん
春秋時代の夏姫は周りの男にクソ野郎が多かっただけなんだし >>368
そんな記述あったっけ?
「豊かな肌」とかのこと? >>359
孝文幽皇后の姉妹も皇后(孝文廃皇后)になっていて、そちらは幽皇后とは逆に貞淑な良妻だったんだよな
幽皇后の讒言のせいで廃后に追い込まれてしまい、出家して練行尼と号して天寿を全うしたそうだけど >>361
そうだよね
それが中国四大〇〇の全て胡散臭く感じる悪いところ
こんな事してるから武廟十哲や武廟六十四将までも胡散臭く感じる >>362
夏姫よりも淫女は中華の歴史で五万と居るだろうに・・・ >>363
中国のサイトだと何故か楊玉環で出てくる
日本では圧倒的に楊貴妃で通っているのに >>371
ドラクエWのマーニャ(姉、踊り子)とミネア(妹、占い師)みたいな感じか・・・
姉が淫乱とかだと妹は反面教師で真面目になるのだろうか
それにしても長楽馮氏を遡ると北燕の天王(馮跋)が居て
時代降ると宦官(高力士)が居て
更に時代降ると五朝八姓十一君宰相(馮道)が居るという・・・ >>373
間違えました始皇帝の生母は趙姫ですねスマソ
しかし趙姫でも中国四大淫女に入らない中国恐い 【中国四大賢母】
孟母(戦国時代)
陶母(三国時代末西晋時代)
女媧(三皇五帝時代)
岳母(南宋時代)
孟母は孟軻の母、陶母は陶侃の母、岳母は岳飛の母、で
五胡十六国時代の陶侃の母が入っているのは誇らしいが
伏羲と共に神扱いされている女媧が入っているのは頭痛が痛い 【中国四大醜男】
晏嬰(春秋時代)
左思(三国時代末西晋時代)
包拯(北宋時代)
劉墉(清時代)
醜女も居れば醜男も居る訳で晏嬰が最高峰かと思ったら
ギリ五胡十六国時代の人物に入る左思が晏嬰と並び称される醜男で素晴らしい
孟母は孟軻の母、陶母は陶侃の母、岳母は岳飛の母、で
五胡十六国時代の陶侃の母が入っているのは誇らしいが
伏羲と共に神扱いされている女媧が入っているのは頭痛が痛い 一人架空の人物が入ってるのがデフォにおもえてくる。 架空の人物いれていいなら今お前らが考えた設定でもええことになる。 【中国四大名醫】
扁鵲(春秋時代)
華佗(東漢時代末)
張機(東漢時代末)
李時珍(明時代)
名醫は名医なのだがこちらも伝説の名医で
300年以上生きたと云われる扁鵲が入っているので
中国四大〇〇はそんなものかなと思う
五胡十六国時代直前の医者は2人とも結構西洋医学的知見 【中国四大女名醫】
義姁(西漢時代)
鮑姑(東晋時代)
張小娘子(北宋時代)
談允賢(明時代)
名醫(名医)が居れば女名醫(女名医)が居る訳で
その中でも五胡十六国時代の葛洪の妻の鮑姑が入っているのは特筆
しかし4人とも日本語版Wikipediaが存在しないぐらい
中国歴史マニアの中でも無名に近い存在 儒教で聖人とされている周公旦も庶人天王こと慕容盛にかかればダメ君主ということに
「私は皆と違って周公旦など評価しておらぬ。君臣のけじめをつけることなく、肝心の法や刑罰を蔑ろにしおって。だから殷の遺臣どもに背かれて泣き言を抜かす羽目になるのだ」とのこと
庶人天王は法家思想だったのだろうか? 周公旦ってむしろ権臣が忠臣アピールするためのアリバイ作りに利用されてるイメージ >>385
慕容盛自体が2年ぐらいしか政権保てなかったダメ君主というのが尊い >>387
正確には3年
それでも蘭汗の乱のどさくさ紛れに契丹や高句麗に奪われた領土を親征して回復する功績を立てている
また、この時代には珍しく罪人に対する拷問を一切禁止した
ただ、庶人天王が慈悲深い性格だから拷問を禁止したのではない
庶人天王自ら罪人を尋問して供述を引き出して証拠があれば拷問なんかいらないという極めて現実的な考えからだそうだけど 庶人天王は裁判好きなら
泰始律令のある南朝に仕官するか
北魏に降って神䴥律令の完成を待つかしてれば
幸せだったろうに >>384
談允賢は「女医明妃伝~雪の日の誓い~」という中国ラブ史劇(笑)大量流入より少し前のドラマのヒロインのモデル。
ヒロインは談允賢と景泰帝の妃を混ぜ合わせたような設定だと思う。
きちんと観ていないが英宗、景泰帝、エセンに好意を寄せられるんじゃなかったかな?(笑)
中国時代劇ムックのこの作品の紹介ページに中国四大女名医の名前も挙げられていたよ。
でも政治、軍事の人や詩人や有名な著作者の名前は日本のマニアも相当だけど、それから外れるとやはり本場の人には敵わないところがあるよな。 談允賢を語れる人が存在するだけでも
五胡十六国時代や南北朝時代の知識が中国史全般に生きる好例
他のスレなら談允賢なんて誰も知らず完全スルーがオチ >>386
慕容恪「そんな…俺の忠誠は、忠臣アピールのためのアリバイ作りに過ぎなかったのか…」
(※慕容恪は実際に周公旦の役割を期待されていたりする) 慕容盛が慕容恪をdisるなんて
天に唾吐くようなもので笑止 苛烈な現実主義者で法家思想の庶人天王と
穏和な理想主義者で儒教を重んじる慕容恪
どう考えても水と油で合わないと思うよ 恪の聖人化自体が垂の宣伝なんじゃねえか疑惑
恪の死後に桓温も苻堅も軍事行動おこしてるから重要人物なのは間違い無いんだろうけど 個人的には慕容評は低く評価され過ぎなんじゃないかと思っている
もしも慕容評が国を滅ぼした奸物なら苻堅が許さないはず
なのに、苻堅は慕容評を助命して地方の太守に転出させた
慕容垂が処刑せよと糾弾したにもかかわらず
果たして、慕容評は本当に国を滅ぼした奸物だったのだろうか? >>398
慕容恪に憂慮され、高泰等の進言も取り合えず
ことごとく裏目だ、前秦に懐柔、買収されてたんじゃないのか?(  ̄▽ ̄)
最後は慕容イに蓄財を兵士に分けろと言われる始末だし、それもやってないよね?
元々無能ではないが欲に目が眩む駄目タイプだろハゲ 苻堅は鋼の錬金術師でいえばグリード(強欲)なんだろうね
だから奸物だろうが全て受け入れて自らの欲の足しにした
終いには東晋まで望んで失敗して身を滅ぼしたのも強欲たる所以
苻堅が慕容評を許したのは慕容評が奸物ではない根拠にならない 【中国四大情女】
孟姜女(秦時代)
虞姫(秦末楚漢時代)
薛平貴(唐時代)
白娘子(唐時代以降)
今までの中国四大○○に架空の人物が含まれていて萎える事多いが
中国四大情女に至っては4人中3人が小説の架空の人物で世も末
その中でも薛平貴は唐の人物なのに五胡十六国の西涼に捕えられるというシュールな展開 【中国四大俠女】
祝英台(北宋時代)
呂四娘(清時代)
十三妹(清時代)
紅線女(中華人民共和国時代)
中国四大情女だけでなく中国四大侠女も4人中3人が小説の架空の人物で
むしろ中国四大〇〇に実在の人物が選ばれる方が変な気もしてきた
唯一実在の人物の紅線女は10年前ぐらいまで生きていた女傑 五胡時代と関係無い時代の名前出して何がしたいのコイツ
荒らしか? >>398
王猛「慕容評は無能」
司馬光「慕容評は亡国の奸臣」
慕容評が生きてた当時の人も歴史家も意見がほぼ一致しているので奸臣でいいのでは 慕容評って軍事的には無能ってわけじゃないし
慕容評の欲を抑えられる人がいれば失敗しながらでもボロを出さないで済んだんだろうな・・
格が死んで自分が政治・軍事のトップに立ち・皇帝にも抑えられないとなった時に
我欲丸出しになって国ごと破綻したと思う
まあ垂は垂でかなり癖があってあっちこっちで衝突しまくってたようだし評のせいばかりとは言えないんだろうが 慕容恪は自分の後任に慕容垂を推薦してたが
どちらにせよ慕容恪が居なければ前燕滅亡は運命の気が
滅ぼした相手が苻堅のおかげで
慕容氏ほぼ前秦に吸収されて後燕西燕南燕と慕容氏祭りが発現 >>406
評も垂も恪と比べると粗相ある人だからな…
恪が完璧超人だから比較する対象ではないが
垂は評よりも後に生まれた分
乱世の英雄になれていい人生 >>396
恪は今ですら過小評価
中華統一のテンプレ歩んでいた後趙を挫いて統一王朝成立を二世紀も遅らせた
漢民族至上主義を漢民族に否定させるフェーズを生み出した
漢民族を家畜化する効率的な機構が支配者階級の内憂で簡単に崩壊するのを見せつけた
これらがなければ、胡の漢民族化に至った隋唐世界は生まれなかった
単純な武働きや人となりだけでは評価できない、歴史の岐路の舵切り役というのを成し遂げてる 慕容恪を誰かに例えるとしたら限りなく難しい
強いて言えば鬼滅の刃の継国縁壱みたいな
ただ一つ違うのは継国縁壱は80歳過ぎても全盛期だったのに
慕容恪は50歳まで生きられなかったのが惜しい 慕容評は慕容?、慕容儁の時代は将軍として活躍してたし
慕容恪が生きている時までは前燕の柱の一人だったんだがなぁ
自分が掣肘受けない立場になったら国が滅ぶ原因になろうとは・・
上に抑える人がいてくれないと周り巻き込んで破滅する例の典型みたいな人だよね・・ 確かに慕容恪はかなり過小評価な気がします
もっと長生きしてたらのIFは興味深いです
慕容垂の亡命も無く、淝水も無くて三国鼎立が長引いたかもとか、慕容恪、垂で前燕の制覇まであったかも
慕容恪の死で歴史は変わったというのはいいすぎですかね >>410
継国縁壱は兄の継国巌勝から激しい憎しみと嫉妬を買ったものだが
慕容恪が兄弟から激しい憎しみと嫉妬を買った感は無いな
どちらかというと慕容垂が兄の慕容儁に激しい憎しみと嫉妬を買ってたような 慕容恪は過小評価という以前に、業績が史書の色んな所に散らばってしまってるのが大きい
この人の全体像を明らかにするためには、史料と時間をかけて取り組む必要がある
そこまでやれるのは、この時代が本当に好きな一部の人間だけだろうな
だから目立つ奴しか書けない小前亮の小説では、影も形も出てこないというね
まあ今更小前が書いても、「劉裕」の寒いノリでしか登場しそうにないが 慕容翰も過小評価されがち
まぁあまり知られてないのもあるが >>417
プロトタイプ慕容恪だから、最大限能力生かされてたらやばいことになったとは思う
なお内ゲバ内ゲバアンド内ゲバという慕容部の伝統芸 せっかく珍しい時代を題材にしてくれたんだから
小説家を叩くんじゃなくてもっと書いてくれるように買うなりしたほうが建設的では? >>417
慕容翰の戦上手さに関しては慕容垂の師匠格
まぁ実際に一緒に高句麗蹂躙してるからまぁ 日本の囲碁マンガ「ヒカルの碁」を2020年に中国でリメイクしたドラマ「棋魂」が今日から3日間CSのTBSチャンネル1で集中放送しているので見たが
主人公に憑依するのが南朝梁の武帝の囲碁の第一人者という設定だったが、このスレで話題になった事あったかな? 小前亮ってこのスレで叩かれるとシュバる奴がいるよな
書き込みの癖からして同一人物だが、そんなに熱く弁護するならお前が複数買いしてやれよ じゃあ作家が三国志とかばかり書く状況に文句言うなよ
結局自分たちがこんなマイナーな時代に詳しいっていう
選民思想を持ってるゴミであることを自覚してないだけじゃん 何処に文句が書いてあるんだ?(  ̄▽ ̄)ア?
お前周りが見えて無いと良く言われるだろ あっそ、じゃあこれから絶対に文句言わないんだな
世間の人が五胡十六国南北朝に興味なくてもいいし
この時代の面白さを知ってもらわなくてもいいし
自分たちだけ悦に浸れればいいんですね
三国志好きはバカにするくせにね
他人の大好きは否定して自分の大好きは広めないって
何がしたいの 三國志はスレチなのにしつこくレスを続けるのが嫌われてるだけだろ 田中芳樹がもっとこの時代を書けば良いんじゃないかなって思うわ
奔流と蘭陵王の二作品は面白かった >>427
蘭陵王は中国の方では想像以上に人気あるからな…
あの基地外家系で爽やかなイケメン有能とか最高 >>429
お父ちゃん(高澄)→ガチの酒乱で暴力癖でNTR性癖
おじさん(高洋)→ガチの酒乱で鳥人間コンテストが趣味で連続強姦殺人犯
おじさん(高湛)→ガチの酒乱で皇太后レイプ犯
弟(高延宗)→連続殺人犯
でウンコ食わせる性癖
変態とDV野郎ばっかの家系でほぼ唯一のぐう聖の蘭陵王 >>430
実は高延宗が1番変態かもしれないな
他は酒飲ませなければ何とか抑えられる 自分じゃ何もしないのに文句だけ付ける奴は
どこでもクソ扱いしかされないこと自覚した方がいいと思うよ いつまでもしつこく食い下がる奴は、クソ以下の扱いしかされないけどな >>434
変態を皇帝に祭り上げる北斉自体変態国家 >>430
高緯も高綽も変態DV野郎扱いされてなくて草 >>429
蘭陵王の孫の高元簡の存在が確認出来たのが
今から20年ちょっと前なんだよな…
考古学調査で定説覆るのは楽しい >>437
このくらいやらかさないと北周が勝てっこないというくらい差があったからな
上がアレなだけでなく、下は漢化派胡人VS漢化派漢人Vs胡化派胡人VS胡化派漢人という仁義なき戦いでgdgdというデバフ持ち
そりゃ宇文式胡漢融合を(太上皇除く)ずっとやって団結して渡り合おうとするわなと >>440
面白いに同意だが
六鎮の中で武川鎮(爾朱栄軍団)のみが勝ち組というのがな…
他は反乱して滅んだり空気だったりで残念ばかり 手下が北朝オールスターズ(高歓、宇文泰、賀抜ブラザーズなど)なのをみてると、間抜けな死に様も含めて何進っぽい ゲームとか横山光輝の漫画とかだで兵糧といったらまず米しか出てこないよな 本場のドラマだとわりとシャオピンみたいなのを食べるシーンが出てくる 爾朱栄は董卓とかにたとえられてたりするせいか、50歳前後のイメージで語られてる気がする
実際は享年38歳、満年齢なら37歳で、たしか高歓より2歳だけ年上とかじゃなかったかな
軍人としても政治家としても円熟期を迎える前の横死なわけで、噛ませ感はあまりないなあ 爾朱栄が宇文泰の兄貴をぬっころしたとき、多分傍には側近として高歓がいたんだろうな
高歓は「ついでにこの小僧も殺してください」、と言わなかったのは、後々の痛恨事 >>447
食事のメニューはタブン南朝の方が豊富だと思う。
なんだかんだ言っても温暖な気候だし 喫茶の習慣は唐の陸羽からとされているが
実際は魏晋南北朝時代には行われていたらしいな
孫呉の韋昭とか両晋の劉琨や左思や張載や遠祖納や謝安らが
嗜んでいたのが文献には残っているな >>448
数千年経っても基本的に変わらないのな
日本は縄文時代から食文化大きく変わっていて
ラーメンやカレーまで国民食になってるという >>451
爾朱栄は自身の初孫が生まれそうで見舞いに行って殺されたんだっけ
爾朱栄は意外と家庭人で家族以上の絆の武川鎮の配下の英傑達が
綺羅星の如くその後隋唐の世界まで中華席巻したのもわかるな >>452
高歓は爾朱栄軍団には珍しく懐朔鎮出身なので外様
爾朱栄が高歓を高く買ってても宇文泰まで殺して
武川鎮の有力な配下の宇文部滅ぼそうまでは考えなかったのでは
もし高歓が宇文泰殺してても武川鎮の誰かが台頭して
史実通り西魏東魏に分裂してたのではと思う
しかし高歓は爾朱栄の娘引き取って側室にしてるが
爾朱栄に仕えるかの如く接しているのは主従関係刷り込まれているようで楽しい
高歓の爾朱栄への敬意が一族に伝わらなかったのは北斉滅亡の遠因の一つ 楊堅だって嫁はん元上司(独孤信)の娘やぞ
そりゃ嫁に逆らえませんわ 正しくは「パンが無ければ肉粥を食べればいいじゃない」になるのか >>458
独孤信は八国柱の5位(1位は宇文泰)
楊堅の父楊忠はハ国柱より格下の十二大将軍の11位
格差社会で嫁はんの方が格上だから仕方ない
まだ皇帝の娘貰った方が気が楽 >>460
マリーアントワネットは司馬哀の生まれ代わりかもしれん 5000年も頃し合ってるチャンコロ共には
ビロード離婚やウイスキー戦争なんて理解できないだろうな 漢胡で激しく対立してたのがたった300年で融合して新しい人種になる過程が面白い 高歓って爾朱栄の娘を大事に扱ってるのはわかるが息子(文宣帝高洋)にもちゃんと教育しておけよ。
仏門に入るとこまでは良い話なのに泥酔した文宣帝高洋(通常運転)にレイプされそうになって全力拒否→殺害とか胸糞
まあいつもの文宣帝ではあるけど >>465
アメリカとイギリス(領カナダ)がガチで戦争状態なのに
被害者が豚1匹のみのブタ戦争はチャンコロには真似出来ない >>466
まぁ殷周時代よりも前から異民族が溶け込んで融合し続けるのが漢民族
鰻のタレみたいなもんだなw >>467
高歓は確認出来てるだけで15男9女儲けてるけど
妻妾持つのには熱心だが子育てに情熱持ってない人なので仕方ない
ビッグダディの方が家庭内では聖人に思えるが
ビッグダディの子供みてると子供は勝手に育つので
全て親の思うようにならないのは仕方ない >>467
そんなもんだから文宣帝が崩御しても悲しむのはたったの一人だけだったとか
婁太后が「お前の父兄は帝位など望まなかった。父兄より劣るお前が即位しても重圧に押し潰されるだけだよ。ろくでもない末路を遂げるだけだからおよし」と反対したけど
全くその通りになったわけで… 文宣帝って義理のお姉さん(高澄の妻の文襄皇后)と叔母(安徳公主)も集団レイプしとるし暴君テンプレートを振り切ったヤバさ 高洋は酒乱暴君だけど突厥の君主から英雄天子と呼ばれ軍事面では優秀 都を蹂躙し従姉妹達(李雄の皇女達)を軒並み略奪した挙げ句に「皇帝になったら数年の命だと?ふん、だったら皇帝になってやる。後の事など知るか」とのたまった成漢の李寿も十分ヤバい
なお、廃帝幽公李期の怨霊に祟られた挙げ句にわずか5年で狂死を遂げたとガチで史書に書かれてしまった模様 漢胡は融合できたのになんで元と清はできなかったん? >>475
元は中国を征服する前にアラビアやヨーロッパといった別の文明に接していたから中華思想に染まらなかった
ぶっちゃけ元にとって中国は単なる征服地に過ぎなかった
だから明に攻められるとあっさり放棄できた
清は少数民族だったので漢民族を取り込んだつもりで自分達が同化してしまった
末期には皇族ですら満州語の読み書きが全く出来なくなってしまった
女性にしては教養のあった西太后ですら満州語の文面を見て全然理解出来なかったとか
そして今では漢民族風の姓を名乗り、アイデンティティーが漢民族な満州民族が増えている >>470
どうやら高歓の子育ては放任主義+甘やかしだったようで、楊堅は反面教師にしていた
「高歓め、子供達を甘やかすだけ甘やかして好き放題させおって。だから子供達がろくでなしになるのだ」
「いいか、我が家は高歓を見習ってはならない。彼奴を反面教師にしないといけない」
楊堅と独孤氏の質素かつ厳しい躾で育った子供達がどうなったかというと…
まあお察し下さいということで 曹魏が親族の権力を削いで徹底監視したのも一因であっさりのっとられたの見て司馬炎が一族優遇した結果→ >>477
後継者育成は難しいが
今やってる大河ドラマでは
北条義時から孫曾孫ぐらいまでは有能に育っているので
何かしら子育て成功の匙加減の秘伝は有るのではと思う 即位直後に優秀な甥を後継者に決めて帝王学を叩き込み、自らは甥の邪魔にならないように敢えて子供をもうけない
前涼の張茂みたいなこんな超絶的な聖人君子はそうそういないからな お父ちゃん(高歓)イケメン
お兄ちゃん(高澄)イケメン
甥っ子(高長恭)超イケメン
本人(高洋)ブサイクキモメン
これは性格歪みますわ 北条家もそうやが権力の座についたトタン寿命が短くなるってどういうことなの そういうのは近親婚だろうな
特定の家から正室取ってるとな NHKの歴史番組で「権力の座についたとたん不健康な食生活になるからすぐ死ぬ」みたいにいってた人いたな
始皇帝のアレ見るにあながち間違ってない気もする 突厥や蒙古などの遊牧民にもニートいたの?
農耕民族だと元ニート軍師の諸葛亮や科挙の受験生もアレも実質ニート
江戸時代の武家の次男坊三男坊という部屋住みニート
がいたけど、過酷な遊牧生活だとそういう穀潰しを養ってる余裕はないか >>484
始皇帝は水銀食ってたからな…
あの食生活でむしろ長生き過ぎる >>486
基本的に働けない=穀潰しでイラネ
の世界だから遊牧民社会からニートは排除されるのでは
ニートが生きられるのは文明社会の証拠
日本のニート全員モンゴルの大草原に放り出せば
少しは日本社会も上向くかもなw >>482
権力持つと寿命が短くなるのはあるかもしれないが
日本皇室やイギリス王室とか全員ではないが長生き多いからな
程々の権力と仕事と地位の高さは長生きにいいかも >>486
障害者の話も聞かないから多分始末されている
または意図的ではなくても育たずに亡くなっているのかと 権力の座につくって、要はあらゆる利害関係の
中心に立たざるを得なくなるってことよ?
つまり、いつまでも利害関係の調整に砕身しなきゃならんのよ?
そりゃ縮むわ、寿命。 皇帝菩薩「粗食をして、酒を呑まず、夜は女性と同衾しなければ、長生きできるぞ」 宮崎市定センセイも仰られてるが「独裁君主の寿命はせいぜい10年。それ以上は名臣や名宰相の支えがなければ政権を運営できない」からね。
雍正帝も在位十年ちょいで死亡してるし
(死因は過労死、ストレスからの暴飲暴食、丹薬の毒など) 靖康の変とかもあって女真は蛮族のイメージだが
渤海の民だったりするから昔からそれなりに漢化されてたりするんだよな
同盟を結んでたのに遼の残党と組んで金を攻撃しようとしてたから太宗が切れたのも無理はない 中国にも西洋のフルプレートに近い重装騎兵がいたんだな
鉄浮屠 北魏、サンプルが少ないが北斉、北周は短命続き。
隋は実質2人だがそう短くもなく、唐の大勢いる皇帝たちも仙丹や殺害を除けばそう悪くはない感じかな? 餓死で急に思い出したのだが、ギリシャだと、包囲戦の結果人肉食が起こって、誰々は人肉を食った、家族を殺して食べたという事実が、神話や星座、歴史書の形で記録されたりしてきた。
中国でも籠城戦を仕掛けて負けると、酢漬けにされて家族に食われるというような残酷刑を受けるが、飢えさせる戦い方がいかにヨゴレなのかが分かる気がする あと水攻めも生活インフラ破壊するから恨まれるよな。
どこぞの島国の六本指の小男が立てた政権も短期政権だったが因果が巡ったのであろう >>498
菩薩皇帝のおかげで即神仏とか流行った説 東洋で成り上がりと言えば朱元璋と豊臣秀吉がやはり2強か
五胡十六国なら石勒とかいるけど その2強が対外戦でガチバトルしたのは歴史の必然だったのかな ティムールと永楽帝のドリームマッチは実現したらどっちが勝ってたかなあ >>504
朱元璋と豊臣秀吉は世代違う
石勒と楊堅ぐらい違う 建文帝側が勝ち残り首都南京のままならどうなってたか見たかった 明って結局偉大な王朝だったのかダメだったのかどっちなんやろな総合的な評価として まあそれなりにようやったんじゃないか?粛清祭りに暗愚祭りに宦官祭りがあったわりには長持ちしてるのは
システムがしっかり構築されていたからだろうし >>506
世界史板でもティムールvs永楽帝のスレってあったな。 >>510
洪武帝が築いた明の統治システムは次代の清もほぼ継承しているし李氏朝鮮もベトナムも導入してから優れていたのは間違いない。
漢土をほぼ制圧した清の順治帝は臣下との歴代で最も優れた皇帝は誰かとの問答で唐の太宗を推す臣下に意を唱えて洪武帝を推しているし、
その子で史上最高の皇帝と目される康熙帝も南京にある洪武帝の孝陵に参詣した際に”治は唐宋より隆し”と書を遺しているように高く評価している。 >>496
禿髪樹機能の頃から鉄浮屠に近い重装騎兵が居たらしいが
残念ながら馬隆の対重装騎兵の超化学戦法は継承されなかった >>506
ティムールと永楽帝は全盛期が違うので一概に言えない
ティムールは明遠征途上に陣没して
没後のティムール朝と明は友好国になってるので
無理矢理勝敗つけるならティムールの不戦敗
まあティムール朝と明は五胡時代とはまた違う
騎馬民族と漢民族とジョジョの奇妙な冒険 >>516
徹底的な衆愚化を図った点は漢にはない
これが明のシステムが当時人気だったとしても今はボロクソである大きな理由
支配者にとっては都合はいいが、そいつらに給仕する上の下以降にとって反吐が出るような治世 >>515
その戦法実現可能か誰か検証して欲しいわ 明の話は該当スレでやれとしか
十六国時代前期の拓跋部って結構謎が多いよな
前涼の張茂・張駿の使者が来たりしてるから、後趙への牽制役を期待されたのは確実
ただ、それを理由として後趙に攻めこまれてないあたり、前涼とはほどほどの関係だったみたいだが >>520
後趙は前燕に大打撃喰らってからは内政志向にシフトしてる
あの敗戦は軽く取り上げられがちだけど、段部衰退と慕容部躍進を決定付けたのも含め歴史の転換点になってる >>522
前秦に滅ぼされる直前の代は内ゲバで内部抗争して弱体化したけど
前秦に属してる間も今まで通りいくつかの部族で北の草原地帯に勢力張ってたから
中原からすると辺境で遠くて疎遠でよくわからんだけで
後の北魏に繋がる潜在的勢力は蓄えていた >>523
付け加えると、前秦服属中にあの独孤と拓跋が繋がった上で
内乱によって拓跋と敵対した独孤を返り討ちにするというミラクル起こしてる 天可汗はんの祖母が独孤伽羅の姉の独孤曼陀というのが恐ろしや 般若・曼陀・伽羅
はんじゃく、ばんだ、から
日本の朝廷寄りで、微妙に北朝のミームが生き残っている。雅楽に蘭陵王があったり、能面の般若、記紀に神武天皇(北斉の神武帝に名前が似ている)が登場する 蘭陵王の弟の安徳王。これも朝廷に影響を与えてそうな固有名詞。 日本は結構この時代に影響受けてるよね
下手したら唐以後のそれよりも大きいかもしれない 文化面や仏教の需要においては南朝梁の影響がでかいけど、北魏様式の仏像も多いし。やっぱり、匈奴鮮卑と司馬氏の抗争なのだろうか。 >>530
漢字、呉服、唐物
日本は漢、呉、唐からの影響が最も残っている
逆に五胡十六国南北朝時代は国名みると春秋戦国時代の影響を受けている??? >>532
国号は現時点の地方or王公として封じられた地方or後継と目する地方のどれかを名乗るパターンが多い
趙王に封じた石勒の存在意義なくすため国号を趙にして趙皇帝になった劉曜はレアケース 晋服にならず呉服になった理由
北朝側が南朝バカにするとき東呉と蔑んでたせい? >>530
そら渡来人の大半はこの時代に日本に来たんだろうし。 >>534
両晋と倭国(日本)との関係は邪馬台国女王臺與の朝貢(266年)
と
倭王讃の朝貢(413年)ぐらいでその間はほぼ途絶
呉は春秋戦国時代から長らく倭国と関係あったので
どう考えても晋服ではなく呉服になってしまう
日本に呉市ではなく晋市があればね・・・ >>536
16世紀舶来でも南蛮
そういやクビライが南宋滅亡させた時
南宋人(漢人)は南蛮人扱いだったから
南北朝時代の北朝にとっては南朝は南蛮人だったんだろうな >>538
島夷っていう言葉が残ってる
つまり江南を辺境の島扱いしてた >>539
東アジア〜東南アジアの島嶼部で活動してたからじゃないかな。
刀伊、東夷という言葉とも似ている。漢代の発音がもし現代日本語に近いものなら、ある程度同じ物事を指していたかもな。 >>521
西暦338年時点だと、まだ慕容部が躍進できるかは不明じゃないか?
この戦役で慕容部の内政を担当する晋人官僚が多数後趙に走っちゃってるし
たしかに後趙は慕容部に敗れたけど、人的資源の損失という点では慕容部が大打撃喰らってるんだよね
慕容部が本当に躍進したと言えるのは、西暦343〜344年の高句麗・宇文部撃破のあたりだと思う
異論はもちろん認める >>541
後趙が中華必勝テンプレを使えなくなり停滞したのと
前燕が大エース慕容恪が使えると知ってしまったのが大きな収穫
過去レスでも言及されてるけど、慕容部はワントップ型かつトップ優秀ならいくらでも伸びれる勢力
漢民族を家畜化する技術は西晋以前から磨かれていて、トップ次第でいくらでも奪って膨れ上がれるというのが強み
その原動力を発掘してしまったのが棘城の戦いであり343〜344の大躍進に直結してる
なお343〜344には次代の大エース慕容垂も発掘してしまったが、扱いを間違えた結果があのざまという・・・ 慕容垂て50年以上も戦役で活躍してるから
老いて益々盛んの老将のテンプレかと思ったら
誰も慕容垂を老将扱いする奴未だ居ないのな いや淝水以後の慕容垂は普通に老将だろ
正直鄴戦役まわりは耄碌と呼んでも問題ないレベル 参合陂のあとの平城リベンジの戦績が異常だから勘違いされ気味だが、
正直鄴獲得以降の慕容垂はカスだろ
劉牢之(笑) >>543
将軍という以前に君主として見てる人の方が多いと思うよ
それにしても、父親の慕容皝は後継者選びで禍根を残しちゃったよなあ
「慕容翰と慕容仁を容れることができず、息子ふたりが争う原因を作った」
これだけでも、慕容皝を名君とは呼ぶのは難しいですわ >>543
苻堅なんて50年も生きていないのにな
慕容垂からしたら苻堅は青二才の若造 >>445
項梁、何進、桓玄、爾朱栄みたいに図らずも次代の群雄を育ててる人が好き その意味では壇道済の配下は粒揃いの筈なのに
ほとんど次代の英雄になれず歴史に埋もれたのは残念 南と北を比較すると、宦官の影響力にも違いが出てるんだなあ
南北朝の前期限定だが、北魏だと帝位継承にも食い込んでるのに対して、
南朝には権勢をもった宦官がいないように見える 北魏は宦官でも群太守やってて後漢は勿論、後の唐や明と比較しても宦官の社会進出が異様 宦官が権勢ふるうと王朝滅亡に向かうのは
趙高や十常侍などで痛い目に遭ってる筈なのに
でも宗愛で痛い目遭ってるのにその後百年近く続いた北魏は
宦官耐性あるのかもしれない >>552
そんな北魏でも五代十国の南漢には勝てない 後漢の宦官って唐(皇帝を何人も暗殺)や明(簒奪未遂や無理な遠征を皇帝に勧めて皇帝が捕虜に)に比べると悪人としてはスケープちっさい 五胡時代の出色の宦官といったらやっぱり張蚝
あそこを取ったのに前後と精力が変わらないって
軍を指揮した宦官はいるけど、ここまでの猛将は知らない
でも淝水ではどういうわけかパッとしなかった >>557
あれは宦官って言うよりはシグルイの牛又師範みたいな感じじゃね そのたとえじゃまるで分からん
シグルイとかしらんし >>557
五胡十六国南北朝時代なら張蚝が圧巻だが
後世含めると個人的武勇なら董海川
童貫も劣らないが宦官なのに髭生えてたので胡散臭さは有る
張蚝は末路が不明なのが残念
時期的に後燕西燕の侵攻に巻き込まれて横死しててもおかしくないが そうそう。多様性社会では言いづらいことだが、男は男らしく、女は女らしく生きないと精神のエネルギーの行き場がなくなって発狂する。その発狂した人たちを宮廷に大量に配置させていたという、破壊工作なわけよ。 >>561
宦官といっても全部切るケースと竿だけ切るケースと玉だけ切るケースがあるんでしょ?
宦官にも多様性がある >>564
鄭和は宦官では有名な方だけど
大艦隊率いて朝貢国開拓するのが目的なのに
相手から攻められた時にボコボコに返り討ちにして
敵対君主とっ捕まえて明本国に送るのが主戦績になったのは泣ける
鄭和は本名「馬三保」で帰化五世で実はムハンマドの子孫なのな
中華にとっては西戎で五胡と変わらない四夷 >>565
竿だけ切るケースが一番キツそう…
性欲残ってるのに発散出来ない
前立腺刺激したらイケるのかな
玉だけ切るパターンが排尿にも苦労しないし一番良さそう 幼児を宦官にするには
宮廷の女官が幼児の睾丸を
特殊な方法で時間を掛けて揉み潰す方法が有ったらしい
どんなプレイだw >>568
鄭和の陰に隠れているが同時期に永楽帝の命を受けて艦隊を率いて黒竜江を下って河口に至り更にサハリンにまで渡った宦官の亦失哈(イシハ)も女真人だった。
またチベット、ネパール、ベンガルといった西南諸国に朝貢を促す目的で派遣された宦官の候顕もチベット人で、この内ベンガルへの派遣は海路が取られているので
永楽帝時代の海外への派遣や派兵に異民族出身の宦官が用いられたのは靖難の変というクーデターで簒奪して即位した永楽帝の漢人の官僚への不信があるのだろう。 そういや北斉書買って読んだ奴おるん?
とりあえず安徳王高延宗のウンコ食い強要と安徳公主の股間綱渡りの2大変態案件が笑撃 >>572
漢人は外国人のチ◯コは気軽に切るのな
どんなプレイだw オスマン帝国の宦官も外国人が多いで
元々は遊牧民が捕虜にして男の奴隷を去勢する風習がルーツや 前涼の衰退は、個人的には張駿が40歳の若さで死んだときに始まった気がする
張重華が年少で涼州牧になったために、幅をきかせる側近たちが現れたように見えるし
しかも張重華が30歳にもならず死んだせいで、州牧の座をめぐる内紛が起きるとか…
この辺、曹丕と曹叡が若死にして司馬氏に国を奪われた曹魏に近いものがあるかも? >>572
亦失哈は鄭和と違って人口希薄地帯への遠征だから
鄭和ほど名と功績が後世に伝わらなかったのは残念
現代なら情報通信機器やSNSが発達しているので
むしろ人類未踏の秘境の地への遠征の方が価値あるな >>572
永楽帝に限らず皇帝にとっては権力を世襲することができない宦官は都合のいい存在なのは理解できる
漢人官僚の協力が得にくい関係なら尚更
後魏の皇帝が尊崇する前魏の創始者は
「宦官の弊害は宦官制度そのものに問題があるのではなく
皇帝が宦官に依存しすぎるから引き起こるのである」
と発言していたりするので後魏は宦官天国に >>577
前涼は張駿以降は張駿を越える傑出した名君が居ないのである意味仕方ない
涼州は地理的にも異民族に挟まれた不安定で貧しい土地なので
中原と違って常に国力乏しいのでよく割拠した方 皇帝からすると外戚や権臣に権力を脅かされた時の最後の懐刀的な存在として、宦官に頼るのは理解できなくはない >>573
変態案件kwsk
北斉だともっと変態案件有りそうな >>571
変態宦官手術kwsk
これは女官にとっても楽しそうな 五胡十六国のドリームマッチなら慕容恪と王猛が興味ある 裏切りというか口裏合わせたプロレスな印象もあるけどね>王敦と王導
王敦の乱は帝位簒奪を目的とした反逆ではないし
司馬睿の性急な中央集権化に対する反発って面はあるよね
王敦の乱が帝位をうかがうための挙兵であったなら、周訪の子の周撫が王敦側で参戦する事態にはならんしなあ 王導「初めは強く当たって後は流れでお願いします」
王敦「了解しました」 >>587
王敦の乱(一次)は概ね同意だけど
王敦の乱(二次)は王導だけでなく他の瑯琊王氏もドン引き
一回成功したから再度やって失敗して寿命尽きた王敦さん
プロレスでもなかなか観ない悲惨な試合 >>585
政治力UPアイテム「宰相剣」のおかげかもな
呂虔→王祥→王覧→()→王導
と渡って政治力+値がとんでもない事に >>589
最初プロレスで余裕だったんで「おっガチ(帝位簒奪)でもいけるやん!」とガチの総合格闘技に打って出るも試合直前の怪我で大惨敗とかどっかで聞いたような 明帝相手の後半戦は、王敦も「どこを落とし所にしたらいいんだ…?」と迷いまくってた印象がある
王敦本人は簒奪が無理なのはわかってただろ
晋は司馬懿から三代の積み重ねで成立したし、魏も曹操の圧倒的な功績があってはじめて曹丕が簒奪できたわけだしな
積み重ねも圧倒的な功績もないのに帝位を奪った所で、王莽にしかなれないのは重々承知してただろうよ それがわからず簒奪して身を滅ぼしたのが桓玄
漁夫の利を得たのが劉裕 >>592
後半戦は王敦よりも王含の方がノリノリで暴走
しかし無能なので王敦の予想外の最悪の結果になった感が
王敦健在なら前半戦みたいに勝利に持ち込んで
司馬睿にやったように司馬紹にローリング土下座させてた可能性も
まぁ王敦と司馬紹は不倶戴天の敵同士だから
王敦勝ったら司馬紹廃位して司馬cにすげ替えてただろうな カルトにのっとられた今の日本ってこの時代で該当する国と時期ある? >>593
桓玄はやらかしたとはいえ元は東晋皇帝に司馬徳宗みたいな池沼擁立するから
王朝の天命が尽きた感が
司馬哀で懲りなかったのかね
司馬道子や司馬元顕も池沼ではないが能力的に前2人の司馬とそんなに変わらないから
劉裕に天命移ったのも天の声だったかもしれない >>595
乗っ取られそうっだった前涼
東晋は宗教勢力に滅ぼされる所これを打倒した者が禅譲を受けたハゲ 仇池ってこの時代でしか見ないし珍しい国名だけど由来は何処から来たんだろ
個人的にはなんか西域の国名と似たよな雰囲気は感じるのだけど気のせいかな 仏教の布教と引き換えに力を得てる連中だよ。
中国には神がいるのに、インド人の祖先を神と崇めてるわけだから。
前秦、後秦、後趙、梁などかな >>600
異民族だろうから関係あるかもね
仇ってカタキ以外に仲間って意味もあるらしい >>601
今の中国の神話は仏教とフュージョン後の世界やぞ
仏教フュージョン前はゲテモノみたいな連中も仏教フュージョン後には見目麗しい神になる(例えば西王母とか) >>596
質問にスレ違いとか必死過ぎじゃね?(  ̄▽ ̄)壷か?(  ̄▽ ̄)ア? >>604
顔文字二連投は流石に必死過ぎじゃね?(  ̄▽ ̄)ア? >>606
ちょい小突かれただけでアイデンティティ引っ込めるとか情けなさ過ぎじゃね?(  ̄▽ ̄)ア? この時代って言ってるのにスレ違いってレスする構造を説明してみ?(  ̄▽ ̄)
アイデンティティーとかお前が言っただけにお前の方が深そうだな壷 >>608
知るか>>596に聞け
そもそもスレ違いってのはこの時代云々でなく前半の政治臭い部分を指してるだろう事は顔文字でもなければ普通に分かるよハゲ
政治厨かな?(  ̄▽ ̄)ア? なんだ、反論しないってことは結局お前の勘違いじゃん(  ̄▽ ̄)
壷とか謎言語使って罵られても気の毒としか思わんぞハゲ コミュニケーション取るの放棄してて草
胡に攻められた漢の気持ちがわかるわ(  ̄▽ ̄) 放棄してんのはお前、その癖無様に真似もする
そして最後こそスレチな、トリプル馬鹿 発端がお前の無様な勘違いだし
真似では無く礼儀として相手のレベルに合わせてるだけだし
そもそも中国英雄板の至る所で不快な顔文字と暴言レスして回ってる荒らしのお前が一番のスレチだぞハゲ(  ̄▽ ̄) 最初からそうやって内容に反論出来ませんってしとけよ馬鹿なんだから
発端の勘違いってなんだ?(  ̄▽ ̄)
スレチに異を唱えたら、お前が勝手にしゃしゃり出てきただけだろ無能 一行目は自虐かな?(  ̄▽ ̄)
何でもこの時代に絡めりゃスレチにならないと思ってるなら救えないわこのハゲ なんでもとかお前が勝手に思ってる事だろう?(  ̄▽ ̄)
政治なりなんなり語ればいいのに
駄目なら明記しとけクズ 臭い政治厨のレスがスレチじゃないと思ってるお前がやべーだけだよハゲ
開き直ってんな荒らし野郎(  ̄▽ ̄)ン? このスレに限らず自分の過去にしたレス見直してみ?(  ̄▽ ̄)
やべー荒らしがそこにいるから 荒らしだろうがなんだろうが内容に反論出来なきゃ同じなんだよジジイ
で、説明してみ、お前がヤベー言い出したんだぞ?(  ̄▽ ̄) 遂に荒らしだと認めたなジジイ
政治厨の容認に加えて暴言、絵文字、無知、勘違い、逆ギレ、開き直り、荒らしの自認
これがやべー奴でなかったら何だハゲ
否定するつもりなら、上記をすべて披露した自分の何処がやべー奴でないか説明してみよっか?(  ̄▽ ̄)ン? だからお前は内容にまったく答えられてない
お前から突っ掛かって来たにも関わらずね
荒らしと認めたとかもお前の勝手な願望だろ 説明出来ないってことは自分がやべー奴だと認める訳ね(  ̄▽ ̄)
なあ
自分は誰彼構わず暴言吐いて人様のレスに突っ掛かるが、自分が同じ事をされるとブー垂れて食い下がる
それは通用しないんだよ 誰彼構わずではないな
内容を述べよと言ってるのだよ、何回言わせるんだこの無能は お前の頭ン中の基準なんか誰も知らんがな
周りから見たら誰彼構わず暴言吐いて噛みつくやべー荒らしにしか見えないってことよ(  ̄▽ ̄)
そもそもお前が先に述べろハゲ 先に述べるのはお前だよ壷
俺個人なんてスレチだろアホ >>628
何が壷だよ、また荒らし語か?(  ̄▽ ̄)ア?
お前が政治厨を擁護したのが発端なんだからきちんと先に言いなさいハゲ 政治厨なんぞ擁護してない
スレチの理由を聞いてるんだよ無能 よく言うわ(  ̄▽ ̄)
スレチじゃない理由を聞いてるんだよ無能 >>632
>>632
そんでスレチじゃない理由は何だ無能 そんなのはもう言ってる
ダブルアンカーとかどうしたん?(  ̄▽ ̄)
今までアンカー無しだったろシフト変わったんか?壷 草
お前の言葉でお前自身を労ってやったんだよ(  ̄▽ ̄)ハゲ 負け惜しみはいいよ、哀れになるから
それで理由は?(  ̄▽ ̄) 理由なんてもう言ってると言ったろジジイ
お前が理由を言うんだよボケ老害 それこそ始めの方で既に言ってるだろ無能
どこまでボケれば気が済むんだこの荒らしジジイ(  ̄▽ ̄) お前の屁理屈よりはよっぽどまともな理由だよ
大体なにそのレス、バテすぎだろジジイ
高潤飲むか?(  ̄▽ ̄) なにそれジジイ用語かなんかか?(  ̄▽ ̄)
お前は政治を語るなが理由だったなあ、普通分かるとか
それは理由にならない今更言われなくても分かるだろハゲ また曲解と拡大解釈かよハゲ
>>595が面倒くさい主張の政治厨なのはそれこそ今更言わなくても分かるだろ無能
散々5chを荒らしてる癖に変な所で無知っぽいのは痴呆の現れか?(  ̄▽ ̄)ア? 散々荒らしてるとかそうでもないんだよジジイ、過大評価だよ
めんどくさいとか壷だろどう見ても政治厨とか用語も不要だし
変な所で無知もお前が勝手に擦り付けてる生涯集大成なんだろうな、ホント哀れ 文ぐちゃぐちゃだけど大丈夫?(  ̄▽ ̄)??
さっきから壷壷と言われてもよ、生憎鮮卑語はわからないんだわ
罵りたいならせめて通じるようにしろ
つか生涯集大成って面白い言葉だなハゲ 通じないのはジジイ用語だよ
641のあれはなんなんだ?(  ̄▽ ̄) ジジイ安心しろって
お前が中国英雄板でクズの様なレスを続ける限り俺が現れてお前の鏡になってやるからよ(  ̄▽ ̄)ナ? うーん、要らんわ
お前とかそれでいいんか?(  ̄▽ ̄)ア?
余命短いジジイとかさあ言いそうじゃんボケ老害イラン さっきから日本語怪しくなってきてて真面目に心配
少し心労かけすぎたか? 普通に日本語だよジジイ
お前が疲れてるのを他人に被せれるなよ
典型的ジジイ そっかそっか
呂律が回らなくなる位怒らせちゃってごめんね
ちょっと疲れちゃったよね
お前は嫌かもしれないけど、これからこの板でお前がお前であると特定出来る様なレスをしたら俺が見つけ次第こういう風になるからねハゲ
よろしくね(  ̄▽ ̄) 結局逃げんだよなジジイとかよ
まー逃げ続けたからジジイになれたとかそんな感じだね 結局逃げんだよなジジイとかよ
まー逃げ続けたからジジイになれたとかそんな感じだね
↑自分で見てどう?(  ̄▽ ̄)
あれれーおかしいなーとか、なーんか変だなーとか思わない?
違和感感じるだけの知性残ってるかな? ジジイだからオカシイとか喚くんだろ?(  ̄▽ ̄)
自分で見てみも何も自分で書いてんだよボケ老害 ジジイの言うことだから可笑しいと思うんだぞ(  ̄▽ ̄)
ハゲ、クズ、アホ、ジジイ、無能、ボケ、老害
全部今日のお前の口から出た言葉ね
これだけ短期間でポンポンと続出するのは全て自分の特徴だからだよ
お前が自分のコンプレックスを悪口として披露してくれるお陰で
鏡の俺も罵りのバリエーションが増えて助かるわ(  ̄▽ ̄) それはお前が弱者だからだよジジイ(ジジイは確定)
鏡とか言ってる時点でお前は少なくともそこに留まってるだけ 後涼の呂光が呂紹を太子にした理由が「呂紹の才では乱世を治める事など出来るわけがない。しかし、正嫡なので後継者にした」とあまりにひどすぎる どう思おうと構わないぞ無能
お前がこの板でやってきた事を見てきたからな
相手がクズでハゲで無能で弱者のジジイに見えたのなら
それはお前が自分の特徴をまざまざと見つめているに過ぎんのよハゲ
それはそうと(  ̄▽ ̄)←忘れてるぞジジイ
痴呆にはまだ早いだろ?(  ̄▽ ̄)ア? ジジイ、顔文字とかどうでもいいんだよ
お前が使ってるのも意味はない
お前がどう思うとかも今更過ぎて無能、ジジイとか使えない
そう思われたく無ければオウム返しとか猿真似じゃなく
自信を持って内容を語れ 何コレ新手のスレ潰し?
まだ続けるなら運営に報告した方がよさそうだな ジジイなのに頭と心臓に負担掛けちゃってごめんな(  ̄▽ ̄)
先にも言った通り俺をどう思おうと(要はお前が自分をどう思おうと)構わんよハゲ
お前がこの板でレスする限り、俺はこれからも自信を持ってお前の真似をしてその醜さをお前自身にきちんと認識させてやるから安心して感謝しろ無能 >>659
酷いけど結局呂光死んで4年ぐらいで後涼滅んでるからな…
北涼西涼南涼よりも酷いので呂光の言ってる事は間違いではない >>661
呂光が酒好きなら亀茲で一生酒飲んでたら幸せだったろうが
帰りたかったので亀茲去って良かったのでは
呂光的には苻堅の下で張蚝や慕容評破ってた方が幸せ
呂光は遠くまで蜜取りに飛んて帰ったら巣が壊されて無くなってた雀蜂みたいな存在 正嫡を廃して国が乱れた例が過去に山程あるのを考えると
呂光の気持ちも分かるっちゃ分かる
しかし呂紹と呂纂の譲り合いからの殺し合いは悲しい >>668
呂紹と呂纂の譲り合いから呂隆(と呂超)が生き残るのがな・・・
呂隆と呂超は後秦に降って生き永らえたと思ったら結局殺されて自業自得感が 呂紹の未亡人・張氏は呂紹の菩提を弔うために出家していたのだが、呂隆は張氏に後宮に入るよう迫った
張氏は呂紹への操を貫いて高楼から呂紹を弔う経を唱えながら身投げして自決した
同時期、呂隆の兄弟・呂超は呂纂の未亡人・楊氏に妻になるよう迫った
楊氏もまた呂纂への操を貫いて呂超を詰った後に自決したのであった
なお、楊氏の父親は憤りのあまり南涼に投降してしまったという >>671
北斉もそうだけどこのパターン多すぎねぇ? >>672
出家とレヴィラト婚という正反対の制度が併存することで生じる
後者は禁止されていても先祖代々から続く福祉制度ゆえ、中々抜けきらない >>670
万人敵といえば北宋の韓世忠
もしくは東漢の関羽張飛
五胡十六国時代や南北朝時代は万人敵の時代ではなかった… >>672
いわゆる嫂婚制、レヴィレート婚の側面があるんだろうと思う
正当性に乏しい弱体の君主が立ったときに、まま見られる現象ではある
先君の妻を娶ることで、正当性とか権威を担保するという寸法
漢の劉総が父の妻の一人で、氐族の有力者の娘である単氏を娶ったとか、
前涼の張祚が張重華の母や妻を娶ったとか、
そういう例が十六国時代には散見されるが…
ちなみに、遊牧民に多いとされる嫂婚制は、一族の財産(主に家畜)を分散させるのを防ぐ目的が大きいと言われてる
寡婦になった嫂が他族に嫁いで、その際に「自分の財産だ」と家畜を持って行ったら死活問題になるからね
それと、無粋かもしれんけど福祉制度の側面はほとんどないと思うよ?
そこはイスラム教徒の一夫多妻の建前と混同してる気がする 鎌倉殿でも、奥州藤原氏がレヴィラート婚をするシーンがあったな。悪路王を倒したっていうけどこいつらが匈奴そのものなんじゃないの?って思ってしまった。 レビラト婚そのものは遊牧民に限らずユダヤ人社会やヨーロッパの王家でも見られるから、財産分与の問題と権力基盤の確立なんだろうけど 日本の和泉式部もレヴィラート不倫
どうみても遊牧民ではない奴等 ちなみに和泉式部は日本で初めてカーS◯Xしたとの記録に残ってる人
五胡には変態は石投げれば当たるぐらい居るのに
五胡はそのベクトルの変態の探究心は薄いのは如何 財産面でみると漢民族でレヴィラート婚のケースほぼ無いのは
分家して財産分散させた方が財産増えるからなのか
王氏も琅邪と太原に分かれてそれぞれ栄えて規模が数倍数十倍になってるし イスラムの一夫多妻を福祉面でいうけど
4人までしか妻を娶れないのに戦死した仲間の妻であるにしても
おばさんを妻にしたいかねr したいかどうかの話になると当時の趣味嗜好文化道徳諸々によるとしか 梁の昭明太子って後の世に対する文化的貢献度ならこの時代でもトップクラスな気がするけどあんまり知られてない気がする そういや田中芳樹が「たとえ昭明太子が長生きしても侯景の乱に何もできなかっただろう」と語ってたな >>686基本【文】の人っぽいもんね昭明太子
侯景の乱時に生存してても傀儡になりそうな気はするし
ある種ポテンシャル秘めたまま早死したのは良かったのかもしれない 昭明太子は文弱だとしても
仏バカの親父よりも遥かに人望と求心力あるから
侯景の乱が起きても諸侯王ほぼ全スルーという事態にはならない >>688
勝手に侯景と和議結んだりとか日本の南北朝(総大将が敵軍へ降伏)ほど酷くないがかなりの義理ワンムーヴ 仏教が中国に伝わったのもこの時期か
中韓には寺院はあるけど神社はないね
これは日本オリジナルといえそうだ >>691仏教は1世紀頃には既に伝わってたよ
本格的に広まったのはこの時代だろうけど 道教とか五石散は、国家の弱体化を招きそうだな。仏教はなにが本質なんだろう。倫理が無さすぎるとメンタルが崩壊して知能が下がるから、紳士協定なんだろうか? >>674関羽張飛より上と言われてた楊大眼は万人敵とは称されなかったのか 五胡十六国時代の万人敵といえば苻堅配下のケ羌と張蚝がそう呼ばれてたはず
特に張蚝は史上稀な武闘派宦官 >>694
そら道教が国教に近かったの前漢の初期くらいやし。
武帝の頃から儒教的な身分秩序が形成された >>695
>>696
関張コンビの再来といえば蕭摩訶
呉明徹の「卿の関張の勇あり。我が為に顔良を切るべし」って演義の華雄斬りの元ネタっしょ >>698
道教は後漢
後漢〜西晋にかけて、貴族階級を中心に清談が流行したはず。
例えは悪いけど、共産主義国やファシズム国家など、独裁可能な政体がこぞって排したがる理性退行的な文化だから。 >>694
この時代に限って言えば、胡と漢を繋ぐ新しいイデオロギーとして活用された
どうしても胡ベースや漢ベースで社会を作ると、偏った側が増長して滅亡の原因になる
というわけで上に立つ者の倫理を重んじるため敬遠されやすく、双方に経験値が少ない仏教を中心に据えた結果、唐の治世に繋がったと
(菩薩皇帝も貴族談合制を駆逐するための新しいイデオロギーとした帰来がある)
>>700
清談は玄学
ただし何晏や夏候玄といった玄学ガチ勢を殺害してオーパーツにしたせいで、ただの人物評や慣れ合いに落ちぶれた
心理学や哲学という面で西洋に後れを取った原因のひとつだが、哲学から厭世思想にひた走ったグノーシス主義と似た顛末なのは感慨深い 司馬氏がいつの間にか道教から仏教にシフトしたのと、日本の神社に象徴されるような氏族が仏教の担い手となり始めたのはパラレルな現象かもな。東晋の廃帝の七支刀→梁から帰化した司馬達等の仏教支持という流れと、時代的にも符合する。 ギリシャはスキタイ、漢は匈奴に暗黙の支配を受けているように見える >>701
梁の武帝は政治利用を兼ねて仏教を取り入れたらガチで嵌まって狂信者になってしまった説あるな >>704
政治利用を兼ねて統一教会と関係持ったら悲惨な末路の安倍晋三みたいな
鳩山由紀夫も統一教会信者だから敵味方関係なく狂信者になってしまう地獄絵図 >>699
蕭摩訶は武勇絶倫なのには同意だが
どうみても蘭陵蕭氏で蕭斉蕭梁の血だから
馬の骨の関張を引き合いに出すのは齟齬がある >>675
なぜ大陸が夫婦別姓か分からないクチかね…
>寡婦になった嫂が他族に嫁いで、その際に「自分の財産だ」と家畜を持って行ったら死活問題になるからね
これ通用するのは、家畜が元々女方の権力基盤の時だけよ
男方であれば兄弟や男児が継いで女方には何も残らず、男児がいない場合はそのまま放逐や出戻り
オブラートに包まず人を資源と見なす時代ゆえ、そこら辺の処理は容赦がない >>704
まじか?そんな説あったっけ。
なぜ南朝に仏教国家ができたかも気になる。司馬の転向とも無関係じゃないだろうけど >>710
粱武帝は寺に捨身してた頃も法話何度もやってるから仏教を使って政治的な権威(特に仏教徒が多い北朝対策)を高めようとしてたのは確かなんじゃ なんで仏教を信仰すると権勢が得られるんだ?
影の支配者・サカ族の代行支配権を勝ち取るために政治してるって言ってるみたい >>712
そもそも仏教は徳治に向いていて、本質を重んじていれば徳治により権勢が得られるのよ
教義により振る舞いや責務を改めていくことで人間性が鍛えられ、それを見た下層が真似て人間性を尊重した治世になっていく
まさに無形のトップダウンである徳治が通用する社会ができるというわけ
儒教はあまりにも方法がド直球で研究も進んでたから、学問どころか道具扱いにまで落ちぶれた
道教は理想と現実のギャップを埋められず宗教反乱の原因に幾度となり、表立って推奨はできない代物
しかも両方ともにドップリ漬かってる貴族が南宋以降ふんぞり返っている
という状況だからこそ仏教がフィットした この時代にキリスト教が仏教ぐらい布教してきたらどうなってたんだろう? 唐の時代にペルシア人司祭「阿羅本」によって景教(ネストリウス派キリスト教)が伝来して大流行した
長安に大秦寺という大きな景教寺院があり、「大秦景教流行中国碑」という記念碑が立つほどだった
日本にも景教が伝来したという説があり、実際に親鸞は景教の教典『世尊布施論』を所持して学んでいた
もしも、この時代にキリスト教が伝来したら、苦しい現世から逃れたいという理由で爆発的に流行するだろうね >>697
道教に天照大神とか八岐大蛇の話なんてあるの? 胡族(モンゴル族、テュルク族、等)は
チベット仏教やイスラム教と親和性あるのに
キリスト教に関してはそうでもないのは謎 >>717
モンゴル族に景教(ネストリウス派キリスト教)の信者集団がいたのが確認されている 胡族、このスレでは五胡ってことにしてくれ。
そもそもチベット仏教ってなんだ。チベットの仏教伝来は唐代、ダライラマの登場は千年も先だぞ。 >>719
マジレスするとネストリウスと真言の合の子
近代のアーリアン学説では最重要として研究されてた非常にオカルティックなもの 一般にチベット仏教というのは、現代のチベットで信仰されている仏教、もしくは後世に付け加えられたフビライ時代のラマ教のことなんだろうけどな。
胡人も時代によって中身が異なるが、せめてこのスレでは匈奴鮮卑羌てい羯の意味で使ってくれよ >>722
そこら辺の時代の羌は姜姓化してチャイナプロパーに入ってきてる気はするけど
秦ですら戎からの外来種だし、五胡のテュルク系の代替わりのように入れ替わりが頻繁にあってもおかしくない 西夏の李氏は拓跋氏を名乗っていた
タングートは羌や氐に近いから
名乗るなら姚氏のほうがあってる
漢族の劉氏みたいに、五胡でも違う民族間でブランドになった例
鮮卑と羌は語族が違うはずだが、それを超えて拓跋氏の威光が伝わってたんだろうな 禿髪氏(源氏)は何故か日本でブランド化
日本だけでなく琉球でも始祖が源氏(禿髪氏)伝説 鄱陽湖も干上がっているなら水軍機能しないから楽勝
苻堅も謝玄に河渡らせる事なく勝ったかもしれん そういや三国志の時代や明の時代ってくっそ寒くて長江が全面凍結したとか
記録にあったけど五代の時代はどーだったんだっけ 気候、交通、作物などで自然国境的になってるのは
淮河だね、地理でも習う
南朝側が中原こそが中国の中心であってそれを回復すべしという意思があったのは
劉宋の文帝までで、それ以降は江南こそが中国の中心であるという考えが貴族を支配していく
もし陳が隋軍の撃退に成功してたらそれ以降中国は南北で進化していたかもしれない
会田大輔がそれを示唆してたな
この自然国境を突破するには南から北(北伐)は温暖期であること、北から南(南征)は寒冷期であることが必要らしい
兵站の問題とか、徙民が根付けるかかとか深いところで関係してそう >南朝側が中原こそが中国の中心であってそれを回復すべしという意思があったのは
>劉宋の文帝までで、それ以降は江南こそが中国の中心であるという考えが貴族を支配していく
そう考えると瓜歩之戦は南朝にとって中原を忘れるぐらいの衝撃的な事件だった訳だ
しかし以後の南朝全て秦嶺・淮河線に長城築こうとしなかったのは未だに謎 北の勢力はしょっちゅう淮河越えてるのに境界線が淮河?
長江やないの? 陳の領土まで縮小するともう国全体にだめぽ感が蔓延してたのでは そういえば北周、北斉、陳(梁)で一応20年位は三国志形成してたんだな
北周勢が優秀過ぎてあっという間に優劣が付いたけど 荊州と益州、そして雍州涼州支配する
孔明の理想が結実した三国志だよな 北周が優秀というより北斉と梁がそれぞれ自壊してないか 三国鼎立は後漢の専売特許じゃないからね
この時代やら元末やら、戦乱が煮詰まるとまれによくある
日本と関係が大きかった古代朝鮮なんてリベンジマッチまでやってたし >>739
積もり積もった問題による自壊を唯一防げたのが北周、といえる
特に北斉は胡漢+思想信条で細分化された派閥が一生争ってばかりで皇帝が匙投げるレベルの政体だった
崩壊しないよう鮮卑に漢のシステム組み込んだ宇文泰、ブルドーザーの如く宇文泰路線を整備した宇文護、粛清してなお宇文護の路線を継承した宇文ヨウの三人は偉大
天上皇帝?んなもん知らん 古代の秦、北周、隋、唐を見るに
国内で乱や簒奪が起こっても前代の政策を否定せず引き継いで用いることができれば国は栄えるのね 軍事的才能だけではなく、宇文泰は府兵制など制度設計力が抜きん出てる
そこが高歓や蕭衍との違いなんだろうか
それと西魏時代に梁から四川を切り取った手腕もうまいわ 易姓革命とやらがいかに悪手か
隣の盲腸みたいな半島が実践してたな 中国英雄板で易姓革命否定するネトウヨって新しすぎない? 易姓革命って「前政権の全否定」という意味じゃないの?! >>747
易姓革命自体は簡単に言うと徳のある奴が天辺に立つべきだから天下人が徳を失ったら血縁に因らず新たに徳のある奴が成り代わるべきって考えなので前王朝を否定するとそれを継いだ自分自身を否定する事になる
ただし前王朝のラストがダメだから自分が立ったって建前が必要だから大体最後の方の皇帝は悪口ばっかり史書に遺される
ここが韓国政権が易姓革命って揶揄されるモトなんだろうけど血縁で脈々と受け継がれる玉座を赤の他人が簒奪する事と現在の政権交代を全く同じ事の様に例えるにはあまりに意味が通じないと思う >>747
易姓の意味わかるかな
韓国は日本と同じく民主制で易姓も糞もないし
北朝鮮は世襲が無事続いてるんだけど
上の人も言うように建前では徳を以て天命を引き継いでいるから前代含む歴代王朝は基本的に肯定される
秦や南朝、元のような特殊な場合のみその限りではない
正統性を確保する行為として前代、前々代の王の後裔を諸侯に封じて遇する制度すらある 最後の皇帝なのに死に関して複数の怪異譚を残した後秦の姚泓がいかに異常だったということか
処刑されるや都の周囲の草木はことごとく枯れ果てる怪異が起きたとか
処刑されるところを怪異を起こして逃亡したので、仕方なく背格好が似た罪人を処刑してごまかしたとか >>753
姚泓というか後秦自体が独自性高い上に異常な完成度だったからね
強引にフラットにした後趙ともまた違った政治体制で、内乱で弱ったにも関わらず最後まで守りは強固だった
後の北朝(北魏→北周)のアハ体験のようなじっくり漢化ではない王朝だから、統一してたら大陸の文化や歴史は様変わりしただろうなと感じる 実は養子が継ぐのは問題なく
皇族以外の養子を禁止しているけどそれを改正すれば
誰でも天皇の養子になって公大使になてる >>739
北斉は自分で自分の首絞めすぎだと思う
優秀な人材をしょっちゅう無駄に粛清してるし >>756
スターリンのとはちぇふスキー粛清と同じで
国のためにはならなくても皇帝の安全のためには必要
水滸伝で王倫にとっては林冲や張闓はいない方が良かったように >>756
滅亡まで国是が定まってないからこそ後世では無駄に見えるのであって、当時はイデオロギーや政争で死なざるを得ない理由があった
これこそが北周700万VS北斉2000万を最終的にひっくり返された原因
最初から一枚岩で、それを壊そうとする奴を叩き潰してまで国家ありきの政治を続けた国が強いというのは、20世紀のWW2でも証明している >>731
荀羨「うぬの父や祖父も大晋の臣下なのになぜうぬは大晋に弓を引くのか!」
賈堅「オレが晋に背いたんじゃねえ!晋が自ら中華の地を放棄したんだ!だから趙や燕に仕えて何が悪い!」
北に残された士人からしたら中原回復()とか言っても「呉に逃げ込んだヘタレ共がなにを寝言言ってるのか」って心境だったんじゃ 周辺異民族が、中国の様々な知識を本格的に吸収し始めた時期ではある
この頃から単なる「蛮族」とは言いにくくなった感 西晋が滅亡したあとの江北の貴族たちは五胡や北朝政権で禄を食んでたんだから
江南からの北伐を受けるのってどんな気持ちなんだろうな
江南に呼応しての北側の漢人蜂起って大規模なものはないよね
それに、北での漢人を標的にした虐殺って石虎くらいしかないだろ >>761
虐殺自体が冉閔の正当化のための吹かしって可能性も否定できない
あんだけ漢民族至上主義掲げてトップセールスしたのに、異民族(しかも前燕以外は石虎配下)に服従するほうがましと判断されてる以上
後趙が漢民族の信用を破綻させる行為まではやってないことの証左になってる >>753
姚泓は怪異現象起こせるなら赫連勃勃に使えよと思う
どうみても使いどころと使う相手が間違ってる >>758
一概にはなんとも
堅実運営で五代かけて徐々に勢力を拡大させて関東支配を成せた後北条氏も
秀吉によって一瞬で滅ぼされたし >>764
そりゃリンチにできるほど圧倒的な差があって、十二分に差を利用できるならそうなる
WW2のアメリカもそうだった
北周はそれを内憂で発揮できず、コロコロ戦略も変わっていたからこそ蹂躙に失敗した
高氏自体が宇文氏よりダメダメだったのは間違いないだろうが、ジャイアントキリングの説得力を上げるために盛られた無能物語はあると思う >>762
カンボジアでいえばポル・ポト(冉閔)よりもロン・ノル(石虎)がマシというだけの話
石氏が族滅するぐらい嫌われたという事は鼻糞よりもちょっとマシな目糞でしかない
劉淵や苻堅や慕容垂の勢力は滅亡したけど後世に一族の血筋残ってるのとは違うので
石虎の虐殺自体がふかしという考えるよりはそれ相応の行為が有ったと考えるのが無難 >>761
というか?準と冉閔が余計なことしなかったら
南匈奴や羯族が中華の頂点として漢族を飼いならしただろうな
完顔阿骨打や成吉思汗や愛新覚羅努爾哈赤の出番すらなく
偽プーの勘違いも無かったろうし 劉聡の皇后劉娥は絶世の美女かつ賢夫人で名高く、贅沢を戒めて忠義ある賢臣を重用するよう適切な助言をしていた
劉聡が新しい宮殿を建築しようとした際も強く諌めて取り止めさせている
劉聡も劉娥の助言にはよく耳を傾けていたので、キン準をはじめとする奸臣がはびこることはなかった
しかし、劉娥は病弱だったらしく、儚くも亡くなってしまった
もしも劉娥が長命だったら、劉聡は暗君化することなく歴史が変わったかもしれない >>771
ならもっとましなはずの南に逃げるんだよ
それが成立しない時点で、漢民族にとって妥協の閾値を越えられなかったということに過ぎない
冉閔は漢民族は厚遇している、石氏を族滅したのは南朝なのも含め、論理組む上で抜いてる情報が致命的
>>772
キン準はこの時代における異民族の漢化の弊害を最初に体現した物体だから、遅からず似た例は起きたと思う
政府が胡<漢であると認める行為をしたことで胡の揺り戻しが起きるのは六鎮の構図と似通っている 陳舜臣センセイも書いてたけど「漢族化した事によりかえって胡族としてのアイデンティティを自覚する」つてケース
フランスの移民騒動も根本はそれ >>774
>ならもっとましなはずの南に逃げるんだよ
北から南に逃げてる奴居るから白籍増えて土断する訳で
で最大規模の土断が前回土断(341年)から白籍増えて
桓温が行った庚戌土断(364年)
この時期が記録上では最も北からの亡命者が多かったという
まぁ現代社会でも香港とかアフガンとかウクライナとかでも
戦乱や悪政で逃げる人も居る一方で土地に縛られて動けない人も居る訳で >>773
絶世の美女とはいうけれど
中国ドラマの女優とか全然魅力を感じないんだけど 劉裕北伐を受けた長安とか後秦治下の漢人たちは複雑な気持ちだっただろう
姚興の下で安定と繁栄を享受してたから
姚興は名君の部類だと思う 姚萇からして君主としては卒ないしね
言動の端々にケチがつくだけで >>780
内乱もあるからお前の考える複雑とは別かもねジジイ、コラ >>782
ハゲこら、別じゃないから安心して大丈夫だよジジイ 水を意味する語は、基本的には、ずっと水を意味しています。しかし、この水という意味が変わる時があります。それは、ある言語で水を意味していた語が、他の言語に入る時です。他の言語にはすでに水を意味する語があるので、水以外のなにか(水に関係のあるなにか)を意味せざるをえないのです。 中国の春秋戦国時代の地図を見ると、漢字で表記された様々な国がひしめいています。しかし、ここで注意しなければならないのは、春秋戦国時代は単に中国語を話す者(中国語を母語とする者)同士が戦っていたわけではないということです。遼河流域からやって来た言語を話す人々もいたし、中国語以外のシナ・チベット語族の言語を話す人々もいたし、ベトナム系の言語を話す人々もいたし、タイ系の言語を話す人々もいたのです。 高句麗語の7は「難隱別」という記録に現れ、ほとんどの研究者は「難隱」の部分が7を表すと解釈してきましたが、 Beckwith 2004 は「難」の部分が7を表し、「隱」の部分は属格の接尾辞(日本語の助詞の「の」のようなもの)であると分析しています。 こうして見ると、高句麗語の数詞と日本語の数詞の類似性は際立っています。周辺の朝鮮語set(3)セッ、tasɔt(5)タソッ、ilgɔp(7)イルゴ(プ)、jɔl(10)ヨル、ツングース系のエヴェンキ語ilan(3)イラン、tunŋa(5)トゥンンガ、nadan(7)ナダン、djān(10)ディアーン、モンゴル語gʊrav(3)ゴラブ、tav(5)タブ、doloon(7)ドローン、arav(10)アラブなどを見ても、やはり高句麗語の数詞と日本語の数詞の類似性は際立っています。高句麗語の数詞は3、5、7、10の四つしか明らかになっていませんが、高句麗語の3、5、7、10と日本語の3、5、7、10が似ているというのは、大変意味のあることです。1、2、3、4が似ているのではないのです。3、5、7、10が似ているのです。1、2、3、4が似ていても、5以降が異なる可能性は十分にあります。しかし、3、5、7、10が似ているとなれば、1から10までの全部が似ていた可能性が高いのです。以下のように言って差し支えないでしょう。 高句麗語の数詞と日本語の数詞の類似性は偶然ではなく、それらの数詞には共通の出所がある。 その共通の出所は、例えばウラル祖語が話されていた時代(一般的な考えではBC4000年頃)よりもかなり現代に近いところにありそうである。 こうなると、高句麗語と日本語の数詞以外の語彙はどのくらい似ているのかということが俄然興味深くなってきます。 >>784〜>>790
スレチも甚だしいよハゲ(  ̄▽ ̄)ア?
お前の糞みたいな嘘に付き合わされる身にもなれジジイ、コラ >>778
土断は有力貴族に流民を取られる前に
流民を「土」地に縛り付けて有力貴族に「断」念させる為のものだからね… 成帝の時代には実施してるけど誰の差し金だったのかね 土断は東晋時代4回行われている(9回説もあるらしいが史料では確認できなかった)
第0次 太康5年(284年):司馬亮、衛瓘、李重らが建議したが武帝司馬炎が却下
第1次 威和2年(327年):成帝司馬衍によって実施(庾亮、王導らが主導、蘇峻の乱の原因?)
第2次 咸康7年(341年):成帝司馬衍によって実施(庾冰、庾翼らが主導)
第3次 興寧2年(364年):哀帝司馬丕によって実施(桓温らが主導、最大級)
第4次 義熙9年(413年):安帝司馬徳宗によって実施(劉裕らが主導)
成帝は4回のうち2回関わっているから成帝自身の差し金ともとれる 衍、丕、堅は皇帝に人気の名だな
ちなみにこのスレなら丕はもう一人いて3人ってピンと来るはずだ
おれならば楊堅から最後の大攻勢を受けようとする陳叔宝に
「陛下、堅の同じ名前を持つものが同じことをやろうとして失敗しております、
だからわが軍は勝ち、敵は自壊しますぞ」といってやる
兵士たちにも苻堅の故事を言い含めたら士気がぐんと上がったはず
誰か気づかんかったのかなあ 苻丕は一応皇帝に当てはまると思うが
拓跋丕・・・元丕・・・どちらも皇帝ではないなorz >>795
陳は南朝の存在意義である貴族合議制を失っていてフニャフニャな上、運河開削という革命起こされてるから、士気でどうにかなる範疇を超えてる
ヒ水の殊勲賞は桓沖と朱序だが、徹底抗戦&背水の陣を敷けたのは、貴族の既得権益を守るための団結が根源
本来は矢面に立ちたくなかった陳郡謝氏を頭に据えて首級賭けさせてるのはその表れ
井戸魔人と殊勝な息子の行動は正反対だが、国や制度や正統性を守るために命捨てなくていいって甘えが、原動力として共通してる 相手が井戸魔人(陳叔宝)なら王猛だって「暗君の圧政に苦しむ南朝の民を救うのが天子の仕事ですぞ!」って苻堅煽り立てそう 現代の日本語のaという音を「ア」と書く、iという音を「イ」と書く、uという音を「ウ」と書く、eという音を「エ」と書く、oという音を「オ」と書く・・・。これがカタカナです。カタカナもシンプルです。 >>760
蛮族といっても一概に敵対部族ばかりではないからな
ローマ帝国や漢帝国に友好的なゲルマン人や夷狄も結構いた 古今東西蛮族はそんな感じだな
インディアン(ネイティブアメリカン)でも
アパッチ族みたいに全方位的に好戦的な部族もあれば
モヒカン族みたいに別部族モホーク族とは長年仇敵で交戦状態なれど
見た目とは裏腹にイギリスやオランダの入植者とは協調してたりする 劉淵ファミリーなんてエリート士大夫で通るだろ
わざわざ他国から名士や儒者が交際を求めて訪れるとか漢人エリート士大夫でも殆どみないレベル 西ゴートのように盟主が弱体化したら
「我々が新たな盟主だ!!」と意気がるのもいたけどな エリートで異民族でもある劉淵が石勒たち下層民を表舞台に上げてくれたんだ 後ほど漢化が進んでいたわけではないよね
いちばん民族性を出そうとしてたのは赫連勃勃ではないだろうか
もっとも、彼は匈奴なのに築城マニアになったり、
夏という国名で覇を唱えようとしたので中華思想に感化されてるともいえるが ハプロ遺伝子を調べると鮮卑とかよりも劉邦の血統が離れていて独特らしい
元宋の領土で楚領になり言語や文化は楚だが
ハイは梁の人が移住した所らしくて魏人意識があるというおかしな地域だから 宋は殷の帝辛の異母兄の封国なのでもっと複雑な事情が伺われる
しかし劉裕はじめ宋が好きな人物多いなあ 禅譲させて族滅、は劉裕が始めて趙匡胤が終わらせた
これだけでも宋の因縁は興味深い
南北朝では個人的には南斉ファンだな
南斉は短いのに劉宋から陳までのいいところ悪いところが全て詰まっている感がある >>812
貴族合議制の全盛期だからね
次々おかしくなる皇帝からは株主のラジコンとして徒労を続ける社長の哀愁を感じる 北条包囲網(山内・扇谷両上杉、古河公方、今川、里見)→瓦解
信長包囲網(義昭、浅井、朝倉、本願寺、雑賀衆、武田)→瓦解
なんでや・・・
>>807
ゴート族は帝国内に入る前からかなりローマと交流があって
それなりに文明化されていたからな
ヴァンダルやランゴバルドみたいなマジもんの土人とは訳が違う >>814
合従連衡(秦vs韓・魏・趙・燕・楚・斉)→崩壊
北魏包囲網(北魏vs柔然・南朝宋・夏・北涼・北燕・高句麗・吐谷渾)→崩壊 彭城攻め(楚3万vs漢・趙・殷・韓・塞・翟・西魏・河南56万)→大敗
烏合の衆は勢いを失うとすぐ死ぬ たった一人に億単位の烏合の衆が死滅するのも見てみたい 連合軍って利害対立から瓦解する事例が多くて、わりと成功しにくいんだよな
短期ならともかく、長期化したら弱い
>>816
中国史の圧倒的兵力差を覆した戦いと比べると
日本史上最大の番狂わせである桶狭間(○織田3000 VS 今川25000●)でさえ
ヌルゲーに見えるな・・・ 昆陽の戦いの40万vs1万とかな
ただこれ相手の指揮官素人臭いんだけどな 淝水の戦いは挙げるまでもないか
長い中国の歴史でもここまで凄まじい大逆転劇は他にないわ 淝水の戦いと言えば王猛の「東晋は攻めるな。友好を結べ」って遺言がネタにされるけど、符堅は王猛存命中から東晋領だった蜀を占領してるし後付で作ったエピソードな気がする >>821
個人的には完全に後付けだとは思う
天下を統一したくてたまらない、武力を濫用する苻堅(愚帝)!
→それを人生の最期まで諫め続けた王猛(賢臣)!
→さらに王猛に成り代わって愚帝の武力行使を諫める苻融(賢弟)!
→でもやっぱり天下統一したい! だから俺が前線に出るね(名采配)!
→結局東晋にケチョンケチョンにされて、帝位も命も失いました(大爆笑)!!
とかいう、どっかのまとめサイトみたいな展開に、どれだけ客観的な事実がこめられてるかというと…なぁ
王猛の息子が苻堅に謀反を起こしてたり、苻融に賢弟と言えるような大功がないのも奇妙だし
このへんは「十六国春秋」が底本になってるから、信憑性は高くないと考えていい気がする 北半での東西決戦では王猛VS慕容評の潞川の戦い
6万で30万を殲滅した
会戦らしい会戦だな
ここで一拍で前燕をやっつけてしまったから苻堅が増長しちゃったのかな
もうちょっと苦労したほうが良かったのかもしれんね 王猛と慕容恪っておそらく同世代で共に五胡十六国中期の代表的人物だけど戦場では結局相対する事無かったんだっけ
激突してたらどっちが勝ってたのか
個人的には慕容恪が優勢だけど
王猛ってえげつない策も躊躇せずに使うイメージがあるからどうなるんだろう 趙の李牧が戦いでは負けないけど裏工作で処刑されたみたいになるんじゃね >>825
離間策を上手く通された場合、恪は自身の命より道義を重んじて処刑されると思う
垂は自身の命を重んじた場合に取る最大級の行動(裏切って命の重さを刻み込む)を実践したけど >>819
前秦軍100万とか隋の高句麗遠征軍100万とか
河越夜戦でも反北条連合8万とか明らかに数盛ってるとしか思えんし
実数はどれくらいだったんだろうね? 前燕への離間策は通じないと思うけどね
慕容暐は暗君呼ばわりされるが、慕輿根が讒言したときに「あの人が帝位を狙うわけないだろ」と一蹴してるんだぞ?
そもそも慕容恪が生きてたら慕容垂が前秦に亡命する事態もないわけで、政治的にも軍事的にも隙がなさすぎる
桓温が前燕相手にやった北伐にしても、慕容恪が死んだからこそ実行した面もあるしなあ 慕容暐はところどころに賢さの片鱗を見せるところがある
落ち目の苻堅への謀反が成功したとして、慕容垂はどうしたんだろうな
非の打ちどころのない兄に倣って主君として立てられたんだろうか
淝水の後の振る舞いからして慕容暐は殺されずに君主に復帰、と思う
もっとも、苻堅って最後になって民族意識のボロを出してるよね
慕容暐たちに対して鮮卑奴といったり、姚萇にも… 慕容イは忘国の責任で2度と立つ気はなかった言動
元々野心とか希薄で慕容評もあまり責めてないよな
ただ慕容垂を君主にするのは想定してない最後まで >>827
中国の三国志のドラマの後の解説?で赤壁の戦い
劉備軍1万、孫権軍3万、曹操軍21万とか言ってたし
28万ぐらいじゃね 慕容暐は本来の太子だった慕容曄が死んだから、次の太子に指名された人物だしなあ
それまでは帝王教育を受けてなかったみたいだし、指導力を求めるのは難しいよね
年長の重臣たちにはナメられてた可能性を考えると、単純に暗君とは言いにくいかもしれん 慕容恪って死ぬ前年にあの慕容評と一緒に水害とか旱魃の責任取って辞表出そうとしてるけど何か意図があってこんな事したのかな
慕容暐が当然反対して退けてるけど反対されるのは慕容恪なら当然分かってたよね? 天災が起これば丞相や三公といった国のトップが辞任する、という慣習が前漢代からあるのよ
魏晋時代には廃れたけれど、その観念が前燕では復活していたというお話
それを抜きにしても、民心が天災で荒れてるから、ポーズだけでも取らなきゃまずい状況だったのは確か
まぁ少なくとも、
「ケッ慕容恪の野郎、自分が外されないのを分かっててやりやがったな。へっへっへ、まったく小ずるい野郎だぜェ」
的な、慕容恪ゲス野郎説の根拠にはならない程度のエピソードだね 留任されること前提で臣は悪くないよ悪いのは大自然だよ、と人民に知らせるパフォーマンスだろうね 確か曹丕が皇帝だった頃に日触が起きて、有志が「これは凶兆だから大尉の賈詡を罷免しろ」的な上表を行った時に曹丕が「日触なんてのは自然現象だし仮に天がお怒りでも主権者の皇帝が責を負うべき。いちいち三公のせいにすんな。そんな暇あったら仕事しろ」って撥ね付けたんだっけ。
その時より酷くなってるってどういう事なの >>838
そいつは賈詡のおかげで政争勝てたっていう特大の弱味があるから最早別枠と考えていい
前燕と比較することすらおこがましい 迷信とパフォーマンスに関する比較だから何もおこがましくはない >>840
しなきゃ地位や正統性が損なわれる輩と、してもしなくても弱味がない者は、スタートラインの時点で場違いなんだっちゅーに… >>834
幼帝の弊害の見本だろうなハゲ
11歳では重臣や皇后の影響受けまくりだろうからな
その中でも皇甫真の軍備増強、悦綰の不正摘発から財政を建て直すを
聞き入れ、或いは聞き入れそうになったら慕容評に潰されるになるんだから
慕容垂、令親子も慕容イが成長したら受け要られると思ってたし
結局名君には名臣が居ないと成り立たないだろうよ >>842
ハゲはヘイトスピーチやぞ
錦衣衛に通報するからな >>841
訴え出たのが本人か他人かの違いはあれど
曹丕も慕容暐も同様の理由で訴えを退けて位を留めた
同じ事例なんだから十分比較するに足る 日食で孫晧が生贄にされた説が本当なら
天災で三公罷免程度は生易しい世界 なにそれとかじゃねーんだよ豚野郎
三國厨は駆逐するか無視しろ >>847
孫皓の話しただけで過剰反応しすぎだろ笑
やっぱジャップ土人て狭量だな >>838
日蝕とか何か被害出るんか?(  ̄▽ ̄)ア?
それより酷いとか流石三国厨は言うことが違い過ぎる >>844
弱味があるからこそ皇帝の権威を切り売りしたのち自暴自棄に走ったポエマー
VS
身内での争いが常の部族にも関わらず、生殺与奪を握った相手を赦し寛容さを示した皇帝
33-4よりも酷いワンサイドゲームなんですがそれは… >>849
横マジレスだけど、古今東西の神は太陽
神聖四文字すら元義は太陽神+人間の守護者(法の神)
その太陽が欠けるというのは、神に直接影響が及んでいる凶兆というのが共通認識
本邦でも卑弥呼の死は日蝕による政情不安+解消の贄とされている
中国の皇帝は天地を統べる神
ゆえに災害による評定は神である皇帝に求めることになる >>850
パフォーマンスと実利の両面から寛容さを示したのは同様
そもそも魏文帝へのやっかみと燕幽帝への異様な称賛は色眼鏡で見た結果に過ぎず論ずるに当たらない
詩をポエム扱いなんて中国史好きのすることではないね
曹丕は特に明君ではないが、慕容暐は史書を読むにそれよりも昏い
"33-4よりも酷いワンサイドゲームなんですがそれは…"
君なんj帰っていいよ臭いから >>852
曹丕はパフォーマンスじゃなく嘲笑される道化になっただけ
ホウクン殺害後の早世が全てを物語ってる
そういう過度な礼賛で曹丕を貶めるアンチ行為を見るのは飽き飽きだ >>853
結局君の願望だよね
曹丕に親殺されたマンどのスレにも現れるけどむしろ尊敬する
どんだけ憎いんだw >>854
史書の読み方が分かってないせいでテメェに全部跳ね返ってるぜ
以上
お前みたいなクズが天子を名乗るな、と前燕に処刑ああれた冉閔が
天災という実力行使で考えを改めさせたのは
実力行使しかできなかった冉閔らしいといえば冉閔らしい >>855
天災の際の高官罷免とその拒否なんてそうありふれた出来事でもない
当然、魏文と燕幽の例含め類似例は各々比較するに足るし、そんなこと歴史好きの前提なのに
この執拗さは凄いよ
曹丕に限らず歴史上の人物をここまで恨めるって才能かもな 笑ってはいけない明帝葬儀
蕭宝巻「………
羊闡「おお、陛下、陛下ぁーーーおいたわしや陛下ーーー!!
蕭宝巻「……(うわぁ、なにあいつめっちゃテンション高いやん)
羊闡「うわああぁん陛下ーーー!ヨヨヨヨヨ……
コロン
(激しい慟哭のあまり冠が転がり落ちて禿頭が露出)
蕭宝巻「………ブーーーーッ!!
デデーン
蕭宝巻アウトー
蕭宝巻「あかんあかんて、冠落ちたらハゲてたてそれ反則やろ! >>859
これもどこまで本当なんだろうなぁ
弟の蕭宝寅が文武両道の愛妻家で徐州刺史時代は民からも慕われてたのをみてると作為的なものを感じる >>860
その辺はまあ、蕭衍の正当性を喧伝するための誇張を疑うところだし…
てか蕭衍の簒奪は、強引だと思う人は当時も結構いたんじゃないかな
蕭衍が同族相手に放伐した正当性について、光武帝が王朗を「本物の劉子輿であろうが討つ」
と攻め殺した話を持ち出してまで擁護してるしね 蕭宝寅て蕭斉の明帝の息子なのに
蕭梁の時代に北魏で反乱起こした事しか思い浮かばない・・・ なぜか慕容評と森喜朗がダブる
収賄前提の人事と政治活動が得意で、多分本人は自分を「寝業師」だと自己評価してそうなところが… 慕容評が早大ラグビー部部員(中退)とか産経新聞記者だったと思うと草 >>861
貴族には一切支持されてないが、貴族に使われる立場の実務官僚からは支持されてる
南朝が後漢から蔓延った毒に打ち克つか負けるかの瀬戸際が南梁だった
なお宇宙漢に木っ端微塵にされたことと後漢からの毒は無関係である 南斉の蕭鸞も貴族からは支持されてたんだろ
皇族に対しての殺戮ばかりが強調されるけど、
それ以外の政治に関してはそつなくやってるように思う
それに孝文帝の大攻勢を撃退している >>871
ストレス発散の対象が身内しかいないからな
貴族の既得権益に手を出さず番犬と使用人の仕事をこなすことが(南宋〜南斉の)皇帝の役目
それを守っている限りは地位を保てる 蕭鸞は皇族の処刑を命じた後に泣きながら焼香するという情緒不安定な面があったんだよね
晩年になると重病を患い、赤い服を着ると病気平癒になると信じ込んで自らの服を全て赤にした
廃帝幽公に祟られると狂いながら死んでいった成漢の李寿ほどではないが
幼い子供達の将来の不安と癒えない病に怯えきりながら在位4年足らずで崩御するという
即位しない方が幸せだったのでは?と言いたくなる最期を遂げた 孝文帝(在位467〜499)
南斉(479〜502)
ほぼ孝文帝の治世≒南斉なんだな
南伐したけれど皇帝がどっちも病んでうやむや
蕭鸞のほうが先に死ぬが孝文帝は「喪不伐」と兵を引く
劉宋の元嘉北伐や瓜歩の役、梁の鍾離の戦いとかに比べて
南斉の防御戦はあんまり注目されないが 南斉の廃帝海陵王ほど悲惨な境遇の皇帝はいなかった
廃帝海陵王はガチメンヘラの蕭鸞が考えた献立以外の物を食べることを禁じられていた
蕭鸞が四六時中監視していて、宮中を自由に移動することや臣下や宮人に自由に話し掛けることすら禁じられていた
奴隷や囚人のがまだましだという有り様だったという 東魏の孝静帝も似たような境遇だ
高澄からのいじめが酷いわ >>872
>貴族の既得権益に手を出さず番犬と使用人の仕事をこなすことが(南宋〜南斉の)皇帝の役目
これ琅邪王氏とか陳郡謝氏とかの最高級貴族でも
皇帝に大量に殺されてる(特に劉宋〜蕭斉時代)とか過去スレで貼られてたような
史実と違う妄想は良くない >>877
王謝5人ずつ程度、かつ長男坊じゃない時点で、ただのガス抜き案件
大量ってのは100人単位になってからだぞ、ダホ
董卓李カク級の大したことなかった家系すら200人以上一族がいる
食うことにもやることにも困らない最高貴族なんて、それより桁一個は違うだろうに
そんで殺した貴族より廃位夭逝粛清となる皇族の数が上回ってる時点でな 『マレー年代記』は、ポルトガルにマラッカを陥落させられたときに作られた。『日本書紀』は、7世紀の白村江の戦いを動機にして書かれた。
『マレー年代記』がそうであるように、歴史書が作られた時代の状況は、よく伝える。歴史書が描いた、対象の時代の状況は、分らない。
陳寿『三国志』に当てはめる。三国後期や西晋は分るが、後漢末は分らない、ということになる。 3世紀の中国では、文字を書ける人が極少だった。文字を書くことは、政治の最大の武器だった。例えば、始皇帝が文字を統一したのは、コミュニケーション手段の国有化だった。班固が『漢書』を、私人として執筆するのは、国家に対する叛逆だった。 鍾離の戦いの敗戦で完全に北魏は南朝に対する優位性を失ったよな
宣武帝の頃からかなり衰退は始まってたのかもな
南朝は劉宋の明帝がやらかしだけが目立つだけで他は失敗はないな >>873
勤勉だったり奢侈を控えたり国を良くしたい意思は感じるが猜疑心が酷すぎる
本人も周りも辛い >>879
たまたま二例が当てはまっただけで三段論法は出来ないんじゃ >>883
いつものマルチ荒らしでしょ
言いたいこというだけだから理屈は通じない >>879
そんなの史記で散々言われてることだろ
マレーだか日本書紀だか知らんがわざわざ持ち出す必要もないわ
もっとも史記の記述は同時代資料が出てきたお陰でそれなりに正しいことが証明されてるけどな 占い師に皇帝になると短命に終わると予言されても即位した挙げ句に廃帝幽公の祟りで在位5年で狂い死にした李寿といい
情緒不安定な性格からどう考えても皇帝向きじゃないのに即位した挙げ句に重責に押し潰されて早死にした蕭鸞といい
苻堅を自決に追いやって即位したはいいが晩年になって苻堅の祟りに悩まされた挙げ句に兄に罪をなすりつけた姚萇といい
東晋の二帝を殺して即位したはいいが古傷に悩まされた挙げ句に在位2年で崩御した劉裕といい
後ろ暗いやり口で即位した皇帝が揃いも揃って不幸な末路を辿るのはなんでだろう? >>886
ノンストップで全段に長文詰め込むのはよせ
読みづらいし圧迫感が凄い >>886
因果応報だねえとでも返せば気が済むのかジジイ、コラ >>881
鍾離の戦いもそうだが
拓跋から元に改姓して文弱化した感が 我が国に例えるなら陳慶之は北畠顕家みやいなやつだな
陳慶之のほうは若くはないが
東晋から劉宋の文帝までの南側だったら皇帝がボケてても
貴族たちがおれがおれがと名乗り出て支援軍を送ったと思うよ >>890
後燕や後秦に対抗できた力の源泉は、平城を拠点として胡の文化を保っていたからなのに
それをないがしろにして漢化したことで分裂崩壊が決まった
拓跋氏を至高だという価値にせず、元氏を漢の名家の同列に降格するとか最早アホとしか言いようがない
元より下の六鎮は自動的に漢民族より格下になるんだから、反乱されて然るべし
北斉が渤海高氏を名乗るあたりからも事の大きさが察せる 崔浩先生がやろうとしてたことを孝文帝改革で実現したような格好
鮮卑としての強さを維持するということなら太武帝の国史の獄は意義があったのかもしれんな
ちなみに清河崔氏は家格トップで、唐が旧鮮卑から漢人まで含めた家格の格付け
をしようとしたときに家格一位で皇室の李氏は三位、
皇帝の家が一位でないのはまずいんじゃ…と李世民にいわしめた 四姓
【東漢】
・南陽樊氏
・真定郭氏
・南陽陰氏
・扶風馬氏
【孫呉】
・吳郡顧氏
・吳郡陸氏
・吳郡朱氏
・吳郡張氏
【東晋】
・琅邪王氏
・陳郡謝氏
・陳郡袁氏
・蘭陵蕭氏
【北魏】
・清河崔氏
・范陽盧氏
・滎陽鄭氏
・太原王氏
北魏の軍閥の系譜の隋唐において清河崔氏が家格一位なのもわからんでもない 清河崔氏は国史の獄の族誅を逃れたのがかなりおるんやなあ
劉宋に亡命して根付いた系統もある >>895
名家っていうのは基本的に頭数も多い
家をひとつの生命体として捉え、成功者が落ちこぼれ含め家そのものを守る
そのかわり落ちこぼれの枝葉から成功者が出た場合、今度はそこが家を守る役目を果たす
このシステムは白馬の禍をも乗り越え、表舞台上では南宋(劉宋ではない)まで引き継がれ、今でも裏で脈々と続いている
ここら辺は競馬みたいなブラッドスポーツを考えると分かりやすい >>897
儒教の教養がある程度いった家
漢からこの時代までは固定化した貴族層が主
時代が下るにつれ科挙で下流の成金が権益に加わるようになって、明で官僚自体がゴミクズになるまでどんどん増えていったって感じ 文革で全滅してると思うけど今も残ってて支那共産党内で影響もってんの? 清河崔氏は斉太公(太公望呂尚)の孫の崔季子から続く名家だから
春秋時代の崔杼とか昔から高官輩出しているので
五胡十六国時代や南北朝時代で既に千数百年の歴史を持つ名家 >>895
南北朝時代は北から南そして南から北の流動性が普通に行われているので族滅は難しい時代のような
河内司馬氏や呉郡陸氏なども南から北へ渡って北でも繁栄してたり 「北朝社会における南朝文化の受容 外交使節と亡命者の影響 」読む限り当時の北朝南朝の社会って中世ヨーロッパ並に流動性の高い社会っぽい 中世といっても西は階級ガチガチの封建社会だよ
東ローマはずいぶん流動性高いけど 中国史すごいな
日本でいう真田信利・松倉勝家クラスの暴君暗君がごろごろおる 前漢〜魏晋南北朝時代〜唐〜五代十国くらいまでは、ほぼ日本史と言っていい。分けて考える必要なし >>906
全部ではなくスポット的に関わってるだけだから、そこまで混ぜられるもんではないような…
魏、北魏、劉宋、隋唐の影響は間違いないけど
魏晋南北朝が情報の宝庫なのに未だにマイナーという所から、未だにこのスレが伸びてるようなもんだし >魏晋南北朝が情報の宝庫なのに未だにマイナーという所から、未だにこのスレが伸びてるようなもんだし
この時代はレアアースが埋まってるので掘り甲斐はある
黄金みたいな派手さは無いのでゴールドラッシュにはならないけど >>908
自分の先祖の歴史だから、その背景ということになる。まあ記紀と矛盾するから、教科書にはならないだろうけど。 源平藤橘の藤原氏が匈奴なんじゃないかとか、源平が禿髪部や契丹、女真なんじゃないかという。 太武帝が禿髪破羌(源賀)の名前変えさせたエピソード本当すこ >>891
北畠顕家は蘭陵王の方が近いだろ
北畠顕家は陵王の舞いを行ったエピソードがあるし
どちらも悲劇の貴公子的な人物だ 蘭陵王の親父の高澄って土岐頼遠と気が合いそうだよな
泥酔して皇帝ぶん殴った奴と泥酔して上皇の牛車に弓引いた奴 高長恭、斛律光に比べて段韶は堅実すぎてドラマになれないのかな
最後まで重鎮として全うできて皇族と縁戚関係、
軍事的も業績多数とか禽獣王朝の中では最強じゃないか >>909
永嘉の乱は世界で初めてソクラテス主義の実践がなされた結果という意味で価値が高い
それを考慮しない場合はモヒカンが種籾食いつくした位にしか見られないけど >>920
神の僕(武官・官僚)が神(皇帝)を見捨てて、神の存在価値を無くしたというのは、ソクラテスの国家論における帰属体の破棄にあたる
帰属体を破棄することによるデメリットが大きく、大抵は離反者として処分されたり外部によって壊されてから霧散する等が現実であり、あちらでは長らく絵空事だった
因みにソクラテスが社会契約論(国民は気に入らなきゃ国家を裏切って破壊してもいい)の源泉になってる 当時の官僚は貴族が多いが、これは朝廷と家という複数の帰属体を持つ半豪族のようなもので必ずしも皇帝の僕じゃない
僕に近いのは宦官だね
あと社会契約論は個人を軸にする
あくまで天命を前提にする中国の易姓革命論とは全然違う >>925
司馬越って易姓革命論と天命を前提にして皇帝捨てたのか
びっくり 世界史好きってとにかく横を繋げたがるからしゃーない >>927
中国の歴史は社会契約論とは無縁ってこと >>928
横に繋げられないとローカルの勝利者史観に凝り固まって閉塞起こして終わる
そういうのを牛のよだれって風刺してる記事を見た 比較して楽しむのはいいがこじつけてるだけだしなぁ
それこそ終わり 横に繋げるのがなんなのか、よくわからないような集団による自己レスはよせ。 一見関係ないようで本当に関係ないものを関連づけて「横に繋げる」とか言われても 曲解が過ぎるでしょ
発端の>>919に関しては、特に合ってはいないけどそういう意見もあるよねで終わる話 確かに、それがソクラテス主義かどうか謎だし、それ以外の政変のほとんど全てにも当てはまるからな。 自分で「価値が高い」とまで言っちゃうのはどうかと思うよ 劉邦から溥儀までの間で唯一皇帝が存在しない時代が訪れたはずなんだが
そうか・・・全ててに当てはまるのか・・・
まさか全体主義の発生をスレで実演するほどレベル高いとは思わなかったわ >>939
>>925がヒント落としてるのに気づかず鵜呑みにして、その他をカンケーナイカンケーナイで全部まとめる空気が支配してる時点で察しろ ソクラテスさん的な持論は個人ブログでやればいいと思う いやなんか柱立った持論は匿名板でやる意味ねーだろマジで
こんないくらでも偽称・詐称のできるような場所で
こんな匿名でしか語れないザコども(俺も含め)なんぞ捨てて
ご立派なお名前ぶら下げて展開なさればよいのですよ 結局ジャップでチョッパリな倭人の民度も
三国人とドッコイだったわけね そういやソクラテスと墨子が同時代に生きてたんだな
太武帝が宗愛に頃されたのと
アッティラが美女に鼻血出して死んだのと同時代と思うと
感慨深い アジア人物史 第2巻世界宗教圏の誕生と割拠する東アジア
前巻
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-157102-4
カバーイラストは荒木飛呂彦描き下ろし!
評伝を積み重ねて描く、本邦初の本格的アジア通史全編書き下ろし。
「アジア」と名指される広大な領域を、東西南北、古代から21世紀へと、縦横無尽に駆けめぐる。
現代のアジア史研究の第一人者である編集委員たちと、東洋史研究の伝統を継承した人々が、古代から21世紀までを展望し、圧倒的個性を掘り起こす!
「月報」エッセイ・内田樹
ナーガールジュナ/ブッダゴーサ/苻堅/昭明太子/
蕭皇后/文帝(楊堅)/広開土王/長寿王/武寧王/
真興王/厩戸王子/金春秋/神文王/天智天皇/ムハンマド/他。
アラーキーの符堅や楊堅つて見たいわ >>946
>そういやソクラテスと墨子が同時代に生きてたんだな
これを真面目に研究した結果が枢軸時代
関係ないで切り捨てるのは簡単だが 最近、西洋史と東洋史が立体的に見れるようになってきた
3世紀後半から5世紀、"蛮族"と"五胡"よく重なるなあ
漢人王朝/ローマ帝国の皇帝の廃立、傭兵から民族大移動とか 五胡の反乱の場合第一次世界大戦のフランスみたく労働人口として移住させた連中が戦闘力のみならず文化的な教養も身に着けたのに何時までも二級臣民扱いされてるヘイトが爆発した感 >>950
その結果エムバペやベンゼマやグリーズマンみたいな
元々フランス人でない選手全員フランス人フランス代表選手という…
蛮胡であれ中華に染まれば漢民族というのもある意味正しい方向かもしれない >>951
中世からの軛(文化文明破壊)があれば取り込むのは楽
大体のアフリカ国家は現代的な教育や生活水準を満たせないから、若い頃に先進国で暮らすと先進国に染まりやすい
特にフランスは事実上国家社会主義だから、フランスに染まることでマウント取れる強みもある
隋唐までの胡の文弱化が漢化と同義なのも文明の水準の差が強く絡んでる >>948
所詮一つの学説だしね
関係ないとは言わないが盲信するのもそれはそれで色々と見誤る 軸の時代って精神科医で哲学者だったヤスパースが独自に提唱したものだ
彼自身の思想を多く含んでいて歴史の見方として普遍的ではない
>>919は楽しい見方ではある
ただしあくまで中国史の過程で起きた事と古代西洋の思想の一端に微かな共通項が見出だせるにとどまる
ソクラテス主義が中原において実践された訳ではない
社会契約説については、中華の革命思想とは萌芽も理論も実態も異なるので比較は出来るが同一視は無理だろう まあアトランチス起源論、ジーランディア起源論へのアンチテーゼみたいなもんだからな>軸の時代 >>949
中国は漢が滅亡して三国時代→五胡十六国→南北朝を経て世界帝国たる唐として復活したけど
西洋は西ローマ帝国が滅亡してからルネサンスまで1000年ほど暗黒の中世なんだが
どうして差がついた?逆に産業革命が世界で一番初めに起きたのがなぜ西洋だったのか? >>956
中世西欧は暗黒じゃないぞ
東側では中世ローマ帝国がコンスタンティノポリスを中心に世界的な国家として栄えてる
古代のレスプブリカの概念も後退したが消えた訳じゃないし王朝交代や立身出世による自浄作用もあった ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
※全て実話です
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
>>957
東欧ではなく西欧や南欧のことよ
古代ローマ世界はゴート戦争で壊滅した
東ローマはギリシャ人の帝国 倭国は南朝とのやり取りはあったようだが北朝の人も来てたんだろうか? >>958
西洋史の話なら普通東欧も含むよ
中世ローマ帝国は文明的にも思想的にもれっきとした古代ローマ帝国、ひいては共和制ローマの後継国家なので西洋を引き合いに出すときは無視できない
文化的にギリシャ化したから別物、というのは周を中華として唐は中華ではないとするのと同じ ビザンチンはイスラムやオリエントとつるんで染まってるから東欧と言い張るのはちょっと厳しい
トルコがEUに入れてもらえないほど根が深いし、ギリシャはビザンチンの中心たり得なかったから結局ギリシャ名乗ってるわけだし コンスタンティノポリスは長安に劣らない大都市で中世における学問、経済、貿易の中心地だったよ
商人や成り上がり者を生む闊達な空気もあったし
ローマの文化は教会の下で形を変えながら生きていた
コルドバも世界最大級の人口でやはり学問が栄えた
古代→中世で高度な文明が廃れ西洋全体が荒廃した、という認識は誤りだろう
ローマの支配域が縮小して西側のみが再農村化したと言った方が正しい
そもそも古代ローマですら繁栄したのは極一部の都市に過ぎず
実際は多数の民族が混じり合うにつれて文化の主役となる都市が遷都したに過ぎない
その点で暗黒史観は西側の主観に偏り過ぎてるといえる >>963
ヨーロッパ至上主義者って5chのどこでも湧くからな
他の媒体ですらイギリスへの批判や皮肉は絶対許さないマンが湧くほど酷くはないけど うるさいだろ
言葉もまともに使えないのかジジイ、コラ(  ̄▽ ̄)ア? また真似っこかジジイ、コラ
安価ミスってんじゃねえぞ(  ̄▽ ̄)ア? >>959
史書には南朝とのやり取りが目立つが
北朝とも半島介して人は来てたのでは
日本書紀の神武天皇のくだりが
魏書の拓跋力微の神元帝と似てて
北朝の影響が有った事を否定出来ない なんで世界史総合でやるようなこと東洋の辺境の人物語るスレでやってんの? 辺境どころか中華は世界の中心だろ
中国史好きには常識 ソクラテス主義云々からおかしくなった
出自が匈奴なだけで中身は漢人エリートの劉淵が起こした乱をモヒカンが種籾食いつくしたと思うのがまず間違い >>973
司馬越を軸にしてる相手に対して劉淵で論破気取るのはちょっと… その頃は劉淵じゃなくて劉聡か
何にせよ匈奴漢をモヒカン扱いしてる時点でお察しだけど >>975
ごめんなさい劉聡でした
だろが
躾がなってねぇな 匈奴の漢は、中枢にいた人材を調べるほどに層の薄さが際立つんだよな
石勒・王彌・曹嶷が家臣かって言えば、なんか違うし そら匈奴漢って司隷の一部と并州しか実効支配してない(劉聡戴紀や陳元達伝など参照)もん。
洛陽長安陥落させ皇帝二人も捕虜にしたネームバリュー抜かしたらしょぼい群雄の一人でしかない >>976
てめえみてえな助六に
言われる筋合いはねえよ >>977
昔は仁名すら残っていないから
人材いてもよほどの有名人以外記録されていないだけじゃね >>979
ごめんなさい許してくださいだろ
言葉もまともに使えないのかジジイ、コラ(  ̄▽ ̄)ア? >>978
だよなあ
并州にしても実効支配域は結局西南部だけで、それも最後は石勒にかっさらわれてるし
二帝蒙塵の強烈なインパクトを脇に置けば、横一線の群雄の一角でしかないよね
倫理的に批判されてる劉聡の複数立后も、強引な婚姻でしか人脈を広げられない脆弱性の裏返し、ともとれるわけで >>982
石勒が内ゲバ起こしても黙認する程度だし、部下とおぼしき者たちの手綱が握れてないんだよね
洛陽占領後の百官整備の記録に反して政権運営は傾いていくし、最後は文弱のキン準ごときに滅ぼされる始末
根本的に暴力以外の統治能力が欠如してるようにしか見えない 漢のターニングポイントは、長安を落としたのに取り返されて愍帝の即位を許したのと、
拓跋部に敗れて并州の晋陽を保持できなかったことかな
このふたつの敗戦がなければもう少し違った展開になってた気がする
まあ、石勒をどうするかって問題はつきまとうだろうけどね
何しろ劉総在世時、漢の近畿と言うべき河東郡で大量の流民が発生した際、
その大半を石勒に取られる事件が起きてる
「残忍冷酷で暴力を信奉する劉総のことだから、軍旅を発して報復したに違いないワァ! 石勒ビビっちゃうのォ!!」
と思うところだけど、劉総は報復の軍を発するどころか黙認してるんだよね
すでに劉総在世の頃から、石勒が制御しがたい存在にのしあがっていたことがわかるわけで
このエピソード、言い方を変えれば漢が強力な政権ではなかったことの証左なんだよなあ、と >>981
助六に許して貰うほど堕ちてないよハゲ
それよりお返事返して貰ってるお礼が聞こえねえぞ
感謝で言葉も出ないのかジジイ、コラ(  ̄▽ ̄)ア? 遊牧民族は、どこかが陥落したら滅亡ということはない。 俺が遊牧民族なら、女子供を逃して戦士たちは逃げながら戦って、そのまま雲隠れする。ヤバそうなら翌日から服のイメージを変え、別の民族名を名乗る。定住を進めてくるのは漢人の陰謀 京都でマンション高騰、中国客「予算4億円だ」 東京より高い伸び率
中国人は京都に今は無き長安の面影を重ねるそうだ
あちらは王朝交代による混乱や異民族の侵入で跡形もなくなったから 古鎮が外資に買われるストレスもあるだろうな。
今や人間爆弾だからもう無理ぽ。競取りも留学も、不動産も
https://gendai.media/articles/-/99243?page=1&imp=0 中国の王朝であの広い大陸をどうやって支配していたのかで
実際は支配なんかできていなかったって説もある
今でも地方は中央の言うこと聞かないし
形式的なら日本も大南国も自国では皇帝みたいな称号を名乗っていたが
官職や国王号を貰っている以上形式的には支配領域だし >>990
京都って言葉自体が三国志由来だからね
司馬師の名前が師だから、首都を京師と呼べなくなって京都と呼んだらしいから
司馬師がいないか司馬懿が別の名前を付けていたら京師のままだった >>989
一緒に逃げないと護衛の戦士なしで(あるいは少数で)
女子供だけで逃げれば見つけ出されて始末されるかと
恐らく理想論通りに上手く逃げられない
近現代でもこんなのばれる見つかるだろを普通にやるし
女子供の集団が敵にすぐに発見されて駆除されるかと >>994
中国史を勉強してきて思ったのは、現代中国は三峡ダムや上海バブル、不動産バブルを段階的な安全弁として発展してきている。
昔から中華やユーラシアを統一しかけると、首長と継子が急死したりして後継者争いで分裂するイメージ。 >>995
三国志でさえ霊帝、袁紹、劉表、曹操、孫権に劉備と
後継者問題が現れる
なぜか長男と3男(生きている中で)の争いが多いような 徳川家康じゃないけど
歴史を学べば、一見良さそうな優秀な人物を後継者にだと争いが起きるから
能力関係なくとにかく長男が一番マシってのが歴史の答えになってしまう >>995
日本もアメリカも中国も不動産バブルで景気が良くなっていたからね
でも、それはみんなが借金して不動産を買っていたからで
大蔵省の総量規制もバブル崩壊の原因だけど
いずれ借金できなくなって崩壊する
オランダのチューリップバブルも何でこんな球根が高いんだと
気づいた時に終わった
みんなが欲しいからでなく値上がりするから借金をして買っていただけ
バブルが今でも続いていたらは無限に借金できればと同じだから有り得ないことだし >>995
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