【疑問】スレ立てるまでもない質問17【戦国時代】
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>>951
やはりそうですよね。
個人としては気になってしまうのですが、そのせいで過剰に荒れてるお墓は見たことないので見守っておきます。 具体的にどこか判らないけど寺なり墓地なりで管理所があるだろうから
そこに聞いてみるのがいいんじゃないか?
ただそういう場所なら勝手に掃除して良いですよという回答は来なさそうだけど
一般論的に他の人の家の墓勝手に掃除していいか?ってなったら控えるべきだろうし わしだったらお掃除してくれるなんて嬉しいですが( ´・ω・`) 実家の辺りに有名武将の家の墓があるけど子孫が手入れしないから完全に朽ち果てている
道路沿いのがさ藪なので冷蔵庫とか洗濯機とか不法投棄がたくさん
爺さん連中が死んだらもう自分しか存在を知る者がいなくなりそう >>957
手入れされなくなってから何十年だか十何年だか、そこそこ最近まで手入れされてたって感じやろか?
百年単位で手入れされてなかったら、墓の存在すら知られてない気がする >>957
役場に言えばゴミはなんとかなる可能性もある
迷惑がられるがw お寺の地蔵の苔を掃除したら器物損壊で書類送検された人がいたな >>960
苔は、種類や生え方によっては装飾の一種として扱われることもあるから、変に掃除してはいけないよ どんな人物か何考えてるかもわからんし状況も分からんから、とりあえず余計なことはするなとしか言えんよねこんな質問 以前
「戦を求めてヨーロッパまで行った武士や牢人は居たのでしょうか?」
と質問してたが
つい最近ドンピシャな漫画見つけてしまった
https://afternoon.kodansha.co.jp/c/issak.html
「センゴク」の作者も描いてる三十年戦争ネタだし >>963
欧州はともかく、
サムライの恐るべき戦闘力に驚嘆した欧州列強が金銭を以てこれを買って、
フィリピンを始めとするアジアの戦場に傭兵として輸出した史実は何千もの事例を数える。
羽柴「豊臣」政権は激怒してこれを厳禁した。
秀吉「越後から会津に移転しろ!」
景勝「………」
政宗「御茶をどうぞ(熱湯で煎れた茶)」
景勝「………」
兼続「西軍負けました…」
兼続「………」
景勝ってこれで合ってます? 質問です。織田信長より先に三好長慶が天守や石垣を完備した城を
作ってたり、伊達氏は清水寺の舞台の様な懸け造を西山、米沢、仙台の各城に
設けてたり、各大名によってそんなにバラバラなんですか?
城普請の技術が伝わって来たなら似たり寄ったりすると思いましたので。 戦国中期までの実用的な城は似たりよったりだと思いますけどね。
で、技術の発展と普及は職人の育成と試行錯誤と伝承に依存するんで、現代ならいざ知らず戦国期に時間がかかるのは当たり前、石垣とか天守とかも費用が嵩むし職人の手配もしなくちゃだし、それが余裕な金持ち大名なら見栄はって他にないような城を作ろうとするだろうし、バラバラになっても不思議じゃないのでは? 技術と言うより財力と大名の趣味によるかと
あと石垣なんかは地域差もある
例えば関東はそもそも石垣に使えるような岩がほぼ採れないので造れなかったという背景もある 寺院建築で石垣を使うことが多くて慣れ親しんでたから城に石垣を使おうと思ったんだろう、たぶん。
強度の問題とかではないと思う 近畿地方では古墳や墓石を再利用して石垣に当ててるからねぇ。
信長より先に合理的な考えあった証拠。穴太衆が城普請のプロ集団だったはず。 一向宗の寺も要塞化されてたな
石山本願寺も大坂城にリニューアルされるほどだったし 一向宗って川べりや中洲等の耕作には適さず半ば放置されてた様な土地をほぼ無償で取得して布教・軍事拠点化を進める
河川を利用した物流網を発展させる事で無から莫大な利益を生み出す錬金術でもって勢力拡大に拍車がかかったらしいね
水濠と環濠集落造らせたら戦国随一の土木集団 >>973
要塞とは行かなくても、大きな寺社はたいてい城でもあるんやぞ 城って大概は寺社を取り込んで築城されているよな
先に寺社があったパターンと後から創建されたパターンがあるけど 静岡県・川勝平太知事「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 細川ガラシャです」
川勝に引用されるとは…… >>977
城と寺社は有事の際に信者が逃げ込む施設でもあるからな。
役割が被ってるし当然の成り行き 近所の神社は平地に石垣くんで城っぽくなってる
子供の頃は普通やったが珍しいのかも 戦時に村人が逃げ込む場所、「ムラの城」として使われてた神社なんやな、わりと全国でたくさん有ったはず
もちろん、江戸時代はじめの城割り令の対象だから、ほとんどの場合は堀や石垣はある程度まで壊されたはず 実際、寺社は防衛能力をもたせている場合も多いからな
江戸時代より前は治外法権だったから領主と対立する事も度々あった
広大な領地も持ち僧兵を抱える寺もたくさんあったので地方でも領地と争う事は多かったし
逆に領主に協力して合戦に従軍する事もあった
だから寺社の取り込みって重要で領主達が味方に引き込もうとして送った書状もたくさん残っているんだよな 着物の袖の部分って長すぎて日常でも合戦でも邪魔になると思うんですけど西洋みたいに細くならなかったのは何故ですか? >>985
逆に元々は細かったんだけど、袖が大きい方が見栄えが良くてお洒落だからどんどん大きくなっていった
でも労働者や武将が戦の時に着るようなものは細めのシンプルな筒袖のものだったよ
よく見る大仰な着物は現代で言えばスーツだからね
激しく動く時は動きやすい着物に着替えていた 袂が無かったら受け取った賄賂を何処に収めるんだよ?
ってぇのは冗談にせよ、
>>988氏の云うような常識も、それ以前に着物の物理的構造も知らないとは、
>>985氏は日本人ではないのだろうか。 >>987
>>988
ありがとうございます
>>989
日本人の大半は当時の事を知らないと思います >>990
当時も何も、着物の構造即ち仕立方は今も変わっていないんだが。 >>991
「戦闘用の着物」や「戦の時に着る着物」という言葉が出ていますが日本語読めないんですか? >>992
戦闘用であれ普段着であれ反物から着物を仕立てる基本構造は変わらない。
それを知っていれば袖の形(袂の形成)が必然であることは理解出来る筈。
「日本人ではないのか」と皮肉で書いたつもりだったが洒落にならなかったようだな。
外国人ならば知らないのも無理はない。
>>988
晴れ着としての着物は役割的にはスーツと言うよりドレスじゃないかなあ >>993
着物の構造じゃなくて袖が邪魔になるかならないかの質問なんだが何の説明をしたがってるのか分からん。しかも普段のものと戦闘時は違うってレス来てるのになんの勘違いをしてるんだ?
もしかして>>588と同じ人?普段から話がずれてるって人から言われない? >>995
元凶になった>>985の愚問をよく読むこと。
着物の袖の形に就いて「西洋みたいに細くならなかったのは何故」かと問うている。
よって洋服とは根本的に異なる仕立方に起因する必然であると答えた。
貴君こそ日本語文の読解能力に深刻な問題を抱えている。
>>996
お前日本人がどうとか構造がどうとかオナニーだけして全く答えられてないじゃん。理解力の乏しさときもい話し方してる事自覚した方がいいよ このスレッドは1000を超えました。
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