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【東播磨】別所氏を語る【三木城】
0001人間七七四年
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2009/10/23(金) 01:37:58ID:uXI/5g0i
東播磨の三木城を本拠とし覇を競ったものの毛利と織田の間に揺れ、
最後は秀吉に兵糧攻めされて滅んだ別所氏について語りましょう。

別所長治 辞世の句
「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」

■武家家伝_別所氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/besyo_k.html

■関連スレ
播磨赤松氏について語るスレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153399640/
ザ・浦上氏
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154943603/
0195じゅん
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2017/01/11(水) 19:07:11.54ID:GWT7KBsq
あの、大阪に住んでる男子高校生なのですが、僕別所長治と薄くですが血が繋がっています。僕のひいばあちゃんの名前は別所うたです。
0196じゅん
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2017/01/11(水) 19:10:35.27ID:GWT7KBsq
上記のものですが血が繋がっているのは本当です。
0197じゅん
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2017/01/11(水) 19:12:32.67ID:GWT7KBsq
>>176
僕は別所長治と血が繋がっています。
ひいばあちゃんの名前は別所うたです。
0199人間七七四年
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2017/01/14(土) 12:38:22.05ID:hoTntmTN
別所ってなんで織田から毛利へ寝返ったのかなあ 
0200人間七七四年
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2017/06/03(土) 17:23:51.66ID:sHLcHxwD
巨人贔屓で大嫌いだったわあの白髪のジジイ
0201人間七七四年
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2017/07/23(日) 18:55:28.48ID:wAs/cp/e
別所氏って、赤松氏から分家してから何代も続いてるわけやから、
別所重宗(重棟)の子孫以外の別所一族も生き延びていると考えるのが正しいと思う。
0202人間七七四年
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2017/08/02(水) 17:38:51.25ID:pbFSjdku
水戸黄門の育ての親である三木之次(仁兵衛)は、別所長治の叔父の子って説があるが、違うと思う。
播磨国美嚢郡三木浄土真宗光善寺の住職、寂然の次男の方が合ってると思う。
0203人間七七四年
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2017/08/17(木) 12:58:55.83ID:+z7F+61v
>>48
別所毅彦は別所氏の末裔じゃないと思う。
あれは背乗り(はいのり)。
0204人間七七四年
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2017/09/18(月) 23:00:52.07ID:7MqN4avq
三木城行った事あるが、ボランティアガイドのじじいがウザい。
話が長くてわかりづらいわ、あっちこっちに話飛ぶわ、しまいには自分の猥談にまで話飛びやがって、一時間以上も捕まった。
0205人間七七四年
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2018/01/06(土) 12:57:30.11ID:7c1f/4+j
三木氏と別所氏って関係あるの?
0207人間七七四年
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2018/09/09(日) 16:37:08.03ID:ZTX9KJz1
>>205
関係ないです。厳密には少しだけ関係ありますが・・・
三木氏にもいろいろあるけれど、ここでは播磨の三木氏に限定します。
英賀城の三木氏は、伊予の河野氏の支流が、讃岐の「三木郡」を領して「三木氏」を
名乗り、やがて播磨に来て英賀付近に勢力を張った一族です。
三木氏が播磨に来たのは将軍足利義満の肝いりだったようで、播磨守護の赤松氏も
快く迎えて、その後は赤松氏の家臣として行動しました。
赤松一族の別所氏から三木氏へ養子に入ったりもしました。
まぁ、このへんは「関係がある」と言えますね。
もちろん、後年に播磨が織田と毛利の狭間になった時にも連絡を取り合ったことでしょう。

以上をまとめると、
三木氏と別所氏の居城の三木城とは、同じ「三木」ですが、偶然の一致で関係ありません。
(別所氏対羽柴秀吉の)三木合戦について書かれた本を読むと、別所側のことを「三木側」
とか「三木」などと書いてあって、英賀城の三木氏も(ろくに説明もないまま)出て来
るので混乱しますが、ほぼ無関係です。
0208207
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2018/09/09(日) 16:46:15.74ID:ZTX9KJz1
補足です。
三木開城後に助命された元城兵が、天下人になった秀吉と長期間(約2年)戦った
ことを誇って「三木」と名乗ったそうです。
これは資料等ではなく、私の実家(兵庫県某市)付近の言い伝えです。
0209人間七七四年
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2019/01/09(水) 06:08:36.13ID:ujSLFcAd
age
0211人間七七四年
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2019/05/11(土) 14:37:13.19ID:NPOr9S8y
>>207-208
徳島県発祥の三木産業(株)っていう会社の創業者が、三木の別所氏の一族だと名乗ってるのですが、どう思われますか?
私は英賀城の三木氏の一族の間違いだと思うのですが?


-----------------------------------------------------------------------------------
当社の創業は1674年(延宝2年)三木家の祖・第2世高治が藍の取扱いを開始したことに始まります。

数百年前、播州・三木城(現在の兵庫県三木市)の城主・別所長治が秀吉との戦いに破れた際、
長治の叔父・治之の遺児である規治が家来とともに阿波・松茂中喜来浦に逃れて隠れ住んだのが
三木家第1世與吉郎でありました。

当時、この辺の地は徳島県を流れる二大河川の一つである吉野川の川辺に位置し、
船着場となっていたので三木家は漁具、米穀、雑品などの商いを開始。

その後、阿波藍が盛んになるに従い新たに阿波藍の取扱いも始めました。
このようにして今日の三木産業は創業されたのです。
http://www.mikisangyo.co.jp/history/01.html
0212人間七七四年
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2019/05/11(土) 14:44:30.86ID:NPOr9S8y
ああ・・・

>>207
>伊予の河野氏の支流が、讃岐の「三木郡」を領して「三木氏」を名乗り、

が正しいとすれば、下手をすれば、英賀城どころか、四国からも出てないかもしれないですよね?
0213207
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2019/05/12(日) 03:57:55.49ID:ww93vsiS
>>211
そうおっしゃっているのであれば、そういうことなのでしょう。
他人のアラ探しをするのはどうも・・・何か問題があれば別ですが。

誰でも、自分の家系を良く見せたいですよね。
藤原さんは全国に大勢いますが、そのほとんどは、貴族の藤原氏の荘園で働いていた
人々が「名字(苗字)を名乗っていいよ」となった時に、
「俺、藤原!」と名乗ったものです。
これ以上はもう・・・
0214211
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2019/05/12(日) 12:16:50.27ID:nlMRKB2T
>>213
>他人のアラ探しをするのはどうも・・・何か問題があれば別ですが。

私も、他人のアラ探しをするつもりはないのですが、、、
この三木産業(株)っていう企業の創業者とされる人物の「父親」と、
私の先祖とされている人物の「父親」が同一人物なんです。
それで、どういうことなのかな?と、思いまして・・・

あまり詳しく言うと特定されるので困るのですが、
私の先祖とされている人物(父親の方は三木合戦、詳しく言うと大村の合戦で死亡)は、三木合戦後、別所家の家臣に匿われたそうです。
私は今でも三木市の近くにある別所家の家臣が作った地域に住んでいます。
苗字は戦国時代に変えましたが、家紋は今でも別所家と同じ左三つ巴を使っています。

三木産業(株)の創業者とされる人物と、私の先祖が、同じ父親を持つ「兄弟」だというのなら筋が通るのですが、
この2人が同一人物だとするなら、どちらかが間違ってるということになるので・・・
「父親」の方が三木合戦で死亡した時は36歳だったという話があるので、子供を複数人遺してても全くおかしくはないのですが・・・

なお、この「父親」の方は「別所長治の叔父」とされていて、長治の父親である安治とは兄弟とされています。
ここからは完全に私の推測ですが、おそらく安治、吉親(賀相)、重宗(重棟)の3兄弟とは異母兄弟だと思っています。
0215214
垢版 |
2019/05/12(日) 13:00:10.08ID:nlMRKB2T
【訂正】

>>214 で、『三木産業(株)っていう企業の創業者とされる人物の「父親」と、私の先祖とされている人物の「父親」が同一人物』 

 と書いてしまいましたが、

>>211 で行くと、

 『三木産業(株)の創業者(=三木家の祖・第2世高治)の父親(三木家第1世與吉郎)の「父親」と、私の先祖とされている人物の「父親」が同一人物』 

 に、訂正します。

 ややこしくてすいません・・・。
0216人間七七四年
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2019/05/18(土) 10:00:40.88ID:d2V7ZdJQ
三木市の歴史研究家って馬鹿が多いよね?
どこの大学出てるか知らないけど、あまりの馬鹿さに呆れた
0217人間七七四年
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2019/05/18(土) 10:18:19.22ID:d2V7ZdJQ
三木市の限らんけど、歴史の研究家は、
旧帝大(東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋)か、
せめて早慶ぐらいは出てる人だけにして欲しいわ

会話が成り立たん
0218人間七七四年
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2019/05/18(土) 20:28:53.65ID:9p3O/tqx
三木市は簡単に職員を採用するからなあ。
0219人間七七四年
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2019/05/18(土) 20:32:35.43ID:9p3O/tqx
>>216‐217
ほぼ同意。
大学はともかく、俺の母校、小野高校出身者だけで良い。
0220人間七七四年
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2019/05/19(日) 19:16:13.38ID:lAjKQB4J
>>211-214
三木産業と聞いて思い出したが、「図説三木戦記」とかっていう、デタラメ本出してたなぁ
0221人間七七四年
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2019/05/21(火) 08:06:06.33ID:6yks9M9y
>>211
>数百年前、播州・三木城(現在の兵庫県三木市)の城主・別所長治が秀吉との戦いに破れた際、
>長治の叔父・治之の遺児である規治が家来とともに阿波・松茂中喜来浦に逃れて隠れ住んだのが
>三木家第1世與吉郎でありました。

何で家来が阿波に縁があるんだって話だよな?
0222人間七七四年
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2019/06/01(土) 16:24:48.10ID:SYlIlKKa
age
0223人間七七四年
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2019/06/23(日) 08:18:05.31ID:d/9gzWru
別所吉親と別所重宗(重棟)の2人は、母親が違う(異母兄弟の)可能性ってありますか?
0224人間七七四年
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2019/08/06(火) 01:26:22.27ID:4ETIRDld
来年の大河ドラマは明智光秀が主人公らしいのですが、三木合戦やると思いますか?
0225人間七七四年
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2019/08/17(土) 02:35:59.86ID:aymSuDXY
>>224
三木市には頑張って欲しいですね。

明智光秀の丹波攻めもやるでしょうからね。
丹波の波多野家と三木の別所家は婚姻関係がありますし。

軍師官兵衛にはガッカリしました。
0226人間七七四年
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2019/09/02(月) 04:03:36.91ID:0yO8uvfI
光秀は一時、秀吉の援軍として三木城攻めに参戦したので、
三木城攻めは出てくると思います。
丹波攻略担当の光秀と、隣国の播磨攻略担当の秀吉との関係がドラマで描かれるでしょうから。
逆に、秀吉の弟の秀長が援軍として丹波を攻めていますしね。
秀吉から援軍として派遣された脇坂安治が黒井城攻めに参戦して、
黒井城の赤井直正から貂の皮の馬印をもらった(または奪った)のも歴史マニアの中
では有名な話。
本能寺の変の首謀者が秀吉だったという説があるのはご存知のことと思いますが、
ドラマでその説が採用されなくても、光秀にとって秀吉の存在は大きかったでしょう。
0227人間七七四年
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2019/09/05(木) 15:20:09.17ID:ZEMgmWOv
>>221
赤松の惣領家が阿波へ移るから家来の一族によっては別所に仕えたり赤松に仕えたり分かれてるやつもいるからそういった一族の伝手は有り得なくはないとは思った。
0228人間七七四年
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2019/09/11(水) 01:45:09.20ID:db9RRxK1
>>226
なるほど。
光秀=長治を助けたかったけど、他の任務の方が重くて手が回らなかった。
信長=まだぁ?まだぁ? はやくぅ〜 はやくぅ〜
秀吉=うぃうぃ。酒とつまみを送るから、ガツガツ食ってから長治とその一族はすぐ死んでね。
長治=ズブッ ぐぇっ!
光秀=ちくしょう! 倍返しだ!

実はこれが本能寺の変の原因の一つだったとか。
ドラマでは光秀を善人に仕立て上げるに違いないので、
三木合戦が出てきたら、こんなふうになりそう。
0229人間七七四年
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2020/01/21(火) 22:26:02.13ID:uWrCzYYI
どなたか、別所安治、吉親、重宗の生年を教えてください。
wikiでは安治より重宗の方が年上になってるのですが・・・
0230人間七七四年
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2020/01/24(金) 05:02:19.63ID:qngFsDBg
最近、三木合戦で秀吉軍が大量虐殺したとかいうデマを流してる人がいるらしいけど、根拠あるんですか?
私の先祖は三木城に籠城していたんだから、大量虐殺があったのなら、私は生まれてきてないかもしれないし、古文書にも大量虐殺なんて書いてないんですけど。
三木合戦で年を越す時に食べるものが無くて飢え死にしそうになったらしく、私の実家や親戚では400年以上たった今でも正月に餅つきをしないんですが。
結婚して初めて餅つきをしました!
0231人間七七四年
垢版 |
2020/02/01(土) 01:41:11.57ID:qbqoEuWG
>>230
それは何年か前の「歴史読本」に載っていた説のことだと思います。
2年前か3年前だったような・・・
別所長治とその一族がどのような最期をとげたのか?は、
兵卒には一切分からなかったことでしょう。
足軽大将クラスでも分からなかったかも。
ましてや、町人や農民が知るはずもなし・・・

そこで別所長治の最期のはなし・・・
2年近くも籠城を続けて、時には出撃して秀吉を驚かせたほど奮戦した。
しかし、もうこれ以上は無理。
長治と一族が自害するので、城兵はみんな助命してください。
秀吉は感動して酒と肴を贈った。
三木城内で最後の酒宴。長治は家臣たちに長年の功を労った。
終了後、秀吉側の検視が来て長治とその一族は自害。
「今はただ 恨みもあらじ もろ人の 命にかはる わが身と思へば」

いい話やん!
でも、それって、誰が見ていたの?
検視係は秀吉の息がかかった人物のはずだし。

そこで、「他人と違う論文を書いたら注目さるに違いない!」
という歴史家がいたとかいなかったとか。
2年近い籠城戦で飢えて動けなくなった別所一族が虐殺されて、
その後の政治をうまく運ぶために、美談をでっちあげたのではないか?と・・・
0232人間七七四年
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2020/02/02(日) 14:58:59.09ID:D1BJjcBQ
三木の義民、大西与三右衛門の先祖 大西与右衛門

三木城主であった別所長治の家臣加古与七郎秀久は、三木が戦に敗れた後、自分の幕下(家来)になるよう豊臣秀吉に勧められました。
秀久は「武士は二君に仕えず」と丁重に断り、別所氏の家臣として忠誠を守ったと伝えられています。
 秀久の武士としての気構えに感動した秀吉は、秀久に母衣(よろいの下に着る矢よけの着物)を授け、杯を取らせました。
その時、西から風が一段と強く吹き、そばの竹林から笹の葉が舞い散り、その一葉が秀久の杯に落ちました。
秀久はこれを見た秀吉から、「九枚笹」の家紋と大西の名字を賜りました。
 その後秀久は屋号を小浜屋と称し、名前を大西与右衛門と改め、平山町で造り酒屋をひらき、町人として暮らしました。
晩年に与右衛門は仏門に入り、僧名を承慶と名乗って主君別所氏の冥福を祈るために文禄元年(1592年)本長寺を建立し、以来大西一族の菩提寺となりました。


--------------------------------

加古一族は虐殺されなかったってことでしょ? 
加古氏はそれなりの名門ですし、大量虐殺があったら加古家の古文書にも記載されてるはず。
現在も加古氏の子孫は生きていますしね。
0233人間七七四年
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2020/02/11(火) 18:03:38.72ID:e4554dAC
>>230
数年前に、法界寺の絵解きに行ったら、餅を配ってて私もビックリしました。
今の三木市民の御先祖は、戦国時代には三木に居なかったんだろうなと思いました。
0235人間七七四年
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2020/04/08(水) 21:48:27.66ID:cjCcDjLh
>>197
今さらながら連絡します。
別所うたさんの母親は、きよこでは無いですか?
今里の方にお住まいではありませんですか?
0236人間七七四年
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2021/04/25(日) 21:42:36.01ID:HHeqh3XD
>>229
一年以上前の書き込みにレスするのもなんだけど、「生年不明」としか言えないじゃないかな
寛政重修諸家譜 ttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082714/237 でもその兄弟の年齢にかかわることは何も書いてないし
『織田信長家臣人名辞典 第2版』でも吉親・重棟の生年は「?」になってる

『信長の野望』の生年設定もwikipediaと同じになってるから、作品によっては安治じゃなくて重棟が大名になるんだよなぁ
0238人間七七四年
垢版 |
2022/02/12(土) 16:11:22.75ID:y9jqUTPr
>>139
初出は信長公記なのかな
畠山総州家は末期だな
0239人間七七四年
垢版 |
2022/02/13(日) 08:43:53.10ID:ArNQ56or
>>238
信長公記っぽいね
総州家の畠山尚誠は永禄の変直後の足利義昭と連絡とってたし
義昭とか織田信長周辺には名前が知られてたんだろうな

でも後世の人間は「畠山総州」がどこの誰かなんて知らないから、吉親の妻が「畠山下総守の娘」と名乗りを上げる軍記物があったりする
「畠山上総介」やっちゅーねん
0240人間七七四年
垢版 |
2022/09/12(月) 00:00:35.08ID:krM6ytse
>>133
HP移転か
0241人間七七四年
垢版 |
2022/09/18(日) 16:20:08.38ID:F77GeLbC
別所就治って人は、やはり、あれか?毛利元就から片諱を貰ったのか?
0243人間七七四年
垢版 |
2023/08/28(月) 06:57:59.56ID:YzjUVwto
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担
0244人間七七四年
垢版 |
2024/02/11(日) 12:15:12.53ID:Bwm9Z5fd
織田信長の側近らから羽柴(豊臣)秀吉に宛てた書状など、35通の写しが見つかった。多くは秀吉が武功を誇るため書き送ったものの返書だったが、中に自らの失態を慌てて信長に釈明しようとした「弁明書」も1通、交じっていた。
三木城(兵庫県三木市)を舞台にした「三木合戦」(1578〜80年)の直前、
信長に従っていた城主の別所長治が反旗を翻したことについて説明しており、従来不明とされてきた離反の理由が分かってきた。
秀吉による書状の写し。別所長治離反の釈明などがつづられている
兵庫県立歴史博物館(姫路市)と東京大史料 編纂へんさん 所が8日、発表した。

「これまでの経緯に不満があったのか、陣所を引き払い、退去してしまいました」。
信長に敵対していた毛利氏を討つ「中国攻め」の途上、信長の側近に宛てた文書で秀吉は東播磨にある別所方の城をいくつか取り壊し(破城)、険悪な雰囲気になったことに触れた。
破城は信長や秀吉が勢力拡大に伴い支配下の大名らに行った施策だが、県立歴史博物館の前田徹学芸員は「書状の通りなら、秀吉がもめ事の種をまいたことになる。離反の理由として検討材料になる」と語る。
書状は「別所離反」という失態を信長に知られた秀吉が書いたとみられる。
「ご報告が遅れましたことは、決して油断ではありません。
別所の覚悟や播磨国人衆の様子を見極めており遅くなりました」など長々と釈明。
ただ信長に事実を知られた後だけに時機を逸したと感じたのか、出されずじまいだったという。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20240211-OYT1T50037/
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