■熱く語ろうや柳生一族 ■
厨房歓迎! 著名なマンガでも出てんだから皆さんご存知のはず。
調べてもさっぱり情報の得られない仙台柳生・権右衛門について誰か宮城の人語ってくれ。 荒川区役所・社会体育課課長の佐久間勇一。
すごいぞ、こいつのパワハラは。
すでに、かなりの数の告発をされていて、病気を患った人がいるにも関わらず、
そして、パワハラの事実を確認している(文書も正式に出ている)のに、何ら佐久間を処分しない役所。
何か佐久間に弱みでも握られてるの?
Bだから?
佐久間のパワハラ発言集
「オレに逆らったら、どうなるか分かってるんだろうな」
「オレは人を殺したとしても、絶対に謝らない」
「オレは人をいじめるのが、楽しくて仕方ないんだよ」
「お前だけは、1時間前に登庁しろ」
「お前の休暇は、絶対に認めない」
「女を泣かすって、気持ちいいな」
が、一転。
自分の上司には、ペコペコしちゃって。
人を殺しても謝らない人間が、おべんちゃらで頭を垂れるのな。
虫けら以下。
>>10
のぶやぼだと軟弱だよね
某SAKONのせいでかなり違和感がある 柳生の剣士は幕末で活躍した話をあまり聞かない
江戸期中で弱体化した?
逆に小野派一刀流は分派も沢山出来て大流行 柳生十兵衛は剣豪最強なのか?
武蔵の二刀流に勝てる見込みのある剣豪は・・・・・。 9条は改憲してはならない。日本の為にならない。
日本人ではない朝鮮総連や民団でさえ、日本を心配して改憲への反対運動を行ってくれている。
私は日本人だが、「改憲すべき」などという者は、日本人として彼らに恥ずかしいと思います。
Q.中国から身を守る為、戦争に対する抑止力が必要では?
A.前提から間違っています。そもそも、中国は日本に派兵しようと思えばいつでもできました。
なぜなら、日本には9条があるため、空母や長距離ミサイル等「他国を攻撃する手段」がない。
つまり日本に戦争を仕掛けても、本国の、命令をだした幹部の命は絶対に安全なのです。
「安心して戦争を仕掛けられる国」を、中国は、今まで攻めずにいてくれたのです。
Q.それは日米安保によるものでは? そして、その日米安保も絶対ではないのでは?
A.中国の良心を信じられないのはなぜですか? そして、日米安保は絶対です。
知り合いの韓国人の評論家も「絶対だ」と言っていますし、私も同じ考えです。
更に、9条が消えても米国の戦争に協力する義務は発生しませんが、米国が被害者の場合は別です。
米国は日本を守る為に戦っても、(9条があれば)日本は米国を守る為に戦う必要がないのです。
Q.9条が本当に「平和」憲法なら、世界中で(日本以外に)1国も持とうとしないのはなぜか?
A.これは、日本以外のすべての国が誤っているとも言えます。
「敵国に攻撃が届く国は攻められづらい」というのは、誤った負の考え方です。
(もっとも韓国や中国の軍に関しては、日本の右傾化阻止の為でもあるので例外ですが)
更に日本の場合、隣国が韓国・中国・ロシアと、GDP上位の安定した信頼できる国ばかりです。
Q.「9条改憲派」は「戦争反対派」。侵略者に戦争を挑発する、戦争憲法(9条)を撤廃したいのです。
A.それは、貧しい考え方ではないでしょうか?
中国や北朝鮮を信じる「強さ」があれば、そんな考えにはならないはずです。
日本が信じれば、彼らも信じるでしょう。そして、真に美しい関係が始まるのです。 >>15
376 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2006/09/15(金) 12:39:49 ID:X4JOrpda
414 名前:護憲派市民教師 ◆T8GnXc.r0g [平和憲法にYES!戦争憲法にNO!] 投稿日:2006/08/29(火) 14:01:45 ID:Nk7/i9On
いま尿道に綿棒を入れてみたんですが、全く気持ちよくなりません・・・
やはり肛門から直接前立腺を刺激した方がいいですか?
初心者なもので、何度も質問すいません・・・
415 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん [] 投稿日:2006/08/29(火) 14:02:08 ID:TuUlV7i9
>>414
ちょwwwwwwwwww
416 名前:護憲派市民教師 ◆T8GnXc.r0g [平和憲法にYES!戦争憲法にNO!] 投稿日:2006/08/29(火) 14:02:15 ID:Nk7/i9On
違う!!今のは私じゃない!! ところで、子連れ狼でも出てた柳生列堂は実在の人物か?
だとしたらその剣の腕前は? 拝み一刀に本当に斬られたのか?
1980.4.2〜81.4.1生まれ
松坂大輔、キングコング、優香、朝青龍、チェ・ホンマン
1981.4.2〜82.4.1生まれ
滝沢秀明、今井翼、安達祐実、内山信二、ブリトニー・スピアーズ
1982.4.2〜83.4.1生まれ
宇多田ヒカル、倖田來未、オリエンタルラジオ、ザ・たっち
中島美嘉、三船美佳、椎名法子、北島康介、琴欧州
酒鬼薔薇聖斗(少年A)、イアン・ソープ、ウイリアム王子
1983.4.2〜84.4.1生まれ
上田竜也(KAT−TUN)、中丸雄一(KAT−TUN)、風間俊介、ベッキー
オレンジレンジ、土屋アンナ、寺原隼人、ヨンネ・アーロン(ネガティヴ)
1984.4.2〜85.4.1生まれ
速水もこみち、赤西仁(KAT−TUN)、えなりかずき、若槻千夏、石川利華
アヴリル・ラヴィーン、タトゥー
1985.4.2〜86.4.1生まれ
亀梨和也(KAT−TUN)、田中聖(KAT−TUN)、田口淳之介(KAT−TUN)
山下智久(NEWS)、上戸彩、斉藤祥太、斉藤慶太、ウエンツ瑛士、小池徹平
後藤真希、りあるキッズ、三倉マナカナ、大沢あかね、宮里藍
1986.4.2〜87.4.1生まれ
亀田興毅、井上真央、松浦亜弥、BoA、YUI、石原さとみ、沢尻エリカ
ダルビッシュ、フェリックス・ヘルナンデス(シアトルマリナーズ)
オルセン姉妹、リア・ディゾン
1988.4.2〜89.4.1生まれ
斉藤佑樹(ハンカチ王子)、田中将大、亀田大毅、福原愛
森本貴幸(サッカー)、山田弘喜(ヤクルト) 肖像画は隻眼じゃないんだけど
本当のところどうなの?教えてエロい人 実際には眼帯は付けてませんでした。
両目ともにきちんと見えていたはずです。
片目の怪我は後生の小説家が考えた創作話です。 いや、柳生家の家伝にも隻眼だったと書いてあるから嘘ではない
ただし時期が不詳。一般の創作イメージだと青年期にはすでに隻眼眼帯がデフォとされているが >>28
片目だと距離感が測れないので
剣術家になれるはずがないんです。
もし本当に十兵衛が片目だったとしたら、
刀を持たなくなった晩年の事だと思います。 >>31
隻眼説が有るのは
宗矩ではなく
その息子、十兵衛です。 十兵衛の死亡原因は落馬ってことになってるけど、俺は落馬なんかではないと思ってる。みんなはどう思う? 爺ちゃんの宗厳は落馬してあやうく死ぬとこだったよね。 柳生家最強って言えば普通、利厳か厳包じゃないの?
個人的には何のかんの言っても実戦では開祖石舟斎が最強じゃないかとは思うのだけどね。 >>39
死因は梅毒のはずです。
十兵衛はすごい女好きだったし
当時、梅毒で死ぬのは珍しくなっかたと思います。 石舟斎って上泉と初めて会ったときに疋田と試合してまったく相手にならなかったけど
その後、実力的に疋田に追いついたの? 結城秀康も家光も梅毒だよな。マジ梅毒はまん延してたんだな。
>>46
創作説が強いけど、寛永御前試合で巌包が宗冬に勝ったらしいね。
確か巌包は宗冬の小指の骨折ったとか
ということで尾張>>>>江戸はガチ 宗冬は江戸柳生屈指の剣術下手。その代わりに中々の策略家。 宗冬に厳包は創作じゃない。
柳生延春氏の出てくる記事で
その試合(名目は稽古だったかもしれん。家光の御前だった)で使われた小太刀が今も残ってて、その小太刀には宗冬の血の痕が残っている
というのを見たことがある。
沈なる身の構えと直ぐ立ったる構えの違いで、圧倒したとのこと。
宗矩と利厳の工夫の差が大きい。 柳生宗則て濃尾無双で有名な岩本虎眼に負けたんだよな 柳生「それでは家康さんにハンターチャンスです。家康さん豊臣さんからどの
品物を望みます?」
家康「天下」
淀君・秀頼「えー、それだけは困ります!!」
家康「すいませんねえええwww」 柳生藩一万石で幕末まで残ったね。確か、江戸柳生の血筋が途中で絶え、尾張柳生から養子がきて繋いだように記憶してるが、どうだっけ? 個人的に宗冬が好きだ。
後世「あいつ運よかったから家を継げたんだぜ」とか史家に書かれてしまうあたりが好きだ。
家光の前で宗矩に打たれて失神する逸話や、厳包に負ける逸話等、噛ませ犬キャラを割り振られてしまうキャラクターが好きだ。
そのわりに、遺書で「義仙マジでキチガイ。芳徳寺の住職にはするな。文句言ってきたら監禁するか殺せ」とか書いちゃう激情家な一面もあって好きだ。 >>54
俺が昔は興味が無かった片桐且元を好きになったのと似たような理由だな。 >>56
かつもっちゃぁぁん!!
ゴメン且元スレのこと思い出したらつい 結局、柳生一族って千葉真一のお陰で有名になったんでしょ? 柳生=忍者の構図で有名にしたのは、五味康祐と小池一夫だろうね。 十兵衛は梅毒だったのかー。家光とホモ達説があるじゃない。家光も梅毒でしょ。どっちが遷したのだろう。 >>12
宗矩の血筋は絶えたのでそれはない
江戸の柳生家はある時期からずっと養子。松前藩主の血が入ってる
>>29
隻眼の不利を克服して剣の腕に達したとか考えちゃ駄目?
>>42
十兵衛は鷹狩中に横死で死因は不明となっているはず
>>47
連也と宗冬の試合は寛永ではなく慶安で、実在の出来事
>>61
家光と念友だった疑いがあるのは十兵衛の弟の友矩。
彼は家光の寵愛厚く、父や兄を差し置いて4万石(一説に13万石)を沙汰されたという
しかし彼は若くして病死し、万石の御墨付も宗矩の辞退で流れた >>62
宗冬と連也の試合は、史実と断じて良いの?
八日後にも宗冬は型を披露したともいうし、後世発生した伝説の可能性もあるんじゃないかな。 うっかりした……徳川実紀には「二人が試合をした」という記述はないです
宗冬と利方・厳知が別々に演武をしたことは間違いないが。
試合については、伝説の可能性は大いにあると思われる >>49がいうのと同じなのかはわからんが、
津本陽氏が柳生延春氏にインタビューするという形の記事で、
(自分が読んだのは剣客物の短編集でその中の一つだったと思う)
試合に使われた木刀(小太刀だったかな)が残っててそれには血の痕もあるんだと。
とりあえず柳生家には事実として伝わってる模様。
それが本当に真実かは確かめようがないけど。 てかさ、宗冬の墓は区画整理だかの関係で一回開けたんだよね?
その木刀の血痕と、墓の中に入っていた品でDNA鑑定とか出来ないのかね?
それが出来れば、その木刀は本当に宗冬を撃ったものなのかどうかは判るのに。
まあ、事実その血痕が宗冬のものだったところで、事故説もあるわけだけど… 津本陽さんの「柳生兵庫介」を読んだら良く分かるよ。それにとっても面白い。 江戸柳生と尾張柳生がマジで勝負するわけもなく、やったとしたら形の演武で木刀の血がマジだとしたら当てちゃった連也のミスって話も聞いたことあるが。 >>70
あの時期にわざわざさせる理由もないしね。
血染めの木刀が伝わってることがまず胡散臭い気もする。 山岡荘八作品だと宗矩は政治にかなり関わってるな。ただ、勝海舟が柳生の偉いところは功績を残そうとしないというぐらい、よくわからない人物。
家光の死に際の扱いから、それなりに重要な人物だった、はずだが。 勝海舟が修めた剣法の直心影流って新陰流の分派かな? 司馬だったか山岡だったか南條だったか海音寺だったか
忘れたけど自分の顔の骨を削って人相変えたりするヒトが
昭和初期くらいまで柳生の里に居たような話が合ったね。
あと、柳生の直系って江戸じゃなく尾張だよね? >>75
戸部新十郎の本の話じゃないかな
肩を自在に外したり戻したりできるような老人が結構いたとか何とか
直参だし大名だしで江戸に眼が行きがちだけど、尾張の方が嫡流だし新陰流の正統なんだよね
尾張は陪臣だし、江戸柳生を支流というのは違和感あるけど 尾張は兵庫助が石舟斎から相伝を受けた内容通りに次代に伝えたから
ほぼその通りに伝わったけど(尾張独自の改良も含めて)
江戸柳生は支流だからかどうか判らないけど、宗矩の代で既にかなり
独自の形に変えられちゃってるよね。 目録内容も伊勢守のと違うし。
十兵衛なんかもだから、独自に研究しなくちゃいけなかったんだと思う。
尾張の兵庫助に師事を仰いだ可能性も指摘されてるけど、 兵庫助が
同族とはいえ、直門以外の者に大事な事まで教えたとは思えないし。 >>75
山岡の随筆で見た。春の坂道の村田弥三のモデルにさせてもらったとか。 >>13
亀レスだけど、単に時代に合わなかっただけかと。
弱体化どころか、連也の代には初心者用の取り上げ遣い等が考案され、幕末くらいにも
長岡房成によって従来の型に比べ、より激しく打ち合う試合勢法なんかが考案されたり
教授体勢もしっかり整っていったんじゃないかな。
ただそれでも幕末流行の竹刀での試合なんかは邪道とされてたし、何よりも身体の遣い方
が恐ろしく細かく難しいし、免許も貰い難いっていうんで、当時の血気盛んな志士の性に
合わなかったのかも。
それに、幕末は紫ちりめん事件で新陰流の高弟の方々が次々粛清されちゃったりと…。
でも何気に高杉晋作って新陰流の免許持ってるんだよね。
>>77
尾張と江戸って仲悪いように書かれてるけど実際にはお互いによく出稽古をしたり
する仲で交流もちゃんと取ってたらしいからその可能性もあるんじゃないかな。 柳生一族は宗厳と宗矩しか知らないに等しいんだが、
小説なんかでの書かれ方のために単純な武力よりも精神面に重きを置いて鍛えていたイメージが強い。
なのでこの二人については剣に興味のない俺でも非常に憧れる。 前宗家と一緒に型やってた志村けん似?の人はどうなったの?
(ハゲてる人で25回の協会の演武会パンフに出てる)
あの人が継承したとばかり思ってたんだが BSフジ 5月1日(木) 20:00〜20:55 柳生一族の陰謀 第一話「将軍毒殺」
毎週木曜 20:00〜20:55 【再放送】翌週木曜 10:00〜10:55 江戸柳生は途中で稲葉氏や柳沢氏から養子が入って
血筋が絶えてしまうが、そういう場合養子で相続した
人物も剣は使えたのかな? >>94
そりゃ先代が叩き込むんでしょ。
血筋だろうが養子だろうが、教え方と本人の素質とだろうし。
ちなみに養子は松平氏、真田氏、松前氏、柳沢氏、田沼氏と続いて
最後の2代は、武田氏。あの武田信玄の直系。
(目が見えずに海野家を継いだ信玄の次男の子孫) >>96
名前だけの当主じゃないのか?
型くらい多少は教わるだろうが・・ >>28
十兵衛隻眼説はあの時代に流行った講談の逸話だよ。片目、片腕、片足等、異形のヒーローが幕府に立ち向かい成敗するような講談が町民達の鬱積の捌け口だった。
「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。 過疎ってるなー。
とりあえず随分話が進んだみたいだからまたリンク貼っとくか。
最新だと尾張柳生が出てきたところまで進んだよ。
やる夫で学ぶ柳生一族(まとめ)
http://yaruokansatu.blog44.fc2.com/blog-entry-371.html >>106
もう17話まで続いてるのか。
この調子だと30話近く行くんじゃね?
どこまでやってくれるのか・・・。 武道板の新陰流スレが結構もめてるみたいだけど、
あれって柳生家からすれば何か影響あるの? 質問です。
江戸初期の柳生では、江戸と尾張だとどちらの方が権威があったのでしょうか?
地位は確かに江戸の方が高かったかもしれないけど、
実際に新陰の正統を継いだ柳生家の正統は尾張の兵庫助ですし、
真の権威は尾張の方で、実は江戸の宗矩の方こそ、
兵庫助の「新陰流正統」の威を借りていた、ということはないのでしょうか?
当時から、尾張の方が実力は上だと言われているわけですし、
実力的にも将軍家指南役としては兵庫助の方が適役ではないかと思うのですが、
何故そうならなかったのか不思議なのです。
やはり政治力の差ということなのでしょうか? >>113
とりあえずざっくりと。
・幕府に仕えて20年以上経つ宗矩と、一時期を除いてずっと浪人してた兵庫助では扱いが違って当然。
・柳生の本家は宗矩が継いでいる。家の正統は江戸の方。兵庫助の父は廃嫡されている。
・この時期、「新陰流の正統」という概念自体、存在していたかどうか不明。
・そもそも剣術自体、それほど大した扱いを受けていない。
平たく言えば、
・江戸と尾張なら、権威は圧倒的に江戸の方が上。
宗矩が兵庫助の威を借りるというのは考えづらい。逆ならまだ有り得る
ということ。
あと、とりあえず「政治力」と言うのはやめておいた方がいいと思う。
論拠も無いのにそれを言うのは、陰謀論と大して変わらんから。 あとマルチはやめといた方がいい。
剣豪スレのこれ、貴方でしょ?文体変えてるけどID一緒だし。
>931 :人間七七四年:2009/04/21(火) 19:50:17 ID:jov0xtxm
>そういえば一之太刀はそうだったな。
>唯一伝授の割には足利義輝にも教えてたけど・・・。
>やはりそれなりに武芸者にも権威があったってことだな。
>そう考えると当時の武芸者というか武術流派の弟子からすれば、
>権威的に、自流派の師匠>将軍ということも有り得たんだろうか?
>というのは、どうも当時の武芸者視点で考えると、
>柳生宗矩をどう評価したのか見えづらくてな。
>もしかして、新陰流正統の兵庫助がいたからこその将軍家指南役、
>という見方も出来るんじゃないかと思ってるんだが。 http://kungfu-hammer.blog.so-net.ne.jp/2008-06-21
↑こういう記事があったけど・・・?
その昔、柳生宗矩という剣豪がいた。
判りやすく説明すると、徳川将軍家初代武術指南役を任せられた柳生新陰流の当主である。
この宗矩は指南役になって、直参旗本、大名となっても心は休まることはなかった。
彼には強力なライバルが多かったからである。
諸国を遊歴しながら武芸を磨く、放浪の剣豪 「 宮本武蔵 」
一刀流開祖から直々に剣を学び、夢想剣にて武蔵すら負けを認めた剣豪
「 小野次郎左衛門 」
天狗の化身とさえ言われた天流剣術の「 斉藤伝鬼坊 」・・・・
これらを差し置いて、指南役になれたのは ” 強さ ” ではなく
将軍への指南の際、直参の連中へ手心を加えたためであったとも言われ、これが就任の原因であったと言われる。
現代でも、宗矩は剣術家としては2流であると言われてる原因でもある。
その他、将軍家にも信頼を置かれ、当時京都の仏教界では一大発言を持っていた沢庵和尚の推挙もあったとも言われている。
武芸の必要の無い将軍家へは、型だけのヌルイ稽古と
仏教界からの進言で指南役に納まった宗矩は、つねに武芸者からの非難の矢面であった。
(事実、小野次郎左衛門は、刃引きの剣で稽古をしたため、徳川家の者は皆閉口したとも言われている)
其ればかりではなく、男色家だった徳川家光に尻の穴まで貸したとさえ言われている。 >>116
引用先の主旨は、宗矩の
「我、敵に勝つ術を知らず。己に勝つ術を知る」を元にした
「”己に勝つ”心の強さこそ大切」ってことだから、
枕だけ引用するのは感心しないなあ。
まあ、この枕も確かに変は変だけどさ。
当時の剣術や武芸者を過大評価し過ぎ。
たかが剣術がそこまで評価されるようになったのは
むしろ将軍家に剣を教えた宗矩の功績だしさ。
あと、沢庵の件は逆(宗矩が沢庵を推挙した)だし、衆道の件は友矩だろ。
事実誤認が多過ぎて、まともに相手にする価値もないと思うけどなあ。
>自己中心的な武術、中国功夫の随文です。意見があるなら、かかって来い!(笑)
とか書いてるから、「武道家は強くないとダメ」って類の人だろ。
行政官僚で政治家でもあった宗矩と、ただの武芸者に過ぎない他の連中を
同列に並べてる時点で話にならんね。 >>118
何かと思ったら丸目蔵人と宗矩の問答か。
これって確か球磨群誌あたりに載ってるやつだっけ。
まあ、よくあるタイプの「我が流派の始祖は柳生宗矩より凄いのだ」だな。
特に根拠なく「丸目蔵人が最強」「石舟斎より格上」とか書いてるし。
(蔵人が「西国の御指南は貴殿に任せおき候」という書状を受けていて、
伊勢守の高弟の一人だったのは事実だけど)
単純に考えれて、九州の小大名の陪臣の隠居が、
ホイホイ三千石の直参旗本に会えると思ってんのか?
宗矩からすればツラも見たことない爺だから普通に門前払いして終了だろ。 柳生の高弟で薩摩の東郷重位に負けて亡くなった二人ってどの程度の剣士だったの? >>120
元和の頃、柳生新陰流の高弟である旗本の福町七郎右衛門と寺田小助が
島津藩江戸屋敷で重位と仕合って敗れて重位の門人になった。
でも寺田は翌日死亡…っていう話のこと?
とりあえず、示現流の逸話にしか出てこない「柳生の高弟」だから、
実力の程は不明としか言いようがないかなあ。
そもそも、この2人が実在したかどうか、
こんな試合が実際にあったかどうか自体不明瞭だし。
「旗本」って書いてあるから、徳川実紀か寛政重修諸家譜でも探れば実在したかどうかわかると思うけど。
大名の陪臣が直参旗本を殺しておいて、記録が一切残ってない、
なんてことは考えづらいしね。 今週号のへうげものの宗矩がヤバ過ぎw
すげえwなんだあれwww
ttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090730AT1G3002H30072009.html
テレビ東京、正月時代劇は「柳生武芸帳」
テレビ東京は30日、来年1月2日に計7時間放送する新春ワイド時代劇として、
「柳生武芸帳」(仮)を放送すると発表した。原作は五味康祐の同名小説。
徳川3代将軍家光の治世を舞台に繰り広げられた、徳川家、反徳川家の権力闘争を描く。
主演の剣豪、柳生十兵衛役は、時代劇初主演となる俳優の反町隆史さん(35)が務める。(30日 21:09) こっちの方が記事が細かい。
正月が楽しみだ。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090730-524867.html
反町が時代劇初主演、柳生十兵衛役に意欲
俳優反町隆史(35)が時代劇初主演を務めることが29日、分かった。
テレビ東京系恒例の新春ワイド時代劇「柳生武芸帳」(1月2日放送)で孤高の剣豪・柳生十兵衛を演じる。
五味康祐原作の同名小説のドラマ化で、3部構成の7時間スペシャル。
リアルな殺陣などアクションシーンをふんだんに盛り込んだ内容になるという。
体づくりのために普段から殺陣の練習に励んでいるという反町は
「時代劇の中でも柳生武芸帳はとても興味のある作品。十兵衛の魅力を出せるように演じていきたいと思います」と決意を語った。
9月下旬から約2カ月にわたって撮影する予定。
ほかに父宗矩を高橋英樹(65)、弟又十郎宗冬を速水もこみち(24)が演じる。 いわゆる「裏柳生」という単語はドラマの産物。
確か子連れ狼が初出だったはず。
そうではなく、江戸柳生家の家臣や門弟たちが、
惣目付但馬守宗矩の手足耳目となって諸大名を監視していた、と
いう説を指すのであれば信憑性は微妙。
少なくとも史料上で立証できるというものではない。
基本的に講談話の類。 惣目付も宗矩だけじゃなくて、他に3人も同時に就任してるからな。
役職を元に特別視するのは難しいんじゃないか? 裏柳生という設定は秀逸だけど、忍び頭巾を剥いだら柳生の道場で見た顔、とか
やっぱり忍びとしてはムチャだよなw http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1240833954/678n-
剣豪スレでまた続けて書くのも悪いのでこっちにまとめて。
柳生家の本家分家問題は、どうも家督と血脈と流派を混同してるのが多い。
現状残ってる石舟斎の血筋が尾張家だけだから余計にややこしい。
今と当時を分けて話さないといかんからな。
柳生家の家督は江戸家。
柳生家の血脈は尾張家が嫡流。
新陰流の正統は尾張家
だから、柳生本家は江戸だけど、嫡家で新陰流の正統は尾張。
ただ、将軍家御流儀になって、所謂「天下一の柳生」と称された流派は江戸の方。
まあ、新陰流の正統については結構怪しいところがあるから
結構微妙なんだが。 >>132
裏柳生を信じてる人は裏柳生を、国家公安部とかSWATみたいな感じで捉えてるんじゃないかな? 裏柳生が有ったかどうかは分からないけど、諸藩の情勢を探ったりする特殊部隊や、公安みたいな組織は持ってたんじゃないのかな?
国家(江戸幕府)の安全上。 師弟の縁で各大名家に仕官した連中に話を聞くくらいならありそうだが
明確に隠密目的でやっていたかというと疑問だな。
宗矩の大目付在任期間自体、かなり短いし・・・。 兵庫助の話
加藤清正が客分として彼を迎えたいと石舟斎に願った時、
「兵庫助は気が短いから必ず揉め事を起こすでしょう。
どうしてもといわれるなら、3度までは許していただきたい。」
と条件を出した。
石舟斎の危惧はあたった。
清正の領内で一揆が起こった時である。
伊藤光兼が鎮圧に向かったが一向に成果があがらない。
清正は兵庫助に「全権を与えるから鎮圧してまいれ」と命じた。
兵庫助は伊藤に「本陣へ突っ込み鎮圧を」と提案したが、
伊藤は新参者の言葉に耳をかさなかった。
兵庫助は即座に伊藤を切り捨て、一揆の本陣に攻撃をかけ鎮圧してしまった。
清正は石舟斎との約束どおり罪を問わなかった。
兵庫助は加藤家を辞して10年間修行の旅を続け、
尾張徳川家に500石で兵法指南として召抱えられる。
兵庫助って九州行ってた時、疋田や丸目と接触無かったのかな? あってもおかしくはないだろ。
記録がないからなんとも言えないけど。 宗矩主役の新連載だと・・・
一時期、創作系の宗矩はどれもこれも隆慶一郎の劣化コピーばっかりだったが、
最近は違ってきてるのか?
http://natalie.mu/comic/news/29172
>なお4月7日発売のビジネスジャンプ9号では、
>本宮ひろ志の徳川幕府の礎を築いた剣豪・柳生宗矩の人生を描く
>新連載「柳生宗矩」がスタート >>131
あんたが江戸が本家と言ってるのは、幕臣としての柳生家のことだろ
それは分家だ。本家よりもはるかに大規模な分家
尾張の柳生家は小豪族としての規模を守ったまま”柳生一族全体”の本流を保ち、
数百石の知行が独自にある
江戸柳生が統治する万石単位の柳生藩に養われているわけじゃないぞ
あんたこそ混同しないで、頭の中を整理しなさい >>141
半年も経ってから返事されてもなあ。
というか、家督と血脈と流派を混同するなって言ってるのに、何で話が通じないのかね。
お前さんの言ってる「本流」ってのは血脈の上での「嫡流」だ。
「本家」「分家」ってのは家督の上の事になる。
先代の家督相続者であるところの石舟斎は、
関が原以降で取り戻した代々の柳生庄二千石を残らず宗矩に与えている。
兵庫助が得た「独自の知行」というのが、
宗矩とは別に石舟斎から与えられているなら、まだ話は通じるけど、
実際には尾張家に仕えた後、柳生家とは無関係に得た知行だから、
代々の所領を石舟斎から継いだ宗矩が、
その際、柳生家の家督も継いだと解釈する方が妥当だろ。
大体、その理屈だと、石舟斎が死んで、尾張藩に仕えるまでの間、
柳生庄を継いでた宗矩が兵庫助を養ってたわけで、
それって分家どころか単なる厄介とか部屋住みじゃないか。
まあ、この辺りについては、
徳川家でも同じようなこと(結城秀康と徳川秀忠)が起きてて、
それを説明してるところもあるから、それを読んでみれば?
将軍は本家、越前は嫡家
ttp://homepage1.nifty.com/saizou/etizen/matudaira.htm 十兵衛の嫁の親の秋篠和泉守って何者?
調べてもわからないんだけど・・・ 近隣の豪族っていうのをどこかで見た気がするけど資料忘れちまった。
でも確かにわからんな。
宗冬の嫁は京極高通の娘だっていうのはハッキリしてるのになあ。 >>142
宗矩=秀忠、兵庫助=忠直か。
なるほどわかりやすい。 BJで「柳生宗矩」の連載が始まってたので記念に。
■ビジネスジャンプ:本宮ひろ志巨弾新連載!! 『猛き黄金の国 柳生宗矩』
http://bj.shueisha.co.jp/mune/index.html
■BJにて本宮ひろ志が柳生宗矩を描く。次号冬目景が連載再開
http://natalie.mu/comic/news/30179
宗矩がこんな風にヒーローになるなんて、
隆慶一郎系作品とかあずみとかでかませにされてた頃を思うと
随分変わってきたなあ。 本宮先生が不遇仲間の秀忠さんをどう書くのか興味あるわw 『百花繚乱 サムライガールズ』キャスト決定! 主役は悠木碧さん
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-5562.html
勘弁してくれ。
本宮センセの連載も、秀忠時代をすっとばしていきなり年寄りになってるし・・・。 島左近の孫で柳生の血が流れてる連也ってすごくない? 連也斎は柳生一族のリーサルウェポン
って言うとどこぞ愚地克巳のになるかもしれないので言いませんよ 柳生宗矩が息子は光巌、宗冬のほか、隠し子義仙!またの名を烈堂!
これが総ての柳生を操る首領であろうが >>29
片目でも大丈夫だよ。
でも、片目を失ってから数ヶ月は遠近感がつかめない。
俺も片目の視力無くなった当時はコップにジュースも注げなかったが、すぐ慣れて球技も余裕でした。
今は視力が多少回復したけど。
数年前の書き込みにレスしてみました。
Y十M面白いな。 槍の前に弓術だね。柳生の別表記に「楊弓」があり、宗厳の四・五代前の家宗・光家親子が弓矢の名人だった。 惚けるな。柳生宗矩が子は十兵衛三厳、友矩、宗冬の三子のほかに、隠し子義仙!またの名を裂堂!これが全ての柳生の実権を握る首領であろが。 裏柳生口伝に曰く、戦えば必ず勝つ。此れ兵法の第一義なり。人としての情けを断ちて、
神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬り、然る後、初めて極意を得ん。斯くの如くん
ば、行く手を阻む者、悪鬼羅刹の化身なりとも、豈に遅れを取る可けんや。 柳生というと
春の坂道と柳生一族の陰謀、柳生武芸帳(松方弘樹主演)で柳生宗矩
子連れ狼で拝一刀を演じた名優、萬屋錦之介(中村錦之助)氏を思い出す
柳生新陰流という作品でも宗矩を演じていた
柳生新陰流を学び
春の坂道では無刀取りを披露したそうだがフィルムが残っていないのは残念
それ言ったら十兵衛の方が画像検索したら更にひどい状態に。
どうしてこうなった。 迂闊に名前を残すと2000年後とか数百年後とかにイケメンにされたり女にされたり、偉人は大変やで 住んでる場所も近いし、
胤栄が宝蔵院流を創始する時、石舟斎も協力したって言うから
結構仲は良かったんじゃないかな。 「院号」は、寺院を寄進した貴族や皇族に授けられます。
院号に準ずるものとして、「寺号」、「軒号」、「斎号」、「庵号」などがあります。
「寺号」は、寺の建立者やこれに準ずるものに付けられます。
「軒号」は、屋号、雅号の類がよく付けられます。
「斎号」は、部屋、転じて書斎、居間の意味で、多くの医者、芸術家に与えられました。
「庵号」は、大寺に属した建物、草庵、茶室の意味です。
この他にも、「房」「舎」「堂」「園」などがあり、
いずれも場所、空間、処を表わして院号に次ぐものと考えられてきました。 柳生連也斎、柳生石舟斎、神谷伝心斎、小笠原源信斎、伊東一刀斎、新免無二斎、鐘巻自斎、奥山休賀斎、、
確かに多い >柳生の別表記に「楊弓」があり、宗厳の四・五代前の家宗・光家親子が弓矢の名人だった。
それは同時代史料からわかるの?
それに柳生の苗字は地名由来だから別に当主が何の名人だったかには関係ないと思うけど >>135
007のせいでスパイの仕事を過大評価しすぎ、美女を片手に銃撃戦やるスパイなんていねえよ
現代だって敵国の新聞やテレビから情報収集してるんだぜ
あの当時は旅先で同じ流派の家に泊めてもらうことが多い
新陰流のように全国に弟子がいる場合旅行先で酒飲んで日常の話するだけで情報収集になる >>179
宗矩や十兵衛たちがそうしていた形跡や文献上の根拠はあるの?
恐らくそうなんじゃないかなという話? >>142
>代々の所領を石舟斎から継いだ宗矩が、
>その際、柳生家の家督も継いだと解釈する方が妥当だろ
何をおっしゃっているのかわかりません
なぜ妥当なのですか?
妥当である根拠を示してください 分析してみると、
>>142は領地相続と家督継承を混同している
その同じ口で
>家督と血脈と流派を混同するな
と言う不思議
徳川家でおなじようなことが云々
→全然関係ない
トータルすると理論構造が破綻している
○○だから△△という、
一見すると綺麗に結論が出ているように(自分からは)見えていても、
傍から見ると○○と△△が別問題であって因果関係ではないパターン
よくある幼稚なミスだね 柳生家の領地を羽柴秀長が没収したことがあったから、
柳生家の家督を秀長が継いだことがあったということだね 新陰流の正統が尾張柳生かどうかって話と一緒で
何をもって正統なり家督を継いだと定義するかでいくらでも変わる話なんだよな
だから最初に自分が定義する家督なり正統とは何かを明確にしてないと揉める >>131=>>142は、
家督=領地という、本人以外の誰が見ても間違いだと判る定義を明確にしているから、
それは違うと突っ込みを入れられている
が、馬鹿の一つ覚えのように、
「家督と血脈と流派を混同するな」と、
相手の論旨とは全く無関係で的外れな主張を
ゴリ押ししてるだけだからな
話にならん やっぱ新陰流の正統と一緒で定義しだいの話だよ
領地を重視して秀忠や江戸柳生を本家って思う人もいれば
嫡流を重視して結城秀康や尾張柳生を本家って思う人もいるってだけの話で
そんな喧嘩する程の事じゃないんじゃない
学会的な定義はまた別にあるにしても各々の定義があっていい 新陰流の正統がどうかという話とは全く関係ない
嫡流重視してるわけでもないし 本家のお役目である、祖霊を祀る祭事を執り行っていたのは誰か
兵庫助だった
1638年に但馬守が、コネのある僧侶に依頼して新たに寺を建立し、
柳生家の菩提寺を新しい寺へ、強引に移した
兵庫助から本家の役目を横取りして、自分の人脈に連なる友人幕閣に、
但馬守が柳生氏の本家だと証言させている
既成事実化することで1638年からは江戸柳生家が柳生氏の本家にされたかもしれないが、
石舟斎から次世代の本家を継いだのが但馬守だったということにはならない そういう話が記録として残ってたら面白いけど
兵庫も自分が執り仕切るつもりなら尾張で仕官しないんじゃね それに生前の石舟斎にゆくゆくは代々の菩提寺での祭事を兵庫に任せようって意思があったなら九州で仕官させたりしないでしょ そもそも兵庫助が家継いだ証拠ってあったっけ?
血筋の上では長男の孫で伝書貰ったから
本家正統なんだーって子孫がゴネただけでしょ。
大体、今の尾張の当主って養子だから直系じゃないし。 利厳が島左近の娘を室に迎えていたのが意外だった
どんなキッカケがあったか気になる >>112
宗矩以降は兎も角、宗矩も石舟斎から新陰流を叩き込まれているので、新陰流を使うでしょう。
だから、宗矩と尾張柳生の剣技の実力は技術面ではさして違いはないのでは?
確かに新陰流の正統は尾張柳生家に伝えられたと言う話ですが、
所謂江戸柳生も新陰流な訳で技術面では変わらない訳です。
たまたま、宗矩が最初に徳川家に仕えて秀忠の兵法指南役についたからってだけで、
兵庫助が先なら、兵庫助が兵法指南役で、宗矩に新陰流宗家の印可を、石舟斎から得たと思いますよ。 柳生宗家を宗矩に、新陰流宗家の印可を兵庫助にという話。
議論するまでの話じゃない。 柳生宗矩の大坂の陣で切り込んでくる敵を7人斬って秀忠を守ったっていうのはどうなのかな〜?
1人で秀忠を守りながら7人斬るのは創作っぽいよな〜 裏柳生口伝に曰く、戦えば必ず勝つ。此れ兵法の第一義なり。人としての情けを断ちて、
神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬り、然る後、初めて極意を得ん。斯くの如くん
ば、行く手を阻む者、悪鬼羅刹の化身なりとも、豈に遅れを取る可けんや。 柳生と言って真っ先に名前を上げるなら柳生十兵衛や柳生石舟斎(せきしゅうさい)と答える人が多い一方、柳生宗矩(むねのり)を上げる人は少ないのではないでしょうか。
なぜなら宗矩は裏方で江戸幕府を支えた重臣としての顔の方が有名だからか、昨今のメディアでは上記の2人に比べ主役になる機会が無かった人物だからです。 柳生宗矩は但馬守の官位を叙任していることから柳生但馬とも呼ばれ、柳生石舟斎宗厳(むねよし)の末子として元亀2年(1571年)大和国柳生庄(奈良県奈良市)で誕生しました。宗矩の長男が時代劇で有名な柳生十兵衛三厳(みつよし)です。 父である石舟斎は柳生庄の領主であると同時に剣聖と呼ばれた剣豪、上泉信綱から新陰流(しんかげりゅう)の印可状を与えられた剣豪でもあったため、兄たちと一緒に兵法を学んでいくことになります。 そんな柳生家も羽柴秀吉の弟である羽柴秀長が大和国を拝領した際、隠し田の存在を隠したために咎を受け、所領没収の上、一家離散することになってしまいました。 そして文禄3年(1594年)、父・石舟斎が徳川家康に招かれ、模擬試合をすることになります。家康自身も高名な剣術家であることから、「無刀」の技に深く感銘を受け石舟斎を召抱えようとしますが、石舟斎はこれを固辞し、代わりに子の宗矩が200石で召抱えられました。 慶長5年(1600年)、家康と石田光成の対立が深まると、宗矩は家康の命で柳生庄にて西軍の後方撹乱を行い、
結果家康の東軍が関ヶ原の戦いに勝利すると、宗矩の影の働きが認められ、
父・石舟斎の代に失った大和国柳生庄2000国を再度拝領することになり、
翌慶長6年(1601年)には、2代将軍・徳川秀忠の兵法指南役を任されると共に、さらに1000石を加増されます。 その後、元和7年(1621年)には、3代将軍・徳川家光の兵法指南役となり、
寛永9年(1632年)に3000石の加増を受けると共に初代幕府惣目付(後の大目付)に就任し、
老中や諸大名の監視の任を与えられました。 宗矩の加増はさらに続き、
寛永13年(1636年)には、4000石の加増を受け、1万石になったのを機に自身も大名に列し、
大和柳生藩初代藩主となり、寛永17年に500石加増。
亡くなった次男・友矩の所領2000石も加増され、最終的には1万2500石の大名にまで出世しました。 そして正保3年(1646年)3月26日、江戸麻布の屋敷にて病没し、76年の生涯を閉じることになりました。
所領は幕府に返納していましたが、生前の活躍を評価られ、宗矩の遺児3人に分封されたのです。 ∧__∧
(о´∀`о) 柳生参上!
.ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ==l ノ
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"""~""""""~"""~"""~" ∧__∧
(о●∀`о) 柳生参上!
.ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ==l ノ
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"""~""""""~"""~"""~" 「形」の事を「勢法」と云う。
形稽古は「かたち」を学ぶのでは無く、その動きの中にある武術の理論を学ぶ。
「形」をひたすら稽古する事で動きの本質を学び、習得して自由自在に動ける身体を追求して行く。 ∧__∧
(●∀` ) 柳生参上!
.ノ^ yヽ、
ヽ,,ノ==l ノ
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"""~""""""~"""~"""~" https://www.nhk.or.jp/audio/html_se/se2022001.html
青春アドベンチャー
柳生非情剣(全5回)
隆慶一郎が描く! 剣に生きる柳生一族の壮絶な運命!
【NHK FM】
2022年1月10日(月)〜1月14日(金) 午後9時15分〜午後9時30分(1-5回)
この番組は聞き逃し配信対応です。
※配信期間は放送から1週間 >>211
藩の方は江戸時代中期に
以降は養子の血 REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 結局のところ厳長先生が尾張柳生正統説の根拠として出したものが
今は全部反転して尾張家を追い込んでるってのが皮肉過ぎる
血は繋がってないし伝授も完全じゃないなら今の尾張家ってなんなのってそりゃなるよ