村上義清
村上義清の次男もしくは孫を自称していた村上義明は無関係なのか >>180
性格的に折り合い付けられないだろうね。
幸隆を使いこなした晴信をほめるべきだと思うけどね。 >>713
上条さんの出身地は朝日村。領土とすれば小笠原氏が地元。(笑) >>799
鉄が掘って出ても燃料が無くては打てない
打てても砥石が無かったら研げない
魚が獲れても木が生えてても稲が育っても、
その鉄で作った道具が無ければ簡単にさばけない。
もちろん刀も槍も作れない
石高だけで国力の話になることが多いけど
その石高も様々な要素のある土地を手に入れ
総合的な経済力を手に入れた結果でもあると思う
平和な時代に経済規模の大きな街の真ん中に城を構えて治めるのとは訳が違う。
人の往来、物流の要衝をおさえるのが重要なのかなと思う。
旧本拠の坂城も一見辺鄙に見えるけど、
長野上田松本諏訪の人とモノの動きをおさえるには
かなり要になるとこだったんでは。。
根知もしかり 幕末期に松代藩医だった『村上英俊』さん
妹さんが藩主真田家に嫁ぎ九代幸教さんの母
出が下野国佐久山の本陣か旅籠ということなので
代々真田に仕えた家では無いようですが
佐久山の北すぐの奥州白河などには上杉時代に
国清さんがいたこともあったそうなので
国清さんや幸清さんに繋がる家なのでしょうか?
東京青山霊園にある英俊さんの墓地には紋もあり
本名も『義』の字が入る義茂さんだそう 村上義清ファンの皆様あけましておめでとうございます 埴科郡→村上と小県郡→真田は隣同士でも近くて遠い存在?地元の人はどうなのかな。 >>814
村上→埴科、更級、小県西部、高井水内南部の盟主的存在
真田→小県の一部の国人
変則的下克上??で逆転
そこらへんもふくめてどう感じてるのかきになる 教えてあげてください
667 名無しさん@そうだドライブへ行こう 2019/04/24(水) 21:34:33.68
ID:BROw8puA0
>>666
よくいるけどさ
なんでトヨタとか、ある一つのメーカーが嫌いなの?
嫌いになる理由が分かんねーんだよな
例えばたまたま訪れたトヨタディーラーがクソでもよそはいいかもしれねーし
暴走車がトヨタ車だったとしてもメーカーに責任ねーべよ
大手メーカーはたくさんの資本をかけてるからどうしてもそういう事言うやつってガキっぽいっていうか幼稚っていうか
理由を教えてくれよ
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/auto/1551259374/667- >>815
上田市でも旧・真田町の一部地域(金剛寺・傍陽・曲尾)等は村上氏を慕う人がいるとか。毎年11月3日には砥石・米山城跡まつりをやってる。上田市内の一部公共施設の人間は村上氏の話をするとタブー視するところもある。 村上で手間取ったのは仕方ないにしろその後の対上杉戦がマジで時間の無駄だったな
第二次川中島の講和条件で国境画定してれば上杉とはそのまま安定した国境保てたんじゃないか?
いざとなれば上杉と組んで北条潰してもいいし >>819
信玄にそんな戦略眼期待は無理。
目先だけしか頭にない。 当時の信玄から見れば謙信が一番イージーに見えたんじゃない
港が欲しかったし
信玄は一番弱いところをハイエナする癖があるから
まともに戦っちゃいけない相手だと気がつくまで4回かかった
信長が甲斐に生まれてたら謙信と馬鹿正直にぶつかるような真似しないだろうね 確かに義元の生きてる今川や北条と比べて
謙信の家臣団は一枚岩とは言えないし調略も結構成功してたから甘く見たかもな >>818
真田オシの上田市で
市の公共施設の室賀温泉ささらの湯の暖簾に
室賀氏(村上氏)のが描かれていて
ちょっと意外に思ったけど嬉しくもあった >>822
本当は甲斐国は太平洋側の方が近いので海に出るにはそっちなんだろうけど、北条今川が磐石で国人が纏まってなかった信濃国を狙い目にして侵略に成功。でも越後国の長尾景虎が予想以上に強く日本海に出れず。 結果論ではあるがあの時点では美濃入りが正解だったな
西回り航路で栄えていた上越が欲しかったのは分かるが 美濃から近江、越前ってことじゃないの?
近江を抑えれば京や堺にも出やすくなるし 村上春樹も村上義清の系統>>773らしいし
村上一族優秀だな >>827
海に出るために美濃も抑えとく
って考え方は?
盲進したらインパール状態 >>835
国清さんが上杉氏の米沢移封時に同行せず
西に向かい三河にも滞在していたことがあり
信仰していた牛頭天王を勧請し云々。。
とどこかで見た気がする >>838
上杉家の取次役になって晩年は京都伏見でなくなってる。息子の幸清は上杉家の会津移転後一年後に上杉家を離れ本多忠勝の元へ預かりになった。 >>839
真田と縁が深い本多忠勝ってとこが気になる
真田の通字『幸』が入っているのも気になる >>756
武田氏も信玄次男の竜宝(海野信親)の系列の子孫が高家旗本、信玄七男の信清が上杉家家臣として生き残った。 >>844
幸清は1610年に忠勝が亡くなって真田信之に仕えて軍役も与えられた。幸清の子・義豊は大名取立を願い出たが叶わず1658年に村上氏旧臣子孫の要請もあり坂城町(当時は越後高田藩の飛び地)に戻ってきた。 来島通総の弟(兄?)の村上通清
伊予から離れて信濃村上氏族や武田旧臣が多く
なにかとしがらみもありそうな中央の近くで仕官していくにあたって
気を使って、又は諸事情で義清と同じ音の吉清から通清に改名したのかな
それとも通の字を使い越智氏、河野氏との繋がりを推し出したかったのか
教えて知ってる人 スレ違いかなスミません 越後村上藩初代藩主・村上頼勝は、『断家譜』において村上義清の娘と戸田武蔵守氏繁
(氏繁は羽柴四天王・戸田勝隆の諱。武蔵守は関ヶ原で奮戦した弟・戸田勝成の官位)の子であり、
外祖父である義清の養子に入ったものとされている。
また2代目藩主村上忠勝は、戸田勝成の子・戸田内記と村上頼勝の娘の子とも言われている。 ちなみに村上忠勝は豊臣系大名で松平忠輝に親しく金山も持っていたため、幕府ににらまれて改易され、
丹波篠山に流されてしまった
流罪後は、村の子に読み書き算数を教えて細々と暮らしていたことから、墓所である法昌寺にある
忠勝の木像は「学問の神様」として地元の人に拝まれている
信濃村上氏の血筋に美濃戸田氏の血が入り、越前・越後と移って丹波篠山で学問の神様になるという浪漫 村上義満、村上義房とは誰ぞやとおもうが
そもそも村上氏の系図がわからんことには REVELATION
資金源/コング
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フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
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