[元バブル期の]代ゼミ生が思い出を語るスレ part23
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「世界史年代記憶法」は改訂に失敗したような気がする。
チャート式数学でも改訂に失敗した例はある。 解法のテクニックを改訂して新課程版を出していればよかったのに。 チャート式と解法のテクニックと鉄則は和田秀樹や福井一成も薦めていたな。 和田秀樹の塾が合格しない場合は返金という制度があったようだけど、
実際受からなかったから返金を地裁で命じられたそうだ。
受験前にここは無理と散々指導したそうだが、それでも受けて散った。
それで返金を命じられたみたい。
他の医学部に受かってるみたいだけど、何だかね。。 元気モリモリの津守といっていた英語の津守先生はジョギング中に亡くなった。
人はわからない。 ジョギングを健康のためにと広めた人は
ジョギング中に心臓発作で亡くなったからな 今アップされてる西谷さんの授業映像で
津守さんと古館さんが同じICU出身だと話してるね。
三人とも代々木と横浜に出講してたから仲良かったみたいだね。 その人は親も心臓病で亡くなったから遺伝ではと言われている。
とはいえジョギングは心臓に負担がかかるらしい。 津守さんは英単語ゼミが覚えさせる工夫があって良かったな。 金ぴかは読みが甘かったな
今でしょ林はタレント業が成功しても予備校講師は辞めないし 天寿全うやろ
長生きしても幸せなんてないぞ
80過ぎるとなかなか居場所がないからな
孤独と生きていくことになる
酒で寝てたいして苦しまずに死んだのなら
ご褒美やん 西きょうじ
東進契約解除
万歳三唱
ばんざ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い
ばんざ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い
ばんざ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い コピペだが、亡くなった講師
追加あったら追記ヨロ
英語
伊藤和夫、奥井潔、青木義巳、猪狩博、潮田五郎、徳重久雄、津守光太、本正弘、前原一誠 、藤島リカ、篠田重晃、岡田實麿、吉川勇一、JBハリス、
中澤幸夫、西田実、小堺勝、佐藤忠志、島本憲
数学
根岸世雄、中田義元、山本矩一郎、土師政雄、寺田文行、板垣亮、小林隆一、渡辺次男、猿渡周一郎、諸橋実
国語
堀木博禮、永橋博、国広功、中里公俊、椎名守、多久弘一、桑原岩雄、藤田修一、牧野剛、野村嗣男、白鳥永興、金森光昭
理科
坂間勇、井上望、三国均、前田和貞、大西憲昇、柴山文雄、大川尚美、下妻清、小倉勝幸、木暮隆夫、山次秀喜、山口健一、石川峻
地歴公民
安藤達郎、注連本、白井明、山村良橘、大八木、武井正教、武井正明、田村太輔、持田泰彦、竹内睦泰、伊達日角
生死不明
牛尾徹朗、原秀行、高橋善昭、香月ごう太 、田島稔 、平田和彦、西尾孝、関藤裕司、高橋清二、水谷一、大橋憲三、青塚剛、
伊集院麗、浜中勲
生存確認
豊島克己、浅見尚、吉ゆうそう、木原史、スティーブン・ネルソン、永田達三、和角仁、しぎょういつみ 潮田先生と堀木先生と国広先生が亡くなって
西や出口や吉野が生きているんだから
神も仏もないよな。 牛尾さんと山本矩一朗さんと安田さんがいなくなって
山本俊朗がのさばっているんだから
神も仏もないよな。 潮田先生「DOWN TOWNとは下町ではありません。盛り場のことです。」 バブル期には岡本寛先生も荻野も地味に授業やっていたんだよなあ。
今もいるのが救いだけれど。
大数系は荻野のみになってしまった。 岡本さんは「早慶理系数学ゼミ」
荻野は「早慶理科大数学」
だったな。 ふとこのスレ見つけて思い出したのですが、平成元年ぐらいに大阪校で世界史教えてた
落ち武者みたいなハゲの先生いませんでしたっけ?
あの人のお陰で世界史が楽しかった >>240
おお、そんな名前だった気がする
ありがとう 赤坂俊一「カール禿頭王は本当に禿げていたか」『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』第12号、2012年、65-77ページ 潮田先生と堀木先生と国広先生が亡くなって
西や出口や吉野が生きているんだから
神も仏もないよな。 西、出口、吉野、竹内、
いい講師だと思うけどね。
世話になった生徒さん、結構多いと思うよ。 潮田先生や堀木先生や国広先生が亡くなって
西や出口や吉野が生きているんだから
神も仏もないよな。 私も赤坂先生受講してました
毎回小テストがあり出来が悪くても「どうしたのかな?復習がんばろうね」とやさしく励ましてくれるいい先生でした >>249
なかま~
いい先生でした。お陰で世界史はとてもいい点でしたし大学もそれ関係のところに行きました
いまどうされているのかな 縮小してから、駿台と組んでイベントしたり、模試やってたり
河合などと掛け持ちOKしたり、
YouTubeでアップされてる先生たちも結構代ゼミ在籍してたって先生多いよね。 このスレを知ってから
書店の学参コーナーに行ったりするようになったが
代々木ゼミナール講師
という肩書で書かれた書籍は本当に少なくなったな、、
というか、最近は見ないわ なくって当然だよ。衰退してるんだから。ライブラリーもそのうち倒産するだろうよ。 まぁそうなんだろうが、やっぱり寂しいわ。
校舎も無くなって、昔語りも少なくなってるからね。 1992年の東進はショボかったけどな。
30年で躍進した。 日々是集金と言うブラックなギャグで
原さんが笑いを取ってたのを思い出したわ 仰天がせっせとあげてる西谷富田動画見てるけどやっぱ富田の喋り口調はムカつくなw
学力上げるためって割り切ったらわかりやすさでは西谷なんかとうに及ばないが、せいぜいマーチレベルを目指す学生には
西谷の方が安全だなって感じたw >>261
当時は代ゼミ講師陣達がこぞって「東進は株式会社、代ゼミは学校法人」「東進は金にくらんだ講師が行くところ」
とか言って必死に批判してたなw 「俺も東進に誘われたけど金のために教えてるんじゃない」的な事を言ってる人もいた。 日本史世界史の授業って全部(全範囲)受けようと思ったら相当数の講座を取ることになり時間と金の負担がすごいよね。
コロナ中暇だったからツベでムンディの授業動画を見てたけどあんなので早慶も7割取るには十分だと思う。
もっというとムンディの動画すらいらなく山川の教科書と山川のノートをなん度も自分で繰り返せば実はどこでも合格点に達する科目なんだよね。 そういえば私も89年90年と代ゼミ名古屋校に夏季冬季講習だけ行ってた。
英語は馬場純平の独壇場でそれに中村稔が迫る感じ。
馬場純平はなぜ名古屋で人気があったのかわからないぐらいのただ読んで訳すだけw
中村稔は当時、あの授業のリズムが心地よく辞書演習も授業を退屈にさせず大好きな授業だった。
後にツベで誰かがあげてたフル動画を見て中村稔は授業中自分で作ってきたノートをずっと読み上げてるだけってわかってびっくりしたw
授業中はほとんど板書せず先生の言っていることを書き写すのに精一杯でまさか何か見ながらの授業だったとはw >>268
大阪校でしたが中村稔先生はお経みたいでした いい年になった今受験生時代を振り返ってみて自分で教科書参考書を何度も繰り返せば予備校の授業を受ける必要がないと思うのは
現代文、古文、歴史、数学。
方法論を学ぶには現代文は田村の現代文講義と酒井のミラクルアイランドで事足りたし
古文はツッチーの本、歴史は山川の教科書、数学はチャート式で十分。
英語ぐらいかなあ、予備校の授業があった方がいいと思ったのは。
今の自分の頭があったらそうやって英語以外自習してたろうし、予備校の講座代を親からもらってそれを風俗に使った方が
有意義な青春を迎えられてたと思う。 そうはいっても実際代ゼミで他の人が使ってるテキスト見たら羨ましい、自分も受けないとやばいのでは?って思うだろうね。
特に西谷の分厚いテキスト見たらそのテキストやってないと落ちる!って恐怖感があるよねw
でも当時ですでに相当の参考書が出回ってたし今の武田塾のように市販の参考書だけで授業なんか受けなくても十分だったんだよね。 昨日妊娠を発表した山口真由が言ってたけど授業を聞くより文字を読む方が早い。確かにそう。
で、社会に出てから役立つのはそういう読んで理解する力。大量の資料を1日でまとめろなんて会社あるある。
それをいちいち口頭で説明受けないと理解できない脳を予備校文化を作り上げてしまってると思う。 >>269
まあお経って言っていいようなリズムでしたねw
しかも当時から少しずつ流行り始めていた英文前から読み下しせずに昔ながらの返り読み、
発言めちゃくちゃ、っていうところも嫌っていた生徒が多かったと思う。
私は構文を詳しく解説してくれる先生に出会う前までは中村稔が一番好きな英語の先生だった。 馬場純平は代々木校LBで英解1A担当していたけど人気なかったな。
Ofを全部「〜の」と訳すので不評であった。
名古屋ではそれなりに人気があったのか。
中村さんはLBで一橋英語担当していて人はいなかったな。
後期になって数人程度はいたかな。LB生からは避けられていたが
熱狂的なファンもいた。 教科書や参考書で足りる
なんて言っても予備校はあるし
結局予備校行ってる奴が合格する
それが大多数
山口真由さんみたいなのは
ほんとに稀
彼女は在学中から2chでスレ立ってたくらいだしね
そんな人の方法は真似できないのが現実
おめでた >>274
私が名古屋校に行ってた時のダントツ1番人気が馬場純平でしたよ。
私が思うに(当時は分からなかったけど)馬場純平はアメリカの大学を出てるのであまり構文解析には詳しくなかったんだと思う。
だからofを全部「の」で通してしまうんだと思う(前から読み下すとそれでいい。なぜなら日本語に訳さなくていいから)
その後代々木に進出してサテも持ったけど不評だったってのは聞いたことがある。 >>275
当時は知らなかったけど実際難関校に受かった受験生ってほとんどが現役時代模試で高得点者で特待だったって聞いたことがある。
ま、確かに私の予備校時代の友達で超底辺校出身で早稲田2文に受かったような例も少なからずあるだろうけど。
前にも引用したけど東進の渡辺勝彦が「4月の時点で英語は合格レベルに達してないと志望校には受からない」
ってのが真実だと思う。
優秀な学生達はみなさん自分でやってたし。(自習時間の方が予備校や塾の時間よりも圧倒的に多い) 代々木校SBでは佐々木和彦講師が英解1A担当していて好評だったので
生徒数少ないSBが英解1Aのときには人数がどっと増えるということになっていたw
英解!Aは構文の教材で、この教材が上手く授業できるか否かが
良講師か否かの分かれ目だったと思う。 SCので英語苦手なのがいたので
富田の基礎強化と総合すすめたが
「富田は嫌いだ」といっていた。
そういうレベルは残念な気がする。 富田と佐々木は構文教えるのうまかったと思うよ。
富田は英解1A担当していたかは知らないけれど。 >>280
でもそれはサテが出てきて多少は改善されたのでは?
でも名古屋校でサテ受けててサテ教室の「温度」と代々木校の教室の温度の違いは虚しかったなあw
動画授業が当たり前の今だったらそういうのも受け入れられたけど当時はなんか損した気分だったw 宗教化といえば例えば現代文の酒井が田村の解法や答えを批判するとなぜか嬉しかったw
他にも講師が「あんな参考書をやってる奴は受からん」って聞くとその参考書をやってないでその講師の授業を受けてる自分は何か優越感があった。
当時の予備校バブル時代の悪しき風潮ですな。 堀木先生や田村先生の説明の方が酒井や出口の説明より良かったよ。
選択肢の選び方や切り方が緻密だった。酒井や出口は甘かった。
記述問題も堀木先生や田村先生の方がいい。 西きょうじが河合塾の講師の参考書薦めていたのには笑ったな。
代ゼミ講師の薦めないのか!っておもった。 >>286
それは最後の方になって思った。酒井のおかげで現代文は得意になったけど偏差値が上がるにつれて酒井の選択肢吟味が甘いって思った。
当時でたばっかりだった出口の参考書だってそう思ったし、結局は田村の参考書が当時は一番だと思った。
ただ自分のような黒板にまとめて板書してくれるような先生じゃないと当時の私にはついていけなかったろうから
田村や堀木じゃなくて酒井でよかった。 堀木先生は字がうますぎて板書が読めないことがあった。 もし自分が浪人時代に戻れるのなら代々木に通わず地方の代ゼミでサテ受けるだろう。
わざわざ物価の高い東京で長蛇の列に並び授業を待つなんて意味なかったと思う。
しかもバイトも多少はしてたと思う。週3日ぐらいコンビニとかで。
いくら浪人生とはいえ起きている間ずっと勉強してなかったしバイトして気分転換してもよかったと思う。 >>275
在学中から?スゲェなww
SB、SCって何大コースなんですか?
当時の参考書は本当の底辺だと結構難しいのが多かった。
今で言う、超基礎ってのは無かったように記憶している。 SBは国公立医学部コース
SCは国公立理系コース
SEは私立理系コース
講師は結構よかった(英語、数学)。 「マドンナ古文」は最初出たときは超基礎ってなっていたな。 マドンナ古文は222の影響受けてるね。真似なんだろうな。 土屋先生は故郷に帰ったようだな。もう悠々自適なんだろうな。 山口真由さんは東大在学中な
すごい才媛がいるって話題になってた
2chで 山口さんは、著書で教科書だったかを5回読んで覚えるとか出してたような・・ このスレは、進学校出身者じゃ無い人達が大半なんだろうなと思っている
そういう俺も、地方二番手校にコンプレックスを持ちながら通った口だけど NHK-FM
「今日は一日“山下達郎”三昧 レコード特集2023」
5月4日(木)午後0時15分~午後9時30分(ニュース中断あり)
「今日は一日“長渕剛”三昧」
5月5日(金・祝)午後0時15分~9時30分(ニュース中断あり) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています