【無惨】X68000はTOWNSになぜ負けたか?【惨敗】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
最初からX68kがFM-TOWNSに勝てる要素が何一つないんですけど? タウンズユーザーはちゃんと金払ってゲームソフト購入してたしね。この差こそ一番大きかった。
コンパックショックが、あと数年遅かったら、もっと勝敗ははっきりしてただろう。 友達X0スレ乱立してんなよマヂ迷惑100年ROMってろ X68って悪名しかのこってないクズマシンなんだよな。 特にオタクっぽくない普通の人にも目を向けたタウンズ アミガとアタリSTのユーザーだったが(のちにマック)、X68000についてはよく知らん。
でも何でやたら目の敵にするようなスレが多いんだい? X68ユーザの自演。
「ポクちんの大事なX68を叩いてるのは98ユーザなんだー!」とやりたいからクソスレをいくつも立ててる。 ユーザが乞食のX68と、ユーザが紳士淑女のタウンズじゃX68に勝ち目はないのも当たり前。 マックユーザーがアタリアンを小馬鹿にする感じか?
アホらし。 そういえば、ソフトのレンタル屋とかコピーソフト販売屋とかめちゃくちゃあったよな。 X68はそのコピー屋やレンタル屋すら必要ないほどユーザ同士のピーコが蔓延っていた TOWNSはあれでまがりなりにも真っ当な32bit機だったしねえ。
爪先立ちして両足ブルブル震わせながら「32bit扱い」を主張したところでな…
TOWNSはソフトスプライト用のDSPとフレームバッファをユーザー開放して、再プログラム可能なら化けてた 68000はV30と性能的にほぼ同じでレジスタの幅分だけ優位だった程度でしかない非力なプロセッサ
X68000と同時期に売られていた他のパソコンと比べるのは可哀想な結果になるだけ >>18
スプライトコントローラは搭載しているけどスプライト用DSPなんか搭載してないんだけど。 X68はスプライトいっぱい表示させると処理落ちが凄かったんだよな タウンズのソフトって32ビットネィティブで書かれていたの? X68000はスプライトあってもそのデータの更新が間に合わないからあってもなくても同じようなもんだろ FM TOWNSはスプライトがあってもビットマップ面1枚しかないんで多重スクロールが厳しいし、それの書き換えでCPUの余裕なくなるんだけど・・・ >>28
VRAMがpacked pixel方式だから
プレーン切り替えするより言うほど
負荷高くなかったんじゃないの? X68000はプロセッサが非力すぎてスプライトすらまともに動かせないけど
スクロールだけは自慢だよね >>29
X68000のグラフィック画面もパックドピクセル方式のような。しかも16色時4枚・256色時2枚とか持てるのに、TOWNSの方は16色・32768色のビットマップ面どっち指定しても1枚のみに限定されるという。
VRAM(多分スプライトRAMも)のウェイトが6ウェイトあって書込みが遅い印象。
>>30
まあゲームのグラフィックで重要なのはスプライト以外も大きいんだけどね。
中途半端にスプライト多く表示できても背景が動き少ないんじゃ意味がなさすぎる。 X68000は動きのある表示をさせようとすると他が全部止まるからなぁ
動いたり動かなかったりコマ落としより酷い
コマ送りなら、間隔広くても定周期で動くから >>32
病気だと思うから早く病院行った方がいいよ。 DMA使うと遅くなる
結局CPU介さないとダメなポンコツ設計
X68000 友達x0はいちいちageんなよ。乱立させた煽りスレ全部消して10年ROMってろ。 X68はただでさえ遅い68000をさらに遅く使う一種の天才的な設計だったな ピーコ蔓延でビジネスモデルが崩壊しまくったX68がTOWNSに勝てるわけないだろw
X68はX68ピーコ君たちのせいで失敗におわった悲劇のマシンww
X68が負けたのはX68ピーコ君のオウンゴールが決定打だよ
ざまぁwww >>38
違法コピーなくてもTOWNS市場は数少ない注力していた会社データウエストがライザンバー続編ではPCエンジンに移ったり第四ユニット完結するまえにゲーム事業閉じたり、
他の会社タイトルもどれもX68Kゲームよりも今じゃ入手困難になっているほど出荷本数が少なかった崩壊していた環境やで、知的障害者くん。 「今は」なだけで当時はX68000のゲームのほうが全然売れてなかったけどね
なぜか「今の視点」でしかものを言わないいつものキチガイなのがまるわかりだよ 当時から流通数が少ないから今現存している物が殆どないって話なのに低能だから日本語の意味わからないんだね。 X68のモッサリ感はキーを叩いた瞬間に分かった
子供心に「こりゃダメなパソコンだ」と思った 当時98,68,TOWNS全のキーボードを使ったことのある俺から言わせると68のキーボードが最高である
ただしチルトスタンドが割れやすいのが難点
補修部品で沢山買い集めて置かなければならない キーボードが最高?
個人の好みを差っ引いても同意できねーなー
キー配置はまぁまぁだったが入力のしやすさは88FH以降に劣るし何より動作が悪すぎた
キーの取りこぼしも酷かったけど変換もクソすぎ
X68000は高いだけの出来損ないのゲーム機だった X68Kってキー入力バッファ無いからキー取りこぼし多いんだよね
そういう基本的な所で設計のダメさがわかる X68は基礎も基本もできてない、スプライトだけのゴミ スプライト以外が他より強力だったっていう2日前の話すら覚えていないほど低能なのか。 ごめん、低能と違って実際にTOWNSでプログラムやった感触を書いてるだけなんだ。
グラフィックは動きあるものだったらX68Kの方が良いよ。 と、言う妄想を押し付け続けるキチガイであったw
もっと信じられる嘘を言えよww TOWNSの性能を引き出せない程度の底辺プログラマが「X68サイコー」って言ってるだけにしか見えない 君がTOWNSの性能を引き出したプログラム、それができなくとも何かしら公開でもしてみればいいのに。
低脳だから無理だろうけど。 ド底辺プログラマが事実を言われてファビョってる様にしか見えませんね
偉そうにしててもその程度なんですよね いいからX68K版が作成されたグラディウスIIIをTOWNSでも移植してみてよ。横1ドットスクロールさせるのすら一手間かかるマシンだけど。 X68K版グラディウスIIIは個人作成の勝手移植。その人はTOWNSにも精通しているけど、TOWNS向けにはまだ移植行為とかやっていない。
何故やらないのかも想像がつく。多重スクロールがないもしくはフレームレートを低くても問題ないタイトルじゃないと移植度が低いと見られてしまう。 ド底辺と言われて逆上かよw
X68000に一太郎と1-2-3を完全移植してくれたら考えてやっても良いかなw >>54
タウンズなら0.5ドットスクロールできるよ >>58
「FM TOWNS 0.5ドットスクロール」でググれば詳細がでてきて、
CRTCの制約でドット単位のスクロールができないから表示そのものをずらして実現させているものだけど、
素直に1ドットスクロールできた方が遥かに楽 >>61
いやちょっぴり面倒くさいだけで1ドットスクロールもできるよ
TOWNS版のスプラッターハウスやプリルラが普通に横スクロールしてたでしょ
ビューポイントなんかスムーズに斜めスクロールまでしてた >>62
だから「横1ドットスクロールさせるのすら一手間かかる」「素直にできた方が遥かに楽」って書いたんだけどな。 ド底辺プログラマはエアタウンズプログラマだった
X68000も弄った事のないエアプだな、こりゃ ド底辺プログラマはX68アンチを自演してる真正の気狂いだから突っつかないほうが良いよ A「TOWNSは性能が悪い。スクロールさせられない」
B「それ、お前のスキルがないだけだろ」
A「じゃぁお前が作ってみろよ!」
A=ド底辺プログラマがアタオカとしか言いようがない反応してる 自分のスキルがないのをTOWNSのせいに転嫁してるだけの低能にしか見ない X68000はユーザのモラルのなさでビジネスモデル崩壊して消えていった、メーカサイドから見たら悲運のマシン
第三者から見ると喜劇のマシンw × X68000は「笑い」でなく「嗤い」が似合う
○ X68kユーザーは「笑い」でなく「嗤い」が似合う でTOWNS現役で稼働させる情熱あるのかというとX68Kより少ないのは間違いなさそう 現役の頃からハードに不満だらけだったX68ユーザが、後年の技術で改良()してたのが電子工作の面白さに目覚めて続けてる
そんなところだろ TOWNSの場合はエミュレータで実際のソフト動かせれば満足な人多そう CD-ROMドライブの故障があるからゲームが出来んのよ タウンズはPC-98やx68みたいにイメージでブートが出来んよなぁ 98のCR-ROMドライブは交換できるけどタウンズのはカスタマイズされてるだろうから無理なのかな? 98にすら手も足も出ずにボロ負けするX68000がTOWNSに勝てると思う方がオカシイ >>85
PC98の大半が設置されていたのはオフィスや工場だろう
親父が自宅で仕事をするために購入して書斎などに設置したことで息子等が
それでゲームをする需要が発生、ゲームメーカーも仕方なくゲームに不向きな
PC98で無理矢理ゲームを作った、実際はエロゲの数十番は一般ゲームが出ていたのに
エロゲ専用機の印象しか残されていない
対するX68000は子供部屋に設置された本当の意味でのパーソナル機だ
「仕事だけのパソコンやワープロみたいなパソコンは、いらない」
「父のパソコンを超えろ」というキャッチコピーがそれを表している
優れたゲーム性能によってアーケードからの高品質な移植が多く
優れたグラフィックとサウンド能力や使いやすい開発環境によって
多くのアーティストやクリエイターを育て、今なお深く愛されている
TOWNSはその中間、PC98のシェアからしたら二流のビジネス機であるFM-Rを
ベーとしたお茶の間PCの走りであって、全てが中途半端、Windows95の時代に
差し掛かる頃にはお茶の間PCの立場もPC98やAT互換機にほぼ完全に奪われている
そして印象含めてTOWNSは後世にほとんど何も残さなかったのだ
X68のミニ機の企画が持ち上がっているのに対してTOWNSのそれが出る事はない
MSX MSX2 MSXturboR PC-88 PC-88VA PC-98 X1 X68000 Mac FM-77 TOWNS
一通り全部持っていた、そして今でも持っている立場からの認識と印象だよ
PC-98は手放したものやノートやEPSON互換機も含めて累計10台以上はあったけどな >>81
円盤が見えるタイプのやつはゲーム機のCD-ROMドライブのようなもので
汎用品との交換はほぼ不可能、切った貼ったの大改造が要る
普通に外付けした方が早いしみんなそうしていた
TOWNSU以降のトレー式のやつはベゼルだけ無理矢理くっつければ
大半のドライブが流用できるけどな >>77
むしろX68のハードに対する不満を持っていた者なんてほとんどいないだろ
最もハードに対する不満を持たれていたのは間違いなくPC-98だよ
PC-98用にMC68系のCPUとメモリーを載せたボードを自作した猛者もいたくらいだ
そういうボードは市販もされててPC-98でOS/9を起動できでGUIも使えた
X68と同時代のPC-98はサウンドもSCSIも標準装備しておらず拡張ボードで後付であり
MS-DOSの仕様上メモリーを1MB(98なら640kb)までしか扱えずそれ以上のメモリを
扱うためのバンクメモリボードやEMSメモリーボードが必須だった
標準的なPC-98に4つある拡張スロットは大抵はこの3枚で埋まる
PC98のあまりにも貧弱なグラフィック性能を強化するための
フルカラーボードなる物もDOS時代から市販されて使われていた
これは専用のお絵かきソフトや一部の高価なレイトレーシングソフトしか対応していない
X68で描かれた64Kカラーの画像をこの手のボードで表示するフリーウェアもあった
初期の286機なんかCPUクロック10MHzを12MHzにオーバークロックするという
涙ぐましいハンダ作業も流行ったしそれ以降の機種でもCPU性能を少しでも上げようと
98noteも含めて多くの機種で僅かなオーバークロックのためにハンダ作業が行われた
ノートに至っては386sxを剥がしてCx486sxに付け替えるという高度な技術がいる改造
も流行ったしこれを専門に行う業社も一次は数社あった、TOWNSUでこれやった人もいるけどな
そしてPC-98初期の286CPUががソケット式だった事を利用して
Cx486sxを搭載できてクロックも倍増する倍速CPUボードなる物が一時期大流行した
これとEMSボードとウィンドウアクセラレータボードを付ければ相当に初期のPC-98でも
Windows3.1や95をXGAフルカラーでそこそこ実用的に動かせたのだから恐ろしい話だ 長文スゲーw
98には発展する余地があったが、X68kにはなかったと言うことか 98はMS-Windowsで延命できただけ
出てなかったらPC-9821が出る前に終わってた IBMがパソコン事業を売り払うぐらいに斜陽だもんなぁ Windows時代が来る前に滅んだX68000と言うパソコンwがあるんですよwww X68kはゲーム機パソコン、だな
ゲーミングと言うには性能が悪すぎ こういう対立煽りみたいなクソスレたててるやつって、どっちのユーザーでもないゴミしかいないのはどうしてなのかな?
何十年も経って、いまだに嫉妬に狂ってるの?笑
ダサイね笑 お前の人生そのものが笑 X68000が倒したかったのは8801シリーズ
倒せたのはX1シリーズ
しっぽ巻いて逃げだしたのはファミコン、PCE >>102
打倒88シリーズだったろう事は正しいと思う。が、
X68出た時点で88は衰退直前の円熟期で、放置しても自滅予定
X1シリーズは68と同じでCPU周りが時代についてこれずコチラも自滅待ち
ファミコン等は低価格ゲーム機で数勝負何で単純比較は公平性を欠く 88SRとX68kの売れた数がほぼ同じな時点で勝てて無いわ CPU性能が変わらず、相対的に劣化しまくったX68kも自滅したもんなぁ トドメがユーザのピーコの多さだね
X68kはメーカーとユーザーのコンボで自滅w X68000は8bit機の延長線で企画された機種だろ?
X1シリーズは健闘はしたけど88シリーズには勝てなかった
その牙城を16bit機で崩そうという発想
あくまでもゲームパソコンで汎用性とかは奏程度
88VAには勝ったから本望だったのでは?
Townsはホビーパソコンであるけど一定の汎用性は供えていた
後に出てくる9821と同じようなジャンル
X68000は8bit機が消えた時点で役目を終えた それを言うなら、IBM互換機とMac以外は全て消えてしまった
DECやSUNは会社自体がなくなってしまったからな >>103
それは後世から見ればの話
リアルタイムでは88シリーズに市場をドンドン奪われる危機感を持ってたと思う
失敗してしまったが88シリーズも16bit化はしようとはした
まさかゲームPCそのものが急速に衰退に向かうとは思ってなかった
当時のシャープの発想はわからんではない
NECにとっても想定外だったのが8bitのユーザーは88VAではなく98に流れていったこと
ゲームPCがあれほど衰退するとはNECにもシャープにも想定外 TOWNSからしたらX68000なんてout of 眼中なのに何故絡んで来るのか X68kと競合してた家でアケゲー遊びたい層はセガにごっそりもって行かれて、
パソコンゲームで遊びたい層は98やTOWNS経由で互換機+Windowsにもってかれてるからな
どう足掻いてもオワコンだった TOWNSは中身FM-Rだし当時の富士通らしく教育市場に強かったのも良かった
数は正義なのだよ >>109
当時からみてもそんなに変わらんよ
88VAは色々設計と実装がタコ過ぎた。上を98に押さえられてたのもあるしね。
88では同時発色数は無かったので多色系の性能貧弱だがCPUパワーもメモリもある
同じ会社でシェアの高めの98に移行しただけ。
68は登場時に最適化し過ぎてた。 88VAには完勝したわけだから目的は達した
90年代前半まで生き残っただけでもよしとしよう
もう少し98シリーズやDOS/Vにはないホビーパソコンの楽しさをアピールしたかったが
家電メーカーのシャープには荷が重かった X68kのライバルは88なんだし
TOWNSは98のシェアを崩そうとしていたしな X68kと、TOWNSじゃX68kの不戦敗だからな
語る以前にTOWNSの相手にすらなれない不憫な子がX68kだよ >>118
X68000とFM-TOWNSで高級ホビーパソコンという少ないパイを奪い合って9801の一人勝ちを促進してしまったのは痛かった
シェアに胡座かいてNECはやる気のないパソコンしか出さないし日本のPC文化は終わった TOWNSはX68kの3倍以上売れてるんだが?
奪い合いにすらなってないだろ X68000ユーザーはTOWNSが家庭以外に導入されていた事を知らないから TownsはFM-Rと互換性があったからな
シャープには98やFM-Rに相当する業務パソコンがない
8bit時代にMZとX1が上手く棲み分けて互換性があったら状況が変わったが
実際は身内同士の共食いに終わった
MZシリーズが潰れてXシリーズだけがのこっしまった シャープはX1ユーザのX68kへの乗り換え誘導も失敗してるからな
エンドユーザの事を見てない
富士通やNECがエンドユーザ相手の商売してたのとは大違い X1やMZと互換性があるBASIC作れなかったのかな。 学校におろしてたタウンズって入札で勝ち取るために赤字になる価格だったって聞いたけど… 二流家電メーカーのシャープに
企業や官公庁、学校にパソコン売り込むのには無理があった
あくまでも個人のパソコン好きに売るしかなかった NECは、基本的に電話交換機などを電電公社に納入していたのも大きかったな。
電電公社という国営企業に機器を売る唯一の会社。 日本電信電話公社 (電電公社, NTT)
日本電気株式会社(NEC)
最初の三文字は同じ。 唯一ではないな
日電、富士通、日立、沖は電電四兄弟だから >>133
そうだったの? つまり、それら会社もNTTに機器を売っていた?
それにしても、SHARPや東芝が倒産したなかで、それらの会社はなぜか
生き残ってるね。 ソフトが大して無かったTOWNSの負けかな
ソフトのラインナップとか宣伝が下手すぎ 88ユーザーの大半は98シリーズ及び互換機ユーザーになったと思うが
X1/turboやMZシリーズのユーザーはどうなったのだろ? 国産機には行き先が無かったのでDOS/Vに転向
98を叩く人達に転生 そういえば
知り合いのFM77ユーザーは
パソコンから足洗ってたな(笑)
TOWNSには移行しなかったみたい
FM77で嫌になったんだろ FM-7ユーザで98に移行したのは数人知ってるわ
TOWNSには一人も移行しなかったけど 日本のパソコン史に残るFM-7は名機だったが
77シリーズはビミョーだったな 自分の知り合いにはFM-7ユーザーはいたがF-77/AVユーザーは一人もいなかった
X1/X1turboユーザーは数人いた
一人だけX68000ユーザーがいたな
出たばかりの時に購入して嬉しそうにしてたのを覚えている
その後、彼はどうなったのだろうか・・・ 2MBにさえ拡張してれば
沢山ゲームで遊んで満足な人生だったんじゃないだろうか TOWNSのオリジナルゲームのタイトル思いつかない ほれ・・・・あの・・・・・
洗濯機に頭突っ込んで、両足出してグルグル回ってたやつ・・・・
違ったかな(笑)
あと、ほれ・・・・
逆転確率がどうのこうの言って、0.5ドットスクロールとか言ってた
横スクロールシューティングゲーム・・・たぶん x68kのオリジナルが分からない
移植しか無いような気がする X68kで一作めしか出てなくて二作めから別機種ってのはありそうだよな
さくまの桃太郎伝説とか X68kがTOWNSに勝ててるのは、移植されたアケゲーのタイトル数ぐらいだろ
他に挙げろと言われても何かあるっけ?となる程度でしかない まぁ宣伝が下手
ハードを生かしたソフトが出てない
いつもの富士通って感じじゃないでしょうか 不正コピーは8bitの88シリーズやX1の頃からだろ
貸しソフト屋なんて商売があったくらいだから
もっとも不正コピーが流行った頃がPCゲームの頂点で
取締が厳しくなったらPCゲームそのものが急速に衰退したのは皮肉としか言いようがなかった >>154
人間は、他の人がやってることをやりたがることが関係してるのかも。
この現象をオタキングは「イワシ効果」と名付けたそうだ。 >>149
桃伝はファミコンがオリジナルでx68k版はハドソンのプログラマーが仕事の合間にファミコン版を勝手移植してたら出来が良いんからってんで市販しただけだぞ。 X68Kってどんなな営業してたんだろうね。
雑誌などの広告くらいしか覚えていない。 X68000は完全に個人向けだから雑誌等への広告と量販店に置いてもらうとかしかなかったと思うよ
学校や官公庁、企業には売れるパソコンじゃなかったし >>159
PCの授業科目なんて無いのに
情報処理教室という謎の教室に
FBβ?16?とかが大量にあったなぁ 高校時代の有人はX68000が5年間仕様を変えないとかいう宣言に惚れてX68000購入してた
まだまだ88シリーズやX1turboが幅をきかせてる時代だったから
X68000の高性能を5年間も楽しめると思ったのかもしれない
時の流れは残酷で89年には32bitのTownsや32bit版の98及び互換機が続々と市場に投入され
8bit卒業組はそういった機種に流れていった
かくいう自分も8bit卒業後は16bitはスルーして98互換の32bitエプソンノートを購入した x68ユーザーは勝ちだったと思うよ
すごく楽しんでたから
俺はPC買えない派だったので
色んな奴の家で、色んなPCを遊ばせてもらったけど(笑)
68が一番だと思うけどな(某教祖が出てくる対戦同人ソフト含めて)
TWONSは、前評判ほど「・・・・」な感じかな
x68もTOWNSにも十分な完成度で移植できないような
作品で遊んだ印象が強いかもしれませんが・・・・
CDROMの有難みは思い当たらない
何故だろ「クソおそせーな」っていう記憶しかない・・・・
うーん 「5年も変えないなんて馬鹿だな」と思えない時点で負けなんだよな 68は256×256なんて変態解像度のせいでアーケードの移植がやりづらいのが難点だったな
R-TYPEなんかガッカリしたもんよ。あれはグラフィック以前の問題だが あーR-TYPEの敵の爆発がしょぼかったなぁ
PCエンジン以下じゃねーかよって感じ 実際は売れなくてお金なかったみたいだしな。
今になってみれば、何がやりたいのかわからない設計だったし…. 何がやりたかったか?
たぶん打倒88シリーズだけだったと思う
88VAには勝利したから願いはかなったかもしれない
ただ、16bitゲームPCというジャンル自体が時代に必要とされなかっただけだ 営業的には88打倒だったのかもね。
技術的にはどうだろう?
どんなソフトを動かしたかったのか。グラディウス? 友達にX68000版のグラディウスやらせてもらったことあるけど
なんかイマイチ楽しくなかったな
正直いってMSX版の方が色々と楽しい出来だった 当時ゲーマーに人気でメガドライブのソフト開発がピークだった頃の現場でも重宝されてたX68000が急速に短期間で市場から消えた原因はSHARPの当時の営業がX68000の販売に力を入れてた大手量販店の仕入れ担当から「次の新機種は出るんですか?」と聞かれたらしく、その時X68030公式発表直前で「どうですかね~?」と新機種予定を明かさずに濁した事で大手量販店側が後継機が出ないなら終了だと思って取扱いを減らして同時期に市場に広がり始めた安いPC/AT互換機の人気に押されてそのまま取扱い店舗が増えず巻き返しが出来ないまま終わったからと聞いた事がある28年くらい前に佐世保で店頭取扱いが薄くなった頃に又聞きで聞いたので本当かどうかは不明 ダメというかパソコンというものをわかってないんだよな
パソコン=制御CPU+端末
なんだよな
だからパソコン良さを引き出すなら、制御はすべてCPUでやるのが理想
しかし、実際にはパソコンのCPUは、C2quadまではかなり貧弱でその他の制御チップを搭載してた
x68000はmidi、グラフィックram、スプライト
を大量似積んでた、さらにfddコントローラ二期とキーボードとマウス制御
これだけをCPUでこなしてるんだから処理が足りないわけだな
PC-98はそれが分かってたからCPU以外はショボいし
SCSIとかテキスト処理機能など、豊富に積んでる
それでPC-98はテキスト機能とHDDのSCSIに実質CPUを一個づつ割り振ったから
中央のCPUがフリーでいろいろ仕えた
言ってみればCPUは1+α 勝った負けた以前にX68000とTownsとではジャンルが違うでしょ
X68000は88やX1の延長線上の発想で開発されたゲームPCで
Townsの方はマルチメディアパソコンの先駆けといったところ
Townsが競争したのは後に登場するPC-9821の系統
80年代末は98も業務用といった感じTownsとは競合関係にない
それが学校関係とかでも売り込みが成功した理由の1つだ TOWNSなんてただのDOSマシンじゃね?
売り込みに成功した真の理由は...ビジネスモデルだね。 >>171
何も持ってなかった者からすると
負け惜しみにしか聞こえない・・・・・
MSXのグラディスウス ワープとか骨とか面白かったけどさぁ・・・・ X68000を出たばかりの頃に買った人は優越感を持てたかもね
ただ80年代末となると購入する理由がほとんど無くなった
98シリーズにしろTownsにしろ
Windows3.1の時代位までは十分使えたからな >>180
全角半角使い分けできない人の言う事にまったく説得力が無いんだが MSX1ユーザーだったけど
「68ユーザーは優越感持ってた」とか・・・・・
僻みすぎだろ(どうだっていいじゃん)
お前自身に問題が大ありだわ MSXのF1スピリッツだっけ?
クルマをカスタマイズできるやつ
あのゲームは面白かった
学校の部室にあったMSXで友達とやって遊んでた
それまでは88やX1よりMSXを下に見てたけど見直した
X68000を出たばかりの頃買った人は良かったのでは
88年代末位までは8bitゲームパソコンより絶対有利だったから
80年代末位に買った人はビミョーな思い出になったと思う MSX1ユーザーって2つに分かれる
・MSXで全力で無理に選民思想により楽しもうとする者
(88,68クソ喰らえ)
・MSXに絶望し、持ってる事を忘れ、MSXを偶にしか遊ばない者
(雑誌のゲーム紹介画像が8801や9801の物と知りつつ
そのゲームを買ってMSX1画像に何回も絶望してる)
私は後者で、他のPC持ってる奴の家で遊び倒してました
F1スピリットは他機種でも面白いと思うぞ
作ってる人達(KONAMIのMSX)が良かったんだと思う MSXは88やX1よりファミコンに負けた気がする
X68000も98やTownsに負けたというより
スーパーファミコンやプレステに破れて消えた感じ
ゲーム機が高度化すると高いだけのゲームPCに勝ち目はない X68kは実際はゲーム機として使われてたからな
スーファミ相手じゃ手も足も出せないまま惨敗するのは当選だよ 80年代末になると独自規格の純粋なゲームPCは生きる場所が無かったからなあ
TownsはFM-Rのマルチメディア版といったとこでX68000と開発思想が違う
一世を風靡したという点ではX68000は成功作だろ >>186
スーファミはともかくPSには負けた気がするな 68はあのまま突き進んで
RISCの道を行ってくれたら面白かったのに(笑) >>188
PC-9821multi 「マルチメディアの意味が分からん」 サターンのグラディウスパックと32Xのスペハリ、アフターバーナー見て負けたと思ったよ そらサターンは真のスプライトモンスターなので80年代90年代の2Dゲーなら余裕 >>192
CDでソフト供給するのでCD-ROMドライブ、ステレオ再生音源ボード、マウス
グラフィックアクセラレーター(解像度が確保できれば速度は不問)、CPU速め、メモリ多め、WIN3.0
それらを満たしたらNECが言うところのマルチメディア!(当時は) CDドライブのせたらマルチメディアパソコンなんてポップに書いてた秋葉原あはりにあった小規模の小売店はナニも解ってなかったってことか >>197
PC-9821multi 「それは俺の事じゃないだろ!」 X68000もスタート時点は悪くは無かったけどな
ただ、パソコンが普及してくると二流家電メーカーが独自規格でやる限界が出てしまった感じ
良くも悪くもパソコン草創期の最後の機種という感じ
Townsの方は今日的なマルチメディア(今では死語?)の先駆けという感じ
色々問題点はあったけどX68000がグラフィック表示を重視した点は評価してよいと思う
98シリーズが長年VMシリーズから進化しなくて衰退の端緒になったこと考えると
着眼点はそれほど悪くはなかった
シャープという企業に長く育てるだけの力が無かった 「母さん、初代X68000の3Dメガネ端子の使い道どうしたでしょうね・・・」 3Dメガネに関しては平成後期のTVでさえ使い道がないという(笑)
ちょっと前家電屋に大量にあったよな3Dメガネ付けれるTV
3Dメガネって何時の時代も流行らない・・・・ >>203
Meta Quest 2やPICO4はバカ売れしてるじゃん
98の個人所有と同じでエロ目的なんだろうけど
いつの時代もエロ絡みは売れる IBM互換機でX68000的なものは無理だったのかな?
それが出来ていればゲームPCとしてX68000の系譜は生き残ったかもしれない >>207
386sx積んでいれば少しは長生きできたと思うわ そういえばシャープのPCってAX,X68~メビウスで断絶してなかったっけ?
パソコンは本業じゃない会社だから、消えてもしかたないかと思われ。
たまたまそのころ富士通Townsと広告が被っていただけで、全然関係ないような >>206
Windowsで言うと
DirectX3(Draw)のドライバが糞だった・・・・
いくらグラボに機能が準備されていても
半透明や拡大縮小回転がソフト処理だったので激遅
くり抜きキャラクターを置くのは速かった(blt処理、通常スプライトと言うか・・・) 「硬派だから」と言いつつ東南アジアの某国にいって幼女売春するのがX68kユーザクオリティw カネを掛けられないアケゲーの劣化移植ばかりでロクなアプリもないガラパゴスのX68kが
FMR用やDOS汎用も使えるタウンズに勝てると思うほうがおかしいわ X68000ユーザは都合の悪い事実をいわれると全て98のせいにするキチガイである X68000の開発動機は打倒88だろ?
いきなり32bitで出てきたTownsと争うのは想定外 MSXって競争相手の枠に無かったんだよな
ゲーム特化機能はともかく
データ転送とかPCカテゴリの性能が低すぎて・・・ TOWNSはもともとX68000なんて眼中になかったし
X68000は富士通から見たら時代遅れの道端に転がってる不法廃棄されたゴミみたいなもんよ TOWNSってすぐにNEOGEOが出たし
移植されたAB2とかの出来が大してよくなかったので
ゲームユーザーからもあんまり注目されなかったんだよな 消費者の要求水準が急激に高くなった時期だから
x68、PCエンジン、メガドライブが出回ったらそれ以上の驚きがないと受入られないのよね CDROM標準搭載で期待感はあった
もう少しゲーム用の機能に力が入っていればなぁ・・
惜しい機種 X68は家でアーケードゲームを、というコンセプトが露骨だったが、ゲーム機としては高過ぎた
タウンズはX68が売れてないのをみて、マルチメディアという、実体がよくわからない物をわからないまま、既存パソコンにCDROMくっつけ感じだったな 当時のCDROMドライブ搭載機
ダメな感じしか出てないんだが・・・・ 88MCなんて出すなら
VAの改良型でも出せば良かったのに
88シリーズはFEで終わりにしとけよ >>229
最初から倍速CD積んどけばよかったのにな、あと、メモリをもっと積んどくべきだった。
ROM容量を売りに容量でゴリ押しするマシンだったからな
>>231
VAは迷走の極地だったから改良型は無駄。
FEに繋げるまでにMSX-ENGINEのように88機能を1chip化する気が有るなら
それ使ってFEと、98DOに近い物を作る方向なら良かった。 タウンズのアフターバーナーとターボアウトランを富士通パソコンショップで体験した
記憶がある。画面見て感動してプレイしたら超クソゲーだったのを思い出した。 あの沈黙にイラつきが無いおのぼりユーザー
(やっと手に入れたマイパソコンがクソマシンと言う悲劇) 結局CD-ROMは、パソコンだと既にHDDが普及していたからソフトのインストール用しか使い道なかったもんな
家庭用ゲーム機はメモリが安くなるまではゴミだったし >>234
アフターバーナーのWikipediaにもある
>FM-TOWNS付属のジョイパッドの設計による弊害で減速時は左右、
>アフターバーナー時は上下しか操作することが出来なくなっており
これも問題だったな
>>237
ゴミがどこまでの事を言ってるのかわからんが
家庭用ゲーム機はCD-ROM2の最初期のメモリが少ないのは除いて成功したと言えるのでは?
メガCDも値段が高くて数が出ないしソフトも多くはない問題があるが。
PSやSSの時代になるとゴミではないだろうから、それまでの機種だよな。 TOWNSはやっぱりソフトに恵まれなかった印象かなぁ
第四のユニットの新作が遊べる!
コアすぎるんだよな・・・・・ >>237
タウンズが出たばっかりの時なんかHDDそんなに普及してないよ?HDDなんか40MB程度で10万円くらいしたし、普通にCD-ROMからブートしてる人がほとんどだったでしょ。CD-ROMのソフトをインストールする、なんて発想Windows3.1以降でしょ
しかもCD-ROM搭載CS機がゴミだった瞬間なんか一度もない。ネオジオCDとか一部の失敗機を除けばどの機種も出た時、おお、凄え!ってなってたよ
5ちゃん特有の「ネットで得ただけの浅い知識で語る当時を知らない未来人目線の人」ですか? >>240
「おぉすげぇ」となってたのって
ミーハーとか新しモノ好き、あんまり触ってない人達で
CDの遅さとか知った人間は懐疑的だったよ
(CD機って価格を抑えるのに性能を削ってる機種もあるし)
で、せっかく待望のCD機を買っても
玄人派?に貶され、そういう人達は
いい気分はしなかったでしょうね・・・・・ >>241
え?ファイティングストリートとかスーパーダライアス当時としてはかなりすげえじゃん。グラディウスⅡも。ロードだってそんな長くないし今遊んでもまあまあいけるよ?
あれれ?エアプさんですか?少なくともリアルタイムでは知らなそう >>242
凄い?
工工エエェェ(´Д`)ェェエエ工工(久々に使った) >>242
ゲーセンと比較されるからなぁ公平性はまぁ置いといて
悦に入ろうと頑張るTOWNSユーザー
よく居ます >>245
縦置きのやつはできない
CD回転中にイジェクトボタンを押すと飛び出す欠陥品 >>244
まじエアプさんですね
上に上がってるのはCS機のCD-ROMタイトルですよ?
タウンズにそんなん出てねえし、おまえが言ってるデタラメをデタラメだって指摘してるだけだよ
未来人目線のエアプさん。趣味はWikipediaを見る事ですか? 知らない事は恥じゃないけど、知らないことを誤魔化そうと恥の上塗りしたり相手を煽ったりしてる>>243ってガチ恥ずかしい奴だよね TownsはマルチメディアPCの先駆け
X68000は80年代前半頃の88やX1turboといった8bitゲームPCの16bit版発展型
似てるようでジャンルが違うと思う
もうTownsが出た頃にはPCでのゲームをやる層は少なくっただろ
特にアクション系のゲームは家庭用ゲーム機でやる連中がほとんどになった
その手の機能を追求したところで大して販売台数には影響が無かった
どっちも役割はそれなりに果たしたから勝ち負けの問題じゃない
X68000は16bitでシリーズ終了で良かったと思う
下手に引っ張ったから何か失敗作イメージを持つ人が増えてしまったが
87~91年頃迄なら一定の役割を果たしたと評価してよいと思う CD飛ばし(物理)ひとつできないX68kに勝ち目はないだよ PC-Engine CD-ROM2の存在をお忘れか >>252 >>238 で書いただろ。
Superになるまでは結構微妙だったよ、流石にメモリが少ない。 >>250
ダウンズは1989年からやで
ちょうどパソコン用ゲームが88から98に移行する時期だね
あとCD-ROM絶賛する奴多いが当時のマルチメディアパソコンは遅くてだらだら画像見せられ全然面白くないわという印象しかないわ >>255
性能は高かったがメインターゲット層の中学生から大学生には価格が高過ぎた TownsはFM-R互換機で汎用性が備わっていた
しかも学校関係とかにも売り込み成功してた
80年代のゲームパソコンでしかなかったX68000には勝ち目が無かった TOWNSはFM-R改として設計コストを圧縮したのがよかったな
互換性もあったのでFM-Rを置換える事も出来てその後のx86のアップグレードに付いて行けた
こういうところは如何にも富士通らしい シャープが独自規格のパソコンを企業や官公庁・学校に売り込むのには無理があった
もともとNECや富士通と同じ土俵で戦うのには無理がある
自ずと個人ユーザー向けオンリーになるから大差が付いてしまうのは当たり前
80年代後半にもなると、パソコンは個人の趣味の為のものから企業や官公庁にも必須の事務機器になっていった
こうなるとシャープが販売台数を稼ぐには独自規格では無理
エプソンのように98互換とか、その他メーカーのようにIBM互換機とかで勝負しないと 悪評ってアフターバーナー2(とかの)の失敗?が全てと思う
「しょせんこんな物」ってなって
ネオジオを買う X68000とネオジオってユーザー層も全く被ってないし時期も結構ズレてるよな
そもそもネオジオってネオジオのゲームしかできねえから全く何とも競合しねえし。ネオジオ持ってたけどサムスピとか餓狼スペ、龍虎専用機でしか無くてやっぱそれ以外のゲームやりたい時はSFCやMD、PCEで遊ぶしかない
全く何もかすりもしないネオジオを例に出す奴って脳に致命的な欠陥があるか、当時を知らないネット弁慶か、あるいは両方? Townsが出た頃にはアーケードゲームと家庭用ゲームは別物になってきただろ ゲームで使われた機種の発売時期
毎年のように進歩があり面白い時期だったわ
だけどタウンズは遅い時期の発売なのに驚きがなかった
家庭用ゲーム機
1983/07 ファミコン
1987/10 PCエンジン
1988/10 メガドライブ
1989/04 ゲームボーイ
1990/11 スーパーファミコン
1991/04 NEOGEO
1994/11 セガサターン
1994/12 プレイステーション
パソコン
1985/01 PC8801mk2SR
1985/07 PC9801VM2
1987/03 X68000
1989/02 FMタウンズ MH使ってたけどMCには「なんで今頃?」としか思わなかったな >>265
NECの偉い人は本気であんなんでタウンズなんて潰せると思ってたらしいw 32bitなんて飾りです
偉い人にはそれがわからんのです シャープの偉いヒトwはCDを軽視して標準化しようともしなかったねw い、いちおうSCSIは使えたら!
ユーザの努力でSCSIのCDドライブは使えたから! TOWNSのCPUアクセラレータ?って無かったっけ? ただでさえ世代が古くて遅い68000なのに10Mhzじゃ386SX相手でも勝ち目ない
XVIの16Mhzは拡張メモリ認識しなくなるバクあったし030は互換性そのものに問題あってプロセッサの性能をスポイルしてたからなおさら勝てない
TOWNSに勝てると思う方が馬鹿 >>273
486機はDX2、DX4カードがありましたね。
ウチの白タウンズはDX2(66MHz)です。Win95も実用的になりました。 DX4まで行けばギリ普通にWindows95いけるだろうけどDX2だとキツそう
俺は当時DX2のFMVでWindows3.1キツかった記憶があるよ >>277
ちなみにメモリは36MBに増設して、オプションのグラフィックアクセラレータは無し。
HDDは内蔵に加えて外付け230MBを増設してました。
Win95では、ネットサーフィンやワープロがメインだったけど、自分としてはあまり不満は無かった。
メモリ増設が効果的だったと思います。 >>278
>>277だけどRAMは64MB積んでたんだよね。俺の場合は画像扱うのがメインだったからそのせいかも >>279
そうなんですね!64MBとは当時としては非常に贅沢な環境だったのでは?
急速にAT互換機が伸びて行った時期だった。。。 >>274
発売時点で時代遅れになってたX68kと比べちゃダメだよ
ただでさえ時代遅れのX68kに勝ち目なんてないんだから MZシリーズ、X1シリーズ共にZ80を採用してたのに
なぜ、X68000ではモトローラを選んでしまったのだろうか? >>282
だってザイログの16ビットCPUってZ8000だぜ?
80年代後半にこれで16ビットパソコン作るのはちょっと厳しいだろ >>282
AC基板で流行ってたから、以外の理由無くない? 8086だと98シリーズとの差別化が難しい、セグメントメモリの制限、ワークステーションは68000系が人気などかね 68000系とは言うけど、X68kが売り出されてた頃はすでに010が最低ラインだったけどな
「386を出してるインテルのcpu採用してます!」と言って8086や8080使うレベルの詐欺だよ >>285
80286ならリニアに16MBのアドレス空間 >>288
68000でもOS作らないといけなかったのだから、MZ-2861と基本は同じにして共通化
X80286(仮)として後は概ね史実スペックに近づけるが640x400は標準サポートと
テキストは9801類似モード有り。
MZ-2861は上記よりPCM無し、スプライト系無し、MZ-2500モード用ボード付き human68kのデキを見るにcpuが286でもオリジナルosなら無いほうがマシなレベルなモノにしかならなさそうだ
msに頭さげてdosとwindows移植してもらえれば少しはマシかもな >>274
良いが・・・足りない
タウンズユーザーのアホさが足りない
やり直し 打X68000は倒8086で作られたMC68000を使って作られた打倒PC-88なパソコンだから386SXより遅くても問題ない >>292
であるからこそ、戦力の集中で、MS-DOSに先行出来ればな。
無理だろうけど日本の286以上の採用メーカー巻き込んでな。
>>295
386SXは386登場してから直ぐに売れなかったから386より数年後に出した物だぜ。
286よりは速くても当たり前だがなあ。
かといってX68より数年後のタウンズでも386。
87年に使えなくもない386だが
この時期じゃ32bitバスも活かしきれず高いばっかりのマシンになりそう。 X68000が1年早くデビュー出来てたら
16bitホビーパソコンとしては大成功だった
シリーズを3年で終了はできなかったから陳腐化が目立った 1年早くても68000のままならなんも変わらん。
cpuが非力すぎる 1年早く、286とDOSでMSの傘下にいれば98にも勝てた (ヾノ・∀・`)ナイナイ
DOSマシンなら98には勝てないよ DOS/Vの流れに乗っても惨敗したもんな、シャープは 当時の技術力は
サン>アップル>IBM>NEC>シャープだったからね >>299
そうそう、更に1年前に出すなら現実よりスペックダウンしたモデルでの発売になる。
>>301
一般向け以外に販売力のある富士通にも勝てないよな。
>>302
8bit機乱立した時代はまだ良かったがハード&ソフトの開発力が足りなかった。
だから国内勢で連合組むべきだったのよね、最低限OS等は。
日本の会社の悪い所なのか、NEC他会社内での対立と足の引っ張り合いが見苦しい
まして会社を跨いでなんかなあ。で現実味の無い話になるという。
MSXに関しては頑張った方、底辺の方のマシンだからのお目こぼしなのか。 当時の電気メーカーの経営陣に
OSといって理解できた人がどんだけいたかな? ソフトウェアはハードウェアのおまけだと思われていた時代だからね ミニコンの頃はそれが正解だった
言い換えればソフトウェアの選択肢がなかったわけだが だからVAX/VMSで対抗馬としてUNIXがでてきたの? UNIXはベル研のおっさんが要らないミニコンでゲームを動かすのに
ろくなOSがなかったから自分で作ったOS Multicsは無駄な機能が多くて重すぎた
全てをファイルとして見せるのはUNIXでは完結しなかったな
Plan9まで待たないといけない
昔も今もゲームが動機なのは変わらない MS-DOSがOSというのは理解できていたように思うが、
MacとMacOSの区別はついていない人多かった。 シャープはパソコン進出は早かったが、、会社全体でパソコンの将来性を感じてたかというと違ったかな
80年代前半ではプログラム好きな人の高価な玩具程度だったでしょう
コンピューターはと言えばBMを筆頭とした大型コンピューターが主流の時代
やっとBASICが知られるようになった時代にOSなんて言っても知ってる人の方が少なかった
家電メーカーでしかなかったシャープの経営陣が理解してたとは思えない
それなりに理解できてたのはNECと富士通くらいじゃない?
NECなんかはソフトの量がものをいうことに早くに気がついていた
日立や東芝は技術はあっても、パソコンにはさほど将来性を感じてはいなかった
そんでも80年代にシャープがパソコン事業をやってただけでも賞賛できる >>313
NECは他の日本企業とちがって一族経営でなかったのも影響してたかもな
変わり者が多かったしそれが許される社風だったからか、日本企業に有りがちな盲目的というか先入観バリバリな視野狭窄がなかった
時々突拍子もないこと言い出すからその点では付き合いが難しい会社だったが、新しい物に否定的でなかった >>305
多企業協力の前例になったかもしれないTRONプロジェクトが日航123便墜落でなくなったも同じだったから… 123便に多数のTRON関係者が乗っていたのは都市伝説だよ X68000は中途半端に成功したんだよな
88VAのように完全に転けてたら、新たな道を探したのだろうが
中途半端な成功だったから、中途半端にシリーズを続けて
ライバル登場で陳腐化してしまった
一定のユーザーがいるから簡単に止められず、かといって多くもないから改良できず
ライバルより見劣りする状態で続けるという状況に陥った
ここら辺の判断は難しいよな >>319
X68のライバルってTOWNSのことか?
TOWNSの個人向け販売台数はX68よりかなり少ない
それは個人向けPCとしてTOWNSが魅力が無かったから
TOWNSの総販売数が多いのは学校向けにF6880端末としてFM-R50より価格が安かったから
TOWNSが存在しなかったら代わりにFM-R50が売れていただけのこと >>320
ネットで出てくる数字では、
TOWNS 50万台
X68K 13万台らしいけど。TOWNSの法人向け台数って発表あるの? 古河電工とか無理に押し付けらられてFM-RやTOWNSを買わされてたな
流石にMartyは無かったがw かといって会社や学校にx68を売られても困るよねw 大学もFMRだった。理由はMS-DOSが走るけど、ゲームが少ないからと教官が言ってました。 X68の15万台には数少ない法人向けも含まれてるからTOWNSの50万台から法人向けを除外するのは不公平だな
あと、TOWNSの個人向け販売数が15万台以下という情報はいつものX68信者のガセっぽいんだよな X68Kと比較するなら、V30搭載の98くらいが妥当だと思う。
386機と比べるのは無茶。 >>320
> TOWNSの個人向け販売台数はX68よりかなり少ない
また68ユーザーは息を吐くように嘘を付く 88シリーズも最後は迷走してたからなあ
VAで転けて、迷機88MCを出したりと・・・・・
98DOなんかも、今更16bit機としても低スペックの98出してどうするといった感じだった
機種単体ではNECもズッコケてる 迷走というか、色々やる体力がメーカーにあったのでしょうね。
多少損をしてもシェアを渡さないことを最優先にしてたのでは。
御三家の中でもシェアは圧倒的だったし。 >>319
VAシリーズってあんなんでも3万台も出荷されたらしい
ソフトが全然賑わってなかったから5000台ぐらいのイメージだったのにw >>327
まぁ単純なCPUパワーでは同クロックの68000とV30は同じぐらいではあるが 89年に富士通が個人向けに32bit機を出してきたのには驚いた
前年秋にはFM-77AVの最終モデルが出されてたから
販売期間的には8bit機の最終型が売られてた時に32bit機を出してきた
やっと16bit機が主流になるのかと思って時にだからNECやシャープも驚いただろう
シャープにしてみれば、やっと8bitゲームパソコンユーザーがX68000に流入してくるかと思った矢先だっただろう
FM-7が出た時も衝撃的だったが、富士通は意外と大胆な商品展開を仕掛けてくる >>335
当時、AV20EXユーザーだったけど、
価格もスペックも、8ビットユーザーからは、まさに雲の上の存在でしたわ。
と、同時にもうAVにはソフトは出ないのだな、と寂しくなった想い出。 パソコン戦略に関しては昔の富士通は大胆よ
FM-Vも同じ
今では見る影もないけど かりに88VAが成功してたとしても、
Townsが32bitで出てきてたら、88シリーズは低価格化以外では勝負できなかっただろう TOWNSが出たあとになんの対抗策もしなかったシャープと、
迷機とはいえMCやほとんど売れなかったけとFXカードを出したNECとじゃ雲泥の差だね
雲のNECと泥のシャープ シャープとしては32bit化で対抗するか
低価格化勝負するかの二択しかなかっただろ
どちらも成功の見込みが低い >.>339
一応、X68030の末期にNewXの噂は、あったけどね。
どんなマシンだったんだろう。
その頃はゲーム機が高性能&低価格化でホビーPCの需要は、ほとんど無かっただろうけど。
Winが動かなきゃ話にならんって感じになりつつあったし。 X68kはエコシステム構築できてなかったのもダメなトコロだな X68000を低価格化しつつ、5年位でシリーズ終了で良かったのでは?
88シリーズが次第に低価格化したように >>342
> その頃はゲーム機が高性能&低価格化
ゲーム機は高性能化&高価格化では? 商品価値として見るならexpertかexpert2のタイミングでXVI相当を出すべきだったな
高速モードでメモリ認識しなくなるバクのない状態で >>335
X1turboZとかFM-77AVとか、後者は少しメモリの工夫で早くしたけど基本速度UP無しで
主に画像系だけ綺麗にしたような苦しい延命策でしかなかったね。
88MCなんかより迷走はしてないけど。
CDを扱う以上、処理能力も相応に必要という事で一足飛びで386にしたのは良い判断。
驚くべき事に1985年に386は発表されてるからねえ。 32bit機が出たのに16bit機を高値で売るのは難しい
すぐに32bit機が出せないなら、コストダウン機を出すしか対抗策がない
体制整えてから高価格・高性能機は上位機として出すしかない TOWNってすこし88VAに似てるんだよな・・・・
ゲーム機能が今一つ的な所とか・・・・
(なぜそんな事をした的な)
GRAM512KB(68と一緒 この時代には中途半端)
スプライト的な奴が画面の端に置けない
あとRAM GRAMに余計なウェイト・・・・・
中の人に聞かないとほんと意味わかんない感じ TownsはゲームPCというよりマルチメディアPC
FM-Rのホビー版
後年に出た98Multiみたいなジャンル 98でゲームやってるレベルの人は
Townsのゲームに不向きな仕様は気にならんかっただろ
あと、8bitの88や77シリーズとかの人達も TOWNSはFM-R改なのであれで正しい
FM-Rと互換性あったから長生き出来た
Windowsも載ったしある意味理想的な進化だろう 88シリーズに16bitでマウントとったのがX68000
32bitでTownsにマウント取られたのがX68000 >>349
とは言っても多重スクロールしなければX68000より強力だからな
スプライトRAM4倍
プリルラ、ビューポイント等、どデカいキャラクターが縦横無尽にアニメーションしまくる
スプライトのチラツキもない
ジェノサイド1,2もタウンズ版の方が凄い X68kも特徴は色々あるだろ
PCMがショボいとか
スプライトが小さいとか
CPUが非力だとか あくまでも打倒88シリーズしか想定してないから仕方ない 打倒88だったとしても、サウンドまわりはSB2であっさりと巻き返されたな >>360
ADPCMに音量や音階機能があるのは羨ましかったな
SHARPも負けずに1989年辺りにADPCM16音ぐらいの強力サウンドボード出してくれればよかったのに 拡張ボード、NECはたくさん出してたけど
シャープは対照的だったな >>349
> GRAM512KB(68と一緒 この時代には中途半端)
> スプライト的な奴が画面の端に置けない
> あとRAM GRAMに余計なウェイト・・・・・
>
> 中の人に聞かないとほんと意味わかんない感じ
最初はFM-Rに拡張ボードつけた開発機だったしな
テキストVRAMをつけなかったのはよかったけど
その分GVRAMは積んでもよかったけどな
グラフィックもBIOSはCPUが実行してて98の
EGCみたいなのはなかったしね
スプライトは、CRIがアフターバーナー移植しようと
して急遽機能追加したから中途半端な仕様になった。
これもうちょっとちゃんと考えてれば、パワードリフトが
移植できたんじゃね、と思ったりしたが。
ウェイトは単にコスト対策。特にVRAMはデュアルポートで
高かったから >>352
ゲームセンター行く奴
PCだけしか知らない奴
この辺の感覚のギャップってすごいんだよな・・・・
ゲームセンター行く奴って88VAなんてクソとしか言わない・・・ ゲーセン行くとX68kはゴミとしか言えなくなるんだよね ゲーセン行ってる派から見たら68はギリ遊ぶ対象だったなぁ
98は違うゲーム(シミュレーション等)が遊べるから別モノって感じ
TOWNSはよくわかんない
持ち主が変な自慢してくる記憶しかないなぁ
(TOWNS評価に関係ない) ゲーセンに行ってたけど、X68kはアケゲー機としてはまったく遊べなかったし
シミュレーション系は98どころか88にすら劣ってたし
ソフトのない邪魔なハコ=ゴミでしかなかつたわ 私の中・高校時代の有人は
ゲーセン、PC、ファミコンと全てやってた
全て別モノとして楽しんでいた ホントにゲーセン行ってたの。。。?な書き込みが多いね。
わざわざオジサンのフリをするのが流行ってるのかな? ゲーセンで遊ぶ層はX68kなんて見向きもしなかったからな
せいぜい98やMSXでシュミレーションとアドベンチャーゲームするぐらい X68000は高すぎるゲーム機
出現した当時の性能は傑出してた
ただ、その後の発展性が乏しかった感じ 普通に憧れたよな
ただ当時のゲーセンキッズからしたら絶対買えない高値の花ってだけで
当時ゲーセンみたいなゲームを遊ぶのにアレ以上の環境なかっただろ?一般流通してない基板を買って遊ぶ、って言うイレギュラーな方法除けばさ >>374
ゲーセン意識するなら31kHzと15kHzモードで320ドットを横いっぱい表示できるモードも搭載してほしかったし
384ドットもIOCSでサポートしといて欲しかった
どの道ゲーセンの移植が売りだとどんどん進化するアーケード基板にすぐついていけなくなるのは明白だったが… X68000を持ってなければ憧れたのだろうが
持ってたらゴミだクソだ言われても同意するしかないんだな、これが ゴミだクソだ言ってる人がどれだけX68000を使いこなしてたかは興味あるな
X68000よりさらに低スペックのメガドラ用にあれだけハイクオリティなダライアスを移植しちゃう産婦人科医もいるけど、それくらい使いこなした上でスペックが足りないって言ってんだろうから、どれだけ素晴らしい技術を持って作品を作っていらっしゃる方なのでしょうか?
友達からコピーしてもらったオタクハリアーやってるだけとかだったら超ウケる townsの話題は何も無い 後発なのに抜きん出た機能も無い中途半端な存在だった 昔から手を動かさず文句言ってるだけの奴ってロードランナーって言われてバカにされてたけどその類でしょ?x68000ユーザーに限らず
せっかくパソコン買ったのに出来合いのものだけで遊ぶだけの人、文句が多いよね >>379
スプラッターハウス完璧だったぞ。当時かなり感動した。マッスルボマーもよくできてた。最終的にはWindowsも動いたから仕事にも使えたし割と良い機械だったよ
X68000は憧れたけど通常のデスクワークに全く向かなくてゲームを作るか遊ぶかに特化した印象があったので選択肢に全く入らなかった。仕事にも使うって言う自分への言い訳が無いとあの価格は出せませんわ
金持ちだったら趣味用に買ってたかもね?
どっちも良い機種だと思うよ。そもそも競合してたか?客層ズレてね? >>375
そう言う細かい要求は果てしなく有るかも知んないけど、当時アレ以上のクオリティでゲーセンのゲームを家庭で遊ぶ手段は無かった、ってのは揺るがないでしょ?
存在しないものをユーザーは買えないんよ X68ってゲーム機としてもパソコンとしても直ぐに陳腐化したもんな
使われかたも劣化移植専用ゲーム機ばかりだったし
X68kを良く評価するよなんてデキが悪いゲームするのが趣味の一部の奇人だけだよ 80年代後半になるとパソコンのあり方が劇的に変化した
80年代前半はプロブラム愛好家なんかの趣味で購入するもの
80年代後半になると、パソコンでの日本語使用が本格化して汎用事務機器になっていった
X68000は80年代前半の趣味のパソコンの末裔といった立ち位置
80年代前半にパソコンをいじり始めた人には憧れの存在だったが、時代が変わってしまった
Townsは90年代前半広まった登場したマルチメディアパソコンの先駆け
時代の先取りという点では先進的だったね
大ヒットという程にはいかなかったが、今日の家庭用パソコンと同じコンセプトではあった X68はワークステーション的な売り方を試みて、見事に大爆死したもんな
マイコン少年あこがれのUnixワークステーションにはなれなかった
TOWNSはいつの間にかシェアのばしてた
カーマーティなんて謎な機種も何時の間にかにでてたりしたな
新聞の広告で見て「へー」って思った覚えある townsはベースがFM-Rだからねえ。普通のPCにスプライトやCD-ROMを追加したイメージだから普通のパソコンとしても優秀なのよ
X68000はスプライトを使ったゲーム限定機みたいなモノだから、まあ全く土俵が違うよね >>379
各チャンネル独立のパンポット、音量、音階機能を8音持つ脅威のPCM音源
X68000がどんなにCPUを酷使しても辿り着けない境地 実力のない見かけ倒しなX68と、地味だけど実力のあるTOWNS、どっちがマシかな? >>388
たいして変わんなくね?
なんか性能的に勝ち目ないからってそれじゃあただの悪口じゃん
そういうの負け惜しみって言うんだよ、おじいちゃん X68kは出た時期とコンセプトで魅力的に見えたけど中身が伴わなかった >>378
貶してるのって機械音痴のTOWN自慢ユーザがほとんどだろ >>391
コンセプトなんて発表されてたんだ
私は単にグラディウスとか見てほしいと思いましたけど・・・・ >>390
この人が一番の貴重な高齢者で
生き字引的に保護しないといけない人なんでしょうね 老害なX68k信者か
生きてるだけで回りに迷惑をかけてるタイプだ TOWNSはローンチタイトルのAB2は微妙だったが
一定のタイミング以降は良移植揃いだった気がするな
特にVINGの移植はよく出来てた
達人王とかスト2とかサムスピもよく遊んだ 87年当時なら普通にX68000は「スゲー」と言われた
問題なのは、もう8bit機が終焉迎えた89年、しかも32bit機であるTownsに対しては87年の輝きを維持するのは難しかった
登場時期が違うからしゃあないわな
X68000は88シリーズ対抗策としての登場だから、FM-R/Townsや98派生型に対抗するのは想定外 >>386
X68000はその自慢のスプライトもパターン用のメモリが少なくて… X68000か。
門外漢のテレビ屋さんたちがよくもあそこまでやったもんだ。
結局、テレビ屋がやることじゃないってことになって撤退になってしまったが。 >>399
とはいっても8ビット時代からパソコン作ってたし素人ってわけじゃないだろ
テレビ事業部という名のパソコン部門みたいなもん 細々とはいえ82年の初代X1登場から90年代前半まで事業が継続したから大健闘かもな
しかも、対象がホビーユーザーだけという状況だった
どっちみち、国内メーカー独自規格パソコンはWindows95の登場で終焉を迎えたので
その健闘は讃えてよいのでは? >>401
もっと上手くやれば日本でMac的な立ち位置になれたと思うんだよなぁ
プロユース向けのソフト、周辺機器が弱すぎた >>402
PC8801とPC9801みたいな
事業部の壁 >>402
業務用ソフトが殆どなかったからね
一太郎やCADがあれば多少は変わったと思うが >>404
それは98的な立ち位置だろw
DAWやDTPやCG方面がMacと比べて国産PCはショボすぎた
ていうか白人の発想のスケールってデカくて凄いわ
海外のアプリに初めて触れた時の衝撃が忘れられない >>405
>ていうか白人の発想のスケールってデカくて凄いわ
それはない。 白人じゃなくてマイクロソフトの戦略だよね
マーケットの大部分を確保するまでは無料もしくは格安でソフトを供給し、競合先を潰すと
三太郎も松と比べてコピーが緩かったから98VM/VX時代に普及したが、win95とワード、エクセルとの抱き合わせを格安で出してやられてしまった
シャープを含めて当時ハードを作っていた会社にはそんな発想なかったな ゲイツは役人に鼻薬利かせてたらしいからな
JUSTSYSTEMSやLotusが回復不能なダメージ受けるまで公正取引委員会が動かなかったりと不自然なところが多すぎ状況証拠はバッチリなのに誰もゲイツを疑わない >>401
Windows95に負けたならまだしも、XVIで醜態さらして030で自爆したのにどこを褒めろと? >>410
テレビ屋にそこまでのマンパワーと資金の投下を期待されてもね
奈良と2系統あるのも会社としてはおかしな感じになってたし。
それに、あれだけややこしいasicの改良版を出すのは経営判断としても無茶だったろう
富士通だのNECだのと情報機器専業部門があるわけでもなく、
むしろ、一介のテレビ屋がよくぞあそこまで頑張ったっっていう感じだけどな 努力「だけ」しか褒められないな
実らない努力、失敗から学べない努力だったけど >>411
決め打ちじゃなくて将来性を考慮してチップ設計すればよかったのに
例えばメガドライブのVDPなんかはVRAMを128KBまで接続できるように設計されてて、メガドラは64KBだけどテラドライブは128KBになってる
X68000のシンシアも32KB固定じゃなくて最大128KBまで接続できるように設計しておいて、将来メモリの値段が下がったら新機種では64KBにするとか128KBにするとかすればよかった リアルタイムで考えると、パソコンのあり方が
80年代中頃から大きく変わったことが大きかったね
個人の趣味の為のものから、98シリーズを代表とする業務用事務機器になっていったから
X68000は80年代前半のマイコンブームの末裔みたいな感じ
リアルタイムで潮流を見極めるのは難しい
時代を先取りしてても、早すぎて失敗なんて事例もよくある
X68000は出たタイミングは悪くはなかったが、時代が思わぬ方向へ進んでしまった感じ 98互換機のPC-clubが10万円ちょっとで発売日された頃、X68が優位だったのはアーケードゲーム移植だけで、価格を含めてそれ以外がダメだったから勝ち目はなかったもんな >>411
32kBなのは40nsの高速SRAMで高かったかららしいので、
高解像度での利用不可にすれば容量を増やせてたかもね。
PCEの120nsであれだけ出来たんだし、MDはデュアルポートDRAMでできた。
ただ、スプライトとBGだったから逆に初期のこの性能から発展できなかった、しなかった。
グラフィックやテキストも使い易くしてるけどタダでさえ遅いCPU処理に頼り切る仕様が足を引っ張った。 それよりちょい前、98ノートとかが24万円とかで出始めた時点でX68000って既に存在感なかったよね
とにかくできることの割に高価。ゲームで遊ぶだけならメガドラやPC-Eの方がおもろい、となればねえ 当時のシャープは家電メーカーとしても
松下、日立、東芝の御三家より格下扱いだったからな
企業の実力からすれば頑張った方だろ
当時は家電御三家やソニーもパソコンはパッとしなかった
NECのソフト量と日本語使用重視戦略には力負けした >>415
流石に90年代にもなって16色しか出ないマシンは使い道なさすぎる X68kはタイミング良くはなかっただろ
あの性能なら1年から1年半前に出るべき
あのタイミングなら最低限でも010、かのうなら020
OSもあんな腐ったDOSモドキでなく、サブセットでもナンチャッテでもいいからUnixを載せるべきだった X68000は86年中に出てればなあ
発売が予定より遅れたんだっけ?
1年早ければゲームPCの趨勢は大きく変わったかもな >>422
間違えた
あの時代にUNIX??
で、何すんの? UNIXなら大学あたりに教育用として売るしかないだろ
68010なら1987年の発売当時でも遅くて使い物にならなかったと思うが 010でUNIXでXなら大学が少しぐらいは買ったかもな >>421
グラディウス捨てればギリギリ86年の年末に出せたかも >>425
UNIXになんてしなくていいから、折角ハドソンと付き合いあったんだからPCエンジンの純正開発環境を全部X68000用にしてもらえば沢山あちこちの会社に大量導入してもらえた
実際にはPCエンジンの開発環境はPC9801だった
シャープのこういうとこの根回しが下手だよなー グラディウスは面白いゲームだったけど
発売予定を変更するほどのものだったかは疑問だったね
早くリリースして市場を形成した方がよかったかも PCのMINIXも面白かったなあ。「今どきモノリシックなカーネルなんて時代遅れだ!」ってLinuxを批判したタネンバウム先生の作品だっけ。
そういえばX68000用のOS/9があったっけね。 >>419
実際におまえが言う「使い道のないマシン」に全く歯が立たず消えて行ったのがX68000だったな UNIXって職場では触ってたけど(AIX)
あんなもの当時のパソコンに移植なんてされないだろ
害にしかならないでしょ
DOSでいいでしょ(ファイルネーム文字数は問題と思うが・・・・) 取り柄はスクロールだけだもん
そりゃ98にすら負けるよ >>433
スプライトも取り柄だね。ACゲームの移植(劣化)にしか使い道ないけど スプライトはプログラム組んでて楽しかったな。
画面上を簡単に飛び回らせられるから。
背景画像の上を列車みたいにゾロゾロついてきて、時々画面を汚していくなんていうていどでも、自分で書いたプログラムが動いてる!!って実感できた、 >>436
TMS9918をMZの拡張バスに繋いでカラーテレビに表示させたりしてたから、MSXには興味持てなかったな。あのテキサスの石の後釜か…って感じで。
まあ、9918のスプライトの制約がきつすぎてなんじゃこりゃ?だったのもあるけど。
既に16bit時代に入ってたし。68000というCPUそのものに対する憧れもあったけどね。
X68000には楽しませてもらったわ。
荻野目洋子の写真の上でスプライトを飛び回らせたり > X68000には楽しませてもらったわ。
> 荻野目洋子の写真の上でスプライトを飛び回らせたり
お前ログインの編集者か?w パソコンが個人の趣味から事務機器に変わりつつあった時代
X68000は98VM以降の事務機器化に負けた >>439
数は力なり、デファクトスタンダードになるととても強い。 パソコンで日本語使用が本格化した時期
パソコンでの日本語使用に熱心だったのがNEC
シャープはお世辞にも日本語使用は熱心ではなかった
日本語使用の優位性が消滅するまで98帝国は存続した
80年代後半は、時代がゲームPCより日本語使用を求めていた
98シリーズにFM-R/TownsがWindows95登場まで残ったのは日本語使用が決め手だったのは明らか fmtownsってFM-Rのデチューン機ってイメージしかないなぁ
TOWNSってソフト少ないイメージしかないなぁ
68はパソコンサンデーで宣伝
情報が無かったのでTOWNSは今でも謎のまま >>442
実際には全然そんな事ないんじゃね?そもそも時期ズレてるし用途も違う
販売していた期間もバリエーションの数も実用性も全てにおいて全く比較にならないじゃん
ぴゅう太とPC-98くらい違う >>440
世界規模の数でDOS/Vがデファクトスタンダードになったね
富士通もFMVで成功してどんどん切り替えていった
NECはPC98にしがみついたが抵抗出来ず しがみついてたのは市場のほうでNECはとっとと互換機に乗り換えたかったんだよ
互換機へとシフトするのな顧客が困らないようにって、Windowsで互換機と98の間で齟齬が起きないようMSに技術者を大量に長期に送り込んだりと色々な手を打ってるんだよ
自社製品をバッサリ切り捨ててただの互換機メーカに成り下がったシャープとはそこら辺りが大違いだよ >>445
ソフトの処理で十分な速度が出るハードの時代になったから
ハードがAT互換機、ソフトがWindowsとなり、独自本体の利点が小さくなった。
>>446
コチラの説に同意するね、日本の客は互換性を求める。
工場の機械の制御で98が長年残ってたりするし
ただ、自社製品切り捨ては弱小で使われてないからこそ求める声も小さいので責めるのは間違い
98等は一応国内覇権を取ったからこそソフトも依存ハードも数が出てるので求められる 当時の日本パソコンって互換性に利益を見いだせなかったからなぁ
独自規格のソケットを作って自社の周辺機器売りつけるというバカ思考だったから
(お客の利便性は二の次)
もっと早く滅びてほしかった MSXもゲームPCの域を出られなかったからなあ
パソコンで日本語使用できる規格じゃないと、NECの98シリーズには対抗できなかった
DOS/Vだって本格的に普及したのは日本語使用が十分できるようになってからの話
80年代後半~90年代中盤までは、パソコンでの日本語使用ができるかどうかが売れる大きな要素だった
そういう意味では、最初からX68000は主流になれない運命にあった x68000は最初から主流になる事を目的としてないでしょ?
当時あの価格設定は完全に間違ってる。ゲーム作る&遊ぶ に特化したモノに普通の保守的な大人はあの金額を出さないよ
高級オーディオと同じでマニアックな趣味用の機械だったと思う。主流にはなりようがないよ
当時社会人成り立てだったけどX68000には憧れた。でも普通に98ノートを買ったよ。モノクロ液晶で音源もビープ音のみ、ゲームには全く向かないけど仕事には使えた >>449
オリジナル仕様を作るのはパソコン業界だけじゃない
日本人は標準化がとても下手 NECや富士通が、もう少し世界中に自社のパソコンを売り込むという戦略があったら話は変わったかもな
80年代中頃ではPCが事務機器の主役になるとは予想もしてなかった
IBMも自社規格が世界標準にはなっても、自身は市場から撤退するはめになってしまった
良いところはインテルとマイクロソフトにもってかれてしまった 日本のメーカーが16ビット以上のパソコンを海外へ売り込まなかったのは市場がなかったからだよ
近場なアジア・東南アジアに売ろうとしたとして、ソ連中国台湾には売り込みすることはできないし、
香港に売り込もうものなら安価で粗悪なコピー品が出回るからダメ、
他の地域は8ビットパソコンすら贅沢品で16ビット機なんて売れる気配もない(この頃の韓国の経済力は文字通り後進国)
欧米への売り込もみはもっと無理
海外へ売り込みなんて市場がなさすぎだった なに言ってんだ?NECはその時期海外ではPC/AT互換機作って売ってたよ
その国々で売れる物を作って売るのが普通でしょ?日本で98がしばらく主流だったのはNECの戦略では無く変化を嫌う保守的な日本人ユーザーがそれを望んだからだよ
NECは売れる物を作って売ってただけ アメリカ法人っていうと、NECオレゴンか?
パソコンは本業でなかったからか細々とやってたたけのようだな >>454
そうかな?本当にそうなら談合やカルテルも下手糞になるだろう。
先発で売れてる側の仕様を踏襲する形の自然標準化は先発が嫌がっても有った。
標準化しようとしてではななく、デファクトという所にはある。
>>456
日本語特化のハード部分が海外に出すには余計で重荷になるのだから、その想定は苦しい。
独自CPU作って世界中に売る方向ならありえたかもしれない。
テグザーの話、写真のPCは88VA?ソフトでの世界への道は無くも無かったのかも
http://blog.livedoor.jp/trakt/archives/1855338.html PCがどういう方向に進んでいくかはリアルタイムでは全く予想不可能だったからな
X68000が開発中だった当時は、まだまだ古き良き趣味のマイコン時代の気風も残っていた
80年代中頃位までの世の中の情勢では、わりとX68000は王道を歩んでいたんだ
X68000は16bit時代でシリーズ終了させておけば、時代遅れイメージがノ頃ラ無かった
Townsとの比較は登場時期もコンセプトも全く違うから意味が無い
X68000は90年頃にシリーズ終了で良かったと思う XVIコケた時点で撤退してりゃよかったのに030で真っ赤最期の最期を汚しまくったのはいただけないわ >>465
寧ろXVIでちょっと持ち直した
でも翌年のCompactXVIで大転けした
なんであんなX68kのソフトウェア市場を混乱させるだけの意味のないもん作ったんや X68000は蛇足付けるどころかクソを付け足し続けてた 完成なる失敗だと簡単に撤退できるが
ある程度成功すると難しくなる
88シリーズなんかもVA出したり、意味不明なMCや98DOとか迷走のあげく終了
X68000も発売後2年位は成功作ではあった
既存ユーザーもいるから簡単に終了できなくなる
迷走した後に終了するのはお約束 NECの場合は9801という軸があって迷走してたので不安はなかった
シャープは軸そのものが迷走してたので不安しかなかった シャープはPCが官公庁や企業で需要が伸びた時点でアウトだった
そうしたとこに売り込む力がないのだから
MZシリーズ、Xシリーズ共に個人の趣味需要をあてにしてた
次第に個人も会社のPCと互換性がある機種を選ぶようになる X68kが改悪ばかりだったから売れなかっただけだろ TOWNSが評判悪いのは
中途半端なゲーム機能と意味不明ウェイトの存在
でしょ
PC-88VAを彷彿させるなぁ・・・ Townsが出た頃にはゲームPC市場は萎んでたからな
どちらかというとマルチメディアPCの先駆けだろ
日本のゲームPCは88シリーズの終焉と共に終わった バブルと共に消えたのさ
そして失われた30年を経てX68000が復活する
TOWNSは…CD-ROMがあるからフルサイズ復活か? >>477
悲しいかな
売れないから出ないかと・・・・ X68000は従来のX1ユーザーをぶった切った感じなんだよな >>479
そのお陰で親指シフトという素晴らしいキーボードに出会えたから失敗とは思わんな
難点は素晴らし過ぎて代替利かないことだ 親指シフトは慣れれば入力早かったけど主流になれなかったのが残念だ 日本語キーボードはM式、TRON方式なんてのも存在感していたようだが
全部消えたな 日本語のPCでの使用は98シリーズが50%以上を占めてたから広まらないわな キー入力がクソで日本語変換がタコでソフトが絶無のX68000のキーボードは消えたのは世の中のためになってるな 米国でも色々あったな
16進入力な時代に8個のキーで0x00〜0xFFを指定して、親指のキーで入力するなんていうのを思いついて作ったことがあるけど、自分でも使いこなせなかった(笑 >>478
FM77AVの方がまだ可能性があるのでは キーボードはタイプライター以来だからな
ローマ字変換も定着してしまったし
カナ変換が普及してればあるいは 負けたもなにもTownsが出た頃にはX68000は死に体だっただろ >>489
タウンズ初代が出た頃は勢いあったでしょ?ABⅡの移植度比較されてたじゃん。静止画の見た目は圧倒的にタウンズ版で見た目はしょぼいがプレイ感覚が圧倒的にX68000版が上、みたいな感じで
ゲームを遊ぶ機械って意味ではタウンズは最初から死に体だったね。良移植作もいくつかあったけど本数が少なかった。ただ汎用PCとしてはX68000は設計段階からポンコツだった。
それだけの事。ボクサーと書道家、どっちが字が上手い?って言ってるようなもんだよ。タウンズは当時としては基本スペックが高かったからゲームPCみたいな事もできたけど根本はバリバリのビジネスマシンだからね >>86
AppleUやAmigaとかAtari STは X68000なんて汎用は考慮してないだろ
まさに時代の徒花 >>494
うん。だからタウンズとの比較そのものがナンセンスって言ってるんだよ
スプライトを使ったACゲームの移植に特化したような機種でコンセプトからして狂ってるとしか言いようがないわ
まあ当時はすっげえ憧れたけどね。子供の頃通りかかったPC販売店でデモってた源平討魔伝の美しさが忘れられない。ゲーセンで見る源平より綺麗に見えた。今にして思えばスキャンラインの有無の差か? Townsは98Multiのライバルだよな
X68000のライバルは88VA X68000が出た時は衝撃的ではあったな
その後は尻すぼみだったけど
出たばかりの頃は指名買いみたいな感じのユーザーが多かったと思う
90年代に入ると流石に選ぶ対象ではなくなった
Townsが出た時は、98の32bitと比べてどうだろとか
エプソンの98互換機の方が汎用性が高いかなとか思ってしまう程度
会社や学校でFM-R系のパソコン使ってるなら購入を検討するかな程度
90年代中頃位までは十分使えたというメリットはあった パソコン雑記にはTOWNSと98比べる記事はそれなりにあったけどX68000とTOWNS比べる記事はかなり少なかった ゲーム雑誌以外でX68kとtowns比べてた記事は見た覚えないな Townsが出た頃には情弱以外はX68000なんて買わない なぜかRA21が人気の機種だった
のはもう少し後かな? 自分は88の次は16bit機は買わず
32bitの98互換のエプソンノートを購入 X68000を発売から2ヵ月以内、長く見ても3ヵ月以内に買ったヒト以外は情弱で常識がない X68000は86年中に発売したかったな
そうすれば90年位までシリーズを維持してれば名機として長く語り継がれたかもしれない
販売が87年にずれ込んだ上に、ズルズルとシリーズを維持して時代から取り残された
8bitパソコンが98シフトを加速する前に出せたらな
87年に入ると88シリーズ自体が斜陽期に入ってたから、打倒したところで98シリーズに大半のユーザーが移るだけだった
結果論ではあるが、やっぱり出るタイミングというのは大事 68000 10MHzじゃパワー足りなくてとにかく処理落ちするゲームが多すぎるんだよな
初っ端から12.5MHzで発売するかアーケード基板みたいにデュアルCPUにしないとパワーが足りない >>509
デュアルCPUのAC基板ってそんなに無くない?そもそもAC基板ってPCやCS機と違ってCPUに対する依存度が少ない。必要な機能のチップ盛るから
アイレムなんかV30だよ? X68が発売された1986-87年(9801VM、VX)はCPUの周波数は10MHzの時代だわ
88ー89年で12-16MHzだったかな(RX、RA)
CPUの周波数よりも1991年i486DX以降の急激な性能向上が10年以上続き、MotorolaーX68000の魅力が急激に落ちた影響が大きかったと当時は思ったな 80年代中頃だと、ウインテル連合が
あそこまで強大になるとは思ってなかった人は少なくなかった
何が正解だったかは後年にわかったことだから
リアルタイムでは正解はわからなかった >>510
グラディウスIIは68000×2個だし、ナムコのシステム2も68000が2個 >>511
80286の10MHzは68000の10MHzの1.6~1.8倍の速さ >>510
V30と68000は同クロックなら同性能
てかアイレムの基板はサブCPU載ってるでしょ
それとアイレムの基板はROMのパターンデータを直読み表示できるんじゃないかな
X68000はRAM上に置いたパターンデータをちっちゃなスプライトRAMに毎フレームせこせこ転送しないといけないからその分負荷が増える >>514
CPUの速さは確かにあったね。
最も当時はフロッピーディスクがボルトネックになるぐらい遅くて、体感としてそこまで差は感じなかったな >>512
1990年頃はSPARCが10年後にIntelに負けるとは想像できなかったわ
Pentiumシリーズはどれだけ優秀やったんだろね CPUが速くないってのを加味してもX68000使ったあとに98やFMR使うとX68に比べてキビキビ動いてると感じた >>518
なぜか遅く感じたがなあ
486ってこの程度なん?って思った覚えが X68が速く感じるとか、よほどポンコツなFMR使ってたか、ただの嘘をついてるかだな
これだからX68kユーザはw >>520
2例だけか、って言いたいんだと思うよ?
そんなにないだろ、ってコメントにアンカーつけといて結局2例だけ、って少なくね?って事だろ?俺もそう思う >>521
どのタイミングで486使って遅いと感じた?悪いけどX68000程度じゃまったく比較にならんよ。Windows95とか実用的に使える。386搭載の初代タウンズにすら勝てないX68000とは別次元の速さだよ
寝言は寝て言えよ >>520
2個あるだけじゃデュアルCPUの定義満たせてないけどな。完全同期してなきゃただのツインCPUだよ
グラディウスの2基の68000は同期して動作してたん? SX-Window使ったあとにTOWNSさわるとTOWNSが超高速マシンに思えたもんだがな >>524
X68000の方はアセンブラでカリカリチューンしてたからな
i386並やで
鳴り物入りで登場のi486使わせて貰ってガッカリって流れだったような覚えが 386のネイティブモードは遅いとかボロクソにニフティやIOプラザあたりで書きまくってるヤツがいたが
T&Eの遙かなるオーガスタの発売でいっぺんにその声がかき消された
X68K版とTOWNS版の速度差と言ったら… 68000と80486って10年くらい違わん?
当時1年で倍の性能だと言われたし 98ユーザが生DOSのVzのほうがWindows3.1のワードパッドより表示が早いって言ってるようなものか 演算性能というよりMC68000はリニアなメモリアクセスで
プログラム組みやすかったというメリットだよな
x86の16bitは、8bitCPUと同じ64kBセグメント
アドレッシングで、プログラム組みにくかった。
RAとかもクソ速いだけのDOSマシンでアマチュアが
プログラミングするマシンじゃなくて、ソフト再生機だった
でもそれでよかっったんよ
TOWNSは32bitネイティブのプログラミングできるかと期待
してたらCコンパイラが4万で、更に8万のアセンブラに
入ってるリンカがないと使えないというクソ仕様で一挙に
ソフト自作派が離れていった。 インテルのCPUでX68000的なパソコンを企画すれば良かったのにな >>530
アセンブラでカリカリチューンとやらで具体的にどの分野で何をすれば486に勝てるんだ?
文系? >>534
フリーソフトのリンカやGCC使えはええやんリニアなメモリ空間も68000とは桁違いだぞ
TOWNSだとメインメモリに2GBのアドレス空間、VRAM等に2GBのアドレス空間が割り当てられてる タウンズにパワーユーザーが少なかったことの証左だな X68自体がビジネスや教育に使えないから売りようがないだろ X68はメモリ空間をIOやVRAMで分断してるアタオカな設計のゴミです Townsは98全盛期に出たから影が薄い
ホビーPCもマイナーになりつつある時代に登場
堅実の裏返しでインパクトが無かった
FM-7が出た時のような衝撃がなかった
地味に存続した77シリーズの後継機だった >>544
登場時滅茶苦茶インパクトあったぞ
どこまで人の感性に近付くのか
パソコンが変わる
タウンズが変える >>546
98ユーザーにとってタウンズは全く空気だったが 確かに98互換ノートユーザーだったが
Townsの存在に気がついたのはデビューしてから相当後
X68000は買いたいとは思わなかったが、有名だから知ってた X68が発表されたときに突っ込みどころしかなくて「こんなものを買うのはバカだけだ」と思ったら、X68を買ったのはバカじゃなくてキチガイだった X68000の突っ込みどころを発表直後にわかった人なんて極一部でしょ
大概の人はツタンカーメンの黄金のマスクのデモ画面のみで88やX1とは別次元と思ったはず
雑誌もX68000礼賛だった
欠点が知られるようになったのは初期需要が一巡して
市販ソフトの出来が知られるようになってから 最初から欠点がわかったのはTOWNSだったな
黒枠付きの小さな画面で低フレームレートのアフターバーナー見てこりゃダメだと思った 時代遅れの68000と、5年はアーキテクチャ変えません宣言で嫌な予感はしてた
X68000は買わなくて正解だった そうかな?ソフトハウスが、まだ使いこなしてないのかなと思ったくらいだったけど。
68はPRO→XVI、TOWNSはグレ-→白と、2系統維持してたけど、当時の値段なりの差は確かにあったよ。
並べて使ってたら明らか。
けど、それそれに楽しさは違ってた、
68はコマンドラインと手作りソフトを楽しみ、
TOWNSはCD・WIn・ビジネスソフト・インターネット・・・新しいものをお金を出せば手軽に導入で出来た。
欠点がどうのこうのって考えなかったけど。 >>554
それそれ→それぞれ
554は552へのレスです。 >>553
私の高校時代の有人はそれに飛びついた
5年間は楽しめると思ったのかもしれんな
まあ、出たばかりの時に買えば、5年間はそれなりに楽しめたかもしれない その数ヶ月たてば他の機種ならなにかしら改良され性能が向上したモデルが出てたけど
シャープは頑なに性能向上を拒んで小手先の変化で誤魔化してた あくまでもX68000は88キラーであり
98シリーズやFM-RをベースにしたTowns対抗なんで想定外
8bit機相手に無双することがコンセプト
出たときがベストで改良による発展性は考慮外だったのだろう
予定通り、8bit機に対しては無双できたのだから成功と言えば成功したことになる
それ以上の事は設計上考慮されてないから仕方が無い 当時は変わりすぎて困るという意見もそれなりにあったからな
変わらないってことに安心した人も多いよ
開発側はな 価格的には98VXに対抗だったけど、ビジネスでは太刀打ちならんかったからね。
そっちの方はMZで考えてたんだろうな。
68は8ビットゲームPCやゲーム機のユーザーに乗り換えてもらうのが戦略だったと思う。
当時X1ユーザーだったけど複雑だったな。Hu-BASICも.Z80もいきなり捨ててしまうし。 xシリーズやTOWNSはエンタメ(ゲーム)用
mzやfmrはビジネス用
よくもまー互換も無いやつ多種作っていたよな >>563
FMRとタウンズは互換あるでしょ。XとMZは事業部が違うし完全別物だけど。X系はテレビ事業部でしょ FMRも98も地味に改良され続けてたけど、互換性が問題になることはほぼ無かった
当然の事と言えば当然の事だけど、その当然ができてなかったシャープは悪目立ちしてる >>566
XとMZは全く動かないぞ。0と1ではまるで違うな >>567
誰か互換あるって?
簡単なbasicなら互換あるかもしれんが >>568
最低限の日本語を取得してからアンカーつけてね。文章成立してないよ? >>565
ビジネスソフトは高価で長く使うものでしたからね。互換性は最も大事な要素だったでしょう。
ベースがMS-DOS Windowsなのが大きかった。
シャープもMZで98のエミュみたいなことをやってたけど、エプソンほど徹底できなかったし。
68もビジネスソフトを出したりしてたけど、独自路線なのが痛かった。
一太郎にシャーペンでは。。。 >>562
ビジネスって言っても98みたいな方面じゃなくてMacintoshみたいに芸術方面の仕事ならX68000にも可能性はあったと思うんだよ
でもソフトウェアや周辺機器が全然駄目だった
個人の趣味で使うレベルのものしか出てこなかった X68は、良くも悪くもアーキテクチャ固定が響いたな。
CPUクロックだけでもさっさと上げてれば違った展開
だったかも知れないがな
TOWNSも同じ轍を踏みそうだったが、486搭載のHRを
投入した事で、初号機の呪縛から逃れられ、続く白TOWNSで
ハイレゾとWSS音源、最終的にWindows95まで引っ張って
FMVにバトンタッチできたからよかったんじゃないの
そう考えるとNECの98はよく耐えたね >>573
86~87年当時は歓迎した人が多かったのは事実なんだな
私の高校時代の同級生も、それを決め手にX68000を購入してた
新型機が出てソフトが供給されなくて困った人も多かった
88シリーズなんも途中で88無印/mkⅡは切り捨てられた
問題だったのは16bit機が主流の時代が非常に短かった
88年になると32bit機が登場し、89年になるとTownsのようなホビー機でも32bit機が登場した
シャープの予想よりパソコンの進化が早すぎた なんだかんだ言って、
Townsはホビーパソコンの地味な革命児 98の相手じゃなかったな
X68程の信者もいなかったし
誰が買うのかよくわからなかったわ フラクタルエンジンのデモ映像を見てスゲー!
と思った人が買ってるんじゃまいか >>571
ATOKだけでもHuman版とSX-Window版が欲しかったわ。 X68k向けのワープロソフトは結構でてたはず。オーロラとか。
でもメーカーが期待するほどは売れてなかったから、ATOKが出てても同じ様に売れなかっただろう。
単純にマンパワー不足でX68k版を出さなかったのかもしれないけど、ジャストシステムはDOS相手にしてるだけで儲けを出してたからX68k版を出す必要なかった。 X68kはまともなワープロソフトがないゲーム機だったもんなぁ X68000の企画は1986年以前からだろ
だとするとパソコンでの日本語使用が爆発的に普及する以前の発想で開発された
打倒88SR以降を目標にしてた感じだから、98シリーズのように日本語使用を大前提には開発されてない
98シリーズも基本が確立したのはVMシリーズ以降
X68000は80年代前半迄のホビーPCの最終進化形みたいなもので、新時代PCの先駆けではない
日本語使用も88シリーズ程度の機能があれば十分と思ってたのだろう
TownsはマルチメディアPCの先駆けで、汎用性を備えてることを前提に開発されている
同じ個人向けPCといっても発想がまるで違う まあマルチメディアに関してはタウンズも90年代にMacintoshにお株を奪われたけどね。 X68kは作り手が作りたいから作った
少数の熱狂的ファンがついたが、技術者のオナニーの結果がX68000 技術者のやりたいように、作りたいように作ったら、嗜好が合えば素晴らしいとか凄いとかなるけど普通に見たら欠陥品にしかならない
X68000もその例に漏れなかった >>582
ユーザーメイド辞書とバグパッチ+辞書容量強化版IME入れればそこそこ使えたぞ
0~32MBまでしかアクセス出来ないOSコール使ってるせいで大容量HDD使って辞書学習させると辞書がぶっ壊れるとかアホかと思ったが >>583
当時PROユーザーだったけど、ワープロにすら、なれないんじゃ。。。。ってのが正直な感想だったなあ。 >>590
仕事だけのパソコンやワープロみたいなパソコンはいらない
父のパソコンを超えろ ワープロみたいなショボいことじゃなくてMacみたいにDTPできる方が凄い >>595
国産PCのDTM環境なんてショボすぎる
個人のお遊びレベル 兄貴は音楽にw
「アイラービュー、アイラービュー♪」 PCをワープロ代わりに使うのは90年代に入ると急速に増えたぞ
大学の講義でワープロや表計算使うのがあったし ワープロがノートPCにシェア奪われたのも90年代に入ってからだな
富士通のオアシスはパソコンに移植されたけど
リコーのリポート、シャープの書院、NECの文豪・・・みんな消えた
ダイナブックか98ノートで一太郎、これに全部やられたようなもん 日本の住宅事情にマッチしたのさ
ウサギ小屋なんて言われてたからな
ノート型も出せずに終わったX68000っていうゴミとは違うのさ、X68000って言うゴミとは 高いだけのゲーム機だったX68kは、ソフトがコピーされまくって商売にならなかったから廃れてしまった
ノート型がでてれば、ワープロソフトがでてれば、なんてタラレバ盛り合わせたところでムダなんだよ 16bit機を32bit機と競合させるのは無理だっただろ
価格を半額くらいにしないと買わないだろ townsが出たからってX68kを半額にしても安かろう悪かろうのイメージが強くなって更に売れなくなるだけ
ソフトの売れる本数も重要だけど種類がどれだけあるかも重要
X68kは新機種かつ後発だったからユーザの新規開拓は必須だけど他機種からユーザを奪う必要もあった
その為にはソフトハウス中心にバンバン営業やって既存機種のキラーアプリを取り込む必要もあったが、企業努力が足りてない
そんな状態で売れる訳がない >>603
68の場合、専用ディスプレイがまたバカ高かったからそれが本体価格と合体して高値に拍車をかけたというか。サンヨー辺りの安ディスプレイが使えた98は恵まれてたな。
本体だけ半額になっても御新規さんは取り込めなかっただろうね。 >>604
98立ち上げる時に部長直々にソフトハウスに頭下げて専用ソフト作って貰った日電を思い出す。一方、AQUOSの時もパネルの外販で営業がお客様にふんぞり返って居丈高に接した為に失敗した♯。
もしかしたら企業体質なのかも。 >>593
と言われても、大学生だったからレポートくらいには役立ってもらわんと。
三太郎でもちゃんと動けば全然違ったと思う。
理系の学生にとっては、表計算も欲しかった。
X1turboにはマルチプランが出てたのに。 >>607
TeXがあったからそれで68で卒論書けたぞ TeX直に書くとかバカの極みだな
機械を使ってるんでなく、機械の奴隷になってるだけ >>608
おおっ、友達も同じ事言ってた。68用の本も出てましたね。
自分は使わなかったけど、速度的にはどうでしたか?
しかし、Texユーザーは、理系と言えど周りには誰もおらんかったし、グループでやる課題にはちょっと。。。でしたね。
8ビット時代(X1turbo)のビジネスソフトは結構周囲と互換性あったのに、16ビットになったらどうして独自路線に走ってしまったのだろう。
JET、スーパー春望、マルチプランはX1turboでもしっかり出てたのになぁ。 まあ、これからはゲームPCの時代と勘違いしたのだろ >>611
ゲームはオマケで開発陣はMacっぽいのに憧れてたような痕跡がある 勘違いで「5年はアーキテクチャ変えません」なんてアホな事までいうかな? 「5年間は通用するマシンを開発したつもり」
発言が
「5年はアーキテクチャ変えません」って、
雑誌の記者に 勝手に解釈されたんだよ。 ソフトの互換性を継続するのは間違いではない
88シリーズにしろ、98シリーズにしろソフト資産が有利に作用した
X68000だってソフト資産の断絶はしたくなかっただろう 5年は通用するとか現実が見えてないバカの丸出しじゃないか
発表時点でモトローラは後発のプロセッサを発表済みだったしWS業界で68000の評価がボロクソになってし、
macは互換性のためだけのロースペックモデルにしかMC68000を載せてないし >>616
そういうキミはCPUが何だったら良かったというのだい?
一応80386や68020も出ていたけれど
後発でもメガドライブやネオジオは68000でも割と成功している >>615
8ビット時代のソフト資産に拘ったPC88VAは失敗したが VAが出た頃は88シリーズは限界が見えてたからなあ
初期の88ユーザーは98移行が増えていた
エプソンの98互換機なんかも登場 >>617
メインターゲットが購買力の乏しい子供たちのゲーム機を引き合いに出してまで68000が選択されたのは正しいと?
1987年発売なら(発表の86年でもだが)68000はありえない。
最低でもMC68EC020。
human68kが「DOSの様なもの」「出来損ないなDOSモドキ」なのも良くない点を考慮して、286でマイクロソフト純正のDOSとWindowsをバンドルするぐらいでも良い >>620
アホ、メインCPUの性能だけでは決まらないのではないかという事だよ。
処理の遅い68000に全てを任せる設計
68020使うのは良いとして更に価格ボーンと上がって売れてたかね?
タダでさえhumanダメなんだから68020活かしたOSなんて論外だろうし
286だったらそれこそTOWNSに上位互換される運命だろうし、
386の失敗、OS/2の失敗の話でもあるようにプロテクトモードをMS-DOSも活かせてなかった
つまりは隣の芝生は青い様に見えてただけで何選んでも失敗しかないのでは?と シャープのテレビ事業部だけでやるには荷が重かった
テレビ事業部にしてみれば、高いファミコン開発したような感覚だったんだろ
だから発展性とかシリーズ化とかの概念が薄かった
だからOSがどうとかもテキトー 68000に何でもやらせる設計に拘るならなおさらの事、最初から68020以上にするべき
68000に拘るなら何でもやらせる設計を放棄して68000の負担を極力減らす設計にするべき
GDCのような機能固定のデバイスが嫌だというなら、サブCPUやDSPを載せてそれのプログラムもユーザが弄れるようにすれば良いだけのこと
書いててなんだが、定価ベースで15万ぐらい簡単にアップしそうだな
更にOSの品質や初期のアプリのラインナップ改善も必要だし、そのためのコストも製品価格に反映するなら更に定価はアップしそうだ >>621
68020-16MHzを使ったMacintoshIIが当時本体だけで5500ドル(円換算で約80万円)らしい。バブル真っ盛りとは言え定価36万8千円ですら高いと言われたX68000なので、MacintoshII級の価格だったら尚更買う人はかなり限られたはず。 >>618
当時、88VAを買った友達がいて、色々遊ばせてもらったけど、
ゲームの音楽がおしかくなったり、動作がイマイチなものがあった、互換性が完璧だったら状況は変わってかもしれん。
結局、その友達はゲームのためにFHを買い足してた。
8801VAではなく、88VAって名付けてたのは、互換性に自信がなかったのかなぁと。 >>623
まあ、コレも1つ、>>620 の言う286使ったMZ-2861にX68000の機能載せたとしても失敗だろうけど
X1turboZ系廃止し
MZ-2861のMZ-2500互換を切り離した物を素体、286-10MHzにし、拡張ボードで
・X-1系互換機能※コレは無くても良い
・MZ-2500互換機能※無くしても良い
・MZ-2861のグラフィック※ビジネス向け
・MZ-2861のサウンド※2500のサウンド兼用
・X68000該当のグラフィック(スプライト含む)コレはスレ民の要望に合わせる
例:解像度は768x512、640/320x400/200、512/336/320/256x448/224※縦448ではスプライトBG使用不可
・X68000相当のサウンド
・X68000相当のPCMボード※コチラでPCM強化、サウンドボード一体化が良い? >>624
>>625が書いたように68020採用ならMacIIより周辺分高価で15万どころではないだろう
Macと違い、互換性のない上位機種になるのだから売り上げ予想は比較にならない
NECや富士通が出してたら無理やりある程度売ったかもしれないが
88VAのIFルートになるのか?
>>627
互換性が完璧でも失敗だろうよ、互換性気にしたせいもあってVAモードの性能も微妙だったし >>620
X68000も、ターゲットは中学生~大学生くらいがターゲットだったので、68000を使ったゲーム機と変わらなかったと思う。
68000か286かは、富士通の動きから分かる様に悩ましいところだったと思う。
登場時期もあって富士通は386になったけど。
>>human68kが「DOSの様なもの」「出来損ないなDOSモドキ」なのも良くない点を考慮して、286でマイクロソフト純正のDOSとWindowsをバンドルするぐらいでも良い
当然、そういう選択肢もあったでしょうね。さすがに286ではWinは動かさないでしょうが。
X1turboの16ビット版が出来てたでしょうね。
386、486ともに高速な8086としてしか使ってないと揶揄されても、やはり高速化と互換性は正義でしたね。 >>629
>>互換性が完璧でも失敗だろうよ、互換性気にしたせいもあってVAモードの性能も微妙だったし
当時の日電王国のお遊びみたいな感じでしたしね。
PC-100、98XA・・・
売れなくても王国に揺るぎなし。
8ビット~32ビットまで圧倒的、98はほっといても売れるしね。 68EC020を載せたら部品調達もだし、回路も32ビット化するから原価でも15万ぐらいあがりそう
売値がMacと同価格帯になってしまうね
性能も値段も区別化できない後発の製品のキラーアプリがグラディウスで売れるのか? 88VAはそれなりにやる気だったのだろ
結果が失敗だっただけで・・・・・
98DOは完全に88シリーズの後始末みたいな感じだったけど
89年になっても88MCを出したりと、88シリーズにも未練はあったのだろう
もしかしたら98シリーズはオール32bit化して、16bit機を88シリーズにするみたいなことも考えてたのかもしれない
98シリーズが16bitをなかなか切れなかったのが、98シリーズの低性能・高価格イメージの一因になった
88シリーズが98の16bit機を吸収してくれればというのは考えていたかもしれない
それがVAが転けたのでパーになった 88と同じ事業部が作った16bit機がPC-100
他に9801とN5200があって事業部間の調整ができてないのが明白だった ゲームに限らずMC専用のソフトはどれだけ存在したんだろ?
MH使ってたからノーウェイト8Mhzというのには興味あったけど買うほどではなかったんで手を出さなかった >>634
PC-100とかが出た時代は、何が正解かはわからんかった時代だったからな
98シリーズが大ヒットしたのはVMシリーズ登場以降
富士通なんかもF-11や16βとか出したけどセールス的には大失敗
やっとFM-Rで何とか挽回したかな程度
結果的に98シリーズが残ったのであって、リアルタイムでは何が正解かはわからんかった >>634
PC100作ったのは京セラだろ?
販売、ホームエレクトロニクスの方だったっけ?NEC本体じゃなかった?まあその辺は俺も記憶曖昧だけど 京セラは製造
設計はNECのパソコン部隊
この頃はNECの家電部隊とパソコン部隊とオフコン部隊で
それぞれパソコン開発してた 事業部間の縄張り争いもあるけど、多様性で何が生き残るか見極める必要もあったからな
パソコンの将来性なんて当時は誰も確信をもってなかったから
色んな事やって生き残るのはどれか的なところもあったと思う
NECには88シリーズや98シリーズのような大ヒットシリーズが出たが
シャープは大ヒットシリーズが無かったので分裂してただけのような印象になってしまった デバイス部門(パソコン部門)は
「パソコンは俺たちがTK-80BSから築き上げてきたんだ!」って主張があったし
オフコン部門は
「コンピュータは俺たちの分野だ!」って主張があったし
家電部門は
「家庭用製品は俺たちの分野だ!」って主張があったし
どこも譲らなかっただけ。まぁ家電(NEC-HE)はPC-6601で降りたけど。 もはや68でもTOWNSでもないな。
こちらに誘導すべきか?
>PC-8801mkII SR以降 Part30
>https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/i4004/1675094605/ >>642
負けた理由
→X68000はどうあるべきだったか(IFルート)
→#ではどう変えてもダメ
→NECであれば? X68000が出た頃にはMZシリーズは死亡状態だったからな
シャープとしてもMZシリーズとの互換性とかは考える必要がなくなっていた どうあるべきだったか、は既に意見がいくつかあるけど共通してるのは
・プロセッサ非力すぎなんとかしろ
・スプライト非力すぎなんとかしろ
・OSクソすぎなんとかしろ
ぐらいかな?
それらを改良改善すれば本来あるべき姿になると思う
あと個人的には後発モデルが互換性に問題かかえてるのに性能変わらん(機能的には退化もあり)というのも変えなきゃダメな点だと思ってる サウンドは改良の余地なくて諦めたか?
X68000にモノラルのPCMがあるだろw >>647
OSはあんなもんじゃないか
可もなく不可もなく
マルチタスクなんてまだ重い時代だしなぁ >>648
SUPER辺りでPCMの強化ぐらいしてくれてもよかったよね~
SX-Windowの開発にかかるコストをPCM強化コストに回した方が良かった気がする
旧機種にはサウンドボードXとして販売して対応すればいい >>496
そんな事いうとパーソナルワークステーションの名が泣くぜ?
X68000はキャッチコピーは凄いけど実際は、な残念広告多すぎ まあ、あの時代はいろいろあって面白かったわ
>>1のアホさ加減には呆れるが >>650
ポリフォンとかアーケード基板(新世代ゲーム機とかでもか)でやってたように音源制御用にCPUやメモリ載せて、サウンドだけ本体とは別に動かすとかですかね? もう1年早く出てればねえ
87年になると88ユーザーの98シフトが始まってたから
遅いといっても88よりは速いだろうし >>653
ポリフォンみたいなCPUで合成やるタイプは駄目だろう
音程可変すらできない
ハードウェアレベルで多チャンネル音量音階パンポットを持つPCM音源チップを搭載しなければならない サウンド周りはチープというか、プアーというか
X68000はユーザの耳をバカにしてるのかってレベルだよね >>639
だからNEC本体かNECホームエレクトロニクスかどっちかって話してんだろ?88と同じって言うならホームエレクトロニクスの方じゃん。
その辺よく知らず言ってるんですか?そもそもPC100は設計製造共に京セラでしょ >>647
それぞれの要望にも対策に問題あるのが多くて結局ダメになる。
・CPU非力→代わりのCPUは?68020は高価になり過ぎ
・スプライト非力→SRAM増やせば無駄に高価、後々まで互換性で強化されない
結局グラフィックがCPUベッタリで非力なCPUに依存し過ぎの上
扱い易さの為にメモリ効率の悪いアクセス等
FM音源チップへの読み書きで無駄に待ち時間が発生する遅い仕様なのにメインCPUが処理するしかない >>655
PCM8みたいにCPU合成をやってるのを追加ハードでやるのはアリだと思う。
MDのZ80でもPCM4音合成するソフトも有る位なのでなあ。
音程可変は元々のPCM周波数能力と、CPU能力次第で可能。 X68000というゴミは、なにやってもゴミのまま。 >>659
CPUによる波形合成で多チャンネル化してPCMの周波数変更したら全部の音が高さ変わっちまうw
CPUで波形の音程変えるなら68040や80486級のCPUパワーが必要になる
あの時代なら素直に多チャンネル音階機能付きPCM音源チップを用意した方が効率いい X68000は対88シリーズなのどの8bit機対策
本気で16bit機、まして32bit機のライバルと殴り合うことは想定して企画されてない
対8bit機なら高速であったのだから問題無かったのだろう
88VAがズッコケたから、16bitホビーPCの時代が来れば勝者になるはずだった
想定外だったのは、そんな時代がやってこなかったことだ
8bit機は80年代末まで延命してしまい、何と32bit機が登場してしまった
初期のパソコンゲーマーも年齢が上がりゲーマーを卒業してしまった
後の世代はファミコンとかのゲーム専用機で満足してた人が多かった
気がついたらX68000は陳腐化と戦うはめに陥っていた 半端な描画機能なんてつけても結局ほとんど使われない。CPUで自由に演算・描画できたほうが良いってことになるだろうしな。
音声に関しては、8ビット程度の積和演算器とD/Aコンバータを左右1こずつつけておく程度でも
DMAでごちゃごちゃしてできたことは色々あったかもしれないけどね。 >>664
グラフィック描画に関してはAmigaに見習うべきところが沢山あるね 見習ったところで活かせる性能がないから無理でしょ
X68はVRAMデブと言うべき構成だけど非力過ぎるか >>665
描画機能についてそれほど見るような部分はないかな? まあ、Townsが出るまでは無双できたのだから良いのでは?
3年弱くらいはゲームPCの王者だったのだし
88シリーズみたく16bit機として低価格化できれば延命できたかも程度
32bit機が投入されたら、同じ価格帯で16bit機が勝てる見込みはないよ 68はアーケードゲームが家でできるのが売りだった訳だが
Townsのラインナップは微妙なのばっかだったな アーケードゲームを家でやりたいというユーザーも減少してたからな
むしろFM-Rと互換性がある方が重視された
ゲーム向きではない98が個人に売れたの見れば
もうアーケードゲームが出来るかは重要ではなくなった X68のアーケードゲームの移植は、同じタイトルだったけど同じゲームではなかった TOWNS欲しいかと言えばうーんだったな
9821買って正解でした >>662
PCMデータの合成ならそんなに負荷は無いだろう?
要は画像の拡大縮小のように引き延ばして44.1kHz等に当てはめるだけ。
それの多チャンネル合成
ADPCM→PCM&8ch合成→ADPCMを68000の10MHzで出来たんだ
PCEのサウンド、SCC、SFCのサウンドチップ、専用設計だけど中身は似たようなことしてるって事
それらのチップが専用設計とはいえそんなパワー必要なのか? >>664
それCPU能力等がグラフィックに対して十分高くなってから言えたことで、
当時のものではとてもそんな事言えないよ
グラフィックボード上で専用チップが対応するのは今でもだしねえ。 >>673
いや音階変換はめちゃめちゃ重いって
68000じゃ無理
ポリフォンだってリニアPCMだけど音階変換まではできなかった MATLABあたりつかってPCMのデータ、単純に点数増やしたり減らしたらどうなるか試してみれば解るんだがなぁ 同じ波形のまま周波数を変えるとどうなるかを体験する機会も少ないのかな? >>679
いつもの阿呆だから、相手しなくて良いよ >>668
実際に実売価格は妥当なところだったけどね。
PRO→compactと買ったけど、compactは新品でも9万でおつり来るくらいだったし。
>>669
アーケードって言っても、驚いたのはドラゴンスピリットくらいまでだったな。
やはり、フリーウェアで環境構築して、小さなプログラムを作ったりが楽しかった。
格闘ゲームがメインの世の中になってからは、ゲーム機の方がはるかに遊びやすかったし。 >>681
電波新聞社に助けられたところが大きかったな
電波が絶妙なタイミングで絶妙なタイトルを出してきてくれたお陰で68が好調な滑り出しでスタートすることができた
スペースハリアー→源平討魔伝→ドラゴンスピリット 80年代後半になるとゲーセンが減少傾向になってきてたからな
インベーダーゲームの頃は雨後の竹の子のように、そこら中にゲーセンができたが
80年代も後半になると、次第にゲーセンが次第に消えていった
うちの近所にはゲーセンは1つも無くなってしまった >>683
スト2ブームで93年頃まではゲーセン活気あったような >>683
ええっ!
格闘ゲームが全盛の頃(ストⅡ~バーチャ)はゲーセンだらけだったと思うけどなぁ。
餓狼2~specialがどうしても家でやりたくてネオジオを買ったな。
その頃は、PCいじり→X68、ゲーム全般→メガドラ、餓狼・サムスピ→ネオジオを維持してた。 大規模店舗、いわゆるアミューズメントセンターに集約化してた頃だね
店舗数ベースでは減少傾向が始まってたはず 全盛期は駄菓子屋さんの店の前にもゲーム置いてたからな アフターバーナーとかスペースハリアーの頃はゲーセン狂の有人に連れられて行ったが
その後はゲーセンになんて行かなくなったなあ
自分自身がゲーム卒業したので、PCでもゲームをあまりしなくなった
やるのも三国志と信長の野望といったシミュレーションゲームか簡単なトランプや花札ゲームばかり
だからPCは98シリーズで十分なり、その後はWindows系のパソコンは白物家電のように使ってただけ
X68000が古き良きマイコン時代の最後の華だった >688
シミュレーションゲームをやるなら68より98でしたね。
ゲーム画面での日本語が見やすかった。
当時は三国志や信長にドハマりしてたけど、それでも68を選んでしまった。
Oh!Xの読者だったからかなぁ。。。 さすがの68でも電波がアウトランの移植を断念した
ところまでが限界じゃね?
TOWNSは無理やりだが、ターボアウトランや
ギャラクシーフォースが移植されたということから見ても >>690
まぁ68はスプライトパターンRAMがタウンズの1/4しかなかったからねえ
巨大なパターンが画面を縦横無尽に動き回る疑似3D系ゲームは厳しかった >>692
その状態でタウンズの1/4やで
BG使ったら1/8とかになるw 先がなかった68000系を採用した時点でね
富士通も最初はビジネス機もホビー機もモトローラばっかり使ってたけどインテルにシフトした 80386の登場が1985年。X68000の発表が1986年。開発には年単位の時間がかかっているから、使えるとしても80286。
プロテクトモードになっても64Kの壁。それじゃ今より遥かにショボいものにしかならなかっただろうしな。
あの時点ではZ8000かMC68000しか選択肢はなかったろ。 TOWNSが惜しかったのは、テキストVRAMを
省かずにPCG兼用でBGとして使えるようにして
おかなかったことと、スプライト用のフレーム
バッファを専用にしなかったことだな。細かい点では
HSYNC検出だけで割り込みできないとかあるけど。 >>697
値段やCPU除いた構成考えると、
初代からメインCPU任せ構成でCPUが相対的に非力過ぎた意味で68000の選択は微妙だった。
グラフィック処理が重いのだから余計にね、68020を選んでも良いくらいに。
発売時期を遅らせてでも386を選ぶのもあり、87年発売で286は微妙な時期。
88年末からPCEみたいにSCSIでCD-ROM追加して事実上標準装備に、PCMも同時に強化
CD-ROMなら当時はコピー対策にもなったはず
TOWNSはもう少し発売遅らせてでもVRAM増やして作りこむべきだったと思う。 >>700
1989年にはもうテキストVRAMなんていらないと思う 未来がわかるわけでもなし。
68020を積んだMac2が80万円くらいしていたことを思えば、68020はまだまだ高価で選択できなかっだろう。
ナムコのSYSTEM22でも1990年過ぎ >>703
68000以外の68系は数が出ないから性能の割に高すぎたよな
モトローラもシェア奪うために戦略的に68EC020辺りをギリギリの価格まで下げたりしてくれたらよかったのに >>704
いつの時点の話か判らないが、90年頃ならワークステーションとかに引く手あまただったから、そこまで値下げの必要性を感じていなかったのでは? >>703
だから、CPU選択がとても難しい時代だったし、CPUを良いの使えないなら
メインCPU任せの設計からサウンド回りにサブCPUや
グラフィック周りに更なる工夫が欲しかったという事に。 >>705
ワークステーションへの出荷数なんてパソコンと比べたら少なすぎてたかが知れてる
それに90年だともう既にワークステーションはRISC系に移行してて680x0なんて使ってない >>707
68EC020はレーザープリンターに使われていた例も少なくないようだから、
相応に低価格かつ性能は有ったという事だと思う。 >>708
68EC020搭載したレーザープリンタの値段見たらぶっ飛ぶぞ X68000を開発中の当時はウインテル連合が勝者かどうかはわからんかったからな
98シリーズも絶対有利という程の成功でもなかった
皮肉にもX68000が出た年に88シリーズが次第に斜陽になり、エプソンが98互換機出したりと
初期の88シリーズのユーザーが98シフトを進めたり
富士通がFM-Rを出してインテルCPUに乗り替えたりと大きく時代が動いた
ゲームPCが急速に衰退していくのま想定外だった
X68000は出てくるタイミングが悪かったね
もう1年早く出てるか、もう1年遅く大勢がわった時に開発してたら話が変わったかもしれない >>706
サブCPUにグラフィックやらせようとすると、予め決めた機能だけしか使えないってなるから、使いにくいでしょ。
直線とか円とか書けるだけじゃ話にならないし、細々したことをやりだすとCPU間の通信だらけになってパフォーマンス出せない。
ゲームなんかはグラフィック用CPUで動かさないと難しいってことになって、メイン側と同じくらいのCPUは欲しい、メモリ容量も同じくらい欲しいってなって、結局2台分あるけど、使ってるのはグラフィック側だけってことになりそう。 結局1987年頃の16bitCPUの現実的な選択肢は80286、68000、Z8000くらい。
X68000が高価だったといわれるけどEPSONのPC-286でも35万円だから、16ビットパソコンとしてはごく普通の価格だったんよね。 >>711
サブCPUこそ「予め決めた機能だけしか使えない」事はない
何を言ってるのかな?
ブロック転送他時間のかかる処理や割り込みの対応を分担する等に使える。 PC-286シリーズはX68kと同じ価格帯だったけど性能は一枚も二枚も上手 当時は98シリーズは高価だったからな
X68000の価格は高くはなかった
ただ、世の中の進歩が早すぎて陳腐化していった >>713
そのためにはサブCPUにも別のプログラムをダウンロードして動かさないといけないし、大きなメモリ領域を共有するユニファイドメモリになる。キャッシュメモリを持たないMC68000では相手が動いている間、バスの空き待ちで停止するしかないから、結局システムバスがボトルネックになる。
ハードウェアコストも跳ね上がる割には効果は薄い。
密結合マルチプロセッサはキャッシュがあればこそのものよ。 >>714
リアルモードでは相変わらず1Mbyteの壁や64kの壁があったし、プロテクトモードに入っても64kの壁で泣かされるし、プロテクトモードからリアルモードに復帰するのに自分自身をリセットするしかないというのに泣かされたけどね。
コードやデータが64k以内でおさまるような比較的小さいプログラムを動かすのには便利だったし、Minixなんかもそれをうまく使ってたけど。
ただ、それ以上のデーターやコードになると煩雑で鬱陶しかったわ。
386になってやっとスッキリしたと思ったら、やたらと豪勢な仮想記憶機構。
そこまでしてセグメントレジスタにこだわるのはなぜ??と思ったな。 >>717
FM-7なんかは共有メモリ部分が少なすぎたけどそれに近い形にする
VDP向うにVRAMが有るマシンのようにメモリ空間切り離すとか
表示の為のメモリ読み込みがCPUを止めない様必要時以外はバンクの向こうとか方法はある
オマエの考えた構成だったらそうなると言うだけ。 >>719
例えに出したのがFM-7とはw
6809は同期バスでEクロックの半周期をCPUとDMAで分割できたけど
そのせいでCPUは高速化できないしDMA側からのタイミング依存になりがちなシステムになってしまう
FM-7のサブCPUが画面表示用クロック依存で68B09本来の2MHzで動かせていないのはこの為
68000〜68030は非同期バスなのでDMA中はCPUを止める以外に方法が無い
解決策はデュアルポートメモリを使う事だけど容量も少なく値段も高い
現実のX68000でも画面廻りでデュアルポートメモリを使ってるので
貴方は何の解決策も提示できていない >>715
あれ?と思ったが調べてみたら88年のRA5とか定価で73万だったのか。(SASI-HDD40MB内蔵でサウンド無し) 富士通はいつの間にかインテルにしていた
シャープはなぜ・・・ >>722
開発した時期の違いや先行者(68)の動向を見た結果では?>タウンズ
タウンズが仮に86年の設計で80186+640KBRAM+スプライト無し+CDROM無し+YM2203というどこぞのUV21みたいなの出されても売れたとは思えない。 >>722
MZ-5500とかMZ-2861のことも思い出してください。ついでにAX286とかAX386とか テキストVRAMは要らないけど、DOSベースならグラフィックとテキストを重ねる機能はあると便利というか、必須
そういう意味ではX68は正しい判断したけどプロセッサが非力すぎだった プロセッサは、選択が難しかったと言う人もいるけど68000単発はねーわな
支援ハードがないのはマジでゴミ 80年代前半位まではパソコンは高価な玩具だったけど
80年代後半になるとOA機器化していったからな
98シリーズもVMシリーズより前はヒット作とは言えない状態
OA機器化してくるとシャープの専門外だからね
NECや富士通のような専門企業には勝てなくなる >>726
あの当時レベルの支援ハードっても、
円や直線が描けたって嬉しくないべさ
だからスプライトやBGがあったんだし、高速クリアもあった。
外部の映像信号とのスーパーインポーズとか半透明機構なんかもあってなかなか面白かったわ。
しかし、グラディウス3なんてよくもあそこまで移植したもんだと思うわ。しかも個人で。 >>729
Amigaのビット単位DMAは天才的アイデア
高速クリアは表示領域しかクリアできないのであまり意味がない >>730
まあ、X68000でもグラフィック画面の1ドット単位でDMAはできたけどもね。テーブルのリンクもできたから、円形とか異形領域の転送とかも可能でそれなりに楽しかった。
当時からしたら今のローエンドでさえ化け物みたいな性能だよなあ。
テキトーに書いたプラグラムでOS通して遠回りしてもそれなりに動いちゃうんで、どんどん横着になってる自分がいる。 >>731
ラスターコピーはテキストVRAM
グラフィックVRAMにはハードウェアによる高速画面クリア機能があるんだよ
1フレーム分の時間がかかるし表示部分しかクリアできないのであまり使い道がなかった >>732
あの頃パソコンの黎明期だったのに、35年も経って未だに性能で最新機種に負けてない!とかそんなのは嫌だw グラフィック周り、サウンド周りのサブCPUと、
そいつらがメインの68000と独立で動ける位の魔改造すればまぁまぁになるだろ
アーケード基板にメモリー足してFDDつけて・・・の用な機械になるけど 性能が悪い、コスパが悪い、メーカのサポートが悪い、ニーズに合ってない、イメージが最悪と
他にも悪いところだらけのX68000がTOWNSに勝てるわけがない そう言えばタウンズの売り場がX68000の売り場よりも広かった覚えが無い(ソフト含む)んだけど、教育を除いた市場で売れたの? Macは優越感まるだしの上から目線のイメージ
X68は敵がい心丸出しで攻撃的なイメージ X68kユーザは負け犬がキャンキャン吠えてるそのままだなw 386ではプロテクトモードでもリング0でベース0、リミットMaxのディスクリプタテーブル作って好きにやってたけど、8086を引きずりすぎててなあ。
レジスタくらいケチケチしないでたくさん用意しろよ、32bitだろ!と言いたかった。 >>741
そんなに卑屈になる程、劣等感持っていたんだね
それで、あんな風にみすぼらしいスレを乱立ささたのか
可哀想に
春がきたら少しはいいことがあるといいね 68000はアセンブラでプログラム組むのには悪くなかったけどコンパイラが吐いたコード見るとレジスタの使い方は酷いものだった
開いてるレジスタを取り敢えず割り当てていくような、スコープやライフサイクルを無視しまくりの使い回ししてた
コンパイラの最適化技法がまだまだ発展途上だった時代だから仕方ないと言えばそれまでだけど80x86のコンパイラはレジスタが少ないからか、レジスタの使い回しは68kと比べればまだ良かった
コンパイルオプションで最適化を有効にするとトリッキーなコード吐いて変なバクを起こしてくれたりしたけど >>737
個人向けの販売台数は68よりかなり少ない
TOWNSが68ほど認知されてないのはそれが理由 >>745
MS-Cとか、式がちょっと複雑になると途中でコード生成をサボってくれるというトンデモコンパイラだったりしたよね。
あと、ビットフィールドが正しくコンパイルできる製品も少なかった。 >>747
TOWNSはF6680互換エミュレータ端末を動かすためだけに存在していた機種
現実を見ろよw X68kは不正コピーするためだけに使われてたw
現実を見ろよw X68が15万台売れた説を採用して、その全てが個人ユーザに売れたとしても
TOWNSが非個人ユーザに30万台うって個人向けの台数がやっと同じぐらいになる
学校だけじゃなく、図書館などの行政絡みの組織でもTOWNSが広く使われて、一般企業にもそれなりに売れてるようだったらX68のほうが個人向けに売れた世界があり得たかもしれないねぇ 当時、X68K2台(PRO→Compact)、TOWNS1台(486機)買いました。
全くの同時ではなく、1年半くらいに買い替え・買い足ししてた。
世代が全く違う印象。030でグレーTOWNSと比較になる感じ。 >>752
PROとCompactしか持ってないのに何故か030の体感が解る不思議 X68に移植されたgccのコードも効率なにそれと言わんばかりに酷かった TOWNSで現在活動してるユーザーがすくないのがなw >>753
不思議?そう?
雑誌や店頭で、030と386、040と486って比較したりはしなかった?
確かに自分はX68030ユーザーではなかったけど、PROもCompactも製品が現役の時代に
買ったので、X68030ユーザーの友達もおったし、触れる環境も色々あったよ。
まぁ、Compactのように四六時中触ってたわけではないから、ユーザーほどは分からんかもしれんけど。
ところで、あなたはX68030ユーザーさんだったのですか? 68ユーザーだったが初の486SX搭載PC9801FA買っちゃったなあ。正直中古のDAで良かったと思う >>754
MC68000向けのものが既にあって、
X68000のツールチェーンにつながるようにしただけだから、吐いたコードが気に入らないなら、それはその当時のMC68000向けのgccがその程度だったってことでしょ。
まあ、gccは386向けでも最適化についてはなかなか向上しなかったけどね。
IntelのPL/M386の最適化は結構頑張ってたな、そういえば。 >>756
現在は無印1 ACE1 EXPERT2 SUPER2 030 1の7台持ち
TOWNSは今は無いが当時CX買った
98ももう無いが何台か買ったな >>760
色々持ってまんなぁ(笑)。
X68030は、当時物ですか?
シャープのショールームに展示品処分ってのがあって16万くらいだった。
15万に負けてよって交渉したが却下され、それ以降縁無しですわ。
今は、当時物のCompact1台のみです。クロックアップ改造失敗以来不安定です。
今なら030Compactは、ちょっと欲しいかな。
TOWNSは、当時物のFreshがあります。35万くらいだったか。
486DX2、36MBメモリ、540MBHDD、LANカード、ビデオカード、高速232C、Win95と色々追加しました。 98FAはシリーズのターニングポイントだったね
FAの時に9821MATEみたいな機種を出せてたらなあ
あのFシリーズで98は高くて低性能イメージが付いてしまった >>762
いつだろう?結構出てすぐだったよ
定価47万とかなのに秋葉原で30万くらいで売ってて
当時学生アルバイトだったけどローンで買った。バブル崩壊してたのにまだバブリーだったなあ >>764
おお、そうだったのか。
もうちょっと待てば値段が下がっ…いや、底値のを買った直後にA-MATE発売の報に崩れ落ちるよりもマシか? 93年頃の国内は98かTownsでWindows3.1 「X68」っていう珍しい表記をしてくれるから、あたおかの判別が捗る X68kはなんで性能据え置きに拘ったのかな
シャープに改良する技術なかったのかな バカ売れすれば別だけど、新規開発費がかかり過ぎたから5年かけて利益確保を狙ったんだろ X68の存在感があったのなんて発売されてた直後ぐらいだろ。
せいぜい1987年の夏のボーナスシーズンぐらいまで。
秋にはもう98に巻き返されてたw その辺りは多分OH!X読んでると大分感覚が麻痺すると思う。というかほかの機種がどうとか余り気にならなかったわ。 98シリーズが個人相手にも売れたのはNECにとっても想定外
個人相手に売れて欲しかったのが88VA
成功はしたけどNECもユーザーの動向が読みきれなかった 68のローン終わって68030買う気はしなかった
386の98しか選択肢無かった
タウンズ?知らない子ですね >>773
願望は兎も角、88VAが売れると本気で思ってたなら頭おかしいと当時でも思っただろうな
あれだけ中身別物でも88互換出来ている事だけは凄いが
そのためだろう色々残念過ぎる事に。 >>775
本気で売れると思ってみたいだぞ
何ならFM-TOWNSもPC-8801MCで余裕で打ち任せると思ってたそうだ
ソフトウェア資産こそが正義という過剰なまでの過信があったんだろう
ビジネスソフトならまだしもゲームソフトにおいては年々見た目が進化していく中で古いショボいゲームなど大した魅力もないということに気付かなかったようだ ゲームソフトなんて1年もすれば忘れ去られる
ソフト資産としてはイマイチなんだよな 98DOなんて機種出したとこみれば、88シリーズのソフト資産を過大評価してたのは事実だろう
実際には98DO及びDO+は売れなかった
シャープも陳腐化したX68000に拘ったのは、古いゲームソフトの価値を過大評価してたから MC68000ファミリーは完全な下位互換性がないのも痛いわな。
PowerPC使ったのが計画されてて試作機もできてたけど、日の目を見ることなく終わったらしいね。 NECは88VAは売れると思ってなかっただろうし、8801MCも売れればラッキーぐらいにしか考えてなかっただろうな。
8801FAの時点ですら社員向けの売店で9800円大特価セールなんてやって在庫処分してたぐらいだから売れなくなってたのは分かりきってたからね。 インテルのパラノイアじみた互換性維持も、286から386での複雑化を見れば良いとこばかりでは無いのは明らかだけど
複雑化するというデメリットよりも互換性が維持されてるメリットのほうがおおきかった
だからx86は生き残り、68kは滅んだ 88ブランドを何とか残したいと考えてはいたのでは?
シャープもX1以来のXシリーズブランドを何とか残したかったから32bit時代でも続けていた
仮にVAシリーズがヒットしてたら、おそらく98シリーズの後の展開も変わっただろう
16bitは88シリーズ、32bitは98シリーズのような棲み分けも検討されただろう
ただ、初期の88ユーザーはVAよりも98シリーズを購入する方に動いた
87年頃だと8bit時代が終わりが近いことは予期してただろうが、88シリーズまで終わりにするかは判断がついてなかったと思う
88シリーズ買換層は98シリーズを選んで大勢が決した >>778
結局の所、この手の2in1で成功した物はほとんどない、
98DOの頃でも88中古と98を別で持っている方がマシと言われた位。
88と98ではサウンドボード他互換性が薄いのもあるしねえ。 >>782
結局88で出してたソフトが98でも出るようになって緩やかに移行した所がでかいのでは?
サウンド以外はほぼ完全上位互換能力が有るし
Fは8bitは6809で粘り過ぎ、一気に386へ
#は68kで小成功に留まった、MZ他x86系への移行は大失敗。 >>784
メビウスというノートパソコンがあったような >>785
あれはMSXでそれなりに売れてたソニーがVAIOで再参入並みに断絶してるから…。 富士通の16bit機は16βとかな?
いつの間にかFM-Rに転換していたな
一般人は買わないシロモノ
98シリーズもそんな感じだったのだが、
エプソンが98互換機出したり手を出しやすい環境ができてきた >>782
88はTK-80の流れの中にあったしな
PC-100のこともたまには思い出してあげてください。 PC-100の縦型モニターがなあ
98との差別化で敢えてなんだろうけど、あれでキワモノ扱いになってしまった
普通のモニターだったら、もしかしたらPC-100の方が生き残ったかも
98シリーズもVMが出るまでは試行錯誤で大人気でもなかった
シャープもMZとXシリーズのどっちが生き残るか実験してたと思う
当時は各メーター試行錯誤でメーカーも市場がどう動くか確信できてなかった 縦横モニターはオフコンやWSでは普通に使われてた
PCにんな需要があるかは知らんが どうなんだろ?
ワープロ専用機も縦長モニターにはならんかったからな
ノートPCなんかもそうだし
まあ、スマホは縦長だから現在は受け入れられるかもしれない・・・・
カーナビは一時縦長モニターが出現したが、また最近は元に戻ったりと
スマホをカーナビに使う人が増えたから広まるとおもいきや
結局は従来通りのものに戻されるケースも出ている 版下組むDTPは縦モニター使われてたで
新聞社とかで あの頃の縦モニターというと、MacintoshII用か何かの白黒モニターしか思い付かない。 Altoは縦画面やったぞ
wiki.squeak.org/squeak/uploads/Smalltalk-76.png X68000やTownsが縦長モニターで売れたと思うか? SX-WindowやTownsOS自体に需要が無い 有人のX1turboユーザーはX68000には興味持ってなかった
少なからずいたX1系のユーザーが離反してしまったのも痛かった
88ユーザーの大半が98及び互換機に移行したのとは大違い
MZ-80系ユーザーやX1系のユーザーを取り込めなかったのもマイナー機転落の要因では? 当時ソフト数が88SRとX1turboでは段違いだったから皆98に行ってしまったのよ。
X68はホビーユースでアーケードゲームをやりたい層を取り込んだけれども、PCエンジンやメガドライブ、スーパーファミコンで性能が追いつき、価格勝負になったら苦しいよ。
X68がビジネスや教育で使えるキラーソフトが無かったのが敗因だろうな >>799
当時、X1ユーザーでしたが、くやしい想いと反感もありましたね。
turboZを出しておきながら、なんで、、、と。
Z80とHu-BASICを、いきなり捨てるんだもんなあ。 旧MZユーザーはどこに流たのだろ?
数的には結構いたんだけど・・・
MZ-80BやMZ-80C/K、MZ-2000/2200、MZ-700ユーザーはかなりいたはず 70年代末~80年代初頭のMZユーザーは80年代後半には買い換えを考えたかな
年齢も上がっているのでゲーマーは卒業
会社や学校で98使ってるから、自分のパソコンも98や互換機を選ぶというパターンかな
88ユーザーも同じ感じだろうな
80年代前半の88ユーザーは買い換え時にはVAは買わずに98か互換機という流れ 性能が初代と変わらないしない方がましだったモデルチェンジ繰り返して改悪してたら勝てるわけがない 8ビットからX68kに乗り換えたユーザはFM7から乗り換えが多いと何処かできいたぞ FM-7登場が82年秋頃だから、買い替えユーザーが出る頃にX68000が出た
FM-Rは個人で買うのはちょっとなあ
そういうユーザーが流れた可能性はある
モトローラ繋がりでもある やっぱ32bit機が出てからX68000の魅力は色褪せた >>802
MZ700、X1turboZ、X68000ACE、PC98シリーズにいったな
今思えばPC88シリーズからPC98シリーズにいけば良かった TOWNSで富士通は裏切り者とか言ってるアタマオカシイのがX68kユーザになったよ シャープは先を見誤ってX68kは失敗して会社も終わった
富士通はモトローラからインテルに乗り換え成功を収めた シャープとしは88SR以降のような安定感を演出したかったのだろう
ソフトが長期間安定して出て、古い機種が切り捨てられることがないといった安心感の演出
新機種が出るたびに旧機種が切り捨てられると、ユーザーが購入を躊躇うから
98シリーズも長くVM以降の機種は新ソフトの恩恵を受けていた
その結果、98シリーズも性能面で停滞していく傾向に陥っていった
X68000はマイナー機種のまま終わったので、安心感というより孤立感の方が強まったがな お前ら当時の機種変更の速さ、異常さを思い出せよ
変わらない正義があって良いと思ったぞ 88はFH/MHで高速化、FA/MAでサウンドの大幅強化とセールス的にアピールするポイントがあったし
98はCPU性能が向上してた
それでも互換性はあったので「変わってる」けど「変わってない」
X68000は機能の向上も性能向上もなく「変わってない」から「変わってない」だった
そこに正義はないね 性能向上は無かったけど、コストダウンはされてる。
マイナーチェンジ後の 旧製品の在庫処分とかなら 割安に購入できた。 >>815
X68kの事なら88SR以降のように強化する事に失敗しただけだろう?
設計からして互換性を維持したままの強化しにくいものだったので
初代機を作った時点でソレが限界だったという事
CPUの選択から88のように後にクロックをアップさせる事など 進歩激しかった80年代後半のパソコンで「性能の変わりませんが、安くなりました」の新品や
「性能同じ後継機出たから安くします」の新古品が消費者の購買意欲を刺激するかね? 10秒で行う処理を9秒で終わられると困る
というのは当時感じていたな >マスコミは、ずっとMSXを任天堂のファミコンと比べて、
>「失敗したゲーム機」というレッテルを貼り続けた おそらくCPUの選択を誤ったのが問題だったのだろう
CPUの性能向上しないと、機能強化が大幅に制限されるから
特にスピードアップに関しては絶望的になる
32bit化にも取り残されたし
結局はモトローラを選んだ時点で終わってたということになる 68000はV30とほぼ同じ性能でメモリ空間が広いし、286よりプログラムしやすい分有利と見たんだろうけどその先を見れなかったのがシャープの落ち度 それはAppleに言ってみたらいいんでない?
あの時点では68000以外の選択肢は無かったしね。
32bit化はPowerPC版があったけど、既にホビーPC市場は無くなってたからねえ。
社内的にもテレビ屋がいつまでもパソコンなんてやってんじゃねえ!ってことになっていくのは必然だったし。 Appleは86年に初めて68000を載せたパソコンを出したわけじゃないんだが?
シャープが86年という、Appleの周回遅れの時期に68000選んだのは明らかに選択ミス >>828
結果論に走ってるんだから、Appleが選択し続けていたことも間違いってことになるわな。
あの時点で64kの壁を突破できない80286という選択肢はなかったろうし、Z8000はなおあり得なかったし、価格帯的にも68020は難しかったわな。
金に糸目はつけないというならまだしも、あの時点での16bitパソコンとしてはPC-9801並みの価格帯。そうでなくてもゲートアレイだらけで開発費がかさむのに、CPUにそこまで贅沢できないからなあ。
結局あの時点の企画では、68000以外の選択肢は無かったわな。 >>829
MZ-2861見ると80286でも問題ないと思うけどな
512KBの広大なVRAMと768KBの広大なメインメモリを持っていた
それでいてCPUの速度は68000の2倍 AppleはPowerPCに移行した
シャープは出来なかった
それだけのこと まぁPower PCに移行する程の資産も無かったんかな… シャープでもPowerPC版の試作機はあったみたいね。
あの当時にも関わらずビデオ編集までできるようなものだったとか。
ただ、Appleみたいな強気な価格設定ができるようなものではないし、時代的にもパソコンにそういうものを求める時代じゃなくなってたしね。
TOWNSも結局そういう時代の流れの中で消え去ったんで、賢明な判断だったかな。 セグメントの64k制限は障壁になるか?
この板にはユーザはアセンブラだけしか使えないって暗黙の前提でもあるのか?
86年、87年で新規開発なら286は68000より有望視されるだろ 1985年なら80286より68000の方がいいわ
UNIXとも親和性が高かったし、メモリも広いなどメリットが多かったわ
インテルが明らかに化けたのは486で1991年以降やで >>835
メモリ空間は80286も68000もどっちも16MBで同じだよ 68010や68020ならともかく、85年の時点で68000はなぁ >>836
80386以降なら納得できるが、80286はプロテクトモードでもセグメントの壁があるから使いにくい。 公正取引委員会、AppleとGoogleのアプリストアに公正な競争不十分と指摘
https://iphone-mania.jp/news-523421/ X68はモデルチェンジしても性能も機能も変わらない
のがよくなかった。
少なくともEXPERTの時点でCPUクロックアップ、
XVIには020を搭載すべきだった。
TOWNSも同じ愚を犯しかけたけど、HRで486を採用
してからは、吹っ切ったからね 85年で68010なら納得できるけど、68000はないよ >>837
AmigaもAtariSTも85年でMC68000だったようだけど? 68020なら変えなくても5年通用したけどね
クロックも33MHz品まで製造されてたし >>836
80286はプロテクトモードに入ってもインデックスは16ビットだから、64kの壁を越えるにはセグメントレジスタの切り替えが必要で、リニアに64k以上の空間を扱うのはリアルモードと同じように面倒だったんよ。
しかもプロテクトモードに入るとリアルモードに戻るのは自分自身をリセットするしかない。
386になってようやく64Kの壁を越えられた。 >>842
68010は性能比で10%程度しか変わらないし、MMUはろくでもないし、そのわりに高いしで不人気だったからねえ。
68020でようやくまともになった。 まあ、五年後にはX1からX68000になったようなジャンプをするつもりだったんだろう。
それがPowerPC版で、試作までは完成していてソフトの作成も進んでいたらしいね。
まあ、TOWNSしかり、PC-9801しかりでドメスティックPCに未来はなかったろうけど。 X68000の設計始めたころには68020も出てた筈だしな >>846
いうほど困らんけどな
どうせスプライトRAM32KBしかないし
ゲームだと一つ一つのデータは64KB以内だったりするし >>849
まあMacintoshIIが60万円位らしいから、X68020 だったとしたら本体のみで70万位になってたのかな? パソコンがDOS/V系統ばかりになり面白くなくなった >>851
1987年のMC68000 10MHz品の単価が8000円ぐらい
同時期のMC68020 12.5MHz品の単価が5万円ぐらいかな
32ビットバスと高速なメインメモリでどのぐらいコスト増になるか
まぁMC68020は少量ながらCPUキャッシュを搭載してるので遅いメモリでもそこそこ性能を発揮はできるけどね >>848
PowerPCは68030、40からの移植を考えて作っていたからハードとして試作機は難しくないでしょ
それよりホビーPCを欲しがるユーザーが98とDOS/Vとの低価格競争、ペンティアムCPU登場など、価格が高く遅い独自PCじゃ見向きもされない時期になっていたからな >>854
PowerPCで動くホビーパソコンて、ピピン@的な感じかな? XVIで020載せて32ビット化して、お値段爆上がりして売れなくて性能を惜しまれつつ終わる、
ぐらいが丁度良かったんじゃないかな >>853
ビデオ用メモリとかも12MHz対応版とかが必要とかで本体価格は値上がりしそう。 ただでさえVRAMが足を引っ張ってたが、早いメモリに変えたぐらいで改善されるか? >>858
VRAMが足引っ張ってたのはX68030になってから
VRAMは32ビット接続化もされなかったしな… X68000は5年間継続して終わりでよかった
FM-77やX1turboも5年程で終了したんだし
88SR以降はそんなもんだ
X68030は蛇足で出す必要がなかった >>855
あの当時で動画編集までできるものだったというから、かなりのものだったと思うわ。
ただ、価格はX68000の2倍くらいになってしまいそうだったとかいうから、安くても60万円とか70万円とかになったのではないかな? >>861
OSとかソフトウェアはどうなってたんだろ
全て1から作ってたら莫大な費用と時間が必要な気がするがそんな予算あったのかな マスコミは、ずっとMSXを任天堂の
ファミコンと比べて、
「失敗したゲーム機」という
レッテルを貼り続けた >>862
UNIX系なら移植は難しくないがライセンス料がね X68kは最初から和製Macとして相応の機能と性能をそれに見合った値段で売り出してれば続いたかもな シャープのテレビ事業部で続けるのには無理があった
規格を開放してMSXのようにしたらあるいわ・・・ >MSXは、結局、パソコンの規格統一を実現することはできなかったし、
>「一家に一台」のパソコンにすることもできなかったのだから、
>当初の目的を達成することには「失敗」したと言うしかないんだろう X68kの規格というか仕様を公開したら半年後には格安の中華製コピーが出回ってたな もう32bit機が出てきてるのに、同じくらいの価格の16bit機は売れなくなって当然
8bit機末期並の低価格ならゲーマー層が買ったかもしれないが・・
性能アップとコストダウン両方で手詰まりだった
それでも一定の購入者がいたのは驚異的 68000って32ビットだろ?
モトローラは16にしていたが
インテルだと32になる仕様だと思ったぞ データバス幅が16bitだから
mc68000はシンプルでいいね >>872
書籍は見てないから訊くけど、それには仕様や規格化できるほどの情報は呈示されてたの?
されてたなら香港マフィアでも金に成らない機械だと思ってたって事になるよ マスコミは、ずっとMSXを任天堂の
ファミコンと比べて、 >>875
あったからこそエミュレーターも作れたんだろ。 >>873
Intelで言えば386SXみたいなものか。 >>880
68000はALUが16ビットだが
80386SXは32ビットALU 個人的にはMSXのグラディウスとかF1スピリッツは面白かったな
同級生のMSXで部室で遊んでたのを思い出す マスコミは、ずっとMSXを任天堂の
ファミコンと比べて、「失敗したゲーム機」という
レッテルを貼り続けた しかし韓国ではZemmixとして国民的ゲーム機になった マスコミは、ずっとMSXを任天堂のファミコンと
比べて、「失敗したゲーム機」というレッテルを貼り続けた マスコミは、ずっとMSXを任天堂のファミコンと
比べて、「失敗したゲーム機」という
レッテルを貼り続けた いやあ、僕はそもそもゲームが
好きじゃありません。
なぜなら楽しくないから。 >>886
エミュレーターが作れるような仕様はわかっていたんだからどこかで互換品を作ろうと思えば作れたさ。
作っても売れなかったろうけど。 X68000のハードだけコピーしてもキラーアプリがないから売れないね そのまま動く回路図を公開しない
トラップ仕掛けるのは常識 X68000独自のカスタムチップ回路図ロジックも公開されてるの? 互換機が出たIBMや98
回路図公開されてもコピー品すらでてこなかったX68k
この違いは草 マスコミは、ずっとMSXを任天堂のファミコンと
比べて、「失敗したゲーム機」というレ
ッテルを貼り続けた >>895
x68000はPCや98と違って回路図をコピーしても同じものは作れないからね。
てか、その程度のことも知らないの? X68000の回路図コピーしたらもっと良いものができちゃうんだろ
俺は詳しいんだ マスコミは、ずっとMSXを任天堂のファミコン
と比べて、「失敗したゲーム機」というレッテルを貼り続けた MSXが失敗したゲーム機なら
X68000はどうなるんだ? 比べて、「失敗したゲーム機」というレッテルを貼り続けた MSXは安価なパソコンだった
X68000は高価なゲーム機だった スレ違いなコピペを延々とスレをまたいで貼り続けるアンチMSXに狂気を感じる
隔離病棟から出しちゃダメな人な予感 >>90
誰かに相手をしてもらえるのがこんな場所だけなんだろう。
画面向かってぶつぶつ言ってるタイプの人かもね。 Windowsあったから今でも98スレが盛り上がる 98シリーズに16bit機がラインアップされてたのさのは91年に販売されてたDXまで
91年にはX68000も販売開始から5年目だから、ここで終了で良かった
ユーザーとは約束は守り、シリーズとして5年継続は立派 コンと比べて、「失敗したゲーム機」というレッテルを貼り続けた X68000の不幸はゲームPCに8bit時代ほどの市場の広がりがなかったことかな
8bit時代は88シリーズ、X1/turbo、F-7/77が市場にあり、それなりの大きさがあったから
16bit機は88VAが転けて、富士通は32bit機まで機種を投入せず
市場そのものが縮小して魅力あるソフトも出なくなってしまった
もう少し市場自体が広がれば活路もあったかもね マスコミは、
ずっとMSXを任天堂のファミコンと比べて、
「失敗したゲーム機」というレッテル
を貼り続けた いやあ、僕はそもそもゲームが好きじゃありません。
なぜなら楽しくないから。 最初に98版がでてそれなりに売れて、グラフィックやサウンドが強化されたTOWNS番がでてそこそこ売れて、暫くおいてから68k版がでるがTOWNS版からは明らかに見劣りする上に68kユーザそのものが少なくて売れない
そんなんじゃ市場が育つわけがない ソフトだしても98やTOWNSのように数はでないから最初からX68000版を出さないメーカーもあった
X68000に市場価値がないと見ていたメーカーは少なくなかった マスコミは、ずっと
MSXを任天堂の
ファミコンと
比べて、 「失敗したゲーム機」
という
レッテルを貼り続けた DOS時代ならソフトメーカーは98相手にしてれば商売になっていた
しかしバブル崩壊とWindowsが重なって対応しきれずに消えていったメーカーも多い X68000はTOWNSの個人向けより売れてたんでしょ?
なんでX68000は負けてるの? マスコミは、ずっと
MSXを任天堂の
ファミコンと比べ 「失敗したゲーム機」
というレッテルを貼り続け
た >>925
そうなの?普通にタウンズの方が使い道多いから個人向けも結構売れたでしょ?ゲームもできるし仕事もできるタウンズとゲームしかできないX68000 と、どっちを選ぶ?個人ユーザーの方がコスパにはシビアだよ
それプラス、教育機関等にそこそこ売れたのがタウンズ
X68000ってどう言う層が買ったんだ?人物像が全く浮かんでこないよ ミコンと比べて
、「失敗したゲーム機」とい
うレッテルを貼り続けた >>925
X68000の方が売れてなかったからに決まってるじゃないか マスコミは、ずっとMSXを任天堂のファミコンと比べて
、「失敗したゲーム機」と
いうレッテルを貼り続けた >>929
マニアックな層は既にDOSなパソコンは持っていたからね。
当時はまだWindows 3.1もない時代でDOSのCコンパイラではラージモデルでも1Mbyteまでしか扱えないし、アクセス方法もいちいちセグメントレジスタを更新する有様。レジスタも少なくて色付けされてるし。それに比べると、68000はずっと綺麗で扱いやすくて、憧れみたいなものもあったかな?
ゲームなんかも目を惹いたしね。
だから、出た時にはマニアックなユーザーは飛びついたでしょ。Townsが出たときにはすでにマニアックな方々の多くがX68000を持っていたのではないかな。
TownsはFM-Rをベースにせざるを得なかったのかなあ?とりあえずDMAでスプライトデータをフレームバッファに転送することでスプライト機能は実現したけど、256x256画面限定だし、1フレームで転送できる数に制限が出るからBG画面みたいに画面全体に敷き詰めることはできないし、多重スクロールみたいなこともベースのアーキテクチャの想定外だったから対応できないし。
二年足らずで後追いリリースするには仕方なかったんだろうけどね。 >>930
FM-OASYS機として10年間大活躍しましたよ
一太郎もロータス1-2-3も使ってた マスコミは、ずっとMSXを任天堂のフ
ァミコンと比べて
、「失敗したゲーム機」と
いうレッテルを貼り続けた 同じテキストだと規制に引っかかるから
改行位置変えてるのか >>936
DOSマシンは、テキストを扱う小さなプログラムを
バッチで実行するようなアプリが主力だったから
ゲームのようなVRAMにガリガリアクセスするような
構成はあまり考慮してなかったんだろうし、単純な
図形描画はハードウェア描画をさせる思想だったのだろう
PC-98のGCとかね
X68000は、ゲーム機の構成をよく研究してグラフィック
機能を実装していたけど、流石に全部CPUに描画させる
のは無理だったんじゃないの?って感じ
FM-7みたいにサブシステムにしてれば強力なマシンに
なってただろうけど、コストも半端なかっただろう。
TOWNSは、ゲーム機のグラフィック構成を知らない奴が、
FM77AVの延長で設計したに違いない。
スプライトは、CRIから注文がついて後から機能追加した
から、中途半端な実装になったのは有名な話。
まあ、フレームバッファ式は間違いではなかったけど、
VRAMとは別に専用フレームバッファを持つべきだったよね >>941
X68000のパックドピクセルは大量の書き換えが必要な時に重いよな
MSX2みたいに隙間を詰めたパックドピクセルにすればよかったのに
そんで1ドット書き換えたい時のためにビットマスク機能でも搭載しておけばいい マスコミは、ずっとMS
Xを任天堂のファミコンと比べて、 「失敗したゲーム機」
というレッテルを貼
り続けた >>941
アンカーがおかしいので、何処に言ってるのか不明だが
マスク機能を付けるとマスクする為のI/O操作とVRAMのRead Modify Writeが発生するので却って遅くなる
1ドット書き換えなら常に上書きできる今の方法で良い
X68030ならキャッシュ上のプログラムを実行しながらDMAで画面書き換えできるので
将来性を考えた設計をX68000時代にしたのだと思う
68000ではキャッシュが無かったのでその方法が使えなかったのが残念だった >>944
でもさゲームとかでよく利用されるのは256色モードじゃん?
そうすると隙間を詰めても1ドット1バイトだからマスクとかの操作は要らないわけよ
それでいてmovemとか使えばまとめて大量に書き換えられる
この辺はMSX2をお手本にして欲しかったな >>945
奇数アドレスから始まる転送はどうすんの?
68000じゃアドレスエラーになっちゃうよ
2バイト置きしか書き換えらんないじゃん >>946
奇数のとこはmove.bで書き換えればいい >>947
movem.lを大量に並べて高速に転送したいんだろ?
結局貴方の方法だと場合分けする前処理が必要になって高速にならないんじゃないのか? X68kでDMAつかうのとmove.b並べるなりループなりで1バイトづつ転送するのとどっちがマシだろ >>950
DMAは命令フェッチやデコードが要らないからね。 > いやあ、僕はそもそもゲームが好きじゃありません。 CPUだと1ロングワード転送に22クロックかかるけどね。 マスコミは、ずっとMSXを任天堂のフ
ァミコンと比べて、「失敗したゲーム機」と
いうレッテルを貼り続けた DMAでロングワード転送ってCPUからバス奪って、読み込みアドレス吐いて、リードして、書き込みアドレス吐いて、ライトして、バス開放して、を4回繰り返すなら消費するクロック数は対して変わらないような気がする
X68kのDMAがワード転送、ロングワード転送に対応してたらすまん >>958
X68000に採用されたHD68450は
バイト、ワード、ロングワード転送に対応しているね。
CPUに毎回バスを返さないバーストモードもある。
メモリ上に置いた転送情報のテーブルを順次読みながら転送を行うモードもあるから、テーブルさえうまく作れば矩形領域だけじゃなくて円形の領域の転送なんかもできる。
キャラクタデータをグラフィックRAMに転送すれば動作自体はTOWNSスプライトみたいな感じにできるけど、前回のものを消去しないといけないからテーブル作成がちと面倒だし、バスも遅いから数もあまり稼げないかな?重なった部分も矩形に消えちゃうしね。 >>958
DMAの最大速度転送(CPUから完全にバスを奪うのでCPUが停止する)よりCPUのmovemの方が速い >>959
AMIGAのDMAなら0は書き込まない機能があるんだよな
そういうとこシャープは詰めが甘い てか、HD68450はシャープが作ったわけでもない、日立の汎用のDMACだしね。 >>964
最大速度転送の場合だけな
68000はキャッシュがないシステムだから仕方ない 複数のバスマスタがのっかる前提でなきゃバスは取り合いで遅い者負け >>967
CPUバスがそんな設計になってないからね。
今なら。CPUバスより共通バスやメモリのアクセス性能が圧倒的に高いなら、キューイングやスプリットトランザクションみたいな手もあるけど、あの当時では無理っしょ。 バスの空き時間を利用するサイクルスチールは、68000では使えなかった >>970
AMIGAはその辺どううまくやってるんだろう? > 西氏: うん、やっぱりね。PLAYerっていうか、
> ソフトウェアを実行するエミュレーターは
> ダメですよ、Windowsでは、他に魅力的なソフトがたくさんあるから。
> その経験があるから。 >>972
amigaはテレビ出力を前提にして
水平周波数を15kHzにしてなかったかな?で、プレーナ方式でしょ。
水平ドット数が640ドットであっても
1ワードあたり600KHzくらいだから、VRAMアクセスサイクルをCPUとDMAで分けても間に合うんだろうね。 68もツクールみたいな簡易ツールがあればねぇ
ポテンシャルは高くても素人さんには手が出せなかったよ X68kにツクール系が有れば敷居は低くなったのは同意だけど、ポテンシャルは高くないぞ
色々とできるが面倒なんで器用貧乏と言うべき
プログラム組むのもレジスタの直交性とメモリーのリニアアクセスのしやすさでアセンブラで書く場合ならx86よりは書きやすいと言われてるだけ
実際にアセンブラで書けばわかるがちゃんと動くプログラムはx86の方が楽に書ける X68000はグラフィック画面もテキスト画面もシンプルにフラットなメモリマップだし、特にグラフィックは1ドット1ワードっていうシンプルな構成だから、絵を描いたりするのはすごく簡単だったけどな。
アセンブラもさほどわかりにくくもなし。レジスタが32bit長で数も多いからテンポラリなデータはレジスタに保存しておけるし。
奇数番地からワードアクセスできないのは毎度悩まされたけどね。あれだけはなんとかしてほしかったわ。 奇数番地からワードアクセスするようなのは設計が悪い X68kはプログラマーが全部やらなきゃいけない
ホビー向けでビジネスユース全く考えてないからだろうけど
グラフィックもアニメーションでないなら描きやすいから紙芝居ゲーム向け 入り口はツクールみたいなのが最適だと思うけどね
シューティングツクール欲しかった >>982
スプライトも結構簡単にBASICから使えたけどね。
BGにスプライト敷き詰めてスプライト飛ばすだけでもなんとなくそれっぽい感じで動かせて面白かった。 で、無事に動いたらbasic to cでCにコンバートしてコンパイルして動かすって感じね。 V30程度の性能しかない68000でツクール動かすなんて妄想以下だ
使い物にならん RPGツクール
シューティングツクール
ADGツクール
68も一通り揃ってたはず X68kではシューティングゲームしかやらん
というのは多そう 68にツクールみたいなコンストツールって出てた?
全然記憶にないんだけど 恋愛シミュレーションツクールは無かった
ツクールシリーズが伸び始めてた頃は既にX68kは・・・ >>995
プロが仕事で使えるクリエイティブソフトと世界展開が必要だったな
日本のパソコン企業は国内しか見てなかった >>996
デザイン的にはX68000もTownsも欧米のクソつまらんものとは一線を画していたから、本気で売り出していたら、あちらでどえらいソフトが作られたかもしれんね。 16bit以上のパソコンの輸出,持出しは
かなり面倒くさい手続きが必要だった。 若い娘に、どっくん!
スキンを付けずに、どっくん!
中出し(どっくん)生出し(どっくん)
ほらほーら、子供ができちゃうよ
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